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青き炎のヴァリアント  作者: シベリウスP
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サイドストーリー 勇者の条件

【本編におけるこれまでのあらすじと主な登場人物】

 ファールス王国では、25年前に時の国王シャー・ローム3世を、異母弟のザッハークが弑逆して王位を簒奪するという大事件が起こった。それ以来、王威が隅々に行き渡らず、辺境と呼ばれる地域では悪者や怪物が跋扈し、傭兵や用心棒などが治安維持や旅人の護衛などに活躍していた。

 そんな用心棒の一人に、養い親であった元『王の牙』筆頭デューン・ファランドールが残した『死の槍』と王家の者のみが扱えるという神剣『アルベド』を持つ、『無双の女槍遣い』ホルンがいた。

 そのホルンを探しに、“東方の藩屏”と言われるトルクスタン侯サームの息子、ザールが仲間とともに旅に出た。

 今回の物語は、旅の途中でのジュチ視点で語られるサイドストーリーです。


♡ホルン・ファランドール…『死の槍』と『アルベドの剣』を持ち、辺境で名を上げた女槍遣い。前国王の娘であり、ザールたちが探している。翠の瞳と銀の髪を持つ。25歳。(今回は登場しません)

♧コドラン…シュバルツドラゴンのこどもで、生き別れになった母を探すためにホルンとともに旅をしていた。小さいが気が利く、ホルンの良き仲間である。12歳程度。(今回は登場しません)


♤ザール・ジュエル…“東方の藩屏”トルクスタン侯国の世子で『白髪のザール』の異名を持つ。仲間とともにホルンを探す旅をしている。白髪に緋色の瞳を持つ。22歳。


♡リディア・カルディナーレ…ザールの幼馴染でジーク・オーガの王女。接近戦では無双の強さを誇る。額に角を持ち、茶色の髪に茶色の瞳をしている。20歳。


♤ジュチ・ボルジギン…ザールの幼馴染で“この世で最も高貴な一族”であるハイエルフの首領の息子。頭脳明晰で魔力に長けているがチャラい。金髪碧眼の美青年。22歳。


♡ロザリア・ロンバルディア…ザールに一目ぼれして仲間に加わった魔族の女性。冷静冷血で魔術に長けている。黒髪と黒曜石のような瞳を持つ。20歳。(今回は登場しません)

「まったく、どうしちゃったもんかなあ?」


 辺りは、見渡す限りの大平原だ。どっちを見ても地平線が見える。日が沈む方向のはるか彼方に、かすかに山並みが見えるので、そっちが西だとは分かる。

 ボクの名は、ジュチ・ボルジギン。この世界で最も気高く、創造主が創り出し給うたもののうちで最も美しい種族・ハイエルフの王族だ。

 そのボクが、なぜこんな辺境で困っているのかというと、話は簡単だ。さっきまでボクは、仲間の人間、ザール・ジュエルとジーク・オーガのリディア・カルディナーレ嬢と共にボクにとってはかなり質素な夕食を楽しんでいた。しかし、突然巻き起こった砂嵐によって、ボクだけこんなところに吹っ飛ばされてしまったというわけだ。


「やれやれ、かなり飛ばされたらしいな」


 ボクは服に着いた埃を払い落としながら言う。自慢の金髪も、砂ぼこりに塗れてしまっている。こんな時はシャワーと行きたいが、あいにくこんな所には水一滴だってありはしない。


「早いところ合流しないと、ザールたちが心配しているだろうね」


 ボクはそう言ったけれど、実際問題としてボクがいなければ困るのはザールたちの方であることは分かり切っていた。なぜなら、彼らはお金というものの稼ぎ方をご存じない。この旅だって、ボクがいなければ、このキルギスの平原くんだりまで来られたかどうか怪しいものだ。


 そもそも、この旅は、ザールの父上でファールス王国の現国王の異母弟、“東方の藩屏”と呼ばれるトルクスタン候サーム様の命令で始まった。何でも、この国に25年前に起こった王位継承の反乱で行方不明になった姫様を探すというミッションらしい。

 ザールやボクは今22歳、青春真っ盛りだ。しかしお姫様と言ったってもう25歳にもなる。年上で、『とうが立っている』とまでは言わないが、みずみずしさには欠けるだろう。ボクは正直、あまり乗り気ではなかったが、そのホルンとか言うお姫様は王国の正統な王位継承権を持っているらしいのと、ホルン・ファランドールと会ったというティムール爺さんの話では『かなりの美人』だったらしいので、親友のザールを手伝うことにしたのである。


 最初に立ち寄ったアイニの町で、ボクもティムール爺さんから直接話を聞いた。確かにその女性は正統な王位継承(かなりの美人で)権を持っている(スタイルも抜群)らしい。ボクは思ったより期待できそうだと感じていた。

 その後、どの方面を探すかという話になり、ボクはホルン・ファランドールという美女が用心棒であることから仕事が多い大きな街道沿いにある町を探すことを説いた。『木を隠すには森が良い』ということわざにもあるとおり、人が多ければ自分を紛れ込ませることもできるからだ。けれど、ザールは『人目を忍ぶ姫様だから、人気のない地域に行かれたに違いない』などと言い、ザール大好き好き娘のリディアは小癪にもザールの味方をしたので、ボクたちは王国の北東部の辺境をうろつくことになった。


 まあ結果は散々だった。トロールの軍団にぶち当たって、ボクの矢で難を逃れたり、ザールが遊牧民に捕まりかけたのをボクの魔法で救ったりと、それだけでも一つの物語が書けそうなくらいだった。

 結局、明日はこの平原地帯からアイニの町に戻るルートを取ろうという結論に達し、夕飯を食していたところを砂嵐に遭遇し、今ここというわけだ。



 もう日が沈む。日が沈もうがボクにとってはあまり関係がない。ボクたちエルフは眼が良い。普通のエルフでも月夜に5マイル(この世界では約9.3キロ)先は見える。ましてやボクはエルフの中のエルフ、ハイエルフで、そのハイエルフでも最も優秀なハウプトリヒトの種族だ。月夜ならば10マイル(18・5キロ)、闇夜でも5マイルは軽い。

 歩こうと思えば歩ける。けれど、ボクは何か感覚的に引っかかるものを感じていた。今思えば、あの砂嵐は唐突すぎた。そして、明らかにボクとザールを巻き込もうとしていた。たまたまザールはリディアが押さえつけたので飛ばされずにすんだだけだ。もっとも、あのリディアから押さえつけられたんだから、かなり苦しかったに違いない。ご愁傷様。


「?」


 月が出て、ボクははっきりと異変を感じた。ボクの世界では今夜はまだ上弦の月で、そんなに光量はないはずだが、煌々とした満月が荒涼とした平原を照らし始めたのだ。


 ……何か、怪異が起こったかな?


 ボクは独りごとを聞きつけられないように心の中で考えることにした。こうしたら、相手によってはその正体を知ることができる。

 すると、月の光の中、突然、……これは全く『突然』という言葉にぴったりだった……何人かの人影が現れた。ボクからはほぼ1ケーブル(この世界で185メートル)は離れている。けれど念のためにボクは弓を取り出し、矢をつがえた。この距離ならボクの腕なら目をつぶったままで射抜ける。

 人影は三つだった。どれも男のようだ。三人とも魂を抜かれたかのようにゆらゆらとおぼつかない足取りだった。見ようによっては高熱に浮かされているように見えなくもない。


 その時、ボクは頭の上で大きな羽音を聞いた。間髪を入れずボクは『魔力の揺らぎ』を発動する。ボクの周りに『乱反射』の結界を張った。あの羽音はケツァルコアトルに違いない。辺境でたまに見かける獰猛な鳥だ。

 羽音の主はやはりケツァルコアトルだった。翼長20メートルに達する大物だ。そいつはゆらゆらと歩く人影を脚でサッと捉えて空中に放り投げる。人影は声もなく宙を舞い、それをケツァルコアトルが空中で口にくわえ、かみ砕いては飲み下す。

 次の人影も同じ運命をたどった。ボクは、ケツァルコアトルに抗いもせず、逃げもしない人影には戦闘能力はないと判断した。とすれば、彼を助ければ何かこの世界について解決のヒントが得られるかもしれない。

 ボクはそう決心すると、降下してくるケツァルコアトルに向かって矢を放った。


「ギエエッ!」


 当然のことだが命中する。しかし、そんなに深い傷ではなかったようだ。ケツァルコアトルは悲鳴を上げたものの、あくまで残りの人影を餌にすべく再び上昇する。


 ……ふん、怪鳥ごときがハイエルフ様の魔力に勝てるか。


 ボクは急降下してくるケツァルコアトルに、今度は必殺のマグナムショットを続けざまに放った。

 ズド、ズド、ズド、ズドドン!

 5本を連射したので、五つの命中音がまるで一つのように連続して聞こえた。それとともに、ケツァルコアトルは右脚、左脚、右翼、左翼そして首に致命傷を受け、


「ギャ、ギィ、ギュ、ギェ、ギョエーッ!」


 まるで文法で習う五段活用みたいな鳴き声を上げ、地響きを立てて地面に激突し、そのまま動かなくなった。

 ボクは、念のためこちらを向いているバケモノの眉間にマグナムショットを叩き込み、この戦いに気付いていないように、まだゆらゆらと歩いている人影の方にゆっくりと歩み寄った。男はボクが近くに行きつく前にぱたりと倒れ、仰向けになった。その拍子に上着がはだけたので、彼の様子がよく分かった。


 ……おかしい、異質の魔力を感じる。


 ボクはその男の相貌を見て、即座にそう思った。男は痩せこけていた。顔は頬骨が浮き出るほど痩せていたが、額には張りがあり、栄養が足らないわけではないと分かった。それでいて、手足は骨と皮ばかりに痩せていて、腹はパンパンに膨らんでいる。その腹がうねうねと動くのは、中に何かが巣食っているらしい。


 ……ふむ、ただの寄生虫ではないようだね。少し待っていれば、コイツの顔が拝めるかもしれないな。


 ボクの予想は当たっていた。ひとしきり男の腹がうねうねと動いていたかと思うと、突然、その一部が中から食い破られて、そこからワームのような蟲が出て来た。腹を破られる瞬間、男は


「がっ!」


 と声を上げたので、それまで生きていたのだろう。惨いことだ。

 ボクは躊躇なく、その蟲にマグナムショットを浴びせた。これほど惨いことをする蟲けらのくせに、他愛もなく1発で頭を粉砕されて即死した。

 よくよく見ると、ワームと違って身体の両側に脚がある。芋虫にゲジゲジの脚が付いているような感じで、世にも醜悪なバケモノだった。


「悪い夢でも見ているようだよ」


 思わずボクはそうつぶやく。そしてそれが合図だったかのように、ソイツは現れた。これもまた、唐突と言ってよい現れ方だった。



 正直に言って、ボクはソイツを見た瞬間に、ゾッとした。いやマジで。

 と言って、ソイツが醜悪なバケモノだったからではない。むしろ逆だ。美しすぎたのだ。

 ソイツは身長160センチくらいで、月の光の中で青白く透けた顔色をしていた。顔は恐ろしく整っていて、どのパーツを取ってみても黄金比が成立しそうだった。髪はザールのように真っ白で、それが月の光で輝いて見える。

 瞳の色も赤色だった。ただし、ザールの緋色とは少し違い、朱色に近かった。唇は薄い紫で、口角が少し上がり気味なので常に笑みを含んでいるように見える。身体には薄いカーテンのような着物を身にまとい、腰には金色のベルトを巻きつけていた。彼女の周囲には、性別がはっきりしない顔立ちの従者たちが数人と、明らかに戦闘要員と言った風情の、それでいてやはり性別不明の者たち十数人が付き従っていた。


 ボクは、『美』には『正しい美』と『不実な美』があると思っている。つまり、誰が見ても美しく、その美しさによって安らぎとか平穏とかが与えられる、心満たされるものを持つ美が『正しい美』であると思う。

 たまに美しいことによって恐怖すら感じてしまう経験はないだろうか? 美しいことは確かだが、その美しさの中に、あるいは裏に、恐怖や残忍さを持っているもの、なぜだか落ち着かない美しさ、どうしようもない不協和音を感じてしまうもの、それが『不実の美』だ。ボクはその女性に『不実の美』をこの上もなく強烈に感じた。


「そなたは誰じゃ?」


 その女性は、ボクが『乱反射』で身を隠しているのにもかかわらず、ボクの存在を感知してそう問いかけて来た。その顔は、まさにボクの方に向かっていた。仕方なく、ボクは答えることにした。答えなかった場合に何が起こるのか未知数だったし、話ができる相手ならまだ対応のしようはあるからだ。


「道に迷った旅人ですよ、お嬢さん」


 ボクが答えると、彼女は首をかしげて再び言う。


「そなたは誰じゃ? 今までにない『魔力の揺らぎ』を感じるが、姿を見せてもらえぬかのう」


 ボクの声を聞いて、戦闘要員たちがこちらに向かって来ている。明らかにこちらを包囲する隊形だ。ボクは逃げ出したかったが、すぐに逃げてもどうしようもないと思い直した。何しろ、ここは奴らの世界なのだから。


「これは失礼しました。頭上にケツァルコアトルがいましたのでね?」


 ボクは『乱反射』を解いて、彼女と相対した。ボクの姿を見た瞬間、彼女は少し目を見開いて言う。


「おお、これは美しい男じゃ。われらもケツアルカトルに困っていたものじゃ。あの怪鳥を見事に仕留めた戦士はどのようなお方かと思って居ったら、そなたのように魔力も強く、しかも美しい男とはのう」


 当然のことながら、彼女はボクの美貌にうっとりとして言う。ボクは社交辞令を返した。


「恐れ入ります。お嬢さんのようなお美しい方から、そのようなお褒めの言葉をいただき恐縮です」


 そう言いながら、ボクは彼女が『ケツァルコアトル』のことを『ケツアルカトル』と発音したことに気が付いた。そして、おぼろげながら彼女の正体に近づいた気がした。ファールス王国の住人やマウルヤ王国の住人たちは、『ケツァルコアトル』と発音する。『ケツアルカトル』は古語で、そう発音する人間はもういないはずだ。


 彼女は、左右にいる従者たちにボクには分からない言葉で何かを命令していた。そして彼女はボクに静かに言った。


「そなたをわらわの宮殿に招待したい。勇者をもてなしたいのじゃ。ぜひ、来てくれぬかのう?」


 ボクは、お願いの態を取っているが、それが彼女の命令なのだと悟った。なぜならば戦闘要員たちがボクを包囲したからだ。


「ボクは勇者とは程遠い存在ですが、お嬢さんほどの美人からのお誘いならば、無理強いをせずとも受けさせていただきますよ?」


 ボクはそう言って笑う。彼女も


「なかなかうれしいことを言ってくれる勇者様じゃのう」


 と笑ったが、戦闘要員たちは微笑すらしなかった。



 彼女の『宮殿』はかなり大きかった。ファールス王国では見られない建築様式で、ぶっちゃけ趣味が悪い建物だった。あちこちの建築様式の悪いところをごっちゃにしたような感じと言えばお分かりいただけるだろうか。


 中は迷宮だった。かなり複雑な造りで、ボクだからこそたった一度通っただけで全体的な造りを把握したが、普通ならこの宮殿の間取りを覚えるには少なくとも5年はかかるはずだ。ボクはおとなしく彼女の後について歩いていたが、あるところで彼女はボクを振り返って言った。


「わらわは少々忙しい。あとはこの従者に案内を任せるので、ゆっくりして行ってたもれ、勇者様」


 そう言うと、速足で曲がり角を曲がって行った。


「勇者様、どうぞ、こちらへ」


 ボクは、仮面のように表情というものがない従者たちに囲まれて、さらに宮殿の奥へと案内されて行った。

 どのくらい歩いただろう。いい加減歩き疲れたころ、従者が立ち止まって言った。


「勇者様、どうぞ、こちらへ」


 ボクは促されるままにその部屋を覗き込んだ。入口がある面以外、開口部がない。三面には窓もついていない。ボクはうなずいた。やはりここは迷宮なのだ。


「勇者様、どうぞ、こちらへ」


 従者が再び促す。ボクは仕方なく薄暗い部屋に入った。途端に、入り口がドアで塞がれた。


「おいおい、客人を閉じ込めるとはとんだご挨拶だね」


 ボクがそう言うと、ドアの向こうからくぐもった声が聞こえた。


「食事は後でお持ちします。()()()()()の時間になったらお迎えに上がります」


 その声が終わるとともに、廊下を去っていく足音が聞こえる。ボクはドアを触ってみた。恐ろしく頑丈な造りだ。蝶番もご丁寧にドアに隠れる仕様で、ドア本体をぶち破らないことには何ともできなさそうだった。

 けれど、ボクはドアの下の方に細長い窓が開いているのを見つけた。それはそうだろう、これがなければ食事をこの部屋に入れられない。ボクがその窓を見てみると、高さはほぼ10センチで、幅は30センチ程度だった。これでは人間は出られない。人間ならね。


「さて、ちょっとこの宮殿を見学させてもらおうかな」


 ボクはそう言いながら、『魔力の揺らぎ』を発動して窓を通り抜けようとした。しかし、『魔力の揺らぎ』が発動しなかった。


「おや、そう来ますか」


 この部屋のどこかに、あるいは宮殿そのものに、他者の魔力発動を阻害する仕組みが隠されていることが分かった。迂闊と言えば迂闊だが、ボクはこの期になってそれに思い至った。ボクは眼を閉じて、自分が歩いて来た道を頭の中で図形化した。すると、面白いことが分かった。


 ……この宮殿の間取り自体が、魔力発動を阻害する魔法陣になっていたとはね。


 ボクは諦めてゴロンと横になった。



「勇者様、お食事です」


 どのくらいの時間が経ったろう、眠り込んでいたボクは、従者の声と共に差し入れられる食器の音で目を覚ました。床に置かれた食器盆の上には、およそ『お食事』という響きとは程遠い、古くなったパンと水が入れられたお椀が乗っかっているだけだった。


 ……パンと水には魔法がかけられているな。おや、食器盆そのものにも魔法がかけられているのか。


 ボクはそう見破ると、じっくりとそれらの魔法を解析する。どうやら食物には人を従順にする『操縦術式』と『拡散術式』が、食器盆には食物を手に取って食べざるを得なくなるような『操縦術式』と『規制術式』が編み込まれていることが分かった。


 ……強制的に食べ物を食べさせて、思い通りに動かそうという訳か。趣味が悪い魔法を使うものだね。


 ボクはそう思うと、パンを持ってお椀をひっくり返すと、パンは部屋の奥に放り投げた。食物自体には『規制術式』がかかっていなかったので、パンを持っても自分の意思でないと口には持っていかない。もっとも、『規制術式』がかかっていたとしても、ボクの繊細な味覚と連動したデリケートな身体は、そのパンを口にすることを拒否したろう。


 ……こうなったら、その『舞踏会』とやらが楽しみだ。


 ボクはそう思って、また横になった。



「勇者様、お時間です。()()()()()にご案内します」


 従者の声とともに、ドアが少し開かれる。ボクはうなずいて立ち上がった。


「こちらです」


 従者はすたすたと歩いて、曲がり角を何度も曲がった。そして、着いたのは吹き抜けの大広間だった。50メートル四方はある広間で、ちょうど建物のこちら側には観覧席のような段が造られている。特に、ボクから見た対面の観覧席には、貴賓席のように屋根のある席があった。


「こちらでご準備願います」


 従者がそう言いながら、ドアを開けた。そこには3・4人の屈強な男たちが座っていた。みんなそれぞれに得物を持っているが、その顔はぼーっとして生気がない。みんな“心ここにあらず”と言った風情だった。


「得物は好きな武器を選んでください。相手を動けなくしたら勝ちですが、殺してしまったら失格となります」


 従者は機械的な声でそう言ってドアを閉めた。


 ……なるほど、『舞踏会』ではなく『武闘会』なわけね。寒いギャグだな。


 ボクはそう思うと、武器をざっと見てみた。剣、短剣、刀に槍や薙刀やハルバート、棒や三節棍などより取り見取りだったが、弓などの飛び道具はなかった。とりあえずそこらにあった軽めの剣を手に取った。恐らく、あの女は貴賓席から観覧するのだろう。飛び道具がないのは、彼女を狙えないようにとの配慮だろう。


 最初の試合が始まり、一人目の男が出て行った。のぞき窓から観戦していると、相手側の男の方が強かったようだ。こちらの男はすぐに両足を失って負けが宣告された。負けた男は戦闘要員が担いでどこかに運び去った。


 ……こんな趣味の悪い遊びをする奴らだから、負けても治療なんてないだろうな。


 ボクがそう思っていると、2回戦が始まった。今度はこちらから出て行って男が勝った。しかし、両者とも血みどろの戦いだったため、こちらの男は次の負けが決まっているようなものだった。

 案の定、こちらの男は次の試合で相手の男に瞬殺された。ただし、こちらの男が死んでしまったため、相手の男も失格となった。相手の男には戦闘要員が十数人も飛びかかり、手足を叩き折ると強引にどこかへと連れ去った。

 こちらから3人目の男が戦場に押し出される。同時にあちらからも3人目が出た。


 今度の戦いは、にらみ合いが続いた。どちらも持っているのは盾と剣だった。最初に両者とも軽くジャブ程度の攻撃を仕掛ける。ボクから見ると技量は確かに伯仲していた。それだけにさっきの試合の二の舞をしたくないという気持ちがあるのか、その後はどちらも自分から仕掛けようとはしなかった。

 しばらく二人のにらみ合いが続いた。すると、観覧席に座っていた女性が突然甲高い声で叫んだ。


「つまらぬ、どちらも餌にせい!」


 すると、戦闘要員がわらわらと二人によってたかって、二人を袋叩きにし、動けなくなったところをどこかに運び去った。


「準備願います」


 おっと、いつの間にかボクの番が来たらしい。ボクは嫌々ながら準備を整えると、


「行ってらっしゃいませ」


 という声と共に戦場へと押し出された。



 相手はオーガだった。身長は3メートル近くあり、上着は着ずにたくましい身体つきを誇示している。このオーガという奴はガタイがでかいうえにタフで、ボクの苦手なタイプだ。けれど、相手を殺してはならないルールなので、その点ではボクの方が有利だった。


「ふふん、相手は生っちろいエルフの兄ちゃんか。これは殺さないようにするのは骨だな」


 相手のオーガは両手の指をポキポキと鳴らしながら言う。得物を持っていないところを見ると素手で戦うつもりのようだ。がっちりとしたあごを持つ精悍な顔つきで、目には凶悪な光が宿っている。こうしてみると、リディアがいかに可愛らしいかが実感できた。相手は余裕たっぷりのようだが、時に『余裕』は『油断』と隣り合わせだ。


「では、試合始め!」


 審判がそう宣告する。途端に相手はダッシュしてきた。オーガにしては素早い身のこなしで、開始早々ダッシュするとは狡猾ですらある。ボクが剣を振る暇も与えずに捕まえ、手か足をぶち折ろうというのだろう。


 けれど、それはボクには織り込み済みだったし、相手の素早さもボクの目からするとハエが止まるほどトロく見えた。


「がっ!」


 ボクは相手の突進から身をかわしざま、伸ばしていた右手を手首から斬り飛ばしてやった。


「くそっ、まだまだだ!」


 オーガは一瞬何が起こったのか理解しがたい顔をしたが、痛手にめげずにそう言い、ボクに突進してくる。ボクは相手の右側に跳び、その際に右腕を肘から切断する。


「ぐあっ!」


 オーガは、たまらず悲鳴を上げる。彼はボクが左手を狙って自分の左側に跳ぶと思っていたらしく、ボクが飛ぶと同時に左腕を左側に動かしていた。


「どうする? 負けを認めてくれたらこれ以上キミを痛めつけなくて済むから助かるけれど?」


 ボクが剣を肩に担ぎながら言うと、オーガは憎しみに燃えた目で言う。


「これくらいの傷で、ティラノ・オーガが参ると思うか。貴様のようなエルフは、片手で十分だ」


 そう言って三度、突進をかけてきた。ボクは仕方なくうなずくと、ボクも相手に向かって走り出した。


「おう、かかって来い! この手で握り潰してくれる」


 ボクは、オーガが手を伸ばして僕の襟首をつかもうとした瞬間、スライディングで相手の足の下を滑り抜けると同時に両足の腱を斬った。オーガはもんどりうって倒れ込む。


「くそっ、まだだ。俺はまだ負けとは認めんぞ!」


 オーガはそう言うと、左手で身体を起こした。その時、観覧席から女が満足そうに叫んだ。


「勝負ありじゃ。その見苦しいオーガを連れ出せ!」


 オーガは途端に顔を引きつらせて、女に向かって叫ぶ。


「待て、待ってくれ! 俺はまだ負けていない! あんたと俺の仲じゃないか」


 しかし、女は冷酷ともいえる笑いを浮かべて答える。


「先ほどからそなたはエルフの勇者殿に触りもしていないではないか。わらわは負ける男には用はない。皆の者、あの負け犬をつまみ出せ!」


 すると、戦闘要員がわらわらとオーガを取り囲んで、袋叩きにし始める。


「やめろっ! 俺はっ、がはっ、むしの餌には、げっ、なりたくない!」


 けれど、オーガは叩きのめされて、半死半生の態で戦闘要員に担ぎ出されていった。



 女は、微動だにしないボクに向かって笑って訊く。


「どうした、勇者殿? わらわのやり方が惨いと思ったか?」


 ボクは片頬で笑って答えた。


「別に。負けた者がどういった扱いを受けようと、それが勝負というものでしょうからね。あなたのやり方をどうこう言うつもりはありませんよ」


 それを聞くと、女はうっとりとして言う。


「ほう、やはりわらわが見込んだ勇者殿じゃ。嬉しいことを言ってくれるのう。では、さらにわらわを楽しませてくれぬか?」


 女がそう言うと、今度は戦闘要員たちが5人ほど、ボクの向かい側に整列した。全員、仮面のような表情のない顔をしている。誰が誰だか見分けがつかないくらいにそいつらは酷似していた。


「勇者殿よ、わらわの手下たちにはそなたを殺すつもりで掛かれと命じてある。そなたも遠慮せずに力を尽くすとよい。かかれっ!」


 女の声とともに、戦闘要員たちは眼を赤くして剣を抜いた。ボクはさっと5人を見回すと、後ろへと跳んだ。案の定、奴らはボクを包囲しようと左右へと回り込もうとしたので、ボクは着地すると同時に左へと回り込んだ一人の首を刎ねた。首は薄笑いを含んだまま地面に転がり、胴体は緑色の体液を噴きながら倒れる。


 続いて、ボクは右から回り込んできた一人の胴体を深々と薙いだ。そいつも緑色の体液をぶちまけながら、薄笑いを含んだまま声も上げずに斃れる。

 その2体を倒す間に、ボクは前と左右に敵を受けていた。今までの奴らの動きを見ると、明らかに高度に戦術的な連携を取っていることが分かる。こいつらの裏をかくのは難しいし、動きを封じるのも困難だ。


「ふん、結構、厄介な相手だね、キミたちは」


 ボクの言葉が終わらないうちに、三人が同時にボクを仕留めようと横殴りに素早い斬撃を放ってきた。ボクは驚いたが、一瞬の判断で上に跳んだ。


 ボシュッ!


 足の下で、三人が同士討ちによってそれぞれの肉を断つ嫌な音が響いた。


「見事じゃ! そなたほどの勇者を見たことがない」


 残りの三人が緑色の体液を噴き出しながら地面に崩れ落ち、ボクが着地すると、女は興奮を顔に表して立ち上がって言う。


「それほどでもございません。大事な部下を手にかけたことを謝ります」


 ボクが言うと、女は明らかに媚びるような目をして言う。


「その者たちのことは気にしなくてよい。わらわの命令に従ったまでじゃからのう。それにしてもそなたは強いのう。そなたとの子供なら、わが一族はもっと進化できることじゃろう」


 女は驚いたことに欲情していた。自分の言葉に情欲が刺激されたのか、部下たちの眼も構わずに下着姿になると、その豊満な肉体を挑発するように見せつけてから、


「勇者様をわらわの寝室にご案内せよ」


 そう言って観覧席から姿を消した。



 ボクは、正直、どうやってここから逃げ出そうかと思案していた。これまでも隙を窺って逃げようとしたが、女の部下はよほど事に慣れているのか、隙というものがなかったし、他の部下たちともどうやって連携を取っているのか不思議なほど、効果的な動きをしていた。


 ……魔法が使えさえすれば、ここから逃げ出すのはわけないことだが。何かボクが見落としていることや、別の方法があるはずだ。


 ボクはそう思って、さらに入念に辺りを観察した。

 すると、この『闘技場』を支えている列柱の上部に、柱を支えていると思われる綱が見えた。その綱は女のものと思われる魔力によって補強されているようだった。どの柱にも上部に綱があることを知ると、ボクは行動に移すことにした。


「勇者様、どうぞこちらへ」


 あの従者が近づいてくる。柱の高さは5ヤード(約4.5メートル)程度、柱と柱の間は3ヤード(約2・7メートル)に過ぎない。


「勇者様、剣はお預かりします」


 ボクはサッと辺りを見回して、戦闘要員が近くにいないことを確かめると、近づいて来た従者がボクの剣を受け取ろうと手を伸ばしてきたところを抜き打ちにした。

 剣は銀色の光の軌跡を残し、従者の首を刎ねた。ボクは抜き身を下げたまま広場を疾駆し、一つの柱に跳んだ。


「よっ」


 ボクはその柱に右足が付いた瞬間、顔を次の柱に向ける。そして右足に力を込めて柱を蹴り、次の柱へと跳躍する。


「はっ」


 さっきの柱より高い位置に左脚がついた。今度は左脚を曲げつつ力を籠め、一本目に飛びついた柱へと逆に跳躍する。右足が2本目の柱に飛びついた地点より高い位置に着く。そして、次の跳躍で天井に近いところまで飛んだボクは、


「やっ!」


 柱に飛びつき、その柱を支えている四本の綱を剣で叩き斬った。支えを失った柱は、ボクの体重でバランスを崩し、倒れ始める。


「よし」


 ボクは地面に飛び降りると、剣をかざしたまま走り出した。背後では女の部下たちが慌て騒ぐ物音と、バランスを崩した柱が次の柱に寄りかかり、その重みで支えの綱が切れてさらに次の柱に倒れ掛かるというドミノ現象を起こす大きな音が響き渡った。



 ボクは、記憶を頼りに廊下を走り続けた。なぜかは知らないが、広間で起こった出来事を女の部下たちは全員把握しているようで、ボクの目の前に現れるのは戦闘要員だけだった。そのたびに、ボクは剣を揮ってそいつらを始末しなければならかった。


「おや?」


 ボクはふと、周りの空気が変わったように思った。ピンと張りつめたボクの想念の中に、けたたましい高い音と、驚き騒ぐ金属的な声が聞こえて来たのだ。そして、なんとも言えない不快さと焦りを感じさせる臭いが鼻腔を刺激した。


“武闘会の間の壁が倒れて、同胞20人ほどが下敷きだ”

“女王様はご無事か?”

“男を探しに寝室を出られたぞ”

“奴はどこに逃げた?”

“北の出口の近くにいるぞ”

“逃がすな、女王様を守れ”


 そんな声が入り乱れている。


 ……そうか、壁が倒れたので魔力の封印の魔法陣が崩れたのか。ならば、ボクも魔法が使えるな。


 ボクはそう思うと、試しに持っていた剣に『魔力の揺らぎ』を込めてみた。剣は美しい翠色の光に包まれる。ボクはそれで横の壁を斬り付けた。


 ジャリンっ!


 剣は刃が潰れながらも、壁をぱっくりと斬り裂いた。鈍らにしては壁の強化魔法によく耐えたものだ。やはりボクの魔法が強力なおかげだろう。


「では、外に出していただくよ」


 ボクは独り言を言いながら、壁の裂け目から外に出た。すると、ボクの身体に力がみなぎるような気がした。まあ、気のせいではないのだけれどね。


「厄介ごとはごめんだね」


 ボクはそう言うと、この胸糞悪い『巣』を後に歩き出す。けれど、ボクが10歩も歩かないうちに、女が巣から現れて言った。


「逃げられると思うかい? わらわをコケにしおって」


 ボクはその声をあえて無視して、さらに10歩ほど足を進める。すると今度は


「のう、わらわをこんなに夢中にしおって。据え膳も食わず、こんないい女に何もせずに帰るとはつまらん男じゃのう」


 そう、なまめかしい声で言う。

 ボクは歩く速度を落とさずに背中で言った。


「あいにくとボクは、自分から男を誘える女性には興味がなくてね。あなたほどの美女なら、別に幾らでも誘えるでしょう」


 すると女は殺気をはらんだ声で叫んだ。


「お待ちっ! これ以上わらわを怒らせると、ただでは済まんぞ」


 仕方なくボクは立ち止まり、女の方を振り向いた。

 女の顔は恐ろしいほど青ざめていた。醜悪に歪んでいればまだボクは耐えられたが、激怒しているくせにその顔は恐ろしいほど美しかった。ボクが小さいころ、母上に聞かされた異国の“羅刹女”は、恐らく、こんなではなかったかと想像してしまった。


「……お互いのために、このままボクを見逃してもらえないかな?」


 ボクは心底そう思って言ったが、女はゆっくりとその形態を変えながら言う。


「許さんぞ。わらわをコケにしおって。そなたの精が尽きるまで搾り取ってくれる」


 そう、おどろおどろしい声で言うと、突然、その手から粘液状のものを放ちながら、ボクの方に四本の脚で突進してくる。顔は女のままだが、その身体は鉄色の蟲へと変化していた。


「なるほど、キミは女王アリだったわけか。それもかなりの年を経た」


 ボクはそううなずくと、弓を構え続けざまにマグナムショットを放った。けれど、矢は女に命中する瞬間に霧となって散り、女の身体に傷をつけることができなかった。


「そんなのはわらわには効かぬわ!」


 女はせせら笑って距離を詰めてくると、その粘液が滴る手でボクを捕まえて笑って言う。


「さあ、捕まえたぞ。わらわが満足するまで奉仕せよ」


 しかし、彼女の笑顔はそこで凍り付いた。ボクの身体は翠の光のチリとなり、彼女の手をすり抜けてしまったからだ。そして、彼女は翠色に光る霧の中で動けなくなった。翠色の霧は一筋の線となり、彼女の身体をゆっくりと縛り上げ始める。


「……くっ、何をしたんだい? 動けないじゃないか」


 その翠の霧は、彼女の鉄色の頑丈な皮膚をやすやすと溶かし、肌色の皮膚を露にする。


「あっ、いやじゃ、何をする? くふん」


 女は淫らに身悶えをし始めた。ボクの霧には媚薬が仕込んである。それも、ただの媚薬ではない。『麻薬』と言っても過言ではないほどの快楽を相手に与え続ける。しかし、最後にはそれは『毒薬』となる。命と快楽を等価交換するものだ。


「あーっ!」


 女は白目をむいて叫んだ。そして叫び続ける。


「何だ、こんなのわらわは初めてじゃ。あーっ、もう駄目じゃ」


 女は白目をむいたまま身体を震わせ続ける。そして、最後にはただぴくぴくと反応するだけになった。うめき声すら出ないようだ。

 いつの間にか、女の身体には無数のアゲハチョウが止まって、ストローのような口を所かまわず女に突き立てている。そして次々と止まるチョウの数が増え、女の身体を覆いつくしたかと思ったとき、突然アゲハチョウの大群が一斉に飛び立った。あとには何も残っていなかった。ただ、干からびた女王アリの死体が残っているだけだった。



「女性を惨く殺すことはできないな」


 ボクはそう言うと、能力を開放した。身体が翠に光り始める。そして、光はぼうっと形を変え始め、背中にオオミズアオの羽根となって現れた。ボクはその羽を使って巣の風上に回り込むと、キラキラと光る細かい粒子のような鱗粉を、巣に向かって放つ。

 巣のあちこちから鱗粉が入り込み始めると、巣の仲が騒がしくなった。そして、あの無機質な能面の顔を持つ奴らが、自分で自分の巣を叩き壊し始めた。彼らは憑かれたような顔をして巣を壊し続け、壊すものがなくなると同士討ちを始めた。


 最初は戦闘要員たちが従者たちを襲って、そいつらをバラバラにしたり剣で刺したりしていたが、従者たちがすべて冷たい骸となると、奴らは互いに相手に毒を噴いたり、力任せに身体を引きちぎったりし始める。やがて、最後の2匹は互いにズタボロになった身体で血みどろの戦いを繰り広げたが、最後には2匹とも力尽きて斃れた。


 ボクは、その光景を見守っていたが、巣の中や周囲から生命反応がなくなった時、手のひらからアゲハチョウを飛ばして巣の残骸を見て回らせた。奴らは成虫、幼虫そしてさなぎに至るまで自分たちで同胞を殺戮して、最後は1匹もいなくなったのだ。


「ふん、『寄生アリ』か」


 寄生アリ……その女王は自ら選んだ男と同衾し、その精を使って兵隊アリや働きアリを産み続ける。最後には男の身体に次の女王アリとなる卵を産み付け、男の中で孵った幼虫は男を殺さないように養分を吸い続けて大きくなる。そして男を操ってケツァルコアトルに食べさせて自分はケツァルコアトルを最終宿主として育ち、ケツァルコアトルの魔力を吸い続けてその中でさなぎとなり、女王アリとなって最後はケツァルコアトルを食い殺してその中に兵隊アリや働きアリの卵を産む。そのようにして寄生アリは女王を増やし、コロニーを増やしていくのだ。


「さて、これでボクの世界に戻れるだろうな」


 ボクはそう言うと、弓に矢をつがえた。この世界の『結節』が何であるか、何処にあるかはもうボクには判っていた。


「……破魔の矢は我が主たる『蒼き風』を呼びて、この忌まわしき世界を転移させたまえ。Quant Virto ici, Qu-est C’est」


 ボクは呪文とともに、『魔力の揺らぎ』を乗せた矢を煌々と輝く月に向けて放った。ボクの矢が命中した月は、まばゆいばかりの光を放って消滅する。魔の月がなくなった空には、上弦の月が凍えたように光っていた。


       ★ ★ ★ ★ ★


「……と言うのが、ボクが経験したことさ。ザールは飛ばされなくてよかったよ。キミも飛ばされていたら、あの女の前でキミと戦うことになっただろうからね」


 ジュチがそう言って笑う。あの後ジュチはアゲハチョウを放ってザールたちの位置を知ると、一日飛び続けてザールたちに合流したのである。

 ザールは眉をひそめて


「確かに良かった。ジュチと戦うなんてことは想像もしたくないし、僕がその女王アリと対峙していたら、どんな結末になったかも分からないな」

「ザールだったら、そんな魔性の女は会った瞬間にやっつけちゃってるわよ」


 リディアが言うが、ザールは首を振った。


「……寄生アリか。僕はその正体に最後まで気が付かなかったかもしれないな。まだまだ僕には知らなければならないことが多い。この旅で、僕は少しくらい成長できるだろうか?」


 神妙なザールに、ジュチは優しい目を当てて言う。


「できるさ、キミならね。ボクと違い、キミはいつも自分に満足していない。キミが望むキミは、とてつもなく高いところにいる。そしてキミはそんな自分を追いかけ続けている。だから、ボクはキミは勇者であると思っているんだ」


 リディアも目を細めて言う。


「そだね。ザールは正しいものに優しいし、正しくないものには強い。みんなのことを思っていて、小さな一人の気持ちも分かってくれる。ジュチの言うとおりだと思うよ? 別にアタシの欲目じゃないからね?」


 ザールは、恥ずかしそうな顔をして答えた。


「あまり褒められると増長しそうで怖いよ。ジュチやリディアが言うような僕であり続けたいね」


 そしてふと気が付いて、ザールはジュチに訊いた。


「ところでジュチ、非難するわけじゃないが、なぜ女王アリを倒した後、巣ごとアリたちを壊滅させたんだ?」


 ジュチは笑って答えた。


「女王アリがいなくなれば、奴らの従者のうち最も優秀な奴が女王になるんだ。だからアリの被害を根絶するには、巣ごと壊滅させるしかない」


 それを聞いて、ザールは感嘆したように言う。


「ジュチはやはり物知りだな。そしてそれをやってのける力があるし、女王が言ったとおり、ジュチも勇者に相応しいな」


 ジュチは目を細めて、真顔で言った。


「その言葉は嬉しいが、ザール、ボクはハイエルフだ。その程度のことは知っていて当然だし、あの程度のことは出来なきゃおかしい。勇者は『知識』や『能力』でなれるものではない。リディアは勇者の条件って、何だと思う?」


 リディアは急に話を振られて、面食らったように言う。


「えっ? そんなことをアタシに訊かれても困るぅ。アタシはジュチみたいに頭よくないし。でも、勇者の第一条件って、『勇気』だと思うな」

「それなら、リディアは『勇気』ってどんなものだと思う?」


 ジュチが畳みかける。


「えっ? 『勇気』って何って……う~ん、『困難に負けない事』かなあ?」


 リディアが言うと、ジュチは優しく笑って言った。


「そうだね、リディアはいい線行っていると思う。ボクは『勇者の条件』は『優しさ』だと思っている。優しさがあれば共感できる。共感があれば仲間ができるし、共感があれば困難に負けることはない。ザールにはその優しさがある。ボクにはないものだね」

「けれどさ、アンタは口を開けば『この世で最も高貴なハイエルフ』が口癖だけれど、アンタが他の種族をバカにしたところは見たことないね。ジュチも優しいと思うけどな?」


 リディアが言うと、ジュチは大きな口を開けて笑い出した。


「な、なんだよ! アタシ何か笑うようなこと言った?」


 ジュチはまだ笑いを残しながら


「い、いや、失敬。リディアがボクのことを誉めるのも珍しいなと思ってね。でも、ボクが他の種族のことをどうこう言わないのは、『ある種族にはその種族として自然から与えられた役割と位置がある』からさ。ボクら至高の存在——自然がと言ってもいいが、生み出し給うた最も崇高な種族であるハイエルフは、そんな自然の理を理解しているだけだ。エルフならだれでも肌で理解していることだから、別にそれで偉いとは思わないし、理を理解していない種族があっても、それはその種族の特性だから別に劣っているとも思わない」


 そう言うと、リディアは意地悪そうに言う。


「でもさ、それじゃ今回の寄生アリの奴らを皆殺しにしたのは、アンタの信条と相容れないんじゃない? その種族の特性を理解しているのに皆殺しは酷じゃん?」


 ジュチは、少し考えて言う。


「ふむ、そこがボクとザールの違いかな? ザールならば、直接自分に害を加えて来た女王アリさえ倒せば、そこで矛を収めたろう。次の女王アリが引き継いだとしても、その女王アリによる被害が出るまではそのままにしたかもしれない。それも正しいやり方だと思うよ? ただボクは、自分が嫌な目に遭わされたってことも含めて、そいつらが許せなかったのさ。別に寄生アリ全部を退治して回るような無駄なことはしないけれどね?」


 そしてジュチは、リディアとザールを見つめて言った。


「だからリディア、ボクは『キミのザール』にはとても期待している。ザールなら種族を超えて分かり合える楽園が創れるかもしれないとね。この高貴なるハイエルフのボクが、たかが人間とバカにしていたボクが、人間であるザールに友情を覚えるのは、ザールが特別な人間だと思ったからさ」

「うん、アタシもそう思う。アタシも人間はバカにしていたし、男なんてこの世に要らないじゃんって思っていたけれど、ザールとは結婚したいなって思ったもん」


 リディアが顔を輝かせて言うと、ジュチは苦笑しながら、難しい顔をしているザールに言った。


「どうしたんだいザール? 難しい顔をして」


 ザールはため息とともに言う。


「いや、二人の期待が重いなって思ってね?」


 ジュチはにこやかに


「難しく考えなくていいと思うよ? 今のキミでいいのさ。むしろ変わらない方がいい。それも難しいことだよ? けれど、キミがもし姫様と出会ったら、否応なくキミは変わらねばならない。その時、何をどう変えて、何を変えずにいるか、それをボクたちはしっかり見ているからね?」


 そう言って、リディアを見て笑った。


(サイドストーリー1 勇者の条件 完)

最後までお読み頂き、ありがとうございました。今回はホルンとザールが出会う前に、ジュチ視点でのサイドストーリーをお送りしました。ジュチたちの友情を感じてもらえればなと思います。

また、今回から『前書き』に、ここまでのあらすじと登場人物紹介も入れてみました。この点、ご意見をいただければうれしいです。

では、来週の定期投稿日をお楽しみに。

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