第9話 診断×決断
金曜日の午後に祖母であるオカズ婆が倒れたという急報が入り、急遽私は帰省することになってしまった。
最期の会話も出来ずに死んじゃったお父さんが脳裏をよぎったけれど、主治医の大路先生が言うには、今は容体が安定しているみたい。
静かに眠るオカズ婆を見届けながら帰宅し、そのまま私は週末を実家で過ごすことになった。
数か月ぶりの実家で、お母さん手作りの唐揚げを堪能した私は、満腹になったお腹をさすりながらお風呂に浸かっていた。
「やっぱりお母さんのご飯が一番だなぁ。別に高級食材を使っているわけじゃないのに、何故か私にはあの味が出せないのよねぇ」
早くお袋の味に追いつきたいんだけどなぁ。
そして胸だって……ううん、贅沢は言わない。
言わないから、せめてご飯のお茶碗くらいは欲しいよぅ……。
「むうぅ。なんで私には脂肪がつかないんだろう。大胸筋が鍛え足りないのかしら……」
これでも美味しいご飯を食べるために、基礎的な体力づくりはしているのだ。
仕事終わりにジムでエクササイズや、女子力アップのためのヨガをやっている。
……頑張って、いるのに!!
もみもみもみ。
「太ももだって! こんなに柔らかさとしなやかさを併せ持った、白玉モチふわボディじゃない?」
愛犬のシュトーレンだって、私の脚に頬擦りするくらい大好きだしね!
……まぁ私の脚の良さを知っているのはシュト君だけで、男性に膝枕なんてしたことないけれど。
ぶくぶくぶく、と湯船に潜りながら、自分の恋愛運の無さを嘆いてみる。
大小様々な愚痴が泡になり、湯気に溶けて消えていく。
このまま自分磨きを頑張っていれば、いつか……きっと。
「よし、切り替え終わり! 明日以降に備えて今日は早めに寝ようっと」
ストレスと不眠は美容の敵だもんね。
お気に入りのグレープフルーツの爽やかな香りのするボディクリームを塗りぬり。
じっくりとマッサージをしてから寝る準備を終えたら、部屋で待っていたシュト君を抱いて眠りについた。
◇
そして土曜日の朝。
私とお母さんは加寿子おばあちゃん、通称オカズ婆の入院している病院へと来ていた。
大路先生から、検査の結果や診断を聞くためだ。
「オカズお婆ちゃん……加寿子さんの血液データがコレ。それでMRIやCTが……」
IC室と呼ばれる、小さな部屋で|情報提供と治療方針の説明が始まった。
パソコンのモニターには、様々な数値や画像でお婆ちゃんの状態が表示されている。
――これは、もしかして。
私は病棟薬剤師としてこれらを日頃から見ているから、オジサン先生の口からどんな結果が出てくるのかを大体を察してしまった。
そしてそれは、この病院で看護師として働いているお母さんも同様だったみたいだ。
「オカズお婆ちゃん……そんな」
「はい。お察しの通り、加寿子さんの肝臓はガンに侵されています。そして恐らく、他の臓器にも転移している可能性が高い。今回意識を失ったのもその影響でしょう」
「でも、これ以上の検査は……」
「うん、そうだね紫愛ちゃん。内臓を切ったり検査をするのは、90歳を越えた加寿子さんの身体に大きな負担を掛けるだろう。そして抗がん剤の治療も……」
頭の中が真っ白に染まっていく。
こういう話は仕事で日常的に聞いていたはずなのに、身内のことになるとどうしたら良いのか分からなくなる。
まるで、お父さんが倒れた時のように――。
「紫愛! しっかりしなさい。貴女もこっち側の人間なら、今は何をすべきか冷静に考えるのよ。……そうするって、一緒に決めたでしょ?」
「お母さん……」
お母さんは自分の服をぎゅうっと握りしめながら、涙目で力強く私を励ました。
実の母親が死ぬかもしれないんだから、自分が一番辛いはずなのに……。
娘の為に気丈に振る舞っているだけだってことが隠しきれていない。
……そうだ。お父さんとおじいちゃんが亡くなって、我が家が女だけになった時。
大事な家族に何も出来なかった無力な私たちだったけど、それでも医療にかかわる者として、一人でも多くの命を救えるようになりたいって願った。
いや、出来るように足掻こうって、二人で泣きながらお墓の前で誓ったんだっけ。
幸い、意識も戻らず亡くなった二人と違って、オカズ婆にはまだ猶予があるはず。
「大路先生、おばあちゃんの容体は今のところ安定はしているんですよね?」
「うん、バイタルは昨日から引き続き安定しているよ。そして、意識が戻る可能性もある」
「そう、ですか……」
なら私たちはオカズ婆が戻ってきた時の為に、ちゃんと準備をしておかなきゃ。
お母さんも同じことを思っていたみたいで、私の顔を見るとニッコリ笑って頷いた。
◇
その数日後、無事に意識を取り戻したおばあちゃん。
自分が倒れたことと、私が居ることにビックリしていたけれど、直ぐにいつもの優しい顔で「しあちゃん、おかえりなさい」と言ってくれた。
この前は握り返してくれなかったその手も、今では倒れたことなんて嘘だったかのように力強く、私の右手をぎゅうっと包み込んでいる。
「あぁ、早く退院して美味しいものでも食べたいねぇ」
そうこぼすオカズ婆を見て、見舞いをしていた一同は病室にもかかわらず大笑いをあげた。
「退院したら私が腕によりをかけて何か作ってあげるよ」
「紫愛ちゃんのご飯かぁ。それは楽しみだわぁ」
うん、これでこそ飯野家なのだ。
つらいことや悲しいことがあっても、美味しいご飯を食べれば人生は楽しく過ごせる。
それを一番実践してきたオカズ婆が言うんだから、絶対に間違いないよね。
オカズ婆の笑顔を見てなんだか温かい気持ちになった私たちは、いつの間にか抱いていた心の不安や悩みが軽くなっていた。
やはりオカズ婆は我が家の女神さまみたいだ。
早くおばあちゃんの好物を食べさせてあげたいな。
私は早速何を作ろうか頭の中でレシピを巡らせながら、おばあちゃんの手を優しく握り返していた。
――そして2週間後。お盆の最終日に、オカズ婆は天国へと旅立った。
それはまるでお父さんたちが迎えに来たかのように、とても穏やかな最期の眠りだった。




