28 熱風の海峡
リアンノン率いるアクアロイドの艦隊は、敵の名将ケッペルとホルム海峡の制海権をかけて決戦を行う。アクアロイドの水中攻撃を警戒するケッペルは、艦隊にその対策を講じさせていた。
今回はアクアロイド艦隊の活躍がメインになります。
【主な登場人物】
♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘で王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。26歳。
♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。15歳程度。
♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。23歳。
♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。21歳。
♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で『この世で最も高貴な一族』であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けるがチャラい。金髪碧眼の美青年。23歳。
♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。21歳。
♧ガイ・フォルクス…26年前にスケルトン軍団から国を滅ぼされたアクアロイドの王族。頭脳明晰で冷酷非情だが仇討に協力したホルンに恩義を感じている。29歳。
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王国暦1576年花咲き誇る月3日、トリスタン侯国のアリーが率いる3万の軍勢は、アクアロイドの町であるシェリルから北80キロほどにあるベラの町に到着した。
アリーは首府ヘラートからここまで、約1千キロをわずか30日で踏破したことになるが、それは彼の軍団に魔戦士部隊が所属していたことが大きい。
魔戦士にはいくつかの特性がある。攻撃に特化した者、防御に特化した者、回復に特化した者、そして移動に特化した者である。それらの者を異端視せずに政治・軍事に分け隔てなく活用するのがトリスタン侯国の強みであり、それゆえに侯国には軍団が編成できるほど魔導士や魔法使いが集まっていた。
「さて、明日にはシェリルに着くわけだが……」
幕舎の中で、アリーは左右の将であるアブドゥルとシンに話しだす。
「こちらに来る際、ザーヘダーンの様子はどうだった? カブール」
アリーは、もう一人の宿将であるカブールに訊く。カブールは王宮の官職を持っていたため、乞われて第2軍団を指揮してマシュハド防衛に当たっていた。しかし州知事と戦略が対立したため指揮権を解かれ、アリーのもとに帰って来たのである。彼はこの軍への参加の途中、第3軍団の策源地であるザーヘダーンの町を視察してきていた。
「王室はとろいですね。第31軍団の編成はまだ終わっていませんでした」
カブールはそう言うと、ニコリと笑って続ける。
「というより、私が見た時には編成にかかったばかりでした。同時に第32軍団の徴募も行われていたようですが、一度に2個軍団の編成は、ただでさえ人口が少なく、辺境に近いザーヘダーンでは困難でしょう。今月中に1個軍団が編成できればオンの字です」
「……カラチでは第41軍団と第42軍団が編成完結しておりまんな。せやけどマウルヤ王国が不穏な動きをしているさかい、動きが取れない状況のようでっせ?」
魔戦士部隊の指揮官である魔導士長シンが、薄い唇を歪めて言う。彼はロザリアの妹ラザリアの婚約者でもある。
「当初、シェリルの攻略はわが軍だけに下令されていたが、リアンノン殿の艦隊の活躍に思いのほか王室が過敏に反応してな、現在、第3軍団と第4軍団がシェリルの町を包囲している。まあ、海軍を持たぬ陸からだけの包囲なので、実質上シェリルには何の損害も与えていないようだが」
アリーはそう言うと、
「が、私がサーム殿と約束したのは、早期にイスファハーンを攻略することと、アクアロイド部隊のために海沿いの地域の安全を確保することだ。ここで便々と攻略戦に加わっている場合ではない」
と、三人の顔を眺めて訊く。
「そこで、我が軍が一刻も早くイスファハーンへ進撃できるようにする策を考えてほしい。シェリルを包囲している王国軍が退却すればなおよい」
するとアリーの真向かい、幕舎の隅から、花も恥じらうような金髪碧眼の乙女がおずおずと手を上げて言う。
「あの……アリー様」
「何だ、ラザリア殿?」
少女はラザリア・ロンバルディアだった。魔女であるロンバルディア三姉妹はその魔力の高さと美貌だけでなく、智謀でも有名だった。今回アリーは、自身の妻である長女アザリアに留守を託し、三女のラザリアをアザリアの推挙もあって帷幕に加えていた。なお、言うまでもなく次女はロザリアで、彼女は三姉妹の中でも抜群の魔力と智謀を謳われている。
「あ、あの……出発前にロザリアお姉様からこれを預かっていました。『案外早く王国軍がシェリルの攻略にかかったらアリー様にお見せしろ』と」
緊張しているのかつっかかりながら言うラザリアに、アリーは優しい顔で言う。
「ほう、ロザリア殿が。どれ、見せてくれ」
「はい」
ラザリアはアリーに手紙を渡す。しばらく手紙を読んでいたアリーは、ニヤリと笑うと
「さすがはロザリア殿。ここまで事の推移を読んでいるとは……わが帷幕に加わってほしかったな」
無論、『ザール一筋』のロザリアの気持ちは分かってはいるが、思わずそう言った。
「よし、この策にかかろう。ラザリア殿、ご苦労だった」
アリーはラザリアに礼を言うと、すぐに三将とこれからの行動について協議した。
シェリルの町を攻囲しているのは、ザーヘダーン軍指揮官ジェム将軍が率いる第3軍団2万と、カラチ軍指揮官アンマン将軍指揮する第4軍団2万である。
彼らは前月の若葉萌える月25日からシェリルの町を攻囲していたが、
「土台、海軍もなしにこの水上都市を攻囲する方が無理ってもんだ」
連合指揮所でアンマンが言うと、ジェムも
「俺の軍団は首都防衛のために行軍していたところを急遽、反対方面のここに送られてきたからな。兵士たちはまだへばっているよ」
アンマンはジェムに訊く。
「ここはトリスタン侯国のアリーが攻めることになっていたんじゃないのか?」
「中央も甘く見ていたんだな。アクアロイドがあそこまで活躍するとは思っていなかったんだろうよ」
ジェムは笑って言う。それにアンマンは難しい顔で言った。
「近くに敵国がないお前は笑いごとで済むが、俺の管区はマウルヤ王国がすぐ東で爪を研いでいるんだ。本拠には第41軍団と第42軍団がいると言っても編成したてだから気が気でないぞ」
「それはそうだな。アリーの軍が来たら俺たちはお役御免になればいいが」
「そう願うよ」
二人の将軍はそう言って戦場の無聊を慰め合った。この2個軍団はシェリルを包囲している。包囲してはいるが、シェリルの守将モーデルはアクアロイドでも陸戦の上手さで知られているし、そのモーデルは今のところこちらを無視しているので、彼らとしてもただ町を軍隊で囲んでいるだけだ。見方によって守っているように見えなくもない。
そんな彼らのもとに、マウルヤ王国が小規模な越境攻撃を加えて来たという噂が届き、特にアンマンを驚かせた。現在、カラチ所在の州知事がマウルヤ王国に厳重に抗議しているという。
「くそっ! 言わんこっちゃない。資材も寄越さずにここで無駄な軍事行動をさせるより、練達の第4軍団をあのままカラチに置いておく方が良かったんだ」
アンマンは焦燥のあまりそう怒鳴り散らした。州知事と軍指揮官は一蓮托生である。第4軍団がシェリルを落としても、第4軍団がいないことによりカラチをマウルヤ王国に蹂躙されれば、二人とも死刑になることはまず間違いない。アンマンでなくても怒鳴りたくなろうというものである。
二人を驚かせたのはそれだけではない。マシュハド攻略にかかったと言われていたティムール軍5万5千が、ザーヘダーンに向かっているという噂まで飛んだのだ。
「ティムールは戦巧者だ。マシュハドという大きな策源地を素通りして、横腹を敵に晒しながら南下するのはあり得ない」
ジェムは一応そう言ったが、それでもサームが別動隊を編成して南下させているのがそう伝わったという捉え方もあり、
「これは、わが第3軍団もここでダラダラと日を過ごすのもよくない」
と思い出した。
二人が真偽のつかめない噂に迷いだして2日後、ついに決定的な事態が起こった。
「ジェム、悪いが俺はカラチに軍を返すぞ!」
アンマンは焦りながらジェムにそう言った。ジェムは、先ほどアンマンの司令部に届いたという州知事の指令書を見ながらうなずく。
「うむ、この指令書のとおり、マウルヤ王国に大規模な動員の兆候が見られるというのであれば致し方ないな。アンマン、気を付けてな」
「おう、こっちが片付いたらまた加勢に来るからな」
アンマンの第4軍団は取るものも取りあえず、慌てて陣を引き払い、全速力でカラチへの道を急いだ。
ジェムは配下の第3軍団に指示を出し、第4軍団が守っていた部署を引き継がせた。けれど、自身も噂ではあるが『南下している敵軍』を気にしていた。
そこに、彼のもとにも策源地であるザーヘダーンから、至急帰還を要請する知らせが届き、彼を慌てさせた。
「何、ザーヘダーンの北150キロに約5万5千の大軍だと? これは俺もシェリルを包囲している場合じゃないぞ」
ジェムも慌てたが、彼とアンマンの違いは、ジェムは州知事も兼ねていたという点である。アンマンには州知事が別にいて、その州知事の指令で軍を返したわけで、『軍を引き返させる』という判断の責任はアンマンにはない。判断の根拠となる情報が間違っていた場合、処断されるのは州知事だ。
けれどジェムの場合は州知事を兼ねているため、自らの責任で軍を返さねばならない。しかも、彼が軍を返すことは結果的に王命である『シェリルの攻略』を放棄することになる。その判断の根拠が間違っていた場合、ただの死刑では済まないかもしれない。
苦慮するジェムのもとに、『トリスタン侯国軍の到着』という朗報が届いた。これで彼は救われる。ジェムはすぐさまアリーを指揮所に招いた。
「トリスタン候、よく来てくださいました」
ジェムは笑ってアリーを招き入れると、満面の笑みで言う。
「はい、ご指示をよろしくお願いします。ジェム将軍」
アリーはまずそう言うと、いぶかしげに続ける。
「ところでここには第4軍団もいると聞いていましたが?」
その問いに、ジェムはよくぞ訊いてくれたとばかりうなずいて説明した。
「第4軍団は、マウルヤ王国に軍事行動の兆しが見えたため引き返しました。そして、私の本拠であるザーヘダーンにも、正体不明の大軍が接近しているという報告が来ています」
そこでジェムはアリーの手を取って頼んだ。ジェムの手は緊張のせいか湿っていた。
「私も、本拠を失っては陛下に申し訳が立たない。そこで、私に代わって一時的にアリー殿にこの陣の指揮をお願いしたいのです」
すがるように言うジェムの願いを、アリーは笑顔で快く受け入れた。
「分かりました。反逆者は私の軍で見事抑えておきましょう。私も国家の藩屏として、反逆者の相手をしているうちに別の反逆者に王土を奪われるという本末転倒は避けたいですからね」
「おお、かたじけない! では私はすぐにザーヘダーンへと引き返します。後はよろしくお願いいたします」
ジェムは会談を終えると、若干の引継ぎをして、すぐさま第3軍団を包囲の陣から引き揚げさせた。
「……上手いとこ行きましたな?」
第3軍団も引き揚げた指揮所で、アリーにシンが話しかけた。アリーはうなずいて
「そなたたち魔戦士部隊のおかげだ」
そう言うと、シンはニタリと笑って答える。
「いえ、これはロザリア殿の作戦勝ちやわ。わてらはその作戦に沿っただけですさかいに。ほんま、ラザリアの下の姉貴はえげつないこと考えるおなごやな」
シンの魔戦士部隊は、三つの作戦を行った。一つは小部隊でマウルヤ王国軍のゲリラに偽装し、カラチとの境で小規模な軍事行動をした。二つは、カラチの州知事命令を偽装しアンマンに届けた。そして三つめはザーヘダーンの北方に大規模な幻影を出現させた。
それぞれの策略は見事に功を奏し、トリスタン侯国軍に損害を出さずに王国軍を撤退させた。しかも、自軍がシェリル攻略にかかったことは王国軍も承知した。今後、自軍がどういう行動をしても、発見されるまでは中央は『トリスタン侯国軍はシェリルを攻囲中』と信じ続けるだろう。
「あとは、モーデル殿と交渉するだけだ」
アリーはそう言って笑った。
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王国暦1576年花咲き誇る月15日、アクアロイドの大艦隊はジャースク岬の泊地にいた。ここからはホルム海峡は指呼の内にあり、王国海軍の基地であるバンダ・アッバースやケシム島の泊地までは240キロに過ぎない。
「ホルム海峡を抑えれば、王国海軍の死命を制することができる」
総旗艦『リヴァイアサン』司令室で、リアンノンが並みいる参謀たちを前に言う。
「そして、今後のバスラ及びバビロン攻略のためには、バンダ・アッバースとケシム島泊地はどうしても手に入れておきたい中継地だ」
「敵艦隊と基地及び泊地の所在兵力の情報はあるか?」
ニールセン参謀長が訊くと、アンソン情報参謀が答える。
「はい、バンダ・アッバース基地とケシム島泊地には兵力それぞれ1万があり、泊地には戦列艦70と通報艦30が確認されています。整備状況は上々で、練度も高そうです」
「戦列艦と通報艦のバランスが悪いな」
ホーク作戦参謀が言うと、ハウ補給参謀が
「戦列艦は強いという思い込みから、先に戦列艦を重点的に整備したのでしょうな」
「敵の指揮官は誰?」
リアンノンが訊くと、ベンボウ先任参謀が
「ケッペル提督です。今度は王国軍も本気のようですね」
と答える。リアンノンはうなずいて言った。
「敵将はケッペル。もう一人のテゲトフと並び称される双璧です。この艦隊を撃滅し、敵の基地と泊地を奪い、ホルム海峡を支配下に置けば、海での勝利は決する。者ども、心してかかれ」
参謀たちは一斉に平伏した。
花咲き誇る月16日、リアンノンは再び動き始めた。今度は先頭にローズマリー正提督が160隻もの通報艦を率いて進み、その後ろにエース准提督が戦列艦40隻を指揮して続いた。ローズマリーは横8隻縦20隻の長方形の陣形を取っていた。
そしてその背後には、艦隊随一の戦巧者であるクリムゾン大提督が100隻を率いている。この艦隊は戦列艦20、通報艦80であった。
この先頭兵団が出帆して、かなり遅れてテトラ正提督の100隻、ミント上級大提督の100隻、リアンノン直卒の100隻、タボール正提督の100隻が続く。
「今回はこちらから仕掛ける。敵をいち早く発見できれば、我が方の勝ちは動かん」
『リヴァイアサン』艦上で『トライデント』を杖に身体を支えながら、リアンノンは遠くにある対岸を見つめていた。
「敵さんはこちらを発見してくれたようだな」
臨時に旗艦としている通報艦『ホットスパー』の艦上で、双眼鏡をのぞいていたローズマリー提督はそうつぶやいた。対岸にあるダドナーという町の高台にある腕木信号機が、忙しく動き出したのが見えたからである。
ローズマリー艦隊の後ろを守る形になったエース提督は、旗艦『バーラム』の艦上で乗組員に訓示していた。
「今度は敵さんの本拠地をいただく。俺たちがその槍の穂先だ」
乗組員たちは目を輝かせてエースを見つめている。エースはその一人一人を見つめるようにしてうなずくと、
「今度は今までにないほど、艦を陸に近づける。もちろん、敵の抵抗は激しいだろう。けれど俺たちが派手に暴れれば暴れるほど、クリムゾン提督の部隊が楽になる。俺たちは上陸はしない建前だが、事によっては諸君の武勇を陸で見せてもらうこともあり得る。しっかり心の準備をしていてくれたまえ」
そう言うと、全員が喚声を上げた。
その後ろに控えたクリムゾン艦隊では、旗艦『ヴァリアント』でクリムゾン提督が革鎧を着こんでいた。
「久しぶりに陸で暴れられるな。艦長、陸戦隊の準備は整っているか?」
艦長は心配そうにうなずく。
「はい、ただ、敵は2カ所で2万を準備しているとの話なので、十分注意なさってください」
するとクリムゾンは豪快に笑って言った。
「はっはっ、その点はエースの坊やが上手くやってくれるさ。あいつの役割は艦からの支援だが、きっと上陸してくるぞ。賭けてもいい」
「出撃せよ!」
腕木信号機の逓伝連絡でリアンノン艦隊の出撃を知ったケッペル提督は、指揮下の全艦に出撃を命令した。自身も戦列艦『スルタン』を旗艦として艦隊の先頭に立っていた。
ケッペルは、アクアロイドの生態をよく知っていた。そして、前回の戦いで王国海軍の艦が突然転覆した理由も、生還した乗組員から話を聞いてある程度の推測も立てていた。
「付け焼刃だが、こうするしか対策はなかったからな。速度の低下はある程度仕方ないと割り切らねば。沈んでしまったらお終いだからな」
ケッペルは、喫水が深くなり、そのせいで船足が遅くなった戦列艦を見て、苦々しげに言う。乾舷が低くなったことで弩も3分の1は艦から降ろし、乗組員も少なくなっていたが、それもこれも、アクアロイドの水中攻撃に対処するためだった。
「前回の敗因は、アクアロイドの能力を知らなかったことに尽きる。奴らは艦底にとりつき、穴を開けたのだ。生還した水兵たちからの話を聞く限り、私はそれ以外の説明ができない。だから私は奴らの水中攻撃を何とか封じ込める策を考えた。幸い、工廠のみんなの努力によって、装備は間に合った」
ケッペルは出撃前の訓示でそう言うと、
「皆も知ってのとおり、全艦艇に対して、艦底から艦腹にかけて、鉄の板を張り巡らせた。これで奴らの水中からの攻撃は阻止できると信じている」
そう言って、沖にいる艦隊を見つめる。
「ただし、運動性と攻撃力を犠牲にしなければならなかった。そのため、諸君の一層の奮励を望みたい。敵を早く発見して有利な位置につき、弩を絶え間なく浴びせる……これしかアクアロイド艦隊を圧倒できる方策はない」
ケッペルは最後に艦長や水兵たちを見つめながら言った。
「艦隊でも最高の練度を誇る諸君なら、必ずやできると信じている。憎きアクアロイドの奴らを、海の王者の座から引きずり降ろしてやろう」
水兵たちの意気は天に沖するようだったが、
「艦長、もっと速度を出せないか?」
ケッペルが言うが、艦長は首を振って
「今の風ではこれが限度です。何しろ重すぎます」
そう言う。ケッペルが見るところ、現在の速度は4から5ノットというところだ。普通の戦列艦なら10ノットは出る。
しかも、防御の鉄板を張り詰めた代償として、乾舷が低くなっていた。もともと弩を3層で配置していたのだが、喫水が増したため舵を取ると一番下の層には海水が流れ込むようになってしまった。仕方なく最下層の弩は撤去し、射撃口は浸水対策のため完全封鎖したのだ。
攻撃力の減少と速度の低下、これがケッペルにとって一抹の不安だった。
例によって、敵艦隊を先に発見したのはアクアロイド側だった。先頭部隊の旗艦『ホットスパー』のメインマストの見張りが叫ぶ。王国暦1576年花咲き誇る月16日の7点半(午前9時)だった。
「おーい、艦橋ー。ポイント1に敵艦隊発見。艦種は戦列艦約90、通報艦約30、敵針110デグレ、敵速4ノット。距離は約12マイル」
それを聞いて、ローズマリー提督は首をひねった。今、風は0デグレ、つまり真北から吹いている。風速は4で弱いわけではない。こちらの進路は290デグレだから正対位置だ。こちらは少し風上に間切っているのに、11ノットは出ている。それが通報艦と戦列艦の違いはあるにしても4ノットしか出ていないだと?
ローズマリーはメガホンを取り上げてマストトップに向けて叫んだ。
「おーい、見張りー。敵の帆はすべて上がっているかー?」
「敵の帆はすべて上がっていまーす」
「敵通報艦の速度はどうかー?」
「敵通報艦の速度は6ノット内外でーす」
「ふむ……敵の乾舷はどうだー?」
「敵の乾舷見えませーん」
それを聞いて、ローズマリーはどういうことかを悟った。すぐに彼の決心は命令となって艦長に伝えられる。
「艦長、隊員にはアレを渡してくれ。穿刺攻撃ができない場合に備えてな。いつもより少し遠いが、5マイルで隊員を出撃させよう」
一方、少し遅れてケッペル艦隊はローズマリー艦隊を発見した。
「おーい、艦橋ー。ポイント15半に敵艦隊発見。敵艦種は通報艦約150。敵針290デグレ、敵速約10ノット。距離約10マイル」
「来たか。こちらは風を後ろに負っている。存分に近づいて弩をありったけ浴びせろ」
「敵針が310デグレに変わりました。敵速約10ノット」
見張りの報告で、ローズマリー艦隊が風上に出ようとしているのを知ったケッペルは、
「進路を80デグレとせよ」
と、艦隊の針路を左に寄せる。命令を受けた艦長は新針路に『スルタン』を乗せたが、速度は若干低下した。
「敵針080、敵速3ノット、相対位置ポイント15、距離9マイル」
『ホットスパー』の見張りが叫ぶ。敵はこちらに頭を抑えられないように針路を変更したようだ。その代償として速度を失った。これはこちらの思うつぼにハマって来たようだと、ローズマリーはほくそ笑んでいた。
「艦長、どちらが相手の頭を抑えるかな?」
ローズマリーが訊くと、艦長はすぐに答えた。
「こちらです。相手は速度を失いましたから」
「と、すると、敵さんは針路を右に振るぞ。鈍足のまま頭を抑えられるのは嫌なはずだからな」
ローズマリーがそう話していると、果たして
「敵針090に変わります。敵速4ノット、相対位置ポイント13、距離7マイル」
そう見張りが報告してきた。
「このままだと突っ込んできますね」
艦長が言う。ローズマリーはうなずいて
「撃ち合いは避けたいな。敵との距離が5マイルになったら隊員を出撃させ、その後の針路は270デグレとしよう」
そう言う。それからは息をのむような時間が続く。敵艦隊は着実にローズマリー艦隊を捉えようと前進してくる。刻一刻と相対位置と距離が変わる。
やがて、
「敵針090、敵速4ノット。相対位置ポイント12、距離5マイル」
その報告があった時、ローズマリーは
「艦長、出撃させてくれたまえ。それと艦隊に信号、『出せ』」
そう命令する。『ホットスパー』のマストに信号旗が揚がった。とともに、非敵側の右舷から、20人の隊員が海に飛び込んだ。
「敵針090、敵速4ノット。相対位置ポイント11、距離4マイル半」
まだだ、敵が対応できないタイミングまで待たねばならない。ローズマリーは歯を食いしばって我慢する。
「最左翼の艦に信号、『敵との距離と相対位置知らせ』」
『ホットスパー』のマストに、また信号旗が揚がる。それは逓伝連絡され、最左翼の艦である『グラスホッパー』から逓伝連絡で返事が来た。わずかに3分後であった。
「司令官、『相対位置ポイント11、距離2マイル』です」
艦長がそう言うと、ローズマリーは力強くうなずいて命令した。
「艦隊に信号、『全艦逐次回頭、進路270デグレとせよ』。急げ」
敵旗艦『スルタン』艦橋では、ケッペルが双眼鏡を覗いていた。
「このまま行けば、敵艦隊の後ろを通過することになります」
艦長が言う。思いのほか艦の速度が上がらないのが原因だろう。このままでは弩の射程内に敵艦を捉えることすら難しい。弩で敵艦を掃射するためには、敵艦に半マイル、つまり5ケーブル以下に詰め寄らねばならないのだ。
「艦長、速度の低下は忍んで針路を60デグレにしてくれたまえ」
風に間切ることになるが仕方ない。『スルタン』はゆっくりと左に回頭し始めた。
その頃、ローズマリー艦隊を出発した『潜水隊』は、首尾よくケッペル艦隊の各艦にとりついていた。
……やはり、司令官が言われていたとおり、敵艦は艦底に鉄の板を張っていたか。それでは次の手段だ。
各艦の艦底では、分隊長が隊員にハンドサインで指示を出す。10人の隊員は両舷に5名ずつ分かれ、ゆっくりと艦腹を上へと登っていく。海面まで来ると、さっと上を見て、視認されていないことを確かめると、乾舷を途中まで登り、腰に下げた防水袋から黒くて丸いものを取り出した。
「何だ、あれは?」
『スルタン』の水兵は、隣を走る『カルダン』の舷側に複数の人影を認めてつぶやいた。5人ほどが横一列になって『カルダン』の舷側につかまっている。最初は僚艦の水兵が訓練をしているのだと思ったが、
……実戦の最中に訓練はあり得ない。
そう気が付くと、上官に報告しようと身体の向きを変えた。その時である。
ドン、ドカン!
重い炸裂音が響き、『カルダン』の甲板から火の手が噴き上がった。
「敵襲だ!」
その水兵が叫んだ時、『スルタン』の舷側手すりの向こうに人影が見えた。その人影は何か丸いものを甲板に叩きつけると、そのまま消えた。
ボカン!
「わっ!」
その黒いものは火を噴いて炸裂し、水兵や近くの索具を燃え上がらせる。
「敵襲だ」
「火を消せ!」
「ビルジからポンプで水を上げろ!」
艦上は大混乱となった。
「おおっ」
艦橋では、ケッペルがそう呻いて目をむいていた。あっという間の出来事だった。何か黒い人影が舷側を乗り越え、何かを投げた。それはすぐさま炸裂して燃え上がった。油かタールでも混ぜてあったのだろう、火は瞬く間に索具に燃え移り、帆を燃え上がらせた。
「司令官、ボートへ。退艦してください」
艦長はそう一言言うと、
「副長は前の消火の指揮を執れ!」
と叫び、甲板へと降りて行った。
「こ、こんなことが……」
ケッペルが見回すと、付近の海上ではあちこちで僚艦が燃え上がっている。最初に炎上した『カルダン』では、メインマストも燃え上がっている。そしてメンスパーが音を立てて落下し、艦体を切断するかのようにめり込んだ。
ドガーン!
物凄い音と地響きがすぐ近くで起こった。ケッペルが振り向いてみると、『スルタン』のメンスパーが燃え落ちた音だった。メンスパーは艦体中央を無残に両断している。衝撃で跳ね飛ばされてしまったのか、艦長と副長の姿が見えなかった。
「司令官、早くボートへ」
従兵が叫ぶ、艦上での最先任者となった航海長は、消火を諦めたのだろう、
「総員退艦!」
ついに総員退艦命令をかけた。ケッペルは突き飛ばされるように艦橋横のボートに乗り込んだ。
一方、敵艦隊が炎に包まれるのを見たローズマリーは、『ホットスパー』から仮借ない命令を発した。ローズマリーは風を捉えるのが上手く、敵味方から“シルフ提督”とも呼ばれている。
「艦長、全艦へ。『一斉回頭、進路180デグレ』。急げ」
艦長が命令を下すと、『ホットスパー』のマストに信号旗が挙がる。各艦の了解を確認すると、ローズマリーのうなずきを見た信号員がサッと旗を引き降ろした。その途端、全艦は実に見事な回頭を見せて、一糸の乱れもなく艦隊は新針路に乗った。
「見張り、敵艦との距離知らせ」
艦長がメガホンで訊くと、
「敵艦との距離は1マイルを切りました」
との答えである。ローズマリーは再び命令を下す。
「艦長、全艦へ。『一斉回頭、進路90デグレ』」
これもまた、各艦に旗旒信号で伝えられた。
「各艦了解しました」
ここまでで、ローズマリー艦隊は止まってしまった敵艦隊を左に見ながら西へと追い抜きつつあった。それを左90度一斉回頭で距離を詰め始めたわけだ。
やがて、自分の艦隊の最前列が敵艦隊の中央付近まで南下した時、
「艦長、今だ」
ローズマリーは2度目の左90度一斉回頭を発動する。信号旗がサッと降ろされ、またもや一糸の乱れもなく艦隊は敵艦隊へと突き進み始めた。
「艦長、全艦へ。『敵艦を弩で掃射せよ』。急げ」
艦長は信号を命令すると、今度は自艦に命令を下す。
「砲術長、弩を準備。両舷戦だ。砲術長の判断で放っていい。航海長、帆が延焼しないように注意しろ」
そして『ホットスパー』は、燃え上がる『スルタン』に近づいて行った。
本来なら、通報艦が戦列艦を相手に弩を撃ち合うなどナンセンスだ。大きさも弩の数も問題にならないくらい戦列艦が有利だからだ。それに戦列艦はたいてい3層構造で、単層又は2層の通報艦と比べると弩の届く距離も長いし上からも撃ち降ろせるのだ。
けれど、ケッペル艦隊の戦列艦は、アクアロイドの刺突攻撃を防ぐための改造で、その優位点をすべて失っていた。
「敵艦との距離1マイル……8ケーブル……7ケーブル……」
だんだんと距離が近づく。
「敵艦との距離6ケーブル……500……」
艦橋にいる面々に緊張が走る。距離をマイルでもケーブルでもなくミリケーブルで読み上げるのは、弩の射程距離に入ったことを意味する。
「敵艦との距離450……400……」
その時、『スルタン』のメンスパーが音を立てて落下し、艦体を凄い音と共に破壊した。メンスパーは真ん中から折れて海へと落下する。
「敵艦との距離350……300……」
砲術長はまだ撃たない。必中を狙っているのだろう。
「敵艦との距離250……200……」
敵の艦橋横のボートが降ろされ始めた。敵の提督が逃げるようだ。その時、
「放てっ!」
砲術長の命令のもと、『ホットスパー』の弩が一斉に発射される。その一つは降ろされかけていた敵のボートに命中し、乗っていた全員をただの肉塊へと変えた。
「よしっ、敵将は討ち取った。後は残敵掃討だ!」
ローズマリーは艦橋でそう叫んだ。
ホルム海峡の戦いは、8点(正午)にはローズマリー艦隊の完勝で幕を閉じた。敵は旗艦『スルタン』をはじめ戦列艦68、通報艦30を失い、人員も約4万人のうち1万8千人が生き残ったに過ぎない。ケッペル提督をはじめとして有為の人材がここに失われた。
アクアロイド艦隊では潜水隊で5人が行方不明となり、最後の掃討戦で敵の弩を受けた通報艦『シーホース』が小破し、5名が戦死、35名が負傷しただけだった。
「さすがは“シルフ提督”だ。いいものを見せてもらった」
遠く、ケッペル艦隊が炎上するのを見て、『バーラム』ではエース提督がそうつぶやく。
「さて、今度は俺たちの番だ。クリムゾンの旦那が突っ込んでくるまでは、俺たちでバンダ・アッバースの奴らはお守してやらにゃならないぜ」
エースはそうニヤリと笑うと、『バーラム』に帆を足して速度を上げた。
「艦長、風は真北だ。バンダ・アッバースの南東にあるアッバース島の東を回り込めないか?」
エースが訊くと、艦長は
「この位置からではかなり厳しいですね。バンダ・アッバースの南にあるラーク島の真南で間切る必要があります」
そう言う、エースは海図を見ながら艦長に言う。
「では、ラーク島の南で左舷開きにして、ラーク島とケシム島の東端が並ぶところで右舷開きにし、ケシム島の東端で再度左舷開きにして、アッバース島の北側と大陸の間に回り込もう。時間はどのくらいかかる?」
「1時半(3時間)くらいですね」
「遅い。1時(2時間)で回り込めないか?」
「帆を足してみましょう。風がもっと吹けば、11ノットは出るでしょうから」
艦長はそう言うと、航海長に帆を張り足すように指示する。エースは高い空を見上げて雲の流れを見ながらつぶやいた。
「シルフよ、もっと風をくれ」
エース艦隊の後方10マイルを続航していたクリムゾン艦隊では、ホルム海峡に漂う黒煙を見つめて、クリムゾンが『ヴァリアント』の艦上で微笑んでいた。
「“シルフ”ローズマリーの作戦勝ちだな。これで風が南に変われば、エースの坊やももたもたしていないだろうが……」
「エース艦隊が上手回ししました」
クリムゾンは、その報告を聞いてニヤリとした。
「坊やはアッバース島の東側に回り込むつもりだな」
そして、クリムゾンは艦長に命令する。
「こちらも上手回しだ。大陸の近くまで寄って、右舷開きに戻す」
クリムゾンの命令を受けて、『ヴァリアント』は艦首を右に回し始める。帆が裏帆を打つ寸前で、操帆員たちが帆をぐるりと回し、風を再び捉えた帆はふくれあがる。『ヴァリアント』は円滑に新針路へと艦首を向けた。
それを見届けると、クリムゾンは
「艦長、大陸から3マイルで右舷開きに戻せ。その後はアッバース島の真南で再び左舷開きだ。私はしばらく下にいる。風が変わったり、敵艦隊が出てきたり、エースの坊やがへまをした場合は呼んでくれ」
そう言うと、司令官室へと降りて行った。
★ ★ ★ ★ ★
一方、遠くホルム海峡の守りを任務とするバンダ・アッバースの海峡司令部では、上を下への大騒ぎが起こっていた。1時間ほど前に海峡に黒煙が広がり、司令部に不安が広がっていた時に、クムザールにある見張り所から
『ケッペル提督の艦隊が全滅』
との知らせが入ったからである。
「提督はどうされたのだ」
司令部に残っていた根拠地隊の隊長ケッセルが、司令部の部員に訊くが、
「まだ艦隊からも見張り所からも何の連絡もありません」
との答えに、手をこまねくばかりだった。
「敵艦隊の意図は明白だ。海峡を守るこの基地を奪取し、艦隊の拠点をつくることに違いない。とすると、ここと泊地に戦力を分散させておくのは愚だ。艦隊のいない泊地を守っても仕方がない。整備と補給の拠点であるこちらを守る方が喫緊の課題だ」
ケッセルはそう言って、泊地にいる第68根拠地隊支隊を呼び寄せようとしたが、
「ケッペル提督のご命令がないと軍団を動かせませんし、泊地には1万人も収容できるだけの艦がいません」
と、司令部の部員から拒否されてしまった。
ケッセルは、憮然として根拠地隊の指揮所に戻ると、副将のプリモゲとフンメルを呼んで言った。
「ケッペル提督とその幕僚が行方不明なので、海峡司令部は何も決定できなくなっている。ここで敵が上陸でもして来たら、簡単にこの基地は敵手に渡ってしまう。私はそれを避けるため、独断でことを行うことにした」
そしてまず、傍らにいた伝令将校に、
「すぐに泊地のローレルに、至急本隊に合流するように伝えてくれ」
と、ケシム島泊地にいる副軍団長へと遣いを出し、青い顔をしている二人の副将には、
「フンメルとプリモゲは、それぞれ2千5百を率いてまちの西方にある工廠と補給処を守ってくれ。あそこに敵が上陸したら、この町を守っていても意味がなくなる」
と、手持ち兵力の半分を工廠地帯の防衛に派遣した。
その時、守備隊には不運なことに、風が変わった。
「風が南に変わりました」
『バーラム』艦上では、艦長がそう叫んでいた。艦隊は左舷開きで、ラーク島とケシム島の東端が並ぶ位置まで来ており、次の上手回しを命令しようとしていた時だった。
「しめたっ! これならチンタラ風を間切って進まずに済む。艦長、すぐに針路を15デグレにしてくれたまえ。このままアッバース島の東へと突っ込むぞ」
エースがそう言うと、艦長は大急ぎで新しい針路を指示した。
後方のクリムゾン艦隊でも艦橋に呼び出されたクリムゾンが風を見て、
「よし、進路330デグレだ。坊やに遅れるなよ」
と、『ヴァリアント』の針路を左に切り替えていた。
『バーラム』の方は、帆を最高まで張り足しているので、12ノットをやや超える速力が出ていた。
「司令官、このままの風なら、司令官のご希望どおりあと1時(2時間)以内にはバンダ・アッバースの沖を通過できますね」
艦長が言うと、エースはガキ大将のような顔でニヤリと笑うと、
「うむ、ここで南風をもらうとは、俺もツイているな。艦長、隔壁を閉じよう。アッバース島まで行ったら、弩の準備だ」
そう言って近づいて来るアッバース島をじっと見つめていた。
★ ★ ★ ★ ★
「アクアロイドは水には強いが、水から切り離したら恐れる必要はない。上陸して来たら火矢を浴びせてやれ」
工廠地帯を守ることになったフンメルは、そう配下の兵に檄を飛ばしていた。また、補給処を守るプリモゲは、補給処は火気厳禁なので火矢は使えなかったが、代わりに海岸に油の樽を並べ、
「敵が近づいてきたら、海面を火の海にせよ」
と準備を整えていた。
一方で、アッバース島の東に達したエースは、
「針路を315デグレとせよ」
と指示した後、
「艦長、この辺はどれくらいまで岸に近づける?」
と聞く。艦長は海図を調べると、
「相手の弓は届かないけれど、こちらの弩は届く距離までは近づけるようですね」
そう答える。エースは莞爾とすると、
「では、陸まで300ってところで、岸に並行する。狙いは敵の工廠地帯としよう」
そう言う。艦長は
「敵もこちらの意図は工廠と補給処にありと見破っているのではないですか?」
と訊くと、エースは笑って答えた。
「だからこちらは敵さんの望みどおり守っているところを攻撃してやるのさ。敵が守っていないところを攻めるのは、クリムゾンの旦那の仕事だよ」
『ヴァリアント』では、クリムゾンが配下の将校たちに作戦を説明していた。
「いいか、敵はこちらの目的を知っているはずだ。よって敵はバンダ・アッバースそのものではなく、その西の海軍工廠と補給処を守っている。そこにはエース提督が攻撃を仕掛ける。敵は恐らく必死に抵抗するはずだ」
そして腰に佩いた剣を叩き、
「我らはバンダ・アッバースの東に上陸し、陸側から海軍工廠と補給処を攻撃する。敵が工廠の施設や補給処の資材を処分する前に、疾風のごとく襲い掛からねばならない」
そして部下の顔に自分の言ったことを理解した色が浮かぶと、
「敵は我らアクアロイドの陸戦能力を軽視しているだろう。われらは陸でも人間以上に戦えることを見せつけてやろう!」
そう言って笑った。
「提督、陸まで1マイルを切りました」
艦長が言う、時刻はもうしばらくで閏8点半(午後3時)だ。
「これから先は帆を減らせ。陸まで5ケーブル(この世界では約930メートル)を切ったら、要所では測深しながら進め」
エースはそう言う。海図と実際の海域とではデータが変わっている可能性もあるし、敵が水深を変えている場合もあり得る。若いが大事な所では注意と手間を惜しまないのがエースの良いところだった。
やがて航海長の
「陸まで半マイル」
の声を聞くと、すぐさま艦首には測深手が陣取り、先に鉛のついた綱を海に投げ入れ始める。
「届きませーん」
測深手がいう。ここら辺はまだ喫水よりずいぶんと深いらしい。
「陸まで400」
単位がミリケーブルに変わった。もう弩の射程内だ。
「バイ・ザ・ディープ60!」
測深手がそう叫んだ。ログが海底に届き、ぴんと張った状態で海面と垂直になった瞬間に水深を読み取るのだ。ここは60フィートらしい。艦の喫水は25フィートだから、まだ余裕はある。エースは35フィートまで接近する腹積もりでいた。
「陸まで350」
「バイ・ザ・ディープ45」
0・05ケーブル(約9・3メートル)で15フィートということは、海底には思ったより傾斜がある。
「艦長、岸まで330で並行しよう」
エースが言うと、艦長はすかさず
「取り舵、針路270デグレ」
と命令を下す。舵輪が忙しない音と共に左へと回された。
「陸まで330」
「バイ・ザ・ディープ38」
「少し余裕がありますが?」
艦長が言うと、エースは笑って答えた。
「風が南から吹いているからね。大事を取って少し距離を開けよう」
その頃、岸までわずか0.3マイルに迫ったエース艦隊を見て、バンダ・アッバースの町人が騒ぎ始めていた。それはそうだろう、自分たちの艦隊が戻って来ないうちに、40隻もの戦列艦が近づいて来るのを見たら、騒がない方がどうかしている。
その騒ぎは海峡司令部にも届いた。けれど、司令部の部員はまだ消息が分からないケッペル提督に拘っていた。
「敵艦隊がすぐそばにいるのに、なぜ攻撃命令を出さない?」
守備隊司令のケッセルが司令部に怒鳴り込むが、司令部の部員は
「ケッペル提督のご命令がないので……」
とかもごもご言っている。ケッセルはカッとして言う。
「町の人々が騒いでいるのだ。守備隊は何をしているとな? お前たちが命令を出さないのであれば、私は守備隊司令としての権限で好きにやらせてもらうぞ!」
ケッセルはそう吐き捨てると、すぐに指揮所に取って返し、
「本隊は町の人々の避難を誘導しろ。プリモゲとフンメルの部隊は警戒を厳にして、敵が攻撃を仕掛けてきたら反撃せよ」
そう命令を飛ばした。
「町の人間たちが騒いでいますな」
バンダ・アッバースの沖わずか3ケーブルをゆっくり航過しながら、『バーラム』の艦長が笑って言う。
「騒がせておけ、あくまでこちらの狙いは工廠と補給処だ」
エースも笑いを含みながら言う。彼はいつの間には革鎧を着こんでいた。
「出られるのですか?」
艦長が驚いて訊くが、エースは片頬で笑って言う。
「俺が上陸できるくらいなら、バンダ・アッバースの守備隊は能無しだ。そんな場面は来ないだろうが、隙があれば行くよ。陸戦隊を準備させておいてくれたまえ」
その頃、クリムゾン艦隊では
「そろそろだな。艦長、甲板に陸戦隊を集合させてくれ」
クリムゾンがそう言って、隊員が整列するのを見ていたが、
「艦長、バンダ・アッバースまで5マイルになったら知らせてくれ」
そう言うと、腕を組んでフォアマストに寄りかかり、目を閉じた。
「敵艦隊は2波に分かれています。第1波は戦列艦40隻、第2波は戦列艦20隻、通報艦約80隻です」
ケッセルの指揮所に、そんな情報がもたらされた。それを聞いてケッセルは慌てる。
「第1波が強襲上陸したら、第2波も続いて上陸してくるだろう。フンメルたちの5千では心もとない。本隊も工廠地帯の防衛に廻るぞ」
と、ケッセルは慌てて本隊5千も工廠地帯に防御位置を変更させた。
その頃、バンダ・アッバースの補給処では、折から強くなり始めた南風にプリモゲが困惑していた。
「こんな強い風では、海に油を流して火を付けたら、逆にこちらの物資が燃えてしまうぞ。火攻めにして水際で叩く予定だったが、火攻めは中止だ」
プリモゲは部下にそう指示していた。
同じころ、工廠を守備していたフンメルは、
「敵は戦列艦だそうだ。火矢だけでの戦いでは心もとない。岸壁沿いに投石器を並べろ。甲板をぶち破ってやれ」
そう命令を出した。フンメル隊は重たいオナゲルをごろごろと転がして、岸壁沿いにずらりと並べた。
「艦に積まれている弩より、オナゲルの方が射程は長い。敵艦が見えたら一斉に発射しろ。マストをぶち折ってやればこちらの勝ちだ」
フンメルはそう言って、緊張している部下たちに笑いかけた。
補給処まであと2マイルに迫った『バーラム』艦上では、エースがふと気づいたように言う。
「艦長、敵には投石器や大型弩弓があるだろうな」
「そうですね。バリスタはまだいいですが、オナゲルは苦手ですね。上から落下してきますからね」
「ふむ、それでは先に敵のオナゲルを叩かないとな。砲術長に伝えてくれ」
「敵艦隊が近づいてきます」
フンメルは、前線指揮官からの伝令の報告を聞くと、すぐさま前線に出て、近づいて来るエース艦隊を眺めて言った。
「あと半刻(約8分)もすればオナゲルの射程内だ。指揮官、準備してくれたまえ」
「はい! 各列、撃ち方準備!」
隊長の命令によって、兵士たちはオナゲルのばねを巻き始める。動物靱帯でできたばねがギリギリと巻かれるに従って、太くて長い腕木が前方に倒れてくる。ばねを巻き切り、今度は腕木を地面と水平になるまで後方に倒したところで、兵士が数人がかりで重さ100キロほどの岩をスタンバイする。
オナゲル隊の指揮官は、テニスラケットのような照準器を持った腕をいっぱいに伸ばして、エースの『バーラム』に照準を合わせている。そして、
「オナゲル隊、右に従って巻きを3分の1回転戻せ。逐次発射で行くぞ」
と指示する、オナゲルに付いている分隊長は、すぐに指示に合わせて射程を変更した。
「よーい……放てっ!」
オナゲル指揮官の号令で、まず一番左側……『バーラム』に近い側……のオナゲルがバシーンという音ともに石弾を発射し、それに続いてバシーン、バシーンと続けざまに発射音が響く。15秒ほどで、初弾が海面に大きな水しぶきを上げ、次々と上がる水柱に『バーラム』は一時包まれてしまった。
『バーラム』艦上で、見張りが大声で叫んだ。
「敵はオナゲルを発射しました」
「取り舵」
艦長が落ち着いて命令する。艦首が回り始めるころ、初弾が『バーラム』の右舷横1ケーブル(約185メートル)のところに着弾して、大きな水柱を上げた。次弾以降はその左側に列をなして着弾したが、幸いにもすべて命中しなかった。
「面舵15デグレ」
艦長は、今度は陸に近寄るように号令を出す。さっきの敵弾が『近』だったので、敵は今度は射程を伸ばして調整するだろうとの読みだ。とともに、
「トップスルを半分畳め!」
と操帆員たちに命令した。
「弩が使える距離までは撃たれっぱなしか」
エースが言うと、艦長は
「砲術長が弩の前輪にくさびをかましましたから、550から撃てます」
そう言って笑う。とすると、あと半刻もすればこちらも応戦できる距離になる。エースはうなずくと
「その時は、目一杯奴らに食らわせてやるんだな」
そう笑って言った。
そんなエースたちの頭上を、敵弾がうなりを上げて通り過ぎる。だが、今は帆をあまり張っていないので、帆を破られる心配は少ない。
「岸までの距離500」
測距員がそう叫んだ時、艦長が全艦に響き渡るような声で命令した。
「撃ち方、始めっ!」
『バーラム』のマストトップに戦闘旗が翻るとともに、舷側からは多数の弩が放たれる。旗艦の射撃開始を受け、後続の艦も次々と弩を放ち始めた。
「わっ!」
「ぎゃっ!」
フンメルの部隊では、雨のように降ってくる矢に、あるいは胴体を串刺しにされ、あるいは首を切断され、兵士たちが倒れる。オナゲルにも矢は襲い掛かり、腕木が折られたり靱帯が切断されたりして、使用不能になるものが出始めた。
「怯むな! 撃ち返せ!」
オナゲル隊指揮官の声が響き、兵士たちは再びオナゲルのばねを巻き始めたが、
パーン!
という音があちこちから響き始めた。いくつかのオナゲルの腕木は、ゴトリと垂れ下がる。長らく整備されないままに倉庫にしまってあったため、靱帯が脆くなっていたのだ。
「放てっ!」
指揮官の号令の下、いくつかのオナゲルから石弾が発射されたが、それは最初の斉射と比べればかなりまばらになっていた。
オナゲルという飛び道具を持っていたフンメル隊ですらこの有様であったため、ただ陣地に隠れていたプリモゲ隊はもっと苦戦した。陣地と言っても資材を積み上げただけの簡易的なもので、通常の矢ならともかく弩の太く重い矢を防ぐほどの強度はなかったのだ。
「全員、敵の弩の射程外まで退いて、そこで敵を待ち受けろ!」
プリモゲは、水際撃滅という方針を早々に撤回し、上陸したアクアロイド部隊の橋頭堡を叩く方針に切り替えた。
「上陸されますか?」
『バーラム』の艦上では、工廠の防衛部隊からのオナゲル攻撃が散発的になり、補給処の前線部隊が撤退したのを見て、艦長がエースに尋ねた。しかしエースは首を振って
「いや、ケシム島の敵軍が艦に乗って救援しに来ないとも限らない。しばらくは徹底的に弩を浴びせろ。敵の予備隊が投入されるまではな」
そう言った。
ケシム島の守備を任されている第68根拠地隊支隊は、ケッセルからの合流指令を受けて指揮官のローレルが苦慮していた。ローレル自身、艦隊がいなくなった泊地を防御するより、補給品や工廠があるバンダ・アッバースの防御の方が意味があるとは考えていた。
しかし、まず指揮下の兵1万人を輸送する船がない。ケッペル提督は艦という艦、船という船を引き連れてアクアロイド艦隊との決戦を挑み、そのほぼすべてを失っていた。
とすると、海岸沿いの道を強行軍でバンダ・アッバースの守備隊に合流するしかない。けれど、距離が60キロもあるため、休みなく強行軍を続けても到着するのは15時間後である。そしてその時には兵団は使い物にならないくらい疲れ切っているだろう。
さらに、ケシム島の対岸に渡るための船が少ない。所在の渡し船をひっかき集めても、一度に千人を渡海させられたらオンの字だった。
しかし、命令は貫徹されねばならない。ローレルは幕僚に対岸へと渡るための船を徴発させるとともに、各級指揮官を集めてバンダ・アッバースの守備隊に合流する旨を告げ、準備を万端整えるよう指示した。機動作戦は2時(4時間)後の発動予定だった。
王国暦1576年花咲き誇る月16日9点(午後4時)、ちょうどエース艦隊が工廠地域へ攻撃を開始した時刻、ローレルは機動作戦を発動した。まず、兵団を500人ずつの隊に分け、ひっかき集めた渡し船で対岸へ上陸させる。一度に2隊が渡れたので、10往復で全軍が対岸へと進出した。ただし、この時点でオナゲルやバリスタなどの重装備を放棄していた。
全軍が対岸へと進出したのは3時間後、0点半(午後7時)だった。ローレルは夜間機動を決意した。相手には海軍があり、こちらにはないのだ。昼間に海岸沿いの道を長く隊列を組んで歩くなど、正気の沙汰ではない。海から攻撃されたらひとたまりもない。
けれど、夜間なら自隊の行動が視認されにくくなる。うまく行けば、明日の閏7点半(午前11時)には戦闘に参加できるだろう。
「急げ、味方を助けるんだ。私たちの部隊が戦闘に参加するなどとは敵も思っていないはずだ。奇襲すればアクアロイドとて打ち破れる。みな、歩きながら眠れ」
ローレルはそう言い、自ら部隊の先頭に立って突進を開始した。
リアンノンのアクアロイド艦隊本隊がケシム島泊地を無血占領したのは、その2時(4時間)後だった。
「全員そろったか?」
16日閏8点半(午後3時)、バンダ・アッバースの東5マイルの海岸に、クリムゾン提督率いる1万の陸戦隊が上陸した。彼は敵の意表をついて、重要拠点のはるか手前で上陸し、アクアロイドの身体能力と隠ぺい能力の高さを利用して山側を回り込み、敵の背後から奇襲する作戦であった。
「これからしばらく走ることになる。ここで水分は十分に補給しておけ。それから、『鏡面魔法』発動後は一切の発言を禁じる。敵に見つからずに背後に回り込めば、それだけで勝負は決まるのだ。心しておけ」
クリムゾン提督は1万の部下一人一人の眼を見ながら訓示する。全員が真剣なまなざしをしているのを見たクリムゾンは、大きくうなずいて命令を下した。
「では、発動だ。第1部隊から進め」
その号令とともに、アクアロイドの兵士たちの姿が消える。クリムゾン隊は静かに、しかし素早く移動を開始した。
そして、エース艦隊が工廠地帯に攻撃を開始した9点(午後4時)には、クリムゾン隊は大きく左回りに円を描く機動で12マイルを突破し、ケッセルの本隊5千が控えている陣地の後ろに進出していた。
「さて、ちょっくら敵陣をかき回してやるか」
『バーラム』の艦上では、エースがそう言って剣帯を締め直した。工廠地帯の沖で敵と撃ち合うこと1時(2時間)、そろそろ敵の矢も途切れがちになっていた。エースは各艦から50人ずつ、2千人の陸戦隊を出撃させることとした。上陸地点に選んだのは敵の攻撃が一番弱い補給処前面である。
「では艦長、行ってくる。ケシム島泊地には敵艦はいないのだな、今まで待っても姿が見えないのは。けれど、念のため西の海上にも注意は払っていてくれ」
艦長は、陸戦隊を出した後すぐに艦を陸に100メートルほど寄せた。水深は28フィートで喫水ギリギリだが、今は干潮なので問題はない。
「よし、できるだけ奥の方を射撃せよ」
艦長はそう号令をかけた。
「敵は陸戦隊を揚げてくるぞ」
エース艦隊の動きを見たケッセルは、そう言うと
「本隊も後詰としてフンメル、プリモゲ隊を助ける。出撃だ」
と、本隊5千を呼集してゆっくりと陣地から移動し始めた。
「エースの坊やが見事に敵を釣ってくれたな。突撃だ。陣地を出た敵は脆いぞ」
クリムゾンはそう言うと、ケッセル隊目がけて突撃を開始した。
一方、補給処前面に強行上陸したエース隊は、そのまま補給処を守るプリモゲ隊の陣地に突撃をかけた。
「みんな、相手は人間だ。魔力は攻撃にシフトしなくてもいい。『流体化』だ」
エースはそう全員に指示していた。『流体化』はアクアロイドの究極奥義というべきもので、他の能力とは併用はできないが、自分に対する敵の攻撃は一切効かない状態になる。
エースは相手が魔力を持たないただの人間だと見破っていた。ただの人間なら剣で十分に相手にできるので、攻撃魔法を使う必要はないのだ。
「それっ、突撃」
エースはそう言うと、自ら剣を振り上げて突撃に移る。配下の2千人はエースの姿を見て勇気百倍で突撃に移った。
「矢だ、矢を放て!」
プリモゲは弓兵を督励するが、矢はアクアロイドの身体を突き抜けて後ろへと飛んで行ってしまう。当たっているのに全然ダメージを与えられなかった。
矢が効かない敵が、恐ろしげな顔でぐんぐんと迫ってくる。その速度も尋常ではない速さで、それを見ていた前線の兵士の一人が
「わあっ!」
と叫んで、剣も槍も捨てて逃げ出すと、まるでその恐怖が伝染したかのように、最前列の兵士たちが逃げ散り始めた。
「あっ、待てっ! 逃げるな」
プリモゲは前線の崩壊を見て、自ら出撃して退勢を挽回しようとしたが、エースと出会って首を獲られてしまった。
クリムゾン隊の突撃を受けたケッセルの本隊も、同じような目に遭った。ケッセル部隊の兵士たちは、自分たちの剣や槍がアクアロイドに全く効かないのに、アクアロイドの剣は自分たちを容易く切り裂くという事実に直面して、パニックを起こした。
「仕方ない、降伏だ!」
ケッセルは、こんなバカバカしい戦いで無為に部下を失うことを避けた。相手はアクアロイドだ。魔戦士がいない限り、まともな勝負にはならないと見たのだ。
「敵は戦意を失くしたと見える。兵士たちは武装解除して陣地に閉じ込めておけ。先任指揮官はここに連れて来い。失礼がないようにな」
敵の陣列に翻る白旗を見て、クリムゾンはそう言って目を細めた。
バンダ・アッバースの守備隊の降伏を知り、機動途中でエース艦隊に見つかったローレル部隊も、ケッセルの命令により無抵抗で降伏した。結局、上級指揮官で戦死したのはエースから討ち取られたプリモゲ一人で、戦死は1千名ほど、戦傷者や行方不明者が5千名ほどで、残りの1万4千名はリアンノンの陣門に降った。
王国暦1576年花咲き誇る月17日、リアンノンは、バンダ・アッバースの町の運営と守備はそのままケッセルたちに任せることにした。ただし、ケシム島泊地にはアクアロイドの軍団を常駐させることにし、補給処はケシム島に移した。
「こいつらが反乱を起こしたらどうされますか?」
ケッセルたちに町の運営を任せるという決定をしたリアンノンに、エースがそう訊いた時、リアンノンは目の前に引き据えられたケッセルたちを冷たい目で一瞥して言った。
「私に反旗を翻すということは、この国の正統な王位を継ぐ姫様に反旗を翻すのと同義じゃ。その時は全員、首と胴を切り離してやれば済むこと」
震え上がっているケッセルたちに皮肉な笑みを見せて、リアンノンはクリムゾンたちに言う。
「クリムゾン、エース。そなたたちならばこ奴らの首を獲ること、袋の中から物を取り出すよりも容易かろう。我らに背いて命を失うか、姫様に味方して後の恩賞に期待するか……多少なりとも知恵があれば、どちらにするかは明白じゃ。そうではないか? ケッセル将軍」
リアンノンがそう言うと、ケッセルは平伏して言った。
「つ、謹んで王女様に忠誠を誓います」
それに続いて、ローレル、フンメルの二人もホルンへの忠誠を誓った。リアンノンは満足そうな微笑を浮かべ、
「これでホルム海峡はわが手に落ちた。あとは海岸にあるザッハークの拠点を一つ一つ潰していけばよい。そして、『水龍の都』バビロンを目指すのじゃ」
リアンノンは海鳴りのような声でそう言い放ち、沖に行きかう船を眺めていた。
(28 熱風の海峡 完)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
海では無敵のアクアロイド、その快進撃がどこまで続くか興味深いですね。
次回は、ジュチの身に災厄が?
『29 鎮魂の剣尖』を来週、9時〜10時に投稿します。お楽しみに。




