第24話 ボリューム×想定外
職場の猪田先輩に勉強会の担当を押し付けられた挙句、看護師長にお叱りを受けた月曜の午後。
私は涙目になりながら、同じ病棟の看護師で友達の牛尾ちゃんに愚痴を言っていた。
「ねぇ~牛尾もぉん、助けてよぉ~」
「誰がウシ型ロボットですか。……でも今回はさすがに飯野さんに同情します。私はなにも手伝えませんけど」
「そんなぁ~」
ナースステーションの隅っこで、超高速のタイピングでキーボードをがむしゃらに叩く。
画面上で文字が流星群の様に流れていくが、終わりは全く見えてこない。
お昼休憩を返上して勉強会の資料を作っているんだけど、早く形にしないとこの勉強会の担当である看護師長に怒られてしまうのだ。
いや、さっきやれって言われたばかりでこの仕打ちは酷いと思うんだけどね。
「そもそも、なんで急に飯野さんに担当をチェンジしたんです?」
「そんなの知らないわよ~。今日出勤したらウチの部長に唐突にそう言われたんだもん」
「うわぁ、それは酷い」
前任者である先輩から引き継ぎも何もなかったので、イチから資料の作り直しなのだ。
この仕打ちには猪田先輩への恨みつらみがギガ盛りだ。
「元々の担当だった猪田先輩は何故か今日も居ないしね~」
「あの人、いつもなら看護師かリハビリ科の女の子と話してるんですけどね。どこに行ったんでしょうか」
「まったく。職場は結婚相手を探す見合いの場じゃないっての」
「然り然り。でも私も早くいい人見つけたいな~」
牛尾ちゃんに彼氏が居ないっていうのも驚きなんだよなぁ。
こんな可愛い子、フツーは男が放っておかないでしょうに。
「うぅっ、同志よ!!」
「――何人か告白してくる野郎どもは居るんですけどね~。みんなどいつもこいつも胸ばっか見てきやがるんですよ。そんなに胸が良いならママのでもしゃぶってろってね」
「やっぱり敵だぁああ!! 牛尾ちゃんの裏切者ぉおお!!」
要らないのなら私に寄越せ!!
胸か! そんなに胸が大事なのか!?
「やっぱり男はクソね」
「どうしてそんな結論になるんですか。ていうか、飯野さんだってモテてるじゃないですか~」
「はいはい、お世辞はいいのよ。ありがとうね」
「うーん……お世辞じゃないんですけどね~」
もしも獅童の事を言っているのなら、アレはご主人様に捨てられたくない犬みたいなモンだ。
入職直後でちょっと優しくされたからって理由で、少し勘違いしちゃってるだけだよ。
きっとあと数年もすれば冷静になるはず。
とにかく今の私にはどうでもいい男よりも、目の前の資料の方が大事だ。
今日中に草案をまとめて提出しなければ。
「ふふふ。飯野さんが早く素敵な人と結ばれることを願っていますよ。そして私にも良い人を紹介してくださいね」
「はいはい。あ、この点滴のオーダーを三虎ドクターに貰っておいてね。あと蟹岡さんの検査結果出たら早急に教えて?」
「ふえぇ!? 私ですかぁ?」
「頑張れ、病棟のチームリーダー。牛尾ちゃんは看護師たちの期待の星よ」
「飯野さんが師長みたい……」という非常に失礼な愚痴をこぼしながら、牛尾ちゃんは胸をユサユサ揺らしながら仕事に戻っていった。
「ふっ。せいぜい、その無駄なぜい肉を労働で減らしてくればいいのだ」
これは決して僻みではない。ないったら、ない。
……でも、私にはボリュームがもう少し欲しいなぁ。
自然と胸に手が行きそうになるのをどうにか抑え、再びパソコンのタイピングに戻る。
まずはお昼ご飯を抜かずに栄養を摂れるように、頑張って仕事を終わらせないとね!
◇
「辰巳師長、これが今度の勉強会の資料になります。お目通しをお願いします!」
「あら、思ってたより早かったわね。じゃあ、そこに座ってくれる?」
「はい。お願いします」
あれから猛スピードで作業をした結果、業務時間ギリギリのうちに何とかカタチにすることができた。
そして現在はその資料をもって師長専用の執務室に突撃したというワケである。
「ベースは過去の資料をトレースしてるわけね。まぁ良くも悪くもベタってところかしら」
「医療事故自体は大きく変わることはないので、ここ最近起きたヒヤリハット事象を題材に対策を練る方向に持って行こうかと」
「そうねぇ。スタッフも身近な話の方が理解もしやすいでしょうし。私もグループ内の病院で起きた事例がないか調べておくわ。その方が話も膨らませやすいでしょ?」
「ありがとうございます。そうしていただけると助かります」
あれ? 普段と違って、妙に素直じゃない?
いつもだったらヒステリー気味に「どういうことよー!?」とか「報告書よー」って叫んでいるのに。
「ねぇ、飯野さん。貴女、考えてることが顔に出やすいって言われない?」
「ひぐっ!? な、なんのことでしょう!?」
「私がどうしていつもみたいに喚かないのかって、不思議なんでしょう?」
「ど、どういうことーっ!?」
「貴女って、実は良い性格してるのね……」
あ、つい顔だけじゃなくて口にも出ちゃった。
だって途中から師長さんが笑いを必死に堪えて口元がモニョモニョしてるんだもん。
だからちょっとだけボケて、この人がどう反応するか試してみたでござる。
「ねぇ。私のことを揶揄ってるワケ?」
「さぁ……なんのことかさっぱり分かりませんね」
あはは、私が悪戯を仕掛けたこともバレちゃったかな?
あからさまに目を逸らしてとぼける私を見て、長い溜息を吐いた辰巳師長。
そして何かを諦めたかのように口を開いた。
「まぁ、いいわ。それより、飯野さん。この後なんだけど、時間はあるかしら?」
「時間……ですか? はぁ、仕事は終わりましたけど」
なんだろう? ウチの薬剤部長にクレームでも入れる気かな?
それとも馬場院長に直接チクるのか??
残念だったな、土下座する覚悟だったらこの部屋に入る前から出来ているぞ!
「じゃあ決まり。退勤したら私のいきつけの店で《《一緒に》》飲みましょう?」
おっふ。それは予想外デース……。




