第14話 誘惑×乾杯
帰省していた地元の海岸で、たまたま知人たちと出会ってしまった。
通っているジムのインストラクターの望月さんと、職場の後輩薬剤師である獅童の2人組。
その2人に今夜の予定を聞かれた私だったが――?
「興味の湧かないお誘いだったら、お断りさせていただきますけど」
「ははは。俺がそんなことをする訳がないだろ? 実はさ、この魚たちを行きつけの飯屋に持って行く予定なんだわ。そこの大将がさ、また酒に合うメシを「行きます!! いくいく!! 絶対行きます!! さぁ、行きましょう!! どこですかそのお店!?」作るからどうかな……って予想以上に簡単に食いついたな、キミ……」
人慣れしていない魚だってこんな簡単に釣れねぇぞ……って顔で2人とも私を見ているけど、美味しいご飯にありつけるならこのチャンスを逃すわけがないでしょうが!
さぁ、早く私をその素敵なお店に連れて行って!!
「うぅん……僕もこうやって誘えばデートしてくれるのかなぁ?」
「いや、これでも一応相手を選んでいると思うぞ? じゃなきゃ、もっと早く誰かとくっついてる気がする」
「じゃなきゃやってらんないっすよねぇ……」
「二人とも! 何をグダグダ言っているんですか!? はやく行きましょうよー!」
いやぁ、何が食べられるのかなぁ?
シンプルに刺身かなぁ。だったら日本酒!?
あー、今日は暑いからビールでもいいなぁ!!
「まぁ……楽しそうだからいっか」
「はい。あんまり待たせると先輩が機嫌を損ねそうだから行きましょうか……」
なんですか、もう。
魚は鮮度が命なんですから早くしないとッ!
私は2人の空いている方の手を掴むと、「早く行きましょうよ」とグイグイと引っ張って街の方へと誘導していく。
いやぁ、ここに来てよかったなぁ。
これは私にも運気が向いてきたのでは!? よしよし、いいぞ~!
何故か頬を赤らめながら口元をモニョモニョさせている男子達と、スキップでも始めそうな奇行癖のある女。
そんな奇妙な3人組は漁港の外れにある、趣のある見た目をした小料理屋へと向かって行った。
◇
「こんにちは、大将。こんな時間だけど、もうやってる?」
「こんにちはー!! 今日は大量っすよ~!」
「お、お邪魔しま~す」
男性の手を無意識に握っていたことに後から気付いた私は、あまりの恥ずかしさで2人の影で縮こまっていた。
うぅぅ……、食い意地が張り過ぎて大胆なことをしちゃった。恥ずかしいよぅ……。
私は頭を抱えながら、モッチーと獅童の後について『喰心房』と看板の掛かったお店の中へと入っていく。
店内はどことなく昭和の匂いを感じるような、懐かしさを感じる内装だった。
でもそれはあくまで味のあるレベルであって、実際には清潔感のあるとても居心地の良い雰囲気。
奥にある暖簾の掛かった先には厨房があり、そこには甚平のような割烹制服を着た50代くらいの男性が居た。
たぶん、あの人が大将と呼ばれていた人かな?
大将は無言で包丁を動かしていたが、モッチーと獅童の声が聞こえるとその手を止めてこちらへ来てくれた。
「おう! お2人さん、いらっしゃい! ……って、なんだい。今日はえらい別嬪さんを連れてきてくれたじゃねぇか。――っといけねぇ。今仕込み中で悪いんだが、ちょっと待っててくれるか? 簡単なモノと酒は出せるからよ」
強面の容貌に港町特有の少し荒っぽい言い回しの大将。
だけどこのカンジが止風土市の海の男らしさだから、地元民である私にとっては馴染み深くて落ち着くんだよね。
まさに私のお爺ちゃんがこんな感じだったなぁ……と懐かしみながら、適当に空いていたテーブルについた。
ついた……んだけど、テーブルの上には楊枝しか、無い。
普通、調味料とかメニュー表とかあるはずなのに、割り箸すら無い。
「あぁ、やっぱり最初は不思議に思うよな。なんでも大将のこだわりなんだってよ」
「こだわり?」
「そうみたいっすよ。なんでも不必要に物を置いて、埃を被ったり調味料が劣化してたりするのが嫌らしいっす」
「嫌っつぅか、修行してた料理屋の先輩にそう教え込まれたんだよ。醤油や塩、箸ひとつでも扱いで味が変わっちまうってな」
ほぉ~。随分と細かい所まで徹底したお店だったのね。
こんな田舎の片隅にある小さな料理屋とは思えないくらい。
「えぇ~? 大将、この前一緒に飲みながら『嫁さんが居なくなっちまったから、掃除と管理が面倒だからしゃーなしにやってる』って言ってませんでした?」
「おいおい、余計な事言うんじゃねぇよ~! せっかく美人な姉さんが来てんだから、ちょっとぐらいカッコつけさせてくれぃ!」
ガハハハ、と豪快に笑いながら大将は小鉢をお盆に載せて持って来てくれた。
お盆の上には他にも、醤油や粗塩、漆塗りの箸などが人数分置いてある。
「まぁ、こだわっちゃあいるが、肩ひじ張るような店じゃねぇ。気軽に楽しんでくれや」
「はい! ありがとうございます!!」
年季の入った職人の手をプラプラと振りながら、大将は調理場へと帰っていった。
ふふふ、なんだかお爺ちゃんやお父さんを思い出すような男らしさだ。
「大将は仕込みと調理で手が離せないだろうだしな。今日は俺がウェイターになろう」
大将と入れ替わりで、モッチーがお猪口と徳利を持って来てくれた。
たぶん、あの中にはお酒が入っているのだろう。
「えっ、あっ。ありがとう。ごめんね、気が利かなくて」
「いいよいいよ、初めてのお店だし。勝手も分からないだろ?」
「う~、申し訳ないです。……じゃあ今回はお言葉に甘えちゃうね?」
「むむむ。さすがモッチーさん。抜け目ないなぁ……」
こういうさり気なく気を遣えるのはさすが年上の男性だ。
……っていっても普段はチャラ男にしか見えないんだけど。
「モッチーさんって本当に彼女さんは居ないッスか?」
「んー? 居ないぜ。気になる人は居るけど……なぁ?」
「あっ、この香りは日本酒ですねぇ! うふふふ、楽しみー!」
2対の流し目とジト目が私を見ているけれど、それよりも興味深いものが目の前にあるのだ。
2人には悪いけど……私の興味はこっちに釘付けだ。
「大将~!! これってもしかして――じゃない!?」
「おう! 良く分かったな! これは俺が――でよぉ」
「……まぁ、ゆっくりやっていくさ」
「僕も、頑張るっす……」
「ふふふ、これはこの先のご飯も楽しみね!!」
「「はぁ……」」
「よーし。それじゃあ、乾杯をしましょう!!」
「「はぁい……」」
渋くて深みのある青い宙色をしたお猪口を3つ。
中の液体を溢さないようにして、優しく近付けていく。
乾杯の音頭は、年長であるモッチーだ。
「それでは。しーちゃんとの再会と、本日の釣果を祝しまして。乾杯!」
「「かんぱ~い!!」」
――タンっ、カンッ。
こうして真夏の夜の宴は港町の端っこで、乾杯の打ち上げ花火によって始まりを告げたのであった。




