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第2話 派遣×ハゲ

「えっ? 他の施設に応援……ですか?」


 今日もこのまま残業コースの雰囲気がほんのりとただよい始めた木曜の午後。

 帰宅する時に買うビールをどれにするかで私が現実逃避を始めた頃、クソだぬき改め、田貫たぬき薬剤部長から唐突にお呼びがかかった。


「うん。ウチってグループ病院じゃない? 系列に入ってる人手が少ない老人ホームの調剤補助に行って欲しいんだよね。飯野いいのさん、明日行けるでしょ?」

 

 目の前のポンポコ狸は、料理屋の前にある置物みたいな大きなお腹をタプタプと揺らしながら、機嫌よくそう答えた。



 ……なにをアホなことを言っているんだこのアホ狸は。

 ただでさえ今日は緊急の入院が立て続いて、今日は残業が確定しているのに~。

 それに明日私が病棟に居ないとなると、今後の予定を組み直したり他の人に引き継ぎをしたりしなくちゃならないって分かってます?


 そもそも、この職場だって人手が全然足りていないのに、何でこの人は引き受けようとしているんだろう……?


「あ、ちなみにもう先方には連絡済みだから。場所はここ。交通費は後で支給するから申請しておいてね。絶対に最小限の費用になるように頼むよ~」

「……分かりました。では私は残りの仕事があるので、これで失礼します」


 これ以上、この人に何を言っても無駄だわ。

 いつまでも愚痴を言っていても仕方ないし、さっさと切り替えようっと。

 ちなみに私が行くことになった場所って、どこかな……?


「ええっと、老人ホームの所在地は浅草周辺……あぁ、スカイツリーの近くかぁ」


 実は、完成してからまだ一度も行ったことの無いスカイツリー。

 デートスポットとしても有名なあの観光地。


「ははは。初めて行くのがお仕事かぁ。こりゃ泣けてくるね」


 白衣のポケットに両手を入れながら、ガックリとうなだれる私。

 でもこうして落ち込んでいても、今日の業務は1ミリだって終わらない。

 とほほ、と心の中で泣きながら、戦場と化している病棟へと早足で戻るのであった。



 ◇


「おおぉ~、思ってたよりでっかいなぁ」


 次の日の朝。

 慣れない通勤電車に揺られ、どうにか目的地の駅にたどり着いた。

 ちょっと生憎あいにくの曇り空だけど、視界の先には巨大なタワーがそびえ立っている。


「東京タワーは受験の時に見たけど、やっぱりそれよりもおっきいんだねぇ」


 昨日はデートで行ってみたかった~とか言ったけど、実は高所恐怖症な私。

 今までそういう高い所の観光地にはかたくなに行かなかったし、ぶっちゃけスカイツリーにも登る気は更々《さらさら》ない。

 ミーハーな私としてはスカイツリーの下にあるソラマチで有名なグルメを満喫できればそれでいい。


「さてっと、張り切ってお仕事をしますかね!」


 流れていく雲に覆われている塔から目を離し、今日の仕事場へと足を向ける。

 スマホの地図を睨みながら、人混みをうようにして目的の老人ホームへと歩き出した。



 そうして若干じゃっかん道に迷いつつも、30分ほどで指定された場所へと辿り着くことが出来た。


「んん~。ちょっとだけ建物が古いけど、清潔そうだし良い所じゃない」


 レンガのようなタイル造りのその建物は年季こそ入ってはいるが、キチンと隅々まで整備されており、入り口や通路には花壇やがきが所々にあって来る者の目を楽しませてくれる。

 入居者が快適に過ごせるように配慮した施設で、実に好感が持てる。


「えーっと、施設への入り方は……インターフォンで入る許可を貰って、許可証を手に入れたら地下の薬局に行くんだっけ」


 安全のためにロックの掛かった自動ドアを開けて貰い、挨拶をしてから薬剤師の居る部屋へと向かう。

 事前に聞いた話では、ここで働く薬剤師はたった一人しか居ないらしい。


 通常、薬を用意する調剤者とその薬が正しいかをチェックする監査者は別の人物であることが望ましい。

 なぜなら、一人しか居ないとミスがあった時に重大な事故が起こるリスクがあって危険だからだ。

 だからどうしても必要な際は他の病院などからヘルプを派遣することがある。

 ……今回みたいに急に派遣が決まることは非常に珍しいけれど。


「まぁ、患者さんが危ない目にうよりかは、仕方がないのかな」


 薬剤師の役目は安全にお薬を使ってもらうことだからね。

 とにかく、私は私の仕事をまっとうするだけだ。

 脳裏に浮かぶ愚痴を振り切って、薬局のドアをノックする。


 ――コンコンコン。


「は~い! どうぞ、入って~」


 部屋の中から、明るめの女性の声が返ってきた。

 良かった、今日のパートナーがいい人なら安心して仕事が出来そうだね。

 不安が少し取れた私は意気揚々とドアを開け、中にいた女性に挨拶あいさつをする。


「失礼します。ヘルプで参りました、飯野いいのと申します。本日は宜しくお願いします!」

「あら、こんにちは~! 私は番場ばんばです。こんな所まで良く来てくれたわね~! いやぁ、ほんっとうに助かるわ!」


 番場と名乗ったこの女性は、50代くらいの恰幅かっぷくの良いレディだった。

 髪はクルクル、使い込まれた白衣に丸眼鏡の可愛らしい人って印象だ。


 ……いい人なんだけど、やたらテンションの高そうなオバちゃんだなぁ。

 私の中では既に番場さんのあだ名はハイテンションおババに決定だ。

 でも二人っきりなんだし、会話が続いた方が楽で良いのかも?

 それにしても、こんなに喜んでくれるとなんだか苦労して来た甲斐かいがあるなぁ。


「うふふ、実はやってもらいたいチェックがこんなに溜まっちゃっててね。私ひとりじゃとても手に負えなくって……」


 そう言っておババさんが作業机の隣に積まれた段ボール箱を指さした。

 その先を見ると、1個、2個、3個……まだあるの?


 ざっと見ただけでも6箱以上の段ボール箱がデデデンとタワーの様に積んである。

 こんな所でスカイツリーなんか見たくないよ……。


「け、結構あるんですね……」

「そうなのよぉ~。中身は大したことないんだけど、いかんせん量が多くって。でも飯野さんが来てくれたお陰でスッキリするわぁ~」


 おいおいおい、これ今日で全部私にやらせるのか、おババよ。

 でも次のヘルプは来週っていう話だし、今日中にやりきらないとこのままじゃおババが過労死する。


 もしかしたらおババのハイテンションも、こうして無理矢理上げないとやっていられないほどに追い詰められているのかも?

 そう考えると……思わず自分の境遇と重なって目頭が熱くなる。

 うんうん、社畜は何でも一人で抱え込もうとしちゃうもんね。

 頼っても良いかもって人が来たら、全力で尻尾振りたくもなりますよね!!

 ……ねっ!?


「分かりました。時間の許す限り、正確に迅速にやらせていただきます!」

「本当!? おババ嬉しいわぁ~!」


 あ、自分でもおババって言っちゃうんだ。

 少しだけ冷静さを取り戻した私は、ハイテンションで調剤を始めたおババと(というかまだ増やす気か)狭い薬局で必死に仕事を進めるのであった。





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