表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
43/70

42 英傑の盟約

『怒りのアイラ』に苦戦するザール。しかし、彼にはジュチとリディアとの盟約があった。仲間たちの呼び掛けの中、ザールの盟約の徴が覚醒する。

【主な登場人物】


 ♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘で王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。26歳。


 ♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。15歳程度。


 ♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。23歳。


 ♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。21歳。


 ♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で『この世で最も高貴な一族』であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けるがチャラい。金髪碧眼の美青年。23歳。


 ♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。21歳。


 ♧ガイ・フォルクス…26年前にスケルトン軍団から国を滅ぼされたアクアロイドの王族。頭脳明晰で冷酷非情だが仇討に協力したホルンに恩義を感じている。29歳。


★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


「ふふ、君があんまりじらすから、私はもう我慢できなくなっちゃったよ。ザール、『止翼の白竜』としての力で、君を私のものにして見せるね? 覚悟しておきなさい」


 その言葉とともに、アイラの額に紫色の文様が浮かんだ。


「君も知っているはずだよ? この『破壊の誓約(デストルクティオ)』のことは……」


 そう言うと、アイラを包んでいた『魔力の揺らぎ』がいきなり爆裂した。


「うっ⁉」


 ザールはその超高温の爆風に吹き飛ばされながら、アイラの言葉に何か懐かしい思いを感じていた。


――デストルクティオ……何だろう、何かが心に引っ掛かっている……。


 ザールは痺れるような心の痛みを感じながらも、アイラが放った魔弾を『糸杉の剣』で弾き飛ばした。


「……僕は、守るためにここにいるんだ」


 ザールは心を縛られるような思いを振り切るように、そうつぶやいた。


「さあ、ザール、二人の決着をつけようじゃないか」

「くっそ!」

 ガイン!


 アイラのスピードはさらに一段と速くなっていた。ザールは危うく『バルムンク』を首筋に食らいそうになり、やっとのことで『糸杉の剣』で弾き返す。


「ははははは、ザール、君の能力ちからはそれくらいじゃないだろう? 私の能力に匹敵する速さと強さを持っているはずだけれどねぇ」


 ガイン、ガイン、ガキン、ガン……

「くっ、はっ、むっ、はっ……」


 次々と繰り出されるアイラの斬撃を、ザールはそのたびに跳ね飛ばす。けれど、明らかにアイラの『魔力の揺らぎ』はザールのそれを上回り、ザールは防戦一方になっていた。


「まだ翼を広げないのかい? まったく君はどこまで優しいんだい。『万華鏡の揺らめき(カレイドゴースト)』!」


 アイラは笑いながらザールの周りに分身を広げる。ザールは肩で息をしながら、自分を取り囲んでいるアイラを鋭い目で見まわした。

 そんなザールに、アイラたちは『バルムンク』を肩に担いだ姿勢で訊いた。


「……ザール、君は『ジェダイの()()』についてどのくらい知っている?」


 ザールはいぶかしげに言う。


「……世の人々が伝えている程度にしか知らぬ。その()()についても『嘆きのグリーフ』から聞かされたものだ。それがどうかしたか?」


 アイラはそれを聞くと笑って、


「では、私たちがこうやって戦う運命であることは知らないというんだね?」


 そう言うと、笑いを収めて、


「それじゃ、教えてあげるよ。君と私がなぜ争わねばならないかを……そしたら君も少しは真面目に戦ってくれるだろうからね」


 そう言うと、まるで歌でも歌うように、澄んだ声で朗々と()()詩を語り始めた。


「いいかい? ジェダイは『神聖生誕教団』の法王からも認められた()()()だ。彼の()()詩の一つにはこうある……『蒼き水竜、時を止めるとき名を露さん。古き都の側で/赤き土竜、大地を焼くとき名を露さん。白き砂漠の中で/止翼の竜は四翼の竜と相打たん。正しき炎の中で/四翼の白竜、事成り片翼の黒竜のもとを去らん。紫紺の瞳と共に』……ってね?」


 そして、緋色の瞳でザールを見つめて、


「この詩の第3節にあるだろう? 『止翼の竜は四翼の竜と相打たん。正しき炎の中で』ってね? この『止翼の白竜』は私のことで、『四翼の白竜』とは君のことだ。そして、私たちは『正しき炎の中で』、つまりお互いが正義と信じるもののもと、相打たねばならないんだ……」


 そう言って薄く笑った。そんな彼女の白い髪を風が揺らす。


「それに、『神聖生誕教団』に伝わる終末の()()『黙示編』にも、こんな物語が載っているんだ……聞かせてあげるよ」


 アイラはそう言うと胸を張り、さっきと同じように朗々と歌うように詩を語った。


「よくお聞きよ?

『見よ、白竜は六翼である。

 武威の止翼と福音の四翼を持つ白竜は、二つの魂に引き裂かれる。一つは始原竜バハムートを、一つは終末竜アンティマトルへと向かうもの。

 見よ、白竜は互いに相手を自分のものにしようとするだろう。』

 ……そう書いてあるんだ」


 そして付け加えるように言う。


「いいかい? 『神聖生誕教団』は女神ホルンを信じる教団で、その経典は女神ホルンの言葉を記録したものと言われている。つまりは女神アルベド様が『悪』と前提したうえで語られているものだ。けれど、女神アルベド様も女神ホルンも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。その御心には『破壊と消滅』があってしかるべきだと思わないかい?」

「……それが、『破壊の誓約(デストルクティオ)』ということか?」


 ザールが訊くと、アイラはニコリと笑って答えた。


「君は呑み込みが早くて助かるよ。そのとおりさ、そして『破壊の誓約(デストルクティオ)』は私だけじゃなくて、君にも眠っているはずなんだ」

「僕にも?」


 ザールが不思議そうに言うと、アイラは笑って言った。


「はっはっはっ、何を不思議そうにしているんだい? ()()詩にあるだろう、『武威の止翼と福音の四翼を持つ白竜は、二つの魂に引き裂かれる。一つは始原竜バハムートを、一つは終末竜アンティマトルへと向かうもの』ってね?」


 ザールはそれを聞いて、混乱したように頭を振って言う。


「……それを聞いていると、僕とそなたは元は一人の存在だったように聞こえるが、そんなことがあるはずないだろう?」


 それを聞いて、アイラは憫笑しつつ答えた。


「おや、君は何も覚えていないのかい? では一つ教えてあげるよ。私の父の名はサーム・ジュエル、そして母の名はアンジェリカ・ドラゴニュートだよ。私はサマルカンドの王城ではなく、産屋として特別に改装された厩の中で生まれた。生まれた時は臍帯が首に巻き付いていて仮死状態だったが、サーム・ジュエルの剣によって助けられた……」


 ザールはそれを聞いて驚いた。自分の生まれた時の状況と同じだったからだ。特に仮死状態で生まれたことなど、市井の噂にもなっていない。それをなぜ、アイラが知っているのだ?

 ザールの驚きを見て、アイラはうなずくと、


「……もっと話してあげよう。私は3歳の時にエレメントが目覚めた。そのきっかけは虚空にプロトバハムートを見て驚き、川に落ちたからだ……」


 そう言うと、薄く笑って続ける。


「……その川は深かった。そのままだったら私の命はなかったことだろう。それを、私は女神に救われた。その女神は美しく、優しかった。私はその女神をアルベド様だと思っているが、君は女神ホルンと信じて過ごしてきただろう?」


 ザールは黙って聞いていた。ショックで身体が動かなかった。確かにアイラの言うとおりなのだ。僕は女神ホルン様から救われた……幼いころ強烈に心に焼き付いた思い出だった。しかし、そのことは誰にも話していないのだ。


「……そなたは、何者だ?」


 ザールが上ずった声で訊くと、アイラは哄笑した。


「あっはっはっ、今さら何を訊いているんだい? 私は七つの歳まで君だったんだよ。そして、その後は女神アルベド様の下で成長した。君が懐かしい両親やあのジュチやリディアと成長してきたようにね?」


 そして笑いを収めて、


「そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。記憶が同じなのは当り前さ……」


 そしてゆっくりと『バルムンク』を構えて言った。


「……だから、私は君の存在を飲み込まねばならない。心の整理のために1分あげるよ。その間に私と戦うか、私に飲み込まれるかを決めてくれ」


   ★ ★ ★ ★ ★


 ゾフィーは、ロザリアやジュチ、リディアそしてガイに、さまざまなことを語って聞かせた。それは今まで彼女が経験してきたこと、そして『神聖生誕教団』に伝わる神話や預言詩『黙示編』のこと、『ジェダイの終末()()』のことなどであり、さすが博識のジュチやロザリアでも初めて聞くことが多かった。


「……そなたたちがとりあえず知っておかねばならないことはざっと以上じゃ。それ以外のことは必要に応じて助言せねばならないかのう」


 ゾフィーは話し終えると、大きな荷物を下ろしたような顔をしてため息とともに言う。

 一方、ロザリアやジュチたちは、顔を固くしていた。特にロザリアとリディアは顔色が真っ青になっていた。よほどの秘密を打ち明けられたのだろう。


「し、師匠……」


 呻くようにロザリアが言うと、ゾフィーは優しい顔でうなずいて、


「ザール殿のことじゃな?」


 と訊く。ロザリアは頷いて、


「ザール様が『怒りのアイラ』と同一とはどういうことじゃ? それならどうやって『怒りのアイラ』を倒せばよいのじゃ?」


 そう、切羽詰まった表情で訊く。ゾフィーはロザリアの絡みついてくるような視線を外し、他のみんなを見回した。


「ふむ……リディア殿も腑に落ちていないようじゃのう……」


 ゾフィーが優しく言うと、リディアも顔を赤くして言った。


「そ、それはそうだよ。アタシは小さいころからずっとザールを見ていたんだもん。ザールがアイラだって言われても、納得なんてできないよ」


 ゾフィーがそれを聞いてため息をついた時、ジュチが静かにリディアに訊いた。


「リディア、もうずいぶんと昔の話だが、キミはドラゴニュートバードで女神様たちが争っていたのを覚えていないか? ボクの記憶が正しければ、女神様たちはザールの祝福のことで争っていたように思えるが……」


 それを聞いて、リディアは昔を思い出す目をして首を傾げる。ややあってリディアが言った。


「う~ん、よく覚えていないな。いつ頃の話?」


「ボクが7歳くらいの時だから、キミが5歳くらいじゃないか?」


 微笑んで言ったジュチの顔が、何かに思い当たったようにハッとした表情を浮かべた。


――7歳! そうか、あの時、姫様はボクたちのところに行って、ザールをアルベドから守ったのか。あれがなければザールは今生きていないか、アルベド側に付いていたのかもしれないな……。


 ジュチは、ザールにホルンの記憶を取り戻させるため、二人をドラゴニュートバードに送った時のことを思い出した。あの後、戻って来たホルンが言っていたではないか、『()()()()()()()()()()()()()()()()』と。


「うん、何となく覚えている。ザールが急に優しくなったんだよね?」


 リディアの言葉を聞いて、ジュチはうなずいた。


――あの時、ザールからアイラが分離したんだ。だからザールは優しくなり、『すべての種族がそれぞれを尊重する世の中を創りたい』と言うようになったんだ。


 ゾフィーは、納得顔をするジュチと、まだ腑に落ちない顔をしているリディアの額に、『信仰の契印(フィデス・スティグマ)』と『希望の刻印(スぺス・スティグマ)』が浮かんでいるのを見て、密かに微笑んだ。これでザールに『慈愛の聖印(カリタス・スティグマ)』が発動すれば、アイラに、いや、その後戦わねばならないであろう終末竜アンティマトルにも勝てるだろう。


――しかし、ザール殿に『慈愛の聖印(カリタス・スティグマ)』が発動するか、それとも『破壊の誓約(デストルクティオ)』が発現するか、それは今のところ分からぬ。最悪のことは考えておかねばならないのう。


 ゾフィーはそう心の中で思うと、明るい顔でロザリアたちに言った。


「ザール殿がザール殿であるためには、ご本人の心情の強さもさることながら、そのカギはジュチ殿とリディア殿が握っているようじゃのう」


 それを聞いて、リディアが目を輝かせて身を乗り出した。


「えっ⁉ アタシでできることなら、何だってやるよ?」


 そんなリディアに目を細めて、ゾフィーは言った。


「そなたたち二人はザール殿と誓約を結んでおるはず。そのことをザール殿に思い出させてやればよいのじゃ」

「へっ? でも、どうやって?」


 リディアが戸惑ったように訊くと、ゾフィーはいたずらっぽい目をして答えた。


「方法は私にも分からぬ。けれど、必要な時にはザール殿からの何らかの知らせがあるはずじゃ。心を落ち着けて、ザール殿のことを考えておくことじゃな」


 そしてゾフィーは、落ち込んでいるロザリアに顔を向けて言った。


「ザール殿の『止翼の白竜』を呼び出すことはジュチ殿とリディア殿しかできぬことじゃが、その後のアンティマトルの征伐にはロザリア、そなたの力が必要じゃ」


 するとロザリアはパッと顔を輝かせて、ゾフィーの顔をひたと見据えた。ゾフィーはロザリアの紫紺の瞳を見つめてうなずくと、優しい声でこの愛弟子に告げた。


「そなたの瞳、漆黒から紫紺に変わったの? 他人を思う気持ちがこれほどそなたを成長させるとは、私は本当にうれしいのう。そなたはもう、私から学ぶものは何もない。私もよい弟子を持ったものじゃ」

「師匠……」


 ロザリアはその言葉を聞いて泣きたい気持ちになった。これではまるで永遠の別れのようではないか。

 けれどゾフィーは、また明るい表情に戻って、四人に言った。


「……姫様は『嘆きのグリーフ』を倒された。おっつけここに見えられるじゃろうが、姫様が来られたらとりあえずロザリアとガイ殿とで姫様をお守りし、イスファハーンにいる部隊に戻らねばならぬ。アルベドとの決戦の前に、人々に目に見える形で新しい時代の幕開けを印象付けねばならないからじゃ」


 四人はうなずくと、再びゾフィーを中心に協議を始めた。


   ★ ★ ★ ★ ★


「さて、1分経ったよ……」


 ゆっくりとした声でアイラが告げた。ザールは右手に『糸杉の剣』を握ったまま、目を閉じて突っ立っている。


「……答えを聞かせてもらおうじゃないか、ザール?」


 アイラは『万華鏡の揺らめき(カレイドゴースト)』を発動したまま、ザールの周りを取り囲んでいる。


――アイラは僕自身……だからこんなに『魔力の揺らぎ』が似ていたんだ。そして()()だと? 僕たちが戦わざるを得ないのは運命だと? そんなはずはない、もともとの存在が同じならば、きっと力を合わせて戦う方法はあるはずだ。


「……どうするんだい? 私に飲み込まれることにしてくれたのかい?」


 相変わらずゆっくりとした声でアイラが訊いてくる。

 ザールはアイラの話を聞いて、戦う気持ちがさらに削がれていた。何とかアイラと力を合わせる方法はないか……そればかりを考えていたのだ。

 しかし、そんなザールの脳裏に、ジュチの秀麗な顔が浮かんだ。


『ザール、キミこそ奴らと戦う時には優しさは捨てるんだ。でないときっと奴らに乗ぜられる。これは忠告しておくよ』


 ザールはその言葉にハッとした。そして続いてアイラの言葉を思い出す。


『私が勝ったら、ザール、()()()()()()()()()()()()()()。もしも君が勝ったら……そうだね、私がどうなるかは想像つかないけれどね』


 そしてザールは理解した。アイラがザールを飲み込んだら、自分は『破壊の誓約(デストルクティオ)』のもと、終末竜アンティマトルの力をもって女神アルベドとこの世界を消滅させるために動くのだろうと。


「……答えがないようだね。私に飲み込まれるってことでいいのかい?」


 アイラの声が少し焦れて来た。ザールはゆっくりと目を開けると言った。


「この世には摂理がある。生まれ来るものはいつか死に、形あるものはいつか滅びる。それは、生物であろうと物であろうと、そして国であろうと変わらない……」


 それを聞いてアイラは頷く。


「そうだね、生々流転はこの世の定め。崩れ行くのが運命ならば、いつかは滅ぶ摂理に従って、女神アルベド様の御心を叶えたがいい……ザール、君も同じ考えだと理解していいのかい?」


 けれどザールは、ゆっくりと首を振って答えた。


「勘違いするな。生々流転の中で、決して全知ではない我々が、未来をより良いものにしようと努力し、その心を次代へとつないでいく……そなたは、その営みこそが尊いとは思わないか? アイラ、そなたは言ったな、そなたが勝ったら僕は永遠の命を得ると。僕も同じさ、僕が勝ったらそなたは僕の中で永遠の命を得ることになるだろう。()()()()()()()()()()()()()


 ザールはそう言うと、目に力を込めて『糸杉の剣』を構えて言った。


「『怒りのアイラ』……今ならそなたがなぜそう名乗ったのかが解る。そなたの怒りが秋の実りを踏みにじり、冬の寒さを呼ぶのであれば、僕はそなたの怒りを受け止めて、また来る春の日への希望としよう……掛かって来い、アイラ!」


 ザールの周りで真っ白な『魔力の揺らぎ』がゆらりと燃え立った。アイラはザールの言葉を目を細めて聞いていたが、ザールの『魔力の揺らぎ』を見て、吹っ切れたようにニヤリとすると言った。


「よく分かった。君には手加減しなくてもいいってことだね? まったく最初からそうしてくれれば、今までのような茶番をしないでも済んだんだ」


 そしてアイラはどす黒い『魔力の揺らぎ』を噴き出しながら、怒号と共に言った。


「ザール、私の怒りをそんなに軽く見るなっ!」


 そしてアイラはザールの周囲から『バルムンク』を振り上げて突撃してきた。

 ザールは緋色の瞳を輝かせて言った。


「怒りからは何も生まれないが、怒りの気持ちは受け止めよう。『魔竜の嚇怒(フローレムバースト)』!」


 すると、ザールの身体を包んでいた『魔力の揺らぎ』が灼熱の光を放ちながら急速に膨張し、寄せ来るアイラの幻影を一人残らず消し飛ばした。


「ぐっ!」


 アイラの本体も、ザールの『魔力の揺らぎ』に半マイル(この世界で約930メートル)ほど弾き飛ばされた。アイラはとっさに自分の翼で身体を守っていたため、灼熱の『魔力の揺らぎ』に焼かれることはなかったが、それでもザールに跳ね飛ばされたことがよっぽど悔しかったのか、歯噛みして言った。


「許さん! 私の怒りをよくも軽く見てくれたな」


 そして、『糸杉の剣』を構えて突っ込んでくるザールを見ると、大きく翼を広げて叫んだ。


「私の怒りは女神アルベド様の無念、食らえっ!『憤怒の業火(イーラヴァルカン)』」


 ズドドーン!


 アイラの周りを揺蕩っていた、禍々しいほどの『魔力の揺らぎ』が一斉に爆裂する。これは以前、ローマニア王国軍を島ごと吹き飛ばした技であった。


「くっ!」


 ザールはその物凄い風圧と高温をまともに受けて、1マイルほど吹き飛ばされたが、その暴風に乗って斬りかかって来たアイラの『バルムンク』を『糸杉の剣』でしっかりと受け止めた。


「私の怒りは女神の怒号……消え去れザールっ! 『憤怒の蒸発(イーラエクスハティオ)』っ!」


 アイラは左手に溜めた『魔力の揺らぎ』を、ザールに向けて開放する。ザールは『魔力の揺らぎ』がアイラの手から離れる前に、アイラを右足で蹴り飛ばした。


「ぐっ!」


 アイラの魔法は明後日の方向に飛び去り、そこにあった山の頂上で炸裂した。驚いたことに、山の頂上はまるで熱したナイフで切り取られたバターのように消えてしまった。技の名前のとおり、蒸発してしまったのだ。


「そなたこそ、無用な怒りを鎮めろっ! 『魔竜の業火(フローレムヴィンド)』!」


 ザールの左腕から青白い業火が噴き出る。それは狙い違わずアイラを捉えた。


「ぐああっ!」


 アイラは悲鳴を上げたが、すぐに自らの『魔力の揺らぎ』を爆発させることで炎を振り払った。


「……やるじゃないかザール。そうでないと面白くないよ」


 身体中をくすぶらせながら、アイラは肩で息をして言う。ザールはそんなアイラを油断なく見守っていた。


「見てごらんよ、ザール。私の身体に『破壊の誓約(デストルクティオ)』が見えるだろう? これは君の中にも眠っているんだよ」


 アイラは身体中にどす黒い文様を浮かべて言う。その文様はアイラの身体のあちこちに浮かんでは消え、消えては浮かんでいたが、時間が経つにつれてその数は増し、濃くなっていく。

 そして、額には紫色の『破壊の誓約(デストルクティオ)』が浮かんでいた。アイラは『バルムンク』を背中の鞘に戻し、ザールを睨みつけると言った。


「君の中に眠る終末竜の血を、私の魔力で目覚めさせてあげよう」


 その言葉とともに、アイラの姿が消えた。


「くっ!」


 ザールは、すぐ近くに物凄い『魔力の揺らぎ』を感じて、その方向へと『糸杉の剣』を斬り付ける。しかし、


 グジャッ!

「ぐふっ⁉」


 ザールは、左の脾腹に激痛を感じて呻く。さっと左を見ると、そこにはアイラがいて竜の腕を深く差し込んでいた。


「ぐっ! あの『魔力の揺らぎ』は?」


 ザールが口から血を噴きながら言うと、アイラはその可愛らしい顔に皮肉なしわを浮かべて言う。


「君だって『魔力の揺らぎ』をデコイに使ったりするだろう?」


 そしてアイラは笑って


「さっきのお返しだよ。受け取ってくれるよねっ!」


 そう言いながら、ザールを思い切り蹴飛ばした。


「ぐあああっ!」


 ザールは、叫びと共に吹き飛ばされる。


「ぐっ、むっ?」


 ザールは、そう呻いて傷口を見る。脾腹の傷口が鈍い痛みと共に引きつり、そしてズルズルと何かが出ている感じがしたのだ。見ると内臓がはみ出ている。アイラの竜の腕はザールの内臓をしっかりつかんでいるのだろう。


「くっ!」


 ザールも傷口からはみ出ようとする内臓を竜の腕で抑え込んだが、ブツブツと嫌な音を立てて内臓がちぎれた。


「ぐはっ!」


 ザールは傷口を押さえたまま、地面へと叩きつけられる。


「く、くそっ……」


 ザールは左手で傷口を押さえつつ、右手に持った『糸杉の剣』を支えにして立ち上がったが、


 ズシャッ!

「ぐあっ!」


 肉を断つ鈍い音とともに、またもやザールの叫び声が響いた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 ゾフィーたちが話し合っているところに、ブリュンヒルデに乗ってホルンが現れた。


「ほれ、姫様の到着じゃ」


 皆がゾフィーの指さす方向を見ると、ちょうどブリュンヒルデが翼を広げて着陸するところだった。


「姫様、ご無事で何よりです」


 ジュチが言うと、ホルンはみんなをぐるりと見回して、一つうなずくと訊いた。


「ザールは? まだ戦っているの?」


 その言葉に、ゾフィーを除く四人は苦笑する。代表してジュチが答えた。


「そのようです」


 ホルンはそれを聞いて少し心配そうな顔をしたが、すぐに笑顔を作って言う。


「とにかく、みんなよくやってくれたわ。『傲慢のスーペヴィア』『強欲のアヴァリティア』『嫉妬のインヴィディア』『貪食のグーラ』……それぞれ一騎当千の戦士たちを討ち取り、今後の作戦がやりやすくなったわ」

「姫様が『嘆きのグリーフ』を倒されたので、『七つの枝の聖騎士団』はほぼ全滅です。あとはザールの勝利を信じましょう。それより、今後のことですぐにでもやらねばならないことがございます」


 ジュチが言うと、ホルンは大きくうなずいて言った。


「この国のみんなを安心させないといけないわね。ゾフィー殿までここにいらっしゃるということは、みんなでそのことについて話をしていてくれたんでしょう?」


 その時、イスファハーンの方角でズズン! という大きな空震が響いた。全員がハッとしてその方向を見る。

 ジュチは、ホルンの顔色がサッと白くなり、『死の槍』を掴む右手に力が入ったのを見て、静かに言った。


「ザールのことは、ボクやリディアに任せてもらえませんか? 姫様はゾフィー殿やロザリア、ガイ殿と共に一足先にイスファハーンに入り、この戦いの仕上げの段階について手を打っていただければ、と思います」


 ホルンはしばらくの間、空震がした空を見つめていたが、やがて一つため息をついて、


「その方が良さそうですね。では、ゾフィー殿、ロザリア、ガイ、行きましょう」


 そう言うとジュチとリディアを見つめて、


「ザールをお願いします」


 そう一言言い、ゾフィーたちと共にブリュンヒルデに乗ってイスファハーンへと飛んで行った。



 ブリュンヒルデが小さくなったころ、リディアがこわばった顔でジュチに言う。


「ジュチ、さっきの空震は何だと思う?」


 ジュチは形のいい指で細い顎をつまんでいたが、やがて碧眼の流し目でリディアを見て、まんざら冗談でもなさそうな声で言った。


「ザールが苦戦しているのかもしれないね。ゾフィー殿の話によると、アイラは自分の運命を知っているが、ザールは知らないらしいからね」

「じゃ、すぐにでも助けに行かないと!」


 リディアが『レーエン』を虚空から呼び出し、肩に担ぎながら言う。けれどジュチは億劫そうに首を振って言った。


「その時が来ないと、ボクやキミが参戦してもザールの邪魔になるだけだ。下手をすると三人ともやられてしまうかもしれない。それよりも、ザールがボクたちを呼び出してくるまで待とう」

「その時って、どうやってそれを知ればいいのさ?」


 リディアがジリジリしながら言うが、ジュチは鷹揚に腕を組み、虚空を睨みつけながら答えた。


「忘れたかい? この国きっての魔導士様であるゾフィー殿が言っていたじゃないか。『必要な時にはザールからの何らかの知らせがあるはず。心を落ち着けて、ザールのことを考えておけ』ってね?」



「ところでロザリア」


 ホルンが自分の右隣に座っているロザリアに呼び掛ける。


「なんじゃ、姫様。ザール様のことなら何も心配要らぬ。ジュチとリディアに任せておけば大丈夫じゃと師匠も言うておられたからのう」


 ロザリアは優しい顔で言うが、ホルンが首を振って、


「違うの、ザールのことじゃないの。あなたは随分と雰囲気が変わったなって思って」


 そう言うと、ロザリアはニコリとして答えた。


「ふふ、そのことか。このような出来事の渦中におるのじゃぞ? 少しは成長せんとな。私のことはともかく、姫様もかなり雰囲気が変わられたと思うぞ?」


 ホルンは、風に長い白髪をなびかせ、紫紺の瞳を持つ切れ長の目を細めて言うロザリアに、少し不安なものを感じていた。それは、ロザリアが敵に回るとか、ロザリアがいなくなるとかというような心配ではなく、予言の一節を思い出したからだ。


――予言では確か、『四翼の白竜、事成り片翼の黒竜のもとを去らん。紫紺の瞳と共に』とあったけれど、『紫紺の瞳』とはロザリアのことかしら?


 ホルンはそう考えて、すぐさまふるふると首を振った。『紫紺の瞳』がロザリアであろうとなかろうと、今はザールと私の夢を実現し、そしてみんなの期待に応えられるようにすることが先……そう思ったからだった。


「……そうね、成長しないとね」


 ホルンはつぶやくように言うと、近づいてくるイスファハーンの街並みを食い入るように見つめた。



 ホルンは、イスファハーンに着くとすぐにティムールの主力軍本陣を訪ねた。ティムールはまさかホルンが直々に、しかもこのタイミングで帰陣すると思っていなかったため、陣門まで走り出てホルンを迎えた。


「ティムール将軍、ここまで見事な采配でした。お礼申し上げますよ?」


 ホルンが言うと、ティムールは老いた顔をほころばせて答える。


「痛み入ります王女様。それよりも事後承諾になりますが、主力軍がイスファハーンを手に入れた後、王女様が女王陛下として即位されたこと、ここを王都とすること、王国の東方の太守たちにはとりあえずサーム様の指揮下に入ることを独断で布告しています」


 それを聞いて、ホルンはゾフィーをチラリと振り返り、笑って言った。


「そのことはゾフィー殿から聞き及んでいます。王国の民を安心させるための策とのことですし、実際にその布告で混乱が収まっているそうですので、その件に関しては追認いたします。よくやってくれました」

「はっ、ありがとうございます、陛下」


 ティムールが大仰に言うと、ホルンはくすぐったそうな顔をして笑って言う。


「ふふ、なんだか恥ずかしいわ。けれどもまだ道は半ばよ。今後は軍事的視点だけではなく、政治的な視点も必要になってくるわね。ティムール将軍、誰かいい人物はいないかしら?」


 ホルンが言うと、ティムールは笑って答えた。


「サーム殿がこちらに向かっていらっしゃるそうです。布告の中でサーム殿は陛下の代理としておりますので、今後の国の組織についてはサーム殿に相談されるのが一番かと思います」


 ホルンは深く頷いて訊く。


「ところで、イスファハーンの民に対して、何か特別な措置をしていますか?」


 ティムールは首を横に振った。


「いえ、まだ前線は近くにありますので、特別な措置は取っていません」


 するとホルンは再びゾフィーを振り返る。ゾフィーはホルンの目を見てうなずいた。


「では、イスファハーンの民に、安心して町に戻るように布告してください。そして、ファールス王国の民は向こう1年間は租税免除としましょう。免除される租税の種類は追って知らせることにして、まずは人々の暮らしが立つように考えましょう」


 ホルンが言うと、ティムールは優しい顔をして敬礼した。


   ★ ★ ★ ★ ★


「ぐあっ!」


 ザールの叫び声は、ただ彼らのいる空間に響いたのではなかった。


「ジュチ、聞いたよね? あれはザールだ、ザールがやられちゃうよ!」


 ザールたちが戦っている空間に最も近い位置にいたのがリディアとジュチだった。リディアははっきりとザールの苦しげな叫びを聞き、その痛みすら伝わって来た。


「まずいな、ザールにしては苦戦しているみたいだ」


 ジュチもその秀麗な顔に翳を落として言う。


「苦戦しているみたいだ、なんて悠長なこと言っている場合じゃないよ! ジュチの能力で何とかならないの? ザールのいる空間に転移するとか」


 リディアは血相を変えてパニクっている。しかし、ジュチにしてもリディアの言うとおりできることなら加勢したいと思っていたのだ。


「……分かった、ザールのところに行く空間の結節を探してみよう……ぐっ!」


 突然、ジュチは胸を押さえて崩れ落ちる。それを見たリディアは仰天してジュチに駆け寄った。


「どうしたのさジュチ? ジュチ? ぐあっ!」


 青い顔でジュチの身体を揺すぶっていたリディアも、突然の胸の痛みに気が遠くなっていった。



 リディアは、ふわふわとした感覚の中にいた。周りはすべて霧がかかったようで、ただ視界の中央だけがはっきりと見えた。


 あれは、ザールだね?


 ふわふわとした感覚の中、リディアはザールを見つけてつぶやく。隣ではジュチがうなずいている気配がする。


 ザール、随分とやられているじゃないか。


 ジュチも浮揚する感覚の中で、血まみれのザールを見て眉をひそめた。彼はこの程度で参るはずはない、そう信じてはいるが、


 相手がアイラなら、ザールの苦戦も仕方ないのかもな。


 そう思ったジュチは、隣にいるはずのリディアに言った。


 ザールがボクたちの力を必要としているようだ。ローエン様から発現させてもらった『刻印』の出番だよ。

 分かったよ、ジュチも早く発動させなよ?


 リディアとジュチは、それぞれの額に『希望の刻印(スぺス・スティグマ)』と『信仰の契印(フィデス・スティグマ)』を輝かせ、紅蓮と翡翠の『魔力の揺らぎ』をまとってザールに近づいて行った。


『ザール……』


 リディアとジュチは、ザールにそれぞれの『魔力の揺らぎ』を注ぎ込んだ。



「いかん、このままではザール様が!」


 ロザリアも突然叫んで立ち上がる。その白く長い髪は風を呼んでふわりと広がっている。そして、左目は竜眼となって虚空を見据えていた。

 ゾフィーは、ロザリアの『魔力の揺らぎ』が段違いにふくれあがり、灼熱した鉄の側にいるような空間の煮えたぎりを感じると、優しい声でロザリアに言った。


「ロザリア、ザール殿にそなたの力が必要な時が来たようじゃ。こちらのことは心配するな、行ってくるがよい」


 ゾフィーの言葉を聞いたロザリアは、ニコリと笑うと


「ありがとうございます。姫様をお願いいたします」


 そう言って、空震を起こしている時空の歪みへと飛び込んでいった。


「……では、私は姫様とオリザ殿の状態を見て来ようかの」


 ゾフィーはそうつぶやくと、消えるようにその場からいなくなった。



 そして、ホルンとオリザには、それが同時に現れた。


「ザール!」

「お兄さまッ!」


 ホルンは、長らく自分の影武者として息の詰まるような日常を送っていたシャロンをねぎらいに、彼女の部隊を訪ねていた。そこには参謀としてこの戦いに参加していたザールの異母妹オリザもいた。

 オリザは、ホルンが帰陣したことを知ると、真っ先にザールのことを尋ねて来た。けれど、


「ごめんなさい。ザールはまだ『怒りのアイラ』と戦っている最中なの」


 そうホルンから聞き、心配がまだなくならなかったのだ。

 その時も、シャロンやジョゼフィーヌ、フランソワーズたちと今後のことを話していたのだが、突然、オリザの顔色が蒼くなった。


「どうされました姫様?」


 いつもオリザの側にいて警護を担当しているジャンヌが、心配そうに声をかけるが、オリザは下を向いて何かブツブツとつぶやき始めた。


「……ない」

「え? どうされたんですか姫様⁉」


 いつもとあまりに違うオリザの雰囲気に、シャロンがオリザの肩を掴んで言う。


「あぶない……このままじゃ……」


 ぼっとした顔でそう言ったオリザは、次の瞬間、ばっと立ち上がって叫んだ。


「このままじゃ、お兄さまが危ない!」


 それを聞いたホルンは、『アルベドの剣』に手を当てていたが、彼女も何かが見えたかのように血相を変えて立ち上がった。


「いけない、ザールが!」


 そしてホルンはすぐにシャロンたちを見て命令する。


「ザール将軍が危機に落ちています。それを助けるため、シャロンたちはこの部屋に誰一人入らないように周囲を封鎖してください」


 そして、目に涙を浮かべているオリザに、優しい微笑を向けて言った。


「オリザ、あなたの出番よ。あの様子ではあなたの『オール・ヒール』以外にザールを救う手はないわ」

「で、でも……どうやって?」


 ホルンの言葉を聞いたオリザは、少し落ち着いたが、そう疑問を口にする。ザールがどこで戦っているのかも分からない、そしてそこに行けたとしてもアイラの相手をしながらのヒーリングはかなり難易度が高いだろう。

 けれど、ホルンはさらりと言ってのけた。


「この空間をザールの周囲の空間につなぎます。そこであなたの『オール・ヒール』を発動してもらえれば、ザールは助かります」


 そして一つ笑って付け加えた。


「私たちだけじゃないようだわ。ザールを助けようとしているのは」


 オリザは涙を拭いて、目をつぶって精神を集中し始めた。


   ★ ★ ★ ★ ★


「ぐあっ!」


 ザールの叫び声が響いた。ザールは自分の胸から飛び出している剣先を見つめて、ゆっくりと首を回す。目の端に、ニコニコしながら背中に『バルムンク』を突き立てているアイラの姿が見えた。


「いい眺めだね、ザール。竜殺しの剣『バルムンク』の味はどうだい?」


 アイラが言うと、ザールは口から血を噴きながら、左手で『バルムンク』の切っ先を掴んだが、途端に左手から火花と共に真っ黒い煙が上がる。


「ぐっ……」

「知っているだろうが、この『バルムンク』は破壊竜から造られた竜殺しの剣。ドラゴンの身体や精神を蝕んでいくのさ。だからこの剣で負った傷は再生しないよ。切れ味も抜群だしね」


 そう言うと、少し剣を斬り下げるように動かした。


「ぐあっ!」


 肉を抉る音とともに、血が噴出し、ザールの胸から下は真っ赤に染まる。それと相反するように、その顔からは血の気が引いていった。

 ザールの身体の周囲に広がる『魔力の揺らぎ』が薄くなっていることに気が付いたアイラは、笑ってザールの耳元でささやいた。


「ふふ、ザール。この程度で君を殺してしまっても面白くない。チャンスをあげるからもっと力を開放して私に向かっておいで」


 そしてアイラは、『バルムンク』を引き抜くとザールを後ろから蹴飛ばす。


「がはっ!」


 『バルムンク』が引き抜かれると、そこからまた血が噴出する。ザールは赤い線を引きながら吹っ飛ばされ、地面に再び叩きつけられる。それでも『糸杉の剣』を放していないのはさすがと言うべきであろう。


「ぐ……」


 ザールは口から血を垂らしながら、ぼんやりと焦点が合わない目でアイラを探した。すでに立ち上がる力もないのか、ぐったりしている身体の周囲に血だまりが広がっていく。


――くそっ、これくらいで参ってたまるか。僕は約束したんだ。


 急速に薄れていく意識の中で、ザールは懐かしい声を聞いた。


『ザール、私はあなたにずっと助けられてきたけれど、これからもずっと私のことを支えてくれる?』


 その声に、ザールはハッとして目を開ける。そして、低くつぶやいた。


「……もちろん、そのつもりです……この国のために、そして……あなたのために」


 ザールには、あの時の頬を緩めたホルンの顔が見える気がした。


――僕は、負けられない……。


 遠ざかる意識の中で、ザールは再び懐かしい声を聞く。


『大丈夫だよ、ザールならきっとこの国を立て直せる。アタシは信じているから、いつもどおりザールは命令してくれればいいんだ。アタシはザールが死ねって言えば死ぬよ?』


 茶褐色の髪を風になぶらせてリディアが笑う。リディアはいつも僕のことを信じていてくれた。それを裏切りたくはない。


『ザール様のご依頼は、このロザリアにとって命令と同義。いかなる命令でも従うわ』


 ロザリアが漆黒の目で自分をひたと見つめて、頬を染めて言う。


『ザール様の力を必要としているのは、ひとり姫様だけではないぞ? 国のすべての人々が、あなたの力を必要としているのじゃ!』


 そして、ロザリアはザールの唇に自分の唇を押し当てて言う。


『忘れたら、思い出させてやるわ。こうやって何度でもね?』


――僕には、仲間たちがいる。


『ふふ、人間風情が……って思っていたが、今までのキミのあり様を思い返してみたら、あながち夢物語では終わらないように思えてきたよ。この世で最も気高く、有能なハイエルフであるボクにそう思わせるなんて、すごいヤツだな、キミってやつは』


 ジュチがその金髪を形のいい指でいじりながら、流し目で見て言う。


『キミの夢は、追いかける価値がある。ボクもキミの夢に乗ったよ。この世で最も高貴な一族・ハイエルフの誇りにかけて誓おう』


――僕は、負けない。負けられない。仲間たちのために、そして、自分の夢のために!


 ザールがそう思った瞬間、『糸杉の剣』が反応した。『糸杉の剣』は白く優しい光を放ち、ザールを包んでいく。その光はとても心地よかった。そして、光の中でザールはもう一人の声を聞いた。


『お兄さま、お兄さまの夢のためなら、ワタシはこの命すら捧げます。だから、負けないでください』


 ぼんやりと浮かぶ顔は、癖のある金髪にペールブルーの瞳をした少女だった。


「オリザ……」


 ザールがつぶやくと、光の中の顔はゆっくりとゾフィーの顔になり、そしてホルンの顔になった。


『思い出しなさい、ザール。あなたには私の祝福があります。そして、私の目覚めももうすぐです……』

「女神ホルン様……」


 ザールがつぶやくと、女神はクスリと笑い、困った子を見るような目をして言った。


『……その時あなたがいないと、私はどうしたらいいか分からないわ……』


 その顔はホルンだった。ザールは光の中でゆっくりと目を開ける。先ほどまでの苦しさや身体の痛みはすっかり消え去っていた。


「これは……『オール・ヒール』?」


 ザールはそうつぶやくと、しっかりと大地を踏みしめて立つ。もう身体のふらつきもなく、『糸杉の剣』を握る手にも力がこもっていた。


「アイラ、僕は負けてはいけないんだ!」


 ザールの『魔力の揺らぎ』が、優しい光が消えるとともに奔流となって迸った。



 一方、アイラは地面に倒れ込んだザールが立つこともできずに突っ伏しているのを見て、苦々しげにつぶやく。


「……どうしたんだザール。君はその程度の戦士ではないはず。早く私を楽しませてくれないと、そのまま私が飲み込んでしまうよ?」


 しかし、ザールの『魔力の揺らぎ』が急速に力を失っていくのを見て、アイラは舌打ちして、


「ちっ、これまでか……仕方ないが早いところザールの魔力をいただかないと、元も子もなくしてしまうからね。ザール、悪く思わないでくれよ?」


 と、動かなくなったザールの心臓目がけて『バルムンク』を構えて突っ込んで行った。


 しかし、


「おおっ!」

 ガキン!


 突然ザールを包み込んだ光に、『バルムンク』は阻まれた。アイラはすぐさまその光から距離を取り、様子を見守ることにする。


「……女神ホルンか? いや、女神アルベド様の話では女神ホルンはまだ覚醒していないはず……だとしたらこれは?」


 アイラは『バルムンク』を構えたまま、光の中で何が起こっているのかを知ろうと精神を集中する。ザールと自分の『魔力の揺らぎ』は、同じ波長だ。ならばザールの状況はある程度分かる。


――思ったとおり、これは女神ホルンだけの働きではない。何人かの魔力が集まっているんだ。ホルン・ファランドール、ジュチ・ボルジギン、リディア・カルディナーレ、ロザリア・ロンバルディア、そしてたしか魔族の女と……この小娘は誰だ?


 アイラは、ザールの想念の中に割り込んできた人物を、その魔力の波長から特定していく。しかし、一人だけ彼女が見たことがない人物がいた。オリザである。


――これは誰だ? ヒール系の『魔力の揺らぎ』をしているが波長が全く独特だし、その力もホルンをはじめとした奴らに匹敵する……こんな奴がザールの陣営にいるとは、下手をするとザールたちは不死身になるかもしれないぞ。


 アイラは一瞬でオリザの特長とその存在意義を理解した。この娘は生かしてはおけない……アイラは精神を集中して特定に力を注ぐ。

 そして、ザールのつぶやきが聞こえた時、アイラは莞爾として笑った。


「……ふふ、この小娘はオリザと言うんだね。このことは女神アルベド様に報告させてもらうよ?」


 アイラは独り言ちると、左手から『魔力の揺らぎ』を燃え立たせた。その炎はカラスの形になって、アイラの手のひらから飛び立つと、西の方角に飛び去って行った。

 アイラは伝書ガラスを見送ると、ザールを包んでいる光の方に向き直った。そして、


「……来るね……」


 そうつぶやき、『バルムンク』をゆっくりと構えた。



「アイラ! 僕は負けてはいけないんだ!」


 アイラが油断なく光を見守っていると、その光が弱まって行って、突如としてザールの声が響き、同時に物凄い『魔力の揺らぎ』の奔流がアイラを襲った。


「ふん、やはりまだくたばっていなかったようだね」


 アイラはニヤリと笑ってザールの『魔力の揺らぎ』を受け止めようとしたが、


「ぐっ⁉ 何だこの魔力の強さは?」


 アイラは魔力を受け止めることを諦め、ドラゴンの翼で自らの身体を覆って防御を固めた。この決断がアイラの命を救ったと言える。


 ガン!

「うわっ⁉」


 今までに感じたことがないような衝撃がアイラを襲い、思わずアイラはそう叫んでしまった。これは斬撃でも打撃でも、そして魔力の爆発でもない。

 現に、アイラには、ザールが50ヤード先に『糸杉の剣』を右手に提げて突っ立っているのが見えていた。ザールはまだアイラを攻撃してはいないのだ。


――とすれば……この衝撃は、『魔力の揺らぎ』による圧力? そんなはずはない。魔力の放出の圧力だけで、こんなに空間を振動させられるのか?


 アイラは信じがたい思いだったが、次の瞬間、その『信じられないこと』が正解なのを知った。ザールがこちらに突進を開始したからだ。


「ぐぐっ!」


 アイラは、ザールがこちらに動くだけで、その放出される魔力の圧力が強まるのを感じて呻いた。まるで次々と高波がぶつかってくるような、圧倒的な圧力だった。


「負けるものか! 『憤怒の蒸発(イーラエクスハティオ)』を食らえっ!」


 しかし、アイラが繰り出した魔法は、圧縮されたザールの魔力の中で行き場を失い、ザールに届かぬうちに小さな爆炎を上げて消滅した。


「アイラ、覚悟しろっ!」


 ザールが『糸杉の剣』に魔力を込めて振り下ろす。そのスピードは今までのザールをはるかに超えていた。


「ちっ!」


 アイラは素早く『バルムンク』で『糸杉の剣』を受けようとした。


 ガッ、キーン!

「なっ⁉」


 アイラは瞬間的に『バルムンク』を投げ捨て、左へと跳んだ。アイラの頭上わずか1フィートの所で、『バルムンク』は『糸杉の剣』に両断されたのだ。アイラの挙動が0・01秒遅れたら、アイラの命はそこで終わっていたかもしれない。


「ザール。『バルムンク』をへし折ったからと言って、私に勝ったとは思うなよ?」


 アイラはそう言うと、『魔力の揺らぎ』を両手に集めた。

 そして、アイラが大きな2枚の翼を広げると、その身体はあっという間に薄い赤色の鱗に覆われてしまう。その鱗は光を反射して白く輝き、金属の質感を持っている。


「やっ!」


 アイラは、ザールが叩きつけて来た『糸杉の剣』を、『魔力の揺らぎ』を集めた左手で受け止め、


「カウンターだよ、食らいな」


 『魔力の揺らぎ』を集めた右手の拳を、ザールに向けて突き出した。

 しかし、その瞬間、ザールも四枚の翼を広げ、その身体は薄い青に輝く鱗に覆われた。


 バチイッ! ドウンッ!

「うっ⁉」

「うわっ!」


 アイラの拳はザールに届かず、ザールの身体から噴き出す『魔力の揺らぎ』に阻まれて火花と爆風を生んだ。二人ともその爆風で吹き飛ばされ、間合いが開く。


「ふっふっ……」


 アイラはやっとのことで態勢を立て直すと、


「ふははははは!」


 そうひとしきり哄笑した後、『糸杉の剣』を構えて近づいてくるザールに目を向けて言った。


「さあ、ザール。ウォーミングアップは終わりだ。これからが本番だよ?」


 するとアイラの額にあのどす黒い文様が現れた。これまでのもので最も大きく、そして禍々しい『破壊の誓約(デストルクティオ)』だった。

 ザールも、アイラの『魔力の揺らぎ』が頭上200メートルの高さまで立ち上がっているのを見て、20ヤードまで近づくと足を止めた。


 そしてザールも『魔力の揺らぎ』を開放する。真っ白いザールの魔力は、こちらも頭上200メートル近くまで立ち上がっていた。


 アイラはザールを見つめて動かない。ザールもアイラを身じろぎもせずに見つめている。お互い、次の手には生涯最高の魔力を込めて放とうとしているのがひしひしと伝わっている。

 そして、アイラが叫んだ。


「食らえっ!『憤怒の業火(イーラヴァルカン)』!」


 同時に、ザールは『糸杉の剣』に『魔力の揺らぎ』を込めて


「行けっ! 『魔爪の剔抉(フローレムソード)』!」


 二人の周りで、まぶしすぎるほどの光が膨れ上がった。




 その瞬間は、音はしなかった。

 いや、時間すらゆっくりと流れていた。

 それほど、ザールもアイラも凝縮した時空間で戦っていたのだ。


 アイラの『憤怒の業火(イーラヴァルカン)』は、周辺の時空を超高温に変え、圧縮した魔力が音速の何倍もの速度で空間を叩きつけるように押し飛ばした。まさに、灼熱の暴風と呼ぶに相応しかった。


 しかし、ザールの放った『魔爪の剔抉(フローレムソード)』は、そんな密度の高い空間を真一文字に斬り裂き、アイラの『魔力の揺らぎ』の防御をも突き破った。


「うおっ!」


 ザールは『憤怒の業火』の圧力に弾き飛ばされたが、


「がっ!」


 アイラも『魔爪の剔抉』によって胸を深く切り裂かれ、その身体はよろめいた。

 凄まじい爆風と衝撃、そして閃光が過ぎると、二人は50ヤードの間合いでにらみ合っていた。

 アイラは斬り裂かれた胸から血が噴出していたが、


「……この程度で私の命には届かぬ」


 そうつぶやくと、傷はみるみるうちに塞がって行った。

 ザールの方も、爆風によって身体のあちこちにダメージを受けていたが、


「この剣ではアイラの命には届かない」


 そうつぶやくと、『糸杉の剣』を鞘に納めた。


「どうしたザール、戦いはこれからなのに『糸杉の剣』を鞘に納めるなんて。私に勝てないとあきらめたか?」


 皮肉たっぷりに訊くと、ザールの方も皮肉を込めて答えた。


「僕の剣ではそなたの命に届かぬ。そなたの『バルムンク』が僕の命に届かなかったようにな」


 そしてザールは『糸杉の剣』を鞘ごと外して左手に持つと、


「わが『糸杉の剣』よ、そなたの力が最も発揮できるものの下へ行け」


 そう言うと、『糸杉の剣』はザールの手から光に包まれて消えて行った。


「ふん、剣を手放してどうするつもりだ。私は『バルムンク』なしでもそなたを倒すすべを持っているが、そなたはどうなんだ?」


 嘲るように言うアイラに、ザールは至極簡単に答えた。


「そなたの命は、僕の中に取り込まれるだけさ」


 それを聞くと、アイラは眦を割いて怒った。


「ふふ、いよいよ本気で私を怒らせてくれたな。私の命、取り込めるものなら取り込んでみろ!」


 アイラはそう叫ぶと、『魔力の揺らぎ』を噴出させた。そして天に届くほどの魔力の噴出の中で、2枚の巨大な羽を持った、全長100メートルを超えるドラゴンにその姿を変えた。

 その身体はすべて淡い赤色をした鱗に覆われ、緋色の瞳でザールを睨みつけている。鱗は光を反射して白く輝き、首を動かすたびにキーンという鋭い金属音が響いた。


『ザールよ、私は言ったはずだ。必ずそなたを私の中に飲み込んで見せると。かかって来い、ノイエスバハムートよ。このシュラハトバハムートを倒せるものならな』


 するとザールの額に白い文様が浮かんだ。それは丸くなったドラゴンの文様で、リディアやジュチに浮かんだものと同じだった。その文様はぐるぐると回りながら、輝きと大きさを増していく。


『くっ……まさかそれは……』


 アイラが呻くように言う。ザールは緋色の瞳を輝かせると、


「ローエン様から覚醒させていただいた『慈愛の聖印(カリタス・スティグマ)』だ。シュラハトバハムートよ、神代の時代からの勝負をつけよう」


 そう言うと、ザールの周りにも真白く輝く『魔力の揺らぎ』が天に届くほどの柱を屹立させた。その柱の中で、ザールはノイエスバハムートへと姿を変える。

 光が収まった時、そこには全長100メートルを超える4枚の白い翼を持ったドラゴンが、緋色の瞳で相手を見据えていた。その鱗は薄い青色をしているが、光を反射して白く輝いている。


『……やっと本性を現してくれたね。この姿で君と戦うことをずっと夢見ていたんだ』


 アイラが言うと、ザールは四翼を広げて答えた。


『プロトバハムート様がおっしゃった、僕のすべきことなら……』


 ザールは広げた四翼を震わせて、自分たちを異次元の空間へと閉じ込めて続けた。


『この命を懸けて、そなたを虚空へ還してやる』


 長く激しい戦いの始まりであった。



「……ノイエスバハムートとシュラハトバハムート……女神ホルン様や師匠は、私にこの戦いで何をせよと?」


 2匹の巨竜がまさに戦いを始めようとしていた時、1マイル(この世界で約1・85キロ)離れた場所で白髪の美女(ロザリア)が『アルベドの剣』を握りしめてつぶやいていた。


(42 英傑の盟約 完)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ザールとアイラの関係は、この物語の根幹に関わる部分ですので、もう少し掘り下げて書いていきたいと思っています。

次回は来週日曜の9時〜10時に、『43竜都の陥落』をお送りします。

お楽しみに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ