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第25話 師長×社長

 何故か鬼の看護師長とサシで飲みに行くことになってしまった。

 どうしてかって? それは私が聞きたい、帰りたい。



「なによ? そんなに私と飲みに行くのが嫌なワケ?」

「い、いえ。滅相めっそうもございません……」


 そして今、職場の病院から最寄りの駅に向かうバスの中。

 私の隣の席では、あの辰巳たつみ師長が仏頂面ぶっちょうづらで座っている。

 師長はたぶん私のお母さんと同い年ぐらいだとは思うんだけど……。

 スキニーパンツにブラウスというシンプルなファッションの私とは違って、この人は可愛らしい花柄の刺繍ししゅうが入った黒の半袖ワンピースを着ている。


 ていうか初めてこんな至近距離で見たけれど、師長って目鼻立ちが凄いクッキリしている美人さんだわ……。

 釣り目がちだからちょっとキツい印象があるんだけど、バッチリなメイクも相まっていて綺麗めの女優さんみたいだ。

 ……後はもうちょっと愛想を良くすれば、周りの人達は心が休まると思うんだけど。


「ねぇ。さっきも言ったけど、飯野さんって考えてることがモロに顔に出てるわよ?」

「ひえっ!? そ、そんなことないですよぉ~? 辰巳師長って美人だなぁって思っただけで。フヒヒ」

「ふんっ! まったく、本当に飯野さんって口だけは達者なんだから……」


 ふえぇえ……褒めたのに機嫌悪くなってるぅ!?

 もうやだよぉ、お家帰りたい……。

 長い仕事が終わって、やっとこの恐ろしい師長から解放されると思ったのに。

 お家で今日こそはホカホカご飯にありつけると思ったのにぃ……!!


 これから飲みに行く2人とはとても思えない空気をただよわせながら、シャトルバスは神饌町しんせんちょう駅へと向かうのであった。



 ◇


「はぁ……やっと着いた。いつもより何倍も長く感じた……」

「なにをグダグダと言っているのよ? ほら、こっちだから着いていらっしゃい」


 バスのロータリーに降り立った私は、急に張り切りだした師長に誘導されて駅前通りを歩き出す。

 ……っていうかこの人、めっちゃ歩くの早いな!?


 師長は女性の平均的身長ぐらいだと思うんだけど、長身であるはずの私が完全に置いて行かれている。

 肩口で揃えられたショートカットの髪を揺らしながら、商店街を早足で颯爽さっそうと進んでいく姿は、病棟で見る看護師長そのままだ。



 パチンコ屋やゲームセンターといった騒々しい通りを抜け、八百屋やお惣菜屋などの生活感のある裏通りへ。

 段々と人通りも少なくなり、見掛けるのは住宅街に帰る草臥くたびれたサラリーマンぐらいになってきた。

 こんなところに師長がオススメするお店があるの……?


「別に変なところに連れて行かないわよ? ほら、着いたわ」


 普段歩かないような道を不安げにキョロキョロと見ていたら、前を歩いていた師長に声を掛けられた。


「ここよ、この『No慚愧ざんぎYou』ってお店」

「えっ……な、なんて読みました今?」


 だけど辰巳師長は私の質問に答えることなく、ガラガラガラと引き戸を開けて入って行ってしまった。


「本当に……ここなの……?」


 入り口で取り残されてしまった私は、目の前に建つ2階建て店舗を見上げてみる。


 それはコンクリート製の古い建物で、壁にある換気扇からは香ばしい匂いがガンガンに吐き出されている。

 もう一度店に掛かった看板を見てみると、たしかに『No慚愧You』と書いてあった。


「たぶん、師長は『のー、ざんぎ、よう』って読んでいたわよね……ノー残業ってこと?」


 なんだか社畜に優しそうなお店だ。

 きっとここの店員さんは定時上がりに違いない。

 いいなー、私もこの店で働きたい。


「飯野さん、何してるの!? 席が空いてたから、さっさと入るわよ!」

「は、はい!」


 入り口からひょっこりと顔だけ出した師長に怒られた。

 なんかちょっと嬉しそうな顔をしているけど、そんなに早く飲みたかったのかな?


 ――と思っていたら、突如なにかが私を襲った。

 それは開け放たれた店の扉の奥からムンワリとした風と一緒に吹いてきた、さっきの何倍もの威力を持った美味しそうな匂いだった。

 こ、これは……私も早く行かねば!!


 はたしてこれは白衣の天使(辰巳師長)の誘いか、はたまた悪魔のささやきか。

 それはこの門の向こうへと飛び込んでみなければ分からぬ!!

 いざ、食の理想郷ユートピアを目指して――!!



 ◇


「これはユートピアでしたわ……」

「ね? ここは私の秘密の花園なの。あんまり他の人には広めないでね?」


 あまり座席数の多くない店内のカウンターで、私は至福の時間を過ごしていた。

 隣にいる辰巳天使長はビールを片手に、既にほろ酔いになっている。


「ははは、嬢ちゃんは大げさだな! でもそう言ってくれると俺も嬉しいわ!」


 そう朗らかにカウンターの反対側から声を掛けてきたのは、この『No慚愧You』の社長さんだ。

 なぜか大将とか料理長ではなく、社長らしい。

 良く分からないこだわりだが、料理に対する熱意は本物だ。


「この人の作る焼き鳥は絶品なのよ~! この辺でここまで絶品な炭火焼きを出すお店は中々無いと思うわ」

「あぁ、そういえば神饌しんせん町はチェーン店ばかりで本格的な焼き鳥屋さんって見かけないですね」


 アルコールのお陰か、上機嫌になった師長がこの店について教えてくれた。


 なんでも社長は元々、この神饌町にある会社勤めだったらしい。

 だけど運の悪いことに、そこは今でいうブラック企業を越えたわば消し炭みたいな会社で、それはもう毎日のようにボロ雑巾になるまで働いていたんだって。


 それがある日、会社経営陣の不正がニュースになって、文字通り炎上したらしい。

 あっという間に会社は無くなってしまい、途方に暮れた後……何やかんやあってこの店の社長になったらしい。


「まぁあの時の絶望やらなんやらを忘れずに。そんな意味を込めて、店の名前と役職をつけたってワケだな!」

「はあぁ、なるほど。社長もいろいろあったんですねぇ……」


 社長さんのだいぶ寂しくなってしまった頭髪が、その社畜生活の苦労をうかがわせる。

 でも煙と汗を吸ったその料理服と、その袖から出ている二つのたくましい腕は職人としての半生を、そして彼の生き様をまざまざと見せつけてくれる。

 こういう口だけじゃなくて背中で語るカンジって、なんかカッコいいよね。


「なによ、この人は誰にも渡さないわよ?」

「えっ?」

「カッコイイでしょう? 何年経っても、この頼もしい腕が最高だわ~」

「えっ、なに? どういうこと??」

「やめろぃ、琴子ことこよぉ。そういうのは仕事が終わったらな」

「やだもう、アナタったら!」


 いきなり下の名前やアナタという、かなり親密そうなカンジで呼び合い始めた師長と社長。

 え? なに、もしかして、2人ってそういう仲だったの!?


 ――ワタシハ、シゴトオワリニ、イッタイ、ナニヲ、ミセラレテイルノ?




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