50 海神の慟哭
ティムールと戦ったザッハークは、ついに終末竜アンティマトルとして覚醒する。
ザールとオリザがいない中、ホルンたちはアンティマトルとの戦いに臨む。
苦戦の中、アクアロイド軍の総帥リアンノンが援軍に間に合うが……。
『女神アルベド篇』、燃え上がっていきます。
【主な登場人物】
♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘で王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。26歳。
♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。15歳程度。
♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。23歳。
♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。21歳。
♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で『この世で最も高貴な一族』であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けるがチャラい。金髪碧眼の美青年。23歳。
♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。21歳。
♧ガイ・フォルクス…26年前にスケルトン軍団から国を滅ぼされたアクアロイドの王族。頭脳明晰で冷酷非情だが仇討に協力したホルンに恩義を感じている。29歳。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
ティムールは、目の前に翳されたハルバートも見えないように、胸を張って言った。
「天下を手に入れるのは英雄と申します。それ英雄とは、時流に遅れず、行ってひるまず、常に億兆の人民の指揮に当たる気概を持つ者です。残念ながら、殿下は英雄の器ではございません」
「申したな老いぼれ、今その首を刎ね、何も言えなくしてやる」
ザッハークはハルバートを突き出し、ティムールの首を刺そうとしたが、ティムールは転瞬の早業でハルバートを奪い、
「やっ!」
ザシュッ!
ザッハークの肩から斬り下げた。
しかし、ザッハークは倒れなかった。
その傷口から、瘴気にも似た『魔力の揺らぎ』を噴き出しながら立っていた。
「いかん、やはりザッハークはもはや人間ではなかった」
ティムールはそうつぶやくと、ハルバートをザッハークの頭に突き刺して、いっさんに逃げ始めた。
振り向くと、瘴気の中でザッハークが何者かに変わっていくのが見えた。
「これは、ザール殿がいないと苦戦しそうだ」
ティムールはそう悪い予感を覚えながら、ホルンのもとへと駒を急がせた。
一方、ホルンはバビロン郊外の決戦で負傷した将兵たちを検分していた。
「ワイバーンたちは主将や副将が討たれても、全員が斃れるまで戦った。そのせいでこちらの被害も増えたのね」
ホルンは、特にシンの魔道士部隊に大きな損害が出たと知って、眉をひそめた。シンの部隊は死者こそ50名足らずと少なかったが、負傷者は5千のうち2割、1千に達していた。これは魔道士部隊は物理的攻撃が不得手なのを承知の上で、シンがあえて攻撃に投入したことも一因である。
最も損害が大きかったのはガルムの部隊である。何しろ一時期は5千で5倍の2万5千を相手に戦ったのだから。死者は5百を超え、負傷者は2千を数えていた。
その他、リョーカ隊やティムール隊にも、看過できない損害が出ており、兵力の低下は今後の決戦の行方を左右するかもしれなかった。
その中で、シルビア枢機卿指揮する『女神の騎士団』4千が到着したことと、ガイが戦列に復帰したことは心強いことだった。
「ザール様やジュチ殿もまだ帰還されていません。こうなるとアクアロイド部隊の一日も早い戦線復帰を祈るしかありませんな」
ガイが深い海の色をした瞳で、遠く南方を見つめて言う。
「でもさ、まだアタシの隊は無傷に近いし、ロザリアの部隊もヘパイストスの部隊もそうじゃん。それにワイバーンって、女神アルベドの切り札の部隊なんでしょ? もう攻撃してくるヤツはいなくなったってことじゃないの?」
リディアがお気楽に言うと、ロザリアが首を振って深刻な顔で答えた。
「やれやれ、ジーク・オーガはやっぱり脳筋じゃのう」
「なんだよ? アタシが言ったことに間違いがあるっての?」
噛み付くリディアに、ロザリアは噛んで含めるように説明する。
「いや、間違ってはおらん。『王の牙』や『七つの枝の聖騎士団』、パラドキシアやティラノスがいない今、ワイバーン部隊が壊滅したことで、リディアの言うとおり女神アルベドが動かせる兵力はほぼ壊滅したとは言える」
「そうでしょ?」
大きくうなずくリディアに、ロザリアは大仰に溜息をついて続けた。
「……が、それは女神アルベドがこちらを叩く力を失ったという意味ではない。なぜなら、女神アルベドにはまだ、『終末竜アンティマトル』と『自分自身』という戦う術が残っているからじゃ。アンティマトルと女神アルベドを相手にするということは、下手をすると私たちは全滅し、この世の終わりを迎えるかもしれぬということでもある」
「えっ? 女神アルベドが自身で?」
リディアがびっくりしたように言う。女神自身が戦いの場に出るということは想定外だったようだ。
「こちらも女王様ご自身が戦っていらっしゃるのだ、ありえないことではないぞ」
ヘパイストスがたくましい腕を組んで言う。
「でもさ、終末竜アンティマトルとか女神アルベドとか、どうやって倒せばいいのさ? アタシはドラゴンや神様の倒し方なんて知らないよ?」
困ったようにリディアが言うと、ヘパイストスが皮肉そうなしわを鼻に寄せて言う。
「安心しろ、倒し方なんてだれも知らないからな」
「……少なくとも、女王様ならなんとかできるじゃろう。じゃが、それもこれもザール様がいてこその話かもしれんがのう」
ロザリアが言うと、それまで黙ってみんなの声を聞いていたホルンが、
「……ザールとジュチがいてくれたら、何も心配はいりませんでしたけれど、まだ帰ってこない二人のことを思ってもしょうがありません。私たちは私たちでできることをしなければ……」
そう言いかけたとき、天幕の外からゾフィーの声がした。
「女王様、ちょっといいかの?」
「ゾフィー様ですね、どうぞお入りください。」
「それでは失礼するぞ」
そんな声とともに、身長140センチ程度のどう見ても14・5歳くらいにしか見えない少女が天幕に入ってきた。彼女はゾフィー・マールといい、こう見えてもトリスタン侯国きっての魔道士で、見た目とは裏腹に、少なくとも300年は生きていると噂されていた。ロザリアの師匠でもある。
そんな彼女は、ティムールを連れていた。
「ティムール様、どうされたのですか?」
ホルンは、ティムールの顔色が悪いことに気付いて訊く。ティムールの代わりにゾフィーが答えた。
「終末竜アンティマトル……」
「……終末竜が出現したというのですね?」
ゾフィーが言った一言から事態の深刻さを悟ったホルンは、先を取って言う。ゾフィーはうなずいて続けた。それはいつもの人を食ったような、人を煙に巻くような話し方ではなかった。
「どうやら女神アルベドは、ザッハークに終末竜アンティマトルを憑依させていたようじゃ。先程帰陣されたティムール殿が言うには、ザッハークと一騎打ちして彼を斬ったそうじゃが、傷口から『魔力の揺らぎ』と瘴気を噴き出して何かに変身しそうな様子だったと言う。おそらく、ザッハークは終末竜アンティマトルとなってこのバビロンを襲うと思われる」
誰もが一言も発しなかった。終末竜アンティマトル……それは昔話や神話では知っていたが、それが実際に存在し、世界を終わらせるために今にもここにやってくるなど、正常な神経を持った人物なら一笑に付すだろう。
けれど、ここにいるすべての者は、女神アルベドの姿を見て、声を聞いている。いよいよ大詰めの戦いが始まるのだと、誰もが身震いする中で悟っていた。
みんながホルンを見た。この戦いはザールとホルンが鍵を握っているということは、誰が言うでもなく知っていた。ザールが『七つの枝の聖騎士団』団長『怒りのアイラ』との戦いに出たのは、いつだったろう? そろそろ決着が付き、帰ってこなければいけないはずなのに、ザールもアイラも姿を見せないのは、相討ちになったのかもしれない……ホルンは密かにそう覚悟していた。
ザールが不在の今、ホルンはどうするのだろう? みんなはそこを気にし、そこを知りたがっていた。
「……たとえ女神であろうと、終末竜であろうと、この世界を壊すような者は許せませんし、プロトバハムート様の正義は行われなければなりません。ザールやジュチがいてくれれば、もっと楽に戦えるのでしょうが、それを今言っても始まりません。私は力の限り戦い抜き、きっとこの世界を『すべての種族がお互いに尊重し合い、幸福を手に入れられる世界』にしたい。みなさん、力を貸してください」
ホルンは目を開けると、翠の瞳に光を灯して一気にそう言った。
ホルンの決意は壮烈だった。
まず、ザールがいない。これはアンティマトルとの戦いで絶対的不利であるということだった。
そして、肝心のホルンが女神としての目覚めを迎えていない。アンティマトルならザールで手に負えるだろうが、女神の相手は基本的に女神でないと務まらない。ここでもホルンの陣営は絶対的不利であった。
さらに、オリザがいない、正確には女神アルベドに捕まっている。このことはホルン陣営では『オール・ヒール』を使って蘇生ができず、アルベド陣営では『オール・ヒール』によって最悪不死の軍団を編成できることを意味する。
それでもなお、戦うというのだ。リディアも、ロザリアも、ヘパイストスも、そしてガイすらも、この戦いを己の最後の戦いと位置づけた。
「面白い、最後にひと暴れさせてもらおうか」
ガイがまっさきに口を開いた。
「そだね、アタシも覚悟を決めたよ、最後にひと目ザールに会いたかったけれど」
リディアも言う。
「最期を覚悟するのは、私の趣味ではないのう。とにかく、ザール様が戻られるまでは石にかじりついても敵を足止めするのじゃ」
ロザリアが紫紺の瞳を輝かせて言うと、ヘパイストスがうなずいた。
「おお、お嬢さんはいいこと言うぜ。俺も何とかしてみんなを支えるように頑張るぜ」
四人の言葉を聞き、ゾフィーは真剣な顔でうなずいて言った。
「うむ、ロザリアたちの言うとおりじゃ。最初から負けると決めてデスペレートになる必要もない。要はザール殿の帰還と女王様の目覚めの時まで、アンティマトルとアルベドを釘付けにすればいいのじゃからな。私も今度は畢生の力を揮うことになるじゃろう」
そしてホルンを見つめて笑って言った。
「女王様、常に女神ホルン様の声に気を付けておられるとよい。目覚めはまだじゃが、そう遠いこととも思えぬ。それまで女王様のことは、そこのシュバルツドラゴン、そなたに任せるぞ?」
『うん、まっかせといて!』
コドランが胸を張って言う。その様子に、その場にいた全員が思わず微笑んだ。
――そうよ、どんな強敵でも、勝敗は戦ってみないと分からないわ。こうやってみんなで微笑んでいられれば、きっと勝てる!
ホルンはそう思った。
★ ★ ★ ★ ★
「余は、どうしたのじゃ? ティムールに斬られたと思ったが……」
ザッハークは不思議そうにつぶやく。確かに、彼はティムールから自分のハルバートを取り上げられ、それで肩口から脇腹にかけて深く切り裂かれたはずである。その肉と骨を断ち、内臓をこねまわすハルバートの感触と身体中に走った激痛すら覚えている。
しかし、気が付いてみるとどこにも傷はなく、むしろ以前よりも身体に力が満ち満ちていた。
「今なら、余は百万の敵にすら勝てそうじゃ」
ザッハークはハルバートを握り直して言うと、その言葉に応えるように女神アルベドが姿を現して言った。
「うむ、そのとおりじゃ。そなたの身体には『終末竜アンティマトル』が息づいておる。そなたを倒すということは、アンティマトルを目覚めさせることと同義。ザッハークよ、そなたの背中を見てみよ」
「……おおっ!」
ザッハークは、目の前に現れた水鏡を覗き込み、そう声を上げた。背中には毒々しい赤と黒をしたドラゴンの翼が生えていた。
「わしは、終末竜アンティマトルなのか?」
震える声で訊くザッハークに、女神アルベドは緋色の瞳を持つ目を細めて言う。
「そうじゃ、そなたはその力で世界を破壊し、そして自らの摂理による宇宙を再生させるべき存在じゃ。最初から私が言っていたであろう?」
ザッハークは、初めてアルベドが自分に言い続けていた『あなたは世界を手に入れる』という言葉の真の意味を知って慄然とした。
しかしそれは、すぐに彼を恍惚の世界へと引き上げた。余は無敵である! 余に逆らうものはすべてこの世から消滅する! その確信は、ザッハークの内包する劣等感とないまぜになり、彼の残虐性を表面へと押し上げるに十分だった。
ザッハークの顔に、手に、『破壊の誓約』が現れては消える。そして彼が『破壊と殺戮』を決心した時、その誓約はザッハークの額に濃く現れて、辺りを瘴気で包み込んだ。
その様子を見ていた女神アルベドは、勝利への確信を込めてザッハークに命令した。
「さあ、終末竜アンティマトルよ、まずは翼ある金騎士として、奴らに地獄と破滅をもたらしておいで」
終末竜アンティマトル――翼の金騎士ザッハークは、緋色の目を細めてうなずき、馬に鞭をくれた。
ザッハークが向かった先は、バビロンではなくサルサル湖畔につくられた住民たちの避難キャンプだった。バビロンに居住していた生存者のうち、疎開したものやバビロンに居残った者を除いた約30万の人々が、9個軍団に守られてここにいたのである。
サルサル湖畔防衛は、ムカリとポロクルを責任者としていた。
そのムカリたちは、ホルスト・ハイムマンの第771、エド・アラドの第772軍団を予備兵力に、“シロッコ”アリーの第32軍団、トキルの第42軍団、“ルシファー”マントイフェルの第91軍団、“旋風のゲッツ”ゴッドフリートの第92軍団、そしてクビライの第3軍団、スブタイの第4軍団が外郭を守っていた。
また、シド・アラドの第773戦闘団はバビロンとの連絡線上に前進陣地を築いて、敵の警戒に当たっていた。この前進陣地が、ザッハークの最初の攻撃を受けた。
「変な騎士が接近してきます」
物見櫓から周囲を警戒していた見張りが叫ぶと、それを聞いた第1歩兵隊長がすぐシドに報告を上げる。
「どんな奴なのだ?」
シドは、報告を受けるとすぐさま櫓の中間まで登ってみた。確かに、全身金色の甲冑で身を包んだ騎士が、黒馬にまたがってゆっくりとこちらに向かってくる。
その背中には何やらマントのようなものが立ち上がっている。実はドラゴンの翼だったのだが、遠目に見たらそれが何かを判別するのは困難だった。
「怪しい奴ですね」
第1歩兵隊長が言うと、シドはうなずいて命令する。
「出撃するぞ。どんな奴か分からん、俺が第2・第3歩兵隊を指揮して出る。お前は陣地を守っていてくれ」
シドは、すぐさま緊急呼集をかけ、計1万の軍勢を率いて陣地を離れ、不審な騎士と向き合った。距離は1ケーブル(この世界で185メートル)である。
「俺はホルン女王様の麾下、シド・アラドだ。この先にはバビロンの市民が難を避けている居住地がある。そなたの名と所属をお聞きしたい」
シドが大声で尋ねると、金色の騎士はその兜の下でニヤリと笑ったように見えた。
「不審な奴、ひっ捕らえろ! わっ!」
バムッ!
金色の騎士は、あっという間に馬を寄せ、シドをハルバートのただ一振りで斬って捨てた。そしてそのまま1万の軍勢に躍り込み、当たるを幸い獅子奮迅の暴れ振りを見せ始める。
「うわっ!」
「ぎゃっ!」
兵たちは、目の前で指揮官のシドが瞬殺されているのを見ているため、敢えて金騎士の前に立とうという者がいない。1万人もいて、ただ逃げ回るだけだった。
「いかん、味方が危ない」
陣地守備を命じられていた第1歩兵隊長は、すぐさま5千の部下を連れて陣外に押し出したが、金騎士がハルバートを振り回して寄せてくると、
「たっ、退却っ!」
と、部下を引き連れて陣地も捨てて逃げ始めた。
「……ニガサヌ」
金騎士は、潰れたような声でそうつぶやくと、背中の翼を大きく広げた。それは巨大なドラゴンの翼であり、その内側には赤く、黒く、おぞましくも禍々しい『魔力の揺らぎ』が揺蕩っていた。
「『魔竜の業火』」
金騎士がそうつぶやくと、大きく広げられた背中の翼から、灼熱の『魔力の揺らぎ』が噴出した。
「うわあああ!」
「うぎぎぎ……」
その魔力を受けて、逃げ惑っている1万の兵や、第1歩兵隊長に率いられて退却していた5千の兵士たちは、まるで太陽の表面に触れたかのように、一瞬にして蒸発してしまった。ただ残ったのは、炎を上げて燃えている陣地だけだった。
「ホルン、貴様が出てこないと、バビロンの住民は一人残らず焼け焦げになるぞ」
ザッハークは、そうつぶやくと、ゆっくりとサルサル湖畔へと馬を進め始めた。
遠く南に上がる黒煙を見たムカリとポロクルは、それがこの居住地を目指す敵だと直感しすぐに命令を出した。
「第772軍団、第42軍団、第91軍団、第92軍団はすぐに出撃せよ」
命令を受けて、すぐさま行動を起こしたのは第772軍団だった。
「弟に何かあったに違いない」
軍団長のエド・アラドは、南の黒煙を見ただけで、そうピンときた。その直前の不思議な『魔力の揺らぎ』も見ていた彼は、シドの死を直感していたのだ。
彼はシドの兄であり、二人は20年も一緒に用心棒稼業を続けて来た。二人は生死を共にと誓い、どんな危険も困難も兄弟で乗り切って来たのであるが、今回ばかりはシドの生存は厳しいようである。
「どんな野郎かは知らねぇが、シドの仇は討たしてもらうぜ」
エドは唇をかみしめてそう言った。
エドに続いて街道を驀進していたのは、“ルシファー”マントイフェルの第91軍団と、“旋風のゲッツ”ことゴッドフリートの第92軍団である。
マントイフェルとゴッドフリートもまた、ベテランの用心棒であり、彼らは小部隊のパーティーを率いて護送や要人の身辺警護を生業にしていた。その的確な判断力や胆力を見込んだガルムが名指しで挙兵に加えた逸材である。
「シドはやられたようだな」
マントイフェルが低く言うと、ゴッドフリートもうなずいて
「エドの心中察するぞ。あいつまで失わないように加勢しないとな」
そう言って、驀進する第772軍団をひたすら追いかけていた。
シド隊の陣地が燃えているのは、南東に離れたバビロンからも視認できた。
「敵だわ」
ホルンはその黒煙を眺めると、すぐにそう言った。黒煙の中に恐るべき凶悪な『魔力の揺らぎ』の残滓が見えたからである。
「出番だね」
リディアが『レーエン』を担ぎながら言うと、
「目にもの見せてくれよう」
ガイも『オンデュール』を握りしめて笑う。
「ヘパイストス殿、女王陛下の守りは任せたぞ」
今回ばかりはロザリアも胸当をつけ、兜をかぶっていた。
「任せときな。俺たちの『楯の鉄壁』はそうそう破れないぜ」
ヘパイストスは自慢の戦槌を肩に担いでニヤリと笑った。
その時、ザール隊の副将バトゥとトゥルイ、ジュチ隊の副将サラーフとヌールが出てきてホルンに頼んだ。
「私たちの隊もお供させてください」
「そうです。ジュチ様は女王陛下の安全第一を考えられておりました。私たちも出撃させてください」
しかし、ホルンは2隊の副将たちに優しい顔で言った。
「ザールもジュチも、きっと戻ってきます。その時に状況を伝えられるのはあなたたちしかいないわ。二人が戻ってきたら、すぐに戦闘に参加して。その時が一刻も早く来ることを願っているわ」
ホルンにこれだけはっきり言われたら、彼らとしてもそれ以上頼むことは出来ない。2隊の副将たちは渋々ながらバビロン残留に同意した。
「さて、行くわよ! 敵は恐らく終末竜アンティマトル。みんな、ザールが来るまで生命大事に戦うのよ」
ホルンは『死の槍』の鞘を払うと、全員にそう呼びかけた。みんなのうなずきを見て、彼女は長い戦いになる号令を発した。
「続け!」
ホルンが指揮する遊撃軍1万が出撃した。
「ティムール殿の話では、ザッハークはかなり剣呑な相手になったようですな」
ガルムが鋭い左目で遠く立ち上る黒煙を見て言う。ティムールもその黒煙を険しい表情で眺めていたが、
「今回は、兵を引き連れていっても無駄じゃ。魔力が高く、それを使いこなしきれる者だけが、奴の前に立てる。それ以外は有り体に言うとカカシじゃな」
そう言ってガルムを見つめた。
ガルムはその心を読んで答えた。
「ティムールさんの他には、俺とシャナ殿、そしてリョーカくらいだな。ここの守備はリョーカが連れている坊っちゃん嬢ちゃんと、アローに任せますか」
それを聞いて、ティムールは笑って言った。
「やれやれ、これだけの部隊で4人か。やはりアクアロイドの軍がいないのは痛いな」
けれど、いつまでも笑ってはいられない。黒煙はますます大きくなっているし、サルサル湖畔の居住地にザッハークが斬り込んだらそれこそ一大事だ。それに……。
「ムカリたちも発向しているじゃろう。無駄な犠牲は避けねばならぬ。彼らも一級の戦士ではあるが、魔剣士ではないからのう」
ティムールが言うと、ガルムもうなずいて、
「女王様ももう出られているでしょうな。ザール殿がいないので不利ではあるでしょうが、それで縮こまっているホルンさんじゃないしな」
そう言って、長大な両手剣を取り上げた。
そこに、折よくリョーカとシャナが駆けつける。
「大将、俺達はどうすればいいですかね?」
「ご指示をお願いします」
ティムールは、ガルムと顔を見合わせて笑うと、石色の瞳に鋭い光をたたえて二人に命令した。
「リョーカとシャナは、自分の部隊を副将に預け、わしたちとともにザッハーク……いや、終末竜アンティマトルとの戦いに参加してもらいたい。ただし、これは強制ではない。二人とも、故郷には大事な者が待っておろうからな」
それを聞くと、リョーカもシャナも顔を青くしてこわばらせたが、すぐにリョーカが髪をかきあげて言った。
「まあ、そいつをやっつければアルフ殿がこの先枕を高くして寝られるってんなら、アイニの町の用心棒だった俺としては、参加しない理由はねえよな」
「エフェンディ家の名誉にかけて、私も戦場を逃げたりはいたしません」
シャナも、槍を握りしめていう。
ティムールはうなずいて、二人にこう言った。
「この敵は、我ら人間には手に余る。けれど、女王様やザール殿とて血みどろの死闘をせねば勝てる相手ではなかろう。したがってわしは彼奴に一人で勝とうとは思ってもおらんし、そもそもわしらで勝てるとも思わん。ただ、女王様の手助けをするのみじゃ」
「ま、平たく言うと、死なねえことに努力しねえと、今度の相手はマジヤバイってことだ。ただ女王様のために奴らをおちょくる……それくらいの軽い気持ちでいてくれねえと、こっちは命がいくつあっても足りねえぜ?」
ガルムが人懐っこい顔をほころばせて言う。シャナはガルムの言葉を聞いて、
――なんて非常識で、不謹慎な。
と、内心不快に感じたが、実際戦いの場で考えを改めることになる。
「では、参ろうか」
ティムールは三人の勇士に笑って言った。
★ ★ ★ ★ ★
「これは……」
ホルンたち遊撃軍が黒煙を上げている陣地まで来ると、異様な光景が目に飛び込んできた。ここはサルサル湖畔に降りる峠に当たり、北西にはサルサル湖畔に作られた居住地が見え、南東はバビロンの城壁を望見できる。
その峠に、幾人ともしれない兵士たちの死骸が転がっていた。
ある者は頭を失い、ある者は胴体をちょん切られ、ある者は頭から真っ二つにされるなど、まともな死骸は一つとしてなかった。その大半が、高温で焼かれたのか黒く焦げ、まだチラチラと青白い炎を上げている。
ここに無残な姿をさらしたのは、指揮官級ではエド・アラド、“旋風のゲッツ”、エフェンディ家の将帥トキルの3人だった。
いうまでもなく、無数に転がって異臭を放つ物体になり果ててしまっているのはサルサル湖畔を守っていた女王軍の正規軍団兵士たちで、彼らがこんなことになったのはザッハークにやられたからであることは確かだった。
「これほどの力を持っているってわけね」
「相手にとって不足はないな」
先鋒を仰せつかったリディアとガイは、そう言って顔を見合わせた。
「……分かるか? 『炎の告死天使』殿」
ガイが海の色をした瞳に光を込めて呟くと、
「……ああ、お互い死力を尽くした後、天に祈ろうじゃないか? 『紺碧の死神』さん」
リディアが笑って答えた。
そして二将は自分の部隊に大声で告げた。
「総員、『魔力の揺らぎ』を出して散開しろっ!」
「ひでえな……」
陣頭で異臭に顔をしかめつつ、そうつぶやいたのはヘパイストスだった。彼はつぶやきとともに辺りを油断なく見回した。敵の気配がない……これほどのことができる奴だ、気配が感じられないのは可怪しい……。
キョロキョロと辺りを見回していたヘパイストスは、ハッと気付いて部隊に号令した。
「野郎ども! 上に向けて『楯の壁』だ!」
「ひどいわね……」
ホルンも、目の前の光景に言葉を失っていた。けれど彼女は何年にも渡って修羅場をくぐり抜けて来た女性である。すぐに気持ちを切り替え、部隊全員に命令した。
「全員、『魔力の揺らぎ』で身を守れ! ザッハークとの戦いはもう始まっているのよ」
そこに、頭上から強力で禍々しい『魔力の揺らぎ』が襲ってきた。
ズデュム!
「わっ!」
ホルンも、いや、そこにいた遊撃軍全員がその『魔力の揺らぎ』に捕らえられたが、幸いなことに防御が間に合っていたので、損害はほぼないに等しかった。
「……来るわね」
ホルンは、辺り一面に立ち込める砂煙の中に異色の『魔力の揺らぎ』を感じ取って、『死の槍』を握りしめてつぶやいた。
けれど、その『魔力の揺らぎ』は、今までホルンすらも見たことがないような強烈さと凶悪さを持っていた。これは、アルベド以上の難敵だわ……ホルンはそう考えていた。
「フッフッフッ、さすがはホルンというべきかな」
やがて、薄れかけた土煙の向こうに、黒馬に乗った金の騎士が見えた。その背中には巨大なドラゴンの翼が生えている。
――今のところ、人型なのね。でも、この魔力はあの翼から噴き出ている……ということは、ザッハークがアンティマトルというわけではなく、アンティマトルは誰にでも植え付けられる存在ってことかしら……。
ホルンはそこまで考えると、自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。
「それがプロトバハムート様に直結するものでなければ、私たちにも勝機はある」
やがて翼の金騎士は、ホルンの1ケーブルほど向こうで立ち止まった。
「初めて会うな、ホルン・ファランドールよ」
ザッハークは金のヘルメットを頭に押し上げ、鳶色の瞳をホルンに当てて言った。
「……わが父上がこの惨状をご覧になったら、どう思うかしらね?」
ホルンはただ一言そう答える。ザッハークは険しい瞳でホルンを睨みつけながら、押し殺したような声で言った。
「余は兄上に楯突いた覚えはない。余が国王になり、破壊竜となり、世界の守護者になるのは決まっていたことなのだ。誰が運命に逆らえようか。運命の導きのままに王となり、そして余は宇宙を破壊し再び創造するだろう。ホルン、すべては運命なのだ」
ホルンは、ザッハークの言葉を翠の瞳を持つ目を細めて聞いていたが、彼が話し終えると静かな声で語り始めた。
「なるほど、運命の導きには逆らえないというワケね……けれど、私も運命の導きによってデューン・ファランドール様に守られ、辺境で用心棒として暮らし、そこで仲間に出会い、彼らとともに王国を立て直すために立ち上がり、そして今、ここにいます。すべては運命を受け入れてきた結果です。偽王ザッハーク、あなたも運命を受け入れ、女神アルベドとともに封印されなさい」
ザッハークも、ホルンの言葉を静かに聞いていた。そしてホルンの話が終わると、鳶色の瞳を緋色に変えて、片頬には笑いを浮かべつつ言う。
「うむ、小娘が利いた風な口を利きおるな。余は女神アルベド様とともにある。いまだ目覚めぬ女神ホルンと違い、その力はすでに目覚めておるぞ。ホルン、最後の忠告だ。余に従い、女神アルベド様に従うなら、そなたは用心棒として今までどおり辺境で暮らすことを認めよう」
ホルンは、片翼を大きく広げながら答えた。
「私は、国民から負託を受け、女神ホルン様の名のもとにプロトバハムート様の正義をこの国にあまねく敷かねばなりません。それが私に与えられた運命ならば、私はその運命の導きのとおり、我が前に立つ者はすべて排除します」
ホルンの答えを聞いて、ザッハークは金の兜で顔を覆いながら言い放った。
「分かった、それほど命が惜しくないなら、余がそなたの運命をここで終わらせてやる。覚悟しろホルン!」
そう言ってハルバートを振り上げホルンに討ちかかろうとしたザッハークの左右から、リディアとガイが襲い掛かった。
「残念だけど、まずはアタシたちが相手だよ! ジーク・オーガのリディア・カルディナーレ参上!」
「父の仇、ザッハークよ。その御首級、ガイ・フォルクスがいただく!」
ザッハークの左からは偉大な青龍偃月刀『レーエン』を振り上げたリディアが名乗りかけ、右からは海の色をした髪をなびかせて蛇矛『オンデュール』を振り回しながらガイが突進する。
「うむ、その程度の腕で余に敵うか?」
ホルンに向けて飛び出そうとしたザッハークは、二人の突進を見て駒を留め、ハルバートを構え直して笑う。そして、二人が間合いに入る直前に、ザッハークの『魔力の揺らぎ』を乗せたハルバートが閃いた。
「わっ!」
ブシャッ!
リディアは慌ててモアウを止めたが、ザッハークの『魔力の揺らぎ』はリディアの乗るモアウの首を切断し、リディアは地面へと投げ出された。
「むっ!?」
バシュッ!
同じことは、ガイの身にも降りかかっていた。ただし、ガイの方は『魔力の揺らぎ』がかすめた時、モアウから後ろへと飛び降りていたので、地面に叩きつけられなくても済んでいた。
「やああーっ!」
「おっ」
ガキン!
二人を薙ぎ払ったハルバートの軌跡を縫うように、ホルンが『死の槍』で突きかかる。ザッハークはそれをハルバートで受け止めた。
「ふんっ!」
「やっ!」
ジャリンッ!
ザッハークがハルバートを傾けて『死の槍』を滑らせ弾き、そのままホルンの頭を狙って回してくるのを、ホルンは『死の槍』で弾き、
「やああっ!」
「おっと!」
電光石火の突きを繰り出したが、ザッハークは馬ごと後ろに跳び退る。
「やっ!」
「ふんっ!」
バンッ!
跳び退ったザッハークに、ガイが『オンデュール』を繰り出すが、ザッハークはそれを易々と弾き、
「えーいっ!」
「はっ!」
ガンッ!
隙を見つけて斬り付けて来たリディアの『レーエン』をも弾き飛ばすと、
「おうりゃっ!」
ぶうん!
ザッハークはホルンとガイを牽制するかのように、ハルバートに『魔力の揺らぎ』を乗せて振り回した。
「やるわね」
ホルンは『死の槍』を引いてそうつぶやくと、ガイとリディアを見た。二人ともうなずく。ホルンはそれを見て呪文詠唱に入った。
「我が主たる蒼き風と、わが友たる紅蓮の炎よ、その力を我が槍に与え……」
それとともに、ガイとリディアが得物を回してザッハークに斬りかかる。
「やああーっ!」
ぶうん!
リディアの渾身の斬撃は辛くもかわされたが、ザッハークのマントがその風圧で千切れ飛ぶ。
「覚悟っ!」
「おうっ!」
ガイン!
ガイの雷のような突きも、ザッハークのハルバートに阻まれた。ザッハークはそのままハルバートを切り返し、逆にガイに目にも止まらぬ斬撃を放つ。その得物に乗せられた『魔力の揺らぎ』は、それまでにない鋭さでガイの胸板を斬り裂いた。
ジャンッ!
「ぐおっ!」
凄まじい音とともに、ガイの胸から何枚かの鱗がはじけ飛ぶ。そしてガイも斬撃の風圧に押されてもんどりうって転がった。
「くそっ!」
バフッ!
ガイは素早く飛び起きると、ザッハークの第二撃を避ける。ガイがいたところの地面が弾け飛び、大きな穴を受けた。
「おうりゃあ~っ!」
ぶうん!
「はっ」
ザッハークは、リディアの斬撃を避ける。いかにザッハークでも、82キッカル(この世界で約2・78トン)もの重量を誇るリディアの重い斬撃を、何度も受けたり弾いたりすることは憚ったのだ。
その間に、ホルンの呪文詠唱は進んでいた。
「……世の摂理に背こうとする存在に『Memento Mori(死を思い出さ)』せよ、それは『Et in Archadia Ego(死はどこにでもある)』ものなればなり」
呪文詠唱とともに、『死の槍』から翠色の『魔力の揺らぎ』が噴き出し、それと共に風を引き込むように緋色の『魔力の揺らぎ』が揺らめき立つ。
『死の槍』の60センチにも及ぶ穂先は、『魔力の揺らぎ』を集めつつ小さく振動し始め、魔力が最大に達した時、穂先から青白く、そして透き通った緋色の炎が燃え盛った。
「やああーっ!」
ホルンは、魔力全開の『死の槍』を、自らの身体と共にザッハークに叩きつけた。
「くっ!」
ザッハークもとっさにハルバートに『魔力の揺らぎ』を込め、突っ込んでくるホルンの胸板目がけて繰り出す。
ガン、ズドゥム!
「きゃっ!」
「ぐおっ!」
ふたりの得物は交差し、その『魔力の揺らぎ』の噴出によって巨大な爆炎を生んだ。その爆炎は周辺のものを吹き飛ばすほどの威力を持っていた。
「女王様!」
「ホルン女王!」
爆風の中、リディアとガイはそう叫んでホルンたちの方向に駆け寄る。薄れゆく土煙の中、二人はすさまじい速度で討ち合う音を聴きつけた。
ガン、ガン、シャリン、ガン、キーン!
やがて二人が、ホルンとザッハークが見えるところまで来たときに目にしたものは、互いに翼を広げて空中で斬り合っているホルンとザッハークの姿だった。
二人とも、互いに『魔力の揺らぎ』を身にまとい、相手を圧倒しようと懸命に得物を揮っている。その翼は大きく広げられ、特にザッハークの翼にたゆたう『魔力の揺らぎ』は、その禍々しさや猛々しさにおいて、いままでリディアもガイも観たことがないほどのものだった。
「こ、これは……」
あまりの凄まじさに息をのんでいるリディアに、ガイが呼びかけた。
「おい、リディア殿、ここにいると我々も女王様やザッハークの『魔力の揺らぎ』に飲み込まれる。不本意だが少し距離を開けよう」
リディアも、不承不承うなずいて、ガイと共に急いでその場を離れた。
ズバーン!
「わっ……」
「くっ……」
ガイの見立ては確かだった。二人がホルンたちから50ヤードも離れないうちに、ホルンたちの『魔力の揺らぎ』は暴走し、凄まじい爆風を生んだ。リディアもガイも、地面に突っ伏してその爆風をやり過ごす。
「凄いな……我々は手が出ない」
ガイがつぶやくが、リディアはザッハークたちを睨み据えながら言った。
「手が出ないってことあるもんか! アタシは女王様を助けるんだ」
そう言うと、リディアは身体中から紅蓮の炎に似た『魔力の揺らぎ』を噴き出すと、『レーエン』を肩に担いで再びホルンたちの方へと歩き出した。
「……そうだな、ここで私も音を上げるわけにはいかぬ」
ガイも、自身をたゆたう水のような透き通った『魔力の揺らぎ』で包むと、『オンデュール』を握りしめてリディアの後を追った。
★ ★ ★ ★ ★
「まだバビロンは見えないのかしら……」
リアンノンは、落ち着かない様子でランチに座っていた。
ホルンから、バビロンに対する補給を依頼されていたリアンノンは、根拠地であるシェリルに向かっていたが、途中でモーデル提督の艦隊を分離し任務を続けさせた。
そして自分は一刻も早く補給品をバビロンに輸送するため、バンダレシェフルへと針路を変えた。そこにある軍需庫からの補給物資をバビロンへと届けることに方針を転換したのだった。
しかし、参謀から『バビロンでの大決戦』が起こる可能性について指摘され、『ジェダイの預言詩篇』を目にした彼女は、補給物資の輸送は麾下の三つの艦隊に任せ、自身とエース准提督の部隊だけで急ぎ足にバビロンへと帰還することにしたのである。
今、彼女はバビロンの南方にあるサマワでエウフラテス河を遡行しているところだった。率いて来たのは彼女自身の部隊が1万、エース提督の部隊が1万だが、
「私は先を急ぎます。エース准提督、艦隊の係留と手続きが済んだら、急ぎ私の部隊も併せ指揮してバビロンまで追及せよ」
と、彼女は戦務参謀ほかわずか500名を連れて、取るものも取りあえずと言った風情でバビロンへと向かったのである。
「やれやれ、うちの女神様は何をあんなに急いでらっしゃるんだ? 全軍は無理でもせめて1万は引き連れて行かれないと、危なくてしょうがない。『百里ノ道ヲ急ガバ、上将皆虜トナル』って言うのに……」
エース准提督は、今までにないリアンノンの行動に、不思議さと言いようのない不安を感じてそうつぶやくと、傍らにいた幕僚に命令した。
「嫌な予感がする。艦隊の係留手続きと兵站部隊の編成は任せるぞ。俺は5千を連れてリアンノン様の後を追うから、首席参謀が残りの1万5千を指揮してバビロンまで連れてきな。頼んだぜ?」
エース准提督は、そう言って5千を率い、急いでリアンノンの後を追ってエウフラテス河を遡り始めた。
――おかしい、この胸騒ぎは何だろう……。
リアンノンは、バビロンが近づくにつれて、足元が覚束なくなるほどの不安に襲われていた。彼女の鋭敏な感覚は、既にバビロンに異変が起こっているのを察知していた。
ただ、それがどのような異変で、何に対してこんなに不安な気持ちになるのかは分からなかった。そのため、彼女は『ジェダイの終末預言』と重ねてガイの身を心配していた。
「リアンノン様、どこかお身体の具合でも?」
三又の矛『トライデント』に寄りかかるようにして、肩で息をしているリアンノンを心配し、キース戦務参謀がそう声をかける。しかしリアンノンは顔色を真っ青にしたまま、遠くバビロンの空を睨みつけていた。
――ガイ、無事でいて。
リアンノンはひたすらそう祈っていたが、その精神に何かがチカリと突き刺さった。
「あっ!?」
リアンノンは思わずそう言って立ち上がる。
「危ない、リアンノン様。どうされました?」
ぐらりと揺れるランチの上で、キース戦務参謀がそう叫んだが、リアンノンは青ざめたままバビロンを見つめて、こう言った。
「……戦務参謀、バビロンでとんでもない戦いが起こっています。私は一足先にその戦いに加わるので、あなたはエース部隊の到着を待って、エースと共にバビロンに追及せよ」
そう言うと、彼女はキースの返事も待たずに呪文を唱え始めた。
「C’est im doraco dommne ici, et Ju sies ou l’hote Libaiasanne fremesta」
その呪文の途中から、リアンノンは白い光に包まれ始め、その光がまぶしく辺りを照らし、呪文詠唱と共に消えた時、リアンノンの姿はランチの上から消えていた。
★ ★ ★ ★ ★
「やああーっ!」
ホルンが畢生の魔力を込めて『死の槍』を揮う。
「ふんっ!」
ザッハークも恐るべき『魔力の揺らぎ』を噴き出しつつ、ハルバートで迎え撃つ。
両雄の戦いは、見ているものの心胆を寒からしめるものだった。
ホルンは、この戦いにすべてをかけていた。顔も知らぬ父王と母王妃の無念、自分を慈しんでくれたデューン・ファランドールとアマルへの想い、そしてザールをはじめとした仲間たちとの約束……そのすべてを込めて、ザッハークと対峙していた。
――私が生まれた理由、私が辺境で暮らさざるを得なかった理由がここにあるのなら、私は必ずこいつを倒す!
ザッハークも、負けられない戦いだった。ホルンはまだ目覚めていない。目覚めてしまえば自分は手も足も出なくなるだろう。何としてもホルンが女神として目覚めず、ただの『ドラゴニュート氏族の娘』であるうちに勝負をつけたかった。
「やっ!」
ホルンは、『死の槍』を突き出すと見せてサッと引いた。ザッハークは『死の槍』をハルバートで弾き上げようとしたが、『死の槍』の突きが来ないことを知って
「くそっ!」
後ろへと跳ぼうとした、その時、
「もらったわ!」
ザシュッ!
「うむっ!?」
ホルンがザッハークの手元に飛び込み、『死の槍』を胸元に突き立てる。ザッハークは短くうめき声をあげた。
「ザッハーク、観念なさい!」
ズブブブ……
「ぐおおっ!」
ホルンが叫び声と共に『死の槍』をザッハークの胸に深く突き立てる。さしものザッハークもその痛手に叫び声をあげ、口から血を噴き出した。
しかし、
「まだまだだ!」
ザッハークはそう言いながら、『死の槍』のけら首を掴むと胸から抜き取り、そのままグイッと引き寄せた。
「あっ!」
引き寄せられたホルンは、その顔面にザッハークの左拳を受けてすっ飛ぶ。ホルンは『死の槍』から手を引き離され、地面に激しく激突した。
「このくらい……ゔっ!」
ズシャッ!
跳ね起きたホルンの左太ももを、ザッハークが投げた『死の槍』が貫通し、地面に縫い付ける。
「まだまだ……」
ホルンは『死の槍』を抜き取る。幸いにも大きな血管が通っているところではなかったが、それでも痛みで次の行動まで1秒ほどの間が開いた。
「ホルン、ここで死ねっ!」
ザッハークが、その広げた翼から目も眩むような炎を噴き上げると、その炎は跳躍しようとしたホルンを直撃した。
ゴオオッ!
「きゃああっ!」
ホルンはそのあまりの熱さと圧力に、地面に再び叩きつけられて気が遠くなった。
――いけない、このままでは……。
ホルンが何とか意識を手放すまいと努力していた時、ティムールたちの援軍が間に合った。ティムールは眼下にいるホルンの状況を見て、すぐさま不利を悟って命令する。
「みんな、あの化け物に矢を浴びせかけよ!」
その命令を受けて、シャナとリョーカはザッハークに連続して矢を射かけ始めた。
「ふむ、そんなものは余にとって脅威でも何でもないわ」
ザッハークは、息もつかせずに飛んでくる矢を見つめてそう言うと、左手を矢に向けて魔力を開放する。ザッハーク向けて放たれた何十本もの矢は、1本残らず途中の空間で消滅した。
「小うるさいティムールどもよ、余の天下掌握に当たり、その血をもってはなむけとせよ!」
ザッハークは、右手をティムールとシャナに向けて魔力を開放する。その禍々しい『魔力の揺らぎ』は、衝撃波となってティムールたちを襲った。
「いかん、あれをまともに食らったら最期じゃ!」
ティムールとシャナはそう言って『魔力の揺らぎ』に身を包んで地面に伏せる。しかし、ザッハークの魔力はその近くで炸裂し、ティムールたちは数十メートルも上空へと吹き上げられた。
「やべえ、あいつの真ん前には出るな!」
後から続いていたガルムは、その場に伏せていたリョーカを連れてザッハークの死角へと進む。
「ティムール殿やシャナさんは無事ですかね?」
そう訊くリョーカに、ガルムは左目で笑って答えた。
「そう簡単に参るお方なら、あのお歳まで槍を揮っちゃいないだろうよ」
ガルムたちは『魔力の揺らぎ』に身を包み、ザッハークに死角から近寄って行った。
「ぐぐぐ……」
ホルンの周囲をザッハークが放った『魔力の揺らぎ』による高温が包み込む。ホルンはその片翼で身を包み、息もできないくらいの高温の中で耐えていた。
――だめ、もう意識が途切れそう……。
ホルンが身体を預けている『死の槍』から思わず手を放そうとした時、
“ホルン、『クリスタの時間』を開きなさい”
ホルンの薄れゆく意識の中で、優しい声が響いた。その声は聴いているだけで苦痛や悩みが消えて行くような力があった。
「くっ……女神ホルンの御名のもとに、わが『糸杉の剣』に命じる。女神の力を持ちて、この灼熱の空間を叩き斬れ!」
ホルンは、ありったけの力を込めて『糸杉の剣』を抜き放ち、自分を取り囲んで焼き尽くそうとしている魔力の塊を叩き斬った。
ボワッ!
炎は一瞬で消え、ホルンの肺に清々しい空気が流れ込んでくる。その空気を吸い込みながら、ホルンは膝から地面に崩れ落ちた。
「ホルン、あの中でよく生きていたな。けれど、これで最期だ!」
ザッハークがそう言って、ハルバートに魔力を込めてホルンに投げつけた。ハルバートは生き物のように『魔力の揺らぎ』の尾を引きながらホルンの身体を刺し貫いた……と見えた。
「……ちっ、運の良いヤツめ」
ザッハークが唇を歪めて吐き捨てる。
「……そう簡単に王女様を討たせるわけには参らんのじゃ」
ハルバートを紫の瘴気の幕で受け止めながら、ロザリアが言った。
「ロザリア!」
『死の槍』につかまってゆっくりと立ち上がりながらホルンが言う。ロザリアはそんなホルンに横顔を見せて叫んだ。
「女王様、早く下がって態勢を立て直すのじゃ! ヘパイストス殿の所まで下がれば、鉄壁の中から攻撃ができまする!」
「あなたをこのままにしておけないわ……」
ホルンの言葉に、ロザリアはおっかぶせるようにして言う。
「急ぐのじゃ! 私もこのハルバートをそう長くは抑えきれん」
ザッハークのハルバートは、まるで意志あるもののように『魔力の揺らぎ』を噴き出しながらじりじりと前進し、ロザリアの瘴気結界を突き破ろうとしていた。
「早くっ! げっ!」
ドブシュッ!
「ロザリア!」
ホルンの声が響く。驚くべきことにザッハークのハルバートは、ロザリアの結界を突き破り、彼女の腹部に突き立っていた。ロザリアがヘパイストスのチェインメイルを付けていなければ、そのまま刺し貫かれていただろう。
「ぐ……じょ、女王様……早く下がってくだされ……」
ロザリアが唇の端から血を流しながら言う。状況は最悪だった。
やっと立ち上がったホルンを庇うようにしているロザリア……ザッハークにとってはどちらも赤子の手をひねるように始末できそうだった。
「ふふ、魔族の娘よ、一思いに楽にしてやろう」
ザッハークが瞳を緋色にして右手をハルバートの方に向ける。魔力を少し飛ばせば、ロザリアはハルバートに刺し貫かれて絶命するだろう。
その瞬間、
ボムッ!
「むっ!?」
ザッハークは、自分の右腕を吹き飛ばした『氷の刃』が来た方向に顔を向けた。
「ホルン女王様、私がこいつの相手をします。その間に態勢を整えてください」
ザッハークの右側、100ヤードのところに突然現れたのは、黒潮の色をした髪の毛を揺らし、深い海の色をした瞳を持つ女性――リアンノン・フォルクスだった。
「リアンノン殿……」
ホルンが言うと、リアンノンはうなずいて再び言う。
「早く、その魔族の娘さんを助けるためにも」
それを聞いて、ホルンもうなずいた。
「ありがとう、リアンノン殿。ロザリア、大丈夫?」
「……ふふ、ザール様に会うまでは死ねんわい」
ロザリアはそう言いながらも、ホルンの肩を借りねば歩けない状態だった。
「逃すか!」
ザッハークがそう言ってホルンたちを追いかけようとすると、ホルンと彼の間にリアンノンが回り込み、『トライデント』を向けて言った。
「言ったはずよ? そなたの相手は私だと」
そしてリアンノンは、ザッハークを見据えながら呪文を唱える。
「わが海神よ、その良き友たるアクアロイドに慈悲の光を垂れ、全き悪たる存在に対し、勝利の栄冠を与え給え……C’est im Rebaiasan, Et vas impero di Aqaroids para bellum!」
「おおっ!」
リアンノンが呪文を唱えると、全長200メートルに余る白いドラゴン、リヴァイアサンが現れた。リヴァイアサンはザッハークを見つめると、天に咆哮して叫んだ。
『おお、摂理に反する存在よ! 汝、この世界のものにあらず、その存在をプロトバハムートのもとに還したまえ』
そして、その口から白く輝く光弾をザッハークへと叩きつけた。
ヴゥワーン!
「ぐおおーっ!」
目も眩むような爆発が起き、辺りは太陽すら霞んでしまうような光に包まれる。その光と耳をつんざく爆音の中で、確かにザッハークの断末魔の声が響いた。
しかし……
「なにっ!?」
リアンノンは目を見張った。光と土煙が収まった時、そこには身体中を赤黒く輝く鱗に覆われ、巨大な2枚の翼を持つドラゴンが、周囲を睥睨するようにすっくと首を伸ばしていたのである。大きい、その大きさは500メートルを超えている。
「……これが……終末竜アンティマトル……」
リアンノンが気を飲まれたように立ち尽くしていると、アンティマトルはギロリと目を向いて、リアンノンの頭上にいるリヴァイアサンを睨んだ。
『海嘯の斬刃』
リヴァイアサンは無数の鋭い鱗を飛ばして攻撃するが、アンティマトルはそれを軽く受け流し、巨大な翼を動かした。
ゴウッ!
それだけで、リヴァイアサンは動きを封じられて飛ばされ、約1マイル先の大地に轟音とともに叩きつけられた。
リアンノンは、その様子を唇をかみしめて見つめていたが、キッと顔を上げると呪文を唱え始めた。その姿は『治世型』の魅力あふれる女性から『戦闘型』としてのたくましく精悍な男性へと変わっていた。
「……C’est im Rebaiasan, Et vas impero di Aqaroids para bellum, doraconia Ju nous vous pantore amminndennteresso」
すると、『トライデント』が青く輝きだし、それはリヴァイアサンと共鳴を始める。リアンノンは一跳びでリヴァイアサンの背中に乗り、畢生の魔力を『トライデント』に込めて言った。
「摂理に背くものよ。海神に愛でられし我が種族の誇りをかけて、リアンノン・フォルクスがそなたの存在をプロトバハムートのもとに還してみせる。行くぞ、『大海の咆哮』!」
リアンノンを乗せたリヴァイアサンは、リアンノンの言葉と同時に身体中を白く光らせ始めた。そしてアンティマトルに向けて突撃を開始する。
アンティマトルは、緋色の目を細めて、白い一本の銛のように突撃してくるリヴァイアサンを見ていたが、十分に引き付けたところでその口から『崩壊の序曲』を放った。
「負けるかっ!」
リアンノンは魔力を込めた『トライデント』で『崩壊の序曲』を切り崩そうとする。
「ぐぐぐ……」
お互いの魔力が押し合い、リアンノンもリヴァイアサンも一歩も進めなくなった。その時である、破断界が来たのは。
ヴォンッ!
「うおおーっ!」
ズ、ドドドド……ドムッ!
――ザール様、そろそろ目覚めてくださらないと、私の犠牲が無駄になってしまいますが……。
リアンノンは、意識がエネルギーに分解される刹那、プロトバハムートのもとで静かに眠り続けているザールの存在を感じ取っていた。
『ザール様、ザール様』
ザールは、誰かが自分の名を呼んでいる気がして、ゆっくりと目を開ける。そこには、海の色をした髪をなびかせ、海の色をした瞳を持つ女性が笑っていた。
『あなたは?』
ザールが尋ねると、その女性は笑いを収めてつぶやいた。
『私はシェリルの町の総帥だったリアンノン・フォルクス。終末竜アンティマトルによってプロトバハムート様のもとに還されてしまいました』
ザールは緋色の瞳を持つ目を細めて訊く。
『終末竜アンティマトル? そいつが目覚めたのですね?』
リアンノンは青白い顔のままうなずいて、
『急ぎの御出馬をお願いします。あのままでは我が弟・ガイは言うに及ばず、ホルン女王様も危ないです。どうか、一刻も早く戦線にご参加を……』
そう言いつつ、無念そうな顔をして消えて行った。
「ぐわあああーっ!」
アンティマトルの『崩壊の序曲』は、リアンノンとリヴァイアサンを飲み込み、巨大な火の玉をつくった。そしてその火の玉が弾けた後、周囲1マイルは完全な焼け野原と化してしまっていた。
「何て奴だ……」
ヘパイストスがその光景を見て息をのむと、
「ヤツの魔力は底なしじゃ。まともに相手できるのはザール様くらいしかおらん。もう戻って来られてもいいころじゃが……」
傷を負った腹部を押さえながら、ロザリアが苦しそうに言う。
「おのれザッハーク……おのれ終末竜アンティマトル……よくも姉上までも……」
ガイは唇をかみ破るほどの怒りに燃え立っていた。
そんなガイを冷静にさせようと、リディアが強い口調で言う。
「待ってガイ、落ち着いて。アタシたちじゃあいつには敵わない、桁が違い過ぎるよ。あいつを倒すには、ザールが来てくれるまでどうにかして持ち堪える以外ないんだ。命を粗末にするんじゃないよ」
ホルンは、『死の槍』を固く握りしめてつぶやいた。
「たとえザールがいなくても、何とかしてあいつを倒さないと……何かいい方法はないのかしら?」
終末竜アンティマトルは、ゆっくりと周囲を見回した。
『これが、余が手に入れるべき世界のかけら……そして余は宇宙を破壊し、新たな摂理による宇宙を創造するのだ』
アンティマトルはそうつぶやくと、ゆっくりとホルンたちに視線を落として笑った。
『目覚めぬ女神ホルンよ、そなたは仲間とともに消え去る運命だ』
そしてアンティマトルは、ホルンたちを消滅させるため、再び『崩壊の序曲』を繰り出した。
(50 海神の慟哭 完)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
『女神の騎士団』ジャンヌに続き、ホルン側からリアンノンが犠牲になりました。
女神アルベドやアンティマトルとの決着はどのようになるのか、ホルンたちの今後にご注目ください。
次回は『51覚醒の代償』を来週日曜9時〜10時に投稿します。お楽しみに。




