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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
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44 存在の決着

異次元で激闘を続けるザールとアイラ。二人の因縁が明らかになり、ザールはアイラの術中に嵌る。

ロザリアはザールを救えるか? 『七つの枝の聖騎士団』編、ここに決着。

【主な登場人物】


 ♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘で王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。26歳。


 ♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。15歳程度。


 ♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。23歳。


 ♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。21歳。


 ♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で『この世で最も高貴な一族』であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けるがチャラい。金髪碧眼の美青年。23歳。


 ♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。21歳。


 ♧ガイ・フォルクス…26年前にスケルトン軍団から国を滅ぼされたアクアロイドの王族。頭脳明晰で冷酷非情だが仇討に協力したホルンに恩義を感じている。29歳。


★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


「ふふ、思い出させてあげるよ。私の『破壊の誓約(デストルクティオ)』でね?」


 そう言うと、アイラの文様が紫の光を放って宙に映し出され、それはザールの額へと張り付いた。


「うっ! うがあぁ~っ!」


 ザールは、その文様から流れ込んでくる激しい感情とパワーに、身体中が引き裂かれるような痛みを覚えて絶叫する。


「さあ、早く思い出しておくれよ。私たちがまだ一つだった時のことを……」

「ぐあああ~っ!」


 半狂乱になって暴れるザールの身体を押さえつけるようにして、アイラは耳元でからかうようにささやき続けた。


――いかん、あのままではザール様は『破壊の誓約(デストルクティオ)』に蝕まれて、ホルン姫や私のことも忘れてしまう。そうなっては……この世の終わり……じゃが……私ももう……力が残っておらん……。


 ロザリアは霞んだ目でノイエスバハムートがシュラハトバハムートに押さえつけられ、今にも喉元を食い破られそうになる光景を見つめながらそう思ったが、彼女もまた深い傷のせいでがくりと首を垂れ、そのまま動かなくなった。


「……だれか……ザール様を……」


 ロザリアの呟きが、喉を食い破られるノイエスバハムートの叫びの中でこだまして消えて行った。



『思い出せ、お前は生成と消滅、破壊と再生を求めた存在だ。お前は宇宙の摂理を理解しようと生まれ出で、そしてその秘密に迫った』


 ザールの頭の中で、不思議な声が響く。それは額の『破壊の誓約』の光が強くなるほどに、はっきりと聞きとれるようになっていった。


『お前は、生きとし生けるものの生殺与奪の権を一度は握りかけた。お前自身が宇宙の摂理として存在する可能性があったのだ。そして、まだその可能性は残されている』


――宇宙の摂理だと? 何のことだ?


 ザールは激しい痛みの中でそう思い、動かなくなったロザリアを遠く望んで頭を振る。


「……助けなければ……」


 けれど、彼の心の動きを妨げるように、不思議な声はザールに優しく語りかけて来た。


『……助ける? 誰をだい? お前自身が生殺与奪の権を握れば、この世の出来事はすべてお前の思いのままだ。助けるという概念すら必要でなくなる。お前は全員で、全員はお前なのだから。お前が昔望んだ世界を、もう一度思い出してみるとよい』


 ザールはその声を聞いて、だんだんと気が遠くなっていった。


「ふむ、ザールはわが手に落ちたな」


 アイラは、羽交い絞めにしていたザールから力が抜け、がっくりと首を垂れたのを見て満足そうな声を出した。


「やれやれ、手間をかけさせてくれたが、やっと君を取り込んで女神アルベド様のもとに行けるというものだ」


 アイラが手を放すと、ザールはゆらりと空間に漂うようにして浮かぶ。相変わらずピクリとも動かないが、『魔力の揺らぎ』は損なわれていないので、死んだわけではない。


「さて、ザール。君の魔力と私の魔力が融合するときが来たようだね?」


 アイラはそう言うと、ザールを後ろから刺していた剣を引き抜き、改めてザールの正面に回り込んだ。アイラは静かに笑うと少しずつ魔力を開放する。アイラの身体が薄い紫色の『魔力の揺らぎ』に覆われ、それは持っている剣まで包み込んだ。


 その波動は、今まで戦いの中で使っていた『魔力の揺らぎ』とは明らかに違っていた。おどろおどろしさはなく、鼓動のような振動がアイラの『魔力の揺らぎ』を通じて空間に広がっていく。

 やがてその波動はザールを包んでいる『魔力の揺らぎ』と共振を開始する。白く温かいザールの『魔力の揺らぎ』は、アイラのそれに合わせるように振動を始めた。


「……そうだよザール。もっと私の揺らぎを感じてくれ。君の心の中の思い出が解放されるくらいにね……」


 アイラはそうつぶやくと、じっとザールの様子を見つめていた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 アンジェリカは幸せだった。


 アンジェリカがトルクスタン候サームに見初められて彼のもとに嫁いだのは、彼女の姉ウンディーネが時の国王シャー・ローム3世の妃となった翌年である。

 その次の年にはザッハークの反乱が起こり、姉が行方不明となってしまったが、彼女自身はその3年後に出産し、今はそのとき生まれた子どもを連れて故郷のドラゴニュートバードに里帰りしているのである。


 サームは夫として非常に素晴らしい男だった。アンジェリカは、サームが今も兄王と王妃の行方の探索に手を尽くしていることをよく知っていた。シャー・ロームの行方不明の報が国内に流れた時、国民のほとんどはサームの即位を望んだ。


 その民意と、「ザッハークは兄王を弑逆した」という噂をもってすれば、サームが王位を継ぐことはさほど困難ではなかっただろう。

 アンジェリカも、義兄である王と実の姉である王妃の行方がはっきりするまでは、サームが仮にでも即位することが、この国にとってベストであると思っていたし、サーム自身にそれとなく意見を述べたこともある。

 しかしサームは、


「兄王陛下がもしご存命の場合、たとえ王位をお返ししたとしても、私は兄王に対して不敬の罪を犯したこととなる」


 そう言って、あくまで王と王妃の消息を明らかにすることに拘った。

 “ザッハークの反乱”という報告を受けて、急遽軍を呼集していた東方軍司令官ティムール・アルメを呼び出し、妄動を戒めたのも彼である。


「ティムール殿、証拠がないのに軍を発向するのはいかがなものか? それに今、私とザッハークが戦えば、マウルヤ王国が喜ぶだけだ。そなたが軍を集めたのは幸い、そのままカンダハール方面へと東方軍を進めて、トリスタン侯国と共に東ににらみを利かせてくれないか? 兵を起こすのはいずれ真実が明らかになった時でも遅くはない」


 ティムールはサームの説得に応じ、トリスタン候と共同して国の東を守る態勢を見せた。この行動がザッハークにサームを始めティムールやトリスタン候を処罰する機会を失わせたことは確かだった。


 いずれにしても、サームとその一党にはザッハークも手出しは出来ず、以来サームは国内における“東方の藩屏”としての地位を確立した。



()()()殿のご機嫌はどうじゃ?」


 窓から晴れた空を見つめているアンジェリカに、ドラゴニュートバードの長であり父親でもあるアムールが問いかけた。


「はい、すやすやと眠っています」


 アンジェリカは、揺籠の中を覗いて言う。アムールも静かに歩いて来て、あどけないアイラの寝顔を満面の笑顔で眺めながらうなずいた。


「うむ、いつ見てもしっかりした顔をしておるのう。顔立ちは全体的にサーム殿にそっくりじゃが、鼻筋や唇、眉毛はそなたに似ておるのう」


 アンジェリカはアイラの手に自分の指を握らせる。まだ小さな手だったが、しっかりと母の指を掴んできた。



 アイラが生まれた時は、ちょっとしたセンセーションだった。アイラは胎内にいるときから活発な子で、外の音や話し声に反応してはアンジェリカのお腹をポコポコ蹴っていたが、いよいよ生まれたアイラを見て、お付きの女官たちは仰天した。


 まず、既に頭髪が生えそろっており、しかもそれが白髪だったこと。

 そして、首に臍帯を巻きつけており、窒息していたことだった。


 幸運だったのは、女官たちの騒ぎを聞きつけたサームが、自ら産屋に入ってこの状況を視認し、すぐさま佩いていた剣で臍帯を切り離すとともにその首を絞めていたものを外したことだった。


 女官長は気の利いた女性だったので、すぐさまアイラを受け取るとその背中を軽くたたいた。それにより赤子はヒュッと言う音と共に呼吸を回復させ、そして火のついたように泣き出した。

 アンジェリカは、その声を聞いて安心した。頭髪が白いことは何も気にならなかった。



――思えば、あんな状態で生まれたにもかかわらず、元気にすくすく育ってくれたわ。やはり、この子は女神ホルン様に祝福されているようね。


 アンジェリカは、そんなことを思い出しながら、自分の指をしっかりと握るアイラを見てクスリと笑った。

 アムールはそんな娘と孫の様子を見ながら、


「ところでアンジェリカ。もうすぐローエン殿とグリン殿にアイラ殿の祝福をいただかねばならぬ時期じゃ。その時の稚児鎧とその他の準備は出来ているか?」

「はい、ここにあります」


 アンジェリカはニコリとして、サームが特別に誂えてくれた赤子用の革鎧一式と躾刀、そしてそれぞれ水晶、翡翠、瑪瑙、琥珀でできた四つの玉を見せる。アムールはそれを見て一瞬、真剣な顔をしたが、すぐに笑って言った。


「さすがにサーム殿じゃな。何事にも手を抜いておらんところがよい。行事にはわしも参加するが、里の者にも介添えを頼んでおかねばならなかったのう」


 そしてアムールは静かに部屋を出て行った。


 ドラゴニュートバードは女神ホルンを祀る里であり、その住民は神話にある女神ホルンがプロトバハムートの血をもらって生まれた英雄ザールの子孫だと言われる。

 そこで里人は『プロトバハムートの子孫』であることや『女神ホルンの子孫』であることを自任し、いつか来る女神ホルン再来の時までその血を絶やさずにいることを使命としていた。


 この里の者が出産すると、その子が生後半年過ぎたら里の近くにあるドラゴンの森に行き、赤子にドラゴンの祝福を受けることが慣例となっていたのである。



 赤子アイラの祝福は、里長のアムール自身が立ち会って執行された。

 アムールは自ら外孫であるアイラを背負うと、アンジェリカを連れてシュバルツドラゴンの森へと向かった。アンジェリカの後ろからは鎧や宝玉を持った介添え役の男女がついて来ている。


 しかし、アムールは森の入口が見える場所まで来ると、いぶかしげに立ち止まった。本来はそこに門番として2匹のシュバルツドラゴンが鎮座しているだけのはずなのに、そこにシュバルツドラゴンの頭であるグリンの姿が見えたからだ。

 いや、それだけではない。そこにはこの里で至高の存在ともいえるヴァイスドラゴンの長、ローエンまでもが彼らを待っていたのであるから……。

 本来、この儀式はシュバルツドラゴンの森で祝福を受けた後、“迷いの森”を抜けてヴァイスドラゴンの森に行き、そこでヴァイスドラゴンの長であるローエンから『宝玉の予言』を聞くこととなっていた。


“よく来た、ドラゴニュートバードの長よ”


 アムールは、ローエンから先に語りかけてきたことに更に吃驚する。至高のドラゴン・ローエンはプロトバハムート直系の子孫で、この里では神に等しい。本来であれば人間から様々な供物を捧げ、人間から先に敬意を表するべき存在であるのだ。


「と、とんでもございません。我らは日時を違えたのでしょうか? それとも、何か禁を犯すことでもしでかしたのでしょうか?」


 アムールが額から汗を垂らしながら、思い切ってそう疑問を口にすると、ローエンは哄笑して言った。


“はっはっはっ、何を恐れている? 私たちはこの里に生まれ出でし『世に光をもたらす糸杉』のために、こうして敬意を表しに来たのだ”


「と、申しますと?」


 アムールが恐る恐る訊くと、ローエンは頷いて驚くべきことを言った。


“昨夜、女神ホルン様が我らヴァイスドラゴンとシュバルツドラゴンに神託を述べられたのだ。『時は近づいた。大きな嵐に耐え、世に光明をもたらす糸杉が、この里に生まれ出でた』……”


 その後をグリンが引き取って続ける。


“……『汝らプロトバハムートの眷属たちよ、急ぎその糸杉を出迎え、私の代わりに祝福を与え、私の言葉をその子に伝えよ』とのことだったのだ”


 ローエンとグリンの言葉に、アムールは足が震えた。自分が負ぶっているこの赤子は、それほどの人物なのか……確かに生まれながらの白髪で、竜眼に似た緋色の瞳を持ち、首の座りも早かったが……。

 アムールがそう考えていると、ローエンはアムールの背中からこちらをじっと見つめているアイラの側まで顔を寄せ、


“うむ、女神ホルン様が祝福された糸杉よ、そなたは世に光明をもたらし、プロトバハムート様の正義を世に敷く人物となろう”


 そう祝福の言葉を述べる。続いてグリンが顔を寄せ、


“女神ホルン様が気にかけられし糸杉よ、そなたは世に邪悪がはびこれば、女神ホルン様の御名のもと、その邪悪を征し、女神の再来をもたらすであろう”


 そう言った。

 そしてローエンはアンジェリカに目を向けて、


“女神ホルン様の御名のもと、世に光明をもたらす糸杉の母よ、この子の名は何と名付けたか?”


 そう訊く。アンジェリカはローエンの目を見て答えた。


()()()と名付けました」


 するとローエンは目を細めてこう告げた。


“この子の名は、英雄ザールの名こそふさわしい。女神ホルン様もそれを望まれておる。せっかくそなたたちが付けた良い名ではあるが、今後この子は()()()と名乗らせよ”


「ありがたいお言葉ですが、それではあまりに畏れ多くて……」


 アンジェリカが言うと、グリンが首を振って言った。


“それは違うぞ、英傑の母よ。この子は女神ホルン様の祝福のもと、英雄ザールのような人生を送ることを約束されてこの世に生まれ出でた。名は体を表すと言う、女神ホルン様の思し召しでもある、早々にこの子を改名せよ”


 それを聞いて、アンジェリカはうなずいた。

 その時である。


「待て、その子には私からも祝福して進ぜようぞ」


 そう言って現れた者がいる。その女は葡萄酒色の髪をうねらせ、葡萄酒色の瞳でアンジェリカとザールを見つめていた。


“……女神アルベド様、ここはあなた様の御座所ではありませぬぞ?”


 ローエンが鋭い目で言うが、女神アルベドはそれを歯牙にもかけずに笑って、


「おう、なかなかの良い子じゃな。さぞかし強く猛々しい武将となろうぞ。そして世界の摂理を理解し、ゆくゆくはわらわと共にこの世界を統べる存在となるであろう……よい子じゃの、()()()……いや、()()()か」


 そう言ってその瞳をキラリと光らせた。


「どれ、わらわにもザールの顔をよく拝ませてくれ」


 女神アルベドはそう言いながらゆっくりと地面へと降り立つ。しかし、ザールとの間にグリンが立ちはだかった。


“この里で生まれた者は女神ホルン様の祝福を受けることとなっています。女神アルベドよ、早々にカッパドキアに戻り給え”


 目を怒らせて言うグリンを、葡萄酒色の瞳で睨みつけていたアルベドだが、


「面白い、わらわを止めるか? 身の程知らずが」


 そう言うと、グリンは恐れる色も見せずに答えた。


“敵わぬまでも、わがシュバルツドラゴンの一族挙げて女神の相手となりましょう”


 女神アルベドはしばらく黙ってグリンを見つめていたが、不意に笑うと、


「ふふ、よいバカ者どもに守られておるのう……わらわはおとなしく戻ろう」


 そう言ってザールにくるりと背を向けた。

 そして空に浮き上がると、サッと左手をザールの額に向けて、赤い光を放つと、


「わらわの『破壊の誓約』じゃ、受け取るがいい!」


“こやつっ!”


 グリンが飛び掛かったが、その前にアルベドは笑い声と共に虚空に消えて行った。


“くそっ! 油断した”


 グリンが歯噛みしていると、突然ザールが火のついたように泣き出す。


「おお、ザール……」


 アンジェリカがよく見ると、ザールの額にどす黒い文様が浮かび、それがかなりの熱を放っている。あまりの熱さにザールは泣きだしたのだ。


“世に光明をもたらす糸杉の母よ、心配するな”


 ザールの様子を見ていたローエンは、そう言うとザールに向かって真っ白い光を放つ。その光は暖かくザールを包み、額にある不気味な文様を少しずつ薄めていく。


“完全には消えぬかもしれぬが、この子には神話のとおり仲間ができる。その仲間と共に受ける刻印が、この子に本来歩むべき道を思い出させるだろう”


 ローエンはそう言うと、大きく翼を広げてザールとアンジェリカを包み込み、


“母よ、この子が『竜の血』に目覚めるとき、もう一度この里に連れてくるがいい。さすればこの子は仲間を得て、光明をもたらす糸杉に相応しい者となるだろう”


 そう、優しく言った。


   ★ ★ ★ ★ ★


「さて、ザール、君の中に眠っている『破壊の誓約』を目覚めさせてあげるよ」


 アイラは静かに笑うと、少しずつ魔力を開放する。アイラの身体は紫色の『魔力の揺らぎ』に覆われ、それは彼女が持っている剣まで包み込んだ。


 その波動は、今まで戦いの中で使っていた『魔力の揺らぎ』とは明らかに違っていた。おどろおどろしさはなく、鼓動のような振動がアイラの『魔力の揺らぎ』を通じて空間に広がっていく。

 やがてその波動はザールを包んでいる『魔力の揺らぎ』と共振を開始する。白く温かいザールの『魔力の揺らぎ』は、アイラのそれに合わせるように振動を始めた。


「くっ……」


 ザールがゆっくりと目を覚ます。その額には紫色の『破壊の誓約』が刻みつけられていた。


「……()は、今まで何をしていたんだ?」


 ザールがつぶやくと、アイラが愛くるしいほどの笑顔でザールに話しかける。


「君は今まで眠っていたんだよ。ホルンと言う女神にたぶらかされてね?」

「女神ホルン?」


 不思議そうに首をかしげるザールに、アイラは痛ましそうな目を向けて訊く。


「知らないのかい?」


 するとザールは、首を振ってキッパリと言った。


「そんな女神の名は知らない。俺が知っているのは女神アルベド様のことだけだ」


 アイラは満足そうに、


「ふふ、思い出してきたようだね。君にも女神アルベド様の祝福が授けられていたことを……では、もう一つ訊きたいことがあるんだ」


 そう言うと、彼方にいるロザリアを指さしてザールに訊いた。


「あの女のことは知っているかい?」


 ザールは、100ヤードほど向こうで空間に磔となっているロザリアに目を移した。ロザリアは長い白髪を風に揺らし、がっくりとうなだれたまま何かブツブツとつぶやいている。その身体は血にまみれ、そして右の脾腹からはまだ血が滴っていた。


 ザールはいぶかしげに目を細めて訊く。


「……彼女は魔族のようだがただの魔族ではないな。彼女が何をした?」

「彼女は()()()()で……」


 アイラが意地悪そうな目をして言いかけると、ザールがびっくりしたようにアイラを見る。ザールの表情から彼がロザリアのことを忘れていることが確認できたアイラは、続けて言い直した。


「……君をホルンにつなぎとめる役割を果たすはずだった女性だ。可哀そうに女神ホルンという()()()()を信じたおかげで、君にひどい目に遭わされた」


 そして、けしかけるように続けた。


「君があそこまで痛めつけたんだ、君の手で楽にしてやると良い。その方が彼女も幸せだろうさ」

「……そんな覚えはないが……」


 ザールが戸惑っていると、アイラは強い口調で命令するように言う。


「君にも『破壊の誓約』が発現しているんだ、それが何よりの証拠さ。さあ、彼女をその剣で刺し、その首をここに持ってきてくれないか? 女神アルベド様のご所望だよ」


 『女神アルベド』と聞いて、ザールの表情が一変した。額の『破壊の誓約』が一瞬、紫色の光を放ち、ザールの顔はサディスティックなものに変わる。


「分かった、待っていてくれ」


 ザールはひどく歪んだ笑顔でそう言うと、ロザリアのもとに近づいて行った。



「……だれか……ザール様を……たすけて……」


 ロザリアはまだ死んではいなかった。その身体は無残なほど傷だらけだったが、それは単に服をズタズタにされた際の軽傷が多い。深い傷と言えば右の脾腹の刺し傷、そして彼女を空間に磔にしている両の手首と足の甲の傷だった。

 ロザリアの紫紺の瞳に、喉を食い破られて動かなくなったノイエスバハムートが映る。その上空を勝ち誇ったようにシュラハトバハムートが飛び回っていた。


――ザール様も、ノイエスバハムートもやられてしまった……私は何もできなかった。師匠、すみません、もう、この世の終わりじゃ……。


 ロザリアの瞳から涙が一筋流れ落ちる。その涙は23次元空間の光を集めながら、キラキラときらめいてノイエスバハムートに落ちて行った。


「おや、泣いているのか?」


 ロザリアは、ふいに近くでザールの声がしたので驚いて顔を上げた。涙で歪んだ視界にザールの姿が映る。しかし、その顔を見てロザリアはさらに深い絶望を感じた。


――『破壊の誓約』……何ということじゃ。ザール様もアルベドに取り込まれてしまわれるとは……。


 ロザリアはそう思ったが、同時にアイラ自らではなくザールに自分の止めを刺させようとしたことを利用しようとも思った。


――アイラなら問答無用で私の首を刎ねるじゃろうが、私の知っているザール様なら、何とか話し合いに持ち込めるかもしれぬ。その間にジュチたちをここに呼び込もう……と言っても、ザール様が完全に女神アルベドに取り込まれてしまっているなら絶望的じゃがな……。


「……その時はその時じゃ、ザール様の手で殺されるならばまだ()()というものじゃ」


 ロザリアがつぶやいた言葉に、無防備なロザリアの身体を舐め回すように見つめていたザールが反応した。


「今、何と言った?」


 ザールが優しさのかけらもない声で訊く。ロザリアは、ザールでもこのような冷たい声が出せたのかと驚いたが、同時に情けなくなった。

 一瞬驚いてザールを見つめたロザリアは、すぐに顔を伏せていやいやをするように首を振ると、絞り出すような声で言う。


「……やっぱり嫌じゃ……」

「何が嫌なんだ? 安心しろ、苦しくないように殺してやるから……ただ……」


 ザールは腰に佩いた剣の鞘を左手でつかみながら、


「そなたほどの美人に何もしないで殺すのももったいないけれどな。はっはっはっ……」


 ロザリアは耳を塞ぎたかった。自分が恋焦がれ愛してやまないザールから、このようなシチュエーションで、こんな侮蔑的な言葉を浴びせられるとは! ロザリアの心の中で、何かがブツリと音を立てて切れた気がした。


「なぜ泣いているのかと訊いたの? 私はただ情けないのじゃ!」


 突然、紫紺の瞳に光を戻して顔を上げたロザリアは、ザールにそう食って掛かる。ザールは一瞬、面食らった顔をしたが、


「……情けないだと? 面白い、何が情けないか言ってみろ。聞くだけ聞いてやる」


 そう、顔中にどす黒い文様を浮かべながら言った。

 ロザリアは、ザールの豹変にも気圧されることもなく、ただ自分の思いをザールにぶつけるように叫んだ。


「私の愛したザール様が、この程度のことで正体を失い、破壊竜の手先となってしまったことが情けないのじゃ! そなたは『白髪の英傑』と呼ばれた男ではないか? 私はそなたの言う『すべての種族がそれぞれを尊重する世界』に感じ入ったから、そなたのことを好きになったのじゃ! それがどうじゃ? 今はその英傑の影も形もなく、私の姿を見てニヤニヤ笑い、女性を侮辱するような言葉を吐きくさりおって。ホルン王女様も今のそなたを見たらさぞがっかりされることじゃろう!」


 ロザリアは言いながら涙があふれて来た。こんな人じゃなかった、ザール様はこのようなお人じゃなかった! その思いがあふれてきて止まらなかったのだ。


「……言うたな、この……」


 ザールはロザリアの罵声を聞きながら、心のどこかに何か忘れ物をしているような感覚に陥っていた。けれどこの女は女神ホルンというまやかしを信じる『異端』である。それならば成敗せねばなるまい……ザールはそう心の中で思いながら、剣の柄を握った。


――もう最期じゃな。言うだけ言ったらすっきりしたが、最後にザール様の横っ面を張り倒してやりたかったものじゃのう……。


 ロザリアはザールが剣把に手をかけるのを見て、そう思いつつ瞑目した。しかし、いつまで経っても自分の身を斬り裂く痛みが来ない。


――腐れ外道のザール様め、私が目を開けて恐怖を露わにしているところが見たいのじゃろう。それなら目を開けてやる、しかし絶対に怖がってなんぞやらんぞ、好きにするがいい。


 ロザリアは半ばやけくそで、そんな子どものような意固地な気持ちも手伝って、微笑みながら目を開けた。

 しかし、ロザリアの目に映ったのは、白い『魔力の揺らぎ』に包まれて一人で苦悶しているザールの姿だった。


「どうしたのじゃ?」


 ロザリアが思わず聞くと、ザールは


「ぐぬぬ……()は……いや()はいったい何を……」


 そう、剣を掴んで自問自答している。ロザリアはそれを見てハッとした。


――そうか、ザール様が今佩いているのは『アルベドの剣』! 王者が扱うべき剣じゃった。とすると、邪な心で抜くには困難が伴うのじゃろう。


 ロザリアはそう思って、ザールに叫ぶ。


「ザール様、剣を抜いてください。そうすればご自分が誰だか思い出せます!」


 ザールはそれを聞いてロザリアを見た。その顔はロザリアの知っている『白髪の英傑』の顔だった。


「分かったロザリア、すぐに助けるから少し待っていろ」


 ザールはそう言うと、『アルベドの剣』を抜いていく。刀身が鞘から離れるごとに、ザールの額に刻みつけられた『破壊の誓約』が薄れていき、代わりに『慈愛の聖印(カリタス・スティグマ)』が温かい白い光と共にしっかりと姿を現していく。


()()()()()()()()()()()()()()んだ!」


 ザールがそんな叫びと共に『アルベドの剣』を抜くと、『破壊の誓約』はかき消え、額に輝く『慈愛の聖印』の光とともに、ロザリアを空間に縛り付けていたアイラの鱗が消し飛んだ。


「しっかりしろ、ロザリア!」


 ザールはロザリアをしっかりと受け止めると、傷だらけのロザリアにヒールをかける。その光が収まった時、ロザリアは白いワンピースを着たいつもの姿に戻っていた。


「ザール様、元に戻られたのじゃな」


 ロザリアが安心したように言うと、ザールも緋色の瞳を持つ目を細めて、


「そなたのおかげだ」


 そう一言言い、迫りくるアイラへと目を向け変えた。



「いかん!」


 ザールが白く温かい『魔力の揺らぎ』に包まれた瞬間、アイラには何が起こったのかが理解できた。アイラの誤算は、ザールの佩剣が『アルベドの剣』に変わっていることを見抜けなかったことであろう。


 アイラは躊躇なく剣を振り上げてザールに突進する。今ならまだザールの心臓を刺し、その魔力を自分のものにできる。

 しかし、それは思わぬものから邪魔された。


「くっ! ノイエスバハムートか!」


 アイラは、突然下方から襲い来たファイアブレスを危うく躱して舌打ちした。


『アイラ、()()()()()()()()()()()()!』


 ノイエスバハムートは四翼の翼を広げてアイラとザールの間に立ち塞がって言った。


「シュラハトバハムート、早くノイエスバハムート(こいつ)を始末しろ!」


 アイラが叫ぶと、ノイエスバハムートの魔力でダメージを負っていたシュラハトバハムートが、巨大な片翼を広げて飛び来たった。


「くっ……ロザリアめ……」


 アイラは、ノイエスバハムートの魔力が格段に強化されているのを見て、すべてを悟った。先ほどロザリアが振り絞った涙! その涙に彼女の魔力が詰め込まれていたのだ。そしてその涙がしたたり落ちた先は、ノイエスバハムート。四翼の白竜は、23次元空間でさらに増幅されたロザリアの魔力を受け取って復活したのだった。

 しかし、アイラは諦めていなかった。彼女は知っていたのだ。


――女神ホルンはまだ復活していない。私が死んでも女神アルベド様の力で復活できるが、ザールはオリザという小娘がいない限りそれはない。だから、最悪相討ちでも、私が勝てる。


「なら、先に四翼の白竜を仕留めないとね」


 アイラはそうつぶやくと、ノイエスバハムートに向けてシュラハトバハムートと共に突進した。



「ロザリア、この空間から出られるか?」


 ザールが訊くと、ロザリアは首を振って言う。


「私は、ザール様の戦いをお手伝いしたいのじゃ」


 けれどザールは首を振って諭した。


「いいかロザリア、この戦いには未来がかかっている。そして預言にあるとおりのことを成就させねばならない。この戦いの後にはさらに激しいものが待っている。そのために、ホルンやジュチたちと共に戦略的に有利な態勢を取っておかなければならない。それにはそなたが必要だ。ここは心配せず、ホルンのもとに行き、ホルンを助けてくれ」


 ロザリアは恨めし気な目をしてザールを睨んでいたが、ザールの言うことはロザリアも十分に理解していることである。ロザリアは不意に笑うとザールの胸に顔をうずめ、


「これくらいのご褒美をもらってもいいじゃろう?」


 そうイタズラっぽく言うと、唖然としているザールに笑いかけた。


「約束じゃぞ、ザール様? 必ず預言を成就させて戻って来てくれないと、私もホルン姫様も、どうしていいか分からなくなるからのう」


 そしてロザリアは自ら編んだ23次元空間から消えて行った。


「……約束するぞ、ロザリア」


 ザールは、ロザリアが消えた空間に向かってつぶやくと、『アルベドの剣』を構えてアイラたちと最後の決戦のために突撃して行った。


   ★ ★ ★ ★ ★


「うるさいよ! アタシはアタシでやるって何度も言っているだろう?」


 山岳地帯ともいうべきヒッタイト地方に、キメラ・レプティリアンをはじめとしてトロールとテュポーン、そしてティターン族が続々と集結していた。終結先に指定された盆地では、亜麻色の髪をなびかせて鳶色の瞳をした一人の魔女が、宙に浮かんでそれらの部隊を見つめていた。


 彼女の名はパラドキシア・パレオ。女神アルベドに傅く神に近い存在であり、現国王ザッハークの片腕として軍事参与を務めて来た。

 彼女は、前国王の娘・ホルンの即位と反乱という最大のピンチを打開するため、ザッハークの切り札として前線参加を命じられた。そしてここヒッタイトで、彼女の意を受けた魔族たちを総動員して、決戦に臨むつもりである。


 彼女が召命したどの種族も長大で頑丈な体躯をもち、キメラ・レプティリアンは水の、トロールは土の、テュポーンは風の、そしてティターンは火の魔力を操る、その戦闘力はオーガに匹敵する種族である。

 それらの種族のうちから、特に魔力と戦闘力が高いもののみを選りすぐったパラドキシアの『最終軍団ラスト・バタリオン』は、各種族からそれぞれ約10万余を集めており、実数としては50万だが号して100万と喧伝していた。


 その彼女に、漆黒の髪に漆黒の瞳を持つ男が、静かに諫言していた。

 彼の名はティラノス・レックス。同じく女神アルベドに傅く神に近い存在であり、現国王ザッハークの片腕として政策参与を務めて来た。

 博識で智謀に富み、しかし冷徹で冷酷な彼は、同じく暴虐なパラドキシアと共に国民から忌み嫌われてきた。ザッハークの肖像画が両肩から蛇を生やした姿で描かれるようになったのは、この二人のせいであることはだいぶ前に述べたところである。


「私はそなたが出陣するときに忠告したな? 『ラスト・バタリオン』は『七つの枝の聖騎士団』たちに指揮させよ、そうすればホルンたちを討ち取ることができるだろうとな……しかしそなたはそうしなかった……私のもとに届いている情報では、既に『七つの枝の聖騎士団』は『怒りのアイラ』しか生き残っていないらしい。その他はすべて討ち取られている」


 その言葉に、パラドキシアは何も答えなかった。というより答えられなかった。彼女の下にも『七つの枝の聖騎士団』がほぼ全滅したことは報告が届いていた。ただ、『怒りのアイラ』だけは彼女から伝書ガラスが届いていたので、まだザールと戦っていると思われた。


「ま、まあ、アイラがザールを仕留めさえすれば、敵は四翼の白竜を欠き、こちらはアンティマトル以上の戦力が手に入るからね? アイラなら大丈夫だよ」


 やっとのことで言うパラドキシアに、ティラノスは静かに訊く。


「いつ、どこに『ラスト・バタリオン』を投入するつもりだ?」

「そりゃあ敵さんがバビロン攻略にかかった時に決まっているさ。アタシの軍団はもう十分に各隊との連携や戦術のすり合わせが済んでいるからね」


 にこやかに言ったパラドキシアは、ティラノスの言葉に凍り付いた。


「やれやれ、知らなかったのか? バビロンは無血開城したぞ。『神聖生誕教団』の奴らの言葉に、守将のイリオンが丸め込まれたのだ」


 それを聞いて、パラドキシアの顔から血の気が引いた。今の今まで、堅城バビロンを落とせずに蝟集しているリアンノン軍やティムール軍を、城外でまとめて料理する予定でいたのだ。


「バビロンが落とされたことが知れ渡り、それ以上敵が西進してきたら陛下の求心力がなくなる。ダマ・シスカスでも反乱が起こるかもしれぬ。パラドキシア、ここはきっちりと『肥沃な三角地帯』で敵を殲滅すべき局面だぞ?」


 ティラノスが言うと、一時憮然としていたパラドキシアは、急に元気を取り戻して、


「そうだね。じゃ、アタシは軍団を率いてバビロンを落としてくるよ」


 そう言って眼下に集った軍団に命令を下そうとした。


「待て、パラドキシア。私から忠告がある」


 それを留めてティラノスが言う。パラドキシアは怪訝な顔で訊き返した。


「忠告?」


 ティラノスは頷いて、


「そうだ。前回の忠告をそなたが聞いてさえいれば、陛下は可惜あたら『七つの枝の聖騎士団』を失うこともなかった。そなたの次の失敗は陛下の権威に直接関わる。ぜひとも忠告どおり動いてほしいものだな」


 そう言うと、パラドキシアは渋い顔をして訊いた。


「分かったよ、そう言われちゃアタシも何とも言えなくなるよ。で、アンタの忠告とやらを聞かせてくれないかい?」


 ティラノスはひときわ表情を引き締めて言った。


「これは女神様からのご命令でもある。グライフのワイバーン軍団との連携を密にして行動するのだ。ワイバーン軍団は機動力と偵察力に優れる。しかも『ラスト・バタリオン』ほどでなくてもある程度の戦闘力もある。そなたの軍団でリアンノンやティムール軍を受け止めて両翼包囲し、後ろと上からワイバーンで止めを刺せ。さすれば勝てる、それも徹底的にだ」

「グライフの軍団はどのくらいで、どこにいるんだい?」


 パラドキシアは頷いてそう訊く。ティラノスは笑って答えた。


「今、クルディスタンに5万で布陣して、そなたの軍を待っている。早く連絡を取り、作戦を練って敵軍を殲滅してくれ。そなたの軍才なら簡単なことだ」

「分かった、恩に着るよ。アタシはすぐに出陣する。女神様によろしく言っておいておくれ、ティラノス」


 パラドキシアはそう言って、全軍に前進待機を命じた。


   ★ ★ ★ ★ ★


「バビロンが無血開城しました」


 ソレイマーンの町まで進出していた西方軍集団に、進路上にいるトリスタン侯国軍からの伝令が届いた。


「ふむ、堅城と言われるバビロンじゃ。リアンノン殿の損害はどのくらいだろう?」


 ティムールはリアンノン軍のテンポの速さに驚いて訊く。アクアロイドの軍は確かに精強だが、こう早くバビロンが落ちたのであれば力攻めであるに違いなく、その損害次第では次の戦いではアクアロイド軍の支援は期待できない。

 しかし、トリスタン侯国軍の伝令はにこやかに告げた。


「はい、『神聖生誕教団』の法王教書のおかげで、守将のイリオン将軍は抗戦を諦めて撤退したようです。敵の軍は解隊されています」


 それを聞いて、ティムールは斜めならず喜んだ。天下の堅城と名高いバビロンが無血でホルン陛下のものになった。その政治的インパクトは計り知れない。


 また、バビロンが立地する『肥沃な三角地帯』はこの国の台所と言っていい。食料の主な生産地と交通の要衝を兼ねるバビロン一帯の無血占領は、ホルン女王の今後の治世をぐっとやりやすくするものである。


 さらに、それを実現したのは『神聖生誕教団』の法王だという。この国の国教に準ずる権威と勢威を持つ教団のトップがホルン陛下の味方となったこと、これも国民に与える衝撃は大きいだろう。


 そして最大のメリットは、第6、第7軍を始め10個軍団20万という強大な敵が雲散霧消したということである。それらの軍団を再編成すればあっという間に10万程度の軍隊は作れる。ダマ・シスカスまでは無人の野を行くようなものだろう。


「軍事的には、これで勝負はついたようなもの……しかし相手はザッハーク、どのような奇手を持っているか分からんな」


 ティムールはそうつぶやいて、とりあえず西方軍集団21万5千をバビロン南南東100キロのクートに、トリスタン侯国軍4万をクートの北方60キロにあるメヘランへと進めることにした。

 そして遊撃軍1万6千はソレイマーンまで進出した。



「ザールはどうしてるの?」


 ロザリアがザールのもとから帰還した時、ホルンの第一声はこれだった。


「ザール様はホルン陛下の『アルベドの剣』でアイラを圧倒しています。あと少しすれば決着がつくことでしょう」


 ロザリアは一気に言うとニコリとした。その言葉でホッとした表情を見せるホルンに、少しの後ろめたさを感じてロザリアは訊く。


「こちらの状況はどうなっておるのかのう?」


 その言葉に、ジュチがウザったく伸ばした前髪を左手でかき上げながら、


「バビロンは無血開城したよ。『神聖生誕教団』の法王が、守将のイリオンに働きかけてくださった。おかげでアクアロイドの軍(おサカナさんたち)はさして損害がない。今、ガイがリアンノン殿のところに連絡で出かけているところさ」


 という。その言葉にロザリアはうなずいた。


「だから遊撃軍もソレイマーン(こんなところ)まで出張っていたのか。イスファハーンに行ってみたら遊撃軍も主力軍もおらず、サーム様がおられたので吃驚したぞ」

「その主力軍は今クートまで進んでいるよ。トリスタン侯国軍もメヘランにいるみたい」


 リディアがそう言ったので、ロザリアは地図に視線を移す。敵軍は消え去った。もし、軍団で攻めてくるとしたら敵にはもうダマ・シスカスの第13軍、ザルカーの第8軍、そしてアインダールの第12軍しかない。アンカラの第10軍とコンスタンチノープルの第11軍は、西方の宿敵・ローマニア王国の抑えのために動かせまい。


「次出てくるとしたら、『魔軍団』だよ」


 ロザリアの考えを読んだようにジュチが言う。ロザリアも白髪を揺らしてうなずいた。


「うむ、私もそう思う。そして、決戦場は恐らくダイヤラ地方になるじゃろう」


 それを聞くと、ホルンとシャロンが顔を見合わせてクスリと笑った。


「何かおかしいことを言ったかのう?」


 ロザリアが不思議そうに言うと、ホルンが首を振って言った。


「いえ、ただ、戦が分かる人たちの意見は同じになるんだなって思って。ダイヤラ地方で決戦が起こるってことは、ジュチも、ガイも、ティムール殿も、そしてサーム様も同じ意見だったわ」


 その言葉に、ジュチがニヤニヤしながら口を挟んだ。


「あそこは大軍を持って来やすく、展開しやすく、包囲しやすい地形だからね。そしてさらにいいことに『肥沃な三角地帯』自体にはあまり被害が出ない」


 さらりと言ったが、ロザリアはジュチの言葉に顔色を変えた。


「ジュチ、おぬしは今度の戦いは殲滅戦になると?」

「おお、もちろんだよ。今度は敵の魔軍団50万と、終末竜アンティマトル、そして女神アルベドの揃い踏みになるだろう……」


 そしてジュチはいつものように碧眼の流し目を決めて笑った。


「だから、ボクたちも最高の布陣で()()()()()ってわけさ。ゾフィー殿の話によると、パラドキシアが出てきているらしいからね。まずは彼女をこの近くまでご案内さしあげて……」


 そしてジュチはひどく冷たい目をして笑って言った。


「……罠にかける。それが、最後の決戦の号砲さ」


 ホルンはそれを聞いて、静かにみんなに言った。


「おっつけ、ティムール殿から命令が下されます。みんな、この戦いを必ず生き残ってちょうだい。そして、この国の未来をみんなで創りましょう」


 ジュチ、リディア、ロザリア、シャロン、ヘパイストスとオリザ、そこにいたみんながホルンの言葉にうなずいた。


   ★ ★ ★ ★ ★


「君って敵にはほとほと感心するよ、ザール」


 アイラがザールの『アルベドの剣』を剣や楯で防ぎつつ言う。アイラは格段に速くなったザールに押され気味だった。


「せっかく君といつまでも一つになれると思っていたんだけれどね」


 アイラは意味ありげにそう言いながら、『アルベドの剣』の刃風の下をくぐってザールに肉薄する。けれどザールはすぐさま場所を移動し、決してアイラを懐に飛び込ませないし、後ろを取らせもしなかった。


「わっと……ザール、君はどうしても女神アルベド様のところには来てくれないんだね……寂しいなぁ……」


 アイラはそんな話をしながらザールと剣を交えていた。といっても二人とも真剣で、その速さと激しさは今までの戦いは何だったんだと思えるほどであった。


 アイラは『万華鏡の揺らめき(カレイドゴースト)』を常時発動し、ザールの目を晦まそうとしている。けれどザールの方も常時『魔竜の嚇怒(フローレムバースト)』を発動してそれに備えていた。


「このままでは埒が明かないね、シュラハトバハムート、こちらに来い!」


 アイラは、自分たちの頭上で戦っている2匹の巨竜に呼び掛ける。薄く赤い鱗を持った片翼の白竜が、アイラの下へと急降下してくる。

 それを確認して、


「そろそろ決着をつけよう、ザール」


 アイラはそう言うと、自らの周りに恐るべき『魔力の揺らぎ』を発動させた。そしてそのままシュラハトバハムートの方へと跳び上がる。


『ガアアッ!』


 シュラハトバハムートは、アイラを頭の上に乗せて咆哮した。その咆哮は23次元空間を揺るがし、空間を作っている粒子たちを沸き立たせた。


「望むところだ、ノイエスバハムート、こちらに来たれ!」


 ザールは、シュラハトバハムートを追って降下してきたノイエスバハムートに呼び掛ける。白く青い鱗を持った四翼の巨竜は、ザールの近くまで来るとその魔力と同調し始める。


 ノイエスバハムートにシュラハトバハムート。どちらも終末竜アンティマトルから生まれたと言われる巨竜である。その体長はザールやアイラの『魔力の揺らぎ』によって成長し、どちらもすでに200メートルを超える巨体となっていた。

 ノイエスバハムートは青白い『魔力の揺らぎ』に包まれ、シュラハトバハムートは赤黒い『魔力の揺らぎ』を噴き出している。


 やがて、それぞれが、空間にある物質を引き寄せるように風を起こし始めた。空間が振動する。その空間の動きによって温度が上がっていく。

 2匹の巨竜はそのキャパシティを超えるほどに魔力を貯め込んでいき、その魔力は空間の温度を恐ろしいまでに上げ、密度を限界まで圧縮した。

 そして、

 ザールとアイラは同時に叫んだ。


終焉への咆哮(カタストロフ)!」

崩壊の序曲(ディスラプシオン)!」


 それぞれの巨竜は、その魔力を振り絞って相手にありったけの力を叩きつけた。

 二つの魔力の交差は、大爆発と超高温を生んだ。



 音さえしない。

 時間の感覚も分からない。

 勝負がついたのは一瞬なんだろうけれど、その一瞬は一生に近いほど恐ろしく長い時間のように思えた。


 ザール、いや、ノイエスバハムートが放った『終焉への咆哮』は、プロトバハムートの技だ。その超高温は進路上にあるすべての物質をエネルギーにまで分解する。

 その温度は、この世界に空間が発生した時の温度に匹敵するらしい。

 ザール、まさか、君がこの技を使えるとは思っていなかったよ。


 私の……いや、シュラハトバハムートの最高の技である『崩壊への序曲』も、この世のすべてのものを破壊できると自負していたんだが、その温度といい圧力といい、君の技には及ぶべくもなかった。


 はっきり言おう、君の勝ちだよ。


 私は、『終焉への咆哮』が自分の『崩壊への序曲』を圧倒し、そのエネルギーもろとも自分を包み込む感覚の中で思っていた。

 そして、身体が原子に、原子が素粒子に、そして素粒子すらエネルギーへと分解されていく中で、私は懐かしい気持ちになっていた。


 そう、こんな光だ。

 私が生まれて最初に見たのは、こんな光だ。


 暗い暗い道を通って、苦しさが高まって、せっかく生まれてきたのに、またプロトバハムートの世界に戻るのか……そう思ったとき、不意に胸には空気が満ち、そして周りの世界は輝きにあふれた。

 私は、生まれたんだ。


 そして、どんな人生を過ごすのだろうか。

 その瞬間、私は脳裏に無数のイメージが浮かんだ。

 プロトバハムートの戦い、そして優しげな女神の顔と温かな日差し。

 側に誰かいた。

 それは、銀色の髪と翠の瞳を持つ女性。

 彼女は、私に笑いかけ、そして困ったような顔をして私にキスし、去っていった。


 次に、白髪で紫紺の瞳を持つ女性。

 彼女は()の側にいてくれた。

 いつまでも()を見つめてくれていた。

 僕の言葉にうなずいて、そして、一つになれた気がした。


 僕は、何をすべきなのだろう。

 金髪碧眼の美青年が笑う。キミはキミの道を行くがいいと。

 茶髪で茶色の瞳をした少女が笑う。アタシはいつでもあなたの味方だと。


 でも、幻影の中で僕の心の中に浮かぶ言葉があった。

 その言葉はゆっくりと()の口から出て来た。

()()()()()()()()()()()()()()


 そう、()はそんな気持ちを産まれた時から持っていたんだ。

 なあんだ、思い出さなきゃいけなかったのは、ザール、君ではなくて私の方だったんだな。

 今思い出したよ。()()()()()()()()()()()()()()

 決して、壊すためではなかった。

 君が心の中でしっかりと抱いていてくれたから、私は思い出すことができたんだ。そのことについては、お礼を言わなきゃいけないね?


 好きだったんだ、ザール。

 いや、君のことではないよ? だって君は私だから、私が君という自分を好きであるのは当り前だろう?


 私が好きって言うのは、この世界さ。

 君が言うとおり、この世界に住んでいる者たちは不完全だ。

 けれど、君が言うとおり、その不完全な者たちが、未来のために力を尽くし、そして次代へとつないでいく……ああ、本当に愛すべき営みだよ! 私は今なら、君の意見に全面的に賛同する。だって、それは私の意見でもあるからだ。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 さて、もう時間がない。この身体がプロトバハムートの世界へと旅立つ前に、私は君に『君から分離した君』である私の存在を重ねなければならない。


 受け取ってくれ、ザール。強く抱きしめて、受け止めてくれ……。

 私と君が、君という私になるために……さよなら、ザール。



「うわあああ~っ!」


 アイラは、叫び声と共に光に包まれた。

 しかしザールの心には、アイラの最期の瞬間の意識が激流のように流れ込んできた。その意識は喜びに震え、そして叫んでいる。


「アイラ……()()()()……」


 ザールは、そうつぶやいた。流れ込んできたアイラの存在を理解し、受け止めたのだ。その頬には熱い涙が流れている。


 そして、ザールには分かったことがあった。それは、今後に起こることであり、預言の中にあったことだが、その意味がしっかりと把握できたのだった。


「少し……疲れた……」


 ザールはそうつぶやくと、『アルベドの剣』を鞘に納める。そして、自分の背後で翼を広げているノイエスバハムートを振り返ってみた。


 ノイエスバハムートは、白く輝く鱗に、鈍い光を反射して周りを見回している。その左目はシュラハトバハムートとの戦いで潰れていたが、それゆえに精悍さが増していた。

 そして、その背中には今までの白い四翼に加えて、飛び抜けて大きい翼が2枚生えていた。


“ノイエスバハムートは、完全に復活した。あとはザール、そなたが知っているとおりの戦いが始まる”


 頭の中にプロトバハムートの声が響く。ザールはひどく疲れたようにその声に尋ねた。


「プロトバハムート様、預言は成就すべきものでしょうか?」

“……そなたの言いたいことは分かる。そなたの心情も十分理解する。けれどもそれでもなお、余はそなたに言う。預言は成就されねばならない、と”


 ザールはそれを聞くと、一つ大きなため息をついて言った。


「分かりました。けれど、ホルンはどうなるのでしょうか?」

“ドラゴニュート氏族の娘は、その運命を全うする。ローエンはあの娘と約束したと聞いている、決して後悔はさせないとな。ローエンの約束は余の約束でもある”


 きっぱりとしたプロトバハムートの言葉だった。ザールはそれを聞いて少しずつ気が遠くなっていくのを感じていた。


“少し眠れ、ノイエスバハムートよ。まだ最後の決戦まで時間はある。その間にそなたの存在を確かなものにしておかぬと、アンティマトルとの戦いで不覚をとるぞ”


 ザールは、包み込むようなプロトバハムートの声を聞きながら、深い眠りに落ちた。


(44 存在の決着 完)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

『七つの枝の聖騎士団』編は決着しましたが、ザッハークの左右が動き始めました。

いよいよ風雲急を告げる本作、次回からは『女神アルベド』編になります。

次回『45軍師の執着』は、日曜9時〜10時に投稿予定です。

お楽しみに!

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