54 蒼炎の黒竜
激闘を続けるホルンとアルベド。劣勢に陥ったアルベドは自らの存在を分け、攪乱戦法に出る。一方、アルベド封印の準備をしていたジュチは『封印の剣』を見つけ出すが……。
『女神アルベド篇』、クライマックスも近い!
【主な登場人物】
♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘で王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。26歳。
♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。15歳程度。
♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。23歳。
♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。21歳。
♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で『この世で最も高貴な一族』であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けるがチャラい。金髪碧眼の美青年。23歳。
♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。21歳。
♧ガイ・フォルクス…26年前にスケルトン軍団から国を滅ぼされたアクアロイドの王族。頭脳明晰で冷酷非情だが仇討に協力したホルンに恩義を感じている。29歳。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「……決着をつけましょう。ゾフィー殿が長きにわたって望まれていたように。『観測と決定』と『超光速の同時存在』!」
神の魔法の力を全開まで発動したアルベドとホルンは、はた目では何が起こっているのか分からないほどの速さで剣を交えていた。
ホルンとアルベドの動き一つ一つが波動を生み、その波動は空間を震わせ、地面を震わせていた。
ズズ……ズシン!
ホルンとアルベドの戦いから発せられる波動に耐え切れず、バビロン郊外にあった高楼が崩れ落ちた。
「やあっ!」
「エイッ!」
ジャリンッ!
ホルンが『糸杉の剣』で斬り付けるが、女神アルベドは『アルベドの剣』でそれを横薙ぎに薙ぎ払い、
「たあっ!」
ホルンの身体が開いたところで真っ向から斬り下ろす。
「むっ!」
チンッ!
ホルンは、その『アルベドの剣』を頭の上で受け止めると、
「やっ! 『破壊の深淵』!」
アルベドの胸に、『魔力の揺らぎ』を叩きつける。
「甘いわ、『時空の排反事象』!」
ズドドーン!
「きゃっ!」
「うむっ!」
ホルンの魔力をアルベドも『魔力の揺らぎ』の開放で受け止め、二人の魔力のぶつかり合いは空間に大きな火の玉を炸裂させる。
その時、アルベドの想念の中に、プロトバハムートの声で聞こえてくる声があった。いや、それはアルベドだけではなく、ホルンにも聞こえているようだった。
“アルベド、アンティマトルはノイエスバハムートによって我がもとに還って来た。そなたはもう一人だ。大人しく封印場所に還るか、我がもとに来よ”
アルベドは緋色の瞳を持つ目を細めて、キッと虚空を睨みつけて言う。
「……ちっ、ザッハークも使えない男だったのう」
「……もう諦めたらどう?」
ホルンが『糸杉の剣』を構えて呼びかけてくる。アルベドはそのホルンの顔を見て、憎々しげに顔を歪めて吐き捨てた。
「誰が諦めるものか! それに私は昔から、そなたのその正義の味方面が嫌いでたまらないのじゃ」
そう言って、身体中の『魔力の揺らぎ』を膨らませた。
「あくまでも私を倒したいというのね……戦うのが私たちの運命って言うのなら、私はそれを受け入れるわ」
ホルンも緑青色の『魔力の揺らぎ』を身体中に燃え立たせてつぶやいた。その目の前で、アルベドの姿が消えた。
「くっ!」
ホルンはアルベドの一瞬の機動にも素早く反応した。『糸杉の剣』を構えながらサッと振り向くと、
「ホルン、わらわの邪魔はさせぬ!」
後ろに回り込んでいたアルベドは、魔力を込めた『アルベドの剣』を思い切り振り降ろす。ホルンは無言でそれを『糸杉の剣』で受け止めた。
パキーン!
「くそっ!」
ホルンは、『糸杉の剣』が鋭い音とともに真ん中から二つになるのを見て、左に躱す。
ぶうんっ!
禍々しさが増した『魔力の揺らぎ』を乗せ、アルベドの剣はホルンをかすめた。
「ふふ、剣を失ってどうやって戦う? ここにはザールもいないのじゃぞ?」
左右の手に緑青色の『魔力の揺らぎ』を集めているホルンを見て、アルベドはそう笑うが、ホルンは落ち着いて答えた。
「ザールはザッハークを倒しました。すぐにでも彼はここに来てくれるでしょう。時間がないのはそちらの方よ」
その時、
『ホルン~っ!』
バビロンの郊外から、そう言いながら飛んでくる者がいた。
「コドラン! 無事だったのね?」
ホルンは、『死の槍』を握りしめて飛んでくるコドランに、嬉しそうにそう叫ぶ。コドランはアルベドに爆殺されたと思っていたのだ。
『行けぇ~!』
コドランはアルベドに『死の槍』を投げつける。『死の槍』は30ほどに分裂してアルベドに襲い掛かった。
「くっ! チビドラゴン、どうやってあの罠を潜り抜けた?」
アルベドは、次から次へと襲って来る『死の槍』を払いのけながらつぶやく。ホルンといい、このチビドラゴンといい、どうしてこいつらはこんなに運が良く、そしてしぶといのだ……アルベドはそう思いながらも、だんだんと焦れて来た。
――ザールが来たらいよいよまずいね。仕方がない、あの手を使うか。
アルベドはそう決心すると、自分の身体をひときわ分厚く『魔力の揺らぎ』で包んだ。赤黒い『魔力の揺らぎ』はゆらゆらと空間に燃え立ち、その中でアルベドは『アルベドの剣』を持ったまま目を閉じていた。
「わが『スナイドル』よ、我が手に戻れ!」
ホルンがそう叫ぶと、『死の槍』はまるで意志があるもののように、ホルンの差し出した右手に戻って行く。
『ホルン、あいつ何か企んでいるよ』
コドランが近くまで来て言う。その顔や身体にはまだ痛々しい傷跡が残っていたが、コドランは気丈にもアルベドを睨みつけている。
「それにしても、よく無事でいてくれたわね。私はブリュンヒルデが弾け飛んだ時、もう二度とコドランには会えないって思っちゃったわ」
ホルンが翠の瞳に優しさを込めてコドランを見つめる。コドランは鋭い琥珀色の瞳はそのままに、
『ゾフィーさんのおかげだよ。ゾフィーさんがホルンと一緒になる直前に、ぼくにも魔力を分けてくれたんだ。ブリュンヒルデに戻るにはちょっと足りなかったけれどね』
「そう、ゾフィー殿が……」
ホルンは、自分の腕の中で幸せそうな微笑とともに光のチリとなってしまったゾフィーの面影を思い浮かべた。あのお方はずっとこの時を待っておられた……ならば自分はその役割に相応しい戦いをせねばならない。
アルベドの『魔力の結晶』はますます強大になり、これ以上傍観しているのも危険な状態になった。ホルンは、フェザードラゴンの両翼を大きく羽ばたかせると、アルベドから300フィートほど上空へと飛び上がる。
『何をする気なの、ホルン?』
コドランが心配そうに訊く。ホルンは笑って答えた。
「コドラン、もし力が残っているなら、アルベドにファイアボールを撃ってくれないかしら? 私はその攻撃に合わせてあいつの『魔力の揺らぎ』を突き破ってやるから」
『いいけど、あまり無理しないでね? ザールさんももうすぐここに来るんでしょ?』
コドランが言うと、ホルンは笑って言った。
「そうね、無理はしないわ。じゃ、お願いね?」
『まっかせといて!』
コドランがそう言って特大のファイアボールをアルベドへと放った。ホルンはそれに合わせて『死の槍』を構え、呪文とともに突っ込んで行く。
「わが主たる青き風と、わが良き友である紅蓮の炎よ、その力をもって摂理に背く存在たる落ちた女神を膺懲し……」
その時、コドランのファイアボールがアルベドの『魔力の揺らぎ』に激突したが、その途端、アルベドはパッと何体かに分かれた。
『えっ?』
「むっ?」
コドランとホルンは同時に言う。空中にいる5人のアルベドは、それぞれに『アルベドの剣』を構えて目をつぶっていたが、全員が目を開けると、さっとそれぞれの方向へと動き出した。
一人はカッパドキア方面へ、一人はダマ・シスカス方面へ、そして二人はバビロン方面とグロス山脈方面へ……。
残りの一人は、
「ホルン、そなたの相手はわらわじゃ」
そう言って、ホルンへと斬りかかって来た。
「コドラン、バビロンに向かったアルベドを追って!」
ホルンはそう言うとともに、コドランの返事も待たずにアルベドを迎え撃つために呪文詠唱を再開した。
『そ、そんなこと言ったって、ぼくはホルンが心配だし、ぼくはホルンを守らなきゃいけないんだ』
コドランはそうつぶやくと、アルベドを挟み撃ちにするために動き出した。
★ ★ ★ ★ ★
「ふむ、アルベドの封印結界があったのはこの辺りかな?」
ジュチは、『アルベドの神殿』を空中から眺めてつぶやく。
ここはカッパドキアのほぼ中央。周りを山々に囲まれた盆地となっている所である。ジュチは神話に登場し、古くから女神アルベドを封印していたと伝わる巨大な神殿跡に来ていた。
神殿は完全な円形で、内部に入るには東側に開けられた出入口を使うしかない。南北と西側には窓が開けられていたが、そこからの出入りは不可能だった。
「……こんな所に隕石が直撃するなんて、どのくらいの確率だろうな」
この神殿は、今から千年以上前にこの地を襲った隕石群のために、すっかり往時の形を留めていなかった。屋根や壁は崩れ、柱は折れて倒れ、さんざんである。それだけ、隕石群の威力がすさまじかったのだろう。
「まあ、神殿の周辺にあった町もすっかり吹っ飛ばされたってことだからな」
ジュチはそう言って、神殿の周囲の草むらに隠れているたくさんの基礎石や、井戸の跡などを眺めてつぶやいた。
ジュチはゆっくりと神殿の内部に降り立つ。チカリとした感覚があった。
「……なるほど、結界は破れても、結界を構成する要となるものの魔力は無くなっていないらしいな」
ジュチは碧眼を細めて魔力が漂って来る場所を探す。そして魔力の流れに従って歩を進めると、とてつもなく大きな石がうずたかく重なっている場所へとやって来た。魔力はその石の山の中から流れ出ている。
「この下に、何かが埋まっているのか」
ジュチはそうつぶやくと、周りを見回して、誰もいないことを確認すると、オオミズアオの羽を広げて空中に飛び上がり、濃い翠色に光る鱗粉を石の山へと注ぐように、優しい風と共に送り出した。
すると、巨大な石は少しずつ崩れ始め、ジュチの鱗粉に覆われた部分は砂となって風に散っていく。やがてそこには、あれだけ積み上げられていた石は一つもなくなり、中央に一振りの剣が横たえてあった。
「ふむ……これが『封印の剣』たる『クリスタの剣』というものかな?」
ジュチはそうつぶやくと、その剣をしげしげと眺めてみた。見た目にはホルンが佩いていた『アルベドの剣』と全く変わらない。けれど、心なしか剣が発する魔力の波動は、『アルベドの剣』よりも柔らかく、そして吸い込まれるような安らぎを感じさせた。
「……この剣は、最後の瞬間に使うべきものなのだろうな」
ジュチがそうつぶやいた時、突然『クリスタの剣』は細かく振動を始め、ジュチの手の中で緑青色の光を発し、その姿を消した。
ジュチは、そんな不思議な現象が目の前で起こっても、まったく吃驚もせずにうなずいてつぶやいた。
「出番が来たことを悟った『クリスタの剣』が、自分の主のもとへと移動したんだな」
そして、改めて周りを見回してポツリと言った。
「……ということは、急いで結界を創らないといけないってことだね」
ダマ・シスカスでは『神聖生誕教団』の本部で、ロザリアが困ったようにつぶやいていた。彼女は『神聖生誕教団騎士団』の鎧を着て、腰には剣を佩いている。はた目には18歳くらいにしか見えないロザリアだったが、結構似合っていた。
「やれやれ、第1分団をお預かりすることになったはいいが、女王様のもとに行けなくなったのは困ったものじゃな」
「団長代理殿、何をブツブツおっしゃっているのでしょうか?」
ロザリアのもとに、くりくりとした目の娘がやって来て訊く。
「えっ? ああ、いや、何でもないのじゃ。何か私に用かの、ハンナ司祭?」
するとハンナは、栗色の癖っ毛を揺らしながら、ロザリアをキラキラした目で見つめて言う。
「はい、法王様が、これから『光と闇の祈り』を始めるので、警戒を厳にしてほしいとゾフィー総主教様にお伝えしてくれとのことでした」
「そ、そうか。では私ものんびりしてはいられないのう」
ロザリアはゾフィーの口調をまねて言う。歩き出したロザリアに、ハンナはまとわりつくようにして話しかけて来た。
「ゾフィー様はずっとトリスタン侯国にいらっしゃったのでしょう? トリスタン侯国って異国との境界が近いところですよね?」
「そうじゃな、マウルヤ王国がすぐ東にあるからのう」
「私、まだダマ・シスカスから外に出たことがあまりないんです。司教様に従ってバビロンに行ったことがあるくらいで。バビロンにはたくさんの珍しいものがありましたが、トリスタン侯国にも珍しいものがきっとたくさんあるでしょうね?」
「うむ、ここら辺には住んでいない動物や、珍しい草花があるのう」
ロザリアが言うと、ハンナは目を輝かせて、
「いいなあ、私も早くいろいろな所に行ってみたいなぁ。ゾフィー様、いつか私のことをトリスタン侯国に呼んでいただけますか?」
――う~ん、法王様が私のことをゾフィー様というふうに紹介されるものじゃから、この子も私のことをすっかりゾフィー様と思い込んでしまっているようじゃ。困ったのう。
ロザリアはそう考えながらも、
「覚えておこう。その前に、法王様の『光と闇の祈り』がつつがなく終えられるよう、しっかりと警護の方も頼んでおくぞ」
そう答えるのだった。
★ ★ ★ ★ ★
アクアロイド軍は、主将リアンノンの敗死の報を受け、モーデル艦隊を除く全軍がスレイマン島に再集結していた。
モーデルは、リアンノンに次ぐ指揮官であることから、根拠地であるシェリルの町の動揺を抑えるためと、もう一つはバビロン周辺の住民への物資調達のため、リアンノンの命令を墨守してシェリルへと航海を続けていた。
スレイマン島に集まっていたのは、ミント、クリムゾン、ローズマリー、テトラ、エースの各提督だった。この中での先任者はミント上級大提督、それに次ぐのはクリムゾン大提督である。
「リアンノン閣下をして敗死させるとは、恐るべき敵がいるものと見える」
ミントが言うと、クリムゾンはその名のとおり赤みがかった髪をかき上げて言う。
「リアンノン閣下と戦ったのは、神話に出てくる終末竜アンティマトルだったと聞いている。その大きさや能力などについて、何も情報はないのか、エース?」
エースはリアンノンとともに一足先にバビロンへと戻っていた。けれど、
「いえ、リアンノン閣下は俺や指揮下の部隊すら引き連れずに、わずか5百の供回りだけ連れてバビロンに突進されましたので……俺もあとからすぐに5千を率いて追いかけましたが、追いつきませんでした」
そう言う。
「では、供回りの者たちを呼んで、その時の状況を聞けばよかったではないか? エース坊やともあろうものが、それくらいのことをしていなかったのか?」
テトラ正提督が言うが、エースは、首を振って釈明した。
「もちろん、リアンノン閣下に連れられて行ったキース戦務参謀から話は聞きましたが、リアンノン閣下はバビロンまで10キロというところで突然、単独で先にバビロンへと突入されたということなので……天空に『トライデント』が弾けるのを見て、戦務参謀は閣下の敗死を知ったということでした」
リアンノンが得物としていた三又の矛『トライデント』は、海神ネプトレから貸し与えられていたものだという。その『トライデント』が天空に弾け、海神のもとへ飛び去るという出来事は、持ち主がいなくなったからとしか考えられない。
「ふむ、とにかく、根拠地の方はモーデル閣下に任せておけば安心だ。我らはアクアロイドの誇りをかけて、閣下の仇を討とう」
ミントがそう言うと、全員が決意を新たにした顔でうなずいた。
『怨敵を討伐してリアンノンの仇を討つとともに、リアンノンの遺志を継ぎ王国を立て直す』――アクアロイドの集団はその決意のもと、スレイマン島からバビロンへと移動を開始した。ミント上級大提督を総指揮官とした総勢5万である。
「まず、バビロンの郊外に陣を張る。敵は必ずバビロンにかかってくるはずだ」
ミントはそう言うと、いつものようにエース准提督の1万を先鋒として分派した。
「どんな敵がいるか分からない。エース、そなたのことだから万が一にも間違いはないと思うが、少しでもおかしな兆候を見つけたら猪突せず、必ず本隊に知らせてくれ」
エースのことを特に気に入っているクリムゾン大提督は、出発前に特にエースの帷幕を訪れてそう言った。
「分かっていますよ、クリムゾンの旦那。相手は神話に出てくるバケモンだ。俺は一人でリアンノン様の仇を取ろうって粋がるほどガキじゃありませんよ」
エースはそう言って、一足先にスレイマン島を出発した。
エースがバビロン近くまで軍を進めると、斥候から報告が入る。
「何者かがバビロンを攻撃しています。その数約5万ほどです」
エースはそれを聞くと、すぐさま先遣部隊まで足を延ばし、
「どんな様子だ?」
と部隊長に訊く。部隊長は突然のエースの来訪にも慌てず、
「相手はゴブリンです。そんなに魔力は強くないようですね」
そう言って笑う。エースは敢えて笑顔を作らずに、ぶっきらぼうに訊いた。
「周りは偵察したか? 相手はバケモンだからな。どこに潜んでいるか分からんぞ」
先遣部隊の指揮官は頷いて、
「はい、どこにも怪しい魔力は感じられません」
そう言う。エースは考え込んだ。
――話によると、バビロンの内部には女王陛下直率の1万6千程度の部隊と、『神聖生誕教団騎士団』が8千ほどいるだけだ。女王陛下の正規軍団は挙げて西側のサルサル湖周辺へと避難民を守って避退しているし、トリスタン侯国の軍は食料調達で東側に出張っている。
「女王陛下の部隊や女神の騎士団なら、倍の敵でも片手で十分だろうが、とにかく相手はリアンノン様の仇に連なる奴らだ。叩き潰してやろう」
エースはそう決心すると、すぐさま部隊に攻撃態勢を取らせた。
そして、バビロンの堅城に苦戦して後方がおろそかになっていたゴブリン部隊の後ろから、お手本どおりの奇襲をかけた。薄暮に敵の兵が炊煙を上げているところに突っ込んだのだ。
敵陣が乱れるのを見た守将のジョゼフィン枢機卿は、シルビア枢機卿とヘパイストスの部隊を城内に残し、女王遊撃軍1万と自らの部隊4千を指揮して突出し、エース部隊と共同してゴブリン隊を全滅させた。
エースは城内に入ってシルビア枢機卿に言う。
「女神の騎士団の噂は聞いていましたが、聞きしに勝る強さですね。俺たちの加勢は要らなかったようですね」
シルビア枢機卿は、沈鬱な顔を横に振って答えた。
「いえ、来ていただいて助かりました。ゴブリンは先触れに過ぎませんから」
それを見て、エースはキラリと目を輝かせて、
「女神アルベドとアンティマトルの野郎ですね?」
と聞く、シルビア枢機卿は笑ってうなずいた。
「今、ホルン女王陛下とザール様が戦っておられます。ジュチ殿、リディア殿、ガイ殿、ロザリア殿もその戦いに出ておられます。けれど、女王陛下のお気持ちを少しでも楽にするためには、『不落バビロン』を顕示しなければなりません」
そしてため息をついて続ける。
「けれど、バビロンが不落を誇れば誇るほど、女神アルベドはこの地を執拗に狙って来るでしょう。ここを守るためには私たちだけでは不安です。アクアロイドの部隊が間に合って一安心しました」
エースは頭をかいていた。リアンノンが敗れはしたが、みんなは変わらずに俺たちのことを当てにしてくれているのか……そう思うと嬉しかったのである。
次の日、ミントの本隊4万も到着し、アクアロイド部隊はバビロンの城外にこれ見よがしに陣を敷いた。
★ ★ ★ ★ ★
「ふっふっふっ、わらわと戦っている間に、バビロンは灰になり、神聖生誕教団の法王は死に、カッパドキアにいるそなたの仲間も粉々になるぞ」
アルベドは葡萄酒色の髪を風になぶらせながら、満面の笑みで言う。
「私の仲間には、そう簡単に討ち取られる者はいません。あなたこそ、『意識の同時存在』を使えば、それだけ不利になるわよ?」
ホルンが言うと、アルベドは哄笑した。
「はっはっはっはっ、わらわは女神じゃ。女神はどこにでも同時に存在し得る。人間や魔族の尺度で考えると失敗するぞ?」
そう言うと、ホルンを緋色の双眸でじろりと睨むと、『アルベドの剣』を握り直して、
「そなたはパラドキシアと戦った時、『アルベドの剣』を外したの? わらわの名がつく剣では、わらわの眷属たるパラドキシアの命には届かぬと見たようじゃが、なかなかいい見立てじゃったぞ。けれど、おかげで『糸杉の剣』は無くなったみたいじゃがのう?」
そう言うと、続けた。
「先に忠告しておくぞ、そなたの『死の槍』ですら、わらわの命には届かんということをな?」
そして、アルベドはさらに3人に数を増やして言った。
「なぜなら、わらわたちはみな、同じだからじゃ。誰一人として偽物はおらず、独立して存在する。故に、わらわは世界の主宰者たりえるのじゃ」
「……あなたの能力は、確かに神というに相応しいと思うわ。けれど、英雄の持つ気概とは、万人に畏怖されるだけではなく、崇敬される思想と行動よ。これは前にもあなたと話したことがあったわね?」
ホルンが言うと、アルベドは緋色の瞳に剣呑な色を浮かべて、
「ほほう、だんだんと思い出してきたようじゃのう……そなたがすべてを思い出し、わらわの手に負えぬようになる前に、決着をつけんといかんのう」
そう言うと、三人がかりでホルンへと『アルベドの剣』で斬り付けてきた。
『あっ、ずるいぞ! 三人がかりなんて』
コドランがそう言うと、一人のアルベドにファイアブレスを放った。
「おっと、なかなかに高温じゃな」
そのアルベドはコドランのファイアブレスを楽々とよけると、
「うむ、面白いのう。チビドラゴンの相手はわらわがいたそうか」
そう言って、コドランに向けて『魔力の揺らぎ』を放つ。
ゴウウウッ!
『わひゃっ!?』
コドランは、赤黒いアルベドの『魔力の揺らぎ』をよけると、ファイアボールを乱れ撃ちにする。
ボッ、ボッ、ボッ
「ふむ、小さいがなかなかに魔力が強いドラゴンじゃな」
アルベドはそう言いつつ姿を消すと、次の瞬間コドランの真後ろに出現して、
「じゃが、まだ足りぬ!」
ドシュッ!
『わあああああっ!』
コドランは『アルベドの剣』に翼をざっくりと斬られて地面へと落下した。
「コドラン!」
ホルンは、墜落していくコドランに叫んだが、
「隙だらけじゃぞ?」
「はっ!」
パーン!
ホルンは飛び込んできたアルベドの剣を、『死の槍』の柄で打ち払う。そしてそのまま槍を回し、
「やっ!」
「おおっと!」
アルベドは突きを外して、左手から『魔力の揺らぎ』を放出する。
ヴォンッ!
「はっ!」
ホルンの髪をかすめて、魔力の束が通り抜ける。ホルンは『死の槍』を大きく横殴りに振り回した。
「でいっ!」
「なんのっ!」
アルベドが間合いを開く。その時、ホルンはその翠の瞳に怒りの色を込めて言った。
「……私は、あなたが許せない。仲間を傷つけ、この国をめちゃくちゃにし……めちゃくちゃにしたのは私の人生だけじゃないわ、ザッハークもある意味被害者よ。あなたの度し難い野望の犠牲者だわ」
すると、ホルンの髪が金色に輝き始めた。それとともに、白く金属質の羽毛を生やした両翼は大きく広がり、ホルンの胸の辺りに灯った蒼炎が静かに揺らめきだす。
そしてホルンが、
「私はものごとを根源へと返すためここにいます!」
と言うと、蒼炎がホルンの身体中から噴き上がり、あっという間に『魔力の揺らぎ』のようにホルンの身体と『死の槍』を包み込んだ。
その様子を見ていたアルベドは、舌打ちして、
「蒼炎の黒竜……受命の黒竜というわけじゃな。ちっ、これじゃ逆効果じゃったの。仕方ない、カッパドキアで勝負じゃ」
そう言うと、西の方角へと飛び始めた。
ホルンは、しばらくその場にいたが、やがてコドランがよたよたと飛び上がってくるのを見つけて言う。
「コドラン、その傷じゃしばらくは戦うのは無理だわ。バビロンに行って魔力を回復させたら、オリザとともにカッパドキアまで来て? 頼んだわよ」
『うう……分かった。まっかせといてよ』
ホルンは、コドランの返事を聞くと、優しい瞳でコドランを見つめ、
「じゃ、行くわ」
一言残し、あっという間に西へと飛んで行った。
「むっ?」
ザールは、はるかバビロン方面から近づいてくる異質の魔力を感じて、緋色の瞳を持つ右目を細めた。まだ目にははっきりとは見えないが、バビロンの周辺の空がいやに禍々しく見えるのだ。
「この魔力は、アンティマトルよりも強烈だぞ。禍々しさが全然違うし、魔力に込められた意志がとてつもない……」
ザールはそう言いながら、腰に佩いた『アルベドの剣』を抜く。その時、『アルベドの剣』が細かく振動し始めた。その振動は、まるで『アルベドの剣』が恐怖に耐えられずに震えているような感じがした。
――『アルベドの剣』がこんな反応を示したことは一度もない。とすると、近づいてくるのは女神アルベドか?
ザールはそう思い、『アルベドの剣』に話しかけた。
「何も怖がることはない。そなたは剣としての務めを果たせばよいのだ。僕は、そなたを正義に悖る目的に使うことは決してしない」
すると、『アルベドの剣』はザールの言葉を理解したかのように、青白い光を放った。
「やああああっ!」
何者かが、ものすごいスピードで飛び込んで来つつ、ザールに鋭い斬撃を放つ。しかし、ザールの『アルベドの剣』は、その攻撃を見切っているかのように
キィィン!
甲高い音とともに、何者かの攻撃を払いのけた。
「さすがはザール・ジュエル……ホルンに勝るとも劣らない相手だね」
そこにいたのは女神アルベドだった。しかし、ザールはアルベドを一目見ただけで、その存在の不自然さに気づいた。
「……『意識の同時存在』か。女神アルベドよ、そなたはその方法で、その昔、英雄ザールの建国を助けたのではなかったのか? その御業を今度は自らの野望のために使うとは、なるほどゾフィー殿がそなたのことを『堕ちた女神』と呼んだはずだ」
女神アルベドは、ザールの額に『慈愛の聖印』が浮かんでいるのを見ると、笑いを浮かべて言った。
「ふふふ、プロトバハムートから運命を授かったザールよ、その『慈愛の聖印』は人々を導き、生きとし生けるものを摂理の腕に抱きしめる者の証……そんな男が何故、わらわの夢を理解せず、ホルンなんぞの肩を持つかのう……わらわは不思議でならんのじゃ」
「そんなに不思議か? プロトバハムート様は摂理を司っておられる。その宇宙の中で、僕たちは日々に一喜一憂しながら生きている。それがつまらない人生に見えるのだろうな、そなたには」
ザールがそう言うと、アルベドはうなずいて答えた。
「じゃが、そんな生き方こそが尊いというのじゃろう? 聞き飽きたわ! たしかそなたは、アイラにもそう言っていたのう」
ザールは、すでにここまで話して、アルベドとの話し合いはこれ以上は無理だと悟っていた。本来なら、ザールは力で相手に言うことを聞かせるタイプではない。けれど、相手がアルベドのようなタイプなら、ザールもあえて話し合いに拘りはしなかった。
「そなたは世界の主宰者にならないかと英雄ザールに言ったそうだな」
ザールが聞くと、アルベドはうなずいて訊く。
「あら、あなたもあの頃のことを覚えているのかしら? それとも思い出してきているのかしら?」
「僕は英雄ザールとはなんの関係もない。ただ、プロトバハムート様から力を頂いた時、そのような話を聞いただけだ」
ザールが答えると、アルベドは顔を歪ませて言った。
「そういうことにしといてやろうかのう、『四翼の白竜』よ。ただ、そなたも神話にある預言を成就させる方向に動いておるからには、わらわにとっては敵じゃ。そなたがわらわに忠誠を尽くすというなら別じゃがな」
ザールは、アルベドの言葉に、難しい顔をして首を振った。
「そなたは女神ホルン様と双子であられたな。女神ホルン様と心を一つにしてこの国や世界のあり方を案じてくれていれば、この国の主神として崇められていたであろうに。女神ホルン様のお考えを進めてくださるというのであれば、僕はそなたを女神ホルン様と同様に崇め奉ることに異議はないが?」
それを聞くと、女神アルベドは、
「つまり、プロトバハムートの摂理の中で生きようということじゃな? ふふん、そのような生き方ができれば、わらわはとっくにこの気持ちを捨てておるわ」
そう言って、『アルベドの剣』を構え直す。
そこに、ザールは間髪入れず『魔力の揺らぎ』を叩きつけた。
「そこで動くな! 『次元の遮断』!」
「むっ!」
アルベドは思わず声を上げた。なぜなら、自分の周りを次元の裂け目がすっかり取り囲んでいたからである。
「……そなた、プロトバハムートの技を覚えたようじゃのう……」
アルベドはなすすべもなく、揺らめいている空間を見つめてつぶやいた。
「ふふ、プロトバハムート様から授かった能力はそれだけではないぞ? 僕はそなたを封じ、みんなを守るためにここにいる。『起点への収束』を味わってもらおうか」
ザールはそう言うと、緋色に光る右目で揺らめく空間を眺めると、すっと左手を伸ばして虚空をつかんだ。
すると、アルベドを捕らえて離さなかった空間は、一瞬にして素粒子よりも小さな点にまで収束し、その周囲には高密度のエネルギーが揺らめく空間が出現する。
「そなたの存在、そなた自身に返してやるから、おとなしく封印を受けるんだな」
ザールはそう言いながら『竜の腕』と化した左手でその空間を握りしめた。
「来たようじゃな……」
ロザリアは、遠くバビロン方面を見つめてそう言う。近くにいたハンナは、
「何がですか?」
そう言いながら、ロザリアと同じ方向に目を凝らした。しかし、何も見えない。
「……見えなければよいのじゃ。ハンナ、騎士団に命令じゃ。『アルベドが近づいている。総員で結界に魔力を込め、アルベドを決して本山上空に入れないようにせよ』とな」
「分かりました!」
ハンナは笑顔でそう言うと、騎士たちが集まっている場所へと駆けて行った。
「……あの笑顔が戦いの中でも作れれば良いがの……さて、私はわたしがやるべきことをするとしようか」
ハンナの後ろ姿を見ていたロザリアはそうつぶやくと、ゆっくりと両手を広げた。その動作の途中でロザリアの身体からは薄紫の魔力の靄が立ち込めてきて、靄が晴れた時、ロザリアの姿は消えていた。
「ほほう、さすがは『神聖生誕教団』の本山、法王は結構な魔力を持っているようじゃのう」
女神アルベドは、本山が佇立するハーモン山をすっかり覆った結界を見てつぶやく。女神ホルンを祀るこの教団の本山は、虹色に輝く精緻な結界でしっかりと守られていた。
「この結界を壊すのは、なかなか骨が折れそうじゃな」
アルベドがそう言いながら『魔力の揺らぎ』を右手に集め始める。その魔力はドラゴンの文様に似た渦を巻き始めた。
そして、
「神の前に、人間の作った結界がどれほどの力があるか見せてもらおう。『破壊の誓約』!」
ズバーン! ズデュム!
女神アルベドの『魔力の揺らぎ』は、目もくらむような閃光とともに本山を覆った結界にぶつかり、凄まじい衝撃波を生んだ。その衝撃は、30キロ以上離れたダマ・シスカスの町並みを揺らし、その屋根を吹き飛ばすほどだった。
「……ふん、傷一つつかず……か。女神ホルンを信ずる者たちの厄介なところはここじゃ。みな、心を一つにしおる」
少し羨ましそうにそう言うと、女神アルベドは目を閉じてなにか呪文を唱えだした。
「Sinndioe lasumu er, bennto Romanianus para berum. Qent duisa, mana, mana, arugionus tera rius. Wiki, Widi, Ortos, reriumn para beram……」
アルベドの周囲に風が集まり、葡萄酒色の髪をふわりとふくらませる。
そして、女神アルベドは、目を開けて右手を結界に伸ばすと言った。
「Asutarisc, donetatio para beram, Domine. 蒼き光よ、紅き炎よ、白き輝きに満ちた我に力を与え、黒き闇の如き静謐の中に眠る摂理の業で、かの結界を打ち破れ! 『崩壊の旋律』」
すると、アルベドの右手にたゆたう『魔力の揺らぎ』は、真っ黒い霧となって広がり、本山を包む結界の上から覆いかぶさった。
ミシッ、ミシッ……
結界はまるで空間が軋むような音を立てて、少しずつひび割れていく。このままではあと数分も持たずに結界が破られそうだった。
その時、
「摂理はプロトバハムート様とともにある。『魔竜の息吹』!」
そういう声とともに、一陣の風が黒い霧をすっかり吹き飛ばしてしまった。
「誰じゃ!? 姿を見せい!」
アルベドがそう誰何する。すると、ハーモン山の頂上付近に、白い長髪を風になびかせ、白いワンピースの上から黒いストールを羽織った、紫紺の瞳を持つ女性が姿を表した。その女性の後ろには、何やら黒い靄のようなものが揺蕩っている。
「そなたは誰じゃ? まさかゾフィーが生き返ったとは言わんじゃろうな?」
アルベドが訝しげに訊く。
その女性はバラの花冠がついたボンネットを揺らして笑うと、紫紺の瞳でまっすぐにアルベドを見据えて言った。
「私が誰であっても良いじゃろう? 私は、ただそなたを眠らせたいだけの女じゃ」
アルベドはしばらくその女性を睨んでいたが、
「……なるほど、ゾフィーは厄介な者をこの世に残したものじゃ」
そう言って、紫紺の瞳を持つ女性……ロザリアに正対した。
「ゾフィー様! そこは危ないです!」
ハンナたち騎士団は、いつの間にか結界の外にロザリアがいることに驚いたが、それよりも驚愕したのは、アルベドが繰り出した『崩壊の旋律』をいともたやすく蹴散らした彼女の魔力の強さである。
「さすがは総主教様」
騎士の中には、法王ソフィアからロザリアのことを総主教ゾフィーと聞かされていたため、思わずそう言う者もいた。アルベドの『崩壊の旋律』の魔力の強さは、その直前まで騎士たち全員で結界を守護していたためよく分かっていた。ほんの2・3分でもロザリアの攻撃が遅れたら、結界は消滅して丸裸になっていたに違いないのだ。
「総主教様が女神アルベドの攻撃を破砕してくださった。私たちも総主教様の付託に応えるよう、全力で結界を護り、法王様を守護せねばならない。みんな、気持ちを入れて、更に一人ひとりの魔力を結集するのよ!」
騎士たちのリーダーは、自分のチームにそう言って檄を飛ばす。騎士たちは顔を見合わせると、お互いを励ますようにうなずいた。
「ふふふ、流石に総主教様の一番のお弟子、魔力の質や高さが違いますね」
法王ソフィア13世は、聖堂の中で女神アルベドの攻撃とロザリアの反撃を感じ取って、微笑みとともにそうつぶやく。
「おかげで騎士たちの士気も随分と上がりました」
といい、そしてすぐに真顔に戻った。
「しかし、女神アルベドを封印するには、神話の預言にあるとおり女神ホルン様とプロトバハムート様の御使いの力が必要。我が『光と闇の祈り』が女神様とプロトバハムート様に届き、大きな災害が起こる前に封印ができますよう、御加護を垂れ給え」
法王は自ら準備した祭壇に向かうのであった。
「おや、思ったより早く来たね」
カッパドキアの『アルベドの神殿』で、封印のための結界を編み込んでいたジュチは、南東の空を見つめて言う。
ハイエルフであるジュチは目がいいが、今回は目に見えるより先に、女神アルベドの強烈な魔力のほとばしりによって、その接近を知ったのである。それほどに、神の魔力は強大で、圧倒的だった。
一つは、ジュチのところに来たアルベドは、他のアルベドの意識を統括する存在であったことも要因であろう。アルベドの意識体がどれだけ一つの意識体を正確にコピーしたものであろうと、その中にはやはり統括者はいるのである。
いずれにしても、ジュチは結界編み込みを終わらせることより、女神アルベドへの対応を優先させねばならない事態となった。
「それはそれでいい。やり方はいくつもあるし、ボクはこの結界のかけらを護り通せばいい。それまでにザールと女王様がここに到着すれば、それで勝ったも同然だからね」
ジュチは、金色の髪の毛を形の良い手でかきあげながらそう言うと、
「まずは鬼ごっこだね」
ジュチは、『魔力の揺らぎ』で身を隠した。
「さて、女神様という存在がどれほどの魔力をお持ちか、じっくりと見せていただこうか」
ジュチは透明になると同時に、右手からオオミズアオの大群を、左手からアゲハチョウの大群を飛ばしてそう言った。オオミズアオの大群は女神アルベドを迎え撃つかのように上空に展開し、アゲハチョウの大群はいくつかの群れに分かれて飛び去っていった。
女神アルベドは、その直後にカッパドキアの上空に侵入した。
「うむ、誰かが私を封印する結界を編み込んでいるのう。かなりの魔力を感じるが、いかほどの人数でここに来ておるのかのう、楽しみじゃ」
女神アルベドは、そう言いながらはるかに見えてきた『アルベドの神殿』を見つめながら言う。
けれど、ジュチの先制攻撃が始まった。
「おや?」
アルベドは、不意に自分の視界が暗くなり、目の前の空間が歪むのを感じて、驚いて1マイル(この世界で1・85キロほど)空域から離れた。けれども相変わらず空間の歪みは自分を捉えて離さないのを知ると、
「これはしたり! ホルンやザールの他にもわらわに攻撃を仕掛けてくる者がいるとは思わなんだ」
そうつぶやくと『アルベドの剣』を抜いて空間を斬り裂いた。
ザシュッ!
その瞬間、パッと花火が散るように光が弾け、オオミズアオの大群がアルベドの目の前で渦を巻き始めた。
「くっ、煩わしい奴じゃのう……姿も見せぬとは……」
女神アルベドは、歯噛みしながらそう言って周りを見回した。
★ ★ ★ ★ ★
こちらは、バビロンを守っていたアクアロイド軍団も、異様な魔力が接近してくることに気づいていた。
「……これは、ただ者じゃねぇぜ」
いつものように、本隊から5マイル(この世界では約9キロ)先で前進陣地を守っていたエース准提督は、その『魔力の揺らぎ』が単なる魔物や魔族のものではないことを看破した。
「いいか、敵がどれほどの能力を持っているか分からん。皆、姿を隠せ」
エースはそう言って陣地全体を全員の『魔力の揺らぎ』を使った鏡面魔法で覆い、空から見えなくしてしまった。このことが、すぐに彼らの幸運となって跳ね返ってくる。
〝本隊、本隊、強力な『魔力の揺らぎ』を探知しました。敵の数や種類は不明ですが、かなりの速度でこちらに向かっています〟
エースはすぐに『風の耳』を使って本隊に注意喚起をした。
一方、『風の耳』を受け取った本隊では、ミント上級大提督が配下のクリムゾン、テトラ、ローズマリーを集めて、すぐさま迎撃態勢を整えた。
「何者が来るかは知らないが、リアンノン閣下の仇につながる者であることは明白。ここでそいつを血祭りに挙げて、リアンノン閣下の無念を多少なりとも晴らすぞ」
ミントの言葉に、クリムゾンたちもうなずいた。
「エース提督、あそこに行くのが敵じゃないでしょうか?」
エースの陣地では、遠目の利く兵士たちが目を皿のようにして空を見張っていたが、そのうちの一人がそう言った。
「どれどれ……」
エースはそう言って兵士が指さす方向を眺める。速い、10マイルほどの遠くにいたはずの敵が、何十秒かの間に顔が識別できるくらいにまで近づいてきていた。
そして、エースはその顔を見て仰天する。
「げっ! あ、あいつはまさか……」
エースは顔色を蒼くしてそう叫ぶと、ただちに『風の耳』で続報を送る。
〝本隊、敵は女神アルベドです!〟
しかし、その時にはすでにアルベドはエースの陣地を通り過ぎて行った。
「くそっ、あの速度じゃ本隊は何もできないぞ!」
エースはそう言うと、バビロンの城壁を心配そうに眺めやった。
しかし、エースの心配をよそに、本隊の方では近づく者が何者であるか、すでに知っていた。バビロン城内にいた『神聖生誕教団騎士団』のシルビア、ジョゼフィン両枢機卿の部隊が慌てて城外に陣を敷くのを見て、ミントは不思議そうに伝令に言った。
「女神の騎士団が城外に布陣した。おそらく彼女たちもこちらに向かう敵の気配を察したのだろうが、それにしては雰囲気が慌しすぎる。どういうことかそなたが行ってジョゼフィン枢機卿殿に聞いて参れ」
伝令はすぐに出発したが、入れ替わりに『神聖生誕教団騎士団』からの伝令がミントのもとにやって来た。
「おお、慌しい布陣は何事なのかと、今、伝令を出して問い合わせたところでした」
ミントが伝令にそう言うと、騎士団の伝令は蒼い顔でミントに告げた。
「ジョゼフィン枢機卿からの伝言です。『こちらに来る敵は女神アルベドの公算が高いので注意するように』とのことでした」
それを聞いて、ミントも細い眉を寄せて顔色を変えた。
「何っ? 女神アルベドだと?」
「はい、相手は女神、『神聖生誕教団騎士団』でできるだけのことは致しますが、アクアロイド軍団には城内に残っている市民が避難するのを助けていただきたいとのことです」
ミントはその言葉を聞いてムッとしたように言う。
「我々アクアロイドは、戦の場では逃げることを知りません。ましてや来る敵はわが首領リアンノン閣下の仇。相手が女神であろうと、我々は断固戦うのみだ!」
そう大声で言うと、騎士団の伝令の言葉も聞かず、
「敵は女神アルベドだ! リアンノン様の仇を討つにはちょうどいい相手。全軍で押し出すぞ」
そう命令を下した。
アクアロイド部隊は奮い立った。相手が強ければ強いほど闘志を掻き立てられるのはアクアロイドやオーガの特徴だった。
けれど、アクアロイドはオーガと違って冷静で冷徹に相手との力量差を測れるはずだったのだ。特にミントはリアンノンに次ぐ女将ということで、その冷徹さが際立っていたはずであるが、この大事な時にこのように致命的で感情的な命令を下したのは、やはりリアンノンが討ち取られたというショックが大きかったからであろう。
ともあれ、アクアロイド部隊は4万という兵力でアルベドを迎え撃つために陣地から出撃した。そしてその命運はわずか1マイルも行進する時間もなかった。
アルベドは、隊列を組んで移動する大軍を見逃しはしなかった。
「ほほう、アクアロイドか。バビロンを蹂躙する前にちょうどいい肩慣らしじゃ」
女神アルベドはそう言って笑うと、いきなり『アルベドの剣』を抜き、『魔力の揺らぎ』を乗せた剣を無造作に横に払った。
ズババーン!
「おうっ!」
「がはっ!」
『魔力の揺らぎ』は大地に大きな裂け目を作り、その異様な圧力はアクアロイド軍の端から端まで駆け抜け、多数の将兵を二目と見られぬ姿に変えた。
「おっ!」
ミントは、自陣を駆け抜けるアルベドの『魔力の揺らぎ』を見て、すぐさま総員に命令する。
「総員、『流体化』!」
アクアロイドの将兵はその言葉を聞くまでもなく、自身の持つ最高の魔力で『流体化』する。この魔法術式は、自分も魔法攻撃ができなくなる代わりに、いかなる魔法攻撃も物理的攻撃も無効にするはずだった。
しかし、女神アルベドは『流体化』した軍団を見つめてニヤリと笑い、
「ふふふ、それでわらわの攻撃をスルー出来るつもりかの?」
そう言うと、再び『魔力の揺らぎ』を乗せて『アルベドの剣』を揮う。
ズバュッ!
「ぐおっ!」
「げぶっ!」
アルベドの魔力は、アクアロイドの奥義ともいえる『流体化』をいともたやすく打ち破った。
「うそ……我々の『流体化』が……」
ミントは、なすすべもなく切り刻まれていく部下たちを見つめて呆然とそう呟いていたが、次の瞬間、
ドバッ!
「ゔぐっ!」
ミント自身、胸に鋭い痛みと重い打撃、そして熱いものを覚えて呻いた。呆然とする彼女が顔をうつむけた時、目に入ったのは無残に引き裂かれた鎧と、その奥から迸るように流れ出てくる自分の血潮だった。
「……総員、適宜退却せよ」
ミントは胸の傷を見た瞬間、泣いているのか笑っているのか分からない、何とも言えない顔をした後、そう近くの部将に告げて地面へと崩れ落ちた。
「あっ、ミント閣下!」
近くにいた将兵が駆け寄って、ミントの身体を抱えて退却していった。
アルベドとアクアロイド軍の戦いは一方的だった。
4万もいたアクアロイド軍は、わずか数分の戦いで主将ミント上級大提督とテトラ正提督の二人をはじめ、約2万7千もの死傷者を出して敗退した。
「くそっ! 我々では相手にならん。ローズマリー、エースの坊やと一緒にスレイマン島まで引けっ!」
指揮を引き継いだクリムゾン大提督は、機を見るに敏だった。まあ、この戦いでは誰が指揮を執っても勝敗は同じ事だったろうが、それでもある程度の軍団が生き残ることができたのはクリムゾンの判断によるところが大きい。
ローズマリーはクリムゾンの命令を完璧に実行した。すぐさま部隊に
「スレイマン島へ戻れっ!」
と命令して軍団を細切れにし、コホルス隊やマニプルス隊ごとにエウフラテス河を下らせたのだ。
もちろん、エースも本隊の危機を目の当たりにして、すぐさま部隊を率いて救援に駆け付けようとしていたが、そこにクリムゾンの退却命令が届いたので、彼はすぐさま部隊全員を川に飛び込ませ、そのままスレイマン島へと退いていった。
「くそっ! リアンノン様に続いてミント閣下やテトラ提督まで……」
歯噛みをするエースに、クリムゾンは渋い顔をして言った。
「冷静になれ、エース。相手は女神だ。リアンノン様ですら押っ取り刀で戦ったら不覚を取られるような相手だ。俺たちが今のままの態勢で戦っても勝ち目はない。モーデル閣下と十分に計画を練ったうえで準備を整えないと、我々の手には負えないぞ」
「……それは分かっています、でも、俺は悔しいんです。リアンノン様の時も、今回も、俺は戦闘の蚊帳の外で……俺さえ戦いに参加できていれば……ローズマリー様?」
悔しそうに言うエースに、ローズマリーがつかつかと寄ってきて、いきなりその横っ面を張り飛ばした。
呆然とするエースに、ローズマリーは柳眉を逆立てて言う。
「一人で気負っていないの! あなたはリアンノン様の敗死を聞いた時には見事な進退を見せていたから、もう少し冷静かと思っていたのに、負け戦で少し感情的になっていないの? 頭を冷やしなさい」
そうまくしたてると、エースは赤くなった頬をなでながらつぶやいた。
「……すみません、そうでしたね」
クリムゾンは、そんな二人にわざと元気に話しかけた。
「まあ、悔しいのは誰も一緒だ。とにかくその気持ちは、アルベドにリベンジするときに燃え立たせようじゃないか。まずは腹ごしらえだ。生き残った兵士たちも、食わしてやらないとどんどん意気消沈しちまうからな」
★ ★ ★ ★ ★
アクアロイド軍4万をほぼ瞬殺と言ってよい速さで叩き潰したアルベドは、そのままバビロンへと攻撃の矛先を向けた。
そして、バビロン郊外に8千ほどの軍を見つけると、呆れたように首を振って呟く。
「やれやれ、城壁を楯に戦えばいいものを、わざわざわらわが料理しやすいように城外で待っているとは、ホルンの指揮下にいる指揮官はどやつもこやつもあきれ果てるばかりじゃのう」
けれど、アルベドは一つだけ見過ごしていたことがある。それは、いま彼女が正対した部隊は『神聖生誕教団騎士団』であったことである。
「よし、シルビア枢機卿の軍は左翼に展開している。私たちは右翼で『女神の裁き』の準備よ!」
ジョゼフィン枢機卿は、配下の騎士たちにそう命令する。すぐさま、連合騎士団は円陣を組んだ。そして1個騎士団2千人は楯を空に向けて構え、魔力を楯に集中させる。『女神の守り』の陣であった。
そして、もう一つの騎士団2千人は、全員が剣を抜いて中央に位置するジョゼフィン枢機卿が捧げ持つ楯へと切っ先を向け、それぞれが最大の魔力を剣に集め出した。
「全員、陣を組んだ?」
ジョゼフィン枢機卿は全体を見回して、すっかり所望の陣形が組まれたことを確認すると、左手には自らの楯を、右手には剣をしっかりと握りしめると叫んだ。
「総員、『女神の裁き』発動!」
すると、ジョゼフィン枢機卿の軍団の上空に厚いシールドが現れた。そして内側に位置する騎士たちの剣からは、ジョゼフィン枢機卿の持つ楯に向かって『魔力の揺らぎ』がほとばしりだした。ジョゼフィン枢機卿の楯はその魔力を集めて輝きだす。
ジョゼフィン枢機卿がちらりと見ると、シルビア枢機卿も同じ考えだったのだろう、シルビア枢機卿の陣も同じように『魔力の揺らぎ』の傘を差し、その下でシルビア枢機卿の楯がまぶしく光り出した。
「うむ、こやつらは『神聖生誕教団騎士団』か。ならばわらわも全力でかからせてもらおう」
アルベドはそう言うと、『アルベドの剣』に透き通った緋色の『魔力の揺らぎ』を燃え立たせながら、二人の枢機卿が率いる部隊を薙ぎ払うように横殴りの斬撃を放った。
ズドドン!
アルベドの斬撃は、熱く、鋭く、重い斬撃波を地上に送る。その斬撃波は見事に二つの騎士団を捉えた。
しかし、『女神の守り』の陣を敷く騎士団は、身じろぎもせずにその場所に突っ立っていた。
「ほほう、わらわの斬撃波を耐えるとは、すさまじい人間たちもいるのじゃな」
アルベドはそう言うと、再び斬撃波を地上に放つ。
ズドゥム!
再び地上に大きな砂煙が舞い立つ。騎士団はこの攻撃にも耐えた。
そして、ジョゼフィン枢機卿は、自らの楯に十分な魔力がこもったのを見て取ると、さっと剣先をアルベドに向けて叫んだ。
「総員、『女神の裁き』発射!」
すると、ジョゼフィン枢機卿の剣先から、まぶしい光の帯が噴出した。
「むっ!?」
アルベドは、その『魔力の帯』をみて、とっさにかわそうとしたが、一瞬速く、光の帯はアルベドを捉えた。
ドバン!
「げえっ!」
アルベドは、光の帯に胸を貫かれて呻いた。そこに、
ドブシャッ!
「ぐおーっ!」
今度はシルビア枢機卿の陣から放たれた光の帯が、アルベドの胸を再び貫いた。
「……くっ……人間どもめ……いや、この魔力は……」
アルベドは魔力で傷をふさごうとしたが、傷からは光のチリが舞い上がり、なかなか傷が治らないのを知って悟った。
「……ホ、ホルンじゃな」
そう言うと、アルベドはバビロン郊外の上空100フィートのところで、大爆発を起こした。
その爆炎と響きは、バビロンまで10マイルにまで戻ってきていたシャロンの騎士団に届いた。
「……何の爆発かしら?」
オリザが怯えたように言うと、シャロンは笑って答えた。
「きっと、オリザ様のお兄様であるザール様が、敵をやっつけられたのでしょうね」
そうは言ったものの、シャロンは爆発の直前の光景などから、
――あれは、『女神の裁き』に違いない。ジョゼフィン枢機卿とシルビア枢機卿がそれほどの技を使われたとすれば、相手は相当な存在、女神アルベドであってもおかしくない。
そう想像し、すぐにレベッカを呼んで秘かに命令した。
「レベッカ、あの爆発はただ事じゃないわ。私たちはオリザ様を護衛している関係上、できれば戦いを避けたい。バビロンで何が起こったのかを見て来てくれないかしら?」
レベッカはその命令を受けると、ニコリと笑って答えた。
「分かりました。あの爆発は『女神の裁き』ではないかと思います。何が現れたので枢機卿がその技を使われたのか、その敵はどうなったかを見てきます」
レベッカは100人ほどを連れると、シャロンの本隊から先行した。
「シャロン、今の爆発は何事だ?」
シャロンは、突然上空からそう問いかけられてびっくりしたが、声の主がザールであることを知ると、ほっとしたように言った。
「心配ございません。女神の騎士団の奥義、『女神の裁き』です」
そして、地面へと降りてきたザールの顔を見てシャロンは一瞬、顔をこわばらせた。ザールの左目は、斜めに深くえぐられた傷で潰れていたからである。
ザールは顔色を変えたシャロンをやさしく見つめて言った。
「大事ないぞ。アイラとの戦いで受けただけだ、もうすっかり痛みはない……それよりシャロン、オリザを守り抜いてくれて感謝するぞ」
ザールは、人垣の向こうから恐る恐るこちらを見つめているオリザを見つけて言う。
シャロンは首を振り、謝った。
「いえ、オリザ様は私の不覚でアルベドに連れ去られていました。少し前に奪還して参ったものです。すみませんザール様、そのせいでオリザ様には記憶がなくなってしまわれています」
それを聞くとザールは一瞬厳しい目をしたが、ちらりとオリザを見て小さくうなずくとシャロンに言った。
「分かった。それではオリザを連れて来てくれ」
シャロンはうなずいてオリザのもとに歩み寄ると、丁寧にお辞儀をして言った。
「オリザ様、お兄様のザール様がおいでです。一緒に御前に参りましょう」
オリザはそれを聞くと、パッと頬を赤くしてうなずいた。
「……あれが、ザール様。あんなに素敵なお方がお兄様だなんて悲しいわ」
そう呟くオリザに、シャロンは笑って言った。
「ずいぶんと贅沢なお悩みですよ?」
やがて二人がザールの前に来た時、ザールはオリザを抱きしめて言った。
「よく無事でいてくれた。僕はうれしいぞ、オリザ」
いきなり抱きしめられたオリザはどぎまぎしていたが、やっとのことで手を動かしてザールの背中に手をまわして言う。
「ありがとうございます、ザール様」
その時、ザールはゆっくりとオリザを離すと、その細い肩を両手でつかみ、緋色の瞳でペールブルーのオリザの瞳を見つめて言った。オリザはザールの瞳に魅入られたようにうっとりとしてしまっていた。
「C’est im quo vatis Domine, Rarum diet basirico L’hotel ju ne-treile Casios Doraconista……思い出すとよい、我らのことを」
すると、オリザの身体から力が抜け、ぐったりとザールにしなだれかかった。ザールはオリザの身体をしっかりと支えると、シャロンに目配せした。シャロンはその意を悟って近づいてくる。
「シャロン殿、オリザをしばらく寝かせておいてほしい。僕はこれからカッパドキアに行く。そこが最後の決戦場だ」
「分かりました。オリザ様のことはご心配なく」
ザールはシャロンにオリザを引き渡すと、緋色の瞳を持つ目を光らせて、
「頼んだぞ」
そう一言いい、『止翼の白竜』となって空へと飛び立っていった。
(54 蒼炎の黒竜 完)
女神アルベドとホルンたちは一進一退の戦いをしていますが、形勢は段々とホルンたちに有利になってきています。
そしてオリザも救出され、ジュチやリディア、ロザリアたちも戦局を動かす場所へと集まり始めます。
次回の『55封印の大地』をお楽しみに。




