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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
24/70

23 辺境の胎動

ガイとロザリアは、来るべきホルンの蹶起のために、アクアロイドの町・シェリルとトリスタン侯国に向かった。ガイは首領である姉のリアンノンを説得し、アクアロイドの軍団の進発を確約され、ロザリアも姉婿のトリスタン侯を説得する。その頃、アイニの町では、リョーカを軸に義勇軍が結成され、ティムールも旧知の有志を集めていた。ティムールのもとにガルムが、シャナが、そしてアローが集う。ガイの少年時代も語られる。

【主な登場人物】


 ♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘で王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。25歳。


 ♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。12歳程度。


 ♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。22歳。


 ♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。20歳。


 ♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で『この世で最も高貴な一族』であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けるがチャラい。金髪碧眼の美青年。22歳。


 ♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。20歳。


 ♧ガイ・フォルクス…25年前にスケルトン軍団から国を滅ぼされたアクアロイドの王族。頭脳明晰で冷酷非情だが仇討に協力したホルンに恩義を感じている。28歳。


★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


「いよいよ、我が一族の悲願がかなうときが来るな」


サマルカンドがはるか北に見えなくなったころ、180センチを超える長身の、深い海の色をした瞳を持つ男が、ポツリとつぶやいた。


彼はガイ・フォルクスという。頭からすっぽりと厚手のマントを被っているが、そのマントを脱げば、アクアロイドの特徴が見て取れた。やや長めの海の色をしたうねるような髪、耳の位置にある鰭、そして身体は細かく硬い鱗でおおわれ、手首や背中、足首にも毒を持つ鰭がある。それらの特徴から、彼は普段、革の手袋とズボン、そしてブーツしか身に着けていない。


「ガイ殿、シェリルの町までどのくらいじゃ?」


ガイの隣には、身長160センチくらいの白いワンピースを着て黒いローブを身に着けた美女がいる。


彼女はロザリア・ロンバルディア。魔族の血を持つ彼女は、背中まで伸ばした艶のある黒髪と、黒曜石のような瞳を持つ切れ長の目が印象的だ。


「直線で1,600キロ、道のりだと1,800キロと言ったところだ。私一人なら5日で着けるが、お嬢さん(ロザリア)がいるからな」


ガイの答えに、ロザリアは薄く笑って言う。


「私のことなら心配せんでもよい。ガイ殿の脚に合わせてみよう」


「そうか、それなら走るぞ」


ガイはそう言うと、後も見ずに走り出した。ロザリアは慌てて


「これ、待たんか! 急に走り出すでない」


そう叫ぶと、ガイの後を追って走り出す。ガイはチラリとロザリアを見ると、薄く笑って速度を落とした。


ガイとロザリアは、ホルンの挙兵の下準備として、それぞれの縁者に協力を乞うため旅に出たのである。ロザリアの行き先は姉が嫁いでいるトリスタン侯国で、以前ザールと彼女がレプティリアンに監禁されていたトリスタン候を救ったことがある。


ガイの行き先は、アクアロイド最大の集団を率いている姉・リアンノンが本拠としている海の町・シェリルである。リアンノンは10年前に、ホルンの養親でファールス王国最上位の戦士『王の牙』筆頭であったデューン・ファランドールから、ホルンを託したいという依頼を受け快諾していた経緯がある。


トリスタン候はマウルヤ王国境に根を張るレプティリアンたちに対抗するため、その首都をカンダハールからヘラートに移していた。サマルカンドからヘラートまでは直線距離で約700キロ、そこからシェリルまではさらに1,000キロある。ヘラートまでは同じ道のりなので、ガイとロザリアは行動を共にしていたのであるが……。


「が、ガイ殿……おぬしは手加減というものを知らんのか?」


出発当日、二人はサマルカンドから200キロ以上離れたアムダリヤ川近くのケルキの町まで到達していた。10時間もぶっ続けで走ると、さすがのロザリアも息絶え絶えと言った風情である。


しかし、ガイは涼しい顔で


「私に合わせると言ったではないか? これでも私は手加減した方だぞ。いつもの半分しか進んでいないからな」


そう言って、飲みかけの水筒をロザリアに放ってよこす。


「どうした? 飲まないのか?」


ガイが訊くと、ロザリアは顔を赤くして訊いた。


「ところで、今夜は私とガイ殿は同室か?」


ガイはうなずいて言う。


「その方が金もかからず、何かあっても対処しやすい」


するとロザリアは明らかに警戒の色を示して言う。


「ばっ! ガイ殿、その、私はザール様一筋じゃし、ザール様に誤解されるようなことはしたくないのじゃが」


するとガイは理解の頷きをして


「……そうだったな。では、夜の間は私は女ということでいいかしら?」


と、『女性形態』へと変化する。先ほどまでの冷たい目をした精悍なガイはいなくなる。


険しい目をした精悍な男から、優しい目を持つ清楚な美女へ——そのあまりの変化に、ロザリアはあんぐりと口を開け、やがて頭を振ってつぶやいた。


「アクアロイドの生態と、何を考えているのかは、さすがの私にもさっぱり分からん」


次の日から、ガイはモアウを借りてそれにロザリアを乗せて進んだ。そしてわずか3日でヘラートの町に到着した。


「では、私はシェリルまで行く。そなたがいないからあと3日で着けるだろう」


トリスタン候の屋敷の前でロザリアと別れたガイは、そう言って風のように南へと走り去った。


★ ★ ★ ★ ★


アクアロイドの一族は、大きくいくつかのコロニーを持っている。今は最も大きいコロニーは南の海辺にあるシェリルという町で、人口は約20万である。もちろん、アクアロイドだけの人数だ。


その他には、アムダリヤ川流域に数個の千人単位のコロニーがあり、カブランカー地域には近くの湖を拠点として1万人ほどが暮らすコロニーもある。また、チグリスとエウフラテス川にも千人単位のコロニーが十数個存在する。


けれど、今から30年近く前には、別に王国の北にある『蒼の海』にレズバンシャールという塩湖があり、そこには30万近くのアクアロイドが住む楽園があった。


ガイが生まれたのもそのレズバンシャールであり、ガイの高祖父がアムダリヤ川に住んでいた一族を連れ町を建てたことを起源とする。


レズバンシャールの町は150年ほど栄えたが、今から25年前、時の国王を異母弟が弑逆するという事件が起こり、それに起因する兵乱の中で突然滅んだ。ガイが3歳の時だ。


その日もガイは、姉のリアンノンと共に塩湖に遊びに行く準備をしていた。ここ数日、父王をはじめ町の様子が忙しないことに気付いてはいたが、10歳の姉と3歳の弟は、そんなことにあまり興味を持てなかったのだ。


「お母様、ガイと一緒に塩湖に遊びに行ってまいります」


リアンノンが母に言うと、母はかぶりを振って、厳しい顔で答えた。


「これからしばらく城の外に出てはいけません」


「しばらくって、いつまでですか?」


リアンノンが訊くと、母は寂しそうに笑いながら二人の頭をなでて言う。


「お父様がお帰りになるまでですよ」


「父上は、どちらに行かれるのですか?」


ガイが訊くと、母はただ笑ってうなずくだけだった。


その時、幼い二人はハッと思い出した。数日前に城に早馬が到着し、それから父の顔が厳しくなったこと。2日前には精悍な人間の男が部下を連れて現れ、父と何かを話し合っていたことなどである。


「ガイ、仕方ないからお姉ちゃんの部屋で遊ぼう」


リアンノンは、そう言ってガイを自分の部屋に連れて行った。そんな二人に、母は


「二人とも、部屋で大人しくしていなさい。お母様もすぐに行きますからね」


そう呼びかけた。二人は振り向いて笑った。



その2日前、レズバンシャールの首領であるシールは、遠くトルクスタン地域のマリに駐屯しているファールス王国東方軍の司令官と会合を持っていた。


「では、シャー・ローム陛下の安否はいまだ不明というわけですな」


シールがそう言うと、東方軍司令官は難しい顔でうなずく。


「陛下の異母弟であるザッハーク殿下が反乱を起こしたという噂と、ザッハーク殿下は首都の混乱を鎮めているだけだという噂が錯綜して、本当のことはよく分かりません」


「では、仮にシャー・ローム陛下の安否が不明なままであれば?」


シールの問いに、軍司令官はその石色の眼を細めて答える。


「その場合は、王位の継承順にわがサーム殿下が一時的に摂政を務められることとなりましょうな」


その答えを聞いて、シールもうなずく。


「わがレズバンシャールのアクアロイド一族は、前国王シャー・エラム陛下の御代から王室とは昵懇にしていただいた間柄だ。シャー・ローム陛下とも、サーム殿下とも親交がある。

しかし、ザッハーク殿下とは親交がない。そこに持ってきて、今回の首都の動乱はザッハーク殿下の首謀との話も出ている。今確認を取っているが、確認が取れた場合、余は軍勢を挙げてザッハーク殿下の間違いを糺す所存だ。ティムール殿におかれてもわが軍にご協力いただければ幸いだ」


その言葉に、東方軍司令官であるティムール・アルメはうなずいて答える。


「私がここに来た理由の一つは、仮にザッハーク殿下の乱心が真だとしたら、誰がサーム様のお味方になるかを確かめるためでした。シール殿がそのおつもりならば、私もサーム様を説いてシール殿と共に進みましょう」


シールは笑ってうなずき、ティムールと握手を交わした。


それから二日、シールは部下に緊急の動員をかけつつも、首都からの知らせを心待ちにしていた。しかし、その知らせが届くと同時に、ザッハークからの回し者がこの町に攻め寄せて来た。


その日の朝早く、レズバンシャールの町に一騎の早馬が到着した。その早馬は町の門を通り過ぎると、真っ直ぐに首領の館がある北へと突っ走り、やがてシールの屋敷前で止まる。


「お屋形様、首都からの早打ちです」


注進を聞いたシールは、すぐに使者に面会した。


「首都の混乱は、ザッハーク殿下の反乱によるものです。5日前にザッハーク殿下は麾下の部隊3万で王都を攻めて制圧しています。シャー・ローム陛下の安否は不明です」


「うむ、やはりそうであったか。ならば我が軍は義のために立たねばならない」


シールがそう言って左右の臣下に出陣を下令しようとしたが、使者はさらに驚くべきことを伝えた。


「それはいけません。ここから東南にあるガラーバードの鉱山を仕切っているクロノスとカイロスの兄弟が、ザッハークのために挙兵してここを攻めてくるとの話です。まずはそちらに対処してください」


「何、クロノスとカイロスが?」


シールたちは騒然となった。クロノス、カイロスのカリグラ兄弟は、スケルトンの一族でその戦闘能力も高い。陸上の人型種族としてはオーガ、ティターンに続く強さを誇る。もちろん、アクアロイドは水中の人型種族では断トツの強さを誇るが、陸戦ではスケルトンに一日の長があった。


「よし、まずはカリグラ兄弟を迎え撃とう。奴らを血祭りに挙げて、その後にザッハークとの決戦だ」


シールはそう決断して、全軍の部署を定めた。しかし、アクアロイド軍2万がレズバンシャールの守備を固める前に、東の空にもうもうと砂煙が見え始めた。


「カリグラ軍です!」


シールはその砂煙を見て、守備が間に合わないと踏んだ。あの煙は騎馬隊だ、あの距離なら四半時(30分)もすれば敵の先鋒は町の中に達するだろう。


「お屋形様、守備は間に合いません。私が敵を押さえておきますので、お屋形様は一族を引き連れてアムダリヤ川の旧都へお引きください」


臣下の智将ガウスがそう言って、取るものも取りあえず呼集した5千を率いて町から出撃する。それを追うように、猛将のガリルが5千で出撃した。


「ガウスとガリルが時を稼いでくれているうちに、各守備隊は守備を固めろ」


シールはそう下令すると、屋敷の奥へと向かう。


「あなた」


屋敷の中では、シールの相方であるサフランが軍装を整えて待機していた。シールは笑って言う。


「サフラン、リアンノンとガイにも武装させよ。この町が危ない時は知らせるから、そちが子どもたちを連れて旧都へ逃げてもらいたい」


そう言うと、シールはサフランの返事を待たずに屋敷の庭にある戦闘指揮所へと歩き出した。



戦闘はアクアロイド勢に不利に進んでいた。


智将ガウスは後から出撃してきたガリルと示し合わせて、町から東に3マイル(この世界では約5.6キロ)にある砂地でカリグラ軍を迎撃することにした。正面にガリルが5千で布陣し、南翼は砂地に依託する。こうすれば敵は南翼からの迂回機動ができない。


当然、正面突破か北翼を迂回しようとするだろうが、その北翼にガウスが5千をもって埋伏したのである。カリグラ軍は騎兵とはいえわずかに2千であったため、この布陣と兵力差なら()()()()()()()壊滅していたはずである。ガウスもそう信じた。


しかし、勝負は兵数でも知略でも戦闘力でもなく、『魔力』で決した。先鋒のカイロス・カリグラが率いる千騎は、カイロスの『時の呪縛』を使ってガリル隊5千を釘付けにし、動けない彼らを一人一人屠っていった。猛将ガリルすら一歩も動くこともできずに討ち取られていた。ガウスが異変に気付いた時は、本隊のクロノス・カリグラ率いる千騎も戦線を突破していたのだ。


カイロスの『時の呪縛』は、レズバンシャールの攻略戦でも威力を発揮した。どんなに兵数が多かろうが、どんなに猛将が守っていようが、時を止められたら動くことすらできない。アクアロイドの兵士たちは、焦燥と無念で歯ぎしりしながら、一人一人討ち取られて行った。


シールが最期を悟ったのは、クロノスが町の門に火を放った時である。火は折からの南風にあおられ、高く火の粉をまき散らしながら燃え盛った。


すでにガウスもガリルも討ち取られ、兵力は1万を切っている。相手は2千だが、とにかくカイロスの魔法が痛かった。


シールは屋敷の奥に入り、サフランたちを呼んだ。呼び声に応えてサフランがリアンノンとガイを連れて現れる。


「サフラン、子どもたちを連れて逃げよ。もうこの町はだめだ」


そう言うと、リアンノンやガイには


「リアンノン、ガイ、私たちの本当の敵は今攻め寄せて来たクロノスやカイロスではない。この国を正統の王であるシャー・ローム陛下から奪ったザッハークである。お前たちは生き延びて、父の仇を討て」


そう言い聞かせると、刀を抜いて屋敷から出て行った。


「父上!」


リアンノンとガイが叫ぶが、サフランは屋敷にもカリグラ軍が突入してきた気配を知り、子どもたちに強く言い聞かせた。


「私から離れてはいけません。ついて来なさい」


その時、屋敷の庭から


「レズバンシャールの反逆者、シールの首を取ったぞ!」


という声が聞こえて来た。


「父上!」


リアンノンが腰刀を抜き、そう叫んで駆けだそうとする。


「いけません! リアンノン」


サフランがそう叫んでリアンノンを止めようとする。そこに、


「おお、ここにも敵がいたぞ!」


部屋の引き戸を蹴り飛ばして現れたスケルトンがそう叫んだ。


その時、ガイは初めて『敵』というものを身近に感じた。スケルトンの暗い眼窩やカタカタとなる顎骨を不気味なものとして、そして憎むべきものとして心に焼き付けたと言っていい。


「リアンノン、ガイ、逃げなさい!」


サフランが刀を回してスケルトンに斬りかかるが、スケルトンはその斬撃を軽くいなして、泳ぎ切ったサフランの身体を存分に斬り下げた。


バシュッ!


「ゔっ!」


右の脾腹に深手を受けたサフランだったが、倒れそうな身体を踏みとどまらせて子どもたちを庇うように刀を構える。


「早く逃げなさい!」


サフランはそう言って再びスケルトンに斬りかかった。今度はスケルトンはサフランの刀を剣で受け流すと、真っ向から斬り下ろす。


ブシャッ!


「ぐはっ!」


サフランは左胸を深く切り裂かれた。その傷口からは噴水のように血が噴き出す。けれどサフランはなおも倒れず、


「逃げ、な、さい……」


刀を構え続けていた。


「しぶといヤツめ」


業を煮やしたのか、スケルトンはそう吐き捨てざまに剣を無造作に横に払う。サフランの首は胴から離れて地面に転がった。


「ひっ」


リアンノンは、サフランの首が宙を舞うのを見て、腰刀を取り落とし震えだす。ガイだけは、真っ青な顔のまま、その一部始終を凝視していた。


「さて、子どもを殺すのは可哀そうだが、シールの血は絶やせとの命令だからな……げっ!」


リアンノンとガイを始末しようと近寄って来たスケルトンは、横から出て来た槍に突き刺されて絶命した。


「可哀そうなら、見逃してやればよかったがな。リアンノン殿、ガイ殿、無事でよかった」


スケルトンを倒した槍遣いは、石色の瞳を持つ目に鋭い光を湛えていた。彼は、連れていた部下たちに


「リアンノン殿とガイ殿をお守りせよ。お二人はサーム様のご友人だったシール殿の忘れ形見だ、無事にシェリルの町に送り届けるぞ」


そう命令すると、彼らの声を聞きつけてこの部屋に殺到してきたスケルトンの兵士たちに向かって突進していった。


★ ★ ★ ★ ★


ーーあれから25年も経つのに、あの日のことは今でも鮮明に思い出せる。ティムール・アルメ殿か……彼がいなければ私も姉上もこの世になく、ホルン・ファランドール姫が居られなければ、クロノスとカイロスを討ち取ることも叶わなかったろう。


シェリルの町に無事到着したガイは、リアンノンから与えられた宿舎でぼんやりと昔のことを思い出していた。あのレズバンシャールの町が燃える風景は、ガイが一生忘れえぬ傷となって心に残っている。それはクロノスとカイロスを討ち取ったからと言って変わらない。父が言った最期の言葉『私たちの本当の敵はクロノスやカイロスではない。この国を奪ったザッハークである。お前たちは生き延びて、父の仇を討て』は、まだ果たされていないのだ。


「ホルン姫のためにザッハークの首をこの手で挙げる……それで父の仇も討てる」


ガイは、青く金属質の鱗と、青く透明な水かきを持つ手を、握ったり開いたりしながらそうつぶやく。指先の爪はオリハルコンも引き裂く硬さだ。彼の20年に及ぶ修行の成果だ。いや『生死を賭けた戦い』の成果と言える。



ガイは、幼いころから『強さ』に拘った。それは別に他人と比べるような不毛なものではなく、あくまで彼の想像の中での強さだった。


彼は、色々なシチュエーションを想像した。水の中だったり、砂漠だったり、自分に特別不利な場所だったり。また、相手の人数も変化した。雑魚も100人寄れば一苦労する。それが千人になったら? 一万人だったら? あるいは一騎当千の戦士だったら?


ガイは3歳と言う年端もいかない頃から、自分をストイックに鍛え始めた。アクアロイドの弱点はなんだと聞かれれば、水がないと死ぬということだろう。一般的な生物だって、1週間も水を飲まねば死ぬ。アクアロイドであれば、表皮がカラカラに乾くと1日で致命傷になる。


ガイはまず、この弱点の克服から取り掛かった。水を飲まずに走り続ける。あるいは腕立て伏せを続ける——他のアクアロイドからすると狂気じみた方法で、ガイは水に対するアクアロイドの致命的な依存を断ち切った。5歳のころには、水なしで1週間を耐え、シェリルの町を出る8歳のころには、一般の生物でも生き延びるのに困難な1月と言う試練に耐えた。


ガイがシェリルの町を出たのは、半分は偶然だった。そのころ、15歳になった姉のリアンノンは生活苦から人間の富豪の観賞用として身を売るか、同じアクアロイドの金持ちの妾となるか悩んでいた。それを知ったガイは、たまたまシェリルの町を訪れていたダイシン帝国の官吏に、自ら下僕として身を売ったのだ。


「君には見込みがある。君の能力と仕事の程度によっては給金も払おう」


その官吏は、ガイの一癖も二癖もある性癖に興味を示し、さらにガイの能力——暗殺者としての能力に大きな期待を寄せて、ダイシン帝国の首都であるルオヤン府に連れて行った。そして、その官吏は自ら武芸を仕込んだだけでなく、さらに伝説の暗殺者として名高い『黒衣の闘士』に弟子入りさせた。


そこでガイは徹底的に暗殺者としてのすべてを叩き込まれた。武術だけでなく気配を消すこと、火や水を使って相手を攪乱すること、チャンスが来るまでは何年も雌伏するが、チャンスと見れば疾風迅雷のように『仕事』を済ませること、などである。


ガイは10歳になると、一流と言われる武人にも勝てるようになった。様々な訓練をこなしながらも、毎日千回の腹筋と、指一本での逆さ腕立て100回ずつ計千回、そして10キロの遠泳を休みなく続けた結果である。


そんなある日、ガイは『ご主人』から『仕事』を任された。それは『ご主人』が朝廷から治安維持を任されている地域を荒らし回っている盗賊団の退治である。その盗賊団は武芸で名高い軍人崩れが立ち上げたもので、50人も手下を抱え、ダイシン帝国の軍隊すら手を焼く存在だった。


そんな盗賊団を相手に、ガイは闇にまぎれて一人一人消していき、自分が狙われていると知った首領が土地の者すら敬遠する深山幽谷に逃亡すると躊躇なくそれを追撃し、5日に及ぶ攻防の末、首領の首を挙げている。ガイ10歳、初仕事にして大手柄だった。


ガイは『ご主人』のお気に入りとなり、3年の間に幾度となく命の危険を顧みない暗殺稼業を続けていた。

しかし、ある日、『ご主人』が自分との約束を守らず、リアンノンのもとに仕送りを1年以上もしていなかっただけでなく、リアンノンに嘘をついて妾にしようとしていたことを知り、ガイは躊躇なく『ご主人』の首を手刀で刎ねた。ガイが13歳の時である。


彼は政府のお尋ね者となり、『黒衣の闘士』までが彼の討伐に駆り出されたが、師匠である『黒衣の闘士』を返り討ちにすると、そのまま北方の遊牧民の中にまぎれて遠く西の大帝国であるロムルス帝国へと旅を続けた。


15歳でロムルス帝国の首都レムスに着いたガイは、その帝国では『剣闘士』という真剣試合が流行していることを知り、すぐにその選手として応募した。ガイのアクアロイドとしての特徴的な姿と、素手で相手を容赦なく叩きのめし、クライマックスで命を奪うという戦い方が有名になり、すぐに彼はレムスの民のお気に入りとなった。


ガイは大衆の人気者になると同時に、大金を手にすることになった。しかし、彼はその大金をほとんど、シェリルに住むリアンノンに送金していた。リアンノンはそのお金で自己啓発のために猛勉強し、リアンノンは24歳の時にその智謀と美貌により、若者を中心とする先進派のリーダーとなり、最終的には保守派と協定を結んでシェリルの町の実権を手に入れた。その時ガイは17歳だった。


彼は18歳までの間に2千以上の試合に出場し、常に勝った。そんな彼が『剣闘士』を辞めたのは、最後の試合で自分サイドの仲間から毒を盛られたからである。


ガイが出る試合は満員になり、掛け金も膨大なものになった。まず間違いなくガイは勝つので、お客は安心してガイに大金を賭ける。しかしもし、それでガイが負けたらどうなるか? ガイの相手に賭けていたものは大金を手にすることになる。


ガイは、試合とは別の次元での人々の思惑が、自分の命に関わることがあるということと、どんな強者でも毒には敵わないという二つの教訓を得て、方針を変えた。


彼は18歳から20歳にかけて『毒と薬』を徹底的に研究し、自分でも少量ずつそれを口にして、いわば『毒への耐性』を育てていったのだ。


さらに面白いことが分かった。彼は毒を蓄積し、その毒を鰭にある管状のもので相手に注入できるようになったのだ。これはガイの戦闘能力を格段に跳ね上げた。


「これなら、ザッハークを暗殺できる」


そう思ったガイは、海伝いにファールス王国へと舞い戻って来た。彼がダマ・シスカスの町に上陸したのは、21歳の時である。ちなみに、このころホルン・ファランドールという女傑の名が『槍遣いの女用心棒』として知られ始めていくのである。ホルンはそのとき18歳であった。



ガイが『ザッハーク暗殺』を胸に秘めて王都イスファハーンに姿を現したのは、彼が22歳の春である。王都に着くと、彼はすぐに仕事にかからず、ザッハークの日常を調べることから始めた。


——城内よりも巡幸などに出る時を狙った方が、成功率が高い。


そのことを熟知するガイは、ひたすら『ザッハークの外出』を狙い続けた。


しかし、ザッハークは諸事用心深く、しかも政務はティラノスとパラドキシアに任せきりであり、城の外へと出ることはほぼなかった。考えてみれば、ザッハークが王位に就いてイスファハーンを離れたことは、最初の3年間でただ一度、サームを牽制するためにトルクスタン南部へ出兵した時だけである。


「ふむ、ザッハークはこの20年、ほぼ城から出ていないか……仕方ない、城の中で殺るか」


ガイは23歳になるまで待っていたが、ザッハークの動きがないと見るや、より難易度の高い『城内での暗殺』に切り替えた。そして、ある夏の夜、ついに仕事にかかった。


ガイは、素手で内城の城壁をよじ登ると、巡回の衛兵の眼を盗んで城内への侵入に成功した。


——思ったよりも衛兵はチョロいな。この分なら、『王の盾』さえ出し抜ければ、ザッハークを仕留められるかもしれないな。


ガイはそう思ったが、その後、そんな甘い考えは打ち砕かれることになる。


城内には、『王の盾』の兵舎があり、北の第1兵舎を起点に、時計周りに北東の第2、南東の第3、南西の第4、北西の第5となっている。ガイが侵入したのは第3と第4の中央部だった。


——『王の盾』か、こいつらを出し抜ければ、ザッハークの首まであと少しだ。


ガイはそう考え、特に気配を厳重に消し、無音無声で兵舎の間をすり抜けていく。『王の盾』の面々も全国から選りすぐりの猛者たちだが、ガイの暗殺者としての力量はそれをはるかに超えていた。


ガイは、『王の盾』の兵舎で作られた防御線を難なく超えて、いよいよザッハークが日常的に居住している“王の政治空間”へと進み始めた。『ロ』形に作られたこの建物は、北には王がさまざまな奏請を聞き、裁可を下す会議室や謁見室、そして王の執務室がある。東には政治を司る臣下たちの執務室が並び、西には軍事を司る臣下たちの執務室が並ぶ。


ガイが忍び込んだ南側には、東西両翼で執務をする臣下たちのための食堂などが並んでおり、“政治空間”の中では最も警備が緩い箇所だった。けれど、王の“私的空間”である内宮には、北の棟の、それも2階からしか行くことができない。


もちろん、内宮棟へ政務棟を回り込んでいくことは可能だが、内宮棟の1階には外部と出入りできる扉はなく、窓も猫がやっと出入りできるくらいのものが開いているに過ぎない。それらのことは1年間に及ぶ綿密な下調べで熟知していた。


——内宮棟と政務棟との間には、2階に通称“王の回廊”と呼ばれる、完全に封鎖された渡り廊下があるだけ。内宮棟の入口は、王がそこにいる限り閉じられている。その扉が開くのは王が政治空間に出座するときだけだ。内宮棟の南壁には明り取りの小さな窓が多数開いているだけで、バルコニーもない。“王の回廊”のこちら側でザッハークが出てくるのを待つか、無理をしてでも内宮棟に潜入するか……。


ガイは熟慮の末、思い切って内宮棟に忍び込むことにした。政務棟で待ってもいいが、その時には朝になっており、かつ、臣下も多数いるだろう。その後の逃走について考えれば、夜間にすべてを決した方がいい。


ガイはそう決心すると、素早く動いた。東棟を回り込み、北棟に入ると、すぐに階段を登って2階へと向かう。


2階に着くと、王が移動する廊下に続く場所には施錠されたドアがあったが、ガイは難なくそれを開錠し、いよいよ“王の回廊”の前まで来た。


その時、ガイは初めて張り詰めた精神の隅で何かチカッとした気配を察する。ガイは身を沈めると深い海の色をした目を細め、身体中の筋肉を張り詰めて、その気配を追った。


そんなガイの様子から、自分が感知されたことを悟ったのか、前方の黒闇の中から滑り出るように、亜麻色の髪を長く伸ばした女性が現れる。その女性は全身をなめし革のボディ・スーツで覆い、底の厚いブーツを履いている。そして彼女は、琥珀色の瞳でガイを見ながら、女性にしては低いハスキーボイスで言った。


「あら、気付かれちゃったわね。あなたがこの回廊に入ってくれていたら、アタシも仕事が楽だったのに……」


ガイはその言葉に冷や汗が出る思いだった。“気付かれた”と言う言い回しは、ガイが彼女を察知できなかったことと、自分の存在が早くからバレていたことを示すからである。


ガイがゆっくりと立ち上がると、彼女は薄笑いを浮かべたまま続けて言った。


「アタシは『嫉妬のインヴィディア』、『七つの枝の聖騎士団』の一人よ。あなたのお名前を聞かせてもらってもいいかしら? アクアロイドさん」


「なぜ分かった?」


ガイが低い声で訊くと、インヴィディアはポケットに両手を突っ込んで答える。


「なぜって、動くものからは波動が出るのよ。空間の振動かな? ほかにも生命力の輝きや『魔力の揺らぎ』、そして『思念の流れ』……坊や、自分の存在や動きを隠すのは、とても難しいことなのよ? そう、浮気を隠すことが不可能であるみたいにね?」


それを聞くと、ガイは身を翻して逃げ出した。自分の存在がバレていた以上、内宮棟には奴らの仲間もいるだろうし、ザッハークを討ち取るチャンスは無くなったと判断したからである。ガイは、自身の目的以外の無意味な戦闘をするつもりはなかった。


「あら、逃げちゃうの?……まあ、いい判断だよ。アタシが手をポケットに入れているうちなら、見逃してあげるさ」


そう言うと、『嫉妬のインヴィディア』は笑って姿を闇の中に溶け込ませた。



——『七つの枝の聖騎士団』か、上には上がいるものだ。私ももっと精進せねばな。


ガイはそう思いながら逃げ、南棟まで来ると、急に目の前に子ども子どもした少女が現れた。彼女は白髪をショートカットにして、碧色のくるくるした瞳を持っている。身長は150センチもなく、どう見ても14・5歳だった。


彼女は黒いショート・パンツを穿き、灰色の上着は半分ショート・パンツからはみ出ている。灰色のニーソに黒い革靴を履いて、背中には身長に不釣り合いな、柄にドラゴンの飾りがついた派手な長剣を背負っていた。


しかしガイは、その少女が持つ圧倒的な『魔力の揺らぎ』に気付き、立ち止まって身構える。そして、少しずつ少女から距離を取っていった。


「こんばんは、あなたが侵入者ですね?」


少女は、その顔にふさわしい可愛らしい声でハキハキと言う。これだけならただのボーイッシュな少女だ。けれどガイは少女の後ろに回した左手が長剣を握っていることと、こちらに声をかけた瞬間、彼女の『魔力の揺らぎ』がさらに深さを増したことを見て取っていた。


——これは、さっきの『嫉妬のインヴィディア』以上の力を持っているな。何とかコイツから逃れる方法はないか……。


ガイはそう考えて、目を動かして辺りの様子を探る。

すると少女は、可笑しそうに笑って言った。


「ははは、逃げ道を探さなくても、今夜は何もしないわよ。ただ、私たち『七つの枝の聖騎士団』がいる限りは、陛下のお命を狙うなんてこと、あきらめた方がいいよって忠告しに来たのよ?」


「お前も『七つの枝の聖騎士団』か」


ガイの問いに、少女は笑って


「ええ、私が団長の『怒りのアイラ』よ。よく覚えておきなさい」


そう言うと、その目が緋色に輝きだし、秀麗な彼女の顔や首に、どす黒いタトゥーのような文様が浮かび上がり始める。


「……わが『七つの枝の聖騎士団』が守護する結界に、貴様程度の侵入を許すとは、今夜の当番にはキツイお仕置きが必要だわね……」


豹変した『怒りのアイラ』は、そうつぶやいたあと、緋色の瞳でガイを見て、


「立ち去れ、クズめ! 目障りだ。これ以上私を怒らせると、見逃してはやれなくなるぞ……それとも」


その言葉と共に、『怒りのアイラ』の姿が消え、次の瞬間にはガイの背後10ヤードの所に立っていた。


「うっ!」


ガイは、両手両足から血が噴き出るのを見て、自分の目を疑った。暗殺者としての厳しい訓練と、10年以上の生死を賭けた戦いを潜り抜けて来たという自負が、脆くも崩れ落ちた瞬間だった。


「……これ以上、私に『バルムンク』を抜かせたいか?」


ガイはその先を聞いていなかった。


「……あら、もう退散してくれたのね。いい判断だわ。彼、強くなりそうだね」


怒りが収まった『怒りのアイラ』は、ガイがいなくなった空間を見て、そうニッコリと天使のような微笑を浮かべた。



「危なかった……」


ガイは、家に戻るとそう言ってため息をついた。手足の傷はすぐに塞がり、逃げるのにも支障があるほど深くはなかった。『怒りのアイラ』はわざとその程度の傷を与えたのだろう……そう考えて、ガイは唇をかんだ。


「あのような戦士が守っているのであれば、私はもっと強くなってそれを圧倒せねばならないな」


ガイはそうつぶやくと、闇の中でニヤリと笑った。


★ ★ ★ ★ ★


——あれから5年、私はただ強くなるためだけに集中した。けれど、まだ私はクロノス程度すら一人で討ち取ることができていない。


シェリルの町を一望にする部屋から外を眺めながら、ガイはそう思って目を閉じる。自嘲すら唇に浮かぶ。


「ガイ、何を思い出しているの?」


ガイの部屋に、姉のリアンノンが入ってきて訊く。ガイは首を振って答えた。


「まだ私では、ザッハークの命には届かないな」


そう言うガイを、優しい瞳で見つめながら、リアンノンは言った。


「そうではありません。あなたは十分に強い。あなたがもし、そう思っているのであれば、それはあなたに仲間がいないからでしょう」


ガイは、リアンノンに向き直って訊く。


「仲間?」


「そうです。私はあなたにどれだけ助けられたことか……他人を助けることができる者は、決して弱い存在ではありません。

けれど、あなたが父の仇を討ってくれるというのなら、私にモーデルやクリムゾンをはじめとした仲間がいるように、信頼できる仲間を持つ必要があります。私があなたにホルン王女の護衛を頼んだのは、王女の周りにいる人々と仲間として行動してほしかったからです」


リアンノンは、ガイに似た秀麗な顔をほころばせて続ける。


「それはそうと、ガイ。私は近日中に出陣します。あなたが持ってきてくれた王女様からの親書、その中の計画を基に、アクアロイドの軍団は一足先に兵を挙げることにしました。サマルカンドに帰ったら、ホルン王女に『バビロンでお会いしましょう』と伝えてください」


「姉上」


そう言って黙り込むガイに、リアンノンは笑って


「心配しないで良いわ。この町にはモーデルをはじめとして3万を残します。私は7万を率いてバビロンを目指します。先鋒梯団はクリムゾンとローズマリーの2万、次にミントとテトラの2万、私の本陣1万、後詰はタボールとエースの2万……みんな、有能でいい仲間です。

だから、あなたは私の心配はせず、王女様をしっかりと守ってあげてください。私たちの挙兵が『反乱』と言われないために」


そう言うと、虚空から一本の矛を取り出してガイに渡しながら言う。


「これは、海神ネプトレの息子からいただいた矛『オンデュール』です。あなたは素手での戦いを得意としていますが、一軍を率いるときはこのような武器も士気を高めるためには必要です。持ってお行きなさい」


ガイはその矛を持ってみた。穂先から石突までは3メートル、穂の長さは1メートルもある。そしてその穂はまるで波がうねるように蛇行していた。


「ありがとう、姉上」


ガイは、シェリルの町に来てから初めて微笑んだ。


★ ★ ★ ★ ★


「わざわざあなたが訪ねてきてくれるなんて嬉しいわ、ロザリア」


ロザリアは、ヘラートの町に着くとすぐ、トリスタン候妃となっている姉のアザリアを訪ねた。アザリアはほぼ10か月振りに妹の顔を見て、とても喜んだ。


「ラザリアはどうしているでしょう?」


ロザリアは、自分がザールと共にトリスタン侯国を出るまで一緒に暮らしていた妹の現在を訊く。アザリアはいたずらっぽく笑って答えた。


「トリスタン候の臣下のご子息との婚約が調ったので、今は花嫁修業中よ」


それを聞くと、ロザリアは目を輝かせて喜ぶ。


「ほう! それはめでたいことじゃ。しかしラザリアは甘えん坊だったから、ちょっと心配じゃのう」


アザリアは、ロザリアの砕けた話し方が面白かったのか、にっこりと笑って言う。


「あなたも変わったわね? まるで子どもの頃みたいに表情が出て来たわ」


するとロザリアは、漆黒の瞳に優しさを込めて姉を見てうなずく。


「うむ、ザール様と一緒に旅をさせていただいて、私は本当に良かったと思っている。いろいろな経験もしたし」


するとアザリアは目を輝かせて訊く。


「じゃ、ザール様とはもう仲良しもしちゃったの? 私たちを助けてくれた時、あなたはザール様の婚約者ってことで城府を訪ねたって聞いたけれど?」


ロザリアはふふっと笑って首を振って言う。


「いや、いつかはそうなりたいと思ってはいるのじゃが、何にしても今、ザール様はホルン王女様のお守りに忙しくての? 今回、私はホルン姫様からの依頼によってここに来たのじゃ」


「ホルン姫?」


目を丸くして訊くアザリアに、ロザリアは簡単に答える。


「前国王シャー・ローム陛下の一人娘、ホルン・ジュエル様じゃ」


「では、前のウンディーネ王妃様が、反乱の日に姫様を産み落とされていたという話は本当だったのね?」


「うむ、ザール様は私が旅に加わった後、カンダハールからガラーバート目指して進まれたんじゃが、途中で王女様の消息を聞いてタラ平原で姫様と邂逅された……ザッというとそうなるの」


それを聞くと、アザリアは心配そうに言う。


「じゃ、あなたも気が抜けないわね? 相手は王女様で、ザール様の従姉でもあるし。でも、王女様はザール様より年上だから、あなたはその点は有利よ? なにより美人で頭もいいしね?」


ロザリアはそれを聞いて、げんなりしたように言う。


「やれやれ、なぜ誰もかれもジュチみたいにすぐに色恋の話にしたがるのかのう? ザール様の頭の中には、今はこの国をどうやって建て直すかしかないんじゃ。私だって、ザール様の『すべての種族がお互いを尊重し、すべての生き物が、生命を謳歌できる国にしたい』という夢に共感したから、こうして使いにも立っているのじゃ。姉上、私のことはともかくとして、どうかトリスタン侯国にも関係することとして考えてくだされ」


そして、ロザリアはホルンからの親書をアザリアに手渡して言った。


「ホルン姫からの親書です。義兄(あに)上とお読みいただき、肯定的なご返答が頂ければ幸いです」


アザリアは目に涙を湛えてうなずいた。自分の産まれを呪い、すべての物事に心を閉ざし、いつも世を拗ねた見方しかしていなかった妹の成長が嬉しかったのだろう。



ロザリアの携えた親書を読んだトリスタン候アリーは、愛妻のアザリアに


「国の大事だから、軽々しい返答は出来ない。けれど、ザール殿はじめジーク・オーガの一族やハイエルフの一族、そしてアクアロイドの一族まで合力を誓っているのであれば、わが侯国も国の藩屏の一つとして、なすべきことはせねばならない」


そう答えてうなずいた。アザリアはアリーと気心が通じた夫婦だった。夫の物言いで、彼が本心では出兵を了承していることが窺えた。


ただ、ザッハークの権力は絶大である。ファールス王国の13の州知事と軍団管区の領兵司などの任免を一手にし、動員できる兵力は藩屏国を含めて号して80万、直轄州からだけでも50万である。


対するに、サームのトルクスタン侯国と自分のトリスタン侯国は、2国で20万を集められればいい方だ。特に、トリスタン侯国はここ数年、東に蟠踞しているレプティリアンたちの対策に忙しかった。


アザリアも賢い女性である。そのような状況はうすうす分かっており、事が事前に漏れたら大変なことになると知っている。夫はまず、このような話が外に漏れることを恐れているだろうし、挙兵にしても本当に心許せる臣下にしか計画を話してはいないだろうと想像した。


そこでアザリアは、一計を案じ、ロザリアを夫婦の晩餐に非公式に招待した。夫とロザリアが腹蔵なく語れる機会を作ったのである。


「よく参られた。いつぞやは本当に世話になったな。ロザリア殿、ゆっくりとして行ってくれ」


トリスタン候は機嫌よくロザリアを招き入れて言う。


「今宵はお招きにあずかりまして、感謝いたしますぞ、義兄上」


ロザリアも笑って、勧められた席に着いた。


三人は乾杯の後、主にロザリアがカンダハールを出た後の話をした。ザールとその仲間の人となりがよく分かる話しぶりであった。


そして、ロザリアはホルンの話に移る。ロザリアの話を聞く限りでは、ホルンと言う王女はただ強いばかりではなく、聡明で、情け深く、用心棒と言う無頼の暮らしを長く続けていた割には純粋な女性であるように思われた。


そして何より、あのザールがホルンに心酔し、彼女の指示には自分を殺しても従い、彼女の危機には身を挺して戦う姿勢を見せていることに、トリスタン候は心を動かされた。


——ふむ、『白髪の英傑』がそれほどまでに心酔し、また王女様もそのザール殿を最も信頼して自分のすべてを預けているようだな。これはホルン王女が立たれれば、全国に大きな衝撃を与え、ひょっとすると大きなうねりを呼ぶかもしれないな。


「いや、ロザリア殿、あなたは良い仲間に巡り合われたようだ。私もあなたの義兄として嬉しい限り。しかし、ザール殿はホルン王女と一緒になられると思うが、その時あなたはどうされるつもりかな?」


トリスタン候は酒に紛らわせてそう訊いたが、ロザリアは薄い笑みと共にキッパリと言った。


「私はザール様のもの。ザール様は私と結婚する運命です……」


それを聞いて、アザリアも驚いたが、ロザリアが続けて


「……と言う夢を見たのじゃ。けれど、ザール様がどなたを選ぼうと、私はザール様のものじゃ。それだけは確かです」


と言うのを聞いて、くすりと笑った。トリスタン候も機嫌よく笑い、


「うん、もし晴れてロザリア殿がザール殿と結婚されたら、余はザール殿の義兄になるということか。これは楽しみが一つ増えたな。ロザリア殿、しっかり頑張られよ」


そう言う。そこでロザリアは笑って、恐るべきことをさりげなく言った。


「私の頑張りだけでは足りぬのじゃ。ザール様を射止めるには、義兄上の軍勢、3万の援護が必要じゃ」


それを聞いて、トリスタン候は思わず酒を飲む手を止める。そしてロザリアを恐る恐る見つめた。ロザリアは秀麗な顔に微笑を浮かべたまま、小声で続ける。


「よくお分かりにならなかったかの? 私がザール様を射止めるには、まずこの国がザール様の夢である『すべての種族がお互いを尊重し、すべての生き物が、生命を謳歌できる国』にならねばならぬ。そうでなければザール様の心はホルン姫に縛り付けられたままじゃからな」


「それで余の3万とは?」


トリスタン候が低く訊く。その顔からは酔いがすっ飛んでいた。


「ふふ、秘中の秘じゃが、近々アクアロイドの軍が兵を挙げる。その時に、3万の軍でイスファハーンの防衛部隊として義兄上の軍が駆け付けるわけじゃ。アクアロイドの軍は海沿いを進む……あとは、分かるの?」


ロザリアは漆黒の瞳を細めてトリスタン候を見つめる。これは、姉以上に妖艶で知略に長けた女性だ。しかも必要な時には必要なだけ冷徹になれる女性——トリスタン候はロザリアの本質を恐れと共に感じた。


——うむ、ただザール殿一筋の女性かと思っていたが、これだけ知略に長け、冷徹な女なら、本当にザール殿の花嫁の座も射止めるかもしれん。しかし、王女様は恐るべき者どもを帷幕に集められたものだ。


「そして、ロザリア殿は?」


トリスタン候の鋭い質問に、ロザリアは短く答えた。


「私はザール様と一緒じゃ。ティムール・アルメ殿とは別じゃがな」


それを聞いて、トリスタン候は想像する。


——ザール殿はホルン王女を戴いて、ロザリアを参謀、ジーク・オーガを先鋒として進み、別にティムール・アルメ殿がハイエルフを参謀、そして在野の勇士たちを糾合して、イスファハーンを目指す。その時にはアクアロイドの軍はたぶんバビロン辺りを急襲し、イスファハーンからの退路は断たれている。そこに自分の3万が加われば……。


「見事だロザリア殿。あとは言の葉に上らぬことだ」


そう言うトリスタン候を、冷えた目で見つめてロザリアは言う。


「無論のこと。ザール様の夢を邪魔するものは、たとえ血族であっても私の敵じゃ」


トリスタン候は震えを押さえて訊く。


「アクアロイドの軍は?」


ロザリアはただ一言で言う。


「一月以内」


トリスタン候は頭の中で思う。今日は月の頭、一月後に反乱が起き、それを王都が知るのは2・3日後だ。そして王都は混乱し、各州知事へ通達が出るのは1週間後だろう。自分が軍を発向するのは……。


「来月の終り頃じゃ」


ロザリアはずばりと言う。そして続ける。


「その頃なら、遅過ぎもせず、早過ぎもしない。連れて行く軍勢も3万程度なら、おっとり刀ではせ参じたという偽装もできる。そもそも、半月ではその程度しか集められんじゃろうが……そうであろう義兄上?」


「う、うむ」


トリスタン候は面食らった様子で答えた。改めて、ロザリアの頭の回転の速さに驚いたらしい。


「では、義兄上、私はそう言う話をしたと言うことをホルン姫様に報告しますが、それでいいでしょうか?」


ロザリアがにこやかに訊いてくる。トリスタン候としてはうなずくしかなかった。


やがて、1時半(3時間)後、ロザリアはトリスタン候夫妻にお礼を言って退出した。



「いやはや、アザリア、そなたの妹は恐るべき女だな」


トリスタン候が言うと、アザリアは顔を赤くして


「すみません、小さい時から、こうと言ったら聞かない子でしたから。ご無礼は私が代わりに謝ります」


そう言うと、案に相違してトリスタン候は笑って言った。


「いや、そうではない。敵に回したら恐るべき謀将だなと言ったのだ。そなたがロザリア殿の姉でよかった」


そう言うと、低い声で言った。


「余が留守の間、頼むぞ」


アザリアはうなずいた。



次の日、ロザリアはヘラートの町の門で、アザリアの見送りを受けていた。


「もう戻るの? もう少しゆっくりしていけばいいのに。ラザリアとも会っていないじゃない」


アザリアが言うが、ロザリアは馬の鼻面をなでながら言う。


「いや、私は使いとして来た身じゃからの。用事が済んだら可及的速やかに復命せんといかんのじゃ。ラザリアには、泣きべそばかりかかないよう、姉上からよろしく言っといてくれ」


すると、


「誰が泣きべそばかりかいているのよ。お姉ちゃんひどい、私に黙って帰ろうとするなんて」


と、ラザリアが息を弾ませて言う。


「おお、ラザリアか。少し会わないうちに美人になったのう。お前を射止めた男は幸せじゃな」


するとラザリアは顔を真っ赤にして、嬉しそうに言う。


「へへっ、ありがとう。お姉ちゃんからそう言われると、とっても自信が出るな。お姉ちゃんも、ザール様とお幸せにね?」


するとロザリアは一瞬鋭い光を湛えて目を細めたが、


「うむ、結婚式には絶対に出席してくれ」


そう言うと、サッと馬に乗って遠くサマルカンドへと去っていった。


★ ★ ★ ★ ★


こちらはアイニの町である。この町には元『王の牙』のティムール・アルメが住んでいることや、その町長とホルンが気を許し合った仲であることを受けて、とりわけホルンに気に入られている町でもあった。


その町役場で、町長のアルフは、幕僚のジャハンや自警団長のリョーカ・ステープルと大事な話をしていた。


「ティムール殿の話では、ホルン殿はこの国の正統な王位継承者であるとのこと。現国王になってから、辺境は国から見捨てられたような扱いを受けている。ホルン王女様もほかならぬこの町では『用心棒』としていたく働いてくだされた」


アルフは、肩までで切りそろえた白髪の下に、青い目を光らせてリョーカを見て言う。


「そしてリョーカも、王女様の推挙でこの町の自警団長として活躍してくれている」


「リョーカ殿のお陰で、自警団は強くなり、交易も安全になって、この町も『トルクスタンの北の女王』と呼ばれるほどになっています」


ジャハンはにこやかに言う。その言葉にアルフはうなずいて、


「そこでじゃ、わらわは、友であるホルン王女様のために、この町から義勇軍を出そうと思う。いかがかな、二人は?」


そうはっきりと言った。


「俺はホルンさんのお陰で山賊稼業から足を洗うことができた。あのままの暮らしを続けていたら、どうせろくでもないことで命を落としたろう。その命を王女様のために使えたら本望だ。俺の配下の1,500人、みんなそう思っている」


リョーカは笑って言う。


「その中には、あの子らも入っているのか?」


アルフが言う『あの子ら』とは、用心棒稼業を始めたばかりのころ、この町にやって来たホルンとともにヴォルフ狩りに参加し、実戦の厳しさを身をもって知ったため、リョーカの部隊で腕を磨いている若者たちのことである。その一人、弓使いのコクランは、ティムールの孫娘である。


リョーカは答える。


「ああ、剣術使いのジェベ、弓使いのコクラン、槍遣いのアルム、両手剣のバズ、四人ともスジもいいし呑み込みも早くてな? もう百人隊長をさせているよ」


「そうか、それは頼もしい限りじゃ」


アルフは笑っている。あの日、ヴォルフ狩りから帰った彼らは、四人とも怖さのあまり失禁していた。そのことを思い出したのかも知れない。


「ただ、この町を裸にするわけにはいきません。そこで、リョーカ殿を中心に500名を核として、後は募集で数を揃えたいと思いますが、いかがでしょう?」


ジャハンが言う。それはもっともなことだった。ホルンが挙兵すれば、辺境の治安が一時的に逆に悪化する可能性も、決して低くはない。むしろほぼ確実に治安は悪化するだろう。そうなれば自警団のいない町など、つっかえ棒のない積木の城と一緒だ。


「俺はそれで構わない。俺の他の百人隊長は、ジェベたち四人だ。あいつらはスジがいい。俺が実戦の中で鍛えてやる。この町には、俺のもとからの手下たちを残すぜ。別嬪さんのためにな?」


するとアルフは頬を赤くしながらも、心配そうに言う。


「ばっ! ばかもの、『別嬪さん』なんて言うな! 恥ずかしくなるではないか。しかし、若者たちだけで大丈夫か? わらわは、そなたが怪我でもしたらと心配で心配で眠れぬぞ?」


するとリョーカは、優しい顔で笑って言った。


「心配しなさんな。ティムール殿がすでにひそかに勇士を集めていらっしゃるんだ。俺たちの義勇軍もそこに加わればいい」


「何と、ティムール殿が?」


アルフは驚いてそう言った。それまでティムール殿はそんなそぶりは微塵も見せなかった。しかし、アルフは、ティムールがしばしばサームに呼び出されてサマルカンドに出向いていることは知っていた。きっとことが早々に漏れて、変な噂となってこの町に迷惑がかかることを恐れたのだろう。そこまで考えが至ると、アルフは微笑んでつぶやいた。


「あのお方らしいことじゃ」



「すみません、ティムール・アルメ殿はいらっしゃいますか?」


ここは、アイニの町の外れにある『シール』と言う小さな宿屋である。そこに、長剣を佩いた若者がやってきて、帳場に声をかけた。


「はい、ご主人様は裏にいらっしゃいますが、お客様は?」


帳場にいたこの宿屋を手伝っている女性がそう言うと、若い男は爽やかな笑顔をして名乗った。


「私は、アロー・テルと申します。『王の盾』ヴィレム・テルの孫が訪ねて来たとお伝えください」


手伝いの女性がティムールに伝えようと席を立った時、続いて二人の男女が宿屋に入って来た。

一人は隻眼の左目をらんらんと輝かせている、恐ろしく長い両手剣と楯を背負った男、もう一人は癖のある黒髪をポニー・テールにし、槍を背負った浅黒い肌の女である。二人は静かに名乗って、ティムールとの面会を乞うた。


「俺は、元『王の盾』副長で用心棒のガルム・イェーガー。ティムール殿のお誘いを受けて参上したものだ。取り次いでくれ」


「私はシャナ・エフェンディという槍遣いです。主人の命により、王女様の挙兵に一臂の力を添えたく、推参仕りました。これが主人からの推挙状です。どうかティムール殿にお取次ぎを」


手伝いの女性は、目を白黒させていたが、すぐにあたふたと奥に引っ込んだ。


先に宿屋に入ったアローは、後から入って来た二人を見て、すぐに


——これは、僕なんかとは比較にならないくらいの戦士だ。ホルン殿が言っていた意味が分かった。


そう悟り、自然と二人に対して丁寧な態度を取った。


そこに、老いてもなお威風堂々たるティムールがこの場に現れた。アローはティムールを見て、さらに自分の修行の足らなさを思い知らされたようだった。


「おお、ガルム、よく来てくれた。それとシャナ殿、『トルクスタンの虎』殿からの推挙状、確かに拝見した。しかし、そなたはエフェンディ家の奥方ではなかったかな? この義勇軍は非常に危険が伴う。奥方と言う立場の方をおいそれとは受け入れられないが」


ティムールはガルムを見てすぐに握手し、シャナにはそういぶかしげに言う。シャナは笑って答えた。


「はい、私は旦那様の妻ですが、エフェンディ家の将来を思い、ティムール殿の軍にご加勢したくて、旦那様の許しを得てここに来ました。何も遠慮せず、軍務を申し付けてください」


その答えを聞いて、ティムールは考えるふうな顔になって言う。


「ふむ……それではそなたの扱いは、実際の腕を拝見してからにしよう。アロー、そなたは『閃光のヴィレム』の孫と言ったが、一度そなたとは会っているな?」


ティムールの石色の瞳が、アローの眼を突き刺すような眼光で見据える。アローは、一瞬目が眩んだが、すぐに気を持ち直して答えた。


「はい、2年前にご指導いただいたアロー・テルです。私の住む町はホルン様にお世話になりました。祖父の名に恥じぬよう頑張りますので、どうか軍に加えてください」


ティムールはじっとアローを見ていたが、ニコリとして言った。


「2年前に比べると格段に腕は上げておるようじゃな。わしの眼光で竦まなかったのも見事じゃ。しかし、そなたはまだまだ修行が足りぬ」


アローが唇をかんで下を向く。やっぱり、まだ僕はこの方たちと共に戦うには早すぎるのか……。


「……そなたは王女様のために一生懸命じゃな? わしがそなたの入隊を断ったら、恐らくそなたはどこかの部隊に志願して、つまらぬ死に方をしないとも限らぬ。それでは旧友であったヴィレムにもすまない気がするゆえ、見習と言うことで参加を許す。戦いの中で自己を鍛えなさい」


ティムールはそう言って笑う。アローはホッとして言った。


「よかった、ありがとうございます」


「わしの言い方はきつかったかも知れんが、悪く思うなよ?」


ティムールが言うと、アローは首を振る。


「いいえ、僕自身そう思います。王女様からもそう言われましたから。けれど、僕は強くなりたいんです!」


そう言うアローに、ガルムが笑って言った。


「『閃光のヴィレム』の孫よ、お前は実際の戦場に立ったことはあるか?」


「い、いえ、真剣勝負が数回くらいです」


アローの答えに、ガルムは肩をすくめていう。


「それじゃあ、この町のリョーカっていう自警団長の下にいる坊やたちの方が、お前よりマシかも知れないな。ホルンさんの話では、ヴォルフ狩りに連れて行って、血しぶきなんかをたんと浴びせたということだからな」


そしてティムールに提案する。


「ティムール殿、シャナ殿にこいつの稽古をつけていただきましょう。真剣で」


ティムールは、ガルムの真意を測りかねたが、ガルムの眼に真剣な光が宿っているのを見て、その提案を受け入れた。


「アロー殿はどうかな?」


ティムールはアローにそう訊いた。アローは血の気の引いた顔でうなずいた。



「では、一本勝負だ。どちらも勝敗によって遺恨のないようにな」


ガルムがそう言って、さらに物騒なことを付け加えた。


「お互い、相手を殺してもいいぜ。では、始めっ!」


「お願いしますっ!」


「お願いします」


アローとシャナは、剣と槍で向かい合った。その距離は20ヤードである。槍が有利な間合いではあったが、戦いとは間合いがすべてではないことは、アローも知っていた。アローはひたむきに、剣の間合いまで詰めようと前に出る。


しかし、勝負はあっという間についた。


シャナの槍が突いてくる。それを間一髪、剣で流し、シャナにできた隙を目がけて剣を回す。しかし、その剣は回した槍の石突で弾かれた。アローの身体がやや開き気味になって、態勢が崩れる。そこに、シャナの槍が振り下ろされた。


——これは、死んだっ!


アローはそう覚悟したが、


「それまでっ!」


ガルムの鋭い声は、本気のシャナの槍をも止めた。シャナもびっくりしたように槍を引く。その二人を見て、ガルムは笑ってティムールに言った。


「ティムール殿、シャナ殿は本物だ。役に立つと思いますよ。それからアローは面白いヤツだ。磨けば光るから、俺に預けてもらえませんか? 一月あれば、ある程度までには仕上げてごらんに入れますよ」


ティムールは笑ってうなずいて言った。


「みんな頼むぞ。姫様やザール様だけのためではない、この国のためにな」


(23 辺境の胎動 完)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

いよいよ決起の時が近づいて来ました。

次回『24 蹶起の神剣』は来週日曜日9時〜10時アップ予定です。

お楽しみに。

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