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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
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5 敵意の報復

依頼主を盗賊団から守ったホルン。報酬の支払い時、依頼主である大富豪はホルンに報酬の上乗せを条件として町の近くに巣食ったベヒモスの群れを討伐するように依頼する。実は大富豪はベヒモスたちと気脈を通じ、自身の商売敵や用心棒たちを魔物の餌としていたのだ。ホルンは依頼を快諾し、ベヒモスの巣に向かうが、そこに待っていたのは人間たちも含めた大富豪の罠だった。

 それは、壮観だった。

 幌をかぶせた馬車が、延々と続いていた。その荷馬車の列が向かう先は、ゆらゆらと立ち上る陽炎で歪んで見え、ともすれば目的地であるサマルカンドの城壁は視界から消え去るのだった。太陽はまだ高く、炎天下、風はそよとも吹かない。御者もすでに汗が乾き、服には塩の花が咲いている。


 ここは、ファールス王国の北東部、一面に砂漠が広がるいわゆる“辺境”と呼ばれる地域である。この王国では25年前に時の国王の異母弟が王位を簒奪し、それ以来、辺境には王家の命令も行き渡らず、悪党やモンスターが跋扈する無法地帯と化している。


 そんな中、塩を積んだ荷馬車が550台も続くのは、壮観であった。

 もちろん、この荷主も酔狂でこんな真似をしているわけではない。よく見ると、10台に1台の割合で兵士5人を乗せた荷馬車が隊列にまぎれていた。このキャラバンは、塩150トンを乗せた500台の荷馬車を、御者とは別の武装した従者も含めて600人ほどの護衛が守っていたのである。


 だが、荷物はどんな生き物にとっても命をつなぐに不可欠なものである。当然、このキャラバンは発向時から盗賊団に狙われていた。車列は一列に並ぶと2キロを超えるのである。相手はどこからでも襲撃できる。


 それでも、この車列に大きな被害が出なかったのは、一つはファールス王国の正規兵が護衛についていたということと、ある人物の存在があった。

 その人物は、車列の最後尾にいた。日差しを避けるために全身を緑色のマントで覆っているが、そのマントはボロボロで、それだけでもこの人物が歴戦の戦士であることが推察できた。マントの下には銀髪に翠色の瞳が鋭く輝き、顔色は透き通るほど白かった。

 また、革鎧のような胸当て、腹部を守る革製の腹巻、下半身を守る革製の横垂、鍛鉄を縫い付けた籠手、膝当て付きの底の分厚い革製のブーツなど、正規兵に近い装備と、背中には長さ1.8メートル、穂先の長さは何と60センチはあろうかという手槍を負ぶっている。そして、肩には全長60センチほどの仔ドラゴンを乗せていた。


 彼女の名は、ホルン・ファランドール。この辺境で『無双の女槍遣い』と呼ばれる用心棒で、このキャラバンには荷主の指名で護衛に加わっていたのである。

 荷主の期待に違うことなく、彼女は出発2日後に夜襲をかけて来た盗賊団50名を、たった一人で全滅させるという手柄を立てていた。このキャラバンにはホルン・ファランドールが護衛でついている——そう言ったうわさが風のように流れ、よほどの命知らずしかこのキャラバンには手を出してこなかったため、輸送は順調に終わろうとしていた。


「サマルカンドからの守備隊が近づいてきた」


 そう言ったはずんだ声が、御者から御者へと伝わり、やがて最後尾にいるホルンたちの馬車にも届いた。


「ホルンさん、お疲れさまでした。今度の旅はあなたのおかげで随分と危険の少ないものになりました」


 御者を兼ねた荷主の代理人——このキャラバンには10人いたが、ただ一人の女の手代だった——がそう言うと、ホルンはゆっくりと立ち上がって、笑顔で御者に言った。


「じゃ、私はここで別れるわ。依頼主さんには明後日お伺いすると伝えてちょうだい」


 手代はびっくりして訊く。


「えっ? サマルカンドはもうすぐです。うちの店の出張所もありますから、そこで一息つかれては?」

「私は、『サマルカンドの守備隊が護衛に着くまで』って契約でこの仕事を請け負ったのよ。条件がクリアしたら、あとは報酬をいただくだけ。その報酬も『依頼人の別宅で後金を支払う』ってなっているから、サマルカンドには用なしよ。今まで話し相手ありがとう、楽しかったわ」


 ホルンは手代にウインクすると、走っている馬車から身軽に飛び降りた。


「ホルンさん、旦那様の別邸でまた会いましょう!」


 そう言って名残惜しそうに手を振る手代に、こちらからも手を振って、ホルンはサマルカンドの北東にある今回の依頼人、トルクスタンの土豪で大富豪で大商人でもあるアスラ・パシャの別邸があるトルクの町に足を向けた。



『ホルン、今度の仕事はカッコよかったね。50人もの盗賊をあっという間にやっつけちゃったんだもの、他の奴らがあのキャラバンを襲ってこなかった理由も分かるよ』


 ホルンの肩にとまった仔ドラゴンがそう言う。もちろん、ドラゴンの声は普通の人間には「グエッ」とか「グワッ」としか聞こえないが、ホルンは生まれつきドラゴンの言葉が分かったのである。


 この仔ドラゴンは、ドラゴンの谷に棲んでいたドラゴンたちの卵を掠め取っていた盗賊をホルンが成敗した時、谷のドラゴンを応援するためにやって来たシュバルツドラゴンのひとりである。ホルンとともに、生き別れとなった母を探す旅をすることになったのだ。


「ありがとう。でも、コドランの適切な支援があったから、あんなに簡単に退治できたのよ? 特に、ファイアブレスは効果的だったわ。さすがはシュバルツドラゴンね」


 ホルンがそう言うと、コドランも嬉しそうにはしゃぐ。


『そ、そう? ぼく、旅って初めてだし、あんな風に何かを守るために戦うってことも初めてだったから、ホルンからそう言われるとうれしいな』


 実際、コドランは役に立った。盗賊たちの存在に5マイルも前で気付いたのもコドランである。おかげでホルンはコドランと共に突出し盗賊団を逆に急襲できた。キャラバンがその地点に到達したときには、すべてが終わっていたのである。

 そんなコドランを優しい目で見つめながら、ホルンが言った。


「さて、それじゃトルクの町に行かなくちゃね? ここから大体10マイル(この世界では約18.5キロ)だから、休み休み行って明日の夕方には着くわ」

『ぼくがもっと大きかったら、ホルンを背中に乗せて飛べるんだけれどな……』


 コドランが可愛いことを言うので、ホルンは思わず笑って言った。


「そうね、コドランが早く大きくなってくれれば、私も助かるわ。でも、ドラゴンの成長って遅いんでしょ? 寿命は長いみたいだけれど」

『うん。ぼくたちドラゴンは、10歳になるまではだいたい1年で5センチ程度しか大きくならないんだ。そのあと10年は1年で10センチくらいで、その後は1年に50センチくらいずつ大きくなる。だから、棟梁くらいの大きさになるには、だいたい100年くらいかかるんだ。確実に50メートルまでは成長するけど、それ以上どのくらいまで大きくなるかはドラゴン次第だね』

「寿命ってどのくらいなの?」

『大体普通のドラゴンで2千年って言われているけど、ドラゴンの神って言われるバハムート様は1万歳を軽く超えているらしいよ』

「すごいわね。さすがにあちらこちらでドラゴンを神と崇める種族がいるのもうなずけるわ。私たち人間はせいぜい100年、オーガで300年、ドワーフやエルフでも500年くらいですものね」


 ホルンは、コドランとそんなことを話しながら歩いていた。ホルンは今まで旅の中で生きてきた。物心ついたときはデューン・ファランドールというこの王国で『王の牙』と言われていた最高の戦士と共に、王国の西側を旅して回っていた。その時は、確かアマルというエルフの女性が共にいた。

 ホルンが15歳の時に、デューンは、彼を倒すためにやって来た『王の牙』との一騎討ちで相討ちとなり果てた。そのあとの10年、彼女はデューン・ファランドール遺愛の『死の槍』と、デューンが今はの際に彼女に渡した『アルベドの剣』を頼りに、用心棒稼業で生きて来た。だから、ここ10年はホルンにとって旅とは独りでさすらうことであり、話をすることなどめったになかったのである。

 こうして、ドラゴンとはいえ道連れができたホルンは、


 ——誰かと一緒に旅をするってのも、いいものね。


 そう感じていた。


          ★ ★ ★ ★ ★


 それから2日後、ホルンたちはアスラ・パシャの屋敷を訪れていた。

 アスラ・パシャは、ファールス王国の官吏ではなく、あくまで『地域の有力者』という立場である。しかし、いわゆる土豪という階級の家はその土地に長く居住し、一族も広く分布し、ある一定の地域においては、土地に住む人々に対し、絶対的な権力に近い権威を振るっているものも多かった。先の国王、シャー・ロームまでは、中央集権を進める中で土豪たちを懐柔し、あるいは威圧して、土豪の持つ地域の中での権威・権力を削ぐことに成功していたが、現国王の治世ではいまだに辺境地域が見捨てられた状態となっていたため、辺境の土豪には昔日に勝る勢威を持つ者も増えていた。アスラもその一人だったのである。


 アスラ・エフェンディは、一族を使って交易を行う一方、裏では山賊などとも手を組んで、ボロイ商売も行っていた。そのため昨今ではトルクの町があるトルクスタン地方は、王国の中でも危険な地域となりつつあったのである。


『でっかいなア』


 コドランがアスラの屋敷の広大さにびっくりしている。屋敷の端から端まで歩くと、大人でもゆうに一時(2時間)はかかると言われているだけあった。ホルンたちは門から一刻(15分)歩いているのに、まだ玄関に達しなかったのである。


「この屋敷の主は、さすがに『トルクスタンの虎』って言われるだけあるわね。ところどころに私兵がこちらを見張っていたわ」


 ホルンが言うと、コドランが胡散臭そうに眉をひそめる。


『な~んかヤだなぁ。そんなこそこそとして、まるでぼくたちを信用していないみたいじゃないか』

「『みたい』じゃなくて、信用していないのね。でないと兵隊に弓まで持たせないもの。ただの警備なら剣で十分。こちらを脅すつもりなら槍くらいまで備えるでしょうけれど、弓まで備えているのは剣呑ね。脱出口を準備しておく必要があるわね」


 ホルンが小声で言うと、コドランは承知したように言う。


『ぼくの出番だね? 幸い、これから暗くもなるし、ぼくは空も飛べるから、この敷地と屋敷の中の様子や、奴らの布陣を見てくるよ』

「頼んだわよ、コドラン」


 ホルンが言うと、コドランは羽音も立てずに黄昏の空に舞い上がった。



 アスラ・エフェンディは、スラリとした長身の身に、ゆったりとした着物をまとっていた。年は35歳ということだが、歳よりは若く見える。彼はこの地方一の名士であり、“東の藩屏”と言われる現国王の異母弟で前国王の実弟であるサーム・ジュエルすら、彼の所領には直接には手を出せなかったのである。


「旦那様、ホルンさんがお見えになりました」


 豪奢なソファーでゆったりとくつろいでいたアスラは、来客を告げた家令に鷹揚にうなずいて言った。


「そうか、失礼のないように饗宴の間にお通ししなさい。それからシャナよ……」


 かしこまって退出しようとした家令を、アスラは呼び止めて続けた。


「お前は今回の旅ではずっとホルン殿のお相手をしていたと聞く。お前も宴席に連なって、ホルン殿を饗応しなさい」

「かしこまりました」


 家令の女性は深々とお辞儀をしてアスラの前から退出した。その女性は家令という役職に相応しく、すっきりと動きやすく、それでいて高価そうな服を着ていた。顔は女にしてはやや浅黒く、艶のある黒髪を三つ編みにしてまとめている。彼女は広い屋敷内を迷うことなく進み、やがてホルンが待つ玄関へと達した。


「こんばんは、ようこそおいでくださいました。ホルン様」


 壮麗なドアや建物の柱をつぶさに観察していたホルンは、そう声をかけられて慌てて声の主を見る。


「あら、あなたは」


 ホルンが驚きを顔に出して言うと、シャナはにっこりと笑ってホルンに告げた。


「二日ぶりですね、ホルンさん。私はアスラ商会の手代と、エフェンディ家の家令を兼ねています。今回は王家も絡んだ大きな取引でしたので私も同行いたしました。今回のホルン様のご活躍に敬意を表して、旦那様はあなた様を武装のままお連れするようにと申しつけられました。さあ、こちらへ。旦那様がお待ちです」


 ホルンは、シャナに連れられて屋敷の中へと入って行った。

 屋敷は、想像していたよりも広くて複雑だった。しかも、ホルンが見るところ、廊下と部屋の配置から隠し部屋や隠し扉が効果的に配置され、この屋敷そのものが難攻不落の城として機能するような設計になっているようだった。


 ——なるほど、だから私が武装していようがしていまいが関係ないってことね。


 ホルンがそう思いながら、


「広いですね~。家令ってことは、こんなお屋敷の責任者でもあるんですよね? お掃除とか大変そう」


 能天気に言うと、シャナはクスリと笑って答える。


「……ホルンさんの見立てのとおり、この屋敷はエフェンディ家の『詰めの城』です。エフェンディ家の私兵は5千人。そのうちの精鋭500人は、『パシャの盾』としてこの屋敷に常時詰めています」


 ホルンは、随分とシャナが鋭いことに驚きを覚えた。自分と一緒にキャラバンでいろいろな話をしたときは、これほど鋭い女性だとは、正直思っていなかったホルンである。


「そうですか、すごいですね。さすがは王家から交易を頼まれるだけはありますね」


 ホルンはそう言い、さらに踏み込んでみた。


「……それに、あちこちにいる兵隊さんの『魔力の揺らぎ』を見ている限り、かなりの手練れを揃えているみたいですね? この分ではアスラ様もかなりヤットウをおやりになるでしょうね?」


 ホルンが最も気になったのは、


 ——自分の親衛隊に『パシャの盾』などという王家の戦士に与えられる者と同等の称号をつけるとは、うわさどおりエフェンディ家は王家に取って代わろうとしているか、独立を考えているのかもしれないわ。


 ということだった。しかし、それを言ってしまっては後々面倒なことになるので、兵士の質にかこつけたのだ。


「いいえ、旦那様は物事を武断的にお運びになるのを嫌われます。ただ、世間には妙な噂を流す輩もいますし、敵が多いことも事実です。ですから、この程度の備えは普通のことでしょう?」


 シャナがそう切り込んできた。


 ——この女性は、かなり鋭い。そして注意深くて腕も立ちそうだ。


 ホルンは、先ほどからシャナが自分を案内しながらも、決して指呼の間に入らず、常にその左側に壁があるような位置を占めていることに気付き、そう思った。


「何に対しても、備えがあるのはいいことです。私は俄然、アスラ様に興味が出てきました」


 ホルンが言うと、今度は本当におかしそうにシャナが笑って言った。


「そうですか、それはよかったです。それに、あなたは旦那様が気にしておられた刺客でもないようですし……」

「私は用心棒よ、殺し屋じゃないわ。守ることは引き受けても、殺すことは引き受けないのが私の流儀よ。それならここから帰らせていただくわ」


 ホルンが冷たく言うと、シャナは慌てて釈明した。


「す、すみません。私は家令として様々な可能性を考慮しないといけないものですから、つい……職業病ですかね?」


 この慌てぶりは本物だ——ホルンはそう思った。


「お気を悪くされたのなら謝ります。しかし、本来は私の手からあなたに後金をお支払いすれば済むものを、あなたのご活躍をお聞きになった旦那様がぜひとも自らの手で後金をお支払いしたいと仰せられていますので、平にご容赦ください」


 その言葉に怪しい節はなく、シャナの声にも嘘はないと思ったホルンは、うなずいた。



「ようこそおいでくださった。今回の仕事、完璧にこなしてくれたようで礼を言うぞ」


 饗宴の間につくと、すぐさまアスラ・パシャその人が進み出て、ホルンの両手を握ってそう言う。顔は精悍だが雰囲気は柔らかく、そして手は温かく、湿ってもいなかった。彼の両側には『パシャの盾』と思われる男たちが制服に帯剣して付き添い、こちらの一挙手一投足に注目している。


 しかしホルンはそんな視線に気後れもせず、アスラの手を握り返して笑顔で言った。


「いえ、用心棒として依頼されたことを全うしただけです。あの程度でこのようなおもてなしまで頂戴して恐縮です」

「いやいや、謙遜されんでもいい。シャナの報告では盗賊団を先んじて発見し、急襲して壊滅させたとか。そのうわさが広まったために、今度のキャラバンは信じられないほど被害が少なかった。王家の監督官もいたくご満悦で、次の仕事にもそなたの力が借りたいともおっしゃっていたそうだ。さあ、遠慮せずに着席したまえ」


 ホルンは、勧められて上座にある席に着いた。左右にも席がしつらえてあり、ホルンの右側にはホストとしてアスラその人が、左側には陪席者としてシャナが着座した。

 目の前には、ホルンに敬意を表してだろう、アスラの臣下が向かって右に10席、左に8席作ってあり、それぞれに個性的な男たちが座っていた。右の席に座った臣下は帯剣しておらず、文官と思われた。そして左側の臣下は全員帯剣し、こちらは武官と思われた。


「さて、諸君。今回の交易はまれに見る成功裡に終わったが、その立役者がこちらにおられるホルン殿だ。ホルン殿、今回は余の感謝の気持ちだ、存分に楽しんでいただきたい。そして諸君も、せっかくの縁だからホルン殿にお近づきを願っておくがよい」


 アスラの挨拶に、全員が拍手をする。ホルンは勧められて挨拶をすることとなった。


「今回はこのように労っていただき、感謝します。アスラ様はじめ皆さんの今後のご健勝とご武運をお祈りします」


 無難な挨拶だったが、全員が温かい目でホルンを見て拍手した。


「ホルン殿、右側の列の筆頭が、文官筆頭のサワービー、左列の筆頭が『パシャの牙』次席のムスタファだ。よろしく頼む」


 ——『パシャの盾』だけではなく『パシャの牙』まで組織しているの? それにしても筆頭が次席とはどういうこと? 首席はどうしているの?


「……『パシャの牙』は、『王の牙』をまねて編成されましたが、『王の牙』に敬意を表して定員を9人としています。首席はアスラ様ご自身が兼ねておられます。これも、王家の戦士へのご配慮です」


 シャナが顔を寄せて小声でささやく。


「……なるほど、そういうことですか」


 それをしおに、列席した臣下がホルンに挨拶に訪れだした。ホルンはその対応に忙殺され、食事を楽しむどころではなかった。


 宴席は一時(2時間)も続いた。臣下がそれぞれで酒を楽しみだしたころ、やっとホルンは料理を楽しむことができた。山海の珍味で埋め尽くされたテーブルで、料理に埋もれるようにして食事を楽しんだホルンだったが、ふと、献立の中に牛の肉がないことに気付いた。


 ——これだけの宴席で牛肉が出ないのは何故だろうか。


 そんな疑問が浮かんだホルンだが、アスラの次の言葉でその疑問は引っ込んだ。


「ところでホルンさん、ものは相談なのだが」

「何でしょうか」


 ホルンは、にこやかにアスラに応じる。しかし、アスラの顔は何故だか暗く沈んでいた。


「……何かお困りのことでもございますか?」


 ホルンの言葉に、アスラは顔をゆがめて笑った。痛々しい笑いだ。そして言いにくそうにホルンに言う。


「実は、余の領内に、ベヒモスの群れが居ついているのだ」


 ベヒモスは、水牛によく似た外観のモンスターで、大きいものでは5メートルを超える。性格も荒く、雑食で、特に人間の女性を好んで食べるという困りものだ。たいていは一匹で縄張りを持って暮らし、群れることはめったにないのだが、まれに社会性のあるベヒモスが現れて同族をまとめ上げ、群れをつくることがある。そういう場合のベヒモスはとても危険である。


「……数はどのくらいで、首領となるベヒモスの情報はありますか?」


 ホルンは目を細めて訊く。いかに彼女が『無双の女槍遣い』と呼ばれる剛の者でも、相手の数によっては闇雲に突っ込んでも勝てはしない。


「数はおよそ100匹。今まで余の軍隊が戦いを挑んだが、巣に閉じ籠って出てこない。首領となるベヒモスは、指揮官の話によると体長6・7メートル程度で、ずる賢いヤツだという。他のベヒモスは2から3メートル程度だというから、普通の大きさだな」

「一度も野戦に乗っては来ないのですか?」


 ホルンが訊くと、アスラは苦々しげに


「奴らは軍隊相手では籠城戦だけだ。正直に言うと、今までいくつかの傭兵団や用心棒のパーティーに仕事を依頼したが、そいつらはみな野戦で全滅している。巣の中も迷路のようになっていて、なかなか首領までは手が届かぬようだ」


 そう吐き捨てて、ホルンに哀願するように


「お願いだ、ホルン殿。余は余の所領にそのような奴らがのさばっているのは許せぬし、余の領民たちが脅えているのを座して見るのも忍びない。ぜひ、この仕事を受けてほしい。報酬は、今回の後金40デナリに加えてもう1タラントンはずもう」


 ホルンは、アスラの言葉に引っ掛かりを感じたが、ベヒモスが100匹も群れていることは確かに問題であるし、この国に大きな災厄をもたらす可能性も高いので頷いて言った。


「分かりました。やってみましょう。ただし、準備の時間が欲しいので2・3日待っていただけますか?」


 アスラは喜んで、ホルンの手を取って言う。


「おお、ありがたい! それでは屋敷に泊まって、十分な準備をしてくれ。シャナに言いつけておくので、必要なものはシャナに申し出てくれ」

「ありがたいですが、すでに宿を取っていますので、そこで準備をいたします。お気遣いなく」


 ホルンがそう言うと、なぜかアスラは慌てて言った。


「そ、それは困る。余の軍隊が役に立たぬと領民に知れたら、領民たちが不安に駆られよう」


 ホルンはニッコリと愛くるしい笑みを見せて言った。


「私は用心棒です。今のお言葉は『この仕事は秘密裏に遂行せよ』との仰せだと理解しました。私が何をするのかはもちろん、何をしたのかについても口外いたしませんよ?」


 そこまで言われては、アスラも無理強いはできぬと悟ったのだろう。渋々と言った。


「ホルン殿の心遣いは感謝する。では、出発の際は知らせてほしい。余からも人を出すのでな」

「わかりました。では」


 ホルンはそう言って、アスラの屋敷から退出した。



『なかなか剣呑な屋敷だったね。ホルン』


 門の外に出た途端、今まで姿を隠していたコドランが姿を現して言う。コドランは、仔ドラゴンにしては至極優秀で、周りの景色に同化することができる。もっと詳しく言うと、自分の周りを包んでいる『魔力の揺らぎ』によって、光をすべて透過・屈折させてスルーすることができる。理屈としては、『アルベドの剣』と同じである。


 さらに、他人の心に直接語りかけることもできる。この能力も使い勝手が良かった。こどもとはいえドラゴンを連れているのを見られたら、周りがパニックになる場合もある。そのため、コドランはその能力を生かして、必要のない時は姿を隠しているのである。


「そうね。それに、何かが私の心に引っ掛かっているのよね」


 ホルンが首をかしげて言うと、コドランも同じように首をかしげて言う。


『あのシャナってひと、ぼくに気付いていたみたいだよ? それに彼女からはドラゴンみたいな匂いがする』

「ドラゴンですって? それはドラゴニュート氏族ってこと?」


 びっくりしてホルンが尋ねると、コドランは首を振って自信なさそうに言った。


『う~ん、なんて言うか、ドラゴニュート氏族の匂いとも違うんだよね? かといってギガラゴン氏族とも違うし……ところでホルンってドラゴニュート氏族だよね?』


 ホルンはびっくりして首を振る。


「いいえ! 私はただの人間……だと思うけど」


 そう言って、自身なさげに続ける。


「……というのも、デューン・ファランドール様は私とは血がつながっていないし、最初のころ一緒に旅をしていたアマルさんが私の母親だとしたら、私はエルフ族の血を引いていることになるわ。私のエレメントが『風』なのも、エルフの血のせいかもしれないけれど……」

『けれど?』


 先を促すようにコドランが訊く。


「けれど、覚えている限りでは、アマルさんは私のことを『ホルン様』って呼んでいた気がするのよ。普通、自分の娘には『様』なんてつけないんじゃないかしら?」


 コドランは飛びながら腕を組んで考えていたが、キッパリと言った。


『よくわかんないな~。でも、ホルンの匂いはドラゴニュート氏族の匂いだ。それははっきり言えるよ? ぼくはこれでも鼻は鋭いんだから間違いない』


 それに続けて、ニコニコしながら言う。


『それに、ドラゴンのエレメントは『火』だけど、ドラゴニュート氏族には『風』のエレメントを持つ者もいるし、もう一つのギガラゴン氏族には『土』のエレメントが多いしね』

「……えらく私がドラゴニュート氏族の者だってことにこだわるわね?」


 ホルンが訊くと、コドランは瞳をキラキラさせながら言う。


『だって、ホルンみたいに美人で強くて優しい人がドラゴンの血を引いているんだなんて思ったら、ぼくとってもうれしいもん。ドラゴンって人間からは怖がられたり憎まれたりもしちゃうじゃんか? だから、ホルンがドラゴニュート氏族だったらいいな~って思ってるよ』

「ありがとう。それより、ベヒモスのことをもっと考えましょう」


 ホルンがそう言ってコドランの頭をなでると、コドランは気持ちよさそうに目を細めて笑った。



 そのころ、アスラの屋敷では、


「くそっ! この屋敷にいる限りは、奴がどんな装備で、どんな作戦でデイモスの相手をするのかがまる分かりなんだが……」


 アスラがそう言って歯噛みをしていた。そんなアスラに、シャナが冷静な声で言う。


「ホルンの側には、何かが居ました。その姿はおろか『魔力の揺らぎ』すら見えなかったので、ひょっとしたらホルンは『使い魔』を使えるのかもしれません」

「それでは、デイモスが奴にやられてしまうかもしれんではないか! シャナ、なんとかせい!」


 イライラして怒鳴るアスラに、困ったように眉を寄せてシャナが言う。


「旦那様、この際、デイモスをホルンの助力を得て討伐されてはいかがですか? そうすれば旦那様はこの地域の住民から並びない信頼を得ることになります」

「バカなことを言うな! デイモスとは持ちつ持たれつここまでやって来た。おかげで余の商売敵やがめつい用心棒らをどれだけ始末できたと思う」


 目を据えて言うアスラに、あくまでも静かにシャナが諫言する。


「旦那様、領民の信頼は、金では買えません。ここですっぱりとデイモスたちと袂を分かち、奴らを討伐すべきです。その方がエフェンディ家のためになります。私の家は代々家宰としてお世話になってきました。エフェンディ家のために、ぜひそうしてください」


 しかし、シャナの心は届かなかったようだ。


「……シャナ、言いたいことはそれだけか? そなたの先祖の功績を考えて、今回だけは見逃してやる。そなたは家で謹慎しておれ。余直々に『パシャの牙』の面々を引き連れて出陣し、ホルンの首を獲ってまいる。下がれっ!」


 叱責を含んだ罵声を浴びて、シャナの浅黒い顔がさっと陰ったが、シャナは静かに頭を下げて言った。


「承知いたしました、旦那様。ムスタファたちには私から命令しておきます」


          ★ ★ ★ ★ ★


「不思議だわ……」


 アスラ屋敷での饗宴の次の日、ホルンはひととおり町を歩いてつぶやいた。ベヒモスの群れがこの町の近くに棲み付いているという噂は、何人かの町人から聞くことができたが、そのベヒモスを退治しに用心棒や傭兵たちがこの町に来たということに関しては、町の住民はまるで覚えがなかったのである。


 ——普通の住民ならまだしも、酒屋の主人や武器商人たちも知らないというのは変ね。


 その辺の事情は、ある程度推察できた。アスラが直接彼らに依頼し、自分にしたようにアスラ屋敷から出撃させたのだろう。でも何のために?


『そりゃ、失敗したことが町の人にバレるからじゃないかな? バレたら住民たちを落ち着かせるためにぜひとも成功させなきゃいけなくなるからね。失敗が許されなくなっちゃうんじゃない? 秘密でことを進めれば、何度失敗しても関係なく成功するまでトライできるからね』


 コドランがしっぽを振り振り言う。コドランの言葉にも一理あった。

 ホルンはそれでも何か見落としているような気がしてならなかった。なぜ町の人たちはベヒモス討伐隊のことを知らなかったのか? なぜ、アスラは自分を屋敷に留めようとしたのか? そしてなぜ、自分のところからも兵を出そうと言ったのか?


「ベヒモスは体長6・7メートル程度で、ずる賢いヤツを首領とした100匹。軍隊相手には野戦をせず、傭兵たちや用心棒たち相手では野戦を挑んできて負けはない。その巣は迷路のようになっていて……」


 そこまでつぶやいて、ホルンはハッとひらめいた。


「コドラン、頼みがあるの」


 ホルンはさっきとは打って変わった明るい顔でコドランを振り向いた。



 その夜、0点半(午後7時)、アスラの屋敷では、『パシャの牙』の面々がアスラ直々に命令を受けていた。


「今日、ホルンから言伝が届いた。ホルンは明日、7点半(午前9時)を期してベヒモスの巣に斬り込むそうだ」


 アスラが重々しい声で言う。


「そこで我々も出陣し、ホルンに加勢すると見せかけて奴をベヒモスの巣まで案内し、そこで奴を見捨てて退却する。ホルンの始末は、ベヒモスたちに任せることにする」

「ベヒモスたちが野戦を挑んできたらどうしますか?」


 次席のムスタファが訊くと、アスラはニヤリとして答えた。


「もちろん、我らもベヒモスと戦う。そして、乱戦になった場合、隙を見てホルンを討ち取る。その隙が無ければ、ホルンを巣に突入させる。いいか?」


 男たちはうなずく。


「もちろん、ホルンの噂はみな聞き知っておろう。できる限りベヒモスは傷つけないように戦うフリをし、ホルンの隙に付け込むことだけを考えろ。恐ろしい女ではあるが、ベヒモスには敵うまい」


 アスラの言葉に、ムスタファは


「では、我らも武器の手入れをしておかねばな。みんな、槍や剣を研いでおけ」


 そう言って『パシャの牙』の面々にはっぱをかけた。



『……ということだったよ、ホルン。あいつら、なんでホルンを裏切ろうとしているのかな? ぼく、話を聞いていてムカムカしてきて、もう少しで奴ら全員をファイアブレスで丸焼きにしてやるところだったよ』


 よっぽど腹に据えかねたのだろう、コドランは顔を真っ赤にし、手足をバタバタ動かしながら話した。ホルンはそんなコドランに優しい目を向けて言う。


「そんなこと気にしないでいいわ。コドランのおかげでどうしたらいいか分かったし、何が必要かも分かった。コドラン、明日、ベヒモスの巣では活躍してもらうわよ。その前に、シャナとやり合わなきゃならないかもしれないけれど」


 ホルンは笑って、コドランに夕食の残りを差し出した。


『わあ、シシ肉だ! ぼく、これ大好物なんらよね……もぐもぐ……うはい! とっれもりゅーしーれうはい! もぐもぐ』


 目を輝かせてがっつくコドランに、ホルンは優しく言った。


「食べながらしゃべらないの! お行儀悪いわよ? のどに詰まったら大変だから、お水も飲みなさいよ?」

『うん……ぐ、……み、みじゅ……』


 言うそばからのどに肉を詰まらせて目を白黒させるコドランだった。



 次の日、7点半(午前9時)ちょうどに、ホルンは町の北城門のところにやって来た。持ち物はいつものとおり、『死の槍』だけで、装備に目立って違いはない。


 一方、アスラの方も革鎧に身を包み、赤いマントを翻して長剣を腰に佩いたいでたちで現れた。もちろん、彼自慢の『パシャの牙』の面々8人が、ムスタファをはじめとしてそれぞれに革鎧や胸当てをした格好で、得物としては剣、槍、盾などを持っていた。


 ——ふーん、長剣はアスラはじめ5人、うち2人は盾装備。二刀流がムスタファ1人、槍が2人と弓が1人か。ある程度均整が取れた編成ね。


 ホルンは彼らの装備を見てそう思う。けれど、陣形を考えた時にいぶかしく思った。これでは陣形が組めないか、バランスが悪い。


 ——後ろから陣形を考えると、弓1人が長距離護衛、その前にアスラの本陣としてアスラを盾装備の剣士が2人で左右から守る。その前には斬り込み隊としてムスタファに剣士2人、そして最前線が槍2人。槍か弓が足りないな。


 そう思いながら、ホルンは笑ってアスラに挨拶する。


「アスラ様直々に出陣されるとは恐れ入ります。見たところ『パシャの牙』の皆さんも一騎当千の方々ばかりのようで心強いです」

「ホルン殿、今日はどのように戦われるおつもりか?」


 アスラが訊くと、驚いたことにホルンは笑って答えた。


「ただ突っ込み、ただ倒す——それだけです」


 アスラは呆れた。何の作戦も工夫もないだと? こいつは今までの武勇を頼みに思い上がっているのか? 一瞬そう思ったアスラだが、すぐにそれを否定する。


 ——いや、そんなはずはない。そのような単純な女なら、ここまで高名になっているはずがない。とっくの昔に戦死しているはずだ。

「……それは痛快だ。ホルン殿の雄姿を今日はしっかりと拝見させていただこう。では、出発しようか」


 アスラはそう言って、前進を開始した。ホルンは一人でアスラ隊の前方50ヤード(約45メートル)を進んだ。


“ホルン、アスラの奴ら以外にも、誰かがぼくたちを付けてきているよ”


 心の中にコドランの声が聞こえる。コドランは隠形して、ホルンの頭上100フィート(約30メートル)のところを飛んでいる。


“きっとシャナだわ。コドラン、シャナの動向には注意して。彼女は槍か弓を装備しているはずよ”

“わかった。あんな女が弓なんて装備していたらヤバいよね?”


 コドランはそう言いながら、シャナの方に目を凝らした。シャナは気配を消して、アスラ隊とホルンの中間地点横100ヤードにいた。


“ホルン、あの女の得物は槍だ。ホルンと同じくらいの槍を持ってる”


 コドランがそう知らせてきた。ホルンがそれに答えようとしたとき、コドランの焦った声が聞こえた。


“ホルン、ベヒモスが出てきたよ! 全部で50匹はいる。ぼくも手伝っていい?”

“駄目、まだコドランの存在を知られたくないし、野戦ならベヒモスがどれだけ多くても大丈夫だから。コドランは私の『鷹の目』の役を続けてちょうだい。今はそのほうが助かるわ”


 ホルンは、コドランを戦場の上空に配置し、敵の数や陣形、位置や動きなどを逐一報告する役目に当てていた。これがホルンの秘策だった。


“分かった。ベヒモスは左右に展開中だよ。今大体30メートルくらいに広がってる。ホルンからの距離は2ケーブル(この世界では約370メートル位)かな”

“でっかいベヒモスはいる?”

“いないよ。みんな3メートルくらいだ。あっ! 女がこっちに向けてダッシュしてくるよ。ホルン、気をつけて”


 それを聞いた瞬間、ホルンは槍の鞘を外して前方へとダッシュした。


「いかん、ホルンのあとに続け!」


 突然のホルンの機動に、アスラも『パシャの牙』の面々もついていけなかった。みんな急いで後を追うが、『風の翼』を持つホルンに追いつくはずもない。


 ホルンは突出した。もうベヒモスたちとの間は50ヤードを切っており、個々のベヒモスたちの顔も見分けられる。水牛のような太い角が前に曲がって飛び出し、目は燃えるように真っ赤であった。身体中をつやつやとした赤黒い毛が覆い、雄たけびを上げている。

 ベヒモスは普通二足歩行をするが、今はホルンたちを跳ね飛ばそうというのか、角を振り上げ、四本の手足を使って猛スピードで迫ってくる。


“ホルン、ベヒモスたちはホルンだけを狙っているみたいだ! 隊形を五つに分けているよ。それぞれの隊形は楔形だ”


 『鷹の目』役のコドランから報告が入る。


 ——ということは、1隊10匹ね。


 こういう場合は、端っこの部隊から撃破していくのがセオリーだ。そうすれば包囲されにくくなるからだ。しかし、ホルンはこんな戦闘の原則などかなぐり捨てて、中央突破を図った。『死の槍』を振り回しながら、真ん中の部隊に躊躇なく突撃したのだ。


「私はホルン・ファランドール、道を開けなさい!」


 ホルンの『魔力の揺らぎ』を乗せた『死の槍』は、ただ一振りで先頭のベヒモスを真っ二つにする。ベヒモスたちはそれにひるまずに連携の取れた動きで左右に展開し、ホルンの包囲を狙うが、ホルンはすかさず後ろに跳びながら『死の槍』を再び振り回した。ベヒモスたちはホルンから見て横隊になっていたのだからたまらない、『死の槍』はベヒモスの横隊を端から端まで撫で斬りにした。ホルンの名乗りからわずか2秒だった。


「いかん! 中央を割られた。アスラの奴は何をしている?」


 他の4部隊のベヒモスたちは慌ててホルンを追撃し始めた。ホルンは中央部隊を壊滅させると、残りの部隊には目もくれず、一目散にベヒモスの巣へと突撃を続けている。


「あのままではホルンはデイモスにまで届く。余の面目が立たなくなるぞ。ムスタファ、そちが指揮を執り、ホルンを止めろ!」

「はっ、攻撃班は我に続けっ!」


 『パシャの牙』次席であるムスタファの声とともに、剣士2人と槍遣い2人がホルンを追撃する。アスラの周りには盾装備の剣士2人と弓使い1人が残った。


 ホルンの目の前に、ベヒモスたちの巣が近づいてきた。その巣は力自慢のベヒモスたちが木々や瓦礫を集めてきて、うずたかく積み上げたもので、不格好な要塞のような代物だった。


「……やって来たわね」


 ホルンは、巣の入り口30ヤードの地点で足を止めた。10ヤード先に、いつの間にか先回りしていたシャナが、槍を構えて待ち構えていたからだ。


「あなたはやはり、『パシャの牙』の一人だったわね」


 ホルンが言うと、シャナはうなずいて名乗った。


「ええ、私はシャナ・クシャトリア。『パシャの牙』の筆頭よ。ホルン、あなたは罠にはめられることを知っていて、この仕事を受けたの?」


 ホルンはうなずいた。


「アスラ殿が裏切ることは先刻承知していました。だから私はわざと『パシャの牙』の先を進んだんです。一緒に進めば押し包まれて必要のない殺生をしないといけなくなりますからね」


 シャナは構えを解いて、不思議な笑みを浮かべると訊いた。


「一つ訊いていいかしら? なぜ、あなたはこの話が罠だと分かったの?」

「最初からアスラ殿が白状していたわ。ベヒモスたちは軍隊相手では籠城するので手が出せない。傭兵や用心棒相手なら野戦で全滅させる……だれも巣の中には入れなかったはずなのに、アスラ殿が『巣の中は迷路のようになっている』と言われたってことは、アスラ殿はベヒモスたちの内情をご存知ってことよ」


 ホルンの答えに、シャナはため息をついた。そして鋭い目をホルンに当てると再び質問した。


「ホルンさん、あなたはこの後どうするつもり?」


 ホルンの答えはにべもない。


「依頼どおり、ベヒモスたちを討伐するわ。アスラ殿を依頼違反として処置するかは未定ね。まだ私はアスラ殿からの攻撃は受けていないから」


 するとシャナは、薄く笑いを浮かべて言った。


「……なるほど。ホルンさん、頭を低くして」


 殺気を感じたホルンが身を沈めると同時に、


「エイッ!」


 シャナが、緋色に揺らめく『魔力の揺らぎ』を乗せた槍を横に鋭く払った。


「グアアッ!」


 ホルンの近くまで迫っていたベヒモスたちが、シャナの槍の一振りで粉々になって吹っ飛んだ。


「シャナさん」


 ホルンがびっくりしたような目でいうと、シャナは笑みを湛えて、


「ホルンさんの気持ち、うれしく思います。私はエフェンディ家の家令としてやらねばならないことをやります。ベヒモスたちはお任せします」


 そう言うと、隊列を乱しているベヒモスたちの間をすり抜けるようにして、迫りつつある『パシャの牙』へと駆けて行った。


「……そう言うことなのね。では、あんたたちは私が遊んであげるわ」


 槍をついてため息とともに言ったホルンは、すぐさま鋭い目に戻って『死の槍』を振り回し始めた。


「こいつをここで仕留めろ! デイモス様のところへ行かせるな」


 次のベヒモス隊が掛かって来るが、


「ふん、あんたたちに私が仕留められる?」


 ホルンは『死の槍』を突き出して、最初にかかってきたやつを仕留める。次に右からかかって来たベヒモスは、槍を引く暇もなく右に払って地面に叩きつける。そいつが立ち上がる前に、ホルンは槍を抜いて後ろから来た奴を斬り払い、その返す刃で2番目に地面に叩きつけたヤツの首を斬り飛ばす。


「くそっ! こいつ強いぞ。全員でかかるんだ」

「気付くのが遅いわよっ!」


 ホルンは、他の3部隊が揃う前に、二つ目の部隊を全滅させる。


「少し抑えておけば、アスラの部隊が応援に駆け付ける。それまで頑張るんだ」


 ベヒモスの一匹がそう仲間に叫ぶが、ホルンは皮肉な笑いを浮かべて言った。


「援軍か……来てくれたら良いわねェ」


 猛り狂ったように攻撃を仕掛けるベヒモスたちの数は、緑青色の光に包まれて『死の槍』を操るホルンの前に、目に見えて数を減らしていった。



「シャナ殿、そこをどいてください」


 ムスタファたちは、突然現れたシャナの殺気に気圧されたのか、一歩も進めずにいた。シャナは緋色の『魔力の揺らぎ』を隠そうともしていない。漆黒の髪は『魔力の揺らぎ』にあわせて揺らめき、漆黒の瞳も身震いするほどの険悪さを湛えてムスタファたちを見ていた。


「あなたたちは、ホルンさんの邪魔をしてはいけない。そんなことをしたら、エフェンディ家は滅びるわ」


 シャナの言葉に、ムスタファたちはさらに闘志を削がれた。


「し、しかし、旦那様の命令が……」


 ムスタファが言うと、シャナはぴしゃりと言い放った。


「この部隊の指揮官は私です。指揮官は、状況に照らして君命といえども受けざるところありというではありませんか。今がその時です」


 そして、『魔力の揺らぎ』を大きく揺らめかせつつ槍を構えながら訊く。


「……それとも、私を倒してホルンさんと戦い、エフェンディ家を滅ぼしますか?」


 覚悟を決めたシャナは、魔力を最大に開放している。彼女はそれでなくても『パシャの牙』随一の遣い手で通っていた女性だ。その実力をいやというほど思い知っているムスタファたちは完全に闘志を失っていた。



「コドラン、今よ!」


 ホルンは、野戦に出て来た最後のベヒモスを突き倒すと、コドランにそう叫んだ。姿を隠していたコドランは、


『待ってました! ストームファイアブレス』


 隠形を解いて姿を現すと、特大のファイアブレスを放った。大きさが60センチ程度しかないコドランだが、さすがシュバルツドラゴンというべきか、その炎は100メートルを優に超え、ベヒモスの巣を形作っていた木々や瓦礫を一瞬のうちに燃やしながら吹っ飛ばした。このコドランの能力が、ホルンの第二の秘策だった。


「おおっ!」


 ベヒモスたちがホルンに殲滅され、『パシャの牙』たちもシャナのために動けなくなっている状況をやきもきしながら見ていたアスラは、突然現れたドラゴンがベヒモスの巣を跡形もなく吹っ飛ばす様子を見て、思わず声を上げた。とともに、


 ——余の命もこれまでか……。


 と、背筋が凍る思いと共に立ち尽くしていた。


「くそっ! アスラめ、裏切りやがったな! 野郎ども、アスラを締め上げてやるぞ」


 頼みの『要塞』を失ったベヒモスの王・デイモスは、歯噛みしながら残りのベヒモスたちを呼び立てた。しかし、ベヒモスたちは崩れ落ちた巣の下敷きになったり、ファイアブレスで吹き飛ばされたり、焼き殺されたりしており、残りは10匹もいなかった。

 その生き残りも、あまりに凄まじい攻撃に肝をつぶしたか、既に逃走しはじめていたのである。デイモスは『裸の王様』となっていた。


「生き残ったあなたの仲間は、既にあなたを見捨てて逃げたわ。どう、ここであなたも降参しない?」


 ホルンが『死の槍』を立てながらそう言うと、デイモスは哄笑して言った。


「はっはっはっ、降参だと? いやはやお嬢ちゃんが何を言うかな? 俺たちベヒモスの好物が人間の女だということを知らないのか?」

「……その様子じゃ、私を見くびらない方がいいわよって言っても利かないみたいね? じゃ、いいわ。面倒だけど相手してあげる」


 ホルンがそう言うと、デイモスは怒りに目を真っ赤に燃やして、ゆらりと立ち上がった。大きい、確かに7メートルはありそうだ。


 ——この分じゃ、この槍もあいつの身体には通らないかもしれないわね。


 ホルンはそう思うと、いきなりボディプレスを仕掛けて来たデイモンの身体を、横に跳ぶことで避けた。


「へっ、嬢ちゃん。避けるとは賢明だな。俺の身体にはそんなへなちょこな槍は通らないぜ」


 デイモンは立ち上がるとそう言い、今度は鋭いパンチを続けざまに繰り出してきた。


「どうだ、かすっただけでも岩を砕く俺様の鉄拳乱れ打ちを止められるかぁ~!」


 得意げに叫ぶデイモンの言葉が終わらないうちに、ホルンの声が響いた。


「止めてあげるわ!」


 そう言うとともに、ホルンは


「わが主たる風よ、その力をわが槍に乗せ、猛り狂う異形の魔物に『Memento Mori』(死を思い出さ)せよ!」


 そう呪文と共に『死の槍』をデイモンへと投げつけ、同時に『アルベドの剣』を抜き討ちにした。


「ぐおっ! まさか、これは……『死の槍』……」


 デイモスは、苦しげな声を上げて倒れた。『死の槍』はデイモスの拳を貫いてその胸に突き立ち、『アルベドの剣』はその頭を唐竹割にしていた。



「……どう、あれでもあなたたちはホルンさんに勝てるつもりだったのかしら?」


 崩れ落ちるデイモスを遠くに見ながら、シャナはムスタファたちに問いかけた。ムスタファたちは全員、力なく首を横に振った。


「……お、おお、デイモスが……」


 アスラは真っ蒼な顔で、デイモスの断末魔を見ていた。デイモスが何かをしゃべっていれば、自分は間違いなくホルンから処置されるだろう。用心棒たちの慣習は、暗殺者たちのそれと同じで峻烈極まると噂になっている。今では、全財産を投げ出してでも助かりたいと思っているアスラだった。


 そのアスラの目に、シャナと共に近づいてくるホルンが映った。ムスタファをはじめとした『パシャの牙』たちは、まだ何かに呆然としたように立ち尽くしたままだ。


「旦那様」


 シャナが声をかけると、アスラは震える声で訊いた。


「シ、シャナ、余を助けてくれ」


 その様子に、シャナは急に声を上げて笑い出した。それを見てアスラは何を思ったか、茫然としてしまう。


「さて、アスラ様」


 アスラは、ホルンから急に声をかけられて、びくりと飛び上がった。そんな様子にはお構いなしにホルンは続けて言う。


「お約束どおり、アスラ様の所領に巣食ったベヒモスたちの掃除を終えました。先の護送任務の後金と合わせて……そうですね、3タラントンで手を打ちましょうか」


 それを聞いて、アスラは思わず口が滑る。


「余を処断しないのか?」


 ホルンはうなずくと、優しい目をまだ笑い転げているシャナに当てて言う。


「シャナさんの働きがなければ、あなたは私に対して依頼違反をするところでしたが、私はあなたの手の者たちからは一度も故意に攻撃されていませんからね。まあ、諸事情があったとして、今回は見逃します」


 それを聞いて、アスラの顔にはっきりと生気が蘇ってくる。


「そ、そうか……シャナ、恩に着るぞ」


 やっと笑いが収まったシャナは、まだ目に涙を浮かべながらアスラに言う。


「ですが旦那様、これからは諸事、エフェンディ家の家訓にあるとおり誠実に、信義を大事にしていただきたいと思います。先代の家令であったわが父上も、旦那様のことを最期まで本当に心配しておりました故」

 アスラは首を垂れて聞いていたが、おもむろに顔を上げるとシャナに近寄り、その手を取って言った。

「相分かった。そなたの余に対する忠誠が心に染みたぞ。余は名君には程遠いが、これからも公私ともに余を善導してくれ、シャナ」


 手を取られて顔を赤くしたシャナだったが、アスラの言葉の意味するところを悟るとさらに顔を赤くしてうつむいた。ややあって、シャナは小声で


「はい、私も不束者ですが……」


 そう答えたのだった。


          ★ ★ ★ ★ ★


 トルクの町を眼下に見下ろす丘の上で、ホルンは風に吹かれていた。そんなホルンにコドランが言う。


『シャナさんきれいだったね』

「そうね。あの二人、幸せになればいいわね」


 ベヒモス退治が終了した後、トルクの町はお祭り騒ぎだった。一つはここ数年、町人たちを悩ませてきたベヒモスが退治されたこと、もう一つはこのトルクスタン地方の土豪であるアスラ・エフェンディの結婚式があったことだった。


 ホルンは、シャナとアスラたっての願いで結婚式に参列した。聞けばシャナはホルンと同じ25歳だという。もともとインディラ地方の血が混じっているシャナは、ホルンと比べて肌の色は浅黒かったが、それでも素晴らしく美しい花嫁であったことには間違いない。


『はあ~、ホルンの花嫁姿って、きっともっとキレイだろーねー』


 ほわわんとした声で言うコドランに、ホルンはぶっきらぼうに言う。


「コドラン、何鼻の下伸ばしているの?……あら、あなた、お酒飲んでるの!?」

『へっ? ひらないよ。なんかぼくの近くにあったぶどうじゅーすならのんだけど……しょれのんだら、なんかきもちいーくなったんだー、ひっく』


 顔を赤くしてふわふわと飛ぶコドランがそう言う。危なっかしくてみてられないと思った瞬間、コドランはパタリと地面に落ちた。


「コドラン、大丈夫?」


 ホルンが慌ててコドランを抱き上げる。コドランはすやすやと寝息を立てていた。


『う〜ん、もう食べられニャイ……むにゃむにゃ……』

「コドランったら、夢の中で何を食べているのかしら?」


 ホルンは笑いながらそう言う。そして、幸せそうなシャナが言った言葉を思い出した。


『ホルンさん、ありがとうございます。ホルンさんも幸せになってくださいね』

「幸せ……か。今はコドランと一緒に旅ができるから、その点は幸せなのかもしれないな」


 ホルンはそうつぶやくと、すやすやと眠るコドランを抱えたまま、しばし吹きゆく風のなかで目を閉じた。

   (5 敵意の報復 完)

最後までお読み頂き、ありがとうございました。今回ホルンは直接攻撃を受けなかったことで依頼酒の裏切りを許していますが、それは彼女が無用な殺戮を好まない性質があることと、相手の立場を忖度しすぎる部分があるからで、そのことはホルンの長所でもあり、ときに致命的な部分で彼女の足を引っ張ります。そのことは後に書くとして、次回はザールたちの回となります。お楽しみに。

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