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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
64/70

サイドストーリー・早春の別離(わかれ)

デューン・ファランドール。

ファールス王国の『王の牙』筆頭にして、王女ホルンの庇護者。

今回は、彼の若い頃の話を中心にお送りします。

 早春、花萌える季節……

 ファールス王国の王都イスファハーンの宮殿では、怒号が渦巻いていた。

 突然、王都に乱入した兵団は、守りの手薄に乗じてあっという間に内城へと侵入してきたのだ。


「王の盾隊長、イヌマエル・クーチンを討ち取ったぞ!」


 喧騒の中、そんな野太い叫び声が轟く。ファールス王国の親衛隊、『王の盾』は隊長を討ち取られても奮戦していたが、それもどこまで持つか分からない。


 その宮殿の奥深くでは、ファールス王国の国王であるシャー・ローム3世が、生まれて間もない赤子をその腕に抱いていた。その隣には、王妃であったウンディーネが朱に染まった姿で椅子に座ったままこと切れていた。


「陛下、早くお逃げください」


 佇んでいるロームに、一人の若者が声をかける。ロームは愛おしそうに赤子の顔を眺めていたが、ついと顔を上げると若者に言った。


「デューン、近う」

「はい」


 デューンと呼ばれた若者は、急いで部屋に入って王の前にひざまずく。やっとロームが脱出を決意してくれたものと安心した顔だった。

 しかし、その顔はすぐに驚きに変わった。

 ロームが腰に佩いていた『アルベドの剣』を外し、デューンに言ったのだ。


「『王の牙』筆頭デューン・ファランドールよ、余の剣と余らの娘をそなたに預ける。そなたはきっと姫と剣をサームの許に届けよ。そしてサームに伝えよ、『余の仇をそちが討て』とな」

「陛下!」


 驚くデューンに、ロームは剣と赤子を預けると、ゆっくりとウンディーネを抱え上げ、


「心配するな、デューンよ。余はむざむざと余の首級をザッハークにくれてやるほどお人好しではない」


 そう、デューンに背を向けたまま言うと、


「ホルンを、頼むぞ」


 そう一言言って『隠れの間』に入り、二度と出て来なかった。


「陛下!」


 デューンは、『隠れの間』から火の手が上がり、それが部屋の中をすっかり覆ってしまったことを確認すると、赤子と剣を携えて脱出口から城の外へと逃げ出した。

 『王の牙』筆頭デューン・ファランドールの行方を知る者は、それ以降いない……少なくとも市井の人士では……。


     ★ ★ ★ ★ ★


 デューン・ファランドールは、王国暦1523年の夏にバビロンで生まれた。父はルーン・ファランドールで、このとき『王の盾』隊長をしていた。

 ファールス王国の最も名誉な部隊長として勤務していたルーンは、時の国王シャー・エラム3世の覚えもめでたかった。それゆえにデューンも幼い頃から王に目通りし、格別の寵愛を受けていた。


 デューンが他の子どもと違っていた部分がいくつかある。

 まず、デューンは3歳にして『魔力の揺らぎ』が覚醒した。それも人間としては珍しい『火』のエレメントであった。


 そして、父のルーン、母のヴィーナ両方の良いところを受け継いだのだろう、彼は見目麗しく才気煥発、そして天真爛漫であった。


「かあさま、かあさまのお耳の形が違うのはなぜですか?」


 5歳になったデューンは、ヴィーナの耳がとがっていることに疑問を持ってそう質問した。するとヴィーナは、にっこりと笑って答えた。


「デューン、あなたは良く人のことを観察していますね。私の耳がデューンともお父様とも違うのは、私がフレイムエルフの血をけているからですよ」

「ふれいむえるふって?」


 目を丸くして訊くデューンに、ヴィーナは家事の手を止めて向き直り、デューンの視線に合わせるように座り込むと、真っ直ぐに目を見て答えた。


「フレイムエルフとは、妖精の仲間で火の魔法を使う一族です。普通の人間に覚醒する『水』のエレメントではなく、あなたに『火』のエレメントが覚醒したのは、そのせいかもしれないわね」

「じゃあ、アッシリアのじいじやばあばも『ふれいむえるふ』なの?」


 デューンが訊くと、ヴィーナは少し顔を曇らせたが、すぐに笑顔になって言った。


「ええ、そうよ」

「ふーん、いつかじいじたちに会いたいなあ」


 デューンがそう言うのを、ヴィーナは哀しそうな笑顔で聞いていた。

 デューンはふと、母が目に涙を湛えていることに気が付いて、驚いて訊ねた。


「かあさま、なぜ泣いているの?」


 するとヴィーナは、さっと涙を拭いて立ち上がると、この上もなく優しい笑顔でデューンに言った。


「何でもないわ。さ、デューン、そろそろお父様が帰る時間よ。玄関でお父様を出迎えてあげて」

「うん」


 幼いデューンは、母が元気を取り戻したので安心して玄関へと向かった。


 ……あの時は、知らなかった。母方祖父も祖母も、いや、その一族すべてから母が父との結婚を反対されていたことに。



 7歳になったデューンは、父ルーンから槍を教わり始めた。

 それまでも彼は、父が家で槍を稽古するのを見て、また、父が御前試合などに出場するのを見て、


「僕にも槍を教えてください」


 そう頼んでいたのだが、その度に父は、


「まだ早い」


 そう言ってデューンの願いを断り続けていた。

 しかし、デューンが学校に通い始めたころ、父はヴィーナにデューンの学校での様子を聞いた。


「ヴィーナ、デューンの学校での様子はどうだ?」


 するとヴィーナは、笑って答えた。


「学校では先生方に信頼されているみたいよ。見て、この服」


 そう言いながら、あちこちが破れた服をルーンに見せる。


「それは?」


 不思議そうに訊くルーンに、ヴィーナは笑って答えた。


「いじめっ子とケンカしたんですって。服はボロボロだったけれど、『嫌な上級生をやっつけてやった』って息巻いて帰って来たわ」


 ルーンは眉を寄せて訊いた。


「ケンカの理由は何だ? 上級生とやりあうとはどういうことだ?」


 上級生に楯突くとは普通あり得ない。ケンカの理由によってはデューンを叱らなければと思っている顔だった。

 するとヴィーナは、そんな夫の心を読んだように、優しい声で言った。


「あの子を叱らないであげて。友だちの女の子が上級生から酷い悪戯をされているのを見たので、つい手が出たそうだから」


 そして、ルーンの手を取って続けた。


「正義感が強いのね、あの子は。きっとあなたの良いところに似たんだわ」


 デューンに槍を教えることを決めたのは、その話を聞いたからだったそうだ。


「私事で怒りに任せて上に楯突く者は大成しない。お前の怒りが自分のためのものだったら、私はお前に槍を教えなかった。しかしお前の怒りは他人のためだった。正義がこの世から消えた時、正義を通すのが武人の務めだ。お前は槍を扱うに相応しい素養があるとその時思ったのだ」


 これはデューンが12歳の時、父ルーンが言った言葉である。

 ルーンの薫陶を受け、また父の見込み通り素質もあったのだろう、デューンの槍は急速に上達していった。



 デューンは、軍団学校などには通っていない。彼は17歳になるまでは市井の学校に通い、そして市井の人々と付き合っていた。かと言って、上流の人々との関わりがなかったわけでもない。彼は王のお気に入りで、しょっちゅう宮殿にも出入りしていた。

 雲の上の人々の暮らしも、社会の底辺もその目で見ている……このことが、後に『王の牙』として彼の最大の長所となる。


 彼の人生が変わった瞬間がいくつかある。

 その最初は、ティムール・アルメとの出会いだったろう。

 17歳になっていたデューンは、すでに一部ではその槍の腕が噂に上っていた。それは、イスファハーンに現れた盗賊たちを彼一人で始末した事件のおかげである。


 盗賊団はファールス王国のあちこちで荒仕事をし、何十人もの人々が犠牲になっていた。その盗賊団が白昼、堂々と盗品の品定めをやっていたところに彼が通りかかった。


「あれは何だ?」


 デューンが息をひそめるように縮こまっている人々に声をかけると、その中の一人が答えた。


「盗賊だよ。あいつらは武器も持っているし、人を殺すことを屁とも思っていない。だからおとなしく品物を差し出したんだ。あんたも目をつけられる前にここを離れた方がいい」


 するとデューンは、その秀麗な顔に厳しい表情を浮かべてつぶやいた。


「コソ泥ずれが、太陽の許でのうのうと悪事を働くとは……」


 彼は背負っていた槍を構えると、いきなり首領に突きかかり、あっという間に首領を仕留めた。そしてその首を落とすと、盗賊団のど真ん中で大声に名乗った。


「デューン・ファランドール、天に代わってそなたらに罰を下す。命が惜しくない者だけかかって来い!」


 そして縦横無尽に槍を揮い、盗賊団を壊滅させてしまった。

 もちろん、この件で彼は父から大目玉を食らい、司直に突き出されたが、


「司直こそ彼らを早期に検挙すべきであったのだ。デューンの血気は若気の至り、今回だけは不問にして遣わせ」


 国王自らのとりなしにより、彼は極刑を免れた。



 国王は、自ら救ったデューンを宮殿に入れ、王太子ロームと引き合わせた。この時ロームは15歳、剣や槍も上達し、天狗になっていた頃であった。


 ロームはデューンに槍の勝負を挑んだ。しかし、デューンの前にロームの槍は敵ではなかった。

 それまでの槍とは違い、華麗な、それでいて凄絶なデューンの槍の法は、父ルーンの法を元に彼自身が工夫を続けていたものである。

 ロームはデューンにほれ込み、


「私が王となったら、そなたは『王の盾』隊長か『王の牙』筆頭だ」


 とまで言うようになっていた。


「そなたはい息子を持ったな、ルーンよ。王太子のこともよろしく頼むぞ」


 エラム3世からそう言われたルーンは、ただうなずいただけだった。

 ルーンは、父として息子の成長は嬉しかったが、その態度に自負心を超えて少々傲慢な部分が見え始めたことを、むしろ心配した。


「人には運というものがある。そして分というものもある。分を超えた運を持つ者は破滅し、運を超えた分を持つ者は挫折する。デューンはけだし、前者かもしれぬ」


 ルーンはヴィーナにそう言って、ため息をついたという。

 それでもルーンは、息子デューンの器をもっと大きいものにすべく、時の『王の牙』筆頭ティムールに期待した。


「そなたの槍が天下に通用するかを試したければ、『王の牙』筆頭ティムール・アルメ殿と勝負してみるとよい。彼は私の知る限り、国士無双の魔剣士だ。そなた程度では相手になるまい」


 そう言ってデューンに、ティムールとの試合をけしかけたのである。

 そしてデューンは完敗した。それまで彼が喫したことのない完敗だった。

 この出会いがなければ、デューンは父の心配どおり、運に潰されていたかもしれない。

 デューンは、ティムールの許でさらに自分を磨いたのだ。



「『武』とは何か、それは『ほこを止める』という意味だ。すなわち争うための武ではなく、争いを起こさないために武力はある」


 これは、ティムールが口癖にしていた言葉である。デューンはティムールの愛弟子として、その精神もしっかりと叩き込まれた。

 20歳になるころには、彼の槍は


「すでに師のティムールを超えている」


 とまで言われるほどになっていた。

 彼と共にティムールから槍の手ほどきを受けた王太子ロームも、デューンの腕を間近で見て、また彼に友情に近いものを感じており、常々お付きの者に言っていたという。


「デューンは将に万夫不当の若武者だ。私が王になったら、彼こそ我が国を盛り立ててくれるに違いない」


 そしてデューンは、20歳の春、最初の軍務に就いた。赴任先は第11軍管区のコンスタンチノープルである。


「よく来てくれた、待ちかねていたぞデューン上級大隊指揮官」


 この年、スタンブールから改名したコンスタンチノープルでは、第11軍管区指揮官のヴィレム・テルが彼を待っていた。ヴィレムは王国暦1538年から5年間、この西方地域にあってローマニアを完全に封じ込めていた。


 スタンブールの改名も、長らく係争状態にあったマケドニア地域を完全にファールス王国の版図としたことを記念したものであった。


「昨年まで管区指揮官であったコンスタンチン将軍の成果を無にすることはできぬ。デューン上級大隊指揮官は国士無双の名も高い、しっかり頑張ってくれたまえ」


 デューンはヴィレムから激励を受けて、任地のヴェレスへと向かった。



 ヴェレスは、北マケドニアの中央付近に位置する小さな町である。

 ここに、彼が指揮を執る第164独立混成コホルス隊が駐屯していた。

 兵力は通常のコホルス隊が3個マニプルス隊約3千を持つのに比べると、1個マニプルス隊と1個大隊編成で1千5百の半分だったが、通常のコホルス隊と違って1個大隊250騎の騎兵部隊と、大型弩弓バリスタ投石器オナゲル部隊までも固有編成にしていた。


(ふむ、拠点防御を行うためには歩兵数が少ない。しかも北マケドニアは盆地になっているので、騎兵を生かした攻勢防御も取りにくい。どうしたものか……)


 デューンは、任地に到着するとすぐに地形を確認し、現状の兵力を勘案してそう考えた。

 そこで彼は、第11軍管区司令部に驚くべき提言をした。


『任地北マケドニアは、中央に盆地を持つため周囲の拠点となる都市への増援がしにくく、かつ南を除く3面をローマニア王国に囲まれた突出部を形成している。その基底部は約100マイル(この世界で約185キロ)であり、ここを切断されれば当部隊は敵中に孤立する』

『この防御上の弱点を根本的に解決するためには、西部アルベニアを攻略して西方からの基底部攻撃を封殺するに如かず』

『願わくば1軍をもってイオニア方面からティラナ方面へ攻勢を実施されんことを。本職一部をもってオフリド方面から助攻する用意あり』


 この時彼は、すでにアルベニア方面に諜報部員を派遣し、その地にローマニア王国から独立を企図する勢力があることを偵知していた。その情報は軍管区司令部でも掴んでおり、司令部からデューンにコンスタンチノープルへの召喚の使者が飛んだ。

 デューンは臆するところなくヴィレムに状況と今後の観測を伝え、


「ローマニアの北マケドニア奪還の企図を封ずるのは今です」


 そう断言したため、ヴィレムは第11軍団を首府防衛に、第111軍団をコモティニ隘路の防衛に残し、第112軍団と第113戦闘団の3万5千をもってイオニアからの攻勢を発動した。第114戦闘団1万5千が総軍予備である。


 デューンも任地の東から反時計回りにストルニツァ、コチャニ、スコピエに歩兵2個中隊2百人ずつとバリスタ隊を残し、根拠地には騎兵1個中隊50騎と歩兵1個中隊百人、オナゲル隊を残し、自らは騎兵4個中隊2百騎、歩兵8個中隊8百人を率いて西部の町オフリドから出撃した。王国暦1543年夏のことである。


 そして彼は、ヴィレムの率いる本隊と並走して敵を駆逐するとともに、現地の独立勢力と連絡を取り合ってローマニア軍の補給線を徹底的に攪乱した。そのため、秋の気配が萌すころにはティラナは本隊によって包囲され、デューンも北方50キロにあるレジャの町を陥落させることに成功した。


 ここでアルベニア独立を目指す勢力がファールス王国の支援を受けて独立を宣言し、アルベニア南西にある港町フローラを首都として暫定政権を発足させた。

 ファールス王国のエラム3世は、すぐさま南アルベニア国を承認し、ロムルス帝国やイス王国もそれに続いたため、ローマニア王国は渋々停戦協定に応じ、ティラナ南方をアルベニア共治国として承認した。


「これで、北マケドニアへの脅威は少し軽減されたな」


 デューンはこの功によって聯隊れんたい指揮官となり、増強された第164独立混成コホルス隊を指揮することとなった。麾下兵団は歩兵マニプルス隊2個と歩兵大隊1個の2千5百人、騎兵大隊2個5百騎、そしてバリスタ隊とオナゲル隊となった。


 そしてそのすぐ後、エラム3世が43歳で崩御し、皇太子だったロームが即位した。まだ18歳の新王の誕生である。



 彼の第二の転機は、この時にアルベニア独立勢力の有力者、ガラナ・ニンフエールと出会ったことだろう。

 ガラナはもともとウラル帝国の有力貴族だったが、時の皇帝イヴァン4世の圧政を受けてローマニアに亡命していたものである。


 もともと彼の種族であるフレイムエルフは、ローマニアやアルベニアに源流を発すると言われ、その故地に安住の地を求めたものらしい。


「しかし、ローマニアのヴラド5世は、それまでと違って親ウラル帝国的な政策を取り始めた。私たちウラル帝国にいた者は凶悪な皇帝の許に送り返される恐れがあったのだ」


 ガラナはデューンにそう語り、


「デューン殿のおかげで、多くの仲間が救われた。この恩は忘れませんぞ」


 そう、デューンに礼を述べた後、


「これ、デューン殿にそなたの茶をごちそうして差し上げろ」


 と、傍らにいた紅顔白皙の少女に話しかけた。


「こちらの娘さんは?」


 デューンは、少女がじっと自分を見つめているのに気が付いていたので、話が少女に移ったのを幸いにそう訊いた。


「私の娘アマルです。親の私が言うのもなんですが、15歳にしてはよく気が付く娘だと思っております」


 ガラナはそう言うと、アマルが席を外した時にデューンの耳元でささやいた。


「娘はデューン殿を気に入ったようです。ご迷惑でなければ、気にかけていただければ幸いです」


 デューンはそう言われて、自分でもおかしいくらいに赤面すると笑って言った。


「はは、私はどうも不調法でして、女性の気持ちなどは良く分かりません。娘さんも私という男を知れば知るほど失望するでしょうな」



 けれど、アマルはその後、父ガラナの言いつけでデューンの許を訪れるようになった。多くはアルベニア国の内部事情を知らせるものだったが、時にはアマルが父の命と偽って家にやって来ることもあったので、デューンはアマルに注意した。


「アマル殿、あなたはアルベニア国重鎮の娘さんだ。それにまだ妙齢。そんなあなたがホイホイと私のような者の所に通い詰めてはいけない。しかも父上の命令と偽るのは、あなたの立場ではありえないことですよ?」


 しかしアマルは、薄い緑色の瞳に強い意思を秘めて、


「確かに嘘をついたことは謝りますし、今後改めます。でも、私の気持ちは止められません」


 そう宣言するように言って、ニコリと笑ってつぶやいた。


「だって、あなたのことが好きですもの」


 そして早春、花萌える時、デューンにローム3世からの命令が届いた。『王の盾』への編入命令であり、その時デューンはまだ21歳、最年少の『王の盾』隊員誕生であった。



 デューンは、アマルには内緒でイスファハーンへと赴任した。もちろん、ガラナには事情を説明していたが、アマルに話すことは固く止めておいたのだ。


 彼は『王の盾』でもすぐに頭角を現した。特にローム3世が東方のマウルヤ王国との戦いに出陣した時、彼の軍事的才能がまた披露された。王国暦1545年夏、ローム3世20歳、デューン・ファランドール22歳である。


 作戦の裏をかかれたこともあってファールス王国の軍10万は中央を割られて分断され、あわや王まで捕虜になるところだったが、デューンは隊長副長共に失った『王の盾』を臨時に指揮して王を守り抜き、あまつさえその退勢をひっくり返してみせたのだ。


「デューン、そなたのおかげで助かったぞ」


 ローム3世は鎧に幾筋かの矢が突き立ったまま、デューンにそう言った後、苦い顔をした。


「ハッサンにしてやられた。奴は嵩にかかって攻めてくるだろうな」


 しかし、デューンは落ち着いた声で言った。


「私に考えがございます。『王の盾』の一部を分離し指揮することをご許可ください」

「さすればこの退勢を挽回できるか?」


 王が訊くと、デューンは自信を顔に表して答えた。


「はい、必ず」


 王の許可を受けたデューンは、『王の盾』に取って返すと、


「ガイル、私のいない間臨時に指揮を執って王をお守りしてくれ」


 そう、次席のガイル大隊指揮官に命じると、


「我が直率の百人隊は我に続け」


 そう一言言うと、百騎を引き連れて敵陣の後ろへと潜行した。

 デューンは百騎を戦場から少し離れた丘の上まで引っ張ってくると、全員に戦場の様子を確認させたうえで言った。


「いいか、味方は敵に押されつつある。しかしあの黄色い傘が見える場所に敵国王のハッサンがいる。我々は今から、敵の本営を衝く。諸君の命は、今ここでデューンが預かる」


 デューンの言葉に、全員からどよめきの声が漏れた。そのどよめきを押さえつけるように、デューンは声を張り上げる。


「私は一人として失いたくない。だから全員固まって突撃する。ただ敵陣を駆け抜けるだけでいい。決して離れて戦うな、行くぞっ!」


 そして突撃を開始したデューンは、チラリと後ろを振り返ってみた。全員が青い顔をして馬を走らせている。そこでデューンは槍を振り上げて叫んだ。


「全員、叫べっ! 鬨の声だっ!」

 わあああっ!


 部下たちは全員、腹の底からの声を上げる。そして彼らは絶叫しながら、ファールス王国軍を攻め立てているマウルヤ王国軍の背後に吶喊とっかんした。


「どけっ、邪魔をするなっ!」


 デューンの槍が縦横に動き、彼の前を遮ったものはすべて串刺しにされるか首と胴を異にする。

 デューン自身も、身体のあちこちに鋭い痛みを感じていた。部下たちもそうであろうが、先陣を切ったデューンが最も敵の攻撃を受けていた。


 しかし、デューンの無謀にも見える突進で、敵の攻撃にゆるみが生じた。そしてその隙を見逃すロームではなかった。


「おおっ、デューンがやりおった! よし、逆攻勢だ!」


 ロームが高々と旗を掲げると、これも敵の乱れを感じ取っていたシオン・マムルーク将軍も、剣を握り直して命令した。


「よし、敵の乱れに乗じるのだ! 者ども続けっ!」


 この逆襲によってハッサン2世の率いるマウルヤ王国軍は勢いを失い、ズルズルと後退して戦場を明け渡すことになってしまった。ファールス王国軍は10万のうち2万を失い、マウルヤ王国軍は12万のうち1万5千を失って、被害としてはマウルヤ王国の方が軽かったのだが、最終的に勝鬨を上げたのはファールス王国の方だった。


 この経験を活かし、ロームは3年後、『キスタンの戦い』でマウルヤ王国軍を完膚なきまでに叩き潰すこととなる。


 そしてデューンは、この功績をもって『王の盾』隊長に任じられた。歴代隊長として最年少だった。



「デューン、そろそろそなたを『王の牙』の筆頭にしようと思う」


 ローム3世がそう言ったのは、重臣であるボーゲンやトジョーが詰めている席でのことだった。


「……ありがたい仰せですが、諸先輩方がいらっしゃいます。突然私を筆頭にすれば、問題が生じるかと存じますが」


 デューンが驚いて言うと、ロームではなく重臣筆頭のボーゲン・レイーが口を挟んだ。


「私ども文官が軍事に口を挟むのはいかがかと思いましたが、デューン殿を『王の牙』筆頭にとは陛下歴年のご希望でございます。また、その方がこの国も強くなると信じておりますゆえ、私たちも陛下にそのことをお勧めいたしました」


 デューンは目を細める。腑には落ちないが、相手は大宰相と録尚書事という文官の最高官位の二人である。とりあえず話を聞くことにしたデューンであった。

 デューンのそんな気持ちを察したかのように、トジョー・カーイが続けた。


「今の軍管区指揮官は概ね歳を取り過ぎています。それに家柄で就任した者が多くございます。年功序列もよいですが、組織には天才も必要です。それが軍事面などの特殊な才能を必要とする部分では特にそうです。先年の戦では年功序列の弊害が露わになりました」


 デューンは頷く。あの時は若手の将軍シオン・マムルークが主張した即突撃すべしという意見を将軍たちは聞かず、いったん退いて敵を罠にかけるという陳腐な策を採用したため、敵に簡単に見破られて苦戦に陥った。


 しかも、作戦を強行した将軍たちは逸早く避退し、シオン将軍は側背に敵の重圧を受けてしまい、多大な損害を出した。それでも踏ん張って耐えた彼の突撃後、勝利の色が見えだした後に、件の将軍たちはのうのうと戦列に戻って来たのである。


 デューンの奇策が功を奏したからいいものの、そうでなければ勝利のみならず可惜あたらシオンという良将をも失うところであったのだ。

 これにはロームも激怒し、将軍たちを処罰すると言って聞かなかったが、ボーゲンやトジョー、それにシオンがロームをなだめて時期を見ることにしていたのである。


「幸いにも『王の牙』の面々は軍事的才能が証明された者ばかり。その方たちを軍管区指揮官として外へ当たらせ、デューン殿を『王の牙』筆頭として才能あふれる者たちを王の許に集めれば、この国は万歳です」


 ボーゲンがそう言って笑った。

 王国暦1546年春、デューン・ファランドールは『王の牙』筆頭となった。23歳のことである。後任の『王の盾』隊長には、デューンの推挙によって30歳のイヌマエル・クーチン軍団指揮官が任ぜられた。


     ★ ★ ★ ★ ★


 デューンは、宮殿を脱出した後、そのままバビロンに向かった。

 王シャー・ローム3世の遺言は、『姫と剣をサームの許に届けよ』だったが、王都から直接“東の藩屏”たるトルクスタン侯国へ行けば、ザッハークの網に引っ掛かると感じたからだった。


 実際、ザッハークは宮殿のどこからもロームとウンディーネの遺骸が見つからなかったため、


「ロームはサームの所に逃げたに違いない。トルクスタン侯国への道はすべて遮断し、旅人は一人残らず調べろ」


 という命令を発していたのだ。

 バビロンに着いた彼は、すぐにある家を訪れた。そこはバビロンの北西、サルサル湖の近くに建っている古い屋敷だった。


「これはデューン様。何事ですか? 王都からはあなたの手配書が届いていますよ?」


 屋敷の主である若い娘が、尾羽打ち枯らした様子で訪いを入れたデューンを一目見て驚いたように訊いた。


「ザッハーク殿下の反乱だ。陛下は東に逃げられた。私は陛下の負託を受けてこちらに逃げてきたのだ」


 デューンはあえてそう言う答えをした。ここまで逃げてくる1週間の間、ザッハークはロームの死を発表していない。まだ遺骸を見つけられていないのだろう。

 真実を喋ってこの家からそれが漏れてもつまらない。陛下はまだ生きていることにすればいいのだ。


「それよりアマル、食べ物はないか。それとこの子にも何か食べさせてやってくれ」


 デューンはそう言いながら、自分の懐にしっかりと抱いていた赤子……王女ホルンをアマルの腕に抱かせた。


 アマルはびっくりして訊く。赤子が可愛らしかったこともあるが、そんな幼子をどうしてデューンが? という顔だ。


「デューン様、このお子様は? まさかデューン様の隠し子?」


 アマルが訊くと、デューンは沈痛な顔で短く答えた。


「王女ホルン様だ。私は姫のことを陛下から託された」


 デューンは、旅の中ですっかりボロボロになったマントを脱ぎ捨てると、そう言ってため息をついた。


「……分かりました。『王の牙』たるあなたがそうおっしゃるなら、私はそれを信じます。まず、身体を洗ってください。その間に食事を準備しますし、この姫にもお乳を与えますので」


 アマルはそう言うと、家令や侍女を呼び立てた。

 アマル・ニンフエールはこの時22歳。彼女はシルフの一族であり、元はウラル帝国の古い家柄の娘だった。


 彼女はデューンが『王の牙』筆頭になったころ、アルベニアのティラナから彼を慕って王都イスファハーンに出てきた。そして父ガラナの懇請により、デューンは彼女の婚約者となったのだ。この家は父ガラナが二人の新居として所領と共に分け与えたものだった。


「……姫様の様子はどうだ?」


 風呂から上がると、デューンはまずそう訊いた。アマルは微笑んで


「お元気そうですよ。お乳もしっかり飲まれています。それにしてもデューン様、乳飲み子を1週間もよくお世話されましたね」


 そう言うと、不意に表情を険しくして訊いた。


「この所領に入るところを、誰に見られていませんか?」

「いや、そこは大丈夫だ。それにそなたとのことも、まだ陛下にすらお耳に入れていなかったから、私の避難先にそなたのことが上がることもなかろう」


 デューンの返事を聞いて、アマルはホッとしたようにうなずいて言った。


「では、ほとぼりが冷めるまでここにいてください。東に向かう時にはお知らせください。私もついて参りますから」

「なぜ、私が東に行くと?」


 デューンが訊くと、アマルはニコリと笑って言った。


「きっと陛下はサーム様にこの姫を託されたのでしょう? 陛下に忠誠なあなたのこと、その命に背くことはないはずですから」



 デューンは、ホルンの首が据わるころまでアマルの所領に隠れていた。


「デューン様、何を考えていらっしゃいますか?」


 中庭で降り注ぐ太陽の光を浴びながら、苔むした石に座っているデューンにアマルが静かに声をかけた。デューンは閉じていた眼を開き、アマルを見つめて言う。


「ここは、静かだ。ここにいると、私は自分が『王の牙』だったことを忘れてしまいそうになる」


 アマルは寂しそうな目をして、そう言うデューンを見つめていたが、


「私は、あなたと姫様がいつまでもここにいてくださればいいと思いますが、王様のご命令を軽んじるあなたではないことも知っています。まだあの日から半年、国の東の方ではまだまだ旅人に目を光らせているようです。ホルン様が旅に耐えられるようになったらすぐにここを発ちましょう。私の方で準備を進めておきますから」


そう笑って言った。


「すまないな、アマル」


 そう優しく言うデューンの胸に寄りかかりながら、アマルは静かに答えた。


「気にしないでください。あなたがそう言うお方だから、私はあなたを好きになりました。あなたの力になれればそれで幸せです」


 そんな二人がサルサル湖畔の家を離れる時期は、予定よりも少し早くなった。『王の牙』に所在を嗅ぎつけられたのである。


 その日は朝から雲が低く、どことなく不穏な雰囲気が漂う日だった。アマルとデューンはいつものとおり連れだって所領を見回っていた。

 もちろん、所領の住民はデューンのことも知っていたし、彼のことを口外することもなかった。それでも彼がここにいることが分かったのは、『王の牙』が誇る探索能力のたまものだっただろう。


「今年の麦は豊作のようね」


 金色に波打つ小麦畑を見つめながら、ホルンを抱えたアマルが言う。デューンも、風が吹き渡る小麦畑を見つめていたが、不意にその身体が強張り、緊張が走った。


「……アマル、姫様を連れて屋敷に戻り、ここに私の槍を持って来てくれ」


 アマルは、視線を動かさずに言うデューンが見つめている先のものを見た。そこには長大な剣を背負った一人の男が静かにたたずみ、こちらを見ていた。


「……あれは……」


 上ずった声でアマルが訊くと、デューンはさざ波のような声で答えた。


「『王の牙』だ」


 そして再びアマルに言う。今度は先ほどよりも強い口調だった。


「姫様を屋敷に。そして私の槍だ」

「はい」


 アマルは慌てて屋敷へと駆けだす。ホルンを侍女に預けると、デューンが愛用している穂先の長さが60センチもある手槍を抱えて、デューンの許に駆け戻った。時間が妙に速く流れる感じがして、足元が覚束なかった。


「ありがとう。そなたは屋敷で待つとよい」


 デューンは、『死の槍』を受け取ると、優しい声でアマルに言った。その時、男が話しかけて来た。デューンの『死の槍』を見て彼と確信したのだろう。


「……デューン・ファランドール殿ですね?」


 デューンはうなずいて答える。


「そうだ。そなたはオセル・アルテマだな?」


 オセルもうなずくと、短く言った。


「デューン・ファランドール殿、王の命により処断する」


 デューンは再びうなずくと、アマルの方に顔を向け、オセルに訊いた。


「承った。彼女は関係ないが、如何?」


 するとオセルも再びうなずくという。


「分かっている。王の命なき者は処断せぬ」


 オセルの言葉を聞いて、デューンはアマルに「屋敷に戻るように」と告げた。アマルは目に涙を湛えながら、うなずいて駆け去って行く。


 アマルの姿が屋敷に消えるのを見送ったデューンは、『死の槍』を構えてオセルに向き直った。


「では、いざ!」

「いざ!」


 余人を交えない勝負が始まった。


 先制したのはデューンである。オセルは『王の牙』筆頭であったデューンに敬意を表するため、敢えて先制攻撃を控えたものらしい。

 しかし、ロームの遺命を奉じるデューンは、相手が元同僚の『王の牙』であろうと、手加減するつもりはさらさらなかった。


「はっ!」

「むっ!」

 ガインっ!


 デューンは、裂帛の気合と共にオセルに突きかかる。オセルはその両手剣で『死の槍』を弾き上げると、


「おうりゃっ!」

 ぶうんっ!

「はっ!」


 デューンは跳び上がって間一髪でその斬撃を避ける。すれすれにかわした足の下を凄まじい刃風が通り過ぎるのを感じながら、デューンは『死の槍』を叩きつけるように振り下ろした。


 ヂィィンッ!


 オセルは両手剣でそれを受けると、大剣で穂先を跳ね上げながら間合いを開けた。


「……さすがは『王の牙』筆頭」


 オセルはそうつぶやくと、身体から『魔力の揺らぎ』を噴出させた。彼のエレメントは『風』であり、緑色の風が彼の身体の周りの空気を振動させ、渦巻くように迸り始める。


「やっ!」


 オセルの矢声と共に、『魔力の揺らぎ』を乗せた大剣は、巨大な斬撃波をデューンに向けて飛ばしてきた。


(オセルの奥義、『旋風刃ティポーンブレス』か)


 デューンもとっさに『魔力の揺らぎ』を解放する。


 ズバム!


 デューンの身体を覆った紅蓮の炎のような『魔力の揺らぎ』は、緑色の衝撃波を破砕した。デューンの周囲に大きな爆炎が立ち、彼の視界を一瞬奪う。


「覚悟ッ!」


 それを勝機と見たオセルは、爆炎の真っただ中に躍り込んで大剣を揮う。


(手ごたえがない、避けられたか)


 大剣が空を切る感覚に、オセルは舌打ちしながら後ろへと跳び下がった。その瞬間、彼がいた空間をデューンの『死の槍』が薙ぎ払った。


(そこにいたか!)


 デューンの所在を知ったオセルは、再び『旋風刃ティポーンブレス』を放つ。


「やっ!」

「うおうっ!」

 ジャリンッ!


 甲高い音が響き、オセルの攻撃は再び弾かれる。


「やあっ!」


 オセルはデューンが次は跳躍すると見て、自分も飛び上がりつつ大剣を振り上げた。


「むっ!」


 デューンは確かにそこにいた。しかし、デューンの『死の槍』はすでにオセルの心臓に狙いを定めていた。


「とおっ!」

 ドムッ!

「ぐはっ!」


 オセルは空中で姿勢を変換するという離れ業を見せたが、その回避行動は一瞬だけ遅かった。致命傷は免れたが、オセルの左わき腹に『死の槍』は深々と突き刺さった。


「むんっ!」

 ザシュッ!

「うぐっ!」


 デューンは顔色一つ変えず、突き刺さった『死の槍』を右に薙ぎ払う。オセルの呻き声と共に、血が迸り出す。それでもオセルは痛みに耐えつつ見事に着地して、大剣を構え直した。


「……勝負はついた。剣を納めよ」


 デューンは、ふらふらと突っ立っているオセルにそう言い、槍を引いた。

 けれどオセルは、大剣を構えたままデューンに言った。


「そなたも『王の牙』なら存じておろう。王命を奉じたものはその任務を果たすか死ぬかのどちらかだ。戦士としての情けがあれば、我に戦いの中での死を与えてくれ」


 そう言いつつ、電光のようにデューンに斬りかかった。

 デューンは、迫りくるオセルを見て、槍を構え直した。


「我が主たる紅蓮の炎よ、かの戦士を憐れみその破砕の鉄槌によって真の戦士に相応しい散り際を与え、『Memento Mori(死を思い出さ)』せよ……はッ!」

 ズブシュッ!


 デューンの槍は、炎のような『魔力の揺らぎ』をまとい、オセルの心臓を過たずに刺し貫いた。


「……こ、これで……いい……感謝する、『王の牙』筆頭よ」


 オセルはそうつぶやくと、どうと仰向けにたおれた。


「……あたら真の戦士を……ザッハークめ……」


 デューンは、満足そうな微笑を浮かべて倒れているオセルを見つめ、悔しそうにつぶやいた。


     ★ ★ ★ ★ ★


 デューンは、オセルの襲撃の後、アマルと共に密かに西へと旅に出た。


「ザッハークは私の居場所を突き止めた。ここにいたら、次から次へと『王の牙』が襲って来るだろう。元の仲間たちと槍を交えたくない」


 デューンの言葉に、アマルは頷いた。


「では、父ガラナがいるアルベニア国へ参りませんか? そこなら父の協力も期待できます」


 しかし、デューンは首を振った。


「私は陛下に、ホルン姫を託されている。他国に逃れても『王の牙』は追ってくるだろう。ひとまずもっと西に逃れ、ほとぼりが冷めた頃にサマルカンドへと向かおう」


 こうして、サルサル湖畔の家を捨てた二人は、ホルンと『アルベドの剣』を抱えて西へと向かった。

 けれど、彼らは最初、北への道を取った。


「私とあなたのことが『王の牙』に知られているのであれば、彼らは西の方面を警戒することでしょう。一旦アッシリア方面に向かい『蒼の海』へと出て、そこから西へ折り返せば、私たちの行き先を誤認させられます」


 デューンは、アマルのその言葉に従ったのだ。

 いかに庶民の形をしていても、『死の槍』とデューンの持つ雰囲気を見る人が見れば、彼がただ者ではないことが分かってしまう。そう言う不自然さは人の噂に上り、やがては『王の牙』たちの知るところとなる……サルサル湖畔の隠れ家がバレたのも、恐らくはそう言うことだったに違いない。


 二人は、一月後に300キロほど北にあるモースルというアッシリア地域の入口ともいえる町に到着した。

 この町でデューンは、『カルロス・ニンフエール』の名で用心棒稼業を始めた。

 元『王の牙』という戦士の中の戦士であったデューンは、瞬く間に『凄腕の用心棒』という評判を取った。彼が引き受けるのは盗賊や魔物の退治という難易度が高いものであり、それを完璧に遂行するということで、町では彼の名を知らぬ者はいないというほどになった。


「いかんな、あまり目立ってはこちらから『王の牙』を呼び込んでいるようなものだ」


 ある日、デューンがそうつぶやくと、ホルンをあやしていたアマルがクスリと笑って言った。


「けれど皆さんの役に立ちたいという気持ち、抑えられないのでしょう? あなたらしいわ」


 そして、デューンの心を軽くするような微笑で続けた。


「ホルン様もお元気に育っています。私はあなたとホルン様がいれば幸せです。いつかここを立ち退かねばならない日が来たとしても、私はあなたについて行きます」


 ハイハイをしてアマルの膝に上がってきたホルンは、アマルの顔を見てニコリと笑い、その胸に顔をうずめて来た。


「分かりましたよ、ホルン様。甘えん坊さんですね」


 アマルはそう笑うと、ホルンとデューンのために食事を準備し始めた。


(すまないアマル。お前の気持ちを分かっていながら、まだそれに応えられない私を許してくれ)


 デューンは二人の姿を見つめながら、そう考えていた。



「『蒼の海』の方角へ行くぞ」


 ある日、出先から戻ったデューンは、ホルンと遊んでいるアマルに一言言った。

 アマルは、突然の言葉に驚きながらも、デューンの表情に焦りと緊張の色が浮かんでいるのを見て、うなずいて言った。


「……分かりました。『王の牙』がまた現れたのですね?」


 するとデューンは、石色の瞳を持つ目を細めると、首を振った。


「いや、まだ出くわしてはいないが、私のカンがこの町にいては危ないと告げている。『蒼の海』近くの町まで出て、状況を見てみよう。ザッハークが東への警戒を疎かにしているのなら、そのままサマルカンドへと足を延ばす」


 アマルは、『王の牙』との邂逅がなかったことに安心し、ホルンを抱き上げながら答えた。


「そうですか。この町にも3か月近くいましたからね。デューン様の仰るとおり、一度東に向かっていいでしょう」


 そして、ホルンの翠色の瞳を優しく見つめながら、


「ホルン様、旅は厳しいこともありますが、私とデューン様がいれば安心です。いろんな世界をその目で見てください」


 そう語りかけた。

 ホルンは何も知らぬげに、キャッキャッと笑い、手足を動かしていた。


 次の日、デューンたちは宿を引き払い、いったん北西に向かってアッシリア地方に入り、そこから東へと向きを変えて山脈を縫うように進み、レザーイエ湖の西岸にあるオルーミーイェという町に入った。およそ700キロの道のりだった。


 なお、デューンが宿を引き払った1週間後、モースルの町に『王の牙』の一人、ジン・アンロイムが現れた。デューンのカンは、見事に彼を危地から救ったのだった。


 デューンは、アマルとホルンの疲労と今後のことを考えて、この町でしばらく時間を過ごすことにした。町の郊外に宿を取ったデューンは、再び『カルロス・ニンフエール』の名で用心棒稼業を再開したのである。



 ホルンをシャー・ローム3世から託されて、やがて1年が経とうとしていた。

 しかし、相変わらずザッハークはデューンの行方を捜索しており、デューンはレザーイエ湖畔からなかなか動けなかった。


「ザッハークは、陛下の死を確認しないまま王位に就いた。当然、陛下がどこかで生きておられ、私と共に捲土重来の時期を窺っていると思っているだろう。東に向かうのは、ザッハークが陛下の死について安心した時だろうな……」


 デューンは、オルーミーイェ郊外に古びた家を求めると、3人での暮らしを始めた。ここでは用心棒としての働きは余りせず、この地方では珍しい作物を育て始めたのだ。

 この地域では寒さが厳しく、デューンはアマルと共に早めに収穫した野菜の選別を行っていた。1歳半になったホルンは暖炉の暖かさにウトウトしているようだ。


「デューン様は、武人なのに野菜の育て方をご存知なんてびっくりしました」


 アマルは、ニンジンやカブと言ったものだけでなく、キャベツやジャガイモなどの今まで見たこともなかった野菜を見て、そう笑って言う。


「私は槍で天下に名を轟かそうと志しはしたが、軍人になるつもりはなかった。だから学校も普通の学校に通い、そこで様々な友人たちと触れ合った。野菜の知識も、そこで少し聞きかじっていたものだ」


 デューンはシカの皮で野菜を運ぶ籠を編みながら、そう笑って言う。言いながら彼は、よちよち歩きを始めたホルンを、遠い目をしながら見つめていた。

 と、ホルンはニンジンの赤い色に気を惹かれたのか、よちよちと危なっかしく歩いて行き、そこに転がっていたジャガイモに足を取られてひっくり返った。


「ホルン様!」


 アマルが慌ててホルンを抱き上げると、泣いていたホルンはおとなしくなり、


「……ママ……」


 そう、透き通った声で言った。


「アマル、姫様がしゃべったぞ!」

「はい、確かに『ママ』と聞こえました」


 デューンは、喜色満面でホルンを抱きしめるアマルを見て、ふと涙がこぼれそうになった。陛下が生きておられれば、さぞ喜ばれたことであろう。またアマルも、自分の血を分けた子どももほしいであろう。


(私は早く陛下との約束を果たしたい。しかし、時期がまだ来ぬようだ……)


 デューンはそう考えながら、アマルとホルンを見つめていた。



 デューンたちはレザーイエ湖畔の家で1年ほど暮らした。野菜を作って近くの町で売り、たまに用心棒として働きつつ、ザッハークの動きを探る1年であった。


 しかし、そこでの暮らしもついに終わる時が来た。

 『王の牙』の一人、ジン・アンロイムが彼の前に現れたのだ。


 ジンは『王の牙』にあるまじく、オルーミーイェの町中で、しかもアマルもホルンも見ているところでデューンにいきなり斬りかかって来たのだ。


「何をする!?」


 デューンがジンの剣を避けながら叫ぶと、ジンはその険のある目を細めて言った。


「元『王の牙』筆頭デューン・ファランドール、陛下の命により処断する」


 デューンはジンがそう言うのを聞くと、石色の瞳を持つ目を細め、身体から緋色の『魔力の揺らぎ』を噴き出しながらつぶやいた。


「……ジン・アンロイムか……そなたのやりそうなことだな」


 デューンは、自分の隣に露店を開いていた女性に


「ちょっと借りるぞ」


 そう言って樫の棒を手に取ると、棒の真ん中を握り、斜に構えてジンに呼び掛けた。


「来い、ジン。『王の牙』らしからぬそなたには、『王の牙』らしからぬ最期を遂げさせてやる」

「何をっ!」


 ジンは、デューンの呼びかけにカッとして、剣を回して跳びかかって来た。デューンはそれをじっと見つめていたが、


「ハッ!」

 ズバン!

「ぐっ」


 ジンは、一声呻くと、デューンにあと2メートルほどの所で足を止める。そしてしばらくそのまま突っ立っていたが、やがてその右手から剣が滑り落ちると同時に、ドサリという鈍い音と共に仰向けに倒れた。その目や鼻、耳から血を噴き出しながら……。


 その場にいた誰も、ジンが何をされたのかは理解できなかった。デューンは、自分の右手を軸に、棒を回転させてジンの頭蓋と顎を叩き割ったのだ。一瞬の早業だった。


「悪かったな、これは返しておく」


 デューンはそう言うと、樫の棒を女性に返し、ホルンとアマルを振り向いて言った。


「帰ろう」



「ジンがあのような襲い方をしてきたということは、私をどうあっても討ち取りたいのだろうな。ここにいては危ない」


 デューンはそう言うと、アマルとホルンを連れてレザーイエ湖を離れた。

 今度は西に向かって旅を続けるのだ。

 山脈を縫い、湖のほとりで水浴びをし、そして砂漠の熱に焼かれ……その行程は過酷を極めた。デューンができる限り人の通らない場所を選んで進んだからということもあるが、


(この旅で、姫様の能力を底上げしておきたい)


 そう考えて、わざと険路を選んだということもある。

 アマルも、シルフの一族だけあって、難行ともいえる旅にめげず、ホルンを優しくいたわりながら進んだ。決して弱音も吐かず、デューンに恨み言一つ言わなかった。


 やがて、長い旅の後、彼らは遠くダマ・シスカスの郊外に家を買って落ち着いた。


「こんな大きな都市の近くに住んで大丈夫でしょうか?」


 アマルが、旅の途中で3歳になったホルンを膝に座らせて訊く。


「木を隠すには森がいいという。オルーミーイェは森としては小さすぎた。ダマ・シスカスならば、私という木を隠してくれるに違いない」


 デューンの言葉のとおり、彼らは『王の牙』ルワン・アンロイムが現れるまで、ここで7年間、平穏に暮らすことになる。ホルンにとっては貴重な幼児期の時間だった。



「デューン様、ホルン様は『風』のエレメントが覚醒されました」


 近くの山で猟を終えたデューンは、家に帰るとアマルからそう聞かされて頷いた。


「そうか、それは良かった。魔力のエレメントが覚醒したことは、この先の姫様の人生に役立つことだろう」


 そう言うと、アマルに真剣な顔で頼んだ。


「そなたと姫様のエレメントは同じ『風』だ。そなたは姫様にエレメントの使い方をしっかりと教えてやってくれ。私がいなくなっても一人で生きていけるように」


 それを聞いて、アマルもまたうなずいて答えた。


「エレメントの件は承知しました。けれど、なぜそんなことを? 『王の牙』の噂でも聞かれたのですか?」


 するとデューンは、薄く笑って言った。


「いや、そうではない。しかし、私は姫様が御成人なされるまで生きてはいない気がするのだ。私を狙う『王の牙』はあと6人も居る。その中でもシュール・エメリアルとエミオット・ジルの二人は、それぞれ『武の災厄』『死神』と呼ばれた二人だ。どちらも私を圧倒する実力があるからな」


 するとホルンが玄関まで走り出てきて、激しく頭を振って言った。


「そんなことないもん! とうさまは誰にも負けないもん!」


 その瞬間、ホルンの銀色の髪がふわりと風をはらみ、部屋の中をつむじ風が駆け抜けた。


「おおっ!」

「ホルン様、落ち着いて!」


 驚いてたしなめるアマルに、デューンはにこやかに言った。


「よいよい、私が気弱なことを言ったのがいけないのだ。私は誰にも負けぬ。『王の牙』筆頭たる私が、陛下との約束も果たさずに死ねるわけがない」

「そうよ、とうさまは強いもん」


 デューンは、翠色の瞳で自分を見つめるホルンと、ホルンを抱きしめるアマルを見つめながら、固く心に誓うのだった。


(何年かかろうが、私は陛下との約束は果たす。必ず姫をサマルカンドにお連れして、サーム様と共に姫を盛り立て、陛下の無念を晴らしてみせる)


 思えば、ロームがデューンに後事を託したのは、3年前の花萌える早春の日だった。

 そして彼がアマルを失うのが、7年後の早春。

 シュールと相討ちとなり果てるのが、12年後の早春だった。


 早春とは、デューンにとって別れの季節だったのかもしれない。


(サイドストーリー・早春の別離わかれ 完)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

人生には『巡り合わせ』というものがあると思います。

それに翻弄される人もいれば、立ち向かっていく人、あるがままに受け入れる人と様々です。

デューンは、『ホルンをサームのもとに届けよ』という国王ロームの最後の命令を完全には遂行できませんでしたが、力の及ぶ限り誠実に人生を生き抜いた彼がいなければ、ホルンはホルンになり得なかったとも思っています。

次回は、『豊穣の記憶』としてオリザの物語を書く予定です。お楽しみに。

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