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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
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16 戦士の休息

ホルンは自分がサマルカンドにいることで、サマルカンドの住民が様々な事件に巻き込まれることに悩む。ザールの母アンジェリカの提案で、ホルンとザールはアンジェリカの出身地である『ドラゴニュート氏族の里』へと退避することになる。そこはヴァイスドラゴンやシュバルツドラゴンの森がある楽園だった。ホルンとザールは、ヴァイスドラゴンやシュバルツドラゴンの長から、自分たちの使命を知らされる。

 『七つの枝の聖騎士団』の一人、『強欲のアヴァリティア』を退けたホルンたちだったが、一つの問題が起こっていた。


「……ですから、私がここにいれば、サマルカンドの皆さんに迷惑がかかります。だから、私はここを出て、どこかで暮らした方がいいと思うのです」


 ホルンがそう言っている相手は、サマルカンドの主であり“王国の東方の藩屏”ともいわれるトルクスタン候サーム・ジュエルだった。サームは少し困り顔で、それでも優しい瞳をホルンに当てて先を促した。


「昨週の『強欲のアヴァリティア』による町人たちの被害や、その前のサキュバスが引き起こした事件は、私がここにいなければ起こらなかった事件でしょう。これ以上、私のせいで町の人たちに被害が出ることは耐えられません」


 ホルンがそう言って言葉を切る。サームは困った顔をして


「うむ、王女様の心遣いはありがたいことですが、王女様はわが兄王たるシャー・ローム陛下の忘れ形見。また、国民が王女様に寄せる期待も大きいものがあります。それだけにザッハークにとっては目の上の瘤。わがサマルカンドの住人たちの受難は確かに私も怒り心頭に発していますが、それは織り込み済みのこと。いつかはザッハークに思い知らせてやろうと考えているところです」


 そう言うと、微笑んで続けた。


「ですから、王女様には旗揚げの準備が整うその日まで、この城にご滞在願いたいと思います。王女様を失う方が、この国の未来にとっては打撃が大きいことをご理解ください」


「しかし……」


 ホルンが何か言いかけた時、帳の後ろからアンジェリカが姿を現して優しく言う。


「ホルン姫、私もあなたにこの城にいていただいた方が安心します」

「アンジェリカ様」


 ホルンは居住まいを正した。アンジェリカ夫人は前国王の妃、ウンディーネの妹で、ホルンにとっては叔母に当たる人物だ。ドラゴニュート氏族出身で『竜の血』を受け継ぎ、高い魔力を誇っていた。

 しかしそれ以上に、ホルンにとっては顔も知らない『母親』を実感させる唯一の人物でもあった。アンジェリカの風貌を最初に見た時、その容貌が自分に似ていたこともさることながら、


 ……私のお母様もこのような顔で、このような声であったのかしら?


 と、母親への追慕に胸が熱くなったのである。

 アンジェリカは優しい顔はそのままに、静かな声でホルンとサームに提案する。


「私の希望はそうですが、ホルン姫のお気持ちも分かります。そこで、私の里であるドラゴニューバードに一時、身を隠されてはいかがでしょうか? あそこはヴァイスドラゴンのローエン軍団が守る場所。どのような勇者もめったなことでは手は出せません」


 それを聞くと、サームもうなずいて勧める。


「それはよい。ドラゴニュートバードはジーク・オーガやハイエルフの里も近い。王女様にも今後役に立つことが多かろう。そうなされませ」

「ホルン様、ザールをあなたに預けます。あの子を善導し、良き勇者として育ててください。できれば今後もずっと……いかがかしら?」


 アンジェリカがそう言う。後半はいたずらっぽい目をして、ホルンを見つめてきた。ホルンは顔を赤くして頷く。その様子を見て、アンジェリカは安心したように言った。


「よかった、これで安心です。では、里には私から知らせを出しますので、ここ一両日中にご出発ください。ザールにも準備をさせておきましょう」


   ★ ★ ★ ★ ★


 ドラゴンの血を引く一族が住む里であるドラゴニュートバードは、サマルカンドから東に進んだ険しい山脈に囲まれた地にある。周囲の山脈は低い山でも5千メートルを超え、並の人間ではそこを越えることは至難の業である。

 けれど、ホルンをはじめザール、コドラン、ジュチ、そしてリディアはそんな地形上の困難はさして気にせず、サマルカンドを発向して5日目にはドラゴニュートバードが見える地点まで来ていた。ロザリアは本人たっての希望で、サマルカンドに残留していた。


「結構空気は薄いけれど、その代わり眺めはいいわね」


 ホルンは、眼下に広がる光景に見とれていた。標高が高い割には森林も多く、湖は青い空をそのまま反射しているような青さだった。森林が途切れているところもあったが、そのほとんどは畑なのだろう、爽やかな黄緑色の波が広がっていた。


 遠くを眺めれば8千メートル級の山々が青くかすんでいる。そこまで行くのには徒歩で一月はかかりそうだった。その間に、ポツリポツリと集落が見える。大きな集落は都合三つだった。


「一番手前がアタシの育ったジーク・オーガの里だよ。この盆地へ続くのはこの道しかないから、アタシたちジーク・オーガが盆地の番人ってところだね」


 リディアが指さして言う。彼女は身長2・5メートルの“真実の形態”に戻っていた。


「一番奥にある麗しい里が、この世で最も高貴なわがハイエルフの里だよ。ザールのところで落ち着いたら、ぜひ我が里にも顔を出していただきたいものです、ホルン姫」


 ジュチはやや煩げな金髪を風になぶらせて言う。その頬が紅潮し、碧眼が輝いている。やはり、故郷を目の前にして気が高ぶっているのだろう。


「中間のやや西よりにある集落が、ドラゴニュートバードだ。東側の深い森は、ヴァイスドラゴンやシュバルツドラゴンの里がある。コドランくんも顔を出してみるといい。母上のことが何か分かるかもしれないから」


 ザールがそう言う。コドランはホルンの肩の上に止まって、目をウルウルさせている。


『この匂い、とっても懐かしいよ。きっとぼくはここで生まれたんだ』


 そう言うコドランの頭を優しくなでて、ホルンが言う。


「ちょっと落ち着いたら、ドラゴンの里にも顔を出してみようね」


 やがて、四人は連れ立って峠道を下って行った。


   ★ ★ ★ ★ ★


「はじめてお目にかかる。私がジーク・オーガの族長、オルテガだ。ホルン王女様、よくおいでくだされた」


 ホルンたちは、まずリディアと共にジーク・オーガの里に来ていた。


「えっ、そんな悪いよ。最初はドラゴニュート氏族の里に行って、長やみんなにあいさつして、ゆっくりしてからおいでよ」


 リディアはそう言ってくれたが、


「リディアのお父様にも装備のお礼が言いたいのよ。それにドラゴニュート氏族の里はその先だし、素通りするのも失礼だと思うわ」


 ホルンはそう言って、先に手前にあるジーク・オーガの里へと向かったのだった。


「初めまして、ホルン・ファランドールです。リディアさんにはいろいろお世話になっていますし、この装備についてもお礼を申し上げます」


 挨拶するホルンをじっと見つめていたオルテガは、ホルンに懐かしそうな瞳を向けて言う。


「うん、確かに我が良き友であったシャー・ローム陛下に()ておられる。それに素晴らしい『魔力の揺らぎ』だ。先々よい女王となられるであろう。リディアのこともよろしくご鞭撻をお願いいたす」


 そして、ホルンの側に控えたリディアに


「リディア、そなたの目には狂いがなかったな。素晴らしい姫様だ。今後、親交をさらに温めるとよいぞ」


 そう言って、さらにザールやジュチにも頼むのだった。


「サームの息子よ、ふつつかだが我が娘をよろしく頼むぞ。そしてテムジンの息子にも同じく頼んでおくぞ」

「もう、お父様ったら、まるでアタシがザールやジュチと結婚するみたいじゃん? まだアタシはお父様の側で親孝行するつもりだよ?」


 リディアはそう茶化して笑うのだった。


「最初にアタシのところに来てくれて嬉しかったよ、お姫様。それとザール、急ぎじゃなければ泊まっていってほしいけれど、そこは我慢しとくね? ジュチもお父様お母様によろしく言っといてね」


 リディアはそう言って、出発するホルンたちにいつまでも手を振っていた。



「えっ、ボクのところにもおいで願えるとは光栄ですよ、姫様」


 ジュチは、ホルンがドラゴニュート氏族の里より先にハイエルフの里に立ち寄るつもりであることを聞いて、感激して言う。ホルンはうなずいた。


「だって、リディアのお父様お母様にご挨拶して、ジュチのご両親へのご挨拶を後回しにするのも失礼だわ。ぜひ、先に立ち寄らせて」


 ハイエルフの里では、突然のホルンの訪問に里人たちはびっくりしていたが、ジュチが


「このお方はファールス王国の正統な王位継承者だ」


 と触れて回ったため、ホルンの名は一気に広まった。


「初めまして、ホルン・ファランドールです。ジュチさんにはお世話になっています」


 ホルンの挨拶を受けたテムジンは、その端正な顔をほころばせて答えた。


「わざわざお越しいただき光栄ですよ、王女様。それにしても我が良き友であったシャー・ローム陛下によく似ておられる。生き写しじゃ。それに『魔力の揺らぎ』も大したものじゃ。ジュチ、王女様をしっかりとお守りするのだぞ」

「言わずもがなですよ、父上」


 ジュチは、金髪に指を絡ませながら端正な顔をニヒルに歪めて言う。

 さらにテムジンは、ザールにも目を当てて言った。


「サームの息子よ、わが息子が王女様に対して失礼な真似をしないように、よく目を付けていてほしい。頼んだぞ」


 ザールは笑って答えた。


「心配要りませんよ、妖精王様。ご子息は思っておられる以上にしっかりしておられますから」


 テムジンとの面会も済ませたホルンは、やっとドラゴニュート氏族の里に向かうことにした。


「わざわざ駕を()げて立ち寄ってくださったこと、まことに感謝します。里の皆さんにもよろしく」


 ジュチは、遠ざかるホルンとザールにいつまでも手を振っていた。


   ★ ★ ★ ★ ★


「よくおいでくださいました、王女様。元気そうじゃな、アンジェリカの息子よ」


 里の入り口まで戻って来たザールとホルンは、まずその足でドラゴニュートバードの長に挨拶に行った。長の名はアムールと言い、今年70に近いが、眼光は炯々と鋭かった。


「はい、しばらくご厄介になります。よろしく」


 ホルンがそう言うと、長は相好を崩して、親しげにホルンに話しかける。


「そう固くならんでもよい。ウンディーネとアンジェリカはわしの娘たちじゃからのう。つまり、わしは王女様やザールの祖父ということになる。こんな外孫がいるとは、わしも鼻が高いわい」


 そう言うと、目を細めて言う。


「ザールよ、先にオルテガやテムジンのところに立ち寄ったらしいのう」

「はい、王女様のたっての願いでそうしました」


 ザールの答えに、アムールはうなずきながらホルンに言った。


「二人とも喜んでおった。よいことをなされたのう、王女様」


 ホルンがうなずくと、アムールは真面目な顔で言う。


「あの二人はご存じのとおりシャー・ローム陛下の無二の友人だった。王女様の旗揚げの際は良い仲間となるじゃろう」


 ホルンはその話を神妙な顔で聞いている。その時、アムールに侍女が近づいてきた。


「長、王女様たちの宿舎の用意が整いました」


 侍女がそう告げると、長は意味ありげにザールに目配せすると、笑って言った。


「そうか、では長旅でお疲れじゃろう。二人とも宿舎でゆっくりされるとよい。0点半(午後7時)には宴を準備しておる。その時間には集会所においでなされ」

「こちらにどうぞ。ご案内します」


 侍女がそう言ってホルンたちを案内する。もう一人の侍女はコドランに向かって言った。


「ドラゴンのこどもさんには、長からちょっと話があるそうです。こっちにおいでください」

『え、ぼく?』


 コドランが言うと、侍女は優しい目でうなずいて、コドランを連れて別室に行く。

 ホルンたち二人はしかたなく、侍女に連れられて長の家を出た。侍女はすたすたと通りを歩き始める。宿舎はどうやら集落の反対側、集会所の近くにあるらしい。


「あ~あ、ずっと歩き詰めで疲れたな。久しぶりにゆっくりと風呂にでも浸かりたいや」


 ザールが背を伸ばして言う。ホルンはクスリと笑うと、やんちゃな弟をたしなめるような口調で言う。


「戦士が泣き言言わないの。でも、私もサマルカンドでいい暮らしに慣れてしまったから、他人のことは言えないわね。これくらいで『お風呂入りたいな』って思っちゃったから」


 二人がそう言って歩いて行くと、一軒の家が目に入った。この家だけ周りを生垣に囲まれている。どうやらここが宿舎のようだ。それにしてはここの住人の住まいと比較して立派すぎるし、どう見ても『宿舎』というより『住宅』だ。


「着きました。出入口はこちらです。ごゆっくりなさいませ。0点半近くになったらお呼びに参ります」


 侍女はそれだけ言うと、すたすたと来た道を引き返していく。あとにはザールとホルンが残された。


「え……と、これはどういう?」


 旅籠のような施設に案内されるとばかり想像していたザールがやっとそれだけ言う。その時、ザールの脳裏に長の意味ありげな目くばせが蘇った。途端にザールは顔を赤くする。ホルンは先ほどから黙ったままだ。


「ぼ、僕はちょっと長の家に泊まらせてもらいます。王女様はこの家で、お気兼ねなくごゆっくりなさってください」


 ザールはそう言って踵を返そうとする。そんなザールの着物の端をホルンがギュッと握って止めた。


「王女様?……」


 ザールは恐る恐るホルンを見る。ホルンは頬を赤くしながらも、ニコリと笑って言った。


「私は気にしないわ、長のお気遣いですもの。ザールもここに泊まって?」

「……あ、はい……」


 ザールは仕方なくそう言った。ホルンはうなずくとザールから手を離し、玄関を開けたまま中に入る。暖炉のある客間や台所、同じく暖炉がある寝室と居間があり、部屋数は多くはなかったがそれぞれの部屋は広めに作ってあった。


「へえ、住み心地は良さそうね」


 ホルンは各部屋を見て回るとそう言う。ザールは、さっきからそんなホルンの横顔が気になって仕方がない。

 そして寝室を見た途端、二人は顔を赤くして固まってしまった。寝室には大きめのベッドが一つ置いてあり、その上には枕が二つ並べてあった。恋人や夫婦仕様の部屋のようだ。


「……お、長が気を利かせすぎたみたいですね」


 ザールはそう言うと、つかつかとベッドに近寄り、枕を一つ取り上げると言った。


「居間にいいソファがありました。僕はそこの方が落ち着きますので、この部屋は王女様がお使いください。鏡もあることですし」


 ホルンは顔を真っ赤にしながらもうなずいた。



「いいお湯でした。ザールもどうぞ」


 ホルンが居間に顔を出し、そう言う。ザールはゆっくりと立ち上がった。風呂の用意をしてザールが廊下に出ると、ちょうどホルンは寝室に入るところだった。中からガチャリと錠を降ろす音がする。その音を聞いて、ザールは安心して、しかしどこかに少し失望した自分がいることに気が付いて、そそくさと風呂へと向かった。


「ふう」


 ホルンは寝室に入って大きなため息をついた。そして、つい無意識に錠を降ろしていたことに気がついて苦笑する。用心棒として辺境で暮らした時期の癖である。けれど、鍵を開けようとして踏みとどまった。この鍵を開けてしまえば、きっと私はザールを誘ってしまう……そんな気がしたのだ。自分の立場を考えると、ザールと恋人になることはできない。それがたとえアンジェリカ様やこの里の長の望みであるとしてもだ。


 それに、ホルンには、ザールと出会ってからいつも心にかかっていたことがある。それは、


 ……私はずっと用心棒として無頼の暮らしをしてきた女。たとえ王女だったとしても、私はザールの相手にはふさわしくない。


 ということだった。では、どんな相手ならザールに相応しいと言えるのか? ホルンは自問自答する。そして、『今ザールの周りにいる女性なら、リディアが最もザールに相応しいのではないかしら?』と結論した。リディアは種族こそ違え、王女という地位にあるし、ザールを幼少の時期から知っていて、しかもザールに首ったけである。そのことをリディア自身も隠していないし、周りの皆もよく知っている。


 あるいは『ロザリアもいいかな』とも思う。リディアと比べると少し雰囲気は暗いが、『動』のザールに配するに『静』のロザリアもバランスが取れていい感じであった。彼女は落ち着いてもいるし、頭もよく、さらにザールに対する忠誠心も盲目的に厚い。


「いずれにしても、私は恋愛なんかにうつつを抜かしている暇はないわ」


 ホルンはそうつぶやくと、ベッドにドサッと横になって目を閉じた。



 ザールは、湯船の中でじっと考えていた。長も父上も母上も、僕と王女様が一緒になることを望んでいるらしい。そのことは長の目配せから分かった。母上がそう伝えたのであろう、そうでなければ、長の一存でこんな出過ぎたことができるわけがない。


「ホルン……王女様、か……」


 ザールは、豊かな銀髪を風になびかせながらこの里を見下ろしていたホルンの横顔を思い出していた。翠の目は最初に会った時からザールの心を捕えていた。落ち着いた、けれど哀愁を帯びた瞳だった。それに、白い秀麗な顔は笑っていてもどこかに翳があり、それがザールを落ち着かなくさせていた。


 最初はドラゴニュート氏族の血がそう思わせるのかとも思っていた。けれど、ホルンと旅を共にして、彼女の色々な表情を見るたびに、ザールは自分の心が揺れていることを感じていた。そして、


『ホルン、僕の目を見ろ!』

『え、は、はい……』


 あの時のホルンは、とても可愛らしくて、年上であることを忘れてしまうほどだった。それに思ったよりも肩が細く、鍛え上げられた固いがしなやかな筋肉だった。


「僕は、王女様の戦士だ」


 ザールはぶるぶると頭を振ると、一言そう言った。


 ……そうだ、僕は戦士だ。戦士はまずみんなのために戦わねばならない。ホルンを助けてこの国を建て直す、それ以上に名誉な戦いがあるか。僕はそんな立場にいられることをホルンに感謝すべきだ。


 ザールは、自分がホルンをどう思っているかについては、強いて考えないことにした。それ以上考えると、心のタガが外れそうで怖かったし、ホルンに対してどんな顔をしていいか分からなくなりそうだったからだ。



 宴はたけなわだった。ホルンは自分に向けられた里人のあけっぴろげな好意にくすぐったい思いがしていた。ドラゴニュート氏族と言われても、自分自身少しも自覚はないが、それでもここに集ったみんなの顔を見ていると、誰もがどこかで出会ったことがあるような感じがするのが不思議だった。


『ねーねー、ホルン』


 隣の席で大好物のお肉をお腹いっぱい食べてご満悦のコドランが、ふと気が付いたようにホルンに呼び掛けた。


「なあに、コドラン。あら、口の周りにソースがついたままじゃない。お行儀悪いわよ」


 ホルンはそう言うと、コドランの口の周りを拭いてやる。


「これでよし。で、なあに?」


 ホルンが訊くと、コドランはニコニコして言った。


『ホルンって、やっぱりザールさんと結婚するんだよね?』


 それを聞いて、ホルンは顔を耳まで赤くして慌てて訊き返した。


「だ、誰がそんなこと言ったの?」

『えっ? だって宿舎ってホルンたち二人の新居でしょ? ザールのお母さんがアムールさんに頼んだってことだし、もう『チギリノギ』も済んだはずだってアムールさんが言っていたし……ところで『チギリノギ』って何?』


 ホルンは両手で頬を押さえながら、真っ赤になった顔を何とか隠そうと努力した。頭もぼーっとしてきている。でも、


 ……『宿舎』があんな状態だったのは、やっぱり長が手を回していたのね。


 ホルンはまずそこを考えた。そして次に、


 ……ザールはそのことを知っていたのかしら?


 そう疑問が浮かび、そしてすぐに否定する。知っていたら、宿舎の前で不思議そうな顔をしたり、寝室を見て慌てたりはしないはずだ。むしろ今頃は私はザールのものになっていたかもしれない。

 そう考えているホルンに、コドランがしつこく聞いてくる。


『ねーねー、ホルン。『チギリノギ』ってなーに? どんなマビノギ?』


 『チギリノギ』? 聞いたことがない言葉だ。けれどそれが『契りの儀』のことかなと思い至った時、ホルンはさらに真っ赤になって、コドランにやっとのことで言った。


「ま、まだよ……それとコドラン、あんまりそんなことを大きな声で言わないでね?」

『どーしてー?』

「どうしてもよ! わかった?」


 ホルンが強面で言うと、コドランは顔をひくつかせながら答えた。


『う、うん』


 ホルンはザールの姿を探す。ザールはアムールのところで話をしている。二人とも相当に酒が回っているようだったが、表情は真剣だった。


 ホルンは立ち上がると、ゆっくりと外に出る。酒とその他の感情で火照った顔に夜風がとても気持ちいい。見上げると満天の星である。月が出ておらず、空気も澄んでいるのでかなり暗い星でもよく見える。

 ホルンは、サッと『アルベドの剣』を抜いてみた。刀身の反射率が高い『アルベドの剣』は、よくよく見ないと刀身がないように見える。しかし、この満天の星の下では、刀身が空の星々を映して『星屑の剣』のように見える。


「やあ、まるで『星屑の剣』ですね」


 そこにザールが出てきた。少し酔っているようだ。ホルンは『アルベドの剣』を鞘に納めつつ、少しザールと距離をとる。


 けれどザールはそんなことには気が付かない様子で、空を見上げてつぶやいた。


「小さいころ、僕は人ではない、そしてドラゴンにもなれない……そう思っていたんだ」


 ホルンは優しく笑って言う。


「ザールは人間よ。それは間違いないわ」

「そうかな? これでもホルンは僕を人間だと言う?」


 ザールは左腕を『竜の腕』にして訊く。青白い光を放つ腕には、固い青く透き通った鱗があり、指には長く鋭い爪が伸びている。しかしホルンはハッと気が付いた。この前、アヴァリティアたちを相手にした時には、『竜の腕』は肘までだった。今は肩の少し下まで『竜の腕』と化している。ザールはホルンの表情の変化に気が付いて、うなずいて言った。


「うん、僕はだんだんとドラゴンになっていくらしい。最初は左腕、そして右腕、そして、そして……最後は全部が……。その時僕は、自分自身が何者なのか分かるだろうか? そしてホルンのことを覚えているだろうか?」


 ザールの緋色の瞳が、悲しみに沈んでいた。ホルンはそっと『竜の腕』にふれて言う。


「でも、ザールは人間よ。ドラゴンになっても、ザールはザールよ」

「ホルン……」


 ザールは、自分を静かな瞳で見つめているホルンを抱きしめたかった。けれど腕が動かなかった。そんなザールの心情を知ってか知らずか、ホルンはことりとその頭をザールの胸につけてもたれかかる。そして、静かな声でつぶやいた。


「ザール、あなたはいいひとよ。この里はいい場所、そしてみんないい人ばかりね。私たちは幸せなのよ?」

「幸せ……?」


 ザールが低い声で訊く。ザールの胸の中でホルンがうなずいた。かぐわしい匂いがした。


「帰る場所があり、大事にしてくれる人がいて、守るべきものがある。それが『幸せ』よ。あなたたちに出会うまでは、私はどれ一つとして持っていなかったわ」


 ホルンはザールから離れて、再びザールの目を見ながら言った。


「そして今、私はそれを持っている。だから私は戦うし、戦えるの。ザールがドラゴンになってしまったとしても、私の中のザールに変わりはないわ」


 ザールは、ホルンの屈託ない笑顔につられて笑った。そのせいかは知らないが、『竜の腕』が元に戻る。ザールは左腕を振りながら、ホルンに言った。


「そう言えば忘れていました。王女様、長が言うには、僕たちも一度ローエン様に会っておいた方がいいとのことです。どうされますか?」


 ホルンはすぐに答えた。


「会いたいわ、明日にでも。ザール、警護をお願いね?」


   ★ ★ ★ ★ ★


 シュバルツドラゴンやヴァイスドラゴンの里は、特別な者しか入れない。


 なぜなら、シュバルツドラゴンはこの世の闇を支配し、すべての存在の秘密を守る存在であり、ヴァイスドラゴンはこの世の光を支配し、すべての認識の秘密を守る存在であるからだ。


 これらの『自然を超越した存在』の里が、ジーク・オーガの里やハイエルフの里と同じ場所に存在するのは不思議ではない。ジーク・オーガ、ハイエルフどちらもまた、自然を超越した存在であったからである。


 人間がもし、『自然を超越した存在』の所領に踏み込もうとするならば、その人間の存在や認識が、自然の摂理にひとかけらも反していないことが求められる。しかし、現実にはそのような人間は存在しない。だから、この里は完全な理想郷であり、神の世界に近い場所だったのだ。


 けれど、ホルンとザールは違っていた。それは彼女たちがドラゴニュート氏族の里に所縁がある者たちだったからだ。それでも、二人とも『シュバルツドラゴンの里』と『ヴァイスドラゴンの里』に出かける前には、入念に身を清めて心を清浄にすることを忘れなかった。


 『シュバルツドラゴンの里』は、ドラゴニュートバードから歩いて四半時(30分)程度だったが、実際には永遠に長く感じられた。深い森をぬって淡々と続く道に心が折れた時、『シュバルツドラゴンの里』ははるか遠くの存在となってしまうのだ。


 けれど、ホルンたちにはいい道連れがいた。コドランである。コドランはホルンたちの周りを楽しげに飛び回りながら、まだ見ぬ里に思いをはせて色々な話をしてくれた。


『ぼくは小さい時、人間に飼われていたんだけれど、それ以前にどこに住んでいたのかは思い出せないんだ。ぼくの最初の記憶は、倒れているお父さんの姿だから。でも、お母さんはきっと生きているって信じているよ。ひょっとしたら、この里にいるかもしれないね』

「そうだと良いわね。グリン様とはどこで会ったの?」


 グリンとは、シュバルツドラゴンの棟梁のことである。コドランはニコニコとして言う。


『棟梁とは、ぼくが人間の屋敷から逃げ出した後に出会ったんだ。その後、ぼくは棟梁たちと共にドラゴンの卵泥棒たちへのお仕置きに向かったんだ』

「じゃあ、私と出会ったときは、コドランは自由になったばかりの時だったのね?」


 ホルンが言う。コドランはうなずいた。


「それじゃあ、私と一緒に旅に出るより、棟梁と一緒にこの里に戻った方が良かったかもしれないわね。この里にお母さんがいらっしゃるなら、早く会えたのに」


 ホルンが言うと、コドランはぶるぶると頭を振る。


『ううん、ホルンと旅をする方が楽しかったと思うよ? お母さんにも楽しい土産話ができるしね』


 そんな話をしているうちに、ホルンたちはシュバルツドラゴンの里にたどり着いた。着いたことはすぐに分かった。空気が全く違うし、道は行き止まりになっていたのだ。そして、体長30メートルはあるシュバルツドラゴンが2匹、鋼鉄のような羽を畳んで行き止まりの道に座っていた。


『お前たちは誰だ? ここまで来ることができるのであれば、ただの人間ではないだろうが』


 門番のようなシュバルツドラゴンが、深い色を湛えた目を向けてくる。威圧感に満ちているが、威嚇しているわけではない。それはホルンたちにもすぐに分かった。


「私の名はホルン・ファランドールです。以前、グリン様にはお会いしたことがあります。今日はご挨拶に参りました。こちらの人物はザール・ジュエル、私の従弟で、トルクスタン候サーム様の息子です。そして……」


 ホルンは縮こまっているコドランに優しく笑いかけて、


「こちらのシュバルツドラゴンはコドラン。私の仲間です」


 そう紹介した。門番のシュバルツドラゴンは、三人をじっと見つめていたが、すぐに


『棟梁にお知らせするので、ここで待っていなさい』


 そう言うと、風を巻いて飛び立つ。一飛びで雲に届くほど高く飛翔した門番は、東の方に恐ろしいスピードで飛び去った。


「さすがはシュバルツドラゴンだな。雰囲気というか、威厳が違う」


 ザールが、先ほどから震えが止まらない左腕を気にしながら言う。『竜の腕』が発動しているのだろう。ただ、光は出ていない。

 やがて、先ほどの門番が戻ってくると、


『棟梁がお待ちかねだ。わが同胞もよく来たな』


 そう優しい声で言って翼を畳んだ。そのとたん、2匹のドラゴンの間にまっすぐな道が開いた。


「では、通らせてもらいます。ありがとう」


 ホルンは笑って2匹にお礼を言い、先へと進んだ。

 そこから先は、距離としてはかなりあったのかもしれないが、時間的にはすぐだった。2・3分も歩くと目の前に森が開け、巨大な世界樹がそびえているのが見える。その世界樹の根元に、2匹のシュバルツドラゴンが座っていた。1匹は体長は優に50メートルを超えている。棟梁のグリンだ。グリンはホルンを見ると懐かしそうに目を細めて語りかけてきた。


『しばらくだな、ドラゴニュート氏族の娘よ。そなたはそなたの秘密を知り、私に会いに来たと見える』


 そしてザールを見て目を細めて言う。


『そなたが『白髪の英傑』だな? ドラゴニュート氏族の息子よ。そなたには目覚めの時が近づいている。その件については、後で話そう』


 最後に、コドランを見て笑って言う。


『しばらくぶりだな、わが小さき同胞よ。そなたの母が待っている。話をすると良い』


 すると、グリンの隣にいる20メートルほどのドラゴンがコドランに話しかけた。


『大きくなったわね、()()()()()()()。心配していたのよ。でも、元気そうで何よりだわ』

『お母さん!』


 コドランは目をウルウルさせながら母ドラゴンにすっ飛んでいく。心温まる光景だったが、ホルンとザールは目を丸くして顔を見合わせていた。


「……()()()()()()()?」


 ザールがつぶやくと、ホルンも口をあんぐりと開けてつぶやく。


「コドランって、オンナノコだったの?」


 そんな二人に、グリンが語りかける。


『ドラゴニュート氏族の息子よ、そなたの話を先にしよう。そなたには時間が迫っているからな』


 それを聞いて、ザールは上に着ていたものをすべて脱いだ。たくましい体つきで、着やせするタイプのようだ。あちこちには刀槍によってつけられた傷や矢傷がある。ホルンはそれをちらっと見て顔を赤くして目をそらす。しかし、ザールの左腕はすでに肩までドラゴン化していた。


『ドラゴニュート氏族の息子よ、そなたはドラゴンの血に目覚めた。その力を使えば使うほど、そなたの存在はドラゴンとしての存在へと置き換わっていく。最終的にはドラゴンと化するだろう。それは私でも止められない。しかし、我が義兄たるローエンであれば、何とかできるかもしれぬ』

「そうですか」


 ザールはそう言うと服を着る。


『力になれずにすまんな。ドラゴニュート氏族の息子よ』


 グリンの言葉に、ザールは首を振る。


「まったく手段がないこともないと分かりました。それで十分です」


 グリンは痛ましそうにザールを見ていたが、やがてホルンを見て訊く。


『ドラゴニュート氏族の娘よ、そなたの運命はそなただけのものではなかったようだな?』


 ホルンはうなずいて言う。


「その運命は受け入れました。これまで運命を受け入れてきたように」


 グリンはうなずくと、右手を伸ばし、その人差し指をホルンの額、生え際に軽く突き刺した。


「うっ!」


 その途端、ホルンは灼熱の風にさらされたかのような熱さを感じて呻く。しかしそれは一瞬だった。グリンはすぐに腕を引っ込めて言う。


『ドラゴニュート氏族の娘よ、そなたには愛する息子と同様の力を与えよう。額と槍を見てみよ』


 ホルンは、恐る恐る生え際を触ってみる。そこには小さな鱗が生えていた。しっとりとした金属のような感触があった。さらに、『死の槍』を眺めてみる。この槍はホルンの養い親であり、元『王の牙』筆頭であったデューン・ファランドールの遺愛の品だ。長さは1・8メートル程度だが穂の長さは60センチもあり、その棟には『Memento Mori(死を忘れるな)』と金で象嵌されている。


『その槍の元の持ち主はエレメントが『火』であったはず。その象嵌は『火』のエレメントを持つ者が使ってこそ100%の力が出せる。しかしそなたのエレメントは『風』。それで、そなたのエレメントでもその槍の力を出し切れるように魔法をかけた。裏を見てみよ』


 ホルンは、『死の槍』の反対側を見た。そこには新たに、『Et in Arcadia ego(死はどこにでもある)』と、赤く文字が浮き出ていた。


「……ありがとうございます」


 ホルンは、『死の槍』が以前よりもしっくりと手になじむことに驚きと喜びを感じながら、そう言った。


『わしがしてやれることはこれくらいだ。あとはローエンのところに行くといい』



 ホルンたちは、グリンに送られてヴァイスドラゴンの里に向かうことになった。コドランは母と積もる話もあるだろうからと、シュバルツドラゴンの里に置いてきた。


 ヴァイスドラゴンの里は、シュバルツドラゴンの里に輪をかけて到達しがたい場所にある。森の中の一本道は果てしなく続くように見え、ともすれば足を止めたくなる。

 しかし、ここで足を止めればヴァイスドラゴンの里につくことはおろか、この森から死ぬまで出られなくなる。何しろここは『迷いの森』なのだ。『認識』を司るヴァイスドラゴンの里に相応しいトラップだった。二人はヴァイスドラゴンの里に着くことだけを念じつつ歩いた。


 やがて道が果てると、そこには2匹のヴァイスドラゴンの門番が待っていた。


『思ったよりも早く着いたな、ドラゴニュート氏族の息子たちよ』


 ヴァイスドラゴンの門番が言う。ザールはうなずいて言った。


「僕の名はザール・ジュエル。トルクスタン候サームの息子だ。こちらはファールス王国王女のホルン・ジュエル。ヴァイスドラゴンの棟梁であるローエン様にお目通りしたい」

『シュバルツドラゴンの棟梁から話は通っている。ここで少し待たれよ』


 門番はそう言うとふわりと空へ飛び立つ。そしてしばらくすると戻ってきて二人に告げた。


『棟梁は一人ずつ話がしたいそうだ。まずドラゴニュート氏族の娘に通っていただこう』


 門番がそう言うと、目の前に道が開く。ザールは何か言おうとしたが、ホルンが遮って言った。


「大丈夫よ、ザール。信じましょう? 行ってくるわね」


 ホルンはそう言うと、微笑みを浮かべたまま足を踏み出す。途端にホルンの姿と共に道が消えた。ザールは無言で目を閉じると、『糸杉の剣』を杖にしてその場に立ち尽くした。



 ホルンはゆっくりと歩を進めた。すぐ目の前には広場があり、そこには先ほどのものとは比べ物にならないほど幹回りが太い世界樹が枝を広げていて、その根元には体長100メートルはあろうかという巨大なヴァイスドラゴンが待っていた。


“よく来た。ドラゴニュート氏族の娘よ。我が名はローエン”


 ホルンは、心の中にそう呼びかけられて立ち止まる。ホルンの翠の瞳が、ローエンの翠の瞳と絡み合った瞬間、ホルンの頭の中で一斉に思い出が弾けた。


『あなたはホルンよ』


 目の前で優しく女性が笑っている。少し疲れた表情だが、この上なく幸せそうに見える。


『どれ、余にも姫の顔を見せてくれ』


 そう言う声とともに、精悍な男性がのぞき込んでくる。男性もこの上なく幸せそうに見えた。


 次に、困った表情のデューンが見えた。若い。まだ20代のようだ。


『困ったな、泣き止まない』


 デューンがつぶやくと、横から優しい声と共に柔らかい手が伸びてきて、ホルンを覗き込んでくる。


『あら、きっとお腹が空いているんですよ』


 そんな声とともに、アマルの顔が見えた。こちらも若い。アマルがデューンに訊いている。


『でもデューン様、この赤ちゃんは? まさかデューン様の隠し子?』

『王女様だ』

『えっ?』

『シャー・ローム陛下とウンディーネ王妃の忘れ形見、ホルン王女だ。お二人の最期に立ち会い、私はこの姫の将来を託された』


 次に、暖かい暖炉の前にいるデューンが見えた。デューンは鹿の皮を使って器用に何かを作っている。すると、不意にこちらを驚いたように見つめて


『アマル、姫様がしゃべったぞ!』


 そう言うと、アマルも嬉しそうにこちらを見つめてくる。


『デューン様、確かに“ママ”って聞こえました』


 そして、二人の幸せそうな顔がおぼろげになり、ホルンの最初の記憶とつながった。


『ホルン様は本当にやんちゃですね。でも、素質があるのかもしれませんね』


 アマルが微笑んでいる。アマルはいつも微笑んでいた。


『うん、早くサマルカンドにお連れしないといけないのだが、追手が厳しい。今はまだ、国の西側にいた方がよいな。姫様のためにも』


 デューンは遠くを見る目つきをした。


 ハッと気が付くと、ホルンは涙を流して突っ立っていた。ここまでは長いようで、一瞬のようだった。ローエンはホルンに優しく話しかける。


“ドラゴニュート氏族の娘よ。そなたは数奇な運命をたどったようだが、これから先の人生もまた、運命にもてあそばれるかのような場面が続くだろう”


 ホルンは、指で涙をぬぐって言う。


「人間って、そんなものなのではないかしら? 運命に抗って成功した人を見たことがありませんが」

“確かにそうだ。けれど、運命とは人生の選択肢に過ぎない。どの枝を選ぶかは、そなた次第だ。その前に、そなたの血はどのくらい目覚めているかを調べさせてもらう”


 ローエンがそう言うと、ホルンの身体に激痛が走った。立っていられないくらいの激しい痛みに、ホルンは声も出せずに地面に転がってあえぐ。


 ……何? 身体が熱い。溶けてしまうくらい熱い。


 ホルンは、目の前に転がった『死の槍』をつかもうと手を伸ばす。その右手は、クリスタルのような質感を持つ竜の手となっていた。


“もうよい。自分の姿を確認してみよ”


 ローエンがそう言うと、ホルンの前に水鏡が現れる。痛みが引いたホルンは、『死の槍』を支えにしてやっとのことで立ち上がった。


「これは!」


 ホルンは水鏡に映る自分の姿を見て、声を失った。

 ホルンは裸だった。しかし、その顔の右半分、首のすべて、右胸とお腹と腰のすべて、そして右足は、クリスタルの質感を持つ固い鱗に覆われたドラゴンとなっていた。ホルンは恐る恐る水鏡に近づき、自分の顔をしげしげと眺める。右目は澄んだ翠に染まり、その中に赤い虹彩が縦に開いている。そして背中には、きらめくドラゴンの翼が右翼のみ生えていた。その鱗は、動くたび光を吸い込んで黒く沈む。


“片翼の黒竜だな。そなたに関する予言だ。残りは『蒼き水竜、時を止めるとき名を露さん。古き都の側で/赤き土竜、大地を焼くとき名を露さん。白き砂漠の中で/片翼の黒竜、四翼の白竜に抱かれん。月の光の中で/四翼の白竜、事成り片翼の黒竜のもとを去らん。紫紺の瞳と共に』だ。ただ、本来の予言は水竜が持つ。また違った未来があるかもしれんな”


 ホルンはローエンの言葉を胸に刻みつけた。特に気になったのが、後半の2節だった。そのままの意味で取れば、自分はザールに抱かれ、そのザールは他の誰かと共に自分のもとを離れるという。でも、


 ……事が成った後、というのが救いといえば救いね。私もザールも生き残るということだもの。


 そう考えて少しほっとするホルンだった。そんなホルンを見透かしたかのように、ローエンが訊いてくる。


“片翼の黒竜よ、そなたは四翼の白竜を愛しているな?”


 その問いに、ホルンはまっすぐに向き合った。


「愛しているのでしょう。けれど、事が成るまでは私はホルンではありません、片翼の黒竜です」

“気持ちを伝えぬと後悔することになるかもしれないぞ?”


 ローエンの言葉に、ホルンは悲しげに笑って答えた。


「みんなを守りながら自分の想いを遂げられるほど、私は器用じゃありませんから」


 ローエンはそんなホルンをじっと見つめていたが、最後にこう言って笑った。


“片翼の黒竜よ、私はそなたに決して、後悔する道は歩ませぬぞ”



 ザールはゆっくりと目を開けた。すると目の前に先ほどのような道が開き、ローエンの声が頭の中に響いた。


“待たせたな、ドラゴニュート氏族の息子よ。片翼の黒竜は私がドラゴニュート氏族の里に送り届けておいた。わが近くに来るとよい”


 その声を聞くと、ザールは『糸杉の剣』を佩き直し、ゆっくりと歩を進めた。

 すぐ目の前には広場があり、そこには先ほどのものとは比べ物にならないほど幹回りが太い世界樹が枝を広げていて、その根元には体長100メートルはあろうかという巨大なヴァイスドラゴンが待っていた。


“よく来た。ドラゴニュート氏族の息子よ。まず、そなたはどのくらい血が目覚めているかを調べさせてもらう”


 ローエンのその言葉と同時に、ザールの左腕が光りだし、ものすごい風を呼んだ。それと共にザールの身体を耐えがたいほどの痛みが走る。

 しかし、ザールは歯を食いしばってそれに耐えた。身体中が燃え上がって蒸発しそうなくらい熱く感じる。実際、ザールの身体はあちこちが溶けているようだった。それでもザールは立ち続けていたし、うめき声一つ上げなかった。


“見事だ。四翼の白竜よ。そなたのドラゴンとなった姿を確かめてみるとよい”


 気が遠くなりそうな責め苦の中で、ザールはローエンの声を聞いた。するとその声と共に先ほどの痛みはすっかり引いた。


「?」


 ザールは、自分の前に現れた水鏡に映る姿を見て、不思議に感じた。これがドラゴンとなった自分なのか?

 ザールの身体は、右腕と右胸、そして顔の右半分を除いて、すべて透き通った青い鱗に覆われていた。そして背中からは、細長い四枚の翼が生えていた。


“何が腑に落ちない?”


 ローエンの問いに、ザールは首を振って答えた。


「いえ、僕はドラゴンになってしまったら、元の姿も記憶もすべてなくなるのかと思っていたものですから」

“そのような段階までそなたなら進むこともできる。そなたにはドラゴンの血が特に濃く流れているからな。片翼の黒竜と違うのはそこだ”


 ザールは首をかしげた。自分の母であるアンジェリカとホルンの母であるウンディーネ王妃は姉妹のはずだ。そして父であるサームとシャー・ローム陛下も実の兄弟だ。そこに差があるとは思えない。


“四翼の白竜よ、そなたの血はドラゴニュート氏族が伝えて来たドラゴンの血の流れがすべて入っている。動乱の時代が、そなたのような者を必要として奇跡を起こしたというべきだろう。その奇跡をすべて見るためには、そなたにはまだ時間が必要だ”

「……僕は、ドラゴンとなったら記憶を失うのでしょうか?」

“それほど記憶に拘泥するのは、片翼の黒竜を愛しているからか?”


 ザールは問いかけられて悟った。初めて会ったホルンは、激闘の後で気を失っていた。しかし、そのエレメントが放つ力は強力で、『魔力の揺らぎ』は神聖ですらあった。ザールはそんなホルンに手を触れていいものかどうか、随分と迷ったものだ。


 抱きかかえたホルンは、思ったより軽かった。銀の髪からはかぐわしい香りがした。翌日、目覚めたホルンの目を見た時、ザールは身体が熱くなった。これほど神聖で不可侵な存在は、命に代えても守り抜きたいとさえ思った。その思いが、今の今までずっとホルンへの憧れとしてつながっている。ローエンはザールの心をずっと見ていた。


“四翼の白竜よ、これが真実のそなたの姿だ”


 ローエンの声とともに、ザールの頭の中に一つのイメージが浮かぶ。それは、巨大なドラゴンだった。目の前にいるローエンと同等の、四枚の羽根を持つドラゴンだった。そのドラゴンは、すさまじい乱戦の中、恐ろしいまでの力を発揮していた。


 鋼鉄のような青い鱗は、ドラゴンが動くたびに白く輝く。四枚の羽根で巻き起こす竜巻は、人間の一個軍団を簡単に吹き飛ばした。そして、『怒りの咆哮』は、あらゆるものを破壊する。それでも、そのドラゴンが考えていることは、ただ一つだった。


『ホルン、僕は、あなたを守るためにここにいる!』


 その声に、小さな片翼の黒竜が答えた。


『ザール。ドラゴンになっても、私にとってザールはザールだからね』


 ローエンは、震えるザールの心を感じ取り、優しく言う。


“そなたと片翼の黒竜は、もっと平和な時代に産まれれば、きっと仲睦まじい恋人として暮らしていけただろうな”


 ザールは笑って言った。


「それは何度思ったか知れない。けれど、ローエン様がそうおっしゃってくれただけで、僕は本望です。幸せな時代であれば、僕とホルンは一緒になれた……その『もしも』がある限り、僕は前に進めそうです」


 ローエンは深い色をしたその目を細めて訊く。


“そなたの個人的な願望のために、そなたは何を差し出せる?”


 ザールは即答した。


「天下の平安のためにはこの命を、ホルンを得るためなら片目を」


 ローエンは莞爾として笑った。


“その誓約、私が見届けよう”


   ★ ★ ★ ★ ★


「う、うーん……」


 朝の光が窓から差し込んでくる。鳥のさえずりもかすかに聞こえてくる。

 そのさえずりに誘われるように、ホルンは目覚めた。いつものサマルカンドの城とは違った窓の形で、自分がドラゴニュート氏族の里にある『宿舎』の寝室にいるのだと思い出した。


 昨日のことは、夢だったのだろうか。けれど、ヴァイスドラゴンの棟梁であるローエンの言葉は、まだ耳の奥に残っていた。


“私は、決してそなたに後悔させぬぞ”


 確か、ローエンはそう言ったはずである。それを思い出すと、窓の方を向いていたホルンは一つうなずいて仰向けになる。と、柔らかい布団の中で気づいたが、ホルンは裸であった。


 ……そ、そりゃあ、ドラゴン化したままここに送り届けられたのだとしたら、そうだろうけど、せめて着物は着せておいてほしかったな。


 ホルンは(なぜか)冷静にそう思うと、ゆっくりと布団から抜け出して、テーブルの上に折りたたまれていた服を急いで着込んだ。そしてそっと寝室のドアを開ける。ザールがまだ目覚めていないとすれば、居間で寝ているはずだ。しかも裸で……。ホルンはそう考えると、赤くなった頬を自分でピシャッと叩いた。


「今は、生きなきゃいけない人生を、精いっぱい生きるだけだわ。変なこと考えているヒマはないはずよ」


 そう言うと朝練をしに『死の槍』を持って『宿舎』の外へと出て行った。



 実は、ザールはすでに起きていた。そして、寝室には鍵がかかっていないことも知っていたし、ホルンの洋服がすべて寝室のテーブルの上に畳んで置かれていることも知っていた。

 そればかりではない、実はザールはホルンが一糸まとわぬ姿でいることを想像した時、自制のタガが外れかけてふらふらとホルンのベッドに近寄ってさえいたのである。しかし、ホルンの安らかな寝顔を見た瞬間、ザールに理性が戻って来た。


 何も考えずに眠るホルンの顔は、清浄で神聖だった。ホルンは、ひとたび目覚めたらゆっくりと安息に浸ることがない性格だった。ザールはそんなホルンの日常を知っているだけに、自分のよこしまな行いでホルンの清純を汚し、安息を妨げることを恐れたのだ。


 ……僕は、なんてことを考えたんだ。ホルンをどうにかしようなんて考えたってことだけで、自分を許せない。


 ザールはそう自分を責めつつ、庭で『糸杉の剣』を振り続けていたのである。


「あら、おはようザール」


 そこに、『死の槍』を持ってホルンが顔を出す。ザールはその声に振り向いて挨拶を返す。


「あ、おはようございます。王女様はよく眠られましたか?」

「ええ、昨日はいい話も聞けたし、グリン様やローエン様と話ができてよかったわ」


 ホルンがそう言って、手ぬぐいをザールに渡す。ザールは受け取ると、それで満面の汗をぬぐった。


「ありがとうございます。それは良かったですね」


 ザールはそう言うと『糸杉の剣』を鞘に納め、代わりにホルンから受け取った手ぬぐいを端を握って立ち、目を閉じて息を整え始めた。


「?」


 ホルンは、ザールが何をしようとしているのか分からなかったが、ザールの身体に『魔力の揺らぎ』が満ちていくのを感じて、ザールの技を見届けることにした。 

 やがてザールの『魔力の揺らぎ』が満ちてくるのが、傍で見ているホルンにも分かった。そして、目を開いたザールは、目の前の細い木を手ぬぐいで斬った。


「!」


 ホルンは目を丸くした。ザールが持った手ぬぐいは、まるで短剣のようにバッサリと木を切断したのだ。ホルンは思わずザールの左腕を見た。今までは、『魔力の揺らぎ』が発現すると、ザールの左腕はザール本人の意思とは関係なしに『竜の腕』となっていたが、今日は違っていた。


「ザール、大丈夫?」


 ホルンが訊く。ザールはその意味を悟って、笑って言った。


「ええ、昨日、ローエン様からいただいた力のおかげでしょう。『竜の腕』が僕の言うことを聞いてくれるようになりました」


 そう言うと、ザールは手ぬぐいをホルンに返す。ホルンはそれを受け取ると、自分でも手ぬぐいに『魔力の揺らぎ』を込めてみた。


「やっ!」


 ホルンも目の前の木を斬り付けるが、手ぬぐいは木に巻き付いて、ザールのように斬ることはできなかった。


「……私じゃうまくできないわ」


 ホルンが肩をすくめながら言うと、ザールは何気なく


「ホルンなら、すぐにできるようになるさ」


 そう言う。その言葉に、ホルンは目を丸くして、そして顔を赤くしてうつむいた。


「それ、いいな……」


 ホルンが小さくつぶやく。ザールは聞き取れなかったので、もう一度聞き返した。


「え? なんて言いました?」


 するとホルンは、顔を上げてザールをしっかり見つめながら言い直した。


「『ホルン』って呼ばれ方もいいなって思ったの。私、ザールにはそう呼んでほしいな」

「え? で、でも王女様にそんな」


 慌てるザールに、ホルンは食い下がった。


「さっきは何気なく『ホルン』って呼んでくれたじゃない。命令よ、私のこと『王女様』とか『姫様』とかじゃなくて、『ホルン』って呼びなさい」


 ザールは、顔を真っ赤にして、それでも真剣に言うホルンを見て、薄く笑って言う。


「分かったよ、ホルン……実は、ずっとそう呼びたかったんだけれど、そう呼んでしまったら僕の気持ちが抑えられなくなりそうで怖かったんだ。ホルンの大業がこれから始まるっていうのに、そんな個人的な感情をさらけ出すのはいけないことだって……?」


 ザールは、ホルンが目に涙を浮かべているのを見て、言葉を切った。ホルンはゆっくりとザールの左手を取り、自分の頬に当てて言う。


「ありがとう、我慢させていたんだね? 私は幸せよ、こんなに大事にしてくれる人がいるって知ったから。でも、もう少し我慢してちょうだい。私も我慢するから。私たちの夢が実現するまでは、ね?」


 ザールは、ホルンの頬から左手を離すと、そのままホルンの右手を取って跪き、その甲にキスした。そして顔を上げると、真剣なまなざしで言う。


「ええ、そんなことは大したことではありません。僕は必ずホルンを守る。そして、このドラゴニュート氏族の里で聞かされていたようなこの国を取り戻すことを誓う」


 ホルンは、涙の残った眼をしながらも微笑み、


「ありがとう、最高のプレゼントだわ」


 そう言うと、跪くザールの額にキスを返した。



「王女様、ザール、ゆっくりしているか?」


 ホルンたちがこの『宿舎』で暮らし始めて一月が経ったある日、アムールが二人を訪ねて来た。


「長、わざわざおいでにならなくても、呼び出していただければ顔を出しましたのに。どうぞお入りください」


 突然の来訪に、ザールがびっくりして言う。


「突然来れば、そなたと王女様が仲良ししている場面に出会えるかと思ってな」


 アムールは片目をつぶっていたずらっぽく言う。ザールは苦笑する。


「あら、アムール様。突然のお越しは何事ですか?」


 居間からホルンが顔を出して訊いてくる。ホルンは戦袍を身に着けていた。それを見て、アムールは呆れたようにザールに言う。


「さてさて色気のないことじゃ。聞くところによると王女様は御年25。ふつうは子どもの一人や二人いてもおかしくないお年頃なのに。ザール、お前まだ王女様を口説いておらんのか? もう一月にもなるぞ」

「アムール様、物事には順番がございます。私は王女としてこの国を建て直すことを優先したいのです」


 ホルンが笑って言う。その屈託のない笑顔に、ホルンの固い決意を見たアムールは、居住まいを正して言った。


「ふふ、年寄りが要らぬお節介を焼いたようじゃ。王女様のお気持ちがそこまでなら、何も申し上げますまい。それにしてもザール、そなたは見事じゃ」


 そう言って哄笑するアムールだった。



「ザッハークは王女様の行方をあちこち捜し回っているようですな。サーム殿から連絡が来ました」


 居間に座ると、開口一番アムールがおかしそうに言う。


「さすがに国王でも、この里には手を出せないでしょうからね」


 ザールが言うと、アムールはうなずく。


「この里を敵に回すということは、すべてのオーガとエルフ、そしてドラゴンを敵に回すのと同様だからの。いかにザッハークが愚か者でも、そのようなことはすまいて」

「この里はいいところね。平和で、みんなが幸せに生きていて。ここにいると、王国のことを忘れてしまいそうで怖いわ」


 ホルンが言う。そんな平和に埋没しそうな毎日だからこそ、ホルンは戦袍を身に着けているのだろう。ザールだってそうだ。


「リディアやジュチも退屈しているみたいだね。僕に旅に出ないかって誘いが来ているよ」


 ザールが言うと、ホルンがびっくりして訊く。


「えっ、それ初耳よ? それでザールはどうするつもり?」


 ザールは言いにくそうに答える。


「ま、まあ、僕が旅に出れば、ホルンの居場所について王室の奴らを攪乱できるかなって思って……」


 案の定、ホルンはすねた。


「……約束しちゃったのね? 私に断りもなく。で、私はこの里でザールの帰りを待てばいいわけ?」


 そう言うと、黙ってしまったザールにとどめを差すようにニコリとする。


「行っていいわよ? 私はコドランと旅に出るから」


 それを聞いていたアムールは、大きな笑い声を上げる。


「わっはっはっ、若いことはいい事じゃ。平和の中に埋没できぬのが若さゆえの困りものかのう。何かが起こらぬかと毎日ワクワクしていたものじゃ、わしもそうじゃったよ」


 そしてアムールは言う。


「そんなに退屈ならば、一度サマルカンドに戻られてはいかがかな? 王女様の行方を捜す奴らへの対応は、わしらドラゴニュート氏族の里のものに任せていただいてな」


   ★ ★ ★ ★ ★


「長らくお世話になりました」


 一週間後、ホルンたちは旅支度を終えてアムールをはじめとした里人たちの見送りを受けていた。ホルンはこの里で暮らした一月ほどの間に、里人の誰からも好かれていたし、子どもたちからも人気者になっていた。


「なんの、困ったときや、ザッハークの手の者がしつこい時は、いつでもこの里においでなされ。みんな歓迎するじゃろう」


 アムールはそう言うと、ホルンだけに聞こえる声で囁いた。


「次おいでになる時は、お互い我慢などされない方が良いと思いますぞ? ローエン様がそうおっしゃっていたからのう」


 ホルンは顔を赤くして頷いた。


「そうします」

「さて、ホルン、出発しよう。ジュチたちがリディアの里で待っている」


 ザールの声にうなずいたホルンは、もう一度アムールと里人に


「ありがとうございました、アムール様。みんなもありがとう」


 そうあいさつすると、『死の槍』を高く掲げてドラゴニュート氏族の里を後にした。



『ホルン~!』


 里を出てしばらく歩いていると、コドランの声が後ろから追ってきた。ホルンとザールは立ち止まり後ろを見てみると、コドランが息せき切って飛んでくる。


「コドラン、あなたはお母さんのところでゆっくりすればいいのに」


 ホルンがそう言うと、やっと追いついて来たコドランは恨めしそうに言う。


『ひどいやホルン、ぼくに黙ってサマルカンドに帰ろうとするなんて』

「ごめんなさい。コドランはお母さんにやっと会えたんだから、少しは親子でゆっくりさせた方がいいと思ったのよ」


 ホルンが言い訳すると、コドランはぷんとすねて言う。


『ふーんだ! どーせホルンはぼくなんかよりザールさんの方がいいに決まってるんだ。ぼくがいるとザールさんとイチャコラできないから、ぼくを置いて行こうとしたんだ』


 ザールは笑って言う。


「そんなことはないよ、ブリュンヒルデさん。ホルンはブリュンヒルデさんに良かれと思って黙っていたんだよ」


 するとコドランは、恥ずかしそうに顔を手で隠して言う。


『いやん、その名前で呼ばないでよ。ぼくはコドランって名前が気に入ってるんだ』


 ザールはさらに苦笑した。ホルンとコドラン、呼ばれ方に拘るなんて似た者同士だなと思ったのだ。それをジト目で見て、ホルンが突っ込む。


「ザール、あなた、私とコドランのこと似た者同士って思ったでしょ?」

「え? いえ滅相もない」


 とぼけるザールに、ホルンはあくまで絡む。


「思ったでしょ?」

「ととととんでもない」

「思ったでしょ? しょ~じきに言いなさい」

「わわっ、くすぐらないでくれホルン」


 それを見て、コドランがニコニコしながら二人に訊いた。


『やっぱり、ホルンとザールさん、『チギリノギ』したんだね?』


 二人は真っ赤になって言う。


「まだよっ!」「何てこと言うんだ、マセガキドラゴン」


 そこに、聞きなれた爽やかなにやけ声が聞こえてくる。


「やあ、お二人さん、なんだか久しぶりに見るとキミたちがえらく仲良しになったように見えるよ……ぐはっ!」


 リディアの里の入り口で、ジュチがそう言って冷やかしてきた。するとジュチはリディアにタックルされて吹っ飛んだ。リディアはジュチに何か悪態をついて、それからザールたちに向かって手を振って言う。


「ザール、お久しぶり~。会いたかったよ~、元気だった?」


 ザールとホルンは顔を見合わせて笑うと、手を振って二人に応えた。


「さて、また日常に戻るってことか」


 ザールが言うと、リディアが身体を摺り寄せてきて言う。


「うん、アタシにとってはザールがいない日常なんて考えられないよ。今度の帰省でよく分かったよ」

「ボクも、あまりに退屈だとガールハントばかりしそうで怖かったよ。まさに小人閑居して不善をなすだね」


 ジュチが言うと、リディアは混ぜっ返す。


「アンタは閑居していなくても不善をなしているじゃん。今さら何をおっしゃいますことやら」

「ひどいな、こんなに高貴で麗しいハイエルフを、オンナノコが放っておくとでも?」


 ジュチはやや煩げな金髪を、形の良い指に絡ませながら、碧眼の流し目でリディアを見て言う。


「アタシは放り投げてやるけどね? いちいちウザいバカエルフだね」

「まあまあ、リディア。久しぶりに会ったんだからケンカはなしだよ?」


 ザールがいつも通り仲裁に入ると、リディアは態度を豹変させる。


「うん、アタシのザールがそうしろって言うなら、バカエルフとも仲良くしてあげないこともないよ?」


 ホルンは、そんなやり取りを聞きながら、心の底からホッとしていた。ザールの気持ちは嬉しいし、自分の気持ちも大事にしたいけれど、


「私には、今のこの関係が一番心地いいわ」


 そうつぶやいて、じゃれ合う三人を見つめていた。


   (16 戦士の休息 完)

最後までお読み頂き、ありがとうございます。

今回はちょっと『戦い』から離れた二人を書いてみました。

けれど、やはり二人はかりそめの平和には馴染めないようです。

次回は『17 憎悪の象徴』をお送りします。また来週をお楽しみに。

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