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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
28/70

27 幻惑の回廊

ホルンの率いる機動軍本隊に、元『七つの枝の聖騎士団』だった『嘆きのグリーフ』が襲いかかる。

『嘆きのグリーフ』は、驚くべき秘密を口にする。

【主な登場人物】


 ♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘で王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。26歳。


 ♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。15歳程度。


 ♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。23歳。


 ♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。21歳。


 ♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で『この世で最も高貴な一族』であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けるがチャラい。金髪碧眼の美青年。23歳。


 ♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。21歳。


 ♧ガイ・フォルクス…26年前にスケルトン軍団から国を滅ぼされたアクアロイドの王族。頭脳明晰で冷酷非情だが仇討に協力したホルンに恩義を感じている。29歳。


★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


 王国暦1576年若葉萌える月11日、リディアの部隊は最初の中継地点であるジャルベントの町に到着した。ここから次の中継地であるカズィーの町まで約80キロ、そこからホルンの本隊との合流地点であるカザンジクの町までさらに150キロである。


「とりあえず一息ついたが、途中ではスケルトンやティラノ・オーガが邪魔してきたのう。ザール様の方はどうだったろうかのう」


 リディアの戦闘団に参謀として参加しているロザリアが言う。リディアもそれは心配していた。


「アタシたちにちょっかい出してきたということは、ザールやお姫様の部隊は敵の最優先目標になっているってことだよね? 早く合流した方がいいと思うなぁ」

「姫さんの部隊はベーレから直接カザンジクへ行くのでなく、カズィーに来ていただけないのか?」


 この部隊では後衛戦闘や装備の修理を担当しているヘパイストスが言うが、ロザリアは首を振って


「部隊が二つであればそれもいいかもしれんが、もう一つ、北にジュチの部隊がいるからのう、あまり間隔を開けるのは考えものじゃな」


 そう言う。リディアは頭をかきながら情けなさそうな顔で言った。


「あ~あ、ロザリア、この部隊の指揮官を変わってくれないかな? アタシさ、ザールのことが心配でたまらないんだ。本当はザールの側で戦いたいんだ」


 ロザリアは笑って言う。


「気持ちは分かるぞ、ザール様の近くにいたいのは私も一緒じゃからな。けれど、こうして自分が自分の部隊を指揮することで、ザール様の役に立っていると思うからこそ、私はここにいるんじゃ。第一、どちらがジーク・オーガの皆に信頼されると思うのじゃ」


 ヘパイストスも優しく笑って言う。


「なあ、リディア、俺はお前の言う『どんな種族も幸せに暮らせる国』ってものに憧れたから、あの鍛冶場を出て来たんだ。お前たちならきっとできるって思ってな。ザール殿がそのために戦っているのなら、あの方は夢がかなうまでは諦めないし、参りもしないと思うぜ? 俺たちでその戦いを支援し、行き先を見届けようや」


 リディアは、自分を優しく見つめる二人の眼を見て、恥ずかしそうに言った。


「え、えへへ……アタシ、ちょっとナーバスになってたのかな? ゴメンよ二人とも、そしてアリガト。アタシはザールの夢がかなうまでは、ヘパイストス、アンタがこしらえてくれた『レーエン』を揮い続けるよ。それがジーク・オーガの流儀だからね」


   ★ ★ ★ ★ ★


 こちらはガイのアクアロイド部隊である。

 アクアロイドは砂漠のような乾燥地帯では生きていけない。そのため、彼の部隊だけは少し遠回りになるが川や湖を伝って海に出て、そこからバルカン地峡での王国の策源地であるネビトダグの町を攻略する手はずになっていた。


 ガイ隊はダルガナダの町を若葉萌える月7日に出発し、アムダリヤ川を北に進み、その日のうちにウルゲンチの町の北方にある支流との分岐点まで進出していた。

 そして次の日には支流を遡り、サルイカムイシ湖に到着した。ここまでは一日平均200キロという至極順調な進軍だった。


「ここからカブランカー地域のあるカラ・ボカズ・ゴル湾まで最短距離で120マイル(この世界では約222キロ)。その間、水は手に入らないと思わねばならない。よって昼は休み、夜に駆ける。出発まで1時(2時間)の猶予を与える。3日で踏破できるように準備を進めておけ」


 ガイはそう言うと、各部隊長を集めて今後のことを打ち合わせた。彼の部隊は、もともと各個戦闘が得意なアクアロイドの特性を生かすため、他の部隊のように500人とか千人とかをまとめる結節はない。百人隊長20人がガイの下に直接つながっている。

 その百人隊長も、戦術単位としての意味合いは薄く、むしろ管理単位としての役割の方が大きかった。戦術単位としては10人の分隊が最も使われていた。


「ここを踏破すれば、あとは我々アクアロイドの“庭”とも言える水の中だ。私の経験から言うと、乾燥しきってしまう寸前に耳の後ろを潤すと、その後の水分吸収が効率よく行われる。みんなに徹底しておけ」


 ガイが自らの経験で編み出した乾燥対策を話すと、百人隊長たちはうなずいた。


 その日の夜、ガイたちは西に向けて出発した。馬かモアウがいれば助かっただろうが、あいにくアクアロイドは水を主な機動路とするため、陸生の動物を交通手段とすることは稀である。今回も、ガイたちは自らの脚で進むしかなかった。


「みんなついてきているか?」


 ガイは自分のペースではなく、時速15キロを目安に2時間走り、30分休むというセットを3回、繰り返すことにしていた。これなら一日の機動距離は90キロであり、222キロなら3日で踏破できる。


「しかし、途中で敵襲があった場合はきついな。この機動が敵にバレていなければいいが」


 ガイは、せめてこの陸上移動の際に敵襲を受けないことを念じていた。水中では無類の強さを誇るアクアロイドも、陸に上がり、水と切り離されれば戦闘力は格段に落ちるからだ。幸いなことに、ガイの願いは叶いそうだった。


 そして、出発から4日後の若葉萌える月11日、ガイたちはカラ・ボカズ・ゴル湾を臨む位置まで進出した。途中での落伍者は一人もいなかった。


「よし、ここまで来ればこっちのものだ。あとはカブランカー地域の同胞たちの協力がどれだけ得られるかだな」


 ガイは、遠くに見える青くきらきら光る湾を見つめて、にこと笑った。


   ★ ★ ★ ★ ★


 こちらは、ホルン率いる本隊である。サンドサーペントの大群を壊滅させた本隊は、出発して3日目にいよいよ本格的な砂漠地帯に突入した。ここから中継地点のベーレの町までは100キロと言ったところである。


「昨日の報告によれば、リディアの部隊はスケルトンたちに襲撃されたようだ。ジュチの部隊は会敵していない」


 ザールが馬を走らせながら言う。


「敵の軍管区がマシュハドやテーランなんかを策源地にしているから、どうしても南を進む部隊が会敵する確率は高くなりますね」


 シャロンが、ザールの隣で馬を走らせている少女を見て笑って言う。オリザだ。オリザはザールの異母妹で、この戦いには一応参謀として参加している。実際には戦闘力はないに等しいが、その代わり『オール・ヒール』という『神の治癒魔法』を使うことができるため、いわば秘密兵器と言った扱いである。


「私たちは『風の耳』で連絡を取り合っているから、その気になればザッハークはいつでも私たちの位置を特定できるわ。ううん、もう特定していると思った方がいいわね」


 ホルンが言う。確かに、リディアの報告ではスケルトンたちは正確にリディア部隊の位置を把握していた。とすれば、その情報はもうザッハークには届いていることだろう。


「むしろ、今まで会敵したのが移動中のサンドサーペントだけって言うのが不思議だわね。そろそろ敵の姿が見えてもおかしくない頃よ」


 ホルンの言葉に、ザールやシャロンもうなずく。


「ひょっとしたら、『七つの枝の聖騎士団』が狙ってくるかもしれませんね」


 シャロンが言うと、ザールはオリザを見て言う。


「オリザ、その時はちゃんとシャロン殿の部隊で大人しくしていろよ?」

「え~、お兄さまがいないとオリザ寂しい~」


 オリザが可愛く言うが、その隣を守っているジャンヌが咳払いをした。するとオリザは一瞬ムスッとしたけれど、すぐに笑顔になって言う。


「寂しいけど~、お兄さまの邪魔にならないようにしておくね? オリザえらい?」


 ザールは苦笑しながら言った。


「うん、えらい。そうしてくれると僕も安心して戦える」


 そこに、上空からコドランの声がする。


『ホルン、ホルン。前方20マイル(約37キロ)に、何か見える。ここからでも地平線ギリギリで、何かよく分からないけれど、注意していてね』


 それを聞くと、ザールはオリザに言う。


「さ、オリザ、いい子の時間だ」


 それを聞いて、オリザはおとなしくジャンヌとフランソワーズに付き添われて後衛へと戻っていく。やや遅れてシャロンが続いた。


「敵だったらすぐに連絡します。戦闘準備をしておいてください」


 ザールもそう言って先陣へと戻っていった。



「ここから敵が見えるか?」


 先陣の自隊に戻ると、ザールはすぐに臨時に指揮を執っていたバトゥに訊く。バトゥは首を振って言う。


「いいえ、ここからはまだ見えません。トゥルイを偵察に出しました」


 その時、ザールの腰に佩いた『糸杉の剣』が細かく震えだした。それとともに、ザールの左腕が『魔力の揺らぎ』を放出しだす。


「これは、何やら怪しい奴が近づいているんだな」


 ザールはそうつぶやくと、


「戦闘隊形を取れ!」


 そう、自隊に命令を下した。

 その時、ザール隊の近くでビョオオオ……と疾風が渦を巻き、そこから黒い雲が湧き上がって来た。


「? あの風と雲は怪しいぞ」


 ザールはそう言いつつ、バトゥに言う。


「バトゥ、すぐにトゥルイに帰還命令を!」


 ザールの言葉を受け、バトゥはすぐに角笛を吹かせる。それを合図にしたように、


 ピカッ! ドドン!


 いきなり部隊の前方、ほんの半ケーブル(この世界では約90メートル)の所に雷が落ちた。雷は続けざまに光り、そして地面を揺るがす。


「全員、『魔力の揺らぎ』で身を守れ!」


 ザールが号令したのとほぼ同時に、巨大な雹がパラパラと降り始めた。


 ドシャッ、ドンドンドン、ドシャッ……


 雷と雹は収まりそうにない。


「この季節に、しかも砂漠に雹だと?」


 ザールは空を見上げながらつぶやく。その緋色の瞳をした竜眼は、空間のいかなる異変も見逃すまいと鋭い光を発していた。


 ザール隊の戦闘態勢移行にホルンも反応する。


「姫様、ザール様が戦闘態勢に入られました」


 副将のガリルが言うと、ピールは目を細めて彼方を見ていたが


「うむ、禍々しいモノが近づいてきますぞ」


 そうホルンに注意を促す。ホルンもうなずいて『死の槍』の鞘を外すと、


「戦闘隊形に移行せよ」


 ホルン隊も戦闘隊形を取った。


『ホルン、あいつらは亡霊の集団だよ!』


 上空からコドランが叫ぶ。『亡霊の集団』? あの『砂漠の亡霊』みたいなものかしら?

 ホルンはそう思い、コドランに訊く。


「コドラン、『砂漠の亡霊』たちなの?」


 するとコドランは低く舞い降りてきて言う。


『違うよ、あんなごちゃごちゃした奴じゃなくて、もっとはっきりとした形をした奴らだよ。数は1万5千はいるよ!』


 すると、急に空が掻き曇り、どす黒い雲が渦を巻き始めた。


 ピカッ!


 雷とともに、この季節、この砂漠では非常に珍しく、大粒の雹が降り始める。


 ドザザザ!


「みんな『魔力の揺らぎ』で身を守れ!」


 ガリルが降雹に負けぬくらいの大声で叫ぶ。この『機動軍』には、魔力が弱いものは所属していない。みんなある程度の魔法は使える。『火』のエレメントを持つ者は赤、『土』は黄色、そして『水』は水色又は青と、あちこちで様々な色の『魔力の揺らぎ』の花が咲く。けれど、人間である以上、最も多いのは『水』のエレメントだった。


 ホルンも緑青色に輝く『魔力の揺らぎ』で全身を覆った。雹はかなりの大きさで、物によっては地面に10センチ以上もめり込んだ。魔法が使えなかったら大変なことになっていただろう。


「この雲はおかしい」


 ホルンが『死の槍』を構え直した時、コドランが緊急警報を発した。


『ホルン、敵が攻めて来たよ!』


 そして、上空100フィートくらいから、ホルン隊の2時方向に向けて巨大なファイアブレスを噴きつけた。


 ギャアアア!


 黒雲と黒い風にまぎれてホルン隊を奇襲しようとしていた敵は、コドランのファイアブレスで消し飛んだ。


「コドラン、ありがとう」


 ホルンが『死の槍』で身体を支えながら言う。地上には物凄い突風が吹き荒れていた。


『どういたしまして、うわわっ!』


 コドランは、突然襲ってきた突風に吹き飛ばされたが、必死に翼を動かして3ケーブル(約560メートル)程度流されたところで止まる。けれど、風が強くて前に進めない。


『くそっ! こんなことでホルンから離れるもんか』


 コドランは吹き荒れる風の中じわじわと上昇し、なんとか300フィートまで上昇した時、暴風から抜け出した。そして、見えて来たものをすかさずホルンに報告する。


“ホルン、この風はおかしいよ。突風は地表から300フィートまでしか吹いていないし、ザールさんたちの部隊に吹いている風は逆向きだ”


 ……つまり、私たちの部隊は風の壁に囲まれたってわけね。ザールの隊との間に逆風が吹いているということは、その壁に飛び込んだら最期だわね。


 ホルンはそう思ってコドランに訊く。


“コドラン、『女神の騎士団』は?”


 コドランが後方を見ると、『女神の騎士団』には『亡霊』たちが攻めかかっていた。亡霊たちの見た目は青白く、グールに似ている。動きは素早く、それぞれが思い思いの武器を持っていた。たぶん、この砂漠に踏み入った時の装備のままなのだろう。

 グールとの大きな違いは、物理攻撃が通用しないということだろう。『亡霊』であるからには、物質的な実体はない。ただ、霊的な何かが、何らかのきっかけで実体化しただけのようだ。必死で戦っている騎士たちの剣や槍は、ただ亡霊たちをすり抜けるだけだった。そのくせ、亡霊側の武器は実体のようだった。


“『女神の騎士団』が亡霊たちに襲われているよ!”


 ホルンは、間髪入れずにコドランに言う。


“すぐ助けてあげて”

“分かったよ”


 コドランは、すぐに『女神の騎士団』の方に飛んで行った。



「くそっ、キリがないじゃないか」


 『女神の騎士団』では、シャロンが亡霊を相手に苦り切っていた。何しろ、剣や槍が効かないのだ。その上に、敵の剣や槍は実体だときては、勢い敵の攻撃を受け流すだけになり、効果的な反撃ができない。


「団長、障害物も効きません!」


 シャロンの反対側から、ジョゼフィーヌが叫んでいる。楯で敵の前進を抑えようとしても、楯の垣根をするりと抜けてくるのだ。これには全く処置なしである。


『くらえっ! ファイアボールっ』


 亡霊が蝟集しているど真ん中に、コドランのファイアボールが炸裂する。しかし、爆炎が収まってみると、亡霊たちは何事もなかったかのように『女神の騎士団』への攻撃を続けていた。


『これは、下手に攻撃したら騎士団のみんなを倒しちゃう』


 コドランはそう思って攻撃を止めた。けれど何もしないでハラハラしながら飛び回るだけというのもコドランの性格に反している。


『ああもう! あいつらの退治の仕方、何かあるはずだけれど』


 コドランは琥珀色の瞳を持つ目を細めてそう言った。



 ザールは、じっと空間を見つめていた。これが自然現象であれば、摂理に従っているだけなので空間に歪みは出ない。けれど、何者かが明確な意図をもってこのような事態を引き起こしているのであれば、その意志は空間に歪みとして潜んでいるはずだ。

 そしてザールは、自分たちを取り囲む『風の壁』の『屋根』に当たるところ、つまり渦巻く黒雲の真ん中に、その歪みを見つけた。かなり小さく、そして高速で回転しているので、その結節を引きずり出すのは難しいだろうが、


「結節の結び目をほどくことは出来そうだ」


 ザールは『糸杉の剣』を抜き放ちつつそうつぶやくと、『竜の血』に祈った。


「わがドラゴニュート氏族の血よ、今目覚めてこの悪魔の牢獄に捕らわれている勇士たちを解き放ち給え。Et in doraconia, doraco, C’est est Que escerpobia ici」


 すると、ザールの左腕から真っ白な炎が燃え立ち、それは一瞬にしてザールの身体を包み込み、やがて炎の中から人型ではあるが全身を青白く硬い鱗でおおわれ、白くて細長い四枚の翼を持つ『四翼の白竜』が姿を現した。


「やっ!」


 四翼の白竜(ザール)は、四枚の翼を力強くはばたかせて、渦巻く黒雲の中心に向かって飛んでいく。その右手には『糸杉の剣』が構えられていた。


「えいっ!」


 キシュイン! ゴゴゴ……。


 四翼の白竜(ザール)が、渦の真ん中に『糸杉の剣』を突き立てると、空間が変な音を立てた。


「やはり、誰かがこの空間を操っていたな」


 四翼の白竜(ザール)は、そう言いながら『糸杉の剣』で少しずつ空間を斬り裂いて行く。それとともに、


 ギャギャ、ギシギシ、ズゴゴ……。


 空間からまるで硬い岩盤か鋼鉄を引き裂くような音がして、『風の壁』や黒雲の回る速度が落ち始めた。と同時に雷や雹が止み、代わりに空気が『糸杉の剣』が引き裂いた空間へとものすごい勢いで流れ込み始めた。


 ……このままじゃ、地面のものがすべてここに吸い込まれるな。


 四翼の白竜(ザール)がそう思って下を見ると、兵士たちはみな剣や槍をアンカーとして使い、吹き飛ばされることを防いでいた。


「よし、ならば遠慮なく行くぞ」


 四翼の白竜(ザール)はそうつぶやくと、全身に『魔力の揺らぎ』を燃え立たせながら、力強く『糸杉の剣』を振り払った。


「だあああーっ!」

 パン!


 『糸杉の剣』が空間を斬り払うと、黒雲も『風の壁』も、すべてが短く鋭い音と共に消え去った。

 とともに、ホルン隊を包んでいた『風の壁』も、『女神の騎士団』を襲っていた亡霊たちも、影も形もなくなっていた。


「ザール、ありがとう」


 下ではホルンが手を振って笑っている。しかし、四翼の白竜(ザール)は何か違和感を覚えて、剣を構えたまま辺りを見回した。


「ザール、どうしたの?……!」


 ホルンは、まだ空中で剣を構えている四翼の白竜(ザール)を見て、不思議そうにそう呼びかけたが、不意に何かの異変を感じ取ったのか、『死の槍』を構えて鋭い目で辺りを見回す。


「姫様、妙な気配がしますな?」


 ホルンに近づいて来たピールも、髭を震わせながらそう言い、槍を構える。


「何だい、私の『悲哀の序曲』をもう終わらせちゃったのかい? なかなか優秀な奴がいるみたいじゃないか」


 突然そんな言葉と共に、空中に一人の女が姿を現す。腰まで伸ばした赤い髪を風になびかせ、トパーズのような瞳がじっと地上を見下ろしている。

 紫色の薄い唇は冷酷そうな笑いを浮かべ、喪服のような黒いドレスの腰には白銀の太い鎖が巻かれていた。

 やがてその女は、同じ高度で『糸杉の剣』を構えている四翼の白竜(ザール)へ視線を移した。


「……アンタが、『怠惰のアーケディア』が言っていたドラゴンだね? 『竜の血』を受け継いだ人間だという……」


 女はそう言うと、ゆっくりと腰に手を当てて


「私は『嘆きのグリーフ』。『七つの枝の聖騎士団』から脱退した女さ。それ以来、私は強い相手を探し求めていたよ。そう、『怒りのアイラ』みたいに強い奴をね?」


 そう言うと、彼女の身体から黄色い炎が燃え上がった。それと同時に、炎は彼女の鎧となり、楯となり、そして剣となって彼女を1体の人型ドラゴンへと変える。その鱗や翼の形状は、シュバルツドラゴンのそれに酷似していた。ただし、右翼が翼の付け根の所で成長が止まっている、片翼のドラゴンだった。


「ザール、油断しないで。直ぐ私も行くから」


 ホルンがそう言うと、『嘆きのグリーフ』はチラッとホルンを見て、


「残念だけれど、半人前のドラゴンの相手をするつもりはないわ。あなたたちの相手はこれで十分よ」


 そう言うと、サッと地面に右手を向けた。すると、


「ギギッ!」

「キシャア!」


 と、砂漠の砂の中から、小柄なワイバーンが姿を現す。小型と言っても体長2メートルはあり、翼を広げると3メートルにもなる。特に鱗は生えていないが、代わりにゴムのような強靭な皮膚を持ち、たいていの剣では傷をつけられそうにない。

 また、鋭い牙と鋭利な小指を持っていて、なかなかに手強そうな相手であった。そんなワイバーンが一度に数千の単位で現れたため、ホルンは『竜の血』を覚醒させることを諦め、緑青色の『魔力の揺らぎ』を身にまとって言う。


「みんな、一人で戦わないで仲間と共に相手しなさい!」


 ホルンの言葉で、ホルン隊の戦士たちは一斉に抜剣する。ホルンは自隊やザール隊、女神の騎士団の戦闘準備が整ったことを見るとうなずいて命令した。


「かかれっ!」



「さて、これで心置きなく二人きりで話し合えるわね、ザール」


 『嘆きのグリーフ』は、そう言って四翼の白竜(ザール)に笑いかける。四翼の白竜(ザール)は不思議そうに言った。


「……そなたが、かなりの遣い手であることは分かる。けれど先ほどから、そなたから殺気を感じない。なぜだ?」


 すると『嘆きのグリーフ』は、左手を上げて自分と四翼の白竜(ザール)を球状の光の『場』の中に移行させ、ドラゴン化を解いた。


「私は、あなたと大事な話がしたくてここに来たのよ、ザール」


 ザールもドラゴン化を解いた。『糸杉の剣』は抜き身のまま右手に持ってはいたが。


「話とは?」


 早速本題に入ろうとするザールに、優しい目を当ててグリーフが訊く。


「その前に……あなたは『聖女王』とは誰のことか知っているわよね?」


 ザールはうなずく。それはこの国で育った者なら、幼少のころ一度は聞いたことがある話である。


「聖女王シャー・ホルン1世陛下のことだろう?」

「では、『予言』のことも知っているわよね?」


 グリーフは畳みかけるように訊く。ザールはうなずいた。そのザールに、さらにグリーフは


「あの『予言』は、いくつかの詩篇でできていることは知っているわよね?」


 と訊く。ザールのうなずきを見ると、グリーフは胸元から古びた紙の束を取り出した。


「読んでみて、ザール」


 グリーフがそう言うと、その手の中にあった紙の束はザールの手の中に現れる。

 ザールは、『糸杉の剣』を持ったまま、その紙を広げる。そこにはいつか父から見せてもらった『予言』と同じ筆跡で、こう書いてあった。


『聖女王の名を持つ片翼の黒竜、無頼の暮らしの中に育つ。その心はそのままに/片翼の黒竜、死をも恐れず慈悲もなく。その意志を遂げる中/乙女は乙女と扱われず、自ら四翼の白竜を求める。神のみ名のもとに/時を超えし受命の黒竜、命受けざる黒竜現れて、大きな混乱を憂う。自らの血のもとに』


 そしてもう一枚、そこには


『四翼の白竜、天下の同論を従えん。片翼の黒竜の召しの下/命受けざる黒竜と受命の黒竜、どちらも白竜を乞う。真なる竜の姿を知れ/受命の黒竜、真なる竜の姿に進む。その血の覚醒と共に/一つの光を失いて、片翼の黒竜は抱かれん。月の光の下で』


 そう書いてあった。


 ザールは、注意深く紙や筆跡を検める。筆跡は全く同一人物か確信は持てないが、少なくともよく似ている。また、紙は確かに自然に古くなったもので、魔法や薬剤の影響ではないことが分かった。


「この『予言』は、何処で手に入れた?」


 ザールが訊くと、グリーフは人差し指を唇に当てて、笑いながら言う。


「アクアロイドのフォルクス一族だった変人からもらったものよ」

「そのお方は?」

「もう死んだわ。そうね、1年になるかしら?」


 ……話を聞いていると、ガイ殿が言っていたことに符合する。とすると、この紙は本当に『予言』の一部かも知れない。


 ザールはうなずいて言う。


「この来歴はよく分かった。それで、何が言いたい?」


 グリーフは驚くべきことを告げた。


「その前に、私の自己紹介よ。私は、ザッハークと女神アルベドの娘、ホルン。私もこの国の王位継承権を持つ、ホルンという名の王女よ」


   ★ ★ ★ ★ ★


 こちらは一番北を進んだジュチ隊である。彼の軍団はハイエルフで構成されていて、美男美女が揃っていた。その比率は1対1である。

 軍隊に女性がいるというのは驚くべきことだが、彼らハイエルフは基本的に男女の隔てがない。そして、男性ハイエルフは全員が女性ハイエルフに対して優しく、寛容で、そして女性としての特性を理解し尊重している……簡単に言えば全男子がフェミニストだったのだ。


 さらに言うと、魔力の強さという点ではまるっきり個人の力量次第であり、そこに性別はほぼ関係なかった。だから女性でも男性以上に恐るべき魔戦士であることがありえた。

 けれど、ジュチは珍しく(?)副将には女性を指名していなかった。これは、


『副将のような肩書を持たせたら、危ない時に逃げることができなくなっちゃうじゃないか。世界で最も高貴で美しいわがハイエルフの女性同胞を、逃げることもできずに命を落とすなんて理不尽な立場に立たせたくないからね』


 というジュチの信念からだったらしい。

 ただし、やはり女性は女性でまとまった方が何かと便利でもあり、“フロイライン”と呼ばれる管理者として、アルテミスとディアナの二人を任命していた。


 そのジュチ隊は、わずか半日でデルヴェーザの町までの約320キロを移動し、次の日にはデルヴェーザの町の拠点化に着手した。


「やあ、ヌール。工事は進んでいるかい?」


 ジュチは、町の周りに塹壕や堡塁などの防御システムを構築している最中の副将に話しかける。ヌールと呼ばれた副将は、ややウェーブが掛かった亜麻色の髪を、形のいい手でかき上げながら答える。


「ええ、もう少ししたら完成します。けれど、サラーフ殿が町の真ん中に巨大な池を作っているのは何故ですか?」


「ああ、あれか。あれはアクアロイドたちのためにこしらえているんだ。ここでおサカナさん(アクアロイド)たちの部隊が立てこもることもあるだろうからね」


 ジュチはそのウザったく伸びた金髪に、形のいい人差し指を絡ませながら言う。


「とにかく、その作業が仕上がったら、みんなで水浴びでもして羽を伸ばしたまえ」


 ジュチは笑うと、今度は町の真ん中で作業しているもう一人の副将を訪ねた。


「どうだい、サラーフ。進んでいるかい?」


 サラーフと呼ばれた副将は、波打つ葡萄酒色の髪をかき上げて答える。


「ああ、もう少しで出来上がりますよ。けれど、ヌールが郊外に巨大な堡塁を作っているのは何故でしょうか?」

「あれかい? あれはギガントブリクス部隊がこの町に立てこもってもいいように、彼らの背丈に合わせてもらっているんだ。ヌールの方ももう少しで仕上がるそうだから、終わったらみんなで水浴びでもしようか? ()()()()、混浴で」


 ジュチが言うと、その言葉が聞こえたのだろう、


「まあ、ジュチさまったらえっちですわ!」

「いやん、ジュチ様に見られると恥ずかしい」


 などという女性エルフの声が聞こえる。ジュチは彼女たちにひらひらと手を振ると、


「冗談だよ、お嬢さん方。ちゃんと女性用には衝立を準備しますよ」


 そう言って笑う。それを聞いて女性エルフたちもキャッキャと笑った。

 そんなジュチを見て、一人のハイエルフが叱りつけて来た。


「こら、ジュチ! ここは戦場なんだよ? 何へらへらしているのさ」

「おお、びっくりした。何だ、アルテミスか」


 ジュチが全くびっくりしてなさそうに言うと、アルテミスはずかずかとジュチの真ん前までやって来て、腰に手を当ててジュチを睨みつけた。


「だいたい、人間なんかのためにどうして私たちが戦なんかしなきゃいけないのさ。どうせアンタが妖精王様をたぶらかして決めさせたんだろう?」

「お姉様、ジュチ様をいじめるのはやめて?」


 ジュチに詰め寄るアルテミスの向こうから、もう一人のハイエルフが恥ずかしそうに声をかけて来た。アルテミスはプンとした顔でそのハイエルフを振り返ると、突っかかるように言う。


「誰がいじめてるのよ? 人聞きの悪いこと言わないでよね、ディアナ」


 そしてアルテミスは今度はディアナに詰め寄ると、ディアナをひしっと抱きしめてジュチに向かって言う。


「私は、アンタが妹の婚約者だなんて、これっぽっちも認めてないんだからねっ!」


 ジュチは、相変わらずニコニコとして二人を見つめている。アルテミスとディアナは双子の姉妹で、ついでに言うとジュチと同い年だ。どちらも星空のような美しい髪を持ち、紫紺の瞳を持っている。よく似ているが、ジュチは彼女たちが幼い時から二人を取り違えることはなかった。

 長じて、二人の性格が明らかになると、余計に見分けやすくなった。ツンとして目がきつく、口調が厳しいアルテミスと、ほわんとして目が優しく、少し天然がかったディアナ……もっともジュチによれば、ディアナの方がちょっとグラマーだということで見分けていたのだそうだ。


 それはともかく、妹を抱きしめてジュチに噛みついてくるアルテミスに、ジュチは優しく、けれどキッパリと言った。


「アルテミス、キミがボクのことを認めないのは構わない。キミは小さい時から妹思いだったからね」

「ジュチ様」


 心配そうに言うディアナに、ジュチはうなずいて


「けれど、この戦いの意義については、ボクはキミに言っておきたい事がある。キミたちも知っているだろう、ザール・ジュエルのことを?」


 そう言う。アルテミスは、いつもは自分が絡んでも口答えもせずスルーするジュチが、真剣な顔で言うのを見て、何も言えなくなっている。


「彼は、英傑だ。『白髪の英傑』と言う二つ名は伊達じゃない。ボクは彼の夢見る『どんな種族も幸せを感じながら暮らせる世界』というものを実現させたい」

「そ、そんなの、夢物語だよ。出来っこないじゃない」


 アルテミスがそう言うと、ジュチは笑って


「そうだね、ボクもそう思っていた。人間風情が大きな口を叩きやがって、ってね?」


 そう言うと、その碧眼を細めてニヤリと笑い、


「でも、彼は違うんだ。彼と一緒なら、その夢物語が実現するかもしれないって思うんだ。そう思わせる人間ってすごいと思わないか? だから、ボクは彼の夢にボクの理想を重ねた。それを父上は理解してくれた……そう言うことだ。ボクだって伊達や酔狂でキミたちをこんな危ない場所に連れてきたわけじゃない」


 黙ってしまった二人を見て、ジュチは少し頬を染めて言う。


「ゴメン、少し興奮してしまった。分かってもらえたら嬉しいな」


 そう言って、背を向けて歩き去るジュチの背中を見ながら、アルテミスはつぶやいた。


「な、何よ……自分ばっかりしゃべって。ちょっとカッコよかったじゃない」



「なかなか女性陣には、男のロマンは分かってもらえないみたいだね?」


 町中から郊外へ続く道を歩いてくるジュチに、サラーフが笑いかける。ジュチは肩をすくめて言う。


「それは仕方ないね。ところでサラーフ、ボクは少しこの陣を留守にする。その間の指揮を頼みたい。もし、『七つの枝の聖騎士団』が来たら、全員でサマルカンドまで転移してもらいたい。転移魔法陣は描いておいた」


 サラーフは目を細めて訊く。


「この状況で、どちらへ?」


 ジュチは白い羽根のついた青いチロリアンハットを斜めにかぶりながら笑って答えた。


「ちょっとカブランカーまでね?」


 そう言うと、右手の人差し指をぼうっと緑色に光らせる。ジュチはその指で虚空に転移魔法陣をササっと描き上げると、


「すぐ戻るよ。長くて1日だから」


 そう言って魔法陣の中に身を乗り入れる。魔法陣は彼を飲み込んで光と共に閉じた。


「ジュチ様も、すっかり妖精王様の術式を使いこなせるようになられたな」


 サラーフは優しい微笑と共にそうつぶやくと、もう一人の副将ヌールと、女性たちの管理者アルテミス、ディアナを探しに町中へと戻った。



 ジュチが使った術式は、『転移術式』の一つで、空間上の2点を亜空間でつなぎ、実質的にごく短い移動距離と時間で、長距離を移動するものである。

 ジュチの転移魔法陣は、少しの誤差もなくどんぴしゃりとカブランカー地域の主であるギガントブリクスの集落前に開いた。ほぼ500キロを一瞬で移動したことになる。


 ギガントブリクスの一族は、もともと王国の北東にあるタジスタン地域が本拠であったが、山がちなタジスタンに戦闘能力が高い彼らが住んでいることに脅威を覚えたトルクスタン侯サームが、周りは砂漠や湿地で旅人もあまり来ず、といって荒涼とした場所でもないカブランカー地域へと所領を移した。

 1年前に、ザッハークの腹心ティラノスが、タジスタンの所領安堵の約束と共にサームへの反乱を示唆したが、その反乱はホルンやザールたちの手で鎮圧されていた。今の首領はサムソンという平和主義の人物である。


 ジュチはカブランカー地域に入ると、すぐさまサムソンとの面会を果たした。サムソンは前回の反乱時、ホルンやザールと共にここを訪れたジュチのことをよく覚えていた。


「その節は、お世話になったな、ジュチ殿。今日の突然の来訪は何事かな?」


 サムソンがそう言って微笑む。ジュチも微笑んで答えた。


「ご存知でしょうが、この国の正統な王位継承権を持つホルン王女様が、現王権の秕政を詰問して兵を起こされました」

「その噂は知っている。ホルン殿とか言ったな。確かに良き王女様だった」


 サムソンは、自分たちの挙兵に関して大義がないことを指摘し、兵を引くことを勧めて来たホルンの相貌を、懐かしそうに思い出しながら言う。そして、顔を厳しくして


「それで、私たちにその加勢をせよとでも?」


 ジュチは笑って首を振った。サムソンはてっきり援軍要請かと思っていたため、少し拍子抜けした。


「王女様が仰るには、ギガントブリクスの一族はこのカブランカー地域を守護し、現王権からの援軍要請を無視してくれればそれでよい、とのことです。ついでに南カブランカーまで開拓し、一族の楽園としてはいかが、との仰せです」


 サムソンはホルンの持ちかけた話が自分たち一族にとってどれだけ有利かを一瞬で理解した。王位争奪戦の局外にいて、直接ではないにしてもザッハークの支配が届いている南カブランカーを斬り取れば、ホルンはそれを私闘とは認めず、所領安堵しようということなのだ。まずは静観して、ホルンたちの旗色が良ければ南カブランカーを取ればいいだけのことだった。


「それはいい話ですな。私たちも余計な戦いは望みませんから」


 サムソンはそう言って笑う。ジュチは心の中でうなずいていた。


「よし、これで欲に眩んだ奴らから不意に右翼を襲われることはない」


 ジュチは話が終わると、サムソンの饗宴の誘いも丁重に断って、ギガントブリクスの集落を辞した。

 その後、彼は鋭い目で周りを見渡していたが、誰も自分の近くにいないことを確認すると、転移魔法陣でどこかへと姿を消した。


   ★ ★ ★ ★ ★


 ザールの目の前で、『嘆きのグリーフ』はその美しい顔を上げて言った。


「私は、ザッハークと女神アルベドの娘、ホルン。私もこの国の王位継承権を持つ、ホルンという名の王女よ」


 ザールは緋色の瞳を持つ目を細めた。グリーフがザッハークの本当の娘であるなら、王位継承権を持つことは確かである。順位はともかくしてそこは認めなければならない。


「……そなたがザッハークの娘である証拠は? また、女神アルベドとは?」


 ザールが静かに訊く。グリーフはニコリと笑って言う。


「私は26年前のあの日、ダマ・シスカスの司令官官舎で生まれました。母は女神アルベドの血を引く神官で、私にこの『アルベドの剣』を授けてくれました」


 そう言うと、腰に吊るした剣を抜く。その刀身は光を完全に反射しており、まったくと言っていいほどその姿を目に捉えることができなかった。グリーフは、その剣を鞘に納めると、はっきりと言い切った。


「ザール、私こそが『予言』にある『聖女王の名を持った片翼の黒竜』です。あなたが仕えているホルンは、命を受けざる黒竜……。ザール、私の下で、一緒にこの国を建て直しましょう」


 ザールは『糸杉の剣』を鞘に納めて訊く。


「そなたは、『七つの枝の聖騎士団』だと言ったな?」


 グリーフはうなずいて言った。


「ええ、私は最初、『七つの枝の聖騎士団』に入っていたわ。なぜなら、団長の『怒りのアイラ』、彼女が『四翼の白竜』だと思ったから……」


 そこでグリーフはザールを見て、


「でも、アイラは『四翼の白竜』ではなかった。確かに強く、巨大で、強力なドラゴンではあったけれど、『四翼』ではなかったのよ」


 そう言いながら、グリーフはザールに少しずつ近寄ってくる。『アルベドの剣』は後ろに回し、すぐには抜けないようにしている。


「ザール、あなたはアイラに似ている。その魔力の輝きも、その容貌も。白い髪、赤い目……けれど、彼女とは明らかに違うのよ」

「どこが違う?」


 ザールが少し顔をしかめる。何か違和感を覚えたのだ。グリーフはゆっくりと顔をザールの胸にうずめると、ザールの顔を見上げて言った。


「あなたは、ホンモノなの」


 その声を聞いた瞬間、ザールの意識は落ちた。



 そのころ、ホルンたちは、『嘆きのグリーフ』が呼び出したワイバーンたちと激闘を続けていた。


「王女様、ご無事ですか?」


 ピールが訊いてくるが、ワイバーンはホルン一人を目標にしているらしく、次から次へとかかってくるため、ホルンはとてもじゃないが答えている暇はない。


『ホルン、危ない!』


 後ろから飛び掛かって来たワイバーンが、コドランのファイアボールですっ飛ぶ。けれど、相手はまだまだたくさんいる。


『くらえっ!』


 ワイバーンが一列になった隙をつき、コドランがファイアブレスを噴きつける。ワイバーンも竜族とはいえ、そこはドラゴンとの格の差がある。コドランのファイアブレスはワイバーン2・30体をまとめて灰にした。


「ナイスよ、コドラン」


 今の攻撃で少し余裕ができたホルンが、コドランに親指を立てて言う。コドランも親指を立て、ウインクで応じた。


「わが主たる蒼い風よ、我が良き友たる炎よ、『Et in Archadia Ego(死はどこにでもある)』ものなれば、その清冽で峻烈な力をもちて、世を乱す魔道のものに『Memento Mori(死を思い出さ)』せよ!」


 ホルンは、そう呪文を唱え、風と炎の『魔力の揺らぎ』が『死の槍』を灼熱の輝きで燃え立たせた時、全員に聞こえるように叫んだ。


「みんな、伏せてっ!」


 叫ぶとともに、『死の槍』をぶうんと鋭く振り回す。ホルンの祈りを込めた『魔力の揺らぎ』は、『死の槍』の斬撃波と共に周囲に円形に広がり、その円内にいたすべてのワイバーンをあっという間に両断した。


「……これで、かなり減ったはずね……ザールは?」


 ホルンの目論見通り、ワイバーンのほとんどは『死の槍』の攻撃を避けられなかった。それを避けた一部のワイバーンは、今や数的に劣勢であり、『女神の騎士団』をはじめザール隊のバトゥやトゥルイ、ホルン隊のピールやガリルらによってあちこちで包囲され、殲滅されつつあった。

 ホルンは一息つくと、ザールのことを思い出した。あの光の球の中で、ザールは『嘆きのグリーフ』と壮絶な戦いを繰り広げているに違いない、そう思ったのだ。


「ザール、すぐ助けに行く……?」


 ホルンが上を向いた瞬間、彼女は信じられないものを見た。

 ちょうど、光の球が弾けるところだった。そしてそこには『嘆きのグリーフ』が、うっとりとした顔でザールと腕を組んで立っていた。ザールの眼は虚ろで、感情というものがなくなっていた。


「ザール! ザールっ! どうしたの? 何があったの?」


 ホルンは声の限りに叫ぶが、ザールは感情のない目でホルンをチラッと眺め、何も感じていないようにすぐに視線を前に戻す。


「ザール! 私よ、ホルンよ! 返事してザール!」


 ザールに呼び掛けるホルンに、『嘆きのグリーフ』は勝ち誇ったような微笑を向けて言い放った。


「私の名はホルン・ジュエル。ザッハーク陛下と女神アルベドの娘にして、『受命の片翼の黒竜』です」


 そして、『嘆きのグリーフ』は人型のドラゴンへと姿を変え、ホルンをトパーズ色の瞳で眺めて言った。


「あなたは『命を受けざる黒竜』。『四翼の白竜』であるザール様は、あなたのもとにあるのは相応しくありません。だから彼は私と共にこの国を建て直すことにしてくださいました。ホルン・ファランドールよ、あなたの役目は終わりました。もう本来の『用心棒』に戻って結構ですよ?」


 ホルンは戸惑いを隠せなかった。何、ザッハークと女神アルベドとの娘? そして同じ片翼の黒竜?……でも、ザールは渡せない。ザールは、私の一番大事なひとだから。


「わがドラゴニュート氏族の血よ、今目覚めてわが夢を阻害するかの悪竜を倒す力を、我に与えよ!」


 ホルンがそう『竜の血』に祈ると、ホルンの右半身はクリスタルのような光沢をもつ、光を吸い込んで黒く見える鱗に覆われる。そして背中には右翼が大きく広がった。


「ザールは私の仲間です! あなたには渡せません!」


 ホルンは、『死の槍』を構え、緑青色の『魔力の揺らぎ』を揺らめかせて『嘆きのグリーフ』に突きかかった。


「やあああ!」

 ギイイン!


 『嘆きのグリーフ』は、ザールを庇うように前に出て、右手に込めた『魔力の揺らぎ』で『死の槍』を受け止めた。そして、悲壮な顔色をしているホルンに、勝ち誇った顔で


「ザール様は私のもの、半人前のドラゴンは引っ込んでいなさい!」


 そう言うと、『魔力の揺らぎ』とともに強烈な蹴りを放った。


「がはっ!」


 ホルンはその蹴りをまともに受けて、地面に叩きつけられる。


『よくもホルンを~っ!』


 それを見ていたコドランが、怒りのファイアブレスを噴きつけるが、


「無駄よ、おチビちゃん」


 『嘆きのグリーフ』はその翼でファイアブレスを弾き返すと、左腕でザールを抱えながら、右手をコドランに向けた。


「悲愴の魔弾!」

「ぐわっ!」


 『嘆きのグリーフ』が放った魔弾は、コドランの胸にめり込んだ。コドランは口から血を噴きながら地上に落下し、大きな地響きを立てる。


「コドラン!」


 ようやく立ち上がったホルンがコドランのところに駆け寄ってみると、コドランはぐったりとして倒れていた。


「コドラン! コドラン! しっかりして!」


 ホルンはコドランを抱きかかえて、身体を揺すぶりながら呼びかけるが、コドランは力なく首をぐらぐらさせ、ピクリともしない。琥珀色の瞳にはもう光はなく、息もしていなかった。


「コドラン! うわあああ!」


 泣き叫ぶホルンに、『嘆きのグリーフ』が上空から哄笑して言う。


「ほほほ、いい格好よホルン・ファランドール。では、ザール様は連れて行くわね」


 そう言うと、『嘆きのグリーフ』は北西の方向へと飛び去って行く。


「ザール……コドラン……ザール、コドラン、うっ……」

 ……あなたたちがいなくなったら、私、どうしたらいいか……。


 ホルンは泣きながら、冷たくなっていくコドランに顔を押し付けて泣き始めた。良き仲間であったコドランを失い、最も信頼していたザールがいなくなって、心が折れそうになっていたのだ。


「コドラン……」


 ホルンの額が、コドランの胸に触れた。その時、ドクン!とコドランの身体が動いた。


「コドラン?」


 ホルンはびっくりして顔を上げた。すると、額にある『竜の鱗』が、急に熱くなり、小さく鼓動を始める。


「熱っ!……コドラン?」


 ホルンが見守る中で、コドランの首の付け根にある鱗が光り始める。よく見るとその鱗だけ、他と違って逆さに生えていた。逆鱗の光はますます強くなり、拍動をし始める。その拍動とシンクロするように、ホルンの『竜の鱗』も拍動を始めた。


「もしかして……」


 ホルンは、自分の『竜の鱗』をコドランの逆鱗に押し当ててみる。すると、ホルンの緑青色の『魔力の揺らぎ』がほとばしり、コドランの全身を包んで、まぶしく輝き始めた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 人事不省となったザールを抱えて飛びながら、『嘆きのグリーフ』は快哉を叫んでいた。


「ふふ、奴らの中で最も恐るべき者は『白髪の英傑』と言われたザール・ジュエル。何て言ったって強いし、仲間との絆も強い。けれど、コイツがいなくなれば、ホルン・ファランドールもどうしようもなくなるわ。確かにお母様の仰るとおりだった」


 そう、『嘆きのグリーフ』は、アルベドからの指示で今回の『作戦』を行った。アルベドが狙ったのはただ一つ、『ホルンとザールを引き離すこと』である。

 グリーフ自身がアルベドとザッハークの娘であることは真実だ。そして、アルベドが女神アルベドであることも、ひょっとしたら事実かも知れなかった。なぜなら、グリーフが佩く『アルベドの剣』も、確かに女神のオーラに包まれていたからだ。

 アルベドは、自身の娘がザッハークの血を引いていることと、ホルンと年齢が近いことを利用して、『もう一人のホルン』をねつ造したわけだった。『予言』の書類の束は本物であったが、予言なんて言うものは、解釈次第でどうともこじつけられる。


「これで、私も晴れて『七つの枝の聖騎士団』に再加入できるわね。そして、念願だった『魔力が強い男』も手に入れたし……」


 『嘆きのグリーフ』は、左腕に抱えているザールを愛しげに見つめながら、ニコリとしてつぶやく。


「このままカッパドキアまで連れて帰ったら、すぐに『契りの儀』をして、身も心も私のものにしてあげるわね、ザール?」



 一方、本隊の方では、ザールが敵に攫われたことが後方の『女神の騎士団』に守られているオリザの耳にも届いていた。オリザは驚きと恐怖と心配のあまり、シャロンが止めるのも聞かずにザール隊へと馬を走らせた。ジャンヌとフランソワーズの二人はぴったりとくっついてくる。


「オリザ様、一人で前に出ないでください」


 ジャンヌが叫ぶが、オリザは厳しい顔で前を向いたまま


「ホルンさんがいたのに、お兄さまが攫われたってどういうこと? ワタシはホルンさんをとっちめてやりたいの!」


 やがて遠くに、へたり込んでいるホルンの姿が見えた。オリザはそれを見て、心配するよりもカッとした。オリザはその気持ちを抱えたまま、まっしぐらにホルンに近づくと、馬から降りて近づきながら喚いた。


「ホルンさん、何しているの!? へたり込んでいるヒマがあったらお兄さまを……」


 その時、ホルンの手の中で緑青色の『魔力の揺らぎ』に包まれていたコドランが、目も眩むような光に包まれた。


「!……なに?」


 余りの眩しさにオリザは顔の前に手を上げて目を細める。やがて、その光が消えた時、オリザはあんぐりと口を上げて立ち尽くした。

 そこには、体長10メートルはあろうかというシュバルツドラゴンが座っていた。そのドラゴンは大きく翼を広げると、琥珀色の眼をホルンに当てて言う。その声は、まるでグラスハープのような優しい響きを持っていた。


『ホルン様、助けていただき、ありがとうございました。ホルン様の『竜の鱗』を通じて、グリン様の魔力が流れ込んできて、私は成長できました』

「コドラン? よかった」


 するとコドランは、目を細めて北西の空を見つめながら言う。


『ホルン様、ザール様を追いかけましょう。私の背中にお乗りください。今ならすぐに追いつけます』


 ホルンは、涙をぬぐうとうなずいて『死の槍』を握り直し、ドラゴンの背中に乗った。


「お願いよ、コドラン」


 ホルンが言うと、コドランは一つうなずいて大きく羽ばたいた。あっという間に雲に届くまで上昇したコドランは、物凄いスピードで北西へと飛び去って行った。

 地上からその様を見送ったオリザは、ぺたりと地面に座り込んで言った。


「なにあれ……すごい……」



 ホルンたちは、1刻(15分)も飛ばないうちに、『嘆きのグリーフ』の姿を捉えた。


「あれよ!」


 ホルンが指さすと、『嘆きのグリーフ』もこちらに気付いたのだろう、スピードを上げ始める。けれど、コドランは目を細めたまま言う。


『ふふ、競走でこのブリュンヒルデに敵うかな? ホルン様、しっかりつかまっていてください!』


 するとコドランは翼を少し折りたたみ、さらにスピードを上げた。『嘆きのグリーフ』がみるみるうちに近づいて来る。やがて『嘆きのグリーフ』は諦めたのだろう、ザールを抱えたまま空中に留まっていた。


「ザールを返してもらうわ」


 ホルンは、『片翼の黒竜』に姿を変えると、グリーフの前に降り立つ。コドランは抜け目なく、敵の後方に陣取っていた。


「あきらめの悪い女だね? 男に嫌われるよ?」


 グリーフはそう言いながら、『アルベドの剣』を抜く。刀身が見えない剣を見て、ホルンは驚いて言う。


「『アルベドの剣』! どうしてあなたが……」


 グリーフは笑って答えた。


「あら、私の母は女神アルベドだって言わなかったかしら? 女神アルベドが『アルベドの剣』を持っていても不思議じゃないわよ?」


 そしてグリーフは『アルベドの剣』を構えて言う。


「どちらが『受命の黒竜』かを、思い知らせてあげるわ」


 ホルンもうなずき、『死の槍』を背中に負うと『アルベドの剣』を抜き、構えた。


「望むところよ」


 その言葉を合図に、両者の『アルベドの剣』は、持ち主の『魔力の揺らぎ』に従って、それぞれの炎を燃え立たせた。


「行くわよっ!」

「来なさい!」


 ホルンは緑青色の、『嘆きのグリーフ』は黄土色の光に包まれながら、『アルベドの剣』を揮う。どちらも魔力は強く、斬撃波は地上にまで及び、砂漠に幾筋もの跡を残す。


「やっ!」

「えいっ!」

 ジャリン!


 ホルンの左脚に隙を見つけて飛び込んできた『嘆きのグリーフ』が、『アルベドの剣』で斬りつける。それをホルンは『アルベドの剣』で受け流し、反対に相手の右わき腹を狙って摺り上げるように『アルベドの剣』を揮う。


「はっ!」


 『嘆きのグリーフ』は、いったん跳び下がって間合いを開け、ホルンの斬撃波を斬り払うと、真っ向から斬り下ろしてきた。


 キーン!


 ホルンは全身を緑青色の『魔力の揺らぎ』で包むと同時に、『嘆きのグリーフ』の『アルベドの剣』を『アルベドの剣』で受け止める。そこに、『嘆きのグリーフ』は


「悲愴の魔弾!」

 ズドン!


 ホルンの顔目がけて魔弾を放つ、魔弾はホルンが避ける暇もなく、ホルンの顔面で炸裂した。


『ホルン様!』


 コドランは、ホルンが真っ逆さまに地上に落下するのを見て、急いで救援に向かおうとしたが、


“私は大丈夫。敵を逃がさないで”


 と、ホルンの声がしたので、やっとのことでその場に踏みとどまった。


「やってくれたわね」


 ホルンは地面に叩きつけられたが、すぐに飛び起きて、降下してくる『嘆きのグリーフ』を睨みつけた。ホルンの胸の奥に灯った緑青色の光は消えず、それはますます大きくなっていく。


「半人前のドラゴン、ここで死になさい!」


 『嘆きのグリーフ』はそう叫んでホルンに『アルベドの剣』を叩きつけた。


 ギャンッ!


「ふざけないでよ……ザールは、私と約束してくれたの……」


 ホルンは斬撃を『アルベドの剣』で受け止めながら、歯を食いしばってそう言う。ホルンの右頬に食い込んだ魔弾が、きらめく鱗と共にポトリと落ちた。抜け落ちた部分の鱗はすぐに再生し、光を吸い込んで真っ黒に見えた。


「人間の血が流れている限り、あなたはドラゴンには敵わないわ! だからザール様は私のものなのよ」


 ギリギリ……キキン!


 双方の『アルベドの剣』から鋭い音が響く。『嘆きのグリーフ』は力を込めて押してくる。ホルンを押し倒して、そのままとどめを刺そうと考えているようだった。


「ザールの夢は、私の夢なの……半人前でも、私は負けない!」


 ホルンの叫びとともに、その身体からは緑青色の『魔力の揺らぎ』が噴き出した。


「あっ!」

「エイッ!」

 パーン!


 ホルンの『魔力の揺らぎ』にひるんだ『嘆きのグリーフ』は、とっさに間合いを開けようとした。その間隙をついたホルンの斬撃が、グリーフの『アルベドの剣』を真ん中から断ち切った。


「私の、『アルベドの剣』が!」


 驚きで目を見張った『嘆きのグリーフ』に、ホルンは真っ向から『アルベドの剣』を叩きつけた。


「わが『アルベドの剣』よ、その力を我に貸し、この魔性の者を折伏させたまえ!」

「OAAHHHHHHH!」


 『アルベドの剣』は、緑青色の『魔力の揺らぎ』に包まれ、『嘆きのグリーフ』は頭から足まで、存分に斬り下げられた。辺りは『嘆きのグリーフ』の傷口から噴き出す血で真っ赤に霞んだ。

 『嘆きのグリーフ』はゆらゆらと立っていたが、やがてひん曲がった唇を動かすと、


「ザールは……渡さない……」


 そうつぶやくように言うと、左右に真っ二つとなって転がった。



『ホルン様、大丈夫ですか?』


 コドランが着地してそう訊いてくる。その声に、ぼーっとしていたホルンはハッと気がついたように言う。


「ザールは? ザールはどこ?」


 コドランが上空を見て言う。


『ザール様はあそこです。ただ……』

「ただ? ただ、何?」


 ホルンがせき込むようにして訊くのに、コドランは顔をしかめて答えた。


『『嘆きのグリーフ』の魔法が解けていません』

「そんな!」


 ホルンはすぐに、ザールが留まっている空間へと飛び上がる。そこには眠ったようにザールが光の膜に閉じ込められていた。


「ザール、うっ!」


 ホルンは、ザールに触れようとして呻いた。光の幕はホルンが触れた途端に激しい火花を散らした。


「『嘆きのグリーフ』は倒したわ。でも、魔法が解けないってどういうこと?」


 ホルンが言うと、コドランは


『おそらく、自分の死後ますます強固な結界となるような魔法をかけていたのでしょうね。ジュチさんかロザリアさんなら解けると思いますが』

「動かすことは出来る?」


 ホルンの問いに、コドランは目を細めて光の幕を見ていたが、首を振って言った。


『いいえ、規定術式でこの空間ベクトルを指定してあります。この魔法はここに張り付けてあります。私がジュチさんかロザリアさんをここにお連れしましょうか?』


 コドランがそう言った時、ザールを包む光の幕が変化し始めた。少しずつ縮み始めたのだ。それを見てコドランは叫んだ


『いけない! 光の幕が縮み始めた。この膜に触れたら、中のものはすべて素粒子以下に分解されてしまう! あっ、ホルン様、いけません!』


 コドランの言葉を聞くや否や、ホルンは自分の右腕を光の幕に突っ込んだのだ。光の幕はホルンの腕を拒むように火花を散らし、その辺りの空気を灼熱の大気にしつつ震え始めた。


「ぐっ……ぐぐうっ……」


 凄まじいばかりの高温と火花の中、ホルンの顔が苦痛に歪む。けれど、ホルンの腕は少しも光の幕を突き破ることができない。


『ホルン様、あなたも死んでしまいます! お止めください』


 コドランが叫ぶが、その叫びもホルンには聞こえていないようだ。ホルンは顔をゆがめ額から汗を流しながら、光の幕の圧力と戦っている。


「ザール、行かないで! 私の側にいて!」


 ホルンがそう叫ぶと、右腕の『竜の鱗』が黒く輝き、そしてすべてがそそり立った。


 ギャギャギャ……。

「うわーっ!」


 ホルンの絶叫が響き、その右腕から、ジュウジュウという肉が焦げる音とともに、白い煙が噴き上がる。けれどホルンの腕は見事に光の幕を突き破っていた。


「消えろっ、消えろ消えろ消えろ消えろ消えろーっ!」


 ホルンは狂ったように頭を振ると、『魔力の揺らぎ』をすべて右手に集めて、一瞬で解放させた。


『ホルン様っ!』


 コドランが叫んだ瞬間、


 ドゴーン!


 凄まじい爆発音とともに、爆風が辺りを包んだ。


   ★ ★ ★ ★ ★


 ……ここは、どこ?


 ホルンはゆっくりと目を開け、天幕の天井を見て思った。まだ頭がぼーっとしているようで、頭の中に霞が掛かっているような感覚だった。


 ……私は、ザールを取り返した。けれどザールは……。


 そこまで思い出した時、ホルンはガバッと跳び起きた。ホルンは貫頭衣に半袴という下着姿だった。貫頭衣の右の袖口がまくれている。そこには無残な火傷の跡があった。

 ゆっくりと頭を上げると、見慣れた戦袍とチェインメイルが見える。どちらも右袖が完全になくなっていた。あの光の幕を突き破った代償だろう。

 そこに、コドランがやって来て


『あっ、ホルン。起きたんだね? 調子はどう?』


 そう訊いてくる。ホルンは腕や肩、頭を回してみた。どこにも支障は感じられない。


「問題ないわ」


 ホルンがそう言うと、コドランが心配顔で


『でもホルン、凄く無茶したよね? 実はホルンの右腕は完全に焦げてしまっていて、一時はホルンが死んでしまうかもって心配したんだよ?』


 そう言う。ホルンは火傷の残った自分の右腕を改めて見つめた。その様子を見て、コドランは続けて説明する。


『うん、オリザさんが『オール・ヒール』をかけてくれたからね。すっかり治っているはずだよ……見た目は何だけれど』


 ホルンはさっぱりしたような顔で笑って言う。


「気にしなくていいわ。私はコドランとザールがいてくれれば、それでいいから」

『そうそう、ザールさんもさっき気が付いたみたいだよ? シャロンさんがホルンを呼んで来てってさ』


 コドランがそう言うと、ホルンは翠の瞳に喜びの色を浮かべて、身支度を整え始めた。



「あっ、お兄さま。具合はどう? もう大丈夫?」


 目覚めたザールに、オリザがそう言って心配そうな顔をして声をかける。ザールは頭を振りながら起き上がると、


「……まだ、何か頭に霞が掛かったみたいだ……」


 そう言うと、オリザを見て笑って言う。


「でも、僕は何とかあいつから逃れたみたいだな。ありがとう、オリザ」


 するとオリザは、頬を染めて


「もう、お兄さまったらぁ、オリザと~っても心配したんだから。でも、お兄さまを助けてくれたのはホルン王女様だよ? ホルンさんにもちゃんとお礼言ってね?」


 そう言う。ホルンの手柄を口にするのは嫌だったが、ホルンが戦わなければ今頃ザールは敵の手中に落ちてしまっていただろう。そう考えると、


 ……ここはちゃんと知らせてあげるのがフェアよね。


 そう考えたオリザだった。しかし、ザールは明らかにいぶかしげな顔をして首をひねって言った。


「ホルン?」


 オリザは、ニコッと笑って言った。


「そ、ホルン王女様だよ。大丈夫、お兄さまが王女様にお礼言ったからって、オリザは嫉妬なんかしないから」


 そこに、シャロンが入ってきて言った。


「ザール様、ホルン王女様がお見舞いに見えていますが」


 その言葉にも、ザールは不思議そうな顔をする。


「ホルン? シャロン殿、ホルンとは一体誰のことだ?」

「ま~たお兄さまったら、冗談キツイわよ?」


 オリザが笑うが、ザールの表情に異変を感じ取ったシャロンが真剣な顔で訊く。


「ホルン・ファランドール、前のシャー・ローム陛下とウンディーネ王妃との間にお生まれになった姫様です。元『王の牙』であるデューン・ファランドール様に育てられ、デューン様の死後は辺境で『用心棒』として活躍されました。デューン様遺愛の『死の槍』と王室の神器『アルベドの剣』をお持ちです。ザール様はお仲間と共に、ホルン姫を探しておられました。ガラーバード近くのヴェストタラバードの町で初めてお会いになったと聞いております。そして、今、ホルン姫様を戴いてこの国を建て直す戦を始めたばかり……思い出されましたか?」


 ザールは真剣な顔で聞いていたが、首を振った。


「この戦の大義は知っている。王女様がいらっしゃることも存じ上げている。けれど、それとホルンという名が結びつかないんだ」


 そこに、ホルンがコドランを連れて入って来た。


「ザール! よかった、無事だったのね」


 心配そうな顔をするホルンに、ザールはびっくりしたように頬を染めて訊く。


「あ、あなたが姫様ですか? 美しい」


 それを聞いて、ホルンは照れたように言う。


「い、いやだわ、そんなまじまじと見つめられると恥ずかしくなるじゃない」


 するとザールは真面目な顔でホルンに訊いた。


「姫様、ホルンとは誰でしょうか?」


 するとホルンはニコリと笑って言う。


「私よ。私はホルン・ファランドール。あなたもよく知っているくせに」


 けれど、ザールは困ったように笑って言った。


「いえ、僕は今まで、ホルンという名の女性には会ったことがありません」


 それを聞いてホルンは眉をひそめた。冗談で言っているのかしら? でもザールは謹直なくらい真面目だ。まかり間違ってもこんな場面で冗談を言う男ではないことを、ホルンは良く知っている。


「私とドラゴニュート氏族の里に行ったこと、覚えている?」

「いえ、ドラゴニュート氏族の里には僕とリディアとジュチとで行きましたが……」


 困惑するザールに、ホルンは慌てて訊く。


「まだ去年のことよ? そこでグリン様やローエン様とお会いしたでしょう?」

「はい、でも、それは僕一人だったと思います」


 ついにホルンは、最も恥ずかしいことも訊いてみた。


「じゃ、あなたと私、二人きりの宿舎に案内されたことは覚えていないの?」


 ザールは何かに思い当たったような顔をしたが、


「……そんな気はしますが……分かりません」


 そう答える。そのやり取りを聞いていたシャロンは、ホルンに気の毒そうに言った。


「王女様、恐らくザール様は記憶を奪われてしまっています」

「記憶を?」


 ホルンとザールが同時に言う。シャロンはどちらにもうなずくと、


「ザール様の中で『ホルン』という名と紐づけられた記憶は、すべてが封印されるか消去されてしまっています。恐らく、『嘆きのグリーフ』は、自分が倒されたときに発動するような呪いをかけていたのでしょう」


 そう言った。ホルンは震え声で訊く。


「記憶を取り戻す方法は?」

「封印ならば解く方法はありますが、消去の場合は手がありません」

「そんな……」


 絶句するホルンの肩を優しく抱きながら、シャロンは慰めるように言う。


「ザール様をもっとよく観察してみます。私で治せなくてもジュチ殿やロザリア殿もいますので、今はしっかりお休みください」


 ホルンは、ザールの幕舎を出るときに、もう一度ザールを振り返ってみた。ベッドの上のザールは、その緋色の瞳に困惑とすまなそうな色を浮かべて、ホルンを見ていた。


(27 幻惑の回廊 完)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

ちょっとした手違いで投稿が遅れてしまいました。

ホルンたちの試練はまだ続きますが、負けずに立ち向かって行きます。

次回『28 熱風の海峡』は日曜日の9時〜10時に投稿予定です。お楽しみに。

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