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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
65/70

サイドストーリー・豊穣の記憶

オリザ・サティヴァ。

ザールの異母妹にして神の魔法『オール・ヒール』の使い手。

今回は彼女の幼い時の話です。

「陛下、今年のイネは小麦に劣らず豊作のようじゃのう」


 ファールス王国の王国暦1578年秋、国王であるシャー・ザール2世は、録尚書事ろくしょうしょじであるロザリアと共に穀倉地帯を巡察していた。


 この巡察は国の最大の行事として執り行われ、国王をはじめ重臣はそれぞれのルートを1週間ほどかけて巡察する。


 今年初めて国王として巡察に出ることになったザールは、


「キミは最も肥沃なバビロン地域を見回ると良い。あそこなら何か起きても第二の首都たるバビロンですぐに手を打てるし、バビロン地域にはオリザ・サティヴァが一番多く植えられているからね。ロザリアに一緒してもらうから、そのつもりでいてくれたまえ」


 大宰相たるジュチからそう言われて、ザールはイスファハーンから『蒼の海』のほとりを巡り、アッシリア地方の小麦もついでに巡察してバビロンに到着したのである。


 ちなみに大将軍であるリディアはトルクスタン侯国方面へ、驃騎ひょうき将軍たるガイは故郷が近いトリスタン侯国方面へ、大司馬(参謀総長と思ってください)のイリオン・マムルークはダマ・シスカス方面へと出張していた。


 ジュチは王都でお留守番だった。誰かがいないと国の運営が滞るし、彼なら『転移魔法陣』でザールがどこにいても瞬時に合流できるからだ。


「陛下? どこか気分でも悪いのか?」


 黙ったままでいるザールを心配してロザリアが訊くが、ザールはそれにも反応を示さない。


(去年の今頃は、ホルンと共にオリザの実りを巡察したものだった……ホルンもオリザも、どうして僕の側からいなくなったんだ……)


 ザッハークからホルンと共に王権を奪還して2年、昨年は女王ホルンとともに相国として巡察をしたザールは、運命の変転についていけない気がしていた。


「あ? 何か言ったか、ロザリア」


 上の空で聞いていたザールは、ロザリアが急に毒々しい紫色の『魔力の揺らぎ』を発動したので、慌ててそう訊いた。ここは狭い馬車の中である。ロザリアの決して中和できない毒を含んだ瘴気を一瞬でも吸い込んだら人生アウトだ。


「何か言ったか? ではないぞ陛下。何をぼーっとされておられるのじゃ? 私だからよいが、これが出迎えの市民だったら、彼らは陛下の機嫌を損ねたかと青くなるところじゃ。何せ陛下は終末竜アンティマトルを倒した英雄じゃからの」


 ロザリアは紫色の『魔力の揺らぎ』をおさめると、呆れたようにそう言う。


「それはすまなかった。けれどロザリア、こんな狭い所で瘴気のごちそうは勘弁してくれ」


 ザールがそう言うと、ロザリアはぺろりと舌を出して笑う。


「そうでもせぬと、どれだけ私が話しかけても上の空じゃったからな。何、心配するな。まさか国王を中毒死させるわけにもいかんから、普通の『魔力の揺らぎ』に紫を着色しただけじゃ。害はないぞ?」


 それを聞いて、がっくりと肩を落としたザールに、ロザリアは紫紺の瞳を細めて訊く。


「陛下、陛下が何を考えていたか当てて見せようか? 陛下はホルン様のことを考えておったじゃろう?」


 その声に多少の嫉妬が入っていることを敏感に感じ取ったザールは、ニコリと笑って答えた。


「そうだな、それもある。けれど、僕はオリザのことを考えていたんだ。オリザは今年も、国民にたくさんの食べ物を与えてくれたなって」


 これは嘘ではない。嘘ではないからザールの言葉はロザリアの心に響いた。


「そうじゃったのう。オリザは私にとって油断のならぬ恋敵ライバルじゃったが、なかなかあのような人材もいなかったのう」


 ロザリアも、窓の外に揺れる稲穂を眺めながら、しみじみとした声で言った。


     ★ ★ ★ ★ ★


 オリザ・サティヴァは、ザールの異母妹として産まれた。

 ザールの父サーム・ジュエルには、ドラゴニュート氏族からめとったアンジェリカという正妻がいた。このアンジェリカは、サームの兄王であるロームの妃・ウンディーネの妹である。

 だから、ホルンとザールは従姉弟いとこということになる。


 閑話休題それはさておき、アンジェリカにはエルザ・サティヴァという侍女がいた。エルザは才気煥発で気が利くことから、アンジェリカを助けるためにドラゴニュート氏族の長アムールが指名して付き従わせたものである。


 ところが、エルザは才気に優れていたばかりでなく、野心家でもあった。

 彼女は、たまたまサームの手が付いたことを幸いに、アンジェリカを正妻の座から追い落そうと考え始めた。


 考えるだけならよかったが、彼女はジュガシビリという僧侶崩れの祈祷師に、アンジェリカを呪詛させ、子どもが産めない身体としてしまった。


 そしてサームの寵愛を受けたエルザは、見事に女児をもうけた。ザールが6歳のころである。このころザールは『ドラゴンの血の覚醒』を心配されて、ドラゴニュート氏族の里に預けられていたことは、『サイドストーリー・緋色の純情』でも述べたところである(宣伝乙)。


 女児は『オリザ・サティヴァ』と名付けられ、サームも目に入れても痛くないほどに可愛がった。

 ここで、エルザは


(我が子オリザに侯国を継がせたい)


 ……と考えるようになった。トルクスタン侯国に限らずファールス王国とその藩屏国では、女児にも家督相続権があったのである。

 となると、邪魔なのはオリザより6歳年上のザールである。


(ザールをドラゴニュート氏族の里に遠ざけていたのは幸いだったわね)


 エルザはそう思って、重臣たちにザールの欠点をあることないこと吹き込み始めた。

 ザールはこのころ、『魔力の揺らぎ』の影響によって凶暴化することもあり、そのことはドラゴニュート氏族の里からも伝えられていた。それがザールへの重臣たちの心配となって表れるのに、たいして時間はかからなかった。


「ザール様はサーム様の後継ぎとして相応しくないかもしれない」


 一時は重臣筆頭たるボオルチュまで、そう考えていたらしい。重臣たちもエルザの意を受けてザール排斥に動き出した。


 ここで重臣たちのうち、比較的性格が温厚で、


「最も未来を見通している」


 とサームからの信頼も篤いポロクルが、


「それはいけません。御屋形サーム様はドラゴニュート氏族の里とのつながりを絶つおつもりですか。魔力が安定すれば、御曹司はトルクスタン侯国のみならずファールス王国を背負って立つお方になられるはずです」


 と口を酸っぱくして説かなければ、ザールは嫡子を外されていたかもしれない。


「とにかく、ザッハーク朝はこのトルクスタン侯国を目の上の瘤としています。ここで内部に軋轢あつれきを生むことは、敵に乗ぜられるもととなります」


 ポロクルのその言葉に、サームはザール廃嫡を思い止まった。



 そんな周りの大人たちの思惑とは関係なく、オリザは城内ですくすくと育っていった。母親譲りの金髪は陽の光を浴びてキラキラと輝き、ペールブルーの瞳もくりくりとして、彼女を見たものは誰もが


「なんて可愛らしい姫様でしょう」

「お人形さんのようだわ」


 と感嘆の声を上げた。


 オリザは見た目だけではなく、心も優しい少女として育っていった。


 オリザはお付きの侍女たちでは特にソル・モーレタニアに懐き、そして最も信頼していたようで、どこに行くにもソルを同行したがった。


「オリザ、そなたはゆくゆくはこの国を治める地位に就く者、人の好き嫌いをしてはいけませんよ」


 エルザがそう言っても、オリザはソルべったりを改めなかったが、ある日ソルが哀しそうな顔をして


「姫様、姫様が私を信頼し、何かにつけて『ソル、ソル』と言ってくださるのはとてもうれしいのですが、他の侍女も姫様のことが大好きです。どうか、私にしてくださるように、他の侍女にもお声をかけていただければ、私も嬉しいです」


 そう言った時、ハッと悟ったように


「そうだったのね。分かったわ、ソルが言うならそうする」


 そう笑って言って、侍女たちにも


「ごめんなさいね、みんな。ワタシ悪い子だったわ。みんなのことが嫌いだったわけじゃなくて、ソルってお母さんみたいだったから甘えちゃったの。これからはみんなにも、いろいろおねだりするわ」


 そう言ったそうだった。



 そんな彼女の『魔力の揺らぎ』が発現したのは、彼女が5歳の時だったことは、本編(22 修羅の予感)で述べたところだが、それ以来彼女はソルや侍女たちを連れてお城を抜け出しては、死にかけている犬猫などを癒したり、時には病人まで癒したりして、


「サーム様のもとには幼き聖女がいらっしゃる」


 と、一時国中で噂になったことがあった。

 しかし、ソルはオリザの魔法を見て、


(これは、古の神話に伝わる『オール・ヒール』ではないか?)


 との疑問を抱き、オリザが『魔力の揺らぎ』を発現した時に居合わせた『ホルン』と名乗る女性のことを思い出し、


(オリザ様は、女神ホルン様から魔力を頂かれたに違いない)


 そう確信した。


「姫様、姫様は今後、あまり城下においでにならない方が良いかと思います」


 ある日、ソルは思い切ったようにオリザにそう切り出した。


「どうして? みんなワタシの魔法を待っているのよ?」


 オリザが不服そうに言うと、ソルは微笑んで諭すように


「それは分かります。姫様の魔法は人々を癒し浄化するとても優しい魔法です。けれど、それを悪用しようとする悪い人がいるかもしれません」


 そう言うと、オリザは青い目を見開いて訊く。


「悪用?」

「はい、姫様の魔法は、誰もが使える魔法というものではございません。恐らく女神ホルン様から頂かれた『神の魔法』です。ですから、これ以上噂が広まると、姫様が危ない目に遭われるかもしれないと心配しているのです」


 ソルの言葉を黙って聞いていたオリザは、ややあって顔を上げ、にっこりとして答えた。


「あの綺麗なお姉さんが女神ホルン様だったなら、ワタシは女神様から『みんなを癒せ』と言われたことになるわ。だから、悪い人がいたら守ってね?」


 ソルは、それを聞いてオリザを説得することを諦めた。その代わり、できる限りオリザを城の外に出さないよう手を尽くすこととし、外出時には必ず気が利いて腕が立つ者を同伴させることにした。



 ソルの心配は、ひょんなことから解消した。オリザが6歳の時、ザールがドラゴニュート氏族の里からサマルカンドに帰還したのである。


「ねえ、ソル。ワタシにお兄さまがいたこと知ってた?」


 ソルはオリザからそう訊かれて、ニコリとして答えた。


「はい。ザール様は事情があってずっとお妃さまのお里に預けられていたのですが、この城に戻って見えられるようですね」

「お兄さまって、どんな人?」


 オリザの問いに、ソルは首をかしげた。彼女自身、この城に勤め始めたのはザールがドラゴニュート氏族の里に預けられた後だったからだ。


「……さあ、私もザール様とは直接お会いしたことはございませんが、知っている方の言葉によると、頭髪は白く、目は赤いそうです」

「なにそれ、アンゴラウサギみたいね? お兄さまって、可愛い方なのかしら?」


 笑いこけるオリザに、ソルは優しく諭した。


「とにかく、姫様のお兄さまですから、余り失礼がないようにしてくださいね?」


 ソルのその注意は、まったくの杞憂であった。


     ★ ★ ★ ★ ★


「ザール、久しぶりだな。見違えるほどだ」


 サームはそう言って、威風堂々と言った感じで広間に入って来たザールにそう言った。7年ぶりに会うザールは、すっかり少年らしく成長し、一挙手一投足に『王者の雰囲気』をまとわせていた。


 アンジェリカは、息子の成長に目を潤ませているし、ボオルチュをはじめとした重臣たちも、落ち着いて老成した雰囲気を醸し出しているザールに、


御曹司(ザール様)はすっかり変わられたようだ。これなら御屋形サーム様の後継ぎに相応しいかもしれぬ)


 と、それまでの評価を改めるような表情でザールに接していた。


 エルザでさえ、


(栴檀は双葉より芳しと言うが、これは、まさに英雄だわ)


 と思ったほどだ。


 エルザがそうだったら、オリザはさらに輪をかけてザールの魅力に惹かれたのは言うまでもない。


(こ、こ、これが……これがお兄さま? ヤダなにカッコいい)


 オリザはザールを一目見て恋に落ちた。


「ザール、そなたの妹のオリザだ」


 サームが少し後ろめたそうにオリザを紹介する。ザールの緋色の瞳がオリザを見た瞬間、オリザは顔を真っ赤にして慌てた。これほどの直視を受けたことがなかったし、何より相手がオリザの好みに()ストライク過ぎたのだ。


 だからザールがオリザの許に近づき、


「オリザ、僕が君の兄、ザールだ。仲よくしような」


 そう言ってくれた時、オリザはただうなずくしかできなかった。



「はあ……」


 オリザは部屋の窓近くに座り、外を眺めてため息をついた。

 そのため息を聞いて、ソルが声をかけた。


「どうなさいましたか姫様? お具合でも悪いのですか?」


 けれどオリザはただ首を振って笑う。


「なんでもなーい」


 そしてオリザは鏡を覗き込み、自分の様子に満足したのか頷いて、


「ソル、ちょっと中庭に出てみない?」


 そう言うと、ソルの返事も待たずに部屋の外へと歩き出す。


「あっ、姫様、ちょっとお待ちを」


 ソルは窓から中庭を眺め、合点したように笑うと、オリザを追いかけた。


 ザールが城府に戻って以来、オリザの外出がめっきり減った。その代わり、用もないのに城内をうろつくことが多くなっていた。

 最初は訝しがったソルだが、オリザの出没先にいる人物に気が付くと、


(そういうことだったのね。姫様も可愛らしいこと)


 と、笑いを禁じえなかった。


 中庭では、ザールがジェルメを相手に剣を稽古していた。


(凄い、お兄さまカッコいい)


 オリザの熱い視線の先では、わずか13歳のザールが剣士として最も脂の乗り切った20代中盤のジェルメを相手に一歩も退かずに斬り合っていた。


「やっ、はっ、とっ」


 ジェルメが裂帛の気合と共に剣を振れば、


「やっ、えいっ、たあっ」


 ザールもそれに負けじとジェルメの剣を弾く。もちろん真剣ではないが、いわゆる『刃引き』であり、まともに身体に当たればただのケガでは済まない。

 けれど、そんな危険とは裏腹に、二人は金属音を響かせながら切り結んでいる。その音律は、いっそ心地よくオリザの耳朶を打った。


「それまでっ!」


 いつまでも勝負がつかないと見たか、審判をしていたらしいムカリがそう両手を挙げて叫んだ。二人は剣を引いて互いに礼をし、引きさがる。


「ドラゴニュート氏族の里で活躍されたとのお噂は聞いていましたが、噂以上ですな」


 ジェルメがそう言って流れる汗を拭くと、ザールも笑って言った。


「いや、ジェルメこそ若手一番の成長株だと聞いていたが、そのとおりだったな。僕はそなたの剣を弾くだけで精いっぱいだった」


 二人の剣士は笑いながら何かを話している。オリザにとってそれはまぶしすぎる光景で、とても近くには寄れなかった。


 そんな彼女の気持ちが判ったのか、ソルがザールに声をかけた。


「ザール様、お見事でございました」


 その声にザールは振り向くと、オリザを見つけて笑いながら近づいてきた。


「ありがとう。オリザも見学してくれていたのかい?」

「は、はい。お兄さまステキです」


 オリザはトチくるって、言わないでいいことまで言ってしまい大赤面する。


「はわわわわ、い、今のはナシにしてください」


 慌てるオリザが可笑しかったのか、ザールはくすっと笑って言った。


「ありがとう、オリザからもっと応援してもらえるように頑張るよ」


 そう言うと、ザールはオリザの頭をくりっと撫でて、再びジェルメの許に歩いて行った。


「……ソル、ワタシ、今日髪を洗わなくていいかしら?」


 オリザの言葉に、ソルは笑って言った。


「それは困ります。綺麗にしておけば、お兄さまもお喜びですよ」



 オリザは、だんだんとザールの性格に慣れて来た。

 ザールは、基本的に優しく、誰とでも分け隔てなく話すことができる性格だった。そして相手の性格に合わせて自分の行動を変えることも得意としていた。


 オリザが少し引っ込み思案な性格だと見抜いたザールは、オリザから話しかけるようなシチュエーションを増やしていった。

 その度にソルが、


「さあ、今ならザール様に話しかけても大丈夫ですよ?」


 とオリザの背中を押してくれたため、少しずつオリザの方からも話しかけることができるようになっていった。


 そのソルは、オリザが10歳になった時、


「私は姫様の能力を見て、どうしても『オール・ヒール』を研究したくなりました」


 そう言って侍女を辞して、神聖生誕教団へ入団した。


 オリザは寂しかったが、新たに侍女として彼女の許に来たソリティアは、ソルに似た性格や容姿をしていたため、すぐに彼女にも懐いた。


 そして13歳になった時、オリザに危機が訪れた。



 危機の訪れ、それはドラゴニュートバードからの来訪者だった。


「ザール、会いたかったよ」


 そう言いながらザールに飛びついてきたのは、身長150センチほどの可愛らしい女性だった。茶色の髪を肩まで伸ばした彼女は、同じく茶色の瞳を持つ目をキラキラ輝かせて、ザールに飛びついてきた。


「やあ、リディアじゃないか。見違えたよ」


 ザールがそう言ってリディアの手を握り、親し気に話すのを見て、


(何あれ、ワタシのお兄さまに馴れ馴れしすぎるわ。まさかお兄さまの……)


 オリザは心配になって、2年前にザールを訪ねてきてそのままサマルカンドに居座っている金髪碧眼の好青年に見えるハイエルフに尋ねた。


「ジュッチー、あのだれ?」


 するとジュチは、うるさげな金の前髪を形のいい指で弄びながら、オリザを流し目で見て答えた。


「ああ、彼女かい? 彼女はザールやボクの友だちで、ジーク・オーガの姫、リディアさ。彼女もずいぶん前からザールの所に来たがっていたが、やっと里を出られる歳になったんだな」

「ジーク・オーガ? それにしてはちっちゃいけど」


 オリザが言うと、ジュチはクスリと笑って、


「ジーク・オーガは魔法で自分の体格を自在に変えられる。あれが彼女の“理想の体格”ってやつなんだろうね」


 そう言うと、オリザを見て


「キミだって、ザールの好みの女性になろうって努力しているみたいじゃないか? そこが女性の可愛らしい所さ。キミもリディアに負けないように努力したまえ」


 と笑って言うと、まだザールにひっついているリディアに笑いかけた。


「やあ、リディア。積もる話もあるだろうが、ここは往来のど真ん中だ。いちゃつくのは別の場所でしたまえ、ザールが困っている」


 するとリディアは赤面してザールから離れると、


「てへっ、アタシったら、ホント7年ぶりにザールに会うもんだから興奮しちゃったよ」


 そう照れ隠しに笑いながら言う。ザールは、


「7年ぶりって……僕は毎年、ドラゴニュートバードには帰っていたじゃないか」


 そう呆れて言うと、リディアは頭を振った。


「ううん、会いたい時に会えなきゃイミがないよ。だからアタシはこの日が来るのが待ち遠しくって堪らなかったんだ。さ、ザール、幼馴染3人が揃ったんだ。ザールがいつも言っていた『すべての種族がお互いを尊重し合う世界』ってやつをどう創るか、早く教えてよ」


 それを聞いて、ザールは透き通った笑いを浮かべた。


(あっ、ワタシの好きなお兄さまの顔だ。あの笑いをするときのお兄さまは、遠い未来を見据えているみたいで大好き)


 オリザは、3人の話を離れた場所で聞いていた。ザールたちの周りには何か別のオーラが漂っているみたいで、近づくことも話しかけることもためらわれたからだ。


 けれど、リディアの言葉とザールの笑いを見たオリザは、自分でも知らないうちに声をかけていた。


「あの、お兄さま」


 ザールは、その言葉でオリザがいたのを思い出したらしい。すぐにオリザに手招きをして、リディアを振り返ると言った。


「リディア、僕の妹のオリザだ。仲良くしてやってくれ」


 するとリディアは、澄んだ瞳をキラキラさせて言う。


「へえ、ザールには妹さんがいたんだ? すごく可愛らしいね、さすがはザールの妹さんだよ」


 そして、リディアは丁寧にあいさつした。


「アタシは、ジーク・オーガ族長の娘、リディア・カルディナーレだよ。これからサマルカンドにご厄介になるから、よろしくお願いするね? 妹さん」


 オリザは、リディアが『妹さん』を連発するので、少し不機嫌になった。『あなたはザールの恋人にはなれないよ』って言われている感じがしたからだ。

 けれど、ザールが隣で笑っているので、オリザの方もしおらしく


「よ、よろしく。ワタシはオリザ・サティヴァです」


 少し気圧され気味にオリザが言うと、リディアは飛び切りの笑顔でそれに応えた。


     ★ ★ ★ ★ ★


 オリザは気が休まらなかった。リディアと自分を比べた時、


(ワタシはお兄さまの『腹違いの妹』ってだけで、何もリディアさんには敵わない)


 そう思ったからだ。

 リディアさんは凛とした中に乙女が見えて、その乙女的な部分がとても可愛らしいけれど、ワタシだって見た目は負けてない、と自分でも思った。


 けれど、さすがジーク・オーガであり、まだ17歳というのにこの城に来てからすぐにザールと共に周辺の魔物狩りに参加してかなりの戦果を挙げたと聞いている。

 重臣たちも、リディアという女の子に興味を持ち、盛んに話題にしているらしい。


(リディアさんはお兄さまのこと好き、よね……お兄さまとリディアさんは種族が違うし……でも、お兄さまはそんなこと余り気にしない性格だし……お兄さまがリディアさんを選んだらどうしよう)


 そんなふうにふさぎ込んでいるオリザに、ソリティアが優しく問いかけた。


「姫様、うじうじして悩むのは姫様らしくありませんよ?」


 オリザはその言葉に、縋るような目をソリティアに向けて訊いた。


「ティア、ワタシ、不安なの。どうしたらいいと思う?」


 するとソリティアは、微笑んだまま答えた。


「いろいろな経験をすることは良いことですよ? そして勇気を出すことも。ですから、思い切って姫様が気にしておられることを言葉にして、お母様と話をしてみてはいかがでしょう?」


 オリザは、しばらくじっと考えていたが、やがて決心したように顔を上げてうなずいた。



 オリザの気持ちを知ったエルザは、最初はうろたえた。彼女はまだ、ザールを亡き者にしてトルクスタン侯国の後継ぎをオリザとすることを諦めていなかったからだ。


 けれど彼女は、頬を染めてひたむきな目で話す愛娘の姿を見ているうちに、ふと考えを改めた。


(そうだわ、異母きょうだいは結婚できるんだった。とすると、オリザの恋を後押ししてあげることは、そのまま私の念願成就につながるわね)


 そう、彼女は重臣たちの気持ちが変わったことに気付いていた。成長したザールを見た重臣たちは、


「やはり、この国の後継ぎはザール様だ。嫡流でもあることだしな」


 頼りにしていたボオルチュも、ポロクルの意見に賛成するようになっていた。

 そんな中でザールを亡き者にすることは大変難しい。下手をすると自身の破滅にすらつながる事態をはらんでいた。


 けれど、オリザがザールと結婚すれば、手を血で染めずにこの国を自分のものにできる。


「分かりました。ザール様は本当に素晴らしいお方、オリザの気持ちは分かります。私もオリザを応援しますから、安心しておいでなさい。そしてザール様に相応しい女性となるように精進なさい。あなたならできます」


 エルザはそうオリザを励ますと、安心したように退出するオリザの後姿を見つめてつぶやいた。


「……方針転換ね。ボオルチュたちにオリザの良さを伝えておかねば」



 エルザは重臣の一人、チンベを密かに呼び出した。チンベは軍事的幕僚であるが、政治的補佐官である兄のチラウンとも仲がいいし口も堅い。重臣の意向を知るにはうってつけの人物だった。


 エルザは、政治的な話は避け、近ごろの国内の状況を主に訊いた。

 それに対してチンベは、さすがに幕僚らしく近在の魔物はザールとその一党……ザール、ジュチ、リディアのことである……の活躍もあって、鳴りを潜めていると微笑みつつ話す。


 その雰囲気で、エルザはザールが重臣たちの信頼を回復しつつあることと、ドラゴニュートバードから来客たちが思いのほか優秀なことを知った。

 特にリディアの話になると、チンベは感嘆の声すら上げて、


「いや、さすがにジーク・オーガの一族ですな。ザール様の剣技や指揮も素晴らしいものですが、彼女がいてこそその指揮も光るのでしょうな」


 そう言った。


(なるほど、幼馴染にしてそれほどの力量を見せつける小娘ならば、オリザが心配するのも無理はないわね)


 オリザはそう思うと、話を核心に持って行った。


「ザール様も明けて20歳、そろそろお妃の話も出ているのではないですか?」


 するとチンベは、ニコリとして答えた。


御屋形サーム様からは取り立ててそのような話は出ておりませんが、私たちとしてはザール様と気心の知れた、この国にとって良き縁が結ばれることを祈っております」


(つまり、まだ誰もサーム様には候補を挙げていない、ということね)


 そう読み取ったエルザは、ニコリとうなずいてチンベに言った。


「それは私も同意見です。ザール様には、気心の知れた安心できるお相手が一番……私はそんなお相手を一人知っています」


 それを聞いて、チンベはにこやかに訊き返した。


「おお、さようですか。エルザ様のお眼鏡に適った女性とはどなたでしょうか? 心覚えまでにお聞きしたいものですが」


 もちろん、話す気満々のエルザである。チンベの言葉に釣られたかのように答えた。


「私はザール様にお似合いのお方がいないか、ずっと気にしていましたが、灯台下暗しといいます。すぐ近くにおりました」

「すぐ近くとは?」


 首をかしげるチンベに、エルザは微笑みつつ言った。


「オリザです。オリザはまだ13歳ではありますが、その優しさと魔力の強さは国の皆に知られています。幼き時は城内の市民から『癒しの少女』と呼ばれたオリザです。ザール様のお相手にはオリザこそ相応しいと気づきました」


 それを聞いて、一瞬チンベは眉をひそめたが、すぐに笑って答えた。


「そうですな、私個人の意見としては、オリザ姫も確かにザール様のお妃の有力な候補になりえると思います。あとはお互いの意思次第ですが」

「オリザの気持ちは判っています。私に相談に来ましたから」


 エルザはそう微笑み、チンベに押し付けるように言った。


「ですからチンベ、あなたには重臣たちにオリザの良さを伝えてほしいのです。頼みましたよ?」


     ★ ★ ★ ★ ★


 エルザがチンベとそんな話をしてすぐ、ザールとリディアの周りでおかしなことが起こり始めた。どうやら重臣たちがリディアを邪魔にしているらしい。


 それは、些細なことから始まった。

 いつもどおり、ザールとジュチ、そしてリディアが城壁の上で話をしていると、ザールお付きの執事が息を切らして現れた。


「ザール様、お屋形様が至急、ザール様と話がしたいそうです」


 ちょうど次の魔物討伐のことをジュチたちと話していたザールなので、てっきりそのことかと思って急いで父の部屋に向かった。


「父上、お呼びでしょうか?」


 ザールがそう言って部屋に入ると、ちょうどボオルチュやチンベと何か話していたサームが、うなずきながら言う。


「うむ、ちょっとそなたに確認しておきたいことがあってな。もっと近くに」

「はい」


 ザールがサームの前に立つと、サームは難しい表情でザールを見て訊いた。


「ザール、そなたはオルテガ殿の娘と()()()になってはいないだろうな?」

「は!?」


 ザールは、思ってもいなかった質問に、声が思わずひっくり返った。


「リディア殿はわが親友たるオルテガ殿の愛娘、それを預かっている身としては、変な噂も噂として片付けることができぬ」


 奥歯にものが挟まったようなサームの物言いに、ザールは緋色の瞳を持つ目を細めて言った。


「リディアはジュチと同様、同じ夢を追いかける僕のかけがえのない仲間です。彼女をどうこうしようなんて、考えたこともありません。それに僕たちはいつも3人で行動しています。ジュチが証人ですよ」

「それはザールの言うとおりだよ、サマルカンドの主よ」


 そう言いながら、ジュチが姿を現した。


「ジュチ、お前また勝手に……」


 思わずそう言うザールの言葉を、鷹揚に右手を挙げて押さえたジュチは、碧眼に鋭い光を込めてサームを見て言う。


「ボクとリディアは、ザールの夢を一緒に追いかける仲間だ。まあ、仮にザールがリディアのことを好きだったとしても、それで二人が仲良くなるのは彼の夢が叶った後のことだよ。ザールは自分の夢を決して諦めたりはしないからね。自分の息子がそんなに信じられないかい? サマルカンドの主よ」


 ジュチの言葉が終わり、サームが何か言うより早く、今度はリディアが姿を現した。彼女は身長2・3メートルの“本来の姿”でサームの前に立って言った。


「アタシとザールが()()()()してるって噂を聞いたけれど、そんな噂を流した奴はザールをバカにしているよ。そりゃアタシはザールのこと大好きだし、ザールから何されたっていいって思っているけれど、それはザールの夢が叶った後のことさ。父様も言ってらしたからね、『楽しみはあとで』ってさ」


 そう言ってニコッと笑ったリディアは、不意に身長150センチ程度の『乙女形態』に戻って言う。


「アタシがこのカッコしているのは、別にザールに気に入られたいからじゃない。オーガの姿で町中を歩くと、みんなに不要な圧力を与えるかもしれないと思ったからさ。この姿のアタシとザールが歩いているのをたまたま見て、そんな下種な考えをしたんだろうね、噂を流した奴は」


 サームは、ジュチやリディアの言葉を目を閉じて聞いていた。サームは二人の言葉に嘘偽りがないことを感じ取っていた。そもそも噂そのものを信じたわけでもなかったのだ。


(せっかくボオルチュたちの信頼を得つつあるザールに、変な噂がまつわりつくのも困る……)


 そう考えた彼は、噂を聞き込んできたというボオルチュたちの前でザールに話を聞くことにした。そうすればジュチたちもザールのために口を利いてくれるだろうと思ったのである。


 サームのその読みは的中した。重臣二人は他ならぬリディア本人の言葉ですっかり疑念を晴らしたようである。


「どうだ、ボオルチュ。お二人はああ言っておられる。何かお二人にお聞きしたいことはないか?」


 サームが訊くと、ボオルチュは首を振って答えた。


「いえ、私も噂は単なる噂であったと確信しています。仮に事実であったとしても、ご本人であるリディア殿がそう言われるのであれば、私は何も申し上げられません」

「チンベはどうだ?」


 サームが訊くと、チンベもうなずいて答えた。


「ボオルチュ殿と同意見でございます」


 二人の答えを聞いて、サームは莞爾とした笑みを浮かべてザールに言った。


「疑念は晴れたようだ。行って良いぞザール。それとテムジン殿の息子とオルテガ殿の娘さんよ、わが愚息をよろしく頼むぞ」

「ザールは決して『愚息』ではないですよ、サマルカンドの主よ」

「そうそう、アタシのザールは世界一ィ!」

「よせよ、おだてられると気持ちが悪いよ」


(ハイエルフであるテムジンの息子も、ジーク・オーガであるオルテガの娘も、自分の息子には過ぎた友人だな)


 サームは、連れ立って部屋を出て行く三人の後姿を見つめながら、そう考えて微笑んでいた。



「あの噂、どこから流れたか知っているかい?」


 サームの部屋を退出した三人は、サマルカンドの城壁の上で魔物討伐の話の続きをしていたが、話がひと段落したところでジュチがそう二人に訊いた。


「何、ジュチはあんな噂を流した奴が誰だか知っているの? 教えてよ、アタシがぶっ飛ばしてくる!」


 息巻いて言うリディアに、ジュチはニタリと笑って訊く。


「教えてあげてもいいけれど、キミにはぶっ飛ばせないと思うなあ」

「何、どんな奴なのさ? アタシよりも強いだなんて」


 そう言うリディアに、ジュチはふんと鼻を鳴らして肩をすくめると、今度はザールを見て言った。


「ザール、驚かないで聞いてほしい。この噂の出どころは、エルザ様だ」

「何だって?」「え、なんで?」


 ザールとリディアが同時に叫ぶ。そんな二人を等分に見やって、ジュチは


「驚くのも無理はない。けれど、裏を知れば別に不思議なことでもない。ボクのトモダチがすっかり聞いていた。エルザ様があのチンベという重臣に噂をばら撒くように指示しているところをね?」


 そう言うと、続けた。


「なぜかを知りたいだろう? いたって簡単なことさ。オリザがザール、キミのことを好きになった。キミとオリザが結婚すれば、この国はエルザのものになる。しかしオリザよりもザールのことを分かっているリディアが邪魔になる。そこで噂をばら撒いてリディアをドラゴニュートバードに追い返すっていう算段だったようだ」

「……それを父上に告げなかったことを感謝するよ、ジュチ」


 ザールが首を振りながらそう言うと、


「オリザはそのことを知っているのだろうか?」


 そうつぶやく。リディアが真っ先に言った。


「それはないと思う。オリザはアタシの見る限り、そんな姑息な手段を取る子じゃないし、知っていたらエルザ様を止めていたと思うよ?」

「……その意見には、ボクも賛成するよ。エルザ様と違ってオリザには何か別の雰囲気がある。神々しいとまでは言わないが、ひどく清浄な何かがね? そんな子が人を陥れるようなことを考えられるわけがない」


 ザールは、他ならぬ二人がオリザのことを庇うように言ってくれたことで、少し救われた気持ちがした。


「ザール、オリザが成長しても今のようなブラコンだったら、キミはどうする?」


 ジュチの言葉に、ザールは困ったように答えた。


「それは困った。僕はオリザのことは君に任せようと思っていたんだから」


 その答えに、ジュチは彼らしくなく慌てて


「おいおい、ボクはキミと義兄弟になるのか? 英雄の兄弟ほど割に合わないものはないぞ」


 そう言って笑った。


     ★ ★ ★ ★ ★


 それからも、エルザの『妨害』は続いた。


「アタシさあ、相手がザールの父上の関係者だから黙っているけれど……」


 リディアが心底閉口したようにザールにぼやく。


「アタシのことを監視したり、変な噂をばら撒いたりして。相手がエルザじゃなかったら、ぶっ飛ばしているところだよ?」


 リディアのボヤキに対して、ジュチが同情の顔で言う。


「そうだね、少し度を越している。ザール、キミが何とかしなきゃいけない事態だよ?」

「何とかって、どうすればいいんだ? 僕からはエルザ殿に何も言えないし……」


 困り顔のザールに、ジュチは首を横に振って言う。


「そんなことはない、エルザ殿がやっていることは誰が見ても嫌がらせの範疇を超えている。キミからサーム殿に話をして、エルザ殿を抑えてもらうか……」


 そこで片方の眉を上げて、皮肉を込めて言う。


「……エルザ殿のご希望どおり、オリザと結婚するんだね」

「えっ!? それで嫌がらせが止まっても、アタシは困る!」


 リディアが叫ぶと、ザールが笑って言った。


「いや、いくら何でもそれはない。オリザは僕にとって可愛い妹ではあるが、それ以上でもそれ以下でもない。そもそも、結婚なんてまだ考えていない」


 その言葉に、リディアはあからさまにホッとした顔で訊いた。


「そ、そうなんだ……。でも、ザールももう20歳になったから、結婚の話ってあるんじゃない?」


 するとザールは、ジュチと同じように片方の眉を上げて言う。


「それはない……というか、誰が相手でも僕との結婚は今の状況から見て難しいさ」

「どうしてさ? ザールはこの国の王族につながる一族で、トルクスタン侯国の後継ぎだよ? 相手なんて腐るほどいるんじゃない?」


 不思議そうに訊くリディアに、ジュチが微笑と共に答える。


「ザールの言うとおりさ。サーム殿は前国王陛下の実弟、そして今の国王にとって目の上の瘤。ザールが誰と結婚しようが、それが市井の娘さんでない限りはサーム殿の勢力の強化になる。そのことをさておいても、ザールに似合いの娘さんとなるとトリスタン候、アルメニア侯、ジョージア伯くらいしかいない。このうちアルメニア侯とジョージア伯はザッハーク寄りだから、仮に娘がいたとしてもザールとめあわせようなんて考えないさ。そしてトリスタン候には娘はいないからね」


 それを聞いて、リディアは難しい顔でつぶやいた。


「そんなところまで考えなきゃいけないなんて、ザールも大変だね」


 そう言う話をしていた時、アンジェリカ付きの侍女が顔を見せて言った。


「あっ、捜しましたよリディア様。お妃さまがお呼びです」


 それを聞いて、リディアが不思議そうな顔で訊き返す。


「えっ、アタシ? ザールじゃなくて?」


 侍女は微笑んでうなずいた。



 リディアは突然の呼び出しに面食らいながらも、ともかくアンジェリカの許に向かった。アンジェリカの部屋はトルクスタン侯国の妃に相応しく、城の奥にあり、ドアを開けても中が直接見えないように目隠しの衝立が立ててあった。


「リディア・カルディナーレ様がおいでになりました」


 侍女が良く通る声で言うと、衝立の向こうから


「よく来てくださいました。こちらへどうぞ、リディア殿」


 そう、春の風のように聞いていて心地よくなる声がした。


「はい、お邪魔いたします」


 リディアはしゃっちょこばって言う。声が変に上ずっていた。


「どうぞ、お掛けなさい」

「はい」


 アンジェリカに勧められるままに、リディアはソファに腰を下ろす。アンジェリカは固くなっているリディアを見て、クスリと笑って言った。


「そう固くならないでいいのよ? 私もあなたと同じ、ドラゴニュートバードの一員だから。今日は同郷の者としてあなたに折り入ってお願いがあるのです」


 その言葉を聞いて、リディアはアンジェリカを顔を初めて間近で見た。

 アンジェリカは銀の髪に翠色の瞳を持っていた。もう40に近いはずなのに、まったく歳を感じさせないたたずまいで、非常な美人とまでは言えないにしても、整った顔立ちや高貴な雰囲気、そして独特の人懐っこさを感じさせる可愛らしさがあった。


「どういうことでしょう?」


 リディアが訊くと、アンジェリカはそれには直接答えず、


「エルザのことは聞いています。あなたに迷惑が掛かっているようですね?」


 そう言ってくる。リディアは慌てて手を振って答えた。


「い、いえ、ザール…様が庇ってくださいますから平気です」


 それを聞いて、アンジェリカは微笑んでうなずくと、


「ザールももっとしっかりしないと……仲間の危機を見過ごすのは指揮官として失格です」


 そう言う。リディアは必死に弁護した。


「そうじゃないんです。アタシが断ったんです。だってザールもエルザとケンカはしたくないでしょうから」


 それを微笑と共に聞いていたアンジェリカは、必死の面持ちのリディアに真剣な顔になって言った。


「よく分かりました。あなたのザールを思ってくれる気持ちは嬉しいです。ですから、エルザのことは私に任せなさい」


 そう言うと、表情を和らげて、


「あなたへのお願いを忘れていました。あなたはザールのいい仲間だと聞きます。そこで、ある呪文を覚えていてもらいたいのです」


 そう言った。


「呪文?」


 リディアの頭に、“恋の呪文”という言葉が浮かぶが、すぐに頭を振ってそんな考えを打ち消す。その様子を見ていたアンジェリカは言う。


「ふふ、“恋の呪文”ではありませんよ? でもザール(あの子)にとって、もっと大事なものです」

「もっと大事なもの?」

「そう、あの子にとっては魔力が落ち着くまで、もしかしたら一生付き合うことになるかもしれない呪文です。あなたは、あの子がなぜ、ドラゴニュートバードに預けられていたかは知っていますね?」


 アンジェリカの言葉に、リディアはうなずいて答える。


「はい、ドラゴンの血の覚醒がザールを変えてしまうことを恐れられたからだったと聞いています」


 アンジェリカは、少し眉をひそめてうなずいた。


「そうです。そしてその心配はまだ消えていません。そこであの子の最も近くにいるあなたに、“ドラゴン鎮めの呪文”を覚えていてもらいたいのです。いつかあの子にドラゴンの血が目覚める日が来た時のために……協力してくれますね?」


 リディアは喜んでうなずいた。


     ★ ★ ★ ★ ★


 それから程なくして、エルザの『妨害』はぴたりと収まった。アンジェリカがサームに、


「エルザがザールの友人に対して無礼を働いています。オリザ可愛さにやったことであるとしても、それはザールとオリザの問題。他人が口を出すことではありません。ましてや手出しするなど……侯にはどうお考えですか?」


 そう、意見をしたということだった。

 サームも、先の噂のことといい、リディアの周囲に何かしら良からぬことがあると心配していた時なので、その元凶がエルザと知ってひどく気分を害した。


「その点は余も苦々しく思っていた。エルザの仕業という証拠はあるか? あれば余がきっとエルザを叱り置く」


 そしてサームは、アンジェリカから示された証拠をもとに、エルザに


「ザールの友人に対しての手出しは言語道断だ。二人のことは二人に任せておけばよい」


 そうきつく言い渡したそうだ。



 そんな大人たちの事情は知らないまま、オリザはひたすらにザールのことを思っていた。


「姫様、余りにもザール様に馴れ馴れしくし過ぎると、ザール様としてもどう姫様に接していいか判られなくなりますよ?」


 ソリティアがそう注意しても、オリザの『ザール熱』は冷めなかった。

 ザールは、たとえオリザが腕に絡みついてきても、抱きついてきても、


「妹が甘えているだけだから」


 と笑っていたが、そんなザールが一度だけ、オリザに本気で怒ったことがある。


 事の始まりは、オリザがリディアにかみついたことだった。

 その時、ザールはジュチやリディアとともに、父サームから命令された『侯国北方に巣食ったベヒーモス退治』について、作戦計画を練っていた。


 北方にある断崖の上に、約100匹のベヒーモスが群れをなし、街道をゆく旅人を襲っているというのだ。

 ザールに与えられた兵力は1個騎兵中隊50騎で、宿将マチョエの息子たち、バトゥとその従弟トゥルイが初陣の指揮官として加わっていた。


 ザールとジュチは、大まかな戦略としては


「敵さんは断崖の上にムラを作っている。おあつらえ向きにそこには水源がない。だから包囲して干乾しにしてやればいい」


 という包囲持久戦略で一致した。

 だが、リディアはその戦略に付け加えて、


「包囲して破れかぶれになったベヒーモスたちが死を恐れず突進して来たら、味方にも大きな損害が出る恐れがあるよ。最初に敵の戦意を挫き、味方の士気を高めるために、アタシが敵の先陣を叩き潰しておいた方がいいと思うな」


 そう提案したため、その当否について考えていたのだ。


 そこに、


「お兄さま、軍議お疲れ様。お菓子をお持ちしましたから一息つかれてはいかが?」


 と、オリザが侍女と共に現れた。


 バトゥとトゥルイは、庶流とはいえサームの子であるオリザの姿を見てサッと立ち上がって敬意を表したが、リディアは真剣な顔でオリザに注意した。


「オリザ、今は軍議中だよ? ザールの邪魔をするんじゃないよ」


 するとオリザは気分を害した顔で言い放った。


「何よ、()()()()()()()お兄さまの恋人気取り? いい加減にしてよね」

「なっ!……」


 思わずカッとなったリディアが何か言おうとしたが、それよりも早くザールの叱声が飛んだ。


「オリザ! 今何と言った!?」

「「えっ?」」


 オリザもリディアも、同時にそう言って固まった。ザールが緋色の瞳を輝かせ、鋭い目つきでオリザを睨んでいたからだ。いつものザールとは別人だった。


「……今何と言った? 聞き捨てならない言葉が聞こえたが」


 ザールが、顔の前で両手を組んだ形で静かに訊く。その声はいつものザールとは全く違った、感情のない冷たい響きを持っていた。


「え……と……」


 オリザは、初めて見るザールの厳しい態度に、顔色を無くして口ごもる。


「ここは軍議の場だ。作戦の内容が漏れたら、僕が任されている50騎が全滅するかもしれない。だから部外者は立ち入りを禁じていたはずだ。衛兵は何をしていた!?」


 ザールの大声に、衛兵が慌てて飛んできた。衛兵としてもサームの娘であるオリザに立ち入りを拒むことを躊躇したのだろう。


「軍機は厳正に守られるべきだ。だから父上も必要がない時はたとえ僕でさえ軍議の場に立ち入ることを禁止している。衛兵の怠慢というべきだ、以後気をつけろ」


 ザールの叱責に、衛兵は顔色を無くして突っ立っている。

 そしてザールはオリザを見て、冷ややかに訊いた。


「オリザ、そなた、リディアに向かって『()()()()()()()』と言ったな?」

「え……と……ついカッとして……すみませんお兄さ……」

「『すみません』ではない!」


 震えながら言い訳するオリザに、おっかぶせるようにザールが叱りつけた。オリザはびくんと身体を震わせ、ペールブルーの目に涙を浮かべている。


「オリザ、僕はそなたが、僕の大事な仲間をバカにしたことが許せない。リディアがどれほど戦場で僕の役に立ってくれていると思う? その代わりがそなたにできるか?」

「……」

「リディアは、ジュチと共に僕の夢を理解し、共に戦ってくれる『刎頚ふんけいの友』だ。彼女がジーク・オーガであろうと、ハイエルフであろうと、いや、魔物であったとしても、僕はそれが『仲間』なら大切にしたい」

「……」

「そなたは『すみません』と口にしたが、僕が言ったことを理解してくれているのであれば、謝る相手は僕ではなかったはずだ」


 それを聞いて、オリザは青い顔のまま、


「ごめんなさい、リディアさん。ついカッとなって……すみません」


 そう、リディアに謝る。リディアもザールの言葉を聞いていて感情が収まったのか


「うん、分かった。悪気がなかったのならいいよ。アタシもちょっと言い方がキツかったからね。お互い様ってことにしとこうよ」


 そう言うと、ザールに向かって明るい声で言った。


「さ、ザール、もうこれで済んだよ。せっかくオリザが持ってきてくれたんだ。ちょっと軍議を中断してお茶にでもしようよ?」


 その言葉に、ザールもオリザも、救われた気がした。



 この時以来、オリザのリディアに対する態度が変わった。

 相変わらず『恋敵ライバル』として気を緩めてはいないようだが、


「ジュッチー、リディ、ちょっと街に出ない?」


 と、リディアに対しても気安く声をかけるようになったのだ。


「あのさぁ姫様、ザールに()()()()()()()()するのは止めたの?」


 先を行くオリザに、リディアがそう訊くと、オリザは可愛らしい顔をほころばせて言う。


「ううん、ワタシはお兄さまを諦めていないわよ? だって行き先はお兄さまと一緒ですもの」


 そう言うと、郊外の麦畑を視察するために準備していたザールを見つけ、駆け寄って訊いた。


「お兄さま、ワタシも一緒に行っていい?」


 ザールはニコリとして答えた。


「別に危ないことでもないしな。邪魔にならないと約束できればついて来ていいよ」

「やったあ! お兄さま大好き」


 オリザがそう言ってザールに抱き着く。ザールは笑って注意した。


「城内では許されても、城外でははしたない真似はしないようにな? オリザはこの国のお姫様なんだから」

「は~い」


 そしてザールは、係の者たちと共に歩き出す。オリザは聞き分けよく、ジュチたちと一緒に少し遅れて続いた。


 けれど麦畑に着くと、途端にオリザはいつもの茶目っ気を発揮しだした。


「わあ、すごい。一面に金色で眩しい」


 そう言って、麦の穂を揺らす風と共に、オリザはあぜ道を駆けだした。

 その様子に、ジュチが肩をすくめて流し目でリディアを見て、ため息をつく。

 リディアも呆れたような顔をしていたが、


「……アタシに妹がいたら、あんな感じだったかもね」


 そうつぶやく。そのつぶやきに、ジュチも笑って小声で言った。


「結構手がかかる妹さんだけどね?」


 そんな二人の言葉が聞こえていないオリザは、ずっと先まで走って行って、こちらを振り向いて叫んだ


「お兄さま~、今年も豊作みたいねェ~」


 ザールたちは、思わず息を飲んでオリザを見つめた。その時、オリザは日没の光を浴びて、全身が金色に輝いて見えたからだ。


「見て、きれいな絨毯みたい。きっと今年も豊穣の祭りは賑わうでしょうね」


 オリザは、揺れる麦の穂と戯れながら、そう言ってはしゃぐ。リディアも、ジュチも、そしてザールも、その光景がなぜか目に焼き付いて離れなかった。


     ★ ★ ★ ★ ★


「きっとオリザは、女神ホルン様だけでなく、豊穣の女神にも愛されていたんだ」


 揺れる馬車の中で、ザールは懐かしそうにそう言った。


「……そうかも知れんの。私はその時のオリザを見ておらんが、オリザは素直で、優しい性格だったことは知っておる。そしてきっと今も……」


 ロザリアはそこで言葉を切って、窓の外に揺れる稲穂を見やった。


「……きっと今も、みんなのことを見てくれている」


 ザールも、窓の外を見つめてそうつぶやいた。


(サイドストーリー・豊穣の記憶 完)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

個人的に、オリザは思い入れが深いキャラクターの一人です。最初から彼女は『すべてを癒して消え、稲として生まれ変わる』という設定で登場させたからです。

ですから、名前も稲の学名をそのまま使いました。

僕はザールには、「完全でない人間たちが、明日を少しでも良くしようと努力する、その姿こそが尊いのではないか」と言わせました。

それもまたこの作品の主題の一つではありますが、書いている途中で、何度も「ザールとオリザのハッピーエンド」のシナリオを考えました。ホルンとザールが結ばれないのは僕の中で既定の路線でしたので。

しかし、『生まれたものは滅ぶ』という摂理に反する『オール・ヒール』の使い手であるオリザには、『摂理を超えた奇跡』『すべてのものを慈しむ存在』の具現化として登場してもらったのです。

「オリザが消える場面では泣いた」「あんないい子なら、もっと書き込んだ上でザールと結ばれるようにしてほしかった」というご意見をいただきました。

けれど、前述の理由であの結末になったことは、ここで釈明させていただきます。ありがとうございました。

次回は、『運命の悪戯』としてリアンノンにスポットを当てる予定です。お楽しみに。

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