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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
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48 偽王の黙示

女神の力で破壊竜として覚醒したザッハークは決戦の地バビロンへと飛び立つ。一方で彼の手下ティラノスはバビロンを強襲した。

迎え撃つガイに策はあるか?

『女神アルベド篇』好調です。

【主な登場人物】


 ♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘で王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。26歳。


 ♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。15歳程度。


 ♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。23歳。


 ♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。21歳。


 ♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で『この世で最も高貴な一族』であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けるがチャラい。金髪碧眼の美青年。23歳。


 ♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。21歳。


 ♧ガイ・フォルクス…26年前にスケルトン軍団から国を滅ぼされたアクアロイドの王族。頭脳明晰で冷酷非情だが仇討に協力したホルンに恩義を感じている。29歳。


★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


 アルベドから喉元に剣を突き付けられたザッハークは、アルベドの言葉に逆らえないということは分かっていた。彼は無言でうなずく。


「うむ、ういやつじゃ。自分の置かれている立場というものを少しは理解していたようじゃのう。では、そなたの言う通り、神の力をそなたの中に開放するとしようぞ」


 アルベドはそう言いながら、ザッハークの心臓に剣を突き立てた。

 不思議と胸の傷からは血は出ない。ただ、ずぶずぶと剣が胸にめり込んで行くだけだ。その剣はアルベドの魔力を乗せて、ザッハークの身体を赤く透き通った『魔力の揺らぎ』で包み込む。


「うぐあああ〜っ!」


 ザッハークは、突き立てられた剣から、なにか巨大で禍々しい想念が、奔流の様に自分の中に流れ込んで来るのを感じ、そのあまりの魔力に気が遠くなった。


 彼の身体のあちこちに、どす黒いタトゥーのような文様が浮かんでは消える。そして、それはだんだんと数を増し、大きさを増し、濃さも増していく。その文様が浮かぶ度に、彼の身体と心は何者かに引き裂かれるような痛みと、何者かに飲み込まれるような覚束なさを感じ続けていた。


 しかし、彼の心の中に、


『おおう、わしはこの時を、この時を待っていた! プロトバハムートよ、わしは再びそなたと雌雄を決するぞ!』


 そう、猛々しい声とともに目を覚ましたものがあった。


「ぐ、ぎぎぎ……余は、余は……」


 ザッハークは、身悶えしながら床に倒れ込む。彼の肩が小刻みに揺れる。そしてそのたびに、耐え難い苦痛がザッハークを襲った。


「ぐっ……余は、余は……」


 アルベドは、身悶えしつつ何かに変わりゆくザッハークを、微笑んで眺めつつつぶやいていた。


「……さあ、ホルンよ、最後の戦いと洒落込もうぞ」



「女神様、あの者は?」


 部屋から出て来たアルベドに、ティラノスが問いかける。アルベドはニヤリと笑って答えた。


「まだ寝ておる。しかし、なかなかいい仕上がりだったぞえ? あれならばわらわが出るまでもなく、彼奴一人でホルンまで討ち取ることができるかもしれないのう」


 そして、アルベドはティラノスの顔を見て命じた。


「わらわは彼奴が目覚めたら、彼奴を戦線に投入するであろう。それまでに敵軍の戦力を分散させておく方が望ましい。ティラノス、そなたはわらわの最高傑作じゃ。そなたにはホルンを討ち取る任務を与える。わらわの期待を裏切るなよ?」


 するとティラノスは、その銀の瞳を持つ細い目でアルベドを見て、深々とお辞儀をして言った。


「必ず、ご期待に添い奉ります」


 その頭からおっかぶせるように、アルベドは哄笑した。



「くそっ! パラドキシアの奴め、あれほど女神アルベド様からもティラノス様からも言われていたというのに、勝手に先走って攻撃し、あまつさえ討ち取られるとは! 道理でいつまで経っても連絡が来ぬはずだ!」


 クルディスタン地域でパラドキシア軍からの指令を待っていたワイバーン軍団のグライフは、『パラドキシアがダイヤラ平原の戦いで敗北。本人は討ち死に、軍は四散』という連絡を聞いて激怒した。


「ティラノス様のご忠告どおり、我らと力を合わせれば、たとえ敗れたとしても討ち死にまではしなかったはずなのに! この大事な時に自らの手柄にばかり拘りよって……」


 グライフは途方に暮れた。自分の軍勢は5万、対してホルンの軍勢は50万を超えていると言われる。こちらは空を飛べるワイバーンだと言っても、相手にもそれなりに魔力の高い種族からなる部隊があり、特にアクアロイドはそれだけで10万を数えていた。


――ほかにホルンの1万6千、トリスタン侯国の魔戦士部隊5千があるが、やはりもっとも小うるさいのはアクアロイドだな。あいつらを何かで釘付けにできれば、あとは何とかなりそうだ。


 グライフはそう思って、副将のレーヴェと話をしようと立ち上がった時、そのレーヴェが来客を告げた。


「大将、ティラノス様がおいでです」

「何、ティラノス様が? すぐお通ししろ!」


 グライフの言葉が終わらぬうちに、灰色の服に身を包んだ痩せぎすの男が入って来た。


「これはティラノス様、ちょうどよかった。今後我々は何をすればいいのかをお教えいただきたいと思っていたところです」


 グライフは、椅子に座るや否や、ティラノスにそう言う。ティラノスはその薄い唇を歪めて言った。


「……過ぎたことを言っても始まらぬが、パラドキシアがそなたと連携していれば、今頃はバビロンで話をしていたことだろうな」


 グライフは同意のまなざしでうなずく。それを見て、ティラノスは少し表情を緩めて、


「そなたたちは、2日後に敵陣を攻撃せよ。今、恐らく敵のほとんどはバビロンにいるだろうが、その中で人間たちとアクアロイドについては、私に任せておくがよい」


 そう言った。グライフは目を見開いて尋ねる。


「これは訊いていいものかどうか分かりかねますが、アクアロイドたちをどのように牽制されるお積りでしょうか? 疫病を流行らせるのは時間が足りませんが……」


 ティラノスはただ一言言った。


むしに襲わせる」


   ★ ★ ★ ★ ★


 ダイヤラ平原の戦いでパラドキシア軍を打ち破ったホルン女王軍は、その勝利の足でそのままバビロンに入城した。バビロンの市民は、事前に『神聖生誕教団』の法王教書が知らされていたために、救世主としてホルンを歓呼して迎え、町の庁舎に案内する。


「さて、ダイヤラ平原ではお疲れさまでした。各隊の連携によってパラドキシアを討ち取ることができました。ただ、幾人かの有為の人材を失ったことは悲しい限りです」


 ホルンは、目の前に直立しているティムールたちに向かって語りかける。ティムール、ガルム、シャナ、リョーカ、アローそしてジェベたち……みんな、用心棒としてホルンが活躍したころに知り合った人々だ。彼らはホルンから見て右側に列席していた。


 次の列には、ムカリ、ポロクル、クビライ、スブタイといったサーム・ジュエル子飼いの将軍たちが、その精悍で頼もしい姿を見せている。


 そして最も左側には、リディア、ロザリア、ヘパイストス、シャロンというサマルカンド以来の同志たちがいた。ここにザールとジュチの姿がないのが寂しいが、それぞれの隊からはバトゥとサラーフが顔を出している。

 ホルンは、そんな面々を見渡して続けた。


「私は、今後バビロンで起こるであろう出来事について、『神聖生誕教団』のジョゼフィン枢機卿からの警告を受け取っています」


 ホルンがそう言うと、シャロンが全員に『法王教書』の写しを配付する。

 みんなはその文面をしばらく読んでいたが、全員がその内容を理解したころ、ホルンが再び口を開いた。


「ここは王国にとって大切な土地であり、争覇の土地と言って過言ではありません。必ずやザッハークはここを狙ってやって来ます」


 全員がうなずく。ホルンはそのうなずきに、微笑をもって返して言った。


「ですから、まずはここに住む人々の安全を確保せねばなりません。そのため、まず軍団をもって北西にあるサルサル湖の畔に仮の居住地を建設し、市民たちを保護しつつそこへと移動させねばなりません」


 そこで、ティムールがにこやかに手を挙げて言った。


「その点については、私がご説明申し上げます」


 ホルンがうなずくのを見ると、ティムールは立ち上がって、


「今、女王様が申されたとおり、このバビロンがザッハークとの決戦場になることは確かじゃ。それに市民たちを巻き込みたくないという女王様のお気持ちはよく分かる。そこでムカリとポロクルはその軍をもって居住地の整備を大至急行うように。整備後、クビライとスブタイで市民たちをサルサル湖まで誘導するのじゃ。ことは急を要する。明日からでもかかってくれ」

「……敵の魔物が襲ってきたらどういたしますか?」


 ガルムが左目を輝かせて訊く。ティムールは笑って答えた。


「そのためのそなたたちじゃ。わしもそなたたちと行動を共にする」



 その日の夜、バビロンの町は久方ぶりに戦場の緊張感から解放され、市民たちでにぎわっていた。

 軍団兵たちも、さまざまな任務は明日からということで、四門の警護に当たっている部隊の他は久しぶりに休暇を与えられ、市内を見物している者たちも多かった。


 ホルンにしても、ザールやジュチの状況は気にはなったが、だからこそ気晴らしも必要というゾフィーの言葉に従って、リディアやロザリア、マルガリータやアルテミスなどと共に市内を散策していた。


「……でも、私たちまでこんなことしていて、本当にいいのかしら?」


 一緒についてきたジョゼフィーヌとフランソワーズがぽつりとつぶやく。それを聞いてホルンは翠色の瞳を二人に向けて言う。


「今後のことで、色々と気になるのは分かるわ。でも、『羽を伸ばせるときは羽を伸ばして楽しむことも、気力を枯渇させない秘訣』というゾフィー殿のおっしゃることも確かだと思うわ。私も用心棒をしていた時はそうだったもの」

「そうそう、やるときはやる、そうでないときは楽しむ。そうしないと息が詰まっちゃうよ? みんな真面目だなぁ、アタシは結構、こんな時間も楽しいよ?」


 リディアが顔をほころばせている。彼女自身、まだ戻らぬジュチやザールをとても気にしている。二人ともリディアの幼馴染と言っていいような関係で、種族を越えた絆で結ばれているからだ。

 けれど、明るく振舞っているのは、


――アタシにはしょんぼりなんて似合わないし、あの二人に何かあったら、額の『希望の刻印(スぺス・スティグマ)』が騒ぎそうなものだからね。


 そう思っていたからだ。


「……まあ、お師匠様の言われることは分かる。気にしていても仕方のないことは確かにあるし、時間が解決してくれるものもあるからのう」


 ロザリアは白いフードを被って言う。彼女はザールの戦いを間近で見ていたため、


――あの状況でザール様が敗けることはあり得ない。


 と信じている。けれど、ジュチについては、


――まだ戻って来んとはジュチらしくない。軍師がいないと今後の作戦遂行にも悪影響が出るのじゃが……何をやっておるんじゃあのバカエルフが。


 と、少し心配と焦りがあったことは否めない。

 とにかく、一行は最寄りの食堂で腹ごしらえをすることにした。



 その頃、ジョゼフィン枢機卿はダマ・シスカスに戻り、法王ソフィア13世にバビロンの無血開城を復命していた。


「よくやってくれました。イリオン将軍も当代に冠たる名将、アクアロイドのリアンノン殿も麾下に幾多の驍将を抱える英傑、戦えば必ず大きな被害が出たでしょう。これでバビロンの民の苦しみを一つ、軽くすることができたというものです」


 ソフィア法王はそううなずくと、ジョゼフィンを見つめて、


「帰って来たばかりのところすみませんが、もう一つあなたにお願いがあります」


 という。


「何なりと」


 ジョゼフィンが畏まると、ソフィア法王は真剣な顔で命じた。


「女神アルベドがザッハーク殿をカッパドキアに連れて行きました。おそらく、終末竜アンティマトルを呼び出しているものと思われます」


 ジョゼフィンの顔色が変わった。終末竜アンティマトル、『黙示編』ではこの国を焼き尽くし、人々を蹂躙する存在だ。


「アンティマトルが呼び出され、女神アルベドと共に決戦の地に現れた時、ホルン陛下の軍には人々を守るだけの余裕はなくなっているでしょう。すでにシルビア枢機卿の騎士団が向かっていますが、あなたの騎士団も再び決戦の地に至り、シルビア枢機卿と共に人々を守ってあげてください。頼みましたよ?」


 ソフィア法王がそう言うと、ジョゼフィン枢機卿は深くお辞儀して答えた。


「承知いたしました。女神ホルン様の御心のままに」


 その日、ジョゼフィン枢機卿は4千の騎士団を率い、再びバビロンへと向かった。


   ★ ★ ★ ★ ★


 バビロンは、大河ティグリスとエウフラテスに挟まれた場所にある。水の便に恵まれたその立地故、古来『竜都』と呼び習わされてきた。

 その周囲は高い塀に囲まれ、四つの門には常時500の兵が監視に当たっている。『肥沃な三角地帯』の中にあり、農業や交易の中心地に相応しい威容であった。


 そのバビロンでは、リアンノン対イリオンの戦いが法王のとりなしで避けられ、ホルンがダイヤラ地方の戦いでパラドキシアを討ち取ったため、久方ぶりの平和な時間が流れていた。

 市民たちは久々に街に出て、飲み屋で痛飲したり、交易商人の店に入り浸ったり、夜遅くまで開いている屋台で食べ物をつついたりと、日常の平和を楽しんでいた。


 大都市バビロンは、表通りは夜になっても昼を欺く明るさだが、一つ通りを入ったら灯火は薄暗く、裏通りともなると月の光しか道を照らすものはない。

 そんな裏通りを、一人の男が歩いていた。


 男は身長185センチほど、痩せぎすで尖った顎と落ちくぼんだ眼が特に印象的で、銀色の瞳はどんな物事にも動じない冷たい光を放っていた。肩を少し越す程度の銀髪が、折からの夜風になびく。

 その細身の体を灰色の服で包み、黒い手袋をつけた両手は、身体の横にだらりと下げ、油断なく闇の中を見透かすようにして音もなく歩いていた。


 男の名は、ティラノス・レックス。ザッハーク朝の重臣の一人で、パラドキシア・バレオと共にザッハークの両腕と呼ばれた男である。彼は今、女神アルベドの指令を受けてホルン暗殺のためにバビロンへと潜入したのだが……。



「ふふ、思ったとおり、警戒がぬるいな」


 ティラノスは、一般市民のふりをして易々とバビロンの町に入った。パラドキシアが討ち取られたことで警戒が緩むと踏んでいたティラノスの思ったとおりだった。

 ティラノスは、町に人通りが多いうちに、ホルンの暗殺を決行しようと考えていた。人が多ければ見つかる確率が減り、逆に逃げ延びられる確率は高くなる。


 ティラノスは、四門の警備に当たっている兵も含めて、大部分の将兵は町の北側に宿営地を作っているのを見て、ホルンの警護としてはせいぜい数百人が町の城壁内にいるに過ぎないと観測していた。


――その程度であれば、町の政務庁舎とその周辺に本陣を作っているだろう。


 ティラノスはそのように推測し、目立たぬようにしてバビロンの中心に位置する政務庁舎へと歩いて行った。


「やはり、ここにホルンはいるな」


 ティラノスは庁舎前の道路をゆっくりと歩きながら、政務庁舎の玄関口に数人の兵士を連れた将校が歩哨として立っているのを見て、ニヤリと笑った。

 政務庁舎はレンガを積み上げた造りで、3階建てだった。ティラノスは酔いつぶれたふりをして地面に座り、じっくりと観察する。2階には100名近くの兵士が詰めているようだ。とすると、ホルンがいるのは3階になる。


 しばらく玄関の出入りを観察していると、一人の老人が隻眼の男と共に建物の中から出て来た。老人はかなりの高齢のようだが、たくましい身体つきやその手に引っ提げた槍を見ていると、恐るべき『魔力の揺らぎ』を秘めていることが見て取れた。


 また、隻眼の男は背中に恐るべき長さの両手剣と円楯を負い、こちらも歴戦の魔剣士と思われた。


――なるほど、あれが元『王の牙』だった大将軍ティムールと元用心棒で鳴らした驍将ガルムか……どちらも確かにできるな……。


 ティラノスがそう思って眺めていると、不意にガルムの左目と視線が合った。ティラノスはガルムの視線の鋭さと、心の中にまで飛び込んできそうな迫力を感じたが、泥酔する男を装い瞳を濁らせることでその場を取り繕った。


 ガルムは立ち止まり、左目を細めてこちらを見ていたが、ティムールから呼びかけられると一言二言彼と話を交わした。ティムールもこちらを鋭い目で一瞥したが、ガルムに何か言うとさっさと歩きだす。ガルムもすぐにその後を追って歩き出し、通りの向こうの人混みに消えて行った。


――危なかったな。しかし、見破られたと考えていた方がいいな。ホルンをやったら奴らと町中で戦うことを想定しておいた方がいい。


 ティラノスはそう思うと、ゆっくりとした動きで立ち上がった。ティムールとガルム、人間という種族の中では彼らの右に出る戦士はこの場にいない。二人ともいない今こそ、斬り込むチャンスだと考えられた。

 ティラノスは建物の後ろに回った。裏口の警戒が緩ければ、裏口から入ろうと考えたのだ。どんな場合でも成功の確率が高い方を選ぶべきなのは、戦士として当然の心がけだ。


 しかし、裏口も玄関と同様な警備だった。戦がひと段落したからと言って手を抜いてはいないのだ。

 ティラノスは隣の建物を観察した。そして折よく隣の建物の非常階段からならば、政務庁舎の2階に手が届くことを知った。


――ふむ、それでは1階をスルーして、2階から飛び込もうか。3階のホルンになるべく早くたどり着けるに越したことはないからな。


 ティラノスはそう考えると、躊躇なく隣の建物との間に入り込み、階段伝いに庁舎2階内部へと侵入した。



 結果は失敗だった。ホルンはその時、町に出かけていてこの庁舎にいなかったのだ。

 いや、それだけではない。ティラノスが廊下にひしめく兵士たちを一人残らず始末して政務室のドアを開けると、そこには深い海の色をした瞳を持つ男が待っていた。ガイ・フォルクスだ。


「遅かったな。そなたがここを目指すことを決心してから1刻(15分)も経っている」


 ガイは、冷たい声でそう言った。待ち伏せられていたか……ティラノスはそう思うと同時に、ガイと同じく冷たい声で切り返す。


「とりかかってからは2分です。観察に十分な時間を取ったつもりですからね?」


 ガイは薄く笑うと両腕をだらりと下げて言う。


「ここに女王様がいないことを見抜けなかったのが運の尽きだったな」


 その言葉を発した瞬間、ガイはティラノスに飛び掛かり、ティラノスは後ろへと跳んで窓から身を躍らせた。


「逃がすかっ!」


 ガイも3階から飛び降りる。


「私の存在を早くから探知していたとは素晴らしいですね」


 ティラノスは大通りで立ち止まると、にやにや笑いながらガイを待ち受けていた。ガイは目にも止まらぬ速さでティラノスの首筋に手首のヒレを叩き込んだ。

 しかし、その瞬間、ティラノスは煙と化した。


「くそっ! スーペヴィアと同じ技かっ!」


 ガイがそう言って唇をかんだ時、通りを歩いている人々が急に騒ぎ出した。


「きゃっ!」

「ぐへっ!」


 数人の男女が、突然口や身体から血を噴き出して倒れる。それを見る限りは誰かに斬られて倒れ込んでいるようだったが、攻撃者の姿が見えない。


「ひ、人殺しがいるぞ!」


 一人の男性が脅えた声で叫ぶと、そこにいた人々に恐怖が伝染したのか、人々はパニックになって逃げ始めた。そんな人々の中にも、突然血を噴き出して地面に転がるものが出ている。


「住民を楯に逃げ出そうとは……許せぬ」


 ガイはそうつぶやくと、背中や耳のヒレを大きく広げた。これによって彼は隠れた存在の位置を掴むことができる。


「そこだっ!」


 ガイは、3か所に自分の鱗をまるで手裏剣のように撃った。


 カキ、カキ、カキン!


 3枚の鱗は、それぞれ何者かが弾いたかのように、金属音を響かせた後、あらぬ方向に飛んで行き、地面に落ちた。


「姿を現せ、まあそのままでも俺には見えているがな」


 ガイが言うと、ティラノスともう二人の人物が、霧の中から浮き上がるようにして姿を見せた。

 ティラノスの両側にいたのは、短剣を両手に構えた女と、長剣を持った男だった。女は黒い髪に金色の瞳、男は茶髪に銀色の瞳を持っていた。


「ふん、なかなかやるじゃないか。俺はガイ・フォルクス、アクアロイドだ。貴様たちの名前を聞いておこうか」


 ガイが名乗ると、ティラノスは丁寧にお辞儀をして名乗った。


「私は女神アルベド様のしもべにしてザッハーク陛下の政策参与、ティラノス・レックスと申します。こちらの二人は、私の自信作でアウルムとアルゲントゥムと申します。どちらも優秀な自律的魔人形エランドールですので、遠慮なく全力で掛かって来ていただいて結構ですよ?」


 そう言うと、ティラノスは身を翻して人混みの中に消えていく。


「待てっ!」


 ガイがティラノスを追って走り出そうとした時、アウルムとアルゲントゥムは至極見事な連携攻撃を放ってきた。二人は同時に左右からガイに斬りかかり、ガイが上に跳んでその攻撃を躱すと、アルゲントゥムはそれを追って跳躍し、アウルムはガイの着地点へと先回りする。


「たっ!」

 ボスッ!


 ガイは、自分以上の跳躍を見せたアルゲントゥムが剣を振り下ろしてくるところを、右足の回し蹴りで吹き飛ばす。そして着地点で待ち構えていたアウルムには、


「食らえっ!」

 ボシュンッ!


 『魔力の揺らぎ』を水球として叩きつけ、アウルムの攻撃を躱した。

 しかし、着地した途端、アルゲントゥムはガイの後ろから鋭い斬撃を放つ。


「くっ!」

 キーン!


 ガイはその剣をヒレで受けると、短剣を振り回しながら突っ込んできたアウルムの右手を蹴り飛ばし、宙に舞った短剣を奪うと、アルゲントゥムの斬撃をヒレで払いながらその額に短剣をぶっ刺した。


「ぐげっ!」


 一瞬、アルゲントゥムの動きが止まる。

 その隙にガイは、短剣を突き出してきたアウルムの腕をつかんで後ろに回り込み、その頭を思い切り捻じるように回した。


 ゴリッ!

「ごへっ!」


 アウルムは、そんな言葉を残し、頭をねじ切られて倒れた。頭部を失った胴体からは、青い液体がどくどくと噴き出てくる。それはアウルムの身体を融かし、融かしながら黄緑色の気体を発生させる。


「うっ! 毒ガスか」


 ガイは、そのマスタード臭のするガスから離れようと風上へと跳んだ。しかしそこにはアルゲントゥムが剣を振り上げて待っていた。


「食らえっ!」


 ガイは、持っていたアウルムの頭部をアルゲントゥムに叩きつける。アルゲントゥムは反射的にそれを剣で斬り裂いた。


 ブシャッ!


 嫌な音が響いて、青い液体が脳漿と共にアルゲントゥムに降り注ぐ。その液体はアルゲントゥムの皮膚を融かし、白い煙を上げ始めた。


「ぐぎぇっ!」


 アルゲントゥムが青い液体に目を潰されて叫び声を上げた時、ガイが手元に躍り込んでアルゲントゥムから剣を奪い、そのまま跳び下がりながら首を刎ねた。


 バッ!


 辺りを青い霧が覆う。ガイはその霧に飛び込まないように、そして取り込まれないようにさらに風上へと跳んだ。


 ジュウウウウウッ……


 凄まじい音とともに、肉の焦げる匂いと黄緑色の気体が立ち込める。やがてそれが晴れた時、地面には2匹の犬の白骨死体が、青い色の液体の中に浮かんでいた。

 もちろん、その時にはガイはもうそこにはいなかった。



「ガイ・フォルクス、なかなか手ごわい相手でしたね」


 ガイの攻撃から何とか逃げ出したティラノスは、暗い路地を町の外に向かって歩いていた。今回はホルンがおらず、アウルムとアルゲントゥムも失った。ガイは今も自分を追いかけてきているが、ティラノスは笑ってつぶやいた。


「おやおや、ガイ・フォルクス、私を追っかけている場合ではないぞ? 早くホルンを探してこの町から出さないと、大変なことになるからね」


 ティラノスは笑いながら、町の城壁から飛び降りた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 表通りは、ガイたちの死闘も知らぬ住民たちで夜が更けても賑わっていた。

 なにしろ、物資が集まる場所である。物資が集まるところには人が集まり、その人たちが情報をもたらし、その情報が人々を引き寄せるのだ。


 そう言うことで、表通りでは交易商人たちや町の有力者、そして地方政治・経済を牛耳る連中などがあちらこちらの店で談笑していた。


「何だ、これは?」


 そんな中の一人である交易商人は、仲間たちと共に居酒屋から出てきて、不思議なものを見た。この店はバビロンの東側にあり、町の門から近い位置にあったが、足元を無数の赤い蟲の大群がうごめいていたのだ。


「おい、それは捕食アリだ!」


 交易商人の一人が叫ぶと、全員が慌てて店の中に戻り、入口をしっかりと抑えた。


「どうしました、お客さん?」


 居酒屋の主人が、血相を変えている交易商人たちに訊くと、先ほどの商人が震える声で主人に告げた。


「そ、外に、外に捕食アリの大群が来ている。戸締りをしっかりしていないと、みんな食われるぞ」

「何ですと⁉」


 主人だけでなく、その場に居合わせた全員が青くなって立ち上がった。

 捕食アリ……それは獰猛なアリの一種で、全長は女王アリで5センチ、兵隊アリで3センチ、通常の働きアリで2センチほどになる。体色は真っ赤で、何でも食べる。何年かに一度の女王アリの巣別れ時には大発生して、新しい女王アリは巣の半数を率いて元の巣から500キロから1000キロも移動する。


 その移動の際には、草木はもちろん、他の昆虫や犬、猫、牛馬などの家畜、果ては人間までを食らいつくすのである。

 真っ赤な川のように移動するので、人々からは『死の赤い川』とか『災いの川』と呼ばれて恐れられていた。


 兵隊アリは働きアリと同様、毒を持っている。毒性はあまり高くないものの、何千匹、何万匹とたかられて身体中を刺しまくられれば、たちまち身体中の皮膚がひどい炎症を起こして皮膚呼吸が困難になるし、兵隊アリの頑丈なあごにかかれば皮膚は食い破られて体内に侵入されるのだ。


「な、何の音だ?」


 外から扉をゴリゴリと削る音がする。アリの顎は日干し煉瓦すら食い破るのだ。この店の中に閉じ籠った人々の命も、あと少ししかなかった。



「何の声?」


 ホルンは、表通りから聞こえてくる喧騒に気付いてそう言った。フランソワーズが席を立って窓から外を見つめる。


「たくさんの人が騒いでいますね。何かから逃げ惑っているようです」


 フランソワーズがそう言うと、ホルンは眉を寄せて立ち上がって言った。


「敵なの?」

「いえ、あれは『捕食アリ』の大群です!」


 フランソワーズの隣で外を見つめていたジョゼフィーヌが言うと、その場の全員が血相を変えて立ち上がる。


「捕食アリだって? まだそんな時期じゃないのに?」


 リディアはそう言って首をひねる。捕食アリの巣別れはだいたい5・6年のスパンで行われる。リディアの経験から言うと、あと2・3年先の予定だったのだ。


「とにかく、女王アリを見つけ出して指揮系統を潰さないと、バビロンの町は廃墟になるわよ」


 ホルンがそう言って『死の槍』を掴んでバルコニーに出た。その眼下には名状しがたい混乱が起こっていた。


 あちこちで人が逃げ惑っている。そのほとんどの人にアリは何千匹とたかっていた。それを素手で振り払おうとして、アリの顎に食い破られた傷から出た血をまき散らす。その血がさらにアリを呼んで、最終的には身体中に分厚くたかられ、目や耳や鼻から、あるいは食い破られた傷口から体内に侵入され、生きたまま内臓を食い散らかされるのだ。


 何億というアリがうごめく様子は、まさに赤い川のようであった。流れのあちこちにある島のようなものは、たかられて力尽きた人々だろう。やがてアリの川の中で骨の髄まで食い尽くされるだろう。


「この建物にも登ってきています!」


 マルガリータが慌てたように叫ぶと、ロザリアが落ち着いて言った。


「騒がんでもよい。みんな『魔力の揺らぎ』で身を包め。アリたちに特別な魔法がかけられていない限り、それでアリは私たちには手が出せぬはずじゃ」


 その言葉で、全員が自分の身を『魔力の揺らぎ』で包む。そしてホルンを先頭に2階から飛び降りると、アリの群れを蹴散らし、踏みつぶしながら城外にある陣営へと駆けだした。足首までアリの群れに埋まりながらも、彼女たちは一散に城外を目指す。


――特に魔力はかかっていないようね。それにしても数が多すぎる。


 ホルンは、足元で潰れて毒を振りまく嫌な感触に、思わず身を震わせた。



「……この数はただ事ではないわね。何とか女王アリを見つける方法はないかしら?」


 陣内に戻ったホルンは、すぐに各隊長を招集して城内の惨状を説明し、善後策を協議した。この陣営はヘパイストス隊の特殊装備である『結界杭』を周囲に立ててあるため、いかなるものもその結界内には入れない。


 もちろんホルンは、『結界杭』を使って市民の避難場所を設定するように命令し、ヘパイストス隊もすぐ作業にかかったため、わずか四半時の間にかなりの数の生存者を結界の中に収容できていた。


「捕食アリは花の蜜が特に好みです。奴らは匂いに敏感なので、俺たちが罠をつくって奴らをこの町から追い出してやりますよ」


 リョーカが手を挙げて言う。ティムールはうなずいて言った。


「よし、それはリョーカ殿に頼もう」


 そして、リョーカが勇躍して天幕を出て行った後、ティムールはホルンに、


「女王陛下、これは偶然の出来事ではありますまい。ザッハークの手の者の仕業に違いありません。とすると、他の方法でバビロンを混乱に陥れようとしてくるでしょう。そちらにも手を打つ必要があります」


 そう言う。ホルンもうなずいた。



 リョーカが、自分の部隊を率いてバビロンの町を出ると、エウフラテス河の向こうに見たこともない軍勢がいるのを見つけた。

 その軍勢は4・5千程度で、全員が銀色の甲冑に身を包んでいる。


「何だ、あいつら?」


 リョーカは不審に思い、注意深いコクランに偵察を任せた。

 コクランは、直ちに1千の兵を率いて、闇にまぎれながら風下からゆっくりと近寄っていく。と、相手の部隊まであと半ケーブル(この世界で約93メートル)に近づいた時、夜風が甘い香りを運んできた。


――何、この香り? お香? それともお化粧の匂いかしら?


 コクランは隊長を務めてはいるがまだ17歳の少女である。少女であるがゆえにその匂いに覚えがあったのだ。


「……この匂いは、シャロンさんたちの部隊の匂いと似ている……とすると……」


 コクランはそうつぶやくと、部隊の指揮を副隊長に委ね、自分が特に目をかけている弓の達者な少女とともに、たった二人でゆっくりと近づいて行った。



「……バビロンの町から異臭と死臭がする。何かとんでもないことが起こっているに違いないわ」


 闇の中にたたずむ部隊……リョーカが発見した謎の部隊……の中央で、この部隊の隊長であるシルビア枢機卿がつぶやいた。そう、この部隊は『神聖生誕教団』のソフィア法王が遣わした『女神の騎士団』であった。

 シルビアが前進命令を出そうとした時、先頭に近いところの兵士が鋭い声で闇に向かって誰何した。


「そこにいる者、姿を見せよ! 我らは『神聖生誕教団騎士団』第1連合分団だ!」


 その名乗りを聞いて、コクランはうなずくと立ち上がり、弓を肩にかけてゆっくりと近づきながら自らも名乗った。


「アタシは、ホルン女王様の指揮下にある義勇軍リョーカ隊のコクラン・アルメといいます。現在、バビロンで『捕食アリ』の大群が暴れています」


 それを聞くと、シルビア枢機卿は目を細めてコクランに訊いた。


「女王様はご無事でしょうか?」


 コクランはうなずいた。



「……ということさ。これから俺たちがアリの大群を始末してやるから、バビロンに入るのはその後の方がいいと思いますぜ」


 コクランから報告を受けたリョーカは、相手が法王直属の枢機卿という立場にいることを考慮して、自らその陣屋を訪れた。

 シルビア枢機卿は、リョーカの説明を微笑と共に聞いていたが、リョーカに静かにこう言った。


「……よく分かりました。実は私たちも法王猊下のご命令でバビロンの人々を守りに来たものです。及ばずながら、私たちもリョーカ殿の作戦をバックアップいたしましょう」


 するとリョーカは、びっくりして両手を顔の前で交差させて言う。


「えっ⁉ それはありがたい申し出だけれど、『捕食アリ』は人間すら15分くらいで骨まで食らいつくす危険生物だ。俺たちに任せておいてくれないか? チラッと見たが、枢機卿の騎士団はシャロンさんの騎士団同様、女の子だけで構成されているみたいじゃないか? 俺たちは女性を危険な目には遭わせたくないんだよな」


 シルビア枢機卿はニコニコしながらうなずいて、


「ふふふ、嬉しいお言葉痛み入ります。部下が聞いたら喜ぶでしょう。けれど、私たちも危険な相手だとは知っていますし、法王猊下の命令に背くわけにも参りません。では、私たちはリョーカ殿の部隊の後ろから作戦に参加させていただくわけにはいきませんか?」


 そう言うので、リョーカとしてもそれ以上は突っぱねるわけにもいかず、共同作戦を取ることとした。


「……枢機卿、本当にあの男の計画どおりにするおつもりですか?」


 リョーカが自分の部隊に戻った後、第2分団長である司教が訊くと、シルビア枢機卿は笑って首を横に振った。


「いいえ、第2分団はすぐに聖水と護符を持って『捕食アリ』討滅に向かってください。第3分団は私とともに、リョーカ殿の部隊の後に続くのです」

「あんな野人のために、わざわざそんな手間がかかることをしなくてもいいのでは?」


 第3分団を率いる司教が不満げに言うと、シルビア枢機卿はクスリと笑って言った。


「いいではありませんか。リョーカ殿は確かに粗野に見えますが、一生懸命で憎めないのです。あの愛すべき人物の顔を立ててあげましょう、それも女神ホルン様の計らいというものでしょう」



「よーし、罠は設置できたか?」


 リョーカは、信頼するジェベたちに訊く。ジェベはうなずいて


「はい、お言いつけどおり、各門から100ヤードのところに設置しました。周りは『魔力の揺らぎ』で固め、おびき寄せるための蜜の塊も十分です」


 そう答える。リョーカは満足そうにうなずくと


「では、作戦開始だ。罠がいっぱいになったらその都度、アリンコたちを始末しろ」


 そう命令した。

 この作戦はうまく行った。バビロン市内で動植物を見境なく襲っていた『捕食アリ』たちは、四つの門の外側から流れてくる蜜の匂いには抗えず、ぞろぞろと門の外を目指す。そしてそこに設置してあったリョーカの罠に次々と引っ掛かっていった。


「うわ、きも」


 東門の外で罠を管理していた両手剣のバズは、深く掘られた罠の内側に次々と落っこちて、うねうねと動くアリたちを見てそうつぶやく。

 それは南門にいた槍遣いのアルムや西門にいたコクランも同様だった。


 けれど、実はこの作戦がこれほど成功したのは、もう一つの要因があった。それは神聖生誕教団騎士団の活躍である。


 彼女たちは、護符を身体に着けてバビロンの町中に突入し、聖水を振りまいたのだ。この聖水は女神ホルンの慈愛が込められているというもので、その魔力によってさしも凶暴な『捕食アリ』たちも、あっという間に力を無くし、地面へと転げ落ちた。


「人間にたかっているアリを中心に始末せよ!」


 彼女たちはそう言い合いながら、連携して町中をくまなく巡り、蜜の匂いに釣られなかったアリたちや、蜜に惹かれて出て行く途中で他のものに襲い掛かったアリたちを一匹残らず退治したのである。



 リョーカ部隊と『神聖生誕教団騎士団』の協力によって、『捕食アリ』による混乱は2時(4時間)程度で下火になり、3時(6時間)でほぼアリは全滅した。

 ただ、市民や町への影響は小さくはなかった。ほとんどの店や家は食い破られ、食料も食べつくされ、そして5千人に近い人命が失われていたのである。


「リョーカはよくやってくれました。また、シルビア枢機卿の騎士団にも厚くお礼申し上げます。ソフィア法王猊下にもよろしくお伝えください」


 ホルンは、シルビア枢機卿にそうお礼を言うとともに、リアンノンの部隊でバビロンの住民のためにできる限りの食料を集めるようにと指示を出していたのである。


「バビロンを留守にするのは心配だけれど、私たちならば海軍の力でよその地域からも食料を調達できるからね。まずはシェリルに国の東側から物資を集積して、それを船団で運んでくるように手配しましょう」


 リアンノンは、久しぶりに旗艦『リヴァイアサン』の揺れを楽しみながら、一路、シェリルの町へと艦隊を動かしていた。



 アクアロイド部隊不在の報は、しばらくしてグライフに伝わった。


「よし、アクアロイドたちがいなくなった。バビロンを攻めるのは今だ!」


 クルディスタン地域で戦機を測っていたグライフは、琥珀色の目を輝かせてそう叫ぶ。これでやっと女神アルベド様のお役に立つことができる……グライフは感激していた。


「しかしさすがはティラノス様だな。おっしゃるとおりアクアロイドがバビロン周辺からいなくなった。猪武者のパラドキシアとは大違いだ。我らの指揮もティラノス様に執っていただければ鬼に金棒だがな」


 グライフはそう言いながら出撃準備を進める。そして心の中で、


――途中でティラノス様に出会ったら、是非も言わせずわが部隊の指揮を執っていただくことにしよう。


 そう固く決めていた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 しばらく時は遡る。

 リョーカ部隊がバビロンの周囲に罠を設けていた頃、バビロンから北に50マイルほど離れたティグリス河の渡し場付近で、一人の男がつぶやいた。


「……しつこいヤツだ」


 男は、灰色の服に身を包み、肩まで伸ばした銀色の髪を風になぶらせている。そう、ティラノス・レックスだった。

 バビロンでホルンの命を狙ったが失敗した彼は、それでも『捕食アリ』の大群を呼び寄せることでバビロンに大混乱を引き起こしていた。その混乱に乗じてグライフのワイバーン軍団と共に再びバビロンに赴けば、


――今度こそ、ホルンの命はこの手の中だ。


 と考えていた彼は、何をさておいてもグライフの軍団と合流することを急いでいた。

 けれど、あれほど周到に逃げ回ったのにも関わらず、ガイの気配が消えない……いや、だんだんと近くで感じられるようになっているのである。それが、彼が「しつこいヤツ」といつぶやいた所以であった。


 もちろん、ティラノスとて易々と尾行を許すほどやわな相手ではない。時には気配を消し、時には分身を別の道に歩ませ、時には次元の歪みを利用して自らの足跡を消すなど、ありとあらゆる魔法を使ってガイを巻こうと努力したが、ガイはただの一度たりともティラノスを見失うことはなかった。


 事ここに至っては、ティラノスがガイを巻くことは困難だと認めざるを得なかった。そして、そのことはティラノスがグライフ軍団に合流できなくなることを意味する。なぜなら、グライフ軍団には奇襲を旨として突然にバビロンに乗り込むことが望ましいからだ。ガイを引き連れてグライフ軍と合流すれば、『奇襲』という大切な要素が失われる。


――うむ、こいつはここで討ち取っておくに限る。さもないと女神アルベド様の戦いにも支障が出る恐れがある。


 ティラノスは遂に決心すると、ガイとの決戦のためにティグリス河を渡り始めた。


――ほう、私と雌雄を決する気らしいな。


 ガイは、1マイルほど先にいるティラノスの動きを感じ取ってそう直感した。今までは隠れるように、遠ざかるようにと動いてきたティラノスが、大胆にも自己の存在を隠すこともなく河を渡っている。それが意味するところは明白だった。


 ガイも、今までの追跡でティラノスという男がどれほどの能力を持つか理解していた。冷徹で冷静、そして多種多様の魔法を惜しげもなく使って見せたティラノスに、


――暗殺者としては最大の難敵。


 という評価を与えていた。


「何より、ヤツはジュチに似ているところがある。捉えどころのなさや冷静な所がな……それだけでも厄介だが、逆に言うと今叩いておかねば、後悔する相手だ」


 ガイもそうつぶやくと、ゆっくりとティグリス河に身を沈めていった。


――ヤツがどのくらいティグリスから離れるかだな。


 ガイはゆっくりと流れる大河ティグリスを遡行しながら、相手の出方を想像していた。



「この辺りでいいか」


 ティラノスは、ティグリスを渡ると川岸から2ケーブル(この世界で370メートル程度)離れたところにあった茂みに身を隠した。もちろん、ガイを相手にこんな子供だましな手は通じないことは分かっていたが、彼がここを拠点としたのは理由があったのだ。


 ティラノスは、その地形を利用して自らの魔力で数々のトラップを仕掛けるとともに、泥人形や岸に打ち付けられていた木材などを使って自らの『兵隊』となる剣士たちを創り上げた。

 そして、できる限りの準備を整えたティラノスは、じっと水面を見つめていた。


「さあ、ガイよ。不本意だがここで決着をつけよう」




 一方のガイは、ティラノスが行っている準備作業を残らず把握していた。

 彼は存在を消すことに関してはティラノスをはるかに凌いでいた。『流体化』によって完全に気配を消すと、そのまま土の中を浸透してティラノスがいる場所からさらに50ヤードほど陸側に占位したのだ。


――ふむ、奴が最初の攻撃でくたばるとは思えんが、とにかく攻撃してみるか。


 ガイはそう思うと同時にティラノスの真下まで回り込むと、いきなり相手の背後に姿を現した。


 ザシュッ!


 ガイの手首のヒレがティラノスの首筋を切り裂く。しかしガイはその瞬間、前へと跳躍した。手応えが違ったのだ。どうやら首を斬り飛ばしたのは泥人形らしい。


 ヒュンッ!


 ガイの背中ギリギリを、ティラノスの剣が過ぎ去る。やはりティラノスはガイの攻撃を見切っていたのだ。


「ふふ、そうでないと面白くない」


 ガイがそううそぶくと、ティラノスは剣を下ろして笑う。そして、


「また会いましたね? こんどこそ決着をつけないといけないようですね」


 そう言うと、ティラノスの左右に一組の男女が現れた。短剣を両手に構えた女と長剣を持った男。それはガイがバビロンで倒した男女とそっくりだった。女は黒い髪に金色の瞳、男は茶髪に銀色の瞳を持っていた。


「ふん、そこの二人はアウルムとアルゲントゥムとか言ったな? そなたは自律的魔人形エランドールを造るのが得意なようだな?」


 ガイが言うと、ティラノスは首を振って答えた。


「今度の二人は自律的魔人形エランドールではありませんよ。ちゃんとした存在です……そう、いわば天使とでも言いましょうか」


 それを聞いて、ガイは海の色をした瞳を持つ目を細めた。天使だと? つまりは女神アルベドの血をもって創られた存在というべきものか。


「ふむ、では私はいよいよ神を相手にするというわけか。では、私も手加減はしないでおくぞ」


 ガイが言うと、アウルムとアルゲントゥムも、それぞれの得物を構えて言った。


「望むところだ」

「来い!」


 二人は、何体かの木偶とともに同時にガイに飛びかかってくる。


 キイイン!

 ズバシュッ!


 ガイは蛇矛『オンデュール』を目にも留まらぬ速さで振り回し、木偶たちを一掃すると、その蛇矛で二人の剣を受けた。その後ろからティラノスが剣を振り上げる。ガイは『オンデュール』越しに突き飛ばしてアウルムとアルゲントゥムを押しのけると、そのまま蛇矛をティラノスに突き出した。


「おっと!」


 ティラノスは危うくそれを避ける。そこにガイの回し蹴りが決まった。


「ぐっ!」


 吹き飛ぶティラノス。ガイはそれを追って、『オンデュール』を持ったまま肉薄する。


「はっ!」

 カキーン!

 ジャリンっ!


 ガイは、横腹を狙ってきたアウルムの短剣を弾くと、その余勢でアルゲントゥムの剣を滑らせるようにして受け流す。そのおかげでティラノスは態勢を整え、ガイの足を狙って剣を振り上げてきた。


「甘いっ!」


 ガイは剣を左足で蹴り上げる。それにつられてティラノスの腕が浮き上がった。

 ガイはそのスキを見逃さなかった。『オンデュール』が白銀の筋を描いて、


 ゴリッ!

「うがっ!」


 ティラノスの左腕が宙を舞う。

 だが、ガイも無傷ではいられなかった。


 ジャリン!

「くっ!」


 アルゲントゥムの剣がまともにガイの背中をえぐった。硬い鱗があったので致命傷にはならなかったが、それでもガイの次の攻撃を0・1秒ほど遅らせた。


「やーっ!」

 ズバンッ!


 アウルムの短剣がガイの右腕に刺さる。アウルムは剣を抜くときサッとひねった。これで傷口は大きくなって、血が止まりにくくなるし、治りも遅くなるのだ。

 が、ガイはその瞬間を狙っていた。


 ――肉を斬らせて、骨を断つ!


「喰らえっ!『斬海爪クリスタルネイル』!」

 ブシャッ!

「ぐわっ!」


 ガイの爪が50センチほども伸び、アウルムは短剣を持ったまま頭から股まで真っ二つにされた。赤い血が霧のように視界を奪い、ぶちまけられた内臓が宙を舞う。


「よくもアウルムをっ!」


 赤い霧の向こうから、アルゲントゥムの悲壮な声がする。ガイは後ろから襲ってきたティラノスの剣を『オンデュール』で受けると、突っ込んできたアルゲントゥムの長剣を回し蹴りで叩き折った。


 ガキーン!

「なっ?」


 驚くアルゲントゥムの真っ向から、ガイは『オンデュール』を打ち下ろした。


 ズバシュッ!

「ぐおおおおーっ!」


 アルゲントゥムもまた、頭から足の先まで真っ二つにされる。


「ふふ、なかなかやりますね?」


 ティラノスは右手の指をパチンと鳴らした。すると、地面に落ちた左手が浮き上がり、アルゲントゥムの剣を握ってガイの方に突進してきた。

 ガイは、左手の攻撃を辛くもかわし、ティラノスの剣を『オンデュール』の石突で跳ね上げる。

 しかし、


 ブシュッ!

「ぐあっ!?」


 ガイは、自らの右脇腹に突き刺さった剣を見て目をむいた。その剣は、ティラノスの左手に握られていたからだ。


「むむ……貴様……」


 ガイの動きが止まる。初めて致命的な部位に受けたダメージだった。


「私は女神アルベド様にお使えする身、いつでも女神は私の身体を再生してくださるのだよ。残念だったね?」


 ティラノスはガイの顔に自分の息がかかるほど近づくと、彼の耳元でそう囁いて、剣を横に払った。


 ズブシュ!

「ぐおおっ!」


 ガイの右脇腹は存分に切り裂かれ、そこから内蔵がせり出してくる。ガイはわななく手で臓物を元の位置に収めようとするが、無駄だった。


「どうだい、死にゆく気持ちは? もうすぐザッハークも目覚めるだろう。君の仲間も全員そばに送ってやるからな」


 ティラノスがそう言いながらガイの真っ向から剣を振り下ろす。


 ――こんなところで、死んでたまるか!


 ガイは、自分に向かって振り下ろされる剣の軌跡を目で追いながらそう思った。



『私たちの本当の敵はクロノスやカイロスではない。この国を奪ったザッハークである。お前たちは生き延びて、父の仇を討て』


 ガイの想念の中で、父のシールがそう叫んでいる。


『あなたが父の仇を討ってくれるというのなら、信頼できる仲間を持つ必要があります。私があなたにホルン王女の護衛を頼んだのは、王女の周りにいる人々と仲間として行動してほしかったからです』


 リアンノンの優しい笑顔がまぶたに浮かぶ。


「……私は、何のためにあれだけ苦しい戦いをくぐり抜けてきたんだ?」


 ガイはつぶやく。

 幼いときの頑張り、

 ダイシン帝国での暗殺者としての日々、

 ロムルス帝国でのグラディエーターとしての日々……。


「生きるためですよ」


 突然、リアンノンの言葉が聞こえたような気がして、ガイはハッと目を開ける。そうだ、どんなに苦しくても、私には仲間がいる。


「こんなところで……」


 ガイのつぶやきとともに、ガイの身体中の鱗が逆立ち、七色にきらめいた。


「な、何だ!?」


 ティラノスはびっくりしたが、振り下ろす剣は止められない。


 ギャンっ!


 ティラノスの剣は、ガイのほとばしる『魔力の揺らぎ』によって止められた。


「くそっ!」


 ティラノスは慌てて剣を引こうとするが、押しても引いてもびくともしない。まるでガイの身体に吸い付けられたように……。


「……死んでたまるか!」

「ぐえっ!」


 ガイの叫びとともに、『魔力の揺らぎ』が爆発した。音速を超える魔力の衝撃波は、ティラノスをやすやすと吹き飛ばし、立ち木へと叩きつけた。


「がっ!」


 ティラノスの胸元から、枯れた太い木の枝が突き出る。それとともにティラノスの口から鮮血が噴き出す。木の枝は心臓を貫通したのだ。


「く……今のは?」


 ティラノスは、暗くなっていく視界に映る秀麗なアクアロイドの笑顔を見ていた。そのアクアロイドは、海の色をした髪をなびかせて、ティラノスを憫然と眺めてこう言った。


宇宙の摂理(プロトバハムート)のもとに行くが良い。『残照の錐刀(ヘリケーフェルム)』!」

「ぎゃあああ……っ!」


 その瞬間、ガイの身体から七色の光とともに無数の刃が放たれ、刃の風はティラノスの身体をズタズタに引き裂いた。


「……私は、……まだザッハークには届かぬのか?」


 ガイは、襲いくる疲れにフラフラとしながらも、そうつぶやいて夜空を見上げた。暗い星空に、何かがバビロン目掛けて飛んで行くのが見えた。


(48 偽王の黙示 完)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

この作品も、残すところあと10話となりました。

最後の最後まで戦いの連続になりますが、突っ走りますのでよろしくお付き合いください。

次回は『49古豪の微笑』をお送りします。お楽しみに。

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