26 破砕の戦刀
ホルン率いる機動軍。その先鋒であるリディアは、スケルトン軍団やティラノ・オーガの軍団を撃破する。
今回はリディアの活躍をお楽しみください。
【主な登場人物】
♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘で王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。26歳。
♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。15歳程度。
♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。23歳。
♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。21歳。
♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で『この世で最も高貴な一族』であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けるがチャラい。金髪碧眼の美青年。23歳。
♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。21歳。
♧ガイ・フォルクス…26年前にスケルトン軍団から国を滅ぼされたアクアロイドの王族。頭脳明晰で冷酷非情だが仇討に協力したホルンに恩義を感じている。29歳。
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王国暦1576年若葉萌える月(3月)9日、ホルン率いる遊撃軍はダルガナダを出発した。
一番南を進むリディア隊は、リディアがジーク・オーガの部隊を、ロザリアが魔族の魔戦士の部隊を、ヘパイストスがドワーフ部隊それぞれ2千人を率いていた。
この部隊はダルガナダから300キロ離れたジェルベント、そこからさらに80キロ西のカズィーを経てバルカン地峡へと進む予定である。
「さあ、いよいよだね。どんな奴らが出てくるか楽しみだね」
リディアが言うと、左右にいる副将のゴードン、ミュラーが苦笑する。この二人はリディアの父親であるジーク・オーガの王・オルテガが愛娘のために派遣した側近であった。
「お嬢様、お嬢様の武勇は私どもも存じておりますが、緒戦は大事に戦うべきです。猪突せずに、冷静にお願いいたします」
年かさのゴードンがそう言うと、ミュラーも
「そうです。俺たち副将がいるのですから、まずは私の槍に出番をいただきたいものですね」
そう笑う。彼はオルテガが最も信頼する親衛隊の一人で、熱血で腕も立つことから若手の中から選ばれた。歳は23歳でザールと同い年である。
「分かってるわよ。お父様が爺やとアンタを送ってきた意味くらい分かるわよ」
リディアがそう言うと、耳元でロザリアの声がした。
“リディア、あまりとばすでない。先は長いのじゃ”
これは『風の耳』という魔法で、これを使える者はかなり離れていても意思疎通ができる。欠点は、至近距離でないと指向性がない、言い換えれば遠距離でこれを使うと、『風の耳』が使える者すべてに会話内容がバレバレだということである。リディアはこの作戦のために必死で修行してこの能力を手に入れた。
“アンタの隊が遅いんじゃない? アタシたちはこれが普通よ?”
リディアが言うと、
“初日はモアウたちの慣らしもあるから時速10マイル(この世界で約18・5キロ)と言う話をしたではないか。私とそなたの部隊はすでに2マイルも離れてしまっておる”
会話の内容が聞こえたのだろう、ゴードンが後ろを振り向いている。
“分かったよ、少し行き足を緩めるよ”
リディアがそう言うと、聞こえていたのかミュラーが後ろを振り向いて全員に言った。
「減速! 後続部隊との間を詰める」
先を行くリディア隊が減速するのを確認したロザリア隊では、ロザリアがモアウの上で苦笑していた。
「やれやれ、リディアのザール様の役に立ちたいという気持ちは分かるが、今から張り詰めていると肝心の時に疲れてしまうぞ」
「でも、あの野蛮なジーク・オーガに言うことを聞かせるなんて、さすがはロザリア様ですね」
ロザリアの右側でモアウを進める副将のマルガリータが言う。彼女はトリスタン侯国がロザリアの部隊を募集した時、真っ先に応募した。ロザリアが魔女としてカンダハールで隠棲していた時からの彼女の熱烈なファンである。歳は20歳で一つ下だ。ロザリアは彼女を見て笑って答えた。
「リディアは野蛮でも乱暴でもないぞ。むしろ彼女は純粋にザール様のために戦える女子じゃ。私にとってはうらやましくもある」
すると、ロザリアの左を走っているもう一人の副将・ゾフィーが笑って言う。
「私から見ると、そなたも同じじゃ、ロザリア。そなたは愛恋に対しては慎重であまり興味がないものと思っておったが、恋する乙女は可愛いのう」
「ばっ! 師匠、そんなことみんなの前で言わないでください。恥ずかしいじゃないですか」
ロザリアが慌てて言うと、マルガリータとゾフィーが笑う。ゾフィーはトリスタン侯国公認の魔女で、ロザリアの師匠であり、歳は分からない。見た目は14・5歳の少女のようだが、すでに300年は生きているという噂がある。トリスタン候直々の依頼でこの軍に加わった。
「恥ずかしがることはない。人が人に惹かれるのは自然の摂理じゃ。私はその気持ちが心を動かしたとき、非合理ではあるがとてつもない力を生むさまを何度も見て来た。今度の戦いも、そなたたちのようなみずみずしい心を持つ者が一番役に立つじゃろうな」
ゾフィーはそう言うと、可愛らしい笑顔で二人を見つめた。
「やれやれ、リディアのやつ、張り切り過ぎないといいがな」
殿ではヘパイストスが笑っていた。その苦笑を見て、副将のバールが茶化す。
「若殿の未来の奥方は、一途な方ですからね」
ヘパイストスは鍛冶職人のドワーフを束ねるバルカンの息子だ。そしてバールはヘパイストスの乳母の息子、つまり乳母子である。長じては同じくバルカンの指導を受け、今ではヘパイストスの向う槌をしながら、職人としても活躍中だ。
「ふふ、バール、あいつはザール殿一筋だ。そういうことはあいつの前では決して言うなよ? あいつは見かけに似合わず純粋だから、要らんことを吹き込んであいつの気持ちを乱したくないからな」
「ふむ、戦いも、鍛冶も同じじゃ。動揺は失敗の友じゃからな」
ヘパイストスの言葉を聞いて、もう一人の副将が言う。ヘパイストスは笑って言った。
「そうさ、ソクラテスのじっちゃん。俺はあいつには俺の作った武器で思いっきり暴れてほしいと思っている。あいつが俺の作った武器で勝利をかち取る場面を見ることが、俺への最高の報酬だよ。それ以外は望んでいない」
それを聞いたソクラテスは、微笑を浮かべながら言った。
「そうじゃな。まずは職人として誠実であれ、じゃ。誠実に、無心に、そして必死に取り組めば、女神は微笑むものじゃ。勝利にしても、何にしてもな?」
3部隊が進むこと1時(2時間)、リディアは全軍に小休止を命じた。この3部隊はリディア戦闘団と呼ばれ、リディアが参謀ロザリアの意見を聞きながら指揮を執っている。
「今20マイルかぁ、できれば今日中にジェルベントまで行きたいけれどなぁ」
リディアが言うと、水筒からこくこくと水を飲みながらロザリアが答える。
「戦闘さえなければ行けぬことはないぞ? ただ、今日は野営を覚悟した方が良いとは思うがの」
「どゆこと?」
リディアが訊くと、ヘパイストスが笑って言う。
「俺たちの部隊だけが目的地に向かって突っ走っているわけじゃないんだぞ?」
水筒の口を締めながら、ロザリアもうなずく。
「そうじゃ。本隊、ジュチ戦闘団、そしてこの部隊、進撃に多少のデコボコが出るのはしょうがないが、他の部隊が危機に陥った時、助けに行くことができないというヘマだけは避けたいものじゃ。定時連絡の『風の耳』を聞いて、どうするか決めればよい」
8点(正午)になって、それぞれの部隊は現在位置を交換した。ジュチ隊はジュチ自身が、リディア戦闘団はロザリアが、そして本隊はコドランが連絡係だった。
その中で、やはり本隊がやや遅れ気味であることが分かったが、ジュチの案でリディア戦闘団は出来るだけ早く地峡を目指すことになった。
「ジュチめ、こちらの戦闘団を槍の穂先にするつもりじゃな。速度で言えばジュチの部隊が最も速いのに、何を考えていることやら」
確かに、ジュチの率いる部隊は『妖精軍団』であり、その戦闘力は意外なほど高い。それに空も飛べるし亜空間も移動できる。ただ、数が他の部隊の3分の1なので、その点を言えばリディア戦闘団が先鋒でしかるべきではあった。
「まあ、いいじゃん。アタシを信用してくれているんだろうよ。こっちにはアタシだけならともかく、ロザリアもいるしね」
リディアが屈託なく言うと、ヘパイストスがロザリアに訊く。
「で、昼からはどれくらいで進む? 俺の隊は時速30マイルが限度だぜ」
ロザリアはそれを聞いてうなずいて言う。
「うむ、では1時(2時間)進んで半時(1時間)小休止、そして1時行軍として9点半(午後5時)過ぎに宿営準備にかかるとして、時速25マイルでどうじゃ? それなら今日一日で120マイル(約220キロ)進んだことになる」
リディアはその意見を採用した。
その頃、カラクム砂漠の北側へと軍を進めている軍団があった。その数約1万で、その軍団には他に見られない特徴があった。
それは、その軍団がスケルトンで構成されていたことだ。
その部隊が、ホルンたちの『風の耳』を傍受して、それぞれの部隊のおおよその位置をつかんだ。その位置を調べてみると、一番近いリディア戦闘団で自分たちの北約30マイル(約56キロ)にいることが分かった。
「奴らが来るぞ。奴らはわが同族であるカリグラ一族を葬ったホルンの一味だ。この砂漠で奴らを一人残らず殲滅して、カリグラ兄弟の無念を晴らすぞ」
スケルトン軍団を率いるギーは、そう言って部隊を急がせた。
「ジーク・オーガが率いる部隊は、全部で6千内外、こちらの半分程度だ。後ろから襲い掛かって、カリグラ兄弟への捧げものにしてやる」
一方、行軍中のリディア戦闘団では、ロザリア隊のゾフィーがロザリアに話しかけていた。
「ロザリア、そなたとは2年ぶりの再会ですが、前回会った時より数段美人になっていたので驚きました」
「そ、そうですか……」
ロザリアはツンとして言うが、その頬は少し赤みが差している。
「そなたには表情が出てきました。そして、心が明るくなっています。その心の明るさと自信が、あなたの魔力を高め、そのことによって美しさも増したのでしょう。私は愛弟子をここまで成長させてくれたザール殿にも会ってみたい気がします」
ゾフィーがそう言うと、ロザリアはニコリと笑って言う。
「そうですね。私の心を奪い、私にこれだけ人を好きにさせたお方じゃ。ぜひ師匠にも会っていただきたいもの……?」
ロザリアはそこまで言うと、ゾフィーの向こう側に視線を奪われて黙った。南から黒い風が吹いてきて、それが旋風となって渦を巻き、ビョオオオ……という風の音とともに、ロザリアに迫って来た。しかしそれは、途中で東に向きを変え、少し行ったところで突然消えたのである。
「……狂風ですね。あるいは凶風。あの風は敵襲を予告しています」
ゾフィーが言うと、ロザリアもうなずいて、モアウの足を速めながら言った。
「リディアに知らせてくる。マルガリータ、私がいない間の指揮をお願いする」
「敵襲?」
ロザリアがリディアに追いついて、先ほどの狂風による予告について話すと、リディアはすぐに訊いた。
「どうする?」
ロザリアはニコリと笑って言う。
「敵の数も、種族も分からん。けれどはっきり言えることは、あの動きから敵襲の時期は差し迫っていることと、後ろから襲ってくるということじゃ」
「それで?」
リディアの問いに、ロザリアは凄味のある微笑を浮かべて言う。
「急いで部隊を入れ替えればよい。前からヘパイストス隊、私の隊、そしてリディアの隊とな。リディア自身が最後尾にいたら、言うことはないのう」
「分かった」
リディアはこうしたときの決断は早い。すぐさま伝令を飛ばし、命令を伝える。そして自隊の速度を落とし、ヘパイストス隊が北側を追い越していく頃には、自身が隊の最後尾にゴードンやミュラーと共に陣取っていた。
ロザリアも自隊に戻り、部隊全員に、
「敵襲がある場合には、全員でヘパイストス隊を守ることにする」
そう命令していた。マルガリータもゾフィーもうなずいた。
リディアは、そのジーク・オーガの優れた探知能力で、敵が10マイル(約18・5キロ)まで迫ったことを知った。そして聞こえる音から、それがスケルトンであることまで看破した。
「敵はスケルトンだよ。数は1万内外かな?」
リディアが虚空からヘパイストス鍛造の大青龍偃月刀『レーエン』を取り出して言う。それを聞いたミュラーは、首を振りながら呆れていた。
「たかだか1万? あいつら、ジーク・オーガの戦闘力を舐めとるな?」
「お嬢様、陣形は?」
ゴードンが訊くと、リディアはこともなげに答えた。
「こっちは数が少ないから鶴翼だね。アタシが左翼、ミュラーが右翼、じいは中央であいつらを受け止めて。陣の厚さはないけど、ロザリアが何とかしてくれるさ。その間にミュラーと二人で押し包んでやるから」
やがて、スケルトンの部隊がリディアの網膜に映る。ただし、スケルトンからはまだ見えていないはずである。なぜなら、リディアたちジーク・オーガの視力はずば抜けていて、闇夜で5マイル(約9キロ)先の人影を認識できる。
「ふふ、敵さんにはまだ見えていないみたいだね」
リディアはそう言うと、
「ミュラー、行くよっ!」
そう言って、それぞれ100騎ほどの騎兵を連れて駆け出した。
ギーは、リディア隊の部隊変換に気付かなかった。さらに、迂闊なことにかなり近寄るまで最後尾がジーク・オーガの部隊であると見抜けなかった。
けれど、ギーは自分たちが気付かれずにリディア隊の後ろを取れたものとすっかり安心していた。
「いいか、情報では一番後ろにいるのは戦闘力ではカスのドワーフだ。こいつらを血祭りに挙げたらジーク・オーガの部隊まで押し包んで皆殺しにするぞ」
ギーが部下にそう言っていた時、突然両翼が騒がしくなった。
「何だ? 敵に気付かれるぞ、静かにさせろ!」
ギーがそう叫んだ時、両翼から
「隙だらけだぞ、スケルトンよ。ジーク・オーガ部隊の副将エルンスト・ミュラー、緒戦の祝いにこの槍をごちそうするぞ!」
「コソコソ後つけて、アンタらストーカーかい? ジーク・オーガの部隊長リディア・カルディナーレが参上したよ!」
と、ミュラーとリディアが得物を回して突っ込んできた。
「くそっ、不意打ちを受けたとはいえ、相手は少数だ。押し包め!」
ギーはそう副将たちを励ますが、ちょうど行進隊形から魚鱗の突撃隊形に移動している時を衝かれたため、陣形を整える前に何人もの部将が討ち取られた。
「そうれっ!」
リディアが『レーエン』を一振りすると、その刃が触れたものは当然として、刃風だけでも当たればスケルトンを落馬させるくらいの威力があった。
「はっ!」
ミュラーの方も、その繰り出される突きは目に留まらぬほど速く、ミュラーが駆け抜けた後にはその両側に累々と死体が折り重なった。
「リディア・カルディナーレ、尋常に勝負だ!」
ギーを目指して突進してくるリディアに、敵の副将が名乗りかける。リディアは振り乱した茶色の髪の下から、禍々しいほどの光を放つ双眸をのぞかせながら、額に生えた白い角を振り立てて、
「アタシの『レーエン』、そんな細っちい腕で止められるかい?」
そう言うと、副将にモアウごとぶつかって行った。
「おう!」
真っ向から振り下ろされた『レーエン』を受けようと、副将は薙刀を振り上げたが、リディア自慢の大青龍偃月刀は薙刀ごと副将を頭から腹まで真っ二つにした。
「弱いねぇ……誰かアタシを止めてみな!」
口ほどにもなく瞬殺された敵の副将が、音を立てて落馬するのを見ながら、リディアはそう言ってまた突進を開始する。その身体は透き通った赤い『魔力の揺らぎ』で包まれ、それは『レーエン』まで包み込んでいた。
今や、ギーのスケルトン隊は両翼を完全に潰されていた。ここまででギーは9人の副将うち5人を討ち取られていて、その部隊はリディアとミュラーが連れて来た200騎の騎兵に散々に蹂躙されていた。
「ジーク・オーガを舐めるなよ!」
ミュラーは驀進すると、ちょうど向こうから来るリディアに出会った。二人はそれぞれ100騎を連れただけで、1万の敵の中を突っ切ったのだ。
「アタシは敵の大将首を狙う。ミュラー、アンタはこのまま敵の後衛へと突っ切ってかき回してやんな! もうすぐ爺やが前から押してくるよ!」
そう言うとリディアは、ミュラーが止めるのも聞かず、数騎の供回りを従えただけで、大胆にも敵の本営へと突撃して行った。
「ちっ! じゃじゃ馬なお嬢だぜ。仕方ない、お嬢への圧力を軽くするため、俺たちは敵さんのお尻をかじりに行くぜ!」
ミュラーはそう言うと、槍を振りかざして突進を開始した。200騎がそれに続く。ミュラーが、立ち塞がろうとした後衛の部将をただ一突きで仕留めると、途端に敵の後衛は崩れだした。
「逃がすな! 叩きのめせ!」
ミュラーの仮借ない命令に従い、ジーク・オーガの騎兵たちは逃げ惑う敵騎兵を完膚なきまでに叩きのめした。
そこに、
「それっ、前から一押しじゃ!」
と、ゴードンが1800騎を率いて寄せてくる。それでなくても両翼から中央にかけて食い破られていた敵の陣は、新たな圧力を受けて中央へとしぼみ始めた。
「前からも敵です!」
スケルトン隊は大混乱に陥っていた。本来自分たちが仕掛けるはずの奇襲を受け、慌てたところに次々と部将は討ち死に。そんな場面を目の前で見せつけられたスケルトンたちは、すっかり戦意を喪失していた。そこに前からとどめの突撃である。
「くそっ! 何とか立て直せ!」
ギーが焦って叫ぶ。けれど、両翼を押し包むように広がってくるゴードンの部隊を見ていたら、前衛も気が気ではない。
「押し包まれたら潰されてしまうぞ!」
誰かがそう叫ぶと、それが合図のようにスケルトン隊の統率が乱れた。みな我先に逃げようと馬首を向け変える。しかし、向け変えたところでそこにはリディアやミュラーがいた。
「アンタが大将だね? アタシはリディア・カルディナーレ、相手にとって不足はないはずだよ?」
リディアの供回りの攻撃を受けて、本陣を守っていた馬廻りがパッと逃げ散った。リディアはその激闘の中をすり抜けてきて、偉大な青龍偃月刀を抱えたまま笑いかける。しかし、その目は全然笑っていなかった。ギーはリディアの百錬の鏡に似た眼光に恐れを感じながらも、
「よく来た、小娘。王国軍指揮官であるギー・フェイが勝負だ」
そう、薙刀を取り上げた。
「行くよっ!」
リディアは『レーエン』を振りかぶって突進してきた。
「やあっ!」
「おうっ!」
ガーン!
ギーは何とかリディアの斬撃を弾いたが、それだけで両腕が痺れるのを感じた。
……お、重い。何て重い斬撃だ。
ギーはそう思って舌を巻いた。『レーエン』の重さは、82キッカル(約2・8トン)もある。そんじょそこらの武器では防ぐことはおろか、受け流すことすら不可能であろう。また、ギーはカリグラ兄弟のように『時操魔法』のような特筆する魔法を持たなかった。それでも、リディア相手に善く戦ったといえる。
ガキーン!
10合目を弾かれたリディアは、ニヤリと笑って言う。元が可愛い貌だけに、その笑みは悪魔的とすら言えた。
「へえ、アンタやるじゃん。10合も『レーエン』を受けたのは、アンタが初めてだ」
「そ、そうかい」
ギーは肩で息をして言う。あれだけの斬撃を受けるのは力技である。さすがのスケルトンと言えども、体力的に限界にあった。
「でも、これで最後だよ!」
ガギン!
嫌な音がして『レーエン』がギーの薙刀に食い込む。そのままリディアは押してきた。ギーは薙刀を頭上に擬したまま動けない。動けばそのまま一刀両断だし、そもそも薙刀に食い込まれていたため、どうしようもなかったのだ。
「くぐっ!」
薙刀が『レーエン』にジリジリと押されてくる。このままでは頭に薙刀を押し付けられ、そのままへし折られるだろう。ギーは腕に力を込めた。逆にジリジリと偉大な青龍偃月刀の刃が遠ざかっていく。
「やっ!」
リディアがモアウの鐙に立ち上がり、身体ごとのしかかるようにして力を込める。しかし負けていられない。ギーはさらに腕に力を込めた。そのとき、
ボギッ!
と嫌な音がして続けて
ズシャッ!
と湿った音が響いた。ギーの二の腕は折れていた。リディアの圧力に耐えられなかったのだ。そして『レーエン』はそのままギーの頭をぶち割っていた。
ギーの討ち死にを見たスケルトンたちは、抗戦する気はすっかり失せ、逃げるために戦いだすが、ゴードン隊やミュラー隊は仮借なくそれを追い討ちしていく。
リディアがいる場所は、完全に戦闘圏から外れていた。リディアは追い討ちをかける味方を遠く眺めると、斃れたギーに向かってつぶやいた。
「アンタ、カルシウムが足りなかったね」
★ ★ ★ ★ ★
こちらは砂漠のど真ん中を突っ切る予定の本隊である。本隊は前からザール隊、ホルン隊、そしてシャロンの『神聖生誕教団・女神の騎士団』の順で進んだ。
この部隊にはザールの異母妹であるオリザ・サティヴァがいるが、彼女はホルンやザールの戦闘の邪魔にならないようにするためと、オリザは『オール・ヒール』と言う魔法が使えたため、彼女自身を守るためにシャロンの部隊に所属していた。
シャロンの祖父は『神聖生誕教団』の僧侶だったが、人々からいいように使われ、教団からも破門されたことを根に持ち、邪教へと身を落とした。それ以来呪詛を専門に行い、ザールの母であるアンジェリカ夫人にも呪詛をかけたこともある。最後はジュチに正体を探られ、ロザリアによって始末された。
シャロン自身も世を拗ねて、悪魔と契約を結んでサキュバスとなり悪さをしていたが、
『“素のキミ”は、とても素敵な女性だったんだね』
シャロンを改心させるために訪れたジュチからそう言われ、
『悪魔との契約の中で、悪魔が仕掛けた呪いの術式を解けば、そなたは元の姿に戻れるだろう』
ジュチを人質に取ったシャロンを、最終的には討伐もせず、かえって悪魔の契約から解き放ったザールからそう言われ、シャロンは完全に改心した。
その後シャロンは、昔の誼をたどり、『神聖生誕教団』の大司教となっていたソルを訪ね、悪魔の術式を解くとともに教団に復帰し、今、精鋭である『女神の騎士団』を率いてここにいるわけである。
「ちぇっ、せ~っかくお兄さまと同じ幕舎で泊まれると思ったのに。詰まんないな」
オリザが金色の髪を風になびかせながらぶつぶつ言っている。シャロンはその声を聞かないふりをしたが、副団長のジョゼフィーヌ・ブランがたしなめる。
「オリザ様、お姫様がそんなはしたないことをおっしゃってはいけませんよ」
するとオリザはプンと膨れてジョゼフィーヌに噛みつく。
「何よ、ジョゼったら侍女みたいなこと言うのね? だったら、お兄さまと一つ屋根の下に住んでいたホルン王女だってはしたないんじゃない?」
「とにかく、『七つの枝の聖騎士団』が現れた時、その相手ができるのはザール様かホルン様、あるいはジュチ様などしかおられません。私たちも『七つの枝の聖騎士団』を相手にするために結成された騎士団ですから、それなりに役に立つとは思いますが、それでも姫様をお守りする方が全体的な戦力バランスでは有利になるとのザール様のご判断ですので、それに従っていただかないと困ります」
ジョゼフィーヌがそう言うと、オリザは悔しそうに黙り込む。『ザールの意向』というのがオリザにとって最も効くのだ。
シャロンは黙りこくってしまったオリザの顔を見て、くすりと笑った。顔を真っ赤にして、頬を膨らませている。子ども子どもした振る舞いだが、オリザはまだ17歳なのだ。27歳のシャロンや25歳のジョゼフィーヌから見たら、まだ可愛いものだった。
「その代わり、小休止の時などはできる限りザール様のお側にいられるようにして差し上げますね」
シャロンが言うと、オリザは途端にご機嫌になる。
「話せるわねシャロン。さすが団長だわ……でも、この窮屈さはどうにかならない?」
オリザの左右には、特に気が利いて腕の立つ騎士を配している。オリザの隣から絶対に離れるなと厳命してあり、シャロン又はザールの許しがなければ、その任務が中断されることはあり得ない。
「そこは我慢してください姫様。何しろザール様が姫様のことをたいそう心配されまして、私に、姫様を特別に厳重に守ってほしいとのご依頼があったものですから。ザール様からこんなに心配されて、姫様は幸せ者ですね?」
シャロンがにこやかに言うと、オリザはパッと顔を明るくした。
「お兄さまが、アタシを、特別扱いしろって?……嬉しい」
そのリアクションを見て、左右の騎士、フランソワーズとジャンヌは笑いを押し殺していた。
そこに、先を行くホルン隊から伝令が来た。
『進路上にサンドサーペントの大群出現。騎士団はすぐさま北に退避せよ』
本隊ではホルンが、先を行くザール隊をぼーっと眺めていた。
『君は、なぜ、運命を受け入れた?』
最後の作戦会議が終わり、諸将にあいさつを求められて戸惑っていたホルンの耳に、ザールの声が聞こえた。その声を聞いて不思議に落ち着き、そして自分の気持ちを偽りなく言うことができた。
「私の運命、か」
ホルンがぽつりとつぶやく。考えてみれば、運命を受け入れるという姿勢は、デューン様との旅で身についたものかもしれない。今、自分は自分の運命を切り開くために進んでいるのだと思ってみても、ホルンは何か大きな力によって引っ張られて行く気がしてならなかったのだ。
『ホルン、どうしたのさ?』
突然、近くでコドランの声がしてびっくりしたホルンは、想念の海から浮かび上がってくる。
「えっ! あ、コドラン」
『どうしたのさ、上からぼくが何を言っても上の空で。ザールさんと離れているのがそんなに寂しいの?』
コドランがニヤニヤして訊く。いつもならこんな時、ホルンは
「ばっ、バカね。そんなことあるわけないじゃない」
とか、典型的なツン反応を示すのだが、今日は違った。
「そうね、そうかも知れないわ」
そう、ポツリと言ったホルンに、コドランはびっくりする。
『へっ? ホルン、何か悪いものでも食べた? それともまだ寝てるの? 気分悪くない?』
そう言って、ホルンの額に手を当ててくる。ホルンはクスリと笑って言った。
「もう、コドラン。そうじゃないのよ。考えてみたら、私の運命を大きく変えてくれたのはザールだなって思って。ザールが側にいれば、私は『運命を受け入れる』のではなく『運命を切り開く』生き方ができるんじゃないかしらって思ったのよ」
『それなら、ザールさんと早く結婚しちゃったら?』
コドランがまじめに言うと、ホルンは少し首をかしげていたが、
「う~ん、そうじゃないの。結婚とかそういうことを抜きにして、彼がいれば私はもっと変われて、何でもできる気がして……。それは結婚とか、そういうんじゃないのよね、たぶん。何て言ったらいいか分からないけれど」
ホルンの言葉を聞きながら、同じく首をかしげていたコドランが、思案顔のホルンにニコリと笑って言った。
『うん、それが同族として、ドラゴニュート氏族として惹かれ合っていることだと思うよ? 相手をどうしたいとか、相手から何をされたいとかじゃなくて、ただそこにいてくれればいいって感じでしょ?』
「……そうね、コドランの言い方が一番しっくりくるかな? 私は王女で、ドラゴニュート氏族で、そして、ホルン。流されてばかりだった私が、ザールのお陰でやっと踏み出せたんだから、このまま最後まで走り抜けてやるわ」
ホルンが笑って言ったとき、先を行くザール隊からの伝令がやってきた。
「王女様、サンドサーペントの大群です。すぐに進路を北に変えてください」
「ザールはどうしているの?」
ホルンが訊くと、伝令は慌ただしく答えた。
「サンドサーペントと交戦中です。『考えるところがあるから、王女様は必ず退避していただくように』とのご伝言です」
ホルンはそれを聞いて、かえって突撃を命令しようとしたが、
「姫様、ザール殿のお言葉です。退避いたしましょう」
副将としてドラゴニュート氏族の里から送られてきたピールが言うと、もう一人の副将であるガリルも
「そうです。ザール様は、援軍が必要な場合はそうおっしゃいます。ザール様のお考えを信じましょう」
と言う。ピールはドラゴニュート氏族の里長アムールの弟、ガリルはアムールの一番下の息子であり、ザールのことも良く知っている。ホルンはやむなく、部隊の進路変更を下令しようとした。
そのとき、突然、進路前方でまばゆい光がひらめくとともに、ドドーンという音がして、砂煙がもうもうと巻き上がった。
「何事!?」
ホルンは血相を変えて、自らの部隊に命令する。
「本隊、前方のサンドサーペントを攻撃する。ザール将軍を助けよ!」
ホルンは、伝令と共に前へと進み始める。砂煙はまだもうもうと渦を巻き、高さは500メートルには達している。
「かなりの爆発だった……ザール、無事でいて」
ザールは、本隊の先陣を切って進んでいた。左右には副将バトゥとトゥルイがいる。
「だだっ広いですねぇ、ザール様」
年下のトゥルイが言う。目指す中継地点のベーレの町は、はるか200マイル(この世界で約370キロ)先である。
「見通しはいいが、相手は魔軍団だ。どんな手を使って奇襲してくるか分からないぞ」
バトゥはそう言いつつ、鋭い眼光で地平線を見回している。
「分かってますよ。それにどんなモンスターがいるか分からないですからね」
トゥルイもそう言いながら、あちこちに視線を向けている。
「この辺では、ワームや『砂漠の亡霊』が良く出ると言われている。ヒュドラは姫様が退治されたが、あの1匹だけとは限らないだろうな」
ザールはのんびりとした声で言う。その声に、バトゥもトゥルイも余計な緊張がほぐれる感じがした。二人の身体から余計な力が抜ける気配を感じたザールは、二人に笑いながら言う。
「バトゥ、トゥルイ、それでいい。今から不必要に緊張してしまっては、大事な時に身体が動かないぞ。パニクったら『魔力の揺らぎ』も発現しない」
それを聞いてバトゥもトゥルイもうなずいた。二人とも実戦経験は若干あるものの、それは相手が人間の時だけであり、モンスター狩りの経験はあまりない。その意味ではサマルカンドにいる用心棒たちの方が、まだモンスターとの戦闘経験が多いだろう。
けれど、二人とも『白髪の英傑』を尊敬しており、今回の出撃はザールと直談判して部隊に加えてもらったという経緯がある。ザールの方もこの二人の『魔力の揺らぎ』の強さに期待して部隊に加えていた。
「ザール様、あれは何でしょう?」
トゥルイがそう言って、10時方向を指さす。ザールもさっきからそれを注視していたので、バトゥにも訊いてみた。
「バトゥ、あれは何だと思う?」
バトゥはすぐに鐙に立ち上がり、小手をかざして見ていたが、正直に答える。
「分かりません。今まで見たことがありません」
ザールが見ていると、それは砂漠の砂に潜ったり、砂から出たりして縦にうねるように進んでいる。進行方向はザールの部隊と直角だった。ここから見るとかなりの範囲で、まるで波が進むように砂漠の表面がうねっている。
「ふむ、サンドワームかサンドサーペントだな」
ザールは、その長さが20ヤードくらいだと見当を付けると、相手の正体をそう推測した。それにしても数が多い。春先であるから、繁殖の時期を迎えているのかもしれない。
「たとえワームにしろ、あれだけの数と戦うのは一仕事だな」
ザールは、今後のことを考えて、単体のモンスターならバトゥたちの経験を積ませるためにはちょうどいいと思っていた。しかし、ざっと数えても5・600いるのであれば、相手に見つからない限りは見過ごすというのも一つの手だ。
しかし、相手はこちらを見つけたらしい。群れの速度が落ちた。そして見ていると、ゆっくりとその集団はこちらに進路を変えているようだ。砂漠の砂がうねうねと動き、日の光をキラキラと反射している。
「……やつら、こっちに気付いたみたいだな。仕方ない、攻撃だ。バトゥ、トゥルイ、相手が何にしろ、まずは頭を狙え。脳を潰せば、たいていのモンスターは死ぬ。それで効かなかったら心臓だ。落ち着いて指揮しろよ」
ザールが言うと、バトゥもトゥルイもうなずいて自分の部隊へと馬を走らせる。ザールは伝令を呼んで言った。
「王女様とシャロン殿に、『サンドサーペントの大群が出現、部隊の進路を北に変更願いたし』と伝えてくれ」
伝令は、本隊と後衛へと馬を走らせる。それを見送って、『糸杉の剣』を抜いたザールは命令を下した。
「我が隊は、前方から寄せてくるサンドサーペントの大群を撃ち払う。相手は毒を持っているから、十分に注意せよ。バトゥ隊が左翼、トゥルイ隊が右翼だ。かかれっ!」
ザールの命令一下、2千騎が馬を連ねて突撃を開始した。相手まで約2ケーブル(この世界では約370メートル)となった時、ザールは頭の上で『糸杉の剣』を大きく振る。その合図に合わせて、バトゥ隊とトゥルイ隊が左右に翼を開いた。
「ガアアアア!」
もう相手まで1ケーブル。ここまで来ると、相手の獰猛な顔もよく見えてくる。ザールはチラリと後ろを振り向いてみた。全員が青い顔をしながらも、必死でザールについてくる。
「叫べっ!」
ザールが大声で言うと、全員が大声で叫びだした。
「うわあああ!」
ザールが見ていると、先ほどまで青い顔をしていた者も、叫ぶことによって恐怖が薄れたのか、通常の顔色に戻っている。ザールはうなずくと、自分を飲み込もうと頭を上げて突っ込んできたサンドサーペントをかわし、頭に一撃を加えると、動きを止めたその首を一閃で斬り落とした。
「うわあああ!」
ザールの手腕を見て、全軍が奮い立った。部下たちは次々とザールに倣い、サンドサーペントを屠っていく。
しかし、サンドサーペントたちも、数を頼んでザール隊を包囲し、四方から毒液を吹きかけて来た。
「ぐっ、熱い! 顔が熱い!」
「うぐっ……息が……」
「助けてくれ、腕が融ける」
その毒は浸食性で、しかも神経に効くものだった。革鎧に当たるとそれを融かし、身体に当たると肉を腐食させた。たちまちザール隊からも損害が出始める。
そこに両翼からバトゥ隊とトゥルイ隊が突っ込んできた。ザールはその間隙を見逃さず、命令を下す。
「全軍、バトゥ隊やトゥルイ隊と共に包囲輪から出ろ。そして退避しろ!」
サンドサーペントの包囲輪にいたザール隊の騎兵は、バトゥ隊やトゥルイ隊に合流して包囲輪から抜け出した。それを見て、まだ包囲輪の中に残っていたザールは、ゆっくりと『糸杉の剣』を顔の前に立て、『竜の血』に念じ始める。
「ガアアア!」
ザールに向かってサンドサーペントたちが毒を放つが、それはすべてザールを包んだ『魔力の揺らぎ』のシールドに阻まれる。
「わがドラゴニュート氏族の血よ、今目覚めて砂漠の悪鬼たちを撃ち払う力を、我に与えよ!」
するとザールは白く暖かい光に包まれ、その中で四翼の白竜へと姿を変えた。四翼の白竜は『糸杉の剣』を捧げ持ち、その剣に十分に『魔力の揺らぎ』の力が集まった時、
「燃えろっ!」
四翼の白竜は、そう叫んで『糸杉の剣』を円を描くように横に薙ぎ払った。すると『糸杉の剣』からほとばしり出た乳白色の『魔力の揺らぎ』は、その斬撃波と共に四翼の白竜の周りにいたすべてのサンドサーペントを両断し、そして一斉に爆裂させた。
ズドドン!
物凄い音とともに、火柱と爆炎が高く上がり、一時周囲は何も見えなくなった。
「ザール様!」
「ザール様、ご無事ですか?」
バトゥとトゥルイは、もうもうと舞う砂塵の中、ザールの姿を探してそう呼びかけていた。他の兵士たちもバトゥたちと一緒になって、ザールの姿を探し回っていた。
「ザールは無事?」
そこに、ホルンがピールを伴って馬を乗り付けてくる。バトゥはホルンに
「あっ、王女様。ザール将軍はサンドサーペントの重囲の中に踏みとどまっておられました。あの爆発と火柱が上がったのはそのすぐ後ですので、私たちも心配してお姿を探しているのです。けれど、こう砂塵がひどくては」
そう告げる。ホルンは青くなって、砂塵の中に叫んだ。
「ザール、ザール! 返事して! お願いザール!」
「姫様、ザール殿はそんなに簡単に参るお方ではありません。敵中に踏みとどまったのも、何か策があってのことでしょう。ご心配でしょうが心を落ち着けて、この砂塵が晴れるまでお待ちください」
ピールが静かに言うと、ホルンは目を閉じて心を落ち着かせているようだった。
やがて眼を上げたホルンは、先ほどまでの焦燥とは打って変わって、静かな笑みさえ湛えて言う。
「確かに、ザールの『魔力の揺らぎ』を感じます。このまま砂塵が収まるのを待ちましょう」
やがて、1刻(15分)もすると、砂塵はかなり薄くなった。砂の帳が薄くなるにつれて、累々と積み重なったサンドサーペントの骨が見えてくる。そして、その骨を縫うようにして、ザールが姿を現した。
「ザール、心配したのよ。どこもケガはない?」
ホルンが心配顔でそう訊くと、ザールは苦笑して答える。
「こいつらが毒を噴き出したので、長期戦は不利だと思って早めに決着を付けさせてもらったんです。ご心配かけました」
そして、優しい光をその緋色の瞳に湛えて言う。
「でも、これくらいで心配するようじゃダメだよ、ホルン。君は王女様で、必要とあらば僕すらも死地に投じる命令を下さねばならないんだ。僕を信じてくれないと、これから先は寿命がどれだけあっても足りなくなるよ?」
するとホルンは、涙を湛えた目でじっとザールをにらみつけ、何か言いたそうにしていたが、くるりと後ろを向くと急いで涙を拭いて、そのままザールに言った。
「そんなこと、分かってる。けれど、そんな日が来ないことも祈っているわ」
そして振り返ると、あの飛び切りの笑顔でザールに言った。
「とにかく、緒戦は大勝利ね。ご苦労様、ザール将軍」
★ ★ ★ ★
こちらはリディア戦闘団である。初戦でスケルトンの部隊1万を撃破したリディたちだったが、最初の目的地ジェルベントの町まであと50キロと言うところで、次の難敵にぶつかっていた。
リディアたちは、ダルガナダの町を出発して2日目も、砂漠で野営した。
もちろん、敵からの不意打ちを防ぐため、宿営地はヘパイストスの指揮のもと、ドワーフの部隊が柵や塹壕などの簡易的でも効果的な設備を設置していたし、宿営地の周りには魔族の魔戦士が独特の防御魔法陣を敷いていた。
しかし、2日目の深更、リディアは何者かの部隊が自分たちを宿営地ごと包囲したのを知った。周りは深い闇だが、リディアの鋭い感覚は闇にうごめく敵の動きをしっかりと伝えてくれる……ついでにその正体も。
「ティラノ・オーガ?」
リディアは、緊急呼集した各部隊の長に、相手が何者であるかを告げた。ロザリアは、その種族名に聞き覚えがあった。
「うん、オーガの中でも凶悪な種族でね、アタシたちジーク・オーガとの仲は最悪さ。そいつらが、まあ、朝になってみないと分からないけれど、1万はいるね」
「戦闘力の方ではどうじゃ? 私は陸上ではジーク・オーガが最強だと思っておったがのう」
ロザリアが訊くと、リディアは首をかしげていたが、やがて真剣な顔で言う。
「アタシたちみたいに部隊として動くのは苦手なはずだし、策を弄する奴らじゃない。その分、攻撃力はこちらより2割増ってところかな? 防御力は同等、瞬発力ではこちらが優位だけれど、持久力ではあちらさんがやや優位かな」
「ふむ、策を弄する時間的余裕がない時間を選んで包囲するとは、敵さんもなかなかやりよるな」
ヘパイストスが言うと、リディアは頭の後ろで腕を組んで
「そーなんだよねー。時間があれば、こちらにはロザリアもいるし、何とかなるんだろうけれど。このままじゃ単なるぶっ叩き合いになっちゃうよ」
そう言う。
「さすがのジーク・オーガも、1対5の叩き合いは難しいかの?」
ロザリアが訊くと、リディアはうなずく。
「うん、奴らはレプティリアンとも血が混ざっていてね。その背中や腕は皮膚がとても硬いんだ。打撃戦に特化した進化をしているみたいだ」
「ふむ……とにかくしばらく様子を見るか」
ロザリアは何か考え付いた様子だったが、とりあえずそう言う。リディアとしても相手の数が大まかにでも分からないと、今後の戦い方の目星が付けられない。
「よし、とにかく朝になったら、敵陣に話しかけてみよう」
リディアはそう言って笑った。
次の日は、若葉萌える月の10日である。リディアは起きて朝イチで敵陣を見回してみた。ざっと数えて1万内外だった。
……1万か……そんなに動員できるんだったら、こいつらはシャハバードの高地地方にいる奴らだね。
リディアがそう考えていると、敵陣が騒がしくなった。そして、敵陣からオーガにしてもガタイが大きい漢が出てきて、何やら叫び始めた。
「我はティラノ・オーガの族長、“ギガント”シビルだ。この陣の大将と話がしたい」
その声に、何事かとロザリアやヘパイストスがリディアのもとにやってくる。
「こんな朝っぱらから何事じゃ? 睡眠不足は美容の大敵じゃと言うのに、あの無粋なオーガは何を朝っぱらから喚いておるのじゃ?」
ロザリアがあくびをしながら言う。リディアは笑って言った。
「アタシと話がしたいんだってさ」
「話をしないと何も始まらんだろう?」
ヘパイストスが言うと、ロザリアは首を振る。
「相手にしなかったら、勝手に突撃して『毒薔薇の牢獄』の餌食になってくれるかもしれんぞ?」
「それも面白いけれど、あいつら既に引っ掛かってるみたいだよ?」
リディアが指さす方向を見ると、確かに防御陣を取り巻くオーガたちは必要以上に近寄ってきていない。夜のうちに防御を突破しようとして、痛い目に遭ったようだった。
「では、相手が何を望んでいるか、話をしてみてはどうじゃ? 聞いていたら何か相手の弱点が分かるかもしれんし」
ロザリアが言うと、リディアはうなずいた。
「やい、この陣には大将はいないのか? せっかくこちらが話し合いで済まそうとしているのに、ティラノ・オーガを馬鹿にするんじゃないぞ!」
“ギガント”シビルは、自らの二つ名のとおり、オーガの中でも破格と言っていい大きさだった。身長3・5メートルはあるだろう。その厚い胸板をそらせながらこちらに呼び掛けるさまは、傲岸ですらあった。
「やあ、待たせて悪いね。アタシがジーク・オーガの部隊長、リディア・カルディナーレさ。早速話し合いをしようじゃないか」
リディアがこちら側からそう呼びかける。シビルはリディアを見て笑って言った。
「いやはや、お嬢ちゃんが大将だって? ジーク・オーガも落ちたもんだな。俺様が早くから呼びかけているってのに、えらく待たせやがったな?」
「悪い。女の子は朝は何かと身だしなみを整えるのに忙しくてね? で、話って?」
悪びれもせずリディアがそう言うと、シビルは一瞬、顔を真っ赤にしたが、すぐに思い直して言う。
「どうだい、リディアさん。何も言わずにこちらに降伏するか、ここから引き返してくれないかな? その方があんたたちにとってもいいと思うんだがな」
「う~ん、それはアタシひとりじゃ決められないんだよね。なんたってアタシはザールから頼まれてこの部隊を指揮しているからね。ザールがうんと言わない限り、アタシが勝手に矛を収めるわけにはいかないんだ」
リディアが即答する。
「だがな、考えても見ろ。俺たちティラノ・オーガはあんたらジーク・オーガを上回る強さだ。あんたたちはたかだか2千、俺たちは1万近くいる。勝負にならないだろう? 悪いことは言わないから、ここから引き返しな」
シビルがもう一度、リディアにこの戦いからのリタイアを勧める。リディアは頭の後ろをかきながら聞いていたが、ニコリと笑って言った。
「シビルさん、色々心配してくれるのはありがたいけれど、アタシはお父様に教わったんだ。『戦死するときは敵に頭を向けるならうつぶせに、足を向けるなら仰向けに倒れるのがジーク・オーガの流儀だ』ってね? アタシ、お父様に怒られたくないんだ」
それを聞いていたシビルは、ついに怒りを爆発させて吠えた。
「分かった、それほど砂漠に屍を晒したいなら、勝手にするがいいさ! 後でほえ面かくなよ!」
そう言うと、足取りも荒々しく陣へと戻っていった。
リディアは、ニコニコしたままつぶやいた。
「オーガの中でも感情の起伏が激しいようだね」
そこに、ロザリアが現れて、凄みのある笑顔で敵陣を眺めながら言った。
「リディア、この戦、私たちの勝ちじゃ」
「みんな陣を整えろ、これからあのジーク・オーガの奴らを皆殺しにするぞ!」
シビルは、陣の真ん中で吠える。するとたくましいオーガたちが次々と軍装で集まって来た。
「問題はあの生垣だ。あいつに触れば瘴気を噴き出すし、棘に触れれば俺たちですら肉が崩れるほどの壊疽を起こす。と言って斬り払ってもすぐ伸びてくる。誰か、あの毒薔薇を始末するいい方法があったら言ってみろ!」
シビルがそう言うが、誰も顔を見合わせるだけだ。毒薔薇の厄介さは昨夜たっぷりと堪能している。斬ってもすぐ伸びてきて、焼き払おうとしても瘴気の煙を噴き出し、すぐさま回復する。おかげで1万連れていた兵も、2千は負傷して後送し、2千はその護衛で陣を離れていたので、実際のところ6千動ければいい方だった。
「ジーク・オーガの部隊だけ生垣の外に出れば、他の部隊は目こぼしするって約束で、外におびき出すのはどうですか? 奴らだっていつまでもこんな所にいるわきゃいけないでしょうから」
一人が手を上げてそう言う。シビルはそれにうなずいた。
「そうだな。ジーク・オーガの部隊さえ片付ければ、あとは雑魚と一緒だ。逃してやってもいいし、一緒に叩き潰してもいい。その案でいくぜ」
そして提案したオーガを指さし、
「お前が使いして、ジーク・オーガの部隊を引きずり出してこい」
そう命令した。
一方、リディアたちだが、ロザリアの“偵察”結果を聞いていた。ロザリアはその魔力でもって透明化し、敵陣を密かに見回ってきていたのだ。
「奴らは1万と号しているが、実際戦えるのは6千内外。この防御を破ろうとしてそれだけの犠牲を払っても破れなんだ。ということは、次に敵が取る手は“おびき出し”じゃ。恐らく私とヘパイストス殿の部隊を見逃すことを条件に、オーガ同士で決着を付けようとでも言ってくるに違いない」
ロザリアが紅茶をすすりながら言う。いかなる事態が起こっていても、彼女は“紅茶の時間”だけは邪魔されることを嫌う。今も幸せそうに紅茶をすするのだった。
「なるほど、ありそうなことだな。あいつらも単純そうだからな」
ヘパイストスが笑って言う。
「ちょっと、ヘパイストス。『も』って何? 『も』って。それはアタシたちも単純ってこと?」
リディアが突っかかると、ヘパイストスは笑って謝る。
「いや、すまん。つい誰かさんの顔が浮かんでな?」
「あーっ! やっぱりヘパイストスってば、アタシのこと単細胞のおっちょこちょいって思っているんだ。酷いなぁ」
リディアがすねると、ヘパイストスは慌てて言う。
「お、おいおい。そこまで言ってないだろ?」
「言ったのとおんなじだよ。失礼しちゃうなぁ」
何とかしてリディアの機嫌を取ろうとしているヘパイストスが可笑しかったのか、ロザリアが笑って言う。
「じゃれ合うのもそこまでにしておかんか? 今はあいつらをどういて込ますかの話をしている最中じゃろう?」
リディアたちがぴたりと止まる。二人とも顔を赤くしている。シレっと紅茶を飲むロザリアに、リディアがおずおずと頼む。
「あ、あのさ、ロザリア?」
「何じゃ? ちゃんと話をするというのなら、リディアがイチャコラしていたことはザール様には黙っておいてやってもいいぞ?」
ロザリアは前を取って言った。リディアは一瞬ほっとした顔をしたが、慌てて言う。
「い、いやだなロザリアったら、アタシは何もイチャコラなんて……」
それを皆まで言わせず、ロザリアが言う。
「戦えばよいのじゃ」
「へ?」「おい、今何と?」
リディアとヘパイストスが同時に言う。ヘパイストスは真剣な顔で心配そうにロザリアに抗議した。
「おい、ロザリアさん。相手はコイツと同等の強さを持つ奴ら、数が減ったといってもまだ3倍もいる。それをコイツらだけで戦わせて大丈夫なのか?」
「誰がリディアたちだけを戦わせると言うたか?」
ロザリアがティーカップをしまい込みながら言う。
「へ? それはどういう?」
キョトンとするリディアに、黒曜石のような瞳を持つ目を怪しく輝かせながら、ロザリアはいとも簡単に言った。
「私たち魔戦士も出撃する」
「えっ?」
「聞こえなかったか? 私たち魔戦士も出撃すると言うたのじゃ」
ロザリアが言うと、ヘパイストスは慌てて言った。
「じゃ、俺たちも」
それをロザリアが遮る。
「それはいかん。奴らはリディア隊だけと戦うつもりじゃ。みんな出払ったら、あいつらも警戒する。ヘパイストス殿たちは私たちも含めてまだ4千はこの中にいると思わせて欲しいのじゃ」
「意味が分からん、お嬢ちゃんたちも出撃したら、あいつらだって警戒するだろう」
ヘパイストスはそう言うが、ロザリアは薄い唇を歪めて笑い、
「私たちも出撃するが、あいつらには私たちの姿は見えぬ……」
そう言って笑った。
「行ってきました。あいつらは条件を飲みました」
シビルは、使いに言った男からの返事を聞いてうなずく。
「よし、それでいい。時間はいつだ?」
「今から半時(1時間)後を指定してきました」
使いの返事を聞くと、シビルは笑って命令を下した。
「よし、包囲を解いて、あの生垣から3ケーブル(約560メートル)退いて陣を敷き直すぞ」
ティラノ・オーガの軍が動き始めた。6千の軍はゆっくりと魔法陣の包囲を解き、陣の西側に集まった。そして、リディアたちが見ていると、1千ずつ6隊で鶴翼の陣を敷き始める。真ん中にシビルの本隊、左右に1千ずつの2隊を並べ、さらにその外側にも1隊ずつ配置している。どうやら1千は予備隊として本隊の後ろにいるらしい。数を頼んで押し包もうという意図が見え見えだった。
「行くよっ!」
対するリディア隊は先鋒がリディア、次にミュラー、そしてゴードンが縦に分厚い陣を敷いた。
リディアは恐れる色もなく、偉大な青龍偃月刀を小脇に抱え、ゆっくりとモアウを進める。一つ変わっていることは、ジーク・オーガの部隊は全員が紫の薔薇の花冠を頭に戴いていたことだ。
「よく来たな、お嬢ちゃん。その心意気に免じて、他の種族の命は保障するぞ」
シビルが大鉞を担いで言う。この鉞はシビルがその類稀なる重さを自慢している大戦斧である。
「最後に勧めるが、退却しないか? 俺はお嬢ちゃんたちをこの40キッカル(約1・36トン)の大戦斧の錆にしたくないんだよ」
するとリディアはニコリと笑って答えた。
「アタシだって、皆さんをこの82キッカル(約2・79トン)の『レーエン』の錆にしたくないなぁ。そちらこそ退却したらどう?」
と、大青龍偃月刀を構えて言った。
シビルは、プライドを傷つけられたのだろう、真っ赤になって叫んだ。
「野郎ども、このアマをとっ摑まえて、服をひん剥いて晒しもんにしてやんな! かかれっ!」
シビルの号令一下、リディア隊を包囲するように展開していたシビル隊が、周りから一斉に突っ込んできた。
『今じゃ、者ども、“死の香り”の陣を張れ!』
ロザリアの声が響いた。とたんにリディアたちは全身が紫色の厚い瘴気のヴェールに包まれる。
「何だ?」
リディアたちが『紫の軍団』に豹変するのを間近に見たシビルだが、行き足のついた部隊を急には止められない。
「よし、突撃ッ!」
リディアが『レーエン』を振り上げて号令をかけると、2千騎が一斉に突撃に移った。
「お前たちは俺が相手だ!」
ミュラーは500騎を率いて敵の右翼2隊にかかった。その槍は相変わらず疾く、彼はあっという間に副将を一人討ち取り、その部隊を散々にかき回すと、二人目の副将に名乗りかける。狡猾なことに、彼を覆った紫色のヴェールは、槍を合わせている間に敵の方に流れていき、敵を窒息させてしまうのだ。
もちろん、ミュラーを狙って四方から一斉に槍を繰り出した敵の一隊がいたが、その槍は瘴気によってあっという間にボロボロにされてしまう。
「こいつはいい、敵さんは丸腰も同然だ!」
ミュラーは快哉を叫びつつ、敵を追い詰めてはその槍で葬り去っていった。
同じ事は、1千を率いて敵の左翼にかかったゴードンを相手にした敵の2千にも起こった。いかに突いても、斬っても、ゴードンは瘴気に守られて傷一つつかない。反対に相手はゴードンの薙刀だけでなく、彼を取り巻く瘴気とも戦わねばならないのだ。
「なんでだ! 敵はどんな術を使っているんだ」
「こいつら悪魔か?」
ティラノ・オーガたちは、いつもバカにしていたジーク・オーガの戦士たちに追いまくられ、歯噛みしながらも歯が立たずに討ち取られて行くのだった。
「さあ、アタシを止めてみな!」
500騎を率いたリディアは、わざとシビルを無視し、まず敵の予備隊を壊滅させた。そしてモアウの進路を変えると、改めてシビルの本隊に突っ込んで行く。
「くそっ、負けるかっ!」
けなげにも突きかかってくる敵がいるが、その敵の穂先がリディアに届くずっと前に、リディアの大青龍偃月刀は相手を真っ二つにしていた。それほどリディアの斬撃は速かった。
「お屋形を討たすな。あいつを取り囲め!」
シビルの供回りがそう叫んでリディアを囲んでくる。リディアはわざと囲まれて、包囲輪が閉じたと思ったとき、
「食らえっ!」
『レーエン』を思いっきり円形に払った。その82キッカルという大青龍偃月刀は、触れたものはもちろん両断するが、リディアの『魔力の揺らぎ』を乗せた斬撃波が触れただけで敵は良くて落馬、悪くすれば深手を受けた。リディアを包囲していた敵騎兵は、一騎残らず姿を消す。
いまや、シビル隊は四分五裂だった。左翼2千はゴードンに押されて潰走状態、右翼2千はミュラーに蹂躙されてほぼ壊滅。予備隊1千はリディアにかき混ぜられて、今はミュラーの火を噴くような攻撃を受けていた。
もちろん本隊も、リディアと500騎に踏みにじられ、今や分散して逃げ惑っている。リディア隊はそれを仮借なく叩き潰していた。
「こんな……こんなことが……」
シビルは目を覆いたい気分だった。つい四半時(30分)前までは、自ら無敵を誇っていたティラノ・オーガの軍団が、その見る影すらなく追い散らされている。シビルは、大戦斧を構え直して叫んだ。
「リディア、リディア・カルディナーレ。俺様と勝負だ!」
その叫びに応えて、リディアが近づいてきた。その身体は透き通った赤い『魔力の揺らぎ』に包まれ、その周りには毒々しく紫の『死の香り』が尾を引いている。
リディアは、こちらを剣呑な目で睨みつけているシビルの20ヤードまで近寄ると、
「ロザリア、あいつとはガチの勝負がしたい。『死の香り』を解いて」
そうつぶやいた。ロザリアがうなずく気配がしたと思うと、『死の香り』をはらんだ紫の瘴気がふっと消えた。
「リディア、仲間の仇だ!」
シビルが40キッカルの大戦斧を振り上げ、突進してくる。リディアはそれを涼しい目で見ていたが、力任せに振り下ろされる大戦斧を、
ガキーン!
大青龍偃月刀でしっかりと受け止めた。
「やっ!」
シビルは、少し大戦斧を引くと、目にも止まらぬ速さでリディアの右胴を狙って払ってくる。
ガシン!
リディアはそれを受けると、
「えいっ!」
『レーエン』で大戦斧を突き飛ばすように押しのけ、シビルの右肩を両断しようと振り下ろす。
ガキン!
シビルが『レーエン』を受け止め、重い音が響いた直後、
ピキーン!
鋭い音が二人の耳を打つ。シビル自慢の大戦斧に、刃切れが入った音だった。いかに頑丈な戦斧でも、82キッカルという破格の重さの打撃には耐えられなかった。
「くそっ!」
シビルは大戦斧で『レーエン』を上に押しのけた。その弾みをつけてリディアは少し後ろに下がりつつ、『レーエン』を真っ向から振り下ろす。
「おっ!」
『レーエン』を押しのけたついでに攻撃するつもりだったシビルは、リディアに間合いを外されて慌てた。そして、振り下ろされる『レーエン』を反射的に大戦斧で受け止めようとした。
ジャリーン! ズバシュッ!
金属を叩き斬る鋭い音と当時に、鈍く湿った音が響いた。
「だ……大戦斧が……」
シビルは、真ん中から見事に両断された大戦斧を見て、そうつぶやいた。その額にプツプツと赤い玉が噴き出て、一本の赤い糸のような線が現れる。その線はだんだんと太くなり、やがてそこからおびただしい血を噴き出しながら、シビルは落馬した。リディアはシビルを頭から腹まで縦に真っ二つにしていた。
「終わったのう」
ロザリアの声とともに、リディアの花冠が消えてロザリアが現れる。戦場を見渡すと、もはや動くものは味方だけだった。
「皆、ご苦労だった。もうよいぞ」
ロザリアがそう言うと、2千騎のジーク・オーガの傍らに、2千人の魔戦士が姿を現した。とともに、彼らの頭を飾っていた薔薇の花冠は一つ残らず消えていた。
「しかし、大した魔術だな」
部隊を率いて魔法陣から出て来たヘパイストスが、感嘆したように言う。
「まあな、あれなら敵から見えるのはリディア隊だけじゃからの。しかし、私はリディアの武勇にも驚いたぞ。私の『死の香り』はリディアには要らんかったの」
ロザリアもそう言って笑う。リディアは、地面に倒れたシビルをじっと見ていたが、
「戦士はつらいね」
そうポツリと言うと、『レーエン』に血振りをくれ、ロザリアたちを見て言った。
「急ごう。このままじゃ今日中にジェルベントの町に行きつけないよ」
ロザリアたちもうなずいた。
(26 破砕の戦刀 完)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
アクアロイド艦隊、主力軍、そして遊撃軍と緒戦は順調です。
が、一筋縄では行かないのが世の常。
次回、物語があらぬ方向へ?。『27 幻惑の回廊』は来週、日曜日の9時〜10時に投稿予定です。
お楽しみに。




