第34話 蕎麦×大型中堅?
「飯野ちゃん、お昼ご飯を食べに行くわよ!!」
珍しくお昼の時間に休憩が取れた私は意気揚々《いきようよう》と食堂へ向かっている途中、病院の廊下で薬剤部の三大巨頭、龍鳳寺副部長に声を掛けられた。
いや、そこに居たのは副部長だけではなかった。
「良かったわねェ、飯野ちゃん。副部長が念願のカツ丼に連れて行ってくれるんだってェ」
「場所はもう決まっているから、着替えて一緒に行きましょう。hurry up! right now!!」
すでに行くことが確定しているかのような発言をしている、猿谷主任と烏丸課長。
うえぇっ!? いつの間にか私の周りを3人に囲まれてしまっていて、逃げることができなくなっているじゃない!
いや、お気持ちは嬉しいし、ご飯のお誘いなら喜んで行きますよ!?
だからその無駄に怖いプレッシャーを私にかけてくるのはやめてくださいっ!
◇
……そして私はそのまま抵抗することも許されず、怖いお姉様トライアングルに病院の駐車場まで連行されてしまった。
まぁ連行って言っても、副部長の車で普通にドライブだったんだけどね?
そうして副部長の運転で私たちがやって来たのは、病院から車で10分ほどの場所にある純和風のお料理屋さん。
お店の周りには竹林があり、ちょっとした庵みたいになっている。
割と栄えている神饌町だけど、駅のある中心から外れるとすぐにこうした田んぼや畑が広がっているみたい。
だけど、和風の建物にはこういった風景の方が情緒があるし、やっぱり映えるよね。
……まぁ私はいつも食い意地の方が勝っているから、写真に撮ってSNSに投稿したりはあんまりしないんだけど。
「さぁ、飯野ちゃん。ここが私がオススメするお蕎麦屋さんよ!」
「あっ、お蕎麦屋さん……なんですか?」
たしかにカツだけを取り扱っている専門店もあるにはあるけど、街でよく見かけるのは定食屋さんのカツ丼だ。
だからお蕎麦屋さんにカツ丼を食べに来るのは別に不思議ではないんだけれど……。
「そうよォ。この『多幸庵』はお蕎麦も美味しいんだけど、カツ丼も同じくらい……いえ、それ以上に美味しいんだからァ!」
そ、そうなんだ……?
猿谷主任はハイテンションでお店のアピールをしてくれたけど、お蕎麦屋さんで蕎麦より美味しいとか言っていいのかなソレ……。
「早く行こう。ゆっくり味わえなくなる」
「あ、はい。確かに……!」
烏丸課長の言う通り、お昼時間も限られているんだ。
私は三大巨頭たちの後にくっついて店の敷地へと入っていく。
木製の門から中に入ると、そこにはしっかりと手入れのされた庭園が広がっていた。
立派な松の木や鯉の泳ぐ池、玉砂利の通路など、庭師さんがちゃんと考えて構成されたのが良く分かる造りだ。
「こんなお店が神饌町にあったんですねぇ。5年近く働いていますけど、全然知りませんでした」
「そうねぇ、ここは車が無いと来るのにはちょっと不便だからね。でもグルメ雑誌の特集に載るくらいだから、味の方は保証するわよ?」
「私たちも副部長の紹介で何回か来たことあるしね」
「アタシぃ、ここのお蕎麦を毎週食べているお陰で、お肌もツルッツルになったのよォ?」
ほぅ、そこまでだったのか。
猿谷主任の発言の真偽はともかく、リピーターとして来ているぐらいなら味は期待できそうだ!
店の中に入っていくと、内装もこれまた凝っていた。
入り口は土間で出来ていて、食事を摂るフロアは畳がたくさん敷かれている。
畳のイグサの香りと、蕎麦を茹でる時の独特の匂いがお迎えしてくれた。
あぁ、この実家の様な安心感はなんだか落ち着くなぁ。
キョロキョロしていると、仲居さんみたいな恰好をした店員さんが席に案内してくれた。
すでにテーブルには何組ものお客さんが来ており、蕎麦を啜ったり天ぷらを食べたりとそれぞれが思い思いの料理を口にしている。
思わず私はそれを横目に見ながら、ゴクリとつばを飲み込んでしまう。
うぅ、さっきからお腹もグーグー鳴っちゃっているし、めっちゃ恥ずかしい……!!
4人掛けの座卓テーブルに案内されると、私は早速メニュー表をチェックし始める。
目的はカツ丼だけど、折角だからどんな料理があるのか確認しておきたいよね!
「ふむふむ? 二八蕎麦に蕎麦がきは定番かな。あとは鴨肉かぁ!」
「そう、この店の鴨肉は絶品。鴨汁せいろに鴨串焼き、鴨汁カレー南蛮なんかも美味」
おおっ、烏丸課長も鴨が大好きなのか。イイですね~!!
いつも無表情な烏丸課長は脳内で想像しているのか、珍しく口元が緩んでいる。
「アタシのオススメは味噌焼きねェ! それに蕎麦焼酎の蕎麦湯割りなんて最高よぅ!?」
「やめなさいよ! これでも勤務時間中なのよ? 飲みたくなっちゃうじゃない!」
そうだそうだ! 副部長の言う通りだ!!
猿谷主任が余計なことを言った所為で、こんな平日の昼間っから飲みたくなってきちゃったじゃないか……。
ごめんねェ~と謝る主任を無視して、私は結局オススメされたカツ丼を素直に注文することにした。
今回はサービスで出てきた蕎麦茶で我慢だ!
ずず~ぅっとお茶を啜りながら、待つことしばし。
木目のトレーに乗せられたカツ丼が私の目の前に登場した。
「ふおぉおぉっ……!! こ、これは堪らんですなっ!」
「ふふふ。でしょぉ? さぁ、さっそく頂きましょう」
丼に盛られたご飯が見えないほどに、大きめにカットされたカツが大胆に乗せられ、その上をタレで茶色がかった卵の黄色が優しく覆っていた。
そしてたった今できたばかりだと主張するかのように、白い湯気がホカホカと立ち上っている。
湯気にはもちろん、このカツ丼の香りがこれでもかと込められていて、私の空っぽなお腹を強烈に刺激してきた。
嗚呼っ。もう上司の前とか関係なく、目の前のカツ丼をガツガツとかきこみたい……!!
「い、いただいちゃっていいですか……!?」
目線をカツ丼から3人に戻すと、すでに彼女たちは獣の様に食事を貪っていた。
「……えぇぇ?」
一番オトナな女性だと思っていた龍鳳寺副部長でさえ、一心不乱に食べている。
猿谷主任なんて、普段は女性らしさを意識しているのに、「うおぉぉ!」とか雄叫びを上げそうな勢いだ。
ちなみに烏丸課長は無言で黙々と食べているが、そのスピードが尋常じゃない。
だけど1粒のご飯もどんぶりに残すことなく、精密機械の様に箸で器用に掬っている。
さすが|デウス・エクス・マキナ《機械仕掛けの神》。
「っと。私も冷める前に食べなくっちゃ! いただきますっ!」
美味しい食事を食べられることに感謝を込めて手を合わせてから、箸で手を付ける。
まずは卵の布団が掛けられたカツを一切れつまんで、口の中へ。
――さくっ……ジュワアァアァ。
「んんんんぅ~!! んんっ!! んんんん!!」
言葉にならない声を上げながら、もぐもぐとカツを味わっていく。
揚げたてだったせいか、これだけのタレがかかっていても衣にサクっとした食感が残っていた。
そしてすぐに訪れるダシの効いた甘じょっぱいタレの旨味。
さらには豚肉の甘い肉汁がぶわっと口の中で爆発する。
しかし私はそこで箸は止めることは出来なかった。
気付けば右手は無意識にカツの下にあった白米の下へ。
否。白米は既にタレに侵食されている。
その証拠に一度口に含んでみれば、その身《白米》にギュギュっと凝縮されていた先ほど味わった旨味を否応なく味わうことになった。
こうなればもう、完全に自分を止めることは出来なかった。
あっという間に私も副部長たちの仲間入りをしていたようで、再び意識を取り戻したのは、どんぶりがすっかり綺麗になってからであった。
「これは……危ない。危ないカツ丼ですよ皆さん!!」
こんな食べるのが止められなくなるような中毒性のある危険な食べ物、この世にあっていいんですか!?
「でしょう!? 危ないのよ、このお店のカツ丼は!」
「アタシ、最初は油断してまんまとヤラれちゃったのよねェ」
「カツ丼は悪くない。悪いのは欲に負ける己の弱さよ」
どうやら副部長たちもこのカツ丼の魔力にやられたクチだったらしい。
いやぁ、これは抗いようのない美味しさだもん。仕方ない!
「ふふふ。でも飯野ちゃんにもここの美味しさを分かって貰えて何よりだわァ」
「確かに。同志としてこれは知っておくべき」
あぁ、確かにこの味を知らないのは人生における損失だわ……。
キッカケはアレだったけど、紹介してくれた3人には大感謝です!!
「本当にありがとうございます。こんなに美味しいお店が職場の近くにあったなんて……」
「もっと前から紹介はしたかったんだけどね~。忙しくて中々誘いづらかったのよねぇ」
副部長は苦笑いをしながら蕎麦茶をズズズ、と飲んでいる。
まぁ、私は病棟に行きっぱなしでちゃんとお昼休憩の時間に薬剤部に戻ることは殆どなかったからね。
「でも、コレである意味同じ釜の飯を食べた仲間になれたワケじゃない? 今まであまり助けてあげられなかったけど、今回の事は私たちに任せてちょうだい!」
「龍鳳寺副部長……!」
やばい、今まで孤独に頑張っていただけあって、涙が出てきそうだ。
先輩と一番上の上司には恵まれなかったけれど、頼もしい仲間が出来て良かった。
他の2人にも目を向けると、優しい笑顔でコクリと頷いてくれた。
「私、ここまで頑張ってきて良かったです……。まだまだ未熟でヒヨっ子な私ですが、これからもどうかよろしくお願いします……!」
畳の上で正座して、ガバッと頭を下げる。
「えぇ、こちらこそよろしく頼むわね!」
「飯野ちゃんみたいな子は大歓迎よォ~」
「期待してる」
3人は女神の様な微笑みで私を激励してくれた。
そしてみんな噴き出すかのように大声で笑いだす。
「アハハハ。じゃあ、お腹もいっぱいになったことだし。そろそろ帰りましょうか」
代表者でもある龍鳳寺副部長は、そう締めくくった。
あぁ、でも……
「お待たせしました~、鴨汁せいろになります」
「「「……えっ?」」」
キョトン、とする三大巨頭。
「あ、すみません。3人が夢中で食べている間に、つい頼んじゃいました」
折角初めて来た美味しいお店だもんね!
お腹いっぱいになるまで満喫しなきゃ!!
その後呆れる上司を前に、私は思う存分味わい尽くしたのでした☆