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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
63/70

サイドストーリー・老将の追憶

ティムール・アルメ。

ファールス王国の元『王の牙』であり東方軍司令官。

ホルン陣営の重鎮の一人であった彼の前半生と、ホルンとの不思議な因縁を書いてみました。

 ダマ・シスカスは、ファールス王国西方地域では、バビロンやスタンブールに劣らぬ大きな都市である。ここは西方と中央の結節点となっていて、海路ロムルス帝国などからもたらされた文物が一旦集まる場所となっている。

 その交通の要衝という地政学的位置から、ハッサン2世やエラム3世の時代には一時的に王都として機能していた時期もある。


 そのダマ・シスカスに、10万もの軍が到着した。ドラゴンが象られた軍旗を翻しながら威風堂々と市内を行進するその軍からは、旺盛な攻撃精神と厳然とした軍紀の存在が覗われる。この大部隊を率いるのは、女王ホルンの信任も厚い歴戦の老将ティムール・アルメだった。

 やがて、その軍隊の大部分はダマ・シスカス南門の外に造られた陣地に向かったが、一部の部隊は市中心にある『黄金の宮殿』へと入っていった。


「将軍、第8軍がザルカーから退き始めました」


 宮殿内を鋭い目で観察しながら歩くティムールに、側に控えている副官が報告する。ティムールは一つうなずくと、(さび)のある声でつぶやいた。


「うむ、プトレマイオスの後任者はアンティオコスだったな。ザルカーを捨てて海沿いの陣地線で抵抗するつもりと見える」


 そしてティムールは前を見たまま、副官に命令を下す。


「ヤズド、ポロクル将軍とムカリ将軍に、すぐにわしの司令部に来るように伝えよ。もちろん、参謀帯同でだ」

「はい!」


 駆け去って行く副官を見送りつつ、ティムールは左右の精悍な男たちに訊いた。


「スブタイ、クビライよ、アンティオコスは女王陛下に対する抵抗を示したようじゃ。この戦いはただの残敵掃討ではない。陛下が親政を始められるに当たって、その威令が国内にあまねく届くようにするためには、国民の意思統一が不可欠。それが成るかどうかの戦いじゃから、できるだけ速やかにアンティオコスを叩かねばならぬ。そなたたちならどうする?」


 すると、豊かな顎鬚を蓄えたスブタイが答えた。


「ティムール殿の仰るとおりです。この戦いは時間をかけるわけには参りません。アンティオコスが無傷な第8軍全軍を引き連れてスール、アクレ、ハイファ、ネタニア、アビブ・ヤフォ、アシュドド、アシュケロンなどの海岸要塞都市を守れば、思わぬ時間を取ることになるでしょう」


 その言葉に、隣のまだ30代前半くらいのクビライも続けて言う。


「ですから、海から包囲しつつ陸から叩く……そんな方策で相手を追い詰めていく方法をお勧めします」


 二人の言葉に平等にうなずきながら、ティムールはすっかり白くなった顎髭をしごきながら言った。


「わしもそう思う。都合よくベイルートの軍港はモーデル殿が占領している。すぐにスブタイはベイルートに行って、モーデル殿のアクアロイド部隊で海から敵の要塞都市を牽制するように依頼してくれ」

「了解いたしました」


 そう言うと若い男は駆けだそうとする。それをティムールは笑って押し留めた。


「待て待て、そう焦らんでもよい。ムカリとポロクルがここにやって来るので、先に皆で今後の作戦をすり合わせた方が良い」



 その後、先鋒のムカリとその幕僚、後詰のポロクルとその幕僚を交えて行われた作戦会議で、ティムールは次のような方策によって西方海岸地域を平定することとした。


 まず、一番北方のスールについては、アクアロイド部隊の攻略に任すこととした。

 次に、アクレ、ハイファの隣接する2拠点は、ムカリが3万の軍で攻略にかかる。

 そして南の拠点群アビブ・ヤフォ、アシュドド、アシュケロンには、ティムールがポロクルと共に5万の軍でかかる。

 こちらの本拠であるダマ・シスカスはスブタイが1万の軍で守り、アクアロイド部隊との連絡に当たる。

 そして敵拠点だったザルカーは、クビライが1万の軍で接収に当たるとともに、ティムール軍の後詰も兼ねる。

 敵北方拠点と南方拠点群の中間に位置するネタニアについては、ティムールの深謀によって素通りすることにした。それは、南方拠点群の一つであるアビブ・ヤフォの守将が、ネタニアの守将の弟だったことにもよる。


「さて諸君、陛下は今ローマニア王国との戦いに出征されているし、ガルム将軍も第12軍の反乱鎮圧に動いている。我らが海岸諸都市を押さえれば他の2軍の援護にもなり、ひいては陛下の御代を光輝あるものにすることにもつながる。一戦一戦を大事にして、またここで諸君と会う日を楽しみにしている」


 ティムールはそう、配下の諸将を見回して言った。



 ティムール率いる軍は、半年ほどで海岸沿いにある城塞都市を一つ残らず手に入れ、第8軍もその軍門に降った。

 その作戦は鮮やかなものであった。


 まず、一番北方のスールは1万の軍が守っていたが、アクアロイド隊きっての名提督エース正提督は50隻の戦列艦と150隻の通報艦によって海上から都市を包囲し、陸上にも陸戦隊4千を上陸させた。


「わずか4千じゃ、敵から返り討ちにあいませんかね?」


 エース艦隊の副指揮官であるサンド准提督が言うが、エースは笑って答えた。


「君の4千を攻撃したら、スールはこちらのものになってしまう。敵も我が艦隊がここで日向ぼっこしているとは思わないさ。艦隊の動きに気を取られて、君たちの上陸にすら気付かない可能性もあるよ」


 エースは周到にも、スール周辺の海域を完全に測量し、夜陰に紛れてサンド准提督の陸戦隊を上陸させた。夜間だったために敵は上陸に気付かず、サンドはスブタイから派遣された5千と共に橋頭堡の確保に成功した。

 そしてエースは艦隊の全力を挙げてスールを陸海から封鎖し、その補給を完全に断った。


 後は、熟柿が落ちるようだった。

 攻囲開始後、わずか1週間にしてスールの守将は白旗を掲げたのである。


「スールはサンドが確保せよ。我が艦隊はこのままムカリ殿の援護に当たる」


 エース艦隊はそのまま南下した。



 そのムカリは、アクレ、ハイファを遠巻きにしていた。この二つの城塞は半円形に窪んだ湾の北と南に位置し、その連絡を軍船で行っていたため、海軍なしの攻囲は難しかった。

 彼が主攻線を向けたのは、湾の南にあり軍港を抱えるハイファだった。


「ハイファを落とせば、その北側のアクレも落ちる」


 ムカリは最初の1週間は偵察と小競り合いに終始し、敢えて敵城塞には近づかなかったので、ハイファを守る敵将は


「敵は打つ手を無くしているぞ」


 と、ムカリ軍を舐めてかかったのか、北のアクレから兵力を引き抜きムカリ隊に何度も野戦を挑んできた。


「相手にするな。もっと奴らを思い上がらせろ」


 ムカリは全軍を急造の陣地の中に収容し、敢えて抗戦を控えさせた。


 しかし、1週間後、事態は完全にムカリの思う壺に嵌った。エース艦隊がハイファの沖に到着したのだ。

 エース艦隊は、赤子の手をひねるようにしてハイファとアクレを結ぶ軍船を撃沈し、あまつさえ陸戦隊を揚げてアクレまで占領してしまった。


「これは想定外だ」


 敵将は補給の要であるアクレと、輸送手段である軍船を失い途方に暮れた。なまじアクレから兵力を増強していたため、本来なら一月は持つ食料もあと2週間を支えられるかどうかしかなかったのだ。

 さらに災厄は重なった。ムカリが陸上も包囲輪を完成させ、しかもハイファを取り囲むように空堀まで完成させてしまったのだ。


「これでは戦はできない」


 敵将は野戦によって事態の打開を図る望みを奪われ、籠城を諦めた。攻囲開始後2週間が過ぎたところで、ハイファの守将は白旗を掲げた。



 南の拠点群アビブ・ヤフォ、アシュドド、アシュケロンに向かうティムールは、事前にポロクルに策を授けていた。


「よいか、わしは南のアシュケロンにかかるが、暫く攻撃は控える。そなたは第8軍の司令官たるアンティオコスが依るアビブ・ヤフォにかかり、すぐにこの矢文を撃ち込め」


 と、一枚の手紙をポロクルに渡す。ポロクルはそれを受け取りながら訊く。


「それでアビブ・ヤフォが落ちるのでしょうか? アビブ・ヤフォの北側にあるネタニアには手を付けていません。ネタニアもなかなかの堅城、ぐずぐずしていたら我が軍は挟撃を食らいますが」


 するとティムールは笑って答えた。


「アビブ・ヤフォもネタニアも、海岸地域では群を抜いた堅城、まともに攻めてはどれだけ時間と兵力を無駄遣いするか分からん。幸い、アンティオコスは疑り深くて肝が小さい。ネタニアの守将エゼキエルとアビブ・ヤフォの守将の一人ラミエルは兄弟じゃ、そのことを利用してアンティオコスの猜疑心を刺激するとよい」


 ポロクルは、ティムールの策どおりアビブ・ヤフォに到着すると、陣地を造る傍ら、矢文を射込ませた。

 その矢文を拾った敵兵は、すぐに上司のもとに届け出る。

 その上司は、矢文の文面を見て血相を変えてアンティオコスのもとにそれを届け出た。


「何、エゼキエルとラミエルが既に敵に内通しているだと?」


 アンティオコスは矢文の文面を見て顔色を無くして叫んだ。矢文はネタニアの守将エゼキエルからラミエルに当てたもので、


『兄はホルン陛下のもとに馳せ参ずる決心をした。そなたも兄と共に武将としての正義を全うするため、ホルン陛下のもとに参ぜよ。その手始めとして、兄の旗を見たらアビブ・ヤフォの城門をティムール殿のために開け』


 と認められていたのである。


「……この手紙、どう思う?」


 アンティオコスが左右の者に訊くと、彼らは口々に不審に思っていたことを言う。


「そう言えば、なぜかネタニアだけは攻撃を受けていません。エゼキエルはずいぶん前から敵とよしみを通じていたに違いありません」

「この手紙が司令官殿の手に入ったのは幸いです。すぐにラミエルを排除せねば、この城は内部から瓦解します」


 その言葉に促されたように、アンティオコスは副将ラミエルを排除する決心を固め、彼を帷幕に呼び出そうとした。

 しかし、帷幕に詰めていたラミエルに好意を抱いているトキルという部将が、それより先にラミエルにアンティオコスの命令を告げ口していた。


「私は兄とそんな話はしていない。それは濡れ衣だ」


 ラミエルがそう言うと、トキルもうなずいて


「はい、私はラミエル殿の日頃の忠誠心を見ていますから、これは敵の謀略に違いないと思っています。けれど、問題はそのこと一つを見抜けない司令官殿やその取り巻きたちです」


 そう言うと、驚くべきことをラミエルに献策した。


「良禽は木を選ぶといいます。そもそもザッハーク陛下の時と今を比べてみてください。ファールス王国は確かに変わろうとしています。ラミエル殿ほどの逸材です、きっとホルン陛下の許でもっと活躍されるでしょう。濡れ衣で犬死する義理はありません。私と一緒にこの城を手土産にホルン陛下の許に参りませんか?」


 その言葉に、ラミエルは衝撃を受けた。トキルは自分同様、普段から重厚で熟慮するタイプだったからだ。


「……うむ、そなたがそれほど言うのであれば、ホルン陛下の許に参ろうか」


 そう決断したラミエルは、ちょうどその時到着したアンティオコスの使いを斬り捨てると、トキルと共に自分が守っている城門へと駆け付け、


「門を開け!」


 そう部下に命じた。


「やれやれ、猜疑心というものは恐ろしいものだな」


 ムカリは、大きく開かれたアビブ・ヤフォの城門を見てそうつぶやいた。



 その頃、ティムールは2万の軍を二つに分けて、5千でアシュドドを遠巻きにし、1万5千で南のアシュケロンを攻めさせていた。


「ゆるゆると攻めよ。決して敵の野戦には乗るんじゃない。ただ包囲を完璧にし、物資は小麦一粒たりともアシュケロンには運び入れさせるな」


 ティムールは、アシュケロンが他の城塞とは違って海への通路を持っていないことを見抜くと、攻囲する部将にはそう伝えた。

 そして自分はアシュドドを急襲し、火を噴くような一撃を加えると、さっと陣地に潜り込み、敵将に降伏を勧告した。


「城門を破壊しました。あのままアシュドドを占拠しても良かったのでは?」


 ヤズド副官が訊くと、ティムールは石色の瞳を持つ目を細めて、若いヤズドに諭すように言った。


「戦はしょせん騙し合いじゃ。そして、戦は本来やってはならない行為の最たるものじゃ。じゃからアシュケロンやアビブ・ヤフォの状況を勘案しつつ、最も短期に損害少なく戦を終わらせる算段をするのが司令官の役目じゃ」

「はい」


 ヤズドはそう答えるが、今一つ理解に苦しんでいるようだった。ティムールは微笑と共に説明した。


「よいか、わしが一撃を浴びせたのは、我が軍の戦意を上げることと、敵軍の戦意を削ぐことにあった。予想通り我が軍は一撃で城門を破った。これで我が将兵は『アシュドドを落とすのは朝飯前』という自信が持てたことじゃろう」

「はい、そうだと思います」


 ヤズドの返事に、ティムールは頷いて、


「そして敵軍は、自分たちの城門の頼りなさを知った。そしてわしはあっさり軍を引いて、敵に降伏を勧告した。敵将は恐らくそれには同意すまいが、同意しないことで自軍の兵士たちから見限られることになるじゃろう」


 そして、白い髭をなでながら続けた。


「アシュドドは、恐らくこの城塞群では最も脆い。落とすのは簡単じゃが、ここを落としたらアンティオコスを取り逃がす恐れがある。ヤツが南の砂漠にでも逃げられたら探すのは大苦労じゃ。それより、アビブ・ヤフォを失ったヤツの逃げ道としてこのアシュドドは最適なのじゃ」


 ティムールがヤズドにそう言った日からわずか5日で、事態はティムールの思う壺に嵌って来た。アビブ・ヤフォからアンティオコスが逃げ込んできたのだ。

 ティムールは、突然北に現れた軍を見て、それがアンティオコスのものだと知ると、


「戦ってわざと逃げ崩れ、アンティオコスがアシュドドに入るのを見逃せ」


 そう命令した。アンティオコスはそのために無事にアシュドドに入れた。


「ふう、戦ってみるとティムールもそう大したことはないな。ティムールももう69歳、やはり歳には勝てぬか」


 アンティオコスは城内でそう微笑んだという。

 けれどその時には、ティムールの許にはムカリ軍の本隊2万も加わっていたのだ。


「ムカリ、悪いがそなたにあの城を叩き潰してもらうぞ」


 ティムールの言葉に、ムカリは微笑んで答えた。


「ありがたき幸せです。南は開けておきますので、司令官殿は首尾よくアンティオコスを捕まえてください」


 その次の日、アシュドドはムカリの猛攻に潰え、逃げ出したアンティオコスはティムールの虜となった。


 ここに『アトラスの海』に面した城塞都市はすべてホルンの手中に帰し、ファールス王国の再建に大きな役割を果たすこととなった。


     ★ ★ ★ ★ ★


 ティムール・アルメは、王国暦1508年に王国の北西、アンカラにほど近い寒村で生まれた。

 この地域は山がちで、最も大きい盆地では土に塩気が混じり、耕作には向かない土壌であった。そのため、多くの人々は岩塩を掘り、それを売り歩くことで生計を立てていた。


 ティムールの一家も例にもれず、父ハッサンと母イブは日がな一日、岩塩坑で働き、わずかな賃金を得ていた。その日暮らしと言って良い。


 ティムールは3番目の子どもだったが、兄と姉は10歳にもなると働きに出され、ティムールも12歳で、父と同様岩塩坑へ働きに出た。その頃、ティムールの下には6人の弟妹がいた。生活は苦しかったが、つつましくても幸せな日々だったという。


 ティムールに悲劇が襲ったのは、彼が13歳の時だった。岩塩坑の落盤事故で父と兄、そして姉が一度に亡くなったのだ。

 それからティムールは、母と共にがむしゃらに働いたが、生活は前にも増して厳しくなっていった。一日にパン一つを皆で分け合って食べる……そんなことはざらだった。そのため、厳しい冬を乗り切れず弟妹達は次々と死んでいった。


 一番下の妹が死んだとき、ティムールは涙も出なかった。どうにかしてこの生活から抜け出したい。そんな思いで、彼は15歳になった時にアンカラの第10軍司令部を訪れ、母に無断で軍団兵となった。


(これで、母や妹は死ななくて済む……)


 ティムールは安堵の色を浮かべ、軍団の寄宿舎に入った。

 しかし、それから5日後、


「ティムール・アルメ四等兵、すぐに幹事長室に出頭せよ!」


 自分たちの分隊幹事である中隊指揮官補から、そんな命令を受け取ったティムールは、急いで幹事長室に向かった。


「ティムール・アルメ四等兵、入ります」


 入口で怒鳴るように申告すると、彼は青い顔で幹事長室に入る。そこには生徒隊の統括者であるルーン・ファランドール軍団指揮官補が温顔を湛えて座っていた。


「ティムール・アルメ君、ちょっと君に確認したいことがある。こちらに来たまえ」


 ルーン幹事長からそう言われたティムールは、おっかなびっくり歩を進めたが、次の言葉で顔色を無くした。


「君は、保護者の同意があると偽って入団したね?」

「……」


 ティムールは何も言えなかった。事実だったからだ。


「どうした、何か答えたまえ。保護者の同意があるかないか、君自身が良く知っていることだろう」


 ルーン幹事長の声はあくまでも優しかった。それに引き込まれるようにティムールは答えた。


「母の同意はありません」


 それにうなずいて、ルーン幹事長は静かに訊いた。


「軍団は学校ではない。君たちは訓練を終えたらすぐに実施部隊に配属されて、運次第ではそのまま実戦に投入されることだってある。だから志願兵には応募条件として保護者の同意が必要なのだ……ところで君は『母の同意はない』と言ったね? 立ち入ったことで悪いが、父君はどうしているかを教えてくれないか? 君が偽って入団しようとした動機も含めてね?」


 そこでティムールは、父親を含めて稼ぎ手は母を除き鉱山事故でいなくなったこと、生活の貧しさを逃れるために入団したことを、包み隠さず話した。

 ルーン幹事長は、目を閉じて腕を組み、ティムールの話に聞き入っていたが、彼が話し終えると目を開いて静かに言った。


「軍団の規則は勝手にはげられない。ご母堂の同意なしにここでの任務をさせるわけにはいかない……」


 ティムールの明らかな絶望の眼差しを、ルーン幹事長は受け止めつつ続けた。


「……しかし、君の気持ちはよく分かる。どうだ、イスファハーンの軍団学校に行ってみる気持ちはないか? 生徒としては年長の方だが、今までに例がないことでもないからな。君にその気があれば、僕の推薦枠が残っている。どうする?」


 生徒隊幹事長には、これぞという生徒を軍団学校へと推薦する権利と義務がある。これは、有為な若者を軍団兵として消耗するのではなく、上級指揮官としての素養を与えて国家に寄与させようとの趣旨でつくられた仕組みだった。


 この時、ルーン幹事長は27歳。その歳で軍団指揮官補に任官しているのを見ても分かるとおり、彼はアルム4世やエラム3世時代を代表する若手指揮官だった。

 アンカラ司令部の生徒隊幹事長という職の前は西の国境を守る第11軍で第11軍団に所属し、ローマニア王国軍を相手に赫々(かくかく)たる武功を挙げていた。この後彼は、『王の盾』隊長としてアンカラを去ることになる。

 ティムールは幸運だった。



「わしの今があるのは、ルーン幹事長殿のおかげである」


 後年ティムールが、歳の離れた莫逆ばくぎゃくの友であるデューン・ファランドールに語った一言が、すべてを物語っている。


 ティムールは勇躍して王都イスファハーンに向かった。彼の軍団学校入学についてはルーン幹事長が母を説得してくれていた。


「ティムール・アルメ君はとても優秀です。彼のような人材が埋もれるのは惜しい。私が身元引受人をしますので、彼のためにも教育の機会を与えてやってください」


 母イブは、高級将校たるルーンがそこまで言うのと、学校生徒には給金が支払われることを聞いて、ティムールの入学を承諾した。


 ティムールは、ルーンが見込んだ通り優秀だった。

 特に彼は槍が得意で、槍を扱わせては学校中を探しても右に出る者はいなかった。彼の槍は速いだけではなく、その穂先に特別な力が籠っているようだった。

 それもそのはずである、彼は『魔力の揺らぎ』を操ることができたのだから。


 けれど、座学の方はあまりいい成績とは言えなかった。幼い頃、学校に通えず、両親から文字の読み書きと計算くらいしか習っていなかったから無理もない。


 ルーンは、ティムールの魔力のエレメントが覚醒していることを見抜いていた。ティムール自身も人とは何か違うという自覚はあったが、それが魔力のエレメントであることは知らなかった。誰も教えてくれなかったからだ。


「君は、『水』の魔力が覚醒している」


 軍団学校に面会に来てくれたルーンは、ティムールにそう言って続けた。


「それはなかなか普通の人間では覚醒しないものだ。私は君の『魔力の揺らぎ』が他の生徒と違っていたので、この学校に推薦した。魔力のコントロールは体力だけでなく知力も必要だ。それに軍団学校を出たら戦術指揮官を経て戦略指揮官になることを要求される。君ならできる、しっかり頑張ってくれたまえ」


 ティムールは、他ならぬ『王の盾』隊長からそう言われて発奮した。それだけではない、彼の家には彼の給金を超えるお金が届けられていた。ルーンがポケットマネーから出していたものである。そのことを知るのはもっと後のことにはなるが。


(大恩あるルーン幹事長殿からそう言われたら、頑張らねばならない)


 ティムールは座学にも真剣に取り組むようになった。そのおかげで5年卒業時の成績は300人中7番であった。入学最初の成績が330人中313番だったことを考えると、大したものだった。

 ティムールは小隊指揮官に補され第2軍団に配属された。20歳の春であった。



 第2軍団でのティムールは、命知らずの前線指揮官として名を知られた。

 彼の所属する第3コホルス隊第2マニプルス隊は、司令部であるマシュハドから60キロほど北西にあるラドカンビレッジに駐屯していた。この近くにはティラノ・オーガの里があり、彼らはたまに街道をゆく旅人に悪さをしていたので、その牽制の意味合いがあった。


 マニプルス隊は2個大隊編成、大隊は5個中隊編成である。このうち大隊だけは、コホルス隊内部で通し番号になっていたので、ラドカンビレッジには3番大隊と4番大隊がいたことになる。

 ティムールが率いていたのは、4番大隊第2中隊の第2小隊20人だった。そしてティムールは、パトロール中の戦闘行動によってティラノ・オーガ18人を討ち取っていた。そのうち12人は単身で討ち取ったものである。


「またティラノ・オーガが出たみたいだな」


 宿舎の一室で、若い指揮官たちがたむろしている。ここはいわゆる辺境で、若い者たちが楽しめるものは何もない。そんなところに血気盛んな20代の指揮官が50人近くもいるわけである。彼らの楽しみは戦いと、たまにマシュハドに戻った時の息抜きの時間だけであった。


「そろそろ、貴様の出番かもな、ティムール」


 3番大隊の先任小隊長であるタロスがそう言って、ニヤリと笑った。タロス小隊長はティムールと同年で、軍団学校では3年先輩である。現在中隊指揮官補となっていて、3番大隊のエース的存在であった。


「俺はこの間のパトロールで2匹倒した。これで14匹だ」


 タロスの自慢は、ティラノ・オーガを討ち取った数であった。通常の人間に倍する体格を持ち、筋力も数倍あるオーガ。その中でもティラノ・オーガは、ジーク・オーガと並んで地上最強を謳われている。それを単身で何人討ち取れるか……これがこの部隊の若い指揮官たちの間で密かに争われていることであった。


「無事にパトロールが終わればそれでいい。何人討ち取るかは、戦の中で競うものだ」


 ティムールが静かに言うとタロスは立ち上がり、目を据えてティムールに歩み寄って来た。その異様な雰囲気に、ティムールの隣に座っていた小隊長たちは立ち上がって後ずさる。


「ティムール、貴様と勝負がしたい。今度のパトロールでどちらが多く奴らを討ち取るかをな」

「断る。俺はティラノ・オーガが白旗を掲げたら、見逃すことにしているからな。誰かのように挑みかかってでも倒すのは、我が王国の中に不満分子を増やすようなものだ」


 ティムールが言うと、タロスは目を怒らせて吠えた。


「何だと!? ティラノ・オーガは存在するだけで住民の害になる。それを刈り取っている俺が悪いみたいじゃないか、その言い草は」

「害になるものは害になった時に始末すればいい。そもそも、ティラノ・オーガの大部分は我々の敵ではない。それをこちらから襲うのは、求めて敵を内部に増やすようなものだ」


 ティムールも静かではあるが厳然とした物言いで答えた。

 誰もが固唾を飲んだその時、


「何だ、タロス小隊長とティムール小隊長は何を言い争っている?」


 そう声をかけて、ヴィレム・テル上級聯隊指揮官が入って来た。

 ヴィレムは3年前に『王の盾』副長となったが、本人のたっての願いで実施部隊配属となり、第2軍団の第3コホルス隊長としてマシュハドにあった。


「隊長殿に敬礼ッ!」


 その場に居合わせた最先任の3番大隊第2中隊長が号令をかけると、全員が立ち上がってヴィレムに敬礼した。


「……答えたまえ。君たちは何を言い争っていた?」


 ヴィレムは答礼すると、ティムールとタロスの前まで歩を進め、静かな、しかし威厳が籠った声で訊いた。本来なら筆頭コホルス隊長か軍団副官でもおかしくないヴィレムだったが、


『今、実施部隊にはそなたの位階に見合う職は空いておらぬ。第2軍団にコホルス隊長職なら空いておるが、王の盾副長たるそなたにとっては降格となるぞ』


 と渋るエラム3世に強く願って前線に出てきた彼である。

 それだけに、実施部隊の状況を把握し、いい人材の目星をつけておきたいと願う彼は、若手指揮官が何を言い争っているのかに強く興味を惹かれたのだ。


 二人が答えないのを見て、ヴィレムは号令をかけた先任指揮官に向き直った。


「コルト中隊長、この二人が何を言い争っていたかを説明したまえ」


 その命令を受けて、コルトは口ごもった。たとえ敵であっても非戦闘時に無暗に殺戮するのは軍規違反である。コルトは、タロスがティラノ・オーガを見かけたら見境なく攻撃していることを薄々知っていた。


「……ティラノ・オーガの処置について、タロス先任小隊長と意見が食い違いましたので、そのことについて話をしておりました」


 言い渋っているコルトを見て、ティムールが口を開いた。ヴィレムは改めてティムールを見つめて訊く。


「ほほう、処置について? 処置については軍団命令が示達されているが?」

「はい、『明らかに良民を攻撃する恐れのある敵は排除せよ』という示達命令の中で、『明らかに』と『恐れのある』とはどういうことかを話し合っておりました」


 打てば響くように答えるティムールに、ヴィレムは目を細めて言う。


「ふむ、その部分は、例えばティラノ・オーガが武装していて、旅人を付け回している場合や攻撃態勢を取っている場合が該当すると思うが? 君たちの意見はどうなのだ? 何が疑問なのだ?」

「ティラノ・オーガが街道の近くに居座っている場合、これは攻撃準備をしている蓋然性が高いか否か、ということです」


 ティムールが説明すると、ヴィレムは少し考えて言った。


「ふむ……武装していれば、旅人を待ち伏せているという可能性があるが、非武装の場合はどうともいえぬな。ただ、ティラノ・オーガは人間の何倍もの膂力を持つ。素手でも脅威とはなるから、その場合は状況次第だな」

「その場合、それらを奇襲によって討ち取るのは是か非かという問題を、自分たちは論じておりました」


 ティムールが言うと、その言葉にはヴィレムはすぐさま反応した。


「いや、それは良くないことだ。我らの任務は明白な危急に対して武力を行使することで、その蓋然性があるというだけで攻撃するのは考えものだ」


 ヴィレムはいささか早口でそう言うと、コルト中隊長に訊いた。


「コルト中隊長、ティラノ・オーガを見れば攻撃する、そのような風潮がこの部隊の中にあるのか?」


 答えに困ったコルトは、


「……各小隊長の判断によるところが大きいです」


 そう答えた。ヴィレムはそれを聞いて、


「……小隊長の恣意しいによって攻撃行動を取っている場合もありそうだな」


 そうつぶやくと、皆に向かって言った。


「ティムール小隊長の話はよく分かった。示達命令の不明な点は私が軍団長と話をして、もっと事例を付け足してもらおう。それまでは、明白な敵対行動や襲撃行動が確認される以前の攻撃は禁じる。いいな」


 そう言うと、ヴィレムは部屋を出て行った。


 その後、ヴィレムはティムールを密かに呼び出して言った。


「実は私は、君たち小隊長の中にティラノ・オーガを単身で討ち取った数を自慢する風潮があることは知っていた」


 ヴィレムは碧眼に怒りの色を見せながら続ける。


「それが戦闘行動の中でなら、私は何も言わない。ただ、単身でティラノ・オーガに挑むことについては褒められたものではないというだけだ。私や君と違い『魔力の揺らぎ』を扱えない者にとっては、蛮勇を通り越して愚かな行為ですらある。前途ある若い指揮官が、そんなことで命を粗末にしてほしくない」


 そしてヴィレムはティムールを優しく見つめて言う。


「タロス中隊指揮官補については、良くない噂を聞いていた。彼は抵抗すらしないティラノ・オーガまで手にかけていたらしい。この件については、軍団長のみならず軍管区指揮官とも十分に協議し、しかるべき処理をする。ただ、さっき言った風潮に水を差すような指示を出せたのも君のおかげだ。これからも軍の存在意義を忘れずに、もっと高い視点を持って努力してくれたまえ」


 その後、次の異動によってヴィレムは『王の盾』隊長としてマシュハドを去り、タロスは中隊指揮官補のまま王都の第1軍管区後備第1軍団の小隊長とされた。

 そしてティムールは、ヴィレムの推挙によって中隊指揮官に補され、欠員ができていた第3軍団の第1コホルス隊へと赴任した。任務は第2マニプルス隊3番大隊長心得である。



 第3軍管区の中心地はザーヘダーンである。

 ここは後の時代にこそ後方地域となったが、エラム3世のこの時代にはマウルヤ王国国境にほど近い、最前線と言っても良い場所だった。


「この地域は、特にマウルヤ王国軍との小競り合いが多い。また、レプティリアンたちの巣窟もあり、なかなかに厳しい場所だ。しっかり頑張ってくれたまえ」


 第3軍団長ドラムは、そう言ってティムールの顔を覇気のない目で見つめた。


(ここの軍団長殿、大丈夫だろうか?)


 ティムールは、軍団長のやる気のなさに心配になった。彼の3番大隊は尖兵兵団としてザーヘダーンの南東2百キロのサランバーンという町に駐屯することになっていたからだ。もしもの時に緊急に対応してもらえねば、彼の大隊5百人は無為にして全滅する。


(とにかく、行ってみることだ。行ってみて不足する部分は、何とか工夫するしかない)


 ティムールはそう心に決めると、サランバーンへと赴任した。

 そして、赴任して驚いたことには、ここはマウルヤ王国との国境から50キロしか離れていないのに、何も防御設備などがなかったことだった。

 いや、もしもの時に籠城するための兵糧や物資の集積も十分ではなかった。


 一瞬、途方に暮れた彼だったが、そこに頼れる味方が二人現れた。

 一人は、大隊副官のシオン・マムルークだった。

 シオンは第3軍団の司令部にいたが、その先鋭的な意見が司令部に嫌われて前線の副官へと飛ばされたものだった。ティムールは彼を気に入った。


「国家間の友好は友好、軍事的な準備は準備です。ここを破られれば第3軍と第4軍の連絡は途絶します。どれだけ厳重に防御しても足りないくらいです」


 シオンがそう言うと、ティムールはそれにうなずいて


「君の言うとおりだ。この町を守れなければ、敵はケルマーンまでは無人の野を行くようなものだ。それにバンダレ・アッバースの軍港も危うくなる。けれど軍団長殿はマウルヤ王国の機嫌を損ねたくないらしい。そこでだ……」


 そう言うと、シオンに近寄れと命じ、


「前方のカルポラガン、後方のゴッシュ、側方のスランに待機地を整備し、入って来た敵をこの町で殲滅する体制をつくる。研究と準備をしてくれ」


 そう小さな声で言った。

 それを聞いたシオンは驚いた。これまで防御とは陣地や城塞で行うものだと考えていた彼は、部隊の離合で行う防御、つまり機動防御など考えたことがなかったからだ。


(この大隊長殿は凄い発想の持ち主だ)


 シオンはそう思い、ついでに自分の構想も取り入れた機動防御計画を作り上げ、ティムールに提出した。

 それは、当初ティムールがカルポラガンに遅滞陣地を造ることを予定していたものを廃止し、徹底的に起動防御に拘ったものだった。兵糧や補給品などは注意深く偽装された補給所を各地に準備し、常に敵の側面や後方に機動できるような計画となっていた。


「なかなか面白いじゃないか。私の案をこれだけ洗練してくれたのはありがたい。早速準備にかかろう」


 ティムールはそう言って、分散補給所や偽装陣地の構築にかかったが、


「大隊長殿、相談がございます」


 シオンが珍しく思案に窮した様子でティムールの部屋を訪れた。


「どうしたシオン副官。何を困っている?」

「実は、コホルス隊を通じて通達が来まして、大隊の訓練計画と所轄地の地図を差し出せということです」

「それは別に構わんではないか。平時の計画は通り一遍のものだ。提出したらいい」


 ティムールが笑いながら言うと、シオンは首を振って言った。


「いえ、軍団は大隊長殿のやり方に不満があるようで、戦時の作戦計画を提出せよと言ってきたのです。もちろん地図にも補給所の所在地を記したものを提出せよと」


 これにはティムールも驚いた。戦時計画や部隊展開地の情報は一級の軍事機密であり、それが敵に知れたらこちらの手の内がすっかりばれてしまう。あり得ない命令だった。


「……提出日はいつだ?」

「1週間後です」


 ティムールは、この命令に接したことで、ドラム軍団長の忠誠心を疑った。要衝たる地域をわざと無防備にするのも、機動防御計画を欲するのも、普通はあり得ないことなので最悪の想像をしてしまう。


(軍団長殿はマウルヤ王国から篭絡ろうらくされていないか?)


 ティムールがどう対応しようかと苦慮している時、第二の味方が現れた。ルーン・ファランドールである。

 ルーンはヴィレム・テルが『王の盾』隊長に補されたと同時に『王の牙』に抜擢されていた。今回は王命を受けて、きな臭くなってきていたマウルヤ王国との境を守る軍団を監察しに来たのである。


「ティムール大隊長、久しぶりだな」

「これは、ルーン・ファランドール殿」


 ティムールは突然部屋に入って来たルーンを、飛び上がるように立ち上がって迎えた。ルーンが監察官としてザーヘダーンを訪れていたことは知っていたが、軍団司令部や管区指揮官の話を聞いて王都に帰るものと思っていたからである。


「わざわざこのような最前線までおいでいただき、恐縮です」


 ティムールがそう言って席を勧めると、ルーンは笑いながらソファに座った。生徒隊幹事長の頃より精悍さが増し、武人の迫力というものを溢れるほどに漲らせている。しかし、その温顔は昔のままだった。


「君がここの指揮官でいることを知ってね。ちょっと話があって立ち寄らせてもらった」


 ルーンはそう言うと、鋭い目でティムールを見つめて訊いた。


「君が考えたというサランバーンの防御計画、私に教えてくれないか?」


 ティムールは頷くと、シオン副官を呼んで共に機動防御計画について説明した。ルーンは地図を見つめながら注意深く聞いていたが、


「うむ、いい作戦だ。この方式は他の軍管区でも参考とできるだろう。しかし、地形的に防御陣地を置いた方が有利な部分もあるが、なぜ造らない?」


 そう突っ込んで訊いてきた。

 ティムールは、その石色の瞳を持つ目を細め、小さな声で答えた。


「造らないのではなく、造らせてもらえないのです」


 そして、軍団司令部から戦時計画と地図の提出を求められていることも告げた。


「何、軍団司令部がそんなことを……」


 ルーンは目を細めて虚空を見つめ、何かを考えていたが、やがて顔をティムールに戻すと


「……事情はよく分かった。私も軍団長や管区指揮官の態度に不審なものを感じていたが、君の話を聞いて思い当たることがあった」


 そう言うと、ティムールの手を握り、


「作戦計画と地図のことは無視しておきたまえ。私から軍団司令部には指導をしておく。ここに君がいれば、東の方面は安心だ。敵が来たら心置きなく戦いたまえ」


 そう激励の言葉を言って、大隊本部から去って行った。



 ルーンの報告により、エラム3世は第3軍の陣容を入れ替えた。

 軍管区指揮官には名将の名も高いシャルーフ将軍を充て、第3軍団長にはツバル将軍が就任した。


 そしてティムールも、第1コホルス隊第2マニプルス隊長に昇格した。ティムールは時をおかず、自分のマニプルス隊をサランバーンに進出させ、この方面の防御を固めた。第3軍の首脳部更迭により、マウルヤ王国が攻勢に出てくる可能性があったからである。


 案の定、ティムール部隊が集結した2日後、突如としてマウルヤ王国軍が侵攻を開始した。その進路は主力の2万5千がザーヘダーンを目指し、助攻の5千がサランバーンを目指して進撃してきた。守るこちら側はザーヘダーンに2万弱、サランバーンにはティムールの1千がいるだけである。


『サランバーン方面はマニプルス隊長の判断に任せる。3週間は敵部隊を拘束せよ』


 ザーヘダーンからはそう言った指令が届いた。


「まともに相手にするな。戦策どおり敵を翻弄するのだ」


 ティムールはそう命令を下すと、部隊を三つに分けた。自身が指揮する2百人と、3番、4番大隊長が指揮する4百人ずつである。

 ティムールは本部をサランバーンの南にあるスランへと続く峠道において、そこに自分たちの軍旗を林立させた。この峠道は険しく、大軍を通さない。旗を見た敵は峠を素通りして北西のゴッシュへと向かうだろう……ティムールはそう読んでいた。


 サランバーン前方のカルポラガンでは、3番大隊が敵の先鋒1千に横合いから噛みつき、数百の損害を与えていた。もちろん、3番大隊は独力で1千もの敵を相手にするという愚を犯さず、本隊が到着する前に戦場を離脱していた。


 敵の助攻部隊は、あちこちから聞こえる喚声や、山々に林立する旗にすっかり惑わされてしまった。こちらの方面を守るのはわずか5百と聞いていたのに、あてが外れたという塩梅である。


 カルポラガンで出端を挫かれた敵助攻部隊は、道路が整備されているスランを目指したが、その峠道をティムール部隊が扼しているのを見ると、1千ほどの抑えを峠の下に残し、4千の主力が北西方面へと移動し始める。後方のゴッシュを経てザーヘダーン南に通じる街道へと進出する腹なのは見えていた。


 しかし、ゴッシュにはティムールが『ここで敵を殲滅する』という強い意志のもとに構築した陣地線があった。ティムールはそこに3番4番の両大隊を投入し、4千の敵軍を真っ向から受け止めさせた。


 普通に見れば、陣地線を守るティムール部隊は8百程度であり、攻者3倍の原則から言うと4千の敵軍は圧倒的であったはずである。

 しかし、ゴッシュ地域は湿地帯だったことと、ティムールが鉱山で覚えた乱杭を用いた障害物に、敵は移動の自由を奪われてしまった。


 そして敵とにらみ合うこと2週間、ザーヘダーン方面を攻めた敵主力がシャルーフ、ツバル両将軍の策にはまって壊滅したことで、この戦役は終了した。

 ティムールはわずか1千で敵の5千を完全に釘付けにしたことを高く評価され、23歳でコホルス隊長に抜擢された。軍団学校の同期では最も早い補任であった。


     ★ ★ ★ ★ ★


 ティムールが『王の牙』に補任されたのは、彼が30歳の時である。

 それまでに、西の方スタンブールを本拠とする第11軍団で軍団副官、臨時編成の第111戦闘団長などを歴任し、対ローマニア王国で活躍していた彼は、ローマニアでは『ティムールを討ち取った者は万戸候に封じる』という破格の懸賞までかけられていた。


 現に彼が第11軍管区にいた5年間というもの、対ローマニア戦は小競り合いも含めて64戦64勝と勝ちっぱなしであった。


「こちらの方面が安定しないうちに任を離れるのは心残りだが……」


 ティムールはそうつぶやいたが、新たにスタンブールに赴任してきた『閃光のヴィレム』から、


「私も、君がいるからと安心して赴任してきたので、君と共に戦えないことは残念に思う。しかし『王の牙』に選ばれることは武人として最高の名誉。しっかり頑張ってくれたまえ」


 そうはなむけの言葉を貰い、彼は王都へと向かった。



「よく来てくれた。西方での活躍は見事だったな」


 王都イスファハーンでは、ティムールの生涯最大の恩人であるルーン・ファランドールがそう言って出迎えてくれた。


「ルーン・ファランドール殿」


 ティムールは懐かしさのあまりルーンに駆け寄ると、


「私のような者を『王の牙』に推挙していただき、ありがたき幸せです」


 そう言うと、ルーンは薄い笑いを浮かべながら答えた。


「ふふ、それは違うぞ。そなたの働きはずいぶん前から陛下におかれては注目されていた。時が来たのでそなたを側に呼ばれただけだ。『王の牙』とは、知り合いや重臣が推挙してどうこうなるものではない、実力でなるものなのだ。自信と誇りを持って任務に当たってくれ」


 ティムールはその言葉に、身が震える思いだったそうである。



 『王の牙』には、2種類の任務が与えられる。

 一つは、国政の監察官としての役目であり、王が任命した各地の州知事や軍管区指揮官の施政を評定すること……これには例えば収賄容疑の官吏を処断するという権限も含んでいた。そのため、官吏からは非常に恐れられていた。

 裏で私腹を肥やすような輩は、自身の権益を守るために非常の手段を取ってくる者もいる。戦闘のプロたる『王の牙』にこの任務が与えられたのは、ある意味必然であった。


 もう一つは、王の命により特殊部隊を指揮する場合である。

 王直率の戦闘部隊としては、各国にその名が轟く『不死隊』があるが、『不死隊』は特殊部隊でなく、敵陣突破の精鋭部隊という役割が大きい。


 『王の盾』は特別な任務を背負っているが、それでも『親衛隊』というニュアンスが強く、戦略・戦術的に重要な場所へ隠密裏に投入される『特殊部隊』とは言い難い。


 ティムールは、『特殊部隊』の指揮官としてその名を挙げた。

 特に彼の名を部内に知らしめたのは、ローマニア王国の物資集積所を単身奇襲し、そこの物資をすべて焼き払ったことだったろう。ローマニア側もまさか隠密奇襲とは思い至らず、失火として守備隊長を更迭するほどの鮮やかな手並みだった。


     ★ ★ ★ ★ ★


 ティムールはダマ・シスカスの司令部に戻り、ゆっくりと昔日を振り返っていた。

 自分の人生は戦いの連続だった。幼い頃は生きるために戦い、そして軍団に入ってからは文字どおり戦いの日々……そして『王家の戦士』となっても、それは変わらなかった。


 変わったことと言えば、


「久しく萎靡いびしていたこの国を、ホルン女王陛下が立て直される手伝いができたことは、ティムール一生の快事だな」


 そして、若き日々を思い返す。ルーン・ファランドール殿によって自分の今があるし、ヴィレム・テル殿からは『軍の存在意義と使命』を強烈に教わった。


 そしてもう一人……ティムールは懐かしく思い出す。



「ティムール・アルメ殿ですね? 私に一手、槍をご指南いただきたいのですが」


 それはティムールが32歳、『王の牙』筆頭となっていた頃だった。一人の若者が、槍を背に負ってティムールの屋敷の戸を叩いた。

 その若者は、亜麻色の髪に碧の瞳が印象的だった。キラキラとした瞳には、強さへの憧れが溢れていた。ティムールはその若者を一目見て言った。


「私がそなたに教えるべきものはない。ただ、忠告をすればそなたの溢れている『魔力の揺らぎ』を制御することだな」


 そう言って家の中に戻ろうとするティムールに、若者は慌てて言った。どうやら断られたと思ったらしい。


「ま、待ってください。『魔力の揺らぎ』とは? 私は魔法なんて使えませんが?」


 それを聞いて、ティムールは気が変わった。魔力のエレメントが覚醒していることに無自覚な人間は、自身の『魔力の揺らぎ』によって自分や他人に被害を及ぼすことがあるし、何よりも若者の『魔力の揺らぎ』に興味を持ったからだ。


「分かった、相手しよう。ただし、こちらは手加減しない」


 ティムールはそう言うと、部屋から愛用の槍を持ってきて、若者に


「ついて来い」


 と命じて走り出した。若者も遅れずに続く。

 そして四半時(約30分)も走っただろうか、ティムールは王都から北西に10キロほど離れた丘の麓までやって来ると足を止めた。


「良くついて来れたな。では、始めようか」


 ティムールはそう言うと、いきなり若者の眼前に『魔力の揺らぎ』で水煙を立て、それとともに電光のような突きを放つ。


「くっ!」


 けれど、若者は目の前に水煙が立つと同時に後ろに跳び、襲って来るであろうティムールの槍を待ち受けていた。


「やっ!」


 若者の鋭い気合が響く。下から摺り上げるような若者の槍は、ティムールの槍を跳ね上げ、そのまま一直線にティムールの胸板を狙ってきた。


「うむ、それは悪手だよ」


 ティムールは刹那の間にそう言うと、若者の槍に自分の槍を絡め、


「おうっ!」


 矢声とともに若者の槍を虚空へと弾き飛ばした。


「ま、参りました」


 自分の喉元にピタリと突きつけられた槍の穂先を見つめながら、若者が敗けを宣言する。若者らしい清々しい態度だった。

 しかしティムールは槍を引くと、


「そなたの槍を拾いたまえ。もう一度勝負だ」


 そう若者に告げた。

 若者はびっくりした表情をしていたが、一瞬笑顔を作って槍を拾うと、真剣な顔で言った。


「お願いします」


 そして、言うや否やティムールに突きかかって来た。


「やあああっ!」


 ティムールは、その槍を易々と弾き返すと、


「小僧、これが戦の槍だっ!」


 そう、青く揺らめく『魔力の揺らぎ』を乗せた槍をぶうんと振り回す。


「おっ、ぐわっ!」


 若者は迫る穂先をギリギリでかわしたが、ティムールの穂先には『魔力の揺らぎ』が込められている。その斬撃波で若者は跳ね飛ばされ、地面に叩きつけられた。


「な、何だ、今のは……」


 つぶやく若者に、ティムールは容赦なく追い討ちをかける。


「やっ!」

「うわっ!」


 若者は槍を引きながら跳び下がると、ティムールの殺気を感じたのか一瞬身体を震わせた。


「……どうした、かかって来い」


 ティムールは敢えて『魔力の揺らぎ』を全開にして若者を挑発する。けれど若者はティムールの身体の周りに揺らめく『魔力の揺らぎ』が見えるのか、だんだんと顔色が青くなっていった。


「来ないなら、私が行くぞ?」


 ティムールはそう言うと、『魔力の揺らぎ』を若者へと噴出させる。それをまともに浴びた若者は、


「ぐっ!」


 一言呻いたが、次の瞬間、


「負けるものかっ!」


 そう叫ぶと同時に、若者の周囲に紅蓮の炎を思わせる『魔力の揺らぎ』が沸き立った。


「よし、魔力が覚醒したな。そのまま突いて来い」


 ティムールはそう言うと、『魔力の揺らぎ』を少し絞る。引いて行くティムールの『魔力の揺らぎ』に合わせるように、若者が槍とともに突っ込んできた。


 ガキン! カイン! ガンッ!


 若者の槍とティムールの槍は、目にも止まらぬ速さで交差する。その度に火花が散り、金属音が辺りにこだました。

 四半時もそのような攻防が続いたが、やがて、


「隙ありっ!」

 チィーンッ!

「しまったっ!」


 若者の槍は、ティムールの槍から虚空へと弾き飛ばされた。


「ま……参りました」


 肩で息をする若者に、ティムールは厳しい顔でうなずいて言った。


「そなたは、ルーン殿のご嫡子だな?」


 すると若者は、しとどに濡れた前髪をかき上げながら、ニコリと笑って答えた。


「分かっておられたんですね? 僕はデューン・ファランドールです。名乗り遅れて無礼をいたしました」


 ティムールは首を振って答えた。


「いや、最初は分からなかったが、その槍の法が父上のものと似ていたのでな。まだ粗削りだがそなたの『魔力の揺らぎ』を見ると、私よりも強くなりそうだ。精進するといい」


 するとデューン・ファランドールは膝をついてティムールに言った。


「実は、父の勧めでティムール殿を訪れました。私に槍を教えてください」


 ティムールは訝し気に目を細めて訊く。


「槍なら、そなたの父上から継げばよい。私の槍を学んでどうするのだ?」

「はい、父の槍の法とティムール殿の法で、天下に通用する槍の法を作りたいのです」


 デューンの大言壮語に一瞬あっけにとられたティムールだったが、彼のキラキラした目を見ているうちに何ともいえない気持ちが沸き起こって来た。


「デューン、そなた幾つだ?」

「17歳です。父から槍を教わって10年になります」


 気負いこんで言うデューンに優しい目を向け、ティムールは一言言った。


「そなたに教えることは、『魔力の揺らぎ』のコントロールだな」

「それができれば、天下の槍の法が手に入れられますか?」


 勢い込んで訊いてくるデューンに、ティムールは笑って答えた。


「それはそなた次第だ」


 するとデューン・ファランドールは、若々しい顔を空に向けて笑って言った。


「どんな困難でもやって来るがいい、僕はこの槍で立ち向かう」



(あの時のデューンの顔は、未来を見据えていた顔だったな。そして……)


 ティムールはゆっくりと立ち上がると、遠く王都バビロンの空を見上げてつぶやいた。


「そして、そなたの槍の法は、確かに天下を平定したぞ。デューン・ファランドールよ」


 ティムールの眼からは、熱いものが溢れて来た。その脳裏には、若かりしデューン・ファランドールと、女王ホルンの顔が浮かんでいた。


(サイドストーリー・老将の追憶 完)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

世の中は広いようで狭い……そんな思いをしたこともあるかと思います。

浅からぬ因縁が人の出会いを生むのなら、いい縁を結ぶために精進せねばなと思っています。

次回は、『早春の別離』としてデューン・ファランドールのことを書いてみたいと思っています。

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