40 破壊の誓約
ホルンとグリーフ、ザールとアイラは、互いの信念を賭けて凄まじい戦いを続けていた。そしてティムールは『肥沃な三角地帯』攻略に動き出す。
『七つの枝の聖騎士団』編、さらにヒートアップ!
【主な登場人物】
♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘で王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。26歳。
♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。15歳程度。
♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。23歳。
♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。21歳。
♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で『この世で最も高貴な一族』であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けるがチャラい。金髪碧眼の美青年。23歳。
♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。21歳。
♧ガイ・フォルクス…26年前にスケルトン軍団から国を滅ぼされたアクアロイドの王族。頭脳明晰で冷酷非情だが仇討に協力したホルンに恩義を感じている。29歳。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「止めて! コドラン、危ない!」
ホルンがそう叫んだ時、ブリュンヒルデの爪はグリーフの身体にめり込んだ。
ズドドン!
『ぐわっ!』
グリーフの身体は巨大な火の玉となって炸裂し、その爆風でブリュンヒルデは地上へと叩きつけられた。ブリュンヒルデは魔力を失ってコドランの姿に戻ってしまう。
「コドラン!」
ホルンが地上で目を回しているコドランを助けようとした時、背中に強烈な殺気を感じて振り向く。振り向きざま、襲ってきたグリーフの『アルベドの剣』を自らの『アルベドの剣』でがっしりと受け止めた。
「なぜあなたが『命を受けざる黒竜』で、私が『受命の黒竜』なのかを話してあげるわ」
剣で押し合いながら、向こう側からグリーフが言う。ホルンも負けじと押し返しながら言う。
「誰が『受命の黒竜』かなんてどうでもいいことよ」
キキン……
二人の『アルベドの剣』が軋む。ホルンは片翼を大きく広げて叫んだ。
「私は自分が選んだ運命を突き進むだけだから!」
ゴウッ!
「くっ!」
ホルンの叫びと共にその片翼は疾風を呼び、グリーフはその風を避けるために20ヤードほど距離を開けた。
「わが友たる『スナイドル』よ、我が意を汲んで敵を叩け!」
ホルンがそう言うと、
「おっと」
ビュンッ!
グリーフの後ろの地面に突き立っていた『死の槍』が、グリーフを目がけて飛び来る。それをすれすれでかわしてグリーフはつぶやく。
「ふん、『アルベドの剣』と『死の槍』……ドラゴンとしても女神としても半人前のくせに、いい武器を持っているわね」
『武器だけではないぞ、ホルン様が持っておられるのは』
グリーフはそんな声と共に襲ってきたファイアブレスを避けると、ホルンとブリュンヒルデに正対する。グリーフはニコリと笑うと、ブリュンヒルデの琥珀色の瞳を覗き込むようにして言う。
「シュバルツドラゴンちゃん、あなたはアクアロイドの予言者の話を知っているかしら?」
『そんなものは知らないし、知る必要もない。私はホルン王女様と共にするべきことをするだけだから』
ブリュンヒルデはそう言うと、グリーフに今度はファイアボールを放った。グリーフは微笑を浮かべながらそれを躱すと、
「やっ!」
「はっ!」
ガキン!
横から突きかかって来たホルンの『アルベドの剣』を受け止めて言う。
「シュバルツドラゴンちゃん、よくお聞き。あなたが力を貸しているホルン・ファランドールは、世の中に光をもたらす存在ではないのよ」
『寝言は寝て言え! 破壊神の使者め』
ブリュンヒルデは横合いから『死の槍』を操りながら言う。『死の槍』は30本ほどに分かれてグリーフに襲い掛かった。
「聞き分けのない子ねぇ」
グリーフは自らに向かってくる『死の槍』に左手を向けて、
「哀悼の散弾!」
そう、ショットガンのように魔力をばら撒き、『死の槍』の攻撃を一つ残らず弾いた。
「では、私が『受命の黒竜』である証拠を見せてあげるわ」
グリーフはそう言うと、薄黄色の『魔力の揺らぎ』を身体から放出し始める。その光に包まれながら、グリーフは言った。
「あなたたちは知らないかもしれないけれど、次のような予言があるの。『四翼の白竜、天下の同論を従えん。片翼の黒竜の召しの下/命受けざる黒竜と受命の黒竜、どちらも白竜を乞う。真なる竜の姿を知れ/受命の黒竜、真なる竜の姿に進む。その血の覚醒と共に/一つの光を失いて、片翼の黒竜は抱かれん。月の光の下で』ってね?」
「それで?」
『死の槍』を手元に呼び寄せたホルンが訊く。グリーフは光の中で笑いながら続けた。
「受命の黒竜は、真なる竜の姿に進むのよ。ホルン・ファランドール、あなたみたいな半人前のドラゴンではないということなの」
そう言いながら光り輝くグリーフの身体が、だんだんと片翼のドラゴンへと変化していく。そして光が収まった時、そこには体長50フィートほどもある片翼のドラゴンが、琥珀色の瞳でホルンを見つめていた。
「さあ、そこのチビドラゴンちゃん、どちらが女神様の召命を受けこの世を救う存在か理解したかしら?」
グリーフがブリュンヒルデに訊くと、ブリュンヒルデは一瞬気を飲まれていたがぶるぶると頭を振り、
『私にはローエン様やグリン様から仰せつかった言葉があります。それは王女様こそこの世界を創り直すために産まれて来られたということです……』
そう言うと、大きく翼を広げてグリーフを睨みつけ、
『だから私は、予言がどうこうではなくホルン王女様の味方です』
そう叫ぶと、グリーフにファイアブレスを放った。
「ふむ、チビにしては頭が固いわね」
グリーフはそう言うと、特大のファイアボールをブリュンヒルデに向けて放った。
ズドン!
空間を大きく震わせて、グリーフのファイアボールはブリュンヒルデのファイアブレスを弾き飛ばしながら突き進み、
『ぐわっ‼』
ブリュンヒルデは特大のファイアボールをまともに受けて、身体中から煙を吹きながら地上に落下した。
ズガガン!
「コドラン!」
ホルンは、地面に激突してくすぶっているブリュンヒルデに駆け寄ったが、
「熱っ! コドラン、大丈夫なの⁉」
あまりの熱さに側まで近寄ることができなかった。
『大丈夫……です。ホルン王女様……』
ブリュンヒルデはそうつぶやき、やっとのことで起き上がる。そしてなおもグリーフに挑もうとするブリュンヒルデを、ホルンが止めた。
「待って、コドラン。少し休んで魔力を回復させてて」
『しかし、それでは王女様が不利に……』
そう言いかけたブリュンヒルデは、ホルンの目に涙が光っているのを見て言葉を切る。ホルンは優しい目でブリュンヒルデを見つめて言った。
「大丈夫、私は運命を信じてる。今まで受け入れるばかりだったけれど、私には授けられた使命と仲間たちがいるって思ったら、運命に対する考え方が違ってきたわ……」
そして、コドランに戻ったブリュンヒルデに『死の槍』を預けながら、
「勝って、切り拓いて見せる。そして、ザールと共に新しい時代を呼び込んで見せる。だからコドラン、まずは魔力を戻すことに専念して?」
そう言うと、グリーフをキッと見据えて言った。
「何度も言うわ。半人前でも、私は負けない!」
そして、左手で『アルベドの剣』を引き抜くと、背中の片翼に風を呼んでグリーフへと突っかかって行った。
★ ★ ★ ★ ★
そこは、何もない空間だった。
空もなく、山もなく、風すら吹かず、ただ光が満ちている場所……。
その中に、二人の戦士が20ヤードほどの距離を置いて向かい合っていた。
二人とも白髪で、緋色の瞳をしている。
けれど、一人は180センチほどの身長で、全身を黒を基調にした服で固めていた。ザール・ジュエル、またの名を『白髪の英傑』と呼ばれた男である。その右手にはファールス王国に代々伝わる刃渡り90センチほどの『糸杉の剣』が握られていた。
もう一人は、150センチほどの身長で、灰色のシャツに黒い半ズボン、灰色のハイソックスに黒いエナメルのブーツを穿き、右手には彼女の身長をはるかに超える長大な剣を握っていた。『七つの枝の聖騎士団』団長、『怒りのアイラ』である。
二人は良く肖ていた。違うのは性別と身長、そして互いの『魔力の揺らぎ』の色くらいである。
しかし、魔力の質と量、そして互いの戦士としての力量は伯仲していた。
「ええいっ!」
アイラが長剣『バルムンク』に自身の『魔力の揺らぎ』を乗せて一閃する。どす黒く、しかし赤や紫なども交えておどろおどろしいアイラの魔力は、『バルムンク』の150センチという刃渡りを遥かに超えた攻撃範囲を誇っている。
「やっ!」
バチッ!
ザールも『糸杉の剣』に白く輝く『魔力の揺らぎ』を込めて、アイラの斬撃を跳ね飛ばす。それとともに素早く移動して、アイラのすぐそばまで肉薄し、
「やっ!」
アイラの左わき腹を摺り上げるようにして『糸杉の剣』を振りぬく。
「おっと」
アイラは手元に付け込まれると、間髪入れずに後ろに跳んでザールの攻撃を躱し、
「食らえっ!」
ザールの真っ向から『バルムンク』を振り下ろした。
ジャンッ!
それをザールは頭の上で『糸杉の剣』によって受け止める。
文字にすると冗長だが、ここまでの動きはほんの一瞬、瞬きするほどの時間である。それほど、二人の戦いは速く、激しかった。
「さすがだね、ザール。女神アルベド様が君のことを気になさるはずだ」
『バルムンク』を上から押さえながらアイラが言うと、
「そなたこそ、さすがは『七つの枝の聖騎士団』の団長だけあるな」
ザールも『糸杉の剣』の向こう側から感嘆したように言う。アイラは見た目に反して力が強く、一瞬でも気を抜くと押し合いに負けそうになる。ザールはアイラと話しながらも、目の光は真剣だった。
ふとアイラが押し下げてくる力を抜いた。
アイラは『バルムンク』を転瞬の早業で切り返し、ザールの浮き上がった身体を狙ってきたのであるが、ザールはそのことを予期していたかのように身体の浮き上がりを利用してそのまま跳躍する。
そしてザールは無防備になっているアイラの頭に向けて『糸杉の剣』を振り下ろす。アイラにしても、ザールにしても、その剣には『魔力の揺らぎ』を込めている。だから90センチとか150センチとかの物理的な刀身の長さにはあまり意味がない。『魔力の揺らぎ』が届きさえすれば相手を両断できるのだ。
「くっ!」
アイラは右手に転がることでザールの斬撃をかわす。
二人とも、相手の反応を見ながら一瞬の判断と反射で戦っていた。判断を間違うこと、それは少なくとも大きなダメージを負うことを意味する。
けれど、二人とも相手の次の攻撃が読めるのか、跳び離れ、斬り裂き、受け止め、そして懐に飛び込んで斬り……目にも止まらぬ速さでの戦いを延々と続けている。
「ザール、君はノイエスバハムートとしての力を覚醒させたと聞いているが、なぜその能力を使わない?」
アイラが訊くと、ザールは『糸杉の剣』で弾いた『バルムンク』を見やり、ただ一言言った。
「お前の『竜殺しの剣』を叩き折ってからだ」
それを聞くと、アイラはヒュウ♪ と口笛を吹いていう。
「バレちゃってたか。それは残念」
いたずらが見つかった時のボーイッシュな少女のように笑うアイラを見て、ふとザールは不思議に思った。
――竜殺しの剣・バルムンクは、コスモスとガイアの破壊竜たちがプロトバハムート様の命を狙ったときに生み出したもの。それをなぜ彼女が持っているんだ?
それと同時に、ザールはここまでの手合わせで、アイラの特性も見抜いていた。
――アイラは、僕に似ている。
と。
一方で、アイラの方もザールに思わぬ苦戦をしながらも、その苦戦を楽しんでいる……いや、時によってはザールの姿にハッと心が締め付けられるような息苦しさを感じている自分を見つけて、
――ふふ、これじゃまるで私が君を倒すことをためらっているみたいだよね? けれどザール、君は本当に素晴らしい戦士だ。私は君を誇りに思うよ。
そう心の中で考えてにんまりしていた。
「……この戦いの中でそんなに笑えるとはたいした奴だな、お前は」
ザールが皮肉っぽく言うが、アイラは気にも留めずに答えた。
「だって楽しいんだもん。君と戦うことがこんなに心躍るものとは意外だったよ」
ザールは、その言葉を発したアイラの表情に一瞬見とれてしまった。いや、その笑顔があまりにもホルンのそれに似ていたからかもしれない。
アイラは、ザールの隙を見逃さなかった。
「何を考えているんだい?」
その言葉とともに、アイラはザールの懐に飛び込んだ。
★ ★ ★ ★ ★
ホルンはグリーフをキッと見据えて言った。
「何度も言うわ。半人前でも、私は負けない!」
そして、左手で『アルベドの剣』を引き抜くと、背中の片翼に風を呼んでグリーフへと突っかかって行った。
眦を決して飛び込んでくるホルンに、グリーフは憫然たる笑みを浮かべて言う。
「性懲りもない……あなたが私に敵うはずがないのよ。『悲愴の連弾』!」
そして、グリーフはとてつもない数の魔弾をホルンに吹き付けた。
ドン、ズドン、ズドドン!
グリーフの魔弾が炸裂する中、その爆風を避けながらホルンは肉薄していたが、
「きゃっ!」
ズバン!
いくつかの魔弾がホルンの近くで炸裂し、その破片を浴びてよろめくホルンに、
グワンッ!
「ぐっ!」
『ホルン!』
遂に魔弾の一つがまともに命中し、ホルンはコドランの叫ぶ中、地面へと真っ逆さまに叩きつけられた。
「ぐ、ぐぐぐ……」
ホルンは、頭から血を流しながら『アルベドの剣』にすがってなんとか立ち上がろうとする。けれど、左目は流れる血潮で見えなくなっていた。
『ホルン、大丈夫なの?』
心配したコドランが飛んでくるが、ホルンはコドランを身振りで静止して、グリーフを見上げた。グリーフは高い空からホルンの様子をうかがってニヤニヤしている。
「負けるもんですか」
ホルンは血と共にそう吐き捨てると、再び片翼を広げて空へと舞いあがった。
『ホルン、これ!』
コドランが『死の槍』を投げてよこす。ホルンは頷いて『死の槍』を右目で見つめ、
「わが友たる『スナイドル』よ、わが戦いを適宜支援せよ」
そう言うと、『死の槍』はまるで意志を持つかのようにひとりでにホルンの側まで跳び来ると、一緒に突撃を始める。
その様を見て、グリーフは独り言ちた。
「ふん、あの槍には特別な魔力がかかっているね。それじゃ、早いけれど必殺技を繰り出すことにしましょうか」
すると、グリーフの竜眼が黄色く輝き始め、その身体をゆらりと『魔力の揺らぎ』が包む。その様はまるでグリーフが火焔竜であるかのように見えた。
けれど、それを見たコドランはグリーフの正体を見抜き、慌ててホルンに叫んだ。
『ホルン、逃げて! そいつは氷結竜だ! 火焔竜じゃないよ!』
それを聞いて、ホルンは明らかに動揺した。
――えっ⁉ でもさっきコドランは高温での攻撃を受けていたわよね?
そう思いつつも、ホルンは周りの空気の急変に気付いた。確かに温度が急激に下がっている。ホルンはそれに気づくと、
――これは、取りあえず攻撃を止めて退避し、相手の出方を見た方がいいわね。
そう考えて突撃の機動を変えようとした。
しかし遅かった。
グリーフはコドランの叫びを消し去るかのように、その口から猛烈な魔力を噴き出した。
「食らえっ! 『絶対零度の揺籠』!」
「ああっ!」
その凍てついた波動は、ホルンと『死の槍』をあっという間に包み込んだ。
『ホルン!』
コドランの叫びがこだました。
★ ★ ★ ★ ★
「何を考えているんだい?」
その言葉とともに、アイラはザールの懐に飛び込んだ。
「しまったっ!」
ザールは、『バルムンク』が自分の心臓を突き刺す瞬間に備えて目をつぶった。
しかし、『バルムンク』の切っ先はザールの喉元にぴったりとつけられていた。
ザールが目を開けると、すぐそばにアイラの可愛らしい顔が見えた。その熱して透き通った鉄のような赤い瞳に映る、ザールの顔が見えるほどの近さだった。
「ふふ、真剣勝負で気を抜いたらダメじゃないか」
アイラが笑って言う。その時、なぜかラベンダーの香りがザールの鼻腔をかすめた。
「刺さないのか?」
ザールが訊くと、アイラは首を振った。
「私がほしいのは人間の君じゃない。ノイエスバハムートとしての君の命だ。それにさっきは何を考えていたんだい? ひょっとして……」
そう言葉を切ると、イタズラっぽい顔をして続けて訊く。
「誰かを思い出していた、とか言わないよね?」
その言葉に、ザールは薄く笑って答える。
「そうかもな。何か懐かしい感じがしたんだ」
それを聞くと、アイラも笑って言う。
「あはは、正直すぎるよ君は。こっちも戦いづらくなるじゃないか」
そして不意に真剣な顔に戻って言う。
「さ、今回だけは見逃してあげるよ。まだ始まったばかりなのに勝負がついちゃつまらないし、君の能力をすべて見届けないうちに君を倒しても意味がないからね」
そしてアイラは自ら20ヤードほど間合いを開けた。彼女は『バルムンク』を肩に担いだまま、ザールを挑発する。
「さあ、おいで。楽しもうじゃないか」
しかしザールは、『糸杉の剣』を鞘に納めるとアイラに言った。
「一つ訊きたい」
アイラはそのままの姿勢でうなずく。それを見たザールは、
「そなたと手合わせして、僕はそなたが僕に似ていると思った。何が、と言われてもはっきりとは言えないが、そなたと僕は争うべき宿命を持っているとは思えないのだ」
そう言う。アイラは黙って聞いていたが、
「それで?」
とザールに続きを促した。
「正直、そなたと手合わせすればするほど、戦いたくないという気持ちが強くなってきている。勝敗ではなく、そなたの存在を消したくないという気持ちといえば一番近いかな」
ザールがそう言うと、アイラは『バルムンク』をザールの胸に擬して笑った。
「いいよ、戦いたくないなら戦わなくていいさ。けれど、その代わりに君の命……というか、君の言い方で言えば君の存在を、私に重ねてもらわないといけないけれどね?」
ザールは緋色の瞳を持つ目を細め、左手で『糸杉の剣』の鞘を掴んで訊く。
「どういうことだ?」
アイラは相変わらず愛くるしい笑顔のまま、
「別にヘンな意味じゃなくて、文字どおり私と君と存在を重ねて一つにならないといけないんだよ。言ったよね? 私が勝ったら君の命がなくなるとは限らないって。それはそう言う意味なんだよ」
そう言う。ザールはアイラの目を見た。緋色の瞳には笑いこそ浮かんでいるが、嘘を言っているようには見えなかった。
「僕たちがこのまま力を合わせるということは出来ないのか?」
ザールが訊くと、アイラは目を閉じて顔を横に振った。
「……残念だけれど、私たちはどちらかの存在がもう一方を飲み込まないといけないんだよ。そんな運命らしい。それに、私は女神アルベド様の御心を大切にしたい。君は女神ホルンの心を大切にしたいだろう?」
そして目を開けるアイラ。その顔には愛くるしい笑顔は露ほども残っていなかった。
「だから、君が戦いたくないなら、私にその存在を吸収されないといけないんだ。君が戦いたくないのは君の勝手だが、私は戦いを止めるつもりはない」
そう言うと、アイラの姿が消える。
ザールはサッと前に跳び、振り向きざまに『糸杉の剣』を抜き打ちにする。それはまさしくザールを狙ってきた『バルムンク』を受け止めて鋭い音を立てた。
「戦いたくないとか言いながら、いい反射神経じゃないか」
アイラがニヤリとして言う。その身体からは、先ほどとは打って変わって禍々しいほどの『魔力の揺らぎ』が噴き出していた。
「まあ、君の本能にも破壊と死に対する衝動があるはずだからね。私はそれを引き出したいのさ」
そう言うと、アイラはその『魔力の揺らぎ』をザールに叩きつけた。
「ぐっ‼」
ザールは、追い打ちをかけようとした『バルムンク』を弾き飛ばしたが、アイラの『魔力の揺らぎ』をまともに受けて吹き飛ばされる。
「さあ、ザール、君の本気を見せてくれないかい?」
アイラはそう言うと、目にも止まらぬ速さで斬りかかってくる。
「やっ!」
ザールは、斬りかかってくるアイラが幻影だと見抜き、その斬撃を避けながらアイラの“影”のすぐ左側をすり抜けると同時に『糸杉の剣』を振りぬく。
ジャンッ!
金属音と共に火花が散り、アイラが『バルムンク』を左手に持ってザールを睨みつけていた。その右腕からは血潮が滴っている。
「ふん、よく見抜いたものだね? まさか『万華鏡の揺らめき』が見破られるとは思わなかったよ」
そう言いつつ、アイラは『魔力の揺らぎ』をまだ血を流している傷口に集める。傷口はあっという間に塞がった。
そんなアイラを見ながら、ザールは不思議な感覚に陥っていた。
――彼女の考えが鏡にかけて映しているように視える。さっきの技も、彼女の幻影だけでなく本体も僕には見えていた……なぜだ、なぜ魔力の波長がこんなに合うんだ?
そんなザールを見ながら、アイラはニヤリとあの不思議な笑いをして言う。
「ふふ、そんなに不思議がることはない。私だって君の考えは読めている。さっきのはただ君が速かっただけだ」
「魔力の波長がこれだけ似ているんだ。そなたと僕がなぜ戦わねばならない運命なんだ? お互いの力を合わせて、すべての種族が互いに尊重し合うような世の中を創ることは出来ないのか?」
ザールが言うと、アイラはその白髪を風になぶらせながら答えた。
「すべては、運命。女神たちの導きのままに、私たちは互いを自分のものとするために戦わねばならない……」
そしてカッと目を見開くと、アイラの顔にはどす黒いタトゥーのような文様が現れた。その文様は大きくなったり小さくなったり、あるいはあちらに現れては消え、こちらに現れては消えるが、その数は段々と増していき、一つ一つも濃くなっていく。
それとともに、明らかにアイラの身体をまとっている『魔力の揺らぎ』が変質した。黒々と、そして赤黒く、時には紫色の煙のようにアイラの身体から噴き出している。
アイラは、ゆっくりと『バルムンク』を構えると、ザールに冷たく言い放った。
「避けられない戦いなのさ、ザール。本気を出さないうちに私に倒されてくれるなよ?」
★ ★ ★ ★ ★
グリーフは猛烈な魔力を噴き出した。
「食らえっ! 『絶対零度の揺籠』!」
「ああっ!」
その凍てついた波動は、ホルンと『死の槍』をあっという間に包み込んだ。
『ホルン!』
コドランはそう叫びながら、グリーフが噴き出す凍てつく光へと突進した。
『ホルン、ホルン、返事して!』
空間の急速な冷却によって、まるで霧の中のようにキラキラとしたアイスダストが視界を遮る中、コドランはそう叫びつつホルンのところに急いだ。
そして、
「大丈夫よ、コドラン。心配しないで」
空間のものすべてが凍り付いたかと思われるほどの冷気の中、ホルンの声が響くと
「我が主たる風が集い、わが友たる炎が依る『スナイドル』よ、その力を我に貸し、神の力を濫用する輩に『Memento Mori(死を思い出さ)』せよ! それは『Et in Archadia Ego(死はどこにでもある)』なればなり!」
呪文詠唱と共に『死の槍』はミストのような空間を引き裂き、その斬撃波はグリーフの身体を弾き飛ばした。
ジャリンッ!
「ぐあっ⁉」
『魔力の揺らぎ』を乗せた斬撃波はグリーフの固い皮膚に弾き返されたが、その威力はグリーフの想定以上であった。
「ぐっ……私の『魔力の揺らぎ』を貫通して皮膚まで届くとは、恐るべき『死の槍』の魔力だね」
グリーフはそう言うとドラゴン化を解き、片翼の黒竜としてホルンに正対する。下手に大きな身体で戦うと、斬撃波を食らいやすい……そう考えたのだろう。
グリーフは勝ち誇ったような顔でホルンに呼び掛けた。
「どう、ホルン・ファランドールさん? あなたに私のようなドラゴン化はできて? 予言でも『受命の黒竜』はドラゴン化できる存在なのよ?」
「予言のことは知りません。けれど、私はザールたちと約束しました。この国をすべての種族がお互いに尊重し合って生きていけるような国にしようと。そして、その運命に従うことはヴァイスドラゴンのローエン様やシュバルツドラゴンのグリン様にも誓いました。だから、私は『片翼の黒竜』としてではなく、王女としてでもなく、『ホルン・ファランドール』としてこの運命に立ち向かっています」
ホルンが緑青色の『魔力の揺らぎ』に包まれて言う。近くにはコドランが油断なくグリーフの一挙手一投足を見ていた。
「ふふ、私はドラゴン化できるし、女神アルベドの血を引く一族。あなたのようなドラゴンとしても女神としても半人前の存在に負ける私じゃないわよ? 今なら命まではいただかないから、そのチビドラゴンと一緒にドラゴニュートバードに戻ったらどう?」
グリーフが片翼を広げながら言う。魔力を込めつつあるのだろう、その赤い髪はゆっくりと波打ち、辺りの空間は静かなさざ波のように振動し始めている。
ホルンはその言葉にニコリと笑って答えた。
「何度も言いました。半人前でも、私は負けない、と」
そしてホルンは『死の槍』をコドランに手渡す。コドランは従者のように恭しく『死の槍』を捧げ持った。
と同時に、コドランは身長30フィートほどのシュバルツドラゴンの姿になる。
「ブリュンヒルデ、あいつが隙を見せたら『スナイドル』で攻撃して」
ホルンが言うと、コドラン改めブリュンヒルデは、
『承知いたしました、王女様』
と答えると、大きな翼をサッと動かして、二人から100ヤードほど離れる。
「ふん、降参はしないってことね。まあ想定内ではあるけれど……」
グリーフは呆れたように肩をそびやかすとそう言い、
「あの世ってところで後悔しなさい!」
いきなり、50ヤード近い距離を跳躍して、一瞬のうちにホルンの後ろに回り込んだ。
「くっ!」
ホルンはグリーフの機動に反応して、摺り上げるようにして抜き打ちに襲ってくるグリーフの剣を、『アルベドの剣』を抜き打ちにすることで迎え撃った。
ジャンッ!
二人の『アルベドの剣』は火花を散らす。どちらの『アルベドの剣』も刀身が見えないが、ホルンのものは緑青色の、グリーフのものは薄黄色の『魔力の揺らぎ』をまとって輝いている。
ホルンとグリーフ、どちらも一歩も引かずに戦った。
ホルンはそもそも『用心棒』として10年に及ぶ辺境の暮らしを続けて来た。無頼の者たちや隣国の兵士たちを相手にすることもあれば、魔物や異能者たちを相手に命を懸けた戦いを繰り広げたこともあった。
もちろん、常勝とまではいかなかったが、勝てそうにない相手とぶつかった時も、養親だったデューン・ファランドールの教えを思い出して死線を潜り抜けて来た彼女である。
一方で、グリーフも一筋縄ではいかない人生を歩んできた。彼女がザッハークと女神との子どもであることは確かである。けれどザッハークは彼女を王国の後継者として認めなかった……と言うより、女神アルベドが彼女を『王女』としてでなく自らの後継者として期待し、その魔術や術式を惜しみなく伝授したのである。
『嘆きのグリーフ』というのは魔女としての、そして『七つの枝の聖騎士団』団員としての通り名であり、本名はホルン・ジュエルであることは前述した。
けれど彼女はずっとグリーフとして女神アルベドの近くで成長した。彼女が実は王家につながる女性であることを彼女自身が知ったのは、つい数か月前である。もちろん、ザッハークは自分にグリーフという子どもがいることすら知らない。
王国を継ぐはずだったが、用心棒として辺境をさまよっていた王女と、その存在すら父王に告げられずに魔女として育った王女、二人の因縁は深いといえるだろう。
それは、王国の主神として人々を祝福するはずだった女神ホルンと、王国の主神になり損なった女神アルベドの軌跡と似ていなくもない。
ともあれ、二人は火を噴くほどに互いの『アルベドの剣』で互いを倒すために秘術を尽くし合っていた。
★ ★ ★ ★ ★
イスファハーンから出された布告……女王ホルン2世の即位についての知らせは、ファールス王国の東側をあっという間に駆け巡り、主要な州知事や軍司令官たちはサーム・ジュエルの威令に服することになった。
ファールス王国の東側には第1、第2、第3、第4、第5そして第9の6個軍団管区がある。その中で最も大きい人口を抱えているのが第4軍団管区の中心地・カラチである。
サームはカラチの州知事に信用が置けないことを見抜き、体よく第3軍団管区の州知事として遠ざけた。それまで第3軍団管区には州知事がおらず、軍司令官が民政も統括していたのだ。
「やれやれ、これで重責から解放されるな」
第3軍団管区の司令官であるジェム将軍は、そう言って司令部で肩の荷を下ろしたような顔をしていた。
また、第4軍団管区の司令官であるアンマン将軍については、軍事よりも民政が得意のようであったため、サームはアンマンを第4軍団管区の州知事に任命し、軍司令官には自分の配下から抜擢したフラグ将軍を充てた。
「サーム様は人を見る目がある。それに送られてきた将軍も能力が高そうだし、別に私のことを監視するような任務を持っているわけでもなさそうだ」
アンマンはそう喜んで、サームひいてはホルン女王への忠誠を新たにするのだった。
今年30歳になったばかりのフラグにしても、突然の将軍位任命と軍団管区の司令官という重責に驚きながらも、
「ここは東の要で、マウルヤ王国は目と鼻の先。お館様の信頼を裏切らぬように、さらに慎重に守らなければならないな」
そう言って、訓練未了の第43軍団と編成したての第44軍団を鍛えるのだった。
サームは、東の守りについていた王国軍の4個軍団をもって自らカンダハールに駐屯していたが、
「ここの守りはチラウンとチンベに任せる。余はイスファハーンに参ろう」
と、第32と第42の2個軍団を残し、自ら第31と第41軍団を率いてイスファハーンへと移動を開始した。彼自身が第41軍団を率い、第31軍団は若手のカサルを将軍位に登用しての英断だった。
「カサルの僚友であるフラグもカラチで頑張っている。次の時代のためにも、今のうちにいい若者たちを抜擢し、慣れさせておかねばならない」
行軍中、サームはそんなことを考えていた。
ティムールたちの状況である。
ティムールは、東の入口に当たるナーイードの町をスブタイの5千で守らせると、自らはジェルメ、ポロクル、クビライを率いて3万5千でクーパイに進出した。
そして、ガルム率いる義勇軍1万5千を王都を指呼の間に臨むベヘシュティーまで進出させ、イスファハーンには遊撃軍を駐屯させていた。
遊撃軍の指揮を一時的に執っている『神聖生誕教団騎士団』の団長シャロン・メイルがホルンの影武者として女王の代わりを務めることとなったのは前述のとおりである。
ティムールは布告を出した後、イスファハーンの東方を守っていた王国軍の独立混成コホルス隊5千を投降させ、王都周辺の脅威がなくなったところで主力軍をベヘシュティーまで進出させた。
そして、今後の進撃路を開拓するため、義勇軍をしてイスファハーン地域の『西の護り』であるグロス山脈にある敵の拠点シャハレコルド攻略に出発させていた。
「さて、どうやってシャハレコルドを落とすかだが……」
ガルムは、シャハレコルドから東に直線距離で50キロほどの町、ザリンシャールまで義勇軍を進出させると、隊長たちを集めて協議する。
グロス山脈は北西から南東に2千から4千メートルの山々が連なり、最高峰のザルドグ山は標高4,500メートルを超える。この山脈を横断する道は、大きなものはシャハレコルドから北西に200キロほどのところにあるドルードの町から伸びている街道しかなく、もちろんその近くには王国軍の兵站所であるホラマーバードが街道を睨んでいる。
「敵さんもバカではない。ホラマーバードには2個連合コホルス隊1万がいて、我々を街道の途中で通せんぼするつもりでいる。だからティムール殿は我らの進撃路が敵に分かりにくくするためにシャハレコルドを策源地とするお積りなのだ」
ガルムが左目を光らせて諸将を見渡して言う。リョーカとシャナはうなずいた。
「シャハレコルドにはどのくらいの敵軍がいるでしょうか?」
シャナが訊くと、ガルムは傍らに控えていたアローに言う。
「アロー、説明してくれ」
アローは地図を広げて静かに説明しだした。
「シャハレコルドにいる敵は1個連合コホルス隊5千です。我が軍の3分の1ですが、地の利を得ていることと全員が山岳猟兵であるため、油断はできません」
そして地図の一点を指さし、
「敵軍は我々の西側、前面に広がる山塊を通る道を封鎖しています。そして南から攻め上る街道には投石器や大型弩弓を配置した陣地線を築いています」
そう言うと、指をシャハレコルドの北西に移して、
「北西側には細かな道が錯綜しています。敵は不利になればこの道を使って……」
そのまま指をザルドグ山の方へと移動させつつ言った。
「……これらの道を使って小部隊で遅滞戦闘を行いながらザルドグ山の両脇を塞ぐような態勢へと移行するでしょう。ですから、この部隊はぜひともシャハレコルドで摑まえる必要があります」
アローが座ると、ガルムはニコニコしながら言う。
「聞いてのとおりだ。近道は塞がれている。南からの攻めやすい道には陣地がある。敵に時間を与えては今後の進撃が煩わしくなる……敵を逃さないような工夫が必要なんだ」
するとリョーカが手を上げて言った。
「相手が南と東を向いて、北に逃げようとしているのなら、逃げ道を塞いでやりゃいいんですよ。俺の部隊で北にある逃げ道を全部、塞いでやりましょう」
ガルムはその言葉にうなずいたが、心配そうな顔で言う。
「窮鼠猫を噛むという。また、『四囲は必ず欠く』ともいう。逃げ道をふさいだ敵は死に物狂いになるぞ?」
その言葉に、地図をしげしげと眺めていたシャナがあることに気付いたように言う。
「シャハレコルドはグロス山脈とその前衛峰群で挟まれた地形にあります。守るに堅いけれど孤立もしやすい地形です。リョーカ殿の部隊で小道を塞ぎ、ホルン女王様の徳を讃える文書をばら撒いて相手の兵の士気を奪えば、敢えて町を攻めずとも相手の方が先に音を上げるでしょう」
「俺たちは出来るだけ早くシャハレコルドを落とさねばならないんだぞ? 心理戦で速戦即決が狙えるかな?」
ガルムが言うと、シャナはニコリと笑って答えた。
「私はエフェンディ家の家令及び手代として商売であちこちを回りました。シャハレコルドは『肥沃な三角地帯』から第3軍団管区の中心地ザーヘダーンに向かう近道で、何度かこの地域を往来したことがあります。シャハレコルドの周囲の土地はあまり耕作に適しておらず、飲み水は町の中を通る1本の川に依存しています。今は夏に向かって雨も少なくなりゆく時節、町の北西部はその川の上流です。道を塞ぐとともに川をせき止めれば、2・3日もすれば敵軍は使い物にならなくなるでしょう」
それを聞いて、ガルムはそのいかつい顔をほころばせて言った。
「よく分かった。ではリョーカ殿は北から北西にかけてを、シャナ殿は北西から西にかけての道を遮断してもらおうか。俺は敵の南陣地にちょっかいをかける。道を塞げばいいのだから、敢えて戦う必要はないぞ」
ガルムの断が下ると、シャナとリョーカはそれぞれ自分の部隊5千ずつを率いて密かに敵軍の駐屯するシャハレコルドの北方へと移動を開始した。
そしてガルム自身は、直卒の5千を連れて堂々と前進を開始する。先鋒であるアローには1千を任せ、シャハレコルドへの近道である前衛峰の敵陣へと向かわせた。
「ハイムマン殿はアローが攻める峠の南東20キロにある街道沿いに進んでくれないか?」
ガルムはそう言って、用心棒仲間でも経験豊富なホルスト・ハイムマンに1千を預け、自らはアラド兄弟と共に3千で大きく南を迂回する進撃路を取った。
「逃げ道を用意しているのであれば、前衛峰群のこちら側では敵襲はない。アローが攻める峠と、それを下った街道との結節点、そして川沿いにグロス山脈へと登る街道沿いに陣地を設けて遅滞戦闘を強要するつもりだと思うな」
ハイムマンが言うと、ガルムもうなずいて答えた。
「俺もそう思う。だから敵陣にかかると見せてかからず、敵を引きつけてくれ。俺が南から攻め込みやすい態勢をつくりあげてほしい」
「承知した。アローの坊やと連携を取って、できるだけ敵を引きつけておこう」
ハイムマンはそう言うと、目じりにしわを作って人懐こい顔になった。
「今回は敵に勝つ必要はない。ただ道を塞いで一兵も通さねばこちらの勝ちよ」
シャナは居並ぶ副将たちに言って笑う。
「私の持ち場は北西から西にかけて。敵は水場を取り戻せなかったら必ずこちらの方面に来ます。それぞれこの地図にある場所に陣取り、地形を生かして伏撃が容易な陣地をこしらえなさい」
副将の“シロッコ”アリー、トキル、そして“ルシファー”マントイフェルと“旋風のゲッツ”ことゴットフリートは、ニコニコしながらうなずく。
シロッコとトキルはエフェンディ家子飼いの将星で、シャナの実力もよく知っている。
マントイフェルとゴットフリートは無頼の用心棒だが、これまでの戦いでシャナに対する信頼も厚くなっていたし、何よりガルムの名声に憧れてもいたため、どのような任務であろうと唯々諾々と従い、そして期待以上の戦果を挙げてきていた。
「では、作戦地域に入ったら適宜、戦闘行動に入ってちょうだい」
シャナの命令に、副将たちは静かな闘志を顔に表しながらうなずいた。
「敵は必ず水場を取り戻しに来る。その戦力は1千ないし2千だろう」
行軍中、リョーカは最も信頼するジェベに言う。ジェベは怪訝な顔をした。敵には5千もあるのに、そのくらいしか攻めてこないのかなという顔だ。
リョーカはうなずいて言う。
「敵は5千。けれど遅滞戦闘を旨とするのであればまずは堅固な陣地を町近くに築き、1千程度ずつ込めているだろう。確認できた陣地の数は三つ。だから敵さんは3千を前線に出し、残りの2千は予備隊だ。そして水場を取り戻しに出せるのは予備隊だけだ。でないと陣地が崩壊し、遅滞戦闘ができなくなるからな」
そう聞いて合点が言った顔をするジェベに、リョーカは真剣な顔で言う。
「そこで、水の手を断つ役目をそなたに与える」
「えっ? 俺の隊でですか?」
ジェベが言うと、リョーカは強くうなずいて言う。
「水場を敵に奪回させるわけにはいかないからな。そなたの陣地と道路を取り込んだ形でこちらも陣地帯をつくる。先鋒はアルム、後衛はコクランだ。俺はジェベの右翼に入り、バズは左翼に入るようにな」
リョーカは、頭の中に地図を浮かべながらそう言った。ジェベたちはリョーカほど戦場慣れしていないので、そう言われてもちんぷんかんぷんな顔をしていた。
リョーカは笑ってみんなに言う。
「はは、とにかく現地を見てからだな。そこでみんなに陣地の構築場所と連絡壕の設置などを教えてやるよ。とにかく、敵を早く見つけられて、敵からは出来るだけ見えないようにするのが大切なんだ。今後、『肥沃な三角地帯』でも塹壕戦を多用するかもしれないから、よくその基礎を覚えて、自分で応用できるようになっておけよ」
「ふふん、コイツぁいい」
リョーカは、シャハレコルドに流れ込むシャハレ川の水源地を見て、そうご機嫌な声を出した。この川は周囲から少し高くなっている山塊に端を発していたのだ。
「おあつらえ向きに、川の両側に山が迫っている地形があるな。しかもそこには道路まであると来たら、カモがネギ背負っているようなものだぜ。よし、ここに陣地と堰を作ってシャハレコルドの水の手を断つぞ」
リョーカはそう言うと、さっそく山から山へと堰を設けるとともに、その堰の左右を守る形で自分とジェベの陣を敷いた。コクランの部隊はジェベの後方、山の中腹に20メートルほどの高低差を取って布陣させた。
そしてバズとアルムはシャハレコルドの方へと進出させ、道路からやや離れた高台にバズを、道路そのものを塞ぐ形でアルムの軍を配置した。
「いいか、俺の本陣から赤色の狼煙が上がったら、アルムの部隊はバズの部隊と合流して敵軍を牽制しろ。夜は赤の信号火矢を連続5発上げる。忘れたり、見逃したりするなよ」
リョーカはバズとアルム、特にアルムにくれぐれもそう言い聞かせて前線へと送り出した。
一方、シャハレコルドを守っていた連合コホルス隊の隊長は、最初、峠の陣地にかかってきたアロー隊に目が行っていた。
「かかってきたか。しかし、峠の陣地を攻めるのに1千とは解せないな。おそらくその部隊は陽動だろう。南の峠道からの攻撃にも十分注意しておくように」
隊長はそう言って、各陣地への指示を飛ばした。
その伝令が隊長の指示を伝えたと同じくらいに、街道の陣地にハイムマンの部隊が姿を現した。
「隊長殿の読み通りだ。峠にかかった敵軍は陽動だ。この部隊こそが主力に違いない。そうとなれば南の陣地にいる兵力もこちらに回してもらわないと、ここは守れないぞ」
街道陣地の指揮官はそう言うと、ただちにコホルス隊長に
「敵主力が現れました。ただちに増援をいただきたい」
との要請を出した。
しかし、シャハレコルドではそれどころではない騒ぎが起こっていた。
「何っ! 水の手を断たれただと!?」
「はい、いつの間にか敵軍がシャハレコルドの北西方面に浸透しており、そのうちの一隊がシャハレ川の源流を抑えて陣地を構えております」
コホルス隊長は、斥候の言葉に唇を噛んで言う。
「むむ、ここ数日でいやにシャハレ川の水位が下がったと思っていたが、やはりそう言うことだったか……敵の兵力はどのくらいだ」
「はい、前衛陣地を作っていますので、それを含めて5千内外かと思われます」
「5千だと? わが軍と同数の敵が搦手に回り、しかも水の手を遮断しているとは……これは南の陣地線の強化どころではないな。水源を奪回できなければ、シャハレコルドの守備そのものが不可能になる」
コホルス隊長はそう言うと、南の陣地線には
「シャハレコルドの北側に敵が回り込んだ。包囲される恐れがあるため、予備隊はその敵の撃破に向かう。南の陣地帯はそれまで敵を押さえつけておけ」
と命令し、同時にガルム隊に向けてヴォルフという将に2千を与えて出発させた。
「敵です!」
水源を奪取したリョーカ部隊の先鋒たるアルム隊の見張りがそう叫ぶ。アルムは騒ぎもせずに槍の鞘を外すと、モアウにまたがって言った。
「リョーカ部隊長殿の指示で一回出撃する。ぼくがいない間は守りに徹しろ」
そしてアルムはわずかな兵を連れて陣地から出撃した。
「もうすぐ敵の前進陣地が見えてくるはずです」
水源地を取り戻すという重責を担っているヴォルフは、先頭の斥候の声を聞いて表情を引き締める。自分たちに気づかれないうちに浸透し、あっという間に陣地を構築したリョーカ部隊の手腕に、
――これは容易ならぬ敵が来ているに違いない。ホルン陣営の中でも戦慣れしたベテランの将軍が指揮を執っているのであろう。
そう考えていたのだ。
その時、ヴォルフ部隊の右翼前方でわあっという声が上がり、陣列が乱れ始めた。
「何だ? 何が起こった!?」
ヴォルフがそう言って副官を派遣しようとしたとき、先頭の隊長から報告が入った。
「敵の槍騎兵数十に奇襲されました。被害は軽微です」
その声を聞いたヴォルフは、急いで先頭部隊へと馬を飛ばす。そして『軽微な被害』の内容を聞いて顔をしかめた。
「弓兵隊の半数が戦闘不能だと?」
「はい、敵騎兵は弓兵隊を狙い撃ちしてきました」
先頭部隊の指揮官が言うと、ヴォルフは少し考えていたが、
「仕方ない。弓兵がいないと攻撃にも防御にも支障が出る。本隊と殿から弓兵を抽出して先鋒隊に回そう」
そう決断した。
一方でアルムの先制攻撃成功の報を受けたリョーカは、すぐに
「赤の狼煙を上げろ」
と配下に命令した。
「それでは街道を敵に明け渡すことになりませんか?」
コクランが訊くと、ジェベが笑って言う。
「街道を開放しても、すぐ横の高台にバズの隊がいる。アルムとバズで敵と同数だ。側面を押さえられた形の敵は、どうしてもアルムたちを先に排除しないといけないはずだし、仮に血迷ってここを攻撃するならアルムたちを牽制するための部隊を割かねばならない。いずれにしても敵さんはもう詰んでいるよ」
そしてアルムは本陣から上がる狼煙を見て、整然とバズ隊の陣地へと移動した。
「せっかく作った陣地を放棄するのももったいないですね」
部下が言うと、アルムはニコリと笑って答えた。
「違うな、放棄じゃない。敵さんがぼくたちの陣地を破壊するときが見ものだよ」
やがてヴォルフの部隊は、遠くアルムの陣地を望む場所まで進軍していた。
「この先1マイルに敵の陣地があります。さらに、左翼側の高地に別の部隊の陣地があります」
斥候がヴォルフにそう告げる。ヴォルフは渋い顔をした。
「まあ、前進陣地を作らないほど迂闊な敵ではないと思っていたが……。敵陣地にはどのくらいの兵力がいるか分かるか?」
ヴォルフの問いに、斥候は首をかしげながら答えた。
「それが……街道を封鎖している敵陣には兵の姿が見えません。左翼側の高台だけに敵兵の姿が見えます」
それを聞いて、ヴォルフも首をかしげながら言う。
「どういうことだ? 街道を封鎖する陣地とその側翼を守る陣地のそれぞれに千人ずつでも兵がいたら、俺たちはここで足止めを食らうところなのに、なぜわざわざ陣地を捨てるんだ?」
その疑問を解くため、ヴォルフは自身でアルムが捨てた陣地を偵察しに出た。なるほど、街道を封鎖するように鹿砦と塹壕が見えるが、そこには人の気配はない。
そして、視線を左手にある30メートルほどの高台に向けると、そこにはやはり柵に囲まれた敵陣が見えた。
「あそこには少なくとも千五百人は詰めているな」
ヴォルフはそう言うと、自らの部隊に戻り、攻撃命令を出した。
「我が隊の前方左翼側の敵陣を攻撃する。その前に、街道を塞いでいる無人の陣地を確保して、それを無力化する」
やがてヴォルフの部隊はアルム隊の陣地に到着すると、弓隊を左側高地に向けて配置すると、街道を開放するために陣地を壊し始めた。
するとあちこちから
「わっ」
「ぎゃっ」
という兵士の叫び声が上がり始めた。
「何事が起こった?」
ヴォルフは声がした方に行ってみると、そこには落とし穴にはまった兵士たちや、崩れた柵の下敷きになった兵士たちの姿があった。
「……わざとこの陣地を捨てて、俺たちを誘い込んだというワケか。すると……」
部下の惨状を見て、ヴォルフは罠にはまったことを知った。そして異様な雰囲気にハッとして辺りを見回すと、いつの間にか自分の部隊はバラバラになったまま、敵の陣内でアルムとバズの隊に取り囲まれてしまっていることに気付いた。
「やあ、シャハレコルドから来た皆さん、悪いが水源地はお返しできないんだ。みんな、放てっ!」
アルムが槍を振り上げてそう命令すると、間髪入れず弓隊が矢を放ち始める。
「いかん、全員シャハレコルドまで退けっ!」
ヴォルフはそう剣を振り上げて叫んだが、その姿が弓兵の目に留まったか、彼は次の瞬間身体中に矢を浴びて斃れた。
「指揮官は倒れたぞ。無駄な抵抗はやめろ!」
バズが長大な両手剣を振り回しながら部下と共に突入して叫ぶと、敵兵は意気地なくその場に座り、剣や槍を手放して降伏の意を表した。
「よし、武器を捨て、鎧を脱いだ者は敵意がないものとしてこの場から立ち去ることを許すぞ」
アルムとバズがそう言うと、敵兵たちは喜んで兵装を解き、三々五々その場から立ち去って行った。
「あいつら、また将に率いられてここに来ないかな?」
バズが心配して言うが、アルムは首を振って訊いた。
「今度は殺されるかもしれないと分かってて、また軍に参加するか?」
バズはしばらく考えていたが、
「いや、大勢が決しているから、ほとぼりが冷めるまではどこかに隠れているだろうな」
そう言って笑った。
シャハレコルドの守備隊は、水源地奪還の部隊が消滅したことに大きなショックを受けたが、それに勝るとも劣らぬ衝撃が彼らを襲った。峠の守備隊がアロー隊により敗走させられたのである。
アローは、ハイムマンと連携しながら静かに峠の敵陣に迫って行ったが、その陣地に重大な欠陥があることを見抜いた。大型弩弓を配置した陣地間の連携に気を取られ過ぎたのか、道路を掃射する飛び道具に死角ができていたのである。
「しかも、対面の陣地からも掃射できない部分があるな」
アローは敵陣をつぶさに観察してそう言うと、ニヤリと笑って伝令を呼び、言った。
「ハイムマン殿に遣いして伝えてくれ。『我が隊は今夜、夜襲によって敵陣を突破し、ハイムマン殿が対峙する敵陣の左翼を圧迫する予定』とな」
アローは伝令を放つと、二人の大隊指揮官を呼んで敵陣を見渡せるところに行くと、
「今夜、ここを夜襲で突破する」
と言った。大隊長たちはびっくりした顔でアローを見る。
「よく敵陣を見ろ。敵は陣地構築を急ぐあまり、陣地間の連携だけを気にして死角ができてしまっている。対面した陣地からの援護射撃もできない部分がある」
アローは指さしながらそう言うと、さすがは歴戦の大隊長たちだけあって敵陣の弱点を了解した。
「第1大隊がトキルの指揮のもと、この陣地の左翼を攻撃する。第1大隊の攻撃が成功し、敵陣がほぼ制圧されたら、アマルは第2大隊を指揮して右翼陣地を攻撃しろ。その後は俺と共に陣地を突破し、峠の向こう側にある敵の防衛拠点の左翼に一撃を加えてハイムマン殿の部隊と手をつなぐんだ」
二人がうなずくと、アローはさらに言う。
「峠の向こう側へはアマルの第2大隊を先鋒にして突撃する。俺はトキルと共に第2大隊を援護するように動く。うまく行けば峠の向こうにある敵陣も叩き潰せるだろうな」
そしてその夜、月が沈むと、トキルは兵士たちを連れて音もなく敵陣へと近づき、突然敵陣への攻撃を始めた。事前に各百人隊長にも十分な時間を与えて敵陣を視察させていただけあって、その攻撃は素早く、左側の敵陣は瞬く間に占領された。
「よし」
敵陣のわずか半マイル(この世界では約930メートル)の位置に本部を置いたアローは、続けざまに第2大隊が攻撃に入るのを確認してうなずく。
こういう時は、時間が経つのが遅く感じられるものだが、今までの実戦経験で下手に命令を乱発しない方がいいことを知っているアローは、じっと耐えた。その忍耐はほどなく敵陣に上がった信号火矢によって報われた。
「よし、俺たちも行くか」
アローは左右に控えた本部隊員たちを顧みて笑って言った。
アローの峠陣地突破は、シャハレコルドの防衛を極端に難しくした。峠陣地が落とされたと知った街道沿いの防衛拠点を守っていた指揮官は、
「左翼から攻撃を受ける恐れがある。急いで増援をいただかないと陣地の防衛はできない」
と、挟撃の危険を察知して、シャハレコルドにいる防衛指揮官たるコホルス隊長に泣き言を言う。
「水源奪回部隊は何をしている? 仕方ない、南方の陣地にいる部隊から増援を回すから、断固として現陣地を死守せよ」
連合コホルス隊長は仕方なく、南方陣地から1個大隊500人を引き抜いて街道陣地へと送ったが、そのしばらく後に水源奪回部隊の壊滅を聞いて驚倒した。
それとともに、
「もはやシャハレコルドの防衛は不可能だ。軍団の指示どおり遅滞戦術への移行時期が来た」
と決心し、街道陣地と南方陣地に
「速やかに敵に気付かれることなくシャハレコルド西方の陣地に集結せよ。以降は遅滞戦術を取りながらザルドグ山の陣地まで退くぞ」
と言い送った。
しかし、彼はすでに西側の街道がシャナ隊によって塞がれてしまっていることと、ガルム隊が南方陣地に迫っていることを知らなかった。
★ ★ ★ ★ ★
アイラは、ゆっくりと『バルムンク』を構えると、ザールに冷たく言い放った。
「避けられない戦いなのさ、ザール。本気を出さないうちに私に倒されてくれるなよ?」
そしてアイラは、それまでとは比較にならないくらいの『魔力の揺らぎ』を噴き出しながら、ザールへと斬りかかって来た。
――くっ! さっきまでとは段違いの速さとパワーだ。さすがは『七つの枝の聖騎士団』団長だけあるな。
ザールは改めてそう思い、『糸杉の剣』に『魔力の揺らぎ』を今まで以上に込めてアイラの斬撃を次々と撃ち払う。どちらの剣にも『魔力の揺らぎ』が込められていて、もはや避けることはかなわない。そんなことをしたらたとえ50ヤード離れたとしても真っ二つにされてしまうだろう。二人にできることは剣に速さを込めて相手を叩き斬るか、それともその剣を受け止め、弾き返すかだった。
「でやっ!」
アイラは『バルムンク』に込める『魔力の揺らぎ』をコントロールし、その届く範囲を適宜変化させていた。時には剣先がザールの方を向いた瞬間に突きのように『魔力の揺らぎ』を伸ばす。その変幻自在の攻撃に、さすがのザールも幾度かヒヤリと肝を冷やした。
「なかなかにしぶといね。さすがは『四翼の白竜』というべきかな?」
今や身体中にどす黒い文様を浮かべながら、アイラは次から次へと斬撃を放ってくる。けれど、ザールはだんだんと相手の太刀筋を読めるようになってきていた。
アイラは、そんなザールに笑いかけて言った。
「まだ君は『人間』だよ。そろそろ私が求める強さを開放してくれないかな?」
するとアイラの身体が虚空に溶けたようになり、一瞬の間をおいて空間のあちこちにアイラの姿が現れた。
「ふふ、『万華鏡の揺らめき』だよ。今度は躱せるかな?」
ザールの頭の中にアイラの声が響くと同時に、アイラたちが『バルムンク』を振り上げて突進してきた。中には突進せずにザールの隙を狙っている者もいる。
ザールは『糸杉の剣』を顔の前に立てると、刀身をサッと一回転させた。そして、
「そこかっ!」
刀身に映り込んだアイラに向かって跳び、一瞬で距離を詰めると
「やあっ!」
『糸杉の剣』に最大限の『魔力の揺らぎ』を込めてアイラの胴体を薙ぎ払った。
ドウンッ!
「ぐわっ!」
魔力が炸裂する鈍い音とともに、アイラが叫び声を上げる。アイラの灰色のシャツがちぎれて舞い、白い腹部があらわになった。そこには一筋の傷が血をにじませている。ザールの斬撃を間一髪で弾いたのだが、その斬撃波まで避けることができなかったのだ。
「おうっ!」
「はっ!」
グワンッ!
止めを刺そうと飛び込んできたザールの剣を、アイラはしっかりと受け止めてニヤリと笑った。『糸杉の剣』と『バルムンク』がかみ合った瞬間、二人はとっさに相手の右手首を同時に掴んでいた。
「争わずに協力できないか?」
ザールが言うと、アイラは真っ赤な唇の端から血を流しながら笑って答える。
「君もあきらめが悪いね? 私たちは戦う運命だと何度言ったら分かるんだい?」
そう言うと、アイラの左手からどす黒い『魔力の揺らぎ』が噴き出し、その腕は『竜の腕』と化した。薄く赤い色をした金属質の鱗で覆われ、ザールの右手に鋭い爪が食い込んでくる。
「くっ!」
ザールも『竜の血』を開放して左腕を『竜の腕』に変えた。凄まじいほどの白く鮮烈な『魔力の揺らぎ』は、アイラの眼を晦ませるほどであり、
「くそっ!」
アイラは苦し紛れに左腕でザールの頭を狙ってきたが、ザールは後ろに跳び下がることでその攻撃を避けた。
「ふん、やっと『竜の血』を目覚めさせてくれたかい? つまらないじゃれ合いはもう終わりにしようよ? これからがやっとウォーミングアップだよ」
竜化した左腕はそのままに、アイラが笑って言う。
――竜の血を目覚めさせたままでいないと、僕はあいつに勝てない。あいつの力は底が知れない。確かに今までの戦いは小手調べですらないな……。
ザールもそう思い、身体中を白い『魔力の揺らぎ』で包んでうなずいた。
「最後にもう一度だけ訊く。戦いを止めて協力はできないか?」
「あんっ!」
ザールの言葉を無視するように、アイラは突然切なそうな声を上げて身体を震わせた。そして、緋色の瞳をザールに向けて言い放った。
「グーラをやってくれたわね。でもおかげで私の力も戻って来たよ」
そして、空震を起こすほどの『魔力の揺らぎ』の放出とともに、アイラの背中に巨大な2枚の翼が現れる。
「ふふ、君があんまりじらすから、私はもう我慢できなくなっちゃったよ。ザール、『止翼の白竜』としての力で、君を私のものにして見せるね? 覚悟しておきなさい」
その言葉とともに、アイラの額に紫色の文様が浮かんだ。
「君も知っているはずだよ? この『破壊の誓約』のことは……」
そう言うと、アイラを包んでいた『魔力の揺らぎ』がいきなり爆裂した。
「うっ⁉」
ザールはその超高温の爆風に吹き飛ばされながら、アイラの言葉に何か懐かしい思いを感じていた。
――デストルクティオ……何だろう、何かが心に引っ掛かっている……。
ザールは痺れるような心の痛みを感じながらも、アイラが放った魔弾を『糸杉の剣』で弾き飛ばした。
「……僕は、守るためにここにいるんだ」
ザールは心を縛られるような思いを振り切るように、そうつぶやいた。
(40 破壊の誓約 完)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
いよいよ、『七つの枝の聖騎士団』も団長アイラ、そしてグリーフの二人を残すだけになってきました。
グリーフがホルンにこだわるのはなぜか、アイラとザールの因縁とは?
そんな秘密が明らかになってきます。
次回は『41 片翼の黒竜』を日曜の9時〜10時に投稿します。
お楽しみに。




