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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
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51 覚醒の代償

ホルンは終末竜アンティマトルとの戦いに臨むが、その攻撃を跳ね飛ばせない。

ザールが戦線復帰するも、女神アルベドの出現に窮地に陥る二人。

『女神ホルン』の覚醒が、残された唯一の希望だが、その覚醒の代償は思わぬものだった。

【主な登場人物】


 ♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘で王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。26歳。


 ♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。15歳程度。


 ♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。23歳。


 ♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。21歳。


 ♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で『この世で最も高貴な一族』であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けるがチャラい。金髪碧眼の美青年。23歳。


 ♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。21歳。


 ♧ガイ・フォルクス…26年前にスケルトン軍団から国を滅ぼされたアクアロイドの王族。頭脳明晰で冷酷非情だが仇討に協力したホルンに恩義を感じている。29歳。


★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


 終末竜アンティマトルは、緋色の目を細めて、白い一本の銛のように突撃してくるリアンノンとリヴァイアサンを見ていたが、十分に引き付けたところでその口から『崩壊の序曲(ディスラプシオン)』を放った。


「負けるかっ!」


 リアンノンは魔力を込めた『トライデント』で『崩壊の序曲』を切り崩そうとする。


「ぐぐぐ……」


 お互いの魔力が押し合い、リアンノンもリヴァイアサンも一歩も進めなくなった。その時である、破断界が来たのは。


 ヴォンッ!

「うおおーっ!」

 ズ、ドドドド……ドムッ!



――ザール様、そろそろ目覚めてくださらないと、私の犠牲が無駄になってしまいますが……。


 リアンノンは、意識がエネルギーに分解される刹那、プロトバハムートのもとで静かに眠り続けているザールの存在を感じ取っていた。


『ザール様、ザール様』


 ザールは、誰かが自分の名を呼んでいる気がして、ゆっくりと目を開ける。そこには、海の色をした髪をなびかせ、海の色をした瞳を持つ女性が笑っていた。


『あなたは?』


 ザールが尋ねると、その女性は笑いを収めてつぶやいた。


『私はシェリルの町の総帥だったリアンノン・フォルクス。終末竜アンティマトルによってプロトバハムート様のもとに還されてしまいました』


 ザールは緋色の瞳を持つ目を細めて訊く。


『終末竜アンティマトル? そいつが目覚めたのですね?』


 リアンノンは青白い顔のままうなずいて、


『急ぎの御出馬をお願いします。あのままでは我が弟・ガイは言うに及ばず、ホルン女王様も危ないです。どうか、早く戦線にご参加を……』


 そう言いつつ、無念そうな顔をして消えて行った。


『……リアンノン・フォルクス殿が敗れたか……』


 ザールはゆっくりと立ち上がった。まだ少しふらつくが、身体の痛みはすっかりなくなっていた。


“ノイエスバハムートよ、そなたは余の現身だ。アンティマトルは『崩壊の序曲』だけでなく、『崩壊の連鎖(ストレンジクオーク)』という能力を持っている。それは1回しか使えないが、そのただ1回で宇宙を破滅させる。その能力が使える条件がそろう前に、アンティマトルを倒さねばならないぞ”


 ザールはプロトバハムートに訊いた。


『その条件とは?』


 プロトバハムートは静かに答えた。


“すべての生きとし生けるものが希望をなくした時だ”


 ザールはその答えを聞くと、佩いていた『アルベドの剣』を抜く。刀身は見えないが、その周りに白く温かい『魔力の揺らぎ』がまとわりつき、静かに燃え立っていた。


 プロトバハムートはその炎を見て、満足そうにうなずいた。


“その調子なら、そなたはきっと勝てる。ただ、アルベドが出てきたらそれはホルンに任せよ。ホルンは目覚めていないかもしれぬが、目覚めの条件はそろっている”


 ザールは頷いた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 終末竜アンティマトルは、ゆっくりと周囲を見回した。


『これが、余が手に入れるべき世界のかけら……そして余は宇宙を破壊し、新たな摂理による宇宙を創造するのだ』


 アンティマトルはそうつぶやくと、ゆっくりとホルンたちに視線を落として笑った。


『目覚めぬ女神ホルンよ、そなたは仲間とともに消え去る運命だ』


 そしてアンティマトルは、ホルンたちを消滅させるため、再び『崩壊の序曲』を繰り出した。


「みんな、魔力を貸してくれ!」


『楯の鉄壁』をつくりながらヘパイストスが叫ぶ。


「全員、『魔力の揺らぎ』を!」


 ホルンたちは一斉に『魔力の揺らぎ』を開放し、その力を防御に向けた。


 ズ……ドドドン!


 先ほどと同じように、太陽すら霞むくらいの光と、地面が割れるのではないかというほどの衝撃がみんなを包んだ。


『ふむ、しぶといな』


 アンティマトルは、光と土煙が収まった時、まだホルンたちが整然と隊伍を組んでいるのを見て感心してつぶやく。防御の達人・ヘパイストスが誇る『楯の鉄壁』は、あの凄まじい魔力から完璧に遊撃軍を守っていた。


「……俺たちの魔力が弱まるまでは、『楯の鉄壁』であの攻撃を跳ね返すことは出来る。けれど、それじゃじり貧だ。どうにかして攻撃に移らないと、いずれは全員がやられちまうぜ?」


 ヘパイストスが言うと、ホルンが顔を上げて言った。


「私があいつと戦います。その間にみんなは魔力の回復と態勢を整えてください」

「女王様一人じゃ無理だよ。ここで待っていればザールがきっと来てくれるって」


 リディアがホルンを止めるが、ホルンはニコリと笑って言う。


「そうね、でもザールを待っている時間はないし、どうせあいつの狙いは私よ?」

「その役目、私にも仰せつけください」


 ガイがゆっくりと立ち上がって言う。彼の海の色をした瞳には、怒りと無念の炎が燃えていた。ガイは言う。


「奴は我が両親のみならず、我が姉リアンノンまでその手にかけました。私にとっては不倶戴天の敵。たとえこの手で止めを刺すことはかなわなくとも、せめて女王様のお力となって一矢報いねば、この胸の無念は晴れません」


 ホルンは、決死の覚悟でいるガイを見て、優しく笑って言った。


「ありがとうガイ殿。あなたとはガラーバード以来、本当にお世話になったわね」


 そして真剣な顔でガイの要望を拒絶した。


「でも、今のように決死の覚悟でいるあなたをアンティマトルと戦わせるわけにはいかないわ。私も無理はしないから、もう少し頭を冷やして、決死の覚悟ではなく『必ず倒す』という覚悟で戦えるようになったら、手伝ってちょうだい」

「しかし……」


 食い下がろうとするガイに、ヘパイストスが鋭い目を当てて言った。


「ガイ殿、そなたは女王様が戦死されてもいいというのか?」


 それに気を飲まれたガイに、ヘパイストスが畳みかけるように言う。


「そなたが恐るべき強さを持っていることは分かる。けれど、そんなそなたでも今のカッカした状態で戦いに臨めば不覚をとるぞ。その不覚が女王様の命を奪うことにもなりかねん。女王様のおっしゃるとおり、しばらく頭を冷やしてから奴と戦った方がいい」

「……そうだよガイ、アンタは『紺碧の死神』だろう? その二つ名のとおり、死神のような冷徹さを取り戻してから戦おうよ。アタシもサポートするからさ?」


 リディアまでそう言ってなだめたので、ガイはホルンの命令に従った。


「さて、私はちょっとあいつの相手をしてくるわ」


 ホルンが『死の槍』の鞘を払いながら言うと、


「ムリだけはされぬようにな。ザール様が来られるまでの辛抱じゃ」


 ロザリアがそう言う。ホルンは笑って答えた。


「分かっているわ。それに、コドランも来てくれたみたいだし、何とかあなたが復活できるくらいの時間は稼ぐ予定よ?」



『ふむ、これではあまりにも余が有利過ぎるな。奴らの能力は分かったから、翼の金騎士として戦ってやろうか』


 アンティマトルはそうつぶやくと、巨大なドラゴンから金色の鎧で身を固めた騎士の姿に戻る。そして、目の前に現れたホルンに皮肉な調子で呼びかけた。


「ふふ、余がドラゴン化を解いたら出てきよったな? ドラゴンでは勝てぬが人間としてなら勝てるつもりかな?」


 ホルンは首を横に振って言う。


「私は誰にも負けるつもりはないわ。それが終末竜アンティマトルであろうが、女神アルベドであろうがね?」


 その時、虚空から妖艶な笑い声が響いた。


「ほっほっほっ、言ってくれるものじゃのう。ホルンよ、それではそなたの望みどおり、そなたの相手はわらわがしてやっても良いぞ?」


 空中に現れたのは、葡萄酒色の髪を揺らし、葡萄酒色の瞳を持つ女神アルベドだった。アルベドは隣に金髪の美少女を連れていた。その少女はぼーっとした青い瞳でホルンを眺めている。


「あれはオリザ! オリザ! しっかりして、私はホルンよ、私が分かる?」


 ホルンが大声で呼びかけるが、オリザはピクリとも反応しない。


「……ムダじゃ。この娘には『忘却の彼方(ク・セ・ジュ)』がかかっておる。ちょっとやそっとのことでは何も思い出さぬ」


 そうホルンに言うと、アルベドはオリザに優しい声で言った。


「オリザ、そなたと一緒にいたいが、そなたがここにいると危ない目に遭わせるやもしれぬ。いい子じゃから、この球の中でゆっくりと眠っておれ」


 そう言うと、オリザを透き通った赤い光の球に入れる。オリザは頷いた。


「はい、待っています、女神アルベド様」


 そしてその球は、1マイル(この世界では約1・85キロ)ほど離れた山の中腹に飛んで行った。


――ふむ、あの球を探せば、オリザを取り戻すことができるかもしれぬ。それができるのは……。


 ヘパイストスの陣からその次第を見ていたロザリアは、そう考えたが、その考えを読んだようにゾフィーが笑って言った。


「ふふ、『神聖生誕教団騎士団』の出番じゃのう」


 ゾフィーはそう言うと、ジェベたちを呼びだして頼んだ。


「そなたらをいっぱしの戦士と見込んで頼みがある。バビロンに行って、『女神の騎士団』のシャロン団長に伝えてほしいのじゃ。『オリザは北の山』とな」


 ジェベたちは不服そうな顔をした。戦いから逃げろと言われたと思ったのだ。

 ゾフィーは四人の顔色を見て笑って言った。


「不満かの? しかしこれは大事な役目じゃ。まず、奴らの攻撃を受ける可能性がある中でここから離脱するのは至難の業じゃ。しかし、そなたたちならできると信じておる。そしてこの伝令は成功するか否かでその後の女王様たちの戦いを左右するほどの任務じゃ。やってはくれんかのう?」


 そう言われると、若い四人は目を輝かせて答えた。


「分かりました。任せてください」


   ★ ★ ★ ★ ★


 リアンノン敗死の報は、キース戦務参謀によってエウフラテス河を遡りつつあったエース准提督のもとに届いた。


「なんだって⁉ 俺たちの女神(リアンノン)様が?」


 言葉をなくすエースに、目に涙を浮かべたキース戦務参謀がうなずく。


「はい、相手は終末竜アンティマトル……さしものリアンノン様のリヴァイアサンも全く歯が立ちませんでした」

「……なんてことだ、リアンノン様がいれば、我がアクアロイドとシェリルの将来は安泰だったというのに……」


 エースはしばらく茫然自失していたが、それでもさすがに最年少で提督に抜擢された彼である。すぐさまリアンノンの遺志を継いで、アンティマトルとどう戦えばいいかに頭を切り替えた。


「……言いにくいが、相手が終末竜アンティマトルだったら、今の俺たちには手も足も出ない。あとから来るミント閣下の部隊を合わせても無理だ。ここは一番、スレイマン島まで退いて、モーデル閣下の部隊の到着を待とう」


 エースはそう言って、指揮していた5千と共にスレイマン島まで引き返した。


「これは、早めにモーデル閣下やミント閣下にお知らせした方がいいな」


 エースはそう言うと、指揮下にある快速艦を急ぎバンダレシェフルとシェリルへと差し向けた。


「……くそっ、終末竜アンティマトルだかなんだか知らねぇが、リアンノン様の仇はきっちり取らせてもらうぜ」


 エースは、遠ざかっていく通報艦を見つめながら、唇をかみしめていた。



 その頃、バンダレシェフルにいたミント上級大提督、クリムゾンやテトラは、ようやく物資の積み込みが終わって出帆しようとしていた。


「やれやれ、思ったよりも積み込みに時間がかかったが、これで明日にはスレイマン島に着くな」


 ミント上級大提督は、旗艦『レゾリューション』の艦橋でそうつぶやいていた。後ろを見るとクリムゾン艦隊の旗艦『ヴァリアント』とテトラ艦隊の旗艦『ラミリーズ』も舳先を並べて続航している。


「この任務が終わったら、次は西の海への艦隊回航か。あそこにはローマニア王国やロムルス帝国、そして我がアクアロイドに匹敵する海の一族であるカルタゴ帝国の艦隊がいるからな……楽しい日々になりそうだな」


 ミントはそう言ったが、その目は決して『楽しそう』ではなかった。



 モーデルの艦隊は、足を延ばしてファールスの海の中央部にまで来ていた。ここから先は海流が東向きになるため、航海速度は速まる。


「うむ、順調な航海だな。あと気をつけなければいけないのは、ホルム海峡だけだ」


 この海はアクアロイド艦隊の絶対的制海権下にある。王国艦隊が壊滅したため一時的に姿を見せていた私掠船たちの姿は、ここめっきり見なくなっていた。これはザッハークがダマ・シスカスにいなくなって、王国の権能がマヒしたことも大きい。


「……ザッハークの朝廷は、海軍が壊滅したから私掠船たちに俺たちへの攻撃をけしかけていたからな。まあ、そのザッハーク朝の権能がマヒしている今は、この海は俺たちアクアロイドのものだけれどな」


 モーデルはそうつぶやいたが、そこでハッと気づいた。ザッハークがダマ・シスカスにいないということは、既に周知の事実だが、そのザッハークが討たれたとか、ザッハーク朝が瓦解したとかいう情報は入っていない。これは何か大変な事態になっていのではないだろうか……ということである。


「うむ、俺は何か見落としているのも知れないな」


 モーデルは旗艦『リライアント』の艦橋で立ち尽くしていた。


   ★ ★ ★ ★ ★


「ではホルン、存分に力を揮うがいい」


 女神アルベドは、そう言うと左手をホルンに向けた。


「はっ!」


 ホルンはその射線から外れるように前へと動き、そのまま片翼を広げて飛び上がろうとしたが、


「ホルン、覚悟ッ!」

「きゃっ」


 いきなり横合いからザッハークがハルバートで斬りかかって来た。


 ジャリン!


 ホルンは『死の槍』で危うくそれを弾くと、さっと振り向いてアルベドを見る。アルベドはニヤニヤしながら魔力を開放した。


「それホルン、隙があるぞえ」

 ズドム!

「ぐあっ!」


 ホルンの背中に『魔力の揺らぎ』が直撃した。ホルンはその爆圧と灼熱の炎に巻き込まれ、火だるまになりながら吹き飛ばされる。


『ずるいぞ! 二人がかりなんて!』


 コドランが叫ぶが、アルベドはその抗議に緋色の瞳を当てて言う。


「わらわは、ザッハークに攻撃を控えさせるとは一言も言ってはおらんぞ?」

『それでも女神様かっ! 食らえっ!』


 コドランは怒りのファイアボールを放ったが、アルベドはそれを易々と受け止めて、


「ふむ、まだまだじゃなチビ助。戻すぞ」


 と、ファイアボールをそのままコドランに投げ返してきた。


『え⁉ ぎゃうんっ!』


 コドランは自分のファイアボールをまともに受けて、火だるまになって落下した。


「コドラン!」


 ホルンが苦しい息の下で叫ぶ。コドランはなんとか炎を消して、ホルンに笑いかけた。


『ぼくは大丈夫だよ、ホルンこそ、早くその火を消して』


 ホルンは頷くと、


「ぐああっ……やっ!」


 ホルンは翠色の『魔力の揺らぎ』を開放し、身体中を焼き尽くそうとしていた炎を消した。けれど、それもつかの間、


「とおっ!」

「やっ!」

 カーン!


 ここぞとばかりに斬りかかって来たザッハークのハルバートを、『死の槍』で受け止めると、


「でいっ!」

「おうっ!」


 ホルンは『死の槍』を回してハルバートを外しざま、電光のような突きを放つ。ザッハークはそれを後ろに跳ぶことでかわした。


「はっ」


 ホルンは、アルベドの攻撃を予期していた。そのため、ザッハークが離れると同時に片翼を広げ、宙へと飛び立つ。これでとりあえずはザッハークからの攻撃はあまり気にしなくてもよい。


『くそっ、ひどい目に遭ったねホルン』


 コドランもそう言いながら近づいて来る。ホルンは翠色の瞳をアルベドに当てたまま、コドランに『死の槍』を差し出した。


「コドラン、もう一度あなたの力を貸して」


 するとコドランはニコッと笑って『死の槍』を受け取り、


『もちろんです、女王様』


 と、全長30フィートほどのシュバルツドラゴンに形態を変えて答えた。


「じゃ、行くわよ? アルベドの周りを高速で飛んで、ブリュンヒルデ」

『承知しました』


 ブリュンヒルデは、片翼のホルンを背中に乗せ、アルベドへと肉薄する。しかしアルベドは涼しい顔で言い放った。


「目覚めもしておらん片翼の黒竜が、どれだけ竜騎士と連携しようと、わらわにとっては脅威でも何でもないわ! 『灼熱の空域(プラズマシールド)』」


 アルベドが手を伸ばすと、


「えっ⁉」

『あっ!』


 ホルンとブリュンヒルデの周りに空電が走り、その空電は二人を完全に包み込んでしまった。


『こんな罠っ……うわっ!』


 ブリュンヒルデが空電に体当たりを食らわせたが、バチッという鋭い音と共に弾き返されてしまった。そして火花が散った場所のブリュンヒルデの皮膚や鱗はボロボロに崩れていた。


『これは……厄介な』


 ブリュンヒルデがつぶやくが、ホルンはじっと周りの空電を見つめていた。


   ★ ★ ★ ★ ★


「何、ゾフィー総主教様からの伝言?」


 バビロンで心ならずも留守部隊を率いていたシャロンは、面会を求めて来たジェベたちの言葉に思わずそう言った。


「はい、汗みどろで息も絶え絶えになっておりますが、とにかく一刻も早く指揮官と話がしたいと言っています」


 ジョゼフィーヌがそう言うと、シャロンは頷いて、


「分かりました。その勇敢なる少年たちをここへ……いえ、私が会いに行きましょう。陣門ですね?」


 そう言って立ち上がる。シャロンとジョゼフィーヌは陣門へと急ぎ足で向かった。


「ありがとうございます。何とか人心地がつきました」


 ジェベは、空になったカップをフランソワーズに戻しながら言う。他の三人も、冷たい水を飲んで少し元気を回復していた。


「ゾフィー総主教様の伝言を持ってきたのはそなたたちか?」


 そこに、シャロンが現れて、地べたに座っている少年たちを見つけて訊いた。ジェベはシャロンを見てすぐに立ち上がり、


「ぼくは遊撃軍リョーカ隊の第一千人隊長、ジェベ・ウルウートです。ゾフィー・マール様の命令でここに参りました」


 そう言って姿勢を正す。シャロンは優しい顔でうなずいて訊く。


「そうですか、あの激戦区から抜け出すのだけでも苦労したことでしょう。よくやりましたよ。それで、ゾフィー様の伝言とは?」

「はい、『オリザは北の山』ということです」


 ジェベが言うと、シャロンはその目をキラリと輝かせてうなずいた。


「よく分かりました。あなたたちはとても大切な情報を持ってきてくれました。大変な功績ですよ? しばらくここで身体を休めて、元気が戻ったらシルビア枢機卿の指揮のもとでバビロン防衛を手伝ってください」


 そう言うと、シャロンはジェベたちの返事も待たずに、


「ジョゼフィーヌ、ついて来て。フランソワーズ、その子たちをシルビア枢機卿のもとへ案内して」


 そう言うと踵を返して天幕の中へと姿を消した。


 シャロン率いる『神聖生誕教団騎士団』第6分団2千が出撃したのは、その1時(2時間)後だった。


   ★ ★ ★ ★ ★


「くそっ! どこかに、どこかにこの罠を消す方法があるはず……」


 ホルンは、アルベドの魔法である『灼熱の空域(プラズマシールド)』の中で、自分たちを閉じ込めている空電を見つめながらつぶやいていた。


「ふふふ、ホルンよ。あまり時間はないぞ? その空間内はだんだんと温度が髙くなるじゃによってのう」


 女神アルベドが含み笑いと共に言う。確かに、シールドの中の空気は周りのプラズマに熱せられ、急激に温度を上げていた。このままでは燻製になるだろう。

 しかし、だからと言って空電に飛び込めば、それこそ超高温と超高圧を受けて黒焦げになるのは間違いない。ホルンたちは、とてつもなく狡猾な罠につかまったのだ。

 さらに、女神アルベドはホルンの気持ちを焦らしたいらしく、地面にいるザッハークに命令した。


「さて、ザッハークよ。ホルンたちは動けない。よって、そなたは先にあそこに固まっているホルンの仲間たちを先に始末するのじゃ。なに、そなたの『破壊への序曲(ディスラプシオン)』を3回ほど食らわせてやれば、奴らの守りも消し飛ぶじゃろう」


 するとザッハークは、再び巨大な終末竜アンティマトルへと姿を変え、


『承知しました、女神アルベド様』


 そう言うと、目も眩むような光球を口から放った。



「また来るぞっ! みんな力を貸してくれっ!」


 陣地では、ヘパイストスが『楯の鉄壁』をつくりながら陣地内の仲間たちに呼び掛ける。それを受けてリディアも、ガイも、ゾフィーもそれぞれの『魔力の揺らぎ』を開放してシールドの強化に協力した。


「すまんのう、協力できんで」


 腹部の傷を押さえながらロザリアがすまなそうに言う。それを聞いてゾフィーは優しい目で慰めた。


「今は傷の回復に専念するのじゃ。私がいなくなったらそなたしかザール殿を助けられる者はいないのじゃからな」

「?……お師匠、それはどういう……」


 ゾフィーの言葉を聞いて、ロザリアは不安そうに訊こうとしたが、ソフィーはさっとその場を離れてヘパイストスの近くへと歩いて行った。


 ズドム!


 物凄い振動と光、そして熱さと圧力が陣地内を駆け抜ける。けれども今回も『楯の鉄壁』は陣地内のみんなを守り抜いた。


「あと何回耐えられそうじゃ?」


 ゾフィーがヘパイストスに訊く。ヘパイストスは自分の部隊をざっと眺めてみた。副将のソクラテスとバールは、既に髪を振り乱している。そして隊員たち2千のうち、すでに1千はどこかしら身体に不調が出始めていた。


 ヘパイストスは血走った目でゾフィーを見ると、元気なく答えた。


「……あと1回……無理してもあと2回だな」



「ふむ、なかなかのものじゃが、あと1回くらいかのう」


 もうもうとした土煙が晴れた後、まだヘパイストス隊を先頭にホルンの部隊が整然としているのを見て、アルベドはそうつぶやき、チラリとホルンを見た。


「みんな!」


 ホルンは目を背けたい気持ちだった。自分がいれば、魔力のシールドはもっと分厚くできたはずだ。ホルンが見たところ、ヘパイストス隊の『魔力の揺らぎ』が急速にしぼんでいっていた。もはやヘパイストスやリディア、ガイなどの主だった戦士たちの『魔力の揺らぎ』でもっているようなものだ。


 アルベドは、そんなホルンの様子を見て、薄笑いを浮かべてアンティマトルに命じた。


「もう一度、『崩壊の序曲』を!」

『はい、アルベド様』


 アンティマトルはうなずくと、再び光球を発射した。



「くそっ! みんな頑張れっ!」


 陣地ではヘパイストスが叫んでいた。隊員の半分は『魔力の揺らぎ』を使い切る寸前、リディアたちもかなり息が荒くなってきている。正直、この1回を受け止めた後、どうなるかは彼にも想像がつかなかった。


 しかし、ここで諦めるわけにはいかない。攻撃されたら跳ね返す! それがヘパイストス隊の合言葉だったからだ。


 ズズ、ズドムッ!


 光球が爆発し、陣地内を振動と熱波が駆け抜ける。今回も何とか『楯の鉄壁』はみんなを守り通した。

 しかし、


「うーむ……」

「あっ、ソクラテスのじっちゃん!」


 ヘパイストスはバールの悲痛な叫びを聞き、その場に飛んで行った。


「おっ、ソクラテスのじっちゃん、どうした⁉」


 ヘパイストスはそう言ったが、何が起こったのかは明らかだった。ソクラテスは魔力を使いつくしたのだ。そのことで左翼の核になる人物がいなくなり、『楯の鉄壁』はその一角が崩れた。


「くそっ! 次はもう駄目だ」


 ヘパイストスは、魔力を回復させつつあるアンティマトルを遠く眺めてそう言った。

 しかし、


「まだ諦めなさんな。遅くなったが俺たちも加勢するからよ?」


 そう言いながら、楯と両手剣を背負った隻眼の男が歩いてきた。いや、その後ろからは石色の目をした老人と、茶色で癖のある髪をポニー・テールにした肌の浅黒い女性、そして茶髪を肩まで伸ばした若い男が続いていた。


「あんたたちは……」


 茫然とするヘパイストスに、ガルムがニヤリと笑って言う。


「ふふ、アンティマトルの背後に廻ろうとしたが、女神様のご降臨でそれが難しくなっちまった。まあ、ザール殿が来るまで俺たちもここを手伝うぜ」


 ティムールも、シャナも、そしてリョーカもうなずいた。



『ホルン様、陣地の魔力が厚くなっています』


 ブリュンヒルデが嬉しそうに言うのを聞いて、ホルンはハッとして陣地を見つめた。確かに『魔力の揺らぎ』が厚くなっている。

 けれど、それはホルンが期待した人物ではなかった。


「ザールが陣地に戻って来たと思ったけれど……」


 残念そうに言うホルンを、ブリュンヒルデが励ます。


『とにかく、時間ができました。早くここを出る方法を考えましょう』


 ホルンは頷くと、もう一度陣地をチラリと見つめ、そして自分たちの周りの空電を睨みつけた。


「むっ⁉ 奴らの陣に加勢が来たね。『魔力の揺らぎ』が強くなっている……」


 アルベドはそう言ったが、すぐに笑ってつぶやく。


「ふふ、人間の魔剣士か。それならあと1・2回で魔力は尽きるね。アンティマトル、もう一回食らわしておやり」

『承知いたしました、女神様』


 アンティマトルはそう言うと、三度『崩壊の序曲』を放った。



「また来やがったぜっ!」


 ヘパイストスが叫ぶ。その瞬間に光球は『楯の鉄壁』にぶつかった。


 ズズ、ズズ、ズズ……


 今度は光球が炸裂しない。その光と熱を保ったまま、じりじりと押してくる。


「……こちらの魔力を消耗させようって腹か……えげつないことを……」


 ティムールが額から汗をにじませてつぶやく。その隣ではガルムが左目を光らせて歯を食いしばっていた。


「こ、こりゃあ、もうもちそうにないぜ……」


 リョーカが思わず弱音を漏らす。それを


「……頑張るのよ」


 シャナが励ます。


――四人とも凄い魔力だが、アンティマトルには敵いそうもない。残念だがここでお終いかな……。


 思わずヘパイストスもそう観念した時、


「やれやれ、この程度の術式はこうやって弾けばいいのさ」


 どこかからそんな声がして、パチンと指を鳴らす音がした。

 その途端、今の今まで『楯の鉄壁』を切り崩そうとしていた光球が消えた。


「……何が起こったんだ?」


 ヘパイストスがつぶやくと、リディアが嬉しそうな声を上げた。


「あっ、ジュチじゃん! いったい今までどこにいたのさ、心配したんだよ⁉」


 全員がリディアの方を向く。そこには金の巻き毛も麗しく、水も滴るような美男子がその形のいい指を金の前髪に絡ませて、リディアに碧眼の流し目をくれていた。


「すまないね、パラドキシアを23次元空間に繰込んだのはいいけれど、ボク自身なかなか次元の繰り下げに手間がかかってね? ついさっき11次元空間から出て来られたってわけさ」


 そう言うと、さっと陣地内を見回して言う。


「この陣地はもう役に立たない。ここにいては女王様の邪魔になるばかりだ。みんなでバビロンに引き上げたがいいね」

「それができれば苦労しないよ! それに女神アルベドと終末竜アンティマトル、あいつらの相手を女王様一人に押し付けて逃げられないよ」


 リディアが言うと、ジュチは髪の毛をいじりつつ笑って言った。


「引き上げは一時的なものさ。ヘパイストス殿たちはかなり魔力を消耗している。いったんバビロンに引き上げて、戦える者はここに戻ってくればいい……そうだよね? ガイ、ゾフィー殿」


 ガイとゾフィーがうなずく、それを見てジュチは右手を肩の高さに挙げた。その手のひらは翠色にボウッと輝いている。


「ちょっと待った! だから女王様を一人にしておけないって……」


 なおも言うリディアに、ジュチは顎をしゃくって笑って答えた。


「あれでも、女王様は一人かい?」



「何じゃ! なぜ『崩壊の序曲』は消えたのじゃ?」


 アルベドは、自らの最高術式の一つである『崩壊の序曲』がいとも簡単に破られるのを目の当たりにして叫んだ。これは、敵側に恐るべき人物が戻って来たのに違いない。

 そう思ったアルベドは、アンティマトルに命じた。


「アンティマトル、もう一度じゃ! その後そなたが突っ込んで、あの陣地を粉微塵にするのじゃ!」

『承知しました、女神様』


 アンティマトルはそう言うと、『崩壊の序曲』を繰り出そうとした。その時である。


「アンティマトル、決着をつけるぞ! 『魔竜の業火(フローレムヴァルカン)』!」


 そう言う声とともに、凄まじい『魔力の揺らぎ』がアンティマトルを弾き飛ばした。


『ぐおっ!』


 雄たけびとともにすっ飛ぶアンティマトルを茫然と見やったアルベドは、


「しまったっ! ノイエスバハムートか?」


 そう叫んでホルンたちを捉えている『灼熱の空域(プラズマシールド)』をみた。


「うむっ!」


 アルベドは目を剥いた。『灼熱の空域』がザールの爪により切り刻まれていたからだ。



『ホルン様、陣地の魔力がさらに強くなっています!』


 ブリュンヒルデがそう言うと、ホルンはハッと顔を上げた。


「感じるわ……」


 そうつぶやくホルンに、ブリュンヒルデが不思議そうに訊く。


『感じる? 何をですか?』

「ザールの波動を感じるわ! ブリュンヒルデ、空域の中央で留まって! きっとザールが来てくれるから」


 ホルンがそう言った途端、


『ぐおっ!』


 アンティマトルが『魔力の揺らぎ』で吹っ飛ばされた。体長500メートルもあるアンティマトルを吹き飛ばすとは、物凄い魔力である。そんな力を持つ者は、ただ一人しかいない。肩まで伸びた白髪を揺らし、緋色の瞳を持つ右目を輝かせた『白髪の英傑』、ザールがそこにいた。


「ホルン、助けに来たぞ! 『魔爪の剔抉(フローレムソード)』!」

「ザール!」

 ギャギャギャギャギャ……


 ザールの魔爪は空電を斬り裂き、地平線の彼方まで届くような轟音を上げて『灼熱の空域』は消し飛んだ。



「くそっ!」


 アルベドは悔しそうに唇をかみ、


「では仲間たちだけでも……」


 と、陣地の方に向き直ったが、もはやそこには誰もいなかった。全員がジュチの『転移魔法陣』でバビロンへと移動してしまっていたのだ。


「アルベド、勝負よ!」


 ホルンがブリュンヒルデの背中から叫ぶ。それを見てアルベドは緋色の瞳を持つ目を細め、眉間にしわを寄せてつぶやいた。


「ホルンめ、悪運の強い奴じゃ……」


 そしてアルベドは、『アルベドの剣』を抜いて吠えた。


「おお、相手になってやる。どこからでもかかって来い!」


 ホルンも『糸杉の剣』を抜いて言った。


「今度こそ、あなたを封印して見せる!」


 ホルンはブリュンヒルデとともに、アルベドへと肉薄していった。



『おうっ、アルベド様っ!』


 アンティマトルは体勢を立て直すと、アルベドに突っ込んで行くホルンを攻撃しようとした。しかし、


「そなたの相手は僕だ!」


 ザールが『アルベドの剣』を抜いてアンティマトルに斬りかかって来た。


『小僧、そなたでは余の相手にはならぬ!』


 アンティマトルはチラリとザールを見て言うが、ザールは不敵な笑いを浮かべて、


「僕を見くびるなっ!」


 と、『アルベドの剣』に『魔力の揺らぎ』を乗せて振りぬいた。


 ザシュッ!

『ぐへっ⁉』


 ザールの『アルベドの剣』は、50ヤードもの距離から硬いアンティマトルを斬り裂いた。そんなに深くはなかったが、その魔力の強さはアンティマトルの注意をこちらに向けるのに十分だった。


『……そなたは本当にザール・ジュエルか?』


 アンティマトルが琥珀色の瞳を向けて訊いてくる。ザールは左手に『アルベドの剣』を握ったままうなずいた。


「いかにも僕はザール・ジュエルだ。終末竜アンティマトル、いや、偽王ザッハーク、そなたは罪もない前国王シャー・ローム陛下を弑し、国政を私し、国威を落とし、あまつさえアンティマトルとなり果ててこの世の摂理を乱し、プロトバハムート様の正義に反旗を翻した。その罪は幾重にも断罪されるべきだろう。女神ホルン様とホルン女王陛下の名のもとに、ザール・ジュエル、そなたを成敗する。潔くその首を僕に渡せ」


 するとアンティマトルは金色の騎士へと姿を戻し、呵々大笑した。


「はっはっはっはっ、笑わせてくれるわ。女神ホルンとは何者だ? まだ目覚めてもおらず、いるかどうかも分からぬ存在ではないか。そして女王ホルンとは何者だ? この国の王はただ一人、余だけであり、余は女神アルベド様の召命のもとにこの国を手にし、天下を手にする運命を持っておる。ザールよ、そなたぐらいの年齢の時は手に余る夢を見て、変な正義感に捉われるものだ。夢から覚め、その正義感を利用するホルンなぞという阿婆擦れ女と手を切れば、そなたや父の無礼は水に流そう……」


 そしてハルバートを構えつつ、瞳を緋色に変えたザッハークが言った。


「……さもなくば、そなたも父も、余が成敗し、そちらの首を女神アルベド様の神殿に備えてくれる。いかにザール?」


 ザールは短く答えた。


「僕はホルンを助け、みんなを救う」


 ザールとザッハークは、いつ果てるとも知れない戦いに入った。


   ★ ★ ★ ★ ★


『ぐおっ!』


 ヘパイストスたちがいる陣地に、最後の『崩壊の序曲』を放とうとしていたアンティマトルは、突然横合いから放たれた強力な『魔力の揺らぎ』によって吹き飛ばされた。


「あれは……ザール!」


 陣地の全員がその信じられない様子を見ていたが、ひときわ目のいいリディアは、アンティマトルに飛び掛かっていく人影を捉え、それがザールだと看破した。


「な? 女王様は一人じゃない。ザールが戦ってくれているうちに、バビロンへと戻った方がいい」


 ジュチがそう言いながら空間に特大の『転移魔法陣』を描き始める。いまではリディアも反対せず、むしろアルベドやアンティマトルの様子を気にしているようだった。


「さて、行こうか」


 ジュチが『転移魔法陣』を描き上げ、全員が転移し始めた時、突然ロザリアが叫んだ。


「お師匠、何をしておるんじゃ?」


 全員がロザリアたちを見る。ゾフィーは翠色に光り始めた魔法陣の外側にいて、ニコニコしながらロザリアに語りかけた。


「さて、私は私がすべきことをせねばならぬ。ロザリアよ、そなたに教えることはもう何もない。私はそなたのような優秀な弟子を持てて幸せだったぞ」

「お師匠、何を言われているのじゃ? どこに行こうと言われるのじゃ? まだ私も、ザール様も、そして女王様もお師匠の力が必要なのじゃ!」


 ロザリアが腹部の傷を押さえて、苦しそうに叫ぶ。そんなロザリアに、ゾフィーは慈しみのこもった目を当てて、


「確かに、女王様は私を必要とされている。だからこそ、私は今行かんといけないのじゃ。しかし、そなたとザール殿はもう私なんぞを必要とはしておらん。ザール殿と幸せに暮らせよ、ロザリア」


 そう言いつつ、その姿はますます濃くなる翠色の向こう側に消えた。


「嫌じゃ、嫌じゃ嫌じゃ、お師匠、行かないで……」


 ロザリアは駄々っ子のように泣きながら叫んでいたが、ゾフィーの姿が見えなくなると


「ジュチ、私も残る。私をさっきのところに飛ばしてくれ」


 とジュチにつかみかからんばかりの勢いで迫った。

 けれどジュチは、気の毒そうな顔をして首を横に振った。


「キミのお師匠様は、運命を動かしに行かれた。恐らくゾフィー殿なしでは女神ホルンは覚醒しないということらしい。ロザリア、キミは素晴らしい方から魔力の手ほどきを受けていたということさ。そのことを誇りに思っていると良い」

「何じゃ……どういうことじゃ? ジュチ、そなた何か知っておるのか? 知っていたら教えてくれ!」


 けれどジュチは微笑を含んだ顔で首を振った。そして、自分の首根っこを掴んでいるロザリアの手を優しく握ると、


「ボクからは何も言う資格はない。けれど、そのうちに真実が分かるさ」


 そう言うと、涙をポロポロ流すロザリアの頭をそっと撫でた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 ホルンは、アルベドに肉薄した。


「やあっ!」


 アルベドの『アルベドの剣』は、赤黒い『魔力の揺らぎ』を乗せてホルンとブリュンヒルデを真っ二つにしようと迫って来た。


「やっ!」

 バンッ!


 ホルンの『糸杉の剣』が白い線を曳き、『アルベドの剣』の斬撃波を破砕する。


「えいっ!」


 ホルンはそのまま『糸杉の剣』に乗せた『魔力の揺らぎ』を伸ばし、アルベドの胸を狙ったが、


「そうはいかないよ」

 ボンッ!


 アルベドは素早く『アルベドの剣』を回してホルンの『魔力の揺らぎ』を斬り裂いた。

 二人と一匹は、お互いの隙を狙っては剣を繰り出し、魔力を開放し、攻撃をかわしたり受けたりと虚実を尽くした戦いを繰り広げていた。


「なかなかやるのう、そなたが女神として覚醒しておらんで幸いじゃった」


 アルベドは心底そう思ってホルンに言う。

 ホルンは銀色の髪を風に揺らして、アルベドの魔力を回避すると、


「女神ホルンと女神アルベドは双子と聞きます。なぜ、その二人が戦わねばならなかったのか、私はそれが知りたい」


 そう『糸杉の剣』を構えたまま言う。

 アルベドはニコリと笑うと、


「ふふ、それは覚醒すれば思い出すことじゃ。そもそも、『クリスタの時間(クリスタルエラ)』を手にしたそなたなら、少しはホルンの片割れから記憶を取り戻してはおらんのか?」


 そう言って、『魔力の揺らぎ』を叩きつけてくる。あれは『灼熱の空域(プラズマシールド)』だ、こいつにつかまるわけにはいかない。


「ブリュンヒルデ、二人とも捕まるわけにはいかないわ。私は左から攻めるから、あなたは右から攻めて」

『了解しました!』


 ブリュンヒルデの返事を聞くと、


「はっ!」


 ホルンはブリュンヒルデから飛び降り、その片翼でアルベドの左側に回り込む。


「ふふん、挟み撃ちね。でも、わらわにとっては跳んで火にいる何とやらだよ」


 そう言うと、いきなり全身から『魔力の揺らぎ』を放出した。


「さあ、神の魔法を受けてごらん。『観測と決定(ストロボナイト)』」


 その瞬間、ホルンたちは自分の動きが遅くなったように感じた。魔法としては『時の呪縛』に似ている。けれど、決定的に違ったのは、『相手の動きが全く見えなかった』ことである。


「うっ!」

 ザシュッ!


 ホルンはいきなり左の脾腹を深く切り裂かれて呻いた。けれど、もっと深刻なことがブリュンヒルデの身に起こっていた。


『ぐあああっ! じょ、女王様あ~っ!』


 ブリュンヒルデは、ホルンの目の前で、一瞬にしてズタズタに斬り裂かれたのだ。ドラゴンの身体は硬い。そのドラゴンでも一二を争うシュバルツドラゴンであるブリュンヒルデが、なすすべもなく身体中を斬り裂かれ、その傷口から血潮を噴き出しながら地面へと激突した。


 ズドドン!

『ぐ……っ……』

「ブリュンヒルデ!」


 ホルンは、自分の痛手にも構わず、地面に伸びてしまったブリュンヒルデに近づいて行ったが、その途中でブリュンヒルデの身体は白く光り出し、そして


 ズドン! ボシュン!

「ブリュンヒルデ!」


 ブリュンヒルデの身体はホルンの目の前で爆散した。


「あ、ああ……」


 ホルンは茫然として空中で止まる。そのホルンの頬に、べちゃりと何かが張り付いた。そっとそれをはがしてみると、ブリュンヒルデの鱗だった。引き裂かれた肉もまだ生々しく、血が滴っていた。


「う、うわああああーっ!」


 ホルンは、片翼を精一杯広げて叫ぶ。そしてアルベドの姿を探した。


「わらわはここにおるぞ?」

「⁉」


 アルベドは、いきなりホルンの目の前に現れた。


「くっ! げはっ!」

 ブジャッ!


 アルベドは、ホルンが『糸杉の剣』を振り抜くより速く『アルベドの剣』でホルンの腹を薙いだ。そしてホルンの右腕は、『糸杉の剣』を持ったまま宙を舞った。


「ぐあああっ!」


 痛みに声を上げるホルンに、アルベドは情け容赦なく各方向から斬撃を浴びせる。


 ズシャッ!

「ゔっ!」

 バスン!

「がっ!」

 ドブシュッ!

「がはっ!」


 アルベドが剣を揮うたびに、ホルンの悲鳴と血しぶきが上がり、そして右腕だけでなく今は左手、右膝、左足首を切断されてしまっていた。


 ホルンは今や、身体中を血だらけにして突っ立っていた。いや、アルベドの魔力に縛られて、倒れることが許されなかったのだ。


「はっ……はっ……」


 ホルンは、暗く霞んできた視界の中に、何とかアルベドの姿を捉えようと、光を失いかけている翠の瞳を上げて辺りを見回した。


――ダメ、もう何も見えなくなってきた……。


 ホルンがそう思ってがっくりと首をうなだれた時、アルベドが目の前に現れて、ホルンの顎を『アルベドの剣』で持ち上げるようにして言う。


「どうじゃホルン、神の魔法の味は? そなたには『観測と決定(ストロボナイト)』と『超光速の同時存在(タキオンザイン)』を使ってみたが、遂にわらわを捉えることができなかったのう……」


 ホルンはその声を聞きながら、ふつふつと心に湧き上がってくるものを感じていた。


「まあ、神として目覚めていないそなたじゃ。ドラゴンとしてならなかなかのものじゃったぞ?」


 アルベドが勝ち誇ったように耳元で囁く。ホルンはその声自体が煩わしかった。


「……早く……とどめを、刺しなさい……」


 ホルンがぽつりと言うと、アルベドはゆっくりと首を横に振った。


「そうはいかんのじゃな。そなたはしばらく生かしておかぬと、ノイエスバハムートを仕留めるのに難儀するからのう。そなたを囮にしてノイエスバハムートを仕留めたら、仲良く消滅させてやるじゃによって、それまでの辛抱じゃ」


 それを聞いて、ホルンの心に何かが灯った。ホルンはゆっくりと顔を上げて言う。


「……そんなこと、させないわ……見てなさい……ザールだけでも、助けるから……」


 それを聞いて、アルベドはカッとして言った。


「そんな状態で何ができる? 口の減らない小娘だね」


 そして『アルベドの剣』でホルンの腹を刺そうとした。その時である。


「そこまでじゃ、堕ちた女神よ」


 そう言う声が空間に響き渡る。アルベドはその声に聞き覚えがあったのか、ハッと顔色を変えて辺りを見回して叫んだ。


「現れよったな! 姿を見せい、ホルンの片割れよ!」


 ホルンは、慌てているアルベドの姿をぼんやりと眺めながら、ともすれば気を失いそうになる中で思っていた。


――女神の片割れ? どういうこと? それにあの声は……。


「どうした、顔を見せい! いつまでもかくれんぼを続けるつもりなら、この小娘の命はないぞ!」


 アルベドがそう言ってホルンの首筋に『アルベドの剣』を当てた時、突然ホルンの姿が消え、『アルベドの剣』が音を立てて折れた。


 パキーン!

「むっ⁉」


 アルベドが慌てて辺りを見ると、50ヤードほど離れた空間にホルンが立っていた。アルベドが見ていると、ホルンの傷は見る見るうちに回復し、欠損していた部位すらも元どおりになっていくではないか!


「くっ……奴の仕業だね」


 アルベドがそうつぶやいた時、ホルンの隣に身長150センチくらい、年の頃は14・5歳の少女が現れた。彼女は黒いワンピースを着て、長い黒髪の頭には赤い薔薇のついたボンネットを被っていた。


「しばらくぶりじゃな、堕ちた女神よ」


 その声でハッとホルンは気づいた。思わず手足を見てみる。すべてが元通りになっていた。そして身体を検める。どこにも傷一つ残っていなかった。

 ホルンは改めて自分の前にいる少女を見てみた。この声は聞きなれている……そう、彼女はゾフィー・マールだった。


 しかし、アルベドはゾフィーを見て驚くべきことを言った。


「ふん、『時空の排反事象(ノンパラドックス)』なんぞを使いおって。ずっとわらわを見張って来たくせに一度も攻撃を仕掛けてきたことはなかったのが、今日はどうした風の吹き回しじゃ? ホルンの片割れよ」


 するとゾフィーはチラリとホルンを見て、アルベドの方に顔を向け直すと言った。


「ふふっ、今日はの、いよいよ私が夢にまで見た瞬間が来るめでたい日じゃからのう。多少は攻撃まがいのこともさせてもらわんとな?」


 それを聞いて、アルベドは少し考えていたが、


「なるほど、ホルンの覚醒っていうわけじゃな。しかし、そなたの思いどおりにはいかんぞ!」


 そう言うとアルベドの姿が消えた。

 その瞬間、ゾフィーはホルンを後ろに突き飛ばして言った。


「すべては運命じゃ、悲しまんでもよい。そなたは私を受け入れねばならぬのじゃから」



 そこから先は、まるでスローモーションのようだった。

 突然目の前に現れたアルベドが、虚空から『アルベドの剣』を取り出してホルンに斬りかかる。しかしその前にゾフィーが立ちはだかった。


 ズバン!

「ゾフィー殿!」

「しまったっ!」


 ホルンとアルベドが同時に叫ぶ。アルベドの剣はゾフィーの右肩から左脇腹にかけてを深くえぐり、ゾフィーは噴出する血しぶきと共にホルンのもとに跳び下がる。


「ゾフィー殿、しっかりっ!」

 チーン!


 ホルンはゾフィーを抱きかかえると、『糸杉の剣』を抜いて、斬りかかって来たアルベドの剣を弾く。


「これで……いいのじゃ……」


 ホルンの腕の中で、ゾフィーが小さくつぶやいた。ホルンはその声が聞こえたが、


「ゾフィー殿、傷は浅いです! お気を確かに!」


 そう言いながら剣を揮っていると、不意にゾフィーの身体が金色に輝きだし、その傷口から金色の光のチリのようなものが舞い上がり始めた。


「くっ、『クリスタの時間』か!」


 アルベドが叫ぶ中、ホルンはゾフィーを抱えたまま、光に包まれた世界にいた。


“ホルン、『クリスタの時間』が来ました。以前にお話しした『知識の時間』をあなたは取り戻します”


 優しい声が響く。以前に訊いた時、ホルンはそれが誰の声かを思い出すことができなかった。しかし今なら分かる。この声は女神ホルンであり、ゾフィーの声であり、そして自分の声であった。


“ホルン、そなたを私はずっと待っておった。女神ホルンとしての存在が二つの魂に引き裂かれ、一つは時の流れの中でいつ生まれてくるかも定かでない中、私はずっとそなたを探していた。もう1500年もの間、ただ私は待つことだけに時を費やしてきたのだ”


 ゆっくりとした声だった。その声には悲しみも苦しみもなかった。ただあるのは、有るべき場所を見つけた喜びだったろうか? ホルンはその声を聞き、その存在を受け止めながら、とめどなく涙を流していた。


“ホルン、目覚める前にあなたが知らねばならないことがあります。それは女神たちの確執であり、この運命の輪を転がし始めた理由です。アンティマトルはノイエスバハムートに任せていて何も心配ありません。それよりあなたは、運命のつながりを知り、運命の輪を斬り裂き、さまざまな人たちを解放せねばなりません。心の準備はいいですか?”


 ホルンは、光り輝く空間の中で、そのような声を聞いた。


「分かりました。わが運命の行く末はいかなるものか、それを知らずしてこの後の戦いは出来ないということなのですね?」


 ホルンは、決意を眉宇に表わしてうなずいた。


(51 覚醒の代償 完)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

いよいよホルンも女神として覚醒し、本作も最後の山場を迎える事になりました。

次回『52激突の白竜』は日曜9時から10時に投稿します。

お楽しみに。

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