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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
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57 再生の大地

破壊竜と異次元で対峙するザール。そのころ地上ではジュチやガイが破壊竜の手下たちと激烈な戦いを展開していた。女神アルベドから傷を負わされたオリザは、そしてホルンは?……巨大な敵との戦いも、ついに決着の時を迎える。



【主な登場人物】


 ♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘で王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。26歳。


 ♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。15歳程度。


 ♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。23歳。


 ♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。21歳。


 ♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で『この世で最も高貴な一族』であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けるがチャラい。金髪碧眼の美青年。23歳。


 ♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。21歳。


 ♧ガイ・フォルクス…26年前にスケルトン軍団から国を滅ぼされたアクアロイドの王族。頭脳明晰で冷酷非情だが仇討に協力したホルンに恩義を感じている。29歳。


★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


「ジュチ様、奴らが動き始めました!」


 ジュチはそれを聞くと、顔を上げて鋭い瞳で敵の動きを観察した。バビロンを包囲した『影の軍団』は、ざっと見て5万程度。そのうち3万以上が北の平滑な地に陣を敷いていた。主攻撃線を北から指向し、東と西から助攻をかけ、南は開けておく……城攻めの正攻法ともいえる方法である。


 敵の展開も、教科書どおりのものだった。

 ジュチは敵が、右翼にある森にはほとんど注意を払っていないのを見て、微笑してサラーフやアルテミスに言った。


「ふふ、どうやらボクたちは死なずに済むようだよ? あとはザールが頑張ってくれるかだね」


 この戦いの最後の決戦である『バビロンの戦い』が始まろうとしていた。


「バビロンにはもう誰もいないね?」


 ジュチが訊くと、副将のヌールが亜麻色の髪をかきあげながら答えた。


「ええ、奴らが戦闘に入ったら、面白いことになりますね?」

「ふふ、じゃ、スタンバろうじゃないか」


 ジュチの言葉で、『妖精軍団』は行動を開始した。

 『妖精軍団』は、陣地から出ると、三つの集団に分かれた。


 まず、副将のサラーフが指揮を執る5百人、同じく副将のヌールが指揮を執る5百人。

 この2隊は敵に見えないように機動し、『魔力の門』と言われる場所の東西に埋伏することになっている。


「キミたちの部隊で敵に引導を渡す。だからキミたちは最後の瞬間まで敵に存在を察知されてはいけない。ボクたちの部隊がたとえ全滅しようとも、時が来るまでは埋伏場所を動いてはいけない、理解わかったね?」


 二人は出発に当たり、ジュチからそうくどいほど念を押されていた。


 最後の一つは、ジュチが指揮を執りアルテミスが先鋒を務める1千の部隊で、これは敵を引きつける、いわば『囮』だった。


「アルテミス、キミには8百人を与える。真っ先に敵にぶち当たり、ある程度暴れたら負けるふりをして後退してくれ。後退方向はボクが指示するから、決して深入りせず、『死なない戦い』に徹してくれ。理解ったね?」


 ジュチは、出発するアルテミスに再度注意した。アルテミスは心配そうにしているジュチの顔を見てニッコリ笑い、


「理解ってる、心配しないで。アタシだって生き延びたいし、あなたとの未来を楽しみたいもん。ディアナの分まで」


 そう言うと、ハルバートを振り上げて前進して行った。



 アンティマトルの『影の軍団(シャドウバタリオン)』は、実体を持たない『靄状生命体』の集まりである。見た目や性質は『砂漠の亡霊』に似ている。


 しかし、その破壊力は桁違いだった。彼らは『反物質』なのだ、普通の物質である自然界のものが触れれば、それだけでエネルギーとして均衡状態へと移行する際に、大きな爆発を起こしてどちらもこの世から消滅する。


「だから、彼らには決して近づくんじゃない。弓矢や魔力を使って遠戦を仕掛けるんだ」


 ジュチは、アルテミスにそうアドバイスしていた。


「アルテミス様、敵陣まであと1ケーブル(この世界では約185メートル)です」


 先頭の中隊から、そう報告が入る。アルテミスは、


「半ケーブルまで近づいたら、前進を止めて矢戦を仕掛けなさい」


 そう命令する。とともに、彼女は左右にも斥候を出して、


「敵が我が部隊を包囲するか、超越しそうになったら、すぐ信号火矢を上げなさい」


 と命令していた。


 やがて、更に距離が詰まる。『影の軍団』の将兵は、相変わらず無言でゆっくりとアルテミス隊に迫ってきた。


『ボクは喋らない相手は苦手だな。何を考えているか判らないからね。どんなに見た目が不気味でも、喋っている相手なら何とかなる、そう思うよ』


 アルテミスは、不意にジュチのそんな言葉を思い出した。


「確かにそうね。あいつら、声すら出さないなんて、気色悪くってしょうがないよ」


 アルテミスはそうつぶやくと、心の中の恐れを振り払うように命令を下した。


「放てっ!」

 バシュンッ!


 アルテミス隊から、一斉に矢が放たれる。その矢は確かに靄状生命体に命中するのだが、そいつらは身じろぎ一つしない。淡々と前に進んで来るだけで、その進撃速度は速くも遅くもならなかった。


 それを見て焦ったハイエルフたちは、次から次へと矢を放つが、矢は『影の軍団』を通り抜けるだけで実害を与えられなかった。


「アルテミス様、相手には矢が効かないようです!」


 前線で誰かが叫ぶ。配下のハイエルフたちの顔に動揺が走っていた。


 ――まずい、このままじゃ士気が阻喪する。


 アルテミスは瞬時にそう思った。


「どきなさい!」


 アルテミスは、動揺している兵士にそう言って最前線に出た。靄状の、『生命体』と言ってもいいのかどうか分からない『影の軍団』たちには顔と言える部分すらなく、相変わらずどこを見ているのか分からない無表情なまま、こちらに向かってくる。


「覚悟しなさい」


 アルテミスは弓に矢をつがえる。その身体が銀色に光り始めた。彼女の周りでは風が渦を巻き、魔力のほとばしりは敵を狙っている矢の切っ先に集まり始めた。


「やっ!」

 ドシュン!


 アルテミスは、自らの魔力を乗せた矢を、ほんの20ヤードにまで近づいていた靄の塊に向けて放った。


 ズドゥム!


 アルテミスの矢を受けた靄の塊は、爆音を上げて閃光とともに消え失せた。


「やった!」


 兵士たちは歓声を挙げる。

 アルテミスは自分の『月光の矢』が通じたことに安堵の表情を浮かべたが、ぼやぼやしてはいられない、敵はもうすぐそこまで来ているからだ。


「みんな、魔力よ。少しでもいいから矢に魔力を込めなさい」


 それを聞いて、兵士たちは勇気を取り戻し、次々と矢を放ち始めた。


 ズドンッ、バシュンッ、ズドゥム!


 靄状生命体は、次々と閃光と爆音を放ちながら消えていく。中には消えずに小さくなったものもあるが、


「そうか、あいつらの被害は魔力の量に比例しているんだわ」


 アルテミスはそう見破った。

 兵士たちもその事に気づいたのだろう、次々と矢を放って少しずつ敵を削って行く者と、十分な魔力で一撃必殺を狙う者と、兵士たちは二つのパターンに分かれた。


「これなら何とかなるかも……」


 進撃を食い止めることにほぼ成功したように見えたアルテミスが、そうつぶやいたときである。


「えっ?」


 ほんの10ヤードまで近寄ってきた靄状生命体が、突然消え、次の瞬間にはアルテミス隊の戦列の目の前に現れた。


「うわーっ!」

「ひっ!」

「ぐわっ!」


 靄状生命体は、躊躇なく目の前にいたハイエルフたちを包み込む。包み込まれたハイエルフたちは、悲鳴に似た叫びとともに、閃光と爆音を放って消滅した。


「しまった、そんな動きをするなんて!」


 アルテミスは、目の前に現れた靄状生命体に包まれながら、そう叫んだ。


   ★ ★ ★ ★ ★


「宇宙は、不完全だ」


 アンティマトルは、ザールの目を見ながらそういう。


「生命あるものはやがて死に、形あるものはいつかは壊れる……余は永遠を求めた。一度形を結べば、未来永劫にその形は壊れない、そんな世界を求めたのだ。それこそが完成形だとは思わないか?」

「僕はそうは思わない!」


 ザールがきっぱりと言った。


「なぜなら、変わっていくことこそが自然だからだ。もし、あらゆるものの状態が一定で不変のものだったならば、宇宙は何物をも生まなかっただろう」


 アンティマトルは、それを聞いて笑って言った。


「フフ、人間の若造だと思っていたが、摂理については色々と考えておるようだな。そなたのような者を倒すのも惜しいが……」


 そして、アンティマトルはその目を緋色に燃え立たせて言った。


「……それでも余は、余の思う世界を見てみたい。そなたには消えてもらおう。『崩壊の序曲』!」


 アンティマトルは再び火球を放つ。その火球は、先にザールが避けたそれよりも数倍の大きさだった。


「くっ!」

 ――いかん、大きくて速い! これでは避けられない。


 ザールは迫りくる火球を見つめて、唇をかんだ。


 ズグァアアーン!


 恐ろしいほどの衝撃が空間を揺らし、解き放たれたエネルギーが、空間の温度をあっという間に鉄が融けるほどまでに上昇させた。


「さらば、摂理を求めし若者よ。余は世界の主宰者となった後、そなたを復活させるであろう。その時、余の造りし世界について、再びそなたと話をしたいものだな」


 アンティマトルは未だに光を放ち、灼熱の風が渦を巻いている空間にそう言って、次の飛翔のために翼を広げ始めた。

 その時、まだ煮えたぎる空間の中から、


「アンティマトル、そなたをここから逃がすわけにはいかん! 『魔竜の嚇怒(フローレムバースト)』!」


 ザールの声とともに、一条の熱線がアンティマトルの右目を貫いた。


「うおっ!」


 さすがのアンティマトルも、この突然の攻撃はかわせず、片目を焼き潰されてよろめき、呻いた。


「だあああーっ!」


 ザールは、いや、『止翼の白竜(ノイエスバハムート)』は、地獄の業火のような空間から飛び出してきて、そのままアンティマトルに肉薄する。その左手には、自身の体長にも及ぶおおきな剣を握っていた。


「喰らえっ!」

 ザシュッ!


 止翼の白竜の斬撃は、アンティマトルの鱗を叩き割ったのみならず、その皮膚すら斬り裂いた。その傷からは血ではなく、金色の『魔力と生命力』がほとばしる。


「ぐおっ? 小僧、なぜ貴様はあの業火で消滅しない?」


 アンティマトルの声に、初めて当惑と恐れの色が籠もる。止翼の白竜はそれには答えず、さらなる斬撃をその答えとした。


「でやあああーっ!」

 ドムッ!

「がっ!」


 次の斬撃は、アンティマトルの首筋に向けられた。身を捩ってかわそうとしたアンティマトルだったが、止翼の白竜の方が一瞬速く、致命傷ではないにしてもかなり深い傷をアンティマトルは負ってしまう。


「小僧、そなたはどうしてそんなにも、プロトバハムートの肩を持つ?」


 その問いに、止翼の白竜は答えた。


()()()()()()()()()()()()()からだ!」


 その言葉とともに、止翼の白竜は再び『魔竜の嚇怒』を叩きつけるように放った。


「ぐわーっ!」


 後ろから響いた止翼の白竜の声に反応して、振り返ろうとしたアンティマトルの左目を『魔竜の嚇怒』が貫いた。


「よくも……よくも余をここまで愚弄してくれおったな」


 アンティマトルはそうつぶやくと、止翼の白竜の気配を探り、


「小僧、思い上がるのもいい加減にせよ! 『灼熱の空域(プラズマシールド)』!」


 止翼の白竜の周囲を灼熱の空間で覆った。


「くそっ! このくらいの魔法……」


 止翼の白竜はそう言って自分を包み込んだ空間に突進するが、


 ドゴンッ!

「ぐはあっ!」


 空間の持つ圧力と温度に、止翼の白竜は火だるまとなって弾き返された。


「くっ、負けるもんか!」


 止翼の白竜は、『魔竜の業火(フローレムバースト)』で身体の炎を吹き飛ばし、アンティマトルを睨みつけた。


「ふふ、その空間はじきに収縮する。その高温の中で、素粒子にまで還元されて消滅すると良い」


 アンティマトルはそう言って笑うと、次元の裂け目を創りだした。光が乱反射している空間に、ゆっくりと歪みが生じ、その歪みがパックリと大きな口を開ける。ただし、アンティマトルがあまりにも巨大なため、この空間から転移できるほどの大きさになるには、もう少し時間がかかりそうであった。


「……ホルンを閉じ込めていたこの技は、『魔爪の剔抉(フローレムソード)』で切り裂けたじゃないか。きっとこの罠からも脱出できるはずだ」


 止翼の白竜は、緋色の目で自分を取り巻いて、だんだんと収縮している空間の壁を凝視していた。どこかに、どこかにこの術式の弱点があるはずだ。

 次元の裂け目は大きくなっていく、『灼熱の空域』は狭まってくる。

 止翼の白竜は、ジリジリするような焦燥の中、それでもできるだけ落ち着いて『灼熱の空域』の弱点を探し続けた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 靄状生命体は、躊躇なく目の前にいたハイエルフたちを包み込む。包み込まれたハイエルフたちは、悲鳴に似た叫びとともに、閃光と爆音を放って消滅した。


「しまった、そんな動きをするなんて!」


 アルテミスは、目の前に現れた靄状生命体に包まれながら、そう叫んだ。


 ――ごめんなさい、ジュチ。アタシのミスで作戦を失敗させちゃって。


 弾けるような感覚の中でアルテミスはそう考え、瞬間的に消し飛んでしまうことを覚悟した。

 けれど、いつまでも意識が途切れないことに、


 ――あれっ、なんでまだ意識があるの? それともアタシはもう宇宙の意識と一体になってるの?


 目をつぶったままアルテミスは、そんな事を考えていた。


「油断したらだめだと言っただろう?」


 アルテミスは、ジュチの声で目を開ける。ジュチの顔が目の前にあったので、アルテミスは顔を真っ赤にして叫んだ。


「ジュ、ジュチ? なんでここに?」


 するとジュチは、二人を包んでいたロングコートを広げながら、片方の眉を上げていう。


「キミのことが心配だったから、オトモダチに見てもらっていたんだ。部隊には後退命令を出したから、とにかくキミは作戦どおりに敵をひきつけてくれ」


 ジュチがそう言って消えると、アルテミスは第一の集結点まで下がっていた自分の部隊の中にいた。


「あっ、アルテミス様、次のご指示を!」


 先任の百人隊長が訊いてくる。アルテミスは少しぼうっとしていた頭をブルブルと振って、百人隊長たちに言った。


「ジュチ様のご指示どおり、次の集結点まで退くわよ。敵の動きに十分注意して、矢の雨を降らせてあげなさい!」



 一方、ガイ率いるアクアロイド部隊は、『妖精の軍団』の第一集結点と第二集結点の中間にある森の中に陣を敷いていた。

 ジュチの部隊が下がれば、『影の軍団』は否応なくこの森の中を通らねばならない。見通しの利かない森の中で、できるだけ『影の軍団』の頭数を減らすのがアクアロイド部隊に与えられた任務だった。


「ガイ様、『妖精の軍団』が打ち合わせどおり『影の軍団』を誘導してきました。森まであと100ヤードです」


 見張りの言葉を聞いたガイは、薄い唇を歪めて笑い、


「では、分隊ごとに敵を削れ。敵は10ヤード程度まで近寄ったら急に動きが速くなるそうだ。その点に注意して、決して近接戦闘はするな」


 そう命令を下した。


「了解しました!」


 精悍なアクアロイドたちは、その言葉を残して森の中に散ってゆく。

 やがて、移動してゆく『妖精の軍団』を見送ったアクアロイドたちの目に、ゆっくりと前進してくる靄状の生命体の群れが見えだした。


「敵が森に入りました!」


 斥候がそう報告する。ガイは『風の耳』で全部隊に号令した。


“全員、かかれっ!”


 アクアロイドたちは、五人で一組となって、一体の靄状生命体に鱗の手裏剣を打ち始めた。もちろん、アルテミス隊からの報告で手裏剣には魔力を込めている。


 ドン、ドドン、ドン、ドン……。


 あちこちで、手裏剣が靄状生命体に触れて靄状生命体ごと消滅する音が響き始める。『影の軍団』の兵たちは、それでも身じろぎ一つせず、淡々と前進してくる。


「ガイ様、奴らは一言も喋りませんし、音すら立てません。こんな敵とは初めて出会いました。いつもと勝手が違うので、みんなも戸惑っているようです」


 先任の百人隊長が言うと、ガイはひどく酷薄そうな笑いを浮かべて言う。


「相手がこれまでの敵とは違うことは最初からわかっていたことだ。こちらも淡々と相手を削ってやればいい――みんなにはそう伝えよ」

「分かりました!」


 そう言って前線に戻ろうとする百人隊長に、ガイはふと気づいたように言った。


「なにか敵が変わった動きをしたら知らせてくれ」



 ジュチは、森を抜けてきたアルテミス隊の動きや森の中での戦闘の様子を、オトモダチであるアゲハチョウたちを通じて確実に掴んでいた。

 アルテミス隊は、なんとか森を抜けて第二集結点に陣を敷くことに成功していた。


 ただ、相手のことをよく知らずに接敵したため、仕方ないとはいえ一時的に統率が乱れてしまい、200程度の損害が出ていた。混乱に気づいたジュチがアルテミスに代わって後退命令を出したので、どうにか敵との距離を開けた状態で森へと後退できたが、それでもガイ部隊の奮戦がなければ、森の中で全滅していたかもしれない。


 ガイの部隊は、当初こそ森の中に散開して『影の軍団』を包囲するように攻撃していたが、多勢に無勢で包囲輪を破られた後は、逐次後退しながら森の出口を目指していた。それでも、アクアロイド部隊は横に伸びた戦線を維持し、敵が後ろに回れないような行動をしているのは流石である。


「流石にアクアロイド部隊(おサカナさんたち)はこうした戦いは上手い。アルテミスも一度接敵して相手のことを判っているはずだから、さっきのような混乱した状況にはならないだろうな」


 ジュチは第三集結点でそうつぶやいていた。



 そのころ、ガイの部隊では大きな動きがあった。

 『影の軍団』たちが、それまでの前進一辺倒から動きを変え始めたのである。


 最初にそれに気づいたのは、両翼にいる分隊長たちだった。

 彼らは、『影の軍団』から部隊ごと包囲されるのを防ぐために、敵が延翼運動を始めたらいち早くガイに知らせる任務も持っていたのだから、すぐさま敵の動きが今までとは違ったパターンであることを見抜いた。

 『影の軍団』は、重厚な横陣を組んで前進してきていたのだが、


「中央に行くにしたがって敵の前進速度が遅くなっているぞ」


 翼端の分隊長は、すぐ隣の中央側で戦っている分隊の位置がだんだんと前へとずれていくことに気づいた。

 それはつまり、全体的にアクアロイド部隊は中央が突出した陣形になってしまっていることを意味していて、仮に戦列を破られればそれより中央部に位置する分隊はすべて敵の包囲の中に捉われてしまう危険性があるのだ。

 そのことはすぐにガイへと知らされた。


 さらに、大きな変化があった。

 それは、靄状生命体はそれまで直径1・5メートルほどの球体だったのが、合体し始めたのだ。


「こ、こいつら、合体しているぞ!」


 その報告を受けて、ガイは自分の部隊が置かれた危うさをすぐさま察知した。敵はアクアロイド部隊を完全包囲し、一気に全滅させようとしているのだ。


 ガイは困難な状況に追い込まれた。

 統制を保ったまま敵の包囲から逃れるには、両翼の分隊は敵の両翼の前進速度より速く後退しなければならない。

 しかし、それに見合う速度で中央の部隊が後退しないと、戦列を突破されて中央の隊は包囲されてしまう。


 中央を包囲されないようにするためには、相手と戦いながら速度を速めて後退する必要がある。『戦いながら全速で後退する』のは、文字で書くほど易しくはない。相手があるからだ。

 しかも、その後退速度が敵の翼端部の前進より遅い場合、全軍が包囲されてしまう。


 ガイは、急いで中央部の戦線へと足を運び、そこでの戦いを目の当たりにして、


「……これは、中央部を敵に食わせるか、全軍が餌食になるかだな……」


 そう覚悟した。中央部の靄状生命体は単に前進するだけではなく、幾本もの触角のような腕を伸ばしてきて、アクアロイドの動きを牽制し始めていたからである。

 ガイは、手近にいた分隊長を呼ぶと、


「両翼の指揮官に伝えろ。『適宜戦闘を切り上げて全速で後退せよ。集合場所はジュチ殿の指定の場所とする』とな。急げ!」


 と命令する。これは中央部を切り離して囮となり、その間に両翼の部隊だけでも救おうという処置だった。

 ガイの命令を聞いて、中央部の指揮官や兵たちは顔色を変えた。自分たちが囮にされたと感じたのである。


 けれど、彼らのそんな思いは、次の瞬間に消え去った。ガイが蛇矛『オンデュール』を振り上げて叫んだからである。


「この中央部隊の指揮は、現時点からガイ・フォルクスが執る。全分隊、下がりながら左へと退路を変えろ! そうすれば生き延びられるぞ」


   ★ ★ ★ ★ ★


 カッパドキアに残されたリディアとロザリアは、ホルンとオリザの出血が止まったことで一安心していた。


「あとはオリザが目を覚ましてくれればいいのじゃが」


 ロザリアがじれったそうに言う。こればかりは周囲の者がどれだけ焦っても仕方ない。そのことは二人とも十分に判ってはいるのだが、


「早くしないとザールやジュチが苦労するよ」


 リディアも、遠くバビロンの方角を眺めてはつぶやく。

 その時、


「う……う~ん……」


 そう、ため息のような声とともに、ホルンがゆっくりと目を開けた。まだ状況がつかめないのか、ぼうっとした顔で真っ青な空を眺めていたが、


「おお、女王様、お気づきになられたのじゃな」


 というロザリアの声で、ホルンはゆっくりとロザリアの顔を見てポツリとつぶやいた。


「ロザリア……ここはどこ?」

「カッパドキアの『アルベドの神殿』の庭じゃ。アルベドは女王様とザール様で見事封印されましたぞ!」


 ロザリアが言うと、だんだんと前後の記憶を取り戻してきたホルンは、ゆっくりと身体を起こした。


「……思い出してきたわ。私はアルベドから斬られたんだった。けれど、ザールがあいつを封印してくれたのね……ザール、そうよ、ザールは何処!?」


 ホルンが顔を上げて訊くと、リディアが言いにくそうに答えた。


「……実は、アンティマトルが目覚めたからって、女王様とオリザをアタシたちに預けて戦いに出ました」


 それを聞いて、


「何ですって!? あっ!?」


 驚いて立ち上がったホルンだったが、すぐにふらついて倒れそうになる。


「危ない、女王様」


 ロザリアが慌ててホルンを支え、ゆっくりと座らせて言った。


「女王様はだいぶ血を失っておる。ガイのヒールポーションがなければ生命に関わったかもしれんのじゃ。もうしばらくの間、ゆっくりされてください」


 しかし、ホルンは首を横に振って決然として言った。


「そんな暇はありません。見たところジュチもガイもいないのは、彼らも何者かと戦っているからでしょう? 正直に答えてください」


 ロザリアとリディアは顔を見合わせたが、ホルンの憤然とした眉を見て、ごまかしは効かないと悟ったのだろう。


「ジュチとガイは、『影の軍団』と戦うためにバビロンへと行きました」


 そう、リディアが答えた。

 それを聞いて、ホルンは顔に血の気を蘇らせて言った。


「よく教えてくれました。では、私はザールを助けに行きます」


 そう言うと、『死の槍』を握りしめて立ち上がり、


「……見たところ、オリザはまだ意識が戻っていないようね。リディア、ロザリア、オリザを頼むわよ。オリザがいれば、私たちは何とかなるわ」


 そう言うと、フェザードラゴンの翼を広げ、一飛びで雲に届くほど跳躍したホルンは、そのままバビロンの空へと消えて言った。


「……行っちゃった」


 リディアが言うと、ロザリアは唇を引き結んで言った。


「とにかく、一刻も早くオリザに目覚めてもらわねばならぬ。リディア、相談がある」


   ★ ★ ★ ★ ★


「……ホルンを閉じ込めていたこの技は、『魔爪の剔抉(フローレムソード)』で切り裂けたじゃないか。きっとこの罠からも脱出できるはずだ」


 止翼の白竜は、ジリジリするような焦燥の中、それでもできるだけ落ち着いて『灼熱の空域』の弱点を探し続けた。


 ――くそっ、もう時がない。


 アンティマトルは別の次元へと飛び立つための準備は終えていた。あとは『次元の裂け目』が彼の身体を通すほど十分に大きくなれば、アンティマトルはこの空間から飛び立ち、恐らく二度と異次元空間で捉えることはできなくなるだろう。


 そうなると、戦いはバビロンの上空で行われることになる。そうなったら、どれだけの被害が出るか、ザールには想像もつかなかった。


「……あった……」


 焦りながらも、止翼の白竜たるザールの緋色の瞳を持つ右目は、ついに『灼熱の空域(プラズマシールド)』の弱点を見つけ出した。それはほんの少しの歪みだったが、一刻を争う今、そこに突破の望みをかけるしかなかった。


「行くぞっ! 『魔爪の剔抉』!」

 ギャンッ! ズギャギャギャ……。

 バチバチバチバチバチ!

「ぐぐぐ……」


 止翼の白竜の爪は、見事に空間の歪みを捉え、『灼熱の空域』の見えない壁を切り裂き始める。とともに、耳をつんざくような金属音とともに火花が散り、『灼熱の空域』の内部の温度を急激に上昇させ始めた。


「くうう……」


 超高温の空間を切り裂く止翼の白竜の右手の周りに、真っ白い炎が燃え立つ。その炎は腕をつたい、身体や翼まで燃え上がらせていた。


 ――この空間が壊れるのが早いか、僕が燃え尽きるのが早いかだ!


 止翼の白竜は歯を食いしばり、六つの翼を大きくリ広げながら呻いた。

 ああ、もうすぐ『次元の裂け目』がアンティマトルを通すほどの大きさになる。麗しい僕のふるさと、ホルンやみんなと過ごした場所が灰になる……そんなこと、させてたまるか!


「僕は、守るために、ここにいるんだ!」


 止翼の白竜の叫びとともに、


 ギャウンッ!

 ドギュワーン!


 アンティマトルが驚いて振り向くほどの空震と、破壊音と、そして強烈な熱波を発しながら、『灼熱の空域』のシールドが弾け飛んだ。


「おおうっ、余の『灼熱の空域』を破るとは!」


 いよいよ飛び立とうとしていたアンティマトルは、止翼の白竜の能力に驚いて絶句する。そこに、高熱でぼろぼろになりながらも、止翼の白竜の姿を解いたザールが『アルベドの剣』を握って現れる。


「……驚いたよ小僧。大した能力ちからだな」


 アンティマトルは心底そう思っていた。実際、自分から光を奪い、畢生の『崩壊の序曲』に耐え、『灼熱の空域』を破った敵を知らなかった。


 しかし、ザールの方も、その魔力や体力はほぼ限界に来ていた。


 ――あと一撃、一撃でアンティマトルを倒さねばならない。そのためには……。


 ザールは、巨大な敵を必ず仕留めるために、自らを犠牲にする決心を固めた。


「僕は、守るために、ここにいるんだ……ホルンや、みんなや、未来を救うために」


 ザールは目を閉じて深呼吸した。巨大な相手、そして人生において最も手強く、価値ある敵、アンティマトル……僕は今、そいつとともに、平安の中に行くのだ。


「だが、余はそなたに倒されるわけにはいかないのだ。良き敵よ、余はそなたを殺さぬ、そなたもこれ以上、余に手を出すな」


 アンティマトルがそういった瞬間、ザールは目にも留まらぬ速さで前へと飛んだ。


「受け入れてくれぬか、残念だ」


 ザールの魔力が近づいてくるのを感じ取り、アンティマトルは身体中を『魔力の揺らぎ』で覆った。

 だが、ザールはそれに頓着せず、アンティマトルの口の中に飛び込んで行った。


「ぐっ! 小僧、何をするつもりだ!?」


 アンティマトルはそう叫んだが、ザールの考えていることを読み取ったのか、


「そうか、小僧、貴様の勝ちだ! しかし、余がただでそなたとともに消滅すると思うなよ? そなたの世界を焼き尽くし、余とともに終わらせてくれる!」


 アンティマトルはそう言うと、次元の裂け目にその巨体を滑り込ませようとした。


「あなたはそこでプロトバハムート様のところに還るのよ!」

 ジャリンッ!

「おおうっ!?」


 アンティマトルは、別次元から来た金髪に金色の瞳をした女性から、刃渡り60センチもある槍で次元の裂け目へと叩き落された。

 アンティマトルは、ホルンの魔力を感じ取ると、驚愕したように叫んだ。


「……女神ホルン、そなたは時空の狭間で眠りについたのではなかったのか?」


 ホルンは、『死の槍』を構えながら言った。


「運命を受け入れる時が来たのよ。あなたも、運命を受け入れなさい」


 アンティマトルは、絶望の中で激高して叫んだ。


「運命だと! 余は運命の下風には立たぬ、運命こそ余の前にひざまずくがいい! 女神ホルンよ、止翼の白竜とか言う小僧とともに消えろ!」


 そして、超特大の『崩壊の序曲』を放った。


「無駄よ、『時空の排反事象(ノンパラドックス)』!」


 ホルンは白い翼を広げ、翼から『魔力の揺らぎ』を放つ。その魔翼は膨大なエネルギーを持つ『崩壊の序曲』を跡形もなく消し去った。


「なん……だと……」


 アンティマトルは、自分が放った『崩壊の序曲』の魔力が、あっという間に跡形もなく消え去ったのを感じ取って絶句した。そして、猛り立っていた『魔力の揺らぎ』も、しぼんだように静かになっていく。


「……ここから出てこないのであれば、プロトバハムート様もあえてあなたを倒せとはおっしゃらないと思うわ。どう、またここで静かに眠ってくれないかしら?」


 『死の槍』を身体の横に立てて言うホルンの言葉を聞きながら、アンティマトルは自分の身体の中に起こる不吉な変化を感じ取った。どうやら、自分もあの胸糞悪い『運命』とやらからは逃げられないらしい。


「……それなら、『預言』という『運命』の導くまま、この次元での余は終わりにしようではないか」


 アンティマトルはそうつぶやくと、ホルンに笑いながら言った。


「女神ホルンよ、余からの最後の忠告だ。そこをどけ。さもないとそなたもろとも次元の狭間で粉微塵になるぞ」


 ホルンは翠の瞳を持つ目を細めて答えた。


「……ザールね? だったら私は、ザールを一人で逝かせはしないわ。あなたも、私も、そしてザールも、みんな『預言』の中の存在で、プロトバハムート様との関係者よ。一緒に砕け散るのもいいんじゃないかしら?」


 その答えを聞いて、アンティマトルは天に届かんばかりの大声で哄笑した。


「面白い、面白いぞ女神ホルン。では、我らみんなで宇宙へと還ろう」


 アンティマトルがそう言った途端、その身体は光とともに砕け散った。


「きゃああ!」


 その爆風と高熱は、ホルンを包み込むと、次元の裂け目を超えて噴出していった。


   ★ ★ ★ ★ ★


「ガイの部隊が食い破られたね。ちょっとまずい形勢かな?」


 ジュチは、『影の軍団』の形状変化や動きの変化に気づいてそうつぶやく。

 しかし、オトモダチであるアゲハチョウたちからの情報で、ガイの部隊の動きや位置を知ると、


「……そういえばガイは近くには川があるって言ってたっけな。では、奴らをこっちに釣る作戦のほうが有意義だな」


 ジュチはそう言うと、アルテミスに驚くべき命令を下した。


「アルテミス、いよいよ仕上げにかかる。部隊を率いて『影の軍団』たちにギリギリまで近寄って、奴らを『魔力の門』までご案内してくれ。ボクの200も預けるから、よろしく頼むよ」


 そう命令を下すと、彼は一目散に『魔力の門』を目指して飛んで行った。


「みんな、いよいよ決着をつけるよ。アタシに続け!」


 アルテミスは弓を振り上げて、部隊に前進命令を発した。



 ガイの部隊は、『影の軍団』に包囲されたとはいえ、ガイ自身の直接指揮によって部隊の士気も統制も保たれていた。そしてガイは少しずつ部隊を川辺へと誘導していった。

 『影の軍団』からは、触手のような靄が急に伸びてきて、アクアロイドたちにダメージを与えようとしているようだったが、ガイが事前に、


「触手には相手になるな。ただ避けるんだ」


 と注意していたこともあり、大きな損害は受けなかった。


「いいぞ、このままあと1ケーブル(この世界で約185メートル)引けば川岸に出る。そこまで行ったらあとは川に潜ってこの包囲から脱出するぞ」


 ガイはそう言って部隊を鼓舞する。川は水という物質の集まりであり、反物質である『影の軍団』たちがその気になって触れれば消滅する。


 しかし、川は次から次へと水が流れてくる。『影の軍団』が下手に川に入ってきたら、それだけでエネルギーとして拡散してしまうだろう、ガイはそう読んでいた。

 その時、


「ガイ様、奴らが向きを変えて動き始めました!」


 重囲に陥っていたアクアロイドたちは、『影の軍団』が急に包囲を解いて、一散に南東の方角へと動き始めたのを見てそう叫んだ。


「……うむ、ジュチだな」


 ガイは自分たちには目もくれずに速度を上げて転回した『影の軍団』の動きを見てそう悟った。そして周りにいる百人隊長たちに言った。


「やれやれ、せっかく一泡吹かせてやろうと思ったのだが……まあ、せっかく水辺まで来たんだ、川を伝ってジュチ殿のところまで転進しようか」



 アルテミスは、『影の軍団』が見事に引っかかって自分たちを追撃し始めたことを知って、にんまりとした。


「来た来た。さあみんな、あいつらを地獄にご案内するんだよ。うまく矢を叩き込みな」


 アルテミスは、自身も矢を叩き込みながら、第三集結点の方を見た。

 その時、ジュチから“風の耳”で指令が入る。


“アルテミス、見事に引っ掛けたみたいだね。それじゃ、予定を変えてやつらを『魔力の門』まで連れてきてくれないか? ガイたちの合流がちょっと早まりそうなんだ。早めに決着をつけよう”


 アルテミスは頭を回してジュチやサラーフたちがいる地点へと視線を向ける。ここからだったら『影の軍団』に捕まらない進路が取れる。


“分かった、そこまで四半時くらいで着くよ。準備しておいてね”


 アルテミスはジュチにそう返事をすると、部隊に号令した。


「転進方向を変える。最終集結点に直接向かう。各隊長は部下を掌握して、迷子を出さないようにして」


 アルテミス隊は、運命の転回をした。



 最終集結点では、ジュチがサラーフやヌールに笑顔で話しかけていた。


「全員の魔力の集結は終わったかい?」


 ジュチが聞くと、二人の副将もニコニコして答える。


「準備万端、整ってます」


 ジュチがうなずいたところに、ガイが顔を出した。


「できたようだな」


 ガイの短い問いに、ジュチも短く答える。


「キミたちで最後だよ」


 ガイはそれを聞いて頬を緩めて言った。


「分かった、我らもスタンバイする」

「お願いするよ。あの丘の中腹がいいね」


 ジュチは、自分がいる丘の右手にある丘陵を指差して言う。ガイはしばらくその起伏を眺めていたが、


「では、スタンバイする。いつでも指示をくれ、軍師殿」


 そう言って、部隊を率いて走り去った。


「さあ、こちらもスタンバろうか。みんなの今までの苦労に報いなきゃいけないね」


 ジュチもそう言って笑った。



 アルテミス部隊は、『影の軍団』と50ヤードから100ヤードの距離をおいて戦闘を続けていた。最初の頃と違い、靄状の生命体は一塊になって、幅400メートル、奥行きは800メートルに達するほどの大きさになっている。


「こんなに大きいやつを、ジュチは本当にどうにかできるのかな?」


 アルテミスは少し不安になった。


「でも、ジュチのことだから、相手が変化したことくらいは気付いているだろうし、それへの対策も考えていることだろうね」


 アルテミスはそう考えて、『相手をおびき寄せること』に全力を払った。

 やがて、目の前に両側を切り立った崖で挟まれた地形が見えてくる。ここが、『影の軍団』をおびき寄せる終着点で、奴らの墓場となるはずの場所だ。ここでアルテミス隊はぐんと速力を上げた。その後の作戦に支障をきたさないようにするためだ。


「アルテミス、渓谷に入ったら全速力で駆け抜けろ。上もシールドするからな」


 渓谷の入り口に陣取ったサラーフが現れて、大声で言っている。アルテミスは了解の意味を込めて弓を振った。


「みんな、渓谷に入ったら走るよ」


 アルテミスはさらに速力を上げて、渓谷に突入した。


「よし、敵さんが渓谷にかかったぞ!」


 アルテミス隊に遅れること5分、『影の軍団』もそれまでのゆったりしたペースが嘘のような高速で、アルテミス隊を追って渓谷に侵入した。


 そのころアルテミス隊は、ジュチの合図で『転移魔法陣』を使って渓谷を見下ろせる稜線に出ていた。今、渓谷には『影の軍団』だけしかいない。


「敵さんの最後尾が渓谷に侵入しました!」


 見張りの声を聞いて、サラーフとヌールの両部隊は、


「待っていたぞ!」


 とばかりに魔法を発動し、渓谷そのものを巨大な檻にしてしまった。


「さて、ボクの出番かな?」


 ジュチは背中のオオミズアオの羽を広げて渓谷の直上にまで出ると、


「悪いが、キミたちとは住む世界が違いすぎるんだ。おとなしく異次元でゆっくりしてくれたまえ」


 そう言いながら、渓谷全体に『永遠の回廊(エンドレスコリドー)』を発動した。

 『影の軍団』は、突然現れた異次元への入り口を、なんの迷いもなく奥へと入っていく。その先には、ガイたちの『魔力の揺らぎ』を結集して練り上げた『魔力の玉』が仕掛けられていた。『影の軍団』は、それを攻撃目標と誤認して、いもしない敵を求めてまんまと『永遠の回廊』に捕まったのである。


「よし、これで封鎖だ!」


 ジュチは、靄状生命体の最後尾が間違いなく『永遠の回廊』に入ったのを確認して、ガッチリとした魔封印をかける。


「おめでとうジュチ、さすがだわ。でも、相手は反物質って言ったでしょう? 魔法や次元空間が奴らと反応することはないの?」


 ジュチが尾根に戻ると、そこにはアルテミスが待っていて、お祝いの言葉と心配を言った。ジュチは片眉を上げてアルテミスに答えた。


「空間は入れ物だ。物質だろうが反物質だろうが入れ物自体には反応しない。魔法についてだが……」


 ジュチは鋭い目で『永遠の回廊』を見つめると言った。


「……あいつらが何らかの方法で封印に触れても反応しないように、封印の上に反物質のシールドを張っている。これはガイたちアクアロイド(おサカナさん)の協力がなければ、そこまで精緻な罠は編めなかった」


 そう言っているところに、ガイがやってきて訊いた。


「やつら、あのままにしておくのか?」


 ジュチは笑って言った。


「ああ、ガイ、協力感謝するよ。あいつらは罠ごと別の次元空間に転移させるよ。そうしないと爆弾を抱えているようなものだからね? 協力してもらえるかい?」

「喜んで」


 ガイが薄く笑って言うと、ジュチは早速、右手を『永遠の回廊』に伸ばした。ガイもうなずくと、同じように右手を伸ばす。


「あ、アタシも手伝うよ」


 アルテミスもそう言うと、右手を伸ばした。

 ジュチは二人に笑いかけると、呪文を詠唱し始める。


「Cendorinia, teremakov ici demoritocus, ans de la reale, Omtibas terasuricica has rules end, suisad,para bellum. Aus teravorta, keremasutyv ici, lasterde endress-corridor……」


 ジュチの身体が翠色の光に包まれ始めた。アルテミスはそんなジュチの横顔を誇らしい思いで見つめていた。


「わが高貴なるハイエルフにとって最も親愛なる風と光よ、その力でもってあれなる異次元の存在をそのあるべき所に転移せしめたまえ!」


 すると、巨大な『永遠の回廊』は、一瞬光を放ったかと思うと、次の瞬間には消えてなくなっていた。


「……さて、これですべてが終わった。あとはザールたちが……」


 ジュチがアルテミスとガイに向き直って話しかけたが、その言葉は途中で途切れた。ジュチはアルテミスたちの向こう側を碧眼に驚きを込めて見つめている。


「何、ジュチ? なにかびっくりするものでも……」


 そう言って振り返ったアルテミスも、衝撃の光景に目を見張った。


 天が、裂けていた。


 そこだけ空の青を切り裂くように、空に長い裂け目が開いていた。その周囲には光の帯が長く続き、裂け目の中は真っ黒だった。

 そして三人が固まってしまったとき、


 ピカッ!

 ズドドーン!


 まるで雷鳴のような音が轟き、天の裂け目から巨大な火の玉がいくつも落ちてきた。


()()は、()()()ぞ」


 ジュチが絞り出すような声でいう。その意味を聞こうとアルテミスが口を開きかけたとき、突然まばゆい光がひらめいたあと、超高温の爆風が音速を超える速さで三人を薙ぎ払った。


   ★ ★ ★ ★ ★


 ザールはアンティマトルの口の中に飛び込んで行った。


「ぐっ! 小僧、何をするつもりだ!?」


 アンティマトルはそう叫んだが、ザールはそれに構わずにアンティマトルの胃まで到達すると、『アルベドの剣』を構えて、胃壁に突き刺した。


 いや、正しくは、胃の中から心臓を突き刺した。

 そして、ザールはそのまま呪文を詠唱する。


「わがドラゴニュート氏族の血よ、汝の猛々しさで、摂理に背く存在を折伏し、もって女神ホルン様の慈愛と、プロトバハムート様の正義を地上に完成させ給え。喰らえっ! 『終焉への咆哮(カタストロフ)』!」


 ザールは、持てる魔力のすべてを込めて、プロトバハムートの奥義とも言うべき技を放つ。その魔力は、アンティマトルの体内で開放されたため一点へとは向かわず、ザールの周囲の空間を同心円状に破壊していった。


「くっ!」


 そのエネルギーは、ザールの精神をも焼き尽くそうとするほどのものだった。


「アンティマトル、そなたの思い通りにはさせない!」


 ザールは、燃え尽きていく意識の中で、そう叫んでいた。



「女神ホルンよ、余からの最後の忠告だ。そこをどけ。さもないとそなたもろとも次元の狭間で粉微塵になるぞ」


 ホルンは翠の瞳を持つ目を細めて答えた。


「……ザールね? だったら私は、ザールを一人で逝かせはしないわ。あなたも、私も、そしてザールも、みんな『預言』の中の存在で、プロトバハムート様との関係者よ。一緒に砕け散るのもいいんじゃないかしら?」


 その答えを聞いて、アンティマトルは天に届かんばかりの大声で哄笑した。


「面白い、面白いぞ女神ホルン。では、我らみんなで宇宙へと還ろう」


 アンティマトルがそう言った途端、その身体は光とともに砕け散った。


「うおおおーっ! プロトバハムートめ、余は、余は絶対に諦めぬぞ……たとえこの生がここで尽きるとしても、余は次の世界で宇宙の主宰者を目指すであろう!」


 アンティマトルは、そう叫びながら、身体の中から燃え出すように、爆発的なエネルギーの噴出によって、粉々に砕け散ったのだ。

 その身体はチリとなり、チリは原子となり、原子は素粒子となり、そして最後にはエネルギーの塊となって、空間へと還っていった。



 ザールの『終焉への咆哮』の影響は、それだけに留まらなかった。


「いけない! ここでアンティマトルが炸裂したら、その力は地上に届いてしまう!」


 ホルンは、刹那の間にこれから起こることを正確に理解した。次元の狭間にいるアンティマトルの身体が膨大なエネルギーとなったら、その影響は次元の歪みでつながっているバビロンにまで及ぶ。


「くそっ!」


 ホルンはとっさに、破裂するアンティマトルの身体を『死の槍』で亜空間へと突き落とそうとした。ホルンの行動は速かったが、それでも爆発までには間に合わなかった。

 ホルンの目の前で、超高温のエネルギーが、光速で炸裂した。


「きゃああ!」


 その爆風と高熱は、ホルンを包み込むと、次元の裂け目を超えて噴出していった。


 ゴワーン!


 アンティマトルの身体はいくつもの強力で灼熱した火の玉となって、次元の裂け目から地上へと降り注いだ。



 それはまるで、光と炎の大瀑布だった。


 ズドン!

 ダーン!

 ズガーン!


 超高温の光球が、いくつもいくつも、地上に落下しては爆発した。


 ドドドドド……


 火球の衝突による振動と、その後の爆発による衝撃で、大地は地震のように震えた。


 グワーン!

 ズバーン!


 地上ではあちこちで建物が崩壊し、草木や作物は地獄のような猛火に包まれた。


 幸い、バビロンにはすでに人はいなかったが、火球の落下範囲はバビロンを中心に半径200マイル(この世界で約370キロ)以上にも及んだため、『肥沃な三角地帯』に住んでいた人々や、サルサル湖畔に難を逃れた人々にも、火球は容赦なく襲いかかった。


「これはいかん、将兵を集めて全員で上空に『魔力の揺らぎ』でシールドを張れ! できる限り被害を少なくするのじゃ」


 サルサル湖畔では、ティムールが全軍に命令を発していた。



 天が、裂けていた。


 そこだけ空の青を切り裂くように、空に長い裂け目が開いていた。その周囲には光の帯が長く続き、裂け目の中は真っ黒だった。

 そして三人が固まってしまったとき、


 ピカッ!

 ズドドーン!


 まるで雷鳴のような音が轟き、天の裂け目から巨大な火の玉がいくつも落ちてきた。

 その火の玉は地上に激突すると大爆発を起こし、周りのものをすべて薙ぎ払い、焼き払っていく。


 ズドン! ズドカン!


 三人が立ち尽くす丘の麓にいくつかの光球が衝突して炸裂した。


()()は、()()()ぞ」


 それで我に返ったジュチが、絞り出すような声でいう。その意味を聞こうとアルテミスが口を開きかけたとき、突然まばゆい光がひらめいたあと、超高温の爆風が音速を超える速さで三人を薙ぎ払った。


   ★ ★ ★ ★ ★


「あれは、何事なのさ?」


 カッパドキアの『アルベドの神殿』では、南から聞こえる轟音と、真っ赤に染まった空を見て、リディアが叫んでいた。


「バビロンが燃えておるのじゃ」


 ロザリアが、紫紺の瞳を持つ目を細めて言う。

 リディアは頭を振って言った。


「それは分かってる。なんでバビロンが燃えているのさ? まさか、ザールがアンティマトルに……」


 顔を青ざめさせるリディアに、ロザリアはみなまで言わせずに、


「それはありえん。仮にアンティマトルが勝っていたとしたら、今ごろアンティマトルはこの神殿に来ているはずじゃ。アルベドを復活させるためにな」


 そう言って、眠っているオリザを見つめた。


「早くオリザが目覚めてくれれば、女神ホルン様の力であの惨状も何とかできるのかもしれんが」


 ロザリアがいうと、リディアはオリザのそばにひざまずいて、オリザに話しかけた。


「オリザ、アタシたちのザールがピンチなんだ、君にしか助けられないんだ。だから早く目覚めてよ」

「……アルベドから剣で刺されたとき、かなりの血を失っておるからのう。あまり無理もさせたくはないんじゃが」


 ロザリアがそう言って涙をこぼす。この大事な時に、ザール様のお役に立てないなんて!……ロザリアは悔しそうに唇を噛んだ。

 その時、オリザの身体が金色の光を発し始めた。


「!? オリザ、起きたのか?」


 ロザリアが恐る恐る訊くと、オリザはゆっくりと目を開けた。


「これは……」


 そのオリザの顔を見て、ロザリアは絶句する。


「あっ、オリザ。良かった、目覚めたんだね? ザールたちが危ないんだ、助けてくれない?」


 リディアが顔を輝かせてオリザに言う。しかしオリザは、すうっと立ち上がると、リディアとロザリアに言った。()()()()()()()()()()()()()


「安心せい、預言に書かれていた時が成就した。このオリザ能力ちからを必要とする時が来た。ホルン女王に籠もった魂を開かせたように、私が責任持ってこの娘に宿った『女神ホルンの力』をひきだそう」


 その声は、ロザリアには聞き覚えがあった。いや、リディアにもである。


「し、師匠? 師匠は女神ホルンの転生ではなかったのか?」


 ロザリアが思わず訊くと、オリザは少し人を小馬鹿にしたような微笑みを二人に向けて言った。


「私は女神ホルン様の魂と能力ちからを半分宿していたに過ぎぬ。私自身の魂とはまた別にな」


 そう言うと、オリザは眩しいまでの暖かい光に包まれた。


「オリザよ、そなたがこの世に生まれた理由を成就しにまいろう」


 オリザはそう言うと、光に包まれたまま、バビロンへと飛んで行った。



 オリザ・サティヴァ。

 父はザールと同じサーム・ジュエルだが、母は正室アンジェリカの侍女だったエルザ・サティヴァである。エルザはアンジェリカに呪いをかけさせ、サームの寵愛を受けてオリザをもうけた。


 エルザはザールを廃し、我が娘オリザをサームの跡継ぎにしようと画策していたが、やがてオリザが成長し、ザールのことを好きになったと知るや、エルザはオリザをザールの正室にしようと努力しだした。ファールス王国では、『異母きょうだいは結婚できる』決まりがあったからだ。


 オリザとザールが結婚すれば、トルクスタン侯国は手を汚さずにオリザのものになったも同然である。サームのたった一人の嫡子であるザール、侯国の人々から『白髪の英傑』として慕われ、期待もされていたザールを亡き者にするというリスクも侵さずに済む。


 オリザは、美しい金髪にペールブルーの瞳を持ち、活発で好奇心旺盛、そして生き物が大好きで、誰とでもすぐに仲良くなる優しい娘へと成長した。


 そんな彼女の口癖は、『お兄様はワタシのもの』であったが、ザールの方は6つ下の妹であるオリザを、妹として可愛がっていた。


 その彼女がホルンの軍勢に加わったのは、『神の魔法』である『オール・ヒール』を使いこなす少女であったからだ。

 遠征中は戦いの場には立たず、というよりザールの命令で戦わせず、ただ将兵の傷を癒やす役割を与えられていたが、オリザはそれを不満に思うでもなく、たくさんの将兵や地域の人々を癒やし続けてきた。


「お兄様が、危ないの?」


 オリザの意識は覚醒していた。

 ただオリザは、女神ホルンの力を発現するため、女神に自分自身の肉体と生命力を預けたのである。


『オリザ、あなたの力が必要な時が来ました。ただ、その能力ちからは人間としてのあなたの存在を危うくするでしょう。それでもすべての人々のため、あなたの力を使ってもらえますか?』


 意識が覚醒してすぐに、そう心の中に話しかけられ、わけが分からずびっくりしたオリザだったが、


『ザールは自らの生命と引き換えにアンティマトルを倒しました。ホルン・ジュエルも、ジュチ・ボルジギンも、そして仲間たちもほとんどが、バビロンとその周辺の人々とともにこの戦いの犠牲となっています』


 そう聞いて、心臓が止まる思いだった。


「お兄様も、ホルン女王も、ジュッチーも……みんな? みんな、死んだの?」


 オリザは、ぐるぐると回る頭の中で、ザールやジュチたちと過ごした日々を思い出していた。

 みんな、他愛もない話をして笑った。

 ザールや仲間たちの活躍を見聞きして、胸を躍らせていた。

 ホルンと最初に会ったとき、『なんて素敵で、美人なんだろう』と思った。ホルンとザールの仲にもやもやしたり、嫉妬したり、すねたりもしたけれど、


 ――アタシはやっぱりお兄様がスキで、ホルンさんに憧れている。


「……だから、アタシは……アタシしかできないのだったら、アタシが女神様に選ばれたんだったら、女神様とともにガンバる!」


 そう決心したオリザだった。



 バビロンとその周辺は、地獄のような有様だった。

 あちこちに巨大な穴が空き、ちょっと見には流星の大群が襲ってきたようだった。

 あちこちの村や町は完全に崩壊した建物の瓦礫で覆われ、瓦礫の下にはたくさんの人たちが埋まっているのだろう。うめき声や泣き声が周囲から聞こえてくる。


 森という森、畑という畑は猛火に包まれ、その火は動物や人間をジリジリと燃やし、なんとも言えない臭いが立ち込めていた。

 これが、ついさっきまでファールス王国でも一・二を争う大都市として賑わい、繁栄していた地域の変わり果てた姿だった。


「ひっどい……」


 オリザは、こみ上げてくる嗚咽を我慢しながら、そうつぶやく。最初は『ザール第一』でここまで来たオリザだったが、惨状を目の当たりにして彼女の優しい性格が前面に出てきた。


「女神様、アタシはこの惨状に対して何ができますか?」


 すると女神ホルンは、言いにくそうに話しかけてきた。


『あなたが望む事ができます。ただし、使う力の程度によって、あなたが支払う代償が変わります』

「代償がいるの?……そうね、神様の力を使わせていただくんだから、そうかもね。で、どんな代償かしら?」


 オリザが訊くとホルンは決然とした声で告げた。


『すべての物事を癒やすためには、あなた自身の存在が必要です』

「……」


 オリザは顔を赤くして黙った。それは、死ぬということかしら?……オリザの頭は熱を出したように熱くなっている。


『人々を救うのであれば、あなたは光を失うでしょう。そしてあなたが大切に思う人を救うには、何も代償はいりません。どうしますか?』


 オリザは、少し考えて訊いた。


「三つ質問していい?」

『どうぞ』

「一つ目。大切な人で救えるのは何人まで? まさか一人なんて言わないわよね?」


 オリザが訊くと、ホルンは驚くべきことを答えた。


『そうです、大切な人で救えるのは、たった一人。それも、()()()()()()()()()()()()()()()です。ですから、あなたが思っているお方と違う人物が救われることもありえます。その場合でも、最終的にはあなたにとって最善になるでしょうけれど』


 オリザは眉を寄せた。一人なんて選べない。


「二つ目。『すべてを救う』のと『人々を救う』のは、どんな違いがあるの? 変わらないと思うけれど?」


 オリザの二つ目の問いに、ホルンが答えた。


『『人々を救う』場合は、被害にあった人間たちが現在の状況のまま救われます。つまり、生命が救われるのです』


 一息置いて、続けて説明がある。


『『すべてを救う』で救えるのは、すべての出来事です。プロトバハムート様のお力により、今あなたが見ている惨状は、『無かったこと』になります。もちろん、人々は被害にあい死傷したことや、悲しみがあったことは覚えていますが、その災難からプロトバハムート様のお力で皆が救われるのです』

「……結構違うのね。じゃ、最後の三つ目。ワタシ自身の存在を代償にするってことは、ワタシは死ぬってことよね?」


 オリザの声が少し震えている。


『そうですね、この世からいなくなるという意味では、死と同じでしょう。でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。あなたの存在はそれに置き換わるということだと理解してください』


 オリザは静かに目を閉じた。頭の中にいろいろな想念や思い出が浮かんでは消える。


 長い時間が流れた。

 そして、オリザは微笑みとともに目を開けて、おもむろに呪文を唱え始めた。


「我が主なる大地の女神よ、大地を統べる運命を与えられた英傑たちを憐むとともに、罪なき咎で摂理を外れた者の邪悪な心によって斃れた数多の人民の生命を見捨てることなく、その再生と豊穣の力で大地を寿ぎ、()()()()()()()()()()()()()()()()……」


 そして、オリザは腕を組んで『魔力の揺らぎ』を集め始めた。オリザの薄く金色に輝く『魔力の揺らぎ』は、燃え盛る大地を見下ろしながらどこまでも天を覆うようにして広がってゆく。


 やがてオリザの『魔力の揺らぎ』が天空を覆ってしまったとき、オリザはしっかりとした声で呪文を締めくくった。


「——我が心を憐れみ、すべてのものに授けたまえ、『オール・ヒール』!」


 すると、天地が彼女の祈りを聞き届けたかのように、天からは金色の光が地上を照らすとともに、細かい霖雨が降り注ぎ始めた。


 そして大地から金色の光の球が無数に浮かび出し、それらは地上の一切のものを優しい金色の光で包み込み、まぶしく、そして温かい光で辺り一帯を覆って、消えた。



 大地は、元通りになった。


 崩れていた建物は、そのままであったが、その下敷きになっていた者たちは不思議な力で外に引っ張り出され、怪我をしていたもの、そして生命を落としていたものすら、以前と変わらぬ姿でそこにいた。


「これは……」


 バビロン北方の丘の上では、ジュチが最初に目覚めた。彼は知っていた。自分が一度はあの災厄に巻き込まれて生命を落としたことを。


 そして、なぜここにいるのかも理解していた。なぜなら、彼はこの世で最も高貴で有能なハイエルフの一族であったから。


「……ならば、ザールや女王様も、おっつけバビロンに帰ってくるだろうな」


 ジュチはそう言いながら、傍らで眠るアルテミスの美しく可憐な寝顔を、飽きることなく見つめていた。



「……終わりました」


 オリザは、地上が再生する様子を静かに見つめていた。

 そして『再生の大地』から光が消えると、誰に言うともなくため息と共に一言つぶやき、ニコリと笑いながら消えていった。オリザがいた空間には一束の植物が現れ、それは静かに地上へと落ちていった。


『……お疲れさまでした、()()()()()()、いえ、オリザ・サティヴァよ』


 女神ホルンは、地上に落ちた植物の束を拾い上げると、優しい声でそう言って涙をこぼした。


   (57 再生の大地 完)



最後までお読みいただき、ありがとうございます。

破壊竜を制し、ついに最終的な勝利を収めたホルンたち。あとは王国の再建が待っていますが、ホルンが下した決断は、意外なものでした。

明日9時〜10時に、『エピローグ 英雄の惜別』をお送りします。

どうか最後までお付き合いください。

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