34 死神の冷血
いよいよホルンたちと『七つの枝の聖騎士団』との戦いの回となりました。
まずは、ガイと『傲慢のスーペヴィア』との戦いです。
【主な登場人物】
♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘で王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。26歳。
♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。15歳程度。
♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。23歳。
♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。21歳。
♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で『この世で最も高貴な一族』であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けるがチャラい。金髪碧眼の美青年。23歳。
♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。21歳。
♧ガイ・フォルクス…26年前にスケルトン軍団から国を滅ぼされたアクアロイドの王族。頭脳明晰で冷酷非情だが仇討に協力したホルンに恩義を感じている。29歳。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
ホルンたちと『七つの枝の聖騎士団』がカムサル峠からメーメの北10マイルの草原にかけて戦いを始めた時、遊撃軍の指揮を任されたシャロンとヘパイストスはナーイードの町を占拠したガルムと連絡を取り合っていた。
「じゃあ、姫様や『白髪の英傑』は『七つの枝の聖騎士団』たちとタイマンで戦っているって言うのか?」
ガルムは、遊撃軍から連絡係として派遣されてきたピールとバトゥにそう問いかけた。二人とも真面目な顔でうなずくと答える。
「はい、その方が余計な被害を出さずに済むという王女様のご判断のようです」
「ふむ、それはそうだろうが……」
腕を組んで考え込むガルムに、ピールは
「確かに心配ではあります。けれど『七つの枝の聖騎士団』を倒せれば、この戦は半分勝ったも同然です。王女様のご指示は、遊撃軍と主力軍は合同し、トリスタン侯国軍やアクアロイドの軍団とも協力してザッハークの軍団を圧迫していくようにとのことでした」
そう話す。ガルムも
「……そうだな、俺たちが心配しても始まらぬ。姫様の指示どおり、簒奪者たちを追い詰めることを考えた方が、天下の争乱も早く収拾できるだろうな」
そう決心したように言うと、傍らに控えたアローに命令した。
「アロー、そう言うことだからティムール殿のもとに遣いして、早めにナーイードの町まで進出されるように伝えてくれ」
「了解しました」
アローはそう答えると敬礼し、すぐに自分の部隊へと駆けて行った。
「総指揮官殿が見えられたら、今後の行動について遊撃軍とも調整が必要になる。できるだけ早く合同してほしい」
ガルムからそう告げられたピールたちは、すぐさま遊撃軍へと取って返した。
「相手が悪すぎる……しかし、姫様たちならば、『七つの枝の聖騎士団』を退けることができるかもしれないな」
ガルムは、遠くイスファハーンの空を見上げてそうつぶやいた。
★ ★ ★ ★ ★
カムサル峠では、『紺碧の死神』ガイ・フォルクスと『傲慢のスーペヴィア』が対峙していた。
「今まで戦った中で最高の相手だね。楽しめそうだよ」
ガイが放った棒手裏剣を抜き取り地面に投げ捨てると、スーペヴィアがそう言った。ガイも頬の傷をなぞり、同意して言う。
「私もそう思う。相手にとって不足はないぞ、『傲慢のスーペヴィア』よ」
ガイのその言葉を聞くなり、スーペヴィアは駆け出して切り通しの崖を垂直に駆け上り始めた。ガイはその途中に地面に平行に突っ立っている。スーペヴィアは突進の途中でチャードルの中からカットラスを取り出し、両手で構えた。
ジャリン!
二人がすれ違った時、金属が擦れる大きな音がした。ガイは手首のヒレを折り畳みながらゆっくりとスーペヴィアの方を向く。ちょうどスーペヴィアもガイの方に向き直ったところだった。
「その管は毒かい? えげつない攻撃をするヤツだね」
スーペヴィアはニカーブの奥にある漆黒の瞳を光らせて言う。ガイも薄く笑って言い返した。
「目に見えぬナインテールを扱うそなたからは言われたくないな」
「チッ!」
ガイの言葉を聞いて、スーペヴィアは崖をさらに登って尾根筋まで出るとガイに向かって叫んだ。
「アンタを過小評価していたよ。森の中で遊んでやるから、ついておいで」
しかしガイは、笑って崖から飛び降りると
「……別にそなたといつまでも遊んでやる義理はない。勝手に森の中でもどこにでも消えろ。私は王女様のもとに行かせてもらう」
そう言って峠道を駆け下り始めた。
「なっ⁉ 逃がすものか」
ガイの行動に意表を突かれたスーペヴィアは、慌ててガイの後を追って峠道を下り始めた。しかし、ガイはどれだけ速いのか、スーペヴィアが最初の曲がり角まで来た時にはガイの姿は消えていた。
「くそっ! どこに消えた?」
スーペヴィアは焦っていた。ガイの能力が想定以上であったため、自分に有利な場所へと誘い込み、少なくとも今後の作戦を練り直す時間的猶予を稼ごうと考えたのだが、ガイはそれを見破って戦場を離脱するという手に出た。
スーペヴィアとしては、このままガイがホルンの加勢に行かれては自分の面目は丸つぶれである。その焦りによって完璧であったはずのスーペヴィアの防御に隙が……ほんの一瞬、揺らぎというには小さすぎる程度であったが……隙ができた。そしてガイはその隙を見逃さなかった。
「ぐっ!」
スーペヴィアとて超一流の戦士である。ガイの攻撃に間一髪気付くことができた。そして本当に瞬きするほどの際どさでその攻撃を避けた。ガイはスーペヴィアの背後の地面から湧き上がるように手刀で斬り上げて来たのだ。
スーペヴィアの右腕が斬られて宙を舞ったが、スーペヴィアは左手でそれを受け止めるとガイから一跳びで距離を取る。けれどスーペヴィアはガイの姿を見つけることができなかった。完全に気配を消しているらしい。
スーペヴィアは斬られた右腕を切断面に押し当てた。そしてガイの次の攻撃を察知すると、とんぼ返りをうちながら山の斜面へと跳び上がるとともに、『鏡面魔法』を使って自らの姿を周りに溶け込ませた。
――聞きしに勝る恐ろしい男だね。少しこうやって様子を見るか。
スーペヴィアはそう思ったが、すぐにその考えを打ち消した。
――奴はアタシとの戦いに重きを置いていない。戦いを途中で投げ出しても恥じ入るところがないような、戦士としては独特の精神構造を持っている。このままアタシが様子見を続けたら、奴は本当にホルンの加勢に行ってしまうかもしれない。
「ふざけやがって……」
スーペヴィアは、ガイにバカにされたように感じて思わずつぶやいた。そしてそのつぶやきが、ガイの次の攻撃を呼び込んだ。
「おおっ!」
スーペヴィアは、周囲から降り注ぐように迫って来た“何か”を、立ち上がってチャードルで弾いた。自分を襲ってきたものが地面や木々にぶつかって乾いた鋭い音を立てる。それはガイの鱗だった。ただし、スーペヴィアには、そんなことを一つ一つ認識している暇はなかった。
「くっ!」
スーペヴィアは、背後から迫るガイの手刀の衝撃波を感じ、身を屈めることでそれを避けた。頭の上を重たい青龍刀のような刃音を立ててガイの手刀が通り過ぎるのを感じたスーペヴィアは、そのまま身体を回転させてガイの腹部に回し蹴りを放つ。
――手ごたえがない。『流体化』か!
スーペヴィアはとっさにそう思い、軸足で地面を蹴って左へと跳んだ。これは本能的な動きだったが、何とかガイのタイミングを外すことができた。
スーペヴィアは着地するとすぐさま右に移動し、地面に伏せて息を殺した。心を落ち着かせて地面に耳を押し付ける。
――くそっ、完璧なくらいに気配を消しているね……。物音一つ、息遣い一つ感じられない。けれど、ヤツの存在はかすかだが感じ取れる。まだここを離れてはいないようだね。
スーペヴィアはそこまで考えて、ハッと気づいた。自分がガイを『必ず仕留めねばならない恐るべき相手』と考えているのと同様、ガイも同じことを考えていないとおかしい。なぜなら、自分を置いてホルンの加勢をすることは、逆に考えるとホルン以外の誰かは自分を含めて二人を相手せざるをえなくなるのだから。
今さらのようにそこに気付いたスーペヴィアは、思わず苦笑した。相手の心理を乱すのもアサシンとしては当然の戦術ではないか。
――これは我慢比べだね……。
スーペヴィアは、地面に寝ころびながらそう思った。
――ふん、少しは落ち着いたか……思ったよりも立ち直りが早かったな。
ガイも『鏡面魔法』で自らの姿を辺りの景色に溶け込ませている。ただ一つ、スーペヴィアと違うのは、彼は身体の色そのものを変えられるということだった。
ガイは、今までの手合わせで、スーペヴィアの恐るべき能力を測りつつあった。今までは相手の虚を突いた行動によって押し気味に戦いを進めていたが、スーペヴィアとて素人ではない。いずれは立ち直ってその力を存分に開放してくるだろうとは思っていた。
ガイは最大限に神経を張り詰めて周囲の状況を探りながらも、今までのやり取りを思い返していた。そして、いくつか気になる場面を思い出しては、自分なりの仮定と対策を考えつつあったのだ。
例えば、最初のスーペヴィアの攻撃。
――ヤツは両手でカットラスを揮いながら、ナインテールのようなものでも攻撃してきた。その攻撃も正確で素早いものだった。
そして、なぜ、森の中に誘い込もうとしたのか。
――それは決まっている。森の中がヤツにとって有利だからだ。ただ、どのように有利なのか?
さらに、
――ヤツは斬り飛ばした右腕をやすやすと元に戻した。それだけ生命力が高いのか、復元力が大きいのか……いずれにしてもヤツとの戦いは骨が折れそうだな。
ガイはそれらのことを思い出しながら、少しずつスーペヴィアの正体と能力を見極めようとしていたのだ。
――さて、次はどんな手を使おうか。
ガイはそう考えながらも、油断なく周りの気の流れを読み、スーペヴィアの動きに注意を払っていた。
一方でスーペヴィアは、『嘆きのグリーフ』から聞いたガイの話を思い出していた。
「おサカナさんの最終奥義は、やっぱり『流体化』ね」
「……『流体化』? アタシの奥の手と似たようなものかい?」
スーペヴィアが訊くと、グリーフはちょっと考えるふうな目をして答えた。
「……そうね。ただ、あなたのはエネルギー化に近いけれど、おサカナさんたちはあくまで実体の『液体化』に近いわ」
「つまり、ガイは流体化している間はダメージを受けないワケだね」
「そのとおりよ。その代わり相手にダメージを与えることもできないけれどね? その点はあなたの奥の手が有利のようね」
「ふん、アンタの話ではガイはかなりの殺し屋らしいけれど、しょせんアクアロイドが陸の上でアタシたちの種族に敵うはずがないのさ」
せせら笑って言うスーペヴィアに、グリーフは真剣な顔で忠告した。
「スーペヴィア、一言言っておくけれど、ガイはかなりストイックで冷血よ。そして沈着冷静、近接戦闘も得意で、気配を完全に消し、相手の隙を見逃さない……あなたに勝るとも劣らない相手よ。これは私だけじゃなくて、インヴィディアも言っていたことだから、そのつもりで油断しないで戦ってね」
「分かったわよ。アタシはいつだって全力で掛かっているよ。それが相手への敬意ってもんだからね」
――アタシの『奥の手』を使うにはまだ早いね。けれども今の形態で勝てるとは思えないし……仕方ない、あの手を使うか。
スーペヴィアはそう思うと、ゆっくりと態勢を整え始めた。
ガイは、スーペヴィアのかすかな動きを察知した。
――来るな。
ガイはそう思い、ゆっくりと周りを見回す。相手も『七つの枝の聖騎士団』として世に知られた戦士だ。どのような力を持っているかは分からない。
すると突然、ガイの右斜め後方でニカーブとチャードルが屹立した。
しかし、ガイはその衣服がただの誘いだと見抜いていた。恐らく本体は別のところからガイを狙っていることだろう。
「さすがだよ、ガイ。これに引っ掛からないとは大したもんだね」
スーペヴィアの声が響く。それはあちらこちらから聞こえてくるようで、ちょっと聞いただけでは方向がつかめそうもなかった。しかし、ガイはその響きからスーペヴィアがいると思われる方向をほぼつかんだ。
――ヤツは声の来る方向を変えている。
灰色のマントを着たガイが、左前方へと跳んだ。そのマントに、多数の手裏剣が突き刺さるとともに、ナインテールがマントを絡めとった。
「かかったね、ガイ・フォルクス。命は貰ったよ!」
なんと、ゆらゆらと誘いのように突っ立ったスーペヴィアの服の方から声がした。スーペヴィアは服を別の場所から操っていると見せかけて、そこにいたのだ。
けれど、スーペヴィアは灰色のマントの後ろから、深い海の色をした瞳を輝かせ、黒潮のような髪をなびかせて突進してくるガイの姿を見て絶句する。
ガキン!
スーペヴィアは、ガイの繰り出した手刀をとっさにナインテールの柄で受け止めた。ガイは間髪入れずに左脚で鋭い蹴りを放つ。それはスーペヴィアの右わき腹に決まり、スーペヴィアは
「ぐふっ!」
という声と共に5・6メートルほどすっ飛ばされた。ただ、空中でとんぼ返りをうって地面に足から降り立ったのはさすがである。
「なるほど、貴様はインセクト・オルタナティヴだったわけか……」
ガイは20ヤードほど離れて地面に降り立ったスーペヴィアの姿を見てそうつぶやく。スーペヴィアには二本の足と四本の腕があり、ニカーブが外れたその顔には大きな二つの目の上に単眼のようなものが四つついていた。
スーペヴィアはにたりと笑う。その歪められた口元には二本の牙が見え隠れしていた。
「ふっふっ、アタシの本体を見たのはアンタが初めてだよ、ガイ・フォルクス。『七つの枝の聖騎士団』の仲間だって、アタシの本当の姿を見たことがあるのは団長くらいのものだからね」
そして、ナインテールを弄びながら
「……気づいているかい? アンタの腕にはもうアタシの糸が巻き付いているんだよ?」
そう言って左腕を振り上げた。
「むっ!?」
ガイは、右腕を引っ張られるような感覚に思わず声を上げ、そしてそのまま空中へとつり上げられた。ガイの右腕には金属質の光沢をもつ糸がしっかりと絡まっていた。
「はっはっ! これでも食らいな!」
つり上げられたガイに向かって、スーペヴィアは思い切りナインテールを叩きつける。ムチはしなり、ガイの肉体を存分に切り裂いた。
「ぐっ! ぐぬぬ……」
ガイは地面へと叩きつけられ、苦悶の声を上げる。それを見てスーペヴィアは心地よさそうに笑って言い放った。
「アタシの糸は絡め取った獲物を絶対に逃がさないよ。じわじわと肉をそぎ落として、干物にしてやるから覚悟しな」
「……ふふ、面白い。どれだけのことができるか楽しみだ」
ガイは口を歪めて笑うと、そう言って右腕をグイッと引っ張った。
ブシャッ!
鈍い音を立てて、糸が絡まった部分でガイの右腕がちぎれ、血が噴出した。
「なっ! 貴様、気でも狂ったか!?」
意表を突かれたスーペヴィアが慌てるが、ガイは鋭く冷たい目をしてスーペヴィアの懐に飛び込み、左手をサッと振り上げた。
ズシャッ!
「ぐえっ! き、貴様っ!」
危険を感じたスーペヴィアは跳び下がったが、一瞬遅くナインテールを持った右腕が肘からガイのヒレによって切断された。
ガイはスーペヴィアの右腕を持ったまま跳び下がり、ニヤニヤとして左手で自分の目の高さまで差し上げた。スーペヴィアの右腕はゆらゆらとしたガイの『魔力の揺らぎ』に包まれたかと思うと、その中であっけなく溶けて消えた。
ガイはさらに、ちぎれた自分の右腕をつかみ上げると、無造作に右ひじに押し当てる。ゆらゆらと『流体化』した傷口の部分は簡単につながった。
「インセクト・オルタナティヴは固いが、私のようなフレックスさはないようだな」
ガイは冷たく青い瞳をスーペヴィアに当てて言う。スーペヴィアはガイを漆黒の瞳で睨みつけていたが、不意に笑って言った。
「ふっふっふっ……お互いちょっとの傷じゃ参らないってことだね」
そしてスーペヴィアは、まるで服を脱ぐように脱皮した。ガイが切り取った右腕は、脱皮とともに元に戻っていた。
ガイもうなずくと
「ふむ、やはり貴様は面白い相手だ。私も少し本気を出させてもらうとするか」
そう言って『魔力の揺らぎ』で身体中を覆った。透き通った青い光がガイを覆うと、不意にその姿が消える。
「無駄だよ! アンタはすでにアタシの巣網の中だ!」
スーペヴィアはそう叫ぶと、四本の腕で空間を引っ張る。その動作とともに、空間に張り巡らされたクモの巣のような網が現れた。
「この網に絡めとって、身体をズタズタにしてやるよ」
スーペヴィアはそう叫ぶと、広がった巣網を四本の手で操り、ガイをその中に閉じ込めようとした。巣網はその中にかかったものを賽の目のように斬り裂く鋭さを秘めていた。
しかし、ガイは巣網の包囲から簡単に抜け出すと、笑って言う。
「どんな罠も、私には効かないさ」
何事もなかったかのように笑うガイを見て、スーペヴィアは
――奴の『流体化』を抑える工夫が必要だね。何としても奴を森の中に誘い込むか、囲い込まなければ勝ち目はないか……。
そう考えていた。
★ ★ ★ ★ ★
その頃、シャロンから『神聖生誕教団』教皇への書簡を託されたフランソワーズは、ひたすらにモアウを駆っていたが、ふとあることに思い及んだ。
――このままモアウで疾駆してもダマ・シスカスまでは遠すぎて間に合わない恐れがある。それよりも『妖精軍団』の力を借りよう。
そう考えたフランソワーズは、山道の途中でモアウの方向を変え、もと来た道を引き返し始めた。モアウの脚は速いので、半時(1時間)もすれば『遊撃軍』の最後尾が見え始めた。ロザリア隊だ。
「ジュチ殿の部隊はこの前だったわね」
フランソワーズはそう言うと、行進する部隊とモアウを並走させた。それを見てロザリア隊から副将のマルガリータが声をかけて来た。
「あなたは、『神聖生誕教団騎士団』のフランソワーズ司祭ではないですか? 今頃こんな所で何をなさっているのでしょう?」
「シャロン司教から命を受けて、ダマ・シスカスまで行かねばならないのですが、モアウでは時間がかかるので、ジュチ殿の部隊のお力を借りようと戻ってきました」
フランソワーズがそう大声で答えると、それを聞きつけたゾフィーが姿を現した。
「ふむ、シャロン司教は法王に用事があると見えるの……フランソワーズ殿、ちょうどよい。私もちと法王様に用事がある。一緒に参ろう」
ゾフィーがそう言うと、フランソワーズはモアウを寄せて来た。そしてどう見ても14・5歳にしか見えないゾフィーをじっと見つめて訊き返す。
「ゾフィー様。どのようなご用事で法王様に謁見されるのでしょうか?」
無論、フランソワーズもこのゾフィーという女性が稀代の魔族で、トリスタン候アリーの絶大なる信頼を得ていることやロザリアの師匠であること、そして長らく枢機卿として法王庁で活躍していたことも知っている。
ゾフィーはこともなげに答えた。
「何、シャロン殿と同じ用事じゃ。けれど、私はもう一つ、女神アルベドとの戦いが避けられぬものと考えている。そのことについて法王様にお伝えしておきたいことがあっての」
そしてイタズラっぽい目をしてフランソワーズを見て続けた。
「それに、私が一緒に行けば、要らぬ手続きを踏まずとも好いぞ。どうじゃ、私と一緒に法王様に話をしに行かんか?」
フランソワーズは、あながち冗談ではない口ぶりで言うゾフィーの言葉を聞いて、すぐにうなずいた。確かにこの女性と一緒なら、話は早いかもしれないと踏んだのだ。
「そうですね、仰るとおりです。よろしくお願いいたします、ゾフィー様」
フランソワーズの言葉を聞いて、ゾフィーはマルガリータを振り返って言う。
「ということじゃ。私はしばらくこの部隊を留守にするが、その間はリリスと相談して物事を進めるとよい。基本的に『遊撃軍』の指示に従っておくことじゃ。私の留守についてはシャロン殿に伝えておくから、この部隊がとんでもない任務に投入されることはないと思うぞ」
「……分かりました。ゾフィー様もお気をつけて」
マルガリータが自信なさげに言うのをゾフィーは笑って
「心配せんでもよい。ロザリアがそなたをこの軍に加えたのは、こんな時にそなたなら間違いを犯さないと踏んだからじゃ。自信を持つことじゃな」
そう言うと、右手の人差し指を立てる。それは薄い青色に輝き始めた。
「では、すぐに帰ってくるので心配せんでよいぞ」
ゾフィーは言いながら空間に精緻な転移魔法陣を描きつけると、フランソワーズを振り返って言った。
「では参ろうか」
★ ★ ★ ★ ★
「ふむ……」
ガイは目を細めてそうつぶやく。スーペヴィアがかなりの距離を取って自分の周囲を回り始めたことを感じ取ったからだ。
――ヤツは私の機動力を殺すような場所に誘いたがっていた。けれど今はそんなそぶりを見せていない。諦めたのか、それとも何か最後のあがきをしているのか……。
ガイはゆっくりと場所を移動する。もちろん隙などないが、スーペヴィアはガイの移動を知りつつもガイの周囲を回り続けている。
――ヤツはインセクト・オルタナティヴだったな。あの種族とは何度か手合わせしたことがあるが、特徴的な能力はそれぞれ違っていた。それにヤツ等は個体としての進化も早い、ヤツがどんな能力を持っているかもう少し見極めるべきだな。
ガイの慎重な一面がそう言って警告を発しているが、
――ヤツの持つ特殊能力はあの「蜘蛛の巣」と「脱皮」程度のものだ。それ以外の能力を持っているとしても、恐らくは二つの能力の応用程度だろう。姿を見せている今が奴を叩くチャンスかもしれない。
ガイの勇猛な一面がそう言っている。ガイは珍しく迷っていた。
一方、スーペヴィアはガイの周囲に「蜘蛛の巣」を張り巡らしながら、迷っているガイを見て薄ら笑いを浮かべていた。
「ふふ、迷っているね。アタシの力を見くびってくれればいいけれどね……もう少し緻密に網を張り、ヤツの動きを誘おうか」
スーペヴィアはそうつぶやくと、移動するスピードをガイに怪しまれない程度に下げる。その分、スーペヴィアが張り巡らしている「蜘蛛の巣」の厚さと強靭さは増すので、どちらにしても彼女にとって都合が良かった。
「さあ、かかっておいでガイ。さもないと、アンタの魔力が効かなくなる程度までアタシの巣が成長しちまうよ?」
スーペヴィアがそうつぶやいた時である。ガイが閃光のように攻撃を仕掛けてきた。
「ふん、来たね」
スーペヴィアは身体を沈み込ませることで辛くもガイの手刀を避けるとそうつぶやく。そしてカットラスを持った2本の手でガイの攻撃をいなしつつ、残りの2本の手から何かを宙に放った。
「むっ⁉」
ガイは手刀や蹴りで続けざまに攻撃をしかけつつ、放たれた何者かを素早く認識する。それは蜘蛛のような形をしたスーペヴィアの『魔力の揺らぎ』であり、蜘蛛の巣上に張り巡らされた『魔力の揺らぎ』を支点として、それ自身が意思を持つようにガイに向かって跳躍してくる。
「ふん、猪口才な」
ガイは魔力の蜘蛛の突進を避けつつ、次から次へと蜘蛛をまき散らしているスーペヴィアに向かって攻撃を仕掛ける。本体を倒さないと、手下は増える一方だからだ。
「小うるさい坊やだね。アタシを見つけてみな!」
スーペヴィアはそう言うと、『魔力の揺らぎ』で自分の身を包んだ。途端にスーペヴィアの姿は蜘蛛の巣にまぎれて見えなくなる。
「ふむ、そう来たか」
ガイは舌打ちしてつぶやく。そうしている間にもスーペヴィアの魔力を乗せた蜘蛛たちはガイの身体中にたかって、自由を奪おうとしてきた。
「小うるさいのはお互い様だな……しかし本体を見つけないとどうしようもないぞ」
ガイは群がってくる蜘蛛たちを払いのけながら、周囲を見回した。相手が生きている限り、何らかの『生きている兆候』というものはあるはずだ。そしてガイはほどなくそれを見つけ出した。
ガイは海の色をした瞳を持つ切れ長の目を細めると、正面方向に飛び掛かると見せて左へと横っ飛びに跳んだ。そしてすかさず左手を突き出す。
「ぐおっ!」
ガイの先には、手刀によって胸を深くえぐられたスーペヴィアがいた。
「き、貴様……なぜアタシがここにいると……」
口から青い血を噴きながらスーペヴィアが言う。ガイは目を細めたまま答えた。
「貴様の巣には、『魔力の揺らぎ』が込められている。その魔力が強いところを見つけただけだ」
スーペヴィアはニヤリと笑うと
「……そうかい……さすがはガイ・フォルクス、『紺碧の死神』と言われるだけあるね」
そう言うと、その身体はパッと霧のように弾けた。
「……不可解だ……」
ガイは、スーペヴィアが消えてしまった空間に立ち尽くして、そうつぶやいた。その目は油断なく周りを見回している。
と、ガイの目の端に、力を失って「蜘蛛の巣」の床に転がっていたスーペヴィアの『魔力の揺らぎ』を帯びた蜘蛛が、かすかに動くのが映った。
「……まだスーペヴィアの命は終わっていないということか」
いきなり飛び掛かって来た魔力の蜘蛛たちを落ち着いて撃ち払いながら、ガイは「蜘蛛の巣」の中を見回す。しかし、
――この空間にはヤツの魔力が満ちているが、魔力の濃淡がない。つまりは……。
「うっ!」
ガイは、魔力の蜘蛛が右わき腹に食らいついたのを感じて呻いた。蜘蛛は振り払う前にガイの身体の中へと侵入していく。
「くそっ!」
さすがのガイでも、四方八方から飛び掛かってくる蜘蛛たちを残らず撃ち払うことは出来ず、首筋、右腕、左肩、右わき腹、左の太ももなどに蜘蛛たちは食い込んできた。
「くそっ! 厄介な奴らだ」
蜘蛛たちが自分の肉体を齧り取っていくのを感じ、ガイはそう呻いた。このままでは内側から身体を食い破られるか、良くても傷から体液と魔力を吸い取られてしまうだろう。
けれど、スーペヴィアの攻撃はもっとえげつなかった。
「ふっふっ、いい光景だよガイ」
突然、空間が大きくゆがみ、霧のようなものが集まったかと思うと、それがスーペヴィアとなってガイの前20ヤード程度のところに現れた。
「……発散術式か」
ガイがそうつぶやくと、スーペヴィアはニヤリと笑って言った。
「アンタが『流体化』を使うのと同様、アタシも身体を発散させることができるのさ。魔力の濃淡でアタシの所在を知るなんて、アンタの能力は惜しいけれど……」
そしてスーペヴィアはゆっくりと右腕の1本を上げて
「アンタには爆散してもらうよ。あの世でいい夢を見な? ガイ・フォルクス」
そしてふと気づいたように笑いを顔一面に広げて言う。
「無駄だよ。アンタの『流体化』はアタシの巣の中では効かない。この巣の中はアタシ以外の者の魔力を拡散させてしまうからね」
――それでさっきから『流体化』しようとしてもできなかったのか……。
ガイは唇をかんでそう思った。そんなガイの表情を見て、スーペヴィアは愉悦の笑みを浮かべて
「いいよ、その顔。アタシはねぇ、獲物が悔しがってじたばたするのを見るのが大好きなんだ。アンタはひょっとして従容として死んじまうかと思ったが、命が惜しいみたいだから楽しめそうで安心したよ」
そう言ってスーペヴィアが右腕を降ろすと、ガイの肉体にめり込んでいた魔力の蜘蛛たちが一斉に爆裂した。
「ぐおーっ」
爆発と共にガイは断末魔の声を上げ、その身体はちぎれて舞った。
「ヤツは『流体化』を使う暇はなかった。アタシの巣の中で魔力を奪われていたからね」
スーペヴィアは自分に言い聞かせるように言う。その言葉どおり、ガイの身体は大きくいくつかの部位に分かれて転がっていた。
スーペヴィアは、つかつかとガイの頭に近づくと、
「地獄に行きな!」
そう叫んでナインテールを叩きつけた。オリハルコンのような金属を繊維状にして編みこんだ彼女のナインテールは、ただ一振りでガイの頭部をスイカのように叩き潰し、辺りに血しぶきと脳漿を飛び散らせた。
次に彼女はガイの胸部をナインテールでズタズタにした。肋骨は跳び散り、はみ出ていた肝臓もぐずぐずに崩れ去った。
そしてひとしきり、ガイの肉片をミキサーにかけるように潰し回った後、
「ガイ・フォルクス、あばよ。アンタのことは忘れないよ」
スーペヴィアは巣の中に飛び散ったガイの肉片を見て、笑ってそう言った。
★ ★ ★ ★ ★
ダマ・シスカスはファールス王国第二の都市で、『アトラスの海』の周辺にある諸国との重要な貿易拠点でもあった。
その町を囲む城壁から西南西に40キロほど行くと、ハーモン山という2千メートルを超える山がある。その中腹にそびえている建物こそがファールス王国の国教に準じた地位を持つ『神聖生誕教団』の総本山であった。
フランソワーズとゾフィーは、ハーモン山のふもとに姿を現した。二人はゾフィーの転移魔法陣によって1300キロほどの空間を一瞬にして移動したのだ。
「フランソワーズ殿、気分はどうじゃ?」
ゾフィーは、青い顔をしてよろよろと歩くフランソワーズを気遣ってそう声をかける。
「な、なんとか歩けます……それにしても凄い転移魔法陣でした」
転移魔法陣の中はすさまじいほどの魔力が充満しているので、移動距離が長くなればなるほど身体にかかる負担が大きくなる。いわゆる『異空間に酔った』状態になるのである。
フランソワーズは腰に佩いた長剣を杖にしてとぼとぼと進んでいたが、ゾフィーはそれを見て気の毒そうにうなずいて慰めた。
「カーシャーンからここまで約700マイル(この世界では約1300キロ)もある。私もこれほどの長距離を移動したのは久しぶりじゃ、気分が悪くなるのも無理はない。けれど、お互い急ぐ用事がある身じゃ、気の毒じゃが休んでいる暇はないぞ」
そう言うと、すたすたとハーモン山への登り口へと歩いて行く。それを見てフランソワーズもうなずくと、歯を食いしばって歩き出した。
やがて登り口に着くと、そこからは延々と石段が続いているのが見えた。法王ソフィア13世が鎮座する総本山があるのは2850メートルほどあるこの山の5合目くらい、標高で言うと1400メートル付近である。そこまでこの石段を登らないといけないと考えると、フランソワーズは気が遠くなった。
「この階段は、異空間酔いにはちょっとつらいです……」
「何、そんなに悲愴な顔をせんでもよい。ゆっくり登っておれば、そのうちに迎えが来るはずじゃ」
ゾフィーはさらりとそう言うと、石段を登り始める。フランソワーズも続いて登ろうとして一段目を踏んだ途端、妙な違和感を覚えて立ち止まった。
「どうしたフランソワーズ殿?」
ゾフィーがニヤリと笑って訊くと、フランソワーズは不思議そうに答えた。
「いえ、何でもありません……ただ、石段を踏んだ途端に引き込まれるような違和感を覚えましたので……」
ゾフィーはそれを聞くと、笑顔のまま言った。
「ふむ、そなたも来るべき時にここに来たというワケか。それならば迎えは早いかもしれぬのう」
ゾフィーはそう言うと、まだ小さくしか見えない建物を振り仰いで笑った。
『神聖生誕教団』は、日に3回の礼拝を欠かさない。
礼拝は、日の沈む時刻と日が昇る時刻、そして神話において女神ホルンが『オール・ヒール』で英雄ザールを蘇生させたといわれる正午に行われる。そして正午のミサは『蘇生のミサ』と呼ばれ、最も重要なミサとされていた。
今も、大聖堂では法王ソフィア13世が『蘇生のミサ』を行っていた。
法王のソフィア13世は今年27歳。教団に入信して22年、法王に就任して5年が経つ。彼女は類まれな魔力を持ち、人々を疫病や飢饉などから救ってきた。未来を知る力も持ち合わせていたが、彼女自身はその能力を『女神ホルンから与えられた力』と信じ、人々のために使ってきた。
その真摯な態度と、ずば抜けた能力が、彼女を弱冠22歳で法王へと押し上げるとともに、人々の絶大な信頼と人気を得て、教団の勢力振興にも多大な貢献をしていたのである。
今も聖堂には信者たちが詰めかけ、女神ホルンが顕した奇跡を思うとともに、その力で王国の将来を、そして信者の個々の人生をより豊かにとの祈りを捧げていた。
“時が来ました”
法王ソフィアは、祈りの静けさの中、誰かがそう言うのを聞いた。不思議に思った法王は、ハッと顔を上げて信者たちを見回す。しかし、みな一心に首を垂れ、胸の前で手を組んで祈りを捧げている。
“時が来ました。この国は生まれ変わり、そして人々も新たな未来を生きることになります。法王よ、我が声が聞こえるならば、ほどなく到着する回天の使者を迎える準備を行うように”
再び祈りに戻ろうとした法王は、再度そのような声を聞いて顔を上げる。今度は信者にも声が聞こえた者がいたのか、数人が不思議そうな顔をして法王を見つめていた。
それを見て、法王はうなずいて確信した。――今の声は、女神ホルン様に違いないと。
「皆さん、少しお時間をください」
法王が静かに信者に語りかける。女神の声が聞こえなかった信者たちは不思議そうに眼を開けて法王を見つめる。本来は無念無想で言葉を発することはタブーとされる祈りの時間に、法王自らがその静けさを破り、祈りを中断させることは今までになく、また信仰としてあり得ないことだったからだ。
そこに、三度あの声が聞こえた。
“法王よ、回天の使者が近づきました。急ぎその者たちを迎え、我が復活と王国の変革に力を尽くしなさい”
今度はすべての信者にその声が聞こえたらしく、並みいる信者たちはどよめいた。その声は法王のものではなく、空中から聞こえてきたからだ。
「……今、皆さんがお聞きのとおり、女神ホルン様からの啓示がありました。女神様の復活の時が近づいています。皆さんはすぐに家に戻り、来るべき時のために心正しく、身を清くして過ごしておきなさい。それと……」
ざわざわとする信者たちに、法王は力強く付け加えた。
「ここで体験したことは、時が来るまで口外してはいけません。むやみに口外すれば、今の時世です、軍団兵に咎められるかもしれませんから。よろしいですね?」
「……麓に客人が到着しました。それも非常に大事な客人のようです」
女神ホルンへの祈りを中断して聖堂から出て来た法王ソフィア13世に、法王庁を統括するシルビア枢機卿が話しかけて来た。
「そうですね。つい先ほど女神ホルン様からの啓示がありました。女神ホルン様は目覚めの時が近いと申されましたが、麓の使者はそれを告げるものでしょう」
法王はそううなずいて言い、
「シルビア枢機卿、すぐに麓の使者を大聖堂にお呼びしてください。頼みましたよ」
そう指示すると、一人で今出てきたばかりの大聖堂へと戻って行った。
大聖堂に入ると、法王は祭壇の前にひざまづき、正面の壁に掲げられた『ルーンの泉』を象った教団のシンボルと、女神ホルンが描かれたイコンを見上げた。
このイコンは、先々代の法王ソフィア12世の時に聖堂に飾られたもので、もう40年も前になる。当時の枢機卿だったゾフィー・マールという魔女が、自分の家に伝わるこの絵画を教団に寄進したものだった。描いた者は王国暦1000年代に活躍していたといわれるハリストスという高名な画家であった。
本来、『神聖生誕教団』は偶像的なものは排斥する主義だった。しかし、ゾフィーが
『この絵画は、女神ホルン様の容貌を最も忠実に再現したものと言われています。わが家はハリストスの末裔とも親交がありますので、ハリストスのメモなども見せてもらいましたが、この絵が女神ホルン様の啓示を受けてハリストスが描いたものであるという確証もあります』
と主張し、その確証も教団幹部に開示したため、大聖堂に飾られることとなったという経緯がある。
その絵画に描かれた女神ホルンは、風になびく銀髪に翠色の瞳を持ち、すっと鼻筋が通った整った顔立ちをしていた。その絵を見るたびに、法王ソフィアは自分の波打った金髪と青い瞳を残念に思ったものだった。
法王がそっとため息をついた時、大聖堂の扉が開かれ、シルビア枢機卿の声がした。
「猊下、お使者をお連れしました」
階段を登り始めて四半時(約30分)、千段ほど登っていたゾフィーたちは、不意に現れた赤い僧衣を着た女性から声をかけられた。
「そなたたちが、『回天の使者』ですか?」
女性は、黒髪に銀の髪留めをし、茶色の瞳でゾフィーたちを見つめてそう訊いてきた。ゾフィーはうなずいて答える。
「法王様がそう言われるのであれば、女神ホルン様からそう啓示を受けられたのであろうな。私の名はゾフィー・マール、こちらはそなたたちのお仲間でフランソワーズ司祭じゃ」
赤い僧衣の女性は、どう見ても14・5歳にしか見えない少女がそう言うのを聞いて、ゾフィーをじっと眺めていた。そしてハッと何かに気付くと、途端に恭しく膝まづいた。
「……どうされました、ジョゼフィン枢機卿」
ゾフィーがからかうように言うと、ジョゼフィンという枢機卿は額に汗して
「お戯れを、ゾフィー総主教様。ソフィア法王がお待ちです、おいでください」
そう言うと、三人はジョゼフィン枢機卿の『魔力の揺らぎ』に乗ってあっという間に法王庁へと到着した。
「ゾフィー総主教様が動かれたということは、女神ホルン様のお目覚めも近いのでしょうね?」
二人を案内するジョゼフィンがそう訊くと、ゾフィーは相変わらずとぼけた顔で
「女神様なら、もうほぼほぼ目覚めておられる。その中核となる存在は強大な魔力を持っておられるが、いかんせん最後の一人が目覚めておらんでな」
そう笑って言う。
「はあ……」
ジョゼフィンがそう言った時、もう一人の枢機卿であるシルビアが三人を迎えて言った。
「お待ちしていました、回天のお使者よ。法王様がお待ちかねです、大聖堂へどうぞ」
★ ★ ★ ★ ★
「あばよ、ガイ・フォルクス」
スーペヴィアは、あちこちに飛び散ったガイの肉体をひとしきり踏みつぶし、すり潰して回った後、残念そうに言った。彼女としては、期待に反してあまりにもあっけない幕切れだったからだ。
「アタシをあれだけてこずらせたのに、たかが『ヒカリグモ』でバラバラになっちまうなんて拍子抜けだよ。『ヒカリグモ』を何度も避けて見せたヤツもいたというのにね」
スーペヴィアはそうつぶやきつつ、空間に突っ立っているチャードルとニカーブのところに向かう。その時、彼女は背筋にとてつもない寒気を感じて、さっと振り返った。
そこには、ただの肉塊があちらこちらに散らばっているだけだった。潰れてしまった脳、原形をとどめていない頭部……何もさっきとは変わっていない。けれど、スーペヴィアはその風景にひどく違和感を覚えていた。
――ヤツはアタシの『ヒカリグモ』でバラバラになった。アタシの目の前で起こった出来事じゃないか。それにアタシはこの手でヤツを徹底的にミンチにしてやった。ガイ・フォルクスは確かに死んだ、確かに死んだんだ……けれど、なんでこんなに違和感があるんだろう……。
その時、スーペヴィアはハッと気づいた。確かに肉塊は散らばっている。けれど……。
スーペヴィアがそこまで考えた時だった。突然彼女の脳天が熱くなった。
「うぐっ⁉」
ズブッ!
スーペヴィアは、突然虚空から現れた蛇矛『オンデュール』に頭から串刺しにされて呻いた。頭からはどくどくと青い血が流れ出て、彼女の視界を奪っていく。
「ガイ・フォルクス、貴様どこにいる!」
串刺しにされながらもスーペヴィアは叫ぶ。けれどその叫びをあざ笑うかのように、ガイはスーペヴィアの背後に姿を現し、右手の爪を背後からスーペヴィアの額にずぶりとめり込ませた。
「ぐおっ! き、貴様……」
ガイの鋭い爪で四つの単眼を潰されたスーペヴィアが叫ぶ。その顔面はしたたる青い血で真っ蒼になっていた。
「……これで私に幻影を見せることができなくなったな」
ガイが言うと、スーペヴィアは苦しげに笑って言った。
「ふふっ、けれどアタシの奥の手『気体化』は防げないよ?」
そしてスーペヴィアは身体を霧のようにパッと散らした。
するとガイは、
「それを待っていたぞ!」
そう叫ぶと、『オンデュール』を床から抜き取り、
「やっ!」
そう鋭い掛け声とともに、自分たちを覆っていた『蜘蛛の巣』の『魔力の揺らぎ』を突き刺した。
「この空間はそなたたちインセクト・オルタナティヴにとって蛹。この空間が閉じていなければ、そなたたちの『気体化』は役に立たぬ!」
ガイはそう叫びざま、『オンデュール』を振り回す。そして『蜘蛛の巣』をズタズタに引き裂いた。
「くそっ!」
スーペヴィアは自らの身体を霧状から元の姿に戻した。そうしないと空間の密度が薄れ、元の姿に戻れなくなる恐れがあったからだ。
「やっ!」
「げっ!」
ガイは、姿を現したスーペヴィアの額を真一文字に薙いだ。復元しかけていた単眼はその一撃ですべて潰される。
「くそっ!」
スーペヴィアは、四本の腕を振り回して、あちらこちらに『ヒカリグモ』をまき散らすが、『ヒカリグモ』たちは細い糸を引きながら飛んでは行くものの、足場となる『蜘蛛の巣』が壊されているので飛び返ってくることができなかった。
けれど、スーペヴィアは次から次へと『ヒカリグモ』たちをまき散らす。いつしかスーペヴィアから放射線状に細い糸が伸びていた。
「そなたのその技は、反射ができるところでこそ役に立つ!」
ガイはそう言うと、スーペヴィアの真っ向から『オンデュール』を撃ち降ろし、脳天から真っ二つにしてしまった。
「グワーッ、Ahhhhhhh……」
スーペヴィアは恐ろしい断末魔の声を上げ、二つになった身体は炎を上げて燃え尽きていった。
しかし、
「……こいつもまた厄介だな」
ガイは、スーペヴィアが死んでも消えない『蜘蛛の糸』に困惑していた。その糸はスーペヴィアの四つの手があった場所から放射線状に伸びていて、ガイの周囲をすっかりと包み込んでいた。その網の目はかなり細かく、糸に触れないで脱出することは出来なそうに見えた。
『ヒカリグモ』の中には地面に潜り込んでいるものもあり、地面を掘って逃れることも出来そうになかった。しかも『ヒカリグモ』たちはまだ生きているらしく、少しずつ『蜘蛛の糸』は狭まってくる。
「……この糸には毒が仕込んであるようだな」
ガイは、自分を包み込んでいる『蜘蛛の糸』をよく観察してみた。その糸は細いながらも何本もの糸が縒られたようになっている。そして糸と糸の間からは粘性のある薄青い液体がにじみ出ていた。
ガイは『オンデュール』を虚空から取り出すと、思い切り『蜘蛛の糸』に叩きつけた。しかし、先ほどとは違い『蜘蛛の糸』は傷一つつかずにそこにあった。
「ふむ、こいつは蛹を形成する糸とは違う性質を持っているようだな……しなやかで、しかも鋭い。こんなのをまともに相手にしたら、私の身体も切り刻んでしまうだろうな」
ガイは、『オンデュール』すら弾いた『蜘蛛の糸』を睨み据えてそうつぶやく。このままではじわじわと狭まってくる糸に絡めとられ、身体中を賽の目のようにバラバラにされてしまうだろう。
「……死を賭した『魔力の揺らぎ』が込めてある。私の『魔力の揺らぎ』を阻害するためだろうな。とすると、『流体化』も効かぬかもしれないな」
ガイは試しに左腕を網の目に突っ込んでみた。網はガイの『流体化』を阻害し、手首から先をズタズタに切り刻もうとした。
「くっ!」
ガイはすんでのところで左手を引き、手首から先を持って行かれるのを回避する。
「……まだ時間はある。魔力で造られたものなら何か魔力の『拠り所』となる部分があるはずだ」
ガイはそう自分に言い聞かせるようにつぶやくと、周りの糸を一本一本品定めするように目で追い始めた。
★ ★ ★ ★ ★
「お待ちしていました、回天のお使者よ。法王様がお待ちかねです、大聖堂へどうぞ」
ゾフィーとフランソワーズは、シルビア枢機卿からそう言われ、ゆっくりと大聖堂へと足を踏み入れた。
「よくおいでくださいました。回天のお使者よ」
二人の対面、説教台の前に、ソフィア13世が法王笏を携えて立っていた。その顔は心なしか紅潮している。
「先にそなたの用事を済ませるとよい」
ゾフィーは隣に立つフランソワーズにそう言うと、フランソワーズは頷いて懐から取り出した手紙をジョゼフィン枢機卿に手渡して言った。
「私はフランソワーズ・マルシャン。『女神の騎士団』第6分団でシャロン・メイル司教の指揮のもと戦っております。本日は団長であるシャロン司教の手紙を言付かって参りました」
ソフィア法王はその手紙をちらと見るとうなずき、
「……シャロン司教の手紙については追って返事をいたします。それよりもゾフィー・マール総主教、あなたがここにおいでになるとは、それほど事はひっ迫しているということでしょうか?」
そうゾフィーに訊く。ゾフィーは初めて真剣な顔でうなずいて
「法王猊下は『片翼の黒竜と止翼の白竜』についての詩篇はご存知ですかの?」
そう切り出した。法王ソフィアは青い目を細めて首をかしげてつぶやく。
「さて……。シルビア、ジョゼフィン、そなたたちは何か知りませんか?」
法王がそう訊くと、シルビア枢機卿が自信なさげに答えた。
「巷の噂程度のことなら聞いたことがございます。『聖女王の名を持つ片翼の黒竜が、四翼の白竜と共にこの国を建て直す』というものだと記憶しております」
ゾフィーはそれを聞いてうなずいて言う。
「さよう、詩篇のキモは今シルビア枢機卿が申したとおりじゃ。その他にも様々な詩があり、それをさまざまな解釈をしている者たちがいることも事実じゃ」
「……今の世の中に不満を持つ民人が、そのような言葉を口伝えにしたものであろうな」
シルビア枢機卿が言うと、ゾフィーは首を振る。
「これは流言蜚語の類とは違うのじゃ。詩篇を編んだ者の名はジェダイ・フォルクスというアクアロイドじゃ。このアクアロイドはちょっと変わっておっての、錬金術や王国の歴史の研究で一生を終えた人物じゃが、その研究の中に『女神ホルンとオール・ヒール』という本がある。これがまた難解な書物なんじゃが、世迷言が詰まった人騒がせな本として世の人々には受け入れられておらぬ」
ここまで聞いて、法王は首をかしげる。その気持ちを代弁するかのように、ジョゼフィン枢機卿がゾフィーに訊く。
「あ、あの、総主教様、無名の人物の本が、今回総主教様のお出ましとどのような関係があるのでしょうか?」
それを聞いてゾフィーはやれやれと言った表情で肩をすくめて言う。
「歳を重ねた者の言葉は最後まで良く聞くことじゃ。まったく若い連中は急かしてくるからかなわん。要は、そのジェダイが編んだ詩篇は、わが教団の聖典である『闇と復活の神話』に通じるところがあるのじゃ。更に言うとジェダイの詩篇の原本はこの本山にあるのじゃ。知らなかったかのう?」
ゾフィーの言葉を聞き、法王たちは吃驚した顔をして訊く。
「なんと! 総主教殿、それは真ですか?」
ゾフィーはうなずくと答えた。
「あまりに突拍子もないので書庫に置かれたままになっておるのじゃろうて……ここからが大事なことじゃが、その詩篇と聖典を比べると、女神アルベドの復活、女神ホルンの覚醒、そして女神同士の戦いと、『闇と復活の神話』どおりのことが起ころうとしておる。恐らく、ここ数か月のうちな」
それを聞くと、法王と二人の枢機卿の顔が厳しくなった。
「シャロン司教も戦いの中でそれを感じ取っているはずじゃ。シャロン司教からの手紙の中身、恐らく『光と闇の祈り』についての話じゃろうと思うがの」
ゾフィーはさらりとそう言うと、法王に歩み寄って笑った。
「私は長い間この時を待っていたのじゃ。法王猊下、今後のことについて話し合うため、少し時間をいただけないかのう?」
★ ★ ★ ★ ★
「あれか……」
自分を取り囲んだ蜘蛛の糸を眺めていたガイは、遂にその『結節』というべき場所を見つけてニヤリと笑う。今や蜘蛛の糸はガイの身体近くまで縮まって来ていたが、その圧迫にもガイの沈着冷静さは負けなかった。
「やっ!」
ガイは虚空から取り出した蛇矛『オンデュール』で、寸分違わずその『結節』を叩き斬った。すると彼の周りを取り巻いていた蜘蛛の糸は、一層凶悪となった『魔力の揺らぎ』とともに弾けて消えた。
ガイは、『オンデュール』を構えたまま目を閉じた。何かとんでもなく禍々しいものがたゆたっていて、その禍々しいものは自分を狙っている――そんな気がしたのだ。
ガイは自分の深い海の色をした髪が、風に揺れるのを感じた。けれどその揺れ方はいつもと少し違った。少しドロリとした感じ……そう言えば想像がつくだろうか。
「むっ⁉」
ガイは、突然地面からおびただしい数の『ヒカリグモ』が飛び出すのをかわしつつ、空間の一点に自分の鱗を飛ばす。ガイの鱗はそこにいた特に大きな『ヒカリグモ』に弾き飛ばされた。
「……それがそなたの正体か。『傲慢のスーペヴィア』よ」
青い瞳を持つ目を据えてガイが言うと、巨大なヒカリグモはスーペヴィアの声で笑って答えた。
「何とも恐ろしい男だねアンタは。アタシの罠を次々と破って見せて、終いにはアタシに最終形態まで使わせるなんて……けれど、それでこそアタシの好敵手ってもんさ」
ガイはそんな話をするスーペヴィアを見つめながら、神経は四方へと張り巡らせていた。思ったとおり、スーペヴィアはガイの周りに密かに『ヒカリグモ』たちを配置につかせているようだ。その証拠に、心なしか辺りの空気が紫色に霞み始めているようだった。
――ヤツは十分危険な存在だ。この戦いも長引けばどうなるか分からん。ここで私も奥の手を使わせてもらおうか。
ガイはニヤリと笑うと言った。
「お前もなかなかタフな相手だ。こんなに楽しい戦いは久しぶりだよ」
それを聞いて、スーペヴィアも笑って答える。
「そうかい、お互いの気が合ったところで、アンタを倒さねばならないのは残念だが、これも勝負だからね。悪く思わないようにお願いするよ?」
スーペヴィアが話し終えた途端、ガイは身体中の力が抜けて息苦しささえ感じた。
「くっ……毒ガスか……」
ガイはそう苦しそうに呻くと、ばたりと地面に倒れた。それを見たスーペヴィアは、
「ふふん、気が付かなかっただろう? アタシの最終兵器、無色無臭の神経毒だよ。コイツに触れたらどんな生物でもいちころさ。獲物が食えなくなっちまうのだけが欠点だけれどね。まあ、アンタはこのくらいでないと息の根は止められないだろうからね……ひっ!」
そう叫ぶと、スーペヴィアは倒れたガイから跳び下がろうとした。ガイの身体がドロリと融け出したからだ。
「ひっ! な、なんだコイツは? 来るなっ! こっちに来るなっ!」
スーペヴィアはガイが液体化し、その『液体のガイ』がまっすぐに自分に向かって飛んでくるのを見て、跳び下がりながら叫んだ。けれどガイはいくつかの塊に分かれてスーペヴィアを包囲するように迫ってくる。
「来るなっ! げっ! ぐががが……」
遂にスーペヴィアはガイの『流体化』に捕らえられた。流体化したガイの身体にはほかでもないスーペヴィア自身の神経毒がたんまりと溶けている。その毒が、まとわりついた流体からスーペヴィアの身体へと吸収されて行く。
「ぐがっ! がはっ!」
今やスーペヴィアは身体中を『流体化』したガイに包まれていた。周りは毒が詰まった水であり、皮膚呼吸もできず、ましてや肺での呼吸もできない。
「は、離れろっ! 離れろっ! がぶっ!」
スーペヴィアは水球の中で滅茶苦茶にもがいていたが、やがてぐったりと動かなくなり、ドロリと融け出した。
「……私が『流体化』で別の身体を作ったのを見過ごしていたようだな」
ガイはそう言いながら地面から姿を現すと、自らの毒のために水球の中で溶けてしまったスーペヴィアの亡骸を見つめて笑った。
「……ついでに言うと、私はどんな毒でも視覚的に捉えることができるのさ、紫色の陰としてね」
ガイはそうつぶやくと、虚空から『オンデュール』を取り出し、
「今度こそ、決着がついたな」
そう言って目にも止まらぬ速さで水球を突くと、水球はまるで霧が晴れるように文字どおり雲散霧消した。
(34 死神の冷血 完)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回からしばらくはホルンたちと『七つの枝の聖騎士団』たちの戦いのシーンとなります。
その間に、王国の運命などについての謎解き要素が入ります。
次回『35 紅蓮の誓約』は、来週日曜日に投稿予定です。
リディア対『強欲のアヴァリティア』の物語です。お楽しみに。




