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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
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18 討滅の幻国

サマルカンドの交易会館にホルンあての指名依頼が出された。その依頼主はガルムであることを知ったホルンは、仲間とともにダインの町に出向く。そこでは、旅人がグールに襲われる事件が頻発していた。

ガルムから話を聞いた一行は、グールたちが異次元に作り上げた国と自分たちの世界がつながってしまったことを知る。なぜ、空間は繋がったのか? 『七つの枝の聖騎士団』の影が見える中、ホルンとザールの戦いが始まる。

 ホルンたちは、ロザリアの意見でサマルカンド城内から市内に作った別邸に移っていた。その移動を最も喜んだのはホルンとコドランであった。

 その日も、ホルンとコドランは別邸から抜け出て市内をほっつき歩いていた。


「あ~、自由に町を歩けるっていいわね。お城の中では始終誰かが見張っているみたいで落ち着かなかったけれど、別邸では自由だからいいわ」


『ぼくも、せっかくサマルカンドに来たんだからいろいろな所を見て回りたかったんだよね。おいしいものもたくさんあるって聞いていたし』


 コドランは、ホルンの肩に止まって、あちこちをキョロキョロと見ながら言う。サマルカンドは東西の交易路が集中している都市で、さまざまな文物がある。ドラゴンを始めとした珍しい動植物も、ここではそれほど人目を引くものではなかった。


 ちなみに、今のホルンは、チェインメイルの上から戦袍を着て、膝当ての付いた底の厚いブーツを履いているが、革の胸当や横垂は着けていない。『死の槍』も持たず、『アルベドの剣』を佩いているだけである。


『あっ、ホルン。とてもいい匂いがする。あれ食べようよ』


 コドランがすっ飛んでいく先には、マウルヤ王国出身であろう、やや色が浅黒い女性が、ニコニコとして食べ物を売っていた。

 ホルンが近くに寄って見ていると、女性は小麦粉をこねると楕円形に伸ばし、それを出店の後ろにある小さな窯で焼いている。ややあって女性は窯を開けて、中から香ばしい匂いとともに、いびつな形に膨らんだパンのようなものを取り出した。焼きたてのそれに、スパイシーな香りのする黄金色のとろりとしたものを付けて食べるらしい。


『ホルン、ぼくこれが食べたい』


 コドランが目を輝かせて言う。ホルンは笑って言った。


「そうね、おやつがわりにはちょうどいいかな?」


 ホルンは女性にお金を払うと、コドランと共に近くのベンチに座ってそれを頬張る。


『うんめぇ~、焼きたてだから余計にうんめぇ~!』


 コドランがニコニコして言うと、ホルンもうなずいて


「そうね。ちょっと辛いけれど、それが余計に食欲をそそるわね」


 そう言って続けて言う。


「これが、『ナンカレー』って言うのね。初めて食べたけれど、すごくおいしいわ」


『ぼくは病みつきになりそう』


 二人は食べ終わると、またゆっくりとメインストリートを歩き出す。そしてホルンは交易会館の前で立ち止まった。交易会館は、地域の商人たちが作っている会館で、そこでは商売に関する情報や宿の手配、そして用心棒の募集などを行っている。


『ホルン、もう用心棒は辞めちゃっているから、交易会館には用事がないんじゃない?』


 コドランが冷やかすように言うと、ホルンは少し寂しそうに笑って言う。


「ふふ、ゴメン。10年も用心棒をやっていると、なかなか癖って抜けないのよね。この生活を始めてまだ半年も経っていないんだけれど、何かあの頃が懐かしくなってね?」


 そして、コドランにウインクして言う。


「せっかく来たんだから、ちょっと覗いて行っていい?」


 コドランは笑って言った。


『ホルンの言いたいこと、分かるよ。ぼくも一緒に旅をしていた時は面白いことだらけだったもん。のぞいて行こうよ』


 ホルンは、交易会館に入ると、その空気を懐かしそうに吸い込んだ。さすがにサマルカンドの交易会館は大きく、特に商売の情報を取り扱っている部分が大きかった。

 ホルンは人でごった返す会館の中を歩きながら、『求人情報掲示板』を探す。用心棒はその掲示板から自分が気に入った情報を探し、会館の職員に受託の手続きを行ってもらうのだ。


「さすがはサマルカンドね。求人の掲示板も凄いわ」


 ホルンは思わずひとりごとを言った。小さな町では掲示板すらないところがあるというのに、サマルカンドでは『護送』『護衛』『魔物退治』などの区分ごとに複数の掲示板があったのだ。しかも『護送』『護衛』の掲示板は求人用紙で一杯だった。


『ホルン、指名の仕事があるよ!』


 コドランが目ざとく見つけて言う。ホルンは首をかしげた。


「私が用心棒稼業から足を洗ったことは、数か月も前にこの会館で手続きをしたのに……。おかしいわね」


 ホルンはその用紙を確かめた。種類は『魔物退治』だが、依頼者の名が書いてない。しかも報酬は『受託者の言い値』であった。ホルンは求人票を元に戻すと、会館の窓口に近寄り、そこにいた職員に訊いてみた。


「オマルさんはいらっしゃいますか?」


 オマルは交易会館で求人部を統括していて、ザールとも顔見知りだ。ホルンの経歴や状況もよく知っており、相談しやすい相手だった。


「おや、お久しぶりです。どうぞこちらへ」


 オマルはホルンの顔を見るとニコリと笑って、別室へと案内する。

 ホルンはコドランと共に部屋に入ると、単刀直入に訊いた。


「私あてに指名の仕事が入っているようだけれど、その詳細が知りたいわ」


 するとオマルはびっくりしたように言う。


「えっ! 王女様が用心棒の仕事をされるのですか?」


 ホルンは笑って言う。


「まさか。そんなことしたら、どれだけザールに叱られると思う? 私はただ、この依頼は王家が依頼人を装って私の動静を探っているんじゃないかしらと思っただけよ」


 その言葉に、オマルは急に困った顔で言う。


「この依頼を受理するべきではなかったでしょうか?」


 ホルンは笑ったまま答える。


「今まで慣例的に、依頼される用心棒が死んだ場合は別だけれど、引退した場合、引退後半年のあいだ指名依頼は受理される扱いだったから、それは別に構わないと思うわ」


「それなら安心しました」


 ホッとするオマルに、ホルンは顔を寄せて訊く。


「で、詳細を教えてほしいの。まさか『依頼人の直接説明』なんて胡散臭いものじゃないわよね?」


 『依頼人の直接説明』とは、依頼の詳しい内容説明と報酬額の提示を依頼人が直接行うというものである。その場合、用心棒は仕事を蹴ることも可能だし、他の指名依頼と違って代理の用心棒を指名する必要もない。ただ、依頼人のところまで行くための旅費が用心棒自身の持ち出しになるだけだ。


 オマルは笑って答えた。


「いいえ、きちんとした内容書をいただいています。依頼の件は旅人を襲っているグールの退治ですね。

 なんでもダインの町の近くにグールたちが巣食っているとのことで、被害者の数は、ダイシン帝国の交易商人や我が王国の商人で何十人にも上るそうです。

 依頼人の名前はガルム・イェーガーという方のようですね。依頼元はダインの町の交易会館です」


「そう、ありがとうオマルさん」


 オマルの説明を聞いて、心なしか頬を紅潮させてホルンが言う。


「いいえ、どういたしまして。この件はそのままにしておいていいでしょうか?」


 オマルは念のため聞いたが、ホルンの答えはオマルもびっくりするものだった。


「私、その話を聞いてみるわ」


   ★ ★ ★ ★ ★


 ダインの町は王国の東側にあり、サマルカンドからは普通の人間なら徒歩で半月というところだ。そんなに大きな町ではなく、かといって小さな町でもなかった。その町は近くにある泉と用水路のおかげで、ファールス王国では珍しく穀物の生産が盛んな所であった。

 ホルンたちは、峠からそんなダインの町を見下ろしていた。


 話の詳細をオマルから聞いたホルンは、


 ……これはあのガルムさんの依頼に違いない。


 と直感したのである。ガルムとは以前、ダインの町で町長とオークとの確執に関係する仕事を一緒にしたことがあるホルンだった。そのため、ホルンは難色を見せるザールを半ば脅してこの町に来ることを了解させた。


「ふむ、緑が多くてなかなかいい町だ」


 ジュチが言うと、リディアもうなずく。


「この辺りは山がちで、なかなか水源が得られないみたいだけれど、ここには珍しくきれいな湖と池があるね」


「あの湖は人工のものじゃな。『土』のエレメントを感じるところを見ると、オークあたりが造った湖じゃろう」


 ロザリアが黒曜石のような瞳を持つ目を細めて言う。


「そのとおりよ。あの湖の向こうにある森はオークのテリトリー。湖は前の町長とオークの間の取り決めによって造られたものだそうよ」


 ホルンが言う。


「……で、その時一緒に仕事をした用心棒からの依頼ってことですね? でも、今度はグール狩り。オークとの話し合いとはわけが違いますが」


 ザールが白髪を風に揺らしながら言う。ホルンはニコッと笑って


「だからザールにも来てもらったんじゃない。頼りにしているわよ、ザール」


 そう言う。ザールは、はあっと深いため息をついた。そんなザールを見て、ジュチが


「ザール、あきらめろ。ホルン姫は用心棒時代のように、こんな話を聞くと黙っていられない性格みたいだからな」


 そう慰める。


「あら、ガイは?」


 ホルンが訊くと、ジュチが笑って言った。


「彼は別行動がいいそうだ。ボクもそう思ったので勝手に行動してもらっている。必要な時はいつでも連絡が取れるから、ご心配なく」



 ホルンは、まずコドランと二人で町の交易会館を訪ねた。前回訪れた時にはオークの襲撃で破壊されていた交易会館も、建て直されてきれいになっていた。


 ホルンが交易会館で名乗ると、すぐに会館の職員がガルムを呼び出してくれた。隻眼のガルムは会館の応接室に入りホルンを見ると懐かしそうに左目を輝かせ


「やあ、久しぶりだなホルンさん。交易会館で聞いたら数か月前にこの稼業から足を洗ったってことだったが、あんた以外にこの仕事を頼める腕利きが思い当たらなかった。せっかく堅気の暮らしを楽しんでいるところ悪いが、力を貸してもらいたくて指名させていただいたんだ。報酬は例によって町長持ちだ、言い値でいいとさ」


 そう言って笑う。ホルンも笑って訊いた。


「ガルムさんもお変わりなさそうで何よりです。今度の依頼は『グール狩り』ということで、私の仲間を連れてきました。その人たちと一緒に話をお聞きしたいですが?」


 するとガルムは不思議そうな顔をして訊く。


「仲間って……ホルンさん、あんたは堅気に戻ったんじゃなかったのかい? 俺はてっきりいい人でも見つけて結婚引退かと思っていたが」


 ホルンは、少し頬を染めながらも笑顔で言う。


「ふふっ、私はどうも、一つ所に落ち着かない性格みたいです。ザール、みんなも入ってちょうだい」


 すると、応接室に四人が入ってくる。ものに動じないガルムも、その四人を見てびっくりする。

 最初に入って来たのは、身長180センチ程度の男だった。白髪を揺らし、緋色の瞳を持つ切れ長の目をしている。黒い衣装に身を包み、腰には刃渡り90センチ程度の剣を佩いていた。ガルムは、その雰囲気と白髪から、この男が『白髪の英傑』と呼ばれているザール・ジュエルその人だと見抜いた。


 続いて入って来たのは、180センチばかりの金髪碧眼の美男子だった。ただ、その耳の形からエルフだと見当がついた。この男は青を基調にし、要所に金で刺繍が入っているかなり手の込んだ服を着こんでいた。背中にはリュートを負い、チロリアンハットを斜めにかぶっている。


 そして、150センチ程度の茶色のショートヘアの女性が入ってくる。ただし、この女性も人間とは異質の『魔力の揺らぎ』を放っており、ガルムはその経験から彼女がオーガだろうと見当をつけた。


 最後に、160センチ程度の黒髪で黒曜石のような瞳を持つ美少女が入ってくる。しかし、その動き一つ一つに『魔力の揺らぎ』が透けて見え、ガルムはこの女性はおそらく魔族だと看破した。


「……ふむ、『白髪の英傑』ザール・ジュエル殿ですね。私はこの町の用心棒、ガルム・イェーガー、お会いできて光栄です。他のエルフ殿やオーガ殿、魔族のお嬢さんも初めまして」


 ガルムは自分から手を差し出しながらザールに言う。ザールは握手しながら


「いえ、こちらこそよろしく。なるほど、王女様が言われるとおり腕が立つ方のようですね」


 そう言うと、ジュチたちも続けて自己紹介する。


「よろしく。ボクはジュチ・ボルジギン。念のために言っておくが、ボクはこの世で最も高貴な一族・ハイエルフだ。単なるエルフとは違うことを忘れないでほしいな」


「アタシはジーク・オーガのリディア・カルディナーレ。退屈しのぎができそうで楽しみにしているわ」


「私はロザリア・ロンバルディアじゃ。よしなに」


 そこで、聞きとがめていたガルムが質問する。


「ところでザール殿、『王女様』とは?」


 ザールは、真剣な顔で言った。


「このことは秘密にしていただきたいが、ホルン様はこの国の先王シャー・ローム陛下の忘れ形見。僕の従姉に当たるお方です」


 それを聞いて、ガルムは前回別れ際にホルンがつぶやいた『私がいると、いつか迷惑がかかるわ』という言葉の意味が分かった。前王の遺児ということは、現国王にとって自分の正統性を否定できる存在である。ホルンがそれまでにどういう目に遭い、この仲間たちと共にどういう生き方をするのかは明白だった。


「ホルンさん、あんた、やっぱり厄介ごとを呼び込む天才だな?」


 ガルムがそう言うと、ホルンは笑って言った。


「そのようね。じゃ、ガルムさん、依頼の件、詳しく話していただけますか?」


   ★ ★ ★ ★ ★


 その事件が起こり始めたのは、まだ夏の盛りのころだった。ダインの町はファールス王国の東側にあり、王都からマウルヤ王国を押さえる軍団がいるカンダハールに続く街道脇にあり、マウルヤ王国の交易商などでにぎわっていた。

 特に、この町の特産が米や小麦なので、秋を迎える前には多くの商人が先物買いでこの町を訪れる。


 その商人たちの間に、『食人鬼』の話が持ち上がりだしたのだ。ガルムは、ダインの町の交易会館で、この町から帰る交易商人だけでなく、この町に住んでいる商人たちまで大量に用心棒への求人を出し始めたことを不思議に思った。


 その疑問を、知り合いの商人に訊くと、


「カンダハールへの道に、グールが出るんだ」


 と教えてもらった。聞くと、夏の盛りから終わりにかけて、既に数十人もの商人が行方を絶っているという。最初のころは捜索隊を出しても、見つかるのは靴やかばんなどで、肝心の本人たちの行方は杳として知れないとのことだった。


 しかし行方不明者が増えるにつれて捜索も大規模となり、夏の終わりに行われた用心棒100人による大捜索では、街道沿いの山間部に多数の人骨が散らばっているのが発見された。どれも野獣とは違う咬み傷などがあったため、グールの仕業という噂が広がった。その話はガルムも覚えている。


 その噂は町長の耳にも届いた。町長は、懇意にしているガルムに、その不可解な失踪事件のなぞ解きを任せた。ガルムはいつものとおり、長剣と盾を負ってくだんの場所へと歩いて行った。


 場所はダインの町からカンダハールへ向けて2マイル(この世界では約3・7キロ)も歩いた所だった。

 不意にガルムは、強烈な『魔力の揺らぎ』を感じて総毛だった。よく見ると、自分の前方20ヤード程度のところの空間が妙に歪んでいる。陽炎のようにゆらゆらとして、形が見えないのだ。すぐさま彼は、盾を構え、剣を抜き放ちながら道のわきへと避け、背の高い草むらの中に身を隠した。


 しばらくガルムが様子を窺っていると、ダインの町から二人連れの旅人がやって来た。彼らは『魔力の揺らぎ』を感じられないのか、何やらしゃべりながら歩いていたが、『魔力の揺らぎ』が口を開けているところまで来ると不意に姿を消した。


「ふむ」


 ガルムは、道のわきを、生えている草を揺らしながら道と並行に進む。進むにつれて、前方に何か壁があるように、その壁と自分がまるで磁石の同極であるかのように足が前に出しづらくなっていく。


 けれど、ガルムが『魔力の揺らぎ』が口を開けているところまで来ると何も感じなくなり、それよりカンダハール側へと行くと、今度は壁から背中を押されるようにして足が速まる。ガルムが振り返ってみると、『魔力の揺らぎ』が口を開けているのが見えた。


「これはただ事ではない。あの中に入らないと何が起こっているかは分からないが、入ってまた出て来られるかも未知数だ。さて、どうするか……」


 考えた挙句、ガルムは近くに生えている太い木に自分の『魔力の揺らぎ』をつなぎ、いわば『命綱』を作って、道に口を開けている不可解な『魔力の揺らぎ』の中に入ってみることにした。さらに念のため、彼は足を踏み出した後、踏み下ろす場所を右側へと振ることにした。


 ガルムは、苦労して『魔力の揺らぎ』が口を開けている場所まで来ると、『魔力の揺らぎ』へと足を踏み入れる。その途中で右へと足を振り、最初考えていた場所から50センチほど離れた地点に足を降ろす。

 ところが、『魔力の揺らぎ』の中の世界では、道路の真ん中で足を踏み入れたにもかかわらず、3メートルも右の道路の右端に立っていた。


 その途端、ガルムは自分の左側3メートル、入口から5メートル程度のところに、異様な者たちがひしめいているのを見てゾッとした。そいつらはガルムを見て口々に


「また来たぞ」


「剣を持っているぞ」


 などと騒いでいる。ガルムが武装しているのを見て、さすがに飛び掛かってきたりはしなかったが、だんだんと包囲輪を縮めているのは確かだった。


 ガルムはすぐに、彼が足を踏み入れた空間が、想定よりもずっと危険な空間であることに気付いた。真っ直ぐにそのままこの世界へと入ってしまったら、そいつらと鉢合わせするところであった。


 そいつらは、人間と変わらぬ姿かたちをしており、人間とそうかけ離れた大きさではなかった。しかし、その皮膚は青黒く、月の光の中でぬめぬめと光っていた。顔色も青黒く、その目は黒く沈んでいた。そして、死臭というのか、強烈な臭気がガルムの鼻を襲ってきた。


「うっ……グールか」


 ガルムを取り囲んでいるグールたちの向こう側では、別のグールたちが先にこの『異界』に入り込んだ二人を堪能していた。グールたちの足元には、二人が着ていた服や靴、荷物が散らばっていたが、その身体は飢えたグールたちに引き裂かれ、手足や頭はもぎ取られ、もはや人間の態をなしていなかった。グールたちはその『ごちそう』を小さくちぎっては口に運び、くちゃくちゃと音を立てて咀嚼している。


「また来た」


「食べ物だ」


 ガルムは、飛び掛かって来たグールたちを長剣の一薙ぎで真っ二つにする。グールたちは悲鳴を上げたが、両断された身体はすぐに復元した。ただし、復元しない個体もあったが、その謎は後で解けることになる。


「これはヤバいな。数が半端ない」


 ガルムはそう言うと、長剣を振り回しながら、外の世界につないだ『魔力の揺らぎ』を収縮させた。途端にガルムは『魔力の揺らぎ』の口から出る。グールたちの異世界への入り口だった『魔力の揺らぎ』の口は、ゆっくりと閉ざされて見えなくなった。


   ★ ★ ★ ★ ★


「ま、そんなところだ。それからしばらくは旅人の被害はなかった。

 けれど、一月前に、その『異界への入口』が複数、口を開けていることが分かった。奴らは『異界の入口』に人間を引き込むのではなく、自分たちで人間狩りをやり始めたようだ。グールの目撃談が増えていることからもうなずける」


 ガルムはそう言うと、今度は地図を広げてホルンたちに説明した。


「ここに書き込んでおいた。奴らはこの町を囲むように入口を開けている。この3か所がそうだ。うち1か所は泉の近くに開いていて、女性や子どもが被害を受けている」


「グールたちの出入口は同じなの?」


 ホルンが訊くと、ガルムはうなずく。


「みんな、出てきたところから帰っていく。どの出入口からどれだけ出てくるかは、奴らの気分次第だが、どの出入口からも出てくるのは100体以下ってことはない。少なくとも、同時に300体は出てくるってことだ」


「ふむ……」


 ジュチが地図を見て考え込んでいる。やがて彼は、顔を上げて言った。


「とにかく瀬踏みしてみないことにはね。この一番町に近い出入口はホルン姫とコドランくん、そしてガルムさんにお願いしたい。ボクとロザリアが町の南側で最も遠い出入口を、ザールとリディアには泉の近くの出入口を頼みたい」


 全員がうなずく。


“ハイエルフよ、私はどこを受け持てばよい?”


 ジュチの頭の中にガイが呼びかけてくる。ジュチは同じく頭の中で答えた。


“キミには姫様を守ってもらいたい。弱っちい奴だったら勝手に暴れてもらって結構だよ”


“了解した”


 含み笑いを残しながらガイの気配が消える。


「では、明日の6点(この世界で午前6時ごろ)に行動を開始するわ。5点半(午前5時)にはもう一回、最終の役割確認をするわね」


 ホルンがそう言うと、全員がうなずいた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 次の日、ホルンたちは朝早くから行動を開始した。


「今回は瀬踏みだ。『異界の入口』は奴らの気持ち次第で閉じたり開いたりするから、まずは外側で奴らが出張ってくるのを捕えよう」


 ザールの意見を入れ、6人と1匹はそれぞれ割り当てられた場所で待機していた。


 まず、町に最も近い場所を受け持ったホルンとコドラン、そしてガルムである。


「だいたいこの辺りだな。『異界の入口』がよく現れるのは」


 ガルムが言った場所は、街道が良く見渡せる丘の中腹だった。町からはわずか1ケーブル(この世界で185メートル)に過ぎない。


「確かに、ここに出入口があったら、旅人も襲い放題ね」


 ホルンが言うと、コドランがハッとしたように言う。


『ホルン、なんか空気がざわついているよ?』


「私も感じるわ。ガルムさん、奴らのお出ましみたいよ?」


 ホルンが『死の槍』の鞘を払いながら言う。ガルムも両手剣と盾を構えながらうなずいた。


「今日はどれだけおいでになるのかな」


 そう言っているうちに、普通の人でも分かるくらいの空震が起こり、丘の中腹にゆっくりと『異界の入口』が口を開いた。その周辺には陽炎が立っているようにゆらゆらと視界がひずむ。

 『異界の入口』はこちらから見ると黒い空間だった。その空間から、次々と青白い肌をしたグールたちが出てくる。数えてみると200体は下らない。しかも、まだ続いて出てこようとしている。


「多いわね」


「あれだけの数で来られるときついな」


 ホルンとガルムは、近くの草むらに身を伏せ様子を窺っている。グールたちはじっと待っているのではなく、隊列を整えている。それを見てホルンが訊く。


「隊列を整えている……ということは組織としての秩序があるってことね。ガルムさん、アイツらがこんな風に隊列を組んで動くってことありましたか?」


「いや、俺が知る限りは初めてだ。これまでは三々五々現れてはあちこちに散っていきやがったので、捕捉するのも大変だったんだ。相手にしやすくはあったがな」


 ガルムの言葉に、ホルンは少し考えていたが、


「ここ何日かの間でグールたちが進化したか、何者かがグールたちと組んだかのどちらかね。いずれにしてもああやって隊列を組んで指揮官を待っているのはありがたいわ。コドラン、あなたの出番よ?」


 そう言うと、コドランはニコリと笑って宙高く飛び上がりながら言う。


『まっかせといて!』


 そして、コドランはもう400体は整列しているグールたちに、特大のファイアブレスを食らわせた。

 コドランはまだこどもではあるが、攻撃力は高い。今放ったファイアブレスも、身長60センチ程度のドラゴンが放ったものとは思えないほどの大きさだった。その火柱は100メートルも上がり、2千度に達する炎はたちまちグールたちを焼き尽くした。


「ギャアアア!」


「コドラン、ナイスよ!」


 逃げ惑うグールたちを見て、ホルンとガルムもそれぞれの武器を携えて草むらから飛び出し、手当たり次第に蹴散らし始める。しかし、ホルンはグールたちの異変に気付いた。


 普通のグールは、手足を斬り落とされたり即死部位以外に傷を受けたりしても再生するため、仕留めづらいことは確かだ。弱点は人間と同じで、脳や心臓に致命傷を受けたり失血が多かったりすると死ぬ。


 けれどこのグールたちは、心臓を刺し貫かれても、頭を縦割りにされても、再生して襲い掛かってくるのだ。最初のコドランの攻撃で“消滅”したものだけは再生していなかった。


「どういうこと?」


 ホルンは『死の槍』を横に払い、襲い掛かって来たグールの首を刎ねる。そのグールは地面に落ちた自分の首を拾うと、元のとおり斬り口にはめて再生する。


「ホルンさん、こいつらは脳と心臓、同時に回復不能なダメージを与えないとダメだ!」


 ガルムが、飛び掛かってくるグールを両手剣で頭から鳩尾まで縦割りにしながら叫ぶ。縦割りにされたグールは、傷口からおびただしい血と脳漿をぶちまけながら地面に転がった。


「そう言うことね」


 ホルンはうなずくと、『死の槍』に『魔力の揺らぎ』を込めて


「わが主たる風よ、『Et in Arcadia Ego(死はどこにでもあるもの)』なれば、その力をもちて異形の者たちを切り刻み、罪ある魂に『Memento Mori(死を思い出さ)』せよ」


 そう呪文を唱えると、襲い来る10体ほどのグールたちに向けて『死の槍』を振り下ろした。『死の槍』からほとばしり出た斬撃波は、10体のグールを縦に二つにする。


「ホルンさん、『異界の入口』が閉まり始めた」


 ガルムは両手剣でグールたちを唐竹割にしながら言う。ホルンが見ていると、『異界の入口』はゆっくりとその大きさを縮め、やがて見えなくなった。陽炎のような不自然な空間の歪みもなくなっている。


「結構やっつけたが、『異界の入口』をどうにかしない限りは、イタチごっこだな」


 ガルムが両手剣を肩に担いで言うと、ホルンは


「今度『異界の入口』が現れたら、あっちに行ってみるしかないわね」


 そう言って、歪みも消えた空間を睨みつけた。



 次は、泉の近くを受け持ったザールとリディアである。この泉は町から4分の1マイル(この世界で約460メートル)ほど離れていた。


 二人は夜明け前から


「ここには水を汲みに女性や子供が来る。その人たちを守らなければならない」


 と相談し、最も『異界の入口』が出現しやすい時間……つまり夜明け後すぐを目安に辺りの様子を窺っていた。


 やがて、東の空が明け染めて来た。町からも何人かの女性が水桶を抱えてこちらに歩いてくるのが見える。


「何も起こらないね」


 リディアがそうつぶやいた時、泉の近くの空間がぐにゃりと歪み、まるで空間にぽっかりと穴が開いたかのように『異界の入口』が口を開けた。


「来たぞ。リディア、こちらに来る人たちに異変を知らせろ。町に引き返させるんだ」


 ザールは『糸杉の剣』を引き抜き、『異界の入口』へと駆けだしながら言う。リディアはうなずいて道路に飛び出すと


「魔物が来ます! みんな、町に引き返して!」


 そう叫んだ。リディアの叫び声を聞いて、町の人たちは慌てて町に引き返していく。それを見届けると、リディアもザールに続いて『異界の入口』へと向かう。


「うわっ、こんなに?」


 リディアが駆け付けてみると、ザールは100体を優に超えるグールたちに囲まれて『糸杉の剣』を振り回していた。ザールの腕は確かで、一振りでグールたちの首や手足を幾つも斬り飛ばしているが、グールたちはそんなダメージなど感じないように手足を再生し、首をつないではザールに襲い掛かる。


「せいっ!」


 リディアは鉄棒をグールに打ち下ろす。ぐしゃりとした嫌な感触と共に鉄棒はグールの頭蓋骨を粉砕する。普通のグールならこれで倒れるのだが、このグールたちは眼球を飛び出させて倒れるが、そこで頭を再生させてまた立ち上がってくるのだ。


「これじゃ意味ないじゃん」


 リディアはオーガへと形態移行し、虚空からトマホークを取り出して


「これならどうさっ!」


 と、グールを頭から腹まで縦にぶっ裂いた。このグールは、血と脳漿をぶちまけながらひっくり返り、そのままぐずぐずと身体が崩れていく。


「ザール、こいつら、頭と心臓を同時に破壊しなきゃだめだよ!」


 リディアの叫びに、苦戦を続けていたザールはニヤリと笑うと


「分かった、リディア」


 そう答えて、『糸杉の剣』を握り直した。


「わが『ドラゴニュート氏族の血』よ、今目覚めてこの悪鬼たちを粉々に引き裂く力を我に与えよ」


 ザールがそうつぶやくと、左腕が『竜の腕』と化した。ザールは右手で『糸杉の剣』を縦横無尽に振り回し、グールたちを頭から腹まで斬り下げていく。同時に『竜の腕』はグールを4・5体まとめて頭から上半身を覆うように握り潰していく。


「ザール、入口が閉じていくよ!」


 リディアの言葉に、残ったグールたちを握り潰しながらザールが振り向くと、『異界の入口』がゆらゆら陽炎のように消えていくところだった。


「グールたちと『異界の入口』は、魔力の質が違う……」


 ザールは、『異界の入口』が消えた空間を見つめてつぶやいた。



 そして、町から一番遠い場所を受け持ったジュチとロザリアは、そこの空間に明らかな『魔力の残滓』を感じて、さらによく調べようと目を凝らしていた。この場所は町の南側で、約2マイル(この世界で約3・7キロ)離れていた。


「ジュチ、この『魔力の残滓』を何と見る?」


 ロザリアが不思議そうな声で訊く。ジュチはその声の中に当惑を感じて笑って言う。


「ふん、グールどもに誰かが手を貸しているんじゃないかな?」


 ジュチの言葉に、ロザリアはうなずいて言う。


「ジュチも同じ見立てか。私はこの話を聞いた時から不思議に感じていたのじゃ。グールどもは空間をどうこうするような魔力は持たぬ。奴らの魔力はあくまでも自分たちの身体の強化と再生だけにしか働かぬからのう」


 ジュチは片眉を上げて皮肉な笑いをして言う。


「で、来てみたら明らかにグールとは異質の魔力を感じるってね。誰が何のためにグールを使って人間を襲わせているかだね。まずは『異界の入口』が現れたら、その術式を調べてみようか」


「うむ、そうじゃな。その役は私が引き受けよう。ジュチは現れたグールを倒してくれんか?」


 ロザリアが言うと、ジュチは微笑んでうなずいた。その時、辺りの空気が変わった。


「ほう、おいでになるようだよ?」


 ジュチが言うと、ロザリアは無言でうなずく。ロザリアの視線の先で、空間が揺らめき、そして陽炎が立つように空間がひずむと、そこにぽっかりと『異界の入口』が現れた。


「……かなり精緻な『空間魔法』じゃな。『収斂術式』と『放散術式』を横糸に、『繰込み術式』を縦糸として編んである。これはグールなんぞが編める術式ではないぞ」


 ロザリアがつぶやく。そして『異界の入口』から、見たことがない女が二人現れた。

 どちらも漆黒のウェーブがかかった髪、灰色の肌をして、黒いドレスを着ている。一人はワンピースで、もう一人はセパレートだ。

 そして二人とも丈の短い黒いチョッキを着ていた。そして何よりも目立つ特徴は、二人ともエルフのような尖った耳を持ち、一人には1本、もう一人には2本の角が生えていたことである。


「ふん、二人ともダークエルフだな。かなりの魔力を持っているぞ」


 ジュチが言うと、ロザリアもうなずく。


「奴らがグールたちの『異界』を作っておることは間違いないの。魔力の質が同じじゃ」


 ジュチたちが息を殺していると、二人の女たちは笑って話しだした。


「お姉さま、上手くいっていますわね」


 2本の角を持った一人がそう言うと、もう一人がくくっと笑って


「グールたちも単純ですからね。たくさん人間が食べられるわよって言ったら、あんなに簡単にワタシたちのことを信用して。今では何でも言うことを聞いてくれるし」


 そして彼女は一つ欠伸をしていう。


「ああでも、ワタシたちが創った異界に入り込んできたあの男、ほんとに腹が立つわね、おかげでゆっくりと昼寝もできないし。ねえ、お兄さま?」


「まったくね。ボクたちが狙っているのはホルンなのに、肝心の王女様でなくむくつけき野獣が引っかかった気分だわ」


 そう言うと、彼女は一つうなずくと言う。


「うん、こういう時は寝るに限るわ。ちょうどいい日差しもあるし、眠りましょう」


 2本角の女はそう言うと、何もない空間にごろりと横たわる。目に見えないハンモックが何かがあるかのように、彼女は微風の中ゆらゆらと揺れながら、すうすうと寝息を立て始めた。それを見た1本角の女も、


「お兄さまったら……私も眠るとしようかな」


 そう言って2本角の女の隣にごろりと横になった。


 それを見ていたジュチは、背筋が寒くなるほどの恐怖を覚えた。ハイエルフであるジュチは、たいていのものには驚かず、自分の魔力にも絶対の自信を持っている。その彼が初めて感じた恐怖だと言っていい。

 ジュチはゆっくりと隣で息を殺しているロザリアを見た。ロザリアも顔を青くして、ガタガタ震えながら、食い入るようにしてすやすやと眠る二人のダークエルフを見ていた。


 ジュチがゆっくりとロザリアの肩に触れる。ロザリアはびくりとしてジュチを見た。ジュチは形のいい人差し指をロザリアの唇に当ててうなずくと、ハンドサインで離脱を指示した。ロザリアもうなずく。


 ジュチたちは物音も気配も立てないように、ゆっくりとその場を離れる。

 ジュチもロザリアも知っていた。自分たちがあのダークエルフの二人に見つからなかったのは、自分たちが魔力を使っていなかったからだと。なまじ『鏡面魔法』などを使っていたら、自分たちの存在を知らせるようなものだ。ジュチとロザリアは現場から少なくとも1マイル離れるまでは、一言も口を利かなかった。


 やがて、町を囲む土塀が見えてきたころ、ロザリアはやっと人心地がついたように、大きなため息とともに言う。


「何じゃ、あの二人は。あのような凶悪な『魔力の揺らぎ』は見たことがない。ジュチはあの二人が何者か知らぬか? 同じエルフじゃろう?」


 ジュチはいつもの元気がない。真剣に何かを考えていたが、疲れ切った顔で言う。


「おそらく、奴らは『怠惰のピグリティアとアーケディア』だろう。話には聞いていたが、見ると聞くとでは大違いだ」


「ふむ、『七つの枝の聖騎士団』か。ならばうなずける。しかし、あれだけ無防備に昼寝をしおったのに、攻撃一つできんかったのう」


 ロザリアが悔しそうに言うと、ジュチが笑って慰める。


「奴らの不意を突くのは簡単なことじゃない。今回だって、たまたまボクたちが魔力を使わずにいて、たまたまアイツらも魔力を使わなかったから見つからなかっただけだ。あそこで攻撃していたら、良くてボクら二人とあいつらのうちどちらか一人の相討ちさ」


「それは相討ちとは言わんの。とにかく、ジュチがそれほどまでに言うなら、ザール様に報告せねばな」


 ロザリアにもやっと血の気が戻ったが、その顔にはまだ恐怖が張り付いていた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 そのころ、昼寝をしている双子のダークエルフのところに、ガタイのいいグールが現れた。


「なんだ、こんなところで昼寝なんかしている場合じゃないぞ、起きろ!」


 そのグールが喚くと、2本角のダークエルフが目を覚ました。


「うぅん、なぁに?」


 グールは、まだ寝ぼけている2本角を憎々しげな眼で見て、その胸ぐらをつかんで怒鳴った。


「なぁにじゃねぇ! またあの人間どもが出しゃばって来やがったんだ。俺の仲間が500人がとこやられた。お前たちが本当に『七つの枝の聖騎士団』なら、あの人間どもを何とかしろ!……げっ」


 喚いていたグールは、自分の両こぶしがいきなり爆発したことに驚いた。2本角の女はゆっくりとまた横になるが、グールの横から1本角の女が呼びかける。


「お兄さまに何をするの? グライフ」


 グライフと呼ばれたグールは、再生した両掌を閉じたり開いたりしながら


「いや、今度の人間どもはめっぽう強え奴らだから、お嬢さんたちの力が必要なんでね……おおっと、よしてくれよ」


 そう言って笑うが、その笑顔はすぐに凍り付く。グライフの喉元に、1本角の女が魔力を込めた人差し指を突き付けていたからだ。ただし、1本角の女はまだ見えないハンモックに横たわったままだ。

 グライフはすさまじい魔力に身体の自由を奪われ、その喉元には鋭いものが押し当てられているようなくぼみがはっきりとできている。


「お願いするときにはそれ相応のやり方があるはずよ?」


 1本角の女は、人差し指をゆっくりとグライフの喉にめり込ませながら言う。グライフは冷や汗をかいて謝った。


「お、俺が悪かったよ。頼む、アンタたちの力を貸してくれ『怠惰のピグリティアとアーケディア』さん」


 それを聞いて、2本角の女、ピグリティアが言う。


「お姉さま、そのくらいにしてあげよう? ところでグライフ、500人ものグールをやっつけたって、それはあなたがこの間話していたダインの町の用心棒のことかしら?」


 グライフは、首筋をなでながら答える。


「いや、ソイツもいたが、あとは『白髪のザール』とオーガの女、チビドラゴンに銀髪の女槍遣いだ」


 それを聞くと、二人のダークエルフはキラリと目を輝かせて言う。


「お姉さま、ホルンよ」


 ピグリティアが言うと、アーケディアもうなずいて


「お兄さま、ホルンよ」


 そう言って笑う。そんな二人を不思議そうに見ながらグライフが言う。


「な、何だ、ホルンって」


 グライフにアーケディアは愛くるしい笑顔を向けて言う。


「あなたには関係ないことよ。でも、やっと楽しいショーの幕が上がりそうだわ。ねっ、お兄さま?」


 するとピグリティアの方は、思わずグライフものけぞりそうな凄まじい笑みを見せて言う。


「ええ、お姉さま。It’s show timeってとこね。グライフ、その人間たちはボクたちが面倒みますわ。あなたたちはいつものとおり、旅人を襲って食べ放題よ」


 それを聞くと、


「おう、お嬢ちゃんたちがそう言ってくれるなら、俺たちも安心だぜ。ガッハッハッ」


 グライフは笑って『異界』へと戻って行った。


 グライフを見送った二人は、ニヤリと笑って言う。


「やっと引っかかたわね、お兄さま」


「やっぱり、ボクたちが睨んだとおり、ホルンはもうドラゴニュートバードにはいなかったのよ」


「これで、他の聖騎士たちを出し抜けるわね、お兄さま」


「ええ、それで、お姉さまにはこのことを団長に知らせてほしいの」


 ピグリティアが言うと、アーケディアは悲しそうな顔で首を振る。


「いや、ワタシたちはいつも一緒じゃない。ワタシもホルンを攻撃するわ、お兄さま」


 するとピグリティアは、優しく笑って言う。


「違うのよ。ホルンがすでにドラゴニュートバードにいないことは、団長に知らせておかないといけないわ。ボクもお姉さまが戻ってくるまでは攻撃をしないから、ね?」


 そう言うと、ピグリティアはアーケディアの唇に唇を重ねた。アーケディアもピグリティアの首に腕を回し、自分からも舌を絡ませていく。


「くふ……お兄様……あん」


「お姉さま……くふん……」


 二人は随分長く抱き合っていたが、やがてどちらも名残惜しそうに唇を離すと、じっと見つめ合って言った。


「愛しているわ、お姉さま。ちゃんとボクは待っているよ。だから早く帰ってきてね?」


「愛しているわ、お兄さま。ワタシが戻るまで抜け駆けはなしよ?」


 そう言うとアーケディアは、ピグリティアから少し離れるとサッと左腕を真横に水平に上げる。その途端、かき消すようにアーケディアの姿は消えた。


「……さて、ボクも準備をしなくちゃいけないわね」


 ピグリティアはそう言うと、『異界』へと消えた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 ダインの町の交易会館で、ホルンたちはジュチとロザリアの報告を聞いていた。


「『七つの枝の聖騎士団』が? それは確かかい?」


 ザールがジュチに訊く。ジュチはその金髪を形のいい人差し指でいじりながら言う。


「うん、『怠惰のピグリティアとアーケディア』さ。二人合わせると、魔力の強さではダークエルフ随一だろうね。魔力のピグリティアと術式のアーケディアと言ってもいい。ピグリティアの高い魔力にアーケディアの精緻な術式が加わると、恐らくボクとロザリアでも勝てないだろう」


「うむ、恐るべき精緻な『異界』じゃった。あれだけの異次元空間、私に編めと言われたら編めぬことはないが、おそらくかなりの時間がかかるじゃろう。単に精緻であるだけでなく、融通もきいておる」


 ロザリアもそう言ってうなずく。


「その異界を壊すことは出来ないの?」


 ホルンが訊くと、ロザリアは首を振って言う。


「残念じゃが、アレを外から壊す自信、私にはないのう」


 すると話を聞いていたガルムが、眉を寄せて訊く。


「なあ、ロザリアさん。今、『外から壊す自信はない』と言ったが、じゃ中からは壊せないのか?」


 するとロザリアは言下に否定する。


「中からなら、外からよりは壊しやすいじゃろう。けれど、中から壊した異次元空間がもし発散すれば中にいる者はバラバラになるし、収束すれば空間に押しつぶされる恐れがあるんじゃ。そんなリスキーなことはしたくないのう」


 けれど、その話を聞いていたジュチは、何かを思い出したようにパッと顔を輝かせて言う。


「そうか! うん、中から壊すという手はいいかもしれない」


「私が言ってるそばから何を戯けたことを言うんじゃ、このバカエルフ」


 ロザリアがそう言うが、ジュチはそのロザリアに言い聞かせるように


「ロザリア、『術式の規定』だよ。『収束術式と発散術式は同時に発現できない』とか、『任意の次元空間を編むときはその規定する次元を超える術式を使うことができない』とかあるだろう?」


 そう言うと、ロザリアはバカバカしそうに


「そのための『繰込み術式』じゃろうが? 『収束術式』と『発散術式』を同時に成り立たせるために、時空間の相転移を……相転移を……」


 と言いかけ、何かに気付いたかのように考え込む。そして、


「……うむ、その相転移は奴らが規定する次元空間以下の次元でしか起こらんということか……これはやってみる価値はありそうじゃのう」


 そう言う。ジュチは笑ってホルンとザールに言った。


「ガルム殿の一言が突破口になりそうですね。あの『異界』を壊せば、運が良ければそれだけでグールたちを一網打尽にできますよ」


 するとホルンが笑って言う。


「ごめんなさい、私は魔法の詳しい術式とかはよく分からないわ。けれど、戦い方はあるって理解でいいかしら?」


 するとロザリアがうなずく。


「中からあの『異界』の栓を抜けば、『異界』はさらに高次元の世界に沈没するじゃろうて」


 ジュチはそれに付け加えた。


「ロザリアに『異界』の結節を解いてもらいましょう。彼女の作業を守るのがホルン姫とリディアの役目です。ガルムさんは外でのこのこ出て来たグールを仕留めてください」


 ホルンが眉を寄せて訊く。


「ザールとあなたは?」


 ジュチは、鋭い目でロザリアを見た後、笑顔に戻って言う。


「ザールとボクは、『怠惰のピグリティアとアーケディア』と遊んであげないといけません。ロザリア、キミが『異界』を解くのが早ければ早いほど、ってことさ」


 ロザリアは眼を据えてジュチを睨んでいたが、くっくっと笑って言った。


「なかなかにスリリングじゃのう。了解じゃ、何、このロザリアも捨てたものではないところを見せてやるわ」


「では、俺は町長に掛け合って用心棒をあと50人がところ雇っておくか」


 ガルムがそう言って部屋を出て行く。そこに、ガイが姿を現して訊く。


「姫よ、私はどうすればいい」


 ホルンはジュチを見る。ジュチは笑って答えた。


「万一、姫様に『怠惰のピグリティアとアーケディア』がかかったら、その相手をしてもらえたらありがたい。それまでは、好きな敵を始末していい」


 するとガイは凄まじい笑みを見せて言った。


「いいだろう。『七つの枝の聖騎士団』とは一度手合わせしてみたかった」


『ぼくは?』


 コドランが訊いてくる。ホルンはニコリと笑って頼んだ。


「コドランは、ガルムさんを助けてグールの相手をしてほしいの。あなたのファイアブレスはグールにかなり有効だったし。私たちが『怠惰のピグリティアとアーケディア』を倒しても、グールたちが町を蹂躙したら元も子もないわ。お願いよ?」


   ★ ★ ★ ★ ★


 次の日、ホルンとコドラン、リディアとロザリアそしてガイの5人は、ダインの町の北側に、ザールとジュチは町の西側にある泉の近くにいた。


『ホルン、無理しないでね』


 コドランが心配そうに言うのを、ホルンは優しい目で笑って


「大丈夫よ。それよりガルムさんたちをお願いね」


 そう答える。


「じゃ、ホルンさん。外のことは俺たちに任せて、しっかり暴れてくれ。よろしくお願いする」


 ガルムはホルンにそう言うと、用心棒50人ほどからなる急造の部隊を率いて、コドランと共に『こちらの世界』に出て来たグールたちを始末するために、町の中へと消えていった。


 ホルンは、ガルムの部隊を見送った後、『死の槍』の鞘を払い、目を閉じてゆっくりと深呼吸する。今回は、ただのグール討伐戦ではない。相手はあのジュチやロザリアですら一目置く相手である。ホルンも不安だったが、


「一人ぼっちだった昔と違う。みんながいる」


 そうつぶやくと、リディアとロザリアを見てニコリと笑う。緊張で固い顔をしていた二人も、ホルンにつられて笑った。


「いいかおよ、二人とも。お願いするわね。ガイさんも期待しているわ」


 ホルンが言うと、ガイは深い海の色をした目を細めて笑い、


「はい。期待に背きません」


 そう言って姿を隠した。

 そのやり取りを聞いていたリディアたちも、


「ロザリア、アタシがグールの奴らは一匹たりとも近づけないから、頑張ってね」


「うむ、異界の処置は任せておけ」


 そう話して微笑んでいた。


「来たわよ!」


 ホルンが鋭く叫ぶと、他の3人もサッと視線をそちらに向ける。何もない空間が歪み、陽炎のような揺らめきが現れ、そして『異界』がぽっかりと口を開けた。


「行くわよ!」


 ホルンは『死の槍』を高く掲げて号令をかけた。



「ザール、考えてみれば、キミはとてもいい友達だったよ」


 泉の近くで待機していたジュチは、目の前にいるザールにそうポツリと言う。ザールは笑って言う。ジュチはその屈託のない笑顔に、少し救われた気がする。


「何だい? ジュチにしては弱気じゃないか」


「そりゃあ、ボクはハイエルフだが、ダークエルフである『怠惰のピグリティアとアーケディア』の噂は良く知っているからね。実物を見た時は正直、あの凶悪な『魔力の揺らぎ』に圧倒された」


 ジュチは弱々しい笑顔で言う。

 その笑顔を見て、ザールはマズいと思った。ジュチは時に傲慢なくらい強い。しかし、今回は敵に既に飲まれてしまっている。このままでは勝てる相手にも負けてしまうだろう。ザールは緋色の瞳に力を込めて言う。


「そんなフラグを立てるんじゃない。相手がどのくらい強いかは知らないが、力の限り戦うだけだ。

 そしてジュチ、僕はあいにくだが最後の一兵になって寸土に追い詰められても勝利を諦めない主義だ。この戦いに自信がないなら残っていいぞ? 僕も君のような友だちを失いたくはないからね」


 するとジュチはうなずいて言う。


「いい言葉だ……最後の一兵になって寸土に追い詰められても、勝利を諦めない主義か。

 ふふっ、ボクはハイエルフの誇りを忘れるところだったよ。大事な時に大事なことを思い出させてくれるから、キミはボクにとって特別な友だちなんだ」


 そして、折から口を開き始めた『異界』を鋭く見つめると、ジュチはさらりと言った。


「さて、行こうか? あちらではホルン姫が待っている」



「風よ、我が主たる青い風よ、その澄み切った清浄な力でもって汚濁の異界を斬り払い、魔物たちに『Memento Mori(死を思い出さ)』せよ。そは『Et in Arcadia ego(死はどこにでもあるもの)』なればなり!」


 ホルンは、口を開けた『異界』に、青い風の『魔力の揺らぎ』を込めた『死の槍』を叩き込むと、『アルベドの剣』を引き抜いて異界へと飛び込んだ。リディアとロザリアがそれに続く。今は見えないがガイもすでに異界へ突入しているはずだ。


「どきなさい!」


 ホルンは、この世界に飛び込むとすぐに『アルベドの剣』を横に払う。その刃風に、闖入者を捕食しようとひしめいていたグールたちは包囲輪を広げた。


「なるほど、この世界で『魔力の揺らぎ』を使えば、あなたたちはただのグールってことね」


 ホルンは、心臓を貫かれ『魔力の揺らぎ』の炎に焼かれて息絶えているグールたちから、『死の槍』を引き抜きながら言う。


「じゃ、手加減しないわよ」


 ホルンがそう言うと、その身体を緑青色の炎が包み込む。その炎は『死の槍』や『アルベドの剣』をも包み込み、襲い掛かってくるグールたちを当たるを幸いなぎ倒し始めた。


「アタシの辞書には『手加減』って言葉はないよ。覚悟しな」


 リディアも“基本形態”である身長2・5メートルのジーク・オーガに戻って、トマホークを振り回している。彼女もエレメントを発動し、身体中が紅蓮の炎に覆われている。


「ふむ、やはり思ったより精密な造りをしているの……」


 二人の間を、ロザリアが鋭い目で観察しながら歩いている。彼女も『魔族の血』を発動させ、140センチ足らずの少女の姿となり、自身を紫色の瘴気の渦で守っている。

 この空間の中は、風景も地面も見えない。方向感覚が狂うと、どちらに向かって進んでいるのかが分からなくなる。ロザリアは右手を高く上げ、この世界の『結節』を探していた。


「ロザリア、どちらに進めばいい?」


 ホルンが『死の槍』を振り回しながら訊く。ロザリアは薄く目を開けて、異界の『構造』を凝視していたが、


「……右に向かってもらおうかのう」


 そう確信を持って静かに言った。



「何だ?」


 異界の中では、時ならぬ闖入者にグライフが焦っていた。この世界には人間などは入れないと『怠惰のピグリティアとアーケディア』は太鼓判を押していたのに、先には一瞬とはいえガルムの侵入を許し、今回は何人もの侵入を止められなかった。


「グライフ様、中央から人間とオーガと魔族が一人ずつ、西からは人間とエルフが一人ずつ侵入してきました」


「中央の奴らは要石の方向に進んでいます。西側の奴らは中央付近まで到達しています」


 それらの注進を聞きながら、グライフは


「俺が中央から入った奴らを止める。西からの奴は『七つの枝の聖騎士団』のお嬢さんに任せたと伝えろ!」


 そう喚きながら、要石のある異界の『核』へと駆けだした。


「……まったく、性急な奴らだわ。お姉さまがまだ戻っていないのに。このままじゃボクが嘘つきになっちゃうじゃないの」


 『怠惰のピグリティア』は、そう腹立たしげにつぶやいた。しかし、要石が危ないとなると、そうも言っていられない。一瞬、


 ……こいつらを見殺しにして、この世界を解除してもいいかな。


 とも思ったピグリティアだったが、


 ……今、ホルンを倒さないと、次はいつ捕捉できるか分からないし、他の『聖騎士』に倒されちゃってもつまらないわね。


 そう思い直すと、自らホルンに当たることにした。アーケディアがいないのは寂しいが、この世界はアーケディアが編み上げたものであり、アーケディアの術式を絶対的に信頼するピグリティアには不安はなかった。


「おい、『七つの枝の聖騎士団』さんよ、この状況を何とかしろ」


 ピグリティアが寝ながら飛んでいると、不意にそう言う野太い声がした。グライフが息せき切って走ってくる。


「奴らは要石を狙っていやがる。二手に分かれて入ってきやがった」


「人間の女はどこにいるかしら?」


 ピグリティアが訊くと、グライフは即座に


「要石の近くだ。他にオーガと魔族の女がいる」


 そう言った。それを聞いたピグリティアは、ニコリと笑って言う。


「そのお相手は、ボクがしますわ。あなたは人間の男の方を叩いて。『白髪のザール』だから、気を抜いたらやられるわよ?」


 そう言うと、ピグリティアは要石の方角へスピードを上げて飛び去った。グライフは一瞬茫然としたが、すぐに気を取り直してザールたちの方へと走り始めた。



「ザール、キリがないねえ」


 一度に2本の矢を飛ばしてグールの頭と心臓を貫くという離れ業を見せながら、ジュチが呆れたように呟く。


「まったく、よくもこれだけ増えたものだよ」


 ザールも『竜の腕』で一度に4・5体のグールを握りつぶしながら答える。ザールは、早くホルンと合流しなければと焦るが、こちらの方が密度が濃かったのだろう、侵入以降グールがひっきりなしにかかってくる。

 それでも、ザールたちは入口からかなり進んでいた。もし、相対的な位置を知ることができたなら、ザールとホルンは直線距離で5ケーブル(約930メートル)しか離れていないことを知れただろう。


 そのホルンたちは、要石まで1ケーブルの距離にいて、ピグリティアはホルンと1ケーブル、グライフはザールと1ケーブルの距離にいた。


 最初に接敵したのは、グライフの方だった。


「おおっ、お前たちか。勝手にわが世界に侵入してきたやつらは?」


 グライフは、そう言ってザールたちの前に立ち塞がった。


「そなたがグールたちの総帥か。僕はザール・ジュエル、そなたたちの非道なふるまいを誅しにきた」


 ザールが『竜の腕』を元に戻して言う。グライフは鼻で笑って


「ふん、俺たちが人間を殺すのは、貴様ら人間が生きるために牛や豚を殺すのと同じだ。それを誅殺とは片腹痛いわ」


 そして、両腰に佩いた剣を両手で抜き放って、


「野郎ども、この男を引き裂いてその肉を食らえ! 相手は『白髪のザール』、高い魔力を秘めたその肉は旨いぞ」


 そう叫ぶ。すると、あちこちからグールたちがひしめき合って現れる。


「これだけの数が揃うと、さすがに壮観だねぇ」


 ジュチは悠々と弓を準備しながら言う。ザールは笑って、『糸杉の剣』に一度素振りをくれると、もはや1千体はいようかというグールたちを眺めて言った。


「雑魚は僕が相手しよう。あの親玉を仕留めてくれないか」


 そしてザールは無謀にもグールたちの海に突っ込んで行った。


「やれやれ、ボクに華を持たせてくれるなんて、持つべきものは英雄の友だちだねぇ」


 ジュチがそう言ってグライフに矢を放つ。しかしグライフは、ジュチの矢を両手で簡単に受け止めた。


「ふん、弓矢などこのグライフ様に通じるか」


 グライフが矢を投げ捨てると、ジュチは続けざまに矢を放った。驚いたことに、グライフはその矢をすべて受け止める。


「だから、俺に矢など通じないと言っているだろう」


 グライフが両手に矢を持って言うが、ジュチは涼しい顔で


「そうかな?」


 と指を鳴らした。


 ボムッ!


 ジュチの合図とともに、グライフの手の中で矢が破裂する。それとともにグライフの両手は吹き飛ばされ、跡形もなくなった。


「くっ、やるじゃないか。けど、俺がグールってことを忘れていないか?」


 グライフは再生した両手を閉じたり開いたりしながら言う。


「そうでもないさ」


 ジュチのその声と共に、グライフの両手が突然、緑色の炎を上げて燃え上がった。驚いたグライフが慌てて手を振って消火を試みるが、火勢はますます強くなっていく。


「げっ! なぜだ、火が消えない」


 慌てるグライフに、ジュチは薄い唇をニヒルに歪めて言う。


「なぜって、それはキミが燃えやすいからだよ」


 そう言ってジュチはグライフの両足を地面に矢で縫い付ける。その傷口から、またも緑色の炎が燃え上がった。


「ぐわあ! なぜ、なぜ俺は燃える? なぜ火が消えない?」


 今や全身火だるまになりながら、グライフは喚き続ける。その姿を見つめながら、ジュチは静かにつぶやいた。


「その矢は、ハイエルフの奥義『情念の炎』だ。そなた自身の情念が強ければ強いほど、炎も燃え上がる。まさに、『身を焦がす炎』ってやつさ」


 やがてグライフが燃え尽きた時、ジュチがザールの方を向くと、ザールは最後のグールを真っ二つにするところだった。


「さすがはザールだ。あれだけのグールを相手に5分もかからないとはね」


 ジュチが拍手をすると、ザールは累々と積み重なったグールの屍に『魔力の揺らぎ』を叩きつけた。たちまちグールたちは白い炎を上げてめらめらと燃え上がる。


「思わぬ手間を取った。早くホルンたちのところに急ごう」


 ザールが『糸杉の剣』を鞘に納めつつ言った。その瞬間、


「おっ!」「ぐっ!」


 急に空間が歪み、ジュチとザールは物凄い力で地面に押し付けられた。二人は気が遠くなった。



「ここじゃ!」


 時は少し遡る。ホルンたちはグールの群れを排除しながら、ロザリアの導きに沿ってついに要石までたどり着いた。


 要石と言っても、石や何かがあるわけではない。しかし、魔力があるものが見ると、確かにその空間に『何か』があることが分かる。それは人によって石に見えたり、ボタンに見えたり、花に見えたりするが、石に見える者が圧倒的に多いため、要石と言われている。つまり、空間の『結節』である。


 ロザリアは切れ長の目を細めて『結節』の中を凝視する。その目はすべて黒曜石のような黒く光を弾くものになっていた。


「……ふむ、この結節は2重にカバーされておるな。しかし、空間そのものは11次元か……うむ、何とかなりそうじゃ」


 つぶやいているロザリアに、『死の槍』を構えて周囲を警戒しているホルンが訊く。


「ロザリア、何とかなりそう?」


 ロザリアは真剣な声で答えた。


「うむ。少し時間はかかろうが、何とかこの空間を解けそうじゃ。そのためにはこの『結節』の周囲に、一時的に私の空間を作って作業する。その間、私の防御力はゼロになるので、よろしくお願いするぞ、姫様」

「分かったわ」


 ロザリアは、ホルンの答えを聞くとすっと目を閉じた。そして


「C’est Que voirte, l’es bionne. Omi homoni al Cure comme, e’ra twetrie’sse parum……」


 ゆっくりと呪文を唱え始める。その呪文とともに、ロザリアの周りの空間が紫色に染まり、光の屈折で中が見えなくなる。

 そこに、『怠惰のピグリティア』が現れた。その手には何か大きいものをぶら下げている。


「ちっ! 魔族のお嬢さんを甘く見ていたわね」


 ピグリティアは苦々しげに言うと、手に持ったものをどさりと投げ出した。


「リディア!」


 リディアはあちこちから血を流してぼろクズのように横たわっていた。思わずホルンは駆け寄る。


「リディア、大丈夫? しっかりして!」


 ホルンはそう言いながら、リディアのたくましい胸に耳を当てる。かすかに鼓動が感じられた。


「そのオーガも大したことなかったわ。こんな武器、オモチャみたいなものね、つまんないわ」


 ピグリティアはそう言うと、トマホークをポンと投げ出す。恐るべきことに、トマホークは柄が折れ、斧の部分も炎で焙られたチョコレートのようにぐにゃりとひん曲がっていた。


「……私はホルン・ファランドール、槍遣いです。罪もなき人々を殺戮し、この町の人々に迷惑をかけ、そして私の友人をこんな目にあわせたあなたを、私は許しません」


 ホルンは、『死の槍』を身体の横に立て、身体中から緑青色の炎を燃え立たせながら、静かに言った。


「そして、この国の王女様ってわけね。ボクは『怠惰のピグリティア』。『七つの枝の聖騎士団』の一員よ。ホントはお姉さまと一緒にあなたと遊ぶつもりだったんだけれど、あなたたちが急ぐもんだから、お姉さま、間に合わなかったじゃない」


 ピグリティアは黒いウェーブがかかった髪を揺らしながら言う。すでにこの時点で魔力を開放しているようだ。


「ボク、あなたと二人きりで遊びたいの。まずは魔族のお嬢さんが邪魔だわね」


 ピグリティアはそう言うと、右手を上げて開いていた手のひらを閉じた。その瞬間、ホルンの後ろでゴリッという骨が砕けるような音とともに、


「ぐわっ!」


 ロザリアの悲鳴が聞こえた。


「ロザリア!」


 振り向いたホルンの眼に、口や鼻、耳や目から血を流してゆらゆらと立っているロザリアが見えた。先ほどまで彼女を覆っていた紫色の空間は跡形もなくなっていた。


「く、あと、ちょっとじゃったのに……無念……」


 ロザリアはゆっくりと右手を上げながらそう言い、ぶわっとおびただしい血を吐くとそのまま地面に崩れ落ちた。両肩がありえない方向に曲がっているので、身体中の骨を砕かれたらしい。


「ロザリア!」


 ホルンはロザリアの頭の側に膝をついた。見開いた眼には光はなく、耳や鼻、そして口からはまだ血が流れ続けている。


「それとぉ、あのザールとかいう男とエルフも邪魔よねぇ~」


 ピグリティアがそう言って左手を上げようとした時、


「うわああああ!」


 ホルンが絶叫と共に飛んだ。


「ぐふっ!」


 ピグリティアは、一声そう言ったが、


「ふ~ん、ホルン、あなた、どっちが好きなのぉ~?」


 ピグリティアはそう言いながら自分の胸に叩き込まれた『死の槍』をつかむと、その先で悲壮な顔をして自分を睨みつけているホルンをニヤニヤした顔で眺め、


「……ザール、だね?」


 そう言った。

 ホルンは、頭の中で何かが弾けたように熱くなっていた。リディアが、ロザリアが、ジュチが、そしてザールまで……そんな思いが頭の中を駆け巡り、ホルンの身体を震わせた。


「うわああああ!」


 ホルンは、身体の中を荒れ狂う何かに任せるかのように、『死の槍』をピグリティアに差し込んでいく。しかし、ピグリティアは涼しい顔で言った。


「あなたの顔、美人だから嫌い」


 そして、ホルンの額を人差し指でチョンとつつく。その途端、ホルンははじけ飛ぶように地面に叩きつけられた。すくさまホルンは身をひるがえして起きようとする。そのホルンの左太ももを『死の槍』が貫いて地面に縫い付けた。


「くっ!」


 ホルンは『死の槍』を抜こうともがくが、どうしたことか抜けない。そんなホルンを面白そうに眺めながら、ピグリティアは勝ち誇ったように言う。


「ムリよ。ボクの魔力を込めていますから、あなたじゃ抜けないわ。それじゃ、今度はザールをペッチャンコにしてあげるわね」


 そして左手を上げて、手のひらを下に向け、サッと振り下ろした。その途端、


「ぐっ!」

「ぐはっ!」


 頭から恐るべき荷重をかけられた感じがして、ホルンとリディアは呻いた。リディアはその荷重に肺を痛めたのか、おびただしく鮮血を噴いた。ロザリアが全く反応しないのは、既にこと切れたからかもしれない。

 『重力操作』に地面に突っ伏して動けないホルンを見て、ピグリティアは哄笑する。


「はっはっはっ、な~にその姿? 仲間を犬死させて、恋人のザールもペッチャンコにされて、よくあなたは生きているわね? ボクだったら死んじゃうわ」


 ホルンは、ピグリティアの哄笑と罵声を聞きながら、唇を血を流すほど噛みしめていた。その肩が怒りでぶるぶると震え、緑青色の炎がさらに燃え上がる。


 ……ザール、ザールをよくも、ザールを、ザールをよくもっ!

「うわあああ!」


 ホルンは、自分を縫い付けている『死の槍』をそのままに、ピグリティアへと飛ぶ。その右半身はクリスタルのような固い鱗に覆われ、右の背中には片翼が生えていた。


「ぐおっ!」


 油断していたピグリティアは、片翼の黒竜(ホルン)に右腕を引きちぎられて呻いた。しかし、


「半人前のドラゴンがボクに勝てると思っているの?」


 残りの左腕で片翼の黒竜(ホルン)を打ち払う。片翼の黒竜(ホルン)はその打撃ですっ飛んだ。


「そこまでだ、魔性の者!」


 ピグリティアは、自分の喉を斬り裂き、眉間に人差し指を叩き込むガイの姿を間近で見た。

 彼女の網膜に、青い波のような髪をうねらせ、深い海の色の瞳を持つ冷たい目をした秀麗なアクアロイドが映って、消えた。


「Ahhhhhhhh……」


 ガイによってとどめを刺されたピグリティアは、恐ろしい断末魔の声を上げ、喉の傷口からは血の泡を噴き、眉間の傷口からはどす黒い魔力の残滓を噴き出しながら、しばらくゆらゆらと立っていたが、やがて噴出が止まると、ぱたりと軽い音を立てて倒れた。その亡骸はまるで干からびたリンゴのようであった。


   ★ ★ ★ ★ ★


 『異界』の外には約2千体のグールが現れたが、コドランがファイアブレスやファイアストームを駆使して戦ったことと、ガルムの急造とはいえ連携の取れた部隊の活躍により、そのすべてが仕留められた。


「ホルンさん、今回はありがとうございました。おかげでこの町も平和を取り戻しました」


 ホルンは、ガルムと共に町長のベルンシュタインから歓待を受けたが、その表情は冴えなかった。


「どうしたんだ、ホルンさん、浮かない顔をして。()()()()()()()()から、よかったじゃないか」


 ガルムがそう言うが、ホルンは複雑な表情のまま笑った。


 そう、()()()()()()()()のだ。重傷を負ったリディアも、死んでしまったとしか思えなかったロザリアも、『異界』が消えた後はただ眠っていただけだった。

 けれど、ガイがピグリティアを倒さなければ、どうなっていただろう……ホルンはそう思うと、ぶるっと身を震わせる。


 戦いの後、ホルンたちはすぐに話し合いをした。前回の『強欲のアヴァリティア』との戦いは、終始、こちらのペースで戦えた。そのことによって『七つの枝の聖騎士団』に対して甘く見ていたと思い知らされたからだ。


「あれは、『幻術』だ」


 ガイが静かに言う。


「相手の五感をすべて奪い、自分の思うとおりの知覚を与えることができる。ピグリティアは魔力が高いだけあって、ほぼ完ぺきなものに仕上げていた。もう一人のアーケディアが術式に優れているが、術式をあまり使えぬピグリティアは『幻術』でそれをカバーしていたようだな」


 リディアやロザリアもうなずく。


「アタシも、あっという間にあちこちを斬られて、もう駄目だって思ったけれど……戦闘中じゃ解けないのかな、『幻術』って」


「うむ、『幻術』の術式は知ってはいたが、あの攻撃は完璧じゃった。私も完全に身体中を潰されたと信じ込んだほどじゃからな」


 ホルンがザールやジュチを見て訊く。


「その術を破る方法はないの?」


 ジュチが首を振る。


「でも、ガイはあいつを倒したじゃない」


 ホルンが言うと、ガイは笑いもせずに


「私はただ、王女様の攻撃でできたピグリティアの隙をついただけ。そうでもなければ、あれほどの術を破れるはずがない」


 そう言った。


「『怠惰のピグリティアとアーケディア』は二人で一人だったと聞く。残されたアーケディアはピグリティアの仇を討とうと全力で攻撃してくるに違いない。相手は『七つの枝の聖騎士団』だ、どんな相手が来ようと、対応できるようにしておかなければな」


 ザールが言うと、全員が真剣な顔でうなずいた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 ダインの町の近くに、ウェーブがかかった黒髪で灰色の肌をした女性が歩いていた。彼女は黒いワンピースと、丈の短い黒のチョッキを着ている。


 彼女は、月の光の中で、『あるもの』を探し当てると、震える手でそれを抱き上げ、嗚咽を漏らし始めた。


「愛しいお兄さま……なんてお姿に……」


 彼女はひとしきり泣いた後、虚ろな目に笑いを含んで言った。


「愛しいお兄さま、一つになりましょう」


 そう言うと彼女は、それをバリバリと食べ始めた。そして、食べ終わるとダインの町を睨みつけて言う。


「あの町は、嫌い。ボクを殺したから」


「じゃあ、仕返ししましょう。お兄さま」


「そうね、お姉さま。仕返ししましょう」


 彼女は一人でそうつぶやくと、両手を高く上げて何か呪文を唱え始めた。そして、呪文詠唱が終わると、サッと両手を振り下ろす。


 ダインの町の壊滅の報がサマルカンドに届いたのは、その一週間後だった。


   (18 討滅の幻国 完)

最後までお読み頂き、ありがとうございます。

『王の牙』もホルンを狙う中、『七つの枝の聖騎士団』との本格的な戦いが始まりました。

次回は、『19 残恨の巨人』をお送りします。お楽しみに。

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