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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
32/70

31 天命の歯車

ホルンとザールは、自らの軌跡を確認するために訪れた地で、それぞれの秘密を垣間見る。

その間、遊撃軍はジュチたちの活躍により、王都への道を塞ぐ敵拠点を狙える態勢を作り出していた。

【主な登場人物】


 ♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘で王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。26歳。


 ♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。15歳程度。


 ♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。23歳。


 ♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。21歳。


 ♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で『この世で最も高貴な一族』であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けるがチャラい。金髪碧眼の美青年。23歳。


 ♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。21歳。


 ♧ガイ・フォルクス…25年前にスケルトン軍団から国を滅ぼされたアクアロイドの王族。頭脳明晰で冷酷非情だが仇討に協力したホルンに恩義を感じている。29歳。


   ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


 王国暦1576年花咲き誇る月10日、ホルンとザールが率いる『遊撃軍』は、アルボルズ山脈の北にあるサーリーの町に退却した王国軍第91軍団とその援軍を撃破し、『蒼の海』の東側から南側周辺を掌握した。


 この戦いは、ジュチの指導の下に行われた。ロザリア率いる前衛がゴルガーン地峡を突破はしたものの、守兵である第91軍団をほぼ無傷で逃したことを知ったジュチは、予定を変えて自身の『妖精の軍団』や『神聖生誕教団騎士団』、そして主将のいないホルン、ザール隊を指揮してゴルガーンまでやって来たのである。


「やあロザリア。野戦に続きゴルガーン地峡の陣地の奪取、お疲れ様だね」


 ジュチがにこやかにそう言うと、ロザリアは苦虫を噛み潰したような顔で


「敵軍の半分は取り逃がしてしもうた。私にとっては不本意な結果じゃよ」


 そう言う。ジュチはニコリとして


「まあ、ロザリアならそう言うと思っていたよ。そこで、サーリーの町にいる第91軍団、こいつを叩き潰さないとね?」


 と笑う。ロザリアは眉を寄せて訊いた。


「簡単に言うが、相手はこちらより数が多い。それにサーリーの町はテーランに続く第9軍管区の主要な集積地じゃ。守りも堅いぞ?」


 ジュチは西の空を見上げて、笑いながら言った。


「わざわざこちらが攻める必要はない。あちらさんに来てもらえばいい」

「そううまく行けばよいがの。何せあちらは固く守っておけばこちらの動きを牽制できるのじゃからな」


 そう言うロザリアに、ジュチは片眉を上げて言う。


「ま、楽しみにしておけばいい」


 実はジュチはゴルガーン地峡の陣地に来るまでに、テーランへと配下を派遣し、


『第91軍団長は戦意を失くしてゴルガーン地峡の陣地をわざと放棄したのだ』

『いや、軍団長はザールと気脈を通じ、自分もザールと呼応してサーリー街道からテーランに攻撃を仕掛けるつもりなのだ』


 などという噂を町中に流していた。


 この噂は当然、第9軍管区を指導する州知事の耳に入った。州知事は事態の深刻さに、


「第91軍団長を罷免せよ。もっと突進力(行き足)のある者を軍団長にせよ」


 と、軍管区指揮官も兼ねる第9軍団長に命じていた。命令を受けた軍管区指揮官は、すぐさま第91軍団長をテーランに呼び戻し、代わりに第93軍団長を軍団と共にサーリーの町に送るとともに、


「そなたが2個軍団を指揮してザールを押し留めよ」


 と命令していた。


 第93軍団長は、サーリーの町に着くと、すぐさま第91軍団の将兵に話を聞いた。そして、『炎の告死天使』リディアと『紺碧の死神』ガイの話や、ザール軍の築城攻城技術を聞いて、


――それほどの軍ならば、ただ守っていてもいずれは不利になる。野戦でその二人を討ち取れば、ザールの進撃も止まるだろう。


 そう考えて、


「野戦でザールと雌雄を決する。しかし、ただ漫然と野戦を挑んでも勝利は覚束ない。ここは『炎の告死天使』と『紺碧の死神』を討ち取る手段を考えねばならない」


 と、司令部の面々と熟議した。


 そして、


――第91軍団と第93軍団のそれぞれ半数で敵に攻撃を仕掛け、わざと逃げ出し、残りの半数で敵の退路を断って二人を討ち取る。


 という単純だが実行しやすい策を取ることにした。


「では行くぞ。部隊の連携が勝負を決める。みんな落ち着いて作戦通りに行動せよ」


 第93軍団長はそう言うと、全軍の進発を命じた。



「サーリーの町から、約2万の軍勢が出撃しました」


 その連絡は、すぐさまジュチのもとに届けられる。


「なんと、本当に出てきよった。ジュチ、そなたは事態がこのようになると見通しておったのか?」


 ロザリアがびっくりしたように言うが、ジュチは薄く笑って


「見通していたのではなくて、敵が出撃せざるを得ないようにしたのさ。もろちん、敵は出撃したら勝てると考えているだろうけれどね」


 そうして伝令に訊く。


「その2万、1個軍団か? それとも別々の部隊か?」

「はい、1万ずつの2隊のようです」


 伝令の答えを聞くと、ジュチは少し考えていたが、笑って伝令に言った。


「おそらく、引き続き2万が出撃するだろう。後続部隊が出撃したらそれをボクに知らせてほしい。そして後続部隊にそのまま触接し、相手の進路を教えてくれ」

「了解しました」


 伝令は新たな任務をもって前線へと引き返す。それを見送ったジュチは、帷幕に集った諸将に言った。


「ロザリアから聞いていた第91軍団長は、明らかに傑物だ。そう簡単にこちらの策に引っ掛かってくれるような人物ではない。一方、テーランの軍司令部にしてみれば簡単にゴルガーン地峡の陣地を奪われたのは目算違いだろう。そこで第91軍団長の悪い噂を流して、敵に前線指揮官を交代させた」

「ううむ……すでにそんな策を弄しておったとは……」


 思わずうなるロザリアに笑いかけて


「思ったとおり、敵は攻撃精神旺盛で、しかもそこそこ頭の切れる人物を指揮官に持ってきた。ボクが相手の立場で考えれば、我が軍の攻城兵器や技術は脅威だろう。それなら野戦でボクたちを壊滅させる方を選ぶと考えた」


 そしてリディアとガイを見て言う。


「その時、最も敵が狙いをつけやすいのは何か? 簡単なことさ、『炎の告死天使』リディアと『紺碧の死神』ガイを討ち取ればいい……そう考えているはずだ」

「でも、敵はここに姫様やザールがいるって思っているんだよ? 普通はそっちを狙うんじゃないの?」


 リディアが言うと、ジュチは首を振って


「いや、敵の行動が物語っている。敵は全軍を四つに分け、二つずつを組にし、前衛でリディアとガイ殿を引きずり出し、後衛と挟み撃ちで討ち取ろうとしている。1万ずつ2隊を出撃させたのはそのためだよ。本気でこの本陣を狙うつもりなら、4万挙げて一丸となって出撃するさ」


 そう言うと、ニコリとして笑った。


「で、敵がそんな策を弄して出撃してくれた。実はボクは敵が動かないことを最も恐れていた。そこそこ頭が切れる奴だからこそ、自分の謀に自信をもって出撃していることだろう。“ソレ策ノ上ナルハ敵ノ策ヲ利用スルナリ”ともいう。この一戦でアルボルズ山脈の北側を完全にいただこう」



「ザール隊が動き始めました」


 斥候から報告を受けた第93軍団長は、忙しなく伝令に訊く。


「数と進路は?」

「はい、第一陣が4千内外、真っ直ぐこちらに向かっています。その後ろに約6千、これはザールの軍のようです。第一陣と第二陣の間は半マイル(この世界で約930メートル)ほど離れています」

「先鋒の将は分かるか?」

「はい、オーガの女とアクアロイドの男です」


 そう訊くと、第93軍団長は手を打って喜んだ。


「よし、それこそリディアとガイに違いない。第二陣が戦いに加わる前に、何としても敵の2将を引き離せ。我らも出撃だ」


 第93軍団長は残りの2万を率いてサーリーの町を出撃した。



 敵の残りが出撃したという報は、すぐにジュチのもとに届いた。ジュチはニコリとして『妖精の軍団』を呼集すると、同じく魔導士軍を率いているロザリアに笑いかけた。


「では、敵の鼻を明かしてやろう」

「おお、私にとっては前回の雪辱じゃ。存分に暴れさせてもらうぞ」


 その頃、前線ではリディア隊と第91軍団支隊が、ガイ隊と第93軍団支隊が衝突していた。


「アタシはジーク・オーガのリディア・カルディナーレ。この国の正統な後継者であるホルン王女様に楯突く奴はみな敵だよっ! 命が惜しくない奴だけかかっておいで!」


 リディアはモアウの上に突っ立ち、そう名乗りを上げると、紅蓮の炎に似た『魔力の揺らぎ』を放ちながら突撃を開始する。敵にもその名を知られ始めた82キッカルの大青龍偃月刀『レーエン』は、その振り回す風圧だけで敵の騎兵を落馬させた。


「わっ、『炎の告死天使』が出たぞ!」


 第91軍団支隊の将兵は、その声を聞いただけで浮足立ち始めた。


「酷薄無残なザッハークを誅し、正統の光でこの国を照らすため蹶起したアクアロイドのガイ・フォルクス。ザッハークに就く者は私にとって不倶戴天の敵。首を洗って待っておれ!」


 ガイもモアウに突っ立ち、そう名乗りを上げると配下の2千人と共に第93軍団支隊に突っ込んだ。海神由来の蛇矛『オンデュール』は、目にも止まらぬ動きで敵兵たちをなぎ倒し、突き倒してゆく。


「げっ! 『紺碧の死神』も出やがった!」


 第93軍団支隊の将兵も、そう言った声と共に脆くも崩れ始めた。


「あっ、まだこの程度で逃げるんじゃないよ!」

「待てっ! この世の道理を知らぬ戯け者ども!」


 リディアもガイも、どちらも逃げる敵兵を追撃し始めた。


「よし、敵は餌に食いついたぞ」


 後方では、第93軍団長がニヤリと笑ってつぶやいた。もうすでに第93軍団本隊も第91軍団本隊も、埋伏地点に到着して軍団支隊がリディアやガイを誘導してくるのを待っている。第93軍団長は勝利を確信した。


 しかし、


「いや、エサになっているのはキミたちだけれどね?」


 という涼しげな声が虚空から聞こえ、次の瞬間、第93軍団長は目を見張った。無数の緑色に光るアゲハチョウが配下の兵士たちを取り囲み、鱗粉をまき散らしている。兵士たちは鱗粉が目に入ると


「わっ、目が、目が見えない」


 と騒ぎ、その鱗粉を吸い込むと


「ち、力が……」


 と崩れるように倒れ込んでいく。あっという間に1万の将兵は戦闘不能に陥った。


「キミがこの部隊の指揮官かい?」


 ジュチが第93軍団長の前に立つと、軍団長は


「やあっ!」


 と抜刀してきたが、ジュチは難なくそれを避け


「悪いけれど、戦のならいでキミの首だけはいただかないといけないんだ」


 ジュチがそう言うと、第93軍団長の首は、後ろに回ったヌールによって刎ねられた。



 一方、第91軍団本隊には、ロザリアの魔導士軍がかかっていた。


「くっ……殺せ!」


 第91軍団長代理は、首筋に毒薔薇の棘を突き付けている12・3歳の少女に向かってそう吐き捨てた。その少女は、すでに配下の魔導士たちの麻酔薬で動かなくなった1万の兵士たちをうっとりと見つめていたが、


「そう死に急ぐでない。おぬしの部下は一人として殺してはおらんぞ? 今頃は第93軍団も同じ憂き目に遭うておるが、そちらも極力、殺さないようにしておるはずじゃ」


 そう少女にしては艶めかしい声で囁く。


「な、何が狙いだ? 80万国軍や『七つの枝の聖騎士団』が黙っておらぬぞ」


 そう言う軍団長代理に、ロザリアは不敵な笑みを浮かべて答えた。


「ホルン女王様の誕生と、ザール様の心を手に入れること。この二つが望みじゃよ。そのためには『七つの枝の聖騎士団』ごときは蹴散らしてやるわ」


 そしてロザリアは、軍団長代理の首筋に、毒薔薇の棘を差し込んだ。



 一方、リディア隊とガイ隊をあしらいながら挟撃地点まで誘導してきた第91軍団と第93軍団の支隊は、一向に本隊が攻撃を仕掛けないことに不安を感じていた。


「指揮官はどうされたのだ。このままでは本当に潰走してしまうぞ」


 支隊を率いていた指揮官が、そうジリジリし始めた時、突如として後方からバトゥとトゥルイが指揮する部隊が突っ込んできた。


「ザッハークに与する愚か者たちよ、サーリーの町はすでにザール・ジュエル様の手に帰した。大人しく降伏せよ!」


 バトゥが薙刀を閃かして叫べば、


「すでにその方たちの本隊は壊滅した。ここで無為に命を落とすか、ザール様に帰順して生き延びるか、好きな方を選べ!」


 と、トゥルイも槍をしごいて突っかかってくる。


 さらに第91軍団支隊にはロザリアの魔戦士軍団が、第93軍団支隊にはジュチの『妖精の軍団』がそれぞれの指揮官の首を見せつけながら


「早いところ降参せよ。私もこれ以上殺すのは飽き飽きじゃ」

「武器を捨てて地面に座った方が、キミたちのためになると思うよ?」


 と投降を呼びかけたため、それぞれの支隊は全員が武器を捨てて『遊撃軍』の軍門に降った。


 ここで捕虜になったのは、二つの軍団合わせて3万5千ほどだった。

 ジュチはいったん全員を武装解除したものの、近くに『タルコフ猟兵団』の拠点があることを知ったため、タルコフを呼び出すとザールの名において頼んだ。


「サーリーの町は『蒼の海』の南側では大切な拠点。住民のためにここをしっかりと守って、上からの命令には適当に答えておいてくれれば助かるが」


 するとタルコフはにこやかにうなずいて答えた。


「ザール様には一生の恩があります。ここでこのような大事な役目を仰せつかるのは個人的にも嬉しいですし、猟兵団としても栄誉です。しっかりとここを守り抜きますのでご安心を」


   ★ ★ ★ ★


 ホルンとザールは、ジュチの勧めによって『ドラゴニュート氏族の里』を訪れるために転移魔法陣をくぐったが、そこに足を踏み入れた途端、二人とも強烈な睡魔に襲われた。


「……ここは?」


 ザールは、深い森の中で目覚めた。ゆっくりと身体を起こし、辺りを見回す。けれどただうっそうとした木々が広がるだけだ。


「……ローエン様やグリン様の森とは違うようだが……」


 ザールはそうつぶやくと、ゆっくりと立ち上がった。その時、ザールの頭の中に声が響いた。


“よく来たな、我が息子よ。その真の姿を現し、我がもとに来たれ!”

「ぐっ! C’est la bian Doraconista, Que slenerin, Oto ici Doracores, Doraco」


 その声が響いた途端、ザールの身体から白色の『魔力の揺らぎ』が噴き出した。

 そして、その『魔力の揺らぎ』が収まった時、ザールは体長25フィートほどの『四翼の白竜』と変わっていた。


四翼の白竜(ザール)よ、ノイエスバハムートよ、我がもとに来たれ!”


 四翼の白竜(ザール)は、その声に導かれるように空に飛び立つ。そして分かったことは、自分が今飛び立った場所は、地面ではなく世界樹の一枝であったことである。


――世界樹の本体か? 恐ろしくでかい。


 四翼の白竜(ザール)はそう思いながら、世界樹の幹をかすめるように上へと飛ぶ。そしてどのくらい飛んだであろうか、世界樹のてっぺん辺りに、ぼうっと白く輝いて巨大なドラゴンの頭が見えだした。


――あれが、ドラゴンの王の中の王、プロトバハムート様か。


 四翼の白竜(ザール)はそう見当をつけた。しかし、そこからプロトバハムートの近くに着くまでがさらに長い時を要した。


 やがて、四翼の白竜(ザール)はやっとのことでプロトバハムートの近くにまで飛んできた。彼は、まずプロトバハムートの巨大さに驚いた。どうやらプロトバハムートはこの世界樹を守護しているらしいが、その全長は計り知れなかった。その瞳の直径が軽く10マイル(この世界で約18・5キロ)を超えていたといえば、想像がつくであろうか。


“よくここに来た、ノイエスバハムートよ。思ったよりも早く着いたな”


 遠くから聞こえる鐘の音のように、頭の中にプロトバハムートの声が響く。想像していたよりも優しく、そしてふくよかな声であった。


「僕に何を教えていただけるのでしょうか? プロトバハムートよ」


 四翼の白竜(ザール)がそう言うと、バハムートは少し目を細めた。


“ノイエスバハムートよ、そなたはその名のとおり我が息子であり、我が命の炎のかけらである。そのことをそなたに伝えたくて、この世界に来てもらった”


「僕はザール・ジュエル。サーム・ジュエルとアンジェリカの息子だが?」


 四翼の白竜(ザール)はそう言って首をかしげる。プロトバハムートは理解のうなずきをして


“それはそなたの『現身』のこと。そなたの本当の姿は、その『四翼の白竜』、つまりノイエスバハムートだ。そなたは女神ホルンと女神アルベドの御業を成就させるため生を受けたはずだった……”


「はずだった……とは?」


 四翼の白竜(ザール)は緋色の目を細めて訊く。プロトバハムートは目を閉じてしばらく何かを考えていたが、やがて眼を開けて言う。


“女神アルベドは死と破壊を司る女神。そのアルベドの剣は何物をも破壊する”


 四翼の白竜(ザール)は黙ってうなずく。


“そして女神ホルンは再生と調和の女神。その至高の力である『オール・ヒール』はすべての命を慈しみ、すべての命を癒す”


 四翼の白竜(ザール)は考える。『オール・ヒール』が女神ホルンの力だとしたら、オリザは


「……オリザは、女神ホルンの転生?」


 その言葉を、プロトバハムートは否定した。


“そなたの現身の妹は、女神ホルンの力を分け与えられたに過ぎぬ。女神ホルンは再生の時を待つために、いくつかの現身に転生している。女神アルベドが動き出すまではな”


「では、女神ホルンは今どこに? それが僕の記憶から消えたホルンなのでしょうか?」


 プロトバハムートは、そう訊いてくる四翼の白竜(ザール)に答えた。


“そなたの中からホルンは消えていない。しかし思い出すためには、そなた自身の命のかけらを手に入れる必要がある”


「僕自身の命のかけら?」


“そなたは本来、6枚の羽を持つドラゴンだ。しかし今は副翼の4枚しか持たぬ。あとの止翼2枚を自らのものにせねばならぬ。そなたは私の息子、勝ち抜いて止翼の白竜として女神アルベドの破壊を止めねばならぬ。そのために、そなたに私の力を授ける”


 プロトバハムートはそう言うと、四翼の白竜に向かって咆哮した。


   ★ ★ ★ ★ ★


「……ちゃん、おねえちゃん」


 誰かが肩をゆすっている。日の光が木漏れ日となって降り注いでくる。


「お姉ちゃん、大丈夫かい?」


 誰かの声が聞こえる。まだ幼い声だけれど、ザールに似ている……ホルンはそう考えながら、ゆっくりと目を開けた。


「……ここは?」


 ホルンはゆっくりと身を起こしながらそう言った。答えを求めたわけではない。ここが『ドラゴニュート氏族の里』であることは、周りの空気から感じ取れる。


「ここはドラゴニュートバードだよ。お姉ちゃん、よくここに入って来られたね?」


 ホルンは、自分に向かってそう言ってくる少年を見つめて、懐かしい思いと共に微笑んだ。少年はまだ7歳くらいで、白髪で、緋色の瞳をしていた。


「あなたは、ザールね?」


 ホルンが言うと、少年はびっくり目で


「えっ! なんで俺の名前を知ってるの?」


 そう言う。ホルンは優しく微笑んで答えた。


「だって、その白髪……そしてドラゴニュートバードはあなたのお母様の産まれた場所でしょう?」


 それを聞くと、少年ザールは不意に険しい顔をしてホルンから2・3歩離れ、鋭い声で訊く。その顔にはどす黒いタトゥーのような文様が浮かび上がって来た。


「貴様は誰だ!? 人間じゃないな?」


 ホルンは微笑を残したまま答える。不思議とザールの変容に何も感じなかった。


「私はホルン。あなたは後に『白髪の英傑』と呼ばれ、私と共に戦うのよ」


 それを聞くと、少年ザールは急に表情をやわらげた。あのタトゥーのような文様も引っ込んでしまう。


「ホルン……だって? じゃ、あなたは女神様?」


 ホルンは笑って首を振る。その銀色の髪が日光を跳ね返し、キラキラと輝いた。


「やあ、ザール。こんな所にいたんだね? おや、こちらの見目麗しきご婦人は?」

「わあ、凄い美人。ザールの知り合い?」


 そこに、金髪をウザったく伸ばした、けれどもハッとするほど顔立ちが整った少年と、茶髪に白い角を生やした可愛らしい顔の少女が現れる。ホルンには自己紹介されずともそれが誰かは分かった。


「女神ホルン様さ」


 ザールが言うと、金髪の少年は大げさにうなずいて言う。


「おお、そうだろうとも! この美しさは神でなければ説明がつかない」


 そして茶髪の少女も言う。


「うん、ザールが女神様だっていうんなら、そうなんだろうね」


 すると少年ザールは、にこやかにホルンに問いかけた。


「ねえ、女神様なら俺の友だちのことも知っているよね?」


 ホルンはいたずらっぽい目で答える。


「そちらのハイエルフさんがジュチ、ジーク・オーガのお嬢ちゃんがリディアね?」


 すると、少年ジュチが感に堪えないような顔で言った。


「おお、さすがは麗しの女神さま。この世で最も高貴で有能な我が種族を過たずハイエルフと仰るとは!」


 するとリディアも目を輝かせてホルンのもとに飛んできて言う。


「すごいや、本当に女神様なんだね!」


 さすがに悪乗りが過ぎたかと思ったホルンは、慌てて首を振って言う。


「えっ? ち、違うわよ。私はこの里の血を引く者で、女神様なんてたいそうな者じゃないわよ……きゃっ!」


 けれど少年ザールはそれも聞こえないように、ホルンのお尻をサッと撫でると、


「わーい! 女神様のおしりを触ったぞー!」


 そう言って駆けだす。それを見て目を丸くしていたリディアとジュチが


「こらー! そんなえっちなことしちゃ、いけないんだよー」

「そうだよ、なんてうらやまけしからんことを!」


 とザールを追って駆けだした。


 ホルンはあっけにとられていたが、


「とにかく、あっちが人里のようね」


 そう言うと、三人の後を追って歩き出した。


――ザールはどうしているかしら? とにかく、ここに来ることが私の運命みたいね。


 そう考えて歩いていたホルンの目の前に、ドラゴニュートバードの入口が見えて来た。



「私はホルン・ファランドール。アムール様の娘、ウンディーネ様とシャー・ローム陛下の間に産まれた者です」


 ドラゴニュートバードに入ったホルンは、少年ザールたちに案内されて里長のアムールと会い、そうあいさつした。アムールはびっくりしたようだったが、


「うむ……にわかには信じ難いが、そなたの容貌は確かに我が娘ウンディーネやアンジェリカとよく似ておる。だが、ウンディーネが亡くなったのは10年前、そなたがその時に産まれた者であるならば、歳が合わぬな」


 そう言う。ホルンはうなずいて言った。


「はい、私は今26歳。この世界では、私は育ての親であるデューン・ファランドール様やその婚約者とともに、ダマ・シスカス辺りで暮らしていることでしょう」

「この世界では?」


 アムールが目を細めて訊く。ホルンはその目をまっすぐ見つめて言った。


「はい、私の世界では、ザールは23歳で、私と共に王国を建て直すために戦ってくれています。『四翼の白竜』として」

「……では、16年後にはザールは『竜の血』が目覚めておるのか。今のままのザールで『竜の血』が目覚めると、恐るべきことになるが」

「どういうことでしょう?」


 ホルンは、顔色を変えたアムールに不吉なものを感じて訊く。


「ザールはおととし、サーム殿とアンジェリカのたっての願いでこの里に引き取った。ザールの『竜の血』は、禍々しいほどに特殊だからだ」


 アムールの答えに、ホルンも目を細めて訊き返した。


「禍々しい? ザールと私は同じ血を引く姉妹から、同じ血を引く兄弟によって産まれています。私にも何か特殊な禍々しさがあるのでしょうか?」


 そう言うと、ホルンは『竜の血』を呼び起こし、『片翼の黒竜』となって訊く。アムールはホルンの『血の覚醒』を側で眺めてうなずいた。


「うむ『片翼の黒竜』……。そなたがウンディーネの娘であることは認めよう。ウンディーネは黒竜の血を、アンジェリカは白竜の血を濃く引いていたからのう」

「それで、ザールが禍々しいとは、どういうことでしょうか? 私の世界ではザールはそんなに禍々しくはありません。真っ直ぐで、高貴で、そして慈悲深くあります」


 ホルンが元に戻って訊く。アムールは少しほっとした顔で


「そうか……。実は今のザールは自分の力を持て余しているところがある。すぐに怒り狂い、猛る部分が多すぎるのだ。ホルン殿はあの子の顔に黒い文様が浮かぶのをご覧になったことはあるか?」


 そう訊く。ホルンはうなずいた。


「私を誰何した時、確かにそんな文様が浮かびました。私はそれがドラゴンの血のなせる業だと思っていたのですが?」

「……ドラゴンの血は二つの系統がある。女神ホルンに祝福された『再生と調和』を司る血と、女神アルベドに祝福された『破壊と死』を司る血だ。女神ホルンはこの地に神殿があり、シュバルツドラゴンやヴァイスドラゴンたちに祝福を授ける。女神アルベドはこの国の西方、カッパドキアに神殿があり、そこで主にワイバーンたちに祝福を授ける」


 アムールはそう言うと、不意にその瞳を琥珀色の竜眼に変えて言う。


「我らドラゴニュートバードの民は、その血を遡ればプロトバハムート様に行きつく。プロトバハムート様は世界の創造者であり、守護者であり、また審判を下すものでもあられる。しかし、創造と審判の力は我らドラゴニュートバードの民には必要ないとされ、ドラゴンの血は代々女神ホルンの祝福を受けて来た」


 そして遠くを見るような目で続けて言う。


「……アンジェリカが身ごもった時、アンジェリカは夢の中で女神ホルンと女神アルベド双方の祝福を受けたと言ってきた。その時、わしはあまりその夢を重要視しておらなんだが、ザールが生まれた時、ローエン殿とグリン殿がわしに伝えて来た。『アンジェリカの息子はバハムートの血を持つ神竜である』とな。その姿はすべてを祝福する副翼4枚と、すべてを終わらせる止翼2枚を持つらしいが、止翼が先に現れると副翼は育たんらしい」


 そしてアムールはホルンを見て言った。


「ホルン殿は、ザールのことを『四翼の白竜』と言った。とすると、ザールの止翼は心の中で成長を止め、祝福の翼のみが育ったということになる……今のザールからは想像もつかんが……」


 ホルンがアムールに何か言おうとした時、里の中心付近で大きな爆発音が轟いた。住民が騒ぎ、逃げ惑う声も聞こえてくる。


「何事?」


 ホルンが『死の槍』を持って立ち上がると、アムールは厳しい顔で窓から外を見つめて言った。


「ザールの奴が、また暴走しおったな」


   ★ ★ ★ ★ ★


“そなたは止翼の白竜として女神アルベドの破壊を止めねばならぬ。そのために、そなたに私の力を授ける”


 プロトバハムートはそう言うと、四翼の白竜(ザール)に向かって咆哮した。


「おおーっ!」


 四翼の白竜(ザール)は叫んだ。その身体中に、どす黒くドラゴンのような文様が浮き上がり、そしてうごめく。それが動くたびに、四翼の白竜(ザール)の頭の中に


“殺せ、壊せ! その力を開放し、すべてのものを塵芥に変えよ!”


 という、鋭い声が響く。


“猛ろ! バハムートよ。そなたはこの世を破壊するための力を持つドラゴン、ノイエスバハムートだ!”


 その声は四翼の白竜(ザール)の中の闘争心を、抗いがたい力で解放しようとしている。彼はそれに精一杯の力で抗って叫ぶ!


「違う! 僕は守るためにここにいる!」

“殺せ、バハムートよ! そなたはこの世を粉砕するために産まれて来たドラゴンだ!”


 四翼の白竜(ザール)は、身体中を真っ黒い文様で覆われ、頭の中に響く声に屈服しようとする寸前だった。


“やはり勝てぬか、……残念だな、女神ホルンよ……”


 プロトバハムートがそうため息をつき、四翼の白竜(ザール)をこの世から消そうと『終焉への咆哮(カタストロフ)』を繰り出そうとした時、四翼の白竜(ザール)の身体に白い炎が灯った。


“むっ?”


 それを見て、プロトバハムートは目を細める。四翼の白竜(ザール)は、苦悶の表情を浮かべつつも、その白い炎は少しずつ大きくなり、その身体を包み込もうとしている。


「僕は……僕は……そんなドラゴンじゃない……」


 四翼の白竜(ザール)はそう言いつつ、頭の中に響く声に抗っている。


“では何者だ? そなたはノイエスバハムート。女神アルベドの祝福を受け、世界を終焉に導く力を持つドラゴンだ”


 その時、四翼の白竜(ザール)は、はっきりと聞いた。


『あなたはザールよ。たとえドラゴンになろうと、ザールはザールよ』


 それとともに、四翼の白竜(ザール)の心の中に、一人の顔が浮かんだ。サラサラとした金髪を長く伸ばし、翠色の瞳をした女性――それはザールの心に埋もれていた記憶の中の誰かの笑顔と重なった。


「女神ホルン!」


 四翼の白竜(ザール)はそう叫んだ。それと共に彼を包む白い炎は大きくなり、その身体中でうごめいていた黒いタトゥーのような文様が、白く輝き始める。


 四翼の白竜(ザール)の心の中で、その女性は優しくうなずいて言った。


『そなたには私も祝福を授けている。心の中の衝動に負けぬ強さを、そなたは知っているはずじゃ……だって、あなたはザールよ?』


 その女性の顔は、途中で金髪から銀髪に変わり、慈しむような顔に変わった。


「……僕は、ザールだ!」


 その言葉を発した瞬間、四翼の白竜(ザール)の身体は光り輝き、そしてその光が収まった時、四翼の白竜(ノイエスバハムート)の身体は100フィートにも及ぶ巨大なドラゴンと化していた。


“自らの宿命に打ち勝ったようだな、ノイエスバハムートよ”


 満足そうに言うプロトバハムートを、四翼の白竜(ノイエスバハムート)は緋色の瞳を持つ目でしっかりと見つめてうなずいた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 里の中心付近で大きな爆発音が轟いた。住民が騒ぎ、逃げ惑う声も聞こえてくる。ホルンが『死の槍』を持って立ち上がると、アムールは厳しい顔で外を見つめて言った。


「ザールの奴が、また暴走しおったな」


 それを聞いて、ホルンは表情を引き締めて戸外へと走り出た。そのまま里の中心へと走る。ザールが暴走している? それなら、私が止めないと!


 里の中心では、立て続けに大きな砂煙が上がり、少ししてドーンという響きが伝わってくる。かなりの『魔力の揺らぎ』を感じるので、確かに誰かの魔力が暴走しているのだろう。


「ザール!」


 ホルンは、里の中心にある広場まで来るとそう言って立ちすくんだ。広場の真ん中にはザールが身体中を黒くうごめくタトゥーのようなものに覆われて突っ立っている。それだけでも異様だが、ホルンを立ち止まらせた理由はザールではなく、その上空にあった。


 ザールの上空には、葡萄酒色の髪をうねらせた美女が、神々しい光と共に葡萄酒色の瞳で地上のザールと見つめ合っていた。


――誰? 物凄い魔力だわ、とても私では敵わない。


 ホルンは正直にそう思った。よく聞くとその女性は非常に優しい声でザールに語りかけている。


『のう、ザール。そなたが生まれるとき、私は妹のホルンとともにそなたに神の力を授けた。その力を私のもとで使ってはくれぬか?』


 ザールは女性の視線に捕らえられ、呆けたような表情で爆発を繰り返している。


――いけない、このままではザールの魔力が尽きる。


 ホルンがそう思った時、向こう側に青い顔で震えているジュチとリディアが見えた。二人とも涙を浮かべている。それを見た時、ホルンは決断した。


「わが『竜の血』よ、この里の子を救う力を我に与えよ!」


 そしてホルンは片翼の黒竜となって『死の槍』を掲げ、空中にいる女性に突きかかって言った。


「ザールに何をするの?」


 するとその女性はチラリと片翼の黒竜を見ると、右手を伸ばして言った。


『退がりや! 片翼の黒竜』

「ああっ!」


 片翼の黒竜は、恐るべき壁にぶつかったように弾き飛ばされ、そのまま地面へと叩きつけられた。


「くっ……女神アルベド様か……」


 ホルンが立ちあがると、遅れてこの場に来たアムールが空中の女性を見てそうつぶやいた。何ですって、女神アルベド?


「女神アルベド……それがなぜ、ここに?」


 ホルンは『死の槍』を握り直してつぶやいた。そしてホルンは心の中で叫んだ。違う、ザールの役割は『破壊』ではなく『再生』だ。


「いかん、ホルン殿! 相手は神だ」


 アムールがそう言うが、ホルンはお構いなしに飛び上がり、女神アルベドへと突きかかった。


「やっ!」

 バーン!


 ホルンが『死の槍』に『魔力の揺らぎ』を乗せて斬り付けると、先ほどホルンの接近を拒んだ壁が音を立てて弾けた。


「女神アルベド、ここはあなたの座所じゃないわ!」


 ホルンが叫ぶと、女神アルベドはニコリと笑ってホルンに右手を向けて言った。


『退がりなさい、ドラゴン。そなたには用はない』


 そして、アルベドの右手から放たれた光の弾が、ホルンを直撃した。


「きゃあああ!」


 ホルンはまたもや真っ逆さまに地面に叩きつけられ、人間の姿に戻ってしまう。


『さあ、ザール。我がもとに来たれ』


 アルベドがそう言うと、ザールは光の玉に包まれて宙に浮かび上がった。それを見て、ホルンは跳ね起きる。


「わが主たる蒼き風よ、我が良き友たる青き炎よ。『Et in Archadia Ego(死はどこにでもある)』ものなれば、その神々しき光と猛々しき正義をもって、女神ホルンの座所を冒すものに『Memento Mori(死を思い出さ)』せよ!」


 ホルンがそう呪文を唱えると、『死の槍』は蒼い風を呼び集めつつ青く炎を上げる。その魔力が十分に槍の穂に集まったところで、ホルンは再び片翼の黒竜となって空に舞い上がった。

 それをチラリと見た女神アルベドは、今度は舌打ちしながら『アルベドの剣』を抜き、雷のようなホルンの突きを受け止めた。


 ギィィン!

「くっ!」


 ホルンは、その圧力に飛ばされそうになりながらも、歯をくいしばって耐える。そして『死の槍』を引くと同時に、『魔力の揺らぎ』を乗せた斬撃を放つ。


『おっ!』

 ジャリンッ!


 女神アルベドは、その斬撃波を払うと同時に、右手を伸ばして言った。


『そなたでは敵わぬと言うたろう!』

 ドウンッ!


 そして再びホルンは光の弾に直撃され、地面に叩きつけられた。


『ふん、益体もない……さて、ザールよ、我がもとで我が力を得よ』


 女神アルベドは、何事もなかったかのように『アルベドの剣』を鞘に納め、ザールに呼び掛ける。それをぼうっとした意識で眺めながら、ホルンはゆっくりと手を差し伸べる。


「だめ……ザールは、私と約束してくれたから……国を建て直そうって」


 ホルンがそうつぶやいた時、


『おおっ⁉』


 アルベドの驚いたような声とともに、ザールを包んでいた光の玉が弾けた。


 パーン!

「あっ、ザール!」「ザール!」


 真っ逆さまに落ちてくるザールを見て、アムールやジュチたちは恐怖の叫びを上げる。しかし、ザールは地面から湧き上がった光の玉に支えられ、ゆっくりと地面へと降ろされた。ジュチとリディアがすかさずザールに駆け寄って、二人でザールを大人たちの中まで引きずっていった。


『……ホルン、どこにいるの? 出ていらっしゃい』


 女神アルベドは目を細めて辺りを見回しそう言う。そして、地面からやっと立ち上がったホルンの顔を見て笑った。


『そこに片割れがいたわね? ザールは私も祝福しているのよ? 私にもこのドラゴンを使う権利があるわ』

「何を訳の分からないことをっ! うっ?」


 ホルンがそう喚いた時、ホルンの額にある『竜の鱗』が急に拍動と共に光りだした。


「ホルン殿、女神を相手にするのは無理だ!」


 ザールを守りながらアムールが叫ぶが、ホルンは頭の中に響く言葉を口にした。


『ザールを最初に祝福したのは私です。ザールはその力によって『再生と調和』をこの世にもたらさねばなりません。あなたの与えた『破壊と憎悪』だけはザールに必要のないものです』


 ホルンはそう言うと、ドラゴンの片翼と共に宙に浮かび、アルベドと正対した。


『……ドラゴンも半分、女神も半分……そなたはまだ中途半端な存在でしかないわ。ホルン』


 アルベドはそう言うと、ゆっくりと『アルベドの剣』を抜く。それを見ながらホルンは微笑んで言った。


『それは姉であるあなたが、英雄ザールに世界を滅ぼす力を与えようとしたからではありませんか? 私を殺してまで……』


 ホルンは『死の槍』を構えながら、続けた。


『お互いに創造神プロトバハムート様から産まれた者ですから、お姉様を恨みはしませんが、プロトバハムート様の心をないがしろにする行為は姉であっても許しません』

『あなたはあの時から正義の味方ぶっていたわね、ホルン。破壊がないとこの世は再生しないのよ? 今の世の中を見てごらんなさい。地上にはびこるものは偽善と利己心と邪悪だけ……これがプロトバハムート様の望んだ世界かしら?』


 アルベドは微笑みながらそう言い、続けた。


『人間は滅びた方がこの世の理を守れる、それが私の信念よ。滅びを目の当たりにして回心した人間だけが、新たな世界を受け継ぐことができる。ザールはそのためにいるのよ』


 ホルンは静かに言葉を返した。


『プロトバハムート様はご自身を神として崇めよとは仰っていません。ただこの世の理を正しく進めることを旨としていらっしゃいます。たとえどんなに人間が愚かであろうと、滅ぼしてよい命はこの世にはありません。ザールは選別ではなく、すべてを救うためにいます。ですから、ザールはお渡しできません』


 アルベドはホルンの言葉を聞いてため息を漏らして言った。


『……ホルン、あなたには、もう一度眠ってもらう必要がありそうね?』

『……分かっていただけないのは残念です、お姉様』


 ホルンはそう言うと、ゆっくりと『死の槍』を構える。


『やっ!』


 アルベドの姿が消えた? と思わせるほど速く、アルベドはホルンの後ろに回り込んで『アルベドの剣』を揮う。けれどホルンはそれを見切っていたのか、前に飛んで斬撃を避け、振り返りざまに『死の槍』を斜めに斬り上げた。


『おっと』


 上に避けたアルベドの真正面から、ホルンは電光のような鋭い突きを放つ。アルベドは突いて来た『死の槍』のけら首を掴んで引き寄せると、ホルンの顔をまじまじと眺めて言った。


『そなたこそ、英雄ザールを愛していたからではないのか?』


 そして、その顔を皮肉そうにゆがめて続けた。


『女神ホルンの願いとそなたの願いは両立せぬぞ? ホルン・ファランドール』


 ホルンは、ニコリと笑うと『死の槍』を手放し、アルベドに近寄りながら『アルベドの剣』を抜き打ちにした。


『ぐわっ!』


 噴き上がる血しぶきとともに、アルベドの叫び声がこだまする。


「それが私の運命ならば、私は受け入れます」


 そしてホルンはアルベドの胸に『アルベドの剣』を突き刺しながら叫んだ。


「ザールの運命を、私の想いでげられないから!」

『ぐおっ!』


 苦しげに胸を押さえて呻くアルベドは、さっと左手をザールに向けると言った。


『私が祝福した分だけ、ザールをもらっていくよ!』

「えっ⁉」


 ホルンが慌てる暇もなく、アルベドの左手から出た光がザールを捉えた。ザールは


「ぐっ!」


 と声を上げると、その身体から薄く赤い光が離れ、アルベドと共に消えて行った。


「待ちなさい!」


 ホルンはそう言ってアルベドを追いかけようとしたが、アルベドはすでに消え去ってしまっていた。


「ザールは大丈夫?」


 ホルンが駆け寄ると、そこではザールがけいれんを起こして震えていた。周りでは大人たちが騒いでいて、ジュチとリディアが心配そうにザールを覗き込んでいる。


「あっ、女神様。ザールが苦しそうなの。ザールを助けて」


 リディアがそう涙とともに言ってくる。けれど、ホルンはザールの様子を見て


――これは……明らかに清浄な『魔力の揺らぎ』に変わっている。混じり合っていた異質の『魔力の揺らぎ』がいっぺんに無くなったから、ザールの身体がその急激な変化に反応しているだけだわ。


 と見抜いていた。ホルンは、にっこりと笑って


「大丈夫よ。お姉ちゃんに任せて?」


 そう言ってリディアの頭をなでると、ザールをゆっくりと抱きかかえてしっかりと胸に抱いた。ホルンの緑青色の『魔力の揺らぎ』が、ゆっくりとザールの身体に沁み込んでいき、やがてザールの震えは止まり、すうすうと軽い寝息を立て始めた。


「これで大丈夫よ」


 ホルンはそう言うとともに、意識が遠のくのを覚えた。


   ★ ★ ★ ★ ★


“自らの宿命に打ち勝ったようだな、ノイエスバハムートよ”


 満足そうに言うプロトバハムートを、四翼の白竜(ノイエスバハムート)は緋色の瞳を持つ目でしっかりと見つめてうなずいた。


“そなたは、私の力を持って生まれた。それは、今の人間の世には私の力を代理するものが必要とされるからだ”


 プロトバハムートは静かに四翼の白竜(ザール)に言う。


“そなたも、国内を巡り気付いたと思うが、人間は愚かな生き物だ。嘆かわしい状況や目を覆い耳を疑うような出来事が現に今も起こっている”


 プロトバハムートは、ゆっくりと翼を広げながら言う。その翼の先は、四翼の白竜(ザール)には判別できないほど遠くまで届いていた。


“人間のせいで、いかに多くの生き物が息絶え、この世から消えて行ったか。しかし、人間とは決して悪しき業のみを宇宙に残しているわけではない”


 そして慈しむような目で四翼の白竜(ザール)を見て、


“だから私は、そなたを人間としてこの世界に生み出した。そなたはそなたのやらねばならぬことをなすがよい。女神ホルンの名のもとに”


 そう言うと、ゆっくりと翼を畳んだ。


「僕の忘れていたホルンが、女神ホルン様でしょうか?」


 四翼の白竜(ザール)が訊くと、プロトバハムートは初めて笑って言った。


“女神ホルンとそなたの側にいるホルン・ファランドールの願いは両立しない。それは女神ホルン側から見ればそうなる。しかし、そなたが自らの意思に従って行動すれば、決してザール・ジュエルとホルン・ファランドールという人間たちも後悔はしないはずだ”


 まだ腑に落ちない顔でいる四翼の白竜(ザール)に、プロトバハムートは笑って言った。


“行け、ノイエスバハムートよ。そなたの力を存分に揮い、民を救い、国を救い、そしてお前たちの運命も切り開くといい!”


「わっ!」


 プロトバハムートが言った瞬間、四翼の白竜はザールの姿に戻った。そしてザールは、世界樹のてっぺんから落ちて行く感覚に襲われた。



「うっ?」


 ザールは、落ち続けていく浮遊感に耐え切れずに目を開けた。


「やあ、お帰りザール」


 ザールが聞き慣れたがする。そこでザールは初めて自分が幕舎の中で寝ていたことを知った。それではあれは夢だったのか?


 ゆっくりと起き上がるザールに、ニコニコしてジュチが話しかけた。


「キミはほぼ5日間、この陣を留守にしていた。その間にボクたちはゴルガーン地峡の陣地を手に入れ、サーリーの町まで進んできている。キミたち二人は昨日の夜、夢遊病のような状態でいるところをゾフィー殿に見つかった。そこでボクとゾフィー殿でキミたちをそれぞれの幕舎に連れ帰った」


「……それじゃ、あれは夢ではなかったんだな」


 ザールが言うと、ジュチは肩をすくめて答える。


「ボクが、キミたちにとって今の状況から抜け出すのに最もふさわしい場所に案内したんだよ? 夢であるわけがない。どこに行ってきたかは知らないがね?」


「そうか……」


 そう言って前を見つめるザールを見ながら、ジュチは


「ふむ……キミは、今までのキミとは比較にならないくらい重いものを背負わされたね? それは単にこの国をどうするとか、ホルン姫様とどうなるとか、そんなことが滑稽に感じられるくらいにね?」


 そう言う。ザールはジュチの洞察力には慣れっこになっているので、さして驚きもせずに答えた。


「そうらしい。そして僕には、超えて行かねばならないものがたくさんあるそうだよ」

「それは気の毒だな。けれどボクの知っているキミなら、きっとすべてがうまく行くさ」


 ジュチの言葉に、ザールは緋色の瞳を向けて訊く。


「なぜそう思うんだい?」


 ジュチは片眉を上げておどけて答えた。


「キミは英雄だからさ。そしてホルン姫は女神だからね。女神ホルンと英雄ザールの話を知らないわけではないだろう?」


 二人が笑い声を上げた時、幕舎の外からバトゥの声がした。


「ザール様、ジュチ様。ホルン王女様がお越しです」


   ★ ★ ★ ★ ★


「……さま、……じょさま」


 いつか聞いたような声だわ――ホルンはそうぼんやりとした意識の中で思った。そう思った途端、その声はさっきよりも鮮明に聞こえて来た。


「王女様、王女様。気が付かれたかの?」


 ホルンはゆっくりと目を開けた。目の前にはニコニコとしたゾフィーと心配そうなロザリアやリディアの顔が並んでいた。


「ゾフィー殿、リディア、ロザリア……」


 ホルンはそう言うと、ゆっくりと身を起こした。少し疲れが残っているのは、ザールの身体に魔力を注ぎ込んだからかしら? それにしては随分と夢のような気がするな。ひょっとしたら今までのことは長い夢なのかもしれない。


「……夢だったのかしら?」


 ポツリとつぶやいたホルンに、ゾフィーが答える。


「いいえ、王女様は5日ぶりに陣にお戻りになられたのじゃ。昨夜のことじゃな。夢遊病のようにふらふらとしておられたから、私が幕舎にお連れしたのじゃ。ザール殿はジュチ殿に任せておる」


「そう、ザールも戻ったのね……ザールはどうしているの?」


 ホルンが訊くと、ゾフィーは笑って


「心配されなくても、今頃はお目覚めのはずじゃよ。あのジュチ殿が側にいれば安心していて結構だと思うがのう。ところで……」


 そこまで言うと、ゾフィーはロザリアとリディアに目配せする。ロザリアはその意を悟って、リディアと共に天幕を出た。


「……王女様は、女神ホルンの神話をご存知じゃな?」


 ゾフィーが訊くと、ホルンはうなずいて答えた。


「英雄ザールを助け、彼にこの王国を建てさせた女神ですね。ザールの命を『オール・ヒール』で救ったという」


 ゾフィーは、さらに突っ込んで訊いてきた。


「その女神ホルンは、なぜ姉である女神アルベドと真反対の東側に鎮座されているかはご存知かの? また、ドラゴニュートバードができた理由を聞かれたことは?」


 ホルンは首を振った。しかし、ゾフィーは鋭い目をして


「あの場所に行かれた王女様なら、お気づきのはずじゃが?」


 という。ホルンは女神アルベドとの会話を思い出して言った。


「女神アルベドは女神ホルンを殺したのですね? そして、その女神ホルンを祀るため、ドラゴニュートバードができたのですね?」


 ホルンの答えを聞いて、ゾフィーは笑って言った。


「半分正解じゃ。今の神話には書かれておらぬが、その原典には、『女神アルベドは英雄ザールに世界を滅ぼす力を与えようとしたが、女神ホルンに阻まれた。そこで女神ホルンを殺したが、その報いによって英雄ザールからカッパドキアに封印された』となっておるのじゃ」


 そして続けて


「ドラゴニュートバードの民は、その元をたどればプロトバハムート様につながる血筋。女神ホルンはその血を引く者にしか転生せぬ。その血が絶えることは女神ホルンがこの世に転生できぬことを意味する。じゃからこそドラゴニュートバードの民は、ドラゴンの血を誇りとしてその血を守り続けているのじゃ」


 そう言って、ゾフィーはホルンを慈しむような目で見つめて言った。


「王女様は、その名のとおり女神ホルンの転生じゃな」

「転生? 私が?」


 ホルンが訊くと、ゾフィーはうなずいて言う。


「さもなければ、女神ホルンの言葉が分かるはずもない。それに、女神アルベドも王女様にホルンと呼び掛けていたのではないか?」


 そしてゾフィーは、何か言いたそうなホルンを押さえるように訊く。


「この国には、『神聖生誕教団』があることはご存知じゃの?」


 ホルンがうなずくと、ゾフィーは真剣な顔で


「その法王は歴代、ダマ・シスカスに総本山を置いておる。その意味は、カッパドキアに封じられた女神アルベドの監視じゃ。女神ホルンの転生は今まで確認されたことがなく、いつ転生されるのかを知ることも教団の狙いじゃが、それ以上に女神アルベドの転生又は復活が最も脅威じゃからのう」


 そう言うと、ニヤリと不気味なくらい凄絶な顔をする。


「実は、女神アルベドはすでに復活しているがの。それが王女様の父君たるシャー・ローム陛下の遭難の遠因にもなったのじゃが」


 ゾフィーの言葉に、ホルンは翠色の瞳を持つ目を細めた。ゾフィーは自分が経験したことを見通しているようだ。この女性はこの世のことは何でも知っている。いや、知りすぎている。その年齢といい、経歴といい、愛弟子であるロザリアすらほとんど知らない。恐らく、トリスタン候もこの魔女については何も知らないのではないか。


「ゾフィー殿、一つ訊いてもいいでしょうか?」


 ホルンが言うと、ゾフィーはこともなげに答えた。


「私は今のソフィア13世以前の歴代法王に26年前まで仕えて居った。それ以前の27代の法王に枢機卿としてお仕えしたのじゃ」


「なぜ、教団を離れたのでしょう?」


 ホルンの問いに、ゾフィーは笑って答える。


「恨みこそないが、わが終生のライバルであったアルベドが復活したのじゃぞ? もはや見守る時期ではない。ホルンのもう一人の転生を探すことが大事じゃろう?」


 その言葉に、ホルンは目を閉じる。そんなホルンにゾフィーは語りかけた。


「ここにはノイエスバハムートもおる。それならホルンの転生もいるはずだと見当をつけたため、トリスタン候の依頼を受けたのじゃ。しかし王女様、女神ホルンの望みはホルン・ファランドールという女子おなごの望みとは両立しかねるぞ?」


 ホルンは静かに目を開けて、翠色の瞳に光を込めて答えた。


「あれが夢でなければ、私は大変な時代に産まれたことになります。けれど、ザールこそ大変な重荷を背負わされたといえます。それなら、私は運命を受け入れ、女神ホルンの御心に沿うような生き方をしなければならないでしょう。ザールのためにも」

「……気の毒じゃが、王女様にはしばし女であることを捨ててもらわねばならぬのう。なあに、そこ2・3年の我慢じゃ。民のためには、女神アルベドとの決着は急がんといかんからのう」


 ゾフィーが言うと、ホルンは笑ってうなずいた。そこに、幕舎の外からリディアの声が聞こえて来た。


「姫様、ザールも目が覚めたってさ。一緒に行ってみない?」

「……行ってみられるといい。ザール殿は王女様のことを思い出しておられるじゃろうからな。少しは気が軽くなるじゃろう?」


 ホルンは、笑って立ち上がった。



「具合はどうかしら? ザール将軍」


 幕舎に入ると、ホルンは開口一番そう訊いた。ザールは面食らって


「えっ? ええ、色々なことを知りましたからね。プロトバハムート様からは、この国の建て直しだけではなく、もっと深い部分も教えていただきましたよ」


 そう言う。その目に自分に対する親愛の情が戻っていることを感じたホルンは、にっこりとして訊いた。


「そう、あなたはプロトバハムート様のところに呼ばれたのね? 私はどこに呼ばれたと思う?」

「えっ、二人とも一緒じゃなかったの?」


 リディアがびっくりしたようなホッとしたような顔で訊く。ホルンは頷いて言った。


「そう、残念だけれど離れ離れだったのよ。この間までの私たちの心みたいにね?」


 そしてザールを見て笑う。ザールはまだ何かを考えている。


「むぅ、その言い方はなんか引っ掛かるなあ」


 リディアが言うと、ロザリアがくすくす笑ってリディアに言った。


「二人が元通りになったからいいではないか? 細かいことは気にしないことじゃ」


 ザールは真剣に考えていたが、笑って降参した。


「分からないな。教えてくれないかい、ホルン?」


 するとホルンはイタズラっぽい目をして言った。


「私、7歳のザールに会って来たわ」

「おっと、そう来ますか……」


 ジュチがボソッとつぶやく。そんなジュチに、ホルンは笑って言った。


「ジュチは相変わらずだったわ。あの頃からそう言う感じだったのね? それはそれで可愛らしかったわ」

「アタシはそのころ5歳かー」


 リディアが言うと、ホルンはにこやかに


「リディアもとっても可愛らしかったわよ。あの頃からザール一筋だったのね?」


 という。リディアは照れて頭をかきながら言う。


「え? え? やだなあ姫さまったら、そんなこと面と向かって言われたら恥ずかしいじゃんか。本人の前だよ?」


 そんなみんなを見ながら、ザールはポツリと言った。


「僕はその頃の記憶があいまいだが、話によるとそれまでずいぶんと手がかかる子だったらしい。その後、急に僕がおとなしくなったので、父上も母上も随分びっくりしたと言うが……それはホルンと何か関係があるのかもしれないな。オリザが『魔力の揺らぎ』を発現したきっかけと同じように……」


 それにホルンが何かを言うより早く、ジュチが真剣な顔で言った。


「そして、キミの最大の敵とも関係がありそうだね」

「どうしてそう思うの?」


 ホルンが訊くと、ジュチは笑って答えた。


「今思うと、その頃までのザールの『魔力の揺らぎ』には異質なものが混じっていた気がするんだ。けれど急にザールの『魔力の揺らぎ』が透き通ったものになった。そのころからだね、ザールが『どんな種族も互いを尊重する世界ができないか』みたいなことを言い出したのは。フッとそのことを思い出しただけだ」


 ホルンはその言葉に深くうなずくと、その言葉への返答はせずにただこう言った。


「そうね。私たちは私たちがしなきゃいけないことをやるべきだわ。とりあえず、目の前のアルボルズ山脈を越えてイスファハーンまで行かないとね」


 それを聞いて、ジュチとロザリアは目を細めてつぶやいた。


「いよいよ、天命の歯車が回りだすか」

「……のようじゃのう。願わくば、全員が納得できる運命じゃといいがな」


(31 天命の歯車 完)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

ホルンやザールの秘密が段々と明らかになってきます。

次回は、アクアロイド艦隊と敵の名将との決戦です。

『32 怒涛の海神』をアップします。お楽しみに。

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