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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
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13 王女の秘密

【これまでのあらすじと主な登場人物】

 ファールス王国では、25年前に時の国王シャー・ローム3世を、異母弟のザッハークが弑逆して王位を簒奪するという大事件が起こった。それ以来、王威が隅々に行き渡らず、辺境と呼ばれる地域では悪者や怪物が跋扈し、傭兵や用心棒などが治安維持や旅人の護衛などに活躍していた。

 そんな用心棒の一人に、養い親であった元『王の牙』筆頭デューン・ファランドールが残した『死の槍』と王家の者のみが扱えるという神剣『アルベド』を持つ、『無双の女槍遣い』ホルンがいた。

 ホルンは、流浪の旅の中、自分を探していたサームの息子ザールから、自分は前国王の娘であることを聞き、ザールの居城サマルカンドへと足を向けた。そして、ザッハークが放つ『王の牙』や『七つの枝の聖騎士団』などの刺客から命を狙われながらも、サマルカンドで巻き起こる様々な事件を解決する。

 ♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘であり、王国の現状に改革を志す。翠の瞳と銀の髪を持つ。25歳。

 ♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。12歳程度。

 ♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。ホルンとともに王国の改革を志す。白髪に緋色の瞳を持つ。22歳。

 ♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。20歳。

 ♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で“この世で最も高貴な一族”であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けているがチャラい。金髪碧眼の美青年。22歳。

 ♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。20歳。

 サマルカンド……ファールス王国の北東に位置するトルクスタン侯国の首都で、人口は約10万人の王国では大都市の部類に入る商業と貿易が盛んな都市である。

 現在は、国王ザッハークの異母弟であるサーム・ジュエルがここを拠点とし、王国の東方を守護している。

 サームの居城は、サマルカンドの中央にあった。豪族の拠点としては普通だが、王家の一族の屋敷としてみれば質素な部類と言えた。

 その内城の一角で、一人の女性がぼんやりと城の中庭を眺めている。窓から吹き込んでくる優しい風が、彼女の肩まで伸びたサラサラとした銀髪を揺らしている。翠の瞳は中庭の植栽を見るともなく見つめていた。


『ホルン、何しているの?』


 その女性に、体長60センチくらいのシュバルツドラゴンのこどもが声をかけた。ドラゴンであるから、人間にはその声は「グアッ」とか「グエッ」としか聞こえないが、彼女はドラゴンの言葉が分かるのか、その秀麗な顔に微笑みを浮かべて答えた。


「……あ、コドラン。別に何もしていないわ。このお城は平和だなあと思って退屈していたの」

『平和っていいことじゃない? そんなこと言ったら罰が当たるよ?』


 コドランと呼ばれた仔ドラゴンは、ホルンと呼ばれた女性の近くでふわふわと浮かびながら言う。そしてコドランはホルンを頭からつま先までサッと眺めて、感に堪えないように言う。


『はあ~、でもホルンってホントに美人だよね。そのドレスも似合っているし』


 ホルンは、頭に精密な彫刻が施された髪留めを付け、薄青色の金属的な光沢を放つシルクのドレスに、金糸を編み込まれたベルトを緩くはめていた。165センチという女性にしては長身の部類に入るホルンには、とてもよく似合っている。ホルンは、頬を染めながら、照れたように言う。


「あ、あんまり美人美人って言われると、なんか恥ずかしくなっちゃうわ。25になるこの歳までこんなドレスなんかとも縁がなかったから、何かしっくりこないのよね。やっぱり私には軍装が似合っているわ」


 そう言いつつ、部屋の壁にかけられた革製の胸当やチェインメイル、戦袍を眺めて言う。これらはドワーフの鍛冶職人が丹精込めて誂えてくれたものだった。

 ホルンは、つかつかと壁に近寄ると、そこに吊られている刃渡り60センチくらいの剣を剣帯ごと取り上げて腰に佩く。そして、隣に掛けられていた長さ1.8メートルほどの槍の鞘を払う。この槍は長さこそ一般の手槍ほどだが、穂先が60センチほどあった。その穂先の棟には『Memento Mori(死を忘れるな)』と金で象嵌してある。


 この槍は、ホルンの養い親であり、この国最高の戦士である『王の牙』筆頭であったデューン・ファランドールという戦士が使っていた『死の槍』であり、腰に佩いた剣は、この国の王家の者しか扱えないという神剣『アルベド』だった。


「日に一度は、この槍を握らないと落ち着かないのよね。身体が鈍っちゃうし」


 ホルンは、そう言いながら『死の槍』を振り回す。柄や穂先が見えないほどであり、風を切る音がヒュンヒュンと響く。そして、


「やっ!」


 裂帛の気合とともに、『死の槍』がまっすぐ突き出され、ぴたりと止まる。その穂先は窓から風に乗って入って来た柳の葉を寸分違わず葉脈に沿って刺し貫いていた。


『ホルン、稽古するのは構わないけれど、お転婆すぎるよ』


 コドランは両手で顔を覆って言う。ホルンは気づかなかったが、いつの間にかドレスの裾がまくれ上がり、最後の型を取った時には白い太ももの内側が見えていたのだ。

 ホルンはそれに気づくと頬を染めて元の姿勢に戻り、槍を鞘に納めながら言う。


「い、いいのよ。コドラン以外には誰も見ていないんだから」

『そうかなあ?』


 コドランが意味深に笑いながら、ドアの方を見た。その視線につられてホルンもドアの方を見る。そこには、この城の主たるサーム・ジュエルが笑って立っていた。


「!……これは御見苦しいところをお見せしました。どうぞ」


 ホルンが慌てて言うが、サームはその温顔を変えずに


「いえ、聞きしに勝るデューン・ファランドール直伝の槍の法、しかと見届けさせていただきましたぞ、王女様」


 そう言うと、ゆっくりと部屋に入って来た。


「ザール様のお加減はいかがですか?」


 ホルンは最初にそう訊いた。ザールはサームの息子であり、ホルンを探しに仲間と共に旅をしていた。ホルンと出会った後、共にサマルカンドに戻る途中、ホルンを狙ってきた『砂漠の亡霊』や『七つの枝の聖騎士団』の一派と戦い、負傷していたのである。


「ザールもリディア嬢も、もうすっかり回復しています。ご心配おかけしました」


 リディアとは、ザールの仲間のオーガである。彼女も『七つの枝の聖騎士団』の一派と戦って負傷していた。


「そうですか、よかった」


 安堵の表情を見せるホルンに、サームはうなずいて言う。


「王女様は今まで用心棒として各地を巡られてきたことと思います。また、幾度かの死線も潜られたことでしょう。それらの経験や知識は、この国を建て直すには何より大切なものです。それを愚息にもご教授いただければと思います」

「ザール様は『白髪の英傑』として領民や国民の信頼も厚く、何より命あるものに優しいという長所をお持ちです。それに戦いの場においてもいかなる戦士にも引けを取らぬほどの腕もお持ちです。私は王室の血を引くかもしれませんが、15の時から10年、用心棒として無頼の暮らしをしてきた女です。私に何ができるでしょうか?」


 ホルンは心からそう思っていた。ザールには確かに同族として心安らぐものを感じていたが、彼の志操や仲間たちとの絆を見ると、自分が奉られるよりザールの部将として戦う方が自分の分相応だと思うホルンだった。


「王女様、私はかねてから、この国の在り方に疑問を持ってきました。当初、ザッハークは兄上のやり方を踏襲し、兄の重臣たるボーゲンとトジョーも重用していました。『二君には仕えぬ』という二人に国のために力を振るってくれと説いたのも私です」


 サームは静かに話しだした。この部屋は人払いがしてあるのだろう、コドラン以外には誰の気配もしなかった。


「しかし、ザッハークが国全体のことを考えていたのも最初の4・5年でした。いつの間にか彼の左右にはティラノスとパラドキシアという佞臣が侍り、ボーゲンもトジョーも退けられました。彼らには我がトルクスタン侯国で力を振るってもらいましたが、そんな彼らも鬼籍に入ってはや5年が経ちます。今ではどうですか、ティラノスたちは国権を私し、それによって王威は落ち、今や辺境は見る影もない有様ではないですか」


 サームの目には憤りと哀しみが光っていた。ホルンはその時、アイニという町で出会ったリョーカ・ステープルという山賊を思い出した。ホルンは彼と共にヴォルフ退治をしたが、男気もあり腕の立つ男だった。今はアイニの町を守った功績で守備隊長として取り立てられて、山賊稼業から足を洗ったが、彼のような男が山賊をせざるを得ないような国の状況であることを哀しく思ったものだ。


 ホルンの頷きを見て、サームは優しい顔に戻って言う。


「王女様、私は王女様が各地を見て来られ、感じて来られたことを尊重いたします。そして、すぐに立っていただきたいとは申しません。ただ、この国の状況を建て直したい。王女様が立ち上がる際は、このジュエル家は挙げて王女様を支援いたします。それまで、心のご準備をお願いいたします」


 サームの言葉を目を閉じて聞いていたホルンは、目を開けて翠の瞳でサームを見つめて言う。サームの琥珀色の瞳は、しっかりとそんなホルンを見つめている。


「サーム様、私もこの国の現状に理不尽を感じています。けれど、この国を建て直すのは私でなく、ザール様が相応しいと思います。私はザール様のもとで力の限り戦いましょう。それではいけませんか?」

「……王女様、まずは王位継承の順位です。前の国王シャー・ローム陛下の王位は、まずその子どもが兄弟順に継ぎます。子どもが居なければ同母の兄弟とその子どもが、続いて異母兄弟が継ぐことになっています。つまりシャー・ローム陛下の跡を継ぐ順位は、王女様が1位、私が2位、そしてザールが3位でザッハークは4位に過ぎません」


 ホルンは笑って言った。


「でも、先ほども御見苦しいところをお見せしちゃったみたいに、私みたいな女が王女様って笑っちゃうわ。サーム様、順位としてはそうでも、その人が持つ威厳や高貴さみたいなものが必要なのではないかしら? その点ではザール様の方が私より上よ?」


 サームは微笑みを絶やさずに答えた。


「威厳や品位……そうですな。現時点ではそうかも知れません。しかし、ザールの供の者たちから聞く限りでは、王女様もなかなかの威厳とお聞きしております。それは立場が人を作るところもございましょうな。それに、王女様がこの国を救うのは、誰それの意思ではなく、天意と申すもののようです」

「天意……」


 そうつぶやくホルンに、サームは力強くうなずいて言った。


「はい、王女様は民の噂を聞かれたことがございますか?」

「民の噂?」

「はい、それこそザッハークが王女様を恐れ、亡き者にしようと画策する原因になったものです。民の噂では『遠からず、王位変革の日に産まれた姫が、古のホルン女王のように、伝説の英雄ザールのような者たちと共にこの国を救ってくれる』というものです。民が変革を求める声はこれほど大きいのです」


 サームの言葉を聞きながら、ホルンは自分の膝の上に置いた手を見る。白くて細く、しなやかで、けれどもあちこちに消せない傷が無数にある自分の手。この手であとどのくらいの修羅場を潜らなければならないのかと、暗然とした日もあった。

 けれど、みんなが平和に、楽しく暮らせるようになるためなら、私はその日までこの手を血で濡らすことも、幾多の血塗られた戦場を疾駆することも厭わない——そんな気がした。ホルンは顔を上げて


「これはザール様にも言ったことですが、それが私の運命なら、受け入れましょう。今まで私が幾多の運命を受け入れてきたように……サーム様、宜しくお願い致します」


 そう、笑顔とともに言った。サームは、ホルンのその姿に何とも言えない威厳を感じて、思わず頭を下げた。



「ねえザール、ザールは、アタシを助けてくれた時のこと、覚えてる?」


 サマルカンドの内城城壁の上で、白髪の青年に茶色の髪をしたオーガの女性がそう訊いた。ザールと呼ばれた青年は、白髪を風に揺らし、その緋色の瞳をした切れ長の目を細めて首を振る。


「いや、どんなことがあったのか教えてくれ、リディア。僕は君を助けようと思わず飛び出したところまでしか覚えていない。あの時、僕は左半身をあのゴーレムに潰されて、虫の息だったはずだけれど……」


 ホルンと出会ったザールたちは、ホルンを狙ってきた『七つの枝の聖騎士団』の一派と戦った。ザールはゴーレムから瀕死の重傷を受けたが、ザールの母方——サームの奥方であるアンジェリカ夫人——であるドラゴニュート氏族の血が覚醒し、『竜の腕』によってゴーレムを倒した。けれど、そのことはザール自身も覚えていなかったのだ。


「う、うん、アタシも、ザールが一瞬であのゴーレムを引き裂いたってことしか覚えていないんだ」


 すまなさそうに言うリディアに、金髪碧眼でハッとするほどの美貌を持つハイエルフが、やや煩げなその前髪を形の良い細い人差し指でいじりながら言う。


「まあ、いいじゃないか。ザールもリディアも無事だったし、ホルン姫様もつつがなくこの城にお入りいただいたし」

「終わりが良ければすべて良し……と言うからのう、くっくっ」


 黒髪を長く伸ばした女性が、その黒曜石のような瞳を持つ目を細めて含み笑いする。


「何だい、ロザリア? 含み笑いなんかして、ボクが何か可笑しいことを言ったかい?」


 ハイエルフが青い瞳で流し目をして黒髪の女性に訊く。ロザリアと呼ばれた黒髪の女性は、薄い唇をゆがめて笑って言う。


「ジュチ殿、私がこんな性格なのは分かっておるじゃろう? しかしそなたはちょっとした仕草が本当に無駄に色っぽいのう」


 ジュチと呼ばれたハイエルフは、片手で髪をかき上げて言う。


「おお、さすがはロザリア殿だ。この世で最も高貴な種族であるハイエルフの中のハイエルフとしては、常に他人に見られていることを意識していなければいけないからね。特に異性に対しては幻滅を与えてはいけないってのは、ボクの持論だよ」

「アンタはしゃべった途端に幻滅させるけれどね?」


 リディアが笑って言う。そのリディアにジュチが異議を唱えるのを横目に見ながら、ザールは物思いにふけっていた。


「どうしたのじゃ、ザール様」


 ロザリアがザールに訊く。ザールは微笑んで首を振りながら答えた。


「うん、あのゴーレムとの戦いの中で、僕に何が起こったのか知りたいんだ。思い出そうとしても思い出せないけれど、何か大切なものを見つけた気がしてね」

「ふむ……ザール様の気持ちは分かるが、ご自身で何も思い出せないのであれば仕方ないことではないかの? それよりは、姫様の今後を考えて差し上げることが建設的だと私は思うがのう」


 ロザリアがそう言うと、ザールも笑ってうなずいた。


「……まあ、確かにロザリアの言うとおりだね。そのうちに思い出すこともあるだろう」


 そんなザールの笑顔を見ながら、ロザリアは心の中でつぶやいた。


 ——あれは確かに『竜の腕』じゃった。ザール様のドラゴニュート氏族の血が目覚めたのじゃろう。しかし、サマルカンドにはそういうザール様を厭う勢力もおるようじゃ。ある程度までは、このことはご本人にも隠しておかねばなるまいのう。


「ところでザール、キミはホルン姫様のところに顔を出したかい?」


 どういういきさつかは知らないが、ジュチがリディアのトマホークを真剣白刃取りしながら言う。ザールはぷっと噴き出すと、笑って言った。


「そうだったね。心配されているだろうから、みんなで顔を出すか」



「みんな、よく来てくれたわね。さっ、入って」


 ザールたちがホルンの部屋を訪れると、ホルンは機嫌よく四人を迎え入れて訊く。


「ザール、リディアさん、身体の調子はどう?」

「はい、すっかり元通りですよ」

「アタシも、すっかり元気になりました」


 ザールとリディアが、どことなく落ち着かない様子で言う。よく見ればジュチとロザリアも、いつもと違ってそわそわしている。


「どうしたの? みんな落ち着かないみたいだけれど」


 ホルンが訊くと、一同を代表してジュチが答えた。


「それは、ホルン姫様があまりにお美しいからですよ。いやあ、軍装の姫様も魅力的でしたが、また違った魅力と色気がありますなぁ」


 ジュチが半分おどけて言うが、今回は誰も突っ込む者がない、かえってロザリアまでもがうっとりとした目でホルンを見て


「ほんに、美しいのう……私も虜になってしまいそうじゃ」


 などと言う始末である。

 ホルンは頬を染めて笑って言う。


「はい、ありがとうございます。誉めていただいて嬉しいわ。けれど、私はみんなにこれからのことを相談したいのよ」

「そうですね。これからどうやってこの国を建て直していくのか、遠大な目標ですけれど、すべてはこれから始まりますからね」


 ザールが緋色の目を細めて言う。そんなザールを優しい目で見て、ホルンは言った。


「私なりに考えてみました。私はまずこのトルクスタン侯国を、平和でみんなが楽しく暮らせる楽土にしたいと思います。そうすれば、心ある国民は私たちに続くでしょう。そのため、私はサマルカンド周辺の悪党やモンスター狩りを行いたいと思います」

「姫様、その目標は是とします。けれど、まずは王都に攻め込み悪政を敷いている輩を討ち取らねば、国民は安心せず、国も安定しません」


 ジュチが目を細めて言う。将来のことを見通そうとしているジュチの顔は、いつものチャラさは微塵もない真剣な顔つきになる。


「姫様、姫様の気持ちは分からんでもない。自分が立つせいで国民が戦乱に巻き込まれるのが嫌なのじゃろう? しかし、私たちがここで改革の旗を立てれば、姫様が好むと好まざるとに関わらず戦になる。それもトルクスタン侯国内でのな。私は、ザール様やリディアを信じて、軍事作成に打って出た方が良いように感じるがの」

「そうだよ。姫様が立てばアタシたちだけでなく、同じ気持ちを持った人たちがきっと合流してくるって」


 ロザリアやリディアもそう言う。しかし、ホルンは首を縦に振らなかった。


「まず、私たちのやりたいことや目指す未来を、形あるものとして皆さんに伝えることが、後々の力につながると信じています。仮に現国王が私を狙って来ても、私が正しいことをしておけば大っぴらに攻めることはできないでしょう」


 それを聞いたザールは、微笑んで言った。


「まず大義を明らかにするということですね。大義とは王女様に言わせれば『国民の安心と安全な生活』ということでしょうか……それをサマルカンドで体現しておいて、王室に大義を以て詰問する。方法としては堅実だと思います。ジュチはどう思う?」


 黙考していたジュチが口を開いた。


「戦略的な方法です。ボクは姫様のご意見に賛成します。まずこちらの正しさを明らかにし、そのうえで軍を起こせば、民は味方に付くでしょう。“ソノ直ナルハ迂ナルニ如カズ”と言いますからね」


 全員の意見がまとまったとみて、ホルンが微笑んで言う。


「ありがとう、皆さん。それでは第一弾として、私はサマルカンド周辺の掃討作戦を実施したいと思います。私と共に出陣してもらうのはリディアさんとジュチさんです」

「えっ、王女様ご自身で? それはいけません。作戦なら僕たちで遂行しますので、どうか王女様は城内においでください。それか、僕も出陣させてください」


 ザールが慌てて言う。しかしホルンは頑として首を縦に振らなかった。


「私はもともと用心棒を生業にしてきた女よ。今さら王女様と奉られて安全なところにいられるほど、しとやかな女じゃないわ」

「し、しかし、王女様に何かあったら」

「そのためにリディアさんとジュチさんに来てもらうのよ。それともザールは、リディアさんやジュチさんを信用できない?」


 そこまで言われたら、ザールとしても承服せざるを得ない。困っているザールにロザリアが助け舟を出した。


「ザール様は姫様の行動をやりやすくするため、城内から各地の情報を収集しておけばよいのじゃ。姫様の軍が危ないとなればすぐに助けに出られるようにのう。姫様が立てば、ザール様はそのような役回りが増えるじゃろう、今から役割分担して、二人の呼吸を合わせるようにすればよいと思うがの」

「そうしてちょうだい、ザール。頼んだわよ」


 ホルンがそう言い添えたので、ザールも不承不承


「分かりました」


 それだけ答えた。そんなザールに、ジュチがいつになく真面目な顔で言った。


「ザール、今度の作戦は戦うのが目的じゃない。もっと大きな目的があるんだ。その目的達成のためには『白髪の英傑』にはお休みしてもらわないといけない」



 サームは、ホルンから『サマルカンド周辺の掃討作戦』を聞いて、髭をなでながら微笑んだ。左右の将としてリディアとジュチを選んだところに、ホルンの人を見る目の確かさを感じていたし、ザールに彼を後衛として残すことを承諾させたことにも驚いていた。


「ふむ、ホルン王女ご自身が腕に覚えがある戦士なので、左右の翼を構成するために武勇並びないリディア殿を選び、全軍の要であり戦略的な行動を要求される中軍に智謀並びないジュチ殿を配する布陣は見事だ。それにしてもあの行き足のあるザールを後衛に同意させるとは、やはり生まれながらの威厳というものかな」


 そうつぶやくと、侍臣を振り返って命令した。


「今回の王女様の作戦には、余自身が支援部隊を率いて出る。ボオルチュとジェルメ、ムカリにも出陣の準備を申し付けておけ。それから、ザールを呼べ」


 やがて、部屋にザールがやって来た。


「ザール、王女様はなかなか賢いお方だな。まあ座れ」


 サームは、白髪の息子に椅子を勧めながら、そう話しかけた。


「そうですね。よく世の中のことをご存知だと思います」

「今回そなたは編成から外されたが、それについてはどうだ」


 サームが探るように訊くと、ザールは困ったように笑って答えた。


「まあ、王女様の軍が詭計に落ちないように、ここでしっかりと情報収集しておきます。危なければ、すぐに出られるようにもしておきます」


 それを聞いて、サームは少し考えていたが、ややあって


「ふむ……そこまでお考えだったとすると、王女様はなかなか隅に置けないのう。ザール、今回は父も後詰として出る。そなたはポロクルやスブタイ、チラウン、チンベを指揮して、この城をしっかりと固めよ。そなたの連れて来たロザリア殿もなかなかの知恵者のようだ。任せたぞ」


 そう命令した。ザールは命令を了解しながらも、


「父上、なぜ王女様はご自身で作戦を指揮されると言われるのでしょうか。王女様の武勇は『無双の女槍遣い』と言えばすでにこの国では知らぬものは少ないと思いますが」


 と聞く、サームは真面目な顔をして言った。


「そなたは個人的武勇と部隊指揮官としての技量は別物だということは知っておるな?」

「はい」


 そう答えるザールに、サームは優しく言う。


「ご自身の力量や将器を量られるのもいいことだ。余は、余の指揮下にいるボオルチュたちを除けば、そなたの友人たちの中で最も勇猛なのはリディア殿、智謀はジュチ殿だと思っている。ただし、部隊指揮官として最も相応しいのはそなただ。もう一人、後方を受け持つ参謀が居れば、そなた自身の軍を率いさせてもよいと思っている」


 そう言うと、続けて


「王女様もそのうちに気付かれると思うが、部隊指揮官と大将は、また違った力量が必要だ。そなたも大将たる器を身に着けるように精進しておけ」


 そうも言って笑った。


            ★ ★ ★ ★ ★


 1週間後、ホルンはジュチとリディアと共に300騎を引き連れて出陣した。それから半時(1時間)の間を開けて、サーム自身が歩兵1,500、騎兵500を率いて出陣した。ムカリが先陣、ボオルチュが第二陣、そしてサーム自身の中軍と続き、殿がジェルメの各将軍たちだった。サームは常にホルンの軍と接触を保つため、ひっきりなしに中軍から斥候を放っていた。


 サームがホルン軍の進路を見ていると、ホルンは最も隊商の交通が多い東側ではなく、その次に交易路が集中している北側へと進んでいる。


「ふむ、王女様は北側の山地を抜けて、ステップへと続く道を索敵攻撃されるらしい」


 サームは、幕僚として連れて来たクビライの意見を聞いた。クビライも同意見だった。


「東側にはアイニの町があり、そこにはティムール殿もいらっしゃいます。また、近ごろはリョーカ部隊がしっかりとキルギス方面への道を確保しています。そのことをご存知のようですね」

「うむ、王女ご自身がティムール殿やアイニの町のアルフ殿、リョーカ殿ともお知り合いのようであるからな。それに今回、王女様が騎馬隊を所望されたのは、ステップまでの道を安全にしたいとのお考えのようだな」


 刻々と送られてくる斥候の情報を眺めていると、ホルンはステップへの道のうち、最も近いが最も危険な東側の道を進んでいることが分かった。


「あの辺りにはゴブリンが棲み付いています。それに近ごろはヒュドラの出没も報告されています」


 クビライの言葉に、サームはうなずいて言った。


「うむ、王女様に伝令でお知らせしろ。それから我らの部隊の位置を王女様の部隊から3ケーブル(この世界で約560メートル)まで詰めろ」



 一方、ホルンの部隊は、リディアを先頭にホルン、ジュチの順で行軍していた。


「姫様、そろそろゴブリンの奴らが出てきてもよさそうな頃ですよ」


 中軍でホルンと轡を並べていたジュチがそう言う。ホルンがうなずいた時、前方から


「ホルン様、ゴブリンの部隊が前方に見えたとリディア様からの注進です」


 と、伝令が叫ぶ声が聞こえた。


「噂をすれば、ね。ジュチ、どうすればいい?」


 ホルンが訊くと、ジュチはその美しい顔に厳しい表情を浮かべて前を見ている。


「敵の数は約1千、左右に展開中です。弓兵はいないようです」


 伝令のそんな声が聞こえると、ジュチはニコリと笑ってホルンに言った。


「私が前に出て、弓で敵を押さえます。姫様はリディアとともに両翼から突っ込んでください。それで勝負は決しますから」


 そしてジュチは自分の部隊の指揮を執るために馬を後方へと駆けさせる。ホルンはリディアの部隊に伝令を放ち、自分の部隊の行軍速度を落とす。やがてジュチの部隊が速度を上げて、ホルンの部隊を追い抜いて行った。


「では、私の部隊は敵の左翼に回り込むわよ。続け」


 ホルンは『死の槍』を差し上げて、部隊を引き連れて右へと方向を変えた。


 ゴブリンの部隊では、隊長がニヤニヤと笑っていた。


「サームも頭が足らないな。わが精鋭にたかが2・300の騎兵を向けてくるとは。騎兵が突っ込んで来られないように槍で馬防陣を作れ。そのあとは包み込んで皆殺しだ」


 ゴブリンの部隊では、歩兵が槍衾を作り始めた。槍の長さは約3メートル。歩兵の陣列は前後左右50センチである。第3列の歩兵までは槍を前に突き出していたが、4・5列目は槍を上にしていた。ゴブリンたちは幅100メートルの戦列を敷いた。


「突っ込めっ!」


 ゴブリンの隊長が命令する。勇猛なゴブリン隊は隊列を組んだまま突っ込み、相手の陣形を突き破ってバラバラにする……はずだった。


「ぐえっ」

「おおっ」


 突撃する前方、約1ケーブル(約185メートル)に、ジュチの騎兵が左横を見せた縦隊で止まっている。そこからジュチの命令一下、100本の矢が飛んでくる。その矢は過たずにゴブリンたちに命中した。


「さて、そろそろボクの弓を披露しましょうか」


 ジュチはゆっくりと弓を引き絞ると、ひょうと放つ。その矢は5列のゴブリンを一度にくし刺しにして吹っ飛ばした。


「な、何だこの矢は? 相手にはとんでもない射手がいるぞ」


 ゴブリンの隊長が慌てだしたとき、左右からホルンとリディアの騎兵が突撃してきた。


「ぬるいぬるい。それくらいじゃジーク・オーガの突撃は止められないよ!」


 リディアは、本来の姿で馬に乗り、トマホークを頭の上で振り回していた。その姿を見ただけで、ゴブリンたちは逃げ崩れる。


「戦列歩兵が戦列を崩したら、ただの餌食よ」


 ホルンも『死の槍』を振り回しながら叫ぶ。ゴブリン隊は四分五裂になった。


「くそう、お前が大将か? 死ねっ!」


 ゴブリンの隊長がホルンに斬りかかって来たが、ホルンは難なく剣を弾き、隊長の胸に『死の槍』を叩き込んだ。


「隊長は討ち取ったわよ。私はホルン・ファランドール、武器を捨てて降伏するものは殺さないわ!」


 収拾がつかなくなりそうな阿鼻叫喚の中、ホルンの叫び声が響き渡った。それを聞いたゴブリンたちは三々五々、武器を捨てる。


「武器を捨てなさい! 死にたくなければ武器を捨てて地面に座りなさい!」


 リディアもそう叫んで馬を駆る。やがて、戦場はゴブリンの投降兵でうずまった。


「あなたたちにも家族はあるでしょう? 悪者に騙されて、旅人を襲ったりサーム様に抗ったりしても、こうやって捕らわれたら命の保証はないのよ? あなたたちのご家族はあなたたちが斬られたらどんなに嘆き悲しむかしら? ご家族の悲嘆を思いやって今回は見逃してあげるわ。けれど、またこうやって私に捕縛されるようなことがあれば、次の保証はしないわよ。分かったらお行きなさい」


 ホルンは、投降兵たちにそう言い聞かせると、全員をその場で釈放した。ゴブリンたちは死を覚悟していたが、ホルンの恩情が染みたのか、ホルンを振り返り振り返り去っていった。


「せっかく捕まえたのに、ただで逃がしちゃうなんてもったいないなあ」


 リディアがそう言うと、ホルンは笑って答えた。


「悪人をすべて成敗していたらきりがないわ。いいことも、悪いことも、誰かが言いだして始まるものよ。あの投降兵たちは、やり始めた者にただ従っただけ。元凶を叩いて見せしめにすることも必要だけれど、善悪どちらにも転ぶ者たちまで敵に回していたら、忙しくてしょうがなくなるわよ」


 ホルンの投降兵の処置は、すぐにサームに知らされた。


「ふむ、戦振りも見事だが、投降兵の処置はいいやり方だな。王女様の優しさも伝わるだろうし、無駄に敵もつくらない」

「ゴブリンの村にすぐ軍使を遣わしましょう。王女様の意向を伝えて、宣撫するのです。そうすれば、この街道は安全になります」


 クビライがそう意見を述べた。サームはうなずいて


「では、ジェルメを遣わそう」


そう言って、後軍のジェルメに命令を下した。



 こちらは、留守としてサマルカンドに残されたザールである。ザールは、父の言いつけどおり、宿将のポロクル、スブタイ、チラウン、チンベとともに各地の情報を集めるのに熱中していた。最初は渋々だったが、やってみると侯国の各地域がどういう状況なのか、兵要地誌がよく分かり、


 ……うん、これはロザリアの言うとおりだ。侯国のどこで何が採れ、何処にどれだけの人が住んでいて、何処が通れて何処が通れないのかがよく分かる。情報を集めることで、自分のいろんな判断がやりやすくなるし、その判断にも根拠ができる。


 と、今ではその効用が分かって病みつきになっているのだった。

 それとともに、ポロクルたちも、


「御曹司はさすがである。これまではとかくお歳が若いので、ものごとを深く考えないところが見受けられたが、しっかりした芯を持っていらっしゃることが分かった。あのご器量なら大殿の後継ぎとして信頼できる」


 と、ザールに対して賛辞を惜しまなかった。


「うむうむ、それでこそ私が見込んだお人じゃ。私と結婚するまでには、侯国の後継ぎとしての地位を確立していただかないと困るからのう」


 ロザリアは、そのような重臣たちの噂を集めてはザールが足りないと思われているものの洗い出しや臣下の日常の観察に忙しかった。


 ……ザール様は王道を行かれるお方じゃ。このような陰の仕事は、『闇』のエレメントを持つ私にこそふさわしいというものじゃ。


 そして、ロザリアは、ザールの最大の敵を見つけ出した。その名はエルザ・サティヴァと言い、自分と同じ魔族の血を持つ女であった。エルザはサームの妃アンジェリカの侍女だった女で、サームの子を産んで側室となった今でもアンジェリカにたいそう気に入られていた。そして、ザールに関する悪い予言をして一時ザールを『ドラゴニュート氏族の里』へと追いやったのも彼女だと分かった。


 ……ふん、私はザール様が一人っ子だと思っておったが、別に妾腹の妹がいたとはのう。この国では女とて継承権を持つから、ザール殿がいなくなればこの国はエルザのものという訳か……しかし、彼女だけでアンジェリカ様に不妊の魔術をかけたり、ザール様を追いやるような悪だくみを企んだりできるものかの?


 それからロザリアは、それとなく後宮にも目を光らせることにした。

 もちろん、単にザールの客としての身分であるため、自身で後宮に出入りできるものではない。それに、後宮には伝手もない。しかし、ロザリアは思い切った手を使った。ザールの異母妹であるオリザと接触したのである。


 オリザ・サティヴァは今年16歳。ロザリアからするとうらやましいほどの金色の豊かな髪と小麦色の肌、そしてペールブルーの瞳を持ち、性格はザールと同様に天真爛漫であった。エレメントも覚醒しているようで、どうやら『土』のようであった。ロザリアが調べたところによると、その性格にふさわしく後宮内でじっとしているような姫様ではなく、時にはサマルカンドの町にも出かけることがあるということだった。


 ……ということは、ザール様に会いにのこのこ後宮から出てくることもあり得るのう。いや、むしろザール様や宿将たちがいるところに顔を出しているのかもしれんの。しかし困った。私が勝手にザール様について行って良いような場所ではないし……。


 考えあぐねていたロザリアに、救いの手が差し伸べられた。差し伸べたのはザールその人であった。


「ああ、ロザリア。ちょうどよかった、君を探していたんだ」


 ロザリアが何とかしてザールの帷幕に加われないものかと考えながら中庭を歩いていると、あちらからやって来たザールが彼女を見つけて声をかけてきた。


「おお、ザール様。なんぞご用事でも?」


 ロザリアが言うと、ザールは笑顔のままで


「ちょっと君の意見を訊きたいことがある。一緒に帷幕に加わってくれないか」


 そう言った。ロザリアはキラリと目を輝かせて言う。


「ザール様のご依頼は、ロザリアにとって命令と同義。直ぐに参りますわ」


            ★ ★ ★ ★ ★


 サマルカンドから軍旅を経て300キロ、ホルンたちの軍はサームの軍と共にコクサライ湖畔まで進出していた。ここから先は砂漠を経てステップ地帯へと続く。

 サームは智将クビライと協議した結果、


「これ以上の進軍は益がない。今回の軍旅はここで終点とすべきだ」


 と、第1次討伐を終了するようにホルンに意見を出した。


「そうね、サマルカンドを出て3週間。ここらで一旦引き返した方がいいわね」


 ホルンは、クビライ、ボオルチュ、ムカリ、ジェルメを連れて自分の天幕に顔を出したサームに、笑顔とともにそう言った。


 サームの軍は、この討伐戦でホルンの力量を知った。一兵卒に至るまでホルンの武勇と優しさ、そして配下のジュチやリディアの力量をその目で見て、すっかり心服していた。これこそが、サームやジュチが望んだことだったのである。


「はい、今回の出撃での目的は達成しました。そうでしょう、サマルカンドの主よ?」


 ジュチはそう言うと、サームに話を振った。サームは苦笑する。


「ふふふ、ジュチ殿はさすがに頭の回りが早い。ハイエルフという種族がジュチ殿のような方が揃っている種族ならば、ハイエルフとは戦はしたくないものだ」

「ふふ、ボクは特別ここの出来が少し違う。それよりサマルカンドの主よ、本題に入ったらどうだ? ボクもリディアも、そなたの話を聞きたくてたまらない」


 ジュチは「ここ」と言いながら形のいい人差し指で自分の頭を差して、その指でそのまま天幕の中にしつらえた座席を指さした。サームは苦笑しながら、差された席に腰かける。ボオルチュたちは、そのままザールの背後に立った。


「ここまでで、王女様のご器量はよく分かりました。私だけでなく、配下の諸将も、兵士たちもそれは感じたことと思います」


 サームの言葉に、ボオルチュたちは同意の頷きを見せる。


「そこで、私は王女様に、私がすぐる日にある者から打ち明けられた秘密を打ち明けたいと思ってここに参りました」


 サームはそう言うと、戦袍の懐から一葉の分厚い手紙を取り出した。それをそのままホルンに渡す。ホルンは黙ったままそれを受け取り、表に書かれた文字を見てハッとした表情を見せた。


「サーム様、これはもしや……」


 ホルンは震える声でサームに言う。ホルンの手は震えている。


「はい、それは15年前、我が良き友であったデューン・ファランドールから来た手紙です。その手紙には、彼があの日、私の兄であり国王でもあったシャー・ローム陛下から、王女様と『アルベドの剣』を預かったこと、すぐにでもサマルカンドに来る予定であったが、『王の牙』たちの探索が厳しく、乳飲み子を抱えていたためやむなく一時、彼の許嫁であったエルフを頼って西方に逼塞していたことなどが書かれてあります」


 ホルンは、震える手で便箋を開いた。懐かしいデューンの筆跡だった。デューンの文字は右上がりで角ばった特徴的なもので、間違えようはない。

 食い入るようにして文面を見ているホルンの目から、とめどなく涙があふれてくる。文字の一つ一つが自分に語りかけてくるようで、文章の一つ一つに懐かしい日々が思い出されて、ホルンは叫びたい気持ちでたまらなかったのだ。


「私は、この手紙を受け取った時、すぐにでも彼を探し出し、亡きシャー・ローム陛下の仇を討ちたかった。しかし、彼を探しているうちにシュールがここを訪れて同じように王女様がこの世にいらっしゃるという秘密を明かして出ていきました。その後、デューンの噂も、一緒にいたはずの王女様の消息もぷっつり途絶え、今年になってティムール殿が『アルベドの剣を持つ不思議な女槍遣い』の情報を持ってくるまでは、正直、王女様がご存命とは思っておりませんでした」


 サームは静かにそう言い、ホルンを見つめて続けて言った。


「王女様、王女様にはザールと同じドラゴニュート氏族の血が流れています。しかし、その血はまだ目覚めてはいないようです。これはザールもそうですが、ドラゴニュート氏族の血を目覚めさせるためには、『血への自覚』と『条件付け』が必要になります」

「……『条件付け』?」


 ホルンが不思議そうに聞くと、サームも頭をかいて言う。


「いえ、これはわが室たるアンジェリカが申したことです。『ドラゴニュート氏族の血を目覚めさせるには自覚と条件付けが必要』と。詳しくは帰城したのちに、アンジェリカから説明させましょう」


 そして、驚くべきことを言った。


「王女様、実は、兄王の時に簒奪者が現れ、その時に王女様が生まれ、ホルンと名付けられ、そしてこの国を建て直す……このことは、既に予言されています」

「予言?」

「はい、デューンが王女様を連れてエルフのもとに行く途中、予言を受けています。その詳細は手紙の中に記されていますが、予言者については私が調べたところ、すでにその場所にはおりませんでした」


 ホルンは、手紙をめくってみた。そこには明らかに便箋とは違う紙に、デューンの文字ではない文字で、次のように書いてあった。


『34の太陽は、偽なる太陽に襲われる。7つの春秋過ぎた春/太陽が自ら隠れる日、太陽の黒竜が産み落とされる。母の血と共に/黒竜は、冠絶する勇士とその恋人に育てられる。聖女王の名を持ちて/恋人は法を黒竜に伝え、戦士は魂を黒竜に伝える。その命と引き換えに/黒竜は白竜と出会い、偽王を討ちて国を興す。その仲間と共に/黒竜と白竜もし出会わば、我が元を訪え。水の竜は子供に(以下、文字がかすれて判読できない)』


「34の太陽とは、シャー・ローム陛下が第34代国王だったことに符合する。そしてザッハークが簒奪したのがシャー・ローム殿下の治世7年目の春だ。聖女王とは神話にも出てくるホルン女王のこと……こうしてみると、王女様がこの世にあられることは決して偶然ではありません。あとは、白竜と仲間たちを得て、この水竜の子供を見つければよいのですが、残念ながらそれ以下の文章が読めませぬ」


 ホルンはやっと顔色が通常に戻っていた。そして、感慨深げに手紙をしげしげと眺めると封筒にしまってサームに返す。


「……人の運命とは、こんなに厳格に決まっているものなのかしら? 私が私であることがすでに誰かの言葉の中にあるなんて……でも、この後の予言が読めないということは、これからの未来はきっと決まっていないはずよ。その未来は私たちで切り開くものよ」


 ホルンがそう言うと、ジュチが笑って言う。


「まあ、偽王が討たれることは予言で書かれていますので、それは成就することとしましょうか」


 ホルンは首を振って言った。厳かな声だった。


「未来はまだ決まっていません。偽王を討てるかどうかは、皆の努力にかかっています。そう思って人力を尽くしましょう」


            ★ ★ ★ ★ ★


 サマルカンドの城壁の上で、三人の若者が話をしている。


「それで、レプティリアンをリディやジュッチーと一緒に殲滅したのね。さすがはお兄様ですわ」


 オリザは、ザールたちのホルン王女発見までの冒険談を聞いて、目を輝かしていた。もちろん、カンダハールで出会う以前の話は、ロザリアも初めて聞く話であった。


「うむ、ザール様のおかげで私も自分の力を信じることができるようになった。私にとっては命に代えても悔いのないお方じゃ」


 ロザリアがそう言うと、オリザはムッとした顔で訊いてくる。


「で? アンタはお兄様のためにどんなことをしてくれたって言うのかしら?」


 言葉の端々に、ロザリアへの対抗心が見え隠れしている。ロザリアは、


 ……ここにも厄介な奴がいたものじゃ。ザール様の回りには私も含めて普通の女子おなごはおらんと見える。


 そう考えて、心の中で苦笑した。


「オリザ、ロザリアも今まで凄く役に立ってくれたし、今でも役に立ってくれている。仲良くしてくれないと困るぞ」


 ザールが慌てて言うと、オリザはムスッとしたまま


「だってだって、ロザってばお兄様の恋人気取りなんだもん。そんなのリディだけでも厄介なのに、こんなヤンデレまでお兄様の側にいるのは気が気じゃないわよ」


 そう言う。ロザリアはポツリと言った。


「オリザはブラコンかの?」


 それを聞くと、オリザは顔を耳まで真っ赤にして


「だっ、誰がブラコンですって? 当ったり前じゃない! お兄様みたいに顔も性格も能力もハイスペックなオトコ、そんなにいないわよ? 言っときますけどね、異母きょうだいって結婚できるのよ?」


 それを聞いて、ロザリアはすぐに悟った。


 ……なるほど、エルザがこのところおとなしいという噂なのは、そう言うことか。オリザとザール様が結婚すれば、別に手を汚さなくてもこの国を支配できるからのう。となると、やはりエルザもオリザも、私の敵じゃな。ザール様は私のものだからの。


「ジュチ殿はどうじゃ?」


 ロザリアが訊くと、オリザは即座に答えた。


「顔と能力は満点だけれど、あのウザさが嫌」

「ふむ、その点は同意見じゃが、あれはあれで役に立つ男じゃぞ?」


 ロザリアがジュチをかばうと、オリザはニコリとして、


「だったら、ジュッチーはあなたにお譲りするわ。オシアワセにね」


 そう言う。これにはさすがのロザリアも閉口してしまう。ザールは、そんな二人を見て笑っていた。


「な、何なのお兄様? 急に笑い出したりして」


 オリザが顔を赤くして言う。ザールは笑いながら


「いや、思ったより二人とも仲がいいなってさ。これなら心配することはないな。よろしく頼んだぞ、オリザ、ロザリア」


 そう言ってオリザの頭を優しくなでるザールだった。


「あん、お兄様からお願いされたら、嫌でもトモダチにならないとね。よろしく、ロザ」

「うむ、私もぶしつけなところはあるが、できるだけ気を付けよう」


 ロザリアはそう言いながら、頭をなでられて幸せそうにしているオリザの雰囲気が非常に優しく、包み込むような『魔力の揺らぎ』が出ていることを知った。


 ……おや、オリザ殿は自分で気づいているかどうかは知らぬが、ヒール系の魔法が使えるようじゃな。だとすると、仲間にして悪いことはないのう。どうにかしてエルザとの関係を改善できれば、いい戦力にはなりそうじゃ。


 ロザリアはそう考えをめぐらしながら、ザールとオリザを眺めていた。


            ★ ★ ★ ★ ★


 それから5日後、第1次の討伐戦を成功裡に終了したホルンたちは、サマルカンドまであと100キロのところまで来ていた。このルート上のめぼしい悪人たちやモンスターはほぼ討伐や討滅が完了していたので、行きと違い帰りはスムーズに行軍出来ていた。


『ホルンって、本当に優しいんだね』


 コドランが急にそう言ったので、ホルンはびっくりして訊き返す。


「えっ? 別に私は特別優しいとは思わないけれど、急にどうして?」


 するとコドランは、ホルンの回りを飛び回りながら、はしゃいだように言う。


『だってホルンってば、お城の中できれいな服を着ている時より、ずっと生き生きとしているんだもの。戦っている時のホルンはかっこいいし、ちょっと怖いって思うところもあるけれど、みんなのために戦っているんだなって思ったら、やっぱりホルンは優しいんだなって感じちゃうよ』


 ホルンはニコリと笑って答える。


「ありがとう、そう言ってくれて。でも、正しいことをしなければならないのは誰でも一緒で、みんなのために戦うのは戦士としての務めよ。リディアさんやジュチさんもそうだし、サーム様はじめ諸将も、そのために戦っているのよ」


 コドランは首を振って言う。


『それは分かるよ。でも、ぼくはホルンと旅をして思うんだ。最初に会った時よりもホルンはずっと優しくて、強くなっているって。きっとザールさんと会ったことや王女様だったってことが、ホルンを変えているのかなって』


 ホルンは首をかしげてしばらく何かを考えていたが、一つうなずくと言った。


「そうね、それはコドランの言うとおりだと思うわ。私は今まで、ただ運命に流されて、自分の未来を見通すことができなかったのよ。けれど、今まで自分に起こった出来事の一つ一つに意味があって、出会った人たちとのつながりが必然だったってことが分かったから、今は何も迷いはないわ」


 コドランは、そう言って前を見つめるホルンの顔に見とれていた。肩を少し超えるくらいに伸ばした銀色の髪は風に揺れ、銀の髪留めが日の光に輝いている。まっすぐ前を見つめる翠の瞳は澄んでいて、引き結んだ形の良い唇や桜色に染まる頬は、白い顔と共にまるで女神のような神々しさを醸し出していた。


「あら、何か起こったのかしら?」


 コドランは、ホルンのそんな声にハッと我に返った。前方のリディア隊が明らかに隊列を乱している。コドランはすぐに高度を上げつつ言った。


『ちょっと見てみるね』

「お願い、コドラン。本隊、速足で前進。我に続け!」


 ホルンはそう言うと、馬に鞭をくれる。後ろからはジュチ隊が速度を速めて追いついてきた。


「姫様、ヒュドラが出たようです。ボクの隊はヒュドラの本体を牽制しますので、周りの土管をまずやっつけてください」


 ジュチが追い付いてきて言う。ホルンはうなずいた。

 ホルンの頷きを見て、ジュチは弓を振り上げて号令をかける。


「我が隊は右に展開し、ヒュドラの本体を牽制する。1ケーブルで包囲して、緩射撃でいくぞ、続け!」


 ジュチ隊が離れていくのを横目で見て、ホルンは『死の槍』の鞘を払い、号令をかけた。


「本隊、突撃。我に続けっ!」



 ホルン隊がヒュドラと会敵したことは、すぐさま後続のサームの部隊の知るところとなった。


「王女様の部隊がヒュドラと会敵、現在交戦中です」


 斥候の報告を聞くと、すぐにサームは命令を下した。


「ムカリは突撃せよ。ボオルチュはヒュドラを包囲し、不死身の本体を牽制せよ。ジェルメは本隊に続け。本隊は前進してヒュドラの攻撃に当たる予定」


 伝令が本隊から次々と放たれる。命令を受領した各隊はサームの意図どおりに行動を開始した。



「リディア、助けに来たわよ!」


 ホルンは、巨大なヒュドラの首と戦っているリディアを見つけてそう叫ぶ。リディアはトマホークを振りかざしながら言った。


「サンキュー、姫様。こいつは脳天をぶちかましてやらないとくたばらないからね?」


 そう言いつつ、リディアは20ヤードはあるヒュドラの首と激闘中だった。それは地面からゆらゆらと突っ立ち、先端には口が開いている。一見ワームのようだが、ワームと違うのは口の先端上部に鋭い目が二つ付いていることだった。ワームならば口の両側に合計八つの目があいている。


 ……なるほど、『土管』とはよく言ったものね。


 ホルンはそう思うと、土管の背中側に回り込み、馬の鞍を蹴って跳び上がると『死の槍』を脳天と思しき辺りに突き刺した。


「グギョエエ!」


 土管は何とも言えない断末魔の声を上げ、のたうち回る。何騎かの味方がそれに巻き込まれたが、幸いにも馬を失うだけで済んだようだ。


「各隊、下馬戦闘よ! 分隊ごとに連携して!」


 ホルンがそう叫ぶと、それが聞こえた兵士たちは馬を飛び降り、分隊長の指揮のもと剣を抜き放って突撃してきた。彼らは三々五々、土管にとりついては当たるを幸いに斬りまくる。しかし、そんな攻撃では土管には致命傷にならない。


「後ろだよ! 背中を狙ってヤツの脳天を叩き割らないとダメだよっ!」


 トマホークで土管を脳天唐竹割にしながらリディアが叫ぶ。リディアはこれで5体目の土管を叩き割ったことになる。


「ざまぁ見さらせ! はっ!」


 無様に転がった土管に悪態をついたリディアを、別の土管が頭から飲み込もうとして覆いかぶさってくる。


「リディア、避けてっ!」


 それを見たホルンは、『死の槍』に『魔力の揺らぎ』を乗せて振り回した。土管は『死の槍』の斬撃波をまともに食らって真っ二つになる。


「助かりました、姫様」


 リディアは斬撃波を避けるため、いったん身を沈め、身を起こすと地面に転がったヒュドラの首にとどめを刺すためトマホークを土管の脳天にぶち込んだ。


 けれど、ヒュドラの首は倒しても倒しても減らない。いや、むしろ数を増してくる。ホルンが見るところ、七つか八つの土管が転がっているが、地面から立ち上がる土管の数は、最初より急速に増しているようだ。向こうではコドランが兵士たちと協力して、ファイアブレスをまき散らしながら戦っているが、その活躍も焼け石に水と言ったところだった。


「このままじゃ埒が明かないわね」


 ホルンがそうつぶやくと、リディアが


「これは、本体をやらないとダメみたいですね」


 そう言って、次の土管に跳びかかる。


「……ダメみたいですが、本体をちゃっちゃと片付けないと、こいつらの数は手に負えないくらい増えますね」


 狙った土管を倒した後、リディアがそう言って息をつく。さすがのオーガでも、こんな激しい戦いを息もつかずに続けられはしない。

 ちょうどそこに、ムカリの部隊が到着した。


「王女様、ご加勢申しあげます!」


 鞭を振り上げて言うムカリを見て、ホルンはすぐさまムカリの側までジャンプする。『風の翼』を持つホルンにとって、1ケーブル(この世界で約185メートル)くらいの距離はわけもない。


「ちょうどよかった。ムカリ将軍、私たちの部隊も併せ指揮して、ヒュドラたちを押さえてくれないかしら? 私たちはヒュドラの本体にかかるから」


 ムカリは、人間離れしたホルンの跳躍に目を丸くしていたが、ホルンから現状を説明されると歴戦の将軍らしく素早い判断を下した。


「承知いたしました。しかしヒュドラの本体は不死身とのことです。十分お気をつけください」


 ムカリがそう言うと、ホルンはニコリと笑って


「ありがとう。よろしくね」


 そう言って、乱戦の中に戻って行った。すぐにホルンの大きな声が響く。


「我が隊とリディア隊は、ムカリ将軍の指揮のもと、この土管を討滅しなさい! リディアは我に続け」


 ムカリはその声を聞くとすぐさま号令を下す。


「王女様の部隊とリディア殿の部隊の指揮は、現時点からこのムカリが執る。全軍、分隊ごとに相手を牽制しつつ、連携して弱点を狙え。かかれっ!」


 ムカリ隊500は、喚き声を上げて土管の群れに突撃を開始した。



「ジュチ、ご苦労様。こいつと決着を付けに来たわよ」


 ホルンは、ヒュドラの本体をその強弓で牽制し続けていたジュチのもとに来て言った。


「おお、姫様。なかなかこいつはしぶといですよ?」


 そう言いつつ、ジュチは弓を続けざまに引き絞って放つ。ジュチの『マグナムショット』は当たるとその部分からヒュドラの首を切断するのだが、そこからまた新しい首が生えてくる。そして地面に落ちた首はそのまま砂の中に潜っていく。こいつが、あの土管と化しているようだ。


「確かに、これではいつまで経ってもキリがないわね。頭は狙ってみた?」


 ホルンが訊くと、ジュチはうなずいて、狙いを頭に変えて放つ。


 ドシュン!


 鈍い音とともに、ジュチの魔力が炸裂し、ヒュドラの頭を吹き飛ばしたが、すぐに頭が再生を始める。


「……ご覧のとおりです」


 ジュチが肩をすくめてみせる。ホルンは考え込んだ。


「他の土管は脳にダメージを与えるといいのに、本体だけは脳や首を切断しても再生するなんて……心臓は?」


 ジュチはうなずくと、狙いを心臓らしき部分に変えて『マグナムショット』を続けざまに放った。ジュチは狙いを少しずつ変えていたらしい。胴体の部分に一列になってジュチの魔力が炸裂した。


 ドシュッ! ドシュッ!


 ジュチの矢は次々と命中し、その部分のヒュドラの組織を吹き飛ばす。けれど、その傷もヒュドラは瞬く間に再生して塞いでしまう。


 カキーン!


 しかし、一点だけ他の狙点と違った反応を見せた部分があった。他の部分は『マグナムショット』に組織を吹き飛ばされた後再生したのに、一つだけ、『マグナムショット』を弾き返したところがあったのだ。


「!」


 ホルンは、そここそこのヒュドラの弱点だと思った。ホルンは『死の槍』を振り上げて『魔力の揺らぎ』を込めつつ、


「我が主たる風よ。その力により旅人を虐げる魔物を刺し貫き、悪しき存在に『Memento Mori(死を思い出さ)』せよ!」


 そう叫ぶと、思い切りヒュドラへと投げつけた。


 ズガン!

「グオウグシュエエエエ!」


 ヒュドラは、『死の槍』がものすごい音と共に突き刺さると、これまでとは違った明らかな苦悶の叫びを上げる。それを見てホルンはジュチとリディアに言った。


「ジュチ、リディア、今よ!」

「まっかせて!」

「分かりました」


 二人はそれぞれにトマホークを振り上げ、弓を構え、ホルンに答えるとともに……

 次の瞬間、リディアはヒュドラの首を見事に切断し、同時にジュチがその脳天に『マグナムショット』をヒットさせる。


「グギュウェエゥウウゥアァァア!」


 ヒュドラは、断末魔の声と共にざらざらと砂となって風に散っていった。それとともに、ヒュドラに突き刺さっていた『死の槍』は、自らの意思があるようにホルンの方へと飛んできた。その槍を受け止めたホルンが見てみると、ムカリ軍団と戦っていた土管たちも、土くれと化して崩れ落ちていくところだった。

 それを見て、リディアが感に堪えないように言う。


「凄いや姫様! 『不死身』を倒すなんて!」


 ホルンは、『死の槍』に刻まれた『Memento Mori』の文字を、そっと指でなぞってつぶやいた。


「……『Memento Mori』、死を忘れるな。死こそ生きとし生けるものに平等に訪れるものよ。強いものにも弱いものにも、富んでいるものにも貧するものにもみな平等にね……エミオットと同じね。『死に遠い存在』はあっても、『不死身』はないのよ」



 サームは、ホルンがヒュドラの『不死身の首』を倒したことを知らされて、感嘆して顔をほころばせた。


「なんと……不死身の存在を倒したとなると、王女様の存在はいやがうえにも王室の目の上の瘤となるだろう。それにもまして、国民が王女様に寄せる期待も大きくなることだろう。今回の作戦は、私やジュチ殿が期待していた以上の成果を上げた。しかし、これからが本番だな」


            ★ ★ ★ ★ ★


「オリザ殿はおいでかの?」


 ロザリアは、目の前の帳に向かってそう言った。途端に帳は引き上げられ、部屋の中から明るい声が響く。


「あっ、ロザ。よく来てくれたわね」


 その声とともに、オリザがニコニコした顔で飛んでくる。

 ここは、オリザの部屋である。ということは、後宮の一角であった。ロザリアはオリザの能力に気付き、仲間としての価値を認めたため、『オリザの存在の排除』というより『ザールのことを諦めさせる』ことと『エルザの言いなりにならないオリザに変革する』という方針に転換していた。その第一弾としてオリザに気に入られるため、ロザリアは自分を殺してザールには過度に近づかないようにし、あくまで『友人』としての自分をオリザに信じ込ませようと努力した。

 ロザリアがオリザに呼ばれて彼女の部屋を訪れることができたのも、その努力が実を結んだ結果だった。ロザリアは心の中で微笑んでいた。


「本日はお招きいただき、ありがたく思うぞ」


 ロザリアは微笑んで言う。およそ一国の姫を相手にする言葉づかいではないのだが、オリザは今ではロザリアのそんな言葉づかいまで気に入っていた。ロザリアがザールを相手に同じように話すのを目の当たりにした最初こそは、


 ……何この女? 私のお兄様に対してタメ口なんて失礼ね。


 と憤慨していたが、その後ザールから帷幕に加えられた彼女を側で見ていると、意外にもロザリアは礼儀正しく、いついかなる時でも取り乱したりせず、むしろ様々な報告を聞きながらザールに助言している彼女の顔は秀麗ですらあり、


 ……な、なかなかやるじゃない。


 と考えるようになり、さらにロザリアが、『オリザのザールに対する気持ちを理解した』とでもいうように少しずつ身を引くような様子を見せると、


 ……ロザリアって、仲間が欲しかっただけなんじゃないかしら? たまたまお兄様と気が合ったってだけで、実はお兄様を狙ってなんかないんじゃないかしら?


 と信じるようになったのである。ロザリアには、その間のオリザの心の動きや気持ちの変化がよく分かった。


 ……思ったよりチョロかったのう。それだけ世間ずれしておらず純粋ということかもしれないのう。


 ロザリアはそう考えて、ザールのこと以外ならオリザを立ててやってもいいとさえ思うようになっていた。


「明日、お父様がお帰りになるわ」


 オリザは、ロザリアが座るとそう言って、本当に楽しそうに笑う。


「今回の作戦は大成功じゃったのう。私からも姫様にはお祝い申し上げるぞ」


 ロザリアが言うと、オリザは首を振って、じっとロザリアを見つめて言った。


「ありがとう。でも私は、そんなことより、あなたにホルン王女様のことを色々と聞かせてほしいの」


 オリザは、さっきとは明らかに違った空気を醸し出している。どうやら、今度はホルンを自分の恋敵ライバルとして認定したらしい。ロザリアはキラリと目を光らせると、片頬で笑って言った。


「王女様とザール様のことが気になるようじゃのう?」


 言われてオリザは一瞬詰まった。確かに、オリザはホルンを一目見て『この人には敵わない』と観念したのである。

 まず、美人であった。そして、厳しい雰囲気の中にも清楚さがあり、可憐ですらあった。年齢は25だと言うことで、ザールよりは上ではあったが、何しろザールにとっては従姉であり、ザールも一目置いている様子がうかがえたから、オリザにとっては面白くないに違いない。

 けれども、相手はこの国の王女様で、『正統の王位』を継ぐものとして国民からも待望されている存在である。そのことは理解しているらしく、オリザは言葉を選ぶようにして言う。


「王女様って、ずっと用心棒をしてらしたんでしょ? 男の人と付き合ったことはあるのかしら?」

「さあのう……あれだけの美貌じゃ、男がほっとくわけもないが、王女様は私の見たところ存外そう言った浮いた噂とは縁遠いように感じたぞ? むしろ戦士として生きて来た感じがするのう」


 ロザリアもオリザの反応を見ながら答える。


「ロザから見て、王女様ってお兄様のことをどう思っていらっしゃるかな?」


 オリザは小さな声で訊いてくる。本人は遠回しに訊いているつもりらしいが、随分と直球だなとロザリアは思った。


「うむ、ザール様は王女様に対して臣下の礼を尽くそうとされているな。王女様は奉られるのが苦手らしいが、それでもザール様のことを信頼されているのは間違いない。ザール様は何事にも真面目で、真摯に事に臨まれるからのう」


 ロザリアがザールを誉めると、オリザは嬉しそうに言った。


「そりゃあ、お兄様ってそんじょそこらの男どもとは違うわ」

「うむ、それは私も認める。だから私はザール様のことを()()しているのじゃからな」


 ロザリアはわざと『()()』と言う部分を強調して言う。オリザはうなずいて、ロザリアの手を握ってきて言った。


「そうよね? 同じお兄様を尊敬する者同士、協力しよう。私に王女様のことを逐一知らせてくれる? ロザ」

「私は王女様の詳しいことは知らぬが、分かる範囲でなら教えもするし、できる限りでなら協力もするぞ。オリザ殿は私の友達じゃからのう」


 ロザリアがそう言うと、オリザは非常に喜んで言った。


「ありがとう、ロザみたいに頭がいい人の協力が得られたら、百人力だわ。今日はぜひゆっくりして行ってね」


 ロザリアはうなずいた。



 次の日、ホルンの部隊とサームの部隊が凱旋した。ホルンとサームは馬を並べて、住民の歓呼の声の中でサマルカンドに入城した。


「あれが『正統の王女様』か」

「今まで用心棒として辺境の人たちのために戦っていらしたそうよ」

「アイニの町の人の話によれば、随分と強く、そして優しい王女様だそうだ」

「今回の討伐戦でも、不死身のヒュドラを倒されたらしいぞ。さすが『無双の女槍遣い』という二つ名を持っていらっしゃるだけあるお方だ」


 ザールとオリザは、ホルンとサームの凱旋を迎える役目で内城の城門前に立っていたが、ロザリアはひそかに町の人々の声を聞いて回っていた。


 ……うむ、ジュチ殿の狙いどおり、ホルン姫様の力量や人となりがみんなに理解されているようじゃのう。このまま、いい噂が国内に流れれば、いつか来る挙兵時に追い風となるし、王室に与える打撃も大きくなることじゃろう。


 ロザリアはほくそ笑んでいたが、


「これでザール様があの王女様を助けて国を建て直していただければ、我々も安心して暮らせるというものだ」


 などの噂のほかに、


「あれだけお美しくてお強い王女様なら、ザール様とお似合いだ。お二人が一緒になられれば、この国は安泰だ」


 などと言う声も聞こえてきて、ロザリアは苦笑した。


 ……まあ、ザール様と王女様なら美男美女であることは認めるが、それを言うなら私とザール様でもそうじゃ。


 ロザリアが内城前の広場まで戻ってきて見てみると、ザールがホルンとサームにねぎらいの挨拶を述べるところだった。その後にホルンがみんなの方を向いて手を振った。広場に集まっている人々みんなが、それに応えて万歳をする。

 やがて、部隊が解散され、ホルンはサームとザール、オリザに導かれて内城に入った。人々は、ホルンたちが城内に入ってからもしばらくは万歳を叫び、その熱狂ぶりはいつ果てるとも知れないものだった。


 ……これだけの民意があるのじゃ、早めに挙兵してもよいかもしれぬ。しかしその前に、確実に王女様の陣営に加わる者たちを把握しておくべきじゃのう。


 ロザリアはそう考えながら、まだ熱狂している人々を見つめていた。


「やあ、ロザリア、留守は大変だったろう?」


 ぽつねんとたたずむロザリアの後ろから、ジュチが声をかけてきた。リディアはザールと共に城内に入ったらしい。


「おお、びっくりした。ジュチ殿こそご活躍じゃったみたいじゃのう、何よりじゃ」


 ロザリアが言うと、ジュチはじっとロザリアの顔を見ていたが、やがて何か合点したのかうなずいて言う。


「……まあ、君の意に沿わない噂もあるだろうが、それは民衆が勝手に作り出す物語だからね。それに嫉妬してもしかたないよ?」


 ロザリアは図星を差されて顔を赤くしたが、


「そ、それぐらいは分かっておる。ただ、私の気分は良くないぞ?」


 そう言う。ジュチはそんなロザリアを優しい目で見ていたが、


「気持ちは分かるよ。でも、これは必要なプロセスなんだ。最終的にどうなるかってところは、『王女様が国を建て直しました』っていう部分さえ筋書き通りに進めば、後はどうでもいい事さ」


 そう言って笑う。ロザリアはそんなジュチをジト目で見ていたが、


「私は時々、そなたの考えておることが分からなくなる事があるのう……そなた、誰の味方じゃ?」


 そう訊く。ジュチはそのやや煩げな髪を風になびかせて、ロザリアを流し目で見ながら答える。


「ボクは、ボクが楽しめることをするだけさ。()()()()、ザールのためにならないことはしないがね?」


 ロザリアは顔を赤らめながら言う。


「そこは『もちろん』ではないのか?……まったく、とんだ軍師じゃな。私はザール様の立場を確実にするためなら、どんな手でも使うがの」


 ジュチはそんなロザリアに、真面目な顔で言う。


「一言忠告させてもらうと、誠実であることが一番の策略だよ?」


 ロザリアは、イタズラっぽい目をして笑って答える。


()()()()、私は自分に対してもザール様に対しても、誠実であろうとはしておるよ?」


 ジュチは含み笑いをしている。そして


「ザールの妹を仲間に入れるつもりかい?」


 そう訊くと、ロザリアは黒曜石のような目を細め、ただうなずく。ジュチはそれを見て、一言言った。


「君が知りたいエルザの仲間とは、ジュガシビリという僧侶だよ。ここから西に10マイルほどのところに住んでいる。実際はドルイドだという噂だ」


 それを聞くと、ロザリアは静かに


「……私は、次の手を打たせてもらうかのう」


 そう、ポツリと言う。ジュチはそのつぶやきに応えるようにうなずいて、


「ボクもそうしよう。お互い、まずは着実なところから固めようじゃないか」


 そう言って笑った。


   (13 王女の秘密 完)

最後までお読み頂き、ありがとうございます。

ホルンに関する予言の一端が明らかになりましたが、予言は今後要所要所で詩篇として出てきます。その本当の解釈が意外な方向に物語を導きそうです。

次回は、1週間後の投稿になります。『14 悪夢の反省』です。ホルンの意外な一面が見られます。お楽しみに。

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