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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
23/70

22 修羅の予感

ホルンたちによってピグリティアを失った『怠惰のアーケイディア』は、姉を生き返らせるため、『オール・ヒール』の使い手を探す。一方ホルンたちは、オリザがなぜ『オール・ヒール』を使えるようになったのかを調べていた。その中で出てきたオリザの母・エルザと『神聖生誕教団』との関わり。そしてオリザは『怠惰のアーケイディア』によって命を狙われることになる。ホルンたちはオリザを守り抜けるのか?

【前回のあらすじ】

 ホルンを亡き者にしようとサマルカンドに乗り込んできた、『王の牙』の4人を倒したホルンやザールたちだったが、ザールとジュチが瀕死の重傷を負ってしまう。その二人を治癒したのは、ザールの異母妹・オリザだったが、オリザの『オール・ヒール』の力を求めて『怠惰のアーケディア』が動き始める。


     ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


「ふうむ、私が知っている以上のことは、どの本にも書いてないのう……」


 ――『オール・ヒール』……それはファールス王国の建国伝説の中に出てくる魔法で、『すべてのケガや病気を治癒し、時には死んだ人すら生き返らせる』というものである。神話の中では、建国の英雄ザールがある戦いで全身に矢を受けて瀕死の重傷を負い、まさに息が切れようとした時、女神ホルンが使ったとされている。(「ファールス王国建国年代記」より。)


 ――『オール・ヒール』は、神話の中に出てくる『ヒール』系魔法の究極形。すべての病気やケガを治癒し、生命を蘇らせるとされている。ファールス王国の正史では存在を認められていないが、『神聖生誕教団』など、その存在を確信し研究を続けている機関もある。同教団では、『オール・ヒール』に関し、その属性は『光と闇の混合』または『土と風の混合』属性とする意見が多い。(「魔法展覧」より。)


 ――『オール・ヒール』は、その属性を『光と闇』又は『土と風』の混合属性であるとする意見が多数意見で、少数意見として『四属性の混合』『六属性の混合』『単独属性』がある。しかし、その効能として『死者の蘇生』が含まれることから、存在と誕生を司る『光と闇』か、生命の器と源流を司る『土と風』の混合属性だと考えることが妥当である。また、その術式に関しては教団内でも意見が分かれているが、現時点では『繰込術式』説と『規定術式』説が有望視されている。(「神聖生誕教団」の報告書から)


「ふむ……魔法にかけてはスペシャリストの集まりである「神聖生誕教団」でも、『オール・ヒール』に関してはこれほど意見が分かれているということか」


 ここは、ファールス王国の“東の藩屏”と言われているトルクスタン候サームが居住するサマルカンド城内の書庫である。そこで、もう何時間も古い書物を読み漁っている黒髪の美女が、本から顔を上げてそうつぶやいた。


「やあ、ロザリア。熱心だね?」


 そこに、金髪碧眼でハッとするほどの美貌を持った青年が声をかける。ロザリアと呼ばれた美女は思考を中断されてびっくりしたように振り返る。


「ひっ!?……なんじゃ、ジュチ殿か。びっくりさせないでほしいものじゃ」

「ふーん、『オール・ヒール』か……興味があるのかい?」


 ジュチと呼ばれた青年は、その細い顎に形のいい指を当てて、ロザリアが読んでいる本を覗き込んで言う。


「そなたは興味がないのか? ほかならぬそなたを救った魔法じゃぞ?」


 ロザリアはそう言いながらハッと気づいたようにジュチに訊いた。


「そう言えば、そなたは常日頃『世界で最も優秀なハイエルフ』であることを自慢していたの? この『オール・ヒール』に関して、何か知っていることはないか?」


 するとジュチは、ニコリと笑って答えた。


「こればかりはボクも良くは分からないね。ボク自身がかけられてぼんやりと分かったことは、属性としては『全属性』で、術式は『特質術式』だということかな? ただ、ボクはそれよりももっと気になることがあるけれどね?」

「ジュチ殿、ちょっといいか? 魔法の術式としては『放出術式』『拡散(放散)術式』『収斂(帰納)術式』『爆散(爆裂)術式』『操作術式』『転移(規定)術式』『繰込術式』の七つではないのか? それと他に何が気になるのじゃ?」


 ロザリアが訊くと、ジュチは薄く笑って言う。


「ふふ、『特質術式』は、ボクが命名したものさ。例えば『拡散術式』と『収斂術式』は同時には使えない。そのためには『繰込術式』で両者をつなぐ魔法の規定操作が必要だ。それと同じで『転移術式』は『放出術式』とは相性が悪い。どのような手を使ってもこの二つの術式を同時に柱として魔法を編むことは出来ない。けれど、まれにいるのさ、この二つを同時に発現させられる者がね。それをボクは『特質術式』と言っている」


 そしてロザリアの眼をまっすぐ見て、真剣な顔で言う。


「……それはともかく、ボクは『オール・ヒール』がどうこうより、なぜそれを年端もいかないオリザが使えたのかという理由が知りたいし、『オール・ヒール』の遣い手としてオリザが有名になれば、彼女の身も心配だ」


 それを聞いて、ロザリアもうなずいた。


「そうじゃな。私はこんな性格だから、すぐに魔法自体に興味が行ってしまうが、言われてみればそのとおりじゃ。これはオリザにも注意しておかねばな」



 オリザ・サティヴァは今年16歳。ザールの異母妹になる彼女は、サームの愛妻アンジェリカ夫人の侍女であるエルザ・サティヴァが母である。

 エルザは、オリザをトルクスタン候の後継ぎにするため、民衆やサームの臣下たちにザールの『竜の血』への不安を煽ったり、アンジェリカ夫人の健康状態を悪くするために僧侶に祈祷させたりと、さまざまな計略を仕掛けて来た。


 けれど、愛嬢のオリザがザールに恋をしていることを知ってからは、『異母きょうだいは結婚できる』という決まり事を思い出したのか、もっぱら娘とザールの間が親密になるような努力をしている。

 当然、現在のエルザにとって最も目の上の瘤としているのはホルンである。ホルンはザールの従姉で、年上ではあるが容姿端麗であり、ザールのことも憎からず思っているフシが覗えたからである。しかし、相手は王女だ、迂闊に手は出せない。

 そのため、エルザは陰ながら臣下へ手を回し、オリザがいかにザールの相手として相応しいかを宣伝する一方、ザールの身近にいるロザリアに目を付け、近ごろはロザリアをことあるごとに内宮へと呼び出して手懐けようとしていた。


「なんと! オリザが『オール・ヒール』を?」


 エルザは、ロザリアから先の『王の牙』との戦いでオリザが果たした役割を聞き、驚いた顔をする。自分の娘がいつの間にそんな魔法が使えるようになったのかと思案する顔だ。


「はい、おかげでザール様もジュチ殿も息を吹き返しました。このことはサーム様にもお伝えいたしましたが、オリザ様に大変感謝されているふうでございました」


 ロザリアはいつものとおり感情を込めない声で言う。けれど、エルザはほくほく顔でロザリアに礼を言った。


「おお、さすがはロザリア殿、オリザが言うように気が利く女性じゃな。オリザの活躍をわが君の耳に入れてくれて礼を言うぞ。これでオリザの株も上がるというものじゃ」


 手放しで喜んでいるエルザに、ロザリアは首を振って静かに言った。


「私がサーム様に報告申し上げたのは、オリザ様の能力が公になれば、オリザ様の身に危険が及ぶことを心配したからです」


 するとエルザはいぶかしげに訊く。


「オリザの身に危険が?」


 ロザリアは感情のない顔でうなずいて続ける。


「はい、『オール・ヒール』とは神話の中にある『神の魔法』の一つで、今まで誰もそれを使ったことは記録されていません。その術式の秘密を知るためならば何でもする連中もいましょうし、あるいは単に『オール・ヒール』を悪事に利用しようとする者がいれば、オリザ様が誘拐されるという事態も考えられますゆえ」


 ロザリアの言葉を聞いているうちに、事の重大さを理解したのか、エルザは恐怖におののく顔でロザリアに言う。


「おお、そうでありましたね。そこまで気が付くとは、本当にそなたはオリザのよい親友じゃな。これからもオリザのことをよろしく頼みますよ」

「そもそも、なぜオリザ様はそのような魔法が使えるようになったのでしょうか?」


 ロザリアが訊くと、エルザも首を振って言う。


「分かりません。わが娘ながらオリザは小さい時から変わった子でしたから。よく『キレイなお姉さんが見える』と言っては、森の中で遊んでいましたし……。そう言えば、エレメントもいつの間にか覚醒して、その光が他の人とは違うと『神聖生誕教団』の者も言っておりましたが」


 ロザリアは、目をキラリと光らせて訊く。


「奥方様は『神聖生誕教団』とは何かつながりがございますか?」


 するとエルザは笑いに紛らして言う。


「ほほ、そんなことを言っていた僧侶がいたということですよ。とにかく、わらわもオリザの能力については秘密にしておきますので、あの子のことは頼みましたよ? ロザリア殿」


       ★ ★ ★ ★ ★


 『神聖生誕教団』とは、ファールス王国建国時に活躍した女神ホルンを主神として祀る教団で、『神の御業』である『魔法』を、女神ホルンの言葉を基に体系づけ、さまざまな術式を規定するという貢献をしている。

 また、全国に教会を置き、一般人に対して女神ホルンの恩寵を説くとともに魔法の訓練やエレメント覚醒の手助けを行ったり、大きくは『神の魔法』と言われる神話の中で伝えられている魔法——『オール・ヒール』『クリエーション・イベント』『オール・エクスキューズ』『オール・バルス』『サンクチュアリ』などの究極魔法——の具現化を試みたりしている。


 教団の本拠はダマ・シスカスに置かれており、最高位の法王は現在128代目のソフィア13世だった。首都イスファハーンやトルクスタン候国のサマルカンドなどには大司教が置かれ、サマルカンド大司教はソル・モーリタニアが務めていた。教団に属するものはなべて人が良く、私有財産も禁止されているので私腹を肥やすものもいなかった。まあ、中にはジュガシビリのような者もいたが、国民からの受けは総じて良かったといえる。


 サマルカンド大司教はサマルカンド郊外の広大な土地に、質素な教会をいくつか建てて布教活動を行っていた。その中のやや大きめの教会が本部となっており、いつもはそこに大司教がいる。しかし、その日は教団の用事でイスファハーンに出かけていて、大司教は難を免れた。


 その日は、大司教区の魔法を研究する僧侶が一堂に会し、それぞれの研究成果を報告したり情報交換をしたりしていた。その中には当然、『オール・ヒール』を専攻している僧侶たちも何人かいる。

 研究会も終盤に差し掛かった時、突然、教会のドアが乱暴に開かれた。教会内にいた僧侶たちは一斉にドアの方を見る。そこには、黒いワンピースの上から黒く丈の短いチョッキを着たエルフの美少女が、薄く笑いを含んで立っていた。


「こらこら、今日は礼拝の日ではないぞ。お嬢さん、今は大事な教団の研究会だから、ご祈祷でしたら他の教会でお願いし……ぐへっ!」


 一人の老僧が、少女に注意をしたが、少女はみなまで聞かないうちに右手をサッと振り上げる。と同時に老僧は下腹から頭まで縦に裂かれて、血と内臓をぶちまけながら床に転がった。


「うわっ」「おおっ」


 それを見ていた僧侶たちは立ち上がり、我先に協会から逃げ出そうとしたが、少女が左手を肩の所まで上げて両手を開いたら、誰一人動ける者がいなくなった。


「オール・ヒールのような匂いがするわ、お兄さま」

「そうだね、オール・ヒールのような匂いだ、お姉さま」


 少女はそう独り言を言うと、黒髪の下からのぞく銀色の瞳を光らせて、場内にいる僧侶たちに訊いた。


「オール・ヒールを研究しているものは、手を挙げなさい」


 すると、恐る恐る5・6人の僧侶が手を挙げた。少女は右手を肩まで上げると、急に開いていた手のひらを閉じる。とともに、手を挙げた僧侶をのぞいた全員が、ゴリッと言う骨が砕かれる音とともに、床に崩れ落ちた。


「……その僧侶たちを蘇生させなさい」


 少女が言うと、生き残った僧侶たちはぶるぶると震えながら言う。


「な、何をするんだ。わしらはオール・ヒールを長年研究しているとはいえ、その成果はまだ玄関を開けてもいない状況だ」

「……で? 蘇生は出来ないの?」


 少女は邪気のない顔で首をかしげて言う。僧侶たちは震えながら少女を非難した。


「当たり前だ! 私たちの仲間も人間に役立つ究極魔法を研究していたというのに、大変なことをしてくれたな? 名前は何という?」


 すると少女は、急に興味を削がれたように無表情となり、


「じゃ、いいわ」


 と、前に伸ばしていた右手を手刀のようにサッと振り下ろした。すると、抗議していたものはもちろん、5・6人の僧侶すべてが


「がはっ」「げぶっ」


 と一斉に胸を裂かれて血を噴き出しながら床に崩れ落ちる。


「誰も知らないわ、お兄さま」

「誰も知らないね、お姉さま」

「オール・ヒールを知らない役立たずは、どうしましょうか? お兄さま」

「みんな食べてしまえばいいわ、お姉さま」

「じゃあ、食べましょう、お兄さま」

「うん、食べてしまいましょう、お姉さま」


 黒衣の美少女……『怠惰のアーケディア』はそう独り言を言うと、まだ息がある僧侶たちを一人一人、脳と心臓を引きずり出して食べ始めた。


       ★ ★ ★ ★ ★


 『神聖生誕教団』の教会が『怠惰のアーケディア』に襲われていたころ、サマルカンド城内ではホルンとリディアが自分たちの武器にうっとりとしていた。

 ホルンが15の時から10年間、用心棒家業の相棒として使っていた『死の槍』や、リディアの神器のトマホークは、前回、『王の牙』との戦いであるいは折られ、あるいは潰されて使い物にならなくなっていたのだが、鍛冶職人のドワーフ、ヘパイストスの手で新たに製作されたり焼き直されたりしていたのである。


「最初は王女様の『死の槍』です。随分と骨が折れました」


 ヘパイストスは、そう言いながら『死の槍』の鞘を払い、ホルンに差し出す。ホルンはうなずいてそれを受け取り、少し離れたところで振り回し始めた。


「やっ!」


 ホルンの気合とともに、『死の槍』は真っ直ぐに突き出され、穂先はぴたりと止まる。その60センチと言う長大な穂には、『Memento Mori(死を忘れるな)』と金で象嵌が入れられている。


「うん、まったく元どおりだわ。ありがとうヘパイストスさん。さすがにいい腕だわ」


 ホルンは穂を裏返し、そこに朱文字で『Et in Archadia ego(死はどこにでもある)』と浮き出ているのを確かめるとそう言って笑った。こちらの文字は、シュバルツドラゴンの棟梁であるグリンからかけられた魔法の文字で、もともと『火』のエレメントに対応していた『死の槍』を、ホルンの『風』のエレメントでも力を発揮できるようにしてもらったものだ。

 ヘパイストスは頭をかきながら言う。


「いえ、実際のところ、グリン様の魔力が強すぎて、俺の腕が追い付かなくてですね。おかげで少し時間がかかりました」


 ホルンはヘパイストスに優しく笑って言う。


「それでも、デューン様の思い出が詰まっているこの槍をもう一度使えるなんて嬉しい限りよ。本当にいい仕事をしていただいたわ、感謝します」


 ヘパイストスは照れたのか、頭をかきながらリディアに言う。


「つ、次はリディアだな。前回の『白炎斧』よりも一段とすげえものを誂えて来たぜ。コイツはお前が乙女チックなカッコになっていても扱えるぜ」


 そう言うと、巨大な青龍偃月刀を虚空から取りだしてリディアに渡す。その刀は素晴らしくカッコよかった。全体的にすらりとしているが身幅と厚さはかなりあり、刃渡りは1メートルに達する。棟の方はのこぎりのように波打ち、柄近くには大きな返りがあった。リディアは目を輝かせてそれを受け取ると、ホルンがしたように少し離れてそれを振り回し始めた。


「エイッ!」


 リディアの気合と共に、青龍偃月刀は床すれすれで止まる。それでも、その風圧で床の大理石にひびが入った。


「あちゃ、失敗した。てへぺろ」


 リディアがそう言って舌を出す。そしてヘパイストスに言った。


「いいじゃんこれ! 前の『白炎斧』より軽く扱えるよ?」


 けれどもヘパイストスは笑っていう。


「さすがはリディアだね。でも『白炎斧』は15キッカル(約510キロ)で、こいつは82キッカル(約2・8トン)もあるんだぜ?」

「82キッカル!? とてもそんなに重いとは思えないよ?」


 リディアがびっくりして言うのに、ヘパイストスはニヤニヤ笑って青龍偃月刀の柄を指さして言った。


「その柄に、反重力の魔法がかけてある。そのお蔭で遣い手には12キッカル(約400キロ)ぐらいにしか重さは感じないんだ。試しに魔法を解いてみるか? 刀の柄元の飾り布を取って見な?」


 リディアは試しに布を取った。すると、途端に刀は重さを増し、リディアは身長2・5メートルの本来の姿に戻る。それでもリディアの偉大な筋肉は膨らみ、ぶるぶると震えていた。


「ぐっ……お、重い。持てないくらいじゃないけど、まだアタシには振り回せそうにないや」


 ヘパイストスは布を柄に巻き付けて、優しい声で言った。


「いや、それでも持ち上げるなんて大したもんだぜ。俺なんか魔法かけるまでは持ち上げられなかったからな。さすがは90キッカル(約3・1トン)の戟を軽々と扱うというオルテガ様の娘だな。見直したぜ」

「でも、これ形もかっこいいし、アタシ断然気に入ったよ。サンキュ」


 リディアがそう言うと、ヘパイストスは笑って言った。


「実は、親父が勧めたんだ。タイシン帝国の武神が扱う武器に『冷艶鋸れいえんきょ』ってのがあってな。リディアにぴったりじゃないかってな」

「れーえんきょ? よし、この刀の名は『レーエン』だ! これでジュチがバカしたら真っ二つにしてやれるね」


       ★ ★ ★ ★ ★


「では、ザール様もオリザ殿があの魔法が使えることはご存じかったのじゃな?」


 そのころ、ロザリアはザールと二人で『神聖生誕教団』の教会を目指していた。ザールはうなずいて言う。


「うん。オリザのエレメントが『土』でヒール系の魔法が得意なことは知っていた。よく、枯れかけた草花や死にかけた動物たちに魔法を使っていたからね」

「優しいのじゃな、オリザ殿は。私と違って」


 ロザリアがつぶやくように言うと、ザールは笑って


「ロザリアも優しいさ。以前、夢で僕のことを元気づけてくれたじゃないか。『飛頭蛮』事件の時だったかな」


 そう言う。ロザリアは肩をすくめて答える。


「あれは単に私が幻滅したくなかったからじゃ……やれやれ、あれが夢とはのう」

「? 何か言ったかい?」

「何でもございません……時に、ザール様、お気づきですか?」


 ザールは、ロザリアが不意に身長140センチ足らずの少女に変わったのを見て、目を細めて周りを見回す。ロザリアが少女形態を取る時は、魔族の血が覚醒した時で、それは何かが起こったことを示している。

 ザールにも、その変異は感知できた。もうすぐ『神聖生誕教団』の教会が建っている敷地に着くが、異臭が漂っていたのである。


「ロザリア、気を緩めるなよ」


 ザールはそう言うと、教会の敷地へと足を踏み入れた。ドロリとした異様な空気がザールを包み込む……と瞬間に上に跳ぶ。ザールの足元を何か鋭いものがかすめていった。


「……ふむ、11次元空間か。よく編めているものじゃ」


 ロザリアが敷地の外から眺めて感心したように言う。そしてロザリアはゆっくりと右手を差し出すと、敷地ギリギリのところで止めて目を閉じる。


「ザール様、これは『怠惰のアーケディア』が編んだものじゃ」


 ロザリアが言うと、ザールは『糸杉の剣』に手を添えてゆっくりと足を進める。水の中を歩くように、空気がねっとりとまとわりつく。何歩か行くと、ザールの足元で何かが動いた気配がした。直ぐにザールは『糸杉の剣』を抜き打ちにしながら後ろへと跳ぶ。バサッと軽い手ごたえがして、ザールの目の前に僧侶の死体が転がった。


「……どうやら、『怠惰のアーケディア』のせいで全滅したみたいだな。しかしなぜ、アーケディアはここを狙ったんだろうか?」


 ザールがそう言っているうちに、ロザリアの『空間解除』が終わったのだろう、一瞬で周りの景色が明るくなり、身体を包んでいた冷たくてねっとりとした雰囲気も消える。


「ザール様、何があるか分からぬのに勝手に敵の空間に飛び込んでもらっては困る。私は見ていて寿命が縮んだぞ」


 ロザリアが文句を言いながら敷地へと入ってくる。ザールは『糸杉の剣』を肩に担ぐと笑って言った。


「すまないね。でも、こうしないと逃がすおそれがあったからね」


 そう言ってサッとロザリアの側に跳ぶと、一軒の教会に向かって怒鳴った。


「出て来い! そこにいるのは最初から分かっていたぞ!」


 すると、その教会のドアが音もなく開き、そこから黒いうねるような髪を揺らしながら、1本の角を持つエルフの女性が歩み出て来た。黒いワンピースに黒くて丈の短いチョッキを着ている。『怠惰のアーケディア』だ。


「あのドラゴン、なかなかやるわね、お兄さま?」

「そうだね、気を付けてね、お姉さま」


 アーケディアはそう言うと、ザールに向かって訊いてきた。


「そこのドラゴン、『オール・ヒール』を使う娘を知っているわね?」


 ザールは、『糸杉の剣』を横に構えつつ答えた。


「一つ訊きたい。『オール・ヒール』に何の用だ?」


 するとアーケディアはケタケタと笑って言う。


「何の用って……決まっているわ、お兄さまに生き返ってもらうの」


 そしてアーケディアはロザリアを見て思い出したようにニヤリと笑って言った。


「あの時の魔族の娘ね? ボクに潰された気分はどうだったかしら?」


 ロザリアは目を据えてアーケディアに言う。


「あの時はやられたが、今度もうまくいくとは限らんからの?」


 アーケディアはロザリアの言葉は完全スルーしてザールに言う。


「そう言えば、そこのドラゴンは、あのお姫様が恋焦がれているザールじゃないか? ふふん、『竜の血』が目覚めたんだね、気を付けないと危ないよ、お姉さま!」


 アーケディアは叫びながら、ふいに飛び込んできたザールの鋭い斬撃を左腕で止める。その身体中が浅黒い『魔力の揺らぎ』に包まれて、禍々しい雰囲気をこれでもかと言うほどに醸し出している。


「こいつ、あの時より速くなっているわ、お兄さま」

「そうだね、確かに速くなっているね、お姉さまッ!」


 アーケディアはそう言いながら、『糸杉の剣』を押し返す。ザールはアーケディアの『魔力の揺らぎ』に10メートルほど吹っ飛ばされたが、とんぼ返りをうって着地した。


「ザール様、ここはいったん引きましょう。相手は『七つの枝の聖騎士団』の一人、不期遭遇戦でぶつかって勝てる相手ではありません」


 ロザリアはそう言いながら、両手に『魔力の揺らぎ』をスタンバイさせている。それを見ながらザールはロザリアに言った。


「ロザリア、お前は一旦城に帰り、ジュチとリディアを呼んできてくれ」

「逃がさないわよ」


 アーケディアはそう言って右手を振り上げる。途端にザールの足元が陥没した。


「おわっ!」「ザール様っ!」


 ザールを飲み込んだ『次元の穴』は、ゆっくりとその口を閉じる。ロザリアは唇をかんでその空間を見つめていたが、やがておどろおどろしい視線をアーケディアに向けて言い放った。


「ザール様をよくも……そなたは私を本気で怒らせたの。ここで死んでもらうぞ」


 そう言うと、ロザリアの漆黒の髪の毛が紫色の『魔力の揺らぎ』に乗ってゆらりと揺れた。その瞬間、アーケディアはロザリアの『毒薔薇の牢獄』の中にいた。


「ふん、あの魔族の娘もなかなかやるわね、お兄さま」

「そうだね、ちょっと驚いたよ、お姉さま」


 自分の周りに咲き誇る毒薔薇を見ながら、アーケディアは笑っていた。


「しゃべる暇があったら、逃れる算段でもせい!」


 ロザリアは冷たい目でアーケディアをひたと見つめて両手を水平に挙げた。すると『毒薔薇の牢獄』はサッと狭まり、アーケディアの身体に毒薔薇の蔓がきつく巻き付いた。その棘はアーケディアの服を破り、皮膚に突き刺さる。


「あの娘、なかなか楽しい魔法を使うわね、お兄さま」

「そうだね、でもまだ隙があるわよ、お姉さま」


 アーケディアはそう言うと、ニヤリと笑って『毒薔薇の牢獄』から消えた。


「なっ?」


 ロザリアはそう言いながら、背中に物凄い悪寒を感じて前に跳ぶ。けれど、一瞬早くアーケディアの伸ばした手に握られた毒薔薇の棘が、ロザリアの背中に突き立った。


「ぐわっ!……くそっ」

 バシュッ!


 ロザリアは、背中の皮膚から流れ込んでくる毒が肺と心臓に達する前に、棘が刺さっている部位を自ら爆散させた。ロザリアの白いワンピースの背中が弾け、スカートは血に染まった。


「まだ生きているわよ、お兄さま」

「本当だ、魔族のくせにしぶといね。お姉さま」


 ロザリアは、そう言いながら近づいてくるアーケディアに、言いしれない敗北感を感じ


 ――これまでじゃな。ザール様と思いを遂げられなかったのが心残りじゃが……。せめてあやつを地獄への道連れにしてくれるわ。


 そう思って『自爆準備』を始める。

 その時、ズズンという大きな響きとともに、この辺りの空気が大きく揺れた。


「この空震は何? お兄さま」

「分からないけれど、何か嫌な予感がするわ、お姉さま」


 アーケディアはロザリアに止めを刺すことも忘れて辺りを不安そうに見回している。そして、


「あれは何? お兄さま」


 アーケディアが空間の一点を指さして叫ぶ。そして自ら答えを言った。


「ザールの奴だよ、お姉さま」

「信じられない、私たちの11次元空間を抜け出せる人間がいるなんて」


 そう言っている間にも、空間の歪みはゆっくりと広がり、ぽっかりと空いた穴からは轟々と風が吹き出してくる。それとともに、小さな空間の歪みから『竜の腕』が突き出されると


「うおおおお!」

 ギャギャギャギャ!……


 ザールの雄たけびと空間が擦れるけたたましい音が響き、押し広げられた『次元の穴』から『四翼の白竜』が飛び出してきた。そのままアーケディアに突進する。


「きゃっ!」


 アーケディアは『四翼の白竜』の『糸杉の剣』による斬撃を辛うじて避けた。しかし、続いて繰り出された鋭い爪の攻撃を避けきれなかった。


「ぎゃっ!」


 アーケディアは、頭部を縦に四つに裂かれ、脳漿と血を噴き出しながら吠える。


「痛い、痛いわ。お兄さま!」

「ボクも痛いわ、お姉さま!」


 そして、アーケディアは残った魔力を振り絞るように両手を挙げて


「オボエテイロ」


 と叫ぶと、『四翼の白竜』の次の攻撃が来る寸前に消えた。


「くそっ、逃がしたか」


『四翼の白竜』がザールに戻って悔しそうに言う。手ごたえを感じていたのだろう。そこでハッと気づいてロザリアを見る。ロザリアは20歳の本来の姿に戻っていた。こちらに向けた白い背中の真ん中に、大きくえぐれた傷が見え、そこからまだどす黒い血が流れていた。


「ロザリア、大丈夫か?」


 ザールがそう言ってロザリアに近寄ると、ロザリアは


「こ、来ないでください。前もはだけているので、恥ずかしいです」


 そう言う。ザールはそれを無視してロザリアに近づくと、背中に右手を当てて言う。


「ヒールをかける。少し熱いだろうが我慢してくれ」


 そして、右手に白く輝く『魔力の揺らぎ』を集めた。


「あ……」


 『魔力の揺らぎ』の発動とともに、ロザリアはそう小さくあえいだ。しかし、すぐにロザリアは


「き、気持ち、いい、です……ザール様」


 そう言って気を失ってしまった。少し出血が多すぎたのだろう。

 ザールは、ロザリアが息をしているのを確認すると、傷口とはだけてしまった胸を隠すために自分の上着でロザリアを包み、そのまま抱えて城まで帰った。



「ロザが怪我したって!?」


 オリザがそう言いながら、ロザリアの部屋に入ってきた。そしてそこにザールやホルン、ジュチとリディアがいるのを見て、少し顔を赤くして言う。


「お兄様、ロザはどう?」

「『毒薔薇』の毒は殆ど残っていなかったけれど、自分で自分の背中を吹き飛ばしたからな、しばらく安静が必要だな」


 ザールが握っていたロザリアの手を離して言う。手を離す際、ロザリアは小さな声で


「ザール様……どこにも行かないで」


 そう言った。

 ザールはニコリと笑うと、


「心配するな、お前のお陰で今回も無事だったんだ。僕はこの国が立ち直るまで、どこにも行かない」


 そう言うと、ロザリアは薄く笑って、また深い眠りについた。


「ところでザール、『怠惰のアーケディア』は本当にオリザさんを狙っていたのですか?」


 ホルンが訊くと、ザールはオリザを見て頷いて


「ええ、オリザをと言うより、『オール・ヒール』を使える人物を探していました。オリザがその人物だとは、今のところ分かっていませんが、あいつなら見ただけで看破するでしょう……ということでオリザ、お前はしばらく城の中でじっとしていろ」


 そう言うと、オリザは両手を口に当てて可愛く言う。


「え〜? オリザこわ〜い……お兄様、ずっとオリザと一緒にいて?」


 苦笑するザールに、ホルンは優しい目をオリザに当てて言った。


「オリザさんが怖がるのも無理ないわ。ザール、しばらく一緒にいてあげたら?」


       ★ ★ ★ ★ ★


 ホルンは、ジュチと共に『神聖生誕教団』』サマルカンド大司教であるソル・モーリタニアを訪ねた。ソル大司教は今年36歳だが、非常に美人で、頭脳も明晰なことが、その明るく鋭敏に動く瞳の色からも窺えた。

 最初会った時、ソルはホルンに対して


「あの、王女様とは以前にどこかでお会いしましたか?」


 と聞く、ホルンはもちろん初対面だったため、首を振って笑顔で答えた。


「さあ……すみませんが私には覚えがありません」


 ソル大司教は懐かしそうに首をかしげながらつぶやく。


「そうですか……私は何か王女様を見て懐かしい思いがしたのですが……。ところで、今日ご来駕いただいたのは、我が教団を襲ったものについてでしょうか?」


 ホルンはうなずき、ソル大司教に思い当たることを訊きただした。

 ソル大司教は、自分の教会で起こった出来事に激怒していた。失った僧侶たちは皆、『オール・ヒール』をはじめとする神話世界の究極魔法を研究する第一人者であったばかりでなく、魔力の方も相当強い者たちばかりであったからである。


「しかし、そういった我が兄弟たちを全員、あのように無残に殺害できるのは、王家の戦士以上の能力がないとできないことです。王女様はどう思われますか?」


 ソル大司教は、そう目の前に座ったホルンに言った。ホルンはうなずくと


「この教会を襲ったのは、『七つの枝の聖騎士団』の一人、『怠惰のアーケディア』と言うことは分かっています。ザール様がアーケディアと遭遇し、ザール様も襲われていますので」


 そう答える。ソル大司教は秀麗な顔に憂いを見せて


「そうですか、現国王はとかくの噂があるお方。特に左右の重臣に対しては国民もあまり良い感情を抱いていません。そうした中で今回のようなことが起これば、この国の体制を揺るがしかねません」


 そう言うと、続けて


「我が兄弟たちの亡骸を見て、『オール・ヒール』を専攻していた兄弟たちは、他の兄弟たちより後まで生きていたことが分かります。その『怠惰のアーケディア』は、『オール・ヒール』を狙っているのでしょう。理由は分かりませんが」


 そう言うと、さらに真剣な顔で続ける。


「ですから、私はオリザ姫様が危ないと思っています」

「大司教様は、オリザ殿が『オール・ヒール』を使われることを知っておられるのですね? なぜでしょう?」


 ホルンが訊くと、ソル大司教はニコリと笑って言った。


「私は、オリザ姫が『オール・ヒール』を初めて使われたとき、そのお側にいましたので。もう11年も前で、姫が5歳の時でした。私は姫のお付きをしていましたが、姫の優しさと、『オール・ヒール』をもっと研究したいとの思いでこの教団の門を叩いたのです」



「オリザが5歳の時なら、ザールはまだドラゴニュートバードにいた頃ですね」


 教会からの帰り道、ジュチがそう言った。


「ザールはいつまでドラゴニュートバードにいたのかしら?」


 ホルンの問いに、ジュチが何かを考えながら答える。


「ザールは12歳の時にサマルカンドに帰りました。その後、5年してボクが、さらに2年してリディアがここに来ましたからね。それならザールも、なぜオリザが力を得たのか知らない道理だ」

「とにかく、まずは『怠惰のアーケディア』を倒して、オリザの安全を確保しないといけないわね。そのついでに、オリザには自分で自分の身を守る術を身に着けてもらわないと」


 ホルンは翠色の瞳を持つ目を細めてそう言った。



「……来たわね」


 僧侶たちの葬儀と埋葬も終わり、すっかり片付いた協会の中で、大司教ソルはそうつぶやいて、後ろも振り返らずに声をかけた。


「お入りください、『怠惰のアーケディア』。今回はあなたがしでかしたことについての謝罪でもしていただけるのかしら?」


 すると、教会の重いドアがゆっくりと開いて、黒髪を揺らしながら『怠惰のアーケディア』が入って来た。アーケディアはゆっくりと近づいてきたが、彼女の跳躍力でソルに飛び掛かれる距離まで来ると、ソルは鋭く命令した。


「そこで止まりなさい!……アーケディア、あなたは罪もない私の兄弟たちを惨たらしく亡き者にしました。その所業はたとえあなたが『七つの枝の聖騎士団』の一人だとしても、到底許すことは出来ません」


 そしてソルはゆっくりと振り返り、左手に大司教としての地位を表す司教杖を取った。その頭の方には『神聖生誕教団』の印である『ルーンの泉』が象られている。そして、ソルが司教杖で床をドンと叩くと、アーケディアの周りに武装した女たちが現れる。彼女たちは教団の武装勢力である『女神の騎士』たちだった。

 銀色の瞳を持つ目を細めて立ち尽くすアーケディアに、ソルは静かな声で言う。


「我が教団は国王陛下から、国教に準ずる旨の勅書を頂いています。その意味では『七つの枝の聖騎士団』と同格の組織。そなたの所業を国王陛下に直接奏請する権利も持っています。しかし、そなたの気持ちも分かります。今すぐにトルクスタン侯国を出て行き、二度と『オール・ヒール』に興味を持たないと約束できるなら、今回は見逃しましょう」


 その言葉とともに、アーケディアを包囲している騎士たちは一斉に抜剣する。

 アーケディアは、騎士たちを一渡りぐるりと見回すと、不思議な笑みを浮かべて、


「やっ!」


 とソルに向かって跳びかかって来た。いつの間にか、その手には剣が握られている。


 ジャリン!


 ソルはアーケディアの鋭い斬撃を、司教杖で受け止める。そして、笑って言った。


「報いを受けたいようですね?」


 説教台の上に立ち、ソルを押し倒そうと力を籠めるアーケディアの身体に、所かまわず『女神の騎士』たちの剣が突き刺さる。その時初めて、アーケディアは声を発した。


「ミエタ」


 そして、アーケディアは跡形もなく消え去った。


 大司教ソルは、しばらくアーケディアの最後の言葉の意味を考えていたが、あることに気付くと『女神の騎士』たちに命令した。


「アーケディアは術式を使って私の記憶を探ったに違いない。すぐにサマルカンド城に遣いを飛ばし、アーケディアの出現に気を付けられるよう、王女様にお伝えしなさい」



「見えたわね、お兄さま」

「見えたわね、お姉さま」


 『怠惰のアーケディア』は、『神聖生誕教団』の教会から姿を消すと、一目散にサマルカンドへと駆けていく、その途中で性格である『怠惰』が出たのか、アーケディアは何もない空間にゴロンと横になって、そのまま飛びながらつぶやく。


「子どもだったわね、お兄さま」

「うん、子どもだったね、お姉さま」

「どうやったらあの子を食べられるかしら」

「おびき出せばいいんじゃない?」

「駄目よ、ザールや王女が出てきたら、戦わなきゃいけないし」

「それなら、ボクたちがあの子の所に行くしかないわ、お姉さま」


 アーケディアはしばらく何かを考えていたが、やがてうなずくと言った。


「“この子”の所に行けばいいわ。そこにはザールもいないし、いても子どもだし」

「グッドアイデアよ、お兄さま。“この子”の所に行きましょう」


 アーケディアは一人でうなずくと、そのままサマルカンドへと飛び続けた。



「アーケディアがこちらに向かっているようだ」


 『神聖生誕教団』の教会から放たれた伝書鳩の報告を読んだザールは、そこにいる全員……オリザ、ホルン、ジュチ、リディア、ロザリア……の顔を見て言った。


「あいつは僕が相手しよう。前回、あいつを討ち取る方法が分かったから」


 ザールが言うと、ホルンはオリザをチラッと見て言った。オリザは真っ青な顔をしている。ザールと離れると思うと、不安でたまらないらしい。


「ザールとロザリアは、オリザさんの側にいてあげて。私とジュチ、リディアであいつの相手をするわ」

「しかし……」


 ザールが言いかけるのを、ホルンはやんちゃな弟をたしなめるような感じで押さえる。


「オリザさんの不安が分からない? あなたはアーケディアを討ち取る自信があるようだけれど、そんなあなただからオリザさんの側にいてほしいのよ」


 そしてロザリアを見て笑って頼んだ。


「ロザリアはまだ本調子じゃないわ。ザールの側にいて、ザールを助けて?」


 ロザリアも、まだやつれが見える顔で笑って言った。


「お任せください、姫様」


 ザールは、さらに何か言おうとしたが、ロザリアが


「ザール様、オリザ殿をご覧になってください」


 と言うので、オリザを見ると、オリザは青い顔をして目に涙をいっぱいためて震えている。いつもはどんな危険な事件が起こっても、ザールについて来たがるオリザだったが、そのオリザがザールの眼を見て無言で必死に訴えているのが分かった。


「……分かった、オリザ、僕が側にいるから安心しろ。それと王女様、アーケディアの弱点は『魔力の揺らぎ』にあります」


 ザールが言うと、ロザリアがうなずいて付け加えた。


「そうか、アーケディアが何かを術式を発動するときと、単に移動するときの『魔力の揺らぎ』には違いがあるのじゃ。それさえ見極めれば、ヤツの術式には落ちんで済む」


 ホルンは、『死の槍』を取り上げながらジュチとリディアに言った。


「聞いたわね? そこに注意してかかってね。絶対にアーケディアを倒すわよ」



 アーケディアは大胆だった。まだ日も高いのにサマルカンドのまちに入った彼女は、そのままメインストリートをずんずんと歩く。黒いワンピースに黒くて丈の短いチョッキを着ているのはまだしも、灰色の肌とエルフの特徴的な耳、そして額に生えた角すら隠さず彼女は内城城門へと歩いて行った。

 そして城門に着いた時、彼女は至極大胆にもそのまま門の中に入ろうとする。それを見た門衛たちは、


「こらこら、お嬢さん。これから先は通行許可証を持った人しか入れないよ」


 と注意する。するとアーケディアは銀色の瞳を持つ目を細めて門衛を見て、


「許可証ならあります」


 そう言って右手を門衛たちの前で開いた。すると門衛たちはぼーっとした表情になり、


「ソウデスネ、デハ、オ通リクダサイ」


 と、アーケディアを門の中に入れてしまった。

 しかし、彼女の侵入は、


「来たようだよ?」


 と、すぐにジュチの知るところとなる。ジュチは自らのオトモダチを城内のいたるところに飛ばしていたので、アーケディアの侵入はもちろん、その後の動きまでリアルタイムに手に入れることができた。


「こちらからお出迎えしないと悪いわね?」


 ホルンが片目をつぶって言うと、ジュチは薄く笑って右手を開いた。緑色に薄く輝くアゲハチョウが3匹出てきて、ジュチ、ホルン、リディアの肩に1匹ずつ止まる。


「オトモダチに案内してもらおうか。途中であいつがどんな行動をしても、すぐに知らせてくれる」


 ジュチはそう言うと、背中にオオミズアオの羽を生やし、アゲハチョウと共に南側の道へと進み始めた。それを見て、ホルンは真ん中を、リディアは北側の道を選択し、西へと進み始めた。



「チッ! あの『魔力の揺らぎ』はザールのだね。この間会ったときよりもさらに魔力の質と量が増えているね……今の私ではあの化け物みたいな男の相手はきついわ」


 まんまと内城に入り込んだアーケディアだったが、中央にある城砦まで誰にも気づかれずに行きつくことは困難だと思われた。

 内城の中は生垣くらいしかなく、物理的にはどの方向からでもオリザのいる館へ接近可能である。けれど、アーケディアからしてみれば、接近路は西側からの一択であった。東はザールの『魔力の揺らぎ』に覆われていたからである。


「“この子”の所に行くには、あの子の『魔力の揺らぎ』に触れないといけないからね」

「そうね、少なくとも感じられないといけないわ、お姉さま」


 アーケディアは、自分の存在を知られることは承知のうえで、自分の『魔力の揺らぎ』を放つ。その範囲内にオリザの『魔力の揺らぎ』を感知すれば、アーケディアは“この子”の所に行くことができるらしい。


「お兄さま、前方に三つ、『魔力の揺らぎ』が見えるわ」

「こちらに近づいて来るね。厄介だわね、お姉さま」

「まだあの子の『魔力の揺らぎ』に触れないわ、お兄さま」

「もうちょっとのはずだ。触れたらすぐに転移すればいいよ、お姉さま」


 やがて、ホルンとジュチが視界に入って来た時、


「お兄さま、あの子よ!」

「うん、あの子だ。王女が近づいてきているから、早くしないとだよ。お姉さま」


 そしてアーケディアは、何かの呪文を唱え始める。アーケディアの身体から『魔力の揺らぎ』が噴き出るのを見て、ホルンたちもスピードを上げた。


「今よ、お兄さま」

「今だ、お姉さま」


 アーケディアがそう叫ぶと、一瞬、赤黒い光が辺りを照らすと、光が収まった後にはもう、アーケディアの姿は消えていた。


「あれっ、あいつが消えた? お姫様は?」


 一番遅れて駆け付けたリディアは、茫然としているジュチにそう訊く。ジュチはじっとアーケディアが消えた空間を見つめていたが、やがて困ったように吐き捨てた。


「……『転移術式』と『繰込術式』か。くそっ、ボクとしたことが、こんなことに気付かないなんて!」

「ジュチ、どうしたのさ。姫様は?」


 レーエンを抱えてそう訊いてくるリディアに、ジュチは青い目を細くして自嘲するように言う。


「アーケディアの狙いは、今のオリザじゃない、過去のオリザだ」

「過去の?」


 不思議そうに訊くリディアに、ジュチは辺りを見回しながら早口で説明する。


「そうさ、過去ならばザールもまだ子どもだ。今のように『竜の血』に目覚めていないし、ひょっとしたらまだドラゴニュートバードにいるかもしれない。そこを狙ったんだ」

「じゃ、過去のオリザがいなくなったら……」

「ボクもザールも、この前の戦いで死んだことになるだろうね」

「そんな! 何とかならない?」


 焦って言うリディアに、ジュチは


「姫様もあちらの世界に飛ばされたようだ。これがアーケディアのミスなのか、時空の必然なのかは、そのうち答えが出るだろうが……あった、この結節を使えば、ボクらもアーケディアの後を追えるはずだ。リディア、ちょっと待っていろ」


 空間の一点を見つめて言うジュチに、リディアは黙ってうなずいた。


       ★ ★ ★ ★ ★


 ――ここは、どこ?


 ホルンは、パチリと目を覚まして、目の前に広がる夏の空を見てそう思った。ゆっくりと起き上がると、随分と長く寝ていたように身体の節々がきしんだ。


 ――『怠惰のアーケディア』が城内に侵入してきて、私はソイツの姿を捕らえた。戦いを挑もうと駆け寄っていたはずだったけれど……。


 そして、ハッとする。


「アーケディアはどこ?」


 ホルンはそう独り言を言いながら、『死の槍』をつかみ直すとゆっくり立ち上がる。ひょっとしたら、何処からかアーケディアがこちらを狙っているかもしれない。

 ホルンはその翠の瞳で、注意深く辺りを見回す。そして、どこか周囲の景色に変な違和感を覚えた。

 まず、季節だった。今はまだ春も浅い時期のはずだった。けれど、気がつけば、うるさいほどのセミの声が降ってくる。

 そして、次に不思議に思ったのが、植栽だった。明らかに周囲の木々や草花が若い。そして配置が微妙に違っていた。

 事情が分からずに憮然としているホルンの耳に、平和そのものの声が聞こえて来た。


「姫様、姫様~。かくれんぼはもう終わりですよ? 出てきてください」


 すると、ホルンが立っている茂みに、女の子が駆け込んできた。お日様のような色の髪の毛を持った子だ。その子はホルンを見てハッとしたように身体を固くする。ペールブルーの瞳には、驚きの色が宿っていた。


「お姉さん、ひょっとして女神様?」


 その子が恥ずかしそうに訊いてきたので、ホルンは優しい顔をして答えた。


「いいえ、私はホルン・ファランドールと言います。あなたのお名前は?」


 うすうす事情を感じ取り始めたホルンだが、その“もしや”を確かめるために女の子に訊いた。そして、女の子はホルンが予想した通りの答えをする。


「ワタシ、オリザ・サティヴァ、5歳だよ。でも、お姉さんの名前、やっぱり女神様じゃない? ホルンだし、美人だし」


 ホルンは優しい顔をしてしゃがみ込むと、オリザの頭をなでながら言う。


「ふふ、ありがとう。けれど、私は本当に女神様じゃないのよ?」


 そう言いながら、ホルンは


 ――ここは、過去だわ。けれど、オリザからはまだ『魔力の揺らぎ』が感じられない。まだエレメントが覚醒していないのかしら? だったら、アーケディアの狙いは外れたことになるわね。


 そう考えていた。

 するとオリザは、急にホルンの額を見て、手を伸ばしてきた。


「お姉ちゃん、なにこれ? キラキラしてキレイ」


 オリザは、ホルンの額にある『竜の鱗』に触れた途端、


「わっ!」


 そう叫ぶと、身体を固くして気を失ってしまった。


「オリザちゃん!」


 ホルンは思わず大声を出して、ぐったりとしてしまったオリザを抱きかかえる。その声を聞いて、オリザを探していた侍女が近くにやって来た。


「姫様、どうしました? 大きな声を出して」


 そして、オリザを抱きかかえたホルンを見て、目を丸くして立ち止まる。


「あ、あなたは何者ですか?」


 侍女が脅えた声を出すが、ホルンは優しい顔で静かに


「私はホルンと言います。オリザちゃんは眠っているだけです」


 そう言うと、オリザを侍女の腕の中に抱かせる。侍女はオリザの寝顔とホルンの顔を交互に見比べていたが、急にきつい顔をして訊いて来た。


「オリザ様のエレメントが覚醒しています。あなた、何者? そしてオリザ様に何をしたのですか?」


 その言葉に、ホルンがオリザを見ると、確かに輝かしいほどの『魔力の揺らぎ』が、小さなオリザの身体からあふれていた。

 ホルンは、銀色の前髪をかき上げながら答える。


「オリザちゃんは、私の『竜の鱗』を触りました。もしかしたら、この鱗の魔力で、エレメントが覚醒したのかもしれません」

「『竜の鱗』?……あなた、何者? ひょっとして女神様?」


 侍女がそう言ってオリザをひしと抱きしめる。しかしホルンは、『死の槍』の鞘を払って侍女の後ろを見つめている。


「何?」


 侍女が後ろを振り返ると、黒いワンピースに黒くて丈の短いチョッキを着ている少女が見えた。ゆれる黒髪の間から見え隠れしている銀色の瞳が、禍々しい光を放っている。

 いや、それよりもその身体にまとう『魔力の揺らぎ』に、侍女は足元から震えが這い登ってくるような恐怖を感じた。



「なに……あれ?」


 侍女が思わずそう漏らした時、黒衣の美少女はニヤリと笑って言った。人間の声とは思えない響きだった。


「ミツケタ……『オール・ヒール』ミツケタ」


 ホルンはその声を聞くと、侍女に叫んで黒衣の美少女へと斬りかかって行った。


「オリザちゃんを連れて逃げて!」


 『怠惰のアーケディア』は、斬りかかってくるホルンの槍を自分の魔力で弾くと、逃げ出そうとしている侍女を見て言う。


「ニガサナイ」


 そう言うと、アーケディアはまるで瞬間移動でもしたかのように、侍女のすぐそばに姿を現した。


「きゃっ!」


 アーケディアは、オリザを侍女ごと串刺しにしようとでもするかのように、その腕を差し伸べる。侍女は間一髪でその攻撃をかわし、駆け寄ってくるホルンの後ろに隠れた。


「惜しかったわね、お兄さま」

「惜しかったね、お姉さま」

「あのドラゴンが邪魔ね、お兄さま」

「半人前のドラゴンのくせにね、お姉さま」


 アーケディアはそう独り言を言うと、その身体から赤黒い『魔力の揺らぎ』を放出し始める。どうやらホルンごと、その瘴気の中に捕らえようとしているらしい。『魔力の揺らぎ』はあっという間にホルンたちの逃げ場を絶って、じわじわと近寄ってくる。


「あれは、何?」


 顔を青くして訊いてくる侍女に、ホルンはただ一言


「オリザちゃんの魔力を狙っている、『七つの枝の聖騎士団』の一人よ」


 そう言うと、自分たちを絡めとろうと『魔力の揺らぎ』を放出しているアーケディアに、ホルンは


「わが主たる風とその友たる炎よ、『Et in Archadia ego(死はどこにでもあるもの)』なれば、その力を我に貸し与え、魔道の者に『Memento Mori(死を思い出さ)』せよ!」


 そう、『死の槍』に魔力を乗せて振り回す。アーケディアの魔力の網に風穴が開いた。


「こっちよ」


 ホルンはそう言うと、侍女を連れて走り出す。行き先は門衛の詰め所だ。兵士たちにオリザたちを守ってもらえれば、アイツの相手は何とかなる。


「逃がさないわ、せっかくお兄さまが生き返ることができそうなのに」


 アーケディアはそう言うと、地を滑るようにホルンたちを追いかけて来た。


「わが主たる風とその友たる炎よ、『Et in Archadia ego(死はどこにでもあるもの)』なれば、その力を猛々しき力をこの槍に開放し、魔道の者を足止めして『Memento Mori(死を思い出さ)』せよ!」


 ホルンは、そう呪文を唱える。『死の槍』に緑青色と緋色の光が宿り、その力が最高潮に達した時、ぶうんと『死の槍』をアーケディアに投げつけた。


「効かないわ、そんな槍」


 アーケディアはそう言うと、暗黒の炎で自らの身体を包んだが、ホルンの魔力を乗せた『死の槍』は、見事にそのシールドを貫通した。


「ぐうええ!……ナンデ、何で? アタシノマリョクノホウガ、ツヨイノニ」


 『死の槍』は、アーケディアのシールドを貫通すると同時に、その穂先は30にも分かれ、アーケディアの頭と言わず胸と言わず、あちこちを突き抜けて地面にくし刺しにしていた。



「助けて! 魔物よ」


 侍女の必死の声が届き、城門から兵士たちがバラバラと駆け寄ってくる。そして、ついにオリザたちは兵士たちの輪の中に保護された。兵士たちの隊長はこの城随一と言われるジェルメだった。ホルンはそれを見て少しほっとした。


「どうした、何があった?」


 ジェルメが侍女にそう訊くと、侍女はオリザを抱きしめながら


「あのお方が姫様を救ってくださったんです」


 と、ホルンの方を向いて言った。


「あの化け物の魔力は恐ろしいほどだ……しかし、あの女性は誰だ?」


 歴戦のジェルメはそう言ってホルンとアーケディアの対峙を見つめていた。



「アタシハ、マケナイ……だって強いんだから」


 アーケディアは、銀色の瞳を見開くと、呪文を唱えだす。


「Si vir el’iesso Archadia ici, demon in silire……」


 呪文とともに、串刺しになっているアーケディアの身体から、赤黒い炎が噴き上がった。肉の焼ける嫌な臭いが、辺り一面に広がっていく。

 そして、火勢が強くなると、『死の槍』に貫かれている部分から、アーケディアの身体が崩れだし、やがて火が収まった時には、すべての肉塊がくすぶりながら地面に転がっていた。まだ肉塊からはちろちろと青白い炎が見えている。


「……倒したのか?」


 ジェルメがそう言った時、オリザが目覚めた。


「う~ん……あっ、ソル、お姉ちゃんは?」


 オリザがそう言うと、侍女はニコリと笑って、


「あのお方は、化け物を退治してくださいました」


 そう言ってホルンを指さす。けれど、厳しい顔をして微動だにしないホルンと、くすぶっている肉塊を一目見たオリザは、恐怖に顔を歪ませて言った。


「あの化け物、まだ生きているよ」



 ――あのアーケディアが、このくらいで倒れるなんてことはないはず。けれど、どんな手を使うか分からないうちは、動きようがない。


 ホルンはそう思い、『アルベドの剣』に手を添えて、油断なくアーケディアが炎と共に崩れていくのを見ていた。

 やがて、火が収まると、ホルンは『死の槍』を取りにゆっくりと、まだくすぶっている肉塊の方へと歩き出す。その時、


「お姉さん、ソイツ、まだ生きているよ!」


 そう、オリザの声がすると同時に、肉塊が宙を飛んでホルンに襲い掛かって来た。


 バサッ!


 ホルンは『アルベドの剣』を抜き打ちにすると、跳び下がりながら右手を伸ばして


「我が友たる『スナイドル』よ、わが手に来たれ!」


 そう叫ぶと、『死の槍』は、まるで意志を持っているかのようにホルンの方へと飛んできて、伸ばした右手に納まった。


「油断してなかったわね、お兄さま」

「そうだね、敵ながら見上げたものだね、お姉さま」


 肉塊は一つ所に集まり、ぐずぐずと悪臭と異音を立てながら絡まり合っていく。そしてアーケディアはその姿を再生させた。

 ホルンは『死の槍』を身体の横に立てて、薄く笑うと言った。


「あなたたちは、こんなに簡単に始末できる代物じゃないはずだからね」


 アーケディアも、ニタリと笑うと言う。


「うれしいわ、あなたのエレメントもおいしそうね」


 そして、アーケディアはホルンに飛び掛かる。ホルンはそれを『死の槍』で叩き斬ろうとして、なんとも言えない身震いを感じ、『死の槍』を引きながら後ろに跳んだ。


「危ないところだったわ」


 ホルンは、目の前に飛び掛かって来たアーケディアが煙のように消え失せ、自分が斬撃を放っていたらそこにいたであろう場所にアーケディアが立っているのを見て、そう言った。けれどアーケディアは笑いながら


「ちっ! たたっ斬ってくれればよかったのに……でもまあ、あなたと私に『怠惰の赤い糸』をつなげたからいいか」


 そう言うと、右手を上に挙げる。気が付くと、ホルンは真っ赤な糸に身体中をぐるぐる巻きにされていた。


「これは!?」


 ホルンが言うと、アーケディアは右手をゆっくりと下げながら言う。


「私の奥の手よ。あなたの身体、バラバラにしてあげるわね? もちろん、エレメントはしっかりと堪能させていただくわ」

「くっ……ぐぐ……」


 アーケディアの右手が下がるたび、ホルンに巻き付いた糸は締まり、ホルンの身体に食い込んでくる。ヘパイストス自慢の胸当やチェインメイルを付けていなければ、ホルンはもうバラバラにされていただろう。


「ふ~ん、その装備、なかなかの出来だね。これじゃなかなか楽にしてあげられないじゃない。じゃ、装備がないところを締め上げるだけだわ」


 アーケディアが左手を伸ばす。その手から伸びて来た赤い糸は、ホルンの首と手首、太ももに絡みついた。


「その槍は邪魔よ、手放しなさい」


 アーケディアがそう言って左手を少し動かすと、ホルンの右手が『死の槍』を握ったまま、手首から切断された。


「あっ!」


 ホルンは思わず声を上げる。その声を心地よい響きのように目を細めて聞いたアーケディアは、歌うように言う。


「出血で死んでしまったら大変だから、ちゃんと止血してあげるわね?」


 右手首の糸がきつく締まる。それで傷口から噴出していた出血は止まった。


「どう? あの子を渡す決心はついた?」


 アーケディアは、左手を動かしながら訊く。ホルンの首に巻き付いた糸が締まり、ホルンの顔色がみるみるうちに紫色になっていく。


「ぐえっ!」


 ホルンが鼻から血を噴くと、アーケディアは笑って言った。


「ごめんなさいね? 首を絞めたら返事ができなかったわよね?」


 そう言って少し糸を緩める。ホルンの顔色が元に戻ったところで、


「で? あの子をくれるのくれないの?」


 と訊く、ホルンは目を閉じて『竜の血』に心の中で呼びかけ始めた。


「だんまりは嫌いよ」


 アーケディアはそう言って、左手と右手を同時に動かす。ホルンの左手首と右の太腿が、ブツッと言う嫌な音とともに、切断された。


「くっ……」


 ホルンはその痛みに耐えながら、『竜の血』に呼び掛け続けた。


 ――わが『竜の血』よ、今目覚めて私に力を与え、あの魔物を退けさせ給え!


 そして、その時が来た。



「あのままじゃ、あのお方が死んでしまう。ジェルメ様、何とかなりませんか?」


 糸に絡めとられたホルンが、いいようになぶられるのを見るに見かねて、侍女がジェルメにそう言う。しかし、そのジェルメとて相手が相手であるため、むやみやたらと手出しができかねる状況であった。


「大丈夫だよ、ソル。あのお姉さんは女神様だもん。きっとあいつをやっつけてくれるよ」


 オリザはそう言うと、にっこりと笑った。

 その時である。


「なんだ、何だい? 何事が起こったんだい?」


 急にホルンの身体が、まぶしいほどの緑青色の光に包まれた。アーケディアはあまりのまぶしさに目を覆って叫ぶ。


「あなたは、ここで死ぬの」


 光の中で、ホルンの声が聞こえた。


「ぐはっ!」


 アーケディアは、突然『死の槍』に胸を突き通され、50ヤードも吹っ飛ばされて城壁に縫い付けられる。そのアーケディアの眼に、クリスタルのような鱗に覆われた、片翼の黒竜の姿が目に映った。


「がはっ!」


 次の瞬間、片翼の黒竜は右手の鋭い爪をアーケディアの腹部に突き刺して、中から干からびたリンゴのようなものを取り出すと、それを左手で構えた『アルベドの剣』で両断する。


「お姉さまあああ……Ahhhhhh……!」


 耳を塞ぎたくなるような声を上げてその干からびたリンゴ……『怠惰のスーペヴィア』は粉々に砕け散った。


「お兄さまを、ぐふっ、よくもっ!」


 『怠惰のアーケディア』は、口から血の泡を噴きながら、牙をむきだして片翼の黒竜を睨みつけるが、片翼の黒竜はその翠色の竜眼に何の感情も表さず、今度はアーケディアの頭を爆砕した。


 パアン!


 まるで水で膨れた風船が破裂したような音が響き、辺りは血で赤く煙った。しかし、片翼の黒竜は容赦なく右手に緑青色の『魔力の揺らぎ』を集めると、その手を心臓に突き刺した。


 ぐぶっ!


 頭部を失ったアーケディアの首から、湿った音が血と共に噴き出す。それはアーケディアの断末魔の声のようだった。


「楽になりなさい、『怠惰のアーケディア』」


 片翼の黒竜がそう言うと、アーケディアの身体は数千度にも上る炎に包まれ、瞬く間に灰となって飛び散った。


「……終わったわね」


 ホルンはそう言うと、がっくりと地面に膝を折った。

 それを見て、オリザと侍女が駆け寄る間に、ホルンは無数の緑色に淡く光るアゲハチョウの群れに包まれ、その群れが居なくなった時には、姿を消していた。


「やっぱりあのお姉さん、女神様だったんだ。ねっ、ソル、そうだよね?」

「ホルンって名乗ったわね……あのお方が、女神ホルンだったのかもしれないわ」


 オリザと侍女は、そうつぶやいて立ち尽くした。


       ★ ★ ★ ★ ★


「王女様、お加減はいかがですか?」


 サマルカンド城内にあるホルンの部屋に、ザールたちがやって来た。ホルンはベッドに横になっていたが、笑って言う。


「何とか回復したわ。明日には稽古もできそうよ」


 しかしコドランはぶすくれていた。


『ホルンってば、そんなに大変な事態にぼくを置いてけぼりにするなんて。水臭いよ』


 それを聞いて、ジュチがまんざら冗談でもなさそうな顔で言う。


「そうだね。今回、コドランくんの協力があれば、もっと楽に戦えただろうね」

「けれど、私はやっぱりコドランにはあまり危険な目に遭わせたくないのよ。ザールならともかくね」


 ホルンが言うと、ザールは怖い顔でホルンに意見する。


「今回、僥倖と言っていい時空の必然で、王女様の命は守られたんだと思います。以後は、あまり突出されないように切に願います」


 そして、顔を緩めて冗談交じりに言う。


「でないと、臣下としては心配で寿命がどれだけあっても足りません」


 ホルンは、ザールの言葉に言外に優しさがあふれているのを感じ取り、思わず胸が熱くなった。同じ言葉をジュチやコドランが言っても、恐らくこんな感じにはならないだろう……そう思うと、ホルンは少し顔が赤くなるのだった。


「しかし、オリザ殿が『オール・ヒール』を使えるようになるきっかけを作ったのが姫様だったとはのう」


 ロザリアが言うと、ジュチはいたずらっぽく笑って言った。


「そんな気がしたから、姫様の退場には気を使ったよ。なるべく華やかに、かつ、不思議な感じにってね」

「それはいいが、もう少し早くジュチが時空を超えていたら、姫様もあんなに苦戦なさらずにすんだんじゃ。もっと精進が必要じゃのう、お互いに」


 ロザリアはそう言って笑う。


「今回、『七つの枝の聖騎士団』の一人を倒した。これで名実ともに僕たちは『七つの枝の聖騎士団』、ひいては王室にケンカを売ったと言える」


 ザールが静かに切り出した。みんな真剣な顔になって押し黙る。


「七つの大罪の一角を失った『七つの枝の聖騎士団』も、その面目にかけて僕たちに挑んでくるだろう。これからは僕たちは決して息をつくことができない戦いの日々に突入せざるを得ない」


 ザールはぐるりと皆を見回す。ジュチが、リディアが、ロザリアが、そしてホルンが真剣な顔でうなずいた。


「けれど、僕たちにはこの国を建て直すという使命がある。これは、ファールス王国に住まう人々みんなの希望でもある。そして僕は、新しいこの国は、どんな種族も生きることを楽しみ、生命を謳歌できるものであってほしいと思っている。みんな、その日のために、王女様に力を貸してほしい」

「今さらボクたちに確認かい? そんなこと必要ないだろう? ボクはキミのためならどんな敵が待っていても、力を貸すよ、ザール」


 ジュチが言うと、リディアも笑って言う。


「うん、アタシもザールが行けっていえば行くし、死ねって言えば死ぬよ? アタシのザールのためだものね」


 ロザリアもザールをひたと見つめて言う。


「ザール様の命令はロザリアにとって絶対。私もザール様のために頑張る」


 ホルンは、ザールたちの言葉をうらやましく聞いていた。私にもこれだけの仲間がいてくれたらなあと思ったのだ。

 ザールは苦笑しながら言う。


「おいおい、僕じゃなくて王女様に力を貸してほしいんだ」

「その点は心配ない、キミに力を貸すことは、姫様に力を貸すことと同じだと、ここにいる全員がそう思っている」


 リディアたちもうなずく、それを見てザールは


「と言うことです。王女様、そろそろ春です。進軍の季節がやって来ます」


 そう言う。ホルンはザールをまぶしく見つめながら、笑って言った。


「そうね。その時はみんなの力を貸してもらうわ」


(22 修羅の予感 完)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

登場人物の様々なつながりが明らかになる中、ホルンたちはいよいよ挙兵へと動き始めます。

次回『23 辺境の胎動』は来週日曜日9時〜10時投稿予定です。

お楽しみに。

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