21 折伏の血刀
ホルンを亡き者にしようとサマルカンドに乗り込んできた、『王の牙』の4人と血闘を続けるホルンたち。『竜の血』を受けたヴァーナルはザールの『竜の血』の発動を阻害し、ザールは窮地に立ち、ホルンもスジューネンとの戦いの中『死の槍』を失ってしまう。戦いの行方はどうなるのか……。
スジューネンは静かな声で言った。
「ホルン・ファランドールとその一党、王の命により我ら『王の牙』が処断する」
それを聞いて、ホルンはため息とともに言った。
「仕方ないわね。あなたたちはあなたたちの正義に殉じなさい。私たちは私たちの正義を通すだけよ」
ホルンのその言葉を合図に、戦闘が始まった。それぞれがまず、自分の前にいたものと刃を交える。
しかし、ウルリヒは、ジュチと刃を交えながらも
「そぉれ、俺のペットを食らえ!」
と、怪魚たちを解き放った。
「そうはいかないよ?」
ジュチも、握っていた左手を開く。そこからたくさんのアゲハチョウが飛び立ち、怪魚1匹当たり10羽から20羽のアゲハチョウが群がり、ストロー状の口を怪魚に差し込んで貪っていく。ウルリヒは激昂して剣を振り上げる。
「俺のペットは餌じゃねえぞ!」
その剣をレイピアで華麗に受け流しながら、ジュチはフッと笑って答えた。
「ボクのトモダチは魚好きなんだ」
「くそっ!」
ウルリヒは歯噛みすると、自分の髪の毛を少しむしり取って
「俺を馬鹿にするんじゃねえと言ったはずだ!」
と、髪の毛をジュチに向けて投げつける。その髪の毛はすべて毒々しい色の蛇となってジュチに襲い掛かって来た。
「キミからは一度も、キミを馬鹿にするなという警告は受け取っていないけれどね?」
ジュチは襲い来る蛇の群れに向けてパチンと指を鳴らした。すると、すべての蛇は力を失くしたように地面に落ち、それはただの髪の毛に戻る。それを茫然と見ていたウルリヒに向けて、ジュチはオオミズアオの羽を広げて静かな風を送る。
「ぐっ! 何をした?」
ウルリヒは口元を左手で覆いながら訊く。
「キミの本性を知りたいだけだよ」
ジュチはこともなげに言うと、笑って続けた。
「それにキミを、ボクの11次元空間にご招待するよ」
「くそっ! ぐおお……」
歪んでいく空間の中で、ウルリヒの苦しげな声とジュチの笑い声が響いて、消えた。
「なかなか硬いわね」
こちらはリディアである。リディアは両手剣のクエストと対峙していた。リディアが驚いたのは、クエストは人間とは思えないほど『硬い』ことだった。たいていのものは一撃で破砕するリディアの拳はおろか、トマホークですらクエストにはさしたるダメージを与えられないのだった。
「私が硬いのではなく、そなたの武器が柔いのさ」
クエストはリディアのトマホークを左腕で受け止めながら、ニヤリと笑って言う。しかし、心の中では、
……さすがにジーク・オーガだ。以前の私ならあのパンチ一つで防御をぶち破られていたろう。これもヴァーナル殿のお陰かな。
と冷や汗をかいていたのである。
「お黙んなさい!」
リディアはそう言いながら、あまり焦りはなかった。相手の『魔力の揺らぎ』を見ていると、それほど強大なものではない。恐らく、魔力のすべてを防御力に割り振っているのであろう。その証拠に相手の両手剣はただの両手剣であり、魔力は一切込められていない。
……防御重視で相手には物理攻撃だけで戦うタイプだわね。それなら相手の攻撃を凌いでいれば、そのうち防御にも隙ができるはず。
リディアはそう考えて、基本的な戦い方として持久戦を選んだ。
「焦る必要はないわ。アタシはコイツを倒すことだけに集中していれば」
リディアはそうつぶやいて、次の攻撃のためにトマホークを振りかぶった。
そのヴァーナルは、ザールと刃を交えていた。
ヴァーナルは『王の牙』の中でも『疾風のヴァーナル』との二つ名で通っていた剣士である。その双剣は時にザールの『糸杉の剣』を上回り、ザールをしてヒヤッとさせたことも一度や二度ではなかった。
……疾いな。しかも双剣だから一瞬たりとも気が抜けない。さすがは『王の牙』だな。
ザールは内心舌を巻いていたが、ヴァーナルの方も
……さすが『白髪の英傑』と呼ばれるだけある。ザール殿の剣には隙が無い。この上、ドラゴンの力を使われてはこちらの勝ち目がなくなるな。早めに『竜の血』は封じておくか。
そう考えていた。
「えいっ!」
「おうっ!」
ヂャリンっ!
両者の阿吽の呼吸がかみ合い、ヴァーナルは『糸杉の剣』を双剣で挟み込む形で受け止める。ここからは両者の押し合いだ。
……押し合いならば、僕が有利だ。
ザールは『糸杉の剣』に体重をかけてじりじりとヴァーナルを追い詰めていく。ヴァーナルは何とか押されるのを堪えるか、さもなければヴァーナルが『糸杉の剣』への抑えを解いて跳び下がるしかない。けれど、単に跳び下がってもザールの身体能力なら易々とヴァーナルの機動についてくるだろう。
……と、ザール殿も思っているだろうな。
ヴァーナルはそう思ってニヤリとした。その途端、ヴァーナルの身体から赤黒い『魔力の揺らぎ』が噴き出す。ザールはその『魔力の揺らぎ』に捕らえられる前に、自らも『魔力の揺らぎ』を解き放った。ザールの身体を白く温かい光が包む。
と、ザールはヴァーナルの眼を見た。
「! お前……」
ザールはそう言いかけて止めた。ヴァーナルの瞳も『竜の瞳』だったからだ。
「ザール、そなたの『竜の血』にはしばらく眠ってもらう」
ヴァーナルの言葉が終わらないうちに、ザールの『魔力の揺らぎ』が消えた。そのままザールはヴァーナルの『魔力の揺らぎ』に飲み込まれそうになる。
「くっ!」
ザールは間一髪のところでヴァーナルを蹴り飛ばして、『魔力の揺らぎ』に取り込まれることを回避した。しかし、ザールは視界が急に暗くなるのを覚えた。ふと見てみると、自分の右腕がひじから無くなっているのが分かった。
……視界が暗くなったのは、血を失ったせいか。しかしいつの間に僕の腕を? 痛みすら感じなかったが……。
ザールはそう思いながら、『魔力の揺らぎ』を右ひじの傷に集めた。何とか血の噴出は止まる。けれど、これまで気付かないうちにかなりの血を失ったらしい、ザールはますます視界が狭まり、身体のふらつきを押さえられなくなっていた。
「残念だなザール、『竜の血』の力がなければ、お前はただ魔力が強いだけの人間だ」
ヴァーナルはそう笑うと、次々と双剣を繰り出してくる。ザールはほぼ反射だけでその斬撃を受け流したり躱したりし続けていた。
ジャリン!
ヴァーナルの剣がザールの左肩を突き刺そうとして、金属が擦れ合う音とともに火花を散らして弾き返される。
「チッ! お前の『竜の血』は、眠りながらもお前を守ろうとしているようだな」
ヴァーナルが舌打ちして言う。ザールは肩で息をしながらも、
「お前、ドラゴニュート氏族ではないな?」
そう訊くと、ヴァーナルは笑って答えた。
「私は、ドラゴンの血を引くと言われるもう一つの種族、ギガラゴン氏族だ。もっとも、私の中のドラゴンの血はかなり薄くはなっているがね?」
ヴァーナルはそう言いながら、左手の剣で地面に転がっているザールの右腕を刺す。
「けれど、私はある任務でドラゴンを退治した。その時、古い言い伝えを思い出した。ドラゴンの血をすすり、その心臓を食らえば『竜の血』の力を得ることができるとな」
そう言いながら、ヴァーナルは剣に突き刺したザールの右腕を口にくわえ、肉をむしり取って食べ始めた。
「私はその言い伝えにのっとって、ドラゴンの心臓を食らい、その血をすすった。今の私のようにね?」
そしてヴァーナルはザールの右腕を『魔力の揺らぎ』によって消滅させて言う。
「お前の血もうまい。さすがにドラゴンの血を濃く引くドラゴニュート氏族だけある。おかげで私はもっと強くなったと思うぞ」
ザールは見た。ヴァーナルの頭が、身体が、腕と足が、それぞれ黒い鱗に覆われたドラゴンへと変化していく様を……ただ、それはどことなくアンバランスであった。左右の翼の大きさが少し違っているように……。
ヴァーナル自身は、そんな『不協和音』には気付いていないように、左手に『糸杉の剣』を構える隻腕のザールがひどく小さい存在に見えて哄笑する。
「あっはっはっ、ザール、こうしてみると人間とはなんと小さい存在であることか。お前の力でお前自身を始末して差し上げよう」
ヴァーナルはそう言うと、ザールに向けて特大のファイアブレスを放った。
ホルンと対峙したのは、『王の牙』筆頭であるスジューネンだった。彼も得物は槍で、その点ではホルンと優劣はない。ただし、彼の槍は俗に『スパイク』と呼ばれるもので、穂先は円筒形になっている。当然、斬ることは出来ないがその代わりに普通の槍とは耐久力が違っている。穂先同士を叩きつけて相手の穂先をへし折ることもでき、それはスジューネンの得意技でもあった。
ジャンッ!
ホルンの『死の槍』は幾度となくスジューネンの身体をかすめたが、そのたびにスジューネンの槍によって跳ね飛ばされる。どうやらスジューネンの狙いは、先にホルンに攻撃をさせて体力を奪うことであり、あわよくば『死の槍』をへし折ろうという魂胆らしい。
「デューン・ファランドール様の『死の槍』よ。そう簡単に折れてたまるものですか」
一旦、相手の指呼の間から外れて一息ついたホルンはそう独り言を言うと、
「やあっ!」
と気合もろともスジューネンに斬りかかっていく。
「おっと!」
さっきよりも格段に速くなったホルンの斬撃を、スジューネンは辛うじて避けると、
「やっ!」
と槍を突き出してくる。ホルンは『スパイク』の穂を『死の槍』の柄で上へと弾き飛ばし、構えに隙ができたスジューネンの胸板に鋭い突きを放った。
「ぐわっ!」
スジューネンは『死の槍』を跳び下がって避けようとしたが、ホルンの突きは思ったよりも鋭くそして行き足があった。『死の槍』は浅いながらもスジューネンの脾腹を抉っていた。
「ふん、さすがは『無双の女槍遣い』と二つ名を取っただけある。これで王女とは信じられんな」
スジューネンの言葉に、ホルンも笑って同意する。
「私もよ……そちらは足場が悪いわね? もう降参したら?」
ホルンはスジューネンの立つ位置には石がごろごろしているのを見てそう言うが、
「心配ご無用だよ、ドラゴニュート氏族の王女よ」
そう言うと、赤黒い『魔力の揺らぎ』を開放した。それとともに、『死の槍』によって抉られた脾腹がみるみる回復していく。
「あなた、何者? ただの魔力が強い人間ではないわね」
ホルンが翠色の瞳を持つ目を細めて訊く。スジューネンはニヤニヤ笑いながら答えた。
「ドラゴンの血とは、なかなかに便利なものだな。ホルン」
「あなたもドラゴンの血を引いているというわけね? ドラゴニュート氏族ではないようね?」
ホルンの問いに、スジューネンは笑って答えた。
「なあに、単にギガラゴン氏族の血を引くヴァーナル殿から、その血を分けていただいただけだ。それ以来、私とヴァーナル殿とクエストは無敵になった」
……ドラゴンの血を飲んだというわけね。けれど、ドラゴンの血は人によっては大きな副作用が出るわ。ううん、副作用が出ない人間の方が珍しいと聞くわ。こいつらには何の副作用も出ていないのかしら?
ホルンはそう思うとともに、
「それで、あなたはそんなに回復が早くなったのね」
そう訊いてみた。するとスジューネンは
「回復が早くなった? とんでもない。私は不死になったのだ。私をどれだけ切り刻もうと、私は細胞一つあれば再生する」
そう言うと、『スパイク』を高く掲げて哄笑した。
「はっはっはっ、不死の私、疾風のヴァーナル、そして鉄壁のクエスト。私たちこそデューン・ファランドールを超える最強の『王の牙』だ! アンデッド・ジルすら私には敵わないだろう」
そしてスジューネンは再び『スパイク』をホルンに叩きつけた。
「……なるほど、それがキミの正体ってわけか」
ジュチの創り出した11次元空間の中で、ウルリヒはその正体を現した。それは、見た目そのまま“蜥蜴男”だった。身体中は鱗に覆われ、鱗と鱗の間からは粘液が出ている。その粘液には毒があるらしく、強烈なアーモンド臭がしていた。
瞼がない代わりに透明で硬質な皮膚が目玉を覆い、ともすれば光を反射して目が光ったようにも見える。手足の指の間には水かきがあり、目と目の間に小さな突起があった。
「……俺はレプティリアンでは最強を謳われた男だ。俺の力を見込んだザッハーク様は直々に俺を『王の牙』に誘われた。俺はその知遇に応えるため、貴様程度のエルフに負けられないのだ」
そう言うと、ウルリヒは目の下から黄色い液を飛ばす。突然の攻撃だったが、ジュチは慌てずにそれを避けた。黄色い液が掛かった草木は、煙を上げてしおれていく。
「言っておくが、俺の皮膚にも毒がある。触ったらいちころで腐食するぜ」
ウルリヒはそう言ってヒッヒッと笑うと、ゆっくりとジュチに近寄ってくる。なまじ11次元空間に閉じ籠っているだけに、こういう相手では不利だった。
……これは、後の3人もどんな能力を持っているか知れたものじゃないな。ボクたちだけで戦うのも無理がある。救援を呼ぶべきだな。
ジュチはそう思うと同時に、自分の左腕を11次元空間から外に突き出して、アゲハチョウを10羽ほど放った。
「さあ、ボクのトモダチよ、急いでこの場にオリザを呼んできてくれ」
ジュチはそう言って、使い魔であるアゲハチョウにオリザ・サティヴァ……ザールの腹違いの妹……を迎えに行かせることにした。
「隙があるぜ!」
「ぐっ!」
ジュチは、飛び掛かって来たウルリヒの攻撃を何とか避けたが、致命傷を避ける代わりに楯にした右手をドロドロに溶かされてしまった。
「ふん、いい気味だぜ」
ウルリヒが言うが、ジュチは涼しい顔で
「この空間はボクのための空間だってことを忘れちゃいないかい? それと、さっきは言い忘れたが、ボクはただのエルフではなくて、この世の理を理解した最も高貴な一族、ハイエルフだ。そこは間違えないでおいてほしいな」
そう言ってパチンと指を鳴らすと、溶けてなくなっていた右手の手首から先がゆらゆらと再生する。ジュチは右手を閉じたり開いたりしながら、悔しそうにしているウルリヒに言った。
「何を悔しそうにしているんだい? そんな暇があったらここから出る算段でもした方がいいよ? でないと……」
そしてパチンと指を鳴らすと、
ボシュ!
湿った音とともに、今度はウルリヒの右手が突然爆裂した。
「なっ!?……くそっ、出でよ! わがペットたち」
ウルリヒはまた“幻獣”である怪魚たちを呼び出すとともに、腕の鱗を掻き落とす。地面に落ちた鱗は、クモのような8本の足を持つ生き物になってジュチへと突進した。
「ほう、そう来ますか」
ジュチはレイピアで怪魚をあしらいながら、オオミズアオの羽を広げてクモモドキから逃げる。しかし、クモモドキは次元空間の壁をよじ登ってジュチに肉薄してくる。
「空間の歪みを使って登るのは反則だよ?」
ジュチはすぐさま『繰込み術式』を使って次元空間にできた歪みを、一つ下の次元へと繰込んだ。たちまちクモモドキたちの大群が消える。
「あとは、キミの単位次元ベクトルを解析すれば、キミを異次元に閉じ込めてあげられるけれどね」
ジュチは残念そうに首を振って言うと、レイピアを目にも止まらぬ速さで縦横無尽に振り回した。ジュチがレイピアを最初の構えに戻すと、切り刻まれた怪魚たちの肉片がドサドサと地面に落ちた。
「そんな暇はないから、ここで決着をつけてあげるよ」
ジュチがレイピアを構えたまま言う。ウルリヒはニヤリと笑うと言った。
「ちょうど俺もそう思っていたところさ」
そしてウルリヒは、まるで着物を脱ぐように、自分の古くなった皮をくるりと脱いだ。いつの間にか、吹っ飛んでいた右手が復活している。
「俺たちレプティリアンは脱皮したときに欠損した部位を復活させるんだ。悪いな? 今度は俺のボーナスタイムだ」
そう言うとウルリヒは再び怪魚を呼び出し、けたたましい笑い声と共にジュチに襲い掛かって行った。
★ ★ ★ ★ ★
サマルカンドの内城で、夜の町を見下ろしながら、癖のある金髪に青い目をした少女が侍女につぶやいていた。
「ねえ、ワタシ、久しぶりにお兄さまのところに遊びに行きたいんだけれど?」
すると侍女は、怖気を振るったように言う。
「オリザ様、とんでもございません。ここ何日かサマルカンドに怪魚が出没していることをご存じないのですか?」
するとオリザは、頬を可愛らしく膨らませて言う。
「知ってるけどぉ~、もうお兄さまと一週間も会ってないからぁ〜、オリザ寂しくて死にそうなのぉ~」
侍女は困った顔でオリザをたしなめる。
「お気持ちは十分に分かります。けれどオリザ様、仮にもトルクスタン侯国の姫様ともあろうお方が、さっきのように変なイントネーションの言葉を使われてはいけません」
「え~? どうしてぇ~? でもでもでも、かわいい言葉を使えば、ワタシにもお兄さまを振り向かせること、できるかも?」
オリザが言うが、侍女は冷静に突っ込む。
「姫様、言い方がたどたどしくて板についておりません。姫様はいつもの話し方が最もよくお似合いですよ?」
するとオリザはため息を一つつくと、駄々をこねるように言った。
「分かってるぅ。でも、お兄さまに会いたい会いたい会いたい会いたい! 他人の恋路を邪魔すると、モアウに蹴られて死んじゃうわよ?」
しかし、侍女は頑として動じない。
「たとえ変な物の怪が出ていなくても、こんな夜中に押しかけたらザール様も迷惑されます。姫様、ザール様から嫌われてもようございますか?」
「うっ……お、お兄さまは優しいからオリザのこと嫌いにならないもん!」
オリザはやっとそう言うが、顔色一つ変えない侍女を見て、あきらめたようにまた窓の外を眺めた。
「?」
ボ~ッと外を眺めていたオリザは、ハッとして身を起こした。あれは、ワタシ、見たことがある。
オリザは、窓の外にボウッと緑色の淡い光を放ちながら飛ぶものを見つけたのだ。オリザはすぐに侍女に言う。
「ねえ、アレを見て」
侍女はオリザの指さす方向を見て、目をすがめながら言う。
「……何か、緑色に光るものが飛んでいますね。こっちに来るようですが」
そのころには、オリザの眼にはそれが何かはっきり見えていた。あれは、
「ジュッチーのオトモダチね」
オリザが言うと、侍女が首をかしげる。それを見て、オリザは笑いながら言いかえた。
「ジュチさんの使い魔のアゲハチョウたちよ。でも、なぜ今頃、こんなところに?」
そう言っている間にも、アゲハチョウたちはオリザの部屋に飛び込んできた。そしてオリザの周りを飛び回る。その様子が何か焦っているように見えたので、オリザはハッとひらめいた。
「ジュッチーがわざわざワタシにオトモダチを寄越すなんて、きっとお兄さまたちに良くないことが起こっているに違いないわ」
血相を変えて部屋から出て行こうとするオリザを押さえながら、侍女が言い聞かせる。
「お、オリザ様、ザール様のお近くにはリディア嬢やホルン王女もおられます。みんな一騎当千の武勇をお持ちの方々ですから、ご心配要りません」
けれど、オリザは首を振って言う。
「そうよ、お兄さまにはジュッチーの他にリディや王女様もいるわ。ロザは今はいないけれど、あんな腕の立つみんながいるのに、わざわざジュッチーがワタシのところにオトモダチを寄越すなんて。今までこんなことはなかったわ。どきなさい、ワタシ行くわ」
「どちらへですか? 行き先もお分かりにならないでしょうに」
「オトモダチが案内してくれるわ。そのためにここに寄越したんでしょうから」
オリザはそう言うと、侍女が止めるのもきかずに部屋から飛び出した。案の定、アゲハチョウたちはオリザの先に立って飛び回っている。
「お兄さま、待ってて」
オリザが城の門の前にある広場まで来ると、アゲハチョウたちはオリザの周りに群がって、オリザを担ぎ上げるようにして城の外へと連れだした。
「アンタたち、やるじゃん。さすがジュッチーの使い魔ね」
すると、オリザの背後から
「誰だ、こんな夜中に出歩いていると“幻獣”にやられるぞ!」
という野太い声がした。オリザがびっくりして振り返ると、そこには身長180センチくらいで長大な両手剣と盾を背負った、隻眼の男が立っていた。その男の周りにもアゲハチョウたちが飛び回っている。オリザは彼もジュチから呼ばれたことを確信すると、その男が話に聞いていた王女様の仲間である用心棒だと見抜いた。
「あなた、用心棒のガルムとか言う勇士でしょ?」
オリザがそう言うと、ガルムは面食らったように訊いてきた。
「そうだが、お嬢ちゃんは?」
「ワタシはザール様の妹でオリザといいます。そのアゲハチョウ、あなたもジュッチーから呼ばれたのね?」
オリザが言うと、ガルムは左目を優しく細めて言う。
「……なるほど、お嬢ちゃんは『ヒール』系の魔法が使えるな? どうやらこのアゲハチョウが真に用事があったのはお嬢ちゃんの方か。そして俺はその用心棒ってわけだな」
さすがに長く用心棒をやっているだけあって、ガルムの飲み込みは早かった。ガルムはオリザに言って駆けだした。
「お嬢ちゃん、どんな化け物が待ってようが俺がいれば安心だ。俺から離れずに、気をしっかり持って行動することだ。ザールさんたちはお嬢ちゃんのヒールが必要な場面にいるに違いないからな」
オリザも顔を引き締めると、ガルムに遅れまいと駆けだした。
★ ★ ★ ★ ★
「……さ、さすがはジーク・オーガだな。硬いぜ」
クエストは両手剣を肩に担いでつぶやく。リディアと対峙すること四半時(30分)、息もつかせぬ打撃戦を展開していた二人だが、今はどちらとも休息と言った形だ。
「アンタもね」
リディアも偉大なトマホークを肩に担いでいる。このトマホークは硬さで有名なダマスカス鋼を鍛えたもので、重さは500キロもある。その打撃にここまで耐えた敵を、リディアは知らなかった。
もっとも、それはクエストも同じである。クエストの両手剣は並の大人なら5人がかりでも持ち上げられない。リディアが防具を付けているとはいえ、その重く速い斬撃をやすやすと止められたことに大きなショックを感じていたのである。
……このまま正面から叩き合っていてもダメだね。何か工夫が必要だね。まずはあいつの両手剣を使えなくしないとね。
リディアもそう考えていたし、クエストの方も、
……叩き合いではオーガに分がある。今度は突いてみよう。
と考えていた。
そして、再び両者が得物を抱えてにらみ合った。
「えいっ!」
「やっ!」
リディアが先に仕掛け、その虚をつく感じでクエストが両手剣でリディアの胸を狙って突きを放った。
ガイイン!
鈍い音と共にリディアのトマホークはクエストの左肩で弾かれる。しかし、
「何ッ?」
クエストは焦った。なぜなら両手剣の刀身はリディアの脇に挟まれていたからである。それだけではなく、刀身はリディアの左の腕と二の腕にも挟み込まれている。
「それ、このまま叩き折ってやるよ」
リディアは左腕に力を込める。人間の男性をはるかに超える力瘤が、両手剣を挟み込んでいく、リディアが力を入れるたびに、刀身はキキンと鋭い音を立てた。
「くそッ!」
クエストは剣を抜こうと力を籠めるが、リディアは頑として両手剣を離さない。やがて両手剣の刀身に、
ピキン!
という音と共に刃切れが入り、
「うおおおお!」
リディアの雄たけびとともに、
パキーン!
両手剣は無残にも三つに叩き折られた。
「おうっ」
クエストが跳び下がるが、リディアのトマホークがそれに追いすがる。そして、ゴリッという嫌な音とともに、クエストの右腕が肘で叩き斬られた。
「そうかい、アンタ、関節はそんなに硬くないんだね?」
リディアがトマホークを振りかぶりながら叫ぶ、クエストは右ひじの傷を止血する暇もなく跳び下がった。
ぶうん
クエストの顔の前をリディアのトマホークが重い刃音と共にさっと通り過ぎる。
……さすがジーク・オーガ、俺ももはやこれまでだな。
クエストはそう思うと、すべての魔力を左の拳に集める。それはリディアにも感知できた。
「やあっ!」
ドゴーン!
鈍く大きな音が響く。リディアとクエストは、わずか数フィートの所で対峙していた。
やがて、クエストはニヤリと笑うと、
「最高の敵だったぜ」
そうつぶやいて膝から崩れ落ちた。切断された右ひじの傷からの出血はあまりなかったが、左拳は原形をとどめないほどぐちゃぐちゃに潰れていた。
「……アンタもね。こんなに真剣などつき合いは久しぶりだったね」
リディアは、ふうっとため息をつくとそう言ってトマホークを見る。クエストの正真正銘、命を懸けた最後の突きを、リディアはトマホークで避けたのだが、そのダマスカス鋼でできたトマホークは、完全に風穴が開き、刃も完全に潰れてしまっていた。
「こりゃあ、もう使い物にならないね。ヘパイストスに新しい武器を誂えてもらうか」
リディアは、自分のトマホークを、地面に伸びたクエストの頭の上において、真剣な顔で言った。
「アンタもアタシたちと一緒に姫様の側につけばよかったのに」
「クズエルフ、覚悟しな。次は俺のボーナスタイムだぜ!」
ウルリヒは脱皮して、先ほどまでとは比べ物にならないくらいスマートな形になっていた。中でも目を引いたのが、背中の羽と、ドリルのように細く伸びた両手の中指と、鎌のような形になった小指であった。
ウルリヒは、空間を飛び回りながら、ジュチの近くを通り過ぎるときにその中指や小指で攻撃を仕掛ける。どちらも鋭いものであるから、ちょっと触れただけでも皮膚はズタズタにされてしまうだろう。
しかし、ジュチは慌ても騒ぎもせず、相手の動きを見ながら体をひねることで、ウルリヒの攻撃を避け続けている。
「ボーナスタイムねえ」
ジュチは微笑を浮かべながらウルリヒの攻撃をかわしていたが、ウルリヒがこれまでになく自分から離れ、高度を取るのを見たジュチは、目を閉じて呪文を唱えだした。
「ヒーッヒッヒッヒッ、どうしたクズエルフ。俺のスピードに手も足も出ねえか? 安心しな、次は決めてやるぜ」
ウルリヒは目を閉じて動かなくなったジュチを見て、観念したと勘違いしたようで、そんな言葉を吐きながら旋回し、ジュチめがけて急降下し始めた。
「ヒッヒッ、観念しな。てめえの首は一太刀で斬り落としてやるぜ」
だんだんとジュチが近づいてくる。何も動きはない。
「それとも、この中指を眉間にぶっ刺して、脳みそを抉りだしてやろうか?」
さらにジュチが近づいてくる。ジュチに何も変化はない、観念したようだ。
「観念したか? 殊勝だな、どっちでやってほしい?」
もう20ヤード程度だ、ジュチは動かない。
では首をかっ斬ってやろうとウルリヒが小指を水平に伸ばした時、ジュチが突然、緑色の光に包まれた。
「何だ?」
ウルリヒは慌てたが、もう止めることも軌道を変えることもできない。何せジュチまであと10ヤードなのだ。ほんの0.2秒ほどでジュチのところまで到達する。それほどのスピードが出ていた。
しかし、ウルリヒは、たった0.2秒の時間で、はっきりと知覚した。
ジュチが目を開け、ウルリヒを見て微笑み、右手を上に上げるとそのまま右に振り下ろす。するとジュチが二人になり、緑色に光るジュチをその場に残して、『本体』のジュチは滑るように右に30ヤードほど移動した。
その刹那、ウルリヒははっきりと聞いた。
ジュチは言った。
「爆発しろ」
……俺、負けるのか?……。
緑色に輝くジュチに突っ込んだウルリヒがそう考える間もなく、彼の意識は、熱いものが自分の身体を突き破るようにして侵入し、そして中から引き裂くような感触を覚えて、消えた。
「やれやれ、もっと楽しませてくれると思ったんだが……ザール!」
ウルリヒを消滅させたジュチは、そうつぶやいて肩をすくめたが、次の瞬間自分の目に飛び込んできた、信じられないような光景を見て、何を考える間もなく、自分の身体をザールの前に投げ出した。
★ ★ ★ ★ ★
ヴァーナルは、特大のファイアブレスをザールに叩きつけた。
ファイアブレスは2千度を超える。中途半端にドラゴン化したヴァーナルでも、千度は超えていた。自分自身、その熱さに辟易したヴァーナルは、ザールのリアクションが何もなかったので、ザールがものも言わずに消し飛んだものと想像した。
「ふん、くたばったか。案に相違してチョロい奴だったな」
ヴァーナルは、偏翼で宙に浮きながら、まだくすぶっている地表を眺めた。半径約10メートルの範囲で地面が真っ黒に焦げている。その真ん中に、人の形らしい盛り上がりがあった。あれがザールの遺体らしい。千度の熱を浴びせられたのだ、表面はドロドロに溶けているだろう。
しかし、ヴァーナルは次の瞬間、自分の目を疑った。“ドロドロに溶けている”はずのザールが、やけど一つなく地面から立ち上がったのだ。『糸杉の剣』も焼け焦げ一つない。
「……さすがはドラゴンの血に守られた一族、そう簡単にくたばってはくれないらしいな」
ヴァーナルはそう言うと、地面に降り立ってザールに言った。
「あのファイアブレスを受けて、よく無傷でいたな。褒めてやるよ」
「僕がヴァイスドラゴンのローエン様の所で力をいただいた時よりはましだったよ」
ザールは、隻腕に『魔力の揺らぎ』をまとわせながら答えた。その左腕が少しずつドラゴン化していく。『竜の血』を眠らせたと言っても、根本のところは目覚めたままなのだ。ヴァーナルはそう思うとザールが恐ろしくさえあった。
「ほざけ!」
ヴァーナルは激高して、両手の剣を閃かせてザールに襲い掛かる。ザールは左手に『糸杉の剣』を構えたまま、微動だにしなかった。
……くそっ、『竜の血』は確かに眠らせたはずなのに、ザールの腕が『竜の腕』へと変わりつつあるのは何故だ?
ヴァーナルはそう不思議に思いながらも、両手に構えた双剣の速度を速めた。その時、
「ぐっ!」
ヴァーナルはそう呻いて後ろに跳び下がる。剣を操る速度を速めようと、腕に力を込めた瞬間、身体中の筋肉が弾けたような痛みを感じたのだ。
「ヴァーナル、そなたの『竜の血』はバランスを失っている。竜化を解かないと、取り返しがつかなくなるぞ」
ザールは、『糸杉の剣』を顔の前に構えたまま、その緋色の瞳を輝かせ、肩まで伸びた白髪を風になぶらせている。とても右腕を失い、ドラゴンの力を奪われて苦戦しているとは思えない態度だった。ヴァーナルはその態度に恐れを感じ、恐れを感じた自分に怒りを感じて叫んだ。
「世迷いごとを言うな! 私はギガラゴン氏族の末裔で、ドラゴンの力を手に入れたのだ! 誰も私に敵う者はいない!」
そして、肉体が悲鳴を上げるのも構わず、ザールに襲い掛かった。その鋭さと速さは、今までにもないものだった。
「!」
ザールは、ヴァーナルの双剣が自らの指呼の間に入る刹那の時間で、残る『魔力の揺らぎ』を『糸杉の剣』に込めた。『糸杉の剣』は白く温かい光を放つ炎に覆われる。
「ザール、死ねっ!」
ヴァーナルの双剣と、ザールの『糸杉の剣』が同時に銀色の線を描いた。
パーン!
何かが破裂するような音とともに、ヴァーナルの双剣が二本とも根元から折れる。そして『糸杉の剣』はヴァーナルの左腕を肘から斬り落とした。
「うがあああ!」
ヴァーナルは右手で左ひじを押さえて叫ぶ。転げまわるヴァーナルに、ザールは静かに言った。
「先ほども言ったはずだ。そなたの『竜の血』はバランスを崩していると」
ヴァーナルは、肩で息をしながら言う。
「バカなことを言うな! こんな傷など……どうだっ!」
ヴァーナルは、『魔力の揺らぎ』を左ひじに集め、『竜の血』によって左腕を再生しようと試みた。その試みはうまくいき、左腕は再生したものの、その代わりに左の翼が何の前触れもなくミシッという嫌な音と共に折れた。
「ぐっ! ど、どうなっているんだ、私の身体は」
左によろけるヴァーナルを見つつ、ザールは『糸杉の剣』に寄りかかるような形で膝から崩れ落ちる。魔力の限界に来たのだろう。
「しめたっ!」
それを見て、ヴァーナルは悲鳴を上げる身体を引きずるようにザールに飛び掛かり、その鋭い爪でザールを串刺しにしようとした。
「ザールっ!」
『糸杉の剣』に寄りかかるように地面に膝をつくザールにヴァーナルの爪が届く直前、誰かがそう叫んでザールを突き飛ばした。ヴァーナルの爪はその『誰か』の身体を刺し貫いた。
「ぐわっ!」
「ジュチ!」
叫び声を上げたのはジュチだった。ジュチはヴァーナルの爪に鳩尾を貫かれ、口から血を噴いている。ヴァーナルの爪がゆっくり引き抜かれると、ジュチは「ぬぐぐ……」と苦しげな声を上げ、ぶわっと血を噴いて地面に崩れ落ちた。
「ジュチ、しっかりしろ!」
ザールは自分の状態も忘れてジュチに取りすがる。ザールがちらっとヴァーナルを見ると、ヴァーナルの方も余りの痛みに気を失いかけているらしい。
「……ああ、ザールかい、キミが無事でよかったよ」
ザールの声に、ジュチは優しげな眼を開けてそうつぶやくように言う。自慢の金髪は血に塗れ、頬にも血がついている。
「ジュチ、なんで」
ザールが言うと、ジュチは弱々しく首を振って笑って言う。痛々しい笑いだった。
「……分からないよ……ボクはこの世で最も高貴なハイエルフ……キミはボクから見たらただのつまらない人間なんだけれど……ボクはキミには敵わないと、いつも思って、いたんだ……」
「もうしゃべるな。待っていろ、すぐに『ヒール』を……」
そう言うザールの手を、ジュチはそっと押しとどめて言う。
「ボクはもう駄目だ……ボクは、キミの種族に拘らない態度ってやつに興味を覚えた……そしてキミはボクの期待どおりの人物だったよ」
そこでジュチはごぼっという音とともに、多量の血を吐いた。
「ジュチ、死ぬな。僕たちの戦いはこれからだろう? 頼む、死ぬな」
ザールが耳元でそう怒鳴ると、ジュチは光を失いかけた青い目を開けて、ザールに微笑んだ。
「『白髪の英傑』、キミと友達になれて、ボクは幸せだったよ」
そう言うと、ジュチはかくりと首をうなだれた。その顔には幸せそうな笑みが残っていた。
「ジュチ、目を開けてくれ! こんな所で死ぬなんて、お前らしくないぞ、ジュチ」
ザールはそう叫んでいるうちに、心の中で何かがぶつりと切れた感じがした。それはだんだんと身体中に広がっていく。
実際、ザールの胸に真っ白な炎が灯り、それはだんだんとザール自身を燃やし尽くすように広がって行った。
「くそっ、こんなチャンスに気を失うなんて、私としたことが……うっ?」
やっと気が付いたヴァーナルが、ザールにとどめを刺そうと立ち上がった時、彼は目の前にいるザール(?)に息をのんだ。そこには、
「……あ、あれはなんだ?」
ヴァーナルが思わずひるんだ声を出すほど、そこには信じられないものがいた。
★ ★ ★ ★ ★
「はっはっはっ、不死の私、疾風のヴァーナル、そして鉄壁のクエスト。私たちこそデューン・ファランドールを超える最強の『王の牙』だ! アンデッド・ジルすら私には敵わないだろう」
そしてスジューネンは再び『スパイク』をホルンに叩きつけた。
「はっ」
ホルンはその軌跡を読み、左に避けると、『死の槍』に『魔力の揺らぎ』を込める。
「わが主たる風よ、わが友たる炎よ。その圧倒的な力をこの槍に与え、死を知らぬという世の摂理に背くものに『Memento Mori(死を思い出さ)』せよ! それは『Et in Archadia Ego(死はどこにでもある)』ゆえに!」
ホルンの呪文に『死の槍』が反応し、緑青色と紅蓮の炎が槍を包む。その魔力が最大限に達したところで、ホルンはスジューネンの懐に入り込んで、スジューネンの胸に『死の槍』を突き通した。
「ぐはあっ!」
ボフュン!
『死の槍』から解放されたホルンの魔力は凄まじく、スジューネンは断末魔の叫びと共にその身体は爆散した。
「はあ、はあ……不死身ですって? そんなの反則よ」
ホルンが『死の槍』を構えたままそうつぶやくと、粉々に砕けたスジューネンの身体のうち、最も大きな『破片』から物凄い『魔力の揺らぎ』が噴き出した。
「……事実らしいわね。困ったな、どうやってこいつを倒せばいいのかしら」
ホルンがそうつぶやいているうちに、スジューネンの『破片』は赤黒い炎と共に人の形となり、その炎が消えた場所に、スジューネンはピンピンして立っていた。スジューネンの『能力』の対象には『装備』も含まれているらしく、着ている服も新調したようにきれいだった。
「ふふふ、手荒い扱いだったが、これで私が不死身だと理解していただけたかね?」
スジューネンはゆっくりと歩いて『スパイク』を取り上げると、ホルンにそう言って笑う。ホルンはニコリとして言った。
「認めたくないけれど、あなたの言ったことは事実らしいわね」
「ほう、素直だな。それはいいことだ。相手の力を見くびらず、自分の力も過信しない……そうでなくては戦士は務まらぬ」
スジューネンはうなずきながら言う。そんなスジューネンに、ホルンは笑って言った。
「けれど、あなただって私の力を全部知っているわけではないわ」
「ほう、それは『私を見くびるな』という警告かね?」
スジューネンは怪しい光を湛えた目を細めて言う。ホルンは肩をすくめて答えた。
「警告じゃないわ、事実よ」
「そうか、ではそなたの力を見せてもらおうか……私の不死を超える力をな!」
そう言うとともに、スジューネンはホルンに突きかかる。その速さは以前に数倍していた。けれど、ホルンもその速さに遅れることもなく、突き出される『スパイク』を的確に『死の槍』で外していった。
「ホルン、聞こえぬか? 『死の槍』が悲鳴を上げているぞ」
スジューネンはホルンにそう問いかける。『スパイク』と『死の槍』が打ち合うとき、よく聞くと『死の槍』から『ピン』とか『キキン』という金属が擦れる音がしている。ホルンもそれに気づいてはいたが、スジューネンの攻撃を受け流すことで手一杯だったのだ。
やがて、破断界が来た。打ち合うこと100合に近くなった時、スジューネンは
「おうっ」
と『スパイク』でホルンをぶっ叩きに来た。
「はっ!」
ホルンがその重い穂先を『死の槍』で受け流そうとした時、
ピキーン!
という鋭い音とともに、『死の槍』が砕けた。
「! 『死の槍』が?」
ホルンはとっさに後ろに跳ぶと、嵩にかかって追い打ちをかけて来たスジューネンに石突を向けて投げつけ、スジューネンがひるむ隙に『アルベドの剣』を抜いた。
スジューネンは『死の槍』を『スパイク』で払いのけると、ホルンに笑いかけた。
「言わんこっちゃない。大事な『死の槍』を失って残念だな? ホルン」
「形あるものはいつか壊れる。世の習いよ? あなたも世の習いに従わないとね?」
ホルンがそう言うと、スジューネンは皮肉な笑いを向けて言う。
「それは私への皮肉かな? その前にそなたのその口を黙らせてやる」
スジューネンは目に怒りの炎を燃やしながらホルンに突きかかって来たが、
「我が意を受けて、破魔の力を現せ!」
ホルンはその言葉とともに、『アルベドの剣』を振り下ろした。
「ぐわっ!」
スジューネンは、ホルンに突きかかるはるか手前で、何か恐ろしく鋭利なもので頭から真っ二つにされて吠えた。よろよろと後ろに下がるスジューネンは、それでも傷口を赤黒い炎で修復して言う。
「何だ、今のは? 剣が見えなかった?」
ホルンも、今までに感じたことがない『アルベドの剣』の力にびっくりしていた。今のは何? 刀身が優に20ヤードくらいに伸びないとできない芸当だわ。
「剣が……伸びた?」
ホルンはそうつぶやくと、青白い『魔力の揺らぎ』に包まれながら自分の顔を映し込んでいる『アルベドの剣』をしばし見つめていたが、キッとスジューネンを睨みつけてつぶやいた。
「絶対、あなたを倒して見せる」
★ ★ ★ ★ ★
「くそっ、こんなチャンスに気を失うなんて、私としたことが……うっ?」
やっと気が付いたヴァーナルが、ザールにとどめを刺そうと立ち上がった時、彼は目の前にいるザール(?)に息をのんだ。そこには、
「……あ、あれはなんだ?」
ヴァーナルが思わずひるんだ声を出すほど、そこには信じられないものがいた。
そこにいたのは、全身を青白い鱗でおおわれ、四枚の白い翼を持つドラゴンであった。そのドラゴンは周囲を睥睨するように立ち上がり、その緋色に輝く目で辺りを見回している。
そのドラゴンが首を動かすたびに、金属が擦れ合うキーンという金属音が響き、光を反射する鱗は白く輝いている。
「……こ、これが……ザール……」
ヴァーナルは思わずかすれた声を上げた。自分自身もドラゴン化したが、身長は人間の時と変わらなかった。人間の形を残した『一部ドラゴン化』ではなく完全なドラゴン化であるにも関わらずだ。
しかし、目の前にいるザールは違った。目の前には軽く25ヤードはあるドラゴンが、その鋭い目でヴァーナルを見ている。
「くそっ! バケモノめ、これを食らえ」
ヴァーナルは自分自身の魔力を振り絞ってファイアブレスを四翼の白竜に放った。
しかし、四翼の白竜はその火炎を避けもせず、意にも介さぬようなそぶりでヴァーナルに言った。
「言ったはずだ、そなたの『竜の血』はバランスを崩していると。だが、ジュチを倒した今となっては、もはやそなたを許すことは出来ぬ」
そして、四翼の白竜は、自分の周りで執拗にファイアブレス(?)のようなものを噴き出しているヴァーナルに向かって、まるでハエでも叩くかのように四枚の翼を緩く動かした。ただそれだけで、片翼になっていたヴァーナルは吹き飛ばされ、1マイル(この世界では約1・85キロ)ほど離れた崖に叩きつけられた。
「本物のファイアブレスを味わうといい」
四翼の白竜はそう言うと、目もくらむような閃光と共に強烈なファイアブレスをヴァーナルに放った。
「ぐ……」
ヴァーナルは叫び声を挙げる暇もなく、完全に消滅してしまった。いや、ヴァーナルだけでなく、四翼の白竜が放った閃光の進路上にあるものや、その半径上にあるものはすべて、その姿を消してしまっていたのだ。
ちなみに、四翼の白竜が放ったこの技は『終焉への咆哮』といい、その最高温度は10の31乗にもなる。この超高温では、すべての『物質』は『エネルギー』へと分解してしまう。彼と『ドラゴンの王』と呼ばれるバハムートしか使えないものであった。
「ジュチ……僕なんかのために……」
ヴァーナルを消滅させた四翼の白竜はザールの姿に戻り、そのザールはジュチの側に力尽きて倒れた。斬り飛ばされていたはずの右腕は、ドラゴンの爪を持つ腕が再生していた。
★ ★ ★ ★ ★
「ぐっ!」
スジューネンは、突然身体を襲った名状しがたい痛みに呻いた。とともに、身体中の力が抜けていくような感覚に襲われる。
ホルンは、スジューネンの変化に気付き、『アルベドの剣』を横に払った。
「ぐふっ!」
『アルベドの剣』はホルンの『魔力の揺らぎ』を乗せて緑青色の軌跡を残し、スジューネンの胸を横一文字に斬り裂いた。
「な、なぜだ? 回復が遅い」
スジューネンはそうつぶやくと、ゆらゆらと突っ立ったまま傷口に『魔力の揺らぎ』を集め始めた。
ホルンはその隙に、呪文を詠唱し始める。
「我が友たる炎よ、そして我が主たる風よ、『Et in Archadia Ego(死はどこにでもある)』ゆえに、その神聖なる力をこの剣に与え、死を知らぬという世の摂理に背くものに『Memento Mori(死を思い出さ)』せよ!」
ホルンの呪文に『アルベドの剣』が反応し、緑青色と紅蓮の炎が聖剣を包む。その魔力が最大限に達したところで、ホルンはスジューネンの懐に入り込んで、スジューネンの胸に『アルベドの剣』を突き通した。
「ぐはあっ!」
ボフュン!
『アルベドの剣』から解放されたホルンの魔力は凄まじく、スジューネンは断末魔の叫びと共にその身体は再び木っ端みじんに爆散した。
「今度こそ」
ホルンが見ていると、それでもスジューネンの『破片』から再び青黒い炎が上がり、その炎が収まるとスジューネンが立っていた。
「ま、効くとは思わなかったけれど。いいわ、次の手よ」
ホルンはそう言い、虚空に叫んだ。
「コドラン、出番よ!」
『待ってましたあ! 食らえ、ファイアブレス』
コドランは溜まりに溜まったエネルギーを込めて、特大のファイアブレスを放った。こどもとはいえコドランのファイアブレスは凄まじく、火炎の高さは100メートルにもなる。しかも今回はいつもよりも温度が高めだった。3千度という高温にさらされたスジューネンは、
「おおーっ!」
凄まじい叫びと共に消滅してしまった。
「……す、すごい奴らだったわ」
ホルンは思わずへたり込んで、ため息とともに言う。デューン様の遺愛の『死の槍』を折られてしまったな……そう、少し寂しい思いでいるホルンの耳に、リディアの叫び声が届いた。
「ザール、ジュチ、しっかりして! 死なないで二人とも!」
ホルンは思わず跳び上がって駆けだしていた。
「どうしたの!? !!」
ホルンはリディアが叫んでいる現場に駆け付けて息をのんだ。ジュチが朱に塗れて倒れている。そしてザールもそのそばで冷たくなっていた。
「ザール、ジュチ……」
ホルンは震える手で二人の首筋を触ってみた。鼓動が触れることはなく、どちらもすでに冷たくなってしまっている。
「ねえ、姫様、ザールは死んでないよね? ジュチも生き返るよね?……何とか言ってよ姫様ぁ」
リディアは完全に取り乱してしまっている。
けれど、ホルンは二人を見ていて、ハッと気づくことがあった。
「魔力が消えていない……」
ホルンがぽつりとつぶやくと、リディアが耳ざとくそれに反応する。
「それじゃ、二人とも助かるの?」
ホルンは立ち上がって辺りを見回した。何か、何か二人の魔力をつなぎとめるものがあるはずよ!
そこに、
「遅かったか!」
そう言って、息せき切って駆け付けたガルムが唇をかんだ。
「お兄さま!」
遅れて駆け付けたオリザが、悲惨な光景を見て息をのむ。
「ガルムさん、オリザさん、どうして二人がここに?」
ホルンが訊くと、ザールに取りすがって泣き出したオリザに代わって、ガルムが答える。
「いや、そのお嬢さんがハイエルフの使い魔に呼び出されたらしいので、俺が用心棒としてついて来たんだが……少し遅かったようだな」
それを聞いて、ホルンは目を輝かせた。
「ジュチがオリザさんを? さすがだわ」
そしてホルンは、ザールに取りすがって泣いているオリザのもとに来て、はっきりと言った。
「オリザ、ザールを助けて」
するとオリザは真っ赤になった眼を上げて言う。
「たす、ける?」
ホルンはうなずくと、力を込めて言う。
「そうよ。二人ともまだ魔力は消えていないわ。あなたは『ヒール』系の魔法が使えるわよね? ジュチはこんなことを想定して、あなたを呼び出したと思うの。お願い、ザールとジュチを助けて! あなたにしかできないのよ?」
それを聞いて、リディアも叫ぶように言う。
「アタシからもお願い。ザールとジュチとアタシ、ずっと仲良しだったんだ。アタシの命がいるってんなら使っていいから、ザールとジュチを助けて」
二人のお願いを聞いて、オリザはいつもの自分を取り戻した。確かに、お兄さまとジュッチーから、まだ魔力を感じる。かすかだけれど、これよりもっと微弱な状態で、ワタシは町の人を救ったことがある……それを思い出したオリザは、力強くうなずいて言った。
「うん、ワタシ、やってみる」
そして、オリザは腕を組んで『魔力の揺らぎ』を集め始めた。オリザの薄く金色に輝く『魔力の揺らぎ』は、地を這うようにしてザールとジュチのもとに近づいていく。
やがてオリザの『魔力の揺らぎ』が二人を包んでしまったとき、オリザはしっかりとした声で呪文を唱えた。
「我が主なる大地の女神よ、大地を統べる運命を与えられた英傑たちを憐み給い、その豊穣の力で傷を癒しめ給え!……授けたまえ、『オール・ヒール』」
すると、大地が彼女の祈りを聞き届けたかのように、大地から金色の光の球が無数に浮かび出し、それらはザールとジュチを包んでいる金色の光と一つになって、まぶしく、そして温かい光で辺り一帯を覆って、消えた。
「終わりました」
オリザがため息と共にそう言うと、その後ろで、深いため息と共にザールたちが目覚めた。
「……ジュチは?」
「ああ、よく寝た」
そんな二人に、オリザとリディアが飛びついて喜んだのも無理はない。
★ ★ ★ ★ ★
「なんと、『オール・ヒール』じゃと?」
凄絶な戦いから一週間、トリスタン侯国から戻って来たロザリアは、ザールとジュチの受難を聞き一驚したが、さらに驚いたのはオリザの能力だった。
オリザは、ザールとジュチを蘇生させたばかりでなく、その傷まで治していた。そればかりでなく彼女の能力範囲の中にいたホルンやリディアの傷まで完治させていた。
しかも、たまたまその範囲内にいた敵であるクエストも蘇生させ、完治させていたのである。クエストは自分が生き返ったことに驚き、けれどもはやホルンたちとは敵対するつもりもなく、かえって敵であったリディアの戦いぶりを称賛した。
「これからどうするつもり? 王家に戻ってもあなたの場所はないわよ?」
ホルンが訊くと、クエストはニコリと笑って答えた。
「そうでしょうな。けれど、王女様に仕えるというのも、『王の牙』だった私には気が引けます。まあ、しばらくは用心棒として食いつなぎましょう。では、王女様、ご武運をお祈りいたします」
「クエストさん、アンタが姫様に味方したいって言うなら、アタシたちはいつでも歓迎するよ。達者でね」
クエストは、リディアの呼びかけに振り返りもせず、ただ手を振って答えた。
「彼女は、姫様たちの目指す国の建て直しに、大きく貢献してくれると思う。ボクはキミがオリザを仲間に入れる気になった理由が分かるよ」
ジュチがそのやや煩げな前髪に形のいい人差し指を絡ませながら、流し目でロザリアを見て言う。ロザリアも一つ息をすると、
「うむ、私はオリザが『ヒール』系魔法の遣い手だとは思っておったが、まさか『オール・ヒール』などという大それた魔法が使えるとは思わなんだ。これは大きな儲けものじゃな」
そう言って笑った。
「デューン・ファランドール様」
ホルンは、自分の部屋から見える城の中庭をぼんやり眺めながら、そうつぶやく。目の前の机には、無残に折れた『死の槍』の穂先があった。
ホルンたちは今度の事件をきっかけに、サームの強硬な意見を容れて『隠れ家』から城の内部へと拠点を移していた。ただし、ロザリアの能力によって各人の部屋から『隠れ家』へは行き来自由だったが。
デューン・ファランドールという元『王の牙』の筆頭だった戦士は、長さ1・8メートルほどの手槍を使っていた。その槍が『死の槍』と言われたのは、60センチもある槍の穂の棟に『Memento Mori(死を忘れるな)』と金で象嵌されていたからである。
デューンが22歳で『王の牙』に抜擢されたときに誂えたもので、その後デューンが死ぬまで20年間、デューンの死後はホルンが用心棒として10年間使って来た。
用心棒として辺境で生きたホルンを幾度となく救い、シュバルツドラゴンの棟梁であるグリンの祝福によって『Et in Archadia Ego(死はどこにでもある)』の朱象嵌が現れてからは、それまで以上に手になじむ『相棒』だった。
その槍が折れたのは、ホルンとしてもかなりのショックだった。自分を15年間、今の国王の手の者から守り抜いてくれたデューンの息遣いすら感じられたからだ。
「デューン・ファランドール様……」
ホルンが消沈していると、部屋の外からホルンを呼ぶ声がした。
「姫様、いらっしゃいますか?」
「……その声はリディアね、入っていいわよ。珍しいわね、私に何か用?」
ホルンの答えを聞いて、リディアが部屋に入ってくる。今日は『乙女モード』で身長は150センチくらいになっていた。そして、リディアは一人の男を連れていた、それは
「お久しぶりです、王女様」
「あなたは、ヘパイストスさんね? この装備を作ってくれた」
リディアが連れて来たのは、鍛冶を得意とするドワーフの首領・バルカンの息子であるヘパイストスだった。彼はドワーフには珍しく190センチもの長身で、赤銅色の肌を持つ好漢だ。ホルンが以前の装備を失ったとき、それに勝る装備を作ってくれていた。
「はい、今日はリディアからの依頼で来ました。失礼致します」
そう言うと、つかつかと机に歩み寄って『死の槍』を眺めまわす。しばらく食い入るようにして眺めていたヘパイストスは、ふうと息を継いで笑って言った。
「リディア、君の察したとおり、この槍は親父が鍛えたものだ」
そしてホルンに許しを請い、『死の槍』を手に持って続けて言う。
「うん、魔力も残っているし、グリン様の魔力もあるな……親父が鍛えたものなら、俺が焼き直すことができるだろう。リディア、お前の新しい武器を作るついでに、この槍も直してやるよ」
それを聞くとホルンは目を輝かせて訊く。
「直すことができますか?」
ヘパイストスは爽やかに笑って請け合った。
「もちろんです。親父が鍛えたころよりも、もっと姫様に似合った力を引き出してやりますよ」
「さすがだねヘパイストス。で、どのくらいでできる?」
リディアが訊くと、ヘパイストスは少し考えていたが
「お前の新しい武器が1週間、『死の槍』の焼き直しが2週間ってところだな」
「分かりました、お願いします。この槍が元通りになるなら、お金に糸目はつけません」
ホルンがそう言うと、ヘパイストスは笑って言った。
「リディアからはお代をいただきますが、姫様からはいただけません。その代わり、この国を誰もが生きがいを持って、種族の別なくお互いを尊重できる国にしてください」
ホルンは、その言葉を聞いて感激した。そして、深くうなずいて答えた。
「約束するわ」
★ ★ ★ ★ ★
城の中枢部である『政治の間』で、ザールは父のサームと二人きりで話をしていた。
「ザール、オリザから聞いたが、そなたは『竜の血』が目覚めておるようだな」
ザールはうなずく。そのうなずきにサームは複雑な表情を見せて言う。
「アンジェリカも心配していた。『竜の血』は人の心を蝕むと……そなたはそのことを知っていたか?」
ザールは答えた。
「父上、私は今まで、『竜の血』に助けられたことはありますが、それによって心を蝕まれたと感じたことはございません。ずっと左腕がドラゴンだった時も、人型のドラゴンとなった時も、今回完全なドラゴンと化した時も、常に僕の意識はありました。これもシュバルツドラゴンの棟梁やヴァイスドラゴンのローエン様のお陰でしょう」
そしてザールは、四翼の白竜へと姿を変えて言う。形は人間のままだが身体中を白く輝く鱗でおおわれ、背中には白く細長い翼が4本生えたその姿に、サームほどの剛の者も思わず2・3歩後ろに下がる。
「僕は、この国の人々を守るためにいます。そんな天命を感じました」
四翼の白竜は緋色の眼を細めてそう言うと、ザールの姿に戻る。
「……ですから、天命に従うまでです。母上にもそうお伝えください」
★ ★ ★ ★ ★
「今日は、ここで野宿するか」
サマルカンドから北に10マイル(この世界で18・5キロ)ほど離れた街道沿いの丘の上で、一人の男がつぶやいた。彼の名は、クエスト・ジャハーン、元『王の牙』の一人だった戦士である。
「世の中は、広い」
クエストは風よけのテントを張った後、暗くなりゆく中で焚火をする。もう冬のさなかで、焚火がないと凍え死ぬ。
「リディア殿か、あれほど強く、清々しい戦士も珍しかった」
クエストは、焚火で沸かしたコーヒーを飲みながら、そうつぶやいた。
『クエストさん、アンタが姫様に味方したいって言うなら、アタシたちはいつでも歓迎するよ。達者でね』
クエストは、心の中で木霊しているリディアの言葉を思い出して、ふっと笑って首を振った。
……王女様に手助けをしてこの国を建て直すことは、戦士として正しい道だろう。けれど、『剣の誓い』によってザッハーク様に誓った忠誠を反故にすれば、私はもう戦士ではない。
そう考えていたクエストの神経に、チカッと何かが引っかかった。クエストは何気ない風を装いながら、そろりと両手剣に手を伸ばす。その時、
「『オール・ヒール』の匂いがするわ、お兄さま?」
「『オール・ヒール』の匂いがするね、お姉さま?」
そう言いながら、闇の中からゆらりと姿を現したのは、黒いワンピースに黒く丈の短いチョッキを着て、黒い癖っ毛に灰色の肌を持つ美少女だった。彼女は、エルフに特有の耳を持ち、クエストをその無機質な目で眺めながら、またつぶやいた。
「あの男から『オール・ヒール』の匂いがするわ、お兄さま?」
「そうだね、あの男から『オール・ヒール』の匂いがするね、お姉さま?」
クエストは、少女に不気味なものを感じながら、ニコリと笑って訊いた。
「お嬢さん、こんな夜中にどこに行くんだい? 泊まるところがなければ、この焚火で温まっておいで」
すると少女は音もなくするりとクエストの横に座って、クエストの眼を覗き込みながら訊いた。
「おじさん、『オール・ヒール』の匂いがする。何で?」
するとクエストは少女から圧倒的な魔力を感じて、両手剣を抜き打ちにした。しかし、少女はその刃風を軽く受け流すと、ぴたりとその身体をクエストに密着させて
「おじさん、『オール・ヒール』?」
そう言うと、クエストがどうこうする間もなく少女はクエストの心臓をつかみだした。
「ぐへっ!」
クエストはただ一言短く叫ぶと絶命する。その死骸を見ながら、少女はクエストの心臓をもりもりと食べた。
「……この心臓、『オール・ヒール』の匂いがするわ、お兄さま」
「どうしてこのおじさんが、『オール・ヒール』なのかな? お姉さま」
「調べてみましょう、お兄さま」
「ええ、調べてみましょう、お姉さま」
少女は一人でそうつぶやくと、クエストの頭頂部を軽くなでる。するとクエストの頭蓋骨はパックリと割れた。少女は割れ目から見えるピンク色の脳をしばらくうっとりと眺めていたが、脳を無造作に取り出して、額に1本生えた角を、クエストの脳にぶっ刺す。
「……お兄さま、『オール・ヒール』の遣い手よ」
「……うん、お姉さま、『オール・ヒール』の遣い手だね」
「彼女を食べれば、お兄さまは生き返ることができるわ」
「うん、この娘を食べれば、ボクは生き返ることができるわ」
「この子を食べましょう、お兄さま」
「そうだね、お姉さま」
少女……『怠惰のアーケディア』は、一人でそうつぶやいて、クエストの脳をぐちゃぐちゃ食べると、ケタケタ笑いながらサマルカンドへの街道を夜の闇に消えて行った。
(21 折伏の血刃 完)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
『王の牙』を退けて、ホルンたちもいよいよ挙兵へと進んでいくことになります。
次回、オリザと『オール・ヒール』の秘密の一端が明かされる『22 修羅の予感』は、日曜日9時〜10時にアップします。お楽しみに。




