2 殲滅の街道
辺境のアイニという町に着いたホルン。そこで突然年老いた槍遣いに勝負を挑まれ、激闘の末その槍遣いと引き分ける。古豪の名はティムールといい、元『王の牙』の一人だったと語り、王国の現状を嘆く。アイニをヴォルフの群れが襲ってくることを知ったティムールは、ホルンに加勢を依頼する。快く依頼に応じたホルンは、ヴォルフ相手に活躍する。そこでホルンが抜いた『アルベドの剣』を見たティムールは……。
そこは、絵に描いたような町だった。
峠の上から見ると、家々が立ち並び、町の周囲を畑が囲んでいるさまは、まるで箱庭のようだった。
その峠の上に、一人の女性が立っていた。その女性は、背中まで伸ばした銀髪を肩のところでゆるくくくり、緑色のマントを羽織っている。1・8メートルほどの槍を背負い、マントからは革の胸当てや腹巻、直垂が見え、膝パットの付いた革のブーツを履いていた。
彼女は、眼下に広がる風景をその翠色の瞳で飽きずに眺めていたが、雲が陽の光を遮って町の色が暗くなると、ようやく峠道を下り始めた。
ここは、ファールス王国の東の外れ、いわゆる辺境とも言うべき場所である。ファールス王国はこの大陸でも大きな国の一つであったが、25年ほど前に時の国王の異母弟が国王を暗殺し、王位を簒奪するという出来事が起こった。それ以来、国内は安定せず、王権も威令も辺境までは届かず、今では盗賊や悪党、魔物に怪物などが跋扈する無法地帯と化したのである。
当然、昼間でも女性が辺境を一人で旅するなど、危ないどころでの騒ぎではないのだが、その女性は平然と峠道を歩いていた。
ゆっくりと歩いている女性の感覚が何かを捕らえた。その女は歩く速度を変えずに、周囲に注意を払う。分かるものが見たら、彼女の身体を緑青色の光がまとい、その光がだんだんと広がるのが見えただろう。
――やっぱり出たわね。10人程度なのが残念だけど、こういった輩は少しでも減らしておく方がいいわね。
彼女はそう思い、道の先に少し広い場所があるのを見つけると、いきなりそこまで駆けだした。
「おっ、気付かれたぞ! 早く追え!」
峠道の上の斜面の草むらからそんな声が聞こえ、ばらばらと人相の良くない男たちが飛び出してきた。手に手に剣や刀を持った男たちは、口々に叫びながら女性を追いかける。彼女は少し広くなっているところまで来ると、槍の鞘を外し、ゆっくりと構えながら男たちを待ち受けた。
「おっ、やる気か? ちょうどいい、囲んで槍を叩き落せ」
まだ若いが頭らしい男がそう言うと、手下の男たちが女をぐるりと囲む。頭はニヤニヤしながら、槍を構えた女に向かって言った。
「てめぇは何者だい? 普通は囲まれないように狭い道で勝負するんだが、わざわざこんなところで待ち受けるなんざぁ大した度胸じゃねぇか、ねぇちゃん」
女の槍遣いはゆっくりと男たちを見回すと、この場に似合わない静かな声で言った。
「あんたたちを倒しても、仕事じゃないから報酬が出ないのよね。何もしないで見逃してくれたら、お互い幸せなんじゃないかしら?」
その言葉を聞いて気色ばむ男たちを制して、頭が女に訊く。
「ねぇちゃん、大した自信だな。『仕事』って言ったが、あんたの仕事は用心棒かい?」
女はうなずいて言った。
「そうよ」
頭は女のいでたちをゆっくりと眺めていたが、その翠の瞳と全長の3分の1はあるかという長大な穂を持つ槍を見ているうちに、何かを思い出したらしい。顔色を変えて男たちに言った。
「おい、野郎ども。武器をしまって俺の後ろに来い! 危うく大変な奴に手を出すところだったぜ……あんた、まさかホルン・ファランドールじゃねえよな? 槍遣いの」
きょとんとして頭の後ろに固まった男たちを眺めて、ホルンはにっこりと笑って言った。
「ご名答よ。私はホルン・ファランドール。私の提案を受け入れてくれてうれしいわ。旅の思い出に、あなたの名を聞かせてもらってもいいかしら?」
頭は引きつった笑いを浮かべながら名乗った。
「俺は、リョーカ・ステープルってんだ。名乗らせてもらって光栄だよ、ホルンさん」
「どういたしまして、リョーカさん。それじゃ、私は行かせてもらうわね」
ホルンはそう言うと、男たちに背を向けてさっさと峠道を下って行った
それを見送ったリョーカは、額に冷や汗を浮かべながら手下につぶやいた。
「槍遣いのホルン・ファランドールって言えば、天下無双の女槍遣いだと天下に名が高い奴だ。こんなところまであんな奴が出張ってくるなんて、俺たちの商売もやりにくくなったもんだぜ。まあ今日は命があっただけ儲けもんだったな」
★ ★ ★ ★ ★
ホルンは、麓の町の中に足を踏み入れていた。峠から見ても整然として清潔感がある町だったが、町の周囲につくられた畑も手入れが行き届き、町中を歩いていてもチリ一つなく、行き交う人たちの顔も明るかった。
「よっぽどいい町長が治めているのか、いい人たちばかりの町なのか……なかなかこんな町には出会わないわね」
ホルンは、自分に交易会館の場所を教えてくれた町人の親切さを思い出しながらそうつぶやいた。そして、このアイニの町がファールス王国の王族であるサーム・ジュエルが治める『東の藩屏』の領内であることを思い出した。
——ここは、サーム様の居城であるサマルカンドに近い町……それでいて、あんな山賊が山中には生息しているのか……それとも、さらに東方の辺境から出張ってきているのか。それにしてはあのリョーカと名乗った男は、どこか山賊らしくなかった。
ホルンは、ふっと浮かんだその疑問を振り払うように頭を振った。目を上げると『アイニ交易会館』と看板を掲げた瀟洒な建物が近づいていた。
交易会館は、その土地の商人たちが協力して作った組合で、威令の及ばなくなった辺境では特に重要視されていた。ここでは、投機など商売上の情報のみならず道中の安全情報や宿の手配、そして用心棒の手配まで行っている。ホルンたち用心棒は、新しい町に着いたらまず交易会館に顔を出し、求人依頼に目を通したり同業者と情報を交換したりするのである。
ホルンが会館に入ると、4・5人の用心棒たちが固まって話をしていた。近ごろは用心棒たちもグループで仕事をすることが多い。その方が大きな仕事をしやすいからだ。中には決まったメンバーでパーティーを組織し、山賊狩りや物資輸送の護衛など荒事を専門に請け負っている用心棒たちもいた。ホルンはまず、掲示板に貼ってある求人依頼をざっと眺めてみた。
——ふむ、サマルカンドへの物資輸送護衛が1件、東のバザールへの商人護衛が10件、魔物退治が2件か……。サマルカンドへの護送は定員5名、まあ、私向きじゃないな。ご飯でも食べてから、魔物退治について詳しい話でも聞いてみるか。
用心棒たちにも得手不得手や好みの仕事がある。ホルンの場合は、単独で遂行できるもので、魔物退治などが最も自分に似合っていると思っていた。
会館の中ではちょっとした食事もできる。ホルンは掲示板を離れると、食堂の方へと歩を進めた。そんなホルンに、4・5人固まっていたうちの一人が声をかけてきた。
「よう、そこの兄弟、ちょっと相談があるんだがいいかな?」
ホルンは声のする方を見た。まだ10代と言ってもいいような若い男が、人懐っこい笑みを浮かべてホルンを差し招いていた。
「何か用かしら」
ホルンが近づくと、全員がホルンの顔を見て目を丸くした。中には顔を赤くしている青年もいる。
「こ、これは失礼。女性だとは思わなかったもので」
わたわたとしている青年に、ホルンは笑って
「座って話を聞かせてもらってもいいかしら?」
そう言うと、相手の返事も待たずに空いていた椅子に腰かけた。
「で? 相談というのは何かしら?」
ホルンが訊くと、青年は思い切ったように言った。
「お、俺たち、駆け出しの用心棒だけど、今度はちょっと大きい仕事をしてみようと思ってパーティーを組んだんだ。けど、仕事を請け負うには人数が足らないんだ」
どうやら、青年たちは求人にあった『サマルカンドへの物資護送』を請け負おうとしているらしい。ホルンはうなずいて訊いた。
「あの護送任務を請け負いたいのね? 仕事の詳細は分かっているのかしら?」
「え、あ、仕事はサマルカンドへの物資輸送の護衛で、報酬は一人4デナリということらしいけど」
青年が言うのに、ホルンは大げさにため息をついて言った。
「それは依頼表を見れば分かることよ。もっと詳しい、何を運ぶのか、量はどのくらいで、どうやって運ぶのか、用心棒のほかに誰が付いてくるのか、その人数は、どのくらいの日にちを予定しているのか……そうね、まずはそのくらいの情報が必要よ?」
「え、え~と、まだそこまで確認していなかった」
そういう青年に、ホルンはわざと冷たい目をして言う。
「そんなことじゃ、この稼業で食っていけないわよ? この稼業は『油断大敵』で『算盤勘定が大事』なんだから」
「は、はい……。面目ない」
しょげ返ってしまった青年を見て、ホルンは少し気の毒になったのか
「あなたたち、用心棒になってどのくらい? 名前は?」
と聞いた。青年たちは少し照れた笑いを浮かべながら名乗った。
「おれは、今年用心棒を始めたばかりの剣術遣い、ジェベ・ウルウートって言います。18歳です」
「あたしはジェベの幼馴染で、弓遣いのコクラン・アルメです。16歳です」
「ぼくも、同じくジェベの幼馴染で、槍遣いのアルム・ホルムです。18歳です」
「オレは、両手剣遣いのバズ・モンクートって言います。17歳です」
ホルンはひたむきな青年たちの目を見て、少しほっこりした気持ちになった。彼女は10歳のころ、彼女に才能を見出したデューン・ファランドールから槍を教わり、デューンの死後は15歳から用心棒稼業を始め、この世界で10年間暮らしてきている。そのことを考えた時、『私がこの年頃の時は、生きるだけで精いっぱいだったな……』と思ったのである。
「名乗ってくれてありがとう。私はホルン・ファランドール、槍遣いよ」
ホルンが名乗ると、青年たちは飛び上がって驚いた。まさか、音に聞く『無双の女槍遣い』に会えるとは思ってもいなかったようである。
「ホ、ホルンさんですって? わあ、いつかは会いたいと思っていた方にこんなに早く出会えるなんて、やっぱり用心棒になってよかった!」
同じ女性であるコクランが真っ先にそう言って手を握りに来た。
ホルンはにこやかに言った。
「あの求人について、話を聞きに行きましょうか」
30分後、ホルンたちは会館の食堂で求人について検討していた。
「話によると、出発は3日後で、依頼主または依頼主の代理人は付き添わない。積み荷は小麦45トン。使うのは450キロが積める荷馬車だそうだから、積み荷だけで100台の荷馬車が必要よ」
ホルンが言うと、ジェベが
「結構多いですね。一人当たり20台も警護しないといけないのか」
そう言って首を振る。それを聞いてホルンはさらに青年たちに言った。
「これは表向きよ。求人依頼に書いてあるのはあくまでも積み荷だけ。実際は荷馬車の御者が2人ずつ付けば別に一般人200人を警護する必要があるわ。それに……」
「それに?」
そこで言葉を切ったホルンに、コクランが訊く。
「それに、日程はサマルカンドまで2週間。つまり、8,400食分の食料や水が必要よ。水が一日一人当たり1リットル、食料が1食当たり500グラムとして、しめて12,600キロ。食料だけでも別に30台の荷馬車が必要ってことよ。そしたらその分の御者とその食料も増えるわね。それにこれは、馬の分を計算に入れていないわ」
ホルンが言いたいことを理解したジェベが難しい顔でいう。
「つまり、延々と150台以上もの荷馬車と300人もの人間を、依頼主の代理者もいない中でサマルカンドまで引き連れていかなきゃいけないってことか」
「車列の頭から最後まで、最悪550ヤードは離れるな」
両手剣のバズがつぶやく。
仕事の困難さをみんなが理解したところで、ホルンが言った。
「この仕事が、いかにバカげた依頼か分ったでしょう? 小麦という大事なものを運ぶのにも関わらず、依頼者本人が付いてこない。あれだけの物資を護衛するのに、たかだか5人でできると思っている。しかも、今まで応募者がなくて、あと3日しか日限がないにも関わらず報奨金や人数を増やしていない……ってことは、この依頼主は本気でこんな依頼をしていないのか、本気でしているのならばバカってことよ。関わったら痛い目に合うわよ」
ホルンの言葉を聞いていたみんなはうなずいた。
「しかし、せっかく大きな仕事ができると思ったんだけれどなあ」
ジェベが残念そうに言うのに、ホルンは笑って言った。
「あなたたちも先が長いのよ。変な仕事でつまらない結果になるより、小さなことでも積み重ねて力を付けていくことね。そのうちに大きな仕事は向こうから転がり込んでくるわ」
名残惜しそうにしているジェベたちに、しばらくはこの町にいると言い残して、ホルンは会館を出た。用心棒たちは互いの宿舎の情報は交換しないのが原則だが、ジェベたちが是非にというのでその宿屋の名だけは聞いていた。
★ ★ ★ ★ ★
「さて、今日はひょんなことで時間がつぶれちゃったわね。明日こそいい仕事が見つかればいいなあ」
そうつぶやきながら歩くホルンの前に、一人の老人がゆらりと立った。手に持っているのは槍である。それを見た途端、ホルンは総毛だって立ち尽くした。明らかにその老人が放つ殺気を感じたのだ。しかも、その老人は年に似合わないほどのエレメントの揺らぎを放出していた。
——ヤバい。あいつは『王の牙』の一人に違いない。
そう感じ取ったホルンだが、これだけ治安がいい町の中で、いきなり仕掛けてくるほど相手も考えなしではないと気付いたホルンは、少し落ち着いた。考えてみれば、デューン様を襲ってきた『王の牙』たちは、必ず人気のないところで勝負を挑んできた、そのことを思い出したのだ。
——デューン様が亡くなられてから10年、今まで私を狙って『王の牙』が出てくることはなかった。ひょっとしたら、デューン様が今はの際におっしゃられたことが、今の王家にばれたのかもしれない……。
ホルンはそうも思った。もしそうなら、今後も『王の牙』の襲来があることを覚悟しなければならない。ホルンは決然と眉を上げて、それでも何気なく再び歩き始めた。行先は宿屋ではなく、この町の外れである。
「……何にせよ、降りかかる火の粉は払わないといけない。父上、どうかご加護を……」
ホルンはデューン遺愛の槍を握りしめて、そう念じた。今まで数々の危難に遭遇してきたが、今回ほど切実に『死』を身近に感じたことはなかったのである。踏みしめる一歩一歩が、まるで鉛のように重かった。
やがてホルンは、町を囲んでいる畑も過ぎ、人気のない野原までやって来た。後ろからはおよそ1ケーブル(この世界で185メートル)の間を開けて、老人が付かず離れずついてきているのが分かった。
ホルンは野原の真ん中で立ち止まり、ゆっくりと振り向いた。ちょうど老人が野原の中に入ってくるところだった。ホルンは、老人が20ヤードほどの距離まで近づいた時、槍の鞘を払って静かに老人に聞いた。
「私の名はホルン・ファランドール。ご老人、先ほどから私の後を付けて来られたようだが、私に何か用か?」
すると老人は、ひどく優しげな顔をして、寂のある声で答えた。
「やはりわしのことに気付いておったか。さすがそれだけのエレメントの揺らぎを放つ槍遣いじゃ。わしの名はティムール・アルメ。そなたとの真剣試合を所望する」
それを聞いて、ホルンは静かにうなずいた。いつもの彼女に似合わず、血の気の引いた顔だった。それを見て、ティムールと名乗った老人はホルンの心をほぐすように言う。
「そんな顔をしていては、本来の力量の半分も出せぬぞ? もっと心を伸びやかにしなされ、ホルン殿」
そう言うと、ティムールはいきなり魔力を放出してホルンの眼前に土煙を立てた。
「!」
ホルンが歴戦の勘に従って上へと跳ぶのと、ホルンがいた位置を長大な槍が横殴りに空間を切り裂くのが同時だった。
「やっ!」
着地したホルンの胸板を正確に狙って突き出されたティムールの槍を、『死の槍』で弾く。弾くと同時にティムールの顔面へと突きを放つ。その突きを左にかわしながら、ティムールがホルンの頭上から槍を斬り下げてくる。それをホルンは左に回り込んで外し、逆袈裟に斬り上げる。その斬撃をかわしたティムールが、ホルンの足を狙って槍を滑らせる。
「はっ!」
ホルンは上に跳ぶと見せかけて、後ろへと跳んだ。案の定、ティムールはホルンが跳んでいたらそこにいたであろう空間に、槍を突き出していた。
「……見事じゃ。ホルンとか名乗ったな」
ティムールが構えを解いてホルンに問いかける。ちなみに、戦闘が始まってからまだ5秒も経っていなかった。
「私の名を知ってて勝負を挑んできたのではないのですか?」
ホルンが訊くと、ティムールは首を横に振った。
「わしはただ、そなたの魔力の強大さに興味があったんじゃが、今は別の興味がある」
「別の興味?」
ホルンが訊くと、ティムールは槍を引いて厳しい顔でホルンに問いかけた。
「そなたの槍の法、デューン・ファランドールにそっくりじゃ。デューンは他ならぬわしの弟子で、『王の牙』の後輩でもある。何年か前、デューンの死が伝わったが、それとてはっきりしたことは分からん。そなたは何者じゃ? デューンがどうしているか知っておるか?」
ティムールのその言葉で、彼が『王の牙』として彼女を討ちに来た者でないことを知ったホルンは、槍を引いてティムールの指呼の間から出た。ティムールは、ホルンが持つ槍の穂に『Memento Mori(死を忘れるな)』と象嵌されているのを見て、びっくりしたように訊く。
「そ、それは『死の槍』! デューンの槍ではないか! それをそなたが持っているということは……」
ホルンはうなずいて答えた。
「デューン・ファランドール様は私の養父です。ある事情があって25年前にデューン様は『王の牙』を抜け、私を育ててくださいました。私はデューン様から槍を教わり、今では用心棒として生きています」
それを聞いて、ティムールは
「そうじゃったか……『王の牙』を抜けるとは、やむにやまれぬ事情があったに違いない。25年前というと、先の国王が亡くなった時分じゃの?」
そうつぶやくと、何かに思い当たったかのような顔をして、ホルンに訊いた。
「デューンが亡くなったのはいつ頃じゃ? 当てて見せようか……10年前ではないかな?」
ホルンは暗い顔でうなずいた。
「わしとて『王の牙』じゃった者じゃ。先の国王が亡くなってからの『王の牙』の分裂、デューンの出奔、それを探す残りの『王の牙』の動きくらいは耳に入っておった。『王の牙』次席のシュール・エメリアルが動いて以降、『王の牙』たちの動きがない。それが10年前じゃ。すなわち、そこでデューンとシュールが相討ちになったということじゃろう」
湿った声で言うティムールの言葉を聞きながら、ホルンは『あの日』のことを思い出していた。
『ホルン……お前は一人ではない。時が来たら、その剣を握り、仲間と共に立たねばならない……ホルン……ひ、姫をた……』
朱に塗れた身体で、それでも自分の行く末を気にしてくれていたデューンの最期の言葉が耳から離れない。しかし、最後の『姫』とはどういう意味だったのだろうか?
ホルンは、無意識に左手を後ろに回した。マントで見えないが、腰には刀身の長さが60センチばかりの片手剣を佩いていたのだ。
「養父を討ったことで、『王の牙』の目的は果たしたということでしょうか?」
ホルンが訊くと、ティムールは首を振って答えた。
「どうとも言えないのう。ホルン殿に10年も何もなかったのであれば、『王の牙』たちの目的は裏切り者であるデューンの成敗じゃったと考えることもできるが……しかし、それ以外の目的があっても、それに『王の牙』を割くことはできなかったじゃろうがな」
「? どういうことでしょう」
「ホルン殿も用心棒なら、この国の現状は分かっておろう。王の威令は辺境に行き渡らず、あちこちで悪党や魔物が跋扈しているではないか。先のシャー・ロームの時には考えられなかったことじゃ。国民が難儀している現状を座視していては、ザッハークの鼎の軽重が問われよう」
ホルンは、ティムールが先の国王には『シャー』の敬称を付け、現国王にはそれを付けなかったことに気が付いた。ティムールは現状に不満、というより、国の行く末に不安を持っているのであろう。さすがに『王の牙』の一員だったことだけはあるとホルンは思った。
そんなホルンに、ティムールは笑って言った。
「かく言うわしも、今では小さな宿屋で暮らしを立てているに過ぎん。よければわしの宿に来なされ、お代は要らんから」
★ ★ ★ ★ ★
ティムールの宿屋である『シール』は、アイニの町でもサマルカンド寄りの通りにあり、小ざっぱりとして清潔そうだった。
「今帰ったぞ」
ティムールがそう言ってドアを開けると、
「おじいちゃん、こんな時間までどこほっつき歩いていたの?」
という聞いたような声とともに、若い娘が帳場に顔を出した。
「あなたは……」
「あっ、ホルンさん!」
顔を出したのはコクランだった。コクランはティムールを見て、興奮して話す。
「おじいちゃん、ホルンさんと知り合いなの? どうしてホルンさんがここに来てくれたの?」
「ティムールさんが私の槍を見て話しかけて来られたの。ティムールさんも槍をされるということだから話が弾んで、ご自宅が宿屋だとお聞きしたからお邪魔することにしたの。よろしくね、コクランさん」
ティムールが何か言うより早く、ホルンがそう答えた。コクランはすっかりはしゃいで、
「わあ、ジェベやアルムやバズにも知らせなきゃ。今夜はホルンさんとじっくり話ができるわ!」
そう言うと、離れの宿舎に飛んで行った。
「……孫たちは用心棒の真似事を始めよっての。まだ半年にしかならんが、何回か魔物狩りを成功させている」
ティムールがそう言うが、口ぶりには心配があふれていた。
「相手は?」
「スライムが主じゃが、ワイルドキャットの一団を征伐したのが一番大きな事例かのう。ワイルドキャット5匹を4人で倒したらしい」
ホルンは微笑んだ。ワイルドキャットはそんなに強い魔物ではない。しかし、油断すれば大けがをするくらいの力は持っている。次のヘルキャットやベアキャットになると、もう少し魔力は上がって、駆け出しの用心棒なら1対1での戦いは少しきつくなる。
「少しずつ場数を踏んで、力を付ければいいと思います。まだ皆さん二十歳前ですから」
ホルンが言うのに、ティムールは
「できれば、孫たちに用心棒としての心得を教えていただければありがたい」
そう頼んできた。ホルンがうなずいて何かを言おうとした時、
「すみません! ティムール殿はご在宅か?」
そう言って、中年の精悍な男が宿に入ってきた。
「おう、ジャハン殿か。こんな時間に何の用じゃ?」
ティムールが呼びかけると、ジャハンと呼ばれた男は困ったように答えた。
「すぐに執政のところに来てくださらんか?」
「アルフ殿が今度は何のご相談じゃ?」
「山賊を捕まえたんだが、そいつらが言うにはこの町をヴォルフの集団が狙っているらしいのだ。ホントかどうかは分からんが、真実であれば由々しいことになる。そこで、ティムール殿の出番という訳だ」
それを聞いて、ティムールは難しい顔で答えた。
「ヴォルフの集団と言えば、迂闊には手は出せんな。数は分かっているのか?」
「山賊の奴らの言葉を信じれば、200匹だそうだ」
「200匹!」
ティムールは一瞬目を細めた。ヴォルフは獰猛で敏捷な魔物で、魔力もそこそこ強い。自分たちの毛皮を魔法でもって剣や槍を通さないものにもできるし、その牙や爪は下手な革鎧などは紙くずのように切断する。しかも社会性も高く、集団戦闘にも慣れている。そんなのが200匹も寄れば、この町くらいは簡単に蹂躙できるだろう。
「とにかく参ろうか。そうだ、ジャハン殿、このホルン殿も帯同してよいか?」
ティムールが言うと、ジャハンは初めてホルンの存在に気付いたようだ。ホルンを見て目を丸くする。
「ホルン殿というと、『無双の女槍遣い』として名が高い彼女か?」
ジャハンが訊くのに、ティムールは大きくうなずいてホルンに頼んだ。
「ホルン殿、この町の危機のようじゃ。力を貸してくださらんか?」
「私でよければ、喜んで」
ホルンは笑顔で答えた。
★ ★ ★ ★ ★
アイニの町の執政は、アルフという若いエルフの女性だった。彼女は前執政である父の跡を継いで、この瀟洒な町を守り抜くことに力を注いでいた。
アルフがいる執政館にホルンたち3人が着いた時、アルフ自身が山賊たちを取り調べている最中だった。
「だから、俺たちは別にこの町を襲おうってんじゃねぇよ。町を襲うなんてこたぁ、この俺の流儀に反するんだ!」
若い男の怒鳴り声が聞こえる。その声に、凛とした涼しげな声でアルフが問い返す。
「では、そなたの流儀とやらを聞こうか」
アルフは、エルフ特有の白い肌に、青い瞳を持っていた。白髪を肩で切りそろえ、緑色のドレスからは青い羽根が背中に見えている。一種の威厳を感じさせる姿だったが、男はそれに気おされることなく、縄目のままで胸を張って言った。
「俺たちは、一般人や真面目な商人からものをかっぱらうってことはしねぇ。俺たちの標的は、あくどい貿易商や役人たちさ。不肖このリョーカ・ステープル、ガキの頃から『弱い者いじめはすんな』って親父に教えられて育ったんだ」
「ではなぜ、この町に武装して入って来た。自警団に咎められて当然ではないか?」
アルフの詰問に、リョーカは悪びれずに答えた。
「だから俺たちは戦いもせずに話し合おうとしたんだぜ。みんな剣は後ろに回していたし、槍も楯も持ってなかっただろう? それをお宅らの自警団の連中が寄ってたかって俺たちをボコしたんじゃねぇか! 少しは暴れて当然だろうが、別嬪さんよう」
「ふむ、口の減らない奴らだ……」
そう言ってため息をつくアルフに、執事がティムールたちの到着を告げたのだろう。耳打ちを受けたアルフはリョーカたちを冷たく見つめて言った。
「とにかく、おぬしたちの処遇は追って沙汰する。そこでおとなしくしておれ!」
そう言うと、リョーカが何か言うのにも耳を貸さず、すたすたとその場を離れた。
「お待たせいたしました。いつも力を貸してくれて心強く思うぞティムール殿」
ティムールとホルンが座っている部屋に入って来たアルフは、開口一番そう言った。
「ヴォルフの群れがこの町を狙っていると聞きましたが」
ティムールの言葉に、アルフは眉を寄せて言う。
「200匹のヴォルフだそうだ。そんなヴォルフの集団、今までわらわは見たことがない。それだけのヴォルフを相手にするとしたら、この町の自警団200人を悉皆送り出さねばならぬ。そんなことをしたら、あの山賊たちが何をしでかすかわからぬ」
「その山賊と話をさせてもらってもいいですか?」
ホルンが横から口を出すと、アルフは目を細めてホルンに言った。
「そなたは『風のエレメント』を持っているな? それもかなりの強さだ。そなた、本当に人間か?」
ホルンが何と答えようかと迷っていると、アルフは笑って先を続けた。
「まあ、同じ魔法を使う者の誼として、そなたの好きにするといい。そなたとは他人のような気がしない。気に入ったぞ。ホルン殿」
「ありがとうございます」
ホルンはそう言うと、すぐさまリョーカのところに足を運んだ。
「ヴォルフの話を聞かせてくれないかしら?」
ホルンがそう言うと、リョーカはハッとした顔で
「あ、あんたは……」
と言いかけたが、ホルンの目配せを受けて言葉を飲み込んだ。
「もう一度だけ繰り返すわ。ヴォルフの話を聞かせてくれないかしら? 奴らがどこにいるのか、その装備、数、そしてなぜあなたがそれを知っているかをね」
ホルンはそう言うと、槍の鞘を払った。そして、槍を自分の横についてリョーカを促した。
「さ、話して」
リョーカは、自分たちが手に入れた情報に基づいて、獲物を待ち伏せするためにアイニの町から南に続く街道を移動していた。今度の獲物は穀物運搬の荷駄である。すると、荷駄隊がいるはずの方向に大きな火炎が見えた。
『やっ、俺たちより先に手を出しやがった奴らがいるな。仕方ねぇ、推参にはなるが俺たちも押し出すぞ』
リョーカはそう言って手下たちと先を急いだ。しかし、彼はしばらくすると風に乗ってくるヴォルフの臭いに気付いた。
『おい、野郎ども、こいつはヴォルフの臭いだ。奴らは鼻も利くし耳もいい。みんな魔力で存在を隠せ。隠形したまま近づくぞ』
そう言うと、手下ともどもヴォルフから気付かれないぎりぎりまで近づいて様子をうかがった。ヴォルフたちは荷駄隊を全滅させ、穀物や御者を貪り食っていた。
やがてめぼしいものを食い尽くした彼らは、特に大きな白いヴォルフに促されるように北に向かってゆっくりと進み始めた。
『アイニの町には、旨いものが多い。穀物も実り、人間やエルフがたくさんいる。あそこを襲っても軍隊が来るまで3日はかかる。次はアイニで腹いっぱいになるぞ』
そういう声を聞いたリョーカは、間道を使ってヴォルフたちを追い抜き、この町に急を知らせに来たということらしい。
「そう言うことだ。あと半日もすれば奴らはここになだれ込んでくるぜ」
リョーカはそう言ってニヤリと笑った。ホルンはリョーカを見つめたまま、話の途中でこの部屋に入って来たティムールとアルフに訊いた。
「……だ、そうです。執政殿、私はこの男が嘘をついているとは思えませんし、嘘をついていたとしてもこの町を空にしなければ何も損害は出ないはずです」
「で、どうしたいというのだ?」
アルフが訊くと、ホルンはそれには答えずにリョーカらに訊いた。
「あなたたちから魔力の揺らぎが見える。いっぱしの戦士と見た。ヴォルフと戦うだけの勇気は持っているか?」
リョーカは肩をすくめて答える。
「貧乏くじを引いちまったようだが、これも仕方ねぇかな。あんたと一緒に戦えるのなら戦士としては本望さ、ホルンさん」
リョーカの言葉を聞いて、後ろに控える男たちも精悍な眉を挙げ、口々に賛成の意を表した。それを聞いた瞬間、ホルンの槍が銀色の線を引いた。
「私と共にヴォルフ狩りに来ていただきます。すぐに用意をしてください」
ホルンの槍で縄を斬られて自由になったリョーカは、肩を回しながらアルフにウインクして言った。
「じゃ、別嬪さん、あんたたちのためにちょっくら片づけものをしてくらぁ」
「ほ、本当に僕たちも行っていいんですか?」
ホルンは、目を輝かせているジェベたちに優しい顔を向けて言った。
「相手はヴォルフ200匹、しかも連携が取れた行動をする魔物よ。ヴォルフを倒すのではなく、魔物との戦いがどういったものかを理解するためと思ってちょうだい」
ワクワクしているジェベたちを見て、ホルンは一転、厳しい顔で彼らに釘を刺した。
「今度はワイルドキャットなんかとは比べ物にならないわよ。怖くなったら迷わず逃げることね。死んでしまっては強くなれないわ。今回は、生き延びる勇気を学んでほしいと思うわ。逆上して突進したり、一人駆けをしたら必ず死ぬわよ。ダメとなったら戦線の反対側にみんなで逃げるのよ。一人になったら死ぬと思いなさい! いいわね?」
殺気を含んだホルンの言葉に、今度は全員がうなずいた。全員、ようやく今度の仕事の危険さに気付いたようである。全員が青白い顔をしていた。
「あなたたち、魔法の修練はしている?」
ホルンの問いに、全員がこっくりとうなずく。
「じゃ、今回は魔法で自分の姿を隠すことに専念しなさい。討ち取るチャンスがあっても一人だったら手を出さないように。いいわね」
そう言うと、ホルンは四人を連れて『シール』を出た。そこにはティムールが難しい顔でリョーカたちと待っていた。
「コクランたちにも困ったものじゃ。ホルン殿、足手まといになると分かり切っているのにどうしてこ奴らを連れて行かれるのか?」
ティムールが苦り切って言うのに、ホルンは笑って答えた。
「彼らなりに役に立つ方法はあるんです。私たちだって、コクランさんたちがいた方が楽ですよ? リョーカさんたちで100匹、私とティムール殿で100匹はちょっと骨ですからね?」
★ ★ ★ ★ ★
「人間の匂いがする」
森は暗かった。街道がすぐ近くにあるとはいっても、高い木々は空を隠し、月の光も遮っている。その森の中で、白いヴォルフがつぶやいた。
「俺たちを狩りに来たんですかね?」
白いヴォルフほどではないが、他のヴォルフよりはひときわ体格が優れた片目のヴォルフがそううそぶく。白いヴォルフは首を振って言った。
「人数はせいぜい10人内外だ。しかし、恐ろしく魔力の揺らぎが強い奴が三人いる。その中の一人は飛びぬけて強い。いやな奴らが来たようだ」
「用心棒って奴らですかい?」
「そうかもしれぬ。こちらも早めに隊形を組んだがいいだろう」
ヴォルフたちがゆっくりと隊形を整え始めた時、突然、矢の雨が降り注いだ。
「おうっ!」「なんだぁ?」
油断していたため、何匹かのヴォルフは手傷を負ったようだ。しかし、いずれも致命傷からは程遠く、かえって彼らの闘争心を掻き立てるだけだった。
「こっちか?」「いやあっちだ!」
ヴォルフたちは五月雨式に落ちてくる矢の中で、思い思いの方向に突進しだした。
「ふふ、思ったとおり、あなたたちの矢があいつらの統制を乱しているわ」
ホルンは、ヴォルフの群れから1ケーブル(185メートル)ほど離れた丘の上で、乱れだしたヴォルフの陣形を見てニッコリとして言った。ホルンはここからコクランの弓を中心に攻撃をかけ、コクランをジェベの剣とバズの大剣、そしてアルムの槍で守るという陣地を設けていたのだ。
「ここから離れないように。矢が無くなったらコクランを守って全員で町へと転進しなさい。決して乱戦の中には入らないようにね」
ホルンはそう青年たちに念を押すと、自らは槍を持って丘から出撃した。
「くそっ、お頭、こいつらただの人間じゃないぜ!」
南からリョーカたちに攻め込まれたヴォルフたちは、まず背後からの攻撃に慌てた。自分たちでさえ行動に難儀する闇夜に、後ろに回られるとは思っていなかったのだ。
「慌てるな! 俺たちの毛皮には剣や槍は通らん!」
副将格のヴォルフがそう言って部下を鼓舞するが、
「甘いんだよ、犬ころたち」
リョーカたちも槍や刀剣に魔力を込めていた。特にリョーカはこういった商売をしている者にしては強い魔力を持っていて、たいていのヴォルフは一撃でリョーカに仕留められた。
さらに、
「町の平和を乱す魔物よ、元『王の牙』ティムール・アルメ推参!」
と、古豪のティムールがたった一人で正面から攻撃をかけ、あっという間に前面を崩してしまった。胸のすくような突破だった。
「くそっ、俺が相手だじじい!」
副将格のヴォルフがティムールに挑みかかった。ティムールは周囲をヴォルフたちに囲まれながらも、副将と火を噴くような激闘を展開した。このままではティムールが危ないと思われたが、そこにちょうど良くホルンの突撃が間に合った。
ホルンはものも言わず手当たり次第にヴォルフたちを突きまくり、刺しまくり、斬りまくった。それはまるで槍そのものが生きているかのように、縦横無尽に暴れまわっていた。
「くそっ、こいつらバケモンだ。まずはあいつらから血祭りにあげてやる」
白いヴォルフはそう言うと、斬りかかって来たリョーカの槍を跳ね飛ばし、青年たちのいる丘へと駆け上がり始めた。
「コクラン、早くあいつを射てくれ!」
白いヴォルフの突進を見たバズとアルムが叫ぶ、しかしコクランはヴォルフの形相を見ただけで身体が震えて弓を引けなくなっていた。
「コクラン、落ち着け! まだ半ケーブルはある。バズ、アルム、コクランを頼む!」
ジェベはそう言うと、青ざめた顔をしながらも白いヴォルフに向かっていこうとした。
——あれ、おかしい。足が動かない?
ジェベは不思議に思って自分の足を見てみた。膝ががくがくと震え、太ももには温かいものが流れてきた。
——あ~、おれ、やっちまった~。みんなから笑われるぜ。
そう思ったジェベが後ろを振り返ると、バズもアルムもコクランも、みんな青白い顔をしてガタガタ震え、そしてお漏らししている。
——なんだ、みんな一緒か。みんな一緒にここで死ぬのか……おれに付き合わせて用心棒に引っ張り込んで、みんなに悪いことしちまったなあ。
ジェベはそう思って、死を覚悟した。
「まずい、あのままじゃみんなやられる!」
白いヴォルフの突進を見たホルンは、とっさに決断した。
「わが主たる風よ、その力をこの槍に載せ、かの白き悪魔を黙らせて、行き場なき魂に『Memento Mori』(死を思い出さ)せよ!」
ホルンはそう叫ぶと、『死の槍』を白いヴォルフに向かって投げつけた。
「げぼっ!」
もう少しで固まっているジェベに爪が届くというところで、白いヴォルフは胸に熱いものを感じた。
「なぜだ? 身体が動かん」
『死の槍』に地面に縫い付けられながら、なおももがく白いヴォルフを見て、ホルンがジェベに叫ぶ。
「ジェベ! そいつを討ち取りなさい!」
呆然と死を待っていたジェベは、ホルンの声を聞いて我に返った。そうだ、こいつを討ち取らないと、コクランや仲間がやられちまう!
ジェベは剣を握り直すと、目をつぶって白いヴォルフの胸に剣を突き立てた。
「なんとかあいつを討ち取ったようね」
白いヴォルフが崩れるように倒れ、その首級をジェベが取るのを見て、ホルンはほっとため息を付いた。そして、自分がまだヴォルフに囲まれていることを思い出し
「ぼーっとしている場合じゃなかったね」
そうつぶやくと、後ろに回していた片手剣を抜いた。
一方、副将と一騎打ちをしていたティムールは、白いヴォルフがコクランたちにかかったのを見て、
「いかん、あいつらではまだヴォルフの相手は無理じゃ!」
そう叫んだ。しかし、ホルンの槍が白いヴォルフに突き刺さったのを見て、少し落ち着いた。
「ジェベ! そいつを討ち取りなさい!」
激闘を続けるティムールの耳に、ホルンの声が聞こえる。おそらくジェベはホルン殿の声を聞き、あいつを討ち取るだろう。こちらもそろそろ決着をつけないとな。
そう思ったティムールは、一旦相手から距離を取った。
「どうした老いぼれ、疲れたか?」
片目のヴォルフがそう言ってせせら笑うのを聞いて、ティムールは凄まじい笑みを浮かべて言い放った。
「何をいうか。お前も白いヴォルフに続いて地獄に送ってやる。このティムールの槍、受けられるものなら受け止めてみよ!」
そう言うと、電光石火の突きを放った。構えて、突いて、ひねって、抜いて、元の体勢に戻る――それだけの動作に瞬きするほどの時間しかかからなかった。
「ぐっ……」
片目のヴォルフは、ただ一声上げて斃れた。
「ホルン殿、大事ないか?」
ティムールはホルンが『死の槍』を手放したのを知って、すぐさまホルンの加勢をしようと声をかける。しかし、ティムールが見たのは、片手剣を操ってヴォルフたちをなで斬りにしているホルンだった。
いや、ティムールはホルンが持つ剣に目を奪われた。その剣は、刀身が見えなかった。
ホルンが剣を振るたびに、ヴォルフたちが血を噴いて倒れるので、刀身があることは確かだが、よほど光の反射率が良いのだろう、刀身はまるで虚空に溶け込んだように見えない、あの剣は……。
「あれは、もしかして『アルベドの剣』!」
ティムールは、ファールス王国に伝わる伝国の宝剣の名を思い出した。目に見えぬ剣、しかし王家の血を引くものが遣うと、刀身が無限に伸びるという神剣。なぜその剣をホルン殿が持っているのか。
「じいさん、後ろだ!」
リョーカの声に我に返ったティムールは、後ろから斬りかかって来たヴォルフの剣を振り返りもせずに槍で受け流し、振り返りざまに斬って捨てた。
「リョーカ殿、感謝するぞ」
ティムールが言うと、リョーカは返り血を浴びた顔をほころばせて親指を立てる。
「ふむ、今はほかのことに気を取られている場合ではないのう」
ティムールはそうつぶやくと、再び槍を回してヴォルフの群れを蹴散らしはじめた。
ホルンは、自分の周りに蝟集してきたヴォルフたちを1匹残らず斬り捨てると、そのまま丘の上へと跳躍した。『風のエレメント』を持つ彼女は、丘の上にいるコクランたちを狙って進み始めていた20匹ほどのヴォルフたちの上を軽々と跳び越え、コクランたちとの間に割って入った。
「あんたたち、まだ逃げてなかったの? 大将も副将もいなくなってんのに、しつこい奴らね」
ホルンはそう言うと、魔物ですら震え上がるほどの凄絶な笑みを浮かべた。銀髪は月の光を反射して青白く光り、翠の瞳は冷え冷えとした光を放っている。それだけではなく、今や彼女は緑青色の『魔力の揺らぎ』を身にまとい、それは『アルベドの剣』をも包み込んで、魔物からすれば剣呑なほどの禍々しさを感じさせた。
「引けッ!」
ホルンのあまりの凄絶さに気後れしたのか、ヴォルフの小集団を統率していた隊長が引き上げを令すると、ヴォルフたちは我先に逃げ始めた。しかし、彼らの先にはリョーカたちとティムールがいる。彼らには逃げ延びる見込みはなかったのだ。
ホルンは『アルベドの剣』に血振りをくれると、さっと鞘に納めた。そして、白いヴォルフに突き立っていた『死の槍』を引き抜くと、恐怖で気が抜けたようになっている青年たちに活を入れる。
「なにへたり込んでるの!? 戦いはまだ終わってないのよ? 逃げないのなら武器を持ってシャンとしなさい!」
ホルンの声を聞いて、まずジェベが立ち上がった。続いてアルム、バズ、最後にコクランが……みんな泣きそうな表情だったが、ホルンは彼らを見回して鋭く命令した。
「コクラン、逃げるヴォルフを徹底的に狙い撃ちしなさい! ジェベは彼女を守るのよ。アルムとバズは私についてきて!」
ホルンの気迫が彼らに伝わったのか、全員、顔に血の気が戻って来た。そしてコクランは鋭い目で狙いをつけ、ヴォルフたちに矢を射かけ始める。
それを見てうなずいたホルンは、槍のアルムと両手剣のバズを連れて、ゆっくりとヴォルフたちに迫り始める。左右にいるアルムとバズの肩が激しく揺れ、呼吸が荒くなっているのを感じたホルンは、二人に言った。
「アルム、バズ、深呼吸しなさい」
ホルンの言葉に従って、二人は何回か深い呼吸をする。息を整えたところで、ホルンは立ち止まって言った。
「二人とも、よく見ておきなさい。これが戦いの真実よ。あなたたちがこれまでどんな戦いをしてきたか知らないけれど、この修羅場を乗り越えないと、本当の戦士はおろか、一人前の用心棒にもなれないわよ」
三人の目の前には、ティムールやリョーカの一味から完全に包囲され、コクランの矢の雨を受けながら壊滅しつつあるヴォルフたちの惨劇が繰り広げられつつあった。ティムールたちの怒号、それと共に宙に舞うヴォルフたちの首や手足。飛び散る血しぶきは、時に三人の視界を赤く遮った。それはまさに『地獄絵図』というにふさわしかった。
やがて最後の一匹がリョーカの剣で真っ二つにされたとき、凄絶だったこの戦いは終わった。
「終わったわね。二人ともお疲れ様、よく耐えたわ」
ホルンの声を聞いた途端、アルムとバズはへなへなと座り込んで激しく嘔吐し始めた。
「一息ついたら、コクランのところに来なさい」
ホルンはそう言うと、まだ矢を放ち続けているコクランのもとに駆け寄った。コクランは大粒の涙を流しながら次の矢を弓につがえようとしていた。
「コクラン、戦いは終わったわ。よく頑張ったわね、お疲れ様」
ホルンがそう優しく言うと、コクランは憑き物が落ちたように弓矢を取り落とし、激しく泣きじゃくり始めた。
その背中を優しくさすりながら、呆けたように突っ立っているジェベにホルンは声をかけた。
「ジェベ、お手柄よ。よくやったわ。あの恐怖の中で前に出ようとしたのは見事よ」
それを聞いてジェベは、剣を鞘に戻して座り込むと、しくしくと泣き出した。
「ホルン殿! ヴォルフは全滅です。こちらには被害はありません!」
身体中を返り血で真っ赤に染めたリョーカが、同じく鮮血淋漓と言った風情の手下たちと共ににこやかに手を振って丘を登ってくる。その後ろからは、慈愛に満ちた表情のティムールから促されて、アルムとバズもとぼとぼとこちらに来るのが見えた。
ホルンの瞳に、この戦いで初めて優しい光が宿った。
★ ★ ★ ★ ★
「ホルン殿、ティムール殿、そしてリョーカ殿やその面々、今回は本当に世話になった。おかげでこの町が救われたことに篤く礼を言うぞ」
アルフは、ホルンたちの凱旋を町の門まで出向いてねぎらった。アルフが驚いたことは、ティムールとホルンは返り血一つ浴びていなかったことだ。
「今回は、リョーカ殿たちの力が大きかったと思います。それに、若者たちも踏ん張ってくれました」
ホルンの言葉に、アルフはうなずくと、赤鬼のようになっているリョーカの手を握り
「世話になった。最初にそなたたちの言葉を信じてやらなかったことを深く詫びるぞ」
そう言うと、リョーカは照れ臭そうに
「まあ、いいってことですよ。おかげで俺も音に聞くホルン殿やティムール殿と共に戦えましたからね」
そう言って笑った。
次に、アルフはジェベたち一人一人の目を見つめながら、
「年端も行かぬそなたたちが、この町を救ってくれたことに、わらわは感激している。そなたたちの将来が楽しみだ」
そう言って誉めた。ジェベたちは疲れ切っていたが、それでもうれしそうにもじもじしていた。
「さて、ホルン殿、そなたに何か礼がしたい。何がいいか遠慮せずに申してくれ」
アルフが涼やかな顔でそう訊くと、ホルンは笑って答えた。
「それなら、リョーカ殿たちをこの町の警備隊として雇ってもらいたいですね。彼らは山賊にしておくのは惜しい、そう思いませんか?」
ホルンの提案に、ティムールもうなずいた。
「リョーカ殿の統率は見事でした。魔力も強いですし、大きな戦力となりましょう。自警団の中にもヤットウに向かない者もいますので、リョーカ殿さえよければ、いい提案だと思います」
二人の言葉を聞いて、アルフはリョーカを見た。リョーカはその目をしっかりと見つめ
「ありがたいことです。義賊を気取っていても悪いことは悪いことですからね。正直、この稼業に嫌気が差していたんですよ。別嬪さんさえよければ、願ってもないことです」
そう言った。その言葉に真実を見たアルフは、優しく微笑んで言った。
「では、この町とわらわの安全は、そなたたちに託そう」
それから三日後、ホルンはアイニの町の外れにいた。
「名残惜しいが、ホルン殿の心を縛るわけにはいかんからな。達者で暮らせよ。気が向いたらいつでもこの町に帰ってこい、歓迎するぞ」
アルフが心底名残惜しそうに言う。ホルンは微笑んで答えた。
「アルフ様も、お元気で。この町の発展と安全をお祈りします」
「ホルン殿、加勢がいるときはいつでも言ってください。すっ飛んで参りますから」
リョーカたちがそう言って笑う。その笑いに心温まるものを感じながら、ホルンも
「こちらこそ、今度は依頼って形で呼んでほしいわね。私は用心棒ですから」
そう言って笑い合うのだった。
「あ、あの……ホルンさん」
おずおずと声をかけてきたのはジェベたちだ。ジェベは顔を真っ赤にしながら言った。
「お、おれたち、用心棒って仕事を甘く見ていました。ホルンさんに教わったことを忘れずに、リョーカ隊長たちと共にもっと修行します」
ジェベたちは、ホルンの勧めもあってリョーカの警備隊に入隊し、武術と戦術の基礎から学び直すことにしていたのである。ホルンは優しく微笑んで言った。
「うれしいわ、あなたたちならきっといい戦士になれると信じているわ。怖くてキツイ目にあわせてしまったことは許してちょうだいね?」
それを聞いて、バズとアルムが言う。
「いえ、あの経験がなければ、ぼくたちは思い上がってしまって、つまらない死に方をしたと思います。『まず生き延びろ』っていうホルンさんの教えは忘れません」
ホルンは二人の言葉にいちいちうなずいて励ました。
「そうよ、強くなるためには生き延びなきゃ。いつかどこかであなたたちと一緒に仕事ができる日を楽しみにしているわね」
そう言ったホルンの耳元に、コクランが顔を近づけて何かをささやいた。ホルンは一瞬パッと顔を赤くしたが、いたずらっぽい目でコクランを見つめて言った。
「そうね、その点については努力するわ。でも、コクランさんも同じよ? 今度会うときまでの競争ってことにしましょう」
「はい」
そして最後に、ホルンはティムールを見つめた。元『王の牙』の一人、老いてはいるがいまだ凄まじい槍の遣い手。ホルンはこの町で最も興味深かったこの老人を見つめて言った。
「ティムール殿も、お健やかに」
ティムールは優しい顔で笑って、ただ笑顔でうなずくことで、ホルンの万感を込めた言葉に応えた。
——『アルベドの剣』。王家に伝わる剣を、なぜホルン殿が持っていたのか……25年前の先王の死去の際、臨月を迎えられていた王妃も姿を消されて消息不明となられている。まさかとは思うが、デューンの出奔と死、そしてホルン殿の間には、何かつながりがあるのかもしれん。
ティムールは遠くなりつつあるホルンの姿を見つめながら、そう思っていた。
小さくなりつつあるみんなに最後に手を振って、ホルンは先に延びる道を見つめた。そしてコクランの言葉を思い出して微笑んだ。
『ホルンさん、とっても美人なんですから、早くいい人を見つけてくださいね』
「いいひと、か……。その前に、私の人生にはやることがあるみたいだけれど」
ホルンはそうつぶやいて、自分の行く道をしっかりと見つめ直した。
(2 殲滅の街道 完)
最後までお読み頂き、ありがとうございました。これから少しづつホルンの運命が展開し始めます。週イチで投稿できるように頑張っていますので、よろしくおつきあいください。