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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
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9 運命の示唆

ホルンを探して旅をするザールたち。彼らも向かうところで様々な冒険をし、『白髪のザール』の名も漸く高くなってきた。王国の管区を統括する領兵司から『タルコフ猟兵団』の討伐を要請されたザールたちは、領兵司は首魁のタルコフから賄賂を受け取っていたことを知る。タルコフを正道に導き『タラ平原』へと旅を続けるザールたち。しかし『タラ平原』では今にも血戦が始まろうとしていた……。

 ファールス王国は、古く1,500年ほど前に、ドラゴンの卵から生まれたといわれる英雄ザールが女神アルベドや女神ホルンの助けを得て建国したと伝わる王国である。このとき、ザールが女神から授けられた神剣が『アルベドの剣』であり、長く王室に“国王の象徴”として受け継がれている。


 ただし、初代国王とされるザールから数えて50人、千年間の出来事は『神話』としてとらえられており、はっきりしたことが分からない。


 歴史学的に確定している初代国王にして初の女王であるシャー・ホルン1世を、その類稀なる智謀と武勇で助け、女王の治世を“天地開闢の再現”とまで言わしめた名臣ザール(建国の英雄ザールとは別人)が佩用していた『糸杉の剣』も、代々の王家に引き継がれ、各王の最も信頼する臣下に貸し与えられていた。この剣は、第34代シャー・エラム2世の時、第2王子のサームに与えられている。


 つまり、歴史的に見れば、遺跡や遺物、文書などの研究により、確実に王位に就いたと認められる国王は、現国王ザッハーク2世を含めて35人となる。このうちの一人、第13代シャー・ローム1世は、第14代シャー・ザッハーク1世の短い治世の後に第15代シャー・ローム2世として重祚しているので、代数は36代ということになる。


 このような長い歴史を誇るファールス王国も、25年前に時の国王から異母弟が王位を簒奪するという事件が起こって以来、いわゆる“辺境”といわれる地域には王威が行き渡らず、悪党や怪物などが跋扈する状態になっていた。そのため、手が回らない軍隊に代わり、旅人の警護や都市の守備などを請け負う『用心棒』や『傭兵団』などという職業が現れていた。


 ファールス王国には、首都イスファハーンのほかにも、いくつかの大きな都市がある。西から言うと、ボスポラス海峡を守り『黒の海』の制海権を確保している王国最大の軍港都市スタンプール、鉄生産地と穀倉地帯をつなぐ交通の要衝にあるダマ・シスカス、穀倉地帯の要衝であるバビロン、『燃える水』の大産地バスラ、東の大国・マウルヤ王国への抑えの軍団がいるカンダハール、“東の藩屏”として国王の異母弟サーム・ジュエルが封じられているサマルカンド、東の海を守る軍港カラチがあり、これらの都市は『ファールス王国七つの真珠』と呼ばれるほどの賑わいを示している。


 『七つの真珠』ほどではなくとも、穀倉地帯には農業で栄えている町、牧草地帯では酪農で栄えている町、そのほか鉱工業や林業、漁業で栄えている町があり、それらの町村をつなぐ街道沿いには要所に宿場町として栄えている町がある。


 そんな宿場町の一つにテルーがあり、ここは首都とサマルカンド、カンダハールを結ぶ結節点として重きをなし、政府や軍の連絡網を形作る『領兵司』が駐在している。

 『領兵司』の任務は、「1 国王や朝廷、軍総司令部から発せられる勅令、法令、軍令の伝達」「2 国王又は地方監察使の地方巡察の際の宿場の提供」「3 軍団管区の兵站管理」が主なものであり、軍団管区を形作る旅団管区ごとに彼を補佐する『領兵司補』とともに、“王国の神経”としての役割を果たしていた。


 そんなテルーの町の郊外で、一団の軍隊がトロールの群れに襲撃されていた。この一隊は、軍団管区司令部に軍用の兵糧を輸送してきたもので、領兵司補一人が百人隊三つを指揮し、運搬車300両を護衛していた。トロールたちはこの街道近くに拠点を作り、定期的に兵站部隊を襲撃していたのである。


「出やがったな。各隊、隊列を崩すな。今回は俺たちにも強い味方がいるからな」


 領兵司補は、そう言って指揮下の百人隊長を鼓舞する。迫りくるトロールの群れを迎え撃つべく、護衛部隊は車両で3重の円を作り、鉄壁の陣を敷いた。


「弓隊、放てっ!」


 トロールたちまで1ケーブル(この世界では約185メートル)になったとき、一番外側の円陣から、迫りくるトロールに向けて一斉に矢が放たれる。矢が当たったトロールは、少し痛そうにはするが、すぐに矢を引き抜いて進撃を続けてくる。トロールたちは身長5メートル程度で、皮膚も人間とは比べ物にならないくらい固いのだから仕方ない。


 しかし、その中で恐るべき弓勢を示した射手がいた。

 その人物は円陣の中央にある幌馬車の屋根に上り、次々と矢を放つ。白い羽根の付いた青いチロリアンハットを斜めにかぶり、派手な金の刺繍がされた群青色の服とズボン、革のブーツを履いてリュートを背負っている。彼の放つ矢は、膝に当たれば膝で、首に当たれば首で、トロールの身体を易々と切断した。


「ジュチ、さすがだね。さて、そろそろ僕らもスタンバイしようか」


 ジュチと呼ばれた射手は弓を降ろすと、ウザったく伸びた金の巻き毛に見え隠れする青い瞳の目を細めて言う。


「まあ、こんなものかな。あとは適当に援護するから、ザールたちも楽しんでおいで」


 ザールと呼ばれた若者は、緋色の目を細めてニコリと笑うと、トロールたちを見つめている二人の女性に命令を下した。


「リディアは右から出撃してくれ、僕は左から出る。二人であいつらを挟み撃ちにするんだ。ロザリアは正面に障壁を作って、あいつらを一匹たりともこの陣地に侵入させないようにしてくれ。いいかい?」


 すると、リディアと呼ばれた女性は、人間の大人では10人がかりでやっと持てるかと言う巨大なトマホークを軽々と肩に担いで笑う。彼女はオーガであり、通常の身長は2.5メートルである。


「分かったわ。ザール、あいつらの向こう側で会おうね」


 そう言うと、リディアは陣の右側へと駆けだした。


「私も了解したわ。アリ一匹通さないから安心して?」


 ロザリアと呼ばれた女性は、漆黒の髪を風になびかせながら、漆黒の目を怪しく輝かせてザールに答えた。彼女はひょんなことからザールたちと旅を共にすることになった、魔族の血を受けた女性である。年齢は20歳でリディアと同じだが、身長は通常で160センチくらいである。


「よし。それじゃ行こうか」


 ザールは、腰に佩いた剣に左手を添えると、彼のトレードマークである白髪を風になびかせながら出撃した。


「トロールたちはあと半ケーブルで陣地前に到達します!」


 外側の円陣の指揮官がそう言ったとき、トロールたちと陣地の間に、漆黒の長い髪を持った少女がふわりと降り立った。彼女は白いワンピースにビロード地の黒いローブをまとっている。身長は140センチに満たない。どう見ても12・3歳だった。この少女はロザリアであり、魔族の血が動き始めると少女の姿となる。


「あなたたちに、これ以上近づいてほしくないの」


 ロザリアはひとりごとを言うと、サッと両手を広げた。それに合わせて、彼女の身体から濃い紫色の煙が立ち上がった。そして彼女の1メートルほど前から、高さ5メートルはあろうかと言う黒バラの蔓がそそり立ち、それはあっという間に左右に広がっていく。


 それだけではない、黒バラの壁は前方と左右の斜め前方にも次々とそそり立っていく。トロールたちの群れはそれによって四つに分断され、包囲された。


「ウオオッ!」


 包囲されたトロールたちは、何とか逃れようと黒バラを引きちぎろうとする。しかし、黒バラに触れると花は瘴気を放ち、毒を含んだ鋭い棘が皮膚を切り裂く。

 黒バラに触れたトロールの身体は、まるで壊疽に罹ったかのように黒ずんで崩れていく。瘴気を吸い込んだトロールたちは肺が腐り、血を噴き出してのたうち回る。トロールたちはパニックに陥った。


「私の『毒薔薇の牢獄』はいかがかしら?」


 ロザリアは、毒バラの瘴気で少しずつ崩れていくトロールたちを心地よげに見つめながらうっとりとした笑みを浮かべていた。



 一方、ロザリアの魔術で捕捉できなかったトロールたちには、リディアとザールが当たった。リディアは『対トロールモード』として身長を通常の倍、5メートルとしており、巨大なトマホークを片手で軽々と操っていた。そのひと振りで2・3体のトロールをなで斬りにする。トロールは脳を叩き潰されても心臓さえ生きていれば再生する。そのことはリディアも知っていて、彼女の斬撃は必ず心臓を両断する軌跡を描いていた。


 ザールの方は、腰に佩いた剣を振るってトロールの唯一の弱点である心臓を的確に刺し貫いていく。戦場の風になびく彼の白髪は、日の光を受けて時に金色に、そして時に銀色に輝く。身長は180センチ程度しかなかったが、ドラゴンの血を引くドラゴニュート氏族出身の母を持つ彼は、身体能力に優れていた。

 トロールは、自分たちと同じ大きさになったリディアからは逃げ惑うくせに、ザールは執拗に追い回し、仲間とともに包囲してこようとする。


「トロールたちは、相手の大小がそのまま相手の強弱だと思っているらしいな」


 トロールは身長が高い分動作が遅いが、それでも足が長いので移動能力は人間より速い。最速で時速30マイル(この世界では約56キロ)は出す。しかし、ザールも最速では40マイル(約75キロ)を超えた。


「やっ!」


 ザールは掛け声とともにジャンプして、目の前に立ちはだかったトロールの頭を軽々と越えていく。跳び越えざまに彼はトロールの背面から心臓を突き刺すのだ。


「ザール、大丈夫?」


 リディアが心配して突進してきた。ザールが囲まれたと思ったらしい。


「大丈夫だよ。身体慣らしにはちょうどいい相手だった」


 いつの間にか、立って動いているのは自分たちだけになっていることに気付いたザールは、剣を血振りすると鞘に納めた。


「でも、こいつらズルいよね? ザールばっかり狙うんだもん。だからアタシも途中で通常モードに戻ったよ」


 そう言いつつ、リディアもトマホークを異次元にしまい込むと、身長を『人間モード』の150センチとした。この身長になると、リディアはボーイッシュで活発な少女に見える。


「……ザール、あいつら始末したわ」


 ザールとリディアの後ろに突然ロザリアが現れたので、二人はびっくりした。


「うわっ! ロザリア、急に声をかけられたらびっくりするじゃない?」


 リディアが言うが、ロザリアは取り合わない。


「ザール、トロールたちは一匹も通さなかったわ。誉めて?」


 するとザールは、リディアにニコリとすると、ロザリアの髪をなでて言う。


「よく頑張ってくれたね。助かったよ」


 ロザリアは頬を染めて微笑んだが、さらに言う。


「……だったら結婚して?」

「え?」

「私がザールの役に立ったんなら結婚して」


 ザールの笑顔が凍り付く。戦闘終了時はいつものことだが、ロザリアの魔族の血が鎮まるまで『おねだり』が続くのだ。恒例行事とはいえ、ザールはなかなか慣れそうもない。


「ハイハイ、ロザリアちゃんはえらいでちゅねぇ~。おねえさんがいいこいいこして、ほっぺすりすりしてあげる~」


 これもいつも通り、ため息をついたリディアがロザリアをハグすると、


「!? な、何してんのリディア? や、やめなさいよ!」


 魔族の血が鎮まったロザリアがそう、叫び声を上げてリディアから逃れようとする。


「やれやれ、恒例とはいえ、見ていて毎回、心()()()()まるね」


 ジュチがそう笑いながら三人を出迎える。


「『た』が一つ多いぞジュチ。つまり、心温まっていないんだな」


 ザールが言うと、ジュチはザールを流し目で見て、肩をすくめた。


「至高の存在たるハイエルフのボクは十分魅力的だと思うのだが、お嬢さんたちは二人ともキミに首ったけらしい。うらやましいよキミが(笑)」

「なんだその『(笑)』は? 代わってやろうか?」


 ザールが言うと、ジュチはニヤリと笑って答えた。


「キミが楽しみたまえ。ボクは遠慮するよ」



「ザール殿、皆さん、大変お世話になりました。これがお礼です」


 兵站部隊は無事にテルーの町に着いた。ザールたちは直ちに指揮官であった領兵司補に連れられて、この軍団管区を仕切っている領兵司であるダイン・ハルバート上級旅団指揮官のもとに顔を出していた。


「ふ~ん、80デナリって結構いい報酬じゃない?」


 報酬を確認したリディアが笑って言う。


「とんでもない、今までの被害からすれば安いものです」


 ダイン領兵司はそう言うと笑って、傍らにいる副官に命令した。


「ザール殿は“東方の藩屏”たるサーム・ジュエル様のご子息、失礼のないように饗応せよ」


 それを聞いてザールは慌てて言う。


「い、いえ、僕たちは仕事が終わったのでこれでお暇させていただきます。そこまで領兵司殿に迷惑をおかけするわけにはいきませんよ」


 それを聞くと、ダイン領兵司は笑って


「はっはっ、サーム様のご子息たるお方を用心棒並みに扱ったのでは、私がこの土地の人民に指を差されます。仕事に関しては報酬をお支払いしたことで済みましたが、私は御父上のサーム様を尊敬しています。そのご子息たるザール殿を饗応することは、サーム様への尊敬を現すこと。これは私の個人的な気持ちです。ぜひ、ご出席を賜りたいと存じます」


 そう、切に勧める。その熱心さにザールも折れた。



 宴は節度を持った豪華さで、ダイン領兵司の人柄に似合った心温まるものだった。特にザールをして感心させたのは、サマルカンドから取り寄せたという葡萄酒と蜂蜜酒だった。これは、オーガとエルフの好物でもあるのだ。ザールは、自分だけでなく自分の友人たちに対しても心配りをするダインのことをすっかり気に入った。


「ザール殿もいずれはサーム様の後を継がれるお方、天下を回られて見聞を広められるのは良いことだと思います。また、その決断をされたサーム様もさすがに“東方の藩屏”と言われるに相応しいお方だと感服しています」


 ダインはすっかり酔っていた。聞けばダインは見習士官の時はティムールの軍団にいたとのことで、ザールがティムールの近況を話して聞かせると、目の前にティムールがいるかのように姿勢を正して聞いていた。


「ティムール閣下は退役されてもこの国のことを心配されていらっしゃる……閣下らしい。それに引き換え今の朝廷は、辺境の人々の役に立っている『無双の女槍遣い』を捕らえろなどと、とち狂った命令を出すなんて……ああ、この国はどうなっていくのだろう」


 ダインがボソッと口にした言葉を、ザールは聞くともなく聞いていた。


「ザール殿、もし、旅の途中で『無双の女槍遣い』に出会われたら、軍団司令部がある町には近づかないように伝えていただけまいか? 私は宮仕えの身なので、命令には従わないといけませんが、人々の役に立っている者を理由なしに捕らえるなどの命令には、正直首をかしげざるを得ません」


 ダインがそう言ったので、ザールはただ、


「分かりました」


 とだけ答えておいた。

 ふと、ダインは思い出したようにザールに訊いてきた。


「ザール殿、『タルコフ猟兵団』という傭兵隊をご存知でしょうか?」

「はい、旅の途中で何度か名前は耳にしたことがあります」


 ザールが答えると、ダインは苦り切った様子で話す。


「実は、ここだけの話ですが、『タルコフ猟兵団』は単に傭兵隊として活動しているだけでなく、盗賊などの悪事も働いているようなのです」


 ザールは、今回初めて長期間にわたり辺境を旅し、国の威令が届かない実情を目の当たりにしたこともあって、『タルコフ猟兵団』がどのような活動をしているかを容易に想像できた。辺境とは、『神の恩寵』などはいつも品切れで、『正義』は何それおいしいの?で、『理屈』なんかは存在しない、そんな場所なのだ。


「……辺境で力を持った組織が陥りやすい道ですね」


 ザールが言うと、ダインは同意して、


「確かに、辺境では力がすべてと言う部分もあります。けれども、力を持っても道を誤らず進む者もいます。タルコフ自身、優れた連隊指揮官だったので、彼がそのような道に進んでしまったことが残念です」


 そう言う。


「その、タルコフをご存知のようですね? どういった人物ですか?」


 ザールが訊くと、ダインは少し遠い目をしたが、すぐに我に返って話しだした。


「タルコフは、私と士官学校の同期です。彼は優秀でした。卒業後はすぐに中隊指揮官に任官し、百人隊長として活躍しました。その後も累進して、私なんかよりずっと早く連隊指揮官に任官したのですが……」

「……指揮官の空きがなくてマニプルス隊長になれなかった」


 言いにくそうにしているダインに代わって、ザールが言うと、ダインはうなずいた。

 ちなみに、ファールス王国の軍隊の編成は歩兵を基準にすると、兵士10人で分隊として分隊指揮官が率い、5個分隊で50人隊として小隊指揮官が率いる。2個50人隊で百人隊シンタグマとして中隊指揮官が率い、5個百人隊で区隊タクシスとして大隊指揮官が指揮を執る。5個区隊をマニプルス隊として連隊指揮官が指揮し、2個マニプルス隊をコホルス隊として旅団指揮官が率いる。ここまでが同一兵科で編成され、それ以上の軍団や軍、軍集団などの編成になると、騎兵や弓兵、輜重兵、工兵などが加わり、軍団指揮官、上級軍団指揮官、軍指揮官補、軍指揮官、上級軍指揮官などの階級にある者が指揮を執ることとなる。


「今の国軍では、マニプルス隊長以上の職に就くためには、朝廷内に強力な『引き』がないと発令されないと聞いていますが、どうなんでしょう?」


 ザールがさらに訊くと、ダインは無言でうなずいた。


「私の所属する後方部兵站局は、実施部隊と違って派手さもなく、給与も低く設定されていて人気がないので、ザール殿が言うようなことはあまり聞きません。同じ後方部の教育局や管理局、調達局もそうです。法務・防疫局は特殊ですから、そんなことが入り込む余地があまりないのでしょう。しかし、参謀部と野戦部については……」

「参謀部の作戦局は花形、総務局や人事局、編制局も人気があるようですね。野戦部は実質的に実施部隊の集合体ですから、言わずと知れている……ってところでしょうか?」


 ザールは、ダインが言いにくいところを口にしている。それを聞いていたダインは、我慢できなくなったように、


「この国に不平や不満があるからと言って、あれほどの男が私利私欲に走るなど、残念でたまりません。ティムール閣下のように、不満があっても自身で何かできないかと頑張っていらっしゃる方もいるというのに」


 そう歯ぎしりするように言うと、


「そこで、お願いがあります。『タルコフ猟兵団』の拠点が、ここから北西に200マイル(この世界では約370キロ)のイルザと言う村にあります。もともとは廃村なので、一般の国民は住んでいないはずです。ザール殿のお力で、『タルコフ猟兵団』を壊滅させていただけませんか?」


 と頼んできた。

 これがホルンなら、正式な依頼をしてくれとにべもなく断っただろう。『タルコフ猟兵団』がどれだけ悪辣な集団でも、自分には影響していないし、悪事の証拠もない。いや、証拠があったとしても、それを討伐するのが軍隊や警邏の本来の役割ではないか。


 しかしザールは、あくまでザールであった。彼は王族の一員である。世が世であれば、自身が王となる運命が回ってくる可能性がなくもないからだ。


「猟兵団の数や主な指揮官、ここ何年かの活動の状況を教えていただけますか?」


 ザールは緋色の目を光らせてダインに言った。


              ★ ★ ★ ★ ★


 その『タルコフ猟兵団』は、その日も一日の“戦果”を土産に、本拠地のイルザの村に戻ってきたところであった。


「総司令官殿、今日も大戦果でした」


 元村長宅に作られた“司令部”のドアを開けて、帰還した部隊長が“戦果報告”に訪れた。


「うん、報告を聞こう」


 部屋に入ると、壁を背にして大きなデスクに肘をつき、椅子に座ってこちらを見ている男が言う。軍人にしては静かな声だ。金髪を短く刈り込んだ角刈りの頭、静かな藍色の瞳、すっと伸びた鼻筋と細い顎、薄い唇は強い意思を表すように引き結ばれ、左の頬には大きな刀傷があった。


 彼はディミトリー・タルコフ、37歳。元ファールス王国国軍上級連隊指揮官であり、5年前に地方の軍団の歩兵先任タクシス隊長で軍歴を終えた。

 その後は、退官する際に引き抜いた仲間とともに傭兵隊を組織し、瞬く間に600人の兵力を持つ『在野最強の傭兵隊』となった。


 その後はウラル帝国が傀儡政権を組織して勃発したアフガスタン地方での戦闘などで活躍し、世間の耳目を集めた。それとともに兵力も増し、今では3個タクシス・1,500人を率いるまでになっている。

 彼自身が第1タクシスを率い、第2タクシスは旧友のウラジミール・カツコフ大隊指揮官補が、第3タクシスは元部下のアレグザンダー・クラブチェンコ中隊指揮官が指揮していた。


「前回は黄金1トン、小麦5トンと言う大戦果を挙げていたね。今回の戦果を聞こうか、ヘイライネン小隊指揮官」


 ニルス・ヘイライネン小隊指揮官は、敬礼すると


「はい、我が第1タクシス第5シンタグマ(百人隊)は、ボロンからジャリアバードを経てマルへと進出しております。鹵獲は金1トン、小麦20トン、鉄3トンであります。鹵獲品は持ち帰り、現在、3個分隊をもってマルを占領しております」


 そう申告する。タルコフは満足そうにうなずいて言った。


「見事な戦果だ。直ぐに第3タクシスから1個シンタグマをマルに追及させる。貴官の部隊はボロンまで転進せよ。よくやった、ヘイライネン」

「はっ」


 敬礼して去って行こうとする彼を、タルコフは呼び止めて言う。


「ああ、ヘイライネン。貴官の今年になってからの活躍は見事だ。よって貴官を上級小隊指揮官とする。これからも頑張ってくれたまえ」

「はっ! ありがたき幸せであります!」


 ヘイライネンが去った後、彼はクラブチェンコ中隊指揮官を呼んで命令した。


「クラブチェンコ、貴官にまたお世話になるが、第3タクシス本部をジャリアバードに前進させ、任意のシンタグマでその先のマルを確保してほしい」

「はい」


 クラブチェンコは表情を変えずに言う。


「例のとおり、正規軍が来たら戦わずに転進せよ。それまでは住民にあまり迷惑はかけないようにな」

「分かりました。出発します」

「うむ」


 タルコフは重々しくうなずく。その様は、まさにかつての彼が夢見た『軍の指揮官』だった。彼は、傭兵として自分の夢を実現したといえる。しかし、


「タルコフ、ちょっと相談がある」


 ドアを開けて、彼の莫逆の友と言えるカツコフ大隊指揮官が入って来た。彼はタルコフの夢のために、タクシス長の職を擲って共にこの組織を作り上げた。そのため、諸事において“軍隊”を意識したこの組織において、カツコフだけは別格に遇していたのである。


「何だ、カツコフ」

「どうやらこの管区の軍団が俺たちを狙っているらしい。俺の組のシンタグマが襲われたからな。テルーの町の近くだ」


 カツコフは胸ポケットから煙草を取り出し、タルコフにも勧めるしぐさをするが、


「いや、俺はいい。それよりそれで応戦したのか?」


 タルコフは目を細めて訊いた。


「いや、相手は1個コホルス隊だったからな。下手に相手しても全滅だ」


 カツコフは煙とともに言う。それにタルコフはうなずいて言った。


「それでよかった。こちらもテルーの軍団管区内では荒事はしないようにしていたのだが、他の軍団管区から依頼でもあったかな」


 タルコフは、護衛などの合法的な仕事はテルーの軍管区内でも引き受けていたが、輸送隊の襲撃などは他の軍管区内で行っていた。その方が管区違いで捜索などに時間がかかるからだ。顔を見られたり、現行犯で捕まったりしない限り、たいていの場合は白を切りとおすことができる。


「そんな状態だったら、第3タクシスはマルに送らない方がいいかな。仕方ないがインディラ地方への出張は放棄だ。しばらくは護衛で食いつなぐか」


 そう言うタルコフに、さらにカツコフが


「相談はもう一つあるんだ。貴様は“ホルン・ファランドール”と言う名を聞いたことがあるか?」


 と言ってきた。タルコフはうなずく。


「ここ数年で名を挙げて来た女槍遣いだな。近ごろは良く噂を聞く」

「そいつ、先月、俺の部下をやりやがったんだ」

「……確か、“トルクスタンの虎”が関わっていた輸送隊の話だな?」

「おお、塩と言えばかなり高価で取引される。1個シンタグマ(100人)を出していたんだが、攻撃班50人が全滅だ。アムールやジェシカみたいないい部下がそっくり石の下(お陀仏)になっちまった」


 カツコフは忙しなく煙を吐いて言う。


「そいつは惜しかったな」


 タルコフの言葉にうなずいたカツコフは、旧友の誼にすがるように言う。


「そこでだ、俺は第2タクシスでホルンをバラす。それを天下に吹聴すれば、俺たちの武名も上がる。うまく行きゃどこかの軍閥から声がかかるかもしれねぇ。タルコフ、やらせてくれ」


 タルコフは目を閉じて考えていた。カツコフの性格からすれば、自分が止めても第2タクシスを率いて出ていくだろう。そうなればテルーの軍団管区にこちらが一枚岩ではないことを知らせるようなものだ。それよりも、カツコフに新たな拠点をつくらせれば、ここから安全に抜け出せる。


「分かった。ただ、条件がある」


 タルコフが言うと、カツコフはニヤリと笑って言う。


「新しい拠点をつくれ――だろう? 心配しなさんな。ホルンの動向を調べるついでに、シャークリフ湖の近くに良い拠点を見つけている。あそこはこの国の版図からギリギリ外れているから、普通は軍団は来ねぇ」

「そこまで準備しているなら、やってみればいい。第3タクシスがヒマになったからクラブチェンコも連れて行くといい」


 タルコフが言うと、カツコフは目を輝かせてうなずいた。


「おう、千人いればホルンの首は貰ったも同然だ。じゃ、俺は先に転進しているから、貴様は後からゆるゆる来ると良い」


               ★ ★ ★ ★ ★


「しかし、キミも厄介ごとをしょい込むのが好きだねえ」


 呆れたようにジュチが言うと、


「そうね。盗賊やってる傭兵なんてあちこちにいるじゃない。そんなのいちいち相手にしてたら、命がいくつあっても足りないわよ?」


 リディアもジュチに加勢する。


「……でも、それがザール様の良いところだと思うぞ? 民の苦しみを共に苦しむのは、英雄の条件だからのう」


 髪に飾ったバラを手でもてあそびながら、ロザリアがザールを援護する。


「僕が今度の件を引き受けたのは、タルコフを助けるためだ」


 ザールが言う。その言葉は三人にとって意外でも何でもなかった。ザールが言いそうなことだと思ったからだ。


「やっぱりそんなこと考えていたのね? ザールらしいって言えばそうだけど、相手がザールの心をくみ取ってくれると思う?」


 リディアが言うと、ジュチがそれに続ける。


「相手がどういう理由で盗賊稼業に手を染めているのかは分からないが、その理由が国全体に関わることだったらどうする? 今のボクたちではどうにもできないと思うけれどな……」

「けれど、相手の心を聞くことは大切だと思うぞ? 戦うにしても、譲歩するにしてもな? やれるだけやっておけば、ザール様の徳は傷付かないからのう」


 ロザリアがそう言うと、リディアがムッとした様子で言ってくる。


「さっきからアンタ、ザールの肩ばっかり持ってるわね? アンタだけいい子ちゃんになって点数稼ぐ気?」

「ふん、そなたの節穴ではそのように見えるか。ジーク・オーガとてオツムの方は大したことないのう。やっぱり脳筋じゃのう」


 ロザリアの言葉に、さらにカッとしたリディアが突っかかる。


「あのね、アタシだってザールの言うことは分かるけれど、相手あってのことだから、ザールを危険な目にあわせたくないのよ。そんなこと言うなら相手と平和的に会う方法を考えてから言いなさいよネッ!」

「考えておるぞ」

「へっ?」

「だから、そちの言う『相手と平和的に会う方法』なら、もう考えて手を打っておる」


 ロザリアはそう言いながら、昨夜のことを思い出していた。



 ロザリアは、最初からダインのことを信用していなかった。言葉が軽いのだ。それに、自分は37歳ですでに上級旅団指揮官になっているということは、本当はこの男こそ朝廷内の『引き』で得をしていることが分かる。


 ……相手の言葉の軽さはザール様なら気が付いておられるはず。けれど、ザール様のご気性なら、タルコフの所業が事実である限り、こやつの問題とは関係なしにこの話をお受けなさるだろう。


 ロザリアはそう見た。そして見立てのとおりザールがダインの依頼を引き受けるのを見て、薄く笑った。


 ……まったく、世話の焼けるお人だ。まあ、そこが可愛いがのう。


 そして、宴が果てた後、ロザリアは『魔族の血』を呼び起こして姿を隠し、ダインの自室へと忍び込んだ。


『わっはっはっ! あの青二才、ちょっとおだててやったら面白いようにこちらの話に乗りやがった。はっはっはっ』


 葡萄酒を片手に笑いが止まらない様子のダインを、静かな目で見ながら、ロザリアは決定的な言葉をダインが口にするのを待った。


『ひっひっ、“猟兵団の数や主な指揮官、ここ何年かの活動の状況を教えていただけますか?”だってさ。そんなもん俺が知るかよ。ただ、あんな連中に俺の管区内に居座られたら、俺の出世の妨げになる。近ごろ、他の管区からの討伐依頼も多くなってきたし頭が痛かったが、あのバーカが討伐を引き受けてくれたから、俺はタルコフに顔をつぶさなくて済むし、部下に戦死なんて出して朝廷の点数を下げることもないし、最高だぜ! しかもロハでやるって言うんだから、あのガキのケツはどんだけ青いんだよって話だよ、ひっひっ』

『そんなバカに育てた、親の顔が見たいのう?』

『そうそう、親の顔が……誰だっ? ひっ!』

『声を出すんではないぞ? 出したら最も惨たらしくこの世からオサラバすることになるじゃによってのう』


 ロザリアは、バカ笑いしていたダインの首筋に『毒薔薇の棘』を押し当ててささやく。少女のような声だが妙になまめかしく、そして凄味がある声だった。ダインは軽くうなずくことで答えた。


『そなたは、ザール様に嘘の情報をつかませたの? ザール様は国王の甥、それをたばかるとは、その罪一つでそちの首は月まで飛ぶのう』


 ダインは震えあがった。しかも、その少女が軽く指を鳴らすと、


『ひっひっ、“猟兵団の数や主な指揮官、ここ何年かの活動の状況を教えていただけますか?”だってさ。……略……しかもロハでやるって言うんだから、あのガキのケツはどんだけ青いんだよって話だよ、ひっひっ』


 と、先ほど自分がしゃべった言葉が一言一句違わずに虚空に流れた。ダインは冷や汗を滝のように流している。


『私は、この証拠をザール様やサーム様に提出してもよい。しかし、せっかくザール様がその気になっているものを水をかけてもつまらん。そこでじゃ、この手紙にそなたの名を書き、すぐにタルコフとやらに送れ』

『な、中に何が書いてあるのだ?』

『そちの知ったことじゃない、書かねばそちは二目とみられぬ死にざまをさらすだけじゃ。私はどちらでも構わんがのう……くっくっ』


 小さい声で訊いてくるダインを、視線だけで刺し殺せそうな凄みのある目で見て、冷たく言い放ったロザリアだった。



 ……あのダインとやら、私の手紙を使者に渡した後、私が姿を消してからもう一通を別の使者に手渡していたのう。なかなかの小悪党じゃったが、そうでないと話は詰まらんからのう。


 ロザリアは思い出し笑いをした。それを見てザールが言う。


「ロザリア、何を思い出し笑いしているんだい?」

「……いえ、別に。ただ、ザール様と旅をすると退屈しないなあと思っての。時にそこのハイエルフ殿」


 いきなりロザリアに呼ばれてびっくりするジュチだった。


「えっ、ボクのことかい?」

「そなた以外にここにハイエルフがおるか? そなたのような高貴なハイエルフ、他にもいるなら拝んでみたいものよの。ちょっとそなたの知恵が借りたい。私はヤットウが苦手での。戦略戦術が分かりそうなのはそなたしかおらん」


 ロザリアの言葉で、ジュチはすっかり機嫌をよくした。


「ふふ、さすがに高貴な魔族の血を持つお方は目の付け所が違いますな。何なりと、お嬢様。ボクでできることならご協力は惜しみませんよ?」


 うるさげな金髪に細くて形の良い指を絡ませ、やや流し目気味にロザリアを見てくるジュチだった。それを何事もなくロザリアはスルーした。


「そなた、『風の耳』は使えるの?」

「もちろんですとも、お嬢さん」

「では……」


 ロザリアが何事かをささやきだすと、だんだんと真剣な表情になるジュチであった。


               ★ ★ ★ ★ ★


「この手紙、どちらが本当のことなのだ?」


 そのころ、タルコフは、旧知のダインからの手紙を見て途方に暮れていた。タルコフは同期のダインとは馬が合い、今でも問題にならない程度にお互い協力している仲である。


 一通の手紙にはこう書いてあった。


『お前に会いたいとザール・ジュエルが仲間を連れてそちらに行く。会って話がしたいそうだが、お前たちのやり方を問題視しているようだ。とんだお節介野郎だが、盗賊の件が出たら白を切り抜けろ。出なければ言うことをハイハイと聞いて知らんぷりしておけ。俺は脅されたから先の手紙を出さざるを得なかったのだ』


 もう一通の手紙には、


『お前に会いにザール・ジュエルが仲間と共に訪れると思う。奴らはお前のことを討伐しようとしている。先の手紙になんて書いてあるかは知らないが、脅されて書いたものだから信用するな。お前が奴らを始末してくれればありがたい。話に乗ったふりして奴らを討ち取ってくれ』


 と書いてあり、どちらがタルコフの本心か測りかねたのである。


「ダインは何をとち狂っているのか? 殺せばいいのか、会って話を聞き、後は知らんふりをすればいいのかどっちだ?」


 この場合、どちらがダインの本心かで推測が変わる。相手は国王の甥、その父が国王に疎んじられているからと言って油断はならない。ザールを討ち取ったことで自分たちやダインの運命も変わるのだ。

 手紙の文面からは、『殺せ』の方がダインが書いたものっぽい。しかし、『殺せ』とあるのを『話をして無視しておけ』と穏健な対応を言ってくるのもダインらしい。けれどそもそも、ザールたち本人が『自分を殺せ』と書くのか?


 タルコフは迷った結果、『話をして無視しておけ』の方を信じることにした。その方がたとえ間違っていても大事にならないと踏んだのだ。自分を討伐することが本当だとしても、それは警戒を厳重にすれば済むことだ。


「ダインの紹介で、ザール・ジュエル様が仲間とともにここにいらっしゃるそうだ。ヘイライネン上級小隊指揮官、そなたにザール様の饗応を任せる。失礼がないようにな。途中まで出迎えて差し上げるとよい」


 タルコフは方針を決めると、すぐさま動いた。信頼するヘイライネンを呼ぶと、手紙を見せながらそう命令した。高貴な相手がわざわざ来るのであれば、それを漫然と待つよりは、こちらから下手に出た方が心象もよいと思ったのである。


「了解しました」


 ヘイライネン上級小隊指揮官は敬礼すると、自分の隊へと取って返す。しかし、二通目の手紙への対応としてタルコフが直卒の部隊に自身を厳重に警護するよう命令を出しているのを見てしまったヘイライネンは、タルコフの命令を曲解していた。


「ダイン様が司令官殿に注進されたそうだ。『白髪のザール』で名高いザール様が、仲間とともにここに来るとのことだ。その目的は分からないが、我らは途中まで出撃して彼らの真意を確かめる。総員、気を引き締めていけ」


 ヘイライネンはそう部下に訓示すると、百人隊を率いて街道を東南へと進み始めた。


 ヘイライネン上級小隊指揮官の部隊を見送った後、


「ダインは俺の同期で、奴が領兵司としてこの管区にやってきてからは仕事もやりやすかった。ザール殿は王家のつながりの者と言っても公的には何も役職はお持ちでない。我々を征伐するなどと言うことは常識ではありえない」


 タルコフはそう言いながらも、何かしら嫌な予感がしてならなかった。確かに、ダインと自分は紳士協定を結んで、ダインの管区内では盗賊行為や住民を困らせる行為を控えてきたが、それ以外の管区ではその限りではなかった。ダインのところに自分を討伐するような強硬な意見が出されていたとしたら、ザールと言う高貴の人物を使って自分を牽制することは十分にあり得る。


「……これは、早いところ拠点を移した方がいいかもしれんな。カツコフから連絡があり次第、司令部を移動させよう」


 タルコフはそう心に決めていた。


               ★ ★ ★ ★ ★


 さて、こちらはザールたちである。一夜を久しぶりの宿舎でゆっくりとくつろいだ一行は、ダインの歓待に謝意を表し、イルザの町に出発していた。

 2・3日は愉快な旅が続いた。この辺りは盗賊も出ず、至極平穏だったからだ。途中の町村の人々に訊くと、タルコフ猟兵団はこの辺りでは荒事はせず、むしろ旅人の護衛や交易商人の護送など、治安維持に役立つ仕事しかしていないことが分かった。


「あの領兵司が悪口を言うもんだから、タルコフってやつは根っからの悪党かと思ったけど、この地域の人たちからの受けはいいみたいだね」


 リディアが意外そうに言う。それに対してジュチは、笑いをこらえて


「頭が切れる悪党の手口さ。自分の拠点がある軍団管区で悪事を働いたら、すぐさま討伐隊が出張ってくるからね。他の管区で悪事を働いても、そこの軍団は管区違いですぐには手を出せないし。ましてやタルコフが領兵司と知り合いなら、余計に拠点がある友人の管区ではいいことをしておくものさ。そうすれば他の領兵司からの依頼が来ても、ダイン殿が代わりに言い訳をしてくれるしね」


 そう言う。リディアはそれを聞くと眉を寄せた。


「じゃ、下手に手を出したらザールが悪いことになっちゃうんじゃない? ザール、どうすんの?」


 ザールには、タルコフを討伐する意思はさらさらなかった。なぜなら、タルコフ討伐はダインが領兵司として依頼した事項でもなく、また、公的な立場を持たない自分がどうこうできる問題ではないと思っていたからだ。


 ……もちろん、僕たちを襲撃するとか、盗賊行為をこの目で見てしまうということがあるなら別だが、タルコフが悪人だとしても、その処置は正当な権限を持つ人物が正当な方法で行われなければならない。


 ザールは、そう自分の考えをジュチたちに告げると、


「至極真っ当な考えだね。キミがそのように冷静なら、ボクも心配はしないよ」

「何事にもやりすぎは良くないからね。でも、奴らがザールに手を出してくるようなら話は別だよ?」

「話し合いで済むなら余計な苦しみを与えなくて済むからのう」


 そう、ジュチもリディアもロザリアも賛成した。

 ただ、ロザリアだけは心の中で


 ……あの小悪党は私の手紙に疑心暗鬼になって、ザール様を討ち取るよう依頼しておったのう。タルコフが本当の意味での悪党ならその話に乗るじゃろうが、旧友の軍団管区では荒事を働かぬという判断ができる奴じゃ、いきなり攻撃は仕掛けまいて。ジュチ殿もザール様に何も言わぬということは、同じ判断じゃろうな。


 そう考えていた。



 しばらく歩くと、リディアが急に真剣な表情で目を凝らしていたが、やがて


「ザール、5マイル(この世界では約9.2キロ)先に何かの集団がいる。数は100人内外だ。タルコフからの使いかも知れないよ?」


 そうザールに報告する。さすが地上最強の戦闘種族オーガである。リディアはその気になれば闇夜で10マイル(約18.5キロ)先の物音を聞き、5マイル先の人影を見分け、3マイル(約5.5キロ)先の匂いをかぎ分ける。この能力はリディアがどのような形態をとっていても変わらない。


「相手の正体が分からないうちにむやみに近づかない方がいいだろう。先にボクのトモダチに見てきてもらおう」


 ジュチがそう言いながら右手の拳を広げると、そこからアゲハチョウの群れが飛び立ち、ザールたちの先に延びる道を先行して飛んで行く。


「ザール、必要があれば、奴らを眠らせることもできるけど、どうする?」


 ジュチが言うが、ザールは首を振って


「タルコフがどう考えているかはっきりしないうちは、こちらから手を出さない方がいい。万が一街道でヤットウを起こしては旅人が迷惑する。ジュチの遣いが戻るまで右手の丘に登っておこう」


 そう言って、石ころだらけの道を丘に向かって歩き出した。



「そろそろ、ザール殿の一行に出会うころだな」


 イルザの司令部を出撃して2日目、ヘイライネン上級小隊指揮官はそう言うと、2個分隊を先行させることにした。


「尖兵分隊はザール殿が見えたら、私が到着するまでその場にとどまっていただくよう丁重に依頼せよ。第2尖兵分隊はすぐさま接触の旨を私に報告せよ。まずは話し合いだ。戦闘が目的ではない」


 ヘイライネンは念のためそのような指示を部下に与えていた。その場面は、ジュチが放ったアゲハチョウたちが、ジュチの思念へと転送する。


「……どうやら、相手もこちらと同様、まずは話し合いをするつもりらしいね」


 アゲハチョウの報告を受けたジュチがそう言う。


「では、街道に戻るか」


 ザールがうなずいて言うと、ジュチはかぶりを振って言う。


「ザール、この際だから、まず相手にボクたちと争っても益がないことを思い知らせておくべきだと思うよ?」


 ザールは眉をひそめて訊く。


「戦いは目的としていないんだぞ?」

「ああ、それは分かっているが、人間とボクたちとの能力の差を思い知らせておけば、彼らも途中で気が変わることはないと思うよ?」

「先に手を出すのはマズいと思うけど?」


 リディアが心配そうに訊くのに、ジュチはロザリアを見てクスリと笑って言う。


「だれも相手を痛めつけるとは言っていないよ? ただ、彼らの意表を突けばいい。例えば、彼らの目の前に突然ボクたちが現れるとか……」


 ジュチの言わんとすることが分かり、ザールも微笑んでうなずく。


「そう言うことなら、ジュチの案を採ろう」



 ヘイライネン隊は、先頭に尖兵分隊10人、30ヤード離れて第2尖兵分隊10人を先に出し、さらに50ヤード遅れて本隊50人、30ヤード後ろに後詰30人を配置した行軍隊形であった。その尖兵集団と本隊の間に、突如、ザールたち4人が姿を現した。


「僕はトルクスタン侯国のザール・ジュエルだ。この部隊の指揮官と話がしたい」


 ヘイライネンは、突如現れたザールに狼狽しながらも、


「武器を降ろせ! 隊列を乱すな!」


 うろたえている兵たちをそう叱咤すると、自ら隊列の先頭に出てきて言った。


「ザール殿ですね。わが司令官たるタルコフから、貴殿を案内せよとの命令をお仰せつかってここまで参りました。司令部までわが部隊が護衛いたしますので、ご同行願います」


 ザールは笑ってうなずいた。その余裕の頷きを見て、ヘイライネンは


 ……ダイン殿が何を司令官殿に進言されたかは知らないが、我々を討伐しようという人間がこのような態度をとるとは思えない。それに、いきなり目の前に現れた能力をみれば、我々で手に負える相手ではない。


 そう感じていた。


「ザール殿と合流したことを、一刻も早く司令官殿に伝えよ」


 ヘイライネンは、伝令にそう言いつけて部隊を出発させた。


               ★ ★ ★ ★ ★


「部隊は集合したか?」


 ザールたちが出発してから2日後、ダイン領兵司は、突如として自らの軍を呼集した。

 ザールたちが宿舎を出発した後、彼は急に心配になったのだ。


 ……タルコフのことだから、俺の依頼を断ることはないと思うが、万が一、奴がザール殿を仕留めそこなった場合はことが面倒になる。それに、俺がタルコフから裏金を受け取っていたことをザール殿が知れば、タルコフを成敗しないかもしれない。この際、タルコフもザールも討ち取ってしまえば、後の憂いもないし、近隣の領兵司たちへの言い訳も立つ。


 小癪にもダインはそう考えて、急遽、1個混成コホルス隊(歩兵3千人、騎兵百騎、弓兵5百人)を率いて出撃した。タルコフが麾下の部隊のうち3分の2を本拠地から出撃させていることを知ったからでもある。


「イルザの村に偵察隊を放て。ザール殿がタルコフと接触したらすぐに知らせろ」


 ダインは部下にそう言って、自分が指揮する部隊には特に隠密行動を徹底させ、戦機を計っていた。

 急行軍で進むこと2日、


「ザール殿がタルコフ猟兵団の尖兵中隊に接触されました。その部隊と共にイルザの村へと行軍中です」


 との報告が偵察隊から入ると、


「騎兵隊はイルザの村の北側へと機動し、タルコフが別動隊と合流するのを阻止せよ。部隊を三つに分ける。弓兵隊は1個小隊を本隊に、右翼隊に2個分隊、左翼隊に3個分隊配属する。本体は南から、右翼隊は東から、左翼隊は西からイルザに突入できるように進撃せよ」


 そう攻撃部署を定めた。


「このまま進撃すれば、2日後にはイルザを攻撃できます」


 副官がダインに報告する。ダインは地図とにらみ合わせながら


「タルコフの部隊は絶対に逃がすなよ。邪魔をする奴は何人たりとも斬り捨てよと部隊に徹底させろ」


 そう厳命した。



 一方、ヘイライネンたちとイルザの村へと進んでいたザールたちだが、ジュチがダインの追撃に気付いた。


「ザール、ダインがこの部隊を付けてきているよ」


 ジュチが笑って言う。ザールより早く、ロザリアがそれに反応した。


「さすが小悪党じゃ、楽しませてくれるのう」


 そう言ってくっくっと笑うロザリアは、『魔族の血』が騒ぎ出しているのか、いつもの20歳の女性から12・3歳の少女へと姿を変えていた。


「ダイン殿が出てきているだと? どういうことだ? 自身でタルコフと話を付けるつもりだろうか?」


 ザールが、ダインの心を測りかねてつぶやく。そんなザールに、ジュチとロザリアが説明した。


「何てことないさ。ダインにとってボクらもタルコフも邪魔者になったってことだよ」

「ダインは、タルコフにザール様を討てと依頼しておる。自分がして来た悪事がザール様にバレたらことだと思ったのであろう。小悪党が考えそうなことじゃな」

「じゃあ、先にダインをやっつけないと!」


 リディアがオーガ形態に移行しながら言う。すでに虚空から巨大なトマホークを呼び出していた。


「リディア、待つんだ。ダインがそのつもりなら、100や200ではきかない兵を連れてきているだろう。それに、タルコフの司令部を包囲して叩くような布陣をしているに違いない。こんな小さな部隊で、今慌ててことを起こしても、それこそ揉みつぶされる」

「ボクはその意見に賛成するね。この部隊はここに残して、今夜これからボクたちだけでタルコフにこのことを知らせてやれば、面白いことになると思うけれど?」


 ジュチが言う。ザールはちょっと考えたが、すぐにうなずいた。


「時間がない。そうしよう」


 ザールは、ヘイライネンの幕舎を訪ねて


「この部隊はダイン殿の大部隊に追撃されている。恐らく彼はタルコフ殿を成敗するつもりだろう。この件に関わった以上、僕はタルコフ殿を見捨てることはできない。僕たちはすぐさまタルコフ殿のもとに行くので、貴官は予定どおりの行動をしてダインの部隊の目を欺いてほしい」


 と頼んだ。ヘイライネンは驚倒しそうになったが、


「分かりました」


 と血の気の引いた顔で答えてうなずいた。


「明日、この部隊がイルザの村に入った時が勝負だ。ダイン殿の部隊はその時を期して討ちかかってくるだろう。そのつもりで部下にも準備させておかれるといい」


 ザールは別れ際にそう言って励ました。


               ★ ★ ★ ★ ★


 タルコフは、ダインの行動を見破っていた。

 と言うのも、ザールとの会談を終え次第、本拠地を北西に移そうと考えていたタルコフは、カツコフの第2タクシスにつけていた第3タクシス長クラブチェンコと連絡を取っていたのである。

 そのクラブチェンコから、


『イルザの村の北方に、百騎ほどの騎馬がいます。軍装から王国軍の軍団兵のようですが、巡回でもないようです。注意してください』


 との注進が届いていたのである。


「軍団兵と言えばダインの軍しかありえない。その騎馬隊が北方にいるということは……」


 百戦錬磨のタルコフは、その意味するところをすぐさま悟った。そして、


「隠密裏にこの村の四方を探ってみよ。おそらくダインの軍がこの村に攻め込むための前進陣地を作っているに違いない。発見しても攻撃せずに帰投して、位置と兵力を私に報告せよ」


 とえりすぐりの斥候を放った。

 とともに、


「第3タクシスは直ちに本拠地へ帰投せよ。ここ一両日に本隊はダインの軍と決戦することになる予定」


 と、クラブチェンコにも申し送った。

 クラブチェンコ中隊指揮官は、先に注進を送った後、


『これはただ事ではない。司令官殿の危機だ』と状況を正確に判断し、先任指揮官である第2タクシス長カツコフ大隊指揮官補に無断で行軍を離脱し、イルザへと進路を変更していた。



「村の西方に、約千人の部隊がひしめいています」

「同じく、東方にも約千人がいます」

「北方には、街道脇に騎兵百が見えました」


 タルコフは、この状況から、


 ……ダインは南方から本隊を率いてやってくる。その兵力は千ないし2千で、攻撃発起は恐らくザール殿がこの村に足を踏み入れた時だ。


 そう、ダインの考えを正しく見抜いていた。

 まさにその時、タルコフは思いもかけない来訪を受けた。


「司令官殿、ザール殿が見えています」

「なに?」


 タルコフは一瞬聞き違いかと思った。ザールはヘイライネンの部隊とともに、まだ村の南東にいるはずで、到着は早くても明日の6点半(午前7時)だと思っていたからである。

 しかし、次の瞬間、笑いながらドアを開けてザールその人が司令官室に入って来た。ジュチとロザリアが脇を固め、後ろはリディアが守っている。


「やあ、遅い時間に失礼かと思ったが、事態は一刻を争うのでね。急いでそなたに会いに来たんだ」


 ザールはそう言うと、緋色の目でタルコフを見つめてきた。その瞳は心の中を見通すような不思議さと、見られる者の心を温かくする安らぎを持っていた。


「……よくおいでくださいました。ご来訪の件はダインから知らせが来ています」


 やっとそれだけ言うタルコフに、ザールはニコリとして


「そのダインが訳の分からぬことをしているな。僕にそなたの処置を任せると言ってみたり、自分で大軍を率いて出てきたり」


 そう言う。タルコフはそれを聞くと微笑んで、従兵を呼んで言いつけた。


「飲み物を賓客に準備してくれ。それとザール様、どうぞ飲み物を召し上がったらこの陣地を退去していただきたいと思います。これは本職とダインの戦いですので」


 その言葉に、ザールはうなずいて言う。


「分かった。そなたほどの武人を見捨てるには忍びないがな。ここに来る途中で立ち寄った町や村では、そなたの部隊を悪く言うものはいなかったが、他の管区ではどのようなことをしていた?」


 ザールの問いに、タルコフは自嘲気味に


「ふふ、朝廷への献上品や租税を輸送する部隊を襲ったり、大きな隊商を襲ったり、ですかね。できるだけ人は殺さないようにはしていたつもりですが」


 そう言って、ザールを見て肩をすくめる。


「まあ、年貢の納め時でしょう」

「ダイン殿にはどのような鼻薬をかがせていた?」


 ザールが言うと、タルコフはびっくりしたように言う。


「おお、ザール殿は侯爵家の御曹司だというのに、よくそんな下世話なこともご存知ですな。まあ、そうでなければ務まりませんが。ダインには年10タラントンが約束でしたよ。よくダインの本性を見破られましたな?」

「私へそなたを成敗するよう乞うことがあまりにも性急だったのでな。ダイン殿とて根っから悪ではなかろう。地位と富と名声が人を狂わせることを、僕はこの旅で何度か目にしてきた。ダイン殿も同じだと考えている。そなたにしても、できれば生きて罪を償ってはと考えているが……」


 ザールの言葉に、しばしタルコフは瞑目していたが、やがて眼を開けると清々しい表情で言った。


「まあ、人生の最後にザール殿のようなお方に会い、そのお方から惜しまれただけでも、私の人生は意味があることになりました。ザール殿の今後のご健勝とご武運をお祈り申し上げます」


 そして、サッと敬礼をする。見事な敬礼だった。ザールは答礼しようとしたが、その時、ドアが開いてクラブチェンコが入って来た。息を切らしている。


「おお、クラブチェンコ。よく間に合ったな」


 タルコフが笑顔で言うのに、クラブチェンコも微笑んで言う。


「ダイン殿の騎兵隊が街道沿いを抑えていると聞きましたので、近道をして帰ってきました。すみません、カツコフ大隊指揮官には連絡が取れませんでした」

「仕方ない。そなただけでも来てくれて心強いぞ。カツコフの部隊が居れば言うことはなかったが、あいつの性格だ、ホルンを討ち取らねば帰っては来るまい」


 その言葉を、ザールが聞きとがめた。


「タルコフ殿、今、ホルンと言われたが、それはもしかして“無双の女槍遣い”ホルン・ファランドールのことか?」


 一転して鋭い目を細めて訊くザールに、タルコフはたじろぎながらもうなずいた。


「は、はい。わが莫逆の友であるカツコフが、部下の仇を討ちたいとそのホルン・ファランドールを狙っております」

「いつ、どこでホルン殿を狙う作戦だ?」


 急き込んで訊くザールにいぶかしいものを感じながら、タルコフは首を振って言う。


「それはカツコフが独自に作戦を展開しているので、詳細は私には分かりかねます。クラブチェンコ、そなたはカツコフから何か聞いているか? このお方は『白髪のザール』殿だ」


 クラブチェンコはびっくりして敬礼して言う。


「これは、挨拶が遅れて申し訳ありません。本官はアレグザンダー・クラブチェンコ中隊指揮官であります。カツコフ殿は司令官殿に相談される以前に、すでにホルンに偽の仕事を依頼していたようです。今日の7点半(午前9時)にタラ平原でホルンを襲うとのことでした」

「今が5点半(午前5時)……ここからタラ平原まで30マイル(約56キロ)ある、2時(4時間)ではタラ平原まで行きつけない」


 クラブチェンコの言葉に、ジュチが歯噛みする。


「ザール様、そのホルンがどうしたのですか?」


 恐る恐る訊くタルコフに、ザールは厳しい目を当てて言った。


「僕はそのホルン・ファランドールに大事な用があるのだ。タルコフ殿、そなたならそのカツコフとやらを止められるか?」

「はい、ザール様の仰せとあれば、カツコフには作戦中止を命令します。しかし、時間がありません」


 そう話しているとき、建物の外が騒がしくなってきた。


「ザール、ダインの軍が動き始めたよ。早く逃げないと!」


 リディアの声が聞こえてくる。それを聞きながら、ザールはジュチに目配せした。ジュチはザールの意図を悟ってうなずくと、部屋から出て言った。


「事情が大きく変わった。タルコフ殿、そなたを死なせるわけにはいかん。ダインとの話を付けるかわりに、僕に協力してもらわねばならない」


 有無を言わせぬ口調で、ザールはタルコフにそう言った。



「タルコフ、タルコフ! 私はお前のことを見損なっていた。猟兵団を指揮し、我が国のために動いていると信じていたのに、裏では盗賊まがいの所業、許し難い。このダイン、領兵司の職責によってそなたを成敗する。私の情としては旧友を討つのは忍びないが、これも公のためだ、もって瞑目せよ」


 イルザの村の入り口では、直卒の軍勢千人を後ろに従えたダインがそう呼ばわっていた。目の前ではヘイライネンの部隊をはじめとした僅か5百人ばかりの兵が、急造の防御線を守っている。


「タルコフよ、そなたの陣にザール・ジュエル様がお仲間とともにいらっしゃらないか? ザール様はこの国の貴種、我らが騒動とは関係がない。早々に陣から退去あそばされるよう勧めてくれ」


 ダインは、一応そう言った。タルコフの陣にザールがいることや、それはダインその人が成敗を頼んだからだということを、ダインの部下も何人かは知っていた。そのため、こう言っておかないと後が面倒になる。

 一応、ザールのことを心配しているというポーズだけ見せたダインが、総攻撃を下知しようとしたその時、タルコフの陣地から見覚えのある四人が姿を現した。


「やあ、ダイン殿。せっかくここまで出陣いただいたが、僕はタルコフ殿に火急かつ大事な用事があるんだ。領兵司としての役職は分かるが、しばしタルコフ殿の身柄を僕に預けてくれないか」


 ザールが白髪を朝の風になびかせながら言う。その両端には、リディアとジュチが、それぞれトマホークと弓を手に護衛している。

 ダインは、特にリディアの眼光にたじろいだが、それでも虚勢を張って言う。


「ザール様、その者は我が管区内では確かに人民に対して良きことをしてくれていましたが、他の管区では悪辣非道なことをしております。それを処断しなければ私の職務怠慢となりましょう。タルコフを捕縛しますので、どうかそこをお退きください」

「僕の用事も国家の大事なのだ。タルコフには必ず後で出頭させるので、その身柄を一時、僕に預けてくれ。そしたら、僕がタルコフから聞いていることも僕の胸の中に収めよう。いかがか?」


 ダインは迷ったが、


 ……約束などは信用できない、もう一度押して聞き入れてくれなければ、死人に口なしだ。タルコフと共にザールも討ち取ろう。


 そう心に決めた。


「いえ、ザール様の仰せでも、これは公の仕事でございます。どうか私の役目を果たさせてください。さもなければいかにザール様とはいえ、領兵司の職権において処断しなければならなくなりますが……」


 ダインはそれ以上何も言えなくなった。それは、12・3歳の少女がいつの間にか自分の後ろに回り、首筋に毒薔薇の棘を突き付けていたからである。


「お、お前はいつかの……」

「何も言わんほうが良いのう。『言わぬが花』とも申すではないか? ところでそなた、私のザール様をどうするつもりかの? しっかり言葉を選んで答えてみよ?」

「……」

「ザール様は嘘はつかれぬ。あのタルコフとやらをほんの1・2日借りるだけじゃ。その後は煮るなり焼くなりおぬしの好きにすればよい。それが分からんかのう?」

「ダイン、俺はザール様に諭されて、今後は真っ当な道を進むことを誓った。その手始めにザール様のご用事を手伝うことにしている。ダイン、同期の貴様に俺は嘘をつかんし、ザール様の顔に泥を塗ることもせぬ。一日だけ時間をくれ。さすれば俺はそなたのもとに必ず出向くから」


 タルコフが防御陣地の前に出てきて言う。鎧は来ているが、武装はしていなかった。


「ほれ、あの男もああ言うておる。同期の桜じゃ、うんと言うてやれ」


 ロザリアは首筋の棘を少し突き立てた。


「……わ、わかった。同じ武人の言葉だ、タルコフ、そなたを信じよう。ザール様もお骨折りいただき、ありがとうございました」


 そう吐き捨てるように言ったダインに、ザールは晴れ晴れとした顔で呼びかけた。


「僕の願いを聞き届けてくれてうれしいぞ、ダイン殿。礼は後日させていただくぞ」



 ザールは、ジュチとリディアの立会いのもとで、ダインとタルコフと3人で話し合った。その結果、「ダインは今後、タルコフを捕縛せず、裏金も要求しない」「タルコフは、猟兵団と共にダインの管区を出て行く」「タルコフ猟兵団は、以後、不法な仕事はしない」「ザールは、ダインとタルコフの秘密を公にしない」と言うことで合意ができた。


「ダイン殿には不満かもしれないが、少なくとも他の管区の領兵司に顔向けができる条件だと思うぞ」


 そうザールが言ったため、何も言えなくなってしまった。何と言っても、自分の秘密を知る高貴な人物である。一つ間違えれば自分だけでなく一族の破滅となりかねない。

 こうして、合意成立後半時(1時間)でダインは渋々ながらも兵を引いた。その様子はリディアとロザリアが最後まで見届けた。



 その一方、ザールとジュチは、タルコフと共にタラ平原へと馬を駆っていた。


「急げ、急がぬと取り返しのつかぬことになる!」


 ザールは馬上で何度もそうつぶやいていた。


               ★ ★ ★ ★ ★


 タラ平原は、見渡す限りの荒野である。少ない水でやっと生き延びているような低い木々があちらこちらに日陰を作っているが、日中の温度は40度を超えることも珍しくない。

 ここは、鉄が取れるヒッタイト地方から、『黒の海』を越えてサマルカンドへ行くためにはどうしても通らねばならない場所でもあった。もっと北を通れば砂に足を取られて歩けなくなる。もっと南を通れば少し気温は下がるものの、そこは岩だらけの丘陵地帯である。


 その丘陵地帯を、一人の女性が歩いていた。

 その女性は日差しを避けるように緑のフード付きマントを着ている。マントの下にはサラサラとした銀髪と、切れ長の翠の瞳を持つ目が見える。

 そして分厚い革の胸当て、鍛鉄を縫い付けた籠手、腹部を守る革製の腹巻を身にまとい、太ももを守る革製の横垂をつけ、膝当ての付いた底の分厚いブーツを履いていた。

 そして、彼女が背に負っている槍が異形だった。長さが1.8メートルと言うのは手槍としては普通だが、その穂は全長の優に3分の1、60センチはあったのだ。

 また、前からは見えないが、刃の長さ60センチほどの剣も履いている。


 彼女は、『用心棒』と言う職業をしている。今もまた、依頼を受けてこの『タラ平原』に足を踏み入れたのだ。

 丘陵の上から、彼女の姿をずっと見つめている男がいた。その男の周りには、5百人ほどの武装した男たちが固まっている。


「来たぞ、ホルン・ファランドールだ。仲間たちの仇を取るぞ、抜かるなよっ!」


 男はそう叫ぶと、自ら剣を抜いて走り出した。手下たちもそれに続く。


「来たわね」


 女性の槍遣いは、ゆっくりと槍の鞘を払った。そして、男たちが自分を包囲するのを冷たい目で見つめていた。


「あなたたちが『タルコフ猟兵団』ね?」


 女性は、この場にそぐわない静かな声で聞く。男たちの中から、指揮官と思しき人物が前に出てきて言った。


「よう、お久しぶりだな、ホルンさん」


 男はカツコフだった。この仕事をホルンに依頼した張本人である。それを見て、ホルンは目を細めて言った。


「……大体分かったわ。誰の意趣返しかしら?」

「おお、さすがに話が早えな。以前、俺の部下があんたにやられているんだ。なかなか筋がよくて期待していた部下だったが、ある仕事であんたに根こそぎやられちまった。50人もな?」

「……なら、これ以上何も言う必要もないわね? さっさと片づけましょう?」


 ホルンは言うと、さっと身構えた。カツコフもニヤリとして部下に下知した。


「やっちまえ!」


 恐るべき血戦の幕開けだった。


   (9 運命の示唆 完)

最後までお読み頂き、ありがとうございました。いよいよホルンとザールの距離が縮まって来ました。

けれど、実際二人が邂逅するのは第11話になります(ネタバレ)。

そこで、来週は一挙に「10.殺戮の平原」と「11.運命の邂逅」の2話をアップする予定です。お楽しみに。

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