エピローグ 英雄の惜別
終末竜との戦いを制し、王権を取り戻したホルンとその仲間たち。
徐々に復興に向けて動き出したが、預言の呪縛がホルンとザールの運命を決める。
『青き炎のヴァリアント』、ここに完結!
【主な登場人物】
♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘で王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。26歳。
♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。15歳程度。
♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。23歳。
♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。21歳。
♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で『この世で最も高貴な一族』であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けるがチャラい。金髪碧眼の美青年。23歳。
♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。21歳。
♧ガイ・フォルクス…26年前にスケルトン軍団から国を滅ぼされたアクアロイドの王族。頭脳明晰で冷酷非情だが仇討に協力したホルンに恩義を感じている。29歳。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
大地は、元通りになった。
崩れていた建物は、そのままであったが、その下敷きになっていた者たちは不思議な力で外に引っ張り出され、怪我をしていたもの、そして生命を落としていたものすら、以前と変わらぬ姿でそこにいた。
「これは……」
バビロン北方の丘の上では、ジュチが最初に目覚めた。彼は知っていた。自分が一度はあの災厄に巻き込まれて生命を落としたことを。
そして、なぜここにいるのかも理解していた。なぜなら、彼はこの世で最も高貴で有能なハイエルフの一族であったから。
「……ならば、ザールや女王様も、おっつけバビロンに帰ってくるだろうな」
ジュチはそう言いながら、傍らで眠るアルテミスの美しく可憐な寝顔を、飽きることなく見つめていた。
「これは、『オール・ヒール』ではないか! オリザがみんなを救ってくれたんじゃな」
カッパドキアでは、遠く南の空に浮かぶ優しい光を見つめて、ロザリアが叫んでいた。
「じゃ、早くアタシたちもバビロンに戻ろうよ。ザールたちもきっとそこにいるんだろうし」
リディアがいうと、ロザリアは右手の人差指を青く光らせてうなずいた。
「そうじゃの、では『転移魔法陣』で戻るとするか」
サルサル湖畔では、ティムールをはじめとした諸将が、『魔力の揺らぎ』のシールドの中で、襲いくる破壊的なエネルギーの崩落に不安の目を向けていた。
しかし突然、優しい光が周囲を覆ったかと思うと、空が澄み渡り、大地の揺れも嘘のように収まったことで、人々は怪訝な顔をした。
「どうなったんだ?」
ついさっきまでの地獄のような有様が消えてしまったので、人々は恐る恐るテントの外に出てみる。
「……終わったようだな。さすがはホルンさんだ」
いち早くシールドから抜け出て、南東にあるバビロンの町を眺めていたガルムは、戦いが終わったことを誰よりも早く察して、そうつぶやいていた。
「……私は、生きているのか?」
ガイは、パチリと目を開け、澄み渡る青い空が広がっているのを眺めると、不思議そうにつぶやく。
「やあ、おはようガイ」
ガイが目を覚ましたのを知って、近くにいたジュチがそう声をかけてくる。ガイはゆっくりと身体を起こすと、あの惨劇の後にしては嫌に周りが静かなのを察して、ジュチに訊いた。
「何が起こったんだ?」
ジュチは、片方の眉を上げて、
「ボクにも本当のところは判らないが……」
と言い、続けて真面目な顔で、
「おそらく、オリザの『オール・ヒール』だろうと思うよ」
そう言った。
「なるほど、凄いな」
ガイがそうつぶやいたとき、
「う、う〜ん……あっ、ジュチ大丈夫?」
と、アルテミスが慌てて飛び起きて言う。ジュチはうざったく伸びた金髪を風になぶらせながら、
「やっと目覚めたね。もう、すべてが終わったみたいだよ?」
そう言って笑った。
「……終わりました」
オリザは、地上が再生する様子を静かに見つめていた。
そして『再生の大地』から光が消えると、誰に言うともなくため息と共に一言つぶやき、ニコリと笑いながら消えていった。オリザがいた空間には一束の植物が現れ、それは静かに地上へと落ちていった。
『……お疲れさまでした、私の慈愛の心、いえ、オリザ・サティヴァよ』
女神ホルンは、地上に落ちた植物の束を拾い上げると、優しい声でそう言って涙をこぼした。
ホルンは、そばに斃れているザールに、優しい目を向けた。ザール、みんなのために、自らの生命を捨てて戦ってくれたのね。
「……あなたも、そしてオリザも、みんなのために力を尽くしてくれました。でも、私はオリザを救うことができなかった。オリザの犠牲なしには、この世界を救うことができませんでした……」
ホルンは、冷たくなってしまったザールの頬をなでながらつぶやく。
「オリザの祈りは、アンティマトルの中で戦っていたあなたには届かなかった……だから、私は、せめてあなたを救うことでオリザにお礼をしたい」
そう言うとホルンは、胸の前で手を組んで、プロトバハムートに祈った。
「我がプロトバハムート様の祝福を受けた者の命の灯は、燃え尽きる前にかき消されたもの……プロトバハムート様の威徳をもって、灯を再び灯し、その正義を全うさせたまえ、『根源への回帰』!」
すると、ホルンが持っていた植物の束から、暖かく優しい光が生まれ、それは横たわるザールを包み込んで輝きを増した。
「う……アンティマトル!」
光の中でザールが叫んで飛び起きる。ホルンは、そんなザールにひしと抱きついた。
「もういいの、終わったのよザール」
ホルンは耳元で優しくささやく。ザールはホルンの言葉で、はっと我に返った。
「……倒した、のか?」
ザールが訊くと、ホルンはコクリとうなずいて、
「オリザのおかげで、すべての人が救われたわ」
そう答えた。
「オリザはどこにいる? 今までで最高の殊勲だ、褒めてやらないと」
「ここよ……」
ザールの問いに、ホルンは持っていた植物の束を差し出す。ザールが怪訝そうな顔をしたので、ホルンは続けて言った。
「女神の力を使った代償に、オリザは……」
そう言いかけて、ホルンの目からは涙が溢れ出てきた。
「そんな……嘘だろ? 頼むホルン、嘘だと言ってくれ」
ザールは、泣いているホルンの肩を揺すぶりながら言う。そんな……あの元気で、優しくて、ちょっとわがままで、可愛い妹がいなくなった?
ザールが混乱して現実を受け入れられずにいたとき、不意にオリザの声がした。
『泣いちゃダメよ、お兄様』
「オリザ!」
ザールはオリザの声に、慌てて辺りを見回した。けれどその姿はどこにも見当たらず、声はホルンが握っている植物からしていることが分かった。
『ワタシ、女神様からワタシの力が必要って言われて、ちょっと嬉しかった。やっとお兄様の役に立てると思って』
植物は、そよそよとした風に揺られながら、そう語り始める。
『ワタシの存在が代償って言われて、とっても迷ったんだけど、ワタシの力って、もともと女神様から頂いたんだよね。それならお返しするのがスジかなって』
ザールとホルンは、オリザの声を一言も聞き漏らすまいと耳を澄ます。
『それにワタシ、小さいときからこんな風になるのかなって思ってたんだ。女神様が現れて、いつもおっしゃってたから。ワタシはたくさんの人を救うまでは消えないって……だから、ワタシがいなくなったことを悲しまないで。それよりお兄様、ワタシを褒めて?』
ザールは、見えないオリザに話しかけた。
「オリザ、今回は本当によくやってくれた。オリザのおかげで、とてもたくさんの人や、僕たちも救われた。僕はオリザを忘れない、頑張ったね、偉かったよ」
すると、オリザのはにかんだ顔が目に浮かぶような気がした。
『えへへ、嬉しいな。女王様が握っているのは、みんなの役に立つ植物らしいよ? ワタシの替わりに可愛がってくれれば、きっとたくさんの人たちを救えると思うよ? 大事にしてね?』
その言葉に、ザールはうなずいた。
「約束する。きっと国のみんなに広めて、大切に育ててもらうよ」
『よかったあ。これで言いたいことはあと一つになったわ』
オリザの安心したような声が響く。
「あと一つ、言ってみるといい」
ザールが促すと、しばらく間が空いて、オリザの名残惜しそうで寂しそうな、そして真剣な声が聞こえた。
『……うん、最後に……ワタシ、お兄様のこと、とても憧れてた。だから、女王様やみんなのこと、支えてあげてね?』
「約束する、僕はオリザの気持ちを裏切らないよ」
ザールがそう答えると、サッと爽やかな風が吹き、それ以降オリザの声が聞こえることは無かった。
ザールは、ホルンが持つ植物を、優しい目で見てつぶやいた。
「オリザは死んでなんかいない。みんなの命をつなぐ存在へと生まれ変わったんだ」
この植物は、秋になると黄金の実をたくさん穂につけ、風が吹くとまるで金色の絨毯のように見えたという。その名は『オリザ=サティヴァ』と名付けられた。
★ ★ ★ ★ ★
女神アルベドを封印し、終末竜アンティマトルを倒した英傑たちの話は、またたく間にファールス王国全土に広まった。
ホルンは、正式に女王としての戴冠式をイスファハーンで行った。
「シャー・ホルンは、女神ホルンの御心を受けて、ここに戴冠されました。どうか古の聖女王ホルン1世のように、民を慈しみ、国を興してください」
ホルンに戴冠した『神聖生誕教団』の法王ソフィア13世は、そう言ってホルンの治世を寿いだ。
ここにホルン2世が誕生したわけだが、彼女は当分の間、バビロンを首都とすることとし、イスファハーンから東はサーム・ジュエルを『王権の代理者』として政治を行わせ、自らは西方の安寧に力を注ぐことにした。ザッハークに忠誠を誓い、ホルンに楯突くものや独立を宣言するものがまだいたからである。
ホルンは、ティムールを主将とし、ムカリとポロクルを先鋒、スブタイとクビライを参謀とし、王国軍の将軍を配下に加えた10万を『主力軍』として西方を鎮撫させ、ガルムを主将としてリョーカ、ホルスト・ハイムマンを先鋒、“ルシファー”マントイフェル、“旋風のゲッツ”ゴッドフリートを参謀とした『南方軍』10万を、独立を宣言した王国第12軍方面の討伐に向けていた。
そして、ホルン自らは、ザール、リディア、ガイなど5万を連れて、火事場泥棒的にテッサロニカ方面に出兵してきたローマニア王国軍5万を牽制するため、同方面へと兵を進めた。
王都のバビロンには、ジュチが宰相としてロザリアとともにおり、軍を再編したアクアロイドの軍団5万が、四方に睨みを利かせていた。
主力軍は、ダマ・シスカスに本営を置き、ティムールらしい重厚な陣と手堅い用兵によって、ほぼ半年で『西の海』の海岸沿いにあった都市のことごとくを手中に収めていた。
南方軍も、ガルムの縦横無尽の指揮と、リョーカの神出鬼没の用兵で第12王国軍を撃破し、その首謀者を捕らえていた。
ホルンの出兵したテッサロニカ方面も、『白髪の英傑』『炎の告死天使』『紺碧の死神』の揃い踏みであり、その勇名はつとに諸国に轟いていたため、ローマニア王国軍はもろくも崩壊。首都のブクレスティが包囲される危機に直面したローマニア王は、ダヌベ川右岸を割譲して和平を結んだ。
こうして、ファールス王国はホルン2世のもとで、新たな歴史を刻むこととなったのである。王国歴1577年花咲き誇る月(4月)、ホルン・ジュエル27歳であった。
ホルンがすべきことはたくさんあった。
まずは、戦役で疲弊した地域の復興、産業の振興である。
それと並行して、辺境の治安回復、交通網の整備などなど、目が回る忙しさだった。
「はあ、これは、戦場にいたほうがまだマシだわ」
ホルンがそうため息とともに言うたびに、
「でも、僕たちの望んだ世界を形にできるんだ。やりがいがある仕事だよ」
ザールはそう言ってホルンを元気づけていた。
そのザールは大宰相兼大将軍として、ホルン2世の治世の要となっていた。
彼は、軍事にはティムール、政治にはジュチを重要な地位に置き、それぞれイリオン、ロザリアを補佐役兼連絡係として配し、双方に油断なく目を光らせていた。
サームは、イスファハーンからサマルカンドに戻っていたが、息子ザールのやり方にはあえて意見を言わなかった。
彼は、重要な施策についてはサームやトリスタン侯アリー、その他各地の侯伯に意見を求めることを忘れないザールに、安心していたのかもしれない。
★ ★ ★ ★ ★
『ねえホルン、黙ってお城から抜け出したら、ザールさんに叱られない?』
コドランが心配して言う。
「大丈夫よ。たまには息抜きしないと、お城の中ばっかりじゃ息が詰まっちゃうわ。コドランだってバビロンをじっくり見て回ったことは無かったでしょ?」
ホルンは、革製の白い胸当ての下に金のチェインメイル、青い戦袍を着て、腰にはやはり革製の白い直垂をつけ、膝当てのついた底の厚い革製のブーツを履き、『死の槍』を持った姿……過ぎし日の『用心棒』として過ごした頃の装いで街を歩いていた。
彼女が『女王』であることを示すものは、精巧な彫刻のある金の髪留めくらいである。それとても、ザールから贈られたものだったが。
バビロンの町は、すっかりもとの賑わいを取り戻していた。通りには外国の商人が様々な商品を売っている。彼らの話すよくわからない言葉にすら、ホルンは懐かしさを感じていた。
「ねえ、久しぶりに交易会館を覗いてみない?」
ホルンが目を輝かせて言う。
交易会館は、地域の商人たちが作り、運営している。そこでは商売の情報や道路の整備状況、地域の安全情報を提供するだけでなく、交易商人のために宿の手配や用心棒の斡旋も行っている。ホルンもつい2年ほど前までは、大変世話になっていた施設である。
『まったくもう、ホルンってば、用心棒時代の癖がまだ抜けていないんだね?』
コドランが呆れたように言うが、その目は笑っている。
『でもまあ、ホルンと一緒に旅をしていた頃は、ワクワクして毎日が楽しかったなあ。ホルンがそんなカッコで街を歩く気持ち、何となく分かるよ』
コドランが懐かしそうに目を細めて言う。
「じゃ、決まり。行ってみましょ」
ホルンはそう言うと、交易会館へと足を向けた。
バビロンは流石に大きな都市であり、交易会館も都市内に4箇所もあった。
ホルンが足を向けたのは、お城から最も遠い南地区の交易会館である。バビロンは『肥沃な三角地帯』と呼ばれる穀倉地帯の北の端にある。当然、商人たちは南地区に集まり、北地区はお城の官吏や一般の市民が暮らしている割合が高かった。
「きゃっ!」
ホルンが交易会館に入ろうとしたとき、ドアを開けて出てきた人物とぶつかってしまった。
「やっ! 失敬……って、ホルンさんじゃないか。お城から抜け出してどうしたんだ?」
「あら、ガルムさん。あなたこそ、どうしてここに? 仮にも将軍でしょ?」
出てきた人物はガルム・イェーガーだった。
「まあ、ここじゃなんだ。そこいらの食堂にでも入ろう」
ガルムのいいところは、女王であるホルンを周りの状況に関係なくちやほやしたりしないことだ。こんなところで『女王様』なんて言われた日には、お忍びの楽しみが損なわれてしまう。もっとも、普通の人間は、まさか一国の女王が『用心棒』の格好をして街を歩いているなど想像もしていないだろうが。
「で、ファールス王国の前将軍で盪寇将軍たるあなたが、微服で交易会館にいたのはなぜ? あなたも用心棒時代の思い出に浸っていたのかしら?」
町の食堂に入ると、ホルンがそう訊いた。ガルムは元、用心棒として辺境を守ってきた勇士だ。まあ、その前は王室で王の親衛隊たる『王の盾』副長をしていたのだが。
ガルムは左目を細めると、ニヤリと笑っていう。
「そりゃあ、ホルンさんと同じだな。ホルンさんもその昔の『無双の女用心棒』時代を懐かしんでいたんじゃないか?」
それを聞いて、ホルンはくすりと笑った。思えばダインの町でガルムと初めて出会った時も、こんな感じで仕事のことを話したっけ。
「そりゃあ、私だってたまには思い出に浸りたくなるときもあるわ。だって、用心棒時代にあなたやコドラン、ザールたちに出会い、今の私がいるのよ?」
ホルンが言うと、ガルムは深くうなずいていたが、
「それはそうですな」
そう言うと、寂しそうな顔で言った。
「……俺も、ホルンさんの将来が固まったら、将軍職を辞してアイニの町にティムール殿と隠居します。あとはアローがやりますよ。あいつは今度の戦役で立派に成長した。それにリョーカもいる。年寄りの時代はもう終わりですよ」
ホルンは言葉もなく、じっとガルムを見つめていた。
★ ★ ★ ★ ★
「あーあ、アタシも将軍なんてどーでもいいから、サマルカンドやドラゴニュートバードに帰りたいな。平和なことはいいことだけど、腕が鈍っちゃうよ」
リディアが大声で言うのを、ロザリアが困ったように諭す。
「こら、仮にもファールス王国の驃騎将軍で靖難将軍たる立場のそなたが、なんてこと言うんじゃ。女王様の治世は始まったばかり、ザール様も国家の基礎を作り直すために寝食を忘れて取り組まれていると言うに。幼馴染みのそなたがそんなことを言っては、ザール様が悲しまれるぞ」
リディアは、そう言うロザリアの顔に、ベッタリと疲労の色が滲んでいるのを見て、心配そうに訊いた。
「ごめん、ちょっと気が抜けてね? それよりロザリアこそ大丈夫? 確かロザリアって内務卿って仕事していたよね?」
「うむ、でもまあ、私よりジュチの方が激職じゃから心配じゃのう。なにせジュチは録尚書事、この国の民政の全責任を負っておるからのう」
はあっとため息をつくロザリア。そこに、
「やあ、リディアにロザリアじゃないか。ここで何しているんだい?」
「たまには息抜きも必要だよ? 女王様も息抜きしておられるんじゃないか?」
そう言いながら、ザールとジュチが現れた。
ロザリアは紫紺の瞳でザールを見つめた。激職といえばザールが最もそうであろう。ザールこそ実質的にこの国を統治しているのも同然だったからだ。
それにしては、ザールは元気そのもので、気力に満ちているように見えた。
――ふむ、やはりザール様は、責任が重くなればなるほど、人物的に大きくなられるようじゃのう。我らとは違うのう。
ロザリアはそう思い、改めてザールに心酔するのだった。
「ザール、せっかく仕事を離れて昔の仲間だけになったんだ、少しボクらも休憩しよう。取り立てて急ぎの事案はなかったろう?」
ジュチはそう言うと、ザールの返事も待たずにリディアの隣に腰掛けた。
「ロザリア、キミの下でアルテミスがお世話になっていると思うが、彼女はどうだい?」
ジュチはロザリアに訊く。ロザリアは笑って答えた。
「おお、アルテミス殿ならシャナ殿の後任として財務班で活躍してもらっておる。飲み込みもいいし、仕事が速いので助かっておるぞ。ジュチもいい嫁をもらったのう」
「いやまだ嫁じゃないよ。そういうことはアルテミスの前では言わないでいてくれよ? 彼女が勘違いするから」
ジュチが慌てて言うと、
「勘違いさせるような態度を取るのがいけないんだよ。だからアンタは女ったらしのクズエルフって言われるんだ。宮廷内で噂になってるよ? 『録尚書事はあちこちで女性事務官をデートに誘ってる』って」
と、リディアが突っ込む。
するとジュチは、そのうざったく伸びた金色の前髪を、形の良い手でかきあげて言う。
「フッ、このボクの美貌を見て、オンナノコが放っておくとでも? 言っておくがボクは『デートに誘った』ことはない、『デートに誘われた』だけだ」
「ったく、うざいわね。『レーエン』のサビにしちゃろうか?」
「……まあまあリディア、ジュチは言うほど女にだらしなくはないから、それくらいにしておいてやれよ。それとジュチ、その噂は初耳だった。後で女王陛下と一緒に申し開きを聞くよ?」
いつものように、ザールが二人の話に割って入った。ジュチは苦笑していった。
「やれやれ、美しすぎるのも罪だね」
★ ★ ★ ★ ★
王国歴1577年大地が恵む月(10月)、ファールス王国はホルン2世によってなんとか昔日の威容を取り戻しつつあった。
辺境の治安もかなり改善し、近距離なら護衛なしでも旅ができるようになっていたし、山賊などの被害も、目立って減ってきていた。
今年は麦も豊作だったし、ザールが新たに作物として『肥沃な三角地帯』の農民たちに広めた『オリザ=サティヴァ』も、あちこちで金色の波をゆらしていた。
「ザール、この後ちょっといいかしら?」
各政務の代表が集まる『閣議』を終えた後、ホルンはそう声をかけた。
「そうですね、今日の決定事項を通達してからなら、時間が取れます。半時ほど後でいいでしょうか?」
ザールの答えに、ホルンは困ったような笑顔を向けて、
「……そう、それなら今日はいいわ。時間ができた時に教えて?」
そう言うと、女王の執務室へと戻っていった。
ザールは、急いでいたためすぐに自分の部屋に戻って、各局長と閣議での決定事項を伝えたり、施策の内容について協議したりしたが、やがて少し時間が取れると、ホルンの困ったような顔を思い出した。
「これは、何かお悩みごとでもあるのかもしれない」
そう思ったザールは、ロザリア内務卿に
「少し陛下とのお話がある。しばらく部屋を開けるが、その間はロザリアが決裁を見ていてくれ」
そう頼んで、ホルンの部屋に向かった。
トントントン、ザールは女王執務室の分厚いドアをノックする。
『どなたじゃ?』
コドランの気取った声がして、ザールは思わず微笑んだ。
「ザールです」
ザールが言うと、少ししてコドランがドアを開け、
『どうぞお入りください』
そう言ってザールを招き入れると、自分は外に出てドアを閉めた。
ザールは訝しく思ったが、ホルンがにこやかに、
「よく来てくれました。大事な話があったのでコドランにも席を外してもらいました。こちらへ、ザール大宰相」
そういうので、ザールはホルンの前のソファに腰掛けた。
「話とは何でしょうか?」
ザールが訊くと、ホルンは優しい笑顔で、
「あなたには、ここまで私を支えてくれたことに対するお礼を言ってませんでした。幸い王国も落ち着いてきましたし、一度ゆっくりと昔話でもしながらお礼が言いたいと思っていたんです』
そう言った。
ザールは、ホルンの困った顔を思い出して、
「それはありがとうございます。でも、僕はいつか約束したとおり、あなたをずっと支え続けるつもりですよ。それよりホルン、君は何を悩んでいるんだ?」
そうズバリと訊いた。
ホルンは一瞬、目を見開いたが、すぐに微笑んでしんみりという。
「ティムール様、ガルムさん、リョーカさん。三人とも挙兵時からの仲間で、とても活躍してくれたけれど、まだまだ彼らには十分報いていないうちに、将軍職を辞してしまったわ」
そう、先月終わり、参謀総長のティムール・アルメ、前将軍のガルム・イェーガー、そして右将軍のリョーカ・ステープルは、王国の基礎もなり、今後大きな軍事的危機もありえない状況から、将軍職を返上してアイニの町へと帰っていったのである。
ホルンにとっては、各地の不穏分子の平定後に、
「私の役割は終わった気がします。今後は旦那様とともに、女王陛下の弥栄をお支えしたいと思います」
そう言って、主人であるアスラ・エフェンディが待つトルクの町に帰っていったシャナに続いて、心寂しくなる出来事だった。
ザールはうなずいたが、わざと声を励まして言う。
「シャナ殿はエフェンディ家の家宰でありアスラ殿のご正室。リョーカ殿はアイニの町に待っているお方がいる。ティムール殿とガルム殿はいつでも力になっていただけます。来る人があれば去る人がいるのは世の習い。僕やジュチ達がいるじゃないか、ホルンは女王として揺るぎない姿を見せておけばいいんだ」
けれど、ホルンは首を振って言った。
「ザール、あなたは『ジェダイの預言詩篇』を覚えている? 詩篇の第2と第9を」
ザールは首を傾げていたが、やがて言った。
「いや、覚えていない」
するとホルンは、机から古びた巻物を取り出し、ザールの前で広げた。
「読んでみて?」
ホルンに促され、ザールは該当する詩篇に目を通す。そこに書いてあったことは、
詩篇2『黒竜は白竜と出会い、偽王を討ちて国を興す。その仲間と共に/黒竜と白竜もし出会わば、我が元を訪え。始原竜はその子どもたちを誘う/幾多の仲間は黒竜に集う。白竜の名声の中で/九五の位は黒竜から白竜へとつながる。黒竜の願いと共に』
詩篇9『東の女神は蘇る。止翼の白竜成った後/言葉は大地を蘇らす。古き穀の名は消えて/片翼の黒竜、四翼の白竜に抱かれん。月の光の中で/片翼の黒竜、事成り四翼の白竜のもとを去らん。紫紺の瞳がある故に』
ザールは黙っていた。なんとも言いようがない。
ザールの沈黙を見て、ホルンはうなずいて言った。
「私の役割も終わりました。この大災厄を乗り越えるのが私の役割、そして、人々を導くのは、ザール、あなたの役割なの」
ザールはそれでも黙っていた。確かに詩篇2では預言されていた。『九五の位は黒竜から白竜へとつながる。黒竜の願いと共に』と。それでも、ザールは心情的に受け入れ難かったのだ。
「預言は預言だ。今の人々は『無双の女用心棒』だった君が王位に立ったからこそ、僕たちに味方してくれた。それに王国の運営も軌道に乗りつつある。人心が一新された今、君をおいて誰も、この国の王にふさわしい人はいない」
ザールは、やっとそう言った。
そういうザールを、わがままを言う弟を見るような目で見ていたホルンは、壁から『アルベドの剣』を取り外し、ザールに渡して言う。
「抜いてみて、ザール。私が許します」
ザールは不思議そうに『アルベドの剣』を抜く。見えない刀身をザールの『魔力の揺らぎ』が包み込み、優しく白い光をまとわせていた。
ザールは一礼すると、『アルベドの剣』を鞘に納めてホルンに返す。しかしホルンは、
「その剣はあなたのものです。なぜなら、私にはもうその剣が抜けなくなりましたから」
そう、驚くべきことを告げた。
「……嘘だろ、冗談はやめてくれよ?」
上ずった声でザールが言うと、ホルンは諦めに似た微笑みとともに言った。
「本当のことよ。こんなこと冗談じゃ言えないわ」
「でも、だからといって君が王位を降りる必要はない。僕は嫌だ! 君のそばにいたい! 君を守るために、僕は戦ってきたんだから」
ザールは、ホルンの肩をつかむと、激しく揺すぶって言った。そう言えば、シャロンがまだサキュバスだったとき、こんな事があったなあ。あのときはドキドキした。
ホルンはそう思いながら苦笑した。
「……分かったわ。そこまで言ってくれて、私も嬉しい……。では、明日にでも新しい体制を発表するわね」
ホルンがそう言うと、ザールはあからさまにホッとした表情を見せた。
そのザールに、ホルンは訊く。
「ザール、あなたはローエン様との約束は覚えている?」
ザールは、ホルンの顔を見ながらうなずく。ホルンもうなずいて言った。
「そう、それじゃ、ここに食事を運ばせるから、今日は二人であの頃のことをゆっくり話しましょう? ゆっくりしていってね、ザール」
★ ★ ★ ★ ★
次の日、ファールス王国の新しい体制が発表された。
ザールは、新規に作られた王族しか就くことが許されない『相国』という役職に就き、国政の全般に渡ってホルンの代理ができる立場になった。位人臣を極めたと言っていい。
その他、次のような陣容になった。
大宰相 ジュチ・ボルジギン
録尚書事 ロザリア・ロンバルディア
内務卿 アルテミス・ファザード
外務卿 ピール・エメス
工部卿 ヘパイストス・オウル
治部卿 サラーフ・ルディーン
刑部卿 バトゥ・モウキ
大将軍 イリオン・マムルート
驃騎将軍 リディア・カルディナーレ
車騎将軍 ガイ・フォルクス
前将軍 ホルスト・ハイムマン
後将軍 ディミトリー・タルコフ
左将軍 サラーフ・ルディーン
右将軍 ヌール・ルディーン
翊軍将軍 ガリル・エース
盪寇将軍 エリッヒ・ゴードン
征虜将軍 エルンスト・ミュラー
『王の盾』隊長 アロー・テル
その他、ジェベなど、ホルンが鍛えた若者たちは、『王の牙』に抜擢された。
今にして思うと、この布陣は混乱を生じさせずにザールに王位を譲るためのものだったのかもしれない。
★ ★ ★ ★ ★
夜が明けかけていた。遠くの山々は、まだ紫色に染まって眠りについている。
イスファハーンからバビロンに向かう街道を、一人の女性が歩いていた。
振り返ると、イスファハーンの町並みが、朝まだきの静けさの中にうっすらと見えている。
その女性は、革製の白い胸当ての下に金のチェインメイル、青い戦袍を着て、腰にはやはり革製の白い直垂をつけ、膝当てのついた底の厚い革製のブーツを履き、穂先が全体の3分の1はある異形の槍を持っていた……過ぎし日の『用心棒』として過ごした頃の装いのホルンであった。
そのホルンに、シュバルツドラゴンのこどもが問いかける。
『ねえホルン、本当にいいの? ザールさんが悲しまない?』
すると、ホルンはコドランを見てニッコリとして言った。
「うん、預言だしね? それにザールだって分かってくれるわ。『来る人があれば去る人がいるのは世の習い』って、ザール自身が言っていたしね」
『でも、ホルンの女王様姿も様になっていたけれどなあ。イスファハーンにいたら、美味しいものも食べ放題だったんだけど』
コドランがそう言うと、ホルンは銀色の髪につけた、精巧な彫刻のある金の髪留めを触った。ザールから贈られたものだったが、今はそれだけが二人をつなぐ縁だった。ホルンは首を軽く横に振って言う。
「でも、かわりにこんな自由はないわよ? コドラン、いつか言ってくれたわよね、私を乗せて国中を回ってくれるって」
するとコドランは、胸を張っていった。
『うん、覚えているよ。もう少し明るくなったら、どこにでも連れて行ってあげるよ』
するとホルンは、万感の思いを込めた視線をイスファハーンに向け、
――さようなら、父上と母上が暮らした町。そしてザール、みんな。
そう心の中で言うと、吹っ切ったような笑いとともにコドランに言った。
「さっ、コドラン。新しい冒険を始めるわよ!」
『まっかしといて!』
コドランもそう言うと、最後にイスファハーンを見つめて言った。
「……ホルン、またいつか、みんなと会えるかな?」
ホルンは強くうなずいた。
「ええ、きっと会えるわ。だって、同じ空の下にいるんですもの」
そう言うと、銀髪の女戦士は、二度と振り返らずに峠の道に消えていった。
(青き炎のヴァリアント 完)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
1年間に渡り、この作品とお付き合いいただき、読者の皆様には本当に感謝しています。
実際、こんなにたくさんの皆様に見ていただけるとは思ってもおりませんでした。ブックマークや評価に励まされ続けたことを思い出し、感慨無量です。
この作品は、本筋だけを書いています。物語に直接関係ない、けれど面白いエピソードもありますが、それは『サイドストーリー』として月一程度で投稿していきます。
けれど、『青き炎のヴァリアント』は、一旦ここで終わります。
次回作は、若干ダークなファンタジーをご用意していますので、そちらでまたお会いいたしましょう。
皆さん、ありがとうございました!




