12 希望の転進
【これまでのあらすじ】
ファールス王国では、25年前に時の国王シャー・ローム3世を、異母弟のザッハークが弑逆して王位を簒奪するという大事件が起こった。それ以来、王威が隅々に行き渡らず、辺境と呼ばれる地域では悪者や怪物が跋扈し、傭兵や用心棒などが治安維持や旅人の護衛などに活躍していた。
そんな用心棒の一人に、養い親であった元『王の牙』筆頭デューン・ファランドールが残した『死の槍』と王家の者のみが扱えるという神剣『アルベド』を持つ、『無双の女槍遣い』ホルンがいた。
ホルンは、流浪の旅の中、自分を探していたサームの息子ザールから、自分は前国王の娘であることを聞き、ザールの居城サマルカンドへと足を向けた。
ファールス王国では、今から25年前に、時の国王シャー・ローム3世を王弟が弑逆し、王位を簒奪する大事件が起きた。それ以来、王の命令に服するのは首都や軍団が駐屯する大きな都市の周辺に限られ、他の地域では軍閥が割拠し、それらの治安を維持する方途を持たない辺境では盗賊や魔物が跋扈する状態となっていた。
辺境では、自警団を組織したり、傭兵団や用心棒と呼ばれる稼業に就く者たちを雇ったりすることで治安維持や旅人の安全を確保していたが、そこに住む人々には現在の王家に対して漠然とした不安や不満を持つ人々も多く存在していた。
それら辺境では、王の交代があってしばらくしてからささやかれ出した『噂』があった。その『噂』とは、
……あの『王位交替の日』に産まれた前国王の姫が英傑たちと共に帰還し、王国を昔日のような楽土としてくれる。
と言うものであった。
現在の国王ザッハーク2世は、その噂を耳にして、自身の王権が揺らぐことを恐れた。そして股肱の臣である執政参与ティラノス、軍事参与パラドキシアに内々に調査させたところ、前国王の娘が、先の『王の牙』筆頭デューン・ファランドールの庇護のもと成長し、今ではホルン・ファランドールと名乗って用心棒をしているという情報を手に入れたのである。
すぐさまパラドキシアは、王の特殊部隊である『王の牙』筆頭エミオット・ジルにホルンの『処置』を命令したが、エミオットは死闘の末ホルンに敗れた。
『エミオット敗退す』の情報は、暫くしてパラドキシアの耳にも入った。パラドキシアは倉皇としてティラノスのもとに走り、善後策を協議した。
「エミオットほどの戦士が敗れるとは、ホルンはかなりの戦士と見える。『王の牙』では手ぬるい。王国の“切り札”である『魔軍団』をホルンに向けるべきだ」
パラドキシアはそう主張したが、
「それは国民に対して『国王陛下は魔物たちと手を結んでいる』と思わせてしまう危険がある。各地の軍団にホルン捕縛の命令を出して、ホルンの『処置』は軍団の裁量に任せるべきだ」
とティラノスは主張し、双方の意見は平行線をたどった。
仕方なく、二人はそれぞれの意見を持って、ザッハークに裁可を願った。
「ホルンは前国王の血筋、そして王国の正統な継承者の証である『アルベドの剣』を所持しています。ホルンがもし、サームと手を握り陛下に反乱を起こしたならば、王権の行方は分からなくなります。ホルンの存在そのものが王家の脅威である現在、それを抹殺するのに手段を選ぶことはできません。そしてホルンの戦士としての力量はエミオットを倒すほどです。ぜひ、『魔軍団』の出撃を裁可してください」
パラドキシアがそう意見を述べると、
「ホルンの存在が王権の脅威であることは私も認めます。しかし、それを抹殺するために手段を択ばないことは王者がすべきことではありません。また、『魔軍団』を大っぴらに動かしては、陛下が魔物たちと手を握っているという誤解を国民に与えます。私は軍団にホルンの捕縛を命じ、その処置は軍団に任せることが至当かと思います。仮に軍団がホルンを処置したことで国民の不満が出れば、その軍団に責任を取らせれば済みます」
これはティラノスの意見である。
ザッハークは、二人の意見を目を閉じて聞いていたが、
「ティラノスの意見を採ろう。すぐさま各州の知事と軍団管区に命令を出すように」
そう決定を下した。
「はっ」「御意」
ティラノスとパラドキシアは、王の命を受けて平伏した。
それからすぐに、
『ホルン・ファランドールという女槍遣いを捕縛せよ。彼女は王家の金山を監督していたクロノス・カリグラを私闘で殺害した下手人だ』
そのような勅命を奉じた使者が各地に走った。
しかし、クロノスのやり方と武威を知っている各州知事たちは、勅命を奉じながらも、
「あのクロノスならば誅殺されて仕方がない。さらにあのカリグラ軍団を壊滅させるほどの戦士ならば、自分の軍団も大変な損害を受けるだろう。王の命とは言え、あたら戦士を無名の戦いで散らすのも惜しい」
と、配下の軍団には
「ホルン・ファランドールを見かけたら、まず域内退去を命令せよ。その命令に従わない場合は、知事への出頭を命令せよ」
とだけ伝達した知事が多かったのである。
勅命の使者は、トルクスタン侯サーム・ジュエルのもとにもやって来た。
「何、ホルン・ファランドールという戦士を捕縛しろと言われるか?」
サームは難しい顔で使者に訊いた。使者は平伏しながら言上する。
「はい、何でも、そのホルンは王家の金山を監督していたクロノス・カリグラを私闘で殺害した下手人だとのことでございます」
それを聞いたサームは、少しの間目を閉じていたが、すぐに笑って答えた。
「了解した。陛下には確かに承りましたと復命してくれ」
それを聞いて使者はホッとした表情でサームのもとを去った。
「お聞きになられたか?」
使者が去った後、サームは帳の後ろにいる人物に声をかけた。
「はい。どうやら前国王陛下の忘れ形見である王女様は実在したようですな。ザッハークがこれほど慌てていることから見ても、ホルンと申すその女性は、王家の血を引かれる姫だということが確実です」
寂のある声でそう言いながら、ティムール・アルメが姿を現した。ティムールは67歳となった今でこそ、サマルカンド近くの小さな町で町長の補佐や宿の経営をしているが、元は『王の牙』の一人であり、25年前には東方軍団長としてサームの指揮下にあった人物である。その武威はいまだ衰えず、ホルンとも一度槍を合わせ、そしてともに魔物を討伐したこともあった。
「わが友たるサーム殿、先の王は我らとも友好的な関係を維持していた。今の王は魔物の力を借りていると聞く。それならば前国王の血筋たる王女を助けるのが当然だと思うぞ」
そう言って現れたのは、苦み走った顔をしているがかなりの美貌を持つエルフであった。ジュチの父でハイエルフの王テムジンである。
「テムジン殿がそう言われるのであれば、我がジーク・オーガも立場は同一。我らも先の王の血筋たる姫を助けよう」
こちらはリディアの父でジーク・オーガの首領であるオルテガであった。
サームは三人を見つめて言う。
「ティムール殿、テムジン殿、そしてオルテガ殿。我ら四人は共に先の国王に大きな恩義がある。わが子息たるザールが姫を伴って帰城した時、我らは心を合わせて姫をお助けせねばならない。この国のためにどうか力を貸していただきたい」
サームの言葉に、三人は力強くうなずいた。
★ ★ ★ ★ ★
そのころ、ホルンたちはサマルカンドに続く街道沿いの宿場町、ヴェストタラバードの宿屋に逗留していた。
ホルンは、この町のすぐ東側に広がっているタラ平原で、自分を狙う『タルコフ猟兵団』の部隊や『王の牙』であるエミオット・ジルと死闘を演じ、大けがをしていた。幸い、命に別状はなかったが、体調が戻り切っていなかったことと、装備の一部を失っていたこともあり、1か月ほどゆっくりと健康の回復を図っていたのである。
「ヤだ、こんな服動きづらいし、足がすうすうする。やっぱり私は動きやすい軍装が好きだわ」
ホルンは、一般的な女性の服装……いわゆるスカートと言ったものを穿いてそう言った。それを聞いてザールたちは苦笑する。
「いえ、王女様には王女様らしい服装というものもありますが……」
ザールがそう言うが、ホルンは首を振って
「国が平和ならそれでもいいけれど、今の辺境がどんな具合か、ザール殿も各地を回ってよくご存知でしょう? 私は用心棒として生きてきました。国の皆が平和に暮らせる日までは、その生き方を変えるつもりはありません。軍装を持ってきてください」
そう、柔らかく、しかし断固として言った。
「分かりました」
ザールはそう言ってホルンの部屋から下がる。そしてリディアに相談した。
「どうだった? やっぱり王女様は、あのお召し物はお気に召さなかったでしょ?」
リディアが笑って言う。ザールは頭をかきながら
「うん、リディアの言うとおりだった。軍装を整えて差し上げないとな」
そう笑って言う。
「この近くにドワーフの村があるんだ。そこの長とアタシの父さんが知り合いだから、アタシがひとっ走り行ってお願いしてくるよ」
リディアは150センチの乙女から真実の姿である250センチのオーガに形態移行して言う。ザールはそんなリディアを優しい目で見て言った。
「頼むよ。できるなら軽くて強いものがいい」
「まっかせといて。明日には戻って来られると思うよ?」
リディアはそう言うと宿を出ていった。
「ザール様」
リディアと入れ違いに、身長160センチ程度の長い黒髪の女性が入ってくる。
「何か動きがあったのかい? ロザリア」
ザールは、部屋に入って来た女性——ロザリアの顔に皮肉そうな笑いが浮かんでいるのを見て取って訊く。ロザリアは、遅れて入って来た金髪碧眼の美男子をチラリと見やるとうなずいて言う。
「うむ、ジュチ殿の調べによれば、王室がとうとう動き始めたようじゃの」
ザールは、ジュチと呼ばれた美貌のハイエルフを見る。ジュチはその形の整った人差し指でやや煩げな前髪をいじりながら言う。
「王室はホルン姫様を捕縛するように州知事に勅令を出しているよ」
ザールは緋色の瞳を持つ切れ長の目を細めて訊く。
「捕縛? 何の罪でだ?」
「ガラーバードの金鉱山は王室の所有だ。その代官をしていたのがクロノス・カリグラというスケルトンだが、そのクロノスを弟のカイロスともどもホルン姫様が討ち取っているらしい。すごいな、あの姫様は」
そう感嘆するジュチに、ザールはおっ被せて言う。
「感心している場合じゃないぞ。それが本当なら、王女様はこの国の犯罪者ということになる。いつ追手がかかるか分からないぞ」
急いで対策を講じようとするザールに、ジュチは笑って言った。
「やあ、すまない。結論から言えば、各州知事はその命令に従わないようだよ? ボクの悪い癖で、相手に気を持たせるような話し方をしてしまうので心配させたかな?」
腑に落ちないような顔のザールに、ニヤニヤ笑いをしたままロザリアが補足説明する。
「どうもクロノスというスケルトンは王の威を嵩に好き勝手やっていたようじゃのう。各州知事もそれを知っており、クロノスが討たれたことで快哉を叫んだ知事もいるようじゃ。しかも、スケルトン軍団といえばオーガとも戦える強さじゃ。そんなスケルトン軍団を壊滅させた姫様と、自分の軍団を戦わせることには、どんな知事も二の足を踏んでいるようじゃのう」
それを聞いて、ザールはやや落ち着きを取り戻した。
「よく分かった。それならすぐに戦闘に巻き込まれることはないようだね。王室が何らかの手を打ってくるにしても、王女様の体調が戻って装備が整うまでの時間が稼げれば言うことはないな」
「まあ、リディアが帰ってくるまでは、ホルン姫様にはゆっくりしておいていただこう。時にザール、姫様にあのお召し物はお気に召していただいたかな?」
ジュチが訊くと、ザールは笑って首を振った。それを見てジュチは大仰に嘆いてみせる。
「何だって? ホルン姫様はお美しく、均整の取れた身体つきをしていらっしゃるから、あのお召し物はとてもお似合いで、気に入っていただけると信じていたのに……。ザール、ゆくゆくはキミの奥方になる女性だ、今から少しお妃としての素養を身に着けていただけるよう、キミからも意見したまえ」
そんなジュチに、少女と化したロザリアが低い声で言う。ロザリアは魔族の血が動き出すと身長140センチ足らずの少女の姿になる。その漆黒の瞳は、見つめるだけでジュチを刺し殺せそうだった。
「ハイエルフ殿、その言葉一言一句変えずにリディアの前で言えるかの?」
ぶんぶんぶん、ジュチは高速で首を横に振る。リディアはザールに首ったけだ。そのザールをからかったとなると、ジュチの首にはリディアのトマホークが待っている。ジュチの顔色はすでに真っ青だった。それを見てロザリアは鼻で笑って言った。
「ふん、姫様はそなたの下心を読み取ったのかもしれんて」
『ホルンはああ言ったけれど、その服ホルンに似合っているよね』
ベッドから起き上がり、髪をとかしているホルンに、シュバルツドラゴンのこどもであるコドランが言う。ホルンは、鏡越しにコドランに、
「ありがとう、コドラン。私だって女として扱われて嬉しくないわけじゃないわ。けれど、私は10年も辺境で魔物や悪者相手に戦ってきた女よ。すっかり戦いが日常で、戦士としての振る舞いが習性になっているのよね。今さら王女様って言われても引くわぁ」
そう、肩を少し越したくらいの銀髪を首の後ろで括りながら言う。
『でもさでもさ、ザールさんはさすがに“白髪の貴公子”って言われるだけあるよね? あの人がホルンを好きになってくれれば、ホルンはトルクスタン候のお妃だね』
コドランがニコニコしながら続けて言う。
『ぼく、ザールさんならホルンに似合うと思うよ? だって二人ともドラゴニュート氏族だしね。今回、二人が出会ったのもきっと氏族の血が引き寄せたんだよ』
それを聞いた時、ホルンは翠の瞳を持つ目を細めた。ザールに話しかけられた時、自分はとても落ち着けた。それもまた、同族としての安心感なのだろうか。それとも、仲間としての信頼感なのだろうか。
「そうね、少なくとも私はかけがえのない仲間を手に入れたと思っているわ。ザール殿はあれだけの人物だから、その行くところを見ていたいと思うし……。これから私たちの旅も、色々な意味で楽しいものになりそうよ?」
ホルンは、コドランにウインクするとそう言って笑った。その時ドアがノックされた。
「ホルン王女様、よろしいでしょうか?」
ザールの声だ。ホルンがうなずくと、コドランが答えた。ドラゴニュート氏族であるザールもコドランの言葉が分かるのだ。
『入られよ』
わざとらしく重々しい声でコドランが言う。ザールはニコニコしてドアを開けた。
「コドラン君も、なかなかいい執事ですね。ところで王女様、ちょっとお耳に入れておきたいことがございます。よろしいでしょうか?」
ホルンは笑みを浮かべると
「そんなに格式ばらなくても良いわ。私は用心棒のホルンって言う扱いの方が肩ひじ張らずにいられるから好きよ。何かしら、話って?」
そう言うと、ザールたちに椅子を勧めた。ザール、ジュチそしてロザリアはそれぞれ与えられた椅子に座る。
「実は、王室が各州知事に充てて王女様を捕縛するようにとの命令を出したことが分かりました……王女様?」
ザールは、ホルンが険しい眉をして明後日の方を向いたままなのでそう訊く。するとホルンは険しい瞳でザールに言った。
「私は格式張らずにいたいと言ったはずです。戦いの中でいちいち私を奉っていられますか? どうなのザール?」
ザールは笑みを浮かべたままホルンの険しい視線を受け止める。しばらくするとザールはため息とともに言った。
「……分かりましたよ、ホルンさん。不本意だがサマルカンドに着くまではあなたの意向に沿って、僕たちも必要最低限の敬意の表し方で行きましょう。それでいいですか?」
するとホルンはニッコリと笑って言った。
「わがままに付き合わせてごめんなさい。でも、そうしていただけると私も気が楽よ。それで、各州知事はどんな様子?」
「州知事たちは面従腹背ですね。王家の命令を聞かないのは後々問題となるので嫌でしょうけれど、唯々諾々とホルンさんと戦うのも二の足を踏んでますよ」
ジュチが言うと、
「何せ、ホルン殿が倒したクロノスたちは天下に鳴り響いた豪勇たちじゃったらしいからのう。それを倒した姫様を相手するとなると、自分たちの軍団にどれだけ被害が出るかと心配になるのじゃろうな」
ロザリアが知事たちを揶揄するような口調で言う。
「そう言うことで、州知事たちからの攻撃は、おそらくありません。しかし、別の心配が出てきました」
ザールが言う。表情は穏やかだが、どことなく緊張の色が声の中に見える。ホルンは微笑んだままうなずき、先を促した。
「どうも王家には、魔物たちとのつながりを持った人物がいるようです。でないと、スケルトンなんかが王家所有の金鉱山の監督にはなれませんからね?」
ザールは片眉を上げながら言うと、ジュチが髪をかき上げつつ続けた。
「……で、ちょっと調べてみたんですが、“砂漠の亡霊”たちの軍団が動き始めているようですね」
「“砂漠の亡霊”……何年か前に聞いたことがあるわ。声は聞こえても姿は見えず、こちらの攻撃も効かず、相手の攻撃は防ぐことはできない。そして知らぬ間に異次元の砂漠に連れ込まれ、最後は干からびてしまう……という相手だったかしら」
ホルンが言うと、ジュチは驚いたような顔でうなずいた。
「おお、さすがは辺境でその名が高いホルンさんですね。そのとおりです。ただし、彼らも無敵ではありません」
ジュチはそう言うと、彼らの“弱点”を話し始めた。
★ ★ ★ ★ ★
サマルカンドでは、ザッハークが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。先王の娘であるホルン・ファランドール。彼女を王室への反逆のかどで各州に捕縛命令を出したのは良いが、どの州知事もその命令を積極的に実行しようとはしていないことが分かったからである。
「道理で、どの州知事からも同じように『管区内をくまなく調査したが、そのような人物は見当たらない』との返事ばかり帰ってくると思ったわ! 余がこんなに日々捕縛の報告を待ち焦がれているというのに、州知事たちはやる気がないのだ」
ザッハークが苦々しげに吐き捨てると、執政参与たるティラノスが静かな声で言う。
「ホルンはスケルトン軍団を壊滅させています。そのうわさが流れ、州知事たちも軍団を動かすのに慎重になったのでしょう」
それを聞いて、軍事参与のパラドキシアが言う。
「この際、『魔軍団』を差し向けましょう。幸い、ホルンの居場所はつかめており、その場所は砂漠の近くでございます。『砂漠の亡霊』たちの軍団を差し向ければ、ホルンは異次元の砂漠でさまようこととなりましょう」
それを聞いたティラノスは、少し考えていたが、
「ホルンが砂漠の近くにいるのであれば、『砂漠の亡霊』たちとの遭遇は必然です。ましてやホルンが用心棒を生業にしているのであればなおさらです。今回はパラドキシアの策に従ってもよいのでは?」
そう言う。パラドキシアは驚いた顔をした。ティラノスの応援があるとは意外だったのだろう。ザッハークはティラノスの同意を聞いて決心した。
「よし、『砂漠の亡霊』たちを差し向けよう。パラドキシア、抜かるなよ」
「御意」
パラドキシアは王に平伏した。
「あなたが私の案を推してくれるとは思っていなかったわ」
王の間を下がった後、二人で回廊を歩きながらパラドキシアは言う。ティラノスは笑って言った。
「私とていつもそなたの反対をしているわけではない。今回はホルンと『砂漠の亡霊』たちの出会い方に不自然なものがないので賛成しただけだ。それにホルンがそれでいなくなっても、王家としては国民から何も言われる場面はないからな」
「ふん、相変わらず小心者だね」
「国民を侮らぬ方がよい。ただでさえザッハーク様には“簒奪者”という烙印が押されているのだ。前王より良いことをして当たり前という雰囲気の中で25年も耐えて来られた。おかげで王を悪く言う者は少なくなった。ここで我らが打つ手を間違えれば、すべてが水の泡となる。ホルンが居ようといまいとな」
ティラノスが言う言葉を、パラドキシアはニヤニヤしながら聞いていたが、
「まあ、我らは陛下が安心しておられるようにすればよいのだな。そうであろう? 私はすぐに『砂漠の亡霊』たちに連絡を取るのでお先に失礼する」
そう切り口上で言う。ティラノスはうなずいたが、
「そう簡単なことでもないのだよ」
パラドキシアの背中にそうつぶやいた。
砂漠……それはファールス王国の北東に広がっている。砂漠を北に越えればステップ地帯が広がる茫漠たる平原となる。そこでは、その日の出発地点から到着地点が見えているほどの広さだ。そして、旅人は歩けど歩けど近づかない“目的地”に呆然とする。
砂漠……それは自然の中でも特に厳しく、そして不思議な美しさがある場所だ。特にファールス王国に広がる砂漠は、標高の高さもあり日中の気温は40度を超え、夜間は氷点下になることも珍しくない。
そんな地域にも、人は足跡を残している。この砂漠はウラル帝国への玄関口でもあるためだ。交易商人たちはこの厳しい場所を地図と変わりやすい地形と、そしてなくなりやすい目印を頼りに進んでいく。ここでは、蜃気楼が距離の感覚を狂わせ、『逃げ水』と呼ばれる現象が人間をはじめとする生き物たちの精神をむしばむ。この世界で『水』を失うのは命を失うのと同義だ。そんな干からびた死体は、明日には別の旅人の道しるべとなる。
この砂漠で命を落としたものは、まれに亡霊として月の光の中に現れるという。そして、その亡霊を見たものは、異世界へと誘われ、そこで終わりのない砂漠の旅を流離い続けるのだという。
それらの亡霊は、基本的に自分が命を落とした場所を離れることはなく、他のものに危害を加えることもない。しかし、中には無念が昂じたり、思い残りが強かったりするものが群れをつくることがある。それらは無数の身体を持つが、一つの情念の塊をしている。
その情念が、生きとし生けるものを呪いながら、砂漠の中を転がり続けているのである。
「ホルン・ファランドール……我らはホルンを求める」
今、砂漠の中で一陣の風となって、黒い情念が吹きすさぶ。一つの声は無数の声となって、広い砂漠の中をこだまするのであった。
「ホルン・ファランドール、我らはそなたを求める。早くこの世界に来よ」
吹きすさぶ黒い情念は、低く気味の悪い唸りのように、その言葉を何度も何度も繰り返しながら、砂で竜巻を作りながら走り抜けていく。
「ホルン・ファランドール……」
「ひっ!」
一人の交易商人が、黒い情念の叫ぶ声を聞いて、身体が凍えたように立ち止まった。黒い塊は無数の顔を表面に浮かべながら、走り去っていく。その顔、顔、顔が、あるいは呻き、あるいは叫び、そして怒号をあげていた。商人はへなへなと砂の上にへたり込み、そしてふいに笑い出した。彼は焦点が合わない目で遠くを見つめながら、ただケタケタと笑い続けていた。
「これ、なかなかの出来だわ」
ホルンは、リディアがドワーフの村から持って帰って来た装備を見て、目を輝かせた。一月ほど前の血闘で、ホルンは鍛鉄が縫い付けられた籠手や、革製の胸当て、そして同じく革製の腹巻を失っていた。これらの装備は、10年にわたる用心棒稼業の中でホルンが身に着けた知識を総動員して誂えたものだっただけに、代替装備には並々ならぬホルンならではのこだわりがあった。
リディアが換わりに作ってもらった装備は、革製の胸当てとチェインメイルだった。特にチェインメイルは細かな鎖の一つ一つにドワーフの『盾の呪文』が込められ、全体的にはホルンのエレメントに合わせて『水』の防御エレメントを込めてあった。
何より、チェインメイルの上から胸当てを着用するため、防御の隙がなくなったことと、全体的に軽量化ができたことが最も評価できる点だった。
さらに、チェインメイルの上から着る戦袍にも、大きな工夫がされていた。これは、袖口を絞ることができるとともに、両脇を開くことができた。素材そのものも細かい繊維が複雑に絡み合っていて、下手や槍や剣は通さない代物だったのだ。
「さすがだわ。これなら前の装備の2倍以上の防御力を発揮できるわ」
ホルンは、斜めならず喜んで言う。それを聞いて、リディアも得意そうに言った。
「そうでしょうとも、あのバルカンの旦那はアタシたち部族のお抱えといってもいい旦那だからね。その親方が『ホルン姫様のために』って昼夜ぶっ通しで作ってくれたんだ」
「そうなの。一度お礼に行かなくちゃいけないわね。それにお代も払わないといけないし」
ホルンが言うと、リディアは両手を振って言う。
「いやいや、お代はアタシの父さんに付けといたからいいって。アタシの父さん、娘にとても甘いんだ。だから気にしないでいいよ。この国のお姫様へのジーク・オーガ族からの贈り物さ。それよりバルカンの旦那にお礼を言ってもらえるなら、そっちの方がありがたいな」
それを聞いて、ホルンはそれでも代金の件で拘っているようだったが、
「早速の貢ぎ物か。ホルン姫にはそれだけさまざまな部族からの期待がかかっているということじゃな。その期待に応えることは、代金を支払うよりも難しいことじゃぞ? まあ、無理に代金を支払ってその期待から背を向けてもいいがのう」
とのロザリアの意見に、ホルンはうなずいた。
「そうですね。こんな私でも皆さんの役に立つのであれば、期待に沿えるよう頑張りましょう」
それから二日後、ホルンたちはサマルカンドに向けてヴェストタラバードを出発した。最初の行き先は、バルカンという鍛冶職人がいるドワーフの村である。この村はタラ平原の真ん中辺りでオアシスになっていた。砂漠の砂に埋もれることを防ぐために、村の周囲には高いレンガ造りの城壁がこしらえてあった。
「なかなかの村だね。ドワーフらしく城壁のあちこちにはいろいろな仕掛けがしてあるようだし、村の中の造りも突入してきた敵軍が一つにまとまらないように工夫してあるようだ。この村なら、1個軍団を相手にしても一月は持つだろう」
ジュチが青い瞳を光らせて言う。それに加えてロザリアも
「……なかなかに強い魔力を持つドワーフがいるようじゃのう。特に村の泉から強い魔力を感じる。ここでは普通の武具だけでなく、魔導具も造っているようじゃ」
そう言って黒い瞳を輝かせている。
「二人ともさすがだね。ここの首領であるバルカンの旦那は、魔導具を造らせてはこの国一番の呼び声が高いんだ。アタシの額当や鎧なんかも、バルカンの旦那の製作だよ」
四人を案内しているリディアがそう言って微笑む。その四人の前に、一人の若いドワーフが現れた。
「やあ、リディアじゃないか。こないだ来たばかりで今度は何の用だい?」
そのドワーフは、身長は190センチはあるだろう、ドワーフにしてはかなりの長身だった。そしてずんぐりむっくりしている一般のドワーフと違い、スリムで筋肉質の身体をしていた。その肌は鍛冶場焼けというのか、褐色に焼けている。
「あら、ヘパイストス。今日はアンタのお父様に会いに来たんだ。こちらのホルン王女様がバルカン様が造られた装備を甚く気に入られてさ、そのお礼だよ」
それを聞いたヘパイストスという青年は、ホルンの装備をざっと眺めまわした。そして、腰に手を当てて言った。
「ふん、悪くないな。それに装備を使う戦士もなかなかの腕前だ。戦士の力量と装備に過不足がない。結構調和がとれた感じじゃないか」
「ちょっと、ヘパイストス、こちらは王女様なんだからね? じろじろ見るんじゃないよ」
慌てて言うリディアを押さえながら、ホルンが笑ってヘパイストスに訊く。
「こんにちは、ヘパイストスさん。私はホルン・ファランドール。バルカン様のお屋敷はどちらかしら?」
それを聞いて、ヘパイストスの表情が変わった。
「ほ、ホルン・ファランドール? あんたが?……いや失礼、あなたが有名な“無双の女槍遣い”でしたか。そしてこの国の王女?……とにかく、親父はあっちの鍛冶場にいますんで、呼んできますよ」
「あ、いいわよ。私はお礼を言いに来たので、私が鍛冶場に伺います」
走り去ろうとするヘパイストスを押しとどめてホルンが言うが、ヘパイストスはかぶりを振って言う。
「王女様、ご存知ないかもしれませんが、鍛冶場は女っ気を嫌います。こちらでお待ちください」
そう言ってヘパイストスは走り去った。
「鍛冶場は女っ気を嫌うって……アタシはバルカン様の鍛冶場に入っても何も言われなかったけど?」
首をかしげるリディアに、よせばいいのにジュチが
「つまり、キミは女じゃn(ry」
そう言いかけて、リディアのトマホークをきわどいところで避ける。
「つまりアタシがなんだって?」
ジュチの首根っこを摑まえながら、リディアがジュチの眼前で凄む。ジュチは引きつった笑いを浮かべながら、
「いや、何でもないよ。話し合いましょう、暴力ハンタイ」
と言い合っている最中に、ヘパイストスが再び姿を現した。
「親父がお会いするそうです。鍛冶場においでください」
そう言って五人を案内した。
「あれが親父……バルカンです、王女様」
ヘパイストスが指さす先には、ひげを生やしたドワーフが、ニコニコしながら立っている。それがバルカンだった。
「こんにちは、バルカン様。私がホルン・ファランドールです。この度は素晴らしい装備を造っていただいて感謝します。装備品があまりにも素晴らしかったので、ぜひ自身でお礼申し上げたくて参上しました」
ホルンがバルカンの手を取ってそう言う。バルカンは笑いながら悪戯っぽい目で答えた。
「いえいえ、我が息子の作品をそんなに気に入っていただいてありがたく存じます。王女様」
「えっ? あんなに凄いチェインメイルや戦袍がヘパイストスの作品だって?」
リディアがびっくりして叫ぶ。ヘパイストスは頭をかきながらバルカンに言う。
「おいおい、親父の作品ってことにしといてくれや。こっぱずかしくてならないよ」
ホルンはヘパイストスの方に向き直って言う。
「ヘパイストスさん、改めてお礼を申し上げます。いい装備を造っていただきました」
そんなホルンに、バルカンが真剣な顔で言った。
「いえ、お礼申し上げるのはこちらの方です。愚息は生来、いい鍛冶職人になる素質は持っていましたが、その素質に奢り、心のない作品ばかりを造っておりました。今回、リディア殿を通じて作品の依頼があった際には、今までにないほどの真剣さで取り組んでいることがわしにも分かりました。この経験がなければ、愚息は一人前の鍛冶職人になれなかったか、なれてもずっと先のことだったろうと思います」
ホルンは、それを聞いてうなずきながら言う。
「そんなにも真剣に向き合っていただけたのであれば、この装備がこれほど素晴らしいことは納得できます。ありがとうございました」
「凄いじゃんヘパイストス。いつもはどこぞのクズエルフみたいに女の子の後ばっかり追いかけまわしていたくせに。アタシ、アンタを少し見直したよ」
照れていたヘパイストスだったが、リディアのこの言葉が一番うれしかったようだ。一瞬リディアの顔を見たヘパイストスは真剣な表情になり、少し頷くとまた笑顔になった。
その日は、ホルンたち一行はバルカンの厚意によりドワーフの鍛冶村に宿泊することになった。
『ホルン、ザールさんたちと知り合ってから、泊まる場所が豪華になったね』
ベッドの横に置かれた椅子の上で、布団にくるまりながらコドランが言う。ホルンはベッドに横になり、胸当と横垂は外していた。
「そうね。一人旅の時は良くて木賃宿で、ベッドに横になったことなんてなかったわ。木の上に寝たり、洞に寝たりしてたわね」
ホルンは枕元に『死の槍』を立てかけ、『アルベドの剣』を左手に握っている。これは完全に癖になっているようで、安全が確保されていると分かっていても、こうしないと眠れないホルンだった。
『ベッドに横にならないのは、やっぱり自衛のため?』
コドランが訊く。ホルンはうなずいて
「そう。ベッドって一番狙われるのよ。だからベッドを盛り上げて、そこに寝ていると見せかけて……」
『ホルンはドア側の壁にもたれて眠っているんだ』
「そう、ドアノブがある方向に、剣の長さ以上の間合いを取って眠るわ。そしたら入って来た敵を槍で始末できるから」
静かに言うホルンに、コドランはしばらく黙っていたが、
『ホルンって、苦労してきたんだね?』
そうしみじみという。ホルンは薄く笑って答える。
「そうかしら? 生きるため努力するのは誰も同じよ? 私の場合は小さいころにはデューン様やアマルがいてくれたし、今はコドランもいてくれるから、結構楽しいわよ。生きることが楽しいって感じられるうちは、どんな苦労でもできるんじゃないかしら?」
『うん、そうだね。ぼくもザールさんたちに負けないくらいに頑張って、棟梁みたいな立派なドラゴンになるんだ』
目をキラキラさせて言うコドランの頭をホルンは撫でる。コドランは気持ちよさそうに目を細めた。
ザールとジュチは、晩餐時にこの村のドワーフから聞いた話を検討していた。その話とは、タラ平原のすぐ北にある砂漠で『砂漠の亡霊』のようなものが旅人を襲っているということだった。
「今まで『砂漠の亡霊』が出たという話を聞いたことはあるが、すべてアムダリヤ川の北側だ。こんな南側で出たという話は聞いたことがない」
ザールが言うが、ジュチは静かな声で
「黒い塊が走り抜けるように風が吹いた、とか、黒い塊の中から声が聞こえた、とか、いくつもの顔が見えた、とか、目撃した旅人たちの話を聞くと『砂漠の亡霊』の特徴を揃えているね……」
そう言って肩をすくめて続ける。
「そして、亡霊たちが叫んでいた言葉ってのが『我らはホルンを求める』って来た日にゃ、王室の手の者がホルン姫にどんな感情を抱いているかよく分かるよ」
「その『砂漠の亡霊』たちは、砂漠以外でも行動は可能みたいだな」
ザールが言うと、ジュチは片眉を上げて言う。
「最後の目撃情報がタラ平原でも中ほどの地点だからね。もう2・3日すればこの町の近くまで来るんじゃないか? ははっ、もう『砂漠の亡霊』じゃなくてただの亡霊の塊だね……いずれにしても、ぞっとしない話だよ」
「とにかく、この村を出たらそいつらと遭遇する可能性は高いな。心の準備をしておかないとな」
ザールはそう言って、『糸杉の剣』の柄を叩いた。
「……そう言えば、リディアはどうしてザール様と知り合ったのじゃ?」
リディアとロザリアは、他愛もない話をしていた。
「え? ザールは小さい時、ドラゴニュート氏族の里に引き取られていたんだ。その里がアタシたちの所領の隣でさ。それで知り合ったんだ」
「ほう、ザール様はトルクスタン候の世子ではないか? どうしてまたよそで育てられたんじゃろうか?」
「何でも、ザールは生まれた時にはすでに頭髪が生えていて、それもすべて白髪だったそうなんだ。そのまま大きくなったらドラゴン化するかもしれないし、長生きもできないって魔法使いから言われたんだって。それで、ドラゴンの血を鎮めるために里に預けられたそうだよ」
「なるほどのう、長生きができないと言われれば、サーム様とて考えるじゃろうな」
ロザリアはそう言った後、小さな声でつぶやく。
「ふん、ドラゴンの血が流れれば長生きしない? 誰がそんな戯けたことを……おそらく、ザール様の血が呼び覚まされることを恐れた輩が、サーム様を謀ったとしか思えんな。ふん、トルクスタン侯国でもザール様の地位を認めん奴らがいるということか。面白い、この私がザール様を絶対にトルクスタン候に就けてやるわ」
「ロザリア? どうしたの?」
リディアは、ロザリアの瞳が怪しく黒く沈むのを見て、背筋がぞっとした。この『魔女』には、ザールやホルン姫とはまた違う凄味を感じる。リディアはそう思いながらロザリアに問いかける。リディアの声を聞いて我に返ったロザリアは、すぐに薄い笑いでリディアに答えた。
「何でもない、私にとって少しばかり面白い宿題を発見しただけじゃ」
「そ、そうなんだ。急に黙るから、何か気に障ることを言ったかなと心配したよ」
そう言って笑うリディアを見て、ロザリアは不思議な感じに陥った。このオーガの娘はザール様に首ったけだ。その様子を隠そうともしないし、ザールがそのことに気付いていなくてもへこんだりもしない。けれど、自分と同じで、彼女の言葉や行動を見ていると、どこかに『ザールのためなら』という、秘めた熱い思いも感じられるのだ。それは単にザールと幼馴染だからという以上の何かがあるのかもしれないとロザリアは思った。
「そんなことはない。リディアは何事にも悪気がないので、他の人間が口にしたら八つ裂きにしてやるような言葉も、そなたが言えば不思議と何も感じない。リディアにはそんな魅力があるのう」
「……ってことは、何か言っちゃった? 気に障ることを言ったのなら謝るよ」
慌てているリディアに、ロザリアは静かな微笑みを浮かべて言った。
「そなたは私が気にするようなことは何も言ってはおらん。安心しろ」
次の日、一行はドワーフの鍛冶村から出発した。ザールとジュチは途中で『砂漠の亡霊』と遭遇することを想定し、行程をできるだけ短縮するため、村長に依頼してモアウを人数分用意してもらっていた。
モアウとは、この国からウラル帝国、ダイシン帝国にかけて広く生息する鳥類で、体長は3メートル余り。飛べない代わりに頑丈な二本の足を持ち、時速20マイル(この世界で37キロ程度)で走り続けることができる。馬やラクダよりも気性が激しく、飼い慣らすのには骨が折れるが、いったん飼い慣らせば飼い主に対する忠誠心は厚く、馬ほど食料も必要としない。最高時速は50マイル(93キロ程度)に達する、馬やラクダと並んで重宝する交通機関である。
「この村からサマルカンドまでは約100マイル(約185キロ)、モアウで行けば一日で着ける距離です。乗り手も疲れないように、時速10マイルくらいで行きましょうか」
ジュチは、モアウ騎乗は初めてというホルンやロザリアのために、乗り手もモアウも最も無理をしない速度設定で旅を進めることにした。
一行は、先頭にジュチ、次にザール、ホルン、ロザリア、リディアの順で進む。道案内にかけては、旅慣れているジュチの右に出る者はいなかったからだ。
「奴らは昼間に出現するだろうか?」
ザールが訊くと、ジュチは首をかしげて
「今まで、月光の下で『砂漠の亡霊』を見かけたという話はよく聞くが、今回に限っては分からないな。今までの目撃事例ではほとんどが夜だけれど、明け方や夕暮れ時という報告もあるから、日の光の中でも出現できると思っておいた方がいいよ」
そう言う。ザールもうなずいた。
「けれど、やっぱり世の中は広いわ。物理的攻撃が効かない相手ってどんな理屈かなって思っていたけれど、実体を持たないのなら分からなくもないわ。ただ、実体がない相手ってどんなものだろうっては思うけれど」
興味深そうに言うホルンに、コドランが釘をさすように言う。
『ホルンって、好奇心が旺盛なところがあるから心配だな。出会わなくていい相手なら出会わない方がずっといいけれど』
「あら、私だって争わないで済むならそれに越したことはないわ。ただ、興味があるだけよ」
ホルンがそう言うと、コドランは首を振ってため息とともに言う。
『そうだといいけど、ホルンって無駄に厄介ごとをしょい込むからね』
「失礼ね。いつ私が厄介ごとをしょい込んだって言うのよ?」
頬を膨らませて抗議するホルンに、コドランはジト目を向けて、
『クロノスの件とかはどう説明するのさ? あれだって事前に手を出すなって注意されていたじゃんか』
そう言う。ホルンも負けてはいない。
「あれは子どもがやられそうになっていたからじゃない。誰だってあんな場面に出くわしたら、助けてあげたいって思うじゃない」
「くっくっくっ……」
それを聞いて、ロザリアはこらえきれないように笑い声をあげた。それを聞いて、ホルンが慌てて振り向いて訊く。
「私、何かおかしいこと言ってるかしら?」
するとロザリアは笑いを含んだまま言った。
「いや、すまなかった。ついザール様を思い出してのう」
それに、“しょうがないなあ”といった顔のリディアが加わる。
「ザールも、似たようなところがあるもんね。人がいいというか、困っている人を見て手を出さずにはいられないところがあるし」
「似た者同士の主従と言ったところかの」
ロザリアがうなずく。それにホルンが抗議する。
「私は“用心棒のホルン”よ。ザールにしても、あなたたちにしても、私にとっては仲間であって、決して臣下としては考えていないわ」
「ありがたい仰せじゃが、私たちはホルン殿のことはあくまでも王女という立場は崩さぬぞ」
ロザリアが言うと、リディアはうなずいて
「そうだね。“王女ホルンとゆかいな仲間たち”って感じだね」
そう言う。その時、ジュチがザールに言った。
「ザール、左側から変な気配がする」
途端にリディアもロザリアも真面目な顔になってモアウの手綱を執り直す。
「奴らか?」
ザールも戦闘隊形に移行しながらジュチに訊く、
「……違うよ、騎馬の軍団だ」
ザールと共に前衛に移行したリディアが、モアウの上に立ち上がり小手をかざして遠くを見ながら言う。
「……それとは別に、10時の方角から、明らかに異質の妖気が漂ってくる。こちらが『砂漠の亡霊』だな」
ジュチがそう言う。ザールはうなずいてリディアに訊いた。
「リディア、相手の詳細は見えるか?」
リディアはうなずきながら言った。
「見えたよ。あれはどうも『魔軍団』らしいね。どんな奴らかは、ここからは分からないよ」
「まずいな……『魔軍団』と『砂漠の亡霊』を同時に相手にはできないぞ」
ザールはそうつぶやいたが、すぐに決断した。
「僕とリディアで『魔軍団』に当たる。姫様はジュチたちと共に退避してください」
「待ってザール。私も攻撃に加わります」
『死の槍』の鞘を払ってホルンが言うが、ザールは首を振って
「それはいけません。下手をすると『魔軍団』と戦っている最中に『砂漠の亡霊』とも戦うことになりかねません。それよりは姫様はジュチたちと共に退避していただく方が、僕たちも戦いやすいです」
そう言う。ジュチがそれに同意して
「そのとおりです。戦力の分散は良くないですが、この場合は仕方ありません。まずは姫様の安全を確保するのが私たちの務めです。ご理解ください」
そう言って離脱を勧める。ロザリアもそれにうなずいた。
「……仕方ありませんね。では私たちで『砂漠の亡霊』を始末しましょう」
ホルンの言葉に、ザールは厳しい顔をしたが、今は言い争っている暇はないと判断して
「ジュチ、ロザリア、姫様を頼む!」
そう言うと、リディアと共に砂煙を立てて突進してくる騎馬軍団の方へとモアウを駆けさせていった。
「さて、姫様、私たちは少し南東へ進路を向けて戦場から離脱しましょう」
ジュチが言うと、ホルンは明らかに気分を害した顔で言う。
「私は戦場を逃げません」
それに、ロザリアが含み笑いをして言う。
「くっくっ、困った姫様じゃ。我らが南東に逃げれば『砂漠の亡霊』をそちらに引き寄せることができる。さすればザール様たちが『魔軍団』と『砂漠の亡霊』を同時に相手せざるを得ない確率が減る……さようなことも分からんとはのう」
ジュチもそれにうなずく。二人を見てホルンは困ってしまった。ザールとリディア二人だけを戦わせるわけにはいかない——そう思っていたのだが、立場が変わると執るべき行動がこうも変わってしまうのか。
『ホルン、ロザリアさんたちの言うとおりにしよう。でないとみんなが不利になるよ』
コドランの言葉で、ホルンもうなずいて言った。
「分かりました。とりあえず南東に離脱しましょう」
三人はすぐさま南東へとモアウを走らせた。
「来たれる軍はどこの所属だ! 僕はトルクスタン候サーム・ジュエルの嫡子、ザール・ジュエルだ。ザールと知って攻め寄せて来たのか?」
ザールは、『魔軍団』が2ケーブル(この世界では約370メートル)ほどまで近づくと、大声でそう呼びかけた。相手の軍は500騎ほどだった。
「私はこの兵団の団長であるアヴァリティア様の下僕、ガイウスと申します。国王陛下から『ホルン・ファランドールという戦士を捕縛せよ』との命令を受けて参りました」
騎馬隊から隊長が出てきて名乗る。その兵士たちはすべてテラコッタだった。土をセラミックのように焼成して造られた魔人たちである。
……あの『七つの枝の聖騎士団』が出て来たか……気は抜けないぞ。
ザールはそう思い、うなずいて問うた。
「それはお疲れ様なことだ。けれど、我が姿を見て攻め寄せてくるのは近ごろ剣呑なことだ。僕に何か用事でもあるのか?」
ガイウスはあくまで恭しく、けれど声には冷たいものを込めて答えた。
「それは、ヴェストタラバードでザール様のお連れの中に『姫』と呼ばれる女剣士がいたという噂を聞き、それこそホルンに違いないと見当をつけてここまで追い慕って参りました」
ザールはリディアをチラリと見て、微笑んで言い返す。
「それはご苦労なことだ。その女剣士は我が室たる約束を交わした女性。わが友たちが姫と呼ぶのもあながち間違いではないと思うぞ。何にしても人違いだ。他を当たり給え」
「私たちも王命を奉じている身。せめてその女性がザール様の許嫁かどうかを確かめさせていただけないでしょうか」
ザールの答えに、旗色が悪くなったかガイウスは額に汗をして頼んできたが、ザールはにべもなく拒絶した。
「断る。わが室たる姫をそのような下手人と間違われては気分が悪いぞ。二度は言わん、他を当たり給え」
すると、ガイウスは腹をくくったか、声高に手下に命令した。
「我々とて任務を放棄するわけにはいかん、あのモアウに乗った旅人を誰何するぞ。我に続けっ!」
500騎は命令一下、馬蹄を揃えて駆けだす。しかし、その隊列はすぐに乱れた。
「なっ! ザール殿、ご乱心か? 我らは王命を奉じた者だぞ」
部下の数騎がリディアのトマホークによって叩き壊されるのを見たガイウスが叫ぶが、ザールは『糸杉の剣』を抜いて答えた。
「ザール・ジュエル、剣によってその方たちの無礼を誅する。覚悟はいいか!」
「げほっ」
ザールはガイウスを斬り捨てざま、リディアに向かって叫んだ。
「リディア、こいつらは一人も帰すな!」
「分かってまーす!」
リディアはオーガへと形態移行し、テラコッタたちを次々と屠っている。あるいはトマホークでぶっ叩き、素手で殴り、あるいは足で蹴り飛ばす。さすがにオーガであり、その力は計り知れなかった。テラコッタ・ウォーリアは魔力で強化されていて、地上100メートルから突き落とされても壊れない強靭さを備えている。リディアはそれを易々と素手で叩き潰していく。
ザールの方も負けてはいない。『糸杉の剣』はザールの魔力のエレメントを受けて通常の剣より斬れ味と強靭さは増している。その威力は、最も強靭な剣の素材であるダマスカス鋼をはるかに超えていた。
ザールは『糸杉の剣』でテラコッタたちを薙ぎ払い、あるいは『魔力の揺らぎ』を開放して吹き飛ばし、存分に暴れまわった。『白髪のザール』の名に恥じない働きだった。
やがて、最後の1騎をザールが斬り捨てると、戦場には静けさが訪れた。
「……ザール、今さらだけど、こいつらやっつけちゃってよかったのかな?」
『旅の乙女』に形態移行したリディアが、心配そうに言う。ザールは眉を寄せていたが、首を振って言った。
「仕方ないことだ……心配するな、リディア。姫様をサマルカンドにお連れしさえすれば、王室からのお咎めについては何とでも言い開きができる」
「でも、相手は『七つの枝の聖騎士団』が関わっているんだよ? 下手をするとサーム様にも迷惑がかかっちゃうよ?」
『七つの枝の聖騎士団』とは、8人の『聖騎士』と呼ばれる魔導士を中心につくられた騎士団で、王国の軍事参与パラドキシア子飼いの部隊である。団長のアイラをはじめとした8人は無類の魔力の強さを誇り、それぞれが『一人で百万人に匹敵する』と呼ばれている。
その起こりは、パラドキシアの目に適った7千人の魔導士に『魔族の血』を与えて生き残った8人であるとの噂もあり、それぞれが七つの大罪にちなんだ名乗りを持っているため、別名を『贖罪の聖騎士団』とも呼ばれている。王国においては『王の牙』『王の盾』に匹敵する地位を与えられている集団であった。
「仕方ないさ。その時は僕も覚悟を決めるだけだ……ぐっ!」
そう言うザールの顔が厳しくなる。ザールの左手に『魔力の揺らぎ』が集まり、青白い光を上げ始めた。それとともに、ザールは身体をゆがめ、苦しそうな声を上げ始めた。
「ぐっ! ぐおっ……C’est Que Bunst d’iet……」
「ザール! ダメだよ、落ち着いて」
慌ててリディアがザールに飛びつく。リディアはザールを後ろから抱きすくめると、耳元でささやいた。
「……C’est am ‘yem trowa es ‘vastes doraco d’iet sum homo homoni Ernst draco’s」
すると、ザールの左手の光はだんだんと弱くなり、震えていた身体も日常の息遣いに戻った。
「……どう、ザール? アタシのこと分かる?」
リディアが耳元でささやくと、ザールはゆっくりとうなずき、うなずくことで身体のこわばりが解けたようにふうっとため息をついて言った。
「ありがとう、リディア。いつもこの発作の時は君の世話になるね」
「仕方ないよ。ドラゴニュート氏族だもんね?」
リディアは、自分の言った言葉がザールそっくりだったため、くすっと笑って言う。
「ザールのお母様に教えていただいた呪文が役に立つのなら、アタシはずっとザールのために呪文を唱えてあげるよ?」
「……いや、いつかは僕もこれを乗り越えなきゃいけないんだろう。それまでは、すまないがリディアに世話をかけることと思うよ」
残念ながら、いつもどおりザールはリディアの言外の意味に全く気付かない。けれど、そんなザールに失望するでもなく、リディアは笑って言った。
「うん、任されたよ。!?」
その時、散々に叩き潰されてあちこちに散らばっていたテラコッタたちの残骸が、音を立てて集まり始めた。それらの残骸は魔力を秘めた風に乗り、一つ一つが生き物のように他の残骸と結合していく。
「ザール!」
「アヴァリティアは『復活の呪文』を事前にテラコッタたちにかけていたようだな。リディア、これは少し手ごわい相手になるかもしれないぞ。用心しろ」
ザールはリディアをかばいながら言う。その二人の目の前に、身長50メートルになろうかというゴーレムが出現した。
——あのゴーレムのどこかに、ガイウスの核に当たるピースがあるはずだ。それを探し当てなければ勝ち目はないぞ。
ザールは心の中でそうつぶやいた。
一方そのころ、ホルンたちは『砂漠の亡霊』と対峙していた。
「やれやれ、もうちょっと東に進路を振った方がよかったかな? こんなに簡単に追いつかれるとは想定外だった」
ジュチがうるさげな金髪を形のいい人差し指でもてあそびながら言う。
「ぼやいていないで奴らを何とかせんか! 能無しハイエルフと呼ばれたくなければな」
ロザリアがいつになく焦っている。実は、最初に『砂漠の亡霊』と対峙したのはロザリアであり、『毒薔薇の牢獄』に閉じ込めようとしたのであるが、『砂漠の亡霊』は易々とロザリアの結界を破って来た。
「下がっていなさい!」
ホルンは『死の槍』に『魔力の揺らぎ』を乗せて振り回す。確かにその軌道は『砂漠の亡霊』を両断するように描かれているのであるが、『砂漠の亡霊』には効かないようである。
「我らはホルンを求める」
『砂漠の亡霊』たちはそううめき声ともつかない声を上げ、あちらこちらに瘴気の渦を巻き起こす。
……あの渦に呑まれたら、5分と持たないわね。
ホルンは、コドランの『鷹の目』の支援を受けながら、瘴気の渦を避けて相手の『魔力の揺らぎ』が薄い部分を見つけ出しては、そこに移動する。こちらの攻撃で何とか相手の行動を制約できるのは、ホルンの『魔力の揺らぎ』を乗せた槍と、ジュチの矢くらいなものであった。
『あのバケモノめ。ぼくのファイアブレスが効かないなんて』
コドランも、地上の状況をホルンに伝えながらも歯ぎしりしていた。
「我らはホルンを求める」
突然、『砂漠の亡霊』が二つに分かれた。そのタイミングがちょうどホルンの槍で切り裂いたところだったので、
「やった!」
とホルンは続けざまに槍の斬撃を放とうとした。ところが、
「危ない! 姫様」
二つに分かれた『砂漠の亡霊』は、ホルンを挟み撃ちにしてその靄の中に取り込もうとした。それをとっさにロザリアがタックルして救い出す。
「ありがとうロザリア。助かったわ」
「どういたしまして。それにしても厄介なバケモノじゃ」
二人が立ち上がる間、ジュチがその正確無比な射撃で援護している。
「ふむ……」
ジュチは、さまざまな射法で『砂漠の亡霊』にどのくらい効くかを試し続けていた。
「普通の射法では弾き返されてしまう。バーストショットでも効果なし。マグナムショットは相手の『顔』に当たれば若干、相手の動きを止める。マグナムバーストでもマグナムショットと同じ……か」
ジュチはゆっくりと弓に矢をつがえると、狙いを定めて
「では、ストームではどうだ!」
と矢を放つ。ジュチの矢は狙い過たずに『顔』の一つに当たると、その場で炸裂した。
「……わ、我らはホルンを求める」
『砂漠の亡霊』は、一瞬、その暗黒の霧の中に風穴が開いたように見えたが、すぐにその穴は塞がってしまう。
「ちょっとは効いたかな? けれど、こんなもんじゃダメだな。やっぱり、アレをやるしかないか」
ジュチはそうひとりごとを言うと、翠色の光に包まれながらホルンたちのもとへと近づいて行った。
「くそっ! あのバカエルフが、援護射撃を止めてどうするんじゃ。私たちを見殺しにする気か?」
ロザリアは『毒針の風』を放ってホルンを援護しながら、そう悪態をつく。自分の魔術がこうも効かない相手と戦うのは初めてだったので、ロザリアはすっかり動転している。
そこに、ジュチがやってきてホルンたちと『砂漠の亡霊』の間に立ち塞がった。
「何をする、バカエルフ! おぬし正気か?」
思わずロザリアが叫ぶが、ジュチはそれをどこ吹く風と、涼しげな顔をこちらに向けてホルンに言った。
「姫様、ボクの合図とともに、『死の槍』に『魔力の揺らぎ』を乗せて、ボクの方に放ってください」
「そんなことしたら、あなたも無事じゃすまないわよ?」
ホルンが言うが、ジュチは笑顔を絶やさずに笑って言う。
「心配無用です。姫様の魔力をちょっとお借りするだけです。ボクはハイエルフの一族、心配いりません」
そう言うと、ジュチは『砂漠の亡霊』の方に向き直り、胸の前で手を組み、目を閉じて何か呪文をつぶやき始める。呪文が進むとともに、ジュチの身体は翠の光に包まれていく。
「分かったわ」
ジュチの様子を見て、ホルンはうなずくと、渾身の魔力を『死の槍』に込め始めた。ホルンの身体も緑青色の光に包まれ、その光は『死の槍』の穂先へと集中し始める。
やがて、ジュチの翠の光がまばゆいまでになり、金髪が『魔力の揺らぎ』とともに波打ち始めるころ、ジュチはハッと目を開けて叫んだ。
「今です!」
「エイッ!」
間髪を入れず、ホルンは『死の槍』をジュチに向けて突き出す。その穂先がジュチの胸を貫く……とも見えたが、ジュチの身体は『死の槍』が放つ衝撃波と共にパッと光のチリとなり、『死の槍』の衝撃波と共に無数の翠色に光るアゲハチョウが『砂漠の亡霊』の方へと向かって行った。
「我らはホルンを……もとめ……ぐおっ」
『砂漠の亡霊』は、無数のチョウにたかられている。そのチョウたちは、『砂漠の亡霊』に折り重なるように止まり、次々とストローのような口を伸ばして『砂漠の亡霊』に突き立てていく。それとともに、初めて苦しげな声が『砂漠の亡霊』から漏れ始めた。
「われ……らは……ほ……ぐおっ、ギギッ」
光のチョウたちは次々と『砂漠の亡霊』をむさぼっていく。そして、ついには
「ぐおーっ」
光のチョウたちが次々と飛び立ち、ホルンたちの方に向かってくる。やがてチョウが一匹残らず飛び立った時、そこには何も残っていなかった。くぐもるような断末魔の声を残し、『砂漠の亡霊』は消えてなくなったのである。
光のチョウは、ホルンたちから10ヤードほど離れたところで一つにまとまり、それはやがて人の形となり、ジュチが前と変わらない姿で立っていた。
「……ジュチ、そなた、何をしたんじゃ?」
やっとのことでロザリアが訊いてくる。今見たことが信じられないという表情である。ジュチは笑って言った。
「ボクの奥の手の一つで、『貪るパピヨン』というんだ。相手の想念をボクの友たちのアゲハチョウの餌にしたんだが、なかなか美味だったらしいね」
ロザリアは思わず言った。
「なんて凄い魔術じゃ! さすがはハイエルフじゃの」
「どういたしまして、マドモアゼル」
ジュチは優雅に笑ってロザリアに言うと、今度はホルンに向き直って訊く。
「お怪我はございませんでしたか? ミ・ロード」
するとホルンはクスリと笑って言った。
「ホント、ザールが言っていたとおりのハイエルフね。ジュチ、ありがとうございました。凄い技を見せてもらえて、心強いわ」
そして、ハッとして後ろを振り返って言う。
「ザールたちは?」
ジュチとロザリアもハッとして、ホルンが向いた方を見る。そこには、信じられない光景が広がっていた。巨大なゴーレムが、地面に倒れたザールを叩き潰そうとしている。それを邪魔しようとしたリディアを、ゴーレムは思いっきり殴り飛ばす。リディアはぼろきれのように宙を舞い、地面に叩きつけられた。
動こうとしないリディアにとどめを刺すかのように、ゴーレムが腕を振り下ろす。ドスンという重い音がして、土煙が立ち上った。
「リディア、ザールっ!」
ホルンの口から、思わず悲痛な叫びが漏れた。
「リディア、あいつの『核』を探せ!」
ザールは『糸杉の剣』を抜き放つと、リディアにそう言ってジャンプする。ゴーレムへの先制攻撃として、その頭に斬りつけるが、『糸杉の剣』は固い装甲に弾かれた。
ジャリン!
鉄の擦れ合う響きとともに、火花が散る。
「くそっ、さっきとは比べ物にならないくらい固いぞ」
ザールのその叫びを聞いて、リディアはオーガへの形態移行を断念した。代わりに身長170センチくらいの戦士の姿となる。
リディアたちオーガは、その身長を自在に変えられるが、その代わりに攻撃力と防御力が形態とともに変化する。攻撃力が最も大きい形態の時は防御力が最小になり、防御力が最高の時は攻撃力はゼロになる。
それでは不便なので、オーガたちは自分の最もいいバランスの形態を戦闘の状態や推移に応じて選択する。リディアは2.5メートルで最も攻撃力と防御力がバランス(1倍・1倍)し、1.5メートルでは防御力が最大優位、5メートルでは攻撃力が最大優位となる。
リディアが選んだ1.7メートルは、攻撃力が全力の0.8倍程度に下がるが、防御力はMAXになる。防御優位形態だった。ただし、この状態ではトマホークは使えない。
「くらえっ!」
リディアはトマホークと紐づけられた鉄棒を振り回すと、思いっきりゴーレムの頭をひっぱたいた。ボコっという音と共にゴーレムの頭から土くれが剥がれ落ちる。『糸杉の剣』でも傷一つ付けられなかったことを思うと、リディアの打撃力は破格だった。
「ザールっ、アタシがこいつの相手をしとくから、その間に『核』を見つけて!」
リディアは身軽に飛び跳ねながら、隙を見てはゴーレムの身体に鉄棒を叩きつける。そのたびに土くれが剥がれ落ちるが、50メートルもある巨体から比べると、与えたダメージは微々たるものだった。
「くそっ、どこだ。どこにこいつの『核』はある?」
ザールも、ゴーレムの攻撃を避けたり、『糸杉の剣』で弾いたりしながら、必死に相手の弱点を探す。しかし、なかなか見つからない。
……こいつの『核』は、身体の中に埋もれているのかもしれない。だとすると厄介だぞ。
ザールがそう思ったとき、隙ができたのだろう、ゴーレムのパンチがザールにまともに命中した。
「ぐがっ!」
ザールの耳に、自分の左腕と左の肋骨すべてが無残に砕かれる音が聞こえた。それとともに、ザールは血を噴きながら地面に叩きつけられる。
「ザールっ!」
リディアの悲痛な叫びが響いた。リディアの耳にも、ザールの骨が砕けた音が聞こえていたのだ。
ゴーレムは、地面に伸びているザールに、とどめの一撃を加えようと拳を振り上げた。
「させないよっ!」
リディアは、自分の身の危険も顧みず、まともにゴーレムに挑みかかった。高くジャンプし、ゴーレムの目に鉄棒を叩き込む。
「ぐお」
ゴーレムは呻いたが、再度攻撃を仕掛けて来たリディアを平手打ちするように手を振った。
「きゃっ!」
リディアはゴーレムの大きな手のひらを避けることができず、彼女もまたまともに攻撃を食らってしまった。ザールとの違いは、彼女が元々固いオーガであることに加えて、防御最優位の形態を取っていたことである。それでも、彼女は一瞬、気が遠くなった。
「痛っ」
リディアは、地面に叩きつけられた拍子に意識が戻った。そして、頭の上でゴーレムが両手を合わせて背伸びをしているような姿勢を取っていることを悟った時、次に何が彼女を襲うかを理解した。
「くっ!」
思ったとおり、ゴーレムはその全体重を乗せた拳を、思いっきり彼女に叩き込んできた。ズシンという重い響きとともに、土煙がもうもうと舞い上がり、付近の視界を遮った。
ゴーレムは、ゆっくりと拳を地面から離すと、ザールにとどめを刺そうと、地面に伸びているはずのザールの姿を探すが、土煙が邪魔になってよく見えない。
やがて、土煙が少し収まった時、ザールの姿が元の場所にないことを知って、ゴーレムは慌てて辺りを見回した。そして、300ヤードほど先に、ザールを肩に担いで歩いているリディアを見て、ゴーレムはそちらに歩き出す。
「来やがったわね」
リディアはそうつぶやくと、ザールをゆっくりと地面に横にする。ザールはぼんやりと目を見開き、虫の息であるが、それでも『糸杉の剣』を手放していないのはさすがだった。
リディア自身も、先ほどの攻撃で左肩に鈍い痛みを感じていた。防御最優位の形態だったとはいえ、さすがにあの攻撃を向けて無傷でしのげるほどの力は、まだリディアにはなかったのだ。
「ザール、アタシ、力の限り戦うから、その間にきっとジュチたちが救ってくれるから、死んじゃダメだよ?」
リディアはザールの耳元でそう言うと、オーガの形態に戻ってトマホークを虚空から呼び出した。
「さて、やられっぱなしじゃジーク・オーガの名が廃るわね。こっちも全力で掛かってあげるから、覚悟しなさい」
そう言うと、リディアはトマホークを振り上げてゴーレムに喚きかかった。
……こんなことで、負けてたまるか……。
ザールは、ぼんやりとした意識の中で、そう思っていた。ダメージを負っていたが、まだ生きている。生きている限りは戦うのが戦士の務めだった。
……リディアが戦ってくれているんだ。こんな所で倒れている場合じゃないぞ、僕はドラゴニュート氏族じゃないか!
ザールはそう思って、少し腕を動かす。途端に身体中に痛みが走り、気が遠くなった。けれど、ザールの耳にはリディアの声がまだ木霊していた。
『ザール、アタシ、力の限り戦うから、その間にきっとジュチたちが救ってくれるから、死んじゃダメだよ?』
……そうだ、こんなことで、負けてたまるか……わがドラゴニュート氏族の力よ、今目覚めて我を救いたまえ。我に同じドラゴニュート氏族の血を引く姫と、我が良き仲間たちを救う力を与えたまえ。
ザールはそう心から念じた。
「われ、に……力を……」
ザールの口から、そんなつぶやきが漏れる。それとともに、『糸杉の剣』が青白い光を上げて輝き、その輝きはザールを包んだ。
「我に、力を」
ザールの声がさっきよりしっかりしてきた。それとともに、ザールの身体から青白い『魔力の揺らぎ』が燃え立ち、それは左腕をゆっくりと変化させていく。
「ぐっ!……Que est C’est dragonia draco est d’est Dragonestia……」
ザールは、自分の声でハッと意識が戻った。青白い『魔力の揺らぎ』の噴出は止まらない。それは身体中を包み、そして左腕は青く輝く鱗と鋭い爪を持った『竜の腕』と化していた。
「僕は、姫と仲間を守るためにここにいるんだ!」
ザールはそう叫ぶと、リディアと死闘を演じているゴーレムの方に跳躍した。
「くそっ! ザールをひどい目にあわせたお前を、アタシは許さないっ!」
リディアは、自分の身に累積するダメージに構わず、真っ向からゴーレムと叩き合っていた。お互い、相手の攻撃を身体で受け止め、必殺の威力を込めた攻撃を相手の正中線に叩き込む、恐るべき打撃戦を展開していた。
もちろん、リディアは無傷では済まなかったが、ゴーレムもその身体にはボコボコになるほどの風穴や凹みが無数にできていた。
しかし、リディアの防御力が尽きる時が来た。
「がっ!」
リディアは、相手のパンチを受け止めた瞬間、地面から足が離れた。
……ゴメン、ザール……。
リディアは地面に叩きつけられながら、そう最期を覚悟した。
しかし、攻撃は来なかった。
「あれ?」
リディアがゆっくりと顔を上げると、その目に映ったものは、ザールの『竜の腕』に八つ裂きにされ、むき出しになった『核』が『糸杉の剣』で引き裂かれる光景だった。
「ごおおおお」
ゴーレムは、何とも言いようのない声を上げて、ボロボロと崩れ去った。
「ザール……」
リディアは、呆然と立ち尽くすザールが、不意に地面に崩れ落ちたのを見て、自分の身体の痛みも忘れて飛び起きた。
「ザール、ザール。しっかりして」
そこに、ホルンたちが駆け付けて来た。
「二人とも大丈夫?」
『死の槍』を片手にホルンが訊く。リディアはうなずくと言った。
「アタシは大丈夫。けれど、ザールがやられちゃった。聞こえたんだ、ザールの骨が砕ける音が……」
それを聞くと、ホルンは顔色を変えてザールの身体を調べた。それをじっと見ていたロザリアが静かに言う。
「心配いらぬ。ザール様の骨は元通りになっておる。先ほどの攻撃の仕方と言い、恐らく、ドラゴニュート氏族の血が目覚めたのじゃろう」
「……ロザリアの言うとおりだわ。身体のどこにも異常はないわ」
安心したようにホルンが言うと、リディアも、
「よかった……」
そうつぶやいて気を失った。
「とにかく、二人をゆっくり休める場所に移さないと」
ホルンがそう言うと、ジュチが笑って言った。
「ここからサマルカンドまでの途中に、小さな村があります。距離にして10マイル程度ですので、私の友だちに全員を送ってもらいましょう」
「あれはちょっと気持ち悪くなるが、まあこの際、背に腹は代えられないのう」
ロザリアが言うと、ホルンもうなずいてジュチに頼んだ。
「早くそうしてください」
(12 希望の転進 完)
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
ホルンの装備が新しくなり、ザールの力が目覚め、ホルン陣営の骨格が見えてきました。
サマルカンドでどんな事件に出会い、どんな人々との縁がつながるか楽しみです。
次回『13 王女の秘密』で、ホルンにまつわる予言の一端が明らかになります。お楽しみに。