11 運命の邂逅
タラ平原で『タルコフ猟兵団』をとの戦いで、首謀者のタルコフをなんとか倒したホルン。しかし、ゆっくりする暇もなく、自分を狙ってきた『王の牙』エミオット・ジルに勝負を挑まれる。装備を失い、負傷したホルンに勝機はあるのか? そのころ、ザールたちはひたすらタラ平原を目指して馬を駆っていた。ホルンとザール、二人の運命の邂逅が迫る。
ファールス王国は、神話の時代から数えて86代・85人、考古学的に実在が認められているシャー・ホルン1世を初代とすると36代・35人が王位に就いている。
その中で、『歴史の不思議』ともいうべき、この王位継承に関する忌むべきジンクス、不思議な暗合があった。
それは、『ローム』と言う名の王子と『ザッハーク』と言う名の王子の確執に関するものである。
実例としては、第13代シャー・ローム1世は、弟のザッハーク1世によって一時王位を失い、その後ザッハーク1世の失政によって第15代シャー・ローム2世として復位している。
神話の時代にも、『ローム王子がザッハーク王子によって王位継承権を横取りされた』とか、『王の命により、ローム王子が王位を窺ったザッハーク王子を誅した』などの事件が語られているのである。
そのような例があるため、今回のザッハーク2世によるシャー・ローム3世からの王権の簒奪も、王国の心ある人からは『賢王エラム2世唯一の失策』と評されているのである。
その渦中の人物であるシャー・ザッハーク2世は、首都イスファハーンの宮殿で落ち着かない日々を送っていた。
兄王シャー・ローム3世を弑することで王権を簒奪したザッハークであったが、ザッハークが最も警戒した人物がローム3世の実弟でトルクスタン候でもあるサーム・ジュエルであった。
サームはローム3世の信頼も厚く、諸事に慎重で、人格も温厚かつ清廉、そして学術を愛する人物である。また、ただ柔和で知的なだけの人物ではなく、ローム3世からは『11人目の“王の牙”』と称されるほど槍や剣の腕も立った。
トルクスタン候として所領の統治も問題なく、領民からの信頼も厚い。いや、トルクスタン候領だけでなく、国民からの信頼も厚かった。
そんなサームが表立ってザッハークの王位継承に異を唱えて挙兵すれば、王位の行方は分からなかったことだろう。しかし、サームは何故かザッハークの登極にあえて異を唱えず、自らの軍団を抑えて東方で動かなかった。これは、当時ローム3世の生死がはっきりしなかったことと、ローム3世により叩かれたことがあるマウルヤ王国が復讐の機会を虎視眈々と狙っていたこともあって、“東方の藩屏”と称されたサームは動くに動けなかったからである。
いずれにしても、ザッハーク2世は王権を手にし、この25年間はロームの治世を範として大過なく王国を運営してきた。ただし、それはあくまで王国の中央部や大きな都市の周辺のことであり、王の側近たる二人……執政参与ティラノスと軍事参与パラドキシアの恣意的な国家運営が目に余るものとなってきたことや、官吏の悪弊がひどくなってきたことなどにより、いわゆる辺境地帯には王威が行き届かず、盗賊やモンスターたちが跋扈する状況になっていた。
ザッハークが落ち着かないのは、辺境の混乱が原因ではない。辺境は彼が王位を継いだ時からずっと混乱の極致にあった。『用心棒』と呼ばれる者たちや傭兵隊が居なければ、現在でも辺境を旅することなど危険極まりない行為だったに違いない。
ザッハークが落ち着かなかったのは、自分が弑した兄・ローム3世の娘が生きているという噂が、どうやら噂ではないことが確実となったからである。異母弟サームも、実兄であるローム自身が居なくなっている現状ならば、敢えて王位は望まぬであろう。そのつもりがあれば、とっくの昔に兵を挙げているに違いないからだ。
しかし、『正統』の血を引く姫が生きているとなれば、サームがその姫を奉じて挙兵することは十分にありえる。ザッハークの下には、サームの嫡子たるザールが、見聞を広めるためと言う触れ込みで王国内を漫遊しているという話も入っていた。ザールは父サームに勝る英傑だという。ザールが姫を探し出し、サームの庇護のもとに挙兵したら……ザッハークの悪夢はここに極まるだろう。
その『処置』は、信頼する執政参与ティラノスと軍事参与パラドキシアに命じているとはいえ、ザッハークはほぼ毎日その報告を受けている状況だったのだ。
「陛下」
落ち着かないザッハークの下に、冷たい目をしたパラドキシアが現れる。ザッハークはその顔を見るや否や、
「ロームの娘の件はどうなった?」
と聞いた。パラドキシアは表情を動かさずに答える。
「ホルンの件は、『王の牙』筆頭たるエミオット・ジルに命令を下しました。“死神”との二つ名を持つエミオットです。見つけ次第、始末するでしょう」
「ホルンと言う姫は、先の『王の牙』筆頭デューン・ファランドールに育てられ、噂によるとかなり腕が立つというが、大丈夫であろうな」
心配そうなザッハークに、かすかに自信をのぞかせてパラドキシアが答えた。
「デューン・ファランドールは確かに当代随一の槍遣いでした。しかし、エミオットは当代随一の幻術遣いです。ホルンの腕がいかに立とうと、デューンの亜流でしょう。魔術でエミオットに敵う者はいないかと」
「ふむ……それで余が頭を高くして寝られるのであれば、エミオットには好きなだけ褒美を取らせるがよい。パラドキシア、頼んだぞ」
パラドキシアは、ザッハークの顔にやや落ち着きが戻ったのを確認すると、
「御意」
と一礼して部屋を出ていった。
「ふっふっ、これまで25年、余は王国を保ってきた。兄王の娘だとて、今更その邪魔をされてたまるか!」
ザッハークは、沸き起こってくる不安を抑えるように、窓の外を見つめて強い語気でつぶやいた。
★ ★ ★ ★ ★
「私の名はエミオット・ジル。王の命によりそなたを処断する」
ホルンの前に突如現れたその男は、そう乾いた声でホルンに言った。その長い髪は灰色で、その髪から見え隠れする黒い瞳を持つ細い目は無機質な光をたたえ、感情が読み取れない分、不気味さが増していた。
顔はげっそりとやつれていたが、血のように赤く薄い唇に張りがあるので、病気とかではないらしい。彼は、ボロボロの灰色のマントを着ていた。そのマントは足元まで届く長さであり、彼が何をその下に隠しているのかは判別できない。
ホルンの方は、明らかに不利であった。つい先ほどまで、『タルコフ猟兵団』のカツコフと言う指揮官とその部下500人を相手に死闘を繰り広げていたばかりだったからだ。その戦いで、ホルンは革製の胸当てと腹部を守る革製の腹巻を失っていた。
しかし、そんなことをこの相手に言っても始まらない。ホルンは覚悟を決めた。
「あなたは『王の牙』ね? 私が何をしたから王様に命を狙われなきゃいけないのかしら? せめてそれだけは知りたいわね」
ホルンが言うと、エミオットは軽く頭を振って答えた。
「私はただ、王の命でそなたを処断せよと承っただけだ。その理由は知らぬ」
「ずいぶんな言い草ね、それで命を狙われる身にもなってほしいわ。でも、まあいいわ」
ホルンはため息とともにそう言って、それから自分に言い聞かせるように槍を構えて言った。
「何にせよ、あなたを退けないと私の未来はないということね」
男は、ぼーっと突っ立ったままホルンの構えを見ていたが、ポツリとつぶやいた。
「デューン・ファランドールの槍の法だな」
「私の父だもの。当たり前でしょ?」
ホルンが言うと、明らかに相手は首をかしげて何かを考えているようだった。
「……まあよい。デューンは一度勝負してみたかった漢だ。その法を継ぐ相手ならば不足はない」
そう言うと、エミオットはマントの前を開け、右手を拳にして腰に引き付け、左手を手刀として前に突き出す独特の構えを執った。
「……卑怯と言われないために先に言っておく。私は幻術遣いだ。剣や槍を扱う者とは違った戦い方をするぞ。そのつもりで気を引き締めてかかって来い、デューンの娘よ」
ホルンは、そう言ったエミオットの身体が暗く沈み、一瞬見えなくなったことで、
……なるほど、人間には珍しい『闇』のエレメントか。
と、相手の魔力の質を見破った。
「ご丁寧にどうも」
ホルンもそう言って、相手の魔力の開放に合わせたように自分の魔力を開放していく。
「……ふむ、確かに魔力は強いな。それに透き通っている。面白い戦いができそうだな」
エミオットも、ホルンを包み込む緑青色の『魔力の揺らぎ』を見てそう言った。そしていきなり右手を真上に振り上げた。
「暗器飛刀」
それとともに、
『うわああっ!』
そう苦しげな声を上げて、コドランが地面に落ちてきた。
「危ない、コドラン」
ホルンはとっさにコドランを抱きとめる。コドランは身体中から血を流して、目を回していた。
「コドラン、大丈夫? しっかりして」
ぐったりとしているコドランにホルンはそう呼びかける。
「……心配ない、眠ってもらっただけだ。姿を隠しているといっても頭の上を飛び回られるのは少々気になるのでな」
抑揚のない乾いた声でいうエミオットを、ホルンはキッと睨み付けて言った。
「コドランをよくもやってくれたわね。コドランの分も思い知らせてあげるわ」
そう言いつつ、こどもとはいえ固いドラゴンの皮膚を易々と貫通させる相手の魔力に
……確かに、一筋縄ではいかない相手だわ。
と気を引き締めたホルンだった。
……先手必勝!
ホルンは、コドランを近くの草むらに寝かせると、そこからいきなり『風の翼』を使ってエミオットに槍の一撃を叩き込んだ。しかし、
「!?」
マントを翻してホルンの槍を受けたエミオットは、そこにはもうおらず、ホルンの槍はむなしく宙を切っていた。
「……思ったよりも速いな」
最初の場所から5メートルほど右斜め後ろにいたエミオットがそうつぶやくのを聞いたホルンは、『魔力の揺らぎ』をエミオットに叩きつけると同時に、『風の魔力』を乗せた槍を滑らせるようにして突き出す。
しかし、エミオットは、先の攻撃と同様、マントを翻すことでホルンの『魔力の揺らぎ』を弾き返し、続いての槍の攻撃については左に体を開くことでかわして見せた。かわしざまに、エミオットはホルンの右腕に攻撃を仕掛ける。
「暗器飛刀」
「くっ!」
ホルンは左に跳んでエミオットとの距離を開く。その右ひじからは血が滴っていた。
……何、今の技は? 武器が見えなかった。
ズキズキと痛む右ひじを押さえながら、ホルンが戸惑っていると、エミオットが声をかけてきた。
「どうした、まだ槍は持てるだろう? そんなに深く突き刺した覚えはないぞ」
「そうね」
ホルンはそう言うと、もう一度『死の槍』を突き出すと見せて一旦引き、相手の動きを見てさらに踏み込んで『死の槍』を振り回した。エミオットはホルンの最初の動きに合わせてマントを翻したが、槍が来ないと見切るや、そのまま後ろへと跳んで『死の槍』の斬撃をかわした。
「ていっ!」
今度は、いきなり斬撃を真っ向から放つ。ただ斬るのではなく、『魔力の揺らぎ』が乗っているので、槍が届かなくても斬撃波で相手を真っ二つにするはずだが、それもエミオットのマントに阻まれる。
「あのマントが邪魔よね」
ホルンは『魔力の揺らぎ』を槍の穂先に集め、滑るように突き出す。今までこの突きで破れなかったものはない。思ったとおり、『死の槍』はエミオットのマントを貫いた。
「えいっ!」
ホルンは、マントを引っ剥がそうと突いたまま上へと槍を振り上げる。しかし、エミオットはその槍の動きに合わせて上へと跳んだ。そこをすかさずホルンは突いて出る。
「おおっと!」
小癪にもエミオットは『死の槍』を踏み台にしてジャンプし、ホルンと間を開けて着地する。
「なかなかやるな」
エミオットがそうつぶやくのを聞いたホルンは、もう一度『魔力の揺らぎ』をエミオットに叩きつけると同時に、『風の魔力』を乗せた槍を滑らせるようにして突き出す。
しかし、エミオットは、前回の攻撃と同様、マントを翻すことでホルンの『魔力の揺らぎ』を弾き返し、続いての槍の攻撃は右に体を開くことでかわして見せた。かわしざまに、エミオットはホルンの左腕に攻撃を仕掛ける。
「暗器飛刀」
「くっ!」
ホルンは右に跳んでエミオットとの距離を開く。今度は左ひじにダメージを負っていた。
……武器が見えないのは厄介ね。
両肘に受けたダメージはまだ小さいが、それでも槍を扱うには多少の支障がある。どうしたものかとホルンが思っていると、エミオットがまた声をかけてきた。
「まだ槍は持てるだろう? 今度もそんなに深く突き刺した覚えはないぞ」
……今度こそ決める!
ホルンは黙って槍を握り直すと、魔力を自分の身体の中に凝縮させた。ホルンの身体をゆらゆらと包む緑青色の『魔力の揺らぎ』は、だんだんとその幅を狭め、そして輝度が増していく。その凝縮が限界に達した時、ホルンはエミオットに向かって跳んだ。
エミオットはさっきのようにマントを翻すことで防御態勢を取ろうとする。しかし、何度かの技の応酬で、ホルンは、
……エミオットはマントを翻しながらその場に『魔力の揺らぎ』を作り出して、自分の実際の動きが悟られないようにしているんだ。
と見破っていた。そのため、『時の導き』をここで使ったのだ。
「何ッ?」
エミオットは、ホルンの槍が自分の『魔力の揺らぎ』を突き破って自らの身体に突き刺さったのを見て叫び、後ろに跳んだ。ホルンはすかさず槍で斬撃を送る。それにも手応えがあった。さらにエミオットは、後ろに跳んでいたのだが
「おおっ!」
いつの間にかホルンがそこに先回りして、槍を構えているのを見て驚きの声を上げる。
「やっ!」
「むっ!」
ホルンの電撃のような突きをエミオットは辛うじてかわし、今度は自分から大きく間合いを開けた。ここまでかかった時間はほんの瞬きするくらいの時間に過ぎない。
「これは驚いた。私に傷をつけたのは君が初めてだ、ホルン」
エミオットは忌々しげに言うと、次の攻撃に備えて魔力を凝縮しつつあったホルンに先制攻撃を仕掛けた。
「暗器爆地」
「あっ!」
ホルンは、いきなり自分の目の前の地面が爆裂して、無数の鋭い錐のようなものが身体中に突き刺さるのを感じた。魔力の凝縮から発動までのほんの0.01秒と言う間隙を突かれたのだ。しかし、ホルンも瞬間的に後ろに跳んだので、相手の魔力が身体をズタズタにすることだけは免れた。
「暗器爆地」
「くっ!」
また同じ攻撃が、今度は左右から来た。ホルンは無数の『魔力の錐』を浴びつつも、後ろへと跳ぶ。
「暗器爆地」
三度目も同じ攻撃だった、ただし、今度は前と左右の三方向から来た。
……後ろに跳んだら何か来るわね。
そうとっさに思ったホルンは、上へと跳んだ。しかし、これが裏目に出た。
「君はとても頭がいい。だから私の罠に引っ掛かった」
なんと、エミオットはホルンの目の前にいた。その顔に初めて表情——ニヤリとした笑いを浮かべながら。ホルンは途端に心臓が跳ね上がり、ヒヤリとした。
「暗器飛刀」
「きゃああっ!」
エミオットはホルンの心臓目がけて至近距離で技を放った。ホルンはその技をまともに食らって弾き飛ばされた。
「くっ……」
ホルンは、地面に叩きつけられてうめき声を上げる。わずかに身をよじったことでエミオットの技が心臓を貫通することは避けたが、右の籠手に縫い付けられた鍛鉄の胸当が無残に砕け散っていた。それがなければ肺がえぐられただろう。しかし、ホルンも大きなダメージを負っていた。
……あの技が致命傷にならなかったのは、亡きデューン様のご加護があったからかな。でも、右の肋骨をやられたわね。息が苦しい。
「これは驚いた。まだ生きているとはね」
エミオットはホルンがまだ動くのを見て、心底驚いた顔をする。しかしホルンは、身体中に『暗器爆地』の影響を受けてあちこちから血を噴き出していた。
「今度こそ動くんじゃないぞ、楽にしてあげるからな」
ゆっくりと近づいてくるエミオットの気配を感じながら、ホルンは『死の槍』を掴んで無意識に攻撃を発動していた。
「わが主たる風よ、その清冽な力を集めて闇の力を払いのけ、魔道のものに『Memento Mori』(死を思い出さ)せよ!」
ホルンは飛び起きると、『魔力の揺らぎ』を一瞬で凝縮して『死の槍』に乗せつつ投げつけた。
「ぐおーーっ!」
エミオットの断末魔の声が響いた。ホルンが再びやっとのことで立ち上がってみると、エミオットは心臓を『死の槍』で刺し貫かれて、ゆらゆらと立っていた。その口元からは血があふれ出て、灰色のマントを赤く染めている。
「……くっ! なんて凄い奴だったの……『王の牙』恐るべし」
ホルンは、痛む右胸を押さえながらそうつぶやいた。その時である。
「……まだ過去形で言うには早いぞ。そなたこそ恐るべき敵だよ、ホルン」
信じられないことに、エミオットはそう言うと、自分の胸に突き刺さった『死の槍』を抜き取った。抜き取ったところからおびただしい血が噴出するが、エミオットはその傷口を手で押さえて魔力を集中させる。10秒ほどで傷はふさがった。
「先に見せてくれた『時操魔法』といい、今見せてくれた『死の槍』の境地と言い、そなたは私が会った中で最高の相手だよ」
そう言いながら、エミオットはホルンに『死の槍』を投げてよこす。ホルンは、『死の槍』につかまりながら茫然とつぶやいた。
「今思い出したわ……あなたは『アンデッド・ジル』ね」
ホルンのつぶやきに、心地よげな笑みを浮かべてエミオットが答える。
「デューンに話は聞いていたようだね。私は『王の牙』の中で最も死に遠い男なのさ。さて、ホルン。君が今度はどんな技を見せてくれるのか楽しみだよ」
ホルンは、槍にすがってやっと立っている状態だった。今の状態では、このような死闘は幾らも続けられない。それはホルン自身がよく分かっていることだった。
……けれど、相手が不死なら戦いようがないわ。
ホルンの心に、ジワリと『絶望』と言う黒い影が広がり始めた。
★ ★ ★ ★ ★
「戦士には、二通りのパターンがある」
暖炉の火を見つめながら、一人の男が言う。亜麻色の髪と石色の瞳を持ち、雰囲気は柔和だが毅然とした物腰である。
彼の名は、デューン・ファランドール。ファールス王国随一の戦士が任命される『王の牙』の筆頭だった男である。彼は、『死の槍』を扱いながら、テーブルをはさんでこちらを見つめている少女……ホルンに話をしていた。
「一つは、『術力』を軸に戦いを挑む者、もう一つは『魔力』を軸に戦いを挑む者だ。これとは別に、『体力』を軸にするものと『知力』を軸にするものという分け方もあるが、この場合は『知力』の方が優位に立てるのは言うまでもない。猪武者は今も昔も、智者の罠にはまるだけだ」
ホルンはうなずく。よっぽどこの手の話題が好きなのだろう、その瞳はキラキラと輝いている。それを見て、デューンは続ける。
「術力とは、体技のことだ。槍をどう構え、どう突き、あるいは払い、あるいは回すか。これは一般の戦士ならば誰でもが修練することだ。今、私がホルンに教えているのも、『術力』を上げるためのものだ」
「じゃあ、『魔力』を上げるためにはどうすればいいの?」
ホルンが尋ねると、デューンはホルンの横に座っているエルフの女性を見つめて言った。
「『魔力』は、その人が覚醒しているエレメントによって違う。ホルンはアマルと同じ『風』だったな? アマルからいろいろな術式を習っているだろう?」
ホルンはうなずいて言った。
「うん。でも『魔力』を戦いに利用するのって、どうすればいいの? 魔術で攻撃魔法とか、防御魔法とかあるの?」
その問いには、アマルが答えた。
「魔法はあくまで魔法で、その術式は一つの体系です。だから、『攻撃魔法』とか『防御魔法』とかいう分け方はないのですよ。例えば、『風の螺旋刃』にしても、相手に対して使うなら攻撃、自分の周りに起こして身を守るのなら防御になりますね」
「ふ~ん、使い方次第かぁ」
ホルンが言うと、デューンはうなずいて
「その通りだ。魔法は使い方次第なのだが、魔法を主体として戦う場合には、大きな制約がある。これは大事なことだから、よく覚えておくといい」
そう言う。ホルンはアマルに訊いた。
「ねえアマル、どういうことか教えて?」
アマルはニコニコしながらホルンに答えた。
「まず大事なことは、『魔法はエレメントの制約を受ける』と言うことです。例えば『水』のエレメントでは『火』の術式は使えないということですね。次に『エレメントには相互に干渉する関係がある』ということです。例えば『水』は『火』に強く、『火』は『風』に強く、『風』は『土』に強く、『土』は『水』に強いということですね」
「うん、それはアマルに教えてもらったよ」
屈託なく笑うホルンの頭をなでながら、アマルが続けて言う。
「ホルン様、今まで伝授した術式は覚えていますか?」
ホルンはニコニコしながら、指を折って答えていく。
「え~と、『放出術式』『拡散術式』『収斂術式』それと『爆散術式』だったっけ」
アマルはニコニコしながら言う。
「よくできました。もう少ししたら、『転移術式』を教えて差し上げますが、この術式と次の『繰込み術式』は特にエレメントの制約に気を付けてくださいね」
「うん」
「ほう、ホルンはもう『転移術式』まで習得できるほど成長したのか。あの術式は私も特に力を入れたが、なかなかものにするのは骨だった」
デューンが言うと、アマルが目を丸くして訊く。
「あら、デューン様でも不得手なことがあるのですか?」
「それはそうだ。私だって人間だからな。特に『弱点防御』の際に、何をエレメントと調和させるか、その選択が難しかったな」
★ ★ ★ ★ ★
ホルンは、なぜだかそんな昔のことを思い出していた。ああ、あの話をしたのはいつだったっけ。アマルがまだ生きていたから、私がまだ10歳くらいの時だわ。
ホルンは、ハッと我に返った。いけない、まだ相手を倒したわけではない。ここでぼっとしていたら、こちらがやられてしまう。
「どうしたホルン、そちらが来ないなら、私の方から行くぞ」
エミオットはからかうように言うと、
「暗器爆地」
「はっ!」
またホルンの前で地面が炸裂する。ホルンは後ろに跳び、『魔力の錐』を避ける。
「暗器爆地」
今度は左右だ。これを後ろに跳び、次に三方から来たものを上に跳んだ時、最後の攻撃が来た。今度はどうするのだろう。パターンは同じなのか、違うのか。
「暗器爆地」
やはり三度目が前と左右に来た。ホルンは後ろに跳んだ。上に跳べば、とっさの場合に身体の自由がきかないからだ。また、上に跳べるほどホルンに体力が残っていなかったことも大きい。
しかし、今度はエミオットの攻撃がなかった。エミオットは上に跳んでいたらしい。
「さすがに君は頭がいい。裏をかいてまた上に跳ぶかと思っていたが」
エミオットは楽しんでいるのだろう。そんなことを言いながら、ボロボロになっているホルンをニヤニヤとして眺めている。実際、ホルンの服はあちこちが破れ、肌が露出しているところもあった。普段これだけ露出すれば、恥ずかしくてたまらないのだろうが、今は戦闘中である。まあ、露出している部分は大体ケガをしていて血が滲んでいるので色気なんてちっとも感じられないだろうが。
「……趣味が、悪い、わね。私が、どんな、状態か、分かって、いる、くせに」
すっかり息が上がったホルンは、とぎれとぎれにやっとそう言う。
そんなホルンを憐れむように、エミオットはマントを広げながら言った。そのマントの奥には禍々しいほどの『魔力の揺らぎ』がたゆたっているのが見える。
「では、楽にしてあげよう。ホルン、ゆっくり眠れ」
すでに半分身体の自由が利かなくなっていたホルンが、覚悟の目を閉じたその時、
『ホルンをよくも~!』
「おっ!」
目を覚ましたコドランが、エミオットに特大のファイアブレスを浴びせたが、エミオットは間一髪、それを避けて言う。
「おやおや、チビドラゴンくん、もう目を覚ましたのかい。仕方ないね、また寝てもらおうか。暗器飛刀!」
コドランはエミオットの術をファイアブレスで防いで言う。
『同じ手を食うかボケ! こんどはぼくの番だ!』
「おっ!」
またも放たれたコドランのファイアブレスだが、今度は火の玉状に何発かを時間差で放つ。それをエミオットは難なく破砕したり、かわしたりしている。
「!」
しかし、エミオットの動きを見て、ホルンはハッと気づいた。エミオットは、ある条件の火の玉については避けるが、あるものについては破砕していた。それは、
……あいつは、自分の影に近づくファイアボールは破砕している。
と言うことだった。その意味するところは……。
……魔法を主体として戦う場合には、大きな制約がある。
……『魔法はエレメントの制約を受ける』と言うことです。
……『弱点防御』の際に、何をエレメントと調和させるか……。
……私は『王の牙』の中で最も死に遠い男なのさ。
「そうか……だからあいつは、『私は不死だ』とは言わなかったんだ」
ホルンはそうつぶやいて、『死の槍』を握りしめた。
『この、この、ちょろちょろするな!』
コドランは、やたらめったら四方八方に火の玉をまき散らしている。あちこちに飛ぶ火の玉を、エミオットはあるいはかわし、あるいは破砕していたが、
「猪口才なチビドラゴンめ、相手がコドモだと思ってこちらが手加減していれば付け上がりおって。これでも食らえっ!」
堪忍袋の緒が切れたか、エミオットは両手でマントを広げ、それをふわっと浮かせるように前に回し込んだ。
「暗器抱擁」
『ぐぎゃっ!』
コドランは、周囲に突如現れた『魔力の揺らぎ』に取り込まれて押しつぶされた。といっても、コドランは気絶して地面に叩きつけられただけだった。人間ならば肉塊に化すはずの力を受けてなお、気絶くらいで済んだというのはさすがドラゴンと言うべきか。
「さて、次は君だが」
エミオットはマントを広げでホルンに向き直った。その瞬間、ホルンはすべての魔力を『死の槍』に込め、
「わが主たる風よ、その清冽な力を集めて闇の力に追いすがり、魔道のものに『Memento Mori』(死を思い出さ)せよ!」
と、『死の槍』をぶうんと投げつけるとともに、
「これで終わりよっ!」
そう叫んで、『アルベドの剣』でエミオットに斬りつけた。
「ぐはあっ!」
エミオットは、胸を押さえて苦しげな声を上げる。エミオットの『暗器抱擁』は、『アルベドの剣』によって破砕されていた。
「ぐ……よ、よく私の術式を見破ったな……」
ホルンの『死の槍』は、エミオットの影に突き立っていた。その場所は、心臓。ホルンはゆっくりと『死の槍』に近づくと、それをグイッと地面に深く突き刺す。
「ぐおおおーっ。ぶふっ!」
エミオットは、今度こそ本物の断末魔の声を上げ、口から大量の血潮とあぶくを噴きながら斃れた。引き抜かれた『死の槍』の穂先には、エミオットの心臓が残っていた。
「……今度こそ、勝負がついたわね」
ホルンはそう言うと、倒れそうになる自分を励ましながら、『死の槍』にすがって歩き始めた。そしてコドランを抱え上げると、よろよろといずこへともなく歩き出した。
★ ★ ★ ★ ★
ザールたち一行が、『タルコフ猟兵団』の司令官タルコフとともにイルザの町を出発したのが6点半(午前7時)だったが、時刻はホルンと猟兵団が激突するという7点半(午前9時)をとっくに過ぎて、閏7点(午前10時)にさしかかっていた。
「タラ平原まであとどのくらいだ?」
ザールが焦った声で訊く。出発以来、何度この質問を発したか知れない。
「もうあと12マイル(この世界では約23キロ)になった。この調子だとあと一時(2時間)で着くよ」
隣で優雅に馬を駆るジュチが答える。
「もっと急げないのか?」
ザールの問いに、ロザリアが言い聞かせるように言う。
「これ以上、馬を急かせたら潰れてしまうぞ。そしたらもっと着くのが遅れる」
「ザールの気持ちは分かるけれど、ここは我慢だよ?」
リディアもそう言ってザールをなだめる。ザールとしては、サマルカンドを出てやっとその所在がはっきりつかめた『ホルン姫』が、『タルコフ猟兵団』から仇として狙われている状況は気が気でないだろうが、リディアとしては別の意味で気が気でなかった。
……そりゃあさ、ザールも、相手がこの国のお姫様なんだから心配するのは当然だろうけれど、それでもザールの心配の仕方はあんまりだよ。アタシの時にはこんなに焦ったりしないしさ……。
ぶつぶつとつぶやいているリディアである。
「リディア、おぬしの気持ちも分かるが、これは国の大事だと割り切らんと仕方ないことじゃ」
ふいに、隣でロザリアがそう言う。リディアはパッと顔を赤くしてロザリアの方を向いた。ロザリアは前を向いて馬を駆りながら続けて言う。
「私だって、そのホルンと言う姫様には嫉妬しておるぞ。ザール様の気持ちを独り占めにしておるからのう。けれど、それもこれも国の大事、ザール様の言葉を私は信じておる」
「あ、アタシだって、ザールの言葉は信じているさっ!」
思わず声が大きくなるリディアだったが、ロザリアの
「そうか、それは重畳」
という答えを聞いて、小さくつぶやいたのだった。
「信じているけど、姫様がうらやましいんだ」
ザールがじりじりとする中、一行は何とかタラ平原まであと3マイル(約5キロ)の地点まで来た。時間はもうすぐ8点(正午)になるところだった。
「おっ、あれは?」
先頭で馬を走らせていたタルコフが、そう言って急に馬を速める。他の4騎もそれに続いた。
「どうした、タルコフ殿?」
ザールが訊くと、タルコフは眉をひそめて答える。
「あそこに固まっているのは、カツコフの第2タクシスのようですが、それにしては数が少なすぎる……。とにかく、私が先に行って話を聞いてみます、部下がまだ興奮している可能性がありますので、ザール様たちはゆっくりおいでください」
そう言うと、タルコフは馬を飛ばして先に行ってしまった。
「お前たちは第2タクシスか? カツコフはどうした?」
数十人が集まっているところに、タルコフがそう言いながら馬を近づけた。そこにいた兵士たちはタルコフの姿を見ると、
「あっ、司令官殿」
「司令官殿だ」
と騒ぎ立てた。その中の先任者が、
「司令官殿だ、全員整列」
と号令をかける。全員がそれに従った。さすがに軍隊式に訓練を重ねた『タルコフ猟兵団』の面目躍如たる光景だった。やがてタルコフが近づくと、
「頭ァー、中っ!」
と、一糸乱れぬ敬礼を捧げた。そこにタルコフが馬を止めて答礼する。
「直れっ!」
「お前たちは第2タクシスか? カツコフ大隊指揮官補はどうした?」
タルコフが訊くと、先任者が答えた。
「わが第2タクシスは、本日7点半(午前9時)を期して目標を襲撃しましたが、約半時(1時間)の戦闘でカツコフ部隊長殿はじめ戦死150名、戦傷者230名を出しました。動ける者約150名は、味方遺体の収容と埋葬、及び負傷者のヴェストタラバードへの搬送をしております」
「カツコフが死んだ?……それは残念だった。私がもう少し早く気が付けば、あたら勇将を失くさずに済んだのに……」
タルコフはひどく気落ちしたが、それでもまだ確かめることがある。
「ホルン・ファランドール殿はどうされた?」
先任指揮官は、タルコフが目標を『殿』付けしたことに面くらいながらも、
「ホルン……殿は、部隊長殿を討ち取った後、我らに遺体収容を許可していずこかに立ち去りました」
と答える。
「そうか、ケガとかはされていなかっただろうな?」
タルコフのこの問いに対しては、
「それが……」と口ごもり、思い切ったように報告した。
「部隊長殿との一騎討ちで、手傷を負われた模様です」
「なんと! それでは我々はすぐさまタラ平原に行って、ホルン殿を捜索する。私の後からクラブチェンコが続行しているので、第3タクシスが到着したらクラブチェンコの指揮下に入れ」
「はっ!」
タルコフは先任者の敬礼を見ると、すぐさま馬首を向け変えた。
「ホルン殿はまだタラ平原におられるようです。わが第2タクシスとの間に戦闘は起こった模様ですが、第2タクシスが敗退しております」
その報告を聞いたザールは、タルコフの手を取って言った。
「仕方ないこととはいえ、そなたの部下を失ったことは残念に思う。そなたはここまで良くしてくれた。あの兵たちと共に部隊の収容と再編成を急いでくれ。そして、何かある時には力を貸してもらえればありがたい」
それに対してタルコフは笑って答えた。
「いえ、こちらこそ、危急を救っていただいたことは感謝の言葉もございません。『タルコフ猟兵団』は、ザール様の命ならばいついかなる時でも従います」
タルコフを見送った後、ザールはジュチ、リディア、ロザリアを見て言った。
「僕たちは、姫を収容する。みんな、あと少しだ」
「ここが、いい、わね……」
ホルンは、痛む身体を引きずり引きずり、やっとエミオットとの決闘場所から半マイル(約930メートル)ほど離れた場所に、乾いた洞窟を見つけた。その洞穴は口がすぼまった瓶に似ていて、入り口は直径3フィート(約90センチ)くらいのほぼ円形で、中は縦8フィート(約2.4メートル)、横10フィート(約3メートル)、奥行き10フィートのかなり広い空間だった。床も入り口に向かって下がっていて、湿気もなかった。
ホルンは、とりあえずコドランのために近くの草をとってきてベッドを作った。コドランはドラゴンではあるがまだこどもだ。それなのに今日は恐るべき戦士を相手によく戦ってくれたと思う。コドランは生き別れた母を探している。母に会わせるまでは絶対に死なせたりはできないなとつくづく思うホルンであった。
「私も、疲れた……」
ホルンは『死の槍』を入り口近くに立てかけると、自分も横になった。本来は『用心棒』たるもの、入り口横の壁にもたれて眠るべきなのだが、今日と言う今日はそんな余力もなかったのだ。
「動けるようになったら……コドランをお医者に診せなきゃ……」
ホルンはそうつぶやきながら、深い眠りに落ちて行った。
「これは……」
ホルンが何とか隠れ家を見つけたころ、タラ平原に到着したザール一行は、眼前に残る激闘の跡を見て絶句していた。戦場の掃除は終わったとはいっても、タルコフ猟兵団の兵士たちの流した血の跡や打ち捨てられた装備品などが散乱していたのだ。
「ふん、ホルン姫はあちこち飛び回って攪乱戦法で戦ったらしいね。賢い姫だ」
ジュチがそう言って興味深そうに戦場全体を見ている。
「ザール、ここに胸当てと腹巻がある」
目ざとくホルンの装備を見つけたリディアがそう叫ぶ。ザールはすぐにその場に駆け寄った。確かに女性用だろう、幅と厚さは男性用ほどではないが、造りはがっちりとして固い。その胸当てや腹巻がざっくりと裂けていた。よほどの相手と戦ったらしい。
「これが相手の得物だね」
リディアが、中ほどから折れたらしい両手剣の刃先を見つけて言う。刃先と言っても70センチはある。健全な状態なら刃渡りは1.5メートルを超えているだろう。
「この装備は確かに無残な状態だけれど、そんなに血がついていない。と言うことは、手傷は軽いとみなければならないな」
ザールが言うと、ロザリアが首を振って言った。
「どうもそうではないようじゃ。その両手剣の奴とは別に、姫様に挑んだ奴がいるようじゃ。おそらく、両手剣の奴より後じゃろうな」
「なぜそんなことが分かる?」
ザールが訊くと、ロザリアは軽く片目をつぶって見せてから、
「ザール様ほどのお方が、魔力の名残がなぜ分からん? 向こうに突き立っている木の棒があるじゃろう? あれは明らかに墓標じゃ。とすれば、姫はかなりの重傷じゃな」
そう言う。ザールはその場所に駆けだした。
「確かに、ここは元々は窪地のようだ。そこに相手の死体を置いて上から石や土をかけたのだろう。あまり厚く土をかぶせていないのは、時間がなかったのか、その余力がなかったのか……」
そこまで言って、ザールは首を振った。
「戦士たるもの、相手の戦士に敬意を払うのが当然。その敬意とは、相手の遺体を野犬などに荒らされないよう、できるだけ深く埋葬することも作法の一つ。姫がその作法を知らないとは思えない」
「つまり、姫は相手を深く埋葬してやれるほどの余力がなかったということだな。これは急いで探し当てないと、マズいことになるな」
ジュチはそう言うと、両の手のひらをぐっと握りしめ、
「探しておくれ、我が友たちよ。相手は『風』のエレメントを持つ姫様だ」
そう言うと、手のひらを開く。そこからたくさんのアゲハチョウが飛び立ち、四方へと飛んで行った。
★ ★ ★ ★ ★
ホルンは、夢を見ていた。
夢の中の自分は、武装しておらず、旅の途中で出会う娘たちのような服を着ていた。
『ヤだ、こんな服歩きづらいし、足がすうすうする』
ホルンは、誰かにそんな文句を言っている。しかし、その相手は困ったような顔をして頭をかいている。
『し、しかし、姫様には姫様に相応しい服装がありますから』
その青年は、そう言った。何、その“姫様”って?
『ホルン、そなたは一人ではないぞ。ホルン姫、その剣と共に仲間が集うだろう』
突然、デューン・ファランドールの顔が現れてそう言った。
『デューン様、それが最後に言いたかったことなんですか?』
ホルンが訊くと、デューンは笑顔でうなずいて消える。そして、コドランがかわりに現れて言う。
『ホルンはぁ、絶対にドラゴニュート氏族だよ。ぼくが言うから間違いない』
そして、あのシュバルツドラゴンの棟梁、グリンが現れて言う。
『そなたには、そなたの知らない、そなたの秘密があるようだ。その時のために、心の準備をしておくがいい』
『その時なの? その時が来たの?』
夢の中のホルンは、そう言いながら戸惑っていた。
ホルンが目を覚ました時、最初はわけが分からなかった。自分はエミオットを倒し、重傷を負って近くの洞窟に隠れたはずだったけれど……。
ホルンは、自分が固い土の上ではなく、柔らかく暖かいベッドに寝かされていることを知った。ここはどこだろう……。ぼんやりとした頭で、その後のことを思い出してみる。
……私は、少し眠ったらコドランを連れて町に行かなくちゃと思っていた……だってコドランが……。
そして、ハッとした。
「コドラン! うっ!」
ホルンは起き上がろうとして、身体中を走る激痛に声を上げた。特に右の胸が痛い。鈍い痛みだ。そして次に気付いたのは、自分がいつもの服ではなく、夢の中で見たいわゆる“女性らしい”服を着ていることだった。
……これはどういうことかしら……。
ホルンが戸惑っていると、さっきの声を聞きつけたのか、二人の女性が部屋に入って来た。一人は茶褐色の髪に褐色の瞳を持ち、身長は150センチくらいの女性、もう一人は黒い長髪に黒曜石のような瞳を持ち、身長は160センチくらいの女性だ。
けれど、ホルンにはすぐに二人が人間ではないことを見抜いた。恐らく茶色の髪の女性はオーガ、黒髪の女性は魔族だろう。
「お目覚めになったようじゃな」
黒髪の女性がそう話しかけてくる。見た目よりは中性的で心地よい声だった。
「よくお休みになれましたか?」
これは茶髪のオーガが言った言葉だった。オーガとは思えぬほど可愛らしい声だなとホルンは思った。
ホルンは横たわったまま訊く。
「私はホルン・ファランドール、槍遣いです。助けてくださって感謝します。ぶしつけですが、一緒に仔ドラゴンがケガをしていたと思いますが、どうしていますか? そして、ここはどこで、あなた方はどなたですか?」
ホルンの問いを微笑みを浮かべて聞いていた二人だが、茶髪の女性がまず口を開いた。
「ご丁寧にどうも。最後の問いからお答えします。アタシはリディア・カルディナーレ、トルクスタン候世子のザール・ジュエル様の護衛です。こちらは同じくロザリア・ロンバルディアです」
「一緒にいた仔ドラゴンは、さっき目を覚ましたようなので、私たちの連れであるジュチ・ボルジギンというハイエルフが相手をしておる。心配されずともよろしいぞ、姫様」
黒髪の女性……ロザリアがそう言う間に、リディアは次の間に引っ込んでいた。恐らく、ホルンが目覚めたことを誰かに伝えているのだろう。
やがて、リディアと共に二人の若者が部屋に入って来た。一人は金髪青眼でハッとするほどの美貌の持ち主だった。特徴のある耳をしているので、こちらがジュチと言うハイエルフらしい。彼はコドランを抱えている。
もう一人は、白髪で緋色の瞳をした、見るからに精悍な若者だった。身長は180センチくらいで引き締まった体躯をしており、ホルンの目から見てもまぶしいほどの温かい『魔力の揺らぎ』を感じられた。こちらが彼らの主人であるザールであろう。
そしてザールは、ホルンのベッドのすぐそばに来るとそこにあった椅子に腰かけた。
「初めまして、私はトルクスタン侯サーム・ジュエルの嫡子、ザール・ジュエルと申します。以後お見知りおきを、ホルン姫」
ザールの声は、まるで春風のように清々しかった。聞いているだけで身体中の傷が癒えていくような優しさにあふれている。その声を聞いたホルンは、
……このような人物こそ、人の上に立つに相応しい英傑と言うのだろうな。
と考えていた。
「コドランや私を助けていただき感謝します。また、ザール様のような高貴の方にお会いできて光栄です」
それを聞くと、ザールは優しく微笑んで言った。
「こちらこそ、先の国王シャー・ローム陛下と王妃ウンディーネ様の忘れ形見であるホルン第一王女にお目にかかれて光栄です。私の友であるジュチ、リディアそしてロザリアともども、これから王女様を護衛しますので、王女様にはわが居城であるサマルカンドにお運びいただきたいと存じます」
それを聞いて、ホルンは微笑んで言った。
「ちょっと待って。私が王女? 悪い冗談じゃないでしょうね? 私は一介の槍遣いで、用心棒を生業にしてきた女よ? 人様に奉られるような者じゃないわ」
そんなホルンに、コドランがキラキラした目で言う。
『ホルン、この人たちから話を聞いたんだ。やっぱりホルンは、ぼくが言ったとおりドラゴニュート氏族だったんだよ。ホルンはこの国の王女様なんだ!』
ホルンはコドランを見て笑って言う。
「あ、コドラン。元気になったのね、よかった。でも、私が王女ってのはちょっと信じられないわ」
『だったら、この人たちの話を聞けばいいんだ。ホルンだって話を聞けば信じることができるはずだよ』
コドランの言葉に、ジュチがうなずいて言う。ジュチとリディアは、ドラゴンの言葉が分かる。
「このシュバルツドラゴン君の言うとおりです。では、あなたがこの国の王女である証拠をご説明します」
ジュチはそう前置きすると、
「ホルン王女、あなたはずっとデューン・ファランドール殿に育てられました。あなたが持っておられた『死の槍』がその証拠です。そのことについては、ご異議ありませんね?」
そう訊く、ホルンはうなずいた。
「ではなぜ、『王の牙』筆頭たるデューン殿が前国王に忠誠の験を見せることなく、あなたを育てたかです。それも、まるで現在の国王の目につかないようにするかの如く旅を重ねながら……そのことについて、デューン殿から何かお聞きになっていらっしゃいますか?」
ジュチの問いに、ホルンは首を振った。そういえばデューン様は『王の牙』とは何者なのか、なぜ王の下を離れたのか、そんな話をしてくださらなかった。
「その部分は、私たちの想像になるのですが……」
そう言ってザールが話に加わる。
「私の父が申すには、デューン殿は前国王への忠誠が篤く、仮に王を守り切れなかった場合は戦死していたはずだと……。それほどの忠烈の士が、なぜ生き延びていたのか……その理由こそがホルン王女、あなただと申しております。おそらくデューン殿は、あの日、前国王にあなたの行く末を託されたのではないかと思われます。その証拠が、あなたが佩いておられる『アルベドの剣』です」
そしてザールは、『アルベドの剣』をリディアに渡して言う。
「リディア、その剣を抜いてみてくれ」
「えっ! で、でも、王家の剣をアタシなんかが抜いたら……」
渋るリディアに、ザールは笑って言う。
「抜けるはずはない。オーガに戻って、全力で抜いてみよ」
「わ、わかった……」
リディアはオーガへと戻り、渾身の力で『アルベドの剣』を抜こうと試みる。しかし、剣はびくともしなかった。
「……駄目だね、抜けないや」
音を上げたリディアから、笑って剣を受け取ったザールは、
「……この『アルベドの剣』は、王家の血筋に反応します。王家の血筋を持ち、かつ、剣が選んだ者にしか抜けません。このようにね」
ザールは、いともやすやすと『アルベドの剣』を抜いてみせる。ザールが持つ『アルベドの剣』は、白い光に包まれていた。
「ホルン王女様、あなたは何度かこの剣を抜いて戦われたはず。この剣を抜くことができることこそ、あなたが先の国王の血を享けている証拠です」
ザールは剣を鞘に戻すと、ホルンに渡して言った。
ホルンは、夢を思い出していた。
『ホルン、そなたは一人ではないぞ。ホルン姫、その剣と共に仲間が集うだろう』
突然、デューン・ファランドールの顔が現れてそう言った。
『デューン様、それが最後に言いたかったことなんですか?』
ホルンが訊くと、デューンは笑顔でうなずいて消える。
そして、コドランがかわりに現れて言う。
『ホルンはぁ、絶対にドラゴニュート氏族だよ。ぼくが言うから間違いない』
そして、あのシュバルツドラゴンの棟梁、グリンが現れて言う。
『そなたには、そなたの知らない、そなたの秘密があるようだ。その時のために、心の準備をしておくがいい』
……あの夢がこのことを知らせてくれたのね。
ホルンはそう思うと、『アルベドの剣』をそっと撫でた。剣はホルンの感情に気付いたかのように細かく震える。不思議と身体の痛みが引いていく。
「……私は、不思議に思っていました。なぜ私は旅をしているのか、なぜ私には実の父母がいないのか、そして、なぜデューン様や私が『王の牙』に命を狙われなければならないのか……その理由と意味が、今日はっきり判りました」
そして、ゆっくりと身を起こすと、四人を見つめて言った。
「それが私の運命ならば、受け入れましょう。これまで私が運命を受け入れてきたように……ザール殿、皆さん、私をサマルカンドに連れて行ってください」
四人は、ホルンが見せた威厳にうたれた。さすがに王女様だわ……リディアさえそう思ったほどだ。
「承知いたしました」
ザールが答えると、
「楽しき道行きでありますことを」
とジュチがおどけ、
「面白い冒険ができるならいいさ」
そうリディアが笑い、
「……では、運命に祈ろうか」
ロザリアも微笑んでうなずいた。
(11 運命の邂逅 完)
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
やっとホルンとザールの軌跡が交わりました。
自分の運命に対して逆らわずに受け入れてゆくホルンですが、その姿勢は今後、様々な試練を経てどう変わっていくのか、あるいは変わらないのか、楽しみです。
次回『希望の転進』は1週間後のアップになります。お楽しみに。