20 反逆の兇刃
『白髪のザール』の居城・サマルカンドで周囲のモンスター狩りにいそしむホルン。そのホルンに、またもや残り4人の『王の牙』の槍が襲い掛かる。しかし彼らは『竜の血』を飲んで不死、硬化、迅速そして幻術を会得していた。サマルカンドの南方に『王の牙』を誘致したホルン、ザール、ジュチ、リディアは、果たして4人の『王の牙』を倒すことができるのか。
ファールス王国の首都・イスファハーン。そこは全国の情報や文物が集まり、それにつられて人間も集まる。36代の国王が長らく王都としている大都市である。
その王宮の中で、現国王であるザッハーク2世は、ここしばらく見せたことのない笑顔で左右の重臣である執政参与のティラノスと軍事参与のパラドキシアに話しかけた。二人とも、王の機嫌のよさに久しぶりに緊張を解いた顔をしていた。
「我が『王の牙』の生き残りであるスジューネン・アンダルシア、クエスト・ニールセン、ヴァーナル・エッカート、ウルリヒ・ジャハーンをサマルカンドに放った。四人で共同すればホルンを倒すことができようし、事の成り行きによってはサームに詰め腹を切らせることもできよう。それに、『七つの枝の聖騎士団』の方も、『怠惰のピグリティア』が討たれたことによって本格的にホルンたちを狙い始めたようだ。やっと余は枕を高くして寝ることができるようだ」
その言葉に、パラドキシアも
「はい、その件については団長である『怒りのアイラ』から報告が来ました。前に敗れた『強欲のアヴァリティア』と姉を失った『怠惰のアーケディア』も、すでに動き始めているようです」
そう言って笑みを浮かべる。
「サマルカンドで大きな不祥事があれば、それだけでサームを追い詰めることができますし、仮にホルンたちを討ち取った場合は前国王の王女を守り切れなかったことを罪としてサームを処断すればよいと思います」
ティラノスの言葉に、ザッハークは心底可笑しそうに笑って言う。
「ふふ、邪魔者を討ち取って、そのことを罪としてもう一人の邪魔者を消す……ティラノス、そなたはまったくもって不埒な考えを持った奴だな。余はそんなそなたを頼りにしておるぞ」
「恐れ入ります。陛下におかれては、ホルンやサームがいなくなった後のこの国の運営についてお考えいただければと存じます」
ティラノスはそう言って笑いながら頭を下げる。
「とにかく、このように晴れ晴れとした気持ちになったのは久しぶりだ。あとは吉報を待つばかりだな」
君臣の3人は、そう言って笑い合った。
★ ★ ★ ★ ★
一方、ギガントブリクス一族の反乱を鎮圧したサームは、重臣たちと協議をしていた。内容はもちろん、ホルンの今後についてである。
ホルンは前国王の娘であり、前国王の実の弟であるサームから言うと姪に当たる。そして本来であればホルンがこの国の女王として君臨してしかるべきなのであり、前国王の異母弟であるザッハークは王権の簒奪以降、国威を落とすような施策しかできていない。
代表的なものは、辺境の放置である。前国王の時は、軍隊の規律もしっかりしており、州知事や官憲の努力もあって国の隅々にまで威令が行き渡り、辺境すら土地の住民たちは戸締りをせずに寝たり、旅人が野宿をしたりしても何事も起こらぬほどの平和と秩序が保たれていた。そのことは現在でも古老たちの語り草になっている。
しかし、ザッハークの簒奪以降、威令は行き渡らず、辺境では悪党や魔物が跋扈し、旅をすることはおろか単に生活することに関しても安全とは言い難い状況が続いていたのである。王女ホルンも、そんな辺境で育ち、15歳から10年間、辺境の治安を守る『用心棒』として生計を立てていた時期もあったほどだ。
「わがファールス王国は、この25年間でかなり国威を落としてしまっている。東のマウルヤ王国についてはトリスタン候がいるので現状では大きな綻びは出ていないが、アルメニア方面やテッサロニカ方面では反乱や諸国の脅威が増している状況だ。また、経済政策も行き詰まり、田畑を売る農民や職を捨てる職人たちも多くなっている。今、この時を座視すれば、ファールス王国は国として成り立たなくなってしまうかもしれぬ。私は“東方の藩屏”としてこのトルクスタン候国に封じられて27年、この国難に当たって何をなすべきか、諸将の忌憚ない意見を聞きたい」
サームが言うと、重臣筆頭のボオルチュが意見を述べた。
「前国王陛下の遭難時、状況がよく分からず、しかも東にはマウルヤ王国が虎視眈々としてこの国を狙っていたため、ザッハークに対応することができませんでした。ザッハークのやり方は当初、前国王の施策を引き継ぐ方式で破綻も見せていませんでしたので、我らとしては何も言えないところがございました。しかし、その後の無為無策に加えて正統な王位継承権を持つ姫君の存在まで明らかになった今、現王室に何の躊躇もいりません。立つべきだと思います」
他の重臣たちも無言でうなずく。ボオルチュは、その中の一人であるジェルメに意見を求めた。
「ジェルメ、軍事的に見て王女様の世直しはどのように進めるべきかを聞きたい。存念を述べてくれ」
するとジェルメは、ゆっくりと立ち上がって地図を広げ、要所を指さしながら言う。
「軍事的に見て、王都イスファハーンを陥落させても、ザッハークがいる限り勝負は着きません。クビライやスブタイ、チンベとも評議しましたが、ザッハークが早い段階でダマ・シスカスへと遷都し堅壁清野の策を取った場合、勝負がつくまで最悪5年はかかり、王国の再建にさらに5年はかかる見込みです」
「現王室に、取るに足る宰相や将軍はいるか?」
サームが訊くと、ボオルチュは次席のポロクルの顔を見る。ポロクルは口を開いた。
「左右の重臣であるティラノスとパラドキシアは、品性はともかくとして有能ではあります。将軍として気を付けるべきはスレイマンとイリオンでしょう。軍事的に最大の敵はやはり、『王の牙』の残り4人と『七つの枝の聖騎士団』の面々かと思われます」
「それで、王女様の旗揚げに当たっては、少なくともこの国の東半分を拠点として確定してからにすべきです。そのためには、まずトリスタン侯国の協力を取り付けることと、アフガスタン方面での軍事的拠点を構築しておく必要があります」
ムカリがそう述べると、チラウンが付け加える。
「さらに、現王室はどうも魔物とのつながりを持つ人物が帷幕にいるようです。相手が魔物である場合も考えた装備や編成が必要になってくるものと思われます」
サームは、いずれの意見に同様にうなずきを見せて言った。
「すでに皆、それぞれの職責において、できる限りの検討を行ってもらっているようだな。その検討事項をさらに整理し、遅くとも来年の秋までには挙兵できるように準備を進めてもらいたい」
「はい」
サームの言葉に、8人の重臣は真剣な顔で答えた。
こちらは城下町の隠れ家を拠点としているホルンたちである。ホルンたちは、全員が会議室に集まって今後の計画を話し合っていた。
「ご覧のとおり、この国の首都であるイスファハーンは、その北側に北西から南東に連なる山地を持っていて、これが天然の要害になっている。北側から攻めるのはとても厳しい。普通に考えて、攻めるとしたらアフガスタン地域を抜けて一旦国の南東に回り込み、そこから北西へと攻め上るのが常道だ」
金髪碧眼で美貌のハイエルフ、ジュチが地図を前にして言う。
「けれど、ボクが最も懸念するのは、相手が『堅壁清野』の策を取ることだね」
「『けんぺきせいや』って?」
ジュチの言葉に、リディアが頭に『?』マークを付けて訊く。その問いにロザリアが答える。
「いわゆる焦土戦術じゃな」
ジュチは、形のいい人差し指で金髪をいじりながら言う。
「そうさ。ボクは十中八九、敵はその策で来ると思う。ダマ・シスカスへ遷都し、イスファハーン近辺は焦土と化して、何ならバビロンまで焼き尽くす方策で来られたら、どれだけの被害が出て、いつ終わるか分からない戦いになるだろう」
「そんなことはさせたくないわ」
ホルンが言う。ジュチはその言葉に大いに同感を示して言う。
「もちろんです。そんなことをしてもらっては、どれだけの人々が苦しむことか……。そこで、ボクが考えるに……」
そう言いながらジュチはロザリアとガイを見ながら続ける。
「ロザリア殿のお力で、トリスタン侯国から3万の兵を出していただき、カンダハール方面から直接、イスファハーンをついてもらいます。と同時に、ガイ殿のお力で、リアンノン殿を動かしていただき、アクアロイドの軍団で直接、バビロンを取っていただきたいのです。こうすれば、ザッハークはイスファハーンを出られませんし、最悪でもバビロン方面でこちらの軍の補給がつきます」
「私たちはどうするの?」
当然のホルンの問いに、ジュチはザールを見て片方の眉を上げると言った。
「ボクらは、5万の軍で直接、イスファハーンをつけばいい」
そして続けて
「できればザールかティムール殿に別途1万程度率いてもらって、『蒼の海』方面から南下してもらえば最高かな」
「分進合撃か。それぞれの軍団の意思疎通がカギになるな」
地図上に示された線を見て、ザールがつぶやく。
「ツボにはまれば、ザッハークの逃げ場はなくなるよ。その前に、トリスタン侯国とアクアロイドの皆さんに協力を呼びかけることが先だけれどね?」
ジュチが言うと、ザールがロザリアとガイに頼んだ。
「ロザリア、ガイ殿、お聞きのとおりだ。この国をよくするため、そして姫様のために力を貸していただけないか? トリスタン候やリアンノン殿に話をつないでいただきたいのだ」
「私からもお願いするわ。ううん、これはザールではなくて私がお願いしなきゃいけないことだったわね。ロザリア、ガイさん、お願いできるかしら?」
ホルンが、銀色の長い髪を揺らしながら翠色の瞳で二人を見つめる。ロザリアとガイは
「うむ、姉上に頼んでみよう」
「もとより、我が首長たるリアンノンは姫様の味方として馳せ参ずる予定でした。直ぐに私が参って、準備をしていただきましょう」
そう言って笑った。
★ ★ ★ ★ ★
次の日、ホルンたちはサマルカンドの郊外で、南へ旅立つロザリアとガイを見送っていた。ロザリアはトリスタン侯国に、そしてガイはアクアロイドの町シェリルへ、それぞれ来るべき挙兵に関する協力を要請するのである。
「姉上は、今から10年前、姫様へ協力することについてデューン・ファランドール様と約束しておられます。私が姫様のもとに遣わされたのもその約束を果たすため。私が姫様のお気持ちを伝えれば、姉上も喜ばれるに違いありません」
ガイは深い海の色をした瞳を持つ目を細めてそう言うと、そのままシェリルの町へと旅立って行った。
「トリスタン候は以前、ザール様のご尽力でレプティリアンから国を取り戻したことを忘れてはいないはずです。私が姫様の遣いとしてお願いすれば、姉上も喜ばれるでしょう。ただ、どのくらいの兵が集められるかは未知数ですが、ジュチ殿の言うとおり3万は確実に出していただけるように頼んでみます」
ロザリアもそう言って、トリスタン侯国へと旅立って行った。
「上手くいくといいけれど」
二人の姿が山の向こう側に消えると、ザールはそう言って目を細めた。ファールス王国の正規軍は号して80万と言われる。もちろん、それは各藩屏国の兵力を含めての話だ。
トルクスタン侯国は10万、トリスタン侯国も10万は動員できるであろう。その他の藩屏国としてはアルメニア伯領とかジョージア伯領、アッシリア侯国があり、この3国で10万程度だ。残りの50万が王国軍として動員できる兵数であるが、それは各軍団管区で徴募するため、辺境を含む軍団管区では定数までの動員は不可能であろう。
ザールの胸算用ではザッハークが集めることができる兵力は王国として30万、これにアルメニアなどの藩屏国から10万、約40万と見ていた。
対する自分たちはトルクスタン侯国とトリスタン侯国で20万。ただし、それぞれの本拠地を守る必要があるため、前線へ投入可能な兵力は2国で8万程度であろう。これにアクアロイドの軍団1万と義勇軍1万とみても、全体ではやっと10万である。相手の動員力がザールの思ったとおりであっても4倍の兵力、仮に100%健全ならば兵力差は6倍にもなる。
黙りこくっているザールに、ジュチが笑って言った。
「兵力差を考えているんだね? こちらは最大限15万、10万あれば御の字、8万を基準として、相手は100パーで60万、動員の基盤が崩れていれば30万、遮二無二動員して80万だ。兵力差は最大で10倍さ、最低なら2倍だがね?」
ザールはうなずくと言う。
「うん、しかもこちらは前提として3か所から相手の急所へ進軍する分進合撃策を取らざるを得ない。相手の動員が素早ければ各個撃破されるだろう。それに、単に軍事的組織での戦いだけでなく、相手には『七つの枝の聖騎士団』や『王の牙』がある」
心配げなザールに、ジュチは笑って言う。
「心配性だね、ザールは。ボクは、魔力を持つ者たちの戦いで他の戦線の優劣が決まると見ている。つまり、『キミがいる場所』で勝ちは決まる。だから心配せず、キミはキミの能力を十二分に発揮できるように精進しておきたまえ」
ザールはいぶかしげな顔をする。自分がいくら『竜の血』を継いでいるからと言って、それはあまりに過大評価だと思ったのである。
しかし、ジュチは片方の眉を上げて言う。
「ふむ、納得しないかい? キミの『竜の血』は、覚醒すれば一個軍団を壊滅させる。対人間の部隊ならばキミではなくてティムール殿が率いるのが一番良い。それにある程度魔力が使える奴ら、例えばあのガルムとか言う戦士、がいれば、対人間ならば十分だ」
そこでジュチは空を見上げて言う。
「けれど、『魔法』が使える奴らが相手ではその限りではない。そんな奴らはキミでないと料理できない。もちろん、ボクやリディアやロザリアも助けるが、ホルン姫を狙ってくる奴らは人間ではなく『魔法』が使える奴らだよ。『王の牙』しかり、『七つの枝の聖騎士団』しかりさ」
「何々、男同士で何こそこそ話してんの? キモいわね」
そこにリディアが首を突っ込んでくる。ジュチは苦笑して言う。
「ザールが今後の件でナーバスになっているから、キミが元気づけてあげてくれ、リディア」
「えっ? 何を心配しているのさ。ザールはとっても強いし、姫様だってそうじゃん。それにジュチやロザリアがいて、何よりアタシがザールにはついているから、何も心配せずにいつものとおり命令を下してくれればいいのさ。アタシはザールのためなら地獄にだって行くわよ?」
リディアがそう優しい顔で言う。ザールはそんなリディアの顔を見て、リディアの声を聞いていると不思議に落ち着いてきた。
「うん、こればかりはやってみないと分からない部分があるからな。だから不確定要素をできるだけ少なくするように、物心両面で準備を怠らないようにしないとな。ありがとう、リディア。くよくよ考えているのは僕の性に合わないな」
「そうさ、ザールはいつでも先を見て、高きを求めていたじゃんか。そんなザールだからこそ、アタシは好きになったんだからね?」
リディアはそう言って屈託のない笑顔を見せた。
ホルンは、そんな三人を少し離れたところから見つめていた。あれから10年、デューン・ファランドール様が『王の牙』の追手に討たれてから10年経った。その10年間は自分にとって生き延びるための術を身に着ける10年だった。常に旅にあり、常に油断せず、そして常に一人ぼっちの10年間だった。
仮に、デューン様が生きていたらどうだったろうか? おそらく自分は15歳前後には『姫様』と呼ばれ、サーム殿やデューン様に守られて過ごしていただろう。それはそれで幸せかもしれないが、今のように自分で物事を見聞きして考えるような自分になれていたかは疑問だった。
それに、肩に止まっているコドランや、今目の前にいるザール、ジュチ、リディアの三人とは、別の出会いとなったに違いない。この三人は統率力や知力、武勇においてそれぞれが自分より抜きんでている。ロザリアのように洞察力に優れた仲間や、ガイのように戦闘力に優れた仲間も、今の自分だからこそ出会えたのだろうと考えているホルンだった。
『ホルン、何笑っているの?』
くすりと笑うホルンに、コドランが訊いてくる。ホルンはコドランの喉をなでながら、微笑を浮かべて言う。
「私って、いい仲間と出会えて幸せだなって思って。これでうまく行かなくったって、私はきっと諦めないし、投げ出したりもしないと思うわ」
『うん、そうだね。ホルンは強いし、それにぼくがいるからね』
コドランは気持ちよさそうに目を細めながら言った。
★ ★ ★ ★ ★
『王の牙』——それはファールス王国の武人の最高位であり、国王に直属し、国王の密命をこなす武装集団である。
その定員は王によって違うが7人から15人であり、エラム2世の代に定員10名と定められ、前国王であるシャー・ロームの代まで踏襲されていた。
同じく国王の直属である軍団に『王の盾』があるが、こちらは親衛隊的傾向が強く、平時においては首都の内城警備を、戦場においては国王の護衛をその任務としている。定員は500人である。
この『王の盾』及び国軍の最精鋭で戦略予備としての任務を持つ『不死隊』から、その経歴、技量、人格が特に優れた人士が『王の牙』として選抜される。現在、ザッハークの下にはスジューネン・アンダルシア、ヴァーナル・エッカート、クエスト・ジャハーン、ウルリヒ・ネルソンの四名が『王の牙』としての任務を遂行していた。
もう一人、筆頭としてエミオット・ジルがいたが、彼は王命によりホルンを狙い、命を落としている。本来、定員は即座に補充される建前で、その任務は国内の巡察や特殊作戦の指揮などであり、一個人の暗殺などはその任務に含まれていなかったのだが、どうもザッハークは『王の牙』をあまり重視していないらしく、欠員は補充されず、暗殺などの国として表向きにはできない仕事しか下命していなかった。
「我らは、国軍80万の頂点に立ち、敵性集団の排除・覆滅と国家の監察を任務とし、国民の安全と陛下の安寧を図ることで陛下の御稜威を天下に広めるために存在する、か」
スジューネン・アンダルシアは、『王の盾』の公的な執務室とされている『盾の間』でそうポツリとつぶやいた。目の前の机には、先ほどティラノスから手渡された命令書が広げられている。
「……エミオットが口癖のように言っていた言葉だな」
髪の毛に白いものが混じるヴァーナル・エッカートがつぶやく。スジューネンはうなずいて言う。
「エミオット殿が発たれるとき、おっしゃった言葉をご存知ですか?」
「うむ、『剣の誓いはつらいものだ』、だったな」
ヴァーナルが答えると、手にしていた命令書をぽんと投げ出してクエスト・ジャハーンが言う。
「また暗殺か……現国王は、我らを暗殺集団と勘違いされているようだな」
ヴァーナルは口を歪めて言う。
「ふん、シュール殿がデューン殿と相討ちになったことで、暗殺などと言う仕事はなくなるものと期待していたが……相手は仮にも前国王の娘、この国の王女である可能性が高い人物だぞ?」
「だからエミオット殿はああ言われたんだろうよ。我らとしても陛下に対しては『剣の誓い』を立てている。その命には逆らえない……逆らえないが」
スジューネンが言いよどむ。
「できれば、この命令は撤回していただきたいものだな」
クエストが言うと、スジューネンとヴァーナルはうなずく。
「けれど、陛下の命令ならばやらないわけにはいかないんじゃないですか?」
四人の中で最も若いウルリヒ・ネルソンが言う。スジューネンは半分白くなった髪をかき上げて答えた。
「そのとおりだ。けれどウルリヒ、お前はデーヴの後任として『王の牙』に任命された男だから知らぬだろうが、この標的、ホルン・ファランドールは正統の王位継承者である可能性が高い。シュール殿が発たれる際、私やエミオット殿、ヴァーナル殿に『忠臣であるデューン殿を討つのはつらいことだ』と言い残されていた意味が、今分かった」
ヴァーナルが51歳、スジューネンが50歳、そしてクエストが49歳……彼らはデューン・ファランドールが『王の牙』筆頭だった時代からの生き残りであり、前国王の崩御の時は折悪しく国内巡察に出ていた面々であった。デューンの他に、熱病で首都に残っていたデーヴ・ギランはシャー・ロームの崩御を知って自決していたため、その補充として10年前、シュールがデューン暗殺に動く直前に『王の牙』に任命されたのがウルリヒ・ネルソンだった。彼は今年35歳になっている。
「……しかし、ウルリヒの言うとおり、我らが『王の牙』である限り、王命は成し遂げられねばならぬ」
スジューネンはそう言い、三人を見回して続けた。
「今度はエミオット殿の時と違い、ホルンにも仲間がいる。陛下はホルンのみならず、その与党も討ち取れと申されている。そのうち一人は『白髪の英傑』として名が高いザール・ジュエルだ。我らは陛下の一族と戦わねばならぬ。成功しても、失敗しても死あるのみだ」
三人は、殺気を込めた目でうなずいた。
★ ★ ★ ★ ★
「コドラン、また交易会館に寄ってみていいかしら?」
ロザリアとガイを送り出して三日後、ホルンはコドランと共にサマルカンドの街をぶらぶらと散策していた。
服装はいつものとおり、チェインメイルに戦袍を着て革製の胸当を付けている。腰には太腿を守る横垂を付け、刃渡り60センチ程度の剣も佩いていた。そして、トレードマークである全長1.8メートル程度の手槍も持っている。この手槍は穂の長さが60センチもあり、その棟には『Memento Mori(死を忘れるな)』と象嵌されている。養親のデューン・ファランドールから引き継いだ『死の槍』である。
なぜホルンが以前の用心棒のようないで立ちをしているのかというと、ジュチとリディアも来るべき旗揚げの日に向けてドラゴニュートバードの里に戻っていたからである。また、ザールが万一を心配したからという理由もある。
『はいはい、ホルンってばどうしても用心棒だったころの癖が抜けないよね。もう用心棒の廃業手続きをして半年以上経っているし、ガルムさんもこの町にいるから、さすがに仕事の依頼はないんじゃないの?』
ホルンの肩に止まっているコドランが呆れたように言う。
交易会館とは、地域の商人たちが共同で設立しているもので、投資・投機の情報など商売上必要な情報や、交易商のための宿の手配、用心棒のあっせんなどを行っている場所である。ホルンも用心棒時代には必ず利用していた、辺境ではなくてはならない施設の一つであった。
「そうね、でもオマルさんとも話がしたいし」
ホルンがそう言って交易会館に足を踏み入れようとした時、ちょうど中から出て来た人物にぶつかりそうになった。
「きゃっ!」
「失礼。おや、ホルンさんじゃないか」
「あっ、ガルムさん」
中から出て来たのはガルム・イェーガーという名の用心棒だった。彼はサマルカンドから南に半月ほど歩いたところにあったダインの町の用心棒だったが、町があることで壊滅したため、ホルンのもとに逃げてきていたのである。彼はホルンがこの国の王女であることは知っているが、持ち前の気さくさからホルンを人前でむやみに奉ったりしない。ホルンはガルムのそんなところも気に入っていた。
「ホルンさん、ちょうどよかった。あんたにちょっと話があったんだ」
隻眼のガルムは左目に鋭い光を湛えて辺りを見回すと、ホルンに小さな声で言う。ホルンも思わず声を小さくして訊く。
「どういうことでしょう?」
ガルムはニヤリと笑うと、
「少し歩きながら話そう」
そう言って、すたすたとメインストリートを歩き出した。ホルンも慌てて後に続く。ガルムは180センチと長身で、背中に直径60センチほどの楯と長大な両手剣を背負っている。威風堂々とした彼が歩くと、人々は思わず道を開けるのだった。そのままガルムは町中を突っ切り、サマルカンドの北側にある丘陵地近くまで足を延ばした。
「この辺りでいい」
ガルムは周囲を見回して、人の気配がないことを確認すると、ホルンにズバリと言った。
「ホルンさん、あんた狙われているよ」
「狙われている? 気になる奴らでも見かけましたか?」
ホルンが眉を寄せて訊くと、ガルムはうなずいて言う。
「ああ、あいつらは恐らく『王の牙』だ。あの雰囲気といい、強烈な『魔力の揺らぎ』といい、まず間違いはない。『王の牙』ほどの遣い手が出張ってくる相手と言えば、ホルンさん、あんたしかいない。あるいは狙いは『白髪の英傑』かもしれんが」
「『王の牙』が……いつ頃見かけましたか?」
「ほんの昨日のことだ。俺はいつも8点(正午)には交易会館で仕事依頼をチェックしているが、その時に見かけたよ。全部で4人だった。確か槍遣いのスジューネン・アンダルシア、剣士のヴァーナル・エッカート、両手剣のクエスト・ジャハーンだな。あとの一人は分からん、新入りだろう。と言ってもそいつも30は過ぎているようだったが」
ガルムは元『王の盾』に副隊長として所属していた勇士であり、腕も立つし『王の牙』の何人かとも知り合いである。彼がそう言うのであれば間違いはあるまい——ホルンはそう思ってうなずいた。
「ホルンさん、あんたはこの国の正統な王位継承権を持つ姫様だ。本来ならあいつらは姫様にこそ忠誠を誓わないといけねえ。それが姫様に牙をむくとは、世も末だな」
ガルムは気の毒そうに言う。ホルンは笑って答えた。
「それが私の運命でしょう。受け入れることには慣れています。それにしても良く知らせてくださいました。お礼申し上げます。ガルムさん」
「いや、お礼などどうでもいい。しかし、あいつらが四人で掛かってくるとなると骨が折れるぞ。あのハイエルフやオーガ、魔族の女性はどうしている?」
ガルムが訊くと、ホルンは首を振って答えた。
「全員、ある用事でサマルカンドにはいません」
「じゃ、姫様を守るのは『白髪の英傑』だけか? それはいけない。ホルンさん、悪いことは言わん、2日だけ我慢してあいつらから逃げ回ってくれないか?」
ガルムが慌てて言うのに、ホルンは不思議そうに訊く。
「2日? 何をされるつもりですか?」
ガルムは何か言おうとしたが、急に口をつぐんで真剣な顔で言った。
「とにかく、あいつらとの戦いは2日伸ばしてもらいたい。ホルンさんはこの国の未来を背負っているんだ。そこを忘れちゃいけないぜ?」
ガルムはそれだけ言うと、急に身をひるがえして走り去った。
「どういうことかしら?」
ホルンがつぶやくと、コドランがまじめな顔で言う。
『ぼく、ガルムさんと一緒に戦ったことがあるけれど、あの人はとてもいい人だよ。ガルムさんがああ言うなら、言うことを聞いていた方が、ホルンやザールさんにとってもいいような気がするな』
ホルンはそれを聞いてうなずいて答えた。
「分かったわ。帰ったらザールにも相談しましょう」
「『王の牙』ですか……それも四人も」
隠れ家に戻った後、先に城から戻っていたザールに、ホルンは今日ガルムから聞いたことを話した。案の定、ザールは心配そうに眉を寄せる。
「ええ、まだこの家までは知られてはいないようだけれど、しばらくは引き籠りね」
ホルンが笑って言うと、ザールも薄く笑って言う。
「ホルンにしては珍しいことだね。いつもならばこちらから先手を取って相手に斬り込むところだけれど」
「あら、私だってものごとの有利不利くらい分かるわよ? 相手は四人、それも手練れよ。私一人ではもちろん、ザールと二人でもまともに相手するのはしんどいわ。それに、二日もすればジュチやリディアも戻ってくるかもしれないし」
ホルンが軽くウインクして言う。それにコドランが
『ぼくもホルンの助けになりたいけれど』
そう言うと、ホルンは笑ってコドランの頭をなでながら言う。
「ええ、コドランがいれば、今でも何とか四人とも戦えなくもないわ。でも、せっかくガルムさんがああ言ってくれたんだもの、よっぽどのことがなければこちらから仕掛けることはしないつもりよ」
「とにかく、ホルンはこの家でじっとしていてくれ。僕は父上にこのことを報告してこよう」
ザールはそう言って『糸杉の剣』を佩き、城へと向かった。
「ホルンは城内にはいない」
クエストがそう言うと、ヴァーナルは目を細めて言う。
「城の中にいないのは助かったな。“東方の藩屏”と言われるサーム殿の城だ。恐らく警備は固いであろうし、内城の中で暴れ回ることもできないからな」
「しかし、肝心のホルンがどこにいるのか、皆目見当もつきませんよ?」
ウルリヒがそう言うと、スジューネンが凄味のある笑いを浮かべて言う。
「探す必要はない。おびき出せばいいのさ」
「おびき出すって、下手なことをしたらサーム殿に陛下を攻撃するネタを与えるようなものだぞ?」
ヴァーナルはそう心配そうに言うが、スジューネンはチラリとウルリヒを見て言う。
「ウルリヒ、お前の“幻獣”が役に立つ時が来たぞ」
するとウルリヒは何かに気が付いたかのように、手のひらをパチンと叩いて言った。
「ああ、そう言えばその手がありましたね?」
「お前のその力でホルンをおびき出すか、最低でもその居場所を突き止められれば、あとの仕事が楽になる。頼んだぞ、ウルリヒ」
スジューネンがそう言うと、ウルリヒはニッコリと笑って外に出ていった。
「あいつ、勝手に攻撃を仕掛けなければいいが」
クエストが言うと、ヴァーナルは笑ってそれに答えた。
「そんなヘマはしないな。あいつは年に比べて考えが深い。態度はあんなやつだが、陛下には多分俺達よりも忠誠だ」
「……陛下直々の抜擢だったからな。『王の盾』どころか『不死隊』すら経験していないで『王の牙』になったのはあいつが初めてだろう」
スジューネンは、どこか苦々しげにそう言った。
「やれやれ、先輩方のお守りも疲れるぜ。こんなときは一杯引っ掛けるに限る」
ウルリヒはそう独り言を言いながら、目に付いた一軒の酒場に足を踏み入れた。さすがに“東方の藩屏”と言われるサームの城下町である。酒場の中はさまざまな国の男たちでむせ返るようであった。
「酒をくれ」
ウルリヒはカウンターに腰かけると、目の前にいるバーテンに声をかけた。バーテンはニコリとしてピカピカに磨き上げられたグラスをウルリヒの前に置くと、それに琥珀色の液体を注ぐ。ウルリヒはグラスの縁まで注がれた酒を、一息にくいっと飲み干した。
「くう~っ、身体中に染みわたるぜェ。もう一杯くんな」
ウルリヒがそう言うと、バーテンは微笑を浮かべたまま、目の前のグラスに再びなみなみと酒を注ぐ。
「サマルカンドの酒は旨いな。産地はどこなんだい?」
ウルリヒの問いに、バーテンは
「今お注ぎしたものは、サマルカンドの地酒です。他にはマウルヤ王国の酒や遠くダイシンから取り寄せた酒、珍しいものとしては北方の遊牧民が飲む乳酒がございます」
そう答えた。
「ふう~ん、話に聞く限りではどの酒も美味そうじゃねぇか。次はお勧めの酒をくれないか?」
ウルリヒがそう言ってグラスを空にした時、右手から一つのグラスがウルリヒの前に滑って来た。中には透明だが強烈な芳香を放つ液体が注がれている。
「うん?」
ウルリヒが右側を見ると、隻眼で苦み走った顔の男が、その左目に優しい光を宿しながらこちらを見ている。ウルリヒの前にいたバーテンが何かを耳打ちされると、彼はニコリとしてウルリヒに言った。
「あちらのお客様からです。ダイシン帝国産の老酒です」
ウルリヒは隻眼の男に会釈すると、勧められた酒をあおる。強烈なアルコール度に思わずむせそうになったが、口腔に広がる爽やかな刺激と風味に思わず
「旨ぇな」
とつぶやいた。ウルリヒはそのグラスを手に持つと、隻眼の男の隣へと席を移動した。
「やあ、旨い酒を勧めていただいて感謝するよ。バーテンさん、俺からこの兄さんに同じのを出してやってくれ」
ウルリヒの言葉に、隻眼の男も笑って答える。
「いやいや、この界隈でも見かけないくらい腕の立ちそうな人だからな。お近づきのしるしさ」
「俺の名はウルリヒ・ネルソンってんだ。これでも王家に仕えている剣術使いだ。兄さんの名を聞かせてもらってもいいかい?」
ウルリヒの問いに、隻眼の男は笑って答えた。
「そうか、あんたは王家の戦士か。道理で腕が立つはずだ。俺の名はガルムだ、よろしくな、ウルリヒさん」
ガルムは屈託ない笑顔でそう言うと、ウルリヒと乾杯した。
ウルリヒは痛飲した。
「こんなにいい気分で酔っ払ったのも久しぶりだぜ」
酒屋を出ると、辺りはすでに暗くなっていた。ガルムは途中で切り上げたが、ウルリヒは珍しい酒を見つけ出してはその味を心行くまで楽しんでいたのだ。途中でスジューネンたちの顔が浮かんだが、
……まあ、ホルンの居場所が分かるような細工をしさえすればいいんだからな。
と、目の前の楽しさに釣られてしまったことは否めない。
ウルリヒは、よろよろと道を歩き始めた。暗くなったとは言ってもまだ0点半(午後7時)だ。メインストリートにはまだまだたくさんの往来があった。ウルリヒはニヤリとすると、ふらふらと人気のない路地へと消えて行った。
しばらくすると、メインストリートや広場で怪異が起こり始めた。
「あれ、お母さん、お魚が飛んでるよ?」
小さな子が母親の手を引いてそう言う。母親が「何を寝ぼけているの?」と言いながら子どもが指さす方を見ると、確かに、青白い燐光を放ちながら、細長い魚(?)が宙を泳いでいた。
その魚は長さが3メートル程度、柳の葉のように細長く、銀色の鱗をしていた。背びれと胸びれの一番前から、1メートルくらいの管が飛び出ている。その顔はグロテスクで、上を向いた口からは鋭い歯がのぞいている。そんな魚が、都合50匹ほど、たくさんの人が見ている前で宙を泳いでいた。
「なに、あれ?」
怖いもの見たさだろう。一人の子供がその魚に近づいた。すると途端にその魚は口をガバッと開けて、そのまま子どもの頭に食いついた。
「ぎゃああ!」
子どもは叫んだが、その声は途中で途切れた。怪魚がその子どもの頭を首から噛み千切り、そのまま飲み込んでしまったからだ。
それを合図にしたように、50匹の怪魚は、それぞれに手近にいた人間たちを襲い始めた。怪魚は見た目よりも素早く、手当たり次第に人間にかじりつくものや、何匹かで一人をなぶるように食い尽くすもの、まず足を狙って逃げられなくしてから少しずつ人体をかじり取っていくものなどがおり、怪魚から逃げようとして将棋倒しになる人々も出るなど、あっという間に広場やメインストリートは阿鼻叫喚の巷と化した。
やがて、怪魚によって静かになった広場に、ふらりとウルリヒが姿を現した。彼は月の光の下で動かなくなっている人々や、あちこちに飛び散っている血潮と言った凄絶な光景を眺めて、ヒュウ、と口笛を吹くと、
「探しものだ。『風』のエレメントを持つ女だ」
そうつぶやく。その声に反応したように、怪魚たちはあちこちへと散っていった。
★ ★ ★ ★ ★
「……もう二日になるな」
隠れ家でヴァーナルはつぶやいた。スジューネンはウルリヒに訊く。
「まだお前の“幻獣”に引っ掛からないか?」
ウルリヒは間延びした声で答える。
「ああ、これだけ俺のペットたちが暴れているんだから、姿を現してもいいころなんだが、引っ掛かってくるのはこの城の警邏たちばかりだ」
実際、あの夜から怪魚は群れをなしてサマルカンドの町を彷徨うようになっており、たとえ昼でも怪魚と出会ったら最期になるため、町の人々は極力外に出ないようにしていたのである。当然、店も開いておらず、サマルカンドの経済は崩壊寸前にあったといえる。
「……よほどサーム殿は我々を警戒しているようだな」
クエストの言葉を、ヴァーナルは聞きとがめた。
「どういうことだ? 俺たちがここにいることは機密だぞ?」
クエストは首を振って言う。
「相手だって死に物狂いさ、なにせ王女様だからな。エミオット殿がホルンを狙って敗れたことはホルン自身がサーム殿に話しているだろうし、サーム殿の間者がイスファハーンにいることは周知の事実だ。俺たちの出陣もすでにサーム殿の耳に入っていると考えていた方が間違いが少ないと思うぞ」
「と、すると、ウルリヒの幻獣も、俺たちの仕業だと見破っているだろうな……」
ヴァーナルは静かに言って続けた。
「……だとすると、これは我慢比べになりそうだな」
一方、ホルンたちは、『隠れ家』でジュチたちと話をしていた。ジュチとリディアは首尾よく自分たちの種族からホルンの旗揚げへの協力を取り付けていた。もっとも、どちらの種族も……ハイエルフの王テムジン、ジーク・オーガの首領オルテガ……すでにサームとの約束で協力することは確約していたので、今回は具体的なタイムテーブルの確認という意味合いが強かった。
「……と、言うことで、ボクたちハイエルフは来年の夏以降ならば全軍の投入が可能ですよ。リディアの方はどうだい?」
ジュチが形のいい人差し指をやや煩げな金髪に絡ませて言う。リディアはニコニコして答えた。
「アタシたちも、夏以降ならばいつでもいいってさ。あとはホルン姫様からゴーサインを出してもらうだけだよ」
二人の報告を目を閉じて聞いていたホルンは、やがて眼を開けて二人に言った。
「二人ともお疲れさまでした。私も来年の夏までにはいろいろと心の準備をしておかなきゃいけないわね」
そう言うホルンを、ザールをはじめジュチとリディアも優しい目で見ていたが、ジュチがふと思い出したように訊く。
「そう言えば、ボクがサマルカンドの街に入って来た時、不思議なものを見たが、あれはひょっとして姫様を狙う奴らかな?」
「うんうん、アタシも見かけたよ。変な形の魚だけれど、明らかに凶悪な『魔力の揺らぎ』を感じたね。あれは幻獣の一種だろうけれど」
リディアもそう言う。ホルンとザールは顔を見合わせてうなずくと
「どうも『王の牙』の奴らが王女様を狙ってサマルカンドに入っているらしい。ガルム殿の話では4人だそうだ」
ザールが言うと、ジュチがホルンを見つめて言った。
「ホルン姫様の日ごろを見ていたら、今回は良く我慢して突出されなかったなという気がします」
「あら、ひとを猪武者みたいに言わないでよ。そりゃあ、私だって待つことは性には合わないけれど、相手は4人、しかもそれぞれがエミオットみたいな手練れよ。ザールやコドランがいてくれると言っても、まだこちらが不利だわ。ガルムさんが何か考えているみたいだったから、それに甘えて大人しくしていたのよ」
ホルンが言うと、ジュチはクスリと笑って言った。
「それはいいご判断でした。姫様にそうあっていただければ、今後旗揚げした後も戦略が立てやすくなります。何にせよ、あの幻獣はサマルカンドの民に迷惑をかけているようですから、『王の牙』ともども片付けてしまいましょう」
「じゃ、私も出るわ」
ホルンがさっそく『死の槍』を手に取って言うのに、ジュチは笑いを消さずに言った。
「まあまあ、せっかくこちらにガルム殿が向かっておられるようですから、彼の話を聞いてから作戦を立てましょう。急いては事を仕損じますよ?」
やがて、ジュチが言ったとおりガルムが『隠れ家』を訪れた。ガルムはこの二日の間に、『王の牙』の様々な情報を仕入れてきていた。
「彼らはこの間申しあげたとおり、槍遣いのスジューネン・アンダルシア、剣士のヴァーナル・エッカート、両手剣のクエスト・ジャハーン、そして幻術遣いのウルリヒ・ネルソンです。前者三人は前国王時代からの生え抜きで、ウルリヒだけがザッハークに取り立てられた者ですな」
ガルムは四人の名前と特技、そして経歴をかいつまんで話すと、
「『王の牙』は、『王の盾』と違い、独立で任務を遂行することが建前です。ですから、彼らは四人まとめて王女様に挑むことはないと思います。仮に彼らが連携を取って掛かってくることを計画していた時のために、そうさせないよう四人をバラバラにする策略が必要です」
そう言って、
「彼らが“幻獣”を放っているのは、それを退治しに出たものが王女様であると考えているからでしょう。ですから、何カ所かで一斉に『怪魚狩り』をすれば、奴らは単独でそれぞれに当たってくるでしょう」
そう、ザールの顔を見ながら言った。
ザールがジュチの顔を見ると、ジュチはうなずいて
「いいと思います。ただ、奴らは王女様だけでなく、キミも狙っている可能性がある。だから、キミと王女様は別々に戦ったがいい」
そう言った。
★ ★ ★ ★ ★
深夜3点(午前0時)、サマルカンドのまちに5人の人影が動いていた。
「それでは、話し合いのとおりに……いいわね?」
その中の一人、ホルンがそう言うと、残りの4人、ザール、ジュチ、リディア、そしてガルムはうなずいて、それぞれの部署へと散っていった。
「さて、今までよくもこの町の人たちを苦しめてくれたわね」
ホルンはそう独り言を言うと、『死の槍』の鞘を払い、月光に青白い光を放ちながら宙を漂っている“幻獣”……見た目にもおぞましい怪魚たちへと躍りかかった。
「かかった」
サマルカンドの郊外に作った隠れ家で、ウルリヒはそう言って目を輝かせた。しかし、すぐに考え込む様子になる。
「どうしたウルリヒ、かかったのか?」
ヴァーナルが身体を起こすと、不思議そうにしているウルリヒに問いかける。ウルリヒは、ヴァーナルだけでなくスジューネンやクエストも自分の顔を見ているのを知って、笑って言った。
「かかった……らしいけれど、“幻獣”たちが攻撃を受けているのは4カ所だ。城の北東と南東、そして北西、南西の位置だ」
「ふん、それは城の巡邏とかではないのか?」
スジューネンが訊くと、ウルリヒは否定する。
「そうではない。“幻獣”たちを倒すスピードが速すぎる。特に北東と北西の二人がそうだ。南東と南西の二人もなかなか速いが……」
それを聞いて、スジューネンが決断した。
「ホルンたちが出たに違いない。北東はヴァーナルにお願いしたい。北西は私が当たろう。南東はクエスト、南西はウルリヒに任せる。誰がホルンやザールに当たるかは分からんが、『王の牙』の誇りにかけて戦うのだ」
スジューネンの言葉に、全員がうなずいた。
城の南東で怪魚を退治していたのは、リディアであった。彼女はジーク・オーガ本来の姿に戻り、巨大なトマホークを振り回しながら、辺りの気配にも気を配っていた。そんな彼女の耳は、明らかに仲間のものとは違う、彼女に向かって一目散に駆けてくる足音を捉えた。
……ふん、おいでなすったね。
不思議なことに、それまで彼女と戦っていた怪魚たちが、跡形もなく消えていた。そのことで、リディアは近づいてくる敵が自分の位置などを正確に把握したのだと悟った。
……だったら、ここに長居は不要だね。打ち合わせ通りに行動させてもらうよ。
リディアはそう心の中で言うと、相手を完全に引き離さない程度のスピードで、城の東門に向かって走り始めた。
城の南西で怪魚を退治していたのは、ジュチであった。彼はいつもの弓ではなく、レイピアを揮っていた。まるで指揮棒のように鮮やかにレイピアを揮うジュチに対して、怪魚はなすすべもなく串刺しにされ、あるいは両断されていくのであった。
……おや、いよいよ敵さんの出番のようだね。コイツはどうやらこの“幻獣”の飼い主のようだね。
ジュチは、近づいてくる相手の『魔力の揺らぎ』を見て、それがウルリヒだと見破り、誰に対してでもなくくすりと笑うと
……結構魔力は高いようだね。遊び甲斐があるみたいだ、楽しみだよ。
そう心の中で思い、ますます数が多くなってくる怪魚を適当にあしらいながら、城の南門へと移動を開始した。
城の北東で怪魚を退治していたのは、ザールであった。彼は『糸杉の剣』で怪魚をまとめて斬り伏せていた。もちろん、怪魚退治が本当の任ではないため、ザールはヴァーナルという希代の剣士が近づくと、そのことをすぐさま察知した。
……ふむ、かなりの腕だ。これは僕も気を抜かないようにしなければな。
ザールは、近づいてくるヴァーナルの『魔力の揺らぎ』を感知すると、その波動の大きさと力強さに感心してそう思った。気が付くと、自分の周りにいた怪魚たちは影も形もなくなっている。そのことで、怪魚を扱っている幻術遣いも仲間の誰かを捕らえたことを知ったザールは、城の北門へと移動を開始した。
そして、城の北西で怪魚退治を行っていたのはホルンであった。彼女は『死の槍』を振り回しながら怪魚を適当に始末していたが、彼女の神経にチカリと鋭い感覚が走った。
……やって来たわね。この『魔力の揺らぎ』を見るとかなりの腕だわ。ひょっとしたらエミオットと名乗った『王の牙』を超えているかもしれないわね。
“ホルン、敵だよ。すごいスピードで近づいてくる。得物は槍だ”
コドランからそう報告が入る。コドランはいつものように姿を隠し、ホルンの視界を高所から補う『鷹の目』として上空100フィートの所に滞空している。
“ありがとう、こちらも掴んだわ。そのまま監視をお願いね”
ホルンはコドランにそう伝えると、城の西門に向かって移動を始めた。
……これ以上、あいつらにサマルカンドの人たちを好きにさせるものか。
ホルンはそう思いながら、『風の翼』に乗って城の西門を出ると、そのまま南側の砂漠へと方向転換した。相手はぴったりとついてきている。この段階までくれば、相手はホルンから誘われていることを理解しているだろう。それでいい。
ホルンは南東へと方向転換する。相手は相変わらずホルンに食らいついている。距離は約2ケーブル(この世界で約370メートル)で、近づきも離れもしない。このまま行けば、城の門から南へ1マイル(この世界では1・85キロ)程度の所で街道にぶつかるだろう。
“ホルン、ホルンから7時方向5ケーブルにジュチさん、11時方向6ケーブルにリディアさんがいるよ。どちらも南に向かっているみたい”
コドランから連絡が入る。ホルンは速度を緩めもせずに尋ねた。
“ザールは?”
“ザールさんは9時方向、1マイルかな? でも、ザールさんが一番速いよ”
“そう、ザールとの距離が5ケーブルになったら教えて”
“オッケー”
コドランとのやり取りの後、ホルンは速度を少し落としつつ、進行方向を南南東へと変える。ホルンを追っているスジューネンはホルンの後ろ左側にいたので、ホルンが速度を少しくらい落としても逆に距離は開いていく。
ホルンが決戦場に選んだのは、ジュチの意見を容れてサマルカンドの南約2マイルにある窪地だった。窪地とはいっても、周囲は3キロもある。北側から東側、南側と低い丘陵が取り囲んでいて、街道からも5ケーブルは外れていた。ここでならどんな力を使おうとサマルカンドには影響しない。
現在、ホルンはその窪地から少し南側まで下りている。そうしないとジュチの作戦に支障が出るのだ。スジューネンはホルンの方向転換に今気付いたようだ。南に方向転換してスピードを上げている。ホルンはスジューネンとの相対的位置関係を調整しながら、今度は進行方向を東南東へと変えた。
“ホルン、ザールさんはホルンの8時方向、5ケーブルだよ。ジュチさんは7時方向1ケーブル、リディアさんは9時方向2ケーブル”
コドランのそんな報告が入った途端、ホルンは自らの身体を緑青色の『魔力の揺らぎ』に包み、進行方向を北東に変えるとともにスピードをグンと上げた。それは追跡しているスジューネンも一瞬、ついて来られなかったほどの機動であった。
ジュチ、リディアそしてザールは、自らの進行方向に緑青色の『魔力の揺らぎ』を認めると、それぞれが全速力で窪地を目指し始めた。
ホルンは窪地に駆け込むと、そのまま東端まで駆け抜けて止まり、ゆっくりと振り向いて『死の槍』を自らの身体の左側で立てて、仲間の到着を待つ。やがてジュチ、リディアそしてザールの順に彼女のもとに到着した。
「みんな揃ったわね。ちゃんと『王の牙』の皆さんをご案内できたかしら?」
ホルンが言うと、ジュチはチラリと窪地の入口を流し目で見て言う。
「皆さん、ご到着のようですよ?」
やがてホルンたちの視界の中に、横一列になって近づいてくる『王の牙』たちの姿が見え始めた。北側からクエスト、ヴァーナル、スジューネン、そしてウルリヒの順に並んでいるようだ。ホルンたちも北側からリディア、ザール、ホルン、そしてジュチの順で向かい合った。
「あなたたち、『王の牙』ね? 私はホルン・ファランドール、槍遣いよ。私に何か用事かしら?」
ホルンが言うと、スジューネンが一歩前に出て言う。
「それがしは『王の牙』筆頭を拝命している槍遣いのスジューネン・アンダルシア、他の四人はそれぞれに名乗らせます」
すると、それぞれが一歩前に出ながら名乗った。
「それがしは『王の牙』、剣士のヴァーナル・エッカート」
「同じく、両手剣のクエスト・ジャハーン」
「同じく、幻術遣いウルリヒ・ネルソン」
すると、ザールが緋色の瞳を光らせて言った。
「承った。僕はトルクスタン候世子のザール・ジュエル。スジューネン・アンダルシアに借問する。ホルン王女様は前の国王シャー・ローム陛下の忘れ形見であらせられることは存じているか?」
スジューネンは無言でうなずく。他のヴァーナル、クエストも同様だった。ザールはさらに質問を続ける。
「承知というのだな。では、シャー・ローム陛下から見て最も王位を継ぐに相応しいのは誰かを問おう。いかに、『王の牙』の面々よ」
スジューネンたちは明らかに顔を歪ませる。ザールが聞いていることは、この国の臣下であれば誰しもが“当たり前のこと”として従っていることなのである。
それは、“王が亡くなればその後はその子が継ぐ”ということである。ザッハークの場合は簒奪という手段の適否は別として、一応、“ホルンの存在を知らなかった”という言い逃れはできる。しかし、それが受け入れられるのはホルンに王位を譲った後のことであり、ホルンの存在を知りつつそれを亡き者にするためエミオット・ジルを派遣した件があるから、ザッハークは言い逃れの機会を自ら失ったに等しい。
「私は“東方の藩屏”たる父トルクスタン候の提案として、『王の牙』の面々にはホルン王女への帰順を促したい。正統の王たるホルン姫に帰順し、共に王権を簒奪して国権を恣にしているザッハークを討とうではないか。さもなくば、その方らは『王の牙』とはいえ逆賊として討ち果たさねばならない。その方たちの元々の筆頭たるデューン・ファランドール様の忠勇を鑑み、その方たちも武人としての道を踏み外さぬようにせよ」
ザールは、黙りこくってしまった『王の牙』たちに、そう理と情で説いた。このことはジュチから事前にアドバイスされていたことである。
曰く、
「戦いの前には大義と勢いが必要だ。ホルン姫の正統性という大義を明らかにし、『王の牙』には帰順を求めるという情をついて、彼らの英気、つまり勢いを先に挫いておくんだ」とのことであった。
スジューネンは難しい立ち位置にいた。ホルンが生きている限り、今ザールが言ったことがこの国では正論であり、その正論に従うことが正道である。しかし、『王の牙』として武人の忠誠を捧げる『剣の誓い』をしている彼らにとっては、その誓いにもとることは武人の誇りを捨て去るようなものでもあった。
「いかに? 『王の牙』の面々よ」
ザールは、恐らく自分の言葉は相手に届かないだろうと考えていた。彼らとて王家の戦士である。ホルンの存在も、ホルンが前王の娘であることも重々承知のはずだ。さっきザールが説いたことを一度でも真面目に考えたことがあれば、彼らはサマルカンドに武器を持って来ることはなかったはずなのである。それなのにこの場にいるということは、承知の上でザッハークの命に従おうというのであろう。ならばこちらはそれを何としてでも退けるのみである。
スジューネンは一度目を閉じ、しばらくそのままでいたが、ゆっくりと目を開けた。ザールはその目にほとばしる殺気を感じ、自分も緋色の瞳を持つ目を細くした。
案の定、スジューネンは静かな声で言った。
「ホルン・ファランドールとその一党、王の命により我ら『王の牙』が処断する」
その言葉が、恐るべき血戦への幕開けであった。
(20 叛逆の兇刃 完)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
いよいよ『王の牙』との戦いに突入します。
次回は『21 折伏の血刀』を火曜日20時にアップする予定です。お楽しみに。




