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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
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45 軍師の執着

ダマ・シスカスに進撃するホルン軍を迎え撃つパラドキシア。肥沃な三角地帯でパラドキシアとジュチ、ロザリアの読み比べが始まる。

一方、ザッハークの膝下では、大将軍スレイマンの反乱計画が進行していた。

ホルンたちの戦いも、いよいよ佳境へ。

【主な登場人物】


 ♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘で王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。26歳。


 ♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。15歳程度。


 ♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。23歳。


 ♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。21歳。


 ♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で『この世で最も高貴な一族』であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けるがチャラい。金髪碧眼の美青年。23歳。


 ♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。21歳。


 ♧ガイ・フォルクス…26年前にスケルトン軍団から国を滅ぼされたアクアロイドの王族。頭脳明晰で冷酷非情だが仇討に協力したホルンに恩義を感じている。29歳。


★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


 ティラノスはひときわ表情を引き締めて言った。


「これは女神様からのご命令でもある。グライフのワイバーン軍団との連携を密にして行動するのだ。ワイバーン軍団は機動力と偵察力に優れる。しかも『最終軍団ラスト・バタリオン』ほどでなくてもある程度の戦闘力もある。そなたの軍団でリアンノンやティムール軍を受け止めて両翼包囲し、後ろと上からワイバーンで止めを刺せ。さすれば勝てる、それも徹底的にだ」

「グライフの軍団はどのくらいで、どこにいるんだい?」


 パラドキシアは頷いてそう訊く。ティラノスは笑って答えた。


「今、クルディスタンに5万で布陣して、そなたの軍を待っている。早く連絡を取り、作戦を練って敵軍を殲滅してくれ。そなたの軍才なら簡単なことだ」

「分かった、恩に着るよ。アタシはすぐに出陣する。女神様によろしく言っておいておくれ、ティラノス」


 パラドキシアはそう言って、全軍に前進待機を命じた。



 この時、パラドキシアの『最終軍団』はクルディスタン地方の北方に広がる山岳地帯にあるマラズギルドにいた。目的地のバビロンには遠いが、


「わが『魔軍団』は一日500キロの機動が可能である」


 とパラドキシアは自慢していた。その移動能力ならバビロンまで3日もあれば往復できる。


 パラドキシアは、自分の使い魔であるグリフォンに、バビロン周辺の偵察を命じた。いつでも偵察でき、部隊の行動能力は群を抜いている……その油断が、バビロンの無血開城を偵知できなかった大きな要因であったことは疑いがない。

 パラドキシアのグリフォンは、バビロンまでの約330マイル(この世界で約600キロ)を1時(2時間)で翔破した。もちろん、自分の身を隠す能力も備えているし、300フィートの高さから地上のあらゆるものを見分けるほどの視力がある。


 さらに言うと、この使い魔はパラドキシア本人とシンクロしているため、その視界に映るものはリアルタイムでパラドキシアも認識できる点が、最も重要な能力だった。

 パラドキシアの脳裏に、バビロンの町が映った。この町はさすがにファールス王国でも一二を争う大きさであり、周囲は高さ50フィートに及ぶ城壁で囲まれている。


 市街は円形で、北門と南門を結ぶ幅30フィートの大通りと、東門と西門を結ぶ大通りを中心に、放射状に幅20フィートの通りが区画を12に分けている。

 そして放射状の通りに直行するように、幅20フィートと10フィートの通りが同心円状に作られていた。


 この町の起源は古く、神話の中にも登場するが、その立地故に戦乱に巻き込まれることがしばしばであり、今の町もファールス王国建国から100年後に再建されたものだった。それでも、レンガと赤土で造られた建物だけではなく、主要な建物には色とりどりのタイルが張られていて、この町を一層エキゾチックに見せていた。


「ふむ、この町にはアクアロイドの部隊しか駐屯していないね」


 パラドキシアはあちこちをくまなく探索した結果、現在バビロンにはリアンノンの部隊10万しか駐屯しておらず、その部隊のほとんどがバビロン西方のティグリス河畔に陣を敷いていることを知った。


「ティムール・アルメの部隊はどこにいるんだろうね?」


 パラドキシアはバビロン上空のグリフォンに帰還を命じ、続いて3羽のグリフォンを長距離偵察に放った。こちらにはシンクロ能力は使わなかった代わりに、グリフォンのステルス能力と偵察能力はさらに上がっていた。

 3羽のグリフォンは、パラドキシアが指定した目標、バビロンの西方ラマディ方面、バビロンの南方ヒラ方面、バビロンの南東クート方面へ向けて飛び立って行った。



「姉上、敵の斥候が現れたようです」


 バビロン西方に本陣を構えたリアンノンを、ガイが訪れて言った。リアンノンは深い海の色をした瞳を持つ目を細めてうなずく。


「ええ、グリフォンだったようね。結構な隠形能力を備えていたようだけれど……」


 ガイもうなずく。そんなガイに、リアンノンが訊いた。


「どうせザッハークの手下だろうけれど。ガイ、そいつを撃墜したのかしら?」


 ガイは薄く笑って答える。


「いえ、奴らにはこちらのことを8割程度は知っておいてもらわねばなりませんからね。こちらをまんまと罠にはめたつもりになっていてもらわないと、後のカーニバルがつまらなくなりますので……」


 それを聞いて、リアンノンは可笑しそうに含み笑いをする。


「くくっ……それは楽しみね。そのカーニバルには、わがアクアロイド軍にも出番を作っておいてほしいものね」

「それは状況によるでしょうね。ところで姉上、ティムール殿から軍議の知らせが届いていますが?」


 ガイが言うと、リアンノンはちょっと考えていたが、すぐに立ち上がって微笑んだ。


「行きましょうか。今後の作戦では意思疎通が特に大切でしょうからね。あなたが敬愛するホルン女王にもお目通りしておきたいし」



 そのティムールは、まだクートに本陣を置いていた。本当ならばホルンとともにバビロンに入りたいところだったのだが、ゾフィーがそれを止めたのだ。


「バビロン入城は今しばらく待った方がよいのう。それが敵の目を欺く第一歩となるからのう」


 軍議の席上、ゾフィーがそう言ったので、ティムールは不思議そうに訊いた。


「バビロンに入れば今後の作戦準備がはかどるし、予想される戦場のダイヤラ地方にも近くなる。敵の状況が皆目つかめていない今は、守るに堅いバビロンに一刻も早く入った方がいいと思うのじゃが?」


 するとゾフィーは、どう見ても14・5歳にしか見えないあどけない表情で答えた。


「今度の敵は、恐らくパラドキシア。そして彼女が率いる『魔軍団』じゃ。パラドキシアは使い魔としてグリフォンを使う。こいつは火を噴いて攻撃できるだけでなく、隠形して相手の陣地などを偵察もできる。パラドキシアはすでにそのグリフォンでこちらを偵察しているじゃろう」


 ティムールはうなずくことで先を促した。

 ゾフィーは少女のように見えるが、すでに300歳は超えていると噂されていて、実際の年齢は分からない。ロザリアの師匠であり、トリスタン侯国公認の魔導士でもある。さらに、『神聖生誕教団』の総主教という地位も持ち、その昔は同教団の枢機卿も経験していた。

 そんな彼女が言うことである、ティムールならずとも傾聴する姿勢を見せるのは当然と言えば当然であった。

 ゾフィーは笑いながら続ける。


「パラドキシアが出てくるというのは、簡単な消去法じゃ。すでにザッハークには軍団がいない。『王の牙』も『七つの枝の聖騎士団』も全滅している。となると頼れるのは左右の重臣、とりわけ軍事を司るパラドキシア・パレオしかおらん。このパラドキシアも女神アルベドの血から生まれた魔神、今頃は息のかかった魔族から4・50万は軍勢を集めていることじゃろう」


 長らくゾフィーと行動を共にしてきた遊撃軍の諸将はそうでもなかったが、ティムールの率いていた主力軍の諸将は、ゾフィーの言葉に気を飲まれたような顔をしていた。無理もない、主力軍で魔族や化け物と戦った経験があるのは数えるほどである。しかしゾフィーは、諸将の中でもティムールとガルムは泰然自若として、微笑すら浮かべているのを見て、


――ふむ、この二人は見どころがある。ひょっとしたらこの二人はアンティマトルとも戦えるかもしれないのう。


 と考えていた。


「パラドキシアの使い魔がこの陣を偵察したら、何と思うかのう? 本来であればとうにバビロンに入城してしかるべき我らが、まだ便々とこの地にいるのは、『動けない事情がある』か『慢心している』かのどちらかじゃと考えることじゃろう。今度の作戦の主眼はパラドキシアを討ち取ることにある。そのパラドキシアに、『ホルン女王軍は大したことがない』と思わせれば、第一段階の成功じゃ」


 そう言うと、諸将のうなずきを見てさらにトリスタン候アリーに言った。


「そこで重要なのはトリスタン候、そなたの部隊じゃ。そなたの部隊にはシンの魔戦士部隊がおる。敵の退路を断ち、横腹から敵陣を食い破る役目を果たしてほしいと思うが、そのためにはそなたの部隊はパラドキシアに見つかってはならん」


 トリスタン候アリーは、うなずいて訊いた。


「で、余にどうせよと言われるのか? ゾフィー殿」


 ゾフィーは簡単に答えた。


「シンに幻影を造らせて、その幻影をメヘランに置いたまま、そなたの部隊はマンダリーまで先行してそこで魔法陣に隠れておればよい。シンのことじゃ、そのくらいは朝飯前じゃろう」


 そう言っている最中に、ゾフィーの顔色が少し変わった。その意味するところを理解できたのは、ジュチとロザリアだけだったと言っていい。

 ジュチは、ゾフィーが言葉を切ると、すかさず言った。


「敵さんが真上にいる。けれどみんなには見えないはずだ。敵は1時(2時間)もこの陣地を嗅ぎ回ったら退散するだろう。それまでいつもどおりの動きをしておけばいい」


 次に言葉を発したのはロザリアだった。


「敵がいなくなったら、ティムール殿の部隊は直ちにバクーバまで前進すればよい。遊撃軍はそれに同行するが……」


 そこでロザリアはジュチを見て、


「ジュチの『妖精軍団』はアリー殿の部隊に加わってくれんかのう?」


 と訊く。ジュチは頷いて笑った。


「西方軍集団を金床にして、アクアロイド軍とトリスタン侯国軍とで鉄槌を下すんだね? 面白いじゃないか」


 そして不意に真面目な顔をして言う。


「パラドキシアは魔法の達者。エレメントの相性で攻撃部署を決めてくるだろう。その対応はどうする?」

「水は火に強く、火は風に強く、風は土に強く、土は水に強い……か。何か方法があるかな?」


 総指揮官であり、自身もファールス王国きっての魔剣士と謳われるティムールが誰ともなしに訊く。まあ、この問いに応えられるのはこの場には三人しかいない。


「わしに考えがあるが……」


 案の定、ゾフィーがそう言った。そしてヘパイストスを見て訊く。


「ヘパイストス殿、兵士個人のエレメントを補完するような武具を二日で揃えられるかのう? 何、一回使ったら壊れる程度のものでもよいのじゃ」


 ヘパイストスは腕を組んで考えた。女王軍団は全部で西方軍集団の21万5千、トリスタン侯国軍の4万、アクアロイド軍10万、そしてホルン直率の機動軍1万6千、全部で37万1千。ただし機動軍の将兵にはすでにヘパイストスの武具を配付していたので、35万5千人分を造ればいいが、2千人の鍛冶でそれだけのものを二日で造れるだろうか?


――一人当たり一日で89セットか……普通の胸当などじゃ無理だな。


 そう考えたヘパイストスだったが、ふと閃いた。彼は隣にいた副将のソクラテスに耳打ちすると、ソクラテスはびっくりしたようだったが無言でうなずいた。

 それを見て、ヘパイストスは自信もって請け合った。


「簡易的なものしかできねぇが、とりあえず役に立つものをお届けしますぜ。部隊全員のエレメントをできるだけ早く知らせてください」


 ゾフィーはニコリと笑ってうなずいた。


   ★ ★ ★ ★ ★


「ふん、ホルンの部隊は広範囲に広がっているようだね……油断しているのかしら?」


 パラドキシアは、グリフォンたちのもたらした情報を地図に書いてつぶやく。

 主目標のバビロンは、その西方にアクアロイドの10万がいるだけであり、ティムールの主力25万5千はまだ100キロも離れたクートにいる。

 そしてトリスタン侯国の4万はさらに60キロ以上離れたメヘランにいた。


「兵力を分散しすぎだよ。アタシの50万が北から攻め込めば各個撃破じゃないか」


 パラドキシアは呆れたように言うと、


――これはグライフのワイバーン部隊と連絡を取っている暇はないね。


 そう考えて、すぐに部隊に進撃命令を下した。


「全軍出発だ! 行軍経路はバン、バスクエイト、シルヴェニー、ラーワンドーズ、タクターク、スリマーニャの東方経路と、バン、カタック、ベイチュッセバップ、アマディーヤ、アクラー、アルビール、キルククの西方経路とする。行軍順序は、東方経路はキメラ・レプティリアン部隊の一部、ティターン部隊の全部、トロール部隊本隊計25万とし、西方経路はキメラ・レプティリアン部隊本隊、テュポーン部隊の全部、トロール部隊の一部計25万とする。わが本陣は西方経路を進む」


 そう軍隊区分と行軍経路を指示し、


「双方の部隊は4日後までに進出線まで進出せよ。東方部隊は進出終了後、直ちにアタシにその旨を報告すること、いいね?」


 そう東方部隊にきつく言い渡すと、根拠地から出発した。



「敵はいったん、どこかで戦闘態勢を整えるはずじゃ」


 遊撃軍の帷幕で、ロザリアとジュチが話をしている。もちろん、ここにはリディアやシャロンもいるが、ヘパイストスは鍛冶場にこもっていて不在だった。


「まあ、4・50万の軍隊をクルディスタンの北から持ってくるだけで一苦労だからね」


 ジュチが頬杖をつきながら言うと、ロザリアは地図を指さして、


「真面目に考えんか! 仮に敵の数を50万とすると、それを一つのルートで進撃させるのは困難じゃな。それが魔族であってもじゃ。そこで、敵は進撃路の混雑解消と攻勢準備の進捗を図るため、すくなくとも二つのルートで進撃してくるはずじゃ。ジュチ、お主はどこを攻勢準備拠点にすると思う?」


 と訊く。ジュチは流し目で地図を見ていたが、気のなさそうな声で、


「最終攻勢発起地点はジャルーラ、その前段階として攻勢準備拠点をスリマーニャ、キルクク、そしてティクリトに置くね。ただし、川沿いのティクリトはアクアロイド軍(おサカナさんたち)に襲われる危険がある。少しの混雑を我慢するなら、スリマーニャとキルククかな」


 そう言う。ロザリアも頷いた。


「私もそう思う。そこでじゃ、トリスタン侯国軍と共にマンダリー(あっち)に着いたら、その2カ所を監視してほしいのじゃ」

「ふむ、敵さんを待ち伏せするんだね?」


 ジュチが言うと、ロザリアは笑って、


「襲ってはいかんぞ? おぬしの得意なストーカーをしてもらえばいいのじゃ。状況を逐一『風の耳』で送ってもらえればありがたいのう」


 そう言う。ジュチは両肩をすくめると、


「酷いな、ボクは女性をストーキングするシュミはないよ」


 そう抗議して、目を細めて言う。


「一つ確認するが、相手にも『風の耳』の内容は丸分かりだよ?」


 その言葉に、ロザリアは笑ってうなずいた。いたずらっぽい笑いだった。


「いいのじゃ、ジュチは自軍の行動は何も言わなくてよい。私の言葉に合わせてくれればよいのじゃ」


 それを聞いて、ジュチは納得して、ウザったく伸びた金の前髪を形のいい指でかき上げて言う。


「ふむ……それではせいぜい楽しんでパラドキシアを踊らせてあげることだね。ロザリアの依頼は確かに承ったよ」



 ジュチの『妖精軍団』が遊撃軍から離れた頃、ティムールたちの西方軍集団は静かに北上を開始していた。目指すは180キロ先のバクーバである。


「よいか、このロープはバクーバの広場に繋がっている。途中でこのロープを手放したら亜空間に取り残されて、二度とお日様を拝めんようになるから注意しろ。それと、多少の亜空間酔いがあるかもしれんが、そなたたちは戦士じゃから、そんなものには負けぬと信じておるぞ」


 ゾフィーは、ロザリアたち『魔戦士軍団』とともに、西方軍集団の将兵に向かって叫んだ。バクーバまでの距離をチンタラ歩いていては1週間以上かかる。全員をモアウ騎兵にすれば1日で着くが、いかんせんそんなにモアウがいない。


 そこで、思い切って全将兵を『転移魔法陣』を使って移動させようとの腹積もりなのだった。転移魔法陣はゾフィーのほか、ロザリアたちの魔力も合算して、一度で1個軍団2万人を転送できるほどの頑丈で大きなものを描き上げていた。

 25万5千の兵が100列横隊になった光景は壮観であった。それらの将兵はみな、命綱というべきロープを握りしめて青い顔をしている。


「私たち魔戦士が最初と途中、そして最後に亜空間に入る。迷ったとしてもできる限り拾ってやるから安心せい。では、転移開始じゃ」


 ゾフィーたちは用意周到だった。兵士たちの恐怖を何とか取り去りつつ、2時(4時間)ほどで全軍の転移を終えた。

 ティムールたちが驚いたことには、ゾフィーとロザリアは手回しよくバクーバの町全体に隠形魔法陣をすでに組み上げていたのである。これでパラドキシアのグリフォン偵察から逃れることができる。つまり、パラドキシアはこちらの布陣について古い情報で戦うか、最新の情報が手に入らずに疑心暗鬼の中で戦うかのどちらかに陥ることになる。


「あとは、ジュチが上手くやってくれれば、パラドキシアの命はわが手にありじゃな」


 ゾフィーとロザリアの師弟は、そう言って微笑んだ。



「よし、出来上がったぞ。みんな、よくやった」


 ヘパイストスは、不眠不休で働いた部下たちをそうねぎらった。


「これで、こちらの軍は弱点をカバーできるってものだ。あとは各隊にこれを配るだけだな」


 ヘパイストスはそう言うと、すぐさまティムールに報告する。ティムールからは


「よくやってくれた。これで我が方の勝ちだ。ヘパイストス殿はじめドワーフ隊の功績は忘れぬぞ。物は各隊から受領者を派遣して受け取らせるので、しっかり休んでほしい」


 との返事が来た。


 ヘパイストスたちが造っていたのは、魔力を込めたポンチョだった。その繊維に魔法を込めて編み上げたものを、一定の大きさに裁断して中央に穴を開けただけのものだったが、込められた魔法が尋常ではない強さだった。

 そして、『火』のエレメントを持つ者は、弱点である『水』のエレメントを破砕するために『土』のエレメントを込めたものを着用し、『水』のエレメントを持つ者は、弱点たる『土』を破砕するため『風』のエレメントを込めたものを着用する……というように、自己のエレメントを補強するために使われるものだった。


 ヘパイストスのポンチョは、その日のうちに全将兵の手に行き渡った。

 これで、ホルンの方の準備はほぼ整ったと言える。


   ★ ★ ★ ★ ★


 ダマ・シスカスは、この国でも指折りの海運の中心であり、陸上の交易路としても東方への起点でもあったため、自然と人や物が集まり、一時期はファールス王国の王都にもなっていた。


 こちらはダマ・シスカスのザッハークがいる宮殿である。

 ダマ・シスカスの黄金宮殿は、今から5代前のハッサン2世が造らせたもので、全体に金箔を張り詰めた豪勢な……見方によっては趣味が悪いものであった。

 その建築様式は黄金比を使った壮麗で調和の取れていたものだったし、材料も近くにあった糸杉の木をふんだんに使った温かみあるものでもあった……金箔さえ張られていなければ、だが。


 ハッサン2世は、評価が難しい王である。

 この王の時代に、ファールス王国は農業だけではなく交易からも利益が上がることを知り、交易に力を入れた。そのため商人のネットワークが発達し、国内の道路整備や海運の整備が進んだ。

 ハッサンの凄いところは、その利益を商人だけに留まらせなかったところである。

 彼は王家としても交易を始め、商人の代表として全国に交易会館の基礎となる組織を創り上げた。そして交易会館運営や地域の経済振興に関しては地方の商人に責任を持たせたため、自然と街道沿いの宿場町は栄えることになった。


 また、後にシャー・ローム3世が完成させる『領兵司』の制度を創り、軍管区や軍団管区の兵糧調達に関して商人たちにも責任を持たせるような仕組みを創り上げたのもハッサンである。

 ハッサンは学術面でも多大な貢献をした。数こそ十分ではなかったものの、国内に学校を整備し、国民を最低でも読み書き計算は出来るようにしたし、さらに高度な学術については大学を整備して様々なことを研究させた。

 例えば、天文学や医学、土木建築などがそうであり、その他にも新たな農産品の開発などにも力を注いだ。


 けれど、彼がもっとも有名になったのは、錬金術においてであったかもしれない。彼は魔力を『科学的』に解析し、それを錬金術に応用しようとした。

 特に力を注いだのは、神話にある『自律的魔人形エランドール』についてであり、さまざまな人士に莫大な金を与えて研究させ、知識人からは『人形の好事家』と陰口をたたかれていた。


 さらに、建築物には人の意表を突く装飾や奇抜な装飾を好み、特に金銀が好きだったこともあって、ダマ・シスカスに黄金宮殿と白銀宮殿を造らせた。この王なしではできなかった宮殿であろう。



 宮殿内はここ数日陰鬱な空気が漂っていた。頼みとする驃騎将軍イリオンが、『神聖生誕教団』の法王から教書を受け、「国民の災禍を未然に防ぐ」という名目で堅城バビロンを無血開城させたという報告が入っていたからである。


 その報告を受けて、ザッハークは茫然とし、さすがのティラノスも処置なしだった。

 バビロンには20万の軍勢が無傷で地の利に拠っていたはずである。相手の軍勢と兵力が伯仲するとしても、イリオンならば勝つ、少なくとも相手に大打撃を与えられるとティラノスですら期待していたのである。


「イリオンの腰抜けめ! ティラノス、すぐにイリオンを呼び戻し、余の目の前で斬首せよ!」


 ヒステリックに叫ぶザッハークを落ち着かせて、ティラノスはすぐに大将軍スレイマンを呼び出した。


「大将軍、既に聞いているだろうが驃騎将軍イリオンはバビロンを無傷で明け渡した。そのうえ軍も解散させてしまいおったので、第6軍と第7軍は事実上消えてしまった。そなたなら、この国難をどう乗り切るか?」


 スレイマンは口ひげをひねりながら言う。


「第10軍と第11軍は宿敵ローマニアの抑えとして動かせません。ここにある第13軍も、核となる第13軍団が『肥沃な三角地帯』で消滅しています。取りあえず第8軍から第81軍団と第82軍団を引き抜き、王都の防衛に充てます」


 うなずくティラノスに、さらにスレイマンは力を込めて言う。


「第131軍団から第134軍団の4個軍団が健在です。バビロンからここを攻めるには、砂漠を越えるか、川沿いにアレポまで北上して海沿いに攻め降ってくるかしかありません。砂漠越えは350マイル、迂回路は1000マイルにもなります」


 そうして彼我の状況を明確にした後、スレイマンは胸を張って言った。


「敵軍の数は聞いたところでは約30万弱。こちらは敵が眼前に現れるまでにさらに第8軍の残りと第12軍を呼び寄せられます。その場合の味方は18個軍団、36万です。兵数が伯仲すれば、相手は炎熱の砂漠や長距離を攻め来る軍、勝てないことはありません」


 それでザッハークは少し落ち着いたか、スレイマンの顔を青ざめた表情のまま見つめて命令した。


「よく分かった、スレイマンよ。速やかに軍団をそちの思うとおりに動かし、この国難を救え」

「はい」


 スレイマンはそう答えて敬礼したが、国王の前を下がる際にニヤリと笑ったことを、ティラノスは見逃さなかった。



 スレイマンはすぐさま司令部に戻ると、副官を呼んだ。


「クレオン、少し話がある」


 スレイマンがそう言うと、クレオン大隊指揮官補はすぐにやって来て敬礼する。


「お呼びでしょうか、大将軍殿」


 スレイマンは答礼して、


「うむ、大事な用事だ。ドアを閉めてここに来い」


 と、クレオンを近くに呼ぶと、静かに言った。


「あの陛下のままでは、この国は亡びるぞ」


 クレオンの顔から血の気が引く。『剣の誓い』で忠誠を誓った武人とは思えぬ言葉である。それもほかでもない、この国の軍のトップがそう言い放ったのだ。

 スレイマンは、言葉を失くしているクレオンに静かにうなずいて、


「びっくりしたか? それも仕方ない。我々武人は陛下に『剣の誓い』を立てているからな。けれど、この兵乱が起こってからの陛下や廷臣たちの周章狼狽振りはなっていない。このままでは国民の苦しみも増し、ひいてはこの国が亡ぶ。我々は亡国を手伝うために軍職にあるわけではない」


 そう言うと、机の上で静かに手を組んだ。


「イリオンは立派だ。私はイリオンを好きではなかったが、バビロンという重要な土地を兵火から守り、そして何十万という国民を不要な苦しみから救った彼の決断には感じ入った。驃騎将軍である彼すらこの国の行く末を睨んだ決断をしたのだ。大将軍たる私が無為にこの地位に座して、国民の苦しみを見て見ぬ振りしていいわけはない」


 そしてクレオンを見上げて、


「幸いなことに、第11軍のディオクレティアヌス、第10軍のユスティニアヌス、そして第8軍のプトレマイオスも同じ考えだ。私は陛下から軍の移動について白紙委任状をいただいた。そこでクレオン、そなたにプトレマイオスに遣いしてほしい」


 そう言うと、クレオンはカラカラに乾いた声で訊いた。


「私に、どのような任務を?」

「プトレマイオスに第8軍を率いて王都に駆け付け、その足で陛下を捕縛するように命じるのだ。その後はホルン女王陛下にこの国を統治していただくつもりだ」


 そしてスレイマンは机の引き出しから一通の手紙を取り出して、クレオンに渡した。


「これが命令書だ。私自身で起案し、私自身で命令書を作成した。そなたは何も知らぬことにして、ただこの命令書をプトレマイオスに届ければよい。分かったな?」


 クレオンは青い顔でうなずいた。



 クレオンはその足で大将軍の司令部から、第8軍の司令部があるザルカーに向けて馬を駆った。もう夕暮れが近かったが、スレイマンにすぐに発てと命令されたのだ。


 ファールス王国の軍用道路には10キロごとに駅舎が設けられ、そこには常時10頭ほどの早馬用の駿馬が飼われている。

 ダマ・シスカスとザルカーは200キロほど離れているが、この早馬で行けば、ザルカーまでは半日で着くことができる。スレイマンは軍公用の記である通行徽章をクレオンに与えていた。


 しかし、クレオンが最初の駅舎で馬を変えている時、ダマ・シスカスからスレイマン本人が馬を駆って追って来た。


「おお、クレオン、まだここにいてくれたか」


 クレオンは、汗で光る馬にスレイマンその人が跨っているのを見てびっくりする。


「だ、大将軍殿、自ら私を追って来られるとは、一体何事が起こったのでしょうか?」


 するとスレイマンは汗を拭きながら、小さな声で言った。


「そなたに渡した命令書が違っていたのだ。それは別の者に充てた命令書だ。これが本当のプトレマイオス宛命令書だ」


 そう言うと、軍服の内ポケットから一通の封筒を取り出してクレオンに渡した。

 クレオンはその命令書を受け取ると、自らの内ポケットから先に受領した命令書を取り出し、


「では、これはお返しいたします。早く気付かれてようございました」


 そう言いながら、命令書をスレイマンに返した。


「うむ、これがプトレマイオスに届いたら、プトレマイオスは混乱するところだったろうな。クレオン、気を付けて行けよ?」


 クレオンはスレイマンからそう言われて少し笑うと、馬上の人となって、


「了解いたしました。行って参ります」


 そう一言残して砂塵と共に南に向かった。


 クレオンが去ると、スレイマンは命令書を開封し、中身を読んでいたが、


「ふん、陛下に楯突く慮外者めが。目にもの見せてやる」


 そう言うと、その姿は苦々しい顔をしたティラノスに変わった。



 その夜、スレイマンはザッハークから突然の呼び出しを受けた。


「このような時間に何事だろう?」


 スレイマンは使いの者に訊いたが、使いの者も首をかしげて、


「東方で何かあったのかもしれません」


 そう言って帰って行った。


「ふむ、確かパラドキシアが東方に出ているが……まさかパラドキシアがホルン陛下に勝ったとかではないだろうな」


 スレイマンはそう言いつつ、従兵と共に急いで黄金宮殿へと向かった。


「いつ見ても趣味が悪い建物だ……」


 スレイマンはどちらかというと武断派で、芸術はあまり分からない。さらに武人は質実剛健を旨とすべしとの信条を持つスレイマンにとって、ゴテゴテとしたこけおどし的な装飾は辟易するものだったに違いない。

 スレイマンは、クスリと笑ってつぶやく。


「そう言えば、文人肌で芸術に造詣が深いイリオンも、この宮殿にはいい顔をしていなかったな。お互いの意見が合うのはこれくらいだと笑い話もしていたが……」


 そんなことを考えているうちに、スレイマンはザッハークの待つ部屋へと案内された。


「うっ?」


 しかし、スレイマンは部屋に入るなり、異様な感じを受けた。そこにはザッハークはおらず、代わりにティラノスが冷たい顔をして立っていたからだ。


「せ、政策参与殿、火急のお呼び出しは何事でしょうか?」


 スレイマンは背筋に冷たいものを感じながらそう訊く。それでも怯んだ様子が態度にも声にも出なかったのはさすがに大将軍であった。


「……さて、そなたの胸に手を当てて考えてみるがいい」


 ティラノスはそっけなく答える。それを聞いてスレイマンは心臓が跳び上がるほど驚いたが、ここはシラを突き通すことにした。もうクレオンはザルカーに着いているころだし、遅くとも明後日の午前中にはプトレマイオスが第8軍を率いて乗り込んでくる。


「……さて、とんと思い当たりませんが?」


 スレイマンが鉄面皮に言うと、ティラノスは薄い唇を歪めて笑い、懐から何かを取り出してポンと投げてよこした。それはスレイマンの足元に軽い音を立てて落ちる。

 スレイマンは、それを見て息が止まった。自分がクレオンに渡したはずの命令書がそこに転がっているではないか!


「……それは軍命令書だ。そなたの名で命令されている。相手は第8軍司令官で、内容は陛下への反逆命令だ。何か申し開きしたいことはあるか?」


 ティラノスが感情のない声で言う。

 スレイマンはティラノスに笑いかけた。いや、それは憤怒と無念とが混じり合った複雑な表情だったのだろう。その後すぐに、スレイマンは唸り声とともに、佩剣を抜き放ってティラノスに襲い掛かって来た。


 しかしティラノスは慌てもせずに左手をスレイマンに向けると、


「往生際が悪いな」


 そう言うとともに左手を閉じた。


「ぐおっ⁉」


 スレイマンは一言叫ぶと、口から泡を噴いてその場に崩れ落ちた。ティラノスの魔法で心臓を握り潰されたのだ。


「……大将軍の身で余を裏切るとは……ティラノス、余はどうすればよい?」


 顔色を失くしているザッハークに、ティラノスは笑いながら言った。


「女神アルベド様は、こういうことが起こった場合にはご自分のもとに陛下をお連れ申し上げよと仰っておられました。今からすぐ、女神様のもとに参りましょう」


 そう言ってザッハークを支えて歩き出したが、2・3歩歩くと思い出したように振り返って、右手を床に倒れているスレイマンの死体にかざすと、


「そなたは陛下の代わりに裏切り者たちを成敗せよ」


 そう、魔法をかけると、瘴気の渦と共にスレイマンの死体が起き上がり、瘴気が晴れた時には青白い顔をしたザッハークがそこに立っていた。


「そなたは玉座に座ってプトレマイオスたちを待ち受け、反逆者が来たら成敗せよ」


 ティラノスの言葉に従って、スレイマンはゆっくりと玉座に座って目を閉じる。

 その様子を見届けて、ティラノスはザッハークに冷たい声で言った。


「反逆者たちはこの宮殿で始末します。女神様にお任せすればすべてがうまく行きますゆえ、大船に乗ったお気持ちで女神様のもとに参りましょう」


 ザッハークはただうなずくだけだった。


   ★ ★ ★ ★ ★


「さて、全軍上手く進出できたみたいだね」


 西方部隊と共にキルククまで進出したパラドキシアは、東方部隊も無事スリマーニャに着いたという報告を受けて満足そうにつぶやいた。


 ここに進出してすぐに出したグリフォン偵察隊の結果は、3日前のようにまだ女王軍は広範囲に軍を展開しているという驚くべきものだった。


「ふむ、アタシの攻撃に気付いていないのかね? でももうそろそろ気付いて動き出すはずだけれどね」


 そうつぶやいていたが、パラドキシアは一つうなずくと決断した。


「アタシはバビロンを取り戻し、ホルンの軍を壊滅させればいいだけさ。相手が準備していないのは勿怪の幸いだよ。電撃的に進出して、各個撃破してやる」


 そしてパラドキシアは、東方部隊に向けて命令を出した。


「東方部隊は速やかに前進し、ジャルーラを占拠せよ。西方部隊は本隊と共にその後にジャルーラに入る予定」


 命令を受けた東方部隊では、この集団の中核戦力を担うティターン族の長が張り切っていた。


「よし、パラドキシア様からのご命令だ。みんな、油断せずに行くぞ」


 東方部隊は風のように進撃し、2日後にはジャルーラに入った。不気味なことにホルン軍はここに一兵も配置しておらず、パラドキシアの偵察によってもまだ位置を変えていなかった。


「しかし、敵がこっちに気付いたのは確かだね」


 合同後、各部族の長を集めた会議で、パラドキシアはそう言った。


「なぜ気付かれたと思われるのですか? 敵は全然動いていないのでしょう?」


 テュポーン族の長であるタイロスが訊くと、パラドキシアは笑って答えた。


「アタシたちがスリマーニャとキルククに着いた日から、敵が『風の耳』を使って交信しだしたのさ。主にアタシたちの所在の報告だね。たまに敵軍の符牒が入って来たから、それを精査すれば敵軍の配置も分かるよ」


 パラドキシアはそう言うと、自分たちからかなり離れたところでひらひらと待っているアゲハチョウを指さした。


「あいつが、敵の間諜さ」

「では、追い払うか始末しないとまずいのではないですか? あのままわが陣地を偵察させっぱなしにしているのも問題です」


 キメラ・レプティリアンの一族を率いるドラコが、瞼のない目を光らせて言う。

 それに、トロールの長であるフォッデンやティターンの長であるガルバリウムがうなずくが、パラドキシアは首を振って笑った。


「ふふ、それでいいんだよ。奴らにはアタシたちのことを知らせてやればいい。大事でないところだけはね?」



「ふむ、ジャルーラに全軍をまとめよったか。思ったよりも遅かったのう」


 ジュチからの『風の耳』によってパラドキシア軍の攻勢発起地点への進出を知ったロザリアは、そう薄く笑うとその情報をティムールやリアンノンに伝達する。

 リアンノン部隊もティムールの西方軍集団が陣地を作っているバクーバの町近くまで進出し、町の西を流れるダイヤラ川に身を潜めつつ、町の西方・川の右岸を固める陣地を構築していた。


 そのころ、トリスタン候アリー率いる4万の部隊はマンダリーにあって、ジュチの『妖精軍団』やシンの魔導士部隊を両翼に、パラドキシア隊の突出を虎視眈々と窺っていた。


「パラドキシアは勇猛果敢だ。部下の諸隊もそれぞれ腕に自信がある者共を集めてきているだろう。グリフォンの偵察が終わったら、出撃してくる可能性が高いぞ」


 ジュチはそう言ってサラーフやヌールに準備を怠らぬように指示した。

 一方、ティムールはクビライ、スブタイの両参謀、ムカリ、ポロクル、ガルムの各軍指揮官を集めて、決戦に向けての最終ブリーフィングを行っていた。


「今回の敵は『魔軍団』ということで、今までの人間相手の戦いとは勝手が違うものになるじゃろう。ガルム殿の率いる部隊はサーム殿の麾下にあった者や義勇軍に居った者たちから編成された部隊じゃから、魔物との戦いには慣れているとまでは言わぬでも経験がある者ばかりなので心配はせぬが……」


 ティムールはそう言うとムカリとポロクルを見て、


「ムカリ殿とポロクル殿の部隊は、この国の正規軍からなる部隊じゃから、経験において劣っているのが心配じゃな。二人ともサーム殿のもとで魔物との戦いには慣れているかもしれんが、部下たちはそうはいかんじゃろう」


 そう静かに言うと、


「じゃから、各軍団長にしっかりと部下を統制させよ。軍団長たちは魔物との戦いに経験がある者ばかりじゃからな、第3軍団と第4軍団を除いては……」


 と言って笑う。ムカリもポロクルもつられて笑ったが、すぐにポロクルが真面目な顔に戻って言う。


「ティムール殿のおっしゃるとおり、第3軍団のプサイも第4軍団のクサイも激烈な戦闘経験を持っていません。ましてや魔物とは戦った経験すらないようです。軍団兵たちも同様で、この部隊を今度の戦いに加えるのはちょっと考えてしまいますな」


 けれど、ガルムは真剣な顔で首を振って言った。


「確かに練度を見ればそうかもしれないでしょうが、敵は50万という大群。こちらはそれを40万に満たない数で受け止めねばなりません。ヘパイストス殿の装備とゾフィー殿の“奥の手”を信頼するしかないでしょうな」


 その言葉にうなずいたティムールは、


「今回はわしも前線で戦う。わしが斃れても、こんな戦いに慣れているガルム殿が指揮を引き継いで最後まで戦ってほしい。それと……」


 ムカリとポロクルを見て続けて言った。


「二人ともサーム殿ご自慢の猛者、もしもの時は陛下を頼みましたぞ」


 うなずく二人を見て、今まで黙っていたホルンがニコリとして口をはさんだ。


「みんな、頼もしい限りです。けれど今回は私も前線に立ちます」


 それを聞いて、ティムールはじめ諸将はびっくりした顔をしたが、ホルンは何か言おうとしたティムールを手を上げて制し、続けた。


「ティムール殿、あなたの言いたいことは分かります。けれど、この戦いはザッハークの体制を崩壊させられるか否かの大事な戦いです。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もありますし、虎穴に入らずんば虎子を得ずとも言います。私が前線に立てば敵の意識は私に集中するでしょう。私のことは心配いりません、勝つことを第一に考えてください」


 その凛とした態度と、固い決意に、諸将は押し黙ってしまったが、いつものようにガルムがニヤリと笑ってこの場を締めくくった。


「……やれやれ、陛下は用心棒だった時と同じで、なかなかじっとしていられない性格のようですな。分かりました、私たちはできるだけ早くパラドキシアを罠にはめて決着をつけてやりますよ」



「……ガイはいい主君に出会ったわね」


 自分の陣地に戻ったリアンノンは、天幕の中でそう呟いた。

 ティムールが招集した作戦会議に出席したリアンノンだったが、まず総指揮官であるティムールの厳然たる態度に圧倒された。


――ティムール殿は私たちを『レズバンシャールの悲劇』から救ってくださったお方。けれど当時はしっかりとお礼も言っていなかったわね。


 リアンノンはそう考えると、


「お久しぶりです、ティムール殿」


 そうにこやかに笑ってティムールに話しかけた。

 ティムールも老いた顔をほころばせて答える。


「おお、シール殿の忘れ形見の姫様ですな? 立派になられたものじゃ。今回の戦役では最初に兵を挙げていただき感謝していますぞ」

「それはデューン・ファランドール殿との約束を守っただけのこと。それよりも私たちアクアロイドにとって不倶戴天の敵であるザッハーク追討に加えていただき、こちらこそお礼を申し上げねばなりません」


 リアンノンは深い海の色をした瞳で、ティムールをひたと見つめて続けた。


「それに、すぐる日は私とガイを救っていただきました。そのことだけでも、私たちはホルン陛下のお力になるべきなのです。ティムール殿にはその節のお礼もまだ申し上げていませんでした」


 ティムールは微笑んで、


「承りました。これからも陛下のことをよろしくお頼み申しますぞ、リアンノン殿。さあ、軍議を始めますので席にどうぞ」


 そう言うと、リアンノンの先に立って歩き始めた。



「……ホルン陛下も、気品があった。陛下とティムール殿、お二人とも温和で心温かく、それは『魔力の揺らぎ』にも表れていた。私もガイも素晴らしい方々と仲間になれて幸せ者だわ」


 リアンノンはそう独り言ちると、思い出から抜け出すように立ち上がり、作戦の指示を与えるために天幕から出て行った。



 ホルン女王部隊は、次のような陣を敷いていた。

 バクーバの町から少し北側の街道脇に、全部隊の要となるホルン自身の部隊がリディア隊とガイ隊を両翼に布陣した。この3隊が最前線を構築している。


 ホルン隊の後ろにはザール隊が、バトゥとトゥルイに率いられて陣を敷いていた。その左右にはヘパイストス隊とシャロン率いる『神聖生誕教団騎士団』がいる。

 これらの『遊撃軍』は合わせて1万2千。最前線を構築する部隊であった。


 女王率いる『遊撃軍』のすぐ後方には、ティムール直率の『西方軍集団司令部戦闘団』5千が位置し、その左右には、ガルムの『北方軍』とムカリの『中央軍』が布陣した。ガルムは5万5千を率い、ムカリは8万を率いていた。

 そして後詰としてポロクルの『南方軍』8万が四つの軍団を鶴翼に開いて布陣していた。ここまでが『主力軍』で、兵力は22万である。


 『主力軍』の西側に、街道を挟んでダイヤラ川までの間にリアンノンのアクアロイドの軍が陣を敷いていた。

 そのうちモーデル、フッド、ロドニーが所属する第2軍3万はダイヤラ川の西岸に布陣し、最も東側……街道沿いには第1軍のクリムゾン、ローズマリー、タボールの3万が、そしてその中間にはリアンノンがテトラとミントを率いて3万で布陣していた。

 また、エースの1万は遊撃部隊としてリアンノンの本陣前方に位置し、前進偵察と臨機応変な行動を許可されていた。


「ふふ、さすがにパラドキシアもおかしいと思っているはずだけれどな」


 ジュチの『妖精軍団』は、戦機が迫ったとみてトリスタン侯国部隊4万がいるマンダリーから離れ、バクーバの町との中間点まで進出していた。そこから、パラドキシア軍がホルン女王軍を攻撃している最中にその側翼を叩ける場所まで移動する。


「そうじゃのう、そろそろクートとメへランの『幻影部隊』は解除してもいいのう」


 ジュチの隣でモアウに乗り、紅茶をすすっているロザリアもうなずいた。彼女もジュチとともにパラドキシア軍を壮大な罠にかけるため、待機場所まで進出している最中なのである。


「ジャルーラからバクーバの町まで直線で約60キロ、パラドキシアの『魔軍団』なら半時(1時間)ってところかのう?」


 ロザリアが昇り始めた朝日をまぶしそうに見つめて言うと、ジュチは笑って答える。


「もう少し速いだろうね。ボクたちが向かっている場所の近くに通りかかるまで、四半時ってところかな? あるいはもう少し速いだろうね」

「パラドキシアの行軍隊形は予想できるかの?」


 ロザリアが紅茶セットをしまいながら訊くと、ジュチは笑った。


「まあ、各部隊を団子にまとめて突進するってことはさせないだろうね。と言って単なる縦隊とも違うだろう。なにせ50万もの大軍だ、各隊複縦列隊形で、四つの隊を横に並べてくると思うよ?」

「特殊な行軍隊形じゃな。そのまま先頭に入るってわけじゃな」


 ジュチはうなずくと、


「だから、ボクたちの出番ってわけさ。相手に広がってもらったら困るからね。あくまでパラドキシアには自軍優勢って信じてもらわなきゃいけないわけだし」


 そう言うと、薄い唇をゆがめて笑った。


「……そなた、楽しそうじゃな?」


 ロザリアが言うと、ジュチは流し目をくれて答える。


「まあね、これで女王陛下の治世に一歩近づけるし……ただ……」

「ただ?……ただ、何じゃ?」


 言葉を濁したジュチに、ロザリアが切り込むように訊くが、ジュチは、


「……いや、何でもないよ。そのうちに分かることさ」


 そう言って前を向き、そのまま黙り込んだ。


――ふむ、ジュチもだいぶ変わったのう。しかし面妖じゃな、いつものジュチとは違って不気味な感じがするのう。私の気のせいかの?


 ロザリアはそういぶかしかったが、すぐに頭を切り替えた。


――ままよ、何かこいつがよからぬことを考えていたとしても、いまはパラドキシアを仕留めることが優先じゃ。


 けれどロザリアは、この時ジュチを問い詰めなかったことを後悔することになる。


   ★ ★ ★ ★ ★


「くそっ! 奴らに一杯食わされた!」


 ジャルーラの町にある本陣で、パラドキシアはそう悔し気に唇をかむと言った。

 彼女はさすがにこの期に及んでもホルンの諸隊に動きがないことをいぶかしんで、偵察グリフォンをクートとメへラン、そしてバビロンに飛ばしたところ、すでにそこにはホルン諸隊の姿はなく、その後範囲を広げて飛ばした偵察グリフォンでもその姿を捉えることができなかったのである。


 つまり、パラドキシアはここ2・3日幻影にたぶらかされ、大事な時点で敵影を見失うという大失態を演じたことになる。


「……相手にジュチなんぞという知将やロザリアなんぞという魔族がいることを忘れていたわ。くそっ! こうなったら一刻も早くバビロンを奪回するしかないわね」


 ここでパラドキシアは、相手を捕捉して叩き潰すということにこだわり、『いったん戦域を離脱する』という策が頭によぎりもしなかった。彼女が恐るべき術式の達者であり、腕に覚えがあったことがかえって災いとなったのである。


「出陣するよ! 全軍でバクーバの町を経由してバビロンを落とす。敵が現れたら一兵残らずあの世へ送ってやるんだ!」


 パラドキシアの号令に奮い立った『最終軍団ラスト・バタリオン』50万は、隊形を整えることもそこそこに、次々とジャルーラの町を後にした。


「いいかい、右翼はダイヤラ川が迫ってくる。だから水に強いキメラ・レプティリアン隊が右翼となり、続いてテュポーン隊、ティターン隊、トロール隊と横に並んで突進するんだ。奴らは何処にいるか分からないが、全部集まっても40万に満たないから、包み込んで叩き潰してやりな!」


 パラドキシアはそう叫ぶと、自ら先頭に立ち、部隊を率いてバクーバの町を目指した。

 その様子を、ジュチのオトモダチであるアゲハチョウの群れがじっと見つめていた。



「……奴ら、大慌てで出発したよ」


 ジュチが笑って言うと、ロザリアはすぐさまそのことをバクーバのホルンに伝達した。


「来たわよ」


 ロザリアの『風の耳』を受け取ったホルンは、そう一言言うと『死の槍』の鞘を払い、モアウにまたがって前進し始めた。ホルンの旗本が動き始めるのを見た副将ピールとガリルも部隊を動かし始め、それを見たリディア隊、ガイ隊も前進を始める。


「女王陛下の『遊撃軍』が動き始めました」


 その報告を受けたティムールは、全軍に命令を下した。


「よし、前進だ。敵軍が現れたら、作戦通り動け。落ち着いて行動すれば必ず勝てる。大胆に、そしてち密に、猛禽のごとく素早く、猛獣のごとく勇猛にあれ!」


 ファールス王国の王権の行方を決める決戦となった『ダイヤラの戦い』の幕開けであった。


(45 軍師の執着 完)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

『七つの枝の聖騎士団』を退けたホルンたちですが、まだザッハークには打つ手が残っています。

この物語、実はこれからが本当のクライマックスです。

次回は『ディヤラの戦い』が決着。

『46軍師の哄笑』は来週日曜日、9時から10時に投稿予定です、お楽しみに。

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