53 決戦の白竜
女神として目覚めたホルン、プロトバハムートの力を開放したザール。二人の英傑は女神アルベドと終末竜との、この世の破壊と再生を賭けた最後の戦いの幕が開けた。
『女神アルベド篇』、盛り上がってきました。
【主な登場人物】
♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘で王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。26歳。
♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。15歳程度。
♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。23歳。
♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。21歳。
♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で『この世で最も高貴な一族』であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けるがチャラい。金髪碧眼の美青年。23歳。
♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。21歳。
♧ガイ・フォルクス…26年前にスケルトン軍団から国を滅ぼされたアクアロイドの王族。頭脳明晰で冷酷非情だが仇討に協力したホルンに恩義を感じている。29歳。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「ふむ、命が惜しくないらしいな……『絶対零度の揺籠』!」
アンティマトルは、ノイエスバハムートに向けて氷結竜の技を放つ。その魔力が通過する場所は、すべての原子が基底状態になり、空間が凍り付いた。
「何ッ⁉」
ノイエスバハムートは意外な技に驚き、急いで軌跡を変えようとするが、
ゴウウッ!
「ゔっ!」
絶対零度の魔力に捕らえられ、冷たい霧の中に捕らえられてしまった。
「ふふ、ノイエスバハムートよ、そなたはそこで凍り付け」
アンティマトルは笑ってそう言うと、再びバビロンへと飛び去って行った。
「くそっ! これくらいで参るものか」
ノイエスバハムートは、急激に温度が下がっていくため辺り一面に出現するキラキラしたアイスダストを、緋色の右目で見つめて言う。身体中に張り詰めていく氷に動きを封じられる前に、何とかしなければならない。
けれど、速度を上げてこの霧から脱出しようとしても、霧はノイエスバハムートを離さないように移動する。
「どうしても僕を氷漬けにしたいらしいな……厄介な」
ノイエスバハムートは、そう言うとゆっくりと目を閉じる。そして精神を集中させて『魔力の揺らぎ』を開放しだした。白く、温かい色の光が、冷え冷えとした空間を満たしていく。
「C’est im Doraconista en schbartz tues elli l’eim est bine Torpierdo. Ju suis remones hour, terrest aus et important Valler」
呪文詠唱が終わり、十分な魔力が2枚の『止翼』に集まったと感じたノイエスバハムートは、
「空間よ、弾けろ! 『時空の励起』!」
そう叫ぶ。その瞬間、ノイエスバハムートの周囲の空間から電光がほとばしり、ミストをみるみるうちに消してしまった。
「アンティマトルよ、貴様を絶対にプロトバハムート様のもとに還してみせる」
ノイエスバハムートはそうつぶやくと、6枚の翼を広げて再びアンティマトルを追撃し始めた。
★ ★ ★ ★ ★
ゾフィーの声がホルンに語りかける。
“私は女神ホルンの『智慧の力』、そなたに『智慧の時』を授けるために、今まで長い間生きてきた”
ホルンは、目を閉じたまま、ゆっくりと『糸杉の剣』を握り直す。
“さあ、ホルンよ、女神の翼を広げるが良い”
ホルンは、光の中でゆっくりと目を開ける。そして背中の翼をゆっくりと広げた。それまでの右翼だけの『片翼の黒竜』は、いまや美しい羽毛に包まれたフェザードラゴンの両翼を、虚空いっぱいに広げていた。
「行くわよ、女神アルベド」
ホルンが静かに言うと、彼女の周りを守っていた光のチリが風に吹かれたように流れ去る。
「はっ!」
それを見透かしたように、アルベドは『アルベドの剣』で斬りかかって来た。
チィーン!
ホルンはその斬撃を慌てもせずに『糸杉の剣』で受け止めると、翠の瞳を持つ目でアルベドをまっすぐ見つめて言った。
「ゾフィー殿を斬ったのは、あなたのミスだったようね?」
アルベドは緋色の瞳を持つ目を細めて言う。
「……思い出したんじゃな? いよいよ厄介なことになったようじゃのう」
「……そうね」
ホルンは短く言うと、フェザードラゴンの翼を広げて、
「とりあえずゾフィー殿の分は返すわ。『羽毛の幻惑』!」
ヴォンッ!
「むっ⁉」
アルベドは自分の周囲に突然風が巻くのを感じてホルンから飛び離れる。しかし、ホルンの魔力はしっかりとアルベドを捉えていた。アルベドの視界は幾万もの白い羽根の渦巻きによって遮られる。
「しゃらくさい、『超光速の同時存在』!」
魔法を発動すると、アルベドの姿が消えた。けれど、アルベドはその視界にホルンを捉えて愕然とする。先ほどまでのホルンはアルベドの姿を捉えることもできずになすがままになっていたのに、今のホルンはアルベドの姿をしっかりと捉え、そして正確な斬撃まで放って来たからである。
「やっ!」
「くっ!」
アルベドはすんでのところでホルンの斬撃をかわすと、かなりの間合いを開けてホルンと正対した。
「……女神ホルン、そなたに一つ訊きたいことがある……」
アルベドが言うと、ホルンは『糸杉の剣』を後ろに回してうなずく。
「何かしら?」
「そなたとわらわは双子。わらわの気持ちが判るはずなのに、なぜ英雄ザールの味方をしたのじゃ?」
アルベドの問いに、ホルンは短く答えた。
「あなたが間違っていたからです。女神アルベド」
女神アルベドは、それを聞いてムッとしたように言う。
「この世の摂理とは何じゃ?」
「生まれたものは必ず死ぬこと、いかなるものにも永遠はないことです」
ホルンの答えに、アルベドは頷く。
「すべてのものに必ず終わりがあるのであれば、プロトバハムートにすら終わりはあるはずじゃ、違うか?」
「……否定はしません」
アルベドの投げかけに、ホルンはそう言ってうなずく。
「プロトバハムートに終わりがあるのであれば、その後にアンティマトルが摂理を担う存在となっても良いはずじゃ。違うかの?」
この言葉には、ホルンは首肯しなかった。
「アンティマトルは『破壊と再生』、プロトバハムート様は『生成と調和』、それぞれの性質が違いますので、その説は支持できません」
そう言った後、ホルンは強い口調で、
「そもそも、プロトバハムート様の正義とは調和のことです。すべての物事が響き合うとすれば、その響き合いは調和を生み、その調和によって世の摂理は動きます。調和を崩す存在のアンティマトルが、世界の生成を行えるはずもありません」
そう言うと、ホルンの額に白い刻印が現れた。『根源への回帰』である。アルベドはその刻印を冷たい目で眺めていたが、やがて
「……話をしてみれば分かり合えるかと思っておったが、そなたとは決して分かり合えぬことが分かったぞ」
そう言って『アルベドの剣』を構えるアルベドに、ホルンもうなずいて答えた。
「話をすれば分かり合える……私もそう思っていましたが、考えが甘かったようです。そもそも、あなたが英雄ザールに宇宙を手に入れようと唆した時、気付くべきでしたけれど……」
そしてホルンも『糸杉の剣』を握り直して言った。
「……決着をつけましょう。ゾフィー殿が長きにわたって望まれていたように。『観測と決定』と『超光速の同時存在』!」
「えっ⁉」
アルベドは驚いてホルンを見つめた。けれど、その網膜に映ったホルンはすでに残像だった。
バシュッ!
「おおっ!」
アルベドの背中に、ホルンの『糸杉の剣』が奔った。
★ ★ ★ ★ ★
「まさか貴様たちのような下賤のものと戦わねばならないとはな……」
黄金の鎧に身を固めたザッハークは、自分を左右から挟み撃ちしようとしているリディアとガイを眺め、唇を歪めて吐き捨てるように言う。
それに、ガイが答えた。ガイは深い海の色をした冷たい瞳で、ザッハークを蔑むように笑って言う。
「はっはっ、自らの所業を棚に上げて何を言うか。生まれが高貴であると自負するのであれば、その生まれに恥じぬような高潔さが必要であろう。そなたのような者はホルン陛下と比べるまでもない、品性下劣な殺人鬼め」
それにリディアが同調する。
「アタシさぁ、ずっとザールを見てきているから、高貴な人って自らを律することに厳しいもんだと思っていたよ。アンタが国王だった時代、この国の人たちが幸せを感じられた時ってあるのかな? アタシがザールと一緒にこの国を見て回った時、アンタのおかげで暮らしに困っている人たち、数えきれないほど見て来たよ」
二人の言葉を目を据えて聞いていたザッハークは、茶褐色の髪をかき上げ、怒りに緋色になった瞳を露わにして言った。
「余が大望、下賤の者どもには分からぬ。かかって来い」
「問答無用かぁ、アンタの大望って何さ? 単にアンタがこの世のすべてを支配したいってだけじゃないの? そんな望みなんてザールや女王様の望みと比べたらバカバカしくてやってられないよ」
リディアの言葉に、ガイが冷え冷えとした声で笑って言った。
「ふん、リディア、こんな奴とは話をするだけ無駄だ。せっかくかかって来いと言っているんだ。楽しませてもらおうじゃないか」
そして、ガイは『オンデュール』で電光石火の突きを放つ。
「やっ!」
「おうっ!」
ギャンッ!
ザッハークが大剣で蛇矛を弾き上げたところに、
「貰ったよっ!」
ぶううん!
リディアの大青龍偃月刀が異様な音を立て、横殴りにザッハークを襲う。
「うむっ」
ザッハークが避けるのを見て、ガイが『オンデュール』を奔らせる。
「だっ!」
「ちっ!」
ガイン!
ザッハークの大剣と『オンデュール』が火花を散らす。
「ええーいっ!」
ぶうつん!
「おうっ!」
ザッハークはリディアの『レーエン』に対しては受けではなく避けるような行動を取っている。まあ、ジーク・オーガである彼女が使う大青龍偃月刀『レーエン』は、重さが82キッカル(この世界で約2・78トン)もある。生半な武器ではその重さを受け止めることはできないし、仮に受け止めたとしても腕が痺れてしまうだろう。
ガイもそのことを見抜いていた。そのため、ザッハークの動きを読み、逃げる方、逃げる方へと『オンデュール』を繰り出していく。ザッハークは防戦一方となった。
「とおっ!……はっ!」
「うおっ⁉」
ガイの突きから変化した斬撃に、ザッハークは態勢を崩す。
「だあああーっ!」
その一瞬の隙を見逃さなかったリディアが渾身の斬撃を放った。
ぶおんっ!
「くっ!」
ザッハークはとっさに大剣を回して『レーエン』を受け止めたが、
パーン!
甲高い音を立ててザッハークの大剣が折れた。
「ちっ!」
「勝機!……おっ!」
ザッハークは舌打ちをして、折れた大剣を突きかかって来たガイに投げつける。ガイは身体をひねってそれを避けたが、さらに攻撃をしようとした時にはザッハークは、かなりの間合いを開けていた。
「今度こそ、貰った!」
リディアがすかさず斬りかかるが、
「甘いぞ小娘!」
ザッハークは、右手をリディアに向けて『魔力の揺らぎ』を叩きつけた。
ボシュンッ!
「げっ!」
リディアは、瘴気を含んだ魔力の打撃を受けて、後ろにひっくり返った。
「……くっそ~、良いところだったのに……あっ!」
リディアは腰をさすりながら立ち上がると、自分の胸当が魔力と瘴気によってボロボロになっているのを見て驚いた。
「ガイ、あいつの瘴気はバカにできないよ」
リディアが言うと、ガイも目を細めてうなずく。
「だろうな」
二人のやり取りを聞いて、ザッハークは不敵な笑みを浮かべて笑った。
「はっはっはっ、余は女神アルベド様の祝福を受けている、余に勝てる者がこの世にいるわけがない」
そう言うと、両手に瘴気と魔力で造られた剣を現出させた。
「さて、これからが本番だ。この剣で斬られたらその傷は腐り落ちるぞ。気を付けておくがよい……さて、最初はフォルクスの小僧、貴様だ!」
ザッハークはそう言うと、双剣を回してガイに斬りかかった。
「くっ!」
「それそれ、逃げてばかりでは余は倒せぬぞ?」
ガイは次々と繰り出される双剣の斬撃を、恐るべき身のこなしで避ける。相手の剣が瘴気を含んでいるのを考えて、『オンデュール』で弾くことを避けているのだ。
けれど、いつまでもそのような手は使えない。たとえこのような戦いに慣れているガイであっても、いつかは回避パターンを相手に読まれてしまうだろう。
「くっ、ガイ、頑張れ! うおおおーっ!」
リディアの額に刻まれた『希望の刻印』が紅蓮の光を放ち、それが『魔力の揺らぎ』とともに彼女の身体を覆いつくした。
「やあっ!」
「なにっ⁉」
ガーン!
ザッハークは、いきなり斬りかかって来たリディアに対応できず、とっさに左手の剣で『レーエン』を弾いた。鈍い音とともに、ザッハークの腕に思い切り殴られたかのような衝撃が走る。
――なんと重い斬撃じゃ!
ザッハークは思わずそう感嘆したが、更なる衝撃がザッハークを襲った。リディアの得物『レーエン』には、傷一つついていなかったのだ。
それはリディア自身も不思議に思っていた。ガイの危機を救うために思わず斬りかかったが、最悪『レーエン』は腐食して使い物にならなくなると覚悟していたからだ。
「……あの瘴気で傷がつかないのなら、思いっきり暴れてやるよ」
リディアはそう言うと、『レーエン』を振り上げてザッハークに突進した。
「なるほど、『魔力の揺らぎ』か。私も試してみる価値はあるな」
ガイもそうつぶやくと、水色の『魔力の揺らぎ』で身を包む。それはまるで水の膜のように『オンデュール』も包み込んだ。
「さて、ここからが本番らしいからな」
ガイは皮肉を言うと、『オンデュール』でザッハークの胸を薙ぎ払った。
「えやっ!」
「うおうっ!」
ガン、ガキン、シャリーン!
それでもザッハークは、双剣を回してガイとリディアの攻撃を弾き飛ばし続けた。
★ ★ ★ ★ ★
『絶対零度の揺籠』から抜け出したノイエスバハムートの目に、遠くアンティマトルの姿が見えだした。
「よし、奴がバビロンに着く前に追いつけるぞ」
ノイエスバハムートは、そうつぶやくと、さらにスピードを上げる。バビロン付近ではホルンとアルベドが戦っているはずだし、バビロン周辺にはたくさんの人々が暮らしている。できるだけアルベドとアンティマトルを合流させない方がこちらに有利だし、人々の被害も少なくなる。
一方、アンティマトルもノイエスバハムートの追撃に気付いていた。
「ふむ、想定内ではあるが、あの『絶対零度の揺籠』を破るとはな……これはホルンと合流させたら、女神アルベド様に不利になるかもしれぬな」
アンティマトルはそうつぶやくと、
「……よし、奴はここで倒す。その後はホルンだ」
そう決心し、ノイエスバハムートを待ち受けることにした。
「どうやら僕とここで決着をつける気らしいな」
ノイエスバハムートは、アンティマトルがバビロンに向かうことを放棄し、こちらに向き直ったことで相手の考えが分かった。1対1の戦いで自分を倒し、女神アルベドとともにホルンに当たろうというのであろう。
――そううまく行くものか。見ていろ、アンティマトル。
ノイエスバハムートは、そう思いながらさらに距離を詰める。と、アンティマトルの翼が赤黒く光るのを見て、ノイエスバハムートはすぐさま上昇した。
ゴウウッ!
『魔力の揺らぎ』が脚の下の空間を通り過ぎる。ノイエスバハムートがそのまま直進していたら、直撃だったろう。
「そう言えば、あいつには全方位への攻撃魔法があったな」
ノイエスバハムートは以前の戦いを思い出し、自らの身体を白い『魔力の揺らぎ』で包み込んだ。
ドウンッ!
「ぐおっ!」
ノイエスバハムートは、間一髪、アンティマトルの『魔竜の火炎』を直撃することは避けられたが、そのあまりの魔力の強さに少し驚いた。
――ふむ、ザッハークは別の意識体として分離しているのに、まだこれほどの魔力を残しているのか……油断してはいけないな。
ノイエスバハムートはそう思うと、アンティマトルから500フィートほど離れたところまで間合いを取る。
「どうした、ノイエスバハムートの小僧。せっかく余が相手してやろうというのだ。かかって来ないのか?」
アンティマトルはそう言って笑う。アンティマトルの体長は500メートルを超えていて、それは200メートルのノイエスバハムートの倍以上だ。当然、体を覆う鱗もそれだけ硬いと思われる。
けれど、戦いは身体の大きさだけではない。魔力の大きさとしては、両者はほぼ拮抗していたし、使う魔法の強さもほぼ一緒である。
――とすると、僕の取るべき手は一つだ。
ノイエスバハムートは6枚の翼をサッと広げて、アンティマトルへと突進を開始した。
「ふむ、そなたもあのリヴァイアサンのように、余の『崩壊の序曲』で消滅したいようだな」
アンティマトルがそうつぶやいて、その口に大きな光球をつくり始めた時、ノイエスバハムートの姿が何十にも分裂した。
「そうはいくか、『万華鏡の揺らめき』だっ!」
「むっ⁉」
アンティマトルは、一瞬どれがノイエスバハムートか分からずに狼狽したが、それ以上に狼狽したのは、ノイエスバハムートが『怒りのアイラ』の術式を使えるということだった。ザールはアイラの存在を受け止め、完全に同化してしまったらしい。
「くそっ」
ザシュッ!
ノイエスバハムートがアンティマトルの横を通過した。その時、アンティマトルの鱗が何枚か弾け、そして皮膚が斬り裂かれた。『魔爪の剔抉』である。
この瞬間、アンティマトルは自らの判断ミスに気付いた。
一つは、ノイエスバハムートが存在を分離していないということである。
アンティマトルのようにドラゴンと人間という形で意識体を分離すれば、どちらかが倒されても片方が残れば復活できる。しかし、ノイエスバハムートのように存在を一つに固めていれば、その魔力や生命力は分散しないのである。存在を分離したアンティマトルの不利であった。
次に、あえて1対1の戦いをしてしまったということである。存在を分離していても、女神アルベドとの共闘ならばアンティマトルの勝ち目はかなり大きくなっただろう。それを1対1の戦いとしてしまったのは、アンティマトルの失策だった。
最後に、今戦っている空域は、ほぼ無人地帯であることだ。これによりノイエスバハムートも全力で術式を使って来るだろう。ザールは人々に無意味な犠牲を強いるのを嫌う。その性格を逆手に取った戦いができなくなったということである。
さらに……
ノイエスバハムートは、アンティマトルの想像をはるかに超える速さでその懐に飛び込み、アンティマトルの翼の付け根にかみついた。
「グエエエエエ!」
アンティマトルが叫び声を上げた時、
「『時空の励起』!」
バチイッ! バリバリバリ!
「グアアアアアッ!」
アンティマトルの周囲に凄まじいまでの電光が奔り、そしてその巨大な体を包み込むような爆発が起こった。
ドグワーン!
「ぐあっ!」
アンティマトルは、身体のあちこちから煙を上げながら、地面へと叩きつけられた。
ドドドーン!
砂漠の砂にめり込んだアンティマトルの身体は、地上200メートルを超える高さまで砂煙を噴き上げた。
「『魔竜の業火』っ!」
ゴウウッ!
ノイエスバハムートは狡猾だった。砂煙の中に飛び込むのではなく、上空から熱線を浴びせかける。地上で何とか態勢を整え、ノイエスバハムートが飛び込んできたら返り討ちにしてやろうとしていたアンティマトルは、再び大きなダメージを負う。
「がっ!」
アンティマトルは業火から逃れるように巨大な翼を広げ、一気に上空へと飛んだ。砂煙を抜けると、前方にノイエスバハムートがいる……そのつもりで『魔竜の火炎』を準備していたアンティマトルは、
ズガーン!
「ぐはっ!」
今度は背中にノイエスバハムートの体当たりを受けてよろめく。そこに再び、
「『時空の励起』!」
バチイッ! バリバリバリ!
「グオオオオオッ!」
アンティマトルの周囲に凄まじいまでの空電が光り、その巨大な身体は高温の爆炎に包まれた。
ドグワーン!
「ぐあっ!」
再び身体中を炎に包まれて地面に激突するアンティマトル。今度はノイエスバハムートに翼を掴まれたまま、地面へと墜落した。
ドッゴーン!
「食らえっ! 『魔爪の剔抉』!」
ズブシュッ!
「おおーっ!」
ノイエスバハムートの硬い爪は、やすやすと鱗を割り、皮膚を斬り裂き、肉にめり込んで行く。アンティマトルは、その左胸に大きな風穴を開けられた。
「余は、余はこの程度では負けぬーっ!」
アンティマトルは、左胸の傷から血を噴き出しながら吠える。そして吠えつつ太い腕を振り回した。
ガンッ!
「ぐっ!」
ノイエスバハムートは、アンティマトルの腕が直撃して吹き飛ばされる。けれど、すぐさま体勢を立て直して、アンティマトルの次の攻撃をかわした。
「ザールっ! 余は、そなたには負けぬっ!」
アンティマトルはやっと立ち上がり、ノイエスバハムートに『崩壊の序曲』を放つ。
ヴオンッ!
「くっ!」
ノイエスバハムートは恐るべき光球の直撃を避けた。しかし、後ろで爆発した『崩壊の序曲』の破壊エネルギーを避けられなかった。
ズバーン! グオンッ!
「おおっ!」
ノイエスバハムートは、自分の背後わずか200ヤードに、グロス山脈から派生した山地が聳えているのを見過ごしていたのだ。その山地は『崩壊の序曲』の直撃で大爆発を起こし、その爆風はノイエスバハムートの背後から襲い掛かった。
「しまったっ!」
ノイエスバハムートが態勢を崩した時、次の『崩壊の序曲』の光球は、すぐそこまで迫って来ていた。
★ ★ ★ ★ ★
「……決着をつけましょう。ゾフィー殿が長きにわたって望まれていたように。『観測と決定』と『超光速の同時存在』!」
「えっ⁉」
アルベドは驚いてホルンを見つめた。けれど、その網膜に映ったホルンはすでに残像だった。
バシュッ!
「おおっ!」
アルベドの背中に、ホルンの『糸杉の剣』が奔った。
「くっ!」
しかし、アルベドは痛みに負けずに、
「ふふっ、そなたも神の魔法を使えるようになったことを失念しておったわ」
そう笑うと、
「では、わらわも使わせてもらおうかの。『観測と決定』と『超光速の同時存在』!」
そう、魔力を開放する。
神の魔法の力を全開まで発動したアルベドとホルンは、はた目では何が起こっているのか分からないほどの速さで剣を交えていた。
「やっ!」
「とおっ!」
カーン!
「やあああっ!」
「は、たっ、はっ、やっ!」
カン、キーン、シャリン、チイィン!
斬る、突く、殴る、蹴る、そして受ける、弾く、流す、避ける……二人の戦いは時が流れるにつれて激しく、そして速さを増していった。
「やああっ!」
アルベドの『アルベドの剣』がホルンの喉元をかすめる。
「ええいっ!」
「むんっ!」
ジャンッ!
ホルンの『糸杉の剣』がアルベドの胸を狙って繰り出されるのを、アルベドは剣を回して弾く。
その動き一つ一つが波動を生み、その波動は空間を震わせ、地面を震わせていた。
ズズ……ズシン!
ホルンとアルベドの戦いから発せられる波動に耐え切れず、バビロン郊外にあった高楼が崩れ落ちた。
ジュチとロザリアがこの空域に現れたのは、ちょうどその時だった。
「これは……私たちでは手が出ないのではないか?」
眼前に繰り広げられる激しい戦いに気を飲まれたロザリアが言うと、ジュチはニコリと笑って答えた。
「そうかも知れないね……でも、アルベドを封印するためにはここでは無理だ。女王様が戦っている間に、ボクたちはその準備を進めよう」
ジュチが言うと、ロザリアは不思議そうに訊く。
「女王様の加勢のためにここに来たのではなかったのか?」
ジュチはその問いに、顎をしゃくって答えた。
「あの様子では、ゾフィー殿は女神ホルンを覚醒させたに違いない。でなければ『観測と決定』と『超光速の同時存在』みたいな術式は使えないからね?」
そこで言葉を切ると、ジュチはロザリアの紫紺の瞳をまともに見つめて訊いた。
「ロザリア、キミはアルベドがどこに封印されたか知っているかい?」
ロザリアは即答する。
「カッパドキアじゃろう? 何を当たり前のことを訊くのじゃ?」
するとジュチは、真剣な顔で問いかける。
「そうだね、当たり前だ。けれどロザリア、アルベドが目覚めて数世紀、その間にカッパドキアの結界がなくなってしまっていたとしたら?」
その問いに、ロザリアが黙り込む。たしかに、女神アルベドがカッパドキアに封印されたのは神話にも書いてある。その場所には『アルベドの神殿』すら建っている。
けれど……そこでロザリアはハッとした表情になる。
ジュチはうなずいて言った。
「キミが気付いたとおりだ。女神アルベドがここにいるということは……」
「……封印がなくなった、ということじゃな?」
ロザリアの言葉に、ジュチは頷く。そして再びホルンとアルベドの戦いをしばらく眺めていたが、やがてロザリアを振り向いて言った。
「アルベドの封印には、『剣と知識と慈愛』がいる。剣は女王様が持っているが、この場合の『知識』とは封印場所の結界の編み込みのことで、『慈愛』とは、剣と結界の二つを包み込む力のことだ。結界の編み込みはボクが行うから、キミには『慈愛』の発動……つまり『神聖生誕教団』の法王の力を借りてくれ」
「……なるほど、『光と闇の祈り』のことじゃな? 分かった、任せておくがよい」
ロザリアはちょっと考えてそう言うと、改めてジュチの顔をまじまじと見て言った。
「そなた、パラドキシアとの戦いで何があったのじゃ?」
「……どうしてそんなことを訊くんだい?」
ジュチは笑って言う。そんなジュチの笑顔に、何かしら不安なものを感じてロザリアはさらに訊いた。
「ここしばらく、私はそなたに対して違和感を覚えておった。そなたの笑顔があまりにも不安なのじゃ。まるで今すぐにでもこの世から消えてしまいそうでな……」
ロザリアが勇気を振り絞ったように言う。ジュチはその言葉を目を閉じて聞いていた。
「……そなたに何があったのかは聞かぬ。しかし、そなたは我々にとってかけがえのない仲間じゃ。ザール様だってきっとそう思っていらっしゃるに違いない。じゃから、約束してくれ、私たちをおいてどこにも行かぬと……私はもう、お師匠様とのような別れ方は嫌なのじゃ!」
目に涙を浮かべて言うロザリアの言葉を、ジュチは眉を寄せて聞いていたが、やがて目を開けて大きなため息を一つつくと、笑って言った。
「……すまないね、心配かけて。でもボクだってキミたちは得難い仲間たちだ。ザールの夢はボクの夢でもあるし、この戦いの後の世界もこの目で見てみたい。だから、ボクは決してどこにも行かないさ。それは約束するよ」
それを聞くと、ロザリアは涙の残った眼で笑うと、
「それを聞いて安心した。では私はダマ・シスカスへと参ろう。そなたも気をつけてな? ジュチ」
「了解したよ。では、亜空間酔いに気をつけて」
ジュチがそう言いながら空間に『転移魔法陣』を描くと、ロザリアはその中に入って姿を消した。
やがて、ジュチは自分用の『転移魔法陣』を描きながらつぶやいた。
「やれやれ、これじゃボクは死ねないな」
★ ★ ★ ★ ★
ザッハークは、双剣を回してガイとリディアの両雄を相手に激闘を続けていた。
ザッハークはドラゴンとしての魔力は分離したが、アルベドの祝福を受けている。
当然、ただの人間とはけた違いの魔力を持っていた。
一方のリディアとガイは、ジーク・オーガとアクアロイドであり、もともと人間とは段違いの魔力を誇っている。ましてやこの二人は、ホルン挙兵の当初から常に先鋒を承って戦い、堅陣をぶち破って来た。今や『炎の告死天使』リディアと『紺碧の死神』ガイの名は、天下に轟いている。
そのため、こちらの戦いもドラゴン同士の戦いとは違った意味で激戦となっていた。
「なかなか強いな、気が抜けん」
ガイは、『オンデュール』を振り回しながらそうつぶやく。ザッハークに名乗りかけてからすでに半時(1時間)、ずっと戦い続けているのだ。それもリディアも一緒に戦っているのに、なかなか隙が見えない。
「まったく、女神様ってのはこんなに手強いのかな? だとしたら女王様もなかなかの強さだってことになるのかもしれないけれど」
リディアも『レーエン』を引き寄せながらつぶやく。彼女もあらん限りの力を振り絞って戦っているのだが、ザッハークの体力は底なしのようである。
けれど、そのザッハークも、二人の強さに驚いていた。相手はジーク・オーガやアクアロイド、地上最強の戦闘種族ではあるが、女神の祝福を受けた自分であれば鎧袖一触とタカをくくっていたのである。
ザッハークは、何を思ったか双剣を引くと、サッと間合いを開けて言う。
「二人とも、見事じゃ。さすがにそなたたちは双方、地上最強の戦闘種族を誇るだけはある。余は感じ入ったぞ」
「……なんかお褒めの言葉をいただいて恐縮だけれど、続きはやらないのかい?」
リディアが言うと、ザッハークはガイをチラリと見て言う。
「率直に言おう、余はそなたたちが惜しい。今までの行きがかりもあり、余に対しての恨みつらみもあろうが、敢えて言う、余の配下にならぬか?」
するとガイが即座に拒否した。
「どの面下げてそのようなことを言えるのだ? 私は父母と姉リアンノンの恨みを忘れてはおらぬぞ?」
するとザッハークは、理解のうなずきをしてさらに言う。
「うむ、ガイ・フォルクスよ、そなたはそう言うであろうとは思っていた。けれど、余はそなたの父母や姉に対して恨みを持っていたわけではない、主義の戦をしただけだ。決着がついた上はそこに恨みを残してなんとする? 受け入れがたいかもしれないが、余に忠誠を誓えば、余はそなたを喜んで帷幕に加えるし、そなたたちアクアロイドの未来は約束するぞ?」
けれどガイは、あくまでもその青い瞳に冷え冷えとした光を宿したまま、キッパリと言った。
「断る。貴様は私の不倶戴天の敵だ」
ザッハークは、続いてリディアを見た。リディアも気の良さそうな可愛らしい顔をニコリとさせて言う。
「あのさぁ、一つ訊きたいんだけれど、アンタに忠誠を誓うってことは、ザールを裏切れってことだよね?」
ザッハークはあくまで静かに答えた。
「そなたがザール殿を説いて、余の帷幕に連れてくるのであれば、ザール殿を裏切る必要はないぞ?」
するとリディアはくすくす笑いだした。
「何がおかしいのかね、ジーク・オーガのお嬢さん?」
「ああ、悪いね。アンタがザールのことを知らなさすぎるのがおかしくてね?」
リディアは笑いながらそう言うと、笑いを収めて、
「ザールはね、『すべての種族がお互いに尊重し合い、幸せを感じられる世界』をつくろうと努力しているんだ。そんなザールに、アンタと仲良くしたほうがいいよって言ってみな? アタシはザールから仲間と思ってもらえなくなるし……」
そこでリディアは『レーエン』を持ち直して続ける。
「……アタシはもうずっと前から、ザールについて行くって決めているんだ。せっかく誘ってもらったけれど、そう言うことだから悪く思わないでおくれよ?」
ザッハークはしばらくじっとしていた。その双剣はだらりと下げたまま、ガイとリディア、二人の顔を代わる代わる見つめていたが、
「そうか、余の誘いを受けなかったことを後悔するなよ?」
そう言うと、一瞬でガイの後ろに回り込んだ。瞬きする間もないほどの速さだった。
ドシュッ!
「ぐおっ⁉」
ガイは、いきなり背後から双剣で斬られて叫び声を上げる。ガイもザッハークの『魔力の揺らぎ』を感じ取り、前方へと跳んだのだが、一瞬遅かった。
「ガイ!」
リディアが叫んでザッハークに斬りかかる。けれどザッハークは、今まで以上に素早い動きでリディアの斬撃を左手の剣で受け止め、右手の剣で真っ向から斬り下げて来た。
――やべっ! ザールっ!
リディアは、振り下ろされる剣の痛みに耐えるように目を閉じて身体に力を入れる。
けれど、キイイン! という鋭い音がリディアの頭の上で響き、リディアに痛みは来なかった。
「ふふ、あの程度で私を倒したつもりだったのか?」
「ガイ!」
リディアが目を開けてみると、ガイの『オンデュール』がザッハークの剣を遮り、リディアの頭上で止めていた。
「ガイ、ありがと。やっ!」
「むっ!」
態勢を整えたリディアが、『レーエン』を横殴りに斬り払う。ザッハークは、それを受けずに後ろへと跳んだ。
「大丈夫?」
リディアがガイに心配して訊くと、ガイはうなずいて答えた。
「瘴気は『魔力の揺らぎ』で弾いていた。ただの刀傷なら慣れている」
けれど、リディアにはガイがいつもの調子ではないように思えた。それで、
「ガイ、アタシがアイツの隙を作るから、ガイが止めを刺して? 頼んだよ」
そう言うと、ガイの返事も待たずに斬りかかって行く。
「だああーっ!」
「おうっ!」
ザッハークはできる限り『レーエン』を避けようとしている。魔力と瘴気で造られた剣でも、『レーエン』ほどの重さの斬撃を受け止めるのは憚られるのだろう。
ガイは身体中のヒレを大きく広げてゆっくりと目を閉じる。目を閉じたことで、リディアとザッハークの『魔力の揺らぎ』の違いから、ザッハークの動きの先までしっかりと見えるようになってきた。
「さすがガイだね」
リディアは、ガイの態勢が完了したのを感じて、クスリと笑った。
「何がおかしい?」
ザッハークの言葉に、リディアは楽しそうに答えた。
「別に? アンタはこんな本気のどつき合い、楽しくないのかい?」
ガイは一心にザッハークの動きを追いかけている。なにがしかのパターンができた時、
「……それがそなたの最期だ」
ガイはそうつぶやく。そしてガイの身体はだんだんと虹色に輝き始めた。
「くっ!」
ガイの変化に、さすがにザッハークはまずいものを感じたのか、ガイの集中を邪魔しようと攻撃を仕掛けるが、
カン、カキーン!
「こんな可愛いアタシをほっとくのは無粋ってものだよ?」
リディアが可愛らしい顔をほころばせて、ザッハークとガイの間に割り込んでくる。
「そこをどけ!」
ザッハークが双剣を構えて次の攻撃のために跳び下がると、
「今だっ! 悪しき者はわが海神の怒りにひれ伏せ! 『残照の錐刀』!」
間髪を入れず、ガイが『魔力の揺らぎ』を発動する。
その瞬間、ガイの身体から七色の光とともに無数の刃が放たれ、刃の風はザッハークの身体をズタズタに引き裂いた。
ズシュッ、ズシャッ、ズバンッ、ズバムッ!
「ぐっ、がっ、ぐえっ、ぐふっ!」
鱗がザッハークを斬り裂くたびに、彼はうめき声を上げて身体を震わせた。
「やあーっ!」
ズシャッ!
そこに、リディアの『レーエン』が振り下ろされ、ザッハークの左肩から右脇腹までを存分に斬り裂いた。
「ぐはっ!」
ザッハークは血を噴き、その動きが完全に止まる。
「ガイ、今だよっ!」
リディアの声に、ガイは海の色をした瞳を輝かせて跳躍する。
「かたじけない、怨敵、覚悟ッ!」
バスンっ!
ガイの手刀は、見事にザッハークの首を刎ねた。ザッハークの首は、驚きの表情を浮かべたまま宙を舞い、そして地面に鈍い音とともに叩きつけられる。
ガイは、ザッハークの髪の毛を掴んで首を持ち上げると、眉間に人差し指でとどめを刺し、その目を閉じさせてリディアに言った。
「礼を言う。これで父と母、そしてリアンノンの仇が討てた」
「まだ喜ぶのは早いよ。そいつ、生き返るかもしれないよ?」
ザッハークの首を引っ提げたガイに、リディアが注意する。ガイは頷いて言った。
「生き返ってきやがったら、何度でもこうしてやる。コイツが生き返る限り、ずっとな」
★ ★ ★ ★ ★
ダマ・シスカスの南西40キロ、ハーモン山中腹にある『神聖生誕教団』の総本山で、法王のソフィア13世はロザリアと話をしていた。
法王は、いきなり現れたロザリアに驚きもせず、
「よくおいでになりました。総主教様のお弟子よ」
そう言ってロザリアを逆に驚かせた。ロザリアと法王は初対面だったからである。
「わ、私はロザリア・ロンバルディアと申す。もしかして私がここに来ることが分かっていたのかのう?」
ロザリアの驚きを見て、法王ソフィアは優しい顔でうなずいて言う。
「存じていますよ? 総主教様が女神ホルン様を覚醒に導かれたことも含めて。それに、あなたのことはゾフィー総主教様から聞いていましたし、女神ホルン様からも昨日、啓示をいただいたところです」
そして、ロザリアが何か言うより早く、
「いよいよ大詰めなのですね?」
そう訊く。ロザリアは頷いて言う。
「そうじゃ、封印結界の編み込みは仲間が準備しておる。あとは『慈愛の力』が必要なのじゃ」
それを聞くと、法王は満足そうな笑みを浮かべて言った。
「よく分かりました。あとはこの『神聖生誕教団』の出番ということですね? それでは今から『光と闇の祈り』を行い、女王陛下が女神アルベドを封印する手助けをいたしましょう」
「頼む、私はこれから女王様のところに行かんといけないんじゃ」
そう言って立ち去ろうとするロザリアに、法王ソフィアは静かに声をかけた。
「ロザリア・ロンバルディア殿、私から一つ折り入って頼みがありますが、聞いてはいただけないでしょうか?」
「何でしょうか?」
ロザリアは心は急いていたが、ほかならぬ法王からの頼みであるのでそう言った。法王は頷くと、
「我がきょうだいである騎士団は六つありますが、そのうち四つがジョゼフィン枢機卿とシルビア枢機卿の指揮下でバビロンにあります。別の一つはシャロン司教の指揮のもと、ザール殿とともに戦っています。そして、残る一つ、第1分団がここにおります……」
そう言ってロザリアを見つめて、
「……しかし、その第1分団を指揮する者がいません。私が『光と闇の祈り』を捧げる間、あなたに第1分団を指揮して私を守っていただきたいのです。ぜひともお願いできないでしょうか?」
そう言う。ロザリアは慌てて首を振る。
「そ、そんな、私は正式な信徒でもなく、教団の位も持っていないんじゃぞ?」
すると法王はクスリと笑って言った。
「あなたはゾフィー総主教様によく似ておられます。ゾフィー総主教様として指揮を執っていただければと……」
ロザリアは困ってしまったが、ふと思いついたことを質問してみた。
「ここはかなりの結界で守られておる。そんじょそこらの魔物であれば、あの結界に触れただけで消滅するじゃろう。それでもなお、守護する必要があるとすれば、ここを襲うのは何者じゃ?」
すると法王は、涼しげな顔で答えた。
「女神アルベドが最後のあがきでここを襲う可能性があります……そう言えばよろしいですか?」
ロザリアはそれを聞いてうなずいた。
★ ★ ★ ★ ★
「しまったっ!」
ノイエスバハムートがそう口走った時、アンティマトルの放った『崩壊の序曲』の光球が彼を直撃した。
ズ、ズ、ズドドン!
「ぐっ……ぐああっ!」
ノイエスバハムートは、叫び声を上げながら地面へと落下する。
「よし、ザール、貴様の首をもらうぞ」
アンティマトルはそう言うと、ノイエスバハムートを追って急降下し始めた。
――僕は、これくらいのことで負けられない。
薄れていく意識の中で、ノイエスバハムート……ザールはそう思っていた。ノイエスバハムートは衝撃でザールへと戻ってしまっていた。ザールの頭の上でぐるぐると地面が回って近づいて来る。
「よし、ザールはドラゴン化が解けている。これで勝ったぞ!」
アンティマトルは、快哉を叫びながらザールを追いかけて急降下を続ける。このままザールが地面に叩きつけられるところを見てもいい。今の高さは5千フィートはある。地面に叩きつけられたらペッチャンコだろう。
仮にザールがその衝撃に耐えられたとしても、ドラゴン化が解けていれば倒すのは容易い。アンティマトルは、そう考えて敢えて急いで追わなかった。
――だめだ、気が、遠くなってきた……。
ザールが意識から手を放そうとした時、彼の心の中に声が響いた。オリザ、ロザリア、ジュチ、リディア……みんなの顔がぼんやりと浮かんでくる。
『お兄さま、ちゃんと無事で帰って来てね?』
『忘れたら思い出させてやるわ、こうやって何度でもね?』
『ボクはキミに期待している。そんなことを思わせるなんて凄いヤツだよキミは』
『ザールはいつもどおりでいいんだ。いつものようにアタシに命令してくれればね』
――みんな……。
『私のことを、ずっと守ってくれる?』
ホルンの顔が不思議にはっきり浮かんできた。
「もちろん、そのつもりです……」
ザールは、自分の声でハッと意識を取り戻す。右目の緋色の瞳が輝いて、近づいて来る地面と、追ってくるアンティマトルの姿を捉えた。
「僕は、守るためにここにいる!」
ザールがそう叫ぶと、その姿は再びノイエスバハムートへと変わる。ノイエスバハムートは6枚の翼を大きく広げ、水平飛行を始める。
「くそっ、気が付いたか」
アンティマトルは残念そうに言うと、
「では、もう一度『崩壊の序曲』を食らってもらおうか」
と、光球をつくり始めた。
「アンティマトルめ、また『崩壊の序曲』を出してくるつもりだな」
ノイエスバハムートは後ろを見てそう思う。僕も『終末への咆哮』を出すべきか? しかし、まだその時期ではない。
「やっ!」
アンティマトルは、『時の呪縛』を使ってノイエスバハムートの逃げ足を削ぐ作戦に出た。アンティマトルが繰り出した魔法により、ノイエスバハムートの速度が目に見えて落ちた……というよりも止まってしまった。
「くそっ! 意識があるのにどうして動けない?」
何とか動きを取り戻そうと必死なノイエスバハムートを憫然と眺めながら、アンティマトルは勝ち誇って叫んだ。
「ノイエスバハムートよ、そなたはここで消えるのだ! 『崩壊の序曲』!」
ゴウウッ!
光の球がノイエスバハムート目がけて飛んでくる。さしものノイエスバハムートも、
「もう駄目だっ!」
そう覚悟を決めた、その時である。
「なっ!?」
アンティマトルはそう絶句してしまった。それは、『崩壊の序曲』の光球が消えてしまったからではなく、自分が動けなくなったからでもなく、ノイエスバハムートが動けるようになったからでもなかった。
アンティマトルは、空を見つめて茫然としていた。
“アンティマトル、私はだいぶそなたを見逃してきたが、そろそろ虚空に還る時間だ”
そんなアンティマトルに、空中からそう呼びかけて来たのは、空のすべてを覆ってしまったように巨大な、白く輝くドラゴンだった。
「ぷ、プロトバハムート!」
アンティマトルはそう叫んだ。空のすべてを覆いつくすほどの巨体、太陽すらも輝きをなくすほどの『魔力の揺らぎ』、そして猛々しくはないが威厳に満ちた声……始原竜プロトバハムートが降臨したのだ。
“ノイエスバハムート、そなたは我が現身。我が力を分ける故、そこにいるアンティマトルを早く私のもとに送れ!”
ノイエスバハムートは、プロトバハムートの声を聞くと、途端に身体中に力が満ち溢れ、白く輝く『魔力の揺らぎ』が身体中から噴き出した。
「分かりました」
ノイエスバハムートは一つうなずくと、緋色の右目を光らせながらアンティマトルに向かって、
「猛きものは滅びよ! 摂理に背くものは摂理の中に還れ! われ今、プロトバハムート様の現身としてその力を代行せん。『終末への咆哮』!」
ノイエスバハムートから放たれた光の帯は、プロトバハムートの魔力で動けなくなっているアンティマトルを見事に捉えた。
ズボボ……ズバーン!
「ぐっ、ぐあああああーっ!」
アンティマトルは暫くの間、超高温の『終末への咆哮』の光の中でもがいていたが、
「ぐぎぎぎ……がはっ……」
バーン! シュウウウウッ……。
まるで霧が消えるように、氷が解けてなくなるように、虚空へと消えて行った。
“ノイエスバハムートよ、そなたの役目はあと少しで終わる。アルベドを封印すれば、そなたの能力は封印を完全なものとするために、そなたの身体から抜けることになる”
「それはホルンもでしょうか?」
ノイエスバハムートが訊くと、プロトバハムートはうなずいて答えた。
“女神ホルンは地上にいるべき存在ではない。女神ホルンの力は人々への大きな恵みをもたらした後、我がもとに戻ってくることになるだろう”
そしてプロトバハムートはノイエスバハムートの顔を見て、
“預言の通りになってしまったようだな……左目は大丈夫か?”
と訊く。ノイエスバハムートは隻眼の顔をプロトバハムートに向けると言った。
「これも運命。私が誓った言葉は覚えておられますか?」
プロトバハムートはうなずくとノイエスバハムートに言った。
“行け、ノイエスバハムートよ。アルベドを封印し、この世に摂理を取り戻せ”
ノイエスバハムートはその声を聞き、6枚の翼を広げてバビロンへと向かった。
(53 決戦の白竜 完)
ホルンたちの戦いがだんだんと山場に差し掛かってきています。幾人かの犠牲を払いながらも、着実に新しい世界を切り拓いていっているようです。
次回は、来週日曜9時〜10時に、『54 蒼炎の黒竜』を投稿します。お楽しみに。




