43 竜都の陥落
戦いを続けるザールとアイラ、そこにロザリアも参戦する。
その間にリアンノン率いるアクアロイド軍は、主力軍とともに敵将イリオンが守る竜都バビロンを制圧するために出陣した。
【主な登場人物】
♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘で王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。26歳。
♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。15歳程度。
♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。23歳。
♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。21歳。
♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で『この世で最も高貴な一族』であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けるがチャラい。金髪碧眼の美青年。23歳。
♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。21歳。
♧ガイ・フォルクス…26年前にスケルトン軍団から国を滅ぼされたアクアロイドの王族。頭脳明晰で冷酷非情だが仇討に協力したホルンに恩義を感じている。29歳。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
『……やっと本性を現してくれたね。この姿で君と戦うことをずっと夢見ていたんだ』
アイラが言うと、ザールは四翼を広げて答えた。
『プロトバハムート様がおっしゃった、僕のすべきことなら……』
ザールは広げた四翼を震わせて、自分たちを異次元の空間へと閉じ込めて続けた。
『この命を懸けて、そなたを虚空へ還してやる』
そう言うと、ザールは一飛びで雲に届くほど高く跳躍する。
『ふん、面白い』
アイラもその巨大な羽に風を呼んで、ザールよりもさらに高く飛翔した。
『ノイエスバハムート、君の四翼では私の止翼に勝てないさ』
アイラはそう言うと、その羽で巨大な竜巻を六つも巻き起こす。それはアイラの動きに応じて、ザールを周囲から取り囲むように迫って来た。
『くっ!』
ザールはその暴風に飲み込まれまいと、竜巻の間をすり抜けようとしたが、
バチッ!
『がっ?』
竜巻と竜巻の間に、巨大な放電が起こった。幸い、雷はザールを直撃しなかったが、
――空間に帯電した電圧だけで、『魔力の揺らぎ』を引き剥いでしまいそうだな。
ザールは緋色の瞳を細めてそう思うと、自身の周りに揺蕩っていた『魔力の揺らぎ』を急速に収縮させ、爆発させた。『魔竜の嚇怒』である。
ズガン!
その威力は、ドラゴン化してさらに凄まじくなっており、アイラが差し向けた六つの竜巻は一瞬にして消えた。
『さすがだよ、ノイエスバハムート』
『はっ!』
アイラは竜巻の周りで機会をうかがっていたが、ザールの『魔竜の嚇怒』が炸裂すると同時に攻撃を仕掛けた。その鋭い爪でザールの首筋を狙ったのだ。
けれどザールもそれは想定していたので、アイラの左腕での攻撃を右腕で防ぎ、至近距離からファイアブレスを叩きつけた。
ドウンッ!
アイラはファイアブレスをまともに受けて後ろに下がったが、それを追いかけるようにザールも右腕に『魔力の揺らぎ』を込めて攻撃しようとした。
『甘いよ?』
パーン!
鋭い音が響いた。アイラはそのしなやかだが固い尾で、ザールの『魔力の揺らぎ』が籠った腕を弾いたのだ。そのあまりの衝撃にザールの身体は一回転した。
『くっ』
ザールは間合いを取って自分の腕を見た。ドラゴンの鱗はオリハルコンをはるかに超える硬さを誇っているが、その鱗が何枚かひび割れ、何枚かは剥がれ落ちていた。
『さすがは“戦闘”の名を冠したバハムートだけあるな』
ザールはそう言うと、右腕に『魔力の揺らぎ』を集める。傷を受けた鱗はたちまち再生した。
『ふふ、私は君の中で“戦い”に関する部分を濃く受け継いでいるからね? だから私は君と戦って負けるはずがないんだ』
アイラ……シュラハトバハムートは、そう薄く笑って言うと、自らの周りにあの禍々しい『魔力の揺らぎ』をまとわせて叫んだ。
『私は、君の力も得てこの間違った世界を滅ぼす。終末竜アンティマトルの出番などなくしてみせるよ』
「……ノイエスバハムートとシュラハトバハムート……いかに私が魔族でも、あの戦いには手が出せぬ。私はこの戦いで何をすればよいのじゃ?」
2匹の巨竜が上空で相打つのを見上げながら、1マイル(この世界で約1・85キロ)ほど離れた場所でロザリアが『アルベドの剣』を握りしめてつぶやいていた。
「それに、この『アルベドの剣』、どうやってザール様にお渡しすればよいのじゃ?」
ロザリアはザールを助けたい一心で空間の歪みに飛び込んだが、その空間にはホルンとオリザがいてザールに『オール・ヒール』をかけ終わったところだった。
『おお、姫様とオリザ殿、何とか間に合われたようじゃな?』
ロザリアが言うと、オリザが疲れた表情で笑って言った。
『あっ、ロザ。お兄さまは何とかお助けしたけれど、あのままじゃまたお怪我しないか心配だわ』
ロザリアはチラリとホルンの顔を見て、笑ってオリザに言った。
『私がザール様にご加勢申しあげます。じゃから心配せずにしっかり休んでくだされ、オリザ殿』
ホルンは目を閉じて何かを考えていたようだったが、ホルンの目の前に不意に『糸杉の剣』が姿を現した。
『これは、ザールの剣だわ』
ホルンが『糸杉の剣』を掴むと、『糸杉の剣』は翡翠色の光を放ち、静かな音を奏で始めた。その音は聞いていて心が安らぐような調べであり、三人はしばしその音楽に聞きほれていた。
そしてホルンは、ハッとしたように目を開けてつぶやいた。
『この剣こそ、アルベドを封印する剣かもしれない……』
そしてホルンは思い出した。最初にザールと邂逅した時、ザールも『アルベドの剣』を易々と抜き放ったことを。
ホルンは頷くと、自らの『アルベドの剣』を外し、代わりに『糸杉の剣』を佩いて、ロザリアに頼んだ。
『ロザリア、この『アルベドの剣』をザールに渡してもらえないかしら?』
『えっ?』
驚くロザリアに、ホルンはオリザを支えて立たせながら言う。
『私は陣に戻ってオリザをシャロンたちに頼んだら、またザールのところに来ます。それまで、ザールの力になってあげてくれないかしら?』
そして手ずから『アルベドの剣』を手渡すと、ロザリアの返事も待たずに、
『頼んだわね?』
そう言って消えて行った。
取り残されたロザリアは、
『……とにかく、師匠も私がザール様の力になれると仰ったのじゃから』
そうつぶやくと、ザールの『魔力の揺らぎ』を頼りにその居場所へとたどり着いたのである。
「今出て行っても、私はひとたまりもなくやられるじゃろうし、ザール様の邪魔になるばかり。チャンスはあるはずじゃ……」
ロザリアはそう言いながら、静かに2匹の魔竜が戦っている場所へと近づいて行った。
★ ★ ★ ★ ★
「では女王様、出発いたします」
寂のある声でティムールが言って敬礼する。ホルンはそれにうなずいて答礼した。
王国暦1576年花散り初める月、イスファハーンから多数の軍勢が進発しようとしていた。もちろん、ホルンをこの国の女王として推戴している『新軍』である。
ホルンは、ザールとアイラの戦いが続いている中ではあったが、イスファハーンに到着したサーム・ジュエルの意見を容れて、正式に女王として即位し、とりあえず王国の体裁を整えた。
サーム自身、イスファハーンに来るまでにいろいろと考えていたらしく、ホルンと会ってすぐに彼はさまざまに助言を与えて来た。
その中で、大切なことが二つ。
一つは、可及的速やかにザッハークを『討伐』すること。
二つ目は、国民に分かりやすい恩恵を与えること……であった。
そこで、サームが連れて来た第32、第42軍団を含めて、とりあえず軍勢を集められるだけひっかき集めたところ、その他に第14軍団、第22軍団、第92軍団、そして第93軍団をイスファハーンに召集することができた。
東方の護りについては、サームが各州知事に命じていた方策を踏襲することとして、とにもかくにも『主力軍』5万5千、『遊撃軍』1万6千の他に6個軍団12万を手に入れたことは大きかった。
このほかにも、リアンノン率いるアクアロイドの軍10万と、ファールス湾沿いに『肥沃な三角地帯』目指して進撃しているトリスタン侯国軍と第3、第4軍団計8万がいる。
そこで、ホルンはサームやティムールとともに、現有兵力の再編成を断行した。
まず、首都のイスファハーンには『タルコフ猟兵団』を呼び寄せて駐屯させた。その指揮権は大宰相として臨時に就任したサームが執る。
『遊撃軍』1万6千はホルン直率のままで、シャハレコルドまで進出させていた。ザールが復帰したらすぐさま前線へと出られるようにしたのである。
そして『主力軍』は『北方軍』と名称を変えてガルムが指揮を執ることとなり、第771、第772軍団と第773戦闘団へと分割された。第771軍団の指揮はホルスト・ハイムマンに、第772軍団の指揮はエド・アラドに任され、第773戦闘団の指揮はまだ若いアローに任された。
王国の建制軍団6個は、第14軍団をリョーカが、第22軍団を“ルシファー”マントイフェルが、第32軍団を“旋風のゲッツ”が、第42軍団をシド・アラドが、第92軍団を“シロッコ”アリーが、そして第93軍団をトキルが指揮した。
そして第14、第22、第32、第42の4個軍団で『中央軍』を編成し、その指揮はムカリが、第92、第93軍団で『南方軍』を編成し、その指揮はポロクルが執ることになった。なお、ポロクルの南方軍にはトリスタン侯国軍に従っている第3、第4軍団を編入する予定であった。
ティムール自身は、司令部戦闘団5千を直率し、クビライとスブタイを参謀に、そしてシャナを兵站総監として全軍の指揮を執ることになった。
そして今日、ホルンを女王とするファールス王国軍は、ティムールを主将とする『西方軍集団』17万5千を進発させたのである。目指すはトリスタン侯国連合軍8万との会合地、アフワーズである。
一方、ファールス王国の心臓部と言える『肥沃な三角地帯』を守る驃騎将軍イリオン・マムルークの方はどうであろうか。
イリオンの計画は、ティムールの西方軍集団が動き始める前に破綻し始めていた。
バスラの護りは当初のとおり第53軍団と第131軍団、そして守備部隊の約5万に任せていたが、この部隊はリアンノンの『津波作戦』によって消滅した。
そのため、彼が動かせる兵団は、バビロンの第15軍団と第16軍団、第6軍、第7軍の計10個軍団20万だけとなった。
イリオン軍には別にアフワーズに駐屯した第13軍団がいたが、リアンノンのバスラ占領によって本部との間が遮断されてしまったのである。
「第13軍団はよく整備された堅陣に対する長い攻撃は別として、それ以外なら独立でいかなる任務にも投入できる精強な軍団。支援もなしに敵中で壊滅させるには惜しい」
イリオンはそう言って、戦線の整理を兼ねて第13軍団には、
「ハルファヤ、アマーラを経てティグリス左岸のクートまで退け」
と、後退命令を発していた。
「この平野では、水運を使わないと大規模に軍を動かすことは難しい。それ以外の方法では兵站にかなりの負担がかかるからだ」
イリオンは幕僚に言う。
「だから、逆説的に言うと大河の近くが決戦場になる。ましてや敵の先鋒兵団と思われるアクアロイド軍ならなおさらだ」
そして地図を眺めている幕僚たちに、
「そこで、敵に水運を使わせない方法を考えるのだ。我々は水運を使い、敵には使わせない、この方法があれば、敵の動きが制約されて迎撃がやりやすくなる。頼むぞ」
そうはっぱをかけた。
「……この方面は大兵力の展開が容易だから、やり方を間違えると敵味方に大きな損害が出ることになるだろうな」
作戦室から出たイリオンは、司令官私室でそう言いながらため息をついた。彼自身、ザッハークには『剣の誓い』を立てているため、裏切るなどと言うことは考えてもいなかったが、それにしても相手となるホルン・ファランドール……ホルン・ジュエルに対して敵愾心が湧かなかった彼である。
「ホルン・ファランドール……先の『王の牙』であるデューン・ファランドールの遺愛の槍と王家の神剣『アルベドの剣』を所持している女性……彼女にはその武力と慈愛を讃える声はあっても、悪い噂は聞かなかった……」
イリオンは椅子に深く腰掛け、背もたれを倒して目を閉じて言う。
「自らの境遇に満足し、辺境の人々の役に立つことを喜びとしていたような女性が、遂に女王となられたか……漏れ聞く噂では租税の軽減や産業振興への布石など、確かに話に聞く先代のシャー・ローム陛下の施策に似た政を目指しているようだ」
そして密かに思った。陛下の時代に逼塞していた人々は、ホルン女王の治世を喜び迎えるだろう。そしてその『逼塞していた人々』というのは、辺境の人々のみならず、王国の各地にたくさんいる……そんな雰囲気を肌で感じていたイリオンであった。
「政治的には恐らくホルンの方が正しいことを目指しているのだろう。そのホルンを相手にして戦わねばならないとは皮肉なものだ」
イリオンはそうつぶやいた。ひどく滅入った顔をしていた。
「さて、いよいよ目的地のバビロンに向けて出発します」
バスラの戦闘指揮所で、リアンノンは配下の提督たちを見つめて宣言した。
「私たちアクアロイドは、この国の前国王シャー・ローム陛下には友人として遇せられていました。わが父たるシール・フォルクスも、その先代も、この国の王とは互いに肝胆相照らす仲であったと聞きます」
リアンノンの言葉に、副司令官格のモーデル上級大提督をはじめ、ミント上級大提督、クリムゾンとフッドの大提督、ロドニー、ローズマリー、テトラ、タボールの四人の正提督、そしてエース准提督らは真剣な目をしてうなずいた。彼らの真剣な眼差しを受けて、リアンノンは一つうなずくと続ける。
「そんな先王陛下を弑し、わが父シールと懐かしいレズバンシャールの町を滅ぼしたのは誰か? それは今のザッハークです。幸い、この国には正統の王女様が存在し、我らと共に正義の軍を進めてくださっています。王女様はすでに王都を落とし、女王として即位されたと聞き及んでいます。我らは一つにはこの世の正義を体現し、前王陛下の知遇に応えるため、二つには新たな王国の復活を女王陛下に高らかに宣言していただくため、敵の一大拠点たるバビロンを落とし、そこに女王陛下を迎え入れねばなりません」
リアンノンの宣言を受けて、各提督たちは抜剣して鬨の声を上げる。リアンノンはその勇壮な光景にしばし目を細めていたが、
「ニールセン参謀長、今後の予定を提督たちに説明してください」
そう言うと、ニールセン参謀長が壁に貼られた地図の前に立った。
「我が策源地であるバスラとバビロンは、ティグリスとエウフラテスの大河でつながっています。このうち、東側のティグリス沿いにはホルン女王の直接指揮下にある兵団と、トリスタン侯国の兵団が進むことになっております」
ニールセンは指揮棒で地点を示しながら進めた。
「我々は、西側のエウフラテスを主要な兵站路としてバビロンを目指します。距離は川沿いにざっと450キロです」
そしてニールセンはモーデル上級大提督の顔を見て、
「今回の攻勢作戦の指揮官はモーデル提督に、ミント提督とテトラ提督には後方支援部隊の調整をお願いいたします……私からは以上です。途中の状況及び作戦については、担当の参謀から説明させます」
そう言って下がると、替わってベンボウ先任参謀、アンソン情報参謀、ハウ補給参謀、ホーク作戦参謀らが前に出る。代表してベンボウ先任参謀が説明した。
「軍隊区分を説明します。モーデル提督の軍が予備となり、部隊を第1軍と第2軍の二つに分けます。第1軍はクリムゾン、ローズマリー、タボール各提督の部隊で編成し、指揮はクリムゾン提督にお願いします」
クリムゾン提督がうなずく。それを見て、ベンボウは説明を続けた。
「第2軍は、フッド提督に指揮をお願いし、ロドニー、エースの各提督が編成に加わります。第2軍を先鋒とし、第1軍、リアンノン様の本隊と続き、ミント提督の後方支援部隊が続くという順番になります」
それを聞いて、フッドは目を輝かせてうなずき、ミントも改めて地図を調べ始めた。
「進撃路には、ナシリヤ、サマワ、ナジャフ、ヒラという町があります。敵がこちらを阻止するとしたら、この四カ所が最も可能性が高いところでしょう」
それぞれの地点に各提督の目が集まる。エース提督が訊いた。
「敵さんの兵力は相変わらず20万ですかね?」
アンソン情報参謀がうなずいて、
「はい。ただ、アフワーズにいた第13軍団を呼び返しているようですので、22万と考えた方がいいでしょうね」
そう言うと、クリムゾン提督が笑って言う。
「ふふ、第13軍団はアマーラ方面からバビロンに戻るのだろう。そいつらがクートの線に着く前にこちらがヒラを落とせば、その2万は戦局には寄与しなくなる」
「こちらの方面にはティムール殿の軍がかかるはずですからな」
フッド提督も小気味よさげに笑って言う。
そんな提督連を見ながら、リアンノンは機嫌よく命令した。
「今回は水辺とはいえ曲がりなりにも陸の上、我らの長所もあまり発揮できません。気を引きしめてかかりなさい」
「はっ!」
提督連と幕僚は一斉に答えた。
そして次の日、先鋒たるエース提督の部隊が歩を進め始めた。河には艦隊から派遣させたボートやランチが連なり、水上と陸上を並行して進む予定である。
「……さて、バビロンを落とせば大勢は決まる。ザッハークの首を見る日も近いわね」
リアンノンは大型ランチに座乗し、『トライデント』で身体を支えながら、はるか前方に進む兵団を眺めていた。
★ ★ ★ ★ ★
『私は、君の力も得てこの間違った世界を滅ぼす。終末竜アンティマトルの出番などなくしてみせるよ』
シュラハトバハムートであるアイラはそう言うと、2枚の止翼を大きく広げた。この翼は破壊と消滅の魔力をまとって赤く鈍い光を放っていた。
『食らえっ!』
アイラはファイアボールを続けざまに放つ。ノイエスバハムートはそれを巧みにかわすと、右腕にためた『魔力の揺らぎ』を使って『魔爪の剔抉』を放った。
『負けるかっ!』
ヴォンッ!
鋭いうなりを上げてザールの魔力がアイラを襲う、アイラはそれを躱したが、
『そこだっ! 『魔竜の業火』っ!』
それを見越していたザールの左腕から放たれた青白い炎がアイラを捉えた。
『ガッ!』
アイラはたちまち青白い炎に包まれたが、急降下することでその炎を消し飛ばすと、今度は追撃してきたノイエスバハムートに向けて、
『お礼だよ、ザール。『憤怒の蒸発』!』
と、かなり広い範囲に拡散した攻撃を放った。
『むっ⁉』
ザールはその攻撃範囲を見て、とっさにかわすことを諦めた。そして身体に揺蕩っている『魔力の揺らぎ』を『魔竜の嚇怒』に変えて放った。
ズドーン!
辺りを震わせる爆発が空中で起こる。その爆風は、辺り一面を薙ぎ払い、ザールが創った空間の結界にも大きなひびを入れた。
「くっ! 何という魔力じゃ……」
ロザリアはやっとのことでノイエスバハムートとシュラハトバハムートが戦っている場所の近くまでたどり着いた。
そして一息ついた途端、『憤怒の蒸発』と『魔竜の嚇怒』のぶつかり合いによる強烈な爆発に巻き込まれた。
「……恐るべき空間の圧縮とエネルギー量じゃ。私がただの人間なら、この空間に入った瞬間に焦げた肉塊になっておるわ」
爆風に吹き飛ばされながらも、ロザリアは2匹の巨竜の戦いから目を離さずにつぶやいた。そしてある程度距離が開いたところで、ロザリアは『竜の血』を呼び覚まし、地上へと降り立った。
「まったく、さんざ苦労して近寄ったのが元の木阿弥じゃ……むっ、これは?」
ロザリアはぶつくさ言いながら再び歩き始めたが、空間の結界に入ったひびを見つけると、紫紺の瞳を持つ目を細めて立ち止まった。
「この空間は『11次元空間』として他とは隔絶されているのじゃが、ザール様たちの魔力には耐えきれぬようじゃな。この空間が弾けたらそれだけで王都は吹っ飛ぶし、その後の戦いが地上で行われたら王国の半分は壊滅じゃ……」
そうつぶやくと、ロザリアは首を振って言った。
「師匠の仰ったとおりじゃ、私がやるしかないのう」
するとロザリアの長い白髪が、地面から吹き上げられるようにふわりと膨らんだ。そしてロザリアは魔力を込めた右手をサッと振り上げた。
『うん?』
シュラハトバハムートであるアイラは、空間の変化に気付いた。自分たちの魔力の放出にこの空間が耐えきれず、結界にひびが入ったことは知っていたが、
――結界が弾け飛ぶことで地上が破壊されるのならば願ったりかなったりだ。爆発にホルン・ファランドールが巻き込まれればなお結構。
そう思って放っておいたのだったが、
『誰がこの空間をいじったんだ?』
アイラは、目の前のザールを放り出して、空間をじっと見つめた。
――これは23次元空間じゃないか? こんな空間を編めるのはあのハイエルフと女神アルベド様くらいのもの……ジュチがここに来たのか? だとしたら厄介な……。
『どうしたアイラ、よそ見をするなっ!』
ノイエスバハムートであるザールは、右手に乗せた『魔力の揺らぎ』で『魔爪の剔抉』を放って叫ぶ。アイラは舌打ちすると『魔力の揺らぎ』を込めた尾でその攻撃を破砕した。
バーン!
そしてアイラはザールに向かって言う。
『気付いていないのかい? ザール。空間の次元が変わっているよ? どうやら君の仲間が一人、この空間に紛れ込んできているようだね』
それを聞いて、ザールは初めて自分たちを取り巻いている空間の様子が変わっていることに気付いた。光に満ち溢れた、しかし茫漠たる空間である。
――これは、23次元空間! とすると、ジュチがここに?
ザールは慌てて周りを見渡し、ジュチの姿を探した。いかにジュチがハイエルフで魔力や術式が卓越していると言っても、自分たちの戦いに加わるのは無謀と言っていい。
しかし、いくら探してもジュチの影も形も見つからなかった。
それはアイラも同じだったらしく、不思議そうにつぶやく。
『おかしいな……空間の波動に紛れ込んでいるのだろうか?』
けれどアイラは『万華鏡の揺らめき』を発動してザールの周りを取り囲むと、ゆっくりとザールに告げた。
『ザール、この空間すら私たちの魔力を抑え込むには十分ではないことを、君のお仲間に思い知ってもらおうじゃないか』
そしてアイラはザールに突っ込んできながら、さらに『憤怒の業火』を発動した。
ドドン、ズドドン!
『ぐはっ!』
ザールは、周囲で炸裂した灼熱の暴風と呼ぶに相応しい『憤怒の業火』に、避ける暇もなく巻き込まれた。アイラの魔力は周辺の時空を超高温に変え、圧縮した魔力が音速の何倍もの速度で空間を叩きつけるように押し飛ばした。さすがのザールも身体のあちこちの鱗にひびが入り、あるいは皮膚が裂けて、真っ逆さまに墜落する。
けれど、ザールは何とか態勢を立て直し、首筋を狙って振り下ろされたアイラの爪を腕で防いだ。鋭い金属音と共に、ザールの鱗とアイラの爪の間で火花が散る。
『やっ!』
ザールは左腕を思い切り振り上げた。そのアッパーはアイラの顎に決まる。
『うっ!』
アイラは後ろに吹き飛ばされたが、頭を振りながらなんとか踏みとどまった。そこに、
『魔爪の剔抉!』
左腕に『魔力の揺らぎ』を集めてザールが飛び込んできた。
『くそっ!』
アイラが牙をむいて右腕を振り払う。
ギャンッ!
ジュバン!
『むむむ……』
『うーむ……』
2匹の巨竜は同時に呻いた。アイラは左の止翼をザールの魔爪で叩き斬られていたし、ザールはアイラの爪で左目を潰されていた。
『……ザール、私の翼をよくも……』
アイラが残る右の翼で上昇しつつ言う。ザールも4枚の翼でその後を追って上昇する。
アイラは急に上昇を止め、ザールを振り向いた。その羽はいっぱいに虚空に伸ばされ、二人がいる空間を細かく振動させ始める。
『これは?』
ザールは異様な振動を感じ、アイラを追うのを止めて身体の周りに『魔力の揺らぎ』を分厚く張り巡らせた。
ジンジンと空間の振動が伝わってくる。それはただ表面を揺さぶるものではなく、身体を組織している細胞一つ一つを震わせるような気持ちの悪い振動であった。
『……空間をスパークさせるつもりだな』
ザールは、アイラの周りの空気密度が異様に高くなっていくのを感じ、彼女が繰り出そうとしている技の特徴を推察した。おそらく、空間の中にある物質に振動を与えながら凝縮し、それを一気に開放することで巨大なエネルギー場を創ろうというのだろう。
『そうはさせるか!』
ザールは四翼を伸ばすと、急速に魔力のポテンシャルを高めて光を発し始めたアイラに向かって突進した。
「いかん、あれは終末竜が使うという『崩壊の序曲』じゃ!」
ロザリアは、異常な空間の振動とアイラの周囲の密度変化を敏感に察知し、ザールと同様アイラが使おうとしている技を推察した。
そして彼女はザールが突進に移るのを見ると、アイラの周囲のエネルギー集積状況を正確に把握し、
「ザール様の攻撃は間に合わん! 早く防御態勢に移行していただかぬと……」
そう叫んだが、ロザリアはアイラが『崩壊の序曲』を繰り出すまでの刹那の時間に、とっさに両手を前に突き出し、そこにありったけの『魔力の揺らぎ』を集めて、
「間に合え! 『止戈の魔翼』!」
そう、アイラに向けて魔力を開放した。
『むっ?』
アイラは、自分に向けて恐るべき魔力の束が近づいて来るのを感じ、
『ちっ! ザールの仲間か』
と、エネルギーの収束を中断して右手を『止戈の魔翼』に向け、魔力を開放するとともに、飛び込んできたザールにも左手から魔弾を発射して牽制する。
ズドゥム!
『おっ⁉』
アイラは輝く『魔力の揺らぎ』の網に捕らえられた。
「よし、うまく行ったぞ」
ロザリアが放った『止戈の魔翼』は、アイラのエネルギーを吸い取るとそのまま網のように広がり、アイラを包み込んでしまった。ロザリアはそれを見て快哉を叫んだが、次の瞬間、愕然として立ち尽くした。
『ふふ、そこにいたか。よく隠れていたものだ』
アイラは、魔力の檻から簡単に抜け出し、ロザリアに向けて
『そなたはロザリアとか言ったな? ここで死ぬがよい!』
と『憤怒の蒸発』を放った。
「しまった、避けられない!」
ロザリアはみるみるうちに近づいてくるアイラの魔力の禍々しさに、思わず目を閉じてそうつぶやく。ザール様の役に立てず、思いも遂げずに蒸発するのは悔しいが、それも運命じゃな……刹那の間にそう覚悟したロザリアは、『魔力の揺らぎ』を身体に込めて両手を広げた。
『ロザリア、跳べっ!』
不意に聞こえたザールの声に、ロザリアはハッと目を開けて反射的にジャンプする。その小さな身体を、物凄いスピードで飛び来たったノイエスバハムートが優しくつかみとった。
「助かった……」
ノイエスバハムートの手のひらに包まれながら、ロザリアは安堵のため息をつく。見てみると自分がいた場所はアイラの魔力ですっかり蒸発してしまっていた。
『ロザリア、なぜここに来た』
ノイエスバハムートが低い響きがある声で語りかけてくる。ロザリアは笑って言った。
「姫様からの言伝です。ザール様に『アルベドの剣』を預けるとのことでしたので、私が持って参りました」
すると、不思議なことにノイエスバハムートの手のひらの中に、ザールが現れて、ロザリアが差し出していた『アルベドの剣』を受け取り、腰に佩いてうなずいた。
「確かに受け取った。ロザリア、この空間はそなたが編んだものだろう、出られるか?」
ザールが訊くと、ロザリアは首を振って言う。
「いいえ、私はザール様が戦っているうちは、お側で力を尽くしたいのです」
するとザールは困ったように笑って、ロザリアと自分を光の玉で包む。光の玉はノイエスバハムートの手のひらから抜け出て、空間の一点で留まった。
「……これは?」
ロザリアは、目の前で繰り広げられている光景に目を見張った。ノイエスバハムートとシュラハトバハムート、いずれ劣らぬ巨竜たちが、光に包まれた茫漠たる空間で相打っている。
ノイエスバハムートは、ちょうどシュラハトバハムートに噛みついたところだった。
『ガアアッ!』
シュラハトバハムートは、物凄い雄たけびを上げてノイエスバハムートをその尾で弾き飛ばす。
『グアアッ!』
ノイエスバハムートもうめき声を上げたが、すぐさま体勢を立て直してシュラハトバハムートにファイアブレスを放つ。
「……神話に言うプロトバハムート様とアンティマトルとの戦いも、こんな感じであったのか?」
ロザリアは茫然としてつぶやいたが、ハッと気づくと、光の玉の中にはザールがいなかった。
「どこに行かれたのじゃ?」
ロザリアは慌ててあちこちを見回す。そして、空間の一点で光が煌めくのを見つけた。よく目を凝らしてみると、そこで二人の人物が戦っているらしい。ザールとアイラであろう。そしてキラリと光を弾いているのは『アルベドの剣』に違いない。
けれど、二人の本体ともいえる巨竜たちは、二人とは別個に壮絶な戦いを繰り広げている。そのことが何を意味するのか、この時のロザリアには理解できなかった。
「ふふん、いよいよ私にとどめを刺されに来たってわけだね?」
ザールが光の玉から見ていると、100ヤードほど離れたところでアイラが白髪を揺らしながら笑っていた。
「私は女神アルベド様の魔力と祝福をもって君の魂から形作られた存在。元は一緒だが君の祝福は女神ホルンから与えられたもの……存在の動機が違っているのさ」
アイラはつぶやくように言うと、ザールに向かって呼びかけた。
「さあ、かかっておいでザール。お互い存在の源をさらけ出して戦おうじゃないか……遠慮しなくていい、私にはこの剣と楯がある」
アイラはそう言うと、自らの鱗と牙に『魔力の揺らぎ』を込めて楯と剣を現出させて、
「いよいよ、クライマックスだよ?」
そうザールを誘った。
ザールはうなずくと、『アルベドの剣』の鞘を左手で押さえて、
「いいだろう。そなたとはどうしても決着をつけねば、話が先に進まないようだからな」
そう言うと、一瞬でアイラに斬りかかった。
ガイン!
アイラは左手の楯で『アルベドの剣』を弾くと、剣を横薙ぎに斬り払う。ザールは身体が開いていたが、その攻撃は想定内だったのか、『魔力の揺らぎ』を込めた左腕でアイラの剣を受け止めると、
「そなたの負けだ」
そう言って、『アルベドの剣』をアイラの胸に差し込んだ。
★ ★ ★ ★ ★
「アクアロイドの軍団が動き始めました。戦力は約8万で、エウフラテス河沿いに遡上してきています」
リアンノン軍団の出発は、すぐさまイリオンの知るところとなった。
イリオンは報告を受けるとすぐに指令を出し、精鋭中の精鋭である第15軍団をバビロンから南30キロのところにあるヒラの町に派遣した。とともに第16軍団はバビロンから南西50キロにあるカルバラー砦に込めて、二つの砦でエウフラテス河沿いにあるヒンディヤ港を守る形を取った。
そして自らは、
「町の攻防戦を行えば、バビロンの住民30万が難儀する。それに食糧の貯えも少なく、籠城戦ではどれだけ無辜の市民に犠牲が出るか分からない」
そう言って、第6軍、第7軍を率い、バビロン南に広がるバビール平原に野戦陣地を敷いた。
イリオンは、考えに考えた結果、
――この状況ではバビロンに立てこもることはできない。
という結論に達していた。幸い、20万という軍は健在である。決戦場となる場所も海から遠い。いかにリアンノンたちアクアロイドが海神に愛でられた存在であるとしても、海がなければ神の加護はあるまい。
しかも、偵察によればアクアロイド軍団はティムールたちとの連携もなしに攻め寄せてくる気配が見えていた。ティムール軍約15万が東から、アクアロイド軍団10万が南から挟撃してくるかもしれないという心配が消えた。イリオンは内線作戦でホルンたちを各個撃破できるのだ。
――ふふ、ティムールたちがティグリスを渡るまで少なくとも1週間はかかる。挟撃さえ免れれば、各個撃破できるだけのチャンスはある。
さらにイリオンは用意周到にもバスラから自陣までの作物はすべて刈り取っていた。焦土戦術は取りたくなかっただろうが、現状ではただ実りの薄い作物を刈り取るだけでいいので、イリオンや兵士たちの葛藤も少なかったといえる。
「来い、リアンノン。このバビール平原がそなたたちの墓場だ」
イリオンは南の空を見つめてつぶやいていた。
「敵は川沿いを精鋭の軍団で防御し、残りの16万で野戦を挑んでくるようです」
イリオンの布陣も、すぐさまリアンノンの知るところとなる。リアンノンは北に広がる平原を見つめてつぶやいた。
「思ったとおりね……敵将も名将の名をほしいままにしたイリオン。この状況ならば私も野戦を選ぶでしょうね」
リアンノンの眼前には、放棄された田畑や洪水の後も生々しい道路など、惨憺たる光景が広がっていた。去年から『肥沃な三角地帯』を襲った天変地異の噂はつとに聞き知っていたが、まさかこれほどとはリアンノンも思っていなかったのである。
「昨年、今年と作物の出来は良くないようね。この調子ではわが兵団も飢えに悩まされることになりかねない。敵将が野戦を挑むということは、とりもなおさず王国一の穀倉地帯である『肥沃な三角地帯』が疲弊しきっていることを物語っている……」
物資が豊富で作物が実っているのであれば、イリオンはリアンノンの兵站部隊を邪魔しつつ、天下の堅城と名高いバビロンに立て籠もればいいだけである。兵数が変わらない現状では、その方法を取ればよほどの愚将でない限り守る側がかなり有利となる。
もちろんリアンノンもそれは一応考慮に入れていた。20万で守る敵を10万で攻めること自体が本来は無謀なのだが、リアンノンは無策ではなかったし勝算もあった。
それは、
――いかなる堅城であろうと、敵はバビロンには立て籠もれない。
という読みであった。
そのことはバスラの守備隊が戦略的後退をしなかったことでも裏付けられた。あの場合、たとえ数十キロをリアンノンにただでくれてやったとしても、その兵力を温存して野戦に振り向けた方がいいはずである。
――でも敵はそうしなかった。バスラの州知事とイリオンの間に確執があったとしても、本来は軍令でもって合同を指示すべきだった。イリオンほどの者がそれをしなかったとは思えない、やはり『できなかった』のだ。
リアンノンは目を細めてうっすらと笑って言った。
「話によれば、女王陛下の陣営には『神聖生誕教団』の総主教がいらっしゃるとか……ひょっとしたら私たちは無血でバビロンに入れるかもしれないわね」
アクアロイドの進撃は速い。バスラからバビロンまでの距離を450キロとして、単独行動すれば一日半、団体行動でも三日で着ける。
リアンノンの軍隊は、ガイと同様かなりの修練を積んだ強者が多く、
「明後日には敵陣前に到着し、その翌日払暁から攻撃を開始するか」
尖兵兵団である第2軍を指揮するフッド提督は、先鋒のエース提督にそう言って笑っていた。
しかし、エースは海でと同様、陸でも必要な時には周りがじれったくなるくらい慎重になれる男である。
「明後日着陣は了解いたしましたが、一日かけて敵陣をつぶさに観察したいと思います。攻撃開始は次の日の日没後、夜戦とさせてください」
そうフッドに言い送った。
フッドは、この若い提督が今までどれだけ戦功を挙げてきているかをよく知っていた。
「エースの坊やめ、先鋒として張り切って猪突するかと思ったら、思いのほか慎重な奴だな。分かった、じっくりと作戦を立てて、敵さんの鼻を明かしてやれと伝えろ」
フッドは機嫌よくそう言って笑った。
さて、アクアロイドの兵団とイリオン軍の決戦が間近に迫っていることが誰の目にも明らかになっているこの時、バビロンに思わぬ客が訪れた。
「イリオン軍司令官殿にお話ししたいことがあります」
その客は、赤い法衣の上から銀色の甲冑を着け、手には枢機卿の笏杖を持っていた。ざっと4千ほどの騎士団に守られたその人物の名は、ジョゼフィン・レイ。この国の国教に近い扱いを受けている『神聖生誕教団』の枢機卿で、法王ソフィア13世の教書を持って来ていたのである。
枢機卿の来訪と訊いて、バビロンを守っていた州知事は吃驚した。しかも法王の教書を捧げての来訪である。これは無視すべきものではなく、無視する度胸もなかった州知事は慌ててイリオンにその旨を告げた。
「法王の使いだと?」
戦中である。しかも強敵はすぐそこまで来ている。そんな緊急事態であるが、イリオンは早々にバビロンまで馬を飛ばした。
「初めてお目にかかります。私はファールス王国驃騎将軍イリオン・マムルークです。早速で恐縮ですが、法王猊下の御心をお聞かせください」
イリオンはジョゼフィン枢機卿と会談し、開口一番そう言った。ジョゼフィン枢機卿は笑みを湛えて教書を開くと、
「法王猊下の御心です」
そう重々しく言う。イリオンは頭を垂れた。
「法王猊下には、国民が戦火に逃げ惑うことを非常に心配されています。特にバビロンを中心とした『肥沃な三角地帯』は人口が多いうえ、昨年の干ばつに続いて今年の水害と、住民は難儀していることと心を痛めておられます」
ジョゼフィンの言葉に、イリオンも心が痛んだ。そうなのだ、今は国を挙げて無辜の人民を助けるべき時期なのだ……そのことはイリオンにも痛いほどよく分かっていた。
イリオンの様子を見て、ジョゼフィンは続ける。
「今、国民を助けるにはどうしたらよいか……法王猊下はバビロンからすべての兵を引き上げ、国はホルン・ジュエルに任すべき、そうお考えです」
その言葉に、イリオンは頭を殴りつけられたような衝撃を覚えた。国境に準ずる『神聖生誕教団』は、ファールス王国国民のほとんどがその信者と言っていい。そのトップたる法王がホルン・ファランドールという元用心棒を国王としてふさわしいと認めているのである。しかも法王の教書を無視したとなれば、今度の戦いでは神の加護は受けられないかもしれない……少なくとも、兵士たちはそう思って士気が瓦解するだろう。
イリオンは難しい立場に立たされた。
彼が国王として忠誠を誓っているのは現国王ザッハークである。その命令は絶対で、彼は命令に従いバビロンをはじめ『肥沃な三角地帯』を守り抜く義務がある。これは文字通り命がけで、ベストを尽くしたけれど守れませんでした、では済まない問題である。
しかし、国民の支持が篤い教団の最高指導者がホルンを国王として認め、国民の負担を軽くするためバビロンをホルンの手に渡せと公式に言ってきている。この教書は各地の大司教区にも配られるはずなので、一週間もすればすべての国民が知ることとなるだろう。
「いかに、イリオン軍司令官殿? お返事をお聞かせください」
ジョゼフィン枢機卿が言う。イリオンは冷や汗を流していたが、やがて顔を上げて訊いた。
「わが軍が撤退しても、アクアロイド軍団が追撃を仕掛けてくるかもしれませんし、バビロンの住民に無体な仕打ちをするかもしれません。その点はいかがすればいいのでしょうか?」
ジョゼフィン枢機卿は、イリオンがそう言うことを事前に知っていたかのように、すぐに答えた。
「私自身がアクアロイド兵団とそなたの兵団の和平を行います。バビロンの住民にはすでに州知事からの布告を出させました。心配は無用ですよ、イリオン将軍?」
イリオンはそれを聞いて悟った。ホルンたちはすでに『神聖生誕教団』にも手をまわしていたのだろうと。これではいかなる理由をつけても戦うという選択肢はないも当然だった。
「では、枢機卿様にはご足労おかけしますが、わが陣営でその旨を兵たちに直接お聞かせください。そしてアクアロイドが必ず和平に応じるようにしてくだい」
長い沈黙の後、イリオンはとうとうそう言った。もともと今度の出陣には疑問を抱えていたイリオンである。決戦場に来てみれば、住民たちの生活の苦しさもよく見え、ここを戦場としていいのか? と自問自答していた経緯もある。
彼は、法王の使いが言った言葉で救われた気がしたし、彼自身も吹っ切れて、
――ままよ、軍を解散したら、私も一時郷里のアンカラに身を隠そう。
そう考えていたのである。
ジョゼフィン枢機卿の動きは速かった。
イリオンと会談したすぐその足で、ジョゼフィンはリアンノンのもとを訪ねた。
そして法王の考えを告げると、リアンノンは海の色をした瞳を細めてうなずき、
「それは願ってもないこと。私たちとて無辜の人民を無駄な苦しみに追いやるようなことはしたくないと思っています」
そう答え、ジョゼフィン枢機卿が提案した休戦協定を受け入れた。
協定の概要は次のとおりである。
一つ、イリオンは軍を解散し、バビロンをホルン女王に明け渡すこと。
二つ、リアンノンはバビロンの住民に危害を加えないこと。
三つ、リアンノンはイリオン軍に所属していた兵士たちその他を、理由もなく罰したりしないこと。
大まかに三つの項目をリアンノンもイリオンも受け入れ、1週間ほどでリアンノンはバビロンに無血入城した。
「今回は大変お世話になりました。戦えば両軍ともにいくばくかの損害は出たでしょうし、バビロンの市民たちが難儀したでしょう。助かりました」
リアンノンは、周囲を埋め尽くして手を振っている住民たちに笑顔で応えながら、一緒に入城式に参加していたジョゼフィン枢機卿にお礼を言う。
「いえ、これは序の口です。法王猊下はいずれここが大決戦の舞台になるとおっしゃっていますので、リアンノン閣下には速やかに人民を避難させる方策をお考え下さい」
ジョゼフィンはそう真剣な顔で言った。
「大決戦……ですか?」
首をかしげて訊くリアンノンに、ジョゼフィンはうなずいて耳打ちする。その言葉に、リアンノンの顔色は蒼くなり、目にも真剣な光が宿った。
「分かりました。そう言うことならわが兵団挙げてバビロンの市民を救いましょう」
リアンノンの言葉に、ジョゼフィン枢機卿もうなずいた。
★ ★ ★ ★ ★
光が満ちた、それでいて茫漠たる空間の中で、ノイエスバハムートとシュラハトバハムート……いずれも体長100メートルを超える巨大なドラゴンである……は、激しい戦いを繰り広げていた。
その戦いの中で、『怒りのアイラ』は、
「いよいよ、クライマックスだよ?」
そうザールを誘った。
ザールはうなずくと、『アルベドの剣』の鞘を左手で押さえて、
「いいだろう。そなたとはどうしても決着をつけねば、話が先に進まないようだからな」
そう言うと、一瞬でアイラに斬りかかった。
ガイン!
アイラは左手の楯で『アルベドの剣』を弾くと、剣を横薙ぎに斬り払う。ザールは身体が開いていたが、その攻撃は想定内だったのか、『魔力の揺らぎ』を込めた左腕でアイラの剣を受け止めると、
「そなたの負けだ」
そう言って、『アルベドの剣』をアイラの胸に差し込んだ。
「ぐっ!……ぶふぁっ!」
アイラの口から血しぶきが飛び散る。ザールはその手を緩めずに、
「そなたの存在は僕が受け取ってやる。静かに眠れ『怒りのアイラ』よ」
そう言って『アルベドの剣』を横殴りに斬り払った。
ズブシャッ!
「うぐっ!」
肉と骨を断つ嫌な音が響き、アイラの薄い胸から肋骨が赤いしぶきとともに飛び出る。けれどアイラはまだ立っていた……薄い唇から血を垂らしたまま、薄笑いを浮かべながら……。
――おかしい、今のでアイラの命は断ち切ったはず……けれどなぜ、『魔力の揺らぎ』が消えない?
ザールがそう思って跳び下がろうとした時である。
「残念だね、ザール。君がいつ気づくかと楽しみにしていたけれど……」
「うぐっ!」
アイラの声とともに、今度はザールが口から血を噴いて呻いた。その胸からアイラの剣が切っ先をのぞかせている。
「……ロザリア・ロンバルディア、だっけ? 彼女のおかげで君を灰にするチャンスを逃がしちゃったけれど、その報いは受けてもらったからね?」
アイラは冷え冷えとした声でそう言うと、剣ごとザールを向き直らせた。
「……ロザリア!」
ザールの目に、100ヤードほど先で磔になったロザリアの姿が映った。彼女は空間にまるで杭を打ったかのように縫い付けられていた。両の手頸と両足の甲にはアイラの鱗が突き刺さり、それがロザリアを空間に留めているようだ。
かなり痛めつけられたのだろう、白く長い髪は血にまみれて赤く染まり、服もずたずたに引き裂かれて見るも無残な状態だった。身体中いたるところにつけられた切り傷や刺し傷がよく見え、特に右の脾腹に受けた刺し傷がかなり深いようだった。
「ロザリア!」
ザールが叫ぶと、その声が聞こえたのだろう、ロザリアがゆっくりと顔を上げる。その眼から光は消えかけていたが、そんな状態になってもまだ戦おうというのか、彼女はアイラを睨みつけて身をよじらせた。
「ロザリア、しっかりしろ! 今助けてやるぞ、ぐっ!」
ザールがそう言って『魔力の揺らぎ』を身体にまとおうとした時、アイラが剣を少しひねった。ザールは血を吐いて呻く。
そんなザールの耳元に唇を寄せて、アイラは楽しそうにささやいた。
「残念だけど、ホルンももう終わりさ。君の仲間も苦しまずにあの世に送ってあげるから、おとなしく私に君の存在を重ねてほしいな」
そう言うアイラの額に、あのどす黒く禍々しい文様が浮かぶ。
「ふふ、思い出させてあげるよ。私の『破壊の誓約』でね?」
そう言うと、アイラの文様が紫の光を放って宙に映し出され、それはザールの額へと張り付いた。
「うっ! うがあぁ~っ!」
ザールは、その文様から流れ込んでくる激しい感情とパワーに、身体中が引き裂かれるような痛みを覚えて絶叫する。
「さあ、早く思い出しておくれよ。私たちがまだ一つだった時のことを……」
「ぐあああ~っ!」
半狂乱になって暴れるザールの身体を押さえつけるようにして、アイラは耳元でからかうようにささやき続けた。
――いかん、あのままではザール様は『破壊の誓約』に蝕まれて、ホルン姫や私のことも忘れてしまう。そうなっては……この世の終わり……じゃが……私ももう……力が残っておらん……。
ロザリアは霞んだ目でノイエスバハムートがシュラハトバハムートに押さえつけられ、今にも喉元を食い破られそうになる光景を見つめながらそう思ったが、彼女もまた深い傷のせいでがくりと首を垂れ、そのまま動かなくなった。
「……だれか……ザール様を……」
ロザリアの呟きが、喉を食い破られるノイエスバハムートの叫びの中でこだまして消えて行った。
(43 竜都の陥落 完)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
バビロンは無血で制圧できましたが、まだ王国には打つ手はいくつもあります。
今後のザッハークの足掻きに注目ですね。
次回はいよいよザールとアイラの戦いがクライマックス。
『44 存在の決着』は来週日曜日9時〜10時投稿予定です。
お楽しみに。




