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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
61/70

サイドストーリー・緋色の純情

リディア・カルディナーレ。

ジーク・オーガの族長の娘で『炎の告死天使』と呼ばれる彼女は、幼い時分、ある悩みがあった。

リディアとザールの思い出を書いてみました。

 岩があちこちにごろごろして、茶褐色の大地を風が吹き抜けていく。

 遠く前方を見透かせば、茶色の岩肌をむき出しにした丘が見え、空気が澄んだ冬であれば遠く遥かに王都イスファハーンを守る山脈が青ずんで見えるはずである。


 けれど、このダイヤラ平原には、大きな砂塵が舞い上がっており、遠くを見えなくしていた。

 その砂塵はだんだんと近づいて来る。偽王ザッハークの左右の腹心の一人、パラドキシアが攻めて来たのだ。それを迎え撃つのは、この国の正統な後継者である王女ホルン・ジュエル率いる軍団である。


「ふーん、結構な数じゃないか」


 その最前線でモアウにまたがり、小手をかざしてその様子を見つめる少女がいた。茶色の短い髪に茶色の瞳を持つくりくりとした目が印象的である。


「お嬢様、そろそろ戦闘準備をなされた方がいいかと……」


 少女の左後ろから身長2・8メートルはある、額に白い角を生やした初老の男が声をかけて来た。少女は頷いて、つまらなさそうに言う。


「あ~あ、この『乙女形態』もなかなか気に入っているんだけどな。ま、ザールのためだから仕方ないか」


 そう言うと、少女は身長2・5メートルもある姿へと変わる。けれど、可愛らしい顔はそのままだった。

 少女の名は、リディア・カルディナーレ。『陸上最強の戦闘種族』と恐れられるジーク・オーガの娘だ。父は族長のオルテガであり、彼女は今年21歳になった。


「うふふ、青くなっている者はいないね? 相手はテュポーン部隊だというけど、この戦闘、アタシたちジーク・オーガの勝ちだね」


 リディアはそう言って笑うと、愛用の武器である大青龍偃月刀『レーエン』を小脇に抱えて思った


(さて、パラドキシアをぶっ叩いたら、次はいよいよザッハークの野郎だね。そいつをぶっ叩けば、アタシのザールが夢見ていた『すべての種族が互いに尊重し合える世界』って世の中が来るはずだよ)


「……その日まで、アタシは戦いを止めないよ。ザールのためだもん」


 リディアはそうつぶやいていた。


     ★ ★ ★ ★ ★


「あなたはリディアに甘すぎます。今日という今日は、何とかビシッと言ってやってください!」


 ジーク・オーガの族長オルテガは、妻のダイアナが喚くのを困った顔で眺めていた。


「……今度は我が姫が何をしたのだ?」


 仕方なく、やる気のなさそうな声でオルテガが訊くと、その様子にさらにエキサイトしたダイアナは、顔を真っ赤にしてオルテガに詰め寄って来た。


「その態度! あなたはリディアが手の付けようのない暴れん坊になってしまったらどうするつもりですか? ただでさえあの子は家事の手伝いもせずに、外で男の子たちとばかり遊んでいるのですよ?」

「外で遊ぶことは良いことではないか。それにリディアはまだ10歳。男の子とばかり遊ぶとはいっても、ヘンな遊びではないだろう」


 オルテガは優しい声で妻に言うが、ダイアナは首を振って、


「あなたは、あの子が一族の者たちから何て言われているかご存じないから、そう笑っていられるのです。いいですか、あの子は『じゃじゃ馬リディア』って言われているんです。『じゃじゃ馬』ですよ『じゃじゃ馬』! 女の子にとってこんな屈辱的なあだ名はありません」


 そう言って大げさにため息をつく。

 けれどオルテガは、大声で笑ってしまった。


「わっはっはっ、いいではないか、元気で強くて明るい女の子でも。そもそも、女の子は強く活発であってはならないなどと、誰が決めた? 弱々しさは優しさとは違うぞ。リディアは元気で強くて優しい子だ。それでいいではないか」


 そんなオルテガに、さらに何か言おうとしたダイアナだったが、急に一人の少女がしおらしく部屋に入って来たので、口を閉ざした。


「おお、リディア。どうした、神妙な顔をして?」


 入って来たのはリディアだった。けれど、娘の顔がいつもと違って元気がないのを心配して、オルテガが訊く。


「あの……お母様にお願いがあります……」


 リディアが消え入るような声で言う。それを聞いて、さっきまでぷんぷん怒っていたダイアナも心配して答えた。


「何? 改まって。いつものあなたらしくないわよ?」


 するとリディアは、顔を真っ赤にしてもじもじしながら言った。


「お、お料理を教えてほしいの」



「ビシッと言うんじゃなかったのか? ダイアナ」


 オルテガは厨房の入口に立ち、ニコニコしながらリディアに料理を教えているダイアナに、呆れたように声をかけた。


「いやですわ、あなた。せっかくリディアが女の子らしいことに興味を示してくれたのよ? 怒ってなんかいられないわよ……あ、リディア、そこは賽の目に切るのよ。さっき教えたでしょう?」

「はい、お母様」


 リディアは危なげなく包丁を使っている。その手つきの良さに、ダイアナは感心した。


「リディア、あなたは厨房に立つのは初めてのはずなのに、包丁さばきは堂に入っているわね。いつ練習したの?」


 するとリディアではなく、オルテガが自慢するように言う。


「リディアはいつも剣や槍を扱っておるからな。包丁なんぞ子どものオモチャだろうよ」

「あなたには聞いておりません! 男児厨房に入らずといいます、そんなところに突っ立ってないで、さっさと領内の見回りでもしていらっしゃい!」


 ダイアナから一喝されて、頭をかきながら家を出たオルテガであった。


「……まったく、リディアには甘々なんだから」


 玄関からオルテガが出て行くのを見送ったダイアナは、こちらをじっと見ているリディアに優しい顔で問いかけた。


「どうしたのリディア、急にお料理を覚えたいだなんて。お父様はいらっしゃらないから話しやすいでしょ?」


 するとリディアは、ポツリとつぶやくように言う。


「だって、女の子らしくなりたいから……」


 その一言で、ダイアナは何かを察したように笑って言った。


「リディアは可愛らしいわよ? お父様も目に入れても痛くないほど、あなたを可愛がっているでしょう?」

「でも、身体大きいし……」


 ジーク・オーガは、彼らの村があるドラゴニュートバードに住まう他の種族、ハイエルフやドラゴニュート氏族の人間たちと比べて、当たり前であるが体格が大きい。現に10歳のリディアですら、すでに身長は170センチもあった。


「私たちはジーク・オーガですからね、そこは仕方ないところよ。けれど15・6歳くらいになれば、魔力も安定して身体のサイズを変えられるようになるわ」


 ダイアナがそう言って慰めるが、リディアは首を振って、


「そんなに待てない。アタシは、ちゃんと女の子だって認めてほしいの」


 そう言う。ダイアナは首をかしげた。何か嫌なことでもあったのだろうか?……そう心配したダイアナは、カマをかけてみた。


「あなたが好きな子って、あなたに酷いこと言うんでしょ?」


 するとリディアは、ぶんぶんと首を横に振って言った。


「う、ううん。ザールは何も言わないよ? 酷いことなんて一つも言わないよ」


 その言葉に、ダイアナは心の中でうなずいた。

 ザール・ジュエルは、ファールス王国の王室につながる生まれで、その父はトルクスタン候サームである。

 サームの妃がドラゴニュート氏族出身のアンジェリカであるため、ザールの『ドラゴンの血の覚醒』を恐れた二人が、ザールを母方の里に預けることにしたらしい。


 ザールには、ダイアナも何度か会ったことがある。

 最初はザールがこの里にやって来た時で、彼は5歳であった。5歳にしては利発な子どもだと感心した覚えがある。

 その後、ザールの性格が思いのほか凶暴であるという噂が広がったが、ダイアナはその頃のザールに会ったことはない。


 次に会ったのはザールが10歳の時で、その頃のザールは非常に思慮深く、大人顔負けの知識を持ち、正々堂々とした振る舞いを見せていた。ダイアナはそんな彼を見て、


(なるほど、高貴にして思慮深く、勇猛にして慈悲深い……王者の血は争えないもの。そしてドラゴンの血も……)


 そんな感銘を受けたことを覚えている。


(あの歳であの振る舞いを見せていたザール殿のこと、今では輪をかけて素敵な男の子になっているでしょう。リディアが魅かれるのも無理はないわね)


 そう思ったダイアナは、何気なくリディアに提案してみた。


「リディア、あなたの誕生日も近いわね。ハイエルフの王子様とザール殿をお呼びしてはどうかしら?」


 するとリディアは、顔を真っ赤にしながらも、白い歯を見せて笑ってうなずいた。



「そうだった、もうすぐ君の誕生日だったね。リディア、おめでとう」

「ジーク・オーガの中でも最高に可愛らしいと言われるリディア嬢の誕生日なら、何をさておいても出席しないといけないね」


 次の日、リディアがザールとジュチの二人に、誕生日会のことを告げると、二人とも喜んで出席を約束してくれた。


「や、やだなあジュチったら。そんなことザールの前で言われると恥ずかしくなっちゃうよ」


 リディアは顔を両手で覆って言う。その様が可愛らしかったのか、ジュチがさらにからかった。


「うん、はにかむ姿も可愛いな。どうだいザール、ジーク・オーガと言えばこの世で最も強い戦闘種族。その種族の娘がこんな可愛らしい様を見せるなんて、ギャップ萌えしないかい?」


 するとザールは、ニコニコしながら答えた。


「リディアはもとから可愛いからね」


 それを聞いて、リディアは天にも昇る気持ちだった。しかし、三人が立ち上がった時、彼女を現実に引き戻す。


 ザールとジュチは12歳、そして身長は150センチくらいだ。リディアは彼らより二つも年下なのに、20センチも背が高い。この差は、成長とともに広がっていくだろう。


(身長が2メートルを超えた時、ザールはアタシをどんな目で見るだろうか……)


 そう考えると、リディアは不安な気持ちになる。ザールのことだからそんなことは気にしないし、自分が身長を気にしていることを知っているから口にも出さないだろうが、もしそうでなかったら?

 ザールの口から


『お前、背が高いな。女じゃないみたいだ』


 などと言われたら、リディアは再起不能だろう。


(なんでアタシって、ジーク・オーガなんかに産まれちゃったんだろう?)


 この時ばかりは自分の身長と、額にある角が疎ましくてたまらないリディアだった。


「……ディア、リディア」


 そんなことを考えていたリディアは、ザールが呼ぶ声でハッと我に返る。そして慌ててザールを見て訊いた。


「え? ザール、何か言った?」


 するとザールは笑いながら訊き返した。


「いや、何かぼっとしていたからね。考え事でもしていたのかい?」

「え、う、うん。そうだよ」


 慌てて言うリディアに、ザールは笑顔のままで訊く。


「いや、リディアは誕生日に何がほしいかなって思って訊いてみたんだけれど、考え事していたんだね」


 ザールの言葉に、リディアはパッと顔を輝かせる。そして、自分が何がほしいか考えてみた。


(お父様が持っていたような剣がいいかな? いや、巨大なメイスでもいいかな……)


 そこまで思ってハッとする。武器ばかりじゃない! だからアタシは女の子らしくないって言われるんだ。


「リディア?」


 ザールがリディアの顔を覗き込む。リディアは慌てて言った。


「あ、考えとくね?」


 それまでの二人の会話を聞いていたジュチが、呆れたようにザールに言った。


「ザール、誕生日プレゼントはサプライズが大事なんだ。事前に相手に何がいいか訊くって反則技だよ?」


 それに、リディアが口答えした。


「あら、アタシは事前に訊いてもらったほうが嬉しいな。だって誰かさん(クズエルフ)みたいに着れもしない服とか、怪しげな壺とか選ばれても困るし」

「失敬な。あの壺はボクが行商人から買い受けた古代の壺で、何百年もの年代物なんだぞ」


 ジュチが金髪をかき上げながら抗議する。


「……ジュチは骨董品収集も趣味なのかい?」


 ザールが訊くと、ジュチは碧眼の流し目を決めてザールに答えた。


「おお、もちろんだよ。古代の物品にはえもいわれぬロマンがある。お茶でも嗜みながら骨董品を眺め、その時代に生きていた人たちのことを考えるのは、ボクにとって最高に至福の時間だよ」


 それを聞いてリディアは呆れたように呟いた。


「ジュチって、歳は幾つなの?」


     ★ ★ ★ ★ ★


 リディアの勉学の師は、ドラゴニュート氏族の長老、サリバンだった。

 サリバンは、ザールの母方祖父であるアムールの祖母に当たり、歳は80歳だった。彼女は若い時分、広く天下を巡って見分を広め、里に戻ってからは子弟の指導に専念していたのである。


 ザールとジュチ、そしてリディアは、サリバンが語る古い時代の神話や、ファールス王国に伝わっている王統譜、ハイエルフの博物学者ハイランドの著書を読みふけり、その知識を増やしていった。


「今日のお話、とっても面白かったな」

「英雄ザールの物語は、いつ聞いても心が躍るものだね。どうだい諸君、この後『星の草原』で英雄ごっこでもしないかい?」


 サリバンの講義が終わり、リディアやジュチたちがそんなことを話しながら帰り支度を始めていると、突然外が騒がしくなった。


「何だろう?」


 三人が首をかしげていると、サリバンが慌ててやって来て、残っている生徒たちに告げる。


「皆さん、家に帰るのは少し見合わせてください。この里に盗賊団が入り込んだという知らせがジーク・オーガの里から届きました。大人たちが討伐と警戒に当たっていますから、少しここで時間を潰してから帰ってください」


 それを聞くとジュチは碧眼を輝かせてザールに言う。


「ザール、これはチャンスだ。ボクたちでそのふざけた盗賊団をやっつけてやろう」


 そんなジュチの言葉に、リディアは反対する。


「えっ、先生がおとなしくしてなさいっておっしゃってるじゃん。相手は大人だよ? 盗賊って言うからには武器も持ってるんだよ? 危ないことはよそうよ」


 けれどジュチは、腕を組んで挑発的な顔をしてザールをけしかける。


「ボクはこの世で最も高貴で有能なハイエルフだ。高貴な身分の者は皆を助けねばならない。それに、ボクの魔法やザールの武勇に敵う大人なんてそうそういやしないさ。行こう、英雄ザール」


 ザールは、緋色の瞳に落ち着きを見せて、二人の様子を眺めていたが、ややあってため息とともに言った。


「……ジュチのその様子じゃ、止めても聞かないだろうな。仕方ない、相手がどの辺にいるかを探るだけならそんなに危なくもないし、大人たちの手助けにもなる。行こうか」

「ザール!」


 リディアが青くなって言うと、ザールは優しい瞳でリディアを見て言った。


「君は女の子だ。世界最強の戦闘種族ジーク・オーガの一族だと言っても、僕は女の子に危ない橋を渡らせるのは好きじゃない。僕とジュチが偵察に向かったってこと、アムールおじい様やオルテガ様に知らせてくれるかい?」


 それを聞いて、リディアは心の中で思った。


(う、嬉しい……ザールからそんなこと言われるなんて……ダメダメ、アタシったらこういう時に何思っているの? ザールたちを止めなきゃ)


 けれど、リディアがそんなことを思っているうちに、ザールとジュチは窓から外に出て行ってしまった。


「はっ、いけない。早く先生にこのことを知らせなきゃ」


 我に返ったリディアは、慌ててサリバンの部屋へと駆けて行った。



「盗賊たちは、どこからの里に入って来たんだろう」


 全速力で駆けながら、ザールがそう言うと、隣で走っているジュチはすぐに答えた。


「この里に通じる最も大きい道は、ジーク・オーガの里に通じている。その道を通ったとしたら、盗賊団は今頃壊滅しているはずさ。ジーク・オーガの監視をかいくぐって里に入り込んだとしたら、ボクたち『妖精の里』とキミの『ドラゴニュートバード』の間にある『蒼風の林』に通じている小径しかない」

「……とすると、そいつらは近くにある『星読みの丘』の麓の『風の氷穴』に行ったに違いない」


 ザールの言葉に、ジュチは頷く。


「ああ、ボクもそう思うよ。そこでだ」


 そう言うとジュチは立ち止まり、後ろを振り向いて笑って言った。


「ふふ、リディアが先生に話をして、大人たちにボクらのことが伝わっている頃だ。でも頭ごなしに叱られてもつまらないから、安全策を採ろう」

「安全策?」


 同じく立ち止まったザールが訊くと、ジュチは右手を開いて言った。


「オトモダチに、『風の氷穴』を見てきてもらおう」


 そう言うジュチの手のひらから、4・5匹のアゲハチョウが飛び立ち、西の空へと飛び去って行った。


「人間の諺に、待てば海路の日和あり、という。ボクたちもゆるゆる進もう。疲れてしまっては、その後の戦いに響くからね」


 ジュチの言葉にザールもうなずき、二人の少年はゆっくりとアゲハチョウが飛び去った方角へと歩き始めた。


「もし奴らが『風の氷穴』に向かったとしたら、あそこにはクリスタル様がいるぞ」


 ザールがぽつりとつぶやく。ジュチはその言葉にイタズラっぽい目をして答えた。


「面白いじゃないか。お宝があると思ったら、そこはアイスドラゴンの巣だったなんて。奴らの慌てふためく顔が見てみたいものだよ」



 リディアから、ザールとジュチの話を聞いたサリバンは、青くなってドラゴニュートバードの長であるアムールのもとを訪れた。


「何、ザールとジュチが盗賊たちの所に向かっただと?」


 アムールもその知らせを受け、びっくりして叫んだ。


「それはいけない。奴らは確かにただの人間だが、結構な重武装をしているらしい。ザールやジュチは大人顔負けの実力を持ってはいるが、実戦とは別物だ」


 アムールはそう言うと、そそくさと『妖精の里』の王、テムジンを訪ねた。


「ドラゴニュートバードの長よ、来られた要件は分かっている。ジュチにも困ったものだ」


 血相を変えたアムールの顔を見るなり、テムジンは眉をひそめてそう言う。


「ジュチの使い魔の波動を西の方向で感じる。アイツは『蒼風の林』に続く『風採りの小径』から盗賊団がこの里に入り込んだと見破ったに違いない」

「その方面には我が里から人を差し向けていますが」


 アムールの言葉に、テムジンが憂鬱そうに答えた。


「わが妖精の同胞たちもそちらに向かわせた。オルテガ殿の部隊も向かっているはずだが、間に合うかどうかだな」


 これはテムジンやオルテガたちの判断を責めるわけにはいかない。最初に盗賊団の姿を見かけたジーク・オーガは、まず南からの『風祭りの道』から入って来たものと思い、後続を断つためにそちらに向かったのだ。

 その一報を聞いたテムジンは、盗賊たちの狙いが『迷いの森』にある『ドラゴンの宝珠』にあると見て、


「一応、里の南方や東方に賊がいないかを確かめよ」


 との指示を下していたのだ。

 そのため、少ない情報ながらいち早く正解にたどり着いたジュチに後れを取ることとなってしまった。


「とにかく、余たちも『風採りの小径』へと参ろう」


 テムジンはそう言うと、アムールたちの小集団と共に動き出した。



 その頃、くだんの盗賊団はジュチの読みどおり『風の氷穴』の前にいた。50名ほどの集団だが、全員が革鎧を着こみ、弓や槍まで持っていたので、ちょっとした正規軍とも交戦ができそうだった。


「団長、本当にここにお宝が眠っているんですかい?」


 若い男がそう聞くと、髭を生やした大男が頷いて言う。


「ああ、『ドラゴンの宝珠』という、それを手に入れれば天下も手にすることができるっていうお宝だ。この国の始まりの時に聖女王ホルンの冠を飾っていたらしいが、いつの間にかこの里のこの場所に封印されたのだ」

「そんな情報、よく手に入れましたね」


 猛獣の兜を被った男が訊くと、団長はニヤリと笑って答えた。


「今の朝廷には、金次第でどんなことでもしてくれる奴もいるのさ。そいつは結構裏社会に首を突っ込んでいるから、ガセの情報だったら自分がどうなるかは知っているはずだ」


 そして、集団を見回すと凄味のある笑顔で命令した。


「話では、ここには宝を守るドラゴンがいるってことだ。ホントかウソかは知らんが、いたとしても俺たちの手に掛かれば一撃で黙らせられる。お宝を手に入れれば後の人生は左うちわだ。みんな、しっかり励めよ」


 おおう! 男たちは雄たけびを上げると、しっかりとした陣形を組んで氷穴へと足を踏み入れる。


「暗いな。松明をつけろ」


 団長がそう言うと、決められた位置にいた者が松明をつける。氷穴の凍り付いた壁は、松明の明かりを反射して、この世の物とも思えぬ美しい風景を描き出した。


「結構大きいな」


 団長はそう言うと、ぐるりと辺りを見回した。入口も縦横20メートルはあったが、氷穴の中はさらに大きく、高さも幅も30メートルは超えているようだった。


 それに寒い。『氷穴』というからには温度はかなり低いだろうと想像して、団長は革鎧の下には厚手の服を着こみ、上からは毛皮をまとっていたが、それでも身体の芯から凍えるような冷たさだった。風がなくてこれほど寒いのだから、風が吹いたらあっという間もなく凍死してしまうだろう。


「寒いな……よし、ここらに拠点を作ろう。副団長、10人やるから二人一組で氷穴の先に何があるか、偵察して来い」

「分かりやした。おい、お前らとお前らとお前ら、俺について来い」


 団長がその場で陣地設営にかかると、副団長は特に気が利いて弓の腕も確かな者10人を率いて、氷穴の奥へと消えて行った。


 どのくらい経っただろう、陣地の設営をしていた者たちが固く凍り付いた地面に四苦八苦していた時、突然、氷穴の奥でゴゴウッという唸りともつかない音と、人の悲鳴のような音が聞こえた。


「何だ、今のは?」


 団長は風の音とも取れる唸りを聞いた瞬間、総毛だったそうであるが、手下の手前、


「あの音を調べに行く。全員、戦闘態勢だ」


 そう号令して手下たちを整列させた。

 その時である、盗賊団の耳に、ズズ、ズズ、と重たいものを引きずるような音が聞こえてくるとともに、かすかに地鳴りがし始めたのは。


「……団長、ひょっとしてドラゴンじゃないですかねえ?」


 部下の一人が震える声でそう言って来るが、団長は怖気づいた姿を見せられないためか、


「ドラゴンがいるわけないじゃないか。いたとしても俺たちは50人からいるんだ。やっつけられねぇことはない」


 そう強がっていた。そこに、


「やれやれ、命知らずとはキミたちのような者を言うんだよ? ここはアイスドラゴンの巣だ。はやく氷穴から出ることをお勧めするよ」


 という声がした。


「誰だっ!」


 団長や盗賊団の面々が声のした方を見てみると、そこには金髪碧眼のハッとするような美少年と、白髪の下に緋色の瞳を輝かせた少年が立っていた。


「僕の名はザール・ジュエル、この里の住人だ。僕の友だちが言ったとおり、ここはアイスドラゴンの王、クリスタル様が鎮座する場所だ。みだりに僕たちのような者が入っていい場所じゃない」


 ザールがそう言うが、どう見ても12・3歳の少年たちの言うことを真面目に取り合う気持ちはないらしく、団長がせせら笑って言う。


「おい、坊やたち。俺たちが何者だか知って言っているのか? 天下の盗賊団に坊やたちの寝言が通用すると思うなよ?」


 そして団長は、周りの団員に命令する。


「ちょうどいい、こいつらを人質に取って里から身代金をせしめるんだ」


 団長の命令で一斉に抜剣した盗賊団を、二人は落ち着いた表情で見回していたが、


「やれやれ……ザール、こうなるって言ってたろう? どうする?」


 ジュチが呆れ顔で言うと、ザールは緋色の瞳に力を込めて答えた。


「仕方ない、ジュチ、とりあえず外に逃げるんだ」

「了解」


 抜剣したザールの動きに合わせて、ジュチは両掌を開く。すると翠色に輝くアゲハチョウの大群がジュチの掌から飛び立ち、盗賊団へと向かって行った。


「わっ、何だこれは?」

「うっ、目が、目が……」


 盗賊団たちはアゲハチョウの鱗粉が目に入り、一時的に視覚を奪われるとともにその激痛で身動きができなくなる。その隙に二人は氷穴の出口へと駆けだした。


「くそっ、逃がすんじゃねえ!」


 団長の叫びに、団員は痛む目をこすりながら追いかけてくる。それを見ながらジュチが笑って言った。


「引っ掛かってくれたね。ザール、凄いじゃないか。あいつらを戦いもせずに氷穴からおびき出すなんて」

「君が考えた策だろう? 相変わらず頼りになるよジュチは」


 ザールも微笑みながら言う。出口はもうすぐそこだった。その時である。


 ズガーン!

「わっ!」


 地響きと共に、氷穴の天井に形作られていた氷柱が、音を立てて落下してくる。それも一つではない、いくつもいくつも落ちて来た。


 ドカーン!

 パーン! ヒュッ!


 氷柱が地面に叩きつけられ、砕かれた氷片が散乱する。その一つにでも当たれば大けがは間違いない。


「ザール、大丈夫かい?」


 ジュチは身体の周りにアゲハチョウのシールドを作って訊く。ザールの方はそんな魔法は使えない。ただ氷片を避け、剣で払うだけだ。


「くそっ、出口まであと少しなのに……ぐわっ!」

「ザール!」


 ジュチは倒れたザールを慌てて助け起こす。ザールの背中には、いくつもの氷片による傷がついていた。


「傷は浅いぞ。もうすぐ外だ、しっかりしろ」


 ジュチがザールを抱えて外に出てみると、突然の氷穴崩壊の原因が分かった。


「くそっ、ここでファイアドラゴンのお出ましとは、想定外だよ」


 そこには、全長15メートルほどのファイアドラゴンがいて、しきりに氷穴の壁にファイアブレスを吐き続けていたのだ。


「待て、小僧ども。げっ!」


 そこに、氷柱崩壊の地獄を辛うじて抜けて来た盗賊団が姿を現した。10人ほどが犠牲になったらしく、残った団長はじめ団員も身体のあちこちに大なり小なりの傷を受けていた。


 その団長は、滞空して火焔放射を続けているファイアドラゴンを見て絶句する。団員たちも呆けたような顔でその様を見ていた。


「……ファイアドラゴンはアイスドラゴンの巣に生えるコケが大好物だ。あいつはそのコケを食べに来たに違いない。むやみに刺激せず、静かにこの場を離れるんだ」


 ザールが盗賊団に注意したが、余りの恐ろしさに我を忘れた団員の一人が、


「わあっ! こ、この化け物め!」


 そう叫んで、ファイアドラゴンに向けて矢を放ってしまった。


「まずい!」


 ザールはそう叫ぶと、ジュチと共に茂みへと身を隠す。間一髪、ファイアドラゴンの視界には入らなかったようだ。


 ファイアドラゴンは、ゆっくりと盗賊団の方に顔を向けると、威嚇するようにファイアボールを2・3個放ち、物凄い雄たけびを上げて彼方へと飛び去って行った。


「……けっ、ざ、ざまあみろ」


 団長は、突っ伏していた顔を上げながらそうつぶやく。けれど、その声には負け惜しみと安堵の色が多分に混じっていた。


「分かってくれただろうか? この里は人間が足を踏み入れていいところじゃない。早く里から出て行くことをお勧めする」


 ゆっくりと歩み寄りながら言うザールを見た瞬間、団長はガバッと跳ね起きて、周りで腰を抜かしている団員に叫ぶ。


「くそっ、コケにされたまま出て行かれるか! 野郎ども、この坊やたちを捕まえろ。せめて身代金だけでも手に入れるんだ!」


 相手がファイアドラゴンの時は縮こまって震えていた団員も、ザールたち二人が相手となると急に勇気が湧いてきたらしく、二十数人の団員たちは獰猛な顔に戻って剣を構えた。


「やれやれ、ボクたちは完全に舐められているよザール」


 ジュチが片方の眉を上げ、片頬を歪めて言う。これは怒っている時のジュチの癖だった。

 その時、ドカンという音と共にザールたちの右手にある林の木がなぎ倒され、そこから大声で


「アンタたち、アタシのザールに手を出したら承知しないよっ!」


 そう叫びながら、疾風のようにこの場に駆け込んできた少女がいる。リディアだった。

 少女と言ってもリディアはジーク・オーガだ。まだ10歳ではあるが身長は170センチもあり、剣や槍の扱いには慣れている。


 そのリディアが、革鎧に身を包み、重さは200キロを超えるメイスを持ってザールたちと盗賊団の間に立ちはだかったのだ。


 団長は、リディアが女の子であることは見破ったが、その赤銅色に輝く肌と、爛々とした眼光、そして先ほど見た一抱えもある木を一撃で薙ぎ払ったリディアの膂力に恐れをなし、


「や、野郎ども、このバケモンみたいな女は地上最強のジーク・オーガだ。ひ、引き上げるぞっ!」


 そう叫ぶと、一散に『風採りの小径』へと逃げ出した。慌てて部下たちも後を追う。


「……なによ、誰がバケモンよ。失礼ね」


 リディアは、一目散に逃げていく盗賊団たちの姿を睨みつけながらそうつぶやくと、はあっと深いため息をついて、ザールたちを振り向いて笑った。


「ケガはない、ザール? 間に合ってよかった」


 テムジンやアムールたちの集団がこの場に駆け付けたのは、そのすぐ後のことだった。


     ★ ★ ★ ★ ★


「勝手な行動を取って、里のみんなに心配をかけた。その罰は受けないといけないぞ」


 事件後、ザールとジュチはそれぞれの長からキツイお叱りを受け、サリバンの家で1週間の謹慎を言い渡された。


「やれやれ、1週間も外出も面会もできないなんて……キミと冒険するとろくなことにはならないな」


 ジュチがそう言ってぼやくが、さっそくリディアがそれに突っ込む。


「何言ってんの? 盗賊団を見つけようってザールをけしかけたのはアンタじゃん。人のせいにするのはみっともないわよ」

「おや、そうでしたかね?」


 すっとぼけるジュチに、ザールは苦笑したままだ。


「まったく、ザールが優しいからこのクズエルフが付け上がるのよ。ザールからも何か言ってやったら?」


 半分呆れているリディアに、ザールは不思議そうに訊いた。


「ところでリディア、なぜ君がここにいるんだい? 今回の件では君にはお咎めはなかったと記憶しているけれど」


 するとリディアは、なぜか頬を染めて答えた。


「だ、だって、1週間もザールに会えないなんて、アタシには死活問題だもん」


 するとザールは、クスリと笑ってリディアの髪をなでながら言った。


「今回も君に助けられた。君は僕たちが危ない時にはいつだって身を挺して助けてくれる。どうしてだい?」

「そりゃリディアはザールのことがすk……ぐはっ!」


 何か言いかけたジュチを裏拳でぶっ飛ばしたリディアは、悲しそうな目でザールに問いかける。


「ね、ザール。あいつらさ、アタシのことバケモンって言ったね……ザールから見ても、アタシってそう見える?」


 するとザールは、驚いたような顔をして訊き返した。


「君がバケモノ? とんでもない、そんなこと考えたこともない。リディア、君は君自身のことをどう思っているんだい?」


 するとリディアは、首を振って小さな声で言った。


「……分からないよ。アタシはジーク・オーガだから、ザールやジュチと違って身体は大きいけれど、近ごろはそれが気になって仕方ないんだ。人間の女の子だったら、ザールの隣に立ってもおかしくないのになあって思っちゃうんだ」

「それは種族が違うから仕方ないさ。けれどザールはその種族の違いすら気にしないでボクたちと付き合っているようだけれどね?」


 ジュチが神妙な顔で言うと、リディアは急にポロポロと涙を流し始めた。


「……どうしたんだいリディア。ボクは何か気に障ることを言ったかな?」


 ジュチが慌てて訊くと、リディアはふるふると頭を振った。


「うん、ザールのそんなとこ、分かってる。でも、アタシはどうしても今の自分が好きになれないんだ」


 そんなリディアの背中をなでながら、ザールは微笑んで訊いた。


「リディア、君は僕がなぜ、この里に預けられたかを知っているかい?」


 リディアは、涙声で答えた。


「それは……ザールにドラゴンの血が流れているからとか聞いたけれど……」


 その答えにザールはうなずくと、


「僕の父上も母上も、僕がドラゴンになってしまうことを心配している。それは僕の身体が心配なんじゃなくて、『ドラゴンの血』が目覚めたら、僕が見境なく暴れ回ることを恐れているからだ」


 そう言った。その言葉にかすかな哀しみと冷たい響きを感じたリディアは、驚いて顔を上げた。ザールの顔は今まで見たこともないような悲しそうな顔だった。


「そんな……ザールは優しいよ?」


 リディアがやっとのことで言うと、ザールは苦しそうに笑って、


「僕はこの血を呪っている。ドラゴンの血がもし僕をそんな風に変えてしまうなら、僕は僕でなくなってしまう。そんな自分でいるより、死んだほうがマシだ。それなら誰も傷付かないから」


 そう言うと、リディアは激しく首を振って叫ぶように言った。


「それは違う! ザールがたとえドラゴンになったとしても、アタシのこと忘れてしまっても、ザールはザールだもん! だから哀しいこと言わないでよ」


 そしてリディアは、食い入るような目でザールの緋色の瞳を見つめて、しっかりとした声で言った。


「アタシはザールがどんなことになっても、ずっと一緒にいてあげる」


 するとザールは、優しい顔に戻ってリディアに言った。


「ありがとう。そう言ってもらえると僕は落ち着ける。そして僕もリディアに同じことを言いたいんだ」


 リディアの瞳にもの問いたげな色が浮かぶ。ザールはジュチを見て笑うと、リディアの目をしっかりと見据えて続けた。


「僕は、この血を呪っていた。父上と母上から引き離した『ドラゴンの血』が憎かった。けれど、君たちに出会えて、僕は変わった」


 リディアが何か言いかけるのを、ザールは静かに抑えて言う。


()()()()()()()()()()()()()()……ある時そう思ったんだ。凄いことだろう? こんなに世界は広くて、こんなに生き物はたくさんいるのに、僕という存在はたった一人だ。()()()()()()()()()()()()()


 そこまで一息で言うと、ザールはリディアの髪をなでながら、


「だから、君が君でいることだって、とても不思議なことなんだ。僕はそんな君やジュチと出会えて、この里に来てよかったと思っている。そして、リディアという存在、ジュチという存在をそのまま受け止めて、そのまま尊重したい。だから僕は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思っている」


「それって……アタシは女の子だって自信持っていていいってこと?」


 おずおずと言うリディアに、ザールは優しくうなずいた。


「最初からボクも言っていたろう? リディアはジーク・オーガの中でも最高に可愛らしいってさ」


 ジュチがウザったく伸びた金の前髪に、形のいい人差し指を絡ませながら言う。


「……ま、ボクたちハイエルフと比べれば高貴さと美しさはまだまだだが、可愛らしさだったら断然キミが勝っている。これはハイエルフの王子たるボクがはっきり言っておくよ?」

「……なんか褒められている気がしないけど、アンタの優しさとして受け取っておくね」


 リディアの言葉に、ザールが笑って言葉を挟んだ。


「ジュチにしてはたいそうな誉め言葉だよ。リディア、君はジュチから見ても最高に可愛いっていう意味だよ」


     ★ ★ ★ ★ ★


 リディアの誕生日会は、ザールたちが謹慎を食らっていたおかげで1週間も遅れて行われた。それは、リディアが自らザールに付き合ったせいでもある。

 そのザールたちは宴席の中、ジーク・オーガに囲まれていたが、その存在感はとても12・3歳の子どもとは思えぬほどだった。


 もちろんオルテガもダイアナも、今回の事件でザールやジュチに対して悪い感情は抱いていなかった。むしろ、自分たちに先んじて盗賊団の居場所を特定したことや、その後の処置について話を聞いて、


「ザール殿は、生まれながらにして王者の気質を持ち合わせている。さすがは友たるトルクスタン候サーム殿の嫡子だ。またジュチ殿も、わずかな手掛かりを元に相手の居場所を特定し、策をもって氷穴から敵をおびき出すとは、智謀をもって鳴るハイエルフの次期王に相応しい」


 そうつぶやき、傍らに座っているリディアに、


「そなたも、よい友に恵まれたようだ。この縁を大事にしろよ」


 そう言い聞かせるのだった。


 やがて二人が揃ってリディアの前にやって来た。プレゼントを持っている。


「やあリディア、誕生日おめでとう。これはいつかキミがほしがっていたものだよ」


 ジュチが持ってきたのは、『ファールス王国英傑伝』だった。それを見て、リディアは目を輝かせる。


「わあ、アタシ、この中の英雄ザールの物語が一番気に入っているんだ。もう空で言えるくらいにたくさん読んだから、本もボロボロになっちゃってたんだ。ありがとう、嬉しいよ。ジュチにしてはまともなプレゼントだね」


 次にザールがリディアの前に立った。手には何も持っていない。


「?」


 リディアは不思議そうにザールを見た。ザールはニコリと笑うと、自分が佩いていた剣を外し、そのままリディアに手渡す。


「え?」


 戸惑うリディアに、ザールは爽やかな声で言った。


「誕生日おめでとう、リディア。その剣は僕が父上から貰ったものだが、父上の許しを得て君に譲ることにした。僕だと思って大事にしてほしい」

「え? で、でも、剣を手放すなんて、どうしちゃったのさ?」


 リディアはどぎまぎしてやっとそう訊いた。戦士たるもの大事なものは、一に名誉、二に命、そして装備はそれに負けず劣らず大事にすべきものである。それを人一倍『戦士』たることに拘っていたザールが、どうして?


「その剣は、僕が『戦士』として過ごした日々の思い出が詰まっている。僕はこれからは『侯国の世継ぎ』として、()()()()()()()()()()()()()()()んだ」


 リディアは、ザールの言葉の意味を理解するのにたっぷり1分はかかった。


「えっ⁉ ザール、サマルカンドに帰っちゃうの?」


 リディアは、ショックを受けたが、次の瞬間それを隠して、ニコリと笑って言った。


「そ、それは良かったね。やっと両親と暮らせるようになったんだね」


 リディアの言葉に、ザールは少し憂鬱な様子で答えた。


「そうだね。けれど、父上も母上もまだ、僕への恐怖心を無くしたわけではないみたいだ」


 そして窓から遠く西の空を見つめると、


「僕はどうやら、『ドラゴンの血』と『トルクスタン候の世継ぎ』という呪縛から逃げられない運命みたいだ。ここで暮らした7年間は、僕の思い出にずっと残り続けるだろう」


 そう、誰にともなくつぶやくと、リディアとジュチを振り返り、笑った。それは今リディアが思い出しても、うっとりとするような透き通った、高貴な微笑だった。


「だから、もし君たちが僕の事を覚えていてくれたなら、いつかサマルカンドに来てくれないか? 僕たちで『どんな種族もお互いを尊重し、認めあえる世界』を創りたいんだ」

「うん、分かった。アタシはザールについて行くよ。この里を出られる歳になったら、一目散にサマルカンドに行くから、待っててね?」


 リディアは涙を浮かべながらそう言う。それを聞いていたジュチも、腕を組んで流し目を決めながら言った。


「ふふん、ボクもその計画に一枚かませてくれないか? キミたちとなら、その夢物語を夢でなくせるかもしれないって期待しちゃうんでね?」



(あの日の約束どおり、ジュチがその5年後にサマルカンドに向かった。ジュチはその時意味深に『キミのザールのことは、ボクが見張っていてあげるから心配しないでいてくれたまえ』なんて言ったけれど、それから2年後、アタシもザールの側に来た……)


「そして、今ってわけさ」


 リディアは『レーエン』を振り回しながらつぶやく。周りではテュポーン族の兵士たちがリディアの突進に恐れをなして逃げ惑っていた。


(10歳のころのアタシが、なぜザールの言葉に心が揺れたのか、今なら分かる。アタシはザールが好きだ、誰にも渡したくないほど好きだ。けれど、それだけじゃない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ……)


 やがて、リディアの前を阻む敵兵がいなくなり、敵将タイロスの姿が目に入る。


「さて、ザールとの約束を果たすために、あいつを一丁上がりにしてやるか」


 リディアはそうつぶやくと、敵将の首をねるためにモアウに鞭をくれた。

 その姿は紅蓮の炎をまとった緋色の天使のように見えたという。


(サイドストーリー 緋色の純情 完)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

次回はロザリアの予定ですが、ふと、「読者の皆さんは誰の物語を読みたいと思ってらっしゃるんだろう」って気になりました。

ティムール、ガルム、ガイ、リアンノンそしてアイラ……いくつかプロットを読み返していますが、何かコメントを頂ければ幸いです。参考にして執筆の優先度を決めたいと思います。

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