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第29話 避難訓練×夕立ち

 世間では夏休みムードも終わりを告げ、今日から9月に入った。

 つまり本日は防災の日。

 毎年この日は、私を含め院内の職員が総出で避難訓練を行っている。



『訓練、訓練。これは避難訓練です。ただいま、2階調理室より火災が発生しました。落ち着いて、避難を開始してください。職員は誘導を……』


「あ~、今年も調理室が燃える時期がやってきましたなぁ……」

「数年前から長期入院してる秤屋はかりやさんが『毎年この日は調理室から肉の焼ける匂いがするんだよな~』って言ってたよ~」

「ちょっと、飯野さん!? 兎月うづきちゃんも不謹慎ふきんしんだよ!?」


 8階にある内科病棟から、避難の為に階段で降りている途中の一幕がコレである。


 薬剤師の私と一緒に居るのは、リハビリテーション科の兎月杏子(あんこ)ちゃんと看護師の牛尾うしお初看(はつみ)ちゃん。

 略称リハ科とも呼ばれる部署に所属している兎月ちゃんは私のジム友達で、柔らかくしなやかなボディを持つ活発的な女の子。

 暴力的なバストを持つ牛尾ちゃんと違って小振りの膨らみを持つ兎月ちゃんだけど、仕草と雰囲気がちょっとエロい。


 リハビリは結構ハードに身体を動かすから露出が殆どないタイプの白衣。

 ……なんだけど、動きやすいようにピッタリしている形状だから身体のラインがモロ分かりなのだ。

 しかも私と違って本気でジムに通っている所謂ガチジム勢だし、女として本気で羨ましいくらいの素晴らしいプロポーションをしている。


 階段をトントントンと、羽が生えているかのように軽く降りていく兎月ちゃんをチラリと見やる。

 キュッとしたくびれに、思わず触りたくなるお尻、太すぎず、細すぎないおみあし。

 ジムのお風呂に一緒に入ったときなんて、私は思わず柔らかな太ももに頬擦りをしたほどだ。


「紫愛っち……なんでそんなヤラシイ目でアンの事見てるの? 怖い……」

「うふふ、兎月ちゃん。またジムで一緒にお風呂入ろうね? 私が優しく身体検査ボディチェックしてあげるからさぁ」

「ぴえっ!?」


 ぐへへへ。

 逃げなくていいよぉ?

 私が兎月ちゃんを危ない男から守ってあげるからねぇ……!


「飯野さん、兎月さんが怖がってるわよ? ていうか、避難訓練中に堂々とセクハラしないの!! 貴方たち、真面目にやらないと3人とも反省文を書かせるわよ!?」

「「「は~い、すみませ~ん」」」


 前を歩いていた辰巳看護師長が振り返り、私たちに注意する。

 先日この師長とサシで飲みに行って親睦を深めに深めた結果、変に甘やかされる事態になった。

 プライベートでも連絡が来るようにまでなってしまったのだが、さすがに職場では自重してくれているようだ。



「――紫愛ちゃん、明日の勉強会の最終確認するから後で師長室にきてね?」


 ……と思ったら、耳元で妙に甘ったるい言葉をこそっとささやかれた。

 お母さんと親友で、私の小さい頃を知っていたらしいから娘みたいに可愛がってくれているんだと思っていたのに……なんだかちょっと怪しい。


 いや、師長にはイケオジの旦那様が居るんだけどね。


「なぁんか最近、紫愛っちと師長さんって仲良くない?」

「たしかに……。飯野さんって、師長のこと苦手とか言ってましたよね?」


 背丈せたけの似た姉妹のような2人が、私の胸元辺りに寄ってコソコソと聞いてきた。

 そんなことを言われても、私は今でも師長が苦手だ。

 美人なのに、あの獲物を狙うようなネットリとした蛇みたいな瞳を向けられると、か弱いカエルな私はどうしても固まってしまう。


 ……はぁ。もう少し距離感を離してもらえると助かるんだけどなぁ。



 そんなことをしているうちに、私たちは病院の屋外にある広場に着いた。

 そこには馬場ばば院長や柳沢やなぎさわ事務長、薬剤部の根津ねず課長などの男性陣が、それぞれの手に赤い消火器を持ってスタンバイしている。


 ちなみに、なんで薬剤部のトップである田貫たぬき部長が居ないかって?

 理由は直接聞いてはいないけど――どうせ「暑いから外に出たくない」とかに決まっている。


 毎回高血圧が~、心臓が~とかアレコレ理屈をねるんだけど、そもそも普段からそうやって運動もせず不健康な生活をしているからだろっていうね。

 ていうか本当に火災があったら、マトモに動けなくて危ないんじゃないかな……?


 まるで消防士のような完璧なフォームで消火演習をこなす根津部長を眺めながら、カチカチ山みたいに火が付いた狸部長を想像する私なのであった。



 ◇


「うん、いいんじゃないかな。さすが私の紫愛ちゃんね。これを印刷に回して明日の配布資料にしましょう」

「……師長、いつから私はあなたの物になったんですか。最近のガキ大将でもそんな理不尽なことは言いませんよ」

「まぁまぁ。それより、今度はいつ飲みに行く? 今日この後にでも、2人っきりで打ち上げしちゃう?」

「あんまりしつこいと看護部長と旦那さんに報告しますよ? それに、打ち上げなら私一人で行くんで大丈夫です」


 普段のキツい言動を撒き散らかす鬼の師長とは思えないセリフを聞きながら、私は小さく溜め息を吐いた。

 何が悲しくてイケメンでもない、こんな変な人からデートのお誘いを受けなきゃいけないんだよ。



 私は今、避難訓練中に言われていた通り、明日の勉強会での資料を辰巳師長の部屋で確認して貰っていた。

 院内の安全管理を総括している辰巳師長は、さっきまで資料にミスがないかを凄く真剣な顔でチェックしていたんだけど……終わったと思った途端に、さっそくセクハラをしてきやがりましたよ。


 普段の激辛を越えた、鬼のような怒涛どとうのお叱り。

 それに反して、好きな相手にはとことん甘やかす性格。

 ……これをどうにかうまい具合にミックスして、丁度いい甘さになってくれると助かるんだけど。

 どうして神様は師長の味付けを間違っちゃったのかしら?


 師長が必死にコーヒーを勧めてくるのを私は笑顔で丁重に断ると、本来の居場所である地下の薬剤部へと帰還した。



 ふぅ、本日の業務はこれで無事に終わりそうだ。

 さっそく担当の師長からオッケーを貰ったし、この件を依頼して来た田貫薬剤部長に早く報告しておこう。


 私は嫌なことは早めに済ませるオンナなのだ。

 なるべく部長には会いたくないんだけど、これも仕事だからしょうがない。

 そう言い聞かせながら、資料を持って部長室の前に立つ。


 ふぅ、深呼吸してノックだ。

 大丈夫。仕事には厳しいあの師長にオッケーを貰えたんだから、内容に問題は無いはず。

 さぁ、これさえ終われば今日はジムと美味しいご飯よ!!



 ――トントントン。


「飯野です。部長、入室しても大丈夫でしょうか」

「――おおっ? 丁度いいところに。入ってくれ~」


 あれ? 部長以外の人の声がしていたけど、お客様かな?

 中をうかがうようにして、ゆっくりとドアを開ける。


「失礼しま~す。……えっ!?」


 うげえっ!?

 なんとそこには、この勉強会の担当を私に投げた戦犯である猪田先輩が居た。

 彼は私を見ると、口でニヤァ~といやらしくを描いた。


「ちょうど猪田君が来てくれてね。そうそう。この前頼んだ勉強会の資料は出来ているかね?」

「はい。先ほど担当の辰巳師長にも承認を受けました。こちらが資料になります」


 なんだかちょっと嫌な予感をしながらも、デスクに座ったままの部長に資料が印刷されたA4用紙を渡す。


 ほう、と言って老眼鏡を取り出す田貫部長。

 そして部長の隣に立ったまま、斜めに視線を傾けて資料を眺める猪田先輩。


「ふぅん、飯野にしてはまぁ、及第点か」

「そうだねぇ。まぁこれならいいか。お疲れ、飯野君。後はこの猪田君がやってくれるらしいから。後でお礼を言っておいてね?」


 ……はぁっ?

 今、ちょっと理解できない言葉が聞こえたような……。


「ちょ、ちょっと待ってください! 先輩がやってくれるって、もしかして明日の勉強会のことですか!?」

「はっ? 言った意味が分からなかったの? ……だからぁ、明日の勉強会の司会進行は猪田君にやってもらうから。この元データは後でちゃんと渡すように」

「そ、そんなの聞いてないですよ!? だって、これは私が作った資料で……!」

「あぁそうそう、ちなみにグループで開催される学会の論文発表にもコレは使うから、ちゃんと猪田君に説明しておくように頼むよ。じゃ、そういうことで。はいお疲れさん」


 ま、待ってよ! 私を置いて話を進めるな!!

 これは私が時間と手間を掛けて作った資料でしょう!?



 2人を直視できなくて下を向いていた私の視界に、ふっと影が落ちる。

 そのシルエットのぬしを確かめるように見上げると、ニタニタと笑う悪魔のような男が立っていた。


「飯野。明日の朝にはちゃんとデータ渡せよ? なんたって俺は忙しいんだからな。ははは!」


 嫌……もう嫌だよ。

 どうして……? もう、なんなのよこの人たちは……。


 いやらしい笑みを浮かべた男たちのわらい声が響く部長室。

 窓の外では――まるで私の心の中を表すかのように――急に現れた夏の通り雨が、ザァザァと騒々しい音を立てていた。









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