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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
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15 不在の鉄壁

サマルカンドでは、人間が目に見えぬものから突然全身を叩き潰される事件が頻発するようになっていた。そしてホルンに『七つの枝の聖騎士団』が襲い掛かる。果たして事件の真相と犯人を突き止めることができるのか。

 ファールス王国の首都イスファハーンでは、国王のザッハークが青い顔をしていた。異母兄である前国王を弑逆して王位を継いだ自分の地位を脅かす存在、前国王の娘であるホルン・ファランドールの暗殺が、再び失敗したという連絡が届いたからである。


「テラコッタ軍団と『砂漠の亡霊』たちを相手にして、どちらも打ち負かすなど、ホルンは恐るべき相手だ。ホルンを討ち取り、王国を盤石にするため『王の牙』だけでなくそなたたちの力も借りたい」


 ザッハークの御前会議は、軍事参与であるパラドキシアがそう発言し、そこに集まった8人の人物を頼もしげに眺めやった。ザッハークのもう一人の重臣で執政参与であるティラノスは、目を閉じて黙考している。


「テラコッタ軍団は壊滅したが、あれはアヴァリティアの配下に入ったばかりの新参者たち、『七つの枝の聖騎士団』の実力とは程遠い。私はそなたたちならば、ホルンを討ち取れると信じているぞ」


 『七つの枝の聖騎士団』は、一人が百万に匹敵すると謳われる魔導士8人からなる騎士団で、これまでに小アジア地方での『聖戦』でローマニア王国軍10万をこの8人で壊滅させ、その実力を見せつけていた騎士団である。その団長である『怒りのアイラ』が首を振って訊く。


「我らは大きな国難のためにパラドキシア様の負託を受けて結成された騎士団。そのホルンとやらは本当に前国王の血を引く王女なのですか? そして、私たちが出ねばならぬほどの敵なのでしょうか?」


 パラドキシアはうなずいて答える。


「ホルンはこの国の王室に伝わる神剣『アルベド』を所持している。そして、『白髪のザール』が彼女のシンパだ。相手にとって不足はないわよ?」


「ホルンが王女であろうとなかろうと、あたしの可愛い配下を蹴散らしてくれた奴だ。あたしはやるよ」


 『強欲のアヴァリティア』が静かな闘志を燃やして言う。


「まあ、『白髪のザール』が相手なら、一戦交えてもいいかな?」


 『色欲のルクリア』が下唇をなめながら言うと、


「私たちはどうでもいいよ~」


 と、『怠惰のピグリティア・アーケディア』姉妹がけだるげに言う。


「ふん、『白髪のザール』か……ま、アタシにかかればまだガキだろうけれどね?」


 『傲慢のスーペヴィア』が鼻を鳴らして言う。


「インヴィディア、グーラ、あなたたちはどうする?」


 『怒りのアイラ』が訊くと、『嫉妬のインヴィディア』と『貪食のグーラ』は、無言でうなずいた。


「それではパラドキシア様、私たち『七つの枝の聖騎士団』は、挙げてホルンを追討することといたします」


 『怒りのアイラ』は全員を代表して言う。パラドキシアはうなずくと、ザッハークを見た。


 ザッハークは、重々しい口調で『七つの枝の聖騎士団』」に命令を下す。


「汝ら『七つの枝の聖騎士団』よ、見事ホルンを討ち、その武威を天下に顕し、余に安寧をもたらせ」


「はっ!」


 『七つの枝の聖騎士団』の八人は、一斉に答えて畏まった。


   ★ ★ ★ ★ ★


 ファールス王国の異母弟、サーム・ジュエルは、国民から“東方の藩屏”と呼ばれている傑物である。その所領であるトルクスタン侯国は治安が行き届き、わけてもサームの居城がある都市サマルカンドは、ファールス王国の中でも交易などでにぎわう大都市であった。


 そのサマルカンドの城内には、前国王の忘れ形見であるホルン・ファランドールが住んでいる。そして、今、ホルンはザールほかの仲間たちとともに、自分の部屋で歓談していた。


「『竜の血』が目覚めた?」


 ザールは、ゆっくりと紅茶を楽しんでいるロザリアに問いかけた。


「うむ、ザール様の母上はもともとドラゴニュート氏族じゃろう? その血が目覚めたのじゃ」


 ロザリアは紅茶の香りを楽しみつつ言う。


「じゃ、アタシが小さい頃にザールのお母様から教わった呪文って……」


 リディアがお菓子をつまみながらロザリアに訊くと、ロザリアは紅茶を一口すすって


「おそらく、『竜の血の覚醒』を鎮める呪文じゃろう。子どもは感受性が強く、それだけ血の覚醒につながる刺激を強く感じるものじゃからな。それに……」


 ロザリアはティーカップを置き、ザールを見つめながら言う。


「自らの意思と条件付けがない覚醒は、暴走しやすいのじゃ」

「暴走……」


 リディアがつぶやく。ロザリアはうなずいて


「暴走すると厄介じゃぞ? いきなりドラゴン化したり、自らの意思とは裏腹に血が騒ぐままに暴れたりする場合もあると聞く」

「……けれど、ザールはドラゴン化もしていないし、暴走もしていない。自分の意思で『竜の腕』を使いこなしている感じがしたわ」


 ホルンは銀髪を揺らし、翠の瞳でザールを見つめて言い、


「私も、血が覚醒することがあるのかしら?」


 とつぶやく。ロザリアはそのつぶやきを耳にして、うなずくとホルンに言った。


「うむ、姫様もドラゴニュート氏族の血を享けているからのう。条件付けが整えば、その可能性はある」

「条件付け?」


 ホルンが首をかしげる。問いかけている顔だ。ロザリアは首を振って言った。


「私には、条件付けがどのようにして整うのかという部分は分からぬ。ザール様も恐らくはご自分で気づいていないはずじゃ」


 その言葉に、ザールもうなずいた。


「うん、僕もなぜ『竜の血』が覚醒したのかは分からない。ゴーレムに半殺しになったのがきっかけだとは思うけれど……」

「とにかく、覚醒時の状況を自分で整理してみることだね。そうすれば、キミが何によって覚醒し、何によって自分の力を制御しているのかが分かると思うよ?」


 ジュチが碧眼をザールに当てて言う。ザールはうなずいた。


「そうしてみよう。そうすれば、王女様の参考にもなるだろうし」


 ホルンは、そんなザールの横顔を見ながら、心が温かくなる感じを覚えていた。そう言えば、コドランは『ドラゴニュート氏族の血は呼び合うんだよ』と言っていたな……と、テーブルの隅っこに座ってお菓子を頬張っているコドランを見ながら微笑んだ。


『何、ホルン。ぼくの顔に何かついてる?』


 コドランがクッキーを食べかけて訊く。ホルンは首を振って微笑んで言った。


「別に何もないわよ。お菓子はおいしい?」

『うん、こんなおいしいお菓子は初めてだ。ぼくってホントに幸せだよ』


 コドランはそう言うと、再び食べることに夢中になった。

 ホルンは、そんなコドランを見ながら首をかしげて何かを考えていたが、ハッと思い当たったように言う。


「……そう言えば、私がサーム様から聞かされていた予言があったわ」

「予言? ホルン姫に関するものですか?」


 ジュチが目を細めて訊く。ホルンはうなずくと、予言を口にする。


 『34の太陽は、偽なる太陽に襲われる。7つの春秋過ぎた春/太陽が自ら隠れる日、太陽の黒竜が産み落とされる。母の血と共に/黒竜は、冠絶する勇士とその恋人に育てられる。聖女王の名を持ちて/恋人は法を黒竜に伝え、戦士は魂を黒竜に伝える。その命と引き換えに/黒竜は白竜と出会い、偽王を討ちて国を興す。その仲間と共に/黒竜と白竜もし出会わば、我が元を訪え。水の竜は子供に(以下、文字がかすれて判読できない)』


「……というものよ。これによれば、私は『白い竜』と言われる人物に出会うことになっているわね」


 そうつぶやくホルンにリディアが言う。


「ザールは『白髪のザール』と言われているから、その『白い竜』ってザールのことじゃないかな?」

「うむ、私もそう思う。それに、『黒い竜』は明らかに姫様のことじゃな。ということは、この予言の前半はもう成就しておることになる」


 ロザリアが言う。それをジュチが引き取って付け足す。


「だから、この予言者を見つけ出し、判読不明の後半に何が予言されていたかを知る必要があるね。ひょっとしたら、ホルン姫が行おうとされている王国の改革に関することかもしれないし」


 ホルンは、それを聞いてうなずく。


「そうね、私もそう思うわ。サマルカンド周辺の悪者や怪物討伐の際には、予言者のことを探すことにも気を留めておかなくちゃ」


 そこに、ザールの異母妹であるオリザ・サティバが息せき切って現れた。


「お兄様、大変よ!」

「どうしたオリザ? 何か事件か?」


 ザールが訊くと、オリザはホルンに一礼して部屋に入ってきて言う。


「城下で変な事件が起こったんです。そのことで城内警()の隊長が、ぜひお兄様の意見を伺いたいと言っています」

「分かった。わざわざ僕のところに来るのなら、よほど変わって事件が起こったに相違ない。行ってみよう」

「私も行くわ。ちょっと待っていて」


 ホルンが着物を着替えに部屋の奥に入った。


『あっ、ちょっと待ってよホルン。ぼくも行く』


 コドランが慌ててお菓子を放り出してホルンの後を追う。それを見て、ザールたちは顔を見合わせて苦笑した。


   ★ ★ ★ ★ ★


「あそこだな」


 ザールたちは、警邏隊長に連れられてサマルカンドの繁華街に出ていた。ホルンはリディアとロザリアが左右を固めて警護している。ザールは警邏隊長やジュチ、オリザと共に先行していた。


「どけどけ、ザール様のお越しだ」


 警邏隊長が、人だかりをかき分けながら言うと、人ごみが左右に分かれる。その向こうには警邏隊の垣根が見える。ザールたちはその垣根に近づいた。


「少し衝撃的です。ご注意ください」


 警邏隊長がザールにささやく。ザールはうなずいて垣根の中に入った。


「うっ!」

「これは……」


 ザールとジュチは同時に言った。ぷんと鼻につくのは血と臓物の匂いだ。そんなのには戦場で慣れているとはいっても、目の前の光景を理解するのには少し時間が必要だった。そこに転がっているものが何かを理解すると同時に、ザールはオリザに言う。


「オリザは見るんじゃない! オリザ、すまないが王女様にここに近づかないようにと伝えて、そのまま王女様の側についていてくれ」

「……酷いな、どうやったらこんなになるんだ?」


 ジュチはハンカチで鼻を覆いながら、鋭い光を碧眼に湛えて、『それ』を見ている。ザールも改めて『それ』を見てみた。


 血と臓物の中に、四本の手足がちょうど四葉のクローバーのように転がっている。真ん中にはぺしゃんこになった人間の身体が、ちょうど破れた風船のようになっている。

 立っているところを頭から、瞬時に物凄い力で叩き潰されたように、頭は首に、首は肩に、肩は胸に、胸は肋骨をひとまとめにしながら腹に、腹は腰にと順次にめり込んで行ったのだろう。その途中で臓器が飛び出て、こんな状態になっているとしか思えないありさまだった。

 気の弱いものが見たら一瞬で失神するだろうし、荒事で死体に慣れているはずの警邏隊の隊員たちの中にも、嘔吐を抑えきれないものがいたほどの惨状だった。


「……この状態になるのを目撃した人はいるのか?」


 ザールが訊くと、隊長は苦々しげに答える。


「いますが、何も聞き取れませんでした。被害者の妻ですが、目の前でいきなり夫がこんな姿になったので精神が持たなかったのでしょう」

「そうか……それは仕方ない」


 ザールはそう言ってジュチを見た。ジュチは目を細めていたが、薄く笑ってザールに言う。


「ロザリア嬢には目の毒だが、彼女にも視てもらったがいい。特殊な魔力が残っているからね」

「特殊な魔力?」


 ザールが訊くと、ジュチは


「うん、ボクの視立てが間違ってなければ、相手は『空間操作』か『重力操作』ができる奴だね」


 そう言うと、ロザリアに向かって手招きした。ロザリアはそれにうなずいて近寄ってくる。

 ザールはロザリアを迎えに行って、耳元でささやいた。


「ちょっと女性には刺激が強すぎるが、君の手助けが必要だとジュチが言っている。すまないが力を貸してくれ」


 ロザリアは表情を引き締めて答えた。


「ザール様のご依頼は、私にとっては命令と同義じゃ」


 しかし、ロザリアは『それ』を一目見た途端に失神した。


「おい、大丈夫か?」


 ザールは、自分にしなだれかかって来たロザリアを受け止めて言う。ロザリアは完全に失神しているのだろう、身体中の力が抜けている。ザールは仕方なくロザリアを抱きかかえると、ホルンの側までやって来た。


「ロザリアはどうしたの?」


 ホルンが訊くと、ザールは首を振って答える。


「現場検証中に失神しました。仕方ないとはいえ、彼女には刺激が強すぎたみたいです。少しここで休ませますから、様子を見ていてください」

「ロザリア、しっかりして!」

「ロザ、大丈夫?」


 リディアとオリザが心配そうにしている中、ザールはロザリアをベンチに寝かせると、現場に戻って行った。ザールの姿が人垣に隠れると、ホルンはロザリアの側にかがんで、笑って言った。


「ロザリア、ザールに抱き抱えられた感想はどう? ザールには内緒にしておくから」


 するとロザリアはパチリと目を開けると、イタズラっぽい笑いを浮かべて言う。


「姫様には敵わんのう。でも、あんなもの見せられたんだから、何かご褒美がないとな」


 リディアとオリザはそれを聞いてびっくりしたように言う。


「何、ロザリアわざと倒れたの?」

「ロザ、お兄様は私のものなのよ?」

「さてのう……二人には済まんが、気が遠くなったのは事実じゃぞ? しかし、ザール様の腕の中はなかなかの心地じゃったのう」


 そう言ってポッと頬を染めるロザリアだった。そんなロザリアに、リディアとオリザがかみつく。


「何だよ、ザールを心配させて。おまけにザールに抱き抱えてもらっちゃって」

「ホントよ! お兄様は私のものなのに」

「二人ともやってみたらどうじゃ? ザール様のことだから、リディアくらいまでは平気でお姫様抱っこしてくれると思うがの」


 それを聞いた二人は、思わず想像してしまったのだろう、ポ~っとした顔でつぶやく。


「お兄様……私をずっと抱きしめていて……」

「あ、アタシをお姫様抱っこ?……い、いいかも……」


 そんな三人の会話を笑って聞いていたホルンが、ロザリアに訊く。


「で、あなたの視立てはどうだったのかしら?」


 ロザリアは、まだポーッと夢想に浸っている二人を見て笑ったが、ホルンに真剣な顔を見せて答えた。


「うむ、あれは『重力操作』じゃな。『収斂術式』の最上位に位置する術式じゃ。恐らく、被害者の回りだけ一瞬にして重力を極大にしたのじゃろう。臓物も潰れていたし、血の飛び散り方が最小限じゃったからのう」

「あなたが知っている限りで、その術式を使える者は?」


 ホルンが訊くと、ロザリアは首を横に振った。


「思い当たらぬな」



 その時、繁華街に出店が立ち並ぶ一角から、キャーッという叫び声と、人が驚き騒ぐ声が聞こえた。


「何?」


 リディアがそう言った途端、ホルンが駆けだした。


「あっ、姫様!」


 慌ててリディアたちがそれを追いかける。どうも出店の一軒で何事か起こったようだ。ホルンは騒ぐ人たちをかき分けるようにして、その出店の中を覗き込んだ。


「うっ!」


 ホルンは顔を青ざめて立ち尽くした。そこには、ザールたちが最初に見たような光景が広がっていたのだ。さまざまな修羅場を潜っているホルンだからこそ、その光景にも耐えることができたのだろう。


「姫様、うわっ!」


 駆け付けたリディアも、その光景を見て凍り付く。そして、


「いったい何が起きたの? げっ!」


 オリザは、その光景を見た瞬間に卒倒した。はねっ返りで気が強いとはいえ、修羅場を経験したことのない16歳である。これは仕方なかった。


「……やれやれ、世話の焼けるオリザ殿じゃ」


 ロザリアはそう言うと、卒倒したオリザに近くの出店から毛布を借りて着せた。


「どうした!」


 ザールたちも駆け付けると、すぐに状況を悟ったジュチが、ロザリアと共に現場を検める。ザールはその間に気を失ったオリザを近くのベンチに横にならせた。


「リディア、悪いけれどオリザを見ていてくれ」

「うん、任せといて」


 リディアがそう答えると、ザールはすぐに真顔になって出店へと戻る。騒ぐ人々のうち、やっと一人の男に話を聞くことができた。


「俺があのオッサンに代金を払ったとき、急にオッサンが消えたと思ったら、ペチャンコになってたんだ」


 男はそれだけ言うと、後は何も思い出したくないと言った顔でザールから離れていった。


「急に、消えた?」


 ザールが男を見送りながらそうつぶやいた途端、


「がっ!」


 ザールに話をしてくれた男が、ただ一言そう叫ぶと、ザールの目の前で縦に潰れた。


「おい!」


 ザールは、夢を見ているような気がしたが、そう叫んで男のもとに駆け寄り、既に男が肉塊と化しているのを確認すると、サッと辺りを見回した。タイミング的に、自分たちを見ることができる場所にいなければできることではないと思ったのだ。

 しかし、何処を見ても、怪しい人物は見当たらなかった。


「くそっ! 誰がこんなことを」


 ザールは唇をかんでそうつぶやいた。



 結局、その日だけで20件を超える同様の事件が起こった。いずれも状況は同じで、いきなり人が潰れてペチャンコになるというものだった。その中には、屋内でベッドに横になっていた人物もいた。彼女の場合は、仰向けに寝ていたところをプレスされたように平らになっていた。


「ベッドは無事だったということは、その魔法は人体だけに作用するものらしいな」


 ジュチが言う。ロザリアもうなずいて


「だとすると、『空間操作』も含む術式かもしれないのう」


 そう言う。


「どういうこと?」


 ホルンが訊くと、ロザリアは飲みかけていた紅茶のカップを卓上に戻し、紅茶の上で形の良い白く細い指をさっさっと動かした。そして、カップの上で手を広げてそのまま上へと動かす。すると、


「すごい」


 思わずホルンが言った。ザールも目を丸くする。ロザリアの右手のすぐ下には、立方体状に切り取られた『紅茶のサイコロ』が宙に浮かんでいたのである。


「そう難しい術式ではないぞ? 『空間操作』はこのようにある空間を指定して、その空間だけに魔術を作用させるものじゃ。私は『重力操作』はできぬが、それができる者なら、人間だけペシャンコにしてベッドはそのままという芸当もそう難しいことではあるまい」


 そう言うと、ロザリアは形の良い唇を開いて『紅茶のサイコロ』を口に含んだ。


「ただ、『規定術式』を使う際には、対象になるものが目の前にないとできないという『術式上の規則』はあるけどね?」


 ジュチがそう言う。けれど、ザールが三人目の犠牲者を目撃した際には、怪しげな者は見つけることができなかった。

 その時、ホルンの部屋にオリザが入ってきて言った。


「お兄様、大変よ」

「今度は何が起こった?」


 ザールが言うと、オリザは驚くことを口にした。


「今起きている事件、犯人はリディだって町の噂になっているわ」

「何だって⁉」


 ザールが驚いて言う。オリザも憤慨した表情で


「町の人たちが言っていたのよ。『あれだけ人間を無残に叩き潰せるのは、オーガの仕業に違いない』って。『ザール様の友だちのオーガが暴れているのを見た』ってまことしやかに言う人もいたわ。リディは私の友だちでもあるのよ、失礼しちゃうわ」


 そう言う。


「……誰だい、そんなデタラメほざいてやがるのは? アタシがなぜザールが困るようなことをしなきゃいけないのさ」


 リディアも血相を変えている。今にもオーガである本性を現して、町に出ていきそうだ。そんなことになったら火に油を注ぐのと同じだと思ったザールは、リディアを止めた。


「待て、リディア。君にそんなことができるはずがないことは、ここにいるみんなが知っているし、そもそも最初の事件の時も君はオリザの側を離れなかったはずだ。君を何かの理由で煙たがっている誰かが、そんな罠を仕掛けているんだろう。ここは軽々しく動くんじゃない」

「だって」


 リディアは不服そうだ。リディアの属するジーク・オーガの一族は、『正義と公正』を旗印にしている。リディア自身もそのような教育を受け、竹を割ったような清々しく情に厚い気性だ。こんな無残な事件の犯人として濡れ衣を着せられることは不本意に違いない。

 ザールがさらにリディアをなだめようとした時、廊下が騒がしくなった。何者か大人数が部屋の外でひしめいている。ザールは、つかつかと入口に歩を進めた。そこには、城内を警備する警備隊の隊長が部下を連れて立っていた。


「何事だ。ここは王女様の部屋の前だぞ?」


 ザールが鋭く言うと、隊長は汗を垂らしながら言う。


「はっ! 失礼は承知のうえで、職務に当たっております。ザール様のご友人であるリディア・カルディナーレ様に連続殺人の嫌疑がかかっていますゆえ、彼女の身柄を司隷庁に引き渡したく、ここに参りました」


 それを聞いて、室内の全員が色めき立った。さすがに驚いたのか、オリザやホルンまでがここにやってきて言う。


「待って、リディは最初の事件の時も私の側にいたわ。彼女は無関係よ」

「リディアは誇り高きジーク・オーガの一族、そのような真似は致しません。私が保証しますから、その旨を司隷庁に伝えて、逮捕を見送ってください」

「し、しかし、複数の人間が、リディア殿の犯行を目撃したと申し出ておりますので」


 隊長の言葉を聞き、ザールは


 ーーこれは容易ならんぞ。相手が何者であるにせよ、そこまで準備万端整えているのであれば、こちらも出たとこ勝負では不覚を取る。こちらも対応を考えないとな。


 そう考えながら隊長に言った。


「そう言うことなら、僕が彼女に付き添って司隷庁に出頭するので、僕の保証で保釈という形は執れないか? リディアは彼女の部屋から一歩も出ないようにさせるという確約を与えよう」


 隊長は少し考えていたが、


「では、私からもそうなるように司隷庁に具申します」


 そう言った。ザールはニコリとしてリディアを振り返ると、憤懣やる方ないリディアに


「リディア、僕と一緒に来てくれ。司隷庁も納得してくれるはずだ」


 そう言うと、リディアは肩をすくめて答えた。


「やれやれ……ザールにそこまでされちゃ、こいつらをぶっ飛ばしてお父様のところに行くわけにはいかないわね。いいわ、アタシはザールを信じる」



 結局、司隷庁はザールの言葉に折れた。事件のすべてではないが、リディアにはアリバイが成立したので、『すべての事件が同一犯によるもの』と仮定した場合、リディアの犯行とするには無理があったためである。


特に、

「オーガが人を叩き潰すのを見た」


 という証言については、その時間帯にはリディアはザールやホルンと一緒にいたことが証明されたため、司隷庁も意見を押し通すことができなかった。

 それでも一応、ザールは司隷庁の顔を立てて、リディアにしばらくの間部屋から出ないようにすることで『保釈』を勝ち取った。


 その次の日、ザールたちは今後のことをホルンの部屋で話し合っていた。


「その証人は、誰かに偽証を強要されたか、誑し込まれたに違いない。その人物と話ができれば、ボクが真相をしゃべらせてあげるが」


 ジュチが言うが、ザールは首を振った。


「僕もそう考えて、昨日司隷庁に問い合わせたが、証人は全員、僕たちが城に帰るのと前後して殺されたそうだ。全員、肉塊になっていたということさ。そのことで司隷庁は犯人はリディアではないことをほぼ確信したようだ」

「不幸中の幸いと言ったところだね。でも、だれが何のためにやっているんだろう?」


 ジュチが首をかしげる。ホルンはコドランに訊いた。


「コドラン、昨日、私たちが現場を出かけた時、何か挙動がおかしいものを見かけなかった?」


 コドランはこどもとはいえ結構気が利くし物も知っている。今回もコドランは周りのことを上空からよく見ていた。


『う~ん、不審な人はいなかったけれど、おかしいものはあったよ』

「詳しく話して?」


 ホルンが頼むと、コドランは首を抱えるようにして


『うん、建物の窓が、一瞬鏡になったものがいくつかあったんだ。その時は単に景色が映り込んだんだろうって思ったけれど、今考えるとおかしいんだ。映るはずのないものが映っていたりしてさ』


 そう思い出しつつ言う。ホルンはザールたちを見てうなずくと、さらに尋ねた。


「どんなものが映っていたの?」

『えーと、ぼくもちらっと見ただけだから自信はないんだけれど、たくさんの槍が見えた気がしたんだ。そんなもの、一本も広場にはなかったのに』


 コドランがそう言うと、ジュチとロザリアが同時にコドランを誉める。


「なかなか気が利くドラゴンくんだね。さすがにホルン姫の相棒って言ったところかな」

「よう思い出してくれたの。おかげで謎の一つは解けそうじゃぞ。愛いヤツじゃ」


 照れるコドランを見ながら、ロザリアはニヤリと笑って言った。


「そうか、『転移術式』も複合させていたか。ならば、相手がいるところを推察するのは容易いの」


 それにジュチが相槌を打つ。


「そうだね。そして場所さえ分かれば、相手の狙いも分かるかもしれない」


   ★ ★ ★ ★ ★


「アヴァリティア様、どうやらザールたちは『鏡面結界』に気付いた模様です。かなりの魔力を持つエルフと魔族の者が、この部屋を探しているようです」


 秀麗な顔を持つ魔法使いの男がそう言う。その顔の先には、顔に刀傷があるガタイの大きな男と、狐のような油断のない目つきをした美女がいた。


「どのくらいでここを見つけると思う? フラー」


 美女が魔法使いに訊く。フラーと呼ばれた魔法使いは正直に答えた。


「あいつらの魔力の程度なら、あと2日もすれば見つかると思います。次の部屋を作りますので、アヴァリティア様はグラディウス様と共にそちらにお移りください」

「この部屋の深度をほんの少し浅くしちゃって」


 アヴァリティアは簡単にそう言った。それを聞いてフラーは慌てて言う。


「とんでもない! あいつらはかなりの手練れです。そんなことをしたらすぐに見つかってしまいます」


 するとアヴァリティアは、ひとしきり哄笑して言った。


「ふふふ、フラーは不本意かもしれないが、わざと見つかってやるんだよ。ふん、ホルンの性格から言って、これだけ暴れれば否が応でも自分で私を倒しに出てくるだろうね。ここに引き込んで、その後はあんたとグラディウスの出番だよ」

「できれば、『白髪のザール』の首を挙げたいが」


 グラディウスという男が左右に吊った刀の鞘を叩きながら言う。アヴァリティアは含み笑いをしながらグラディウスに


「あと、ここにはジローとウンチージェが来るよ。ジローとフラーでここを探っているエルフと魔族の相手をしてやりな。ザールはグラディウスが仕留めればいい。ホルンの相手はウンチージェにさせようと思うよ」


 そう言ってまた笑う。


「オーガは来ないでしょうか?」


 フラーが心配げに言う。アヴァリティアは気分を害したように吐き捨てた。


「だから来られないように罠を仕掛けたんじゃないか。まったく、あのオーガだけは苦手だよ。私たちの戦闘力を全部ひっくるめてもあいつには敵わないからね。そんな奴は戦いに参加できないようにしておくのが一番さ」


 そして、さらにフラーに言いつけた。


「フラー、あいつらがここに入ってこようとした瞬間に、転移魔法を発動するんだ。さっき言ったようにあんたとジローとで魔族とエルフ、ホルンはウンチージェ、ザールはグラディウスだよ。カップリングを間違うんじゃないよ?」

「はい、分かっています。それでは少しこの部屋の深度を浅くします」


 アヴァリティアはそれを聞いてうなずいた。



 ジュチとロザリアは、コドランから詳しく聞き取った図面を持って、サマルカンドの繁華街を歩き回っていた。


「……この辺り、怪しいのう」


 最初の惨劇が起こったところまで来ると、ロザリアは漆黒の瞳を輝かせて目を細める。ジュチの碧眼にも鋭い光が宿っていた。


「うん、この感じは隠れ部屋だね。さっきよりははっきりと魔力を感じるね?」


 ロザリアが首をかしげる。


「さっきまではかすかに消えそうな程度しか感じられなかったものが、はっきり感じられるようになった……ということは、相手は深度を浅くしたということじゃな。何のためじゃろうか?」

「気付いてほしいから、深度を浅くしたんだろうね」


 ジュチが即座に答える。その答えに納得しないロザリアが重ねて言う。


「だから何のためにわざと見つかるようにしているかじゃ」


 ジュチは、『何を分かり切ったことを』という顔で答える。


()()()()、ボクたちを誘い込むためさ。『ボクたち』には恐らくザールとホルン姫も入っているだろうがね?」

「だからそこは『もちろん』ではないのか? まったく、あいも変わらず同じボケをかましおってからに」


 呆れたように言うロザリアに、ジュチは片頬で笑って言う。


「いやあ、『もろちん』っていう響きが妙に癖になってね。でも、ボクの今一番の問題は、気付かないふりをするかしないかだよね」


 それを聞くと、ロザリアも考え込む。


「ふむ、知らぬふりをすれば我らの力を見くびらせることができるし、奇襲をかけることもできるわけか。しかし、相手に不審を抱かせたり、場所を変えられたりするデメリットも伴っておるな」

「そこをボクも考えているんだ。あいつらの位置をつかんだことを確信させて帰っても、あいつらはこの位置を絶対に変えないと思うよ。狙いはザールかホルン姫だろうからね」


 そう言って考え込んでいるジュチに、ロザリアは笑って言った。


「相手が誘っているのじゃ。乗ってやったらどうかのう」



「……あいつら、帰りましたよ」


 フラーがホッとしたように言う。けれどアヴァリティアはくすくす笑って


「ふっふっ、こちらのことに気が付いてはいたさ。準備するためにいったんここを離れたんだよ。それでもアタシたちがここから逃げないと踏んだんだね。いい読みだよ」


 そうつぶやくと、フラーとグラディウスに言った。


「奴らはおっつけここにやってくる。ホルンやザールと一緒にね。その時が勝負だよ」


 一方、ジュチたちはいったん城に戻り、今後の作戦を立てることにした。


「繁華街の中央広場の一角に、犯人のアジトらしきものがありました。強力な『魔力の揺らぎ』を三つ感じましたが、それで全員とは限りませんね」


 ジュチがホルンたちに報告する。


「そいつらは、私たちが近づいた時、わざと深度を浅くして私たちに見つかるようにしおった。よほどの自信があると見えるの」


 ロザリアもそう言って注意を喚起する。

 ザールは、どちらにもうなずいて訊いた。


「こいつらとは話し合いの余地はあるまい。ここまでの凶行は、王女様をおびき出そうとしてのものだろうからな。それなりに腕の立つ者が揃っているはずだ。どうする?」


 ジュチが答えた。


「少なくとも、奴らの中には『重力操作』で人間を叩き潰すようなことを、平気で何回もできる奴がいることは確かだし、あの『魔力の揺らぎ』から見るとボクやザール並みの戦士がいることが分かる。奴らをこちらの世界に引きずり出して戦うと、一般の人たちに危害が及ぶかも知れない。けれど、あいつらの土俵で戦うとそれだけこちらは不利になる」


 ロザリアも言う。


「奴らは私たちを別々にして、互いに助け合えない状況にするじゃろうからのう。奴らのアジトは異次元にあることを考えると、少なくとも一人は、そんな『空間魔法』が使える者がいるということじゃからな。だから……」


 続きはジュチもともに言う。


「まずは、奴らのアジトを異次元から引きずり出して、こちらの亜空間に引き込んで戦うしかない」

「できるのか?」


 ザールが訊くと、ジュチは笑って言った。


「何を言っているんだい? キミの『竜の血』の力の出番だよ。奴らをアジトごと引きずり出すのはキミにしかできない」

「引きずり出した後、それぞれの亜空間に閉じ込めるのは、私がやろう」


 ロザリアが微笑んで言った。



「奴らが戻ってきました」


 アヴァリティアの『隠れ家』では、フラーがそう言って顔を青くした。けれど、アヴァリティアは落ち着いた声で言う。


「……遅かったねぇ。ま、おかげでこちらはジローとウンチージェが間に合ったから文句言う筋合いはないけれどね。フラー、奴ら全員が地上の結界に入ったら、『転移術式』を発動するんだよ」

「分かりました」


 フラーがつばを飲み込みながら言う。しかし、すぐに異変に悟った。


「おかしいです、アヴァリティア様。『隠れ家』の深度がどんどん浅くなっていきます!」

「どういうことだい? まだ奴らは結界に入っていないのかい?」


 アヴァリティアも少し慌て気味に訊く。フラーは歯を食いしばって『隠れ家』をもとの深度に持っていこうと魔力を集中するが、そのかいもないようだ。自分がいる空間が空間もろとも引き上げられるときに感じる、地面に押し付けられるような感覚を、そこにいる全員が感じ取ることができた。


「くそっ! このままじゃ地上に引きずり出されちまうよ」


 アヴァリティアの悔しげな声が響いた。



 少し前、地上ではジュチを先頭にザール、ホルン、リディア、ロザリアが繁華街の広場に集結していた。


「ここに奴らの結界がある。これから先は敵さんの領域だよ」


 ジュチが言うと、ザールは微笑んで訊く。


「どの辺に奴らのアジトがあるんだ?」


 ジュチは肩をすくめて笑って言った。


「適当に手を突っ込めば、つかめるんじゃないか? そんなに小さな空間でもないようだしね」


 ザールは苦笑して、結界の中に入った。これで、敵はこちらがここにいることを感知するだろう。全員が結界に入った瞬間、奴らは自分たちの『戦場』へと僕たちを運ぶに違いない。しかし……


「しかし、『戦場』を選ぶのは僕たちの方だ」


 ザールが闘志を秘めた静かな声でそう言うと、その左腕が青白い光を放ち始めた。そしてザールはその腕をザクリと地面に差し込んだ。途端に、地面にはザールを中心に四方八方に裂け目ができ、そこからどす黒い瘴気と共に赤黒い光が差し始める。


「これだ!」


 ザールは、手に触れた『隠れ家』を覆っている『魔力の揺らぎ』をしっかりとつかんだ。その時、地割れから漏れてくる赤黒い光が消え、ザールの放つ青白い光の柱の回りを瘴気が渦巻き始める。


「行くぞ」


 ザールは、左ひざをついた状態で左腕を徐々に引き上げ始める。それにつれて、ゴゴ、ゴゴ、と何かを引きずる音と共に地面が揺さぶられ始めた。地面は直径10メートルくらいの範囲が赤黒く光り始める。これが敵の結界範囲なのだろう。


「……みんな、私の近くに集まるのじゃ。下手をすると吹っ飛ばされるからの」


 ザールの様子を見ながら、ロザリアが三人に言う。三人の頷きと位置を確認すると、ロザリアも身長140センチ程度の少女の姿に変わった。ロザリアは、魔族の血が目覚めると12・3歳くらいの少女になる。

 ロザリアは、右手を挙げて目を閉じた。ロザリアの回りに紫色の霧が立ち込め、吹き上げる風に乗って渦を巻く。ロザリアの長い豊かな黒髪が、その風で吹き上げられる。


「もうすぐだ!」


 ザールは立ち上がっている。その『竜の腕』には、赤黒い光に包まれた球の一部がしっかりと握られている。ザールの左腕の光が強くなると、カキーンという鋭い金属音と共に地面を赤く染めていた光が消えた。『隠れ家』を地下につなぎとめていたアンカーを斬ったのだ。


「うおおおお!」


 ザールの雄たけびとともに、赤い光に包まれた5人の人影が地面へと湧いて出る。それを視認したロザリアは、


「待って居ったぞ!」


 ニヤリと笑うと天へと伸ばしていた右腕をサッと顔の前まで振り下ろし、さらにサッと右へと払った。すると、5人の人影それぞれの回りにザッと紫の毒薔薇が地面から立ち上がり、一人一人を呪縛する空間を創り上げる。


「ザール様、敵全員を捕縛しました」


 ロザリアが叫ぶと、


「ご苦労、ロザリア。そのまま逃がすなよ」


 ザールもそう言って笑い返し、左手に力を込める。


 ギャギャギャギャ……


 耳をつんざく音とともに、ザールは握っていた敵の『隠れ家』の残滓を握りつぶす。ザールの左腕の光はますます強くなり、渦巻いていた瘴気すらもそれで消滅した。



 アヴァリティアは茫然としていた。本来ならば自分の結界にザールたちが入り込んだ瞬間、『転移術式』で1対1の戦いができる空間を作り出し、そこでそれぞれがそれぞれの敵にとどめを刺す予定であった。そのための『異次元空間』だったのだ。しかし、ザールたちは自分の結界があることを予測し、自分たちを逆にザールたちの空間へと引きずり出した。『戦いの場を選ぶ』という第1ラウンドは、ザールたちの勝利だった。


 アヴァリティアたちが見ていると、どう見ても少女としか思えないような幼さが残る黒髪の娘が、ニヤリと凄艶ともいえる笑いを浮かべながら空間を転移させている。


 ーーこれは、アタシでもここまで複雑で精緻な異空間は編めない。あの娘、恐ろしく魔力が強くて能力が高いね。


 アヴァリティアが舌を巻いていると、


「そうですね。彼女の『11次元空間』を破るのは至難の業ですよ?」


 そう、目が覚めるほどの美青年が、やや煩げな金の前髪を形のいい人差し指でいじりながら声をかけてきた。


「ついでに忠告しておくが、そなたらの周りの『毒薔薇の牢獄』に触らないようにな。瘴気が出たり、肉が腐り崩れたりするじゃによって」


 少女がそう語りかけてくる。見かけによらず肉感的で、煽情的ですらある声だった。


「そなたがこの事件の主犯格か?」


 白髪で緋色の瞳をした精悍な青年が、アヴァリティアをみてそう訊いてきた。アヴァリティアはニコリと笑って答える。


「そうよ。アタシの名は『強欲のアヴァリティア』。『七つの枝の聖騎士団』よ。王の命により、ホルン・ファランドールを処断させてもらうわ」

「やっぱり王女様が狙いだったか。そのために僕の領民を意味もなく殺し、恐怖を味わわせたんだな」


 そう静かに言うザールの左腕が、また光り始める。アヴァリティアの右手がそろりと動いた。それを見たザールは、味方全員に向かって叫んだ。


「全員跳べ!」


 そして自身も跳躍する。その刹那、アヴァリティアの右手から魔弾が放たれた。いつの間にか、五人を呪縛していた毒薔薇が枯れている。


「ジロー、敵の『収斂術式』を破るのにいやに時間がかかったじゃないか」


 アヴァリティアが不機嫌な声で言う。ジローと呼ばれたピエロの扮装をした魔術師は、そのファンキーな見た目とは裏腹の湿った声で低く言った。


「これでも急いだ方です。あの娘の術式は恐ろしく複雑で、今まで見たことがないほど精緻でした。恐るべき相手です」


 そう言った途端、ジローはかき消すようにいなくなった。


「ジロー、ジロー、どこ行ったんだい?」


 アヴァリティアがそう叫ぶが、ジローの気配すらしない。いや、いないのはジローだけではない。フラーも、ウンチージェも、そしてグラディウスすらも姿が見えなくなっていた。


「くそっ、今度は五人をバラバラにするのかい? アタシたちが考えていた策を敵から取ってくれるなんてご親切にもほどがあるよ」


 そう悪態をついたアヴァリティアに、


「お仲間は私の仲間がお相手します。あなたはお望みのとおり、私が相手します」


 そう、『死の槍』を持ったホルンが現れて言った。


   ★ ★ ★ ★ ★


「アヴァリティア様! どこですか?」


 薄い紫の霧が流れている。地面は平らだが、大地ではないようだ。創られた空間——異次元の空間の中でも、これほど奥が深く、気味の悪い空間は初めてだ。

 フラーは、アヴァリティアを探しながら、心に湧き上がってくる恐れと戦っていた。彼自身は優秀な魔術師だが、このような命のやり取りをする場面には全く不向きだったのだ。彼は、アヴァリティアが命令することは確実に実行し、その善悪の判断は放棄していた。一言で言えば『頭のいい愚物』である。


「ひっ!」


 フラーは、目の前の霧の中から、あの不気味な美少女がニヤニヤとした薄気味悪い笑いを浮かべて現れただけで声をひっくり返らせた。


「何じゃ、これほどの美少女を見て、まるでお化けでも見たような声を上げよって。失礼な奴じゃのう……」


 そこまで言うと、ロザリアは薄く笑みを浮かべ、少し開いた唇から舌先をのぞかせて、下唇をペロッと舐める。その有様は少女とは思えぬほど妖艶だった。しかし、その後に続いて吐かれたセリフは、フラーでなくともぞっと背筋を凍らせるものだった。


「……そのような失礼な奴には、お仕置きが必要じゃな」


 そう言うと、ロザリアは左手をサッと挙げた。途端に、フラーの周りをあの毒薔薇が取り囲む。花びらに触れば瘴気を噴き出し、その棘には肉を腐らせる毒を持っている。この花の剣呑さを知っているフラーは、身を縮めて言う。


「た、助けてくれ。私はアヴァリティア様の言うとおりにしていただけだ」


 ロザリアはそんな悲鳴など聞こえないように、喜悦を浮かべたようなとろんとした目でフラーを見つめながら、下唇を人差し指ですっと撫でる。そのとたん、フラーの背後にある毒の棘が伸びて、何本も背中にめり込んだ。


「わぎゃっ!」


 フラーは、突然背後に熱いものを感じて叫んだ。そして思わず前のめりになる。毒棘が顔に刺さり、鼻腔には甘酸っぱい匂いが充満する。


 パチン


 ロザリアは右手の指を鳴らす。毒薔薇の牢獄は、囚人がのたうち回り、転げまわるのに十分な広さまで広がった。


「わわわっ! 目が、目がぁ!」


 フラーは毒棘で目をつぶされ、顔を手で覆って叫んだ。しかし、すぐに


「ぷふあっ! げえっ!」


 おびただしい鮮血を吐く。その顔は毒によって肉が崩れ、額や頬には骨がのぞいていた。


「ぐっ、……肺が、……胸が熱い」


 フラーが何かを叫ぶたびに、その口からは鮮血がほとばしり出る。やがて、動きは鈍くなり、呻く声も絶え絶えになった。その様を恍惚とした目で眺めていたロザリアは、不意に鋭い目に戻って言い放った。


「私の目をごまかそうなんて、そなたのように不実な罪人は、もっと痛いお仕置きが必要ね」


 ロザリアは右手をすっと水平に上げ、横たわるフラーを指さすと、その人差し指を軽く上へと差し上げると同時に手のひらを広げた。


「ぐげえっ!」


 フラーは、死にかけていたのではなかった。死んだふりをしてロザリアの目をごまかし、まだ余力があるうちに『毒薔薇の牢獄』が解除されるように謀ったのである。しかし、ロザリアの慧眼には敵わなかった。四肢を地面から生えて来た毒薔薇に絡みつかれ、そのあまりの痛さに悲鳴を上げた。身をよじらせると毒の棘はさらに深く刺さり、手足の肉を腐らせ、崩れさせていく。


「ぎゃーっ!」


 フラーは耳をつんざくような悲鳴を上げる。ロザリアは少し眉をひそめて皮肉な笑いを挙げて言う。


「あなたの声は聞き飽きたわ。あとは静かに寝てちょうだい」


 そして、広げていた手のひらを握りしめる。叫び声を上げるフラーの口の中に毒の棘が伸びて刺さり、フラーの喉は塞がれた。ごぼごぼと血泡を噴いて悶えるフラーを見て、ロザリアは人差し指を縦に小さく動かす。フラーの喉元がぱっくりと切開され、息ができるようになった。しかし、もはや声は出せない。


「さて、あなたが眠るまで、私はここにいてあげるわね。幸せな人ね、あなたって」


 ロザリアはそう可愛く言うと、既に死への蠕動を起こしぴくぴくとしているフラーを、とろんとした目で眺めながら腰を下ろした。


   ★ ★ ★ ★ ★


「くそう、今度はどこに飛ばしやがった!」


 薄い紫の霧の中で、アヴァリティアを見失ったピエロが悪態をついた。ジローという魔術師は、フラーよりは修羅場の経験も積んでいたので、このような事態になってもパニックにはならなかった。

 しかし、自らの魔力が通用しない次元空間に捕らわれた経験は今までなかった。そのため、最初は知っている限りの『爆散術式』をめったやたらに使って、この空間を破壊しようとしたが、ロザリアが編み上げた『11次元空間』はそんなことではびくともしかなかった。


「くそう、こいつの術式を解析しないとどうしようもないな」


 肩で息をしてジローが言うと、


「おやおや、そんなことに気付くのにどれだけ時間をかけているんですか? そんなことではこの空間からは永遠に出られないですよ?」


 爽やかな悪態が聞こえて、ジローは声がする方を見た。そこには、水も滴るような美男子が金の巻き毛も麗しく、少し開いた形の良い唇に形のいい人差し指を当てて、碧眼の流し目でこちらを見て腕を組んでいた。


「貴様、エルフだな?」


 ジローが言うと、ジュチは横顔の前に人差し指を立てて、横に振って言った。


「残念、ボクはこの世で最も高貴で麗しいハイエルフだ。キミはそんなイカレた扮装をしているが、珍しくもアクアロイドだね?」


 ジュチがそう言った途端、ジローは右手から水球を取り出してジュチへと投げつける。この水球に捕らわれた者は、絶対に外へは逃げられなくなるのだ。ジュチはひらりひらりと水球をかわしていたが、ジローの死角に入るかのように背後へと回り込んだ。


「もらった!」


 実はジローはその時を待っていた。ジローは右手で水球を投げつけると同時に、左手ですでに空中に漂っている水球を操り、ジュチにぶつけた。わざと死角を作ってジュチを誘ったのである。


「むっ?」


 ジュチは、自分にぶつかった水球が弾けもせず、離れもしないのを見て、この水球の凶悪さを見抜いた。しかも、いったん標的に引っ付いた水球は他の水球を引きつけるのか、いつの間にかジュチは顔を除いて水の球の中に閉じ込められてしまっていた。


「おやおや、なかなか面白い能力を持っているね」


 ニコニコとして言うジュチに、ジローは悪態をつきながらゆっくりと近づいてきた。その手には水球が握られている。


「うるせえ! 生っ白い顔をしたチャラ男め。俺がお前の顔をこの水球で塞ぐ前に、この世界からの脱出方法を教えろ!」


 ジュチははあっとため息をつくと、


「ムリムリ、この世界はボクの世界じゃないから、ボクは解除できないよ。まあ、仮に解除出来ても、してあげないけれどね」


 そう笑って言う。ジローはいきり立って喚いた。


「ふざけやがって! 二度とそんな口がきけないようにしてやる」


 そう言うとジローは、ジュチの顔を水球で塞ごうとした。


「待った待った!」


 ジュチが慌てて言うと、ジローはニヤリとして


「どうした? やっぱり命は惜しいか? この世界の術式を教える気になったか」


 そう言って笑う。けれどジュチは涼しい顔で言い放った。


「いや、ボクの麗しい顔を濡らすなんて無体なことをしたら、キミを許そうにも許せなくなるよって忠告するのを忘れていたんだ」

「ほざけ! くたばれこのクズエルフが!」


 ジローは怒りに顔を真っ赤にすると、ジュチの顔に水球を叩きつけた。これでこのクズエルフは完全に空気から遮断された。そのうち酸欠で悶え始めて、最後は死ぬだろう。

 ジローはジュチの最期を見ながら快哉を叫ぼうと待っていたが、ジュチは目を閉じたまま微動だにしない。すでに死んでいるのかとも思ったが、ジローがそう確信した瞬間に、ジュチは目を開けてジローを見つめたり、笑ったりする。まるでジローの心が読めるようだった。


「どうなっているんだ? 息をしなくても生きていられるバケモノかてめえは?」


 水球に閉じ込めてすでに1刻(約15分)経ったが、いつまでもぴんぴんしているジュチに、さすがに薄気味悪さを覚えたジローはそうつぶやく。それと同時に、あの爽やかな悪態が背後から聞こえた。


「バケモノとはご挨拶だね? キミからだけは言われたくなかったよ」


 ジローは背後を振り向いてびっくりした。そこには腕組みしたジュチがニコニコとして彼を見ていたのである。ジローは思わずとジュチに跳びかかろうとして、自分の身体がいつの間にか糸状のもので縛られていることに気付いた。


「きっ、貴様!」


 目を剥いているジローに、ジュチは物憂げに笑って言う。


「キミさ、わざと死角を作ってボクを誘い込んだろう?」


 ジローはびっくりした。このクズエルフはそこまで読んでいたのか。ジローの驚愕の表情にうなずいたジュチは、静かに右手を上げながら言う。


「あの時ボクが分身を作って、ボク自身は姿を消したのを見逃していたんだよ、キミは。まあ、キミには死角になっていたから仕方ないことだけれど」


 そして、声を失くしているジローの額のすぐ側に人差し指を持ってきて言う。


「キミは、ボクの忠告を無視したね? だからボクは約束どおりキミに仕返ししないといけないんだ。ボクの忠告を聞かなかったキミが悪いんだよ?」


 ジュチがパチンと指を鳴らすと、ジローの身体中にうごめく芋虫が見えた。芋虫たちは糸を出してジローの身体を自分たちごと繭で包み込んだ。


「キミを餌にするのは、ボクの大切な友だちだ。しっかりと栄養になってくれたまえ」


 ジュチは、巨大な繭の前でそう言って微笑んだ。


   ★ ★ ★ ★ ★


「くそう、何だこの霧は?」


 薄い紫の霧の中、やっと出番が来たウンチージェがつぶやいた。今まで名前だけで描写すらなかったウンチージェだが、残念ながら彼の詳しい描写をする暇はなかった。


「くそう、アヴァリティア様はどこにいるんだ。まったく鬱陶しい霧だな」


 ウンチージェはぶつぶつつぶやきながら、霧の中を進む。しばらく行くと、ウンチージェはふと足を止めた。霧の向こうから近づく足音が聞こえたのである。


 ウンチージェはあまり考えナシの男だった。そして彼は自分の強さに根拠のない自信を持っていた。迂闊にも彼は霧の先に聞こえる足音に向かって、大声でこう言ったのだ。


「我の名はウンチージェ。来れる者は敵か味方か? ザールならば降参しろ、俺には到底敵わぬぞ!」


 その言葉が、彼のこの世での最後の言葉となった。


「がっ!」


 ウンチージェは、突然霧を切り裂くようにして振り下ろされたトマホークに、ただ一撃で頭をぶち割られて倒れた。ゆっくりと霧の中から姿を現したリディアは、横たわるウンチージェに片頬で笑って皮肉を言った。


「……ホントにザールはキミには敵わないよ。キミの底なしのバカさ加減にはね?」


 ちなみに、仮にリディアとウンチージェが正々堂々の戦いを繰り広げたとしても、ウンチージェが秒殺される運命に変わりはなかった。彼はこの世界に飛ばされたとき、得物である半月刀と盾を失くしていたからである。


   ★ ★ ★ ★ ★


 紫の濃い霧が立ち込めていた。この空間は、他の空間と違うようだ。霧は静かに流れるが、その湿った流れは音をも吸い込み、静寂の世界を醸し出していた。


「……いるな、敵だ」


 霧の中をゆっくりと進んでいたグラディウスは、静かな霧の流れにかすかな揺らぎを見つけて、剣を抜きながらつぶやいた。彼の感覚は、彼のすぐ近くに存在する恐るべき『魔力の揺らぎ』を感じ取った。


「これほどの『魔力の揺らぎ』を持つ者としたら、ザールかホルンのどちらかに違いない」


 グラディウスは、気を抜けば身震いしそうになるほど強烈で、鮮烈な『魔力の揺らぎ』を放つ相手に向かって、ゆっくりと気を整えながら近づいていく。これほどの相手だ、自分の存在も気付かれているだろう……グラディウスは、そう考えて気を引き締める。


 一方、ザールの方はもっと早くからグラディウスの存在に気付いていた。しかし、


 ーーわざわざ近寄ってやるのも面倒だ。それより相手を呼び込もう。


 そう考えて、『竜の腕』から『魔力の揺らぎ』を放って待ち受けていたのだ。


「……思ったとおり、近づいているな。相手もかなりの腕だな」


 ザールは、猪突してこないグラディウスの判断を称賛するとともに、その力量を高く買った。ザールはゆっくりと『糸杉の剣』を抜いて身構える。霧さえなければ、二人の距離はほんの10ヤードも離れていないことが分かっただろう。


「!」


 ザールの左側に立ちはだかる霧の壁に、小さな渦ができた。と見る間にそこから剣が付きだされてくる。しかし、ザールはその攻撃を見切って右に避け、見えない敵に向かって鋭い左逆袈裟の斬撃を放つ。


「く」


 グラディウスは、自分の奇襲が難なくかわされたことに驚く間もなく、鋭い斬撃をすんでのところでかわした。恐ろしく速く、鋭い剣捌きだった。グラディウスは、この攻撃で相手が『白髪の英傑』ザールであることを確信した。グラディウスは前に跳びながら、剣を袈裟懸けに振り下ろす。


「むっ」


 ザールは、相手が間合いを急激に詰めて来たことを知ると、とっさに振り下ろされてきた剣を『糸杉の剣』で受け流した。ジャランっという金属音が鳴るとともに、火花が飛び散る。

 ザールは相手がさらに踏み込んでくることを見越し、後ろに跳びながら剣を振り下ろした。その剣先にかすかに手ごたえを感じる。


 グラディウスは、初めて自分の剣がザールに届くところまで来ていることを知り、さらに踏み込んで剣を突き出そうとしたが、目の前の霧が引き下がりながら渦を巻くのを見て、とっさの判断で踏みとどまった。しかし、ザールの剣先はグラディウスの右腕に浅く傷をつけた。


「さすが『白髪の英傑』」


 グラディウスは、思わずそう称賛の声を挙げる。ザールも緋色の瞳を持つ切れ長の目を細めながら言う。


「そなたもな」


 霧の中で互いの位置を知った二人は、共に相手にとどめを刺すべく跳躍した。


   ★ ★ ★ ★ ★


「ほう、アンタが『無双の女槍遣い』で通っているお姫様かい? 思ったよりはいい女じゃないか。もうザールとは仲良ししたかい?」


 アヴァリティアは、両手をゆっくりと挙げながらそんなセリフを口にする。ホルンはアヴァリティアの両手に『魔力の揺らぎ』がたまっているのを見て、いきなり飛び掛かりながら『死の槍』を水平に振り回した。


「おっと!」


 アヴァリティアは、『死の槍』の斬撃を避けながら、『魔力の揺らぎ』をホルンに叩きつける。しかし、ホルンもその程度の攻撃をまともに食らうほど鈍ってはいない。上に跳躍することで易々と避けた。


「はっ!」


 アヴァリティアは、続けざまに『魔力の揺らぎ』をホルンに叩きつける。ホルンは『死の槍』を回してそれを弾きながら、着地した瞬間に前方へと跳躍する。


「むっ!」


 アヴァリティアは、からくも避けたつもりの『死の槍』が、自分の右肩に薄く傷をつけたことに驚いた。ホルンの槍はアヴァリティアの予想を超えて素早く、鋭かった。


「……やるね、お嬢さん」


 アヴァリティアはそう言うと、右手をホルンに伸ばした。これは『重力操作』への前段階であるが、ホルンはそれと見破って、アヴァリティアの右手の軸線上に自らの身を晒さないように機動する。


「くそっ! 勘の良いお嬢さんだね」


 アヴァリティアはそう言うと、自らの身体を光らせた。ホルンはこの攻撃に見覚えがあった。


 ーー『時操魔法』? あいつも時を止められるのね。


 ホルンはそう思うと、自らの経験から自分の『想念』を止め、すべてを反射に任せることにする。


「それっ、これでも食らいな!」


 アヴァリティアは、特大の『魔力の揺らぎ』をホルンに叩きつける。『時操魔法』でホルンの動きを止めたと確信しているような振る舞いだった。


「甘いのよっ!」


 ホルンは迫りくる『魔力の揺らぎ』を『死の槍」で弾くと、そのまま前に跳んで『死の槍』をアヴァリティアの胸に叩き込んだ。


「ぐえっ?」


 アヴァリティアは、ホルンが動けることに仰天し、一瞬だけ動きを止めた。その一瞬のスキが、彼女に手痛い打撃を与えることになった。

 『死の槍』はアヴァリティアの腹に突き立った。一瞬遅れたとはいえ、アヴァリティアは、一撃での致命傷を受けることだけは免れたのだ。


「くっ!」


 アヴァリティアは、『死の槍』のけら首をつかむと、ぐいっとホルンを引き寄せて言った。


「アタシを倒しても、『七つの枝の聖騎士団』はアンタを狙い続けるよ」


 ホルンは、眉一つ動かさずに答えた。


「ザールの大切な領民を意味もなく殺戮したあなたを、私は許しません。わが主たる風よ、その清冽な力をもちて、この醜悪な魂を浄化し、この堕ちた存在に『Memento Mori(死を思い出さ)せよ!』


 ホルンの呪文とともに、『死の槍』の穂先には膨大な『風のエレメントの力』が集まった。ホルンはその力が十分にたまったところで、『死の槍』を思い切り上にはね上げた。鈍い音とともに、『死の槍』はアヴァリティアの胸から頭にかけてを真っ二つにした。


「うげえええ!」


 アヴァリティアは、断末魔の声を上げて宙を舞い、地面に叩きつけられた。


   ★ ★ ★ ★ ★


「くっ!」


 グラディウスは、そう呻いて片膝をついた。その右脇腹から血が滴っている。


 ーー『白髪のザール』、思ったよりも凄い戦士だ。


 グラディウスは、今までのやり取りでどちらもまだ『魔力の揺らぎ』を使っていないことに思い至って愕然とする。ザールの方も戦士としての勝負を望んでいるようだが、その力量はザールがはるかに勝っているようだった。


「うっ?」


 その時、紫色の霧が晴れてきた。霧のヴェールがなくなれば、当然ながら相手の視認は容易になる。戦士としての力量に自信を無くし、しかも手傷を負った今となっては、グラディウスは霧があった方がありがたかった。

 しかし、この霧はザールの仲間が展開したもので、そいつがコントロールしているらしい。ということは、アヴァリティア様を含めて自分以外のものがやられてしまったということなのか?——グラディウスはそう考えて剣を握り直した。


   ★ ★ ★ ★ ★


「終わったのう」


 倒れているアヴァリティアを横目に見ながら、ロザリアがホルンに近づいてきた。身長は160センチ程度に戻っている。『11次元空間』は解除したらしい。


「いやあ、なかなか面白かったよ」


 ジュチも笑いながら、晴れていく霧の中から姿を現した。


「アタシはちょっと詰まんなかったな」


 リディアが言う。身長は150センチ程度の“乙女形態”になっていた。


「みんな、大丈夫だったみたいね? ザールは?」


 ホルンが言うと、ジュチが右手の親指で肩越しに


「あそこで敵と遊んでいるみたいだよ?」


 という。三人が見てみると、ザールはグラディウスに剣を向け、降伏を勧めている最中だった。



「そなたが僕の領民を惨殺したのではないことは分かっている。そなたの主人がいなくなった現在、誰に対して忠誠を尽くすんだ? そなたの能力は惜しい。王女様のためにその力を使わないか?」


 ザールは、『糸杉の剣』をグラディウスに向けながら言う。グラディウスに傷を負わせたとはいえ、まだ致命傷には程遠い。闘志も失っていないようだ。けれど、ザールは霧の向こうにアヴァリティアが倒れているのを見た瞬間、グラディウスに対しての憎しみが薄れたのだ。


「……俺はアヴァリティア様から目をかけられ、可愛がっていただいた。そのアヴァリティア様が倒れた今になって、ホルンに忠誠を誓ったら他人から笑われるだろう。俺の望みはただ一つ、ザール、お前を倒すかお前から倒されるかだ」


 グラディウスは剣を執り直しながら言う。その時だった。


「誰が死んだって?」


 そう言いながら、アヴァリティアがゆらゆらと立ち上がった。腹から上はまだ二つに裂かれたままだが、その傷が少しずつ塞がっていくのが見える。


「?」


 ホルンたちは一斉に身構えた。『死の槍』を構えたホルンの前にリディアとジュチが進み出て、後ろではロザリアが魔力の発動準備にかかっている。それを見てアヴァリティアが笑って言う。


「はっはっ、今日のところは引き上げるよ。アタシも魔力を使いすぎたからね。ホルン、アンタの命は、遠からず必ずアタシが奪ってやるよ。グラディウス、引き上げだ!」


 アヴァリティアがそう言って両手を上げると、グラディウスの姿もろともその場から消えた。『転移術式』を使ったらしい。


「……まだ生きていたのね。抜かったわ」


 ホルンがつぶやくと、ロザリアは首を振って言う。


「いや、完璧に死んでおったぞ? 何かの拍子で魔力が復活したのじゃろう。『繰込術式』で自身が死亡したら相転移するように事前に魔法をかけていたのじゃろう。そこまで気が回らなかった私のミスじゃ」

「ま、とにかく相手の手のうちの一端は分かったし、何とか対策を考えておくよ」


 ジュチが能天気に言う。けれど、その瞳は決して笑ってはいなかった。


「結局、雑魚を三人討ち取っただけか……ザール、あいつらとまた戦う時が来たら、あの戦士はアタシが貰っていい?」


 リディアの言葉に、ザールは笑って答える。


「構わないが、本心を言うとあいつとは戦いたくないな」


 神妙なザールの顔を見て、リディアが優しい顔で言う。


「……ザールの性格からするとそうだろうね。だからアタシが戦うんだ。あいつが王女様の敵でなければ、アタシもそこまで言わないけれどね」


 その時、ホルンはハッと気が付いた。なぜ、敵がリディアを犯人に仕立て上げたかを。


 ……リディアは一生懸命なんだ。いつもザールのことを一番に考えて、ザールのためになることに関しては、自らの命なんか惜しくないと思っている。ジーク・オーガであるに加えて迷いのない性格だから、相手にとっては一番厄介だったのね。


「……とにかく、アヴァリティアはしばらく動けないと思うわ。その代わり、『七つの枝の聖騎士団』の誰かがまた来るかもしれないけれど。その時はまたよろしくお願いするわね、みんな」


 ホルンが笑顔で言うと、全員がそれに応えてうなずいた。


   (15 不在の鉄壁 完)

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次回は『16 戦士の休息』をお送りします。

お楽しみに。

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