29 鎮魂の剣尖
『七つの枝の聖騎士団』がジュチを狙って動き出した。
部下を操られる中、ジュチはどう戦うのか?
【主な登場人物】
♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘で王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。26歳。
♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。15歳程度。
♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。23歳。
♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。21歳。
♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で『この世で最も高貴な一族』であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けるがチャラい。金髪碧眼の美青年。23歳。
♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。21歳。
♧ガイ・フォルクス…26年前にスケルトン軍団から国を滅ぼされたアクアロイドの王族。頭脳明晰で冷酷非情だが仇討に協力したホルンに恩義を感じている。29歳。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
ジュチの『妖精の軍団』は、ダルヴェーゼの町に駐屯していた。
『妖精の軍団』は、他の部隊――ホルンの本隊やリディア隊――と比べて進撃速度が極めて速いため、敵中に孤立する愚を避けるよう、調整して進撃していたためである。
「でも、明日は進撃を再開しないとね」
司令部としている町の外れにある宿屋で、ジュチは副将のサラーフ、ヌール、管理のアルテミスとディアナに話していた。
「狙いはカザンジクにしますか、それともネビトダグですか?」
サラーフが葡萄酒色の髪を右手でかき上げながら訊く。ジュチは癖のある金髪の前髪を形のいい人差し指でいじりながら、
「ザールやリディアとのランデブー場所はカザンジクだ。けれど、敵の軍集積地であるネビトダグを押さえた方が、その後の戦いには有利だね。ネビトダグにはガイの部隊がかかることになっているけれど、ボクたちが加われば、ガイも楽に戦えるだろう」
「アクアロイド隊はどのくらいまで進出していますかね?」
ヌールが左手で前髪をかき上げながら訊く。ジュチは笑って答えた。
「カブランカー地域のおサカナさんたちは、ガイにあまり協力的ではなかった。おサカナさんたちは自分たちのコロニーで手一杯なんだろうね」
そしてふいに笑いを消して言う。
「だから、ガイの進出は速いと思ったがいい。彼はこんなタイミングを計るセンスがとてもいいからね」
「ところでさぁ、ジュチ」
星空のような髪をしたアルテミスが、ジュチに突っかかるように言う。
「あんた、もっと軍紀を厳正にした方がいいわよ。だらけすぎているわよ?」
「おお、そんなにだらけているかい?」
ジュチが鷹揚に言うと、アルテミスは憤慨したように
「だらけているかい?……どころじゃないわよ! みんな町中でデートしたり、イチャイチャしたり、これで軍事行動を取っているつもりなの?」
そう声を張り上げる。ジュチは机に両ひじをつき、形のいい指を顔の前で組んで
「まあ、戦いの場で真面目にやってくれればいいよ。こんな殺風景な所にいるんだ、何か楽しみがないとね?」
そう言う。サラーフやヌールは苦笑している。それを見て、アルテミスはカッとなって言った。
「だいたい、あんたが女の子にだらしがないから、部下がマネするんじゃない! もっとちゃんとしてよ! 仮にもハイエルフの次期妖精王でしょう?」
「お、お姉様、言い過ぎです……」
隣に座っている双子の妹ディアナがアルテミスの袖を引っ張って言う。
アルテミスは、苦笑しているサラーフやヌール、顔を赤くして困った顔で自分の袖を引っ張るディアナを見た。そして、ジュチがいつものとおりニコニコした顔で自分を見ているのを見て、突然顔を赤くして
「もういい、知らない!」
そう言って司令部を飛び出してしまった。
「あっ、お姉様!」
ディアナも慌ててその後を追った。
ジュチは肩をすくめたが、サラーフがニコリとして
「まあ、確かに早く次の行動に移ったがいいと思いますよ?」
と言うと、ジュチはうなずいた。
「なによなによ、人が心配して言ってあげてんのに、あの痛々しい目は何なのよ? まるでデート一つしないあたしが悪いみたいじゃない!」
アルテミスはぷんぷん怒って、町の中央にある広場に足を向ける。そこには何組ものハイエルフのカップルがいた。中には白昼人目もはばからず、べったり甘々な不埒者たちもいる。
――こっちに来るんじゃなかったな……。
アルテミスはそう後悔して、広場に背を向けて歩き出した。そこにディアナが追い付いてくる。
「あっ、お姉様いた」
「ディアナ……」
ディアナは息を切らしながらもニッコリと笑って、アルテミスに腕を絡ませて言う。
「お姉様、お姉様は真面目だから、ジュチ様のことを心配しておっしゃったんでしょ? ジュチ様だってちゃんと分っていらっしゃるわよ」
「だっ、誰があいつのことを心配しているって? あたしはただ、あいつがヘマするとみんながひどい目に遭うから、それを心配しているんだよ」
わたわたしてアルテミスが言うと、ディアナはクスリと笑ってアルテミスの顔を覗き込みながら言う。
「もう、お姉様ったら……私、お姉様にならジュチ様を譲ってもいいのよ?」
それを聞くと、アルテミスはびっくりしたように言う。
「えっ? な、なんでそんなこと言うのよ? ディアナはあいつとの婚約が成立した時、あんなに喜んでいたじゃない?」
するとディアナは寂しそうに首を振って言う。
「だって、私は身体も弱いし、お姉様みたいに綺麗でもないし。ジュチ様だってきっと私よりお姉様の方がいいに決まってる」
アルテミスはそれを聞くと、ディアナに怒ったように言う。
「あのねディアナ、そんなこと言ってあたしにあいつを押し付けようなんて、許さないからね? あたしはあんなチャラくて女好きなナンパーマン、絶対お断りだからね?」
アルテミスがそうまくし立てていると、
「おやおや、お断りされてしまったようですね?」
と、ジュチが二人の前に現れた。
「な、何よ? 女同士の話に聞き耳立てて、この変態!」
「お姉様」
ジュチに噛みつくアルテミスと、それを止めるディアナを優しい目で見つめて、ジュチは強い口調で言った。
「二人とも司令部に戻るんだ。ひどく禍々しくて強い『魔力の揺らぎ』を感知した。ボクがそいつの正体を探ってくるから、それまで二人はサラーフやヌールと共に部隊をまとめていてくれ。頼んだよ、アルテミス?」
そう言うと、ジュチはパッとアゲハチョウの群れになり、西の方に飛んで行った。
★ ★ ★ ★ ★
砂漠の夕暮れは、とても幻想的だ。赤い夕陽はとても大きく見え、地平線ではまだ熱の残る大地から立ち上る陽炎で揺らめく。そして空はオレンジから濃い紫へのグラデーションとなる。
そのグラデーションをうっとりと眺めながら、一人の女がゆっくりとダルヴェーゼの町に近づいていた。
その女は漆黒の髪を長く伸ばし、左目はその髪で隠れている。
着ているものは誇示するかのように胸元の開いた黒いイヴニング・ドレスだった。およそ砂漠には不似合いな格好だ。
「結構な魔力を感じるわね。ここにはいい男がたくさんいそうだわぁ」
その女はそんなつぶやきを漏らすと、微笑を湛えたままゆっくりと歩を進める。
「止まれ!」
女が町の入口まで来ると、二人のエルフが彼女にそう叫んできた。二人とも弓を構えている。そのうちの一人が弓矢をしまい、ゆっくりと近づきながら誰何してくる
「何者だ? 砂漠を歩くにしては不自然な格好だが」
「そーお? 私は別に歩きづらいとは思わなかったわよぉ?」
彼女がそう言うと、エルフはある程度の距離を取って立ち止まり、左手で剣の鞘を握りながら訊く。
「どこから来た? この町に何の用だ?」
その声を聞きながら、彼女は
――なかなか用心深い対応だね。この部隊の指揮官はかなりできる奴だね。
そう思っていた。
「聞こえなかったのか? どこから、何の用でこの町に来た?」
エルフが再びそう言った。この分では、答えがなければあのエルフは攻撃するのに躊躇はしないだろう。
彼女が答えないでいると、案の定、そのエルフは声を鋭くして言った。
「答えないとは妖しいヤツだ。おい、殺されたいか!?」
その途端、彼女は動いた。着ているものからは想像ができないほどの速さだった。
「がっ!」「ぐっ!」
目の前のエルフだけでなく、入口付近で弓を構えているエルフもそう声を上げて地面に転がった。二人とも心臓を何かで突き刺されている。
「ふふ、エルフの血は美味しいわねぇ。魔力が濃縮されているわぁ」
彼女は、右手についた血を舐めると、妖艶な笑いを浮かべて言い、町の中に入って行った。
「おかしいな、こちらの方向から感じたんだが……」
ジュチは、町の西側の砂漠でつぶやいた。あれはひどく禍々しい『魔力の揺らぎ』だった。その禍々しさは、『七つの枝の聖騎士団』の一人であった『怠惰のアーケディア』を凌ぐと思ったのだが。
「ふむ……罠かな?」
ジュチはそうつぶやくと、右手の人差し指をボウッと緑色に光らせ、転移魔法陣を描き始めた。
ジュチが司令部に帰ると、ヌールが
「あっ、お帰りなさいませ」
と迎えてくれるのに、ジュチは鋭い目で外を睨んでいたが、
「ヌール、なぜ気付かない? 何かとてつもないものが町に入り込んでいるぞ。サラーフやアルテミス、ディアナはどこにいる?」
そう言うと、ヌールは慌てて外を見て言う。
「サラーフ殿は巡回です。アルテミス殿たちはまだ司令部に戻っていません」
ジュチはそれを聞くと、蹴っ飛ばすようにヌールに言う。
「ボクはアルテミスたちを捜す。そなたは緊急呼集をかけてサラーフと一緒に敵を牽制しろ。相手はかなりヤバいから、無理だと思ったら正面切って戦うな。いいか?」
「分かりました。ジュチ様もお気をつけて」
ヌールの答えを聞くと、ジュチは笑って外に飛び出した。
「まったく、アルテミスたちはどこに行っているんだ」
ジュチは右手からアゲハチョウの群れを飛ばすと、そうつぶやいた。
そのころ、アルテミスたちは町の西門近くで、暗くなっていく空を見上げていた。
「お姉様、そろそろ司令部に戻りましょう。さっきジュチ様の分身が通ったから、私たちが司令部にいないとジュチ様、心配されますよ?」
ディアナが立ち上がってそう言うが、アルテミスは
「ディアナ一人で戻っていいよ。あたしはもう少し空を見ているから」
そう言って動こうとしない。ディアナは困ったような顔をしてため息をつくと、
「しょうがないお姉様」
そう言って座り直す。
「でも、懐かしいですね」
ディアナが言うと、アルテミスはぼんやりとした声で訊き返す。
「なにが?」
するとディアナは目をキラキラさせながら、一番星を指さして言った。
「あの星、ジュチ様とお姉様と三人で、誰が一番早く見つけられるか競争したじゃない」
「そんなこともあったわね」
アルテミスが言うと、ディアナは
「いつもジュチ様かお姉様が一番に見つけて、私はいつも最後だったなぁ」
そう言って笑う。その笑いに釣られて、アルテミスも微笑んだ。
「あ、お姉様笑った。やっぱりお姉さまは笑顔も素敵だなぁ……」
「な、何言ってんの、ディアナだって笑顔が可愛い……どうしたのディアナ?」
アルテミスは、自分を見つめていたディアナの顔が急にひきつったので、いぶかしげにそう言う。そしてディアナの視線が自分の背後の空間に向けられていることを知ると、突然、背中にとてつもなく冷たい刃を擬せられたような感じがした。
「ディアナ、こっち!」
アルテミスは素早く立ち上がりざま、ディアナを抱きしめて前に飛んだ。その瞬間、自分が座っていたところに氷の刃が突き立った。
「あなた、誰?」
アルテミスはディアナを後ろ手にかばいながら、左手に『魔力の揺らぎ』を発動させて訊く。アルテミスの視線の先には、あの黒いイヴニング・ドレスの女が立っていた。
「ふうん、なかなかに素敵な娘たちじゃない。ピグリティアたちの代わりに可愛がってあげてもいいかな?」
女は、その右目を怪しく輝かせて、アルテミスの身体を上から下まで舐めまわすように見つめる。アルテミスはそのねっとりとした視線だけで身体に震えがくるのを禁じえなかった。
「な、なに? あたしたちに何か用?」
震える声でアルテミスが言うと、今度は後ろで青くなって震えているディアナをじっと見つめて言う。
「ふふ、そちらの脅えた子猫ちゃんも可愛いわねぇ。いっそのこと二人とも連れて行って可愛がってあげようかしら?」
「エイッ!」
アルテミスは、左手に発動した『魔力の揺らぎ』を使って女に攻撃を仕掛けた。しかし、女はいともたやすくアルテミスの魔力を破砕する。
「うん、なかなかの魔力よ? これは可愛がり甲斐があるわね」
女はそう言うと、サッと右手を二人に向けた。途端にアルテミスもディアナも、身体の自由を奪われてしまった。
「えっ? か、身体が動かせない」
「あっ!」
バランスを崩して倒れそうになったディアナは、何かに抱えられるようにゆっくりと地面に横たえられた。続いてアルテミスも。
「倒れたりしてケガさせたら可哀そうですものねぇ? お嬢さん方、少しの辛抱よぅ? すぐに楽しくて気持ちいいことしてあげるからね?」
女が右手を伸ばし、二人を『時空の穴』へ入れようとしたその時、
ボシュッ!
「むっ!?」
女の右手に、緑色にぼうっと光る矢が突き立った。そして、
ボワッ!
「おや?」
女の手が突然発火した。そのまま緑色の炎を上げて燃え盛っていく。
けれども女は慌てもせずに、無造作に右手を切り離すと、矢が飛んできた方向に顔を向けて言った。
「なかなかいい攻撃だったわ。姿を見せてくださらないかしら?」
「お褒めにあずかりまして光栄ですよ」
女は、自分が話しかけた方向とは逆の方から答えが返ってきたことにびっくりし、アルテミスたちが転がっている方に向き直った。そこにはやや煩げな金髪をした碧眼の美男子が立っていた。
ジュチは、アルテミスたちを見て、
「夜遊びが過ぎると、こんな怖い目に遭うんだ。早く司令部に戻るといい」
と言い、視線だけで二人の呪縛を解いた。
「あ、ありがとジュチ」
「ありがとうございます。ジュチ様」
二人はそう言いながら立ち上がる。ジュチは女に顔を向けて言った。
「さて、初めてお目にかかりますが、あなたは『七つの枝の聖騎士団』の方でしょう。違いますか?」
すると女は、くすりと笑いながら言った。得も言われぬ色気のある笑いだった。
「なるほど、あなたが智将ジュチ・ボルジギンなのね? 私はあなたの言うとおり、『七つの枝の聖騎士団』の副団長『色欲のルクリア』よぉ」
ルクリアは、その豊満な胸を見せつけるように腕を組むとそう言った。
「けれど、腕の方もかなり立つみたいね? それだけ顔が良くて、頭が良くて、腕も立つなんて、あなた、それ反則に近いわよぉ?」
ルクリアが言うと、ジュチはにこやかに答える。
「過分なお言葉、恐縮ですよ。けれど、この二人は私の大切な仲間。どれだけ褒められてもお渡しするわけにはいかないんですよね」
そして、ジュチは急に表情を引き締めて言う。
「まだ逃げていなかったのか!? 二人とも、そこから動くな!」
すると急に、ジュチたちと女がいる空間が変わった。四人は空の上に立っている。アルテミスたちはびっくりしたが、ジュチの
「下を見るな。怖ければ、二人見つめ合っていろ」
と言う言葉に、慌てて二人は顔を見合わせた。
ジュチは、微笑んで前を見つめていたが、女が次々と放つ幻影をレイピアで切り刻んでいく。そして、
「今度はボクにお付き合い願おうか」
そう言うと、四人がいる空間がまた変わった。四人は水の中にいた。
――あれ? 水の中なのに息ができる。これってジュチの魔法? ジュチって、実はすごい奴かも……
そう思ったアルテミスが見ていると、ジュチは微笑みながら、けれど鋭い目で目にも止まらぬ速さで突きを繰り出している。ルクリアはそれを、あるいはかわし、あるいは受け流している。
「ふふっ、さすがにエルフ、凄い魔法だわぁ」
ルクリアは空間を転移させ、元の砂漠に戻して言う。
「恐れ入ります。けれど、ボクはただのエルフではなく、この世で最も高貴で有能なハイエルフです。以後はお間違えの無いようにお願いしますよ?」
――こんな真剣勝負の時ですら、そこに拘るの?
アルテミスは呆れると同時に、そんな余裕を見せるジュチに少し怖いものを感じた。
「これは普通のやり方じゃ勝てないわね。恐るべき男ですわ、あなたって人は」
ルクリアはそうつぶやくと、呪文を唱えだした。
「何か来るな」
ジュチもそうつぶやき、自分とアルテミスたちを『風のシールド』の中に入れる。
「では、ジュチ、あなたの大事な人は貰っていくわね?」
ルクリアがそう言うと、大きな風が巻き起こりルクリアの髪を揺らした。そして隠れていた左目が見えた途端、
「おおっ!」
ジュチの身体の四方八方から、鋭い氷の刃が降り注いだ。
「アルテミス、ディアナ、無事か?」
ジュチはレイピアを揮いながら訊く、けれど二人からは返事がない。そしてその攻撃が終わった時、ジュチは身体のあちこちから血を流して立っていた。と言っても、さほど重症ではない。すべての刃を避けることはできなかったという程度だ。
「アルテミス、大丈夫か!?」
ジュチは、アルテミスが朱に塗れて倒れているのを見て、そう叫ぶ。幸いアルテミスの傷は多いが、深くはないらしく、すぐに目を開ける。
「あ、あたし……ディアナは?」
アルテミスが叫んだ時、
「この子は私が頂いて行くわ。じゃ、ジュチ・ボルジギン、また会いましょう」
そう言う声が天空から響いた。そこにはぼうっとした表情で『色欲のルクリア』に抱かれているディアナがいた。
「待てっ!」
ジュチが飛び掛かるが、ルクリアは笑いながら消えて行った。
「くそっ、ボクとしたことが! あの程度の空間遷移を破れないとは」
ジュチが唇をかみしめて言う。隣ではアルテミスが顔色を失くしていた。
「……とにかく、一度司令部に戻ろう」
ジュチが言うと、アルテミスは首を振って言った。
「いやっ! あたしはディアナを捜すの。だって、ディアナが攫われたのはあたしのせいだから」
「気にするな。ボクこそキミたちを守れなかった」
ジュチが悔しそうに言うと、アルテミスは身体を震わせて言う。
「そうじゃないよ! あたし、あんたから『司令部に戻れ』って言われていたのに、突っ立っていたから」
ジュチはそう言うアルテミスを優しく見つめた。いつもなら自分に突っかかってくるアルテミスだが、今は身体を震わせて今にも泣きそうにしている。
「ディアナは必ず助け出す。だから司令部に戻ろう。今のキミの服は前衛的過ぎて、とても刺激が強過ぎるから」
ジュチがそう言うと、アルテミスは初めて自分の身体を見回した。ルクリアの攻撃で服はズタズタになり、お腹とか太ももとかはほぼ完全に露出している。
「やだ、恥ずかしいよ」
そう言うアルテミスに、自分のロングコートを着せてジュチは言った。
「戻ろう。そして一刻も早く、ディアナを救い出すんだ」
★ ★ ★ ★ ★
『色欲のルクリア』は、自分の隠れ家で満足そうな吐息とともに、向こう側に転がっているディアナをじっくりと眺めまわした。
「ふふっ、久しぶりに満足させてもらったわ。やっぱり女の子も良いわねぇ。それにあのジュチ・ボルジギンと言う男がどんな奴かも分かったしぃ……あら、お目覚めかしら?」
ルクリアは、「ううん」と声を上げてもぞもぞと動くディアナにそう声をかけた。
ディアナは、起き上がるとしばらくぼーっとしていたが、不意に自分があられもない姿で座っているのを知ると、
「きゃっ!」
と声を上げ、真っ赤になってうつぶせになる。ルクリアは、ディアナの白い背中にどす黒いタトゥーのような文様が浮かび上がるのを心地よげに見つめていたが、
「いやっ! なんで私ハダカなの? ジュチ様、助けて!」
と泣き叫ぶディアナを少し不憫に感じたか、ポンと毛布を投げ与えて言う。
「お目覚めかしら? ディアナさん」
するとディアナは素早く毛布を身体に巻いて、キッとルクリアを睨みつけて言う。
「私をジュチ様のところに戻して!」
ルクリアは、ニコリと笑いながら、ディアナに言い聞かせるように言う。
「それは出来ない相談だわ。だってあなたは、もう私のものになっちゃったのよ? 私なしじゃいられない身体になっているから、ジュチ様のことは諦めた方がいいわよぉ?」
ディアナは、首筋まで真っ赤にしてその言葉を聞いていたが、ルクリアが言っている意味に気付くと、サーッと顔から血の気が引いた。
「え? でも、あなた、女性ですよね?」
「女が女に興味を持っちゃいけない理由はないのよぉ? あなた、肌はきれいだし、感度はいいし、声も可愛かったわよ。私はすっかり気に入ったわぁ」
ルクリアが言うと、ディアナはぶるぶると震えだした。よりによって魔族と……私はもう、ジュチ様にもお姉様にも会えないし、種族のみんなにも顔向けができない。
ルクリアは立ち上がると、絶望に打ちひしがれ、がっくりと肩を落としたディアナの側まで行って膝をつき、その肩にそっと手を乗せる。
「いやっ!」
ディアナが身体をよじって拒絶するが、ルクリアはディアナを強引に抱き寄せると、その首筋に舌を這わせた。すうっと動く舌の感覚にディアナはびくりと身体を震わせる。
ディアナは、声を出さないように歯を食いしばっているようだが、すでに身体からは抵抗する意志が感じられない。そしてルクリアの舌が耳の裏側をチョンとつつくと、
「あっ!」
と、耐えきれないように声を上げた。
ルクリアは、すっかり身体の力が抜けてしまったディアナを、ゆっくりと自分の方に向けると、ディアナの唇に自分の唇を重ねた。と、ディアナが耐えきれないようにルクリアの舌に舌を絡ませてくる。
あとは、ここに書くことが憚られるような情景が繰り広げられた。
「どうお? 気持ちよかったでしょう?」
ルクリアが耳元でささやくと、ディアナはこくりとうなずき、
「ルクリア様、もう一回」
と、ルクリアを求めて来た。
「もうこれで十分だね。あとはこれを使ってジュチ・ボルジギンを殺せば、ホルンやザールは司令塔を失ったも同然。ジュチを始末した後は、ザールの番だね」
ルクリアは、正体もなく寝入ってしまったディアナを見つめてそう言うと、静かに笑った。
★ ★ ★ ★ ★
「ジュチ、ちょっと話があるんだけど」
司令部でディアナの奪還についてあれこれ考えを巡らせていたジュチは、不意にアルテミスからそう声をかけられた。
「何だろう」
ジュチがそう言って椅子ごとアルテミスを見ると、アルテミスはいつもと違って顔を真っ赤にしてもじもじしている。
「話しづらいことのようだね。人払いしようか」
ジュチがそう言うと、アルテミスはうなずいた。
「……と言うことだ。サラーフ、ヌール、そしてみんな、すまないがちょっと席を外してくれ。ドアは開けたままでいいが、誰も2階にはいないでくれ」
ジュチがそう言うと、全員が部屋を出て行く。やがてアルテミスとジュチの二人がその場に残った。
「座ったらいい」
ジュチが言うと、アルテミスはうなずいてソファに座る。そして、ややあって思い切ったように訊いてきた。
「じ、ジュチって、ディアナの婚約者だったよね?」
「そうだね」
「あのさ、もし……もしもだよ? もし、その、ディアナがさ、いなく……」
そこまで言って、アルテミスは首を振る。
「ディアナは必ず助ける」
ジュチはそうキッパリと言った。それを聞いて、アルテミスはほっとした顔をする。
「そ、そう……そう言ってくれたら、あたしも気持ちが楽になるわ」
そう言うと、アルテミスはさらに悲愴な顔をして何か言おうとして口を閉じる。まだ訊きたいことがあるらしい。
「も、もう一つ、いいかな?」
「なんなりと」
「その、言いにくいんだけれど、もし、その、ディアナのさ、じ、純」
「それは関係ない」
ジュチはみなまで聞かずに言った。
「それを気にするのか?」
ジュチが逆に訊くと、アルテミスは顔を真っ赤にして言う。
「も、もちろんよ。ディアナは特にそうだと思うから、事前に訊いておきたかったの」
「ふむ、キミは、ボクがこの部隊の指揮官であることを忘れているね?」
ジュチが言うと、アルテミスはきょとんとした顔をする。ジュチはうなずいて言う。
「ボクはこの部隊のすべてに責任を負っている。ディアナの遭難についても、最初からキミたちを編成に入れなければよかったことだ。それをあえて編成に入れたボクに責任はある。ディアナがどんな状態であろうと、ボクはその責任を取らねばならない」
「え、でもそれじゃ、ジュチはディアナのことが嫌いでも結婚するって言うの?」
「好きだよ」
「え?」
「ボクは、ディアナのこともキミのことも好きだよ。幼馴染じゃないか」
「そ、それは答えになってない!」
アルテミスが瞳を潤ませている。アルテミスとしては、妹への心配もさることながら、さまざまな情念が渦巻いていることに、自身も気付いていない。
「いや、立派な答えだと思うよ? ボクの気持ちはあの頃のまま、ずっと変わっていないからね?」
アルテミスは黙ってしまった。自分もひっくるめて好きと言われて、この状況で喜んでいいのかどうか。
「それより、一日も早くディアナを助け出そう。あいつは恐らく、今日明日にはまたここに来るはずだ。ボクを倒すためにね」
ジュチが言うと、アルテミスは顔を上げて言う。
「そんなこと、あたしがさせない。あたしも戦う」
しかしジュチは首を振って、沈痛な顔で不思議なことを言った。
「いや、恐らくキミは戦えない」
★ ★ ★ ★ ★
そのころ、リディア隊はどうしていたかと言うと、いち早くカズィーの町に到着していた。砂漠を進む三つの部隊のうち、最も西にいたといえる。
「今頃、ザールとジュチはどうしているかなあ」
カズィーの町に入ると、リディアは開口一番そう言った。それにロザリアがやや憂鬱そうな顔で答える。
「『風の耳』の定時連絡によると、どちらの部隊も今のところ特別変わったことはないようじゃ」
けれど実際は、ザールが『嘆きのグリーフ』と戦って記憶を失ったことや、ジュチ隊に『色欲のルクリア』がかかって来たことを知っていた。
――ザール様大好き好きっ娘のリディアのことじゃ、本当のことを言えばここから軍を本隊に向けかねないからのう。まあ、状況は詳しくは分からぬが、命に関わるものではなさそうじゃから、私も我慢しておかないとな。
ロザリアはそう考えて、敢えて楽観的な話をしていた。
「特段変わったことはないようじゃが、ジュチがカブランカー地域に仕掛けを考えておるようじゃから、本隊もあまり突出はしないと思える。我が隊もそれに合わせて少しばかりここで待機しておいた方が良さそうじゃ」
ヘパイストスはそれを聞くと
「そいつはいい。もう少し多めに仕入れていた方がいい物資があったんだ。2日くらいで後続が届くと思うので、それまで待ってもらえないかな?」
そう言う。ロザリアは内心ニヤリとした。
二人の意見を聞いて、リディアは
「う~ん、早いとこザールに合流したいけど、そういうことなら2日ほど進撃は見合わせようか」
そう決断した。
★ ★ ★ ★ ★
本隊の方は、ベーレの町に到達していた。全行程のほぼ3分の1のところである。
『あっ、ホルン。ザールさんの状態はどうだった?』
ザール隊から帰って来たホルンに、コドランが訊く。ホルンは沈んだ顔をしていたが、無理に笑って言った。
「う、うん。調子は良さそうだったわ……記憶はまだ戻っていないみたいだけれど」
ホルンは、ザールがオリザやシャロンのことは忘れておらず、自分のことだけをすっかり忘れてしまっていることで、『本当のザール』はどこかに行ってしまい、『異世界から来たザール』と話をしているような疎外感を感じていた。
『大丈夫だよホルン。ザールさんはきっとホルンのこと思い出してくれるよ。だって二人とも同じドラゴニュート氏族の血が流れているんだから』
コドランはそう言って励ましてくれるが、
――二人の関係を最初からやり直すしかないのかしら……ううん、私と最初に出会ったときは、ザールは私のことを知っていて、捜していてくれた。今は私の存在そのものを忘れている状態だから、マイナスからのスタートね。
ホルンはそう思ってもいた。
「王女様」
そこに、後衛で『神聖生誕教団騎士団』を指揮しているシャロンが訪ねて来た。
「あ、シャロン。遠慮せずに座って。ザールの具合はどう?」
シャロンは、勧められた椅子に座ると、ホルンの顔を見ないようにして言う。
「隊員の何人かに、ザール様の状況を診てもらいましたが、ザール様の記憶は完全に“消去”されているようです」
それを聞いた途端、ホルンの頭の中は真っ白になった。
「……消去?」
少し間を開けて、ホルンがやっとそれだけ言う。シャロンは気の毒そうな顔をしてうなずく。
「消去と言うことは、私を思い出すことはない、と言うことよね?」
ホルンが下を向いてつぶやく。銀色の髪で顔は隠れているが、肩が小刻みに震えていた。床にポツリ、ポツリと丸い染みがいくつかできる。
シャロンは何も言えなかった。重苦しい空気が部屋に流れる。けれど、しばらくするとホルンは戦袍の袖口で目を押さえた後、顔を上げて言った。
「……それが運命なら、受け入れます。けれど私は、運命には負けません」
そしてホルンはシャロンに笑って言った。まだその眼は赤かった。
「1時(2時間)大休止したら、出発します。行き先はカズィーの町に変更します。ザールにもそう伝えてください」
★ ★ ★ ★ ★
『色欲のルクリア』は再びダルヴェーゼの町郊外にやって来た。
「ふふ、今日はジュチの首をいただいて帰るわよ」
ルクリアはそうつぶやくと、傍らに立っているディアナを振り返って笑う。
「さあ、ディアナちゃん、あなたの出番よぉ。ジュチを斃したら、あなたを死ぬほど可愛がってあげるわよぉ? 期待しているわね」
「はい、ルクリア様」
ルクリアの微笑に、ディアナは恍惚とした表情を見せて答える。そして、ゆっくりとダルヴェーゼの町へと歩き始めた。
「では、作戦開始よ」
ルクリアは、ディアナがある程度の距離まで離れると、パチンと指を鳴らす。すると、ディアナはビクンと身体を震わせて、辺りをキョロキョロと見回し始めた。
「どうしたの? あなたの帰るところはあそこよ?」
脅えたような顔で辺りを見回していたディアナは、ふいに後ろからそう声をかけられて跳び上がる。そして恐る恐る後ろを見ると
「ひっ!」
ルクリアが宙に浮いてこちらに笑いかけているのを見て、ディアナは顔を引きつらせてダルヴェーゼの町へと逃げ出した。
ディアナは走った。今までどこでどうしていたかは分からないが、とにかくルクリアから逃げたい気持ちが先に立って、彼女はダルヴェーゼの町へと走る。
――ジュチ様、お姉様、助けて!
ディアナはただそれだけを思って走り続け、やっと町の西側にある検問までたどり着くと、息を弾ませて後ろを見る。よかった、あいつは追って来ていない。
そこに、検問所から
「ディアナ殿? ディアナ殿ですか?」
と、二人のエルフが走って来た。
「はい、ディアナです。やっと敵から逃れてきました」
ディアナは味方のエルフの姿を見ると、心底から安心してそう言った。
ディアナが『色欲のルクリア』から逃げてきたことは、すぐにジュチやアルテミスに知らされた。アルテミスは取るものも取りあえずに、ディアナが休んでいる検問所へと向かった。
「ディアナ!」
「あっ、お姉様!」
ディアナは、息せき切って飛び込んできたアルテミスの顔を見ると、すぐに立ちあがってアルテミスに飛びついてきた。
「お姉様、怖かった。もうお姉様やジュチ様には会えないかと思った」
そう言って涙を浮かべるディアナの頭を優しくなでながら、アルテミスはうなずきながら言う。
「うん、あたしも心配したよ。でもよかった、あなたが無事に戻って来てくれて。変なことされなかった?」
「うん、大丈夫だった。でも怖かったよう」
アルテミスは、ディアナの背中をひとしきり撫でた後、彼女の顔を眺めて笑って言う。
「じゃ、ジュチにも顔を見せに行こうか? あいつもあなたのことは心配していたから」
すると、ディアナはちょっと顔をしかめた。アルテミスが『ジュチ』と言った時、ディアナはほんの一瞬だったが胸に鈍い痛みを感じ、その頭の中には一瞬、誰かの顔が浮かんで消えたのだ。
「どうしたの?」
アルテミスが訊くと、ディアナはニコリと笑って答えた。
「何でもないの。走り疲れちゃったのかな?」
「なら、早く司令部で休んだがいいよ」
アルテミスは心配そうに言うと、ディアナを連れて検問所を出た。
「ジュチ様はどうしていらっしゃいますか?」
「ああ、あいつはディアナを探してあちこち飛び回っているよ。だから早く顔を見せてやって、あなたの大切なジュチ様を安心させておあげなさい」
アルテミスがおどけたように言うと、ディアナは顔を真っ赤にして
「お、お姉様。もう、からかわないでください」
そう言ったが、その後不意に黙り込む。また、頭の中に、先ほどよりは少し長い間、誰かの顔が浮かんで消えたのだ。とともに、かすかではあるが先ほどの胸の痛みがぶり返してきた。
けれどアルテミスは、そんなディアナの様子に気付かなかった。ちょうどジュチがこちらに向かってくるのが見えたからだ。アルテミスはジュチに大声で呼びかける。
「あっ、ジュチ! 心配かけたね。ディアナが無事戻って来たよ!」
ディアナはアルテミスが三度『ジュチ』と呼ぶのを聞いて、さらに胸の痛みが強くなった。とともに、頭の中にルクリアの顔がはっきり浮かんだ。ルクリアはディアナの心をとろかすような妖艶な笑みを浮かべると、ディアナに命じた。
『さあ、ディアナちゃん、ジュチの首を獲っておいで』
「……はい、ルクリア様」
ディアナはぼそりとつぶやくと、近づいて来るジュチを感情のない顔で眺めた。
「おお、ディアナかい? キミが無事に戻ったと聞いて飛んできたよ」
ジュチが笑いながら言うと、アルテミスが茶化す。
「歩いてきたけれどね?」
「まあそうだね。ディアナ、無事でよかったよ」
ジュチが満面の笑顔で言うと、ディアナは急に涙をこぼして、
「ジュチ様、もう会えないかと思っていました」
そう言うと、ジュチの方に駆けだす。アルテミスはそんなディアナを見て、うらやましそうに顔をそむけた。その時である
「なっ! ディアナ、何をする!?」
突然ジュチがそう叫んだので、アルテミスは驚いて二人を見る。そしてアルテミスは口を手で覆って固まった。
ディアナが、剣でジュチに斬り掛かっていたからである。ジュチは胸元を横一文字に斬られていた。幸い、傷は深くないらしく、ジュチはレイピアでディアナが次々と繰り出す斬撃を弾いている。
「ディアナ! 何してるの!?」
アルテミスがそう言って二人の間に割り込もうとしたが、
「アルテミス! 下がれ!」
ジュチがそう言って止めた。アルテミスは剣は抜いたものの、どうして良いか分からない。ただ言えることは、ディアナの表情を見る限り、彼女がとても正気とは思えないということだけだった。
「ふふん、さすがは智将ジュチ。自分の許嫁であっても油断はしていないとはねえ」
「『色欲のルクリア』、やはりそなたの仕業か!」
ジュチがディアナの剣を避けながら叫ぶ。ルクリアは腕を組んでジュチたちを見下ろしながら、
「ふふっ、ジュチ、あなたの許嫁の『初めて』は私が頂いたよ。なかなか感度が良くていい娘だねえ、ディアナは」
それを聞いて、アルテミスは顔を赤くするとともに、かっとなって言った。
「う、嘘だ! あたしのディアナはそんな妹じゃない!」
するとルクリアはアルテミスを勝ち誇ったような目で見て言う。
「フン、まだネンネの嬢ちゃんは黙っておいで? さあジュチ、自分の許嫁を汚されて、その許嫁から殺される気分はどーお?」
「ディアナは汚れてなんかいない」
ジュチはただ一言言って、斬り掛かってきたディアナの右腕を掴んで引き寄せると、そのままディアナを羽交い締めにする。そしてその耳元で
「Y`bionne terusu ode`nt sellene C`est bian d`hotel frora assi……」
と、呪文を唱えだした。ディアナの動きが止まり、何かに憑かれたような顔がだんだんと優しくなってゆく。
しかし、ルクリアは慌てた様子もなく、くすくす笑いながら言う。
「ジュチ、助けたい気持ちはわかるけれど、その娘には『拡散術式』と『爆裂術式』を掛けてあるからね?」
「くっ! やはりか!」
ジュチは呪文を止めて、悔しそうにルクリアを睨みつけながら言う。呪文が止まると、ディアナはまた険しい表情で暴れだした。
ルクリアはそれを心地よさげに見ながら、
「ジュチ、その娘を助けたいなら、あんたが死ぬしかないんだよ」
そう言う。
「あたしがそんなことさせないよ!」
アルテミスがそう言って剣を構えたとき、アルテミスの心にディアナが語りかけてきた。
“お姉様、私を斬ってください”
アルテミスは、驚いてディアナの方を見る。ディアナは相変わらずジュチの羽交い締めから逃れようと暴れている。
“お姉様! あいつの言う通り、わたしはあいつから玩具のような扱いを受けました。もうジュチ様のお側にはいられません。私がジュチ様を殺す前に、私を殺してください!”
「……嫌だ……ジュチだって気にしないって言ってるのよ? 正気に戻って?」
アルテミスがそうディアナに語りかける。ディアナは
“早く! ジュチ様に毒が回らないうちに!”
そういった途端、ジュチの身体から力が抜け、ディアナはするりと抜け出した。
「く……毒か……」
ジュチがひざまずいて言う。ルクリアは笑いながら
「なかなか効かなかったからヒヤヒヤしてたけど、これで年貢の収めどきだね、ジュチ? あんたの許嫁は私が末永く可愛がってあげるから、心配しなくてもいいのよ?」
ディアナはジュチの真ん前に立ち、剣を振り上げる、それを見て、アルテミスは
「やめなさい、ディアナ!」
と、剣を構えて突っ込んでゆく。
――ダメだ、間に合わない!
振り下ろされるディアナの剣を見て、アルテミスは目をつぶった。
ブシュッ!
鈍い音が響いた。
「な……」
信じられないとでもいった声を上げたのはルクリアだった。アルテミスはゆっくりと目を開けた。
アルテミスが見たのは、背中からレイピアが突き出たまま、動きを止めているディアナだった。ジュチはディアナの斬撃を、身を捩ることでかわしていた。
「ジュチ……ディアナ……」
二人の側まで駆けてきたアルテミスは、剣を取り落としてそう言う。ジュチはゆっくりと立ち上がり、ディアナを抱きしめると、その耳元でささやいた。
「ボクは、キミを、昔と同じように好きだよ。今もね?」
ディアナは剣を取り落とした。そしてジュチを正気に戻った目で見つめ、
「うれしい」
そう言ってこと切れた。その頬に、一筋の涙が伝った。
「ディアナ!」
アルテミスは、力を失ってだらりとしたディアナの手を取って叫んだ。
「ちっ! あと少しだったのに!」
ルクリアは悔しそうに言う。
「アルテミス、ディアナを頼む。ここを動くな」
ジュチは、ディアナをゆっくりと横にすると、冷え冷えとした目でルクリアを見つめて言う。その顔は相変わらず優しげだったが、碧眼は今まで見たこともないような色に染まって凍っていた。
アルテミスは、ジュチの目を見てゾッとする。ジュチが、怒っている、それも本気で!
アルテミスは、ジュチがこれほど怒るのを初めて見た。
「キミは、ボクを本気で怒らせてしまったようですよ?」
ジュチがブリザードのような声で言うと、あたりの景色が一変した。何もない、本当に何もない空間だった。茫漠として、しかし光に満ちた空間。
「なっ!?」
さすがのルクリアも、慌てて逃げ道を探す。しかし、ジュチは嘲るように言った。
「ムリです。この23次元空間は、ボクがキミを倒さない限り解除されません」
――23次元空間!? ジュチしか編めない最高傑作の空間って聞いたけど。
アルテミスは思う、でもそれって、ジュチの命を削って編む空間だって聞いたけど。
ジュチの言葉を聞くと、ルクリアは覚悟を決めたように振り返って言う。
「そう、これが噂のハイエルフの最高奥義『空間術式M』なのね。それじゃ私も最高の術式で対抗させてもらうわ」
ルクリアがそう言うと、彼女の周りだけに風が吹く。そして彼女の黒髪を風が吹き上げると、隠れていた左目が顕になった。
「龍眼」
ジュチが言うと、ルクリアはニヤリと笑って呪文を唱えた。
「Lusuto er doraco C`est du onntero, doraconia Doracoesta ici, Y`ent de pas cosu serutania serutanis, pas Doracosiste!」
すると、ルクリアの身体は、体長20メートルはあるワイバーンへと変化した。
「ふん、ロートワイバーンか。ザールの足元にも及ばないな」
ジュチが言うと、ルクリアは
「少なくとも、蝶なんかを使い魔にしているお前たちよりは強いわよ? 覚悟しなさい、ジュチ・ボルジギン!」
そう言ってファイアブレスを噴き出す。
「おやおや、变化した途端に物理的攻撃かい? せっかくの魔力は魔法攻撃に使うもんだよ?……こんな風にね?」
ジュチはファイアブレスをシールドで弾きながら、サッと左手を伸ばす。その手には弓が握られていた。そしてジュチは、矢もつがえずに弓弦を右手で弾く。
ビィィィン!
「うがッ!……身体が、動かせない?」
鋭い弦鳴りとともに、ルクリアの身体が固まる。ジュチは冷え冷えとした目でルクリアを見詰めて言った。
「諦めろ、キミはもうボクの思うがままだ。けれどボクはキミほど悪趣味でもないしイカれてもいない。だからキミには一瞬の死を約束するよ」
そう言うジュチの身体が、だんだんと緑色の光で包まれ始める。
「クソッタレ! 私が負けるものか!」
ルクリアはなんとかジュチの呪縛を解こうと、虚しいあがきをしていた。ジュチは憫然と微笑んで言う。
「怖がらなくていいよ? この死は永遠のものだ。キミは二度とこの世には生まれてこない、なぜなら、キミの想念まで分解してあげるからね」
そこでジュチはオオミズアオの羽を広げる。その羽はまばゆいばかりに輝いて、ルクリアの眼球を灼いた。
「ぐあああ! なぜ、なぜワイバーンの私が貴様なんかに」
ルクリアの叫びに、ジュチはそっけなく答える。
「弱いからさ」
ジュチの羽が変化した。オオミズアオの羽は、緑の光の中で更に大きくなる。そしてジュチは、その羽に十分に魔力が溜まったとき、ルクリアに右手を伸ばして叫んだ。
「逝ってもらおう、虚無の彼方に。『真空への誘い』!」
その途端、ジュチの背中の羽が外れ、意志あるもののようにルクリアへと飛んでいき、ルクリアを包み込んだ。
「ギャッ! あ、熱い、あt……」
ルクリアの身体は、きらめく砂塵となって天空に消えた。
「ボクの思い出を……」
ジュチは、23次元空間を解除すると、ただ一言言って気を失った。
「あっ、ジュチ。しっかりして!」
アルテミスは、崩れ落ちたジュチにとりすがり、そう叫んだ。
★ ★ ★ ★ ★
「ここは?」
ジュチは、ぼんやりと目を開けるとつぶやく。窓の外はまだ暗いが、濃い群青が徐々に薄れていくところを見ると、夜明けは近いらしい。ジュチがそう思ったとき、自分が柔らかいベッドに寝かされていると気づいた。
ふと見ると、ベッドの横では一人の女性が、ジュチの胸に突っ伏すようにして眠っていた。星空を思わせるような髪をポニーテールにしている。
「アルテミス……」
ジュチがつぶやくと、女性は
「んん……」
と声を出して、ゆっくりと身を起こす。そしてジュチが起きているのを見ると
「よかった、気がついたのね」
そう静かに言って笑う。
「キミがボクをここに連れてきてくれたのかい? アルテミス」
アルテミスは優しい目でうなずいた。ジュチが初めて見る彼女の優しい顔だった。
「どのくらい、ボクは寝ていた?」
「まる一昼夜よ。毒が少なかったから死なないとは思っていたけれど、それでもぜんぜん目を覚ます気配がなかったから、ディアナと一緒に逝っちゃうんじゃないかって心配したわ」
アルテミスが静かに言う。目の下に隈ができていた。
「それは心配かけた」
ジュチが言うと、アルテミスは首を横に振り、
「あいつをやっつけてくれてありがとう、ジュチ」
そう言う。ジュチも沈痛な表情で首を振って
「すまない、ディアナを救うことができなかった」
そう言うと、アルテミスは微笑んで言った。
「私こそ、お礼を言いたいの。ディアナは苦しんでいたわ。私に言ってきたの、自分を殺してって……」
ジュチは黙って聞いていた。
「……でも、私には妹を刺すことなんてできなかった。あの娘には幸せになってほしかったもの、あなたと」
「そんな彼女を、ボクはああするしかなかった。すまん、アルテミス」
ポツリというジュチの手を握って、アルテミスは言った。
「ううん、ディアナは幸せだったと思う。最後にあなたの本心を聴けて。だから、ジュチ、ありがとう。姉としてはあなたに感謝しているわ」
「そう言ってもらうと、少し気が楽になる。けれど一つ聴きたい」
「なあに?」
「アルテミスとしては、どうしたら許してもらえる?」
ジュチの言葉に、アルテミスは一瞬キョトンとしたが、すぐに自分の気持ちに気づいて顔を赤くする。
「あ、あれはね、ごめん、私、『姉としては』って言ったっけ?」
ジュチは頷く。
「うん、キミとして許してもらえないと、ボクはディアナだけでなく、キミまで失うことになる」
その時、アルテミスはディアナの声が聞こえた気がした。
――私、お姉様にならジュチ様を譲っても良いな。
ごめん、本当はジュチはあなたのものなのよね。あなたがいなくなって、ジュチを私のものにしたら、あなたに悪いね。でも……
「じゃ、じゃあ、私を幸せにして? ディアナの分まで」
――ごめんね、ディアナ。お姉ちゃん、自分の気持ちにもうこれ以上嘘がつけない。
顔を赤くして言うアルテミスに、ジュチは優しく言った。
「分かった。昔のように、三人で幸せってやつを見つけよう」
(29 鎮魂の剣尖 完)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回はジュチにスポットを当ててみましたが、いかがでしたでしょうか?
次回は来週日曜9時から10時に、『30 熱砂の回廊』をお届けします。お楽しみに。




