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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
60/70

サイドストーリー 餓狼の弟子

ホルンの『義勇軍』で活躍した『用心棒ガルム』と『双剣の若武者アロー』。

二人の修行時代を軸に語られる、『青き炎のヴァリアント』サイドストーリーです。

 目の前に、箱庭のようなこぢんまりとした村が見えている。峩々(がが)たる山々を越えて来た旅人は、一つ息をしてその村のたたずまいに見入った。


 旅人は、若い男である。亜麻色の髪が風になびき、深い碧の色をした瞳を持つ目は鋭い光を湛えている。ただ者ではなかった。

 ただ者ではないと言えば、彼のいでたちも一分も隙のない軍装で、革鎧の胸にあしらわれたドラゴンの紋章が、特に目を引いていた。それはこの地を領土とするファールス王国の紋章であったからだ。


「……さて、行くか」


 若者はそう独り言を言うと、折からの微風に誘われるように、峠道をしっかりとした足取りで下り始めた。



 急ぐでもなく歩くこと半時(1時間)、若者は村の入口に立つと、じっと大きな杉の木を見つめる。


(この木は、幼いころにはみんなで登って遊んだよな)


 若者がそう思って立ち尽くしていると、村から出て来た老人が若者に声をかけた。


「おや、アローじゃないか? お前は王都で大変な出世をしたと聞いたが、なぜここにいるんじゃ?」


 すると、アローと呼ばれた若者は老人に笑いかけて答えた。


「あはは、出世ってほどじゃないんですが、少しは大事な役目を仰せつかるようにはなりました。少し休みを取って里帰りってわけですよ」


 そしてアローは老人にあいさつをして、自分の家がある村の南側へと歩き始めた。


「おや、アローじゃないかい? すっかり見違えたよ」

「アロー、女王陛下の挙兵時にはかなり活躍したそうじゃないか。この村までその話は届いているよ」


 道で出会う人々はみな、アローを褒め称える。けれどアローは、そんな村人の気持ちのこもった挨拶に愛想よく答えながらも、


(ホルンさん、いや女王陛下は、どこに行ってしまわれたのだろう……)


 そう考えていた。



 アローは、懐かしい我が家の前で一度立ち止まった。


(父上が憧れ果たせなかった『王家の戦士』になる夢、俺が果たしたよ……)


 アローは、優しかった父の面影をしのびながら、目が潤んでくるのを禁じえなかった。

 その時、家の戸が開いて、中から懐かしい母と、すっかり大人びている弟が現れた。二人で買い物にでも行く予定だったのだろう。弟のサンバは、大きな籠を背負っていた。


「アロー……」

「アロー兄ちゃん!」


 母とサンバが同時に言う。アローはニコリとして一言言った。


「ただいま」




 アローは驚き喜ぶ二人と共に買い物を終えると、家に戻って一息ついた。自分の部屋は出て行った時のままだった。


(父の部屋に、ホルンさんは一晩泊って行かれたんだったな……)


 アローは部屋を出ると、向かいにある亡き父の部屋のドアを見てそう思う。

 あの時、ホルンさんはすでに『無双の女用心棒』としてこの国でも有名な存在だった。片田舎に住む自分ですら、その名を知っていたくらいだから、かなりの腕であることは確かだった。


『あっ、アロー兄ちゃん。この女、用心棒だってよ? 笑っちゃうよね』


 サンバがそう言う向こう側に、その女性はたたずんでいた。恐ろしく穂先の長い槍を携えて、悪態をつくサンバを優しそうに見つめていた。

 アローは、サンバが絡んでいる女槍遣いを一目見て、


(この女性は、ただ者ではない)


 そう見抜いた。

 あの頃はまだ駆け出しの剣士で、実戦経験もなかったが、それでもホルンの周りには温かく、そしてえも言われぬ迫力がある『何か』があることは感知できた。

 一手の指南を乞うと、ホルンは快く応じてくれた。

 そして立ち会ってみると、改めてその凄まじさを肌で感じた。アローは一歩も動けず、受けも躱しもできないまま、ホルンに剣を弾き飛ばされたのだ。


「それからでしたね。あなたがより一層、稽古に身を入れ始めたのは」


 夕食の時、母はそう言って微笑む。それは団らんというものを久しく忘れていたアローにとって、心から安らげる笑いだった。


 アローは笑顔で話す母親に、すまなそうに言った。


「母上、勝手にこの村を飛び出して心配かけました」


 母は、それを聞いてうなずいて答えた。


「ホルンさんの挙兵の噂が伝わった時、私はあなたがどうするかを心配していました。あなたがホルンさんに憧れているのは知っていましたから」


 それを聞いて、アローは思わず左の頬をなでる。

 今でも、ホルンから頬を叩かれたときのことは覚えている。それはこの村を牛耳っていた盗賊団の首領たちをドラゴンに引き渡した後だった。


「……僕は、ホルンさんに戦士の覚悟というものを教わりました。あの方に出会わなければ、今の僕はありません。だから及ばずながらでも力をお貸ししたかったんです」

「その気持ちは分かっています。あなたが出て行った朝、私は窓からあなたを見送りながら、無事の帰りを祈っていました。そしてあなたは無事にここに戻って来ています。何も言うことはありません」

「母上……」


 アローは、自分の出発を見送りながら、止めもしなかった母の気持ちを思うと泣けて来た。


「なぜ泣くのですか? あなたは立派な『王家の戦士』でしょう? きっと父上も、そしておじい様も喜んでいるでしょう」


 母が言うと、神妙にしていたサンバが、静かに訊いてきた。


「そう言えばアロー兄ちゃんは、どんなお役目をいただいてるの?」


 アローは、3年という月日が流れ、ひょうきんさがすっかり消えた弟を見つめると、笑って答えた。


「他言無用だぞ。『王の盾』隊長だ」


 その答えを聞き、母もサンバも言葉をなくしていたが、やがて母はすすり泣きを始めた。

 『王の盾』は親衛隊で、国軍の中でもずば抜けて腕の立つ者しか編入されない。自分の息子がそんな『王の盾』の、しかも隊長職にあると知り、感激したのだろう。


「すげえ……」


 ややあってサンバも、ただ一言そう言った。一緒に木剣を振り、いっぱしの戦士になることを夢見ていた二人だが、いざ兄がその夢を叶えたと言われても実感がわかないのだろう。


「……私は誇りに思います。そして、ホルンさんには感謝の言葉もありません……」


 ややあって母はそうつぶやくと、ハッとしたようにアローに訊く。


「そう言えば、ホルンさん……いえ、女王陛下は元気にしておられますか?」


 この村では、ファールス王国の王はまだホルン・ファランドールだと思われているのだ。その一事をもってしても、ドラコの村がいかに辺境にあるかが分かる。

 アローは、寂しそうな顔で事実を告げた。


「実は、ホルン陛下は今から半年ほど前、突然いなくなられました。今は『白髪の英傑』ザール陛下が即位されています」


 それを聞いて、母はびっくりした顔をしてつぶやいた。


「噂を聞いて、私はてっきり女王陛下はザール様と結ばれるものだと思っていましたが……そうですか」


 そう言って呆然としていた母だが、やがて静かにアローに言った。


「この世では出会いと別れは必然。あなたの今も、たくさんの人との出会いの中であるものです。あなたが出て行った後、どういう暮らしをしていたのか、誰を師と仰ぎ、今のあなたになったのか、母に聞かせてください」


 アローは頷いて話し始めた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 今から3年前、ホルンが村を出て行った後、アローは必死になって稽古に励んだ。


『あなたは戦士というものを甘く見ていない?』


 必死になればなるほど、アローの頭の中にはホルンの言葉が、横っ面を張り飛ばされた痛みと共に思い出される。


「僕は、“閃光のヴィレム”の孫だっ!」


 アローはその度に、そして心が折れそうになるたびに、偉大だった祖父の名を心に呼び続けた。


 “閃光のヴィレム”……それは、ファールス王国でも伝説となった『王家の戦士』である。

 20歳で国軍の連隊指揮官となり、彼が率いる部隊は必ず敵陣に一番乗りをした。

 彼自身も卓越した剣士であり、次のような伝説が残っている。


 ある戦いで、彼はいつものとおり部下数名を連れて敵陣へ一番乗りを果たしたが、そこで2・3百名の敵兵に囲まれてしまった。

 しかし、ヴィレムは慌てもせずに剣を構えると、


『死出の土産に何人獲ろうか?』


 そう凄絶な笑顔と共に剣を一閃すると、一度に数名の敵兵がたおれる。

 彼は部下を庇いながら、後続の部隊が彼らのいる陣地を占領するまで戦い続けた。後続部隊長がヴィレムを救い出そうと一隊を率いて来た時、ヴィレムたちの周りには百数十を数える敵兵の死体が転がっていたという。

 その凄絶な剣技と、部隊の速度の素早さから、いつしか彼は『閃光のヴィレム』の二つ名を頂戴したと言われている。


 25歳の時、『王の盾』の副長となり、39歳の時に西方軍幕僚として時の王弟ザッハークを助ける立場となった。

 そして49歳の時……この年にアローが生まれている……ザッハーク朝で西方軍の司令官としてアンカラに司令部を置いて西方に睨みを利かせていたが、その2年後、51歳の若さで急逝した。一説には、ザッハークの治世を批判したため粛清されたとか、ローマニアとの戦いで不甲斐ない指揮をしたため『七つの枝の聖騎士団』から暗殺されたと言われている。


 とにかく、アローは偉大な祖父を目標に、必死に自分を高めようとしていたのである。



 そんな日々を送っていたある日、たまたま村に来ていた旅人から、次のような話を聞いた。


「サマルカンドには、前国王シャー・ローム陛下の娘である姫が匿われているそうだ。何でもその姫様は最近まで用心棒として辺境を巡られていたらしい」


 食堂で昼飯を食べていたアローは、そんな声が聞こえて来たので、思わずその旅人の顔を見た。旅人は二人連れで、一人は頬に刀傷があり、一人は左目が潰れていた。


(この方たちも、剣士か用心棒だ)


 そう直感したアローは、飯も食べかけのまま、二人連れの男たちのテーブルに近づいた。

 男たちも、アローがこちらに注目したことに気付いていた。二人とも、歩いてくるアローをじっと見つめている。アローの技量を測っているのだろう。


「小僧、何の用だ」


 アイパッチの男が言うと、アローはどぎまぎしながらも訊いた。


「今しがた話されていた姫様の件で……」


 すると頬に傷がある男は、途端に激高して立ち上がると、アローを頭から怒鳴りつけた。


「人の話を盗み聞きするとはふてえガキだ! 貴様のような小僧に話すことは何もない!」


 そして、男たちは茫然としているアローを置き去りにしたまま、金を払って店を出て行った。


(な、何者だ、あいつら……)


 すっかり肝が冷えてしまったアローだったが、『用心棒をしていた姫様』の話が気にかかる。彼は代金を払うと店を飛び出し、二人を追いかけた。

 二人は急ぎもせずに歩いている。恐らく自分が付けていることは先刻ご承知だろう……アローがそう思ってさらに二人の後をつけていくと、二人とも川沿いの普段は誰も使わない道へと入って行った。


(僕を誘っているのだろうか……戦いになるのだろうか?)


 一瞬そう思って逡巡したアローだったが、彼は勇を鼓し、二人を追って川沿いの道に足を踏み入れた。


 二人とも、1ケーブル(この世界では約185メートル)ほど先にある川原に立ち尽くしこちらを見ている。やはり自分が後を付けていたことは気付かれていたのだ……まあ、あれだけの男たちなら気付かない方がおかしいけれど……アローはそう思うと、急に恐怖が吹き飛んでしまったように足取りが軽くなった。


 アローが河原に足を踏み入れると、その途端にアイパッチの男が声をかけて来た。双方の距離は20ヤードもなかった。


「なぜつけて来た? 小僧に話すことは何もないと言ったはずだ」

「……その姫様がホルン・ファランドールと言われる方ならば、僕はそのお方に力をお貸ししたいのです」


 アローははっきりとそう言った。ただ、その声は頭の上から出ているような不思議な感じがした。


「小僧、『力を貸す』とは、貸せるだけの力を備えている者が言うセリフだ。小僧程度では話にならんぞ?」


 自分を怒鳴りつけて来た男が、ニヤニヤしながら言ってきたので、アローはカッとして怒鳴り返した。


「バカにするなっ! このアロー・テル、これでもいっぱしの剣士のつもりだ!」


 すると、頬に刀傷がある男は笑い顔を消すと、双眸に禍々しい光を宿して言った。


「ほう、それでは剣を抜け。俺が貴様の実力を見てやる」

「望むところだっ!」


 アローがそう叫んで剣を抜くのと、抜いた剣が弾き飛ばされるのが同時だった。


「えっ?」


 アローは、自分の喉元に男の剣先が突きつけられているのを知ると、茫然としてそう言った。何が何だか分からなかった。


「……恐怖と怒りで我を忘れると、こういうことになる。貴様は戦場では一働きもせずに死ぬ手合いだ」


 刀傷の男は静かに言う。


「恐怖?」


 アローが言うと、男は頷いて言った。


「小僧、貴様は途中から恐怖が消えて心が軽くなったと思ったろう?」


 アローはびっくりしてうなずく。なぜそんなことが分かったのだろうか。

 アローのもの問いたげな顔色を読んだのだろう、アイパッチの男が近づいてきて、優しい声でその疑問に答えた。


「そなたの足取りが急におぼつかなくなった。腰が砕けたようなふわふわとした軽い足取りだった。人間、恐怖が限界点を越えると感覚がマヒし、恐ろしさを感じなくなるが、そう言う時は身体のシンがすっかり砕けてしまっていて、力強さが無くなる。それをお前は『恐怖がなくなった』と勘違いしたのだ」


 そう言うと彼は人懐っこい笑いをして、アローの頭の上で手を回して訊く。


「どうだ、こいつの質問に答えた時、この辺で話しているような感覚はなかったか? それが『アガっている』という状態だ。その感覚すら気付けなかったと言うなら、剣士になるのは諦めろ、死ぬだけだ」

「……僕は、剣士には向かないってことですか?」


 アローが訊くと、刀傷の男は獰猛な光を消して、剣を鞘に納めながら言う。


「そうとも言い切れない。貴様はこの俺の目の光を受け止めていたし、剣先が喉に向けられても話ができていた。それに漏らしてもいない……要は心の持ちようだな」


 アローは二人の話を聞きながら、唇をかんでいた。『怖くない』と思っていたのが、実は『怖すぎてマヒしていた』と言われたのが堪えたのだ。


「どうすれば、怖さを克服できますか?」


 アローが訊くと、アイパッチの男は笑って答えた。


「ははは、そんな方法があれば俺たちこそ知りたいぜ。けれどな、『怖い』からこそ俺たちもここまで生き延びているのさ」


 その言葉にうなずいて、刀傷の男が言った。


「怖さは慣れで何とかできる。戦いとはしょせん本能さ。自分の剣技を磨き、寝ていても反応できるようになるまで反復して身体に沁み込ませる。そこまで行ってやっと半人前だ」

「後はその場の判断次第。その判断の根拠こそ場数を踏むことで身につく。小僧、まずは生き延びられる剣を磨け」


 アイパッチの男はアローにそう言うと、刀傷の男を促すように言う。


「行くぞ、マントイフェル。次の町でこれぞという人物を見つけんといかん」


 すると、マントイフェルと言われた男は、アローに言った。


「小僧、姫様の御名は貴様の言うとおりだ。力になりたければアイニの町の『シール』という宿屋に来い。ただ、ティムール殿のお眼鏡に適うかどうかは、貴様次第だがな」


 そう言うと、アイパッチの男と共に歩き出した。



「あのガキにえらく親切だったな?」


 そう言われたマントイフェルは、アイパッチの男に笑って言った。


「そう言うな、ゲッツ。小僧のような剣士が育ってくれれば嬉しいではないか」


 それにうなずいて、ゲッツという男も笑って言った。


「そうだな。『餓狼のガルム』が俺たちにこんな役回りを振ったのは、存外そこが狙いかも知れないな」


 その頃、アローは『マントイフェル』という名を思い出して感激に震えていた。


(レオ・マントイフェル……“ルシファー”マントイフェル殿だったのか。とすればもうお一人は“旋風のゲッツ”、ゴッドフリート・シュベッペンベルグ殿に違いない。天下に鳴り響いた用心棒のお二人が、ホルンさんのために動いているなんて……)

「これは噂どおり、挙兵の時期が近いのかもしれない……」


 アローはそう独り言を言うと、遠ざかっていく二人の影に向かって笑いかけた。


「ありがとうございます。アイニの町に行ってみます」


     ★ ★ ★ ★ ★


 アローは、母にも弟にも何も言わず、アイニの町へ旅立った。


(アイニの町まで、だいたい2週間くらいか)


 峠を越え、故郷であるドラコの村が見えなくなると、アローの足は速まった。


(ティムール様は、僕をどう評価されるだろうか?)


 そんな心配が心に浮かんでくるが、アローは


(心配しても仕方ない。ダメだと言われれば、単身でもついて行くだけだ)


 そう心に決めた。心に決めたら気が楽になり、心配することがなくなった。

 アローは、そこで一つ、大切なことを学んだ。


「そうか、決心だ。揺らぐことのない決心こそが、不安を軽減してくれる」


 その日の夜、宿屋でぐっすりと眠ったアローは、次の日の朝にそのことに思い至った。


「ならば、僕は必ず立派な剣士になる。そしてまずは、死なない剣を求めなければ」


 アローはその決意と共に、一歩一歩アイニの町に近づいて行った。


 そして彼が旅立って10日目、最大の難関が彼に立ち塞がった。

 3年経った今でも、彼はその日のことを覚えている。その後の戦いの中では、もっと苦戦もあったし、身を捨てて勝利を掴んだこともある。

 けれど、その経験こそがその後の彼を形作ったものだった。盗賊団に襲われたのだ。


 盗賊団は全部で10人だった。たまたま彼は、4・5人の旅人と固まって歩いていた。その中の一人が行商人であり、金を持っていそうだったのが災いを呼び込んだのだった。

 突然疾風のように襲ってきた盗賊団に、彼を除く全員が瞬く間に斬って捨てられた。

 けれど、アローは畢生の剣を揮い、3人を相手にしばらく何とか持ち堪えていた。


「しぶといヤツだ、死ねっ!」


 盗賊が斬りかかってくるが、アローはその度に剣を弾き返して防いだ。

 その時、アローはまた一つ学んだ。


(斬ろうと思えば無理が出る。無理をすれば隙ができる。こいつらだって無限に僕と戦っていられるわけでもない。剣を弾き返していれば、こちらも斬られることはない)


 無理に勝ちを狙わない……アローが気付いた最も大切なことだった。


「たった一人を相手に、何を手間取っている!」


 盗賊団の頭と思われる五十がらみの男が、いつまで経っても勝負がつかないことに業を煮やして歩み寄って来た。その時、アローは7人もの盗賊を相手に戦っていたのだ。


「ふーん……お前ら、剣を引けっ!」


 頭は、アローの奮戦をしばらく見守っていたが、そう手下に叫んだ。手下たちは命令に従い、アローを遠巻きにして剣を引いた。


「お前、若いくせになかなかやるじゃないか。どこで剣を学んだ?」


 頭が訊くと、アローは油断なく辺りを見ながら答える。


「独学だが、一度ホルン・ファランドール殿にご指南いただいたことがある」


 すると頭は一人頷いて、


「なるほど、『無双の女槍遣い』に……道理で粗削りだが筋がいいワケだ。どこに何をしに行く予定だったのだ?」


 そう訊いてきた。


「アイニの町に、ホルン殿の募兵に応じて出向くところだ。邪魔をすると許さんぞ」


 アローが猛気を発すると、頭は何を思ったか笑って剣を鞘に納めて言った。


「信じられないだろうが、俺たちはもともとこの国の軍団兵だ。除隊になって故郷に帰ってみれば、ザッハークの悪政によって故郷は遊牧民の馬蹄の下になっていた。しかたなく同年兵で山賊団を組んで今まで糊口をしのいでいたわけだ」


 頭の話を聞きながら周りを見ると、アローを囲んでいた手下たちは全員、剣を納めていた。神妙な顔をしている者が多い……隊長の身の上話は本当のことらしい。


「……ならばなぜ、遊牧民たちを襲わない? 無辜むこの旅人を襲っても、あなた方の無念は晴れないのではないか?」


 アローが訊くと、頭は面目無げに頭をかいて、次の瞬間真面目な顔に戻って言った。


「そのとおりだ。我々も最初は遊牧民を襲った。しかし刃が立たなかった……いつしか我々は軍団兵の誇りを忘れ、その日暮らしになっていたのさ」

「では、共にホルンさんの力になりましょう。一緒にアイニの町に行きませんか?」


 アローが言うと、頭は首を振って言った。


「我々は盗賊だ。『無双の女槍遣い』がまかり間違って女王様にでもなった時、その配下に盗賊上がりの連中がいたなんて言われると、女王様の威厳や威信は地に落ちる。俺たちはこのまま朽ち果てるしかないが、せめてもの罪滅ぼしにお前を見逃す。きっと手柄を立てて、『無双の女槍遣い』の役に立ってくれ。その時、少しは俺たちのことを思い出してくれればそれでいい」

「僕はアロー・テル。あなたは?」


 アローが名乗り、相手の名を問うと、相手は名乗らずに訊いてきた。


「もしかしてそなたは、“閃光のヴィレム”の親族か?」

「ヴィレム・テルは僕のおじい様だ」


 それを聞いて、頭は懐かしそうな顔で笑って言った。


「なるほど、言われればそなたの目はヴィレム閣下に似ている。今日はいい人物に会い、久しぶりに人間らしい心を取り戻させてもらった。達者でな、ヴィレム閣下の孫よ」


 そう言うと、盗賊たちは一斉にアローに敬礼をして去って行った。無頼の暮らしを長くしていたらしいが、その敬礼は立派なものだったという。


     ★ ★ ★ ★ ★


 アローは、ティムールの恩情とガルムの助け舟のおかげで、なんとか義勇軍に加わることができた。

 けれど、自分が半人前にすら届いていないことは、周りにいる剣士を見てすぐに悟った。


 この部隊が旗を挙げるとき、その主将と目されていたのはティムール・アルメであった。

 彼はすでに60歳を超していたが、元『王の牙』、そして東方軍司令官という軍歴は、彼をただの魔剣士として軽んずるにはあまりにも華やか過ぎた。

 また、その槍は歳を取っておらず、若者に勝る気迫と身のこなしで、ティムールはまだまだ第一線で戦うに相応しいと言えた。


 次にアローが目を奪われたのは、ガルム・イェーガーという男だった。

 彼は右目が潰れていたが、その長剣と楯を普通とは逆……左手で長剣、右手に楯を持って構えることで、その弱点を打ち消していた。

 歳は50に近いが、まだまだ身体はしなやかで、中でも驚いたのは両手剣の片手遣いという反則技だった。


(どれほどの修練を積めば、これほどの膂力りょりょくを手に入れられるのか?)


 ガルムの練習を見るたびに、アローはため息を漏らしたものだった。



 次に目を引いたのは、幹部級では恐らく紅一点のシャナ・エフェンディであった。

 鋭い突きと縦横無尽の槍の扱いは、どことなくホルンに似ていたが、ホルンと違って直線的で刺し貫くような槍の法だった。


 槍扱いの速さはホルンに劣っていたが、その独特の槍の法によって攻撃速度としてはホルンと甲乙つけがたかった。斬り、突き、叩きつけるホルンの槍と、徹頭徹尾突きに拘ったシャナの槍、その違いを比較することも、アローにとっては勉強になった。



 面白いと思ったのは、リョーカという人物の戦い方だった。リョーカは普通の剣を使っていたが、構えに定石がなく、どうかすると剣を擲って憚らない独特の戦い方だった。

 けれどそれは『勝てばいい』というものでもなく、どうやらその根幹には『負けないこと』があるらしかった。


「リョーカの剣は、王者や将軍が扱う剣ではない。けれど、それは彼の剣が下等であるという意味ではない。彼の戦い方は、剣を徹底的に道具とみることで成り立っている。逆に言うといかなる状況でいかなる武器を渡されようと、それで勝てる戦い方だ」


 リョーカの戦い方に関して、ティムールはそう言ったが、ガルムは別の評をしていた。


「剣を自らの楯にするのがリョーカの基本と見た。彼は生き延びることに重きを置いているのだ。だからあの剣捌きは彼にしかできない」


 そう言うと、ガルムはアローを見てニヤリと笑い。


「お前の剣にも通じるところがあるようだ、研究して見ると良い。けれど急ぐ必要はない。リョーカの真似事ではなく、アローの剣を確立することだ」



 不思議とアローは、ガルムという男に気に入られたようだった。力量不足のアローを加えることに二の足を踏んでいたティムールに、


「アローは面白いヤツだ。私に少し預けていただけませんか? 一月あれば、何とか形にはして見せますよ」


 そう言ってくれたのもガルムだった。

 そのくせ、彼はアローに何一つ教えようとはしなかった。


(これは、僕に『技を盗め』と暗に言っているのではないか?)


 アローは、何も教えてくれない不満をガルムにぶつける前に、彼なりの解釈でガルムと付き合うことにした。

 朝起きると、アローはすぐさま顔を洗い、軍装してガルムの部屋に伺候する。

 しかし、彼がどんなに朝早く訪ねても、ガルムは部屋にいなかった。


「どこに行かれたのか?」


 『シール』の帳場にいる女の子に訊いても、彼女は首を傾げるばかりである。


「毎夜、お部屋には入られていますよ。ちゃんと私がカギを差し上げていますし、最後の掃除をしている際もお部屋から物音が聞こえていますから」


 そのことで、アローは


(ガルム殿は、朝早く窓から出られているのではないか?)


 と考えた。


 次の日、アローはまだ太陽が昇らないうちに、ガルムの部屋の外に来ていた。

 東の空が紫からオレンジを含むころ、ガルムの部屋の窓がガチャリと音を立て、静かに開かれた。

 そしてガルムが、軍装に両手剣と楯を装備した姿で外に降り立つ。ガチャリという装備が擦れる音がした以外は、地面に降り立つ音すらしなかった。

 そしてガルムは、まだ薄暗い時分なのに、静かな、しかしはっきりと通る声で言った。


「アロー、そこにいるんだろう? ついて来い」


 そう言うや否や、ガルムは駆け出す。ガルムは決して小柄ではない。身長は180センチある。体格もがっちりしているし装備品も重いはずだ。

 けれど、ガルムは背格好や歳に似合わぬ身体能力をしていた。飛ぶように走り、足音も静かだ。追いかけるアローはそれに比べると無様であった。


(速い、追いつけない)


 アローは、もはや足音なんか気にしないで駆けに駆けた。若いアローだが息が上がってくる。それでもガルムには追い付けないし、ガルムは疲れた様子もない。


 駆けること半時(1時間)、それも全速力の半時だった。ガルムがやっと止まったのは、アイニの町の北にある険峻な断崖を見上げる場所だった。ここまで『シール』から20マイル(この世界で約37キロ)は離れている。大の大人でも一日で来られるかどうか怪しい場所だった。


「とりあえず合格だ。よくついて来れたな」


 ガルムが笑いながら言う。息こそ切らしてはいないが、さすがに額には汗がにじんでいた。

 アローは地面にぶっ倒れて、肩を激しく上下させている。それを見てガルムは鋭い声で号令をかけた。


「立て、アロー! 何をへばっている」


 それを聞いて、アローはゆっくりと立ち上がった。立ち上がる時に自然に息が整えられたのか、肩の上下が止まる。それを見て、ガルムはうなずいて言った。


「それでいい。息は吸うもんじゃない、吐くものだ。息が上がると吸おうとする。だから息が苦しくなる。そんな時は息を吐いてみろ、存外早く息が整う」


 アローはそれを聞いて、吐くことに気持ちを集中する。すると自然に呼吸が楽になった。


「それが、『気息を整える』ということだ。そこができていないと、どんな修練も無駄になる。ここ数日、お前は俺の真似ばかりしていたが、技の方ばかりに目が行って、肝心の呼吸に注意が向いていなかった」


 ガルムはそう言うと、やや声を優しくして続ける。


「この1週間で、アロー(お前)がどんな男かは分かったつもりだ。俺は基礎を教える。そこから応用し、お前だけの剣を確立するのがお前の仕事だ」


 『基礎を教える』とガルムは言ったが、その『基礎』が恐ろしく難易度が高かった。剣の持ち方や振り方などではない。『生き延びるための基礎技術』という言い方がぴったりくるものだった。


 まず1週間、昼は食事を許されなかった。そして息が続く限り野山を走り回った。疲れたら木に寄りかかって休み、座ることと横になることは禁じられた。

 この訓練で、分かったことがある。それは『人はどんなに努力しても、死の危険には慣れることはできない』ということだった。

 空腹、疲れ、そして足場が悪い場所が重なると、ふらりと身体が動いて転落しそうになる。けれど、どんなに


(いっそのこと、死んだほうが楽かもしれない)


 と思っても、身体は反射的に体勢を整え直し、安全な方へと意識が向くのである。


「人は、死のうと思っても死ねないのさ。けれど、死にたくなくても死ぬときもある。それだけを覚えていれば、戦場に出た時に気は楽になるぞ」


 アローの感想に、ガルムはそう言って笑う。思えばアローがガルムから教えてもらったものは、『戦場での死生観』という非常に大切なものだったのかもしれない。


「そろそろ、お前の装備を決めねばならないな」


 ガルムはそう言って笑った。


     ★ ★ ★ ★ ★


 アローが選んだのは、二刀流だった。

 理由としてはただ一つ。楯を使うには体格が華奢だから、だった。


「お前には防御用の装備も必要だ。けれど、楯はその体格では扱いに困るだろう。小さい楯もあるにはあるが、そんなもん持つより左手にも剣を持ったらどうだ?」


 ガルムが笑いながら言ったその言葉が、アローに雷に撃たれたような衝撃を与えた。


(なるほど、相手の剣を弾き続ける僕の戦い方には、それが合っているかもしれない)


 アローはすぐさま両手に剣を構えてみた。

 重い……当たり前だが片手で持つと剣は重かった。


(しかし、レイピアのような剣では、相手の剣を弾く時に折れてしまうかもしれない)


 そこでアローは思い切った突き詰め方をした。

 自分の戦い方は、相手を仕留めようとは思わず、ひたすら相手の剣を弾き返すやり方である。そこで相手に隙ができれば、それに付け込んで攻撃もする。


 相手の剣を弾くための剣は、アローの体格にあった軽いものでなければならないが、さりとて薄い剣や細身の剣では折れる心配がある。折れる心配が少ないのは身幅が広く重ねが厚いものである。


 その条件を勘案して、アローは片手剣と短剣の中間くらい、45センチくらいの長さの剣を選んだ。ただし、重さは普通の片手剣より少し軽い程度である。


「短いな」


 アローの剣を見た時、ガルムは一言そう言ったが、


「それなら、そなたの思う戦いができるだろうな」


 そう言って笑った。



 アローは、短めの双剣をもって戦いに臨んだ。

 最初の戦闘は、尾根筋の敵陣への奇襲であった。


「いいかアロー、そなたが先鋒だ。後には俺やハイムマンが続く。アラド兄弟やマントイフェル、ゲッツたちもお前をサポートする。後ろを気にせず思い切り戦え」


 ガルムから逞兵ていへい500を与えられ、そう激励されたアローは、武者震いして思った。


(なあに、死ぬときは死ぬのさ。あの敵を蹴散らせば戦いは終わりだ)


 そう思うと、不思議に頭が冷えて来た。声を出してみる。ちゃんと腹から出ていた。アガってはいないらしい。

 アローはそう思うと不意に笑顔が出た。そしてそのまま、500の部下に命令を下す。


「みんな、俺たちは義勇軍の先鋒だ。主力軍に負けない戦いをして、奴らを蹴散らすぞ。皆俺について来い」


 兵士たちは、隊長がまだ白面の華奢な男だったので、どうなることかと心配しているふうだったが、アローの笑顔と自信満々な態度、そして爽やかな声に、


(この隊長、意外に肝が据わっているな。ひょっとして強いのかもしれないな)


 そう思ったそうだ。


 戦闘が始まると、アローは自分が意外に冷静なのを知った。周りが良く見えるのだ。

 敵陣に吶喊とっかんしてすぐに敵兵に囲まれたが、アローは双剣を回して敵の剣を弾くと、がら空きになった胴体に左の一閃を放つ。敵兵はものも言わずにくずおれた。これが、アローの実質的な初戦果だった。

 その時、アローは気付いた。戦場の実相を肌で感じたと言っていい。


(戦場では敵もアガっているんだ。先に落ち着いた方が有利だ)


 アローは、わざとゆっくりと周りを見回す。20ヤードほど向こうで仲間が敵兵に囲まれていた。


「仲間を救うぞ、ついて来い!」


 アローはそう叫ぶと、身近にいた数名の味方と共に包囲輪に攻撃をかけ、見事に部下を救い出した。


「おお、隊長殿か、かたじけない!」


 包囲されていたのはアローの副指揮官職にあった中堅の用心棒だった。アローを補佐するためにガルムの指名で加わった人物だが、とかくアローを見下すような言動が多く、アローとしては困っていたところだった。

 しかし、血気盛んな用心棒という人種は、ひとたび認めた人物にはとことん好意を寄せるものらしく、


「私がここを押さえます。隊長殿は先に進んでください!」


 と、率いている十数名の部下と共にそこに仁王立ちになり、南側の司令部を守ろうと駆け付ける敵兵を薙ぎ払い始めた。


「頼むぞ」


 アローは今を置いて進撃のチャンスはないと見て、その場を彼に任せて数十名の部下と共に突進を始めた。

 実は、そのすぐ後にガルムが現れてその場を確保したし、敵の司令部は左右から突撃して来るハイムマン隊やアラド兄弟の部隊への対応に追われ手薄であった。そこにアローの本隊が突っ込んだわけである。


「俺は、アロー・テル。お前がここの指揮官か?」


 アローは敵陣の真ん中に陣取った、恰幅が良く美々しい軍装に身を包んだ中年の男に名乗りかけた。


「おう、我こそは第2軍団副指揮官、ビル・クレイン。若造、降伏するなら今のうちだ」


 そう答えた敵将に、アローは


「それはこちらのセリフだっ!」


 そう叫び、双剣を回して斬りかかった。


 アローは、その時のことを思い出し、次のように分析している。


「僕の剣は、僕の戦い方に合っていた。造りがごついから折れる心配はなかったし、短くとも敵が斬り込んで来れば間合いは通常の剣とあまり変わらない。むしろ、自分の剣が短いと意識しているから、斬撃の踏み込みが通常より多めになる。すなわち、それだけ相手に与えるダメージも増加したから一閃で敵を斃せたのだろう」


 この戦いは、アローの名声を揺るぎないものにするとともに、何より彼自身の剣を確立したことが大きい成果だったと言えよう。

 そして初陣で敵の副指揮官を討ち取ったことよりも、自分の部下を見捨てずに救ったことや、その際に味方に言った『()()を救え』という言葉の方が彼の名声を確かにした。アローに対して信頼を寄せる将兵が多くなったことが、その後の彼の成長に大きく寄与したことだろう。


     ★ ★ ★ ★ ★


「……そうですか、いい人物に導いていただけたようですね。そのガルム殿は、今何をされていらっしゃいますか?」


 話を聞いていた母が、アローにそう質問する。アローは懐かしげな目をして答えた。


「ガルムさんは女王陛下即位後に前将軍に任ぜられましたが、各地の反乱を平定してすぐに将軍職を辞されました」


 その日のことは、アローもよく覚えている。


(あれは、もう1年も前になるかな……)


 その日、珍しくもガルムがアローの部屋を訪ねて来た。


「よお、アロー。元気にしているか?」

「ああ、ガルムさん」


 アローはちょうど、『王の盾』の編制に関する書類をチェックしていたところだった。


「仕事中だったか? 忙しければ俺は戻るが?」


 そう言いながらずかずかと部屋に入って来て、勝手にソファに腰を下ろすガルムだった。

 アローは笑って首を振った。


「いいえ、ちょうど退屈していたところです」

「……いい若い者が、机の前で日がな一日書類とにらめっこか。平和は確かに貴重だが、戦士にとっては地獄の苦行だな」


 ガルムが言うと、アローも苦笑してうなずく。


「まあ、これが組織運営ってやつでしょうからね」


 するとガルムはニヤリと笑って立ち上がると、


「殊勝な心掛けだ。けれど戦士たる者、自らの技量を保持し高めることも大切なことだ。アロー、ついて来い。久しぶりに手合わせしてみよう」


 そう言うと、踵を返して部屋から出て行く。

 アローは慌てて剣を佩くと、


「ちょ、ちょっと待ってください、ガルムさん!」


 慌ててガルムの後を追った。



 ガルムは、王宮から出るとすぐに駆け出した。もちろんアローもそれを追うが、ガルムは48歳だとは思えぬほどの瞬発力と持続力であり、さしものアローも額から汗が噴き出し始めた。


 疾駆すること四半時(30分)、二人はイスファハーン東方の草原まで到達していた。ここまでの距離はたっぷり10マイル(この世界で約18・5キロ)はある。


(僕が最初にガルムさんに誘われたときと同じだな)


 アローがそう思っていると、息一つ切らしていないアローを見て、ガルムは笑って言う。


「うむ、息は乱れていないな。修練は怠っていないようだ。感心感心」


 そして左手で長大な剣を抜くと、右手に直径60センチはある楯を構えて言った。


「さて、一手お願いするか」


 ガルムの身体から猛気が噴き出し、それが陽炎のように彼の身体を包むのを見て、アローもうなずくと双剣を抜いて構えた。


「やっ!」


 ガルムの巨大な剣が、うなりを上げてアローの頭上から迫る。アローは剣の間合いを見切って一歩、左足を引いて身体を開く。ガルムの剣は顔のすぐ前を縦に通過した。

 その風圧を感じながら、アローは引いた左足を止めず右足を軸にして回転し、伸びきったガルムの左腕を狙って斬撃を放つ。


 ガンッ!


 しかし、アローの攻撃はガルムの『魔力の揺らぎ』を込めた右こぶしで止められた。ガルムは楯を手放していたのだ。


「くっ!」


 アローは、さらに右足を踏み込み、右手の剣でガルムの首筋を狙うが、


「やっ!」

 ドスッ!

「ぐっ!」


 アローはガルムの蹴りを腹部に受けてすっ飛ばされた。


「ひ、卑怯ッ!」


 無様に倒れ込んだアローだったが、すぐに飛び起きて身構える。しかし、ガルムはニヤニヤしながらただ突っ立っていた。


「?」


 アローが怪訝な表情をすると、ガルムは地面に突き立てていた楯を抜き取り、大剣と共に背中に負ぶった。


「分かったか?」


 ガルムが一言言うと、アローは双剣を鞘にしまいながら答える。


「……戦士の武器は、身体すべてということでしょうか?」


 ガルムは莞爾としてうなずくと、鋭い眼差しのままアローに言う。それはまるで、アローを叱っているようだった。


「それが分かっているなら、それなりの工夫をしろ!」


 そう一喝したガルムは、不意に優しい瞳に戻って、静かにアローに諭した。


「お前の剣は戦いの中で完成したが、ふと、お前の剣が『用心棒』として暮らした日々の無頼剣には通用しないと悟ったんだ。平和の日々は無頼の剣を揮う奴らをのさばらせるだろう。自然、お前の相手も変わってくる。そこに気が付いてほしかった」

「ガルムさん……」


 アローは、自分に戦士としての自信が付き、戦士らしく振舞うことを続けているうちに、戦いに対して固定観念を抱いてしまったことに気が付いた。『戦士なら得物で戦わねばならない』『その得物は弓や剣、楯や槍などである』『名乗り合う前に攻撃してはいけない』……などだ。


 戦場でなら、その『常識』は通用するだろう。『戦場の作法』ともいうべきものだからだ。

 けれど『戦い』の中ではそんな常識は通用しない。食うか食われるか、倒すか倒されるかの狭間で作法を気にしていられる戦士は、そう多くないだろう。


「分かりました。忘れずに精進します」


 アローがそう答えると、ガルムは頷いて言った。


「そうしてくれ。俺はもうすぐアイニの町に帰るからな」

「えっ!?」


 アローは、聞き間違いかと思って素っ頓狂な声を上げる。ガルムは寂しげな顔で笑っていた。


「え? でも、女王陛下の治政も始まったばかり、各地の争乱も収まったばかりじゃないですか?」


 アローが言うと、ガルムはゆっくりと疲れたような声で言った。


「ふふ、各地の争乱も収まり、世の中に平和が戻って来た。俺はそんな時代の再来をこの目で見て、他ならぬホルンさんの手助けができたことで満足している。後は若い者たちの仕事だ。年寄りは退かせてもらうよ」


 そして、さらに衝撃的なことを告げた。


「俺だけじゃない。ティムールさんも一緒に、アイニに帰るのさ。俺たちは辺境からこの国の発展を見守っているよ」


 アローはそれを止めたかった。もっとガルムからいろいろと教わりたかった。


「待ってください。僕は未熟です。ガルムさんがいてこそ、ここまで来られたんです。もっと僕を叱って、導いてください!」


 アローが言うと、ガルムは厳しい声で突っぱねた。


「甘えるな! お前は『王の盾』隊長だ。自分がどう思おうと、お前はすでにこの国で最も栄誉ある部隊の指揮官としてみんなから認められている。その期待に応えて成長し続けることこそが、お前のこれからの人生だ。もう、俺のような者からの指導は必要ない、世間の評判がお前の師だ」


 その時、アローは無意識に左頬をなでた。ホルンから戦士として生きる覚悟の厳しさを思い知らされたあの日のような感覚が、アローを包んでいたのだ。


 うなだれたアローに、ガルムは今までで一番優しい声で別れを告げた。


「今まで良くやってくれた。アローよ、俺はお前を誇りに思う。お前こそ、『餓狼のガルム』と呼ばれた俺の愛弟子というに相応しい。『餓狼の弟子』として、その名を辱めるなよ」



 その話を聞いた母は、目を潤ませて言った。


「素晴らしいお方です。あなたもそのお方のことをゆめゆめ忘れることなく、しっかりと仕事をしてください」


 サンバも涙を流している。こいつにもいい師ができればいいな……アローはそう思いながらうなずいた。


(サイドストーリー・餓狼の弟子 完)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

サイドストーリーは、各キャラの設定においていくつかストリーのプロットを考えながら、本編で省略していたものです。

プロットから書き起こすので、多少時間はかかるかと思いますが、こんな感じで月イチにでも投稿していきたいと思います。

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