6 悪魔の証明
一人の少女が大人に暴行されているのを救ったザールたち。この町はトリスタン侯国の首都だが、魔族と人間が対立している町だったのだ。ザールは、少女の姉から、町長が魔族を追放する布告を出したことや、不審な火事があったことを聞き、その謎を追いかけていく。すると、少女の姉を狙う魔物が現れる。姉が狙われる理由とは? ザールたちはトリスタン侯国を救えるのか……。魔女のロザリア登場。
時々、僕は思うことがある。『人間って、何だろう』って。
例えば、僕が暮らすファールス王国にしても、そこにはたくさんの人が暮らしていて、その人たちも髪の色が茶色や黒、金髪や銀髪、亜麻色など様々だ。
瞳の色も黒、茶、とび色、紫紺、青、群青など人それぞれだ。
そんなことを思っている僕にしても、生まれた時から白髪だし、瞳は緋色だ。明らかに他の人とは違う。それは、母がドラゴニュート氏族だからかもしれないが、それでも僕が人間であることには変わりない。
僕が生まれ故郷のサマルカンドを旅立ってから、はや1か月が経とうとしている。その間、いろいろな人間に会った。善人もいたし悪党もいた。けれども、同じ人間には変わりない。
しかし、僕と一緒に旅をしてくれている二人、リディア・カルディナーレとジュチ・ボルジギン、この二人はオーガとハイエルフの一族だ。
茶髪でこげ茶の瞳を持つリディアは、今は人間の形をしているが、本来は身長2.5メートルで、額に角を1本持っている。人間では到底持てないような重量級の武器を軽々と扱い、人間では到底耐えることができない打撃を易々と受け止める。この地上最強の戦闘種族だと言えるだろう。特にリディアの種族であるジーク・オーガは、オーガの中でも最も頑強で、しかも頭脳も鋭く魔力も強い。
現に彼女は150センチという身長になり、人間らしく振舞っているが、武器として持っている長さ1.2メートルほどの鉄棒は、彼女の神器であるトマホークと紐づけられたもので、重さは100キロもある。ちなみにトマホーク・白炎斧は500キロだそうだ。
ジュチは、金髪碧眼でまさに自ら言うとおりの『美貌の貴公子』だ。彼のために詳しく言うと、エルフ界を束ねる『オーベルハウプトリヒト・ハイエルフ』というらしい。
チロリアンハットをかぶってエルフ特有の耳を隠しているが、エルフ界では至高といわれる『光』と『風』の魔力のエレメントを持ち、その魔力自体も素晴らしく強い。彼の持つ弓は、実は『物体』ではない。彼の魔力によって具現化されたものだ。だから彼は時によってさまざまな武器を扱うが、特に弓がお気に召して、得意であるということらしい。
リディアにしても、ジュチにしても、それぞれ『火』や『風』のエレメントを主に使い、いわゆる“魔法”といわれる術式を操れるのは、エレメントが覚醒した人間と同じだ。ただ、彼ら“魔族”は、特定の覚醒したエレメントを持ち、僕たち人間は『光・風・土・水・火・闇』すべてのエレメントを持っているが、どのエレメントがいつ覚醒するか定かでないということが違いだ。
他の種族、オークやドワーフ、そしてアクアロイドも、人間には“魔族”として認識されている。それ以外のトロールやダイダロス、ティターン、テュポーンなどの人型の種族は、『人間と友好的でない』という理由で“モンスター”に区分される。人型とはかけ離れでいるベヒモスやグリズリ、ロータスやホーネット、キマイラなどの種類が“モンスター”であるのは言うまでもない。
この分類は人間目線で区分されたもので、もちろんジュチは自分のことを『ハイエルフ』といい、決して“魔族”とは言わない。リディアだってそうだ。
このたった1か月で経験したことを思い返すと、僕は『人間』という種類とは何だろうか? と改めて考えさせられるのだった——。
★ ★ ★ ★ ★
「ザール、ザールってば!」
僕は、リディアの声でハッと我に返った。慌ててリディアの方を向くと、頬を膨らませたリディアが僕をジト目で見ていた。
「な、なに? リディア」
「何? じゃないわよ! せっかくジュチが路銀を稼ぎに行って二人っきりなんだからザールとゆっくりお話でもしたいなって思っているのに、ザールったら道行くオンナノコばかりぼーっとした目で見ているんだもん」
リディアは明らかにお冠だ。僕は慌てて釈明した。
「いや、僕は女の子なんてリディア以外には興味はないよ。ただ、ここひと月の出来事を思い出していたんだ」
僕の言葉の何が彼女の怒りを解いたのかは知らないが、リディアは途端にご機嫌になる。
「そ、そうなの。だったらいいわ。でも確かにこの1か月は、面白い経験だったわね。悪い奴もたくさん懲らしめたし」
リディアは、そう言って笑う。茶色の髪は、背中まで伸ばしていたものを出発に当たって散髪し、ボーイッシュな髪形になっていたが、それは彼女の服装——額に巻いたチューリップ柄の刺繍がされた革製の額当、濃い茶色の長袖・タートルネックの上着の上に着用した革製の胸当て、革の短パンに濃い茶色のハイニーソ、そして底の分厚い革製のブーツ——によく似合っていた。赤いマントは、旅の最初に『敵の目につきやすい』という理由で破棄していた。これは僕も同じだ。
「実際、リディアはよく活躍してくれているよ。さすがにオーガだなって思う」
「そう言ってくれると嬉しいな。でも、この姿って、攻撃より防御に特性を振った状態だから、あまりスカッとしないのよね、疲れるし……」
「だったら、通常の君に戻ってもいいんだよ?」
「ううん、それじゃ必要以上に周りに威圧感を与えるし、無用ないさかいも起こすじゃない? ザールが言っていたとおり、それは勘弁したいわ」
そんな話をしていると、路銀を稼ぎに街角に立ってリュートを弾いていたジュチが帰って来た。彼はチロリアンハットを斜めにかぶり、群青色の上着と前開きの空色のチョッキ、そして群青色の細めのスラックス——これらすべてに、金の刺繍が派手派手しくされていた——と革製の編上げ靴を身に着け、リュートを背負っている。
「いやぁ、アンコールの要望が多くて参ったよ。この界隈は可愛い女の子が多くていいねぇ~。ボクはすっかり気に入っちゃったよ」
一応彼のために言っておきたいことは、彼は一見チャラく見えるが実際とてもチャラい。しかし、ここぞというときには役に立つ男だ。
「ここにもこんなに可愛い娘がいるわよ?」
リディアが言うと、ジュチは片眉を皮肉そうに釣り上げて言う。
「確かに、元を知らないととっても可愛いよな。キミは」
「何ですと? 元を思い知らせてあげましょうか?」
リディアが右手を上げながら言う。オーガへの形態移行の準備だ。そのあとはトマホークの洗礼が待っている。ジュチは青くなって慌てて言い直す。
「ゴメン、失言だった。元を知ればさらに愛しいって言いたかったんだ。ボク、シャイだから」
「……シャイなクズエルフが『愛しい』なんて鳥肌が立つ言葉をぬけぬけと使うかな? まあいいわ。とっても気色悪かったから形態移行するのもバカらしくなった」
それをしおに、いつものとおり僕が二人を仲裁する。
「まあまあ、リディア。ジュチの気持ちはよく分かっている僕たちじゃないか。それくらいにしておこうよ? ところでジュチ、どのくらい稼げたんだい?」
ジュチは、ニヤリと笑って得意げに胸を張る。一応、ファールス王国の通貨体系を解説しておくと、『金貨・銀貨・銅貨』の体系となる。タラントン金貨・デナリ銀貨・トリウス銅貨だ。
1タラントンは1600デナリ、1デナリは1600トリウスだ。どのくらいの価値かというと、1タラントンあれば5人家族が5年は遊んで暮らせる。最低単位の1トリウスでは、小さな砂糖駄菓子が一つ買える。
「よくぞ聞いてくれたね。あそこでこのリュートをかき鳴らすこと半時(1時間)、数多の銅貨が雨と降り、中には銀貨も降ってきた。見よ! 45デナリと3,569トリウスだ。47デナリ369トリウスだな」
「結構な稼ぎだね。安い宿なら2デナリで泊まれるから、三人で一週間の宿泊費になる。その残りでちょっとした食事なら9食は取れるな」
僕が言うと、リディアが少々不満そうに言った。
「でも、旅費を自分たちで稼がなきゃいけないってのも大変だよね」
「そうだよ。ザール、キミの家はこの国の王家の一族なんだから、あちらこちらの両替屋で手形かなんか組めないのかい? もち、サーム殿持ちで」
そう言ったのはジュチだ。僕は笑って言った。
「父上は、最初から僕たちに庶民の暮らしとホルン姫の現状を分からせるつもりだったんだと思う。現在、用心棒としてこの国をさすらっているホルン姫こそ、何も頼るところもなく自分の力量で生きていらっしゃるんだ。そのことを考えると、これくらいのことは何でもない」
僕の言葉を二人とも神妙な顔で聞いていた。やがてジュチがすっきりとした顔で言う。
「まあ、ボクがいるから、小銭ならいつでも稼げるよ。それにしても、何か大口の金もうけを見つけないと、これじゃ日々の暮らしで手一杯で、姫様探しどころじゃなくなるよ?」
★ ★ ★ ★ ★
ザールたちは、5月中頃にサマルカンドを発ち、最初に向かったのはティムールという元『王の牙』でありファールス王国の東方軍司令官だった老雄が住むアイニという町だった。この町に『アルベドの剣』を持つ美女が現れたという情報を、ティムールその人が“東方の藩屏”たるサーム・ジュエルにもたらしたのだ。
それまでサームは、『王権簒奪時に、前国王の妃が王女を生んでいた』という噂は知っていたが、その真偽がつかめないままであった。しかし、王家の宝剣である『アルベドの剣』をもつ女性——年の頃も24・5歳と合致している——が現れたのであれば、噂は本当であったと思わざるを得ない。
そこでサームは、跡取り息子のザールに、見聞を広めるためという理由を付けてホルンという名の姫様を探す旅に出したのである。
ザールたち一行は、アイニの町でティムールと会い、その次にはとりあえず北に進んだ。北にはキルギスの平原が広がり、その先は交易商人か遊牧民しか行き来はしない。それでも、
——世を忍ぶホルン姫なら、できるだけ人目に付かないところに行くはずだ。
との思いから、ザールたちは未踏の地に足を踏み入れた。
しかし、結果はホルンの影も形もなかった。ただ、彼らは、山賊団を討伐したり、遊牧民たちの機動戦に巻き込まれてあやうくザールが捕虜になりかかったり、トロールたちの大群と大乱戦を行って三人とも命からがらトロールの『幻影の村』を逃げ出したりするなど、それだけでもこの物語の外伝が1冊書けるほどの経験を積んでいた。
そして再びアイニの町に戻って来た三人は、つい2日前にホルン姫がこの町に来ていたことを知った。運命の軌跡はちょっとのところで交差しなかったのだ。
そして、三人は再びアイニの町を発し、今度はサマルカンドの南へと向かっていたのである。
「姫様はホルン・ファランドールと名乗られている。ファランドールとは25年前に『王の牙』の筆頭だった戦士、デューン・ファランドールの姓だ。デューンは、世間的には事件の日から行方が分からなくなっているが、父上の話では10年前にシェリルの町の郊外でシュールという『王の牙』と相討ちになっているらしい」
旅籠の中で、ザールが二人に話をしている。
「シェリルの町は、『ファールスの海』に面したこの国一番の港町だが、同時にアクアロイドたちの自治都市がある。たぶん、デューンは姫様をアクアロイドたちに託そうとしたのかもしれないね」
ウザったく伸びた金色の前髪を、形のいい人差し指でいじりながらジュチが言う。
「デューンはアクアロイドに伝手でもあったのかしら? あの種族は結構排他的で、ある程度の伝手でもないと自治都市の中にすら入れないけど」
テーブルに両肘をつき、あごを手で支えながら、上目遣いでザールを見ながらリディアが言う。
「分からない。でも、まずはシェリルの町に行けば何かつかめる気がするんだ。その後、数年して『凄腕の女槍遣い』のことがこの国の南東部で人々の噂になり始めている。それはホルンという名の女用心棒の名が高くなるころと一致している」
ザールが言うと、リディアもジュチもうなずいた。
★ ★ ★ ★ ★
海を目指すザール一行は、それから1週間後には王国の東方地域でも大都市の部類に入るカンダハールに来ていた。カンダハールは山岳地帯の盆地に位置する都市で、首都イスハファーンからマウルヤ王国へと続く交易路が通っている。当然、さまざまな人々が行き交い、非常ににぎわっている。
「ここには、しばらく『無双の女用心棒』は顔を出していないみたいだね。1年くらい前にこの町にやってきて、山間の盗賊団とグリズリの群れを退治している」
旅館に宿を取った後、三人は町中で聞き込んできた情報を交換する。まずザールがそう言うと、
「その話はこの辺のシルフから聞いたよ。シルフたちはグリズリにはかなり困っていたらしいから、『銀髪の槍遣い』のことはよく覚えていた。かなり細かい特徴まで教えてもらえたから、出会ったらすぐに分かると思うよ」
金の前髪をいじくりながらジュチが言う。
「アタシはこの辺のドワーフに話を聞いたけれど、そのホルンって言う姫様はかなり腕が立つわね。アイニの町で聞いたヴォルフ退治も凄かったけれど、グリズリの群れって言っても2・30匹程度の話じゃなかったわ。それに、かなり美人だそうよ」
リディアがそう言うと、途端にジュチが目を輝かせて言う。
「聞いた話だと、その姫様は銀髪で翠の瞳、抜けるように白い肌に通った鼻筋、緋色の形のいい唇に、スタイルもかなりいいらしいぜ。そして腕も立つって言うんだから、ザール、キミのお相手にちょうどいいじゃないか?」
「すぐに色恋沙汰に結び付けるんじゃないわよ! ったく、恋愛のことしかアタマにないの? だからアンタはクズエルフなのよ」
リディアがすぐにジュチにかみついた。ザールは笑って言う。
「まあ、僕が父上から授かった命令は、『姫様を探し出し、サマルカンドへお連れすること』だからね。それ以上のことは父上が何かお考えがあるんだろう」
そんなザールに、リディアは心配そうに訊く。
「ねぇ、ザール。もしも、もしもよ? もしもサーム様がその姫様をザールのお嫁さんにって考えていらっしゃるとしたら、ザールはどうするの?」
ザールはリディアに笑顔で答える。
「リディア、僕たちがしていることはこの国の将来に関係することなんだと思う。具体的に言えば、父上は姫様のお気持ちを確かめたうえで、この国の世直しを考えているんだと思うよ。そんな大きな目標があるとしたら、姫様のお相手とかは小さなことだ。恐らくリディアの心配は杞憂だと思う」
「ザール、それはボクも同意見だが、リディアにしてみれば姫様と君がどのような関係になるかはとても気になることだと思うよ? 君は姫様との関係をどうしたい?」
珍しく、ジュチがリディアの気持ちを汲んだ発言をする。ザールは笑って言った。
「僕はこの国の戦士だ。つまりは姫様の臣下でもある。姫様が立つと言われるのであれば、それをお守りして戦うだけさ。それ以上は考えてもいない」
「そ、そうなの……ザールがそう言うんなら、アタシはザールを信じるわ」
ザールの言葉に、リディアは少しほっとしたのだった。
三人は、「せっかくだからカンダハールの町を見学がてら、この町の特産のものを食べよう」というジュチの提案に乗って、カンダハールの中心街まで足を延ばしていた。さすがに交易で栄えている町である、もう0点半(午後7時)だが、人の流れが途切れていない。
「さすがにサマルカンドと同じで、活気があるな」
ザールが言うと、ショーウィンドウに飾られた様々な国の服を、瞳を輝かせて見ていたリディアが、ザールの袖を引いて訊く。
「ねっねっ、ザール。あれってどこの国の服? アタシに似合うかな?」
見るとそれは、マウルヤ王国のサリーであった。
「うん、マウルヤ王国の民族衣装だね。サリーはリディアにも似合うんじゃないかな」
ザールの言葉に、リディアが何か言いかけた時である。
「おい、魔族がこの界隈を歩いていいと思っているのか?」
そう、人だかりの中からなにやら男の大声が聞こえた。
「……私はただ、夕食の買い物をしに来ただけです。それに、魔女だからといって他の人たちに対して何も悪いことはしていません」
そういう少女の声が聞こえる。それを聞いて、少女を咎めた男はさらにいきり立つ。
「子どものくせに生意気なことを言うな! お前たち魔族は、魔族であるだけでこの町の人間に迷惑をかけているんだよ!」
男はそう言うと、いきなり少女を突き飛ばしたのだろう、少女の「きやっ!」という声とともに、野菜か何かが地面にぶちまけられる音がした。
「魔族のくせに、人間様の真似をして買い物なんかしやがって。笑わせるな」
男はそう言いながら、少女を足蹴にしているらしい。少女のうめき声や「やめてください」とか「助けて」とか言う声が聞こえるが、周りの人間たちは男を止めようとしない。
ザールは眉をひそめて人だかりの方に歩き出したが、ジュチが止めて言った。
「ザールは同じ人間の不始末に手を出さない方がいい」
そして、ジュチはやおらリュートを弾きだした。その音に、人だかりを作っていた人間たちはこちらを向いた。そして、ジュチのリュートが奏でるメロディを聞くと、みな一様に優しい表情になった。
「ちょっと、道を開けてくれないかしら?」
静かにリディアが言うと、人間たちはおとなしく道を開ける。人だかりの中に、あちこちに転がった野菜や果物、そしてうずくまった少女がいた。彼女に乱暴を働いていた男も、ジュチの『安らぎの調べ』によって怒りを鎮めている。
「あなたたち、何かやることがあるわよね?」
リディアの言葉と同時に、リュートの調べが変わった。静かで優しい調べから、切なく哀しい調べへと……『後悔の旋律』である。途端に、男は転がった野菜や果物を拾い集め、道端に落ちていた少女の籠へと詰め始め、周りの人間たちは少女を優しく介抱し、立ち上がらせた。
「すまんな、お嬢ちゃん。つい大人げなく怒りを爆発させちまって。これで許してくれ」
男は、立ち上がった少女に、籠と、ついでにポケットの財布から銀貨を1枚取り出し、少女に握らせて頭を下げた。
「い、いえ……」
少女は、周りの人間たちの豹変に、どぎまぎしながら言う。そして、リディアたちに気付くと頭を下げて言った。
「あ、あの、ありがとうございます」
リディアは、少女を優しく見つめると、
「さ、皆さん、解散よ」
という。それとともに、ジュチは『忘却の彼方』という曲を弾き始めた。群衆は、みんな何事もなかったかのようにあちらこちらへと足を向けて歩き出した。
「……ありがとうジュチ。僕が出ていたら余計にややこしいことになったかも知れなかった。助かったよ」
ザールが言うと、ジュチはリュートを背負いながら笑って答える。
「あんな手合いにはこっちの方が平和的でいいかなと思っただけさ。きついお灸を据えた方がいい場合もあるが、その時はリディアの出番だよ」
「そうね。その時はジュチも含めてぶっ飛ばしてあげるわ。ところでお嬢ちゃん、あの不細工男は『魔族はいるだけで迷惑になる』って聞き捨てならないことを言っていたけれど、一体何があったの?」
リディアが優しく聞くと、少女は明らかに困った様子で口ごもる。
「あ、あの……」
少女が何か言おうとした時、その後ろから中性的で冷たい声がした。
「妹を助けていただきお礼申し上げるぞ。そなたたちも魔族じゃな?」
その声とともに、長い黒髪を揺らして一人の女性が現れる。ジュチもリディアも、彼女がまとった雰囲気に思わず身構えた。その女性は、明らかに毒性の瘴気を身にまとっていたのだ。普通の人間がそれを吸い込めば、ただでは済まないだろう。
その二人を流し目で見ながら、女性は瘴気を消してつかつかとザールのもとに歩み寄り、ザールを上から下まで値踏みするように眺めまわすと、温顔を湛えたままのザールに向けて言い放った。
「……ほう、そなた、人間かと思ったらドラゴニュート氏族か。妹を助けてくれた配下の手並みといい、そなたの持つ気品といい、私は気に入ったぞ。私の館に来ると良い、ラザリア、恩人を私の館に案内するのじゃ」
「はい、お姉さま」
ラザリアと言われた少女がそう言うと、ザールは目の前の女性に静かに言った。
「ご令嬢、そこにいるハイエルフとジーク・オーガの二人は、僕の配下ではなく友人です。それと、せっかくのお心遣いですが……」
「私の目違いは謝る。しかし、私の誘いを断ると、この町の現状について何も分からぬままになると思うがどうじゃ? そなた、何にでも首を突っ込みたがるクセがあるようだが、それでも私の誘いを断れるか?」
おっかぶせるように言う彼女の強引さに、ザールは苦笑したが、うなずいて言った。
「分かりました。では、お誘いのままにお話を伺いましょう」
その女性と少女の住まいは、カンダハールの町を少し西に外れた山の中にあった。ザールが驚いたことに、この館はここに来るまでの道からは全然見えなかったのに、この館からはすべての道が見通せたことである。
「……そんなに驚かなくてもよいぞ? 鏡面魔法はそんなに難しい魔法ではないからのう。それより、館の結界をこのように易々と無効にするそなたたちにこそ、私は驚いている」
女性は涼しい顔でザールに言う。ザールはそれには答えず、
「ここであのお嬢さんと二人で暮らしているんですか?」
そう訊くと、女性は妖艶な笑いを浮かべて言う。
「二人でと言っても、並の人間では私たちに手出しはできないぞ。まあ、私はそなたになら襲われても一向に構わんがのう。むしろ私の方から抱いてほしいと言わせるくらいの魔力を持っておるからのう、そなたは」
「それは恐れ入ります」
挑発するような女性の口ぶりにも、ザールはあくまで冷静に応じている。むしろ、そんな会話をやきもきしながら聞いていたリディアの方が、限界に来ていた。
「何よ、アンタ何様のつもりなの? アタシのザールはこの国の王族の血を引くお方よ。本来ならアタシやアンタなんか、話しかけるのも畏れ多いのよ?」
リディアの言葉に、女性は驚き一つ示さず、理解の頷きをリディアにして言う。
「やはり……そなたは『白髪のザール』様じゃったか。その勇名はつとに聞いておったし、エルフとオーガを供にこの国を視察なさっているとの噂も聞き知っておったが、ここで会えるとは思ってもおらんかった。私の名はロザリア・ロンバルディア、今までのぶしつけはお許しくだされ。そしてそのうえで、現在この町で起こっている困った出来事について、お力をお貸しいただけないかのう?」
ロザリアと名乗った女は、それまでとはうって変わった態度でザールに言う。ザールは笑ってうなずいた。
「お話を伺うためにこの館に案内していただいたんですよ? ロザリアさん、まあ、早く座って話でもしましょうか?」
ロザリアも笑って言った。
「そうじゃったな。では、中にお進みいただこう」
「……もともと、このカンダハールは往来の要衝であり、民族的にも種族的にも鷹揚な町じゃった」
館に入ると、ロザリアはザールたちを客間に通し、夕餉を取りながら話をしていた。
「しかし、半年ほど前、急に町長であるトリスタン候が布告を出したのじゃ。カンダハールの町からすべての魔族を締め出すとな」
「アリー・トリスタン候はよく存じています。彼がそのような布告を出す人物とは思えないが……」
ザールが言うと、ロザリアもうなずいて言う。
「私もそう思ったし、布告を見てもしばらくは何かの間違いじゃと思っていた。アリー殿は私の姉婿でもあるからな」
「身内に魔族がいるのに、その魔族を敵視するというのは解せないな……ロザリア殿、あなたの姉上は何ておっしゃっていますか?」
ジュチが形の良い顎を右手でつかみながら訊く。ロザリアは首を振った。
「それが、姉とはその布告が出て以来、連絡が取れないのじゃ」
「何度かお姉さまと一緒に庁舎に行ってみたり、町長さんに連絡を取ったりしたのですが、何も返事がありません」
ラザリアも心配そうな顔をして言う。
「……布告が出る前後に、何かこの町で変わったことはありませんでしたか?」
リディアが訊くと、ロザリアたちは何かを考えていたが、ハッと思い出したように言う。
「そう言えば、布告が出る1週間ほど前、この町始まって以来と言われるほどの山火事があったのう」
「山火事?」
ザールの言葉に、ロザリアは首を縦に振って続ける。
「うむ、町の北側から東側にかけて、3日間くらい燃えておった。あれでたくさんのエルフやドワーフや家を失ったんじゃ」
「町への延焼は?」
リディアが訊くと、ロザリアは笑って得意そうに言った。
「幸いにも、延焼はしなかったのう。というのも、町の境にすごい『魔力の壁』が立ち塞がったからのう。あの魔術は凄かった」
「それは姉上様の魔術ですね?」
ザールが訊くと、ロザリアは頬を染めて言う。
「身内びいきになるが、私の姉は姉妹の中でもずば抜けた魔力を誇っているからのう。私は『闇』のエレメントを持って生まれ付いたため、姉のような魔法は使えぬ。同じ『水』のエレメントを持つラザリアは、まだ姉には敵わぬからのう」
ザールは、それを聞いてうなずいて言った。
「とにかく、明日少し調べてみたいことがあります。山火事の場所にご案内いただけますか? それとジュチとリディア、エルフとドワーフたちにもう一度訪ねてきてほしいことがあるけれど」
「何なりと」「任せて」
二人は胸を叩いて言った。
次の日、ザールとロザリアは、半年ほど前にこの町を襲ったという山火事の現場に来ていた。火事は、ロザリアの話によると0点(午後6時)に町の北東の中腹辺りで起こった。そして夕方から吹き始めた風に乗ってあっという間に広がり、2点半(午後11時)には町の北側から東側までの山腹の木々を焼き尽くして鎮火したとのことだった。なるほど、事件が起きてからすでに半年経過して、地面からは新たな草木が生えてはいるが、山は大きく削がれたように緑が無くなっていて、よく見ると焼け焦げた木々の名残も残っていた。
「この辺が出火場所だと言われておる。一番土地が無残に焦げておった」
ロザリアが言う辺りを、ザールは注意深く観察しながら歩く。そんなザールに、ロザリアがため息とともに言う。
「放火ではないぞ? 町の自警団も放火を疑ってちゃんと調べたというからのう」
しかしザールは、ひときわ焦げが目立つほぼ垂直に切り立った山肌の部分を登り始めた。
「あっ、ザール殿、そこは危ない……ひっ!」
ロザリアは、ザールが足をかけた途端に、その岩が崩れて転げ落ちるのを見て肝を冷やした。しかしザールは何とか態勢を整えると、どんどん上に登って行き、ある場所で止まってしばらく何かをしていた。
やがてザールは満足そうに微笑みを浮かべながら、ゆっくりと降りてきた。
「ザール殿、あまり無茶をしては私の命が縮む」
ロザリアが眉をひそめて抗議するが、ザールは笑って言った。
「すみませんロザリアさん。けれど、面白いものを見つけましたよ」
そう言って、ザールは小さな玉を差し出した。その玉はザールの手のひらで包めるほど小さかったが、おそらく水晶でできているのであろう、あの火事の中心にあったとは思えぬほどに澄んでいた。それを見て、ロザリアは顔色を変えた。ロザリアは、ゆっくりと手を伸ばし、その玉に触れようとして指を引っ込める。そして思い切ったようにザールに訊いた。
「……なぜそれを?」
「あると思って探したから、見つけることができました」
ザールの答えに、腑に落ちないという顔でロザリアが訊く。
「なぜ、あると思ったのじゃ? 私はあの火事は放火ではないと信じていたが」
「火事の状況を聞いて、おかしいと思ったんです。普通、火は上へと燃え広がるもの。この山程度ならば、2時半(5時間)以上も燃えていたら、山頂の木々まで焼き尽くされるはず。しかし、実際には火は横に広がり、上へとは燃えていませんでした。これは、誰かが火を放ち、魔法でこの町を包み込むように火を広げたとしか考えられませんでした。そして、それができるのは火を操る術式を使える者だけ。ならば、『火の通り道』を置いていたはずだとね」
ザールが答えると、ロザリアは唇をかんでいた。そんなロザリアに、ザールは優しく訊く。
「今回の事件、姉上様の力がなければ大事に至っていたかもしれません。どうやら、人間と魔族を仲違いさせたい奴らがいるようですね。心当たりはありませんか?」
ロザリアがそれに答えようとした時、ヒュンっと風を切る音がした。ザールはその音とともに動き、ロザリアを狙って放たれた矢を、『糸杉の剣』で斬り落としていた。
「ロザリア、こっちだ!」
ザールはロザリアの手を取って、山道を上へと駆けだす。矢を放った奴らは姿を現さなかった。追手も二の矢もないと見たザールは、剣を鞘に戻してロザリアに訊く。
「矢はあなたを狙って放たれた。あなたが何かを知っている証拠です。どんなことでもいい、思い出してください」
そこに、
「やあ、ザール。二人きりでいい感じでいるところお邪魔するが、今度の相手は面白い奴らみたいだよ」
そう言って、エルフたちからの情報を持ってジュチが合流し、さらに、
「あっ、ザールとロザリアさん。無事だったんだね? 今度の相手は剣呑な奴らみたいだよ。変な奴らに狙われなかった?」
そう言いながら、オーガへと形態移行したままのリディアが合流した。そのトマホークには緑の血が滴っている。
それを見て、ザールはニヤリと笑うと三人に言った。
「やあ、ジュチにリディア、お疲れだったね。僕らもさっき攻撃を受けたところさ。今回の相手は、その血から察するにレプティリアンらしいね」
ザールの言葉を聞いて、ロザリアはがっくりと首をうなだれてつぶやいた。
「……私には、レプティリアンの血が流れています。そのことを知ったレプティリアンの首領であるガルバリウスが、力を貸せと迫って来たんです。半年前でした」
ザールたちは黙って聞いている。その沈黙を何と思ったか、ロザリアは必死になって言った。
「もちろん、断りました。私は姉を、妹を裏切れないから……でも、姉は私に……」
嗚咽するロザリアの背中をなでながら、ザールは優しく言った。
「ええ、僕たちはロザリアさんを信じますよ。よく話してくれました。それでは、現状を包まず話してください。そして、力を貸してください」
ロザリアは顔を上げた。涙でぐちゃぐちゃになった顔だったが、ザールの言葉を聞いてうなずいた。
★ ★ ★ ★ ★
カンダハールの町長を兼ねるのは、ファールス王国の国王から“トリスタン侯爵”として任命されたバクル家である。バクル家は家格こそサームのジュエル家より低いが、爵位としてはトルクスタン侯爵としてのサームと同等である。もともとこの地方の土豪であったバクル家は、ファールス王国建国時に初代国王シャー・ホルン1世の腹心と言われるほどの活躍をし、その後は宰相や将軍を何人も輩出している。
現当主であるアリーは、父の死により25歳で家督を継いで5年。昨年にはアザリア・ロンバルディアと結婚し、よき政治を行っていた。
しかし、バクル家には一つ、他の地方豪族にない悩みがあった。それは、この地方は東のマウルヤ王国に本拠を持つレプティリアンの種族がはびこっていたということである。
レプティリアンは冷血で頭脳も鋭く、そして身体能力も高い。毒を持つ個体もいて、戦闘種族としてはオーガに匹敵すると言われている。そのレプティリアンは、近年とみに力を増し、トリスタン侯国を侵し始めていたのである。
アリーの妻・アザリアにも、別の心配があった。それは、ロンバルディア三姉妹のうち、次女のロザリアについてだった。アザリアにとってロザリアは異父妹であり、その父はレプティリアンの血を引いていた。そのため、アザリアとラザリアの二人は『水』のエレメントを持っていたのに対し、ロザリアだけが『闇』のエレメントを持っていたのである。性格も、ロザリアは少し陰気で、残忍な点が目立った。
半年前にカンダハールを山火事が襲ったとき、対立するレプティリアンの頭目であるガルバリウスから事前に予告があったが、それには『そなたの血縁のものがその町を焼き尽くす』とあったため、アザリアはまずロザリアを疑ったのである。もちろん、それは濡れ衣だということが分かったが、それ以来、ロザリアは前にもまして陰鬱になっていた。
そして今、町の賑わいとは裏腹に、レプティリアンの侵入が続き、アリーとアザリアは庁舎を占拠したレプティリアンたちに監禁され、ただ彼らの言うとおりの布告を出すことで何とか生き延びているのだった。
「もはやわが家は終わりだな」
幽閉された部屋で、アリーはため息とともに言う。組織体制や人事についての布告が終われば、次はこの町——というよりもこの侯国の首長としての立場を譲るように強制してくるに違いない。いや、レプティリアンの見た目は人間と区別がつかない。自分がそうだったように、町の人間たちや国王も、レプティリアンが入れ替わった自分や妻には気付くまい。
「すみません。私がロザリアを疑い、『魔族』を排斥するような布告を出したために、このような憂き目に……」
アザリアが言うが、アリーは優しく笑って言う。
「そなたのせいではない。余が布告についてもっと吟味するべきであっただけだ。むしろ、そなたの妹につらい思いをさせたと後悔して居る」
そこに、扉の向こうからアリーと同じ声で二人をあざ笑うものがいた。
「今回は、人間の言う『信頼』というものがいかに脆いか、よく分かる事例だったなアリーよ。お前たち人間に『猜疑心』というものがある限り、本当の意味での『信頼』などあり得ぬということだ。我らレプティリアンは、その点、相手を最初から信頼していない。存在意義は種族にとって役に立つか否かだ。プラグマティズムで生きているからな。それが、我ら種族がお前たち人間にとって代わる理由でもある」
やって来た男——レプティリアンの首領であるガルバリウスは、そう一気に言うと、後はゆっくりと続けた。
「今日午後、そなたの友人であるトルクスタン候からの使者が来る。その拝謁でうまくごまかすことができれば、そなたはもう用済みだ。明日には妻と一緒に安らかにしてやる。おかげで私は、種族で初めて所領を持った存在になれたからな、丁寧に葬ってやるよ」
「……余ではないとバレた場合はどうするつもりだ」
「それは、言わずと知れているではないか」
ガルバリウスが笑うと、アリーは何気なく尋ねた。
「使者は誰だ?」
「何でも、トルクスタン候の子息だそうだ。まあ、わしの正体を見破った場合、可哀そうにトルクスタン候も跡継ぎを失うことになるな。次の狙いはトルクスタン侯国とするか」
そう言って笑って去っていくガルバリウスに、アリーは希望に満ちた目でつぶやいた。
「アザリア、余たちの命運は尽きておらん。使者は『白髪のザール』だ。サーム殿のご子息なら、何とかしてくれるだろう」
「この庁舎の中は、全部レプティリアンたちが抑えているな」
ザールは、アリーが父の親友の息子であることを利用して、敵陣のど真ん中に堂々と乗り込むことにした。自身の『トルクスタン侯国の世継ぎ』という立場を利用し、アリーに面会を申し込んだのである。その使者はジュチが務めた。
『ザール、相手は明日の閏8点(午後2時)に拝謁を許可してくれたぞ』
ジュチがそう言うと、ザールはリディアとロザリアを見て笑って言う。
『僕は、侯国世子の立場で臨むので、二人ともそれらしい格好になってもらわねばな』
そう言うと、ザールは三人の役割を決めた。
ジュチはザールの従者である。これはジュチが拝謁依頼の使者を務めたために変えるわけにはいかない。
リディアは護衛とした。ボーイッシュな格好をしている彼女にはよく似合った。このときのためにザールは急いで町の装備屋で最も高価な革鎧の一式をあつらえてリディアに着せた。ちなみにこのときのリディアの身長は180センチとした。
そして、ロザリアはザールの恋人とした。ただし、いわゆる『婚約前の恋人』という設定で、今回の旅は彼女の種族への表敬とした。
これにはリディアが反対したが、
『僕らは本物のアリー殿の居場所を知らない。庁舎の様子もよく知らないし、アザリア殿の顔も知らない。これらのことを知っている彼女に、視線を動かしても無礼にならない立場で来てもらわねばならない。リディア、作戦だ、我慢してくれ。いつかリディアにも同じことをお願いするから』
と、リディアを何とか納得させたのである。
「トルクスタン侯国の世子であるザール・ジュエル殿、トリスタン侯国のアリー・パシャに拝謁をお願いいたします」
ジュチが爽やかな声で門番にそう告げる。門番は重々しい表情で門を開けた。
「行きますよ。僕を信じて、落ち着いて」
ザールは、左隣で自分の腕をつかんで立つロザリアにそうつぶやくと、ロザリアは花冠を揺らしながらうなずいた。
ジュチ、ザールとロザリア、そしてリディアの順で四人は進み、やがて庁舎内の町長公室へと通される。ザールとロザリアは着席し、リディアとジュチがその斜め後ろに護衛として立った。
やがて、アリーとアザリアが現れて、上座に着座した。アザリアはロザリアを見ても表情を動かさなかった。
——確かに、奴らは『なりすまし』だな。
そう確信したザールは、アリーが歓迎の言葉を述べようとした瞬間、咳ばらいをした。
その後は、地獄絵図だった。
ザールは、咳払いをした瞬間、『糸杉の剣』を抜き、ロザリアの手を引いて駆けだした。行き先は執務室である。執務室の床下に、特別な部屋があることをロザリアは姉から聞いて知っていた。
ジュチはすぐさま弓を使い、偽のアザリアを射抜いた。ジュチの腕は確かで、矢は寸分違わずアザリアの眉間を射抜いた。アザリアは緑の血をぶちまけながら床に転がり、動かなくなった。
偽のアリーには、リディアがかかった。アリー、いやガルバリウスは、ザールが咳払いした瞬間、すべてを悟った。すぐに剣を抜いて立ち上がる。隣ではアザリアに化けたレプティリアンが眉間を射抜かれて正体を現しながら転がった。
「くそっ!」
ガルバリウスは、ジュチの二の矢を払いつつ、リディアの攻撃を剣で受け止めた。しかし、リディアのトマホーク『白炎斧』はすさまじい刃音とともにガルバリウスの剣をぶち折り、そのまま彼を真っ二つにしてしまった。
「リディア、庁舎内にいるレプティリアンは37,564だ!」
ジュチがそう言いながら次々と矢を放つ、その矢は正確にレプティリアンたちを串刺しにする。中には大理石製の柱の陰に逃げ込んだ奴もいたが、
「ムリムリ、そんなことでボクの矢を防ごうなんて笑っちゃうよ」
ジュチが皮肉を込めた笑いとともに放った矢は、厚さ1メートルを超える大理石を貫通し、その裏にいたレプティリアンを地面へと縫い付けていた。
「レプティリアンは戦闘種族の端くれだろ? アタシの『白炎斧』を止められる勇者はいないのかい?」
オーガへと形態移行したリディアも『白炎斧』を振りかざしながら、逃げ惑うレプティリアンを次々と血祭りに挙げていった。
一方、ガルバリウスたちの『処置』をジュチたちに任せたザールたちは、1・2分で執務室へと到着した。途中でザールを遮ったレプティリアンたちは、一匹残らず首と胴を異にしていた。
「ここです!」
ロザリアとともに執務室へと入ったザールは、その部屋が外の見掛けよりも狭いことを見て取った。すぐに、ザールは向かって左側に並んでいる本棚に向かう。そして、本棚を一つ一つ調べ始めた。
「これだ」
ほどなく、ザールは一つの本棚を壁の方に押す。その本棚は書架ごと動き、その下には階段が現れた。
★ ★ ★ ★ ★
「今回はお世話になったな、『白髪のザール』殿。そなたのおかげでこの国はレプティリアンの魔の手から逃れることができた」
アリーとアザリアを幽閉所から救い出し、トリスタン侯国をレプティリアンの侵略から守ったザールたちは、アリーから下にも置かぬもてなしを受けた。
「いえ、この国を救った功績はロザリア殿に帰せられるべきことかと思います。ロザリア殿が居なければ、僕たちはこの国に起こったことに首を突っ込むことはなかったはずですから」
ザールがそう言うと、アリーはちらとアザリアを見て、真剣な顔をロザリアに向けた。
そしてアリーはロザリアに言った。
「ロザリア殿、今回の働きにより、わがトリスタン侯国は事なきを得た。この功績は長くわが家の歴史にも伝えられるだろう。厚くお礼申し上げる」
ロザリアは、その言葉を上の空で聞いていた。けれど、心の中は嬉しさで一杯だった。今までロザリアは、自分の『血』を呪っていた。『闇』のエレメントを発動するたびに、爬虫類のような縦長の虹彩に変わる自分の瞳を呪っていた。そして、『毒の棘』という自分の能力も呪っていた。けれど、やっと人を救えたことで、自分の存在について肯定的に考えることができるようになった。そして、そのきっかけを与えてくれたザールに対して、言いようのない思いを抱いている自分にも気が付いた。
——私、ザール様と共に旅がしたい。
そんなロザリアに、
「ロザリア、あなたを信じてあげなくて本当にごめんなさい」
アザリアは、ザールの隣にしおらしく座っている妹に、そう言って謝る。ロザリアは首を横に振って言った。
「姉さまがご無事でした。私にはそれだけで十分です」
「ロザリア……」
アザリアは、胸が詰まる思いだった。ロザリアだけが父が違うと知ったあの日、ロザリアは白い整った顔をさらに青白くして黙って突っ立っていた。その後、ロザリアは部屋で一人きり泣いていた。そんな妹に、自分は何をしてあげられただろう。かえって、ロザリアの持つ力を恐れ、さまざまな場面で彼女を疑ったではないか。
今回の事件は、その総決算と言っていい。本来ならば、自分たちはすでにこの世にいないはずなのだ。しかし、たまたまロザリアが『白髪のザール』という貴公子と知り合ったために、命永らえることができたに過ぎない。そう思うと、アザリアは、ロザリアを今まで襲った不幸以上の幸せが訪れることを願ってやまなかった。そして、妹の気持ちにうすうす気が付いていたアザリアは、ザールに次のように頼んだのである。
「ザール様、妹を一緒に連れて行っていただけませんか?」
「は?」
素っ頓狂な声を上げたのはリディアだった。すぐにリディアはあけすけに言う。
「あの、アザリア様。それはロザリアさんの気持ちを聞いてから言われた方が……」
しかし、ロザリアは姉の言葉を聞くと、パッと顔を輝かせていた。リディアは嫌な予感がした。
「ザール様、私からもお願いする。私はきっとそなたの役に立つ。だから一緒に連れて行ってほしい」
リディアは、ザールが断ることを期待した。しかし、ザールはロザリアやアザリアの真剣な目を見て、アリーの顔を見ると、はあっと一息ついて言った。
「……分かりました。それでロザリアさんの気が済んで、自身のためになるとお思いならば、同行を許可しましょう。ただし、……」
ロザリアは期待を込めて訊いた。
「ただし、何であろうか? 私はそなたの言うことなら、何でも聞くぞ」
「ただし、リディアと仲良くしてもらいたい。ということです」
ザールが言うと、リディアは渋々いう。
「アタシのザールが仲良くしろって言うんなら、そうするよ」
「私も、わが主たるザール様がそう仰せなら、仲良くしてやらんでもないぞ。これ、野蛮な戦闘民族よ、苦しゅうない、わが友人として扱ってやるじゃによって感謝せい」
「そこまで言われて仲良くしたくないわよ。アンタ何様さ」
そう言い合う二人に、ザールは困ったような顔をして言った。
「ロザリアさんはもっと素直にならないとな? リディアは少し頭を冷やそうか?」
それを聞きながら、ジュチはただ一人、楽しそうにつぶやいていた。
「やれやれ、ザールは問題ごとを抱え込む天才だからな。しかし、ロザリアさんは今後、姫様探しの旅には思わぬ助けになるかもしれないな」
(6 悪魔の証明 完)
最後までお読み頂き、ありがとうございました。ザールたちはこれで初期メンバーが揃いました。あとはザールがホルンを探し当てるだけですが、それまで少し回り道があります。
次回は、ホルンの物語で、2部作になります。お楽しみに。