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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
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サイドストーリー・運命の悪戯

リアンノン・フォルクス。

アクアロイドの町、シェリルの執政官にして海神ネプトレに愛されし存在。

今回は、彼女の前半生をお送りします。

(運命は、最後まで私に悪戯をかけて来たみたいですね)


 私は、巨大なる敵・破壊竜アンティマトルの放つ『崩壊の序曲(ディスラプシオン)』の輝きの中でそう思った。


(しかし、これで叔父の預言した『蒼龍』とは私のこととなりました。ガイ、あなたは生き延びて、ホルン女王様と共に新しい時代を切り拓いてください)


 私は、そう思うと、次に打つ手が浮かんだ。私の存在が宇宙の中に飲み込まれる前に、後事を託しておきたい人がいたのだ。


(この戦いに決着をつけられるのは、もはやザール様しかいない。ザール様に出てきていただかなければ……)


 私は、焦る気持ちと共にザール・ジュエル様がいる空間へと飛んだ。


 ザール様は、ゆっくりと目を閉じていた。無理もない、相手は『七つの枝の聖騎士団』団長『怒りのアイラ』だったのだ。これまでのアイラの武勲を知っているだけに、ザール様とアイラの戦いがいかなるものだったかは容易に想像できる。


 それでも、ザール様に出ていただかなければ、私がガイと共に戦ってきた意味がなくなり、私の夢でもあった『すべての種族が分け隔てなく生き、互いを尊重する世界』も夢のまた夢になってしまう。自分が虚空の中に戻るとしても、そのことだけは耐え難かった。


「ザール様」


 私はザール様に呼び掛けた。私の声が届いたか、ザール様はゆっくりと目を開け、緋色の瞳で私を見た。


「あなたは?」


 そう訊くザール様に、私は意識が拡散する前に急ぎ伝えた。


「私はシェリルの町の総帥だったリアンノン・フォルクス。私は終末竜アンティマトルとの戦いで不覚を取りました」

「終末竜アンティマトル? そいつが目覚めたのですね?」


 ザール様の言葉に、私はうなずいた。


「急ぎの御出馬をお願いいたします。あのままでは弟ガイは言うに及ばず、ホルン女王様も危ないです。どうか一刻も早い戦線へのご参加を……」


 私は無念こそ残るが、これで後事は託したという思いで懐かしいプロトバハムート様の世界へと旅立った。


   ★ ★ ★ ★ ★


 王国暦1540年、ファールス王国の北にある内海『蒼の海』の畔にあるレズバンシャールという町で、一つの慶事があった。この町を統率するアクアロイドの首領シール・フォルクスに、一子が誕生したのだ。


「サフラン、名前は何としようか?」


 シールは、自身のパートナーであるサフランにそう訊いた。


 アクアロイドは両性具有、というより中性で、時によって男となり、時によって女となる。

 けれど、ある程度の年月が経つと、本人が気に入った性別で暮らすことが長くなる。それは生活するうえでの不便さを無くすためでもあるが、生まれた時に行われるアクアロイド特有の『儀式』によることが大きかった。


 この『儀式』は、『海星の判別』と言われ、その子の生まれ持った星によってどちらの性別がその子に合っているかを判断するものだった。中にはそれで一生の性別を固定する者も稀にいる。シールのパートナーであるサフランがその稀な一人であった。


「急がなくていいわ。『海星の判別』の後でもいいんじゃないかしら?」


 サフランはそう言って、生まれた我が子を抱きしめて笑い、


「私の海星のこともあるから、この子もアルテマ様に視ていただけたらいいなと思うわ」


 そう続ける。シールはうなずいた。


「そうだな。アルテマならばこの子の宿星を過たずに視てくれるだろう。分かった、すぐに手配する」



 それから7日後、レズバンシャールの館に一人の少女が訪れた。アクアロイドらしくうねるような髪と透き通るような肌をしており、その髪や瞳と同じ深海の色をしたマントを羽織っていた。


 アルテマ・フェーズは、当時トリスタン侯国にいたゾフィー・マール、ルーン公国にいたアニラ・シリヴェストルと共に『希代の魔女』と呼ばれていた。


「アルテマ、忙しいところお運びいただき感謝する。早速だが、わが一子の『海星』を視ていただきたい」


 アルテマは機嫌よくうなずくと、揺り籠に眠る赤子を見て微笑で言った。


「なんの、われもこのレズバンシャールに世話になっている身だ。このくらいのこと造作もない。おお、可愛い赤子だな。では、さっそく視てみるか」


 そして、赤子の枕元にマントの下から取り出した透き通った水晶の法器を置くと、じっとその中に映る海星を観察しだした。


「むっ!?」


 しかし、何が法器の中に見えたのか、アルテマは途中でそう一言発すると、後は難しい顔のまま無言で法器をマントにしまう。


「……アルテマ、何が視えたのだ? この子の運命に関わること、余はどのような見立てでも受け入れる」


 シールは、余りにアルテマが難しい顔のまま黙っているので、そう言って答えを求めた。

 やがてアルテマは、鋭い顔をしてシールに答えた。


「……ならば申し上げる。この子の海星は『寒流の蒼龍』だ。伴星として『離』『破』『天』があるので、長じてこの子は運命の導きにより人の上に立ち、審判の時の中で至高の人と共に戦い、難敵によって命を落とすことになろう」


 シールは、動揺を隠すように目を閉じて聞いていたが、やがて眼を開けると訊いた。


「分かった。それが運命であれば余は受け入れよう。けれど親としてはその命が長からんことを祈りたい。どちらの性がこの子を救うか?」


 するとアルテマは、


「どちらの性でもこの子は海神ネプトレに愛されることになる。しかし、女性として生きた方がこの子の良き部分が輝くであろう。この子には『リアンノン』という名を与えるとよい」


 そう厳かに言うと、静かに付け加えた。


「……この子がやむに已まれず男性の姿を取る時、それがこの子の運命の岐路だ。そこで難事を切り抜けられれば、さらに海星の一巡(11年)はこの子の寿命は延びるであろう」


 こうしてリアンノンは、数奇で苛烈な運命を予言されたのだった。



 7年後、ガイが生まれた時もアルテマが招へいされた。

 アルテマはガイを視終わった後、じっとリアンノンを視ていたが、しばらくしてため息と共に首を振ると、シールに静かに言った。


「海星は子どもの時分には時と共に変わる可能性があるゆえ、この7年間がリアンノンにどう影響したかと期待しておったが、彼女の海星はそう簡単には変わらぬようだ。われがリアンノンやガイと会うことはもうないので、あの子に長じたらゾフィー・マールに会うように話しておくがよいぞ」

「何を言うアルテマ。そなたはこの町を捨てるのか?」


 シールが気色ばんで訊くのに、アルテマは微笑と共に首を振って答えた。


「捨てはせぬ。われのいる場所は最後までこの町だ。だがな、我らは摂理の中で生きておる。250年生きて来た我にも、平等に摂理が訪れるだけの話だ」


 そう言うと、アルテマは飄々(ひょうひょう)とした態度で屋敷を出て行った。それ以来、アルテマの姿を見た人はいない。



 リアンノンは、アルテマの言葉どおり利発な子だった。

 『一を聞いて十を知る』という言葉があるが、彼女は目にし、耳にしたものはすぐに覚え、その記憶をもとに体系的に物事を推察することに優れていた。


 また他人の心を読むことも得意で、ガイはもちろん、屋敷の使用人、果ては他国から来た使者であっても、その様子を一瞥するだけでその者の状態やおおよその性格、そして考えていることを言い当てることもしばしばあった。


 そのため、屋敷の使用人たちはリアンノンのことを気味悪がり、


「リアンノン様には悪霊がついているのではないか?」


 などという噂が飛び交ったこともあった。


「リアンノンはどうして人の心が分かるの?」


 その噂を聞いたサフランがリアンノンに訊いたことがあるが、リアンノンは不思議そうに逆に訊き返したそうだ。


「観察です。人を見ていると、その人がどういう時にどういう反応を示すかが分かってきます。その反応はその人の心の中を表していますし、その時の状況も影響を与えています。潮の満ち引きや季節ごとの風を知っている私たちが、どうして他の人のことを分からないのでしょう?」


 けれど、母とのそのようなやり取りの後、リアンノンは他人の思考が読めてもそれを口に出さないようになった。そして極力、他人に興味を示さないよう振舞うように努めた。


 ただそれは、観察とそれに基づく考察を止めたわけではなかった。彼女は『大人から見た自分』ができる限り『7歳に相応しく見られる』ことに注意を払ったのだ。


 そんなことはあったものの、レズバンシャールでの記憶は、リアンノンにとって楽しいものばかりであった。

 特に彼女の記憶に残っているのは、9歳の時のことである。彼女は叔父であるジェダイと話をすることを好んだ。ジェダイは決して彼女を子どもとして扱わなかったからだ。


「生物は、海から来た」


 ジェダイは、目を輝かせて話に聞き入るリアンノンに、静かな声で話す。


「中でもわれわれアクアロイドは、海神ネプトレの祝福を受けて海を治める種族となった。だから、リアンノンやガイもこのレズバンシャールに留まらず、いつかは広い海をその目で見なければならない。本物の海を見て、そして感じたことを忘れずにいてほしいものだな。それがアクアロイドの進化につながるだろうから」

「おじさまは、『本物の海』を見てどう思われましたか?」


 リアンノンが訊くと、ジェダイは子どものように瞳を輝かせて答えた。


「うん、やはり海は凄いと思う。美しくて穏やかな時もあれば、荒れくるって恐ろしい時もある。けれど、すべての生物の命を生み出した場所として、神秘的で神々しい。われわれアクアロイドは『海の民』として生命を生み出した場所への畏敬の念を忘れてはいけないと感じたよ」


 そしてリアンノンたちにけしかけるように笑って言った。


「そんな仲間たちが、カラチの西方に『シェリル』という町をつくろうと計画している。俺もそのうちそいつらと力を合わせることになるだろうな。お前たちもいつか来るといい」


 そのジェダイは、次の年の初めには『蒼の海』の畔から姿を消した。


「おじさま、どこ行ったんだろう?」


 ガイが残念そうにつぶやく。リアンノンは遠く南の空を眺めながら言った。


「きっと『シェリル』って町をつくりに行かれたのよ。私たちも早くおじさまがつくった町を見に行きたいものだわね」


   ★ ★ ★ ★ ★


「いよいよ二進にっち三進さっちもいかなくなったわね」


 リアンノンは、机の上に全財産を並べてため息をつく。全財産……その時彼女の手元にあったのは、わずか1枚の銀貨と数枚の銅貨だった。


 『レズバンシャールの悲劇』から5年。彼女とガイはしばらくティムールの東方軍に匿われていたが、ほとぼりが冷めた頃、二人はシェリルの町に引き取られた。リアンノン10歳、ガイ3歳の時である。

 ここは彼女たちの叔父ジェダイが建設に関わった場所でもあり、同じアクアロイドがつくったアクアロイドのための町ということで、時の代表執政パウル・ヒンデンブルグが東方軍の要請に応じたものだった。


「ジェダイ・フォルクスは面白い男だった。そして知力も胆力もある男だった。あのままここにいたら執政官にもなれたはずなのに、あいつはそれを断ってまた旅に出た」


 ヒンデンブルグはそう言って笑うと、固くなっている二人に優しい声で言った。


「ここはアクアロイドの町だ。そして君たちはその建設者の一人の縁者。成人するまでは気楽に暮らしたまえ」


 二人はヒンデンブルグが準備した小さな家に居を構えた。

 最初の4年は、比較的平穏だった。代表執政のヒンデンブルグは二人のことを気にかけており、アクアロイド特有の同族意識の高さもあって生活には困らない状態だったからだ。その間、リアンノンは自己啓発と仲間づくりに力を注ぎ、ガイは自己鍛錬に励んだ。


 リアンノンはわずか14歳だったが、その該博な知識と流れるような弁舌でシェリルの町の執政官たちに知られるようになっていった。このころできた仲間としては、クリムゾンやミント、テトラ、ローズマリーといった同年代の14・5歳の者たちから、モーデル、クルーウェル、クラマーといった先輩格である20歳前後の者たちがいる。


 彼女たちは、自分たちなりにアクアロイドの将来を考える集会を週に1回程度行っていた。その意見はモーデルによってヒンデンブルグの懐刀であるルーデンドルフに提供され、執政官たちの間でも少しずつ注目される集団となっていった。



「ファルケンハインが動くみたいだぞ」


 王国暦1554年の秋、いつもの集会が終わった後、モーデルがいつになく緊張した面持ちで言う。シェリルでは執政官を選定会議で選ぶことにしており、今年は最初の改選の年だった。


「保守強硬派のファルケンハインが? 首席執政のルーデンドルフ様が黙っちゃいないと思うけれど?」


 リアンノンが言うと、モーデルと共に執政府に勤めているバイエルラインが、小声で注意した。


「リアンノン、『壁に耳あり』という。政治的なことをあまり大きい声で言ってはいけない。それでなくても選定会議が近いので町中は殺気立っているんだぞ?」


 リアンノンは声を潜めて答えた。


「ごめんなさい、注意するわ。けれどファルケンハインが唱えるファールス王国からの独立なんて、生まれたばかりの小さな都市であるシェリルでは到底無理よ。せめて自治権の公的付与くらいならまだ分かるけれど」

「そんな簡単な道理が分かる選定人ばかりなら、ファルケンハインが動くわけない。どうやら彼は自由穏健派のファビウスと手を組んで、選定会議の主導権をルーデンドルフ殿から奪う計画のようだ」


 クルーウェルが苦々しげに言う。


「何それ、水と油じゃない。ファビウスはファールス王国とはつかず離れずの外交に終始して、その間に経済力を増すっていうことを言っていたはずよね?」


 リアンノンが言うと、クリムゾンが鼻を鳴らして言った。


「ハン! ファビウスも権力欲が出て来たわけだ。『敵の敵は味方』と言うから、まずはヒンデンブルグ様の失脚を計ったうえで、ファルケンハインと争うつもりだな」

「……内が乱れれば必ず外に乗じられる。下手をするとシェリルが崩壊するぞ」


 クラマーも沈痛な表情でつぶやいた。

 一座を沈黙が支配した時、突然バイエルラインがリアンノンたちに言った。


「君たちの能力は認めるがまだ幼い。ここから先は私たちに任せて今日は散会したまえ。モーデル、クルーウェル、クラマー、ちょっと相談したいことがある。三人には残ってもらえれば幸いだ」



 会議を追い出された格好になったリアンノンたちは、最も年上のクリムゾンの家に集合した。


「バイエルラインたちは何を話し合っているのだろうか?」


 一番に口を開いたのは、『行動派』として知られているクリムゾンだった。


「……バイエルライン殿とモーデル殿は執政府に勤めている。今度の選定会議の雰囲気も私たちより掴んでいるはずよ。その対策を考えてルーデンドルフ様と何か対抗策を打つつもりでしょうね」


 今まで黙って話を聞いていたミントが言うと、テトラとローズマリーもうなずいた。


「リアンノン、俺たちはどうしようか?」


 クリムゾンが訊くと、リアンノンは深い海の色をした瞳を伏せ気味に答えた。


「……静観よ」

「えっ?」


 クリムゾンやミントがそう驚いたような声を上げる。それまでのリアンノンの言動からすれば、


(シェリルの町の危機なのであれば、若輩組も一丸となってバイエルライン殿たちを助けよう!)


 と、リアンノンの蹶起の言葉を期待していたのだ。

 リアンノンは、二人のそんな気持ちを分かっているというふうにうなずくと、静かに、けれど断固とした口調で言った。


「シェリルはアクアロイドのためにアクアロイドが創り上げた町だけれど、ここには人間も結構住んでいるわ。そしてそれらは商人が多い。ルーデンドルフ様の施策で潤っている彼らが、容易にファルケンハインやファビウスの言に乗るとは思えないわ」


 そう言うと、今度はローズマリーたちを見て、


「バイエルライン殿もきっとその方面に手を回して、選定会議にいる人間たちの票を集められるはず。私たちのように幼い者がそんな政治的な話をしても、大人はきっと鼻で笑うでしょうね。だから選定会議への対策に関しては、私たちは悔しいけれど静観した方が無難なのよ」


 そう言う。

 しかし、ミントは心配そうにリアンノンに訊く。


「選定会議はアクアロイドと人間の選定人で開かれることが決められているけれど、ファルケンハインが人間を選定会議から締め出したらどうするの?」


 するとリアンノンは、ニコリとして答えた。


「その時は私たちも考えなきゃいけないわ。そのために、私たちは有為な人たちと手を結ぶ必要があるの。私たちはそちらを進めましょう」


 リアンノンはそう言って、人間の仲間たちを集め始めた。その時に仲間となったのがニールセン、ベンボウ、アンソン、ハウ、ホークなど、後に彼女の艦隊で参謀となる人物たちで、その時は18歳から16歳の若者たちだった。



 リアンノンは楽観視していたが、選定会議ではミントが心配したとおりの事態が起こった。ファルケンハインが選定会議準備委員会で緊急動議を出し、人間の選定委員を排除したのだ。

 もちろんこれは人間たちの反感を買った。彼女と共にシェリルの未来を考えていたニールセンたちも、


「シェリルの繁栄はアクアロイドだけで成し遂げられたものではないぞ。私たちは異種族での共存という未来を期待したからこそこの町に来たのだ。それを踏みにじるとは許せない」


 そう怒り、リアンノンにこう話を持ち掛けて来た。


「リアンノン殿、万が一ファルケンハインがこの都市の実権を握ったら、私たちはこの町を出て行くつもりです。一緒に別の所で共存できる手段を探りませんか?」


 この申し出に、ローズマリーやテトラは肯定的な表情をしていたが、リアンノンは薄く笑って首を横に振った。


「ありがたい申し出ですが、万が一そうなったとしたら、誰がこの町を元通りにして、今のような繁栄を取り戻しますか? 私は運命の悪戯で一族を失い、この町に命を救われました。叔父が創ったこの町を守り抜くのが私の使命かと思います」


 そして、微笑のまま続けた。


「私はファルケンハインの権力に対する執念を見誤っていました。彼は人間に対する思慮を捨てています。ニールセン殿たちはファルケンハインが執政となったら、すぐにこの町を出て行かれる方がいいかと思います。時が来たら私たちに力を貸してください」


 そしてクリムゾンやミントたちにもこう言った。


「この会議はもう開かない方がいいでしょう。私はジェダイ・フォルクスの姪としてファルケンハインから目をつけられていると思います。あなたたちまで目をつけられたら、この町の未来のために動きづらくなります。今後は連絡を取り合わない方がいいでしょう」

「そんなの俺は気にしないぞ?」


 クリムゾンが言うと、リアンノンは血相を変えて言った。


「敵の目を晦ますためです。『尺蠖しゃっかくが縮むは伸びんがため』と言うではないですか。相手がどれほど強大でも、お互いに命さえあれば何度でも挑むことができます。ファルケンハインは執政となってもその時間は長くないでしょう。時流を見つつ、準備を進めておきましょう」



 そしてリアンノンたちの平穏な時間が終わりを告げた。

 その年の選定会議は荒れに荒れ、ファルケンハインは私兵を投入してまで会議の主導権を握り続けたため、首席執政ルーデンドルフの抵抗も空しく、ヒンデンブルグは代表執政の座から引きずり降ろされた。


 時をかず、ファルケンハインは盟友のファビウスを代表執政に祭り上げ、自身は首席執政として11人の執政官を指名した。ファルケンハイン派6名、ファビウス派5名の顔ぶれだった。


「シェリルは新たな時代を迎えた。アクアロイドの町はアクアロイドのためにある。その基本方針に反対する者は町を去るとよい」


 ファルケンハインはファビウスの名の許にそのような布告を出し、アクアロイドの税金を軽減するとともに人間に対する税を倍増させた。


 また、ヒンデンブルグやルーデンドルフの息のかかった者たちを次々と粛清していった。それはアクアロイドか人間かを問わず、


「あいつはヒンデンブルグから目を掛けられていた」


 と思われるものはすべて、迫害のリストに加えられていた。


「バイエルライン殿やクルーウェル、クラマー殿まで……」


 リアンノンは、執政府から出された布告を見つめて唇をかんだ。共にこの町の未来を語った先輩3人は、あえなくも刑場の露と消えたのだ。モーデルは何とか追手を逃れ、町から逃亡することに成功したらしい。


(次は、私たちの番ね……)


 リアンノンは密かにそう覚悟した。

 しかし、さすがに14・5歳のリアンノンたちまで処刑することは憚ったのか、リアンノンに対する処遇はヒンデンブルグ時代に創設されていた孤児援助金の打ち切りに留まった。それでも、生活の糧を奪われたリアンノンたちは途端に困窮の度合いを増した。


「……とても勉強や研究をしている場合じゃないわ。働かなきゃ」


 リアンノンはそう言って仕事を探したが、まだ15歳、しかも現政権から目をつけられている彼女を雇ってくれる所などなかった。


「姉上、私も働きましょうか?」


 わずか8歳のガイが心配してそう言ってきたが、リアンノンは笑って首を振った。


「ありがとう。でも大丈夫よ」

「いえ、姉上はこのところ、眉を寄せてため息ばかりついています。そんな姉上は初めて見ました。歳をごまかせば私だって仕事にありつけると思います」


 確かに、ガイは傍から見ていて心配するほどストイックに自己鍛錬を続けていた。おかげで身体はたくましくなり、15・6歳にも見えていた。

 けれどリアンノンは相変わらず笑ってその申し出を断った。


「いいのよ、ガイは心配せずに自己啓発に努めなさい。私が何とかするから」


 笑いながら言うリアンノンだったが、心の中では非常な決意を固めていた。


(父上母上には済まないけれど、生き延びるためだから許してくれるわよね?)


 ガイはそんな姉を、冷たく澄んだ瞳で見つめていた。



 実は、リアンノンの美貌と知性に惹かれた何人かの富豪たちから、


「私の妾にならないか?」


 という申し出があっていたのだ。

 最初の頃こそリアンノンは


「私はレズバンシャールのシールの娘。渇しても盗泉の水は飲みません」


 と断っていたが、貧窮の度合いが進むにつれてそうも言っていられなくなったのである。


(単に『珍しいアクアロイドの妾』として私を見る人物には、この身は任せられない……と言って、真に信頼できるような者もいないわね)


 リアンノンが思いあぐねていたある日、ガイが一人の男を連れて家に戻って来た。


ヤン大人、こちらが姉のリアンノンです」

「ガイ、そのお方は誰?」


 突然のことにびっくりしたリアンノンに、『楊大人』という人物が静かに切り出した。その男は明らかに東方の大国、ダイシン帝国の服装をしていた。


「初めまして、私はダイシン帝国の官吏、楊亮ヤンリャンと言います。在公使館付武官としてザーヘダーンにいましたが、この度ルオヤン府に呼び戻されました」


 楊はリアンノンの目をまっすぐ見てそう言った。その瞳には油断のならない光が宿っているとリアンノンは思った。


「……はい、それで?」


 リアンノンはざわつく心を抑えて、静かにそう訊き返す。楊はそんな彼女の心を見透かすように言った。


「お姉様のお許しを得て、貴君の弟君であるガイ君をルオヤン府に帯同したいのです。もちろん、奴隷としてではありません。私の今度の仕事はルオヤン府の警備です。その警備隊の一員として連れて参りたいと思っています」

「ガイ、あなたは私に黙って勝手なことを……」


 思わずガイをたしなめようとしたリアンノンに、ガイは薄く笑って言った。


「すみません、そのことは謝ります。けれど私はジェダイ殿に言われた『広い世界を見よ』という教えを忘れられませんし、私はもっと強くなりたい。だから楊大人について行くと決めたのです。お金のためだけではありません」


 断固とした言葉だった。リアンノンはガイの口調から、その心を翻すのは困難だと悟った。


「……弟を奴隷として扱わない、そのことに確約は持てますか?」


 ややあってリアンノンが言うと、楊はにこやかにうなずいて答えた。


「もちろんです。彼のような人材、奴隷として使うにはもったいない。警備隊に入るための準備金をお持ちしました。そして月々の給与はこれくらいです。彼は無品ですから最初は少ないですが、長く勤めて行けば自然と昇給します」


 楊は金貨が詰まった袋を差し出し、かなりの額の給与を提示した。その額はリアンノンが聞き知っていたルオヤン府の警備隊の給与と同額だった。


「……在営期間はどのくらいですか?」


 リアンノンの問いに、楊は丁寧に答えた。


「お話を聞いたところ、ガイ君はまだ8歳とのこと。私は彼が少なくとも13歳くらいだと思って声をかけたんです。彼には5年、私の許で研鑽してもらいます。その間の給与はガイ君との約束でお支払いすることにしています。その後警備隊は1期3年の契約になりますが、契約を継続するもよし、3年ごとの満期で除隊するもよし。そこはガイ君の気持ちにお任せします」


 リアンノンはしばらく考えていたが、すでにガイの心はシェリルの外に向いていると見て取った彼女は、静かに、そして厳かにガイに言った。


「……止めても聞かないでしょうね。ガイ、父上母上の名を辱めないように……」


 言いながらリアンノンは、


(私も言えた義理ではないけれど……)


 そう思ったが、これだけは言っておきたかった。


「……レズバンシャールの誇りにもとることがあれば、あなたの正義の名の許に、自らの力で乗り切りなさい」


 そう言うと、ガイは強くうなずいて言った。


「はい、必ず。私は必ず姉上の許に戻って参ります。姉上もお元気で」


 リアンノンは、そう言う弟がひどく大人びて見え、涙をこぼしそうになった。


「ガイ……ありがとう」


 リアンノンは、楊に連れられて行くガイの背中にそうつぶやいて涙をこぼした。


   ★ ★ ★ ★ ★


 それから4年間は、リアンノンの雌伏の時代が続いた。

 雌伏してはいたが、楊の話は本当のことだったらしく、毎月少なからぬ金額と共にガイ直筆の手紙が届いたので、


(ガイは頑張っているわね。私もガイが戻ってくるまでには、この町を元の異種族が共生できる町にして、繁栄させてみせる)


 そう思いながら、日々の研究に打ち込んでいた。

 リアンノンの『研究』は、ファールス王国と周囲の国々の歴史であった。彼女は歴史の中でどのような社会情勢がどのように大衆に影響し、それが政体や政策にどんな影響を与えたのかを詳しく調べていた。


 ただ、ファルケンハインの監視が厳しいため、表向きは平易な歴史解説のような文章を書いて、生計の足しにしていた。


 ファルケンハインは政権を握ると、2年後にファビウスの取り巻き連中の罪を告発して失脚させ、11人の執政官をすべて自分の派閥で固めていた。ファビウスはその『政変』に対して何もできず、そのことで求心力を無くしたファビウスは、代表執政の座をファルケンハインから『保証』されているだけのお飾りと化してしまったのだ。


「ファルケンハインが創った『シェリル義勇軍』は、彼自身の『親衛隊』だ。現政権を誹謗する者をあぶりだして処断すれば、隊内での待遇が上がっていく。このままではシェリルはファルケンハインの軍事独裁になるぞ」


 『義勇軍』に徴兵されて行ったクリムゾンやテトラが、非番の日にリアンノンに語った言葉である。このころにはリアンノンへの監視の目も緩み、彼女は『取材』の目的でシェリルを離れることも自由になっていた。


「思ったよりもファルケンハインの政権は長く続くものだな。リアンノン殿、どうされるつもりだ?」


 『取材』の途中で落ち合ったニールセンなどの人間の仲間たちは、リアンノンをせっつくが、リアンノンは落ち着いた口調でこう諭した。


「ファルケンハインには思ったよりもいい参謀がついているようね。アクアロイドの商人の中には、彼を推すものも出てきたから、今は何もできないわ。けれど政策の基盤が根本的な部分で揺らぎつつあるから、彼らがどういう手を打つかを見ている段階よ」


 19歳になったリアンノンは自信にあふれており、それは神々しくさえあった。ニールセンたちはリアンノンからの指令が届き次第、挙兵できる体制を整えておくことに同意した。



 次の年、リアンノンを心配とチャンスが同時に見舞った。

 心配事とは、ガイからの仕送りがぱったりと途絶えたことだった。


 その頃には、リアンノンはガイからの仕送りがなくても文章で生活できるほどになっていたので、生活していく上での支障はなかった。仕送りはいつか来る『蹶起』のための資金として貯めていたほどだ。


 それにその頃はダイシン帝国との交易路を遊牧民が襲うという出来事が頻発していたため、


(ガイのこと、そう言った情勢を気にして仕送りをストップしているのでしょうね)


 そう考えていたリアンノンだったが、遊牧民がトルクスタン侯国のサームやダイシン帝国の都護府によって鎮圧されたという話を聞いて数か月経っても、まだガイからの便りが届かないことに心配になった。


(姉思いのガイがこんなに長く音信不通なのはただ事ではない。もしかしたら……)


 最悪の事態まで想定したリアンノンは、思い余ってガイへと手紙を出した。無事なら手紙だけでも届けてほしいという願いを認めたものだった。


 実は、楊亮がガイの給与を横領していたものだった。

 後の話になるが、ガイの仕送りが止まって困窮したリアンノンをあわよくば妾にしたいという不埒な欲望が萌していた楊は、リアンノンの手紙によって事実を知ったガイから殺害されることになる。


 そしてチャンスとは、ファルケンハインが出した一片の布告だった。

 ファルケンハインがアクアロイド偏重の政策を取っていることは前述した。アクアロイドの税は軽くなり、その穴埋めとして人間など他種族の税は重くなったのだ。


 税が軽くなると喜び、重くなると怨嗟の声が聞かれるのはどの時代、どんな国でも同じである。当然、人間たちの不満は増した。


「税は重い、代表者は選べない……こんな所に住んでもメリットはない」


 人間でも経済的に余裕がある者は、だんだんとシェリルから出て行った。残ったのは経済的な余裕がなくて出て行けない者がほとんどだった。


 当然、税収は減る。しかし『義勇軍』などを編成したため、財政的に苦しくなってきた。そうなると、どうにかして収入を増やさなければならない。

 そこでファルケンハインが目を付けたのが、『関税』だった。


 もともと、シェリルで商業を営んでいたのは人間が多かった。しかし、アクアロイドにも商売を始める者が出てきて、それらはファルケンハインに自分たちに有利な仕組みを作ってもらいたいと期待した。ファルケンハインが「アクアロイドのための町を」と叫んでいたから当然である。


 ファルケンハインは彼らの期待に応え、税の面で人間は著しく不利になり、やがて人間の商売人はシェリルから撤退を始めた。その穴を埋めるように、アクアロイド商人は収益を伸ばしてきたのだ。

 ファルケンハインは、税収を伸ばすため、そして『アクアロイドのための町』というスローガンをもう一歩進めるため、


「アクアロイド以外の商人を相手にした交易には、特別関税をかける」


 と布告したのだ。

 これがファルケンハインの命取りとなった。


 アクアロイドの商人が扱っていない品物に、大きな問題があったのである。それは、穀物だった。

 アクアロイドは『海の民』である。基本的に農業をする者はほとんどなく、穀物は人間から仕入れることになる。

 商人が仲買人を介さずに直接農家から仕入れた場合、それは『アクアロイド以外の商人との取引』となり、高額の関税がかかる。


 中には仲買用の商店を別に立ち上げた商人もいたが、一旦仲買人を通すためどうしても品物は高くなる。中には制度の変更を利用して、関係のない商品まで便乗値上げし、暴利をむさぼる者まで現れ始めた。

 ただでさえ高額な税金に苦しんでいた人間たちは、食料品の高騰にあって不満が不平へと変わって行くのは当然のことであった。


「ファルケンハインには任せておけない」

「彼らは執政官ではない、失政官だ」


 シェリルの町では、あちらこちらでファルケンハイン排斥の声が聞かれ始めた。



「町の中が不穏な空気になって来たわね」


 王国暦1560年花萌える月、リアンノンは、海上要塞ともいえるシェリルの町の対岸、町の名前のもととなったシェリルの丘にクリムゾンやミント、ローズマリー、テトラたち仲間を集めた。


「モーデル殿から、『蹶起準備はできた』との知らせが入っていますよ」


 あの日以来ずっとモーデルとのやり取りを担当してきたクリムゾンが、リアンノンを急かすように報告する。


「ニールセン殿も『指示があればすぐに動く』とのことでした」


 こちらはテトラである。彼もまた、リアンノンから秘密裏にニールセンたちとの交渉・連絡を任されてきたのだ。


「シェリルの中にいる商人たちはどう動くかしら?」


 リアンノンが訊くと、ローズマリーは首を振った。


「あくどい商売をしている者はファルケンハインを支持するでしょうが、たいていの商人は見て見ぬふりでしょう。彼らに実害を与えないように動く必要はあると思います」

「そうね。それでは、事を起こすことに反対の人はいるかしら?」


 リアンノンがうなずいて、鋭い目で全員を見回して訊く。全員がリアンノンの次の言葉を待っていた。


「では、蹶起の時期は一週間後の15日、時刻は0点(午後6時)を期して作戦行動に入ります。クリムゾンはモーデル殿を案内して『義勇軍』官舎を襲撃すること。テトラはニールセンたちと行動を共にして交易会館に突入して商人たちの動揺を抑えて。ローズマリーとミントは私と共に庁舎を急襲するわよ」



 リアンノンは一旦決断すると、その後の行動は素早い。

 彼女はすぐさまクリムゾンとテトラを送り出すと、自らはローズマリーとミントを連れてファールス王国の主要な軍港の一つ、カラチを訪れた。ここには軍艦もいるが、それ以上に商業用の波止場は国内随一であり、各国のありとあらゆる船が所狭しと係留されていて、『海の民』であるアクアロイドの姿も珍しくない。


 リアンノンは、波止場の最も端に停泊している帆船までやって来ると、船の名を確認してうなずいた。


「『シール』号……この船ね」


 リアンノンはそうつぶやくと、渡し板の方へと歩み寄る。近づいて来るリアンノンたちを見たアクアロイドの船員が、にやけた顔で声をかけて来た。


「お嬢さん方、乗る船を間違えてはいませんかい? こいつぁ『海の紳士』たちの船で、別嬪さんたちに乗り込まれると若ぇ者が妙に元気づいていけないんだが」


 するとリアンノンは、冷たい瞳で男を見ると、涼やかに訊いた。


「この船の錨は、おかに刺さっているのかしら?」


 すると男はびっくりした顔で、どもりながら言った。


「えっ……い、いや、も、もうすぐ揚錨するぜ。どこまで行くんだい?」


 リアンノンはニコと微笑んで答えた。


「それは海路の日和によるわ」


 すると男は、すっかり別人のような精悍な顔でリアンノンに言った。


「あんたが依頼主かい? まさか女だとは思わなかったぜ。ようこそ、ヴァルテール・モーデルさんよ」

「ヴァルテールで結構よ。ところでガリル船長、ちゃんと準備はできているかしら?」


 リアンノンが訊くと、ガリルは日焼けした顔をほころばして答えた。


「おお、俺たち50人、いつでも出帆できるぜ」

「それは結構。では、14日正午までにシェリルの7番埠頭に来てくれるかしら? 詳細な作戦はその時お話しするわ。もし、正午までに『シール』号が係留していなかったら、契約はなしよ」


 リアンノンの言葉に、ガリルは腕を撫して笑って言う。


「はっはっ、お嬢さんは手厳しいな。俺たち『海の紳士』は、約束は違えないぜ」

「私もよ。首尾よく作戦が成功したら、船長には1タラントン、一等航海士には半タラントン、以下船員には一人当たり100デナリ……」


 リアンノンはガリルを見つめながら、ポケットから金貨を取り出してガリルに手渡して言う。


「前金である半金2タラント半よ。残りの2タラント半は事が終わったら支払うわ」

「おいおい、俺も一応『海の紳士』だ。損はさせたくないから言っとくが、それじゃ5タラントンになっちまうぜ? 半タラントン多い」


 ガリルが言うと、リアンノンは目を細めて、


「ふふ、正直なのはいいことよ。あなたは見どころがあるわ。半タラントンは私からのお近づきのしるしよ。あなたが好きに遣っていいわ」


 そう言うと、ガリルは思わずうなりながら言った。


「えっ……俺も長いこと『海の紳士』をやっているが、ヴァルテールさんみたいな顧客は初めてだよ。分かった、期待にお応えするよ」


「……これで準備は整ったわ」


 リアンノンは『シール』号からの帰り道、ローズマリーとミントにそう言って笑った。


   ★ ★ ★ ★ ★


 王国暦1560年花萌える月15日、遂にその時が来た。

 リアンノンたちは、0点(午後6時)を期して作戦行動に入り、ほぼ2時間でシェリルを掌握した。


 リアンノンから事前に指示を受けていたモーデルは、志を同じくするアクアロイド100名を引き連れ、クリムゾンの案内のもとに『義勇軍』官舎を急襲した。官舎には200名の隊員がいたが、


「われわれはファルケンハインの秕政ひせいただす者だ! 手向かいしなければ何もしない」


 クリムゾンとモーデルの言葉に、全員が戦闘もせずに武器を放棄した。


 交易会館は、町の商人たちを束ねる中核となる施設であり、ここで各地の情報や道中の宿の手配、用心棒のあっせんなどを行っている。

 そこを襲ったのが、ニールセンたちを中心とする人間の部隊100人だった。


「商人たちに緊急会報を出せ。関税は以前のように戻すとな。詳しくは後刻、代表執政から布告が出ると伝えよ」


 ニールセンはテトラと共に会館の職員にそう伝えると、すぐに兵を退いて町の庁舎へと向かった。


 そして庁舎は、リアンノンがローズマリー、ミントと共にガリル傭兵隊を率いて制圧した……と言っても大きな戦闘はなかった。月の中日には0点から11人の執政が月次報告のために集まる。そのことを知っていたリアンノンは、あっという間に庁舎を封鎖し、職員たちを外に逃がすと、ファビウスやファルケンハインをはじめ執政官たちを捕らえたのだ。


「バイエルライン殿たちの仇を討ちましょう!」


 クリムゾンたちがそう叫ぶ中、リアンノンは冷たい瞳でファルケンハインたちを見つめながら言った。


「同じアクアロイドの血は流しません。この者たちはシェリルを永久追放とします」


 こうして、リアンノンはシェリルの実権を握った。20歳の春だった。



 実権は握ったが、リアンノンはモーデルを代表執政、ニールセンを首席執政とし、自身は次席執政で甘んじた。

 以下は、第3位ベンボウ、第4位クリムゾン、第5位アンソン、第6位ミント、第7位ハウ、第8位ローズマリー、第9位ホーク、第10位テトラ、第11位キースと、アクアロイドと人間が互い違いに順位を占めていた。


 リアンノンが代表執政や首席執政にならなかったのには、いくつかの理由がある。もちろんモーデルやニールセンは、リアンノンこそシェリルを統率するに相応しいと考え、代表執政の座に就くことを再三勧めたが、


「私は運命の悪戯により『レズバンシャールの悲劇』で現国王に滅ぼされたシール・フォルクスの娘です。シェリルの代表の座に就けば、国王からこの町が睨まれないとも限りません。それは不幸なことですし、私の本意ではありません。それに、モーデル殿やニールセン殿は私より人生経験が長いので、大事の際の決断を誤らないと思います」


 そう固辞した経緯がある。

 ともあれ、新しいシェリルの体制は、順調に滑りだした。


   ★ ★ ★ ★ ★


 それから4年、リアンノンたちは順調にシェリルの町を発展させていた。


「この町は、さまざまな種族が平等に暮らす町であることを誇りにすべきです」


 リアンノンは、執政官就任時に町のみんなに向けて語ったとおり、さまざまな種族の調和を主眼に、町を運営してきた。

 既得権益化していた税の優遇については、若干の反対はあったものの、


「全員が公平に負担し、その利益も公平に享受すべきです」


 リアンノンは粘り強くアクアロイドたちを説得するとともに、


「穀物の件でみんなも分かったと思います。我がアクアロイドには穀物を育てるものが非常に少なく、それはほぼ人間の農民によって賄われています。我がアクアロイドは、いえ、すべての種族は種族間の協力があってこそ生きていけるのです」


 と、直近の例を引き合いに出し、実際に商人の種族による関税を撤廃して食料の輸入を円滑にし、特に穀物の値段を安定させたことで大方の賛成を取り付けたのだ。


 このような運営だったので4年後の執政改選は至極円滑に推移し、ニールセンが船会社を運営するために執政職を辞した以外は、ほぼ全員が執政を継承した。

 リアンノンは首席執政となり、以下の執政職は全員が繰り上がって、第11位の執政には若手のアクアロイド、タボールが就任した。



 リアンノンがシェリルにやって来て15年、執政職に就いてから5年が過ぎた。

 その頃、リアンノンはガイの消息がつかめており、一安心といったところだった。ガイは自分を裏切った楊亮を始末し、色々あって今はロムルス帝国にいることをガイ自身の手紙で知ることができたのである。


「幼くして私のもとを離れてすでに10年、ガイもいろいろと苦労したでしょうね」


 ガイからは再び仕送りがされるようになっていた。その額が半端ではなかったため、聡いリアンノンはガイがロムルス帝国でどのような暮らしをしているかがほぼ推察できた。


(あの子は強さへの憧れがあった。父上と母上の恨みも忘れていないはず。とすればあの子は今後も血塗られた人生を歩むのでしょうね)


 リアンノンは幾度か自分の境遇を知らせ、執政職を手伝ってほしいと手紙で懇願したが、ガイの答えはいつも


『私にはまだ強さが足りません。自分の納得する強さを手に入れたら、姉上のもとに戻ります』


 だった。


「仇は討てる時に討てばいい。今はアクアロイドとして同胞の生活を守っていくことが私の使命だし、それによってザッハークを見返してやればいい」


 リアンノンはガイの手紙を読んで西の空を見上げ、ため息とともにつぶやいた。



 ここまでリアンノンは、いくつかの危機こそあったもののそれをうまく切り抜けてきたし、自身で剣を揮って敵を倒すような場面にはあまり遭遇しなかった。

 執政職に就いた当初こそ、ファルケンハインが送り込んだ刺客に襲われることが何度かあったものの、『流体化』というアクアロイドの奥義によって絶体絶命の危機までは追い込まれなかったのだ。


 けれど、そんなリアンノンに生涯最初の大きな危難が迫って来た。


「シェリルは俺たちのものだ」


 シェリルの町を掌握する妄念に取り憑かれたファルケンハインは、永久追放という処罰を受けて、すぐに王都イスファハーンへと逃げた。そこには以前、彼が追放したヒンデンブルグとルーデンドルフの二人が亡命していたのだ。


 ファルケンハインは厚顔無恥にもヒンデンブルグを訪ね、シェリルがリアンノンはじめ若輩者たちの手に落ちたことを告げた。


「人生経験が少ない奴らが権力を握ると、とんでもないことをしでかす恐れがあります。奴らはもともとヒンデンブルグ閣下の下で育った者たち、閣下を呼び返して執政職を任せるのが筋ではないですか? それをしないのは奴らが恩知らずで、権力の魔物に取り憑かれたからです。今、閣下が立たれないと、シェリルは混乱のうちに滅ぶでしょう」


 ファルケンハインは自分のことは棚に上げてそうルーデンドルフに話を持ち掛けたが、


「まあ待て、私が執政職にあった時ですら、彼らは自制的な動きをしていた。歳を取っても経験から学ばぬ者もいるし、他人の経験を自分の糧とする者もいる。シェリルがどう変わるか見てみようではないか。雲行きが怪しくなったら戻ればいいだけのことだ」


 鋭敏な頭脳を持つルーデンドルフは、そう言って取り合わなかった。一つはルーデンドルフがティラノスに気に入られ、ザッハーク朝で政策顧問の一人に加えられていたこともあるだろう。


 しかし諦めの悪いファルケンハインは、今度は直接ヒンデンブルグを訪ねた。本当は懐刀であるルーデンドルフを説得したのちに、ルーデンドルフから蹶起を持ち掛けてもらう予定であったが、


(ルーデンドルフはだめだ。現状に不満を持つ者でないと、私の味方にはなってくれない)


 そう考えて、官職にありつけていないヒンデンブルグに望みをかけたのだ。


「分かった、そなたの言うとおりだ。わしもシェリルの町の現状には不安を持っておった。ことが成った後にわしが代表執政となることと、首席執政以外の執政官たちをわしが任命していいのであれば、わしはそなたの力になろう」


 老いて気が短くなったヒンデンブルグは、そう言ってファルケンハインとの共闘に賛成した。ただ、執政官の任命権を手元に留めたのは、さすがに老獪な政治家ではある。


(まあいい、首席執政になったら執政官たちを一人一人取り込んで行けばいいだけの話だ)


 ファルケンハインは心の中でそう思い、ヒンデンブルグを奉ることに決めた。



 ファルケンハインはさらに大事を取った。シェリルの町は名目上ファールス王国の領土である。その実権を握る軍を興せば反乱と受け取られる恐れがある。


 そのため、ザッハーク朝に食い込んでいるルーデンドルフから、彼らの挙兵の目的と大義を説いてもらうことにしたのである。


 ルーデンドルフは、


「ヒンデンブルグ殿にも困ったものだ。しかし、誇り高い彼のこと、無位無官のまま生涯を終えるのは耐え難いのだろう。老い先短い彼が最後に一花咲かせたいと言うのなら、私も力を貸さねばなるまい」


 そう言って、ティラノスにヒンデンブルグの行動を説明した。


 ティラノスはザッハークの右腕であり、政策参与を務めてファールス王国の政治的な動きを一手に引き受けているある意味傑物である。ヒンデンブルグとファルケンハインの意図は正確に見抜いていた。しかし、


(シェリルと言う大きな町を、実質的な面でも王国の支配下に組み込むチャンスだ。ファルケンハインたちを陰から支援すれば、国民から指弾されることもなく、その後は貿易都市として栄えているシェリルから結構な額の税が取れる)


 そう、実際的な思考からルーデンドルフの説明を聞いていた。


「ティラノス殿はヒンデンブルグ殿の行動を黙認されるおつもりのようだ」


 ファルケンハインは、ルーデンドルフから待ちに待った知らせを受けると、颯爽とヒンデンブルグ宅を訪れて懇願した。


「閣下、挙兵の準備ができました。王国は我らと共にあり、シェリルの若者たちを詰問しに参りましょう」



 その頃、リアンノンのもとに一通の手紙が届いた。


「差出人はデューン・ファランドール様? デューン様は15年前のあの日に前国王陛下と共に討ち死にしたんじゃなかったかしら?」


 リアンノンは、そういぶかしく思いながら手紙を開いた。そこにはデューン独特の文字で大変なことが認められていた。


「……前国王陛下の遺児がいらっしゃるなんて……その姫こそこの国の正統な後継者じゃない。姫をお助けして国民の信頼も篤い“東方の藩屏”トルクスタン候サーム様のもとにお届けすれば、私やガイの宿願であるザッハークへの敵討ちにもなる……これも運命の悪戯かしら?」


 リアンノンはそうつぶやくと、すぐさま差出地であるバンダ・アッバースに向かうこととした。これほどの内容の手紙である。デューンは自分の返事が届くまで差出地を動かないと踏んだのだ。


 リアンノンは、快速の通報艦『リヒト』と『エコー』でバンダ・アッバースに向かった。

 わざわざ2隻の通報艦で出発した理由は、海峡司令部への言い訳のためだった。

 バンダ・アッバースにはファールス王国の軍港があるが、リアンノンは


「遠洋航海訓練中に物資が不足したため補給したい」


 とバンダ・アッバース海峡司令部に通告し、寄港の許可を得たうえで2日後には泊地に入った。


「私は機密の要件があります。艦長は物資の積み込みを監督し、ここの司令部の相手は司令官に任せます」


 リアンノンはそう言うと、バンダ・アッバースから少し離れた村へと足を運んだ。


「……この辺りね」


 30分ほど歩いたリアンノンは、手紙に添えられていた地図を見てつぶやく。その時、


「お待ちしていました。レズバンシャールの姫よ」


 そう、不意に後ろから声をかけられた。


「!?」


 びっくりして振り返ったリアンノンの目に、亜麻色の髪に碧眼を輝かせた精悍な中年の男の姿が映った。


「……デューン・ファランドール様ですね?」


 リアンノンが訊くと、男はうなずいて、手に持った長大な穂先を持つ槍を示した。ファールス王国の『王の牙』筆頭としてその名も高かった男のトレード・マーク、『死の槍』だった。


「手紙は拝見しました。姫様のご訪問をお待ちしています。拝察するにデューン様を現国王はまだ狙っているようですね?」


 リアンノンがそう言うと、デューンはただうなずいて、


「ありがたいお言葉です。1週間後にシェリルに伺います」


 そう言うとニコリと笑い、踵を返して足早に林の中に消えて行った。

 リアンノンはその後ろ姿を見送りながら、背筋に寒気を覚えていた。


(私に気配を気付かせなかったことといい、話をしている最中でも周囲の状況に気を配っていたことといい、恐るべき戦士だわ。さすがは『王の牙』筆頭……)


 感嘆したリアンノンだったが、次の瞬間には姫をシェリルに受け入れた後のことに考えを巡らし始めた。



「ああ、リアンノン様、やっとお戻りになられました」


 リアンノンがシェリルに戻ると、その雰囲気が一変していた。いつもの陽気で活力あふれる港町らしさが消え、みな重苦しい表情であった。


「何があったの? 執政第11位」


 リアンノンが出迎えたタボールに訊くと、


「まず、これをご覧ください」


 と、一枚の紙を手渡してきた。


「これは! ヒンデンブルグ殿は血迷われたのですか?」


 ざっと内容に目を通したリアンノンは、顔色を変えてそう言う。その紙はヒンデンブルグの名でシェリルの現執政官たちを告発する内容で、


『執政官たちが現職を退かないのであれば、武力を行使する』


 と結ばれていたのである。


「……そうとしか思えません。それに現執政の全員辞職、ご自身の代表執政とファルケンハインの首席執政就任、アクアロイドの優遇など、どれもこれも受け入れがたい条件ものばかりです。けれどヒンデンブルグ殿はファルケンハインと共にすでに2万もの兵でこちらに向かっています。どうしたらいいでしょう?」


 そう言うタボールに、リアンノンは眉をひそめて訊く。


「この件に関して、市民たちの反応はどう? アクアロイド優遇派はまだ一定数残っているから、扇動する者も出てこないとも限らないわ」


 それに対してタボールは、笑顔で答えた。


「政策的にファルケンハインが失敗したことばかりですから、まともに受け取っている市民は少ないです。アクアロイド優遇派については、監視の兵をつけています」


 それを聞いて、リアンノンは少し考えた後、決然とした表情で言った。


「アクアロイドの血を流すことは不本意だけれど、今度という今度は甘い処置では済まないわ。出陣します!」

「しかし、こちらには兵はひっかき集めても5千ほどしかいませんが」


 タボールの言葉に、リアンノンは笑って答えた。


「あちらさんの2万人、全員がファルケンハインの同志だと思う? おそらくザッハーク朝に食い込んでいるルーデンドルフの力で王国から借り受けた兵だと思うわ」

「だったら余計に手向かいをしない方がいいと思いますが」

「うん、それはそのとおりよ。だから私はあくまでヒンデンブルグ殿とファルケンハインの首を貰うだけ。分かったら執政官たちに会議を開くと伝えて」



「ティラノス殿、まさか陛下の政策参与ご自身のご協力をいただけるとは思っておりませんでした」


 シェリルまであと2日と迫ったファールス王国の軍団は、昼食のために丘の上で行軍を停止していた。

 その2万の軍の中で、ヒンデンブルグが豪快に笑っていた。ティラノスは鋭い目でその様子を冷たく見ていたが、


「いえ、シェリルは陛下のためにぜひとも完全に掌握すべき都市の一つですからね。私はあなたが代表執政になられるのも、ファルケンハイン殿が首席執政になられるのも構いませんが、協力の代償として執政職は私の指名した人物を任命いただきたいものですな。そうすれば私とあなたの協力関係は長続きするはずですから」


 そう言って薄く笑う。

 ヒンデンブルグとしては、ここまで協力してもらっている手前もあったし、むしろ執政官たちがファルケンハイン派に取り込まれるよりはましだと考えたのだろう、うなずいて笑った。


「それはもちろんです。シェリルに入ったらすぐにお知らせください。決してティラノス殿を失望させはしませんので」


 ヒンデンブルグがそう言った時、帷幕の士官が慌てて飛び込んできてティラノスに告げた。


「し、執政参与殿、シェリルの軍が前面に布陣しました」


 それを聞いて、ヒンデンブルグは青くなったが、ティラノスはフンと鼻を鳴らして言う。


「ヒンデンブルグ殿、そなたの言うとおりシェリルの若者たちは少しばかり王威を知らぬようですな」


 そして立ち上がると、ヒンデンブルグを冷たい目で一瞥して言った。


「さあ、若者たちに説教してあげましょう。前線に出ますよ?」



「さて、久しぶりにヒンデンブルグとファルケンハインの顔を拝まないといけないわね」


 シェリル軍の前面では、主将のリアンノンがクリムゾン、ミント、ローズマリー、テトラの諸将と共にファールス王国の軍を眺めていた。


「……どうやってあれだけの軍を攻撃しないで撤退させるつもりですか?」


 事ここに至っても、ローズマリーとテトラが心配顔で訊く。リアンノンはただ笑って、目の端で敵陣の前面に3名の将が出てくるのをとらえると言った。


「さ、敵将のお出ましよ」


 5人が敵陣を見ると、憎きファルケンハインが、一度は自分たちを認めてくれたヒンデンブルグと駒を並べていた。


「……なんか、複雑だな」


 クリムゾンが言うと、リアンノンは声を励ました。


「敵は敵よ。そんな風に感じることこそ、相手の思う壺にはまっているってことよ。ただの運命の悪戯、そう思いなさい」


 それより、リアンノンが衝撃を受けたのは、敵将がティラノスであることだった。


(政策参与自らが出てきたということは、シェリルを完全に王国の領地としたいということだわ)


 そう相手の狙いを見抜いたリアンノンは、双方の将が戦の大義を説き合うやり取りを無視する決意をした。ティラノスにしゃべられたら、この戦いは『ファールス王国対シェリルの戦い』になってしまう、それは避けたかったのだ。


海神ネプトレよ、あなたの眷属たるアクアロイドの血を流すことを許したまえ。もし許されざる行為だとしたら、それはひとえに我の徳が足りぬ故、いかようにも罰したまえ」


 リアンノンは、それまでの清楚で知的な女性の姿を捨て、たくましく精悍な男性へと姿を変えた。リアンノンが男性形態を取るのは初めてである。諸将も敵も、その変貌に目を奪われ、ティラノスですら言葉を飲み込んでしまった。


 リアンノンはその隙を見逃さなかった。


「はあっ!」

 ズバン、ドムッ!

「げっ」「むむう」


 リアンノンは一瞬で敵の陣前まで跳躍し、ヒンデンブルグとファルケンハインをただ一息に斬って捨てた。

 そして目の前にいるティラノスに、


「シェリルの平和を乱す不埒者は確かに成敗させていただいた。罪人の護送をしていただいたことはお礼申し上げる」


 そう言うと、踵を返してゆうゆうと自陣へと歩き始めた。


(いかん、このままではあのアクアロイドの術中にはまる。わざわざ第1軍団を引き出してきた甲斐がなくなる)


 焦ったティラノスがリアンノンに対する攻撃命令を下そうとした時、


『その者に手を出してみよ、王国はわが怒りを買うであろう!』


 そう、辺りに轟くような声がして、空中に全長200メートルはあるかという白いドラゴンが現れた。


「な……海神ネプトレの眷属リヴァイアサンか……」


 ティラノスはそうつぶやくと、言葉を飲み込んだ。それを見て、リヴァイアサンは満足そうにうなずくと


『この若者たちは我が眷属を繁栄させるために生まれた者たち。特にリアンノンは海神ネプトレ様に愛されし存在。王国の民よ、海神の眷属たちに手を出すな。さすれば海神は王国に常と変わらぬ恵みを垂れるであろう』

「……退けっ」


 リヴァイアサンの言葉を、虚空を睨みながら聞いていたティラノスは、ただ一言そう言うと踵を返した。


「……海神よ、私は決してその命に違わず、同胞たちを守り抜き、種族の繁栄を確固たるものにします」


 リアンノンがリヴァイアサンに言うと、リヴァイアサンはうなずいて


『そうしてくれ。そしてそなたの危機の時は、いつでも私を呼び出すがいい。これがその契約の証だ』


 そう言うと、虚空から三又の矛を取り出し、リアンノンの手に握らせた。


「これは……『トライデント』……」


 リアンノンがつぶやくと、リヴァイアサンはそこにいるアクアロイド全員を祝福した。


『私は祝福する、そなたら海神の眷属がよき指導者を得たことを。みな心を一つに力を合わせ、海神の御稜威みいつを天下に広めよ。御稜威とは慈愛である』


   ★ ★ ★ ★ ★


 リアンノン・フォルクスはその後10年余にわたりアクアロイドの町シェリルを善導し、そしてホルンに協力して蹶起した。


 その活躍と死は、別の物語で語られている。


(サイドストーリー・運命の悪戯 完)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

彼女は最初の設定には存在しなかったキャラクターです。

しかし、本作の続編を設定する中で「ホルンを助ける役割としてガイが必要だな」ということになり、急遽『蒼龍』として登場させました。

当初はガイとティムールが終末竜アンティマトルに倒される予定でしたので、彼女は本作の行方を大きく変えたキャラクターの一人です。

次回は、『追憶の道標』として、103歳となったガイにホルンたちのその後を語ってもらう予定です。お楽しみに。

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