1 人質の報酬
ホルンは『用心棒』を生業としている槍遣い。ファールス王国の辺境の町で同業者であるガルムという男からオーク狩りに誘われる。その話に不審なものを感じたホルンは、誘いを一旦保留するが、直後に宿泊している宿をオークに襲われた。実は、町長の息子がオークたちに人質にされ、身代金の代わりとして『高い魔力を持つ人間の人身御供』を求められていたのだった。
『星読師ハシリウス』シリーズの作者が送る最新シリーズ第一弾。
その女性は、冷たい目をしていた。
「やい! そんな槍なんか捨てて、とっとと降参しな! そしたら生命までは取らねえでやるから」
その女性は、荷馬車をぐるりと取り囲み、手に手に刀や槍を持って喚いている人相の宜しくない男たちを、その冷たい目で見つめていた。
彼女は、銀髪を肩の長さでくくり、薄汚れた緑色のマントを羽織っている。マントから出ている右手には、60センチもあろうかという穂先がついた、長さ1・8メートルほどの槍を持っている。
「ねぇちゃん、女だてらに、しかもたった一人で俺たちに勝てるつもりかい? わりぃこたあ言わねえ、尻尾巻いてここからずらかりな」
盗賊の頭らしい男が、抜き身を下げたまま言うが、彼女は口元を軽くゆがめると、落ち着いた声で男たちに話しかけた。それはまるで、駄々っ子に言い聞かせる母のようなしゃべり方だった。
「あなた方こそ、今退散したら見逃してあげてもいいわよ」
それを聞いて、頭らしい男はとたんに顔を真っ赤にしていきりたった。
「ふざけるな! こちとらこれが商売だ! 嬢ちゃんに優しく言われたからって、はいそうですかと引き下がれるか!」
「そう、それじゃ勝負するしかないわね。私はホルン・ファランドール、冥途の土産に私の槍をたんと味わいなさい!」
ホルンと名乗った女性は、そう言うと持った槍を電光石火の早業で頭に突き刺し、引き抜くとそのまま振り回す。ただそれだけで4・5人の男たちが倒された。
「やべぇ! 用心棒のホルンだ」
男たちの中には、そう言いながら逃げ出すものや、
「ホルンならば相手にとって不足はない。討ち取って名を挙げてやる」
そう言って槍をしごいて突きかかってくる者もいた。
「遅いわねぇ、穂先にハエが止まりそうよ?」
ホルンは突きかかってきた男の槍を難なく弾くと、その槍を男の胸板に叩き込む。同時に後ろから斬りかかってきた男の刀を石突で弾くと、そのまま石突で男ののどを突き破った。まさに神業だった。
「……大体片付いたわね。もう出てきていいわよ」
ホルンは、転がっている男たちの数が十数人であることを確認すると、荷馬車に声をかけた。荷馬車の中からは、顔を真っ青にした中年の男が姿を現した。
「……た、助かりましたよホルンさん……」
「さて、馬車を出してもらおうかしら。こいつらの残党がまた襲ってきたら面倒だし」
ホルンは、依頼主の男と御者を見て、笑って言った。
「本当にありがとうございました。これがお約束の報酬です」
荷馬車が近くの町に到着すると、商人は明らかにホッとした様子でホルンに何枚かの銀貨を手渡した。ホルンは銀貨を改めるとニコリとして、
「……確かに。じゃ、いい商売ができるといいわね。またご贔屓にね」
そう商人に言うと、槍を担いで歩き出し、雑踏の中に消えた。
★ ★ ★ ★ ★
ここは、ファールス王国の辺境に近い町である。ファールス王国では20年以上前に当時の国王を異母弟が殺害し、王位を簒奪するという事件が起こった。それ以来、王家の威令が辺境に行き渡らなくなった。その結果、山賊などの無頼のものが辺境に跋扈し、おいそれと旅もできなくなっていた。
しかし、それでは商売も上がったりだし、辺境に住む人たちの暮らしも守れない。だからと言って軍隊を派遣するのでは手が回らない。
そこで、報酬をもらって町や旅人を守る商売――いわゆる『用心棒』が必要になったというわけである。
ホルンはまだ20代の女性であるが、槍を扱わせてはどんな男も敵わないほどの腕を持っていた。彼女は15歳の時からこの稼業で暮らしを立てていて、幾多の修羅場もくぐってきており、今では『槍遣いの女用心棒』としてこの国では武名が知られつつあった。
そんな彼女が新たな町に着いて最初に向かったところ、それは交易会館だった。
ファールス王国にはどんな町にも商人たちで作る団体があり、そこで交易のための宿舎の手配から街道の情報収集、用心棒の斡旋まで行っているのである。
この町は辺境とはいえ、絹織物を交易する商人たちでなかなか賑わっていた。この町から東へと広がる砂漠を越えると、遠く『ダイシン』と呼ばれる帝国がある。絹織物はその帝国の特産であった。ホルンは、おそらくその帝国から来たに違いない肌の色や目の色が違う商人たちが話す聞きなれない言葉が飛び交う道を、交易会館を目指して歩いていた。
と、ホルンは、前から一人の男が歩いて来るのを見た。その男はホルンと同じように古びたマントを羽織っていたが、周りの商人たちよりは頭一つ分背が高く、背中には恐ろしく長い両手剣と直径60センチほどの盾を背負っていた。
男は右の眼は刀傷で潰れていたが、左目はらんらんとした光を放ち、一目で只者ではないと思わせる雰囲気をまとっている。ホルンはその男が自分の同業者だと見抜き、自分から男に声をかけた。
「すみません、少しものを尋ねたいのですが……」
ホルンが男の左側から声をかけると、男は鋭い目でホルンを一瞥すると、苦み走ったその顔を急に和らげて答えた。思ったよりも落ち着いて優しい声色だった。
「何なりと。おたくは同業者だな?」
ホルンは一つうなずくと、
「交易会館の場所を知りたいんです」
そう言う。男は首を振って答える。
「この町の交易会館は、魔物の襲撃で先週壊されたばかりだ。酒場に行くか、自分で雇い主を探すかしかないようだな」
「そうですか、それは残念……。ありがとうございます、それでは自分で雇い主を探すとしましょう」
そういって踵を返そうとするホルンに、男が呼びかけた。
「待て、槍遣いの戦士よ。俺の名はガルム。一つ提案があるが、話を聞いてくれるか?」
「……私の名はホルン。若輩者ですが、丁寧な呼びかけ痛み入ります、ガルム殿」
ホルンは振り返るとそう言い、ニコリと笑って続けた。
「話とは何でしょうか?」
ガルムは爽やかに笑うと、一軒の食堂を指さして言った。
「ちょうど昼時だ。食べながら話そう」
「オーク狩り?」
ホルンは、口に運びかけたパンを止めるとそう聞き返した。ガルムはパンを飲み込むとうなずいて言う。
「ああ、この町の北側の森に、オークの大群が棲み付いている。この町を襲い、交易会館を壊したのも奴らだ。そこで、町の自警団からオーク退治に成功した者には報奨を出すと布告があっている」
「ふむ……」
ホルンは、パンをかじるとそういって考える顔になった。ガルムは続けて言う。
「オークの数は少なく見積もって500から600。報奨金は1タラントンだ」
——1タラントン、5人家族が何もしないでも5年は食っていける金額ね……。
そう思ったホルンは、ガルムに問いかけてみた。
「……それだけの報奨金を出すってことは、この町の人たちもかなり困っているってことでしょうか?」
「まあ、オークは単体ではそんなに強い魔物ではないが、知恵も回るし器用でもあるから、それだけの数が揃うと厄介だろうな。ホルンさんも知ってのとおり、王室の騒ぎがあって以来、辺境には国王の威令も届かないし、魔物や悪党どものやりたい放題だからな……。おかげで俺たちの出番もあるわけだが……もっとも……」
ホルンは、話を切ったガルムの最後の言葉を聞きとがめて訊く。
「もっとも?……もっとも何でしょう?」
するとガルムは笑って言った。
「いやいや、何でもないさ」
肩透かしを食ったホルンは、話題を変えて訊く。
「なぜ、私を誘われたのですか? もっと見た目でも強そうな用心棒はごまんといるでしょう? ましてやそんな大金が懸かっているのなら、話に乗ってくる人も10人や20人はいるでしょうに」
「ホルンさん、俺はあんたの腕と魔力を見込んで誘ったんだ。そりゃ、そこらの坊ちゃん連中と一緒に10人ばかりで乗り込んでもいいが、それだと報酬は一人当たり160デナリ、20人だと80デナリにしかならない。ホルンさんとなら二人でやれる仕事だと思ったんだよ。それだと一人当たり800デナリにもなる」
ホルンは、目の前の男が意外と現実的で抜け目がないことを知った。まあ、自分自身も15歳のときから10年間、こんな暮らしを続けているので、用心棒たるもの『油断しないこと』と『算盤勘定』が大事なことは、身をもって知っていた。
「……少しの間、考えさせてもらっていいですか?」
ホルンはそう即答を控えた。今までの話の中で、何か心に引っかかることがあったからだ。
「ああ、大仕事だから十分考えて、納得して組んでくれないとこちらも困る。俺はここ一両日はこの町にいるから、明日の今の時間、この店で返事を聞かせてくれ」
ガルムは大きくうなずいて言った。ホルンは立ち上がりながらガルムに聞く。
「私がこの話を断ったら、ガルム殿はどうされますか?」
「……その時は、残念だが別の町に行くかな。こんないい話はめったにはないが」
「……そうですか。では後日また」
ホルンはそう言うと、勘定を払って店を出た。
店の中では、ガルムがまだ食事をしていた。その前には、一人の男が座っている。
「ガルム、依頼した件はどうなっているんだ? こちらにはもうあと3日しか時間がないんだぞ?」
男はイライラした様子で横柄にガルムに言うが、ガルムは涼しい顔で肉を頬張りながら皮肉たっぷりに言う。
「まあ急かしたりしないことだな。依頼の件にぴったりの人物が見つかったからこうして祝杯を挙げているのに、あんたの顔を見るとせっかくの食事が台無しだ」
男は明らかに気分を害した様子だったが、ガルムの言葉に自制したようだった。それでも怒りで震える声は隠せなかったが。
「……見つかった? それは確かか? あのオークどもを満足させられるほどの魔力を持った人物だぞ?」
ガルムは鷹揚にうなずいて言う。
「まだ若いが、魔力の強さはピカ一だ。俺だって魔力には自信があるが、あのお嬢ちゃんは群を抜いている……まあ、本人も分かってはいるだろうが」
「お嬢ちゃん? そいつは女か?」
男がびっくりして訊くのに、ガルムは急に表情を引き締めて言う。
「女だからと言ってバカにするのは愚の骨頂だぞ。俺はあの嬢ちゃんなら、最初俺が提案したとおりオーク連中を一網打尽にできると思うがな? どうだい町長さん、今からでも遅くない、小細工なんかしないで奴らを根こそぎにしないか?」
すると男は辺りを見回して小声で
「馬鹿者、『町長』などと言うでない」
そうガルムを叱った後、静かに言う。それはガルムだけでなく自分に対しても言い訳しているようでもあった。
「……町の住民の安全を考えると、わしもおぬしの言う通りにしたい。だが、やむにやまれぬ事情がある……」
「……その事情ってやらも一切合切嬢ちゃんにしゃべって協力を乞うわけにはいかないのか? 仮に奴らとの約束を守ったとしても、それでさらに強大になった奴らがこっちとの約束を守るとは思えんが」
食い下がるガルムに、男はかぶりを振って言う。
「奴らとの約束は守らねばならない。計画の変更はあり得ない」
するとガルムは肩の力を抜いて、笑って言った。
「じゃあ仕方ない、好きにすることだ。ただし、俺はあの嬢ちゃんはこの話を断ると踏んでいる。あんたの計画にどうしても嬢ちゃんを使いたいなら、あんた自身が嬢ちゃんを嵌めることだな」
「それもおぬしの仕事の一つだろうが!」
男が怒って言うのに、ガルムは鋭い光を湛えた左目を男に当てて言う。
「冗談じゃない! 俺は用心棒だ。同じ仲間を嵌めるくらいなら報酬の後金はいらないぜ。危険があっても奴らを嬢ちゃんと二人で殲滅する方が性に合っているし、後味も悪くない」
ガルムの殺気をまともに浴びて、男はしばらく冷や汗を流していたが、やがて気を落ち着かせるとガルムに哀願した。
「せめて、その人物にうんと言わせる方法だけでも考えてくれ」
★ ★ ★ ★ ★
――この話、何かがおかしい。あのガルム殿は信じるに足る人物だとしても、彼は何かを隠している。
ホルンは、食堂からしばらく歩いたところにある木賃宿に入ると、槍を横たえてさっきの話を心の中で思い返してみる。話の筋は通っているが、自分が断ったらガルム自身もこの話を諦めると言う。そこが不思議だった。確かに一人当たりの報酬は少なくはなるが、他の用心棒たちと共にオークを退治した方が用心棒の役目にも沿うし、町の人たちも助かるはずなのである。
それに『もっとも……』の先は何が言いたかったのか。まるで他の方法があるかのような口ぶりだったな……。
「交易会館は確かに壊れていたし、それがオークの襲来のせいであることも本当だ。それにオークの棲み処が北側の森というのも、町の人たちがみんな言っていた……。だから、そこまではガルム殿の話は信用できる」
けれど、オークをやっつけるのになぜガルム殿と私、二人でないといけないのか? もっと言うと、ガルム殿の相棒としてなぜ私でないといけないのか? そこが気にかかって仕方がなかったのである。
『俺はあんたの腕と魔力を見込んで誘ったんだ』
ホルンは、不意にガルムのその言葉を思い出した。そして、妙に確信めいたものを感じて一人うなずいた。
「ガルム殿は、私というより『魔力』に用があったのかもしれない」
そうつぶやくとホルンは窓の外を見た。外はもうすっかり暗くなっていた。
「さて、寝ようかな」
ホルンはそう言うと、ベッドのシーツをあたかも人が寝入っているかのように膨らませ、自分はドア側の壁の隅にもたれ、槍を抱えたままマントにくるまって眠ってしまった。
どのくらいの時が経っただろう。ホルンがふと異常を感じて目覚めるのと、木賃宿のドアがぶち破られるのとが同時だった。
「お客さん方、魔物です!」
宿屋の主人の声が響く。『お客さん方』というからには今夜の宿泊客は自分だけではあるまい、ホルンはそう思うと同時に、槍をしごいて廊下へと飛び出した。ちょうど1匹のオークが、剣を片手に階段を上ってきたところだった。
「えいっ!」
ホルンの槍が、狙い過たずにオークの眉間を貫く。オークは避ける間もなく、声一つ上げずに廊下に転がった。
「だ、誰か、だれか助けて!」
1階で助けを呼ぶ声がする。宿屋の主人の声ではないので、不幸な今宵の宿泊客の一人だろう。ホルンはそれを聞くと、無造作に槍を構えながら階段を駆け下りた。
「ギッ?」
1階に降りるとすぐ、ホルンは目の前に突っ立っていたオーク2匹をほぼ同時に突きで倒す。オークにはこちらを見る暇も、剣を振り上げる暇も与えなかった。
「た、頼む。金ならいくらでもやるから、命だけは助けてくれ」
廊下の奥からそんな哀願する声が聞こえる。宿屋の主人は逃げたのか隠れたのか、帳場や玄関には影も形も見えなかった。それなら、奥にいる宿泊客を助けるのが先だ。
ホルンはそう決めると、一跳びでオークたちとの間合いを詰めた。そこには、実直そうな男が床にへたり込んで、5匹ほどのオークに取り囲まれているのが見えた。
「あんたたち、邪魔よ!」
ホルンがそう叫ぶと、オークたちは一斉にこちらを見た。その瞬間、ホルンの槍が振り回され、5匹のオークたちは一瞬にして頭部を失い、流れる血潮の中、自分たちの血だまりに膝から崩れ落ちた。
「あんた、無事かい?」
ホルンは、突然目の前で起きた出来事に理解が追い付かず、ただ茫然としていた宿泊客にそう問いかけた。宿泊客はその声ではっとし、
「は、はい。ありがとうございます」
やっとそう言って人心地着いたような顔をする。
「もたもたしてないで、オークたちがいないうちに、私たちも逃げるよ」
ホルンのその言葉に、宿泊客は慌てて金の袋を抱きしめると、ホルンと共に宿屋の外に出た。ホルンはその間に、オークをさらに2匹始末した。
「おかげさまで助かりました。私はこの町の交易商人でベルンと申します。あなた様に助けられなければ、私の命も商品もオークどもに取られてしまったことでしょう。これは些少ですがお礼です……。もし、どうされました?」
ホルンは、ベルンのお礼の言葉も上の空に周りを見回して首をひねっていた。オークの襲撃があったのに、町が嫌に静かなのだ。
「……不思議だわ」
ホルンがつぶやくのに、ベルンは目を丸くしている。そんなベルンに構わずに、ホルンはつぶやいた。
「森には数百という仲間がいるのに、やって来たのはたった10匹。襲ったのはこの宿ただ一か所。まるでこの宿に目標とする者がいることを知っていたかのようだわ……」
「そ、それなら、オークたちは私の財産と私の命を狙ったのかもしれません。北の森のオークたちを討伐した方に報奨金を出すのは、この私ですから」
ベルンがそう言うと、ホルンは初めて商人の顔をまじまじと見つめて訊いた。
「オークたちがそのことを知るチャンスはあったのかしら?」
「は、はい、この町の布告には、報奨金の提供者として私の名も書いてありますから」
ホルンはさらに訊く。
「それは奇特なことです。いや、悪い意味ではありません。町の皆のために財産を使われるとは、なかなかできない立派なことだと思います。しかし、あなただけでなく、他の商人の皆さんからもそういった話は出ていないのでしょうか? あなたがなぜ、そこまでしようとしているのかを、私は知りたい」
「はい、実は1週間ほど前のオークの襲来時に、私の妻や子が殺されているのです。私が交易で他の町に出かけている最中のことでした。ですから、私はあいつらを全部やっつけてやりたい、それだけです」
話を聞いているホルンに、ベルンはさらに熱を帯びた口調でかき口説いた。
「そうだ、あなた様なら、あのオークどもに一泡吹かせてやれるでしょう。どうかあいつらをやっつけてください。仕事料としてさらに半タラントンはずみましょう」
――続けざまに同じような依頼があるとは、昨日からどこかがおかしい。
ホルンはベルンの顔を見ながら、そう考えていた。
「あのお嬢ちゃん、なかなかやるな」
ホルンの宿屋が襲われたとき、近くの建物の陰からその様子を観察している男がいた。男は長大な両手剣と盾を背中に背負っている。そう、ガルムであった。
ガルムは、オークが宿屋のドアをぶち破ってからホルンが男を連れて宿屋の外に出てくるまで3分とかからなかったことに感心していた。また、ホルンが町の様子が静かなことをいぶかしがったり、男にいろいろな質問をしたりする様子を見て、
――あの嬢ちゃんは若いようだが、どうしてなかなか場数を踏んでいるようだ。ちょっとやそっとじゃ騙せるタマじゃない。
そうも感じていた。
さらにガルムにとって興味深かったのは、ホルンの装備であった。ガルム自身、防御としては底の厚いブーツと革の胸当てをしているくらいである。用心棒の大半はそんな軽装で仕事を行っている。
しかしホルンは、膝当ての付いた革のブーツ、太ももを守る革製の横垂、腹部を守る革製の腹巻、鍛鉄を縫い付けた籠手、そして分厚い胸当といった『革鎧』と言っても過言ではない重装備をしていた。正規の軍隊にそのまま加わっても、そこらの軽装歩兵よりも防御は固いであろう。
さらに持っている槍が異形であった。穂先から石突までだいたい1・8メートルというのは、手槍としては標準的な長さである。しかし、鞘に納まっていた時は気づかなかったが、穂先の長さが異常であった。刃渡りが60センチはある。つまり、槍のほぼ3分の1は穂先なのである。あれはただ突くだけではなく、それ以上に斬ることに主眼を置いた槍だな。
そして、ガルムにはその穂先の形状に見覚えがあった。それは、月を覆っていた雲が晴れて、月光がホルンの槍を照らしたときに確信に変わった。
「あ、あの槍は……まさか……」
ガルムは思わず路地から飛び出していた。
一方、ホルンと話している男は、何とかホルンにオーク討伐を引き受けさせようと躍起になっていた。この男は商人と言っているが、実はこの町の町長であり、ホルンに近づくために一芝居打ったのである。
――若いくせになかなか慎重だな。確かに腕も立つが、本当に魔力も高いのか?
町長はジリジリしながらも、顔では真剣さを装ってホルンを焚きつけることに心血を注いでいた。そこに、ガルムが現れたのだ。
――ちっ、ガルムの奴、なんて時に現れやがったんだ。間の悪いヤツめ。
町長は舌打ちしたかったが、次の瞬間ガルムの言葉を聞いて飛び上がりそうになった。
「ホルン殿、卒爾ながら私めに、そなたの槍を拝見させてはいただけまいか?」
ホルンは、突然この場にガルムが現れたのに一瞬びっくりしたようだったが、今まで熱っぽくオーク討伐を勧めていた商人が青くなったのを見て、心の中でうなずいた。
「……お目汚しですが、どうぞ」
ホルンは槍を立てて全体を月の光で照らした。煌々とした月の光で、冴え渡った槍の刃紋がきらめく。槍の穂の峰には『Memento Mori(死を忘れるな)』と金の象嵌が入れられていた。それを見て、ガルムはうなずくと一歩下がり、槍に敬礼をしてホルンに訊いた。
「この槍は、『スナイドル』又は『死の槍』と呼ばれたもので、25年ほど前まで『王の牙』の筆頭だったデューン・ファランドール殿の槍だと拝察します。ホルン殿、あなたはデューン殿とどういうご関係か?」
「私の名はホルン・ファランドール。デューン様は、私の養父です。ガルム殿、養父をご存知か?」
それを聞くと、ガルムは顔をほころばして答えた。
「私はデューン殿の武名に憧れて武人を志し、『王の盾』の副長兼50人隊長まで勤めました。しかし、王国の現状に不満があったため、『王の盾』を辞して辺境の人々の力になれる用心棒になったものです。ここでデューン殿の縁戚とお会いできたのも喜ばしいこと。そしてこの町長にとっても喜ばしいことでしょう」
そう顔を向けられたベルンは、言葉に詰まった。ややしばし言葉を探していたが、やがて諦めたかのようにガルムに訊く。
「私はこの町の町長で、アシモフ・ベルンシュタインと申します。ガルム殿、『王の牙』とか『王の盾』とはなんのことだ?」
「私の属していた『王の盾』は、総員で500名の親衛隊のことだ。全国の国軍から腕利きばかりを集めている常勝軍団で、その武威は古の『不死隊』に勝るとも劣らない」
ガルムはそこで一息ついて、
「そしてホルン殿の父上が所属しておられた『王の牙』は王直属の特殊部隊で、『王の盾』の中でも技量、人格、教養そして戦績に優れた人士が選ばれる。人数は時代によって違うが、7人から15人程度だ。デューン殿が筆頭だった時代は定員10名だった。今でもそうだろう」
そう言うと、さらにベルンシュタインに問いかけた。
「町長、ここにいるのはただの用心棒ではない。ホルン殿は80万国軍の筆頭に立ったデューン殿の縁戚で、その技量も受け継いでおられることだろう。また、自ら言うには口幅ったいが、かく言う私も一度は『王の盾』で副長まで勤めた男だ。そんじょそこらの魔物には負けぬ自信はある。町長、私が最初に提案した討滅案を採用せず、魔力に優れた者を人身御供として差し出さねばならないと拘った理由を聞かせてくれ」
そこまで聞いていたホルンは、笑ってベルンシュタインに言った。
「誰がオークたちの人質になっているんですか?」
「え?」「む?」
ベルンシュタインとガルムが同時に唸った。特にベルンシュタインは、『なぜそのことを知っている』と言わんばかりの顔をしていた。ホルンは笑って続けた。
「だって、今の話を聞いたら、町長さんは私にオーク討伐をけしかけるために一芝居打ったということでしょう? ということは、町長さんとオークたちの間には連絡する手段があるってことですよね? でないとこうも都合よく私たちの宿屋だけを襲いはしないですからね。オークたちは、町長さんは決して裏切らない協力者と認識しているわけです。ということは、裏切れない事情があるのでしょう、違いますか?」
ベルンシュタインはうなずいて言った。
「私の息子が人質にされています。オークの奴らは、自分たちの魔力を増幅させるために魔力に優れた人士を10日に1人森に寄越せと言っているのです。でないと息子を殺し、町を破壊しつくすと……」
ベルンシュタインの言葉を聞いて、ホルンはニコリと笑うとガルムを振り向いて言った。
「よく話してくださいました。奴らが『魔力に優れた人士を森に寄越せ』と言っているのであれば、森に出かけましょう。それにはガルム殿とこの町の自警団の皆さんの協力が必要です。では、行きましょうか」
★ ★ ★ ★ ★
その森は昼なお暗く、太陽の光は地面まで届かない。全て背の高い木々に遮られ、淀んだような空気が森の中に流れている。
そんな森にオークの一団が巣食ったのは、今から2週間ほど前だった。600匹ほどのオークは、彼らとしても珍しく長命な老オークの指導のもと、辺境に近いと言っても人口も多く、人と物の流れが活発な町の近くに陣取り、労せずして生きていくために必要なものを手に入れられる様になっていた。
「長、町長から連絡です。こちらの望みどおり、魔力に優れた人身御供を連れてくるそうです」
一匹のオークが町から帰ってきて報告する。
「ベルンシュタインは何と言ってきた?」
オークの長がそう聞くと、伝令は
「はい、今日の夜半にでも、その“捧げもの”を持ってくるそうです」
そうニコニコとして答えた。
「ふん、あの町長は市民思いで有名だったが、やはり自分の子どもは可愛いと見える。これで、わが氏族は魔力を蓄えて他の氏族や魔族に従属せずに生きていけるようになるというものだ」
オークの長はそう言って皴深い顔をほころばせた。
「町長の息子はどうしましょうか?」
伝令が訊くと、オークの長は少し考えて
「役に立つ人質だ。逃がさぬよう、殺さぬよう、丁重に檻の中に閉じ込めて置け」
そう言って笑った。
オークは背も低く豚に似た愛嬌のある顔を持っていて、性質的にも比較的穏やかであり、めったなことでは他の種族に対して攻撃的な行動は取らない。
また、人間の方もオークに対してはドワーフなどと同様、その器用さから敵対するというより共存するという形で交流していた。人間にとっては、むしろドラゴンやベヒモス、トロールといった魔物の方が恐ろしい存在だったのである。
しかし、オークの長は、長く生きて来た経験の中で、人間は同じ人型の魔物であるオーガやドワーフ、エルフたちの方により多くの友情と尊敬を捧げてきたとみていた。そこがオークの長には我慢ならないところだったのだ。
「確かにエルフは魔術に優れ、オーガは力に優れ、ドワーフは機械工作に優れている。しかし、森の恵みに対する知識や農業生産の技術ではわがオークの右に出る者はいない。人間たちはそのことを忘れてしまったのか」
長はそうひとりつぶやくと、椅子の中でゆっくりと座り直した。
★ ★ ★ ★ ★
「しかし、上手く行くでしょうか?」
使用人に荷車を押させながら、ベルンシュタインは隣を歩くガルムに震える声で訊いた。ガルムは真っ蒼になっているベルンシュタインをじろりと睨むと、
「そんな顔色をしていたら、成功するものも失敗するぞ。ここまで来たら覚悟を決めろ」
「し、しかし、本当に奴らは自警団に気づかないでしょうか? それにホルンさんとあなたがどれだけ強いといっても、600匹を超えるオークの集団を相手に、私の息子を無傷で連れ出すなんてできるのでしょうか?」
ベルンシュタインがそう言うと、荷車の上で胡坐をかいていたホルンが意地悪い声で答える。
「あら、私は一度もあなたの息子さんを『無傷で』助けるなんて言ってないわよ? 一度はだまして私をオークのもとに売り渡そうとしておいて、そこまで私たちに望むのは虫が良すぎないかしら?」
「ホルン殿の言うとおりだ。それに今回、奴らを刺激しないように、長剣は荷台に隠し、盾しか持たないことにしている。この槍も、どうせ奴らは捨てろというだろう。町長、覚悟を決めろ。でないと助かる息子も助からんぞ」
二人からそう言われて、ベルンシュタインはさらに顔色を青くした。今にも倒れそうになりながら、ホルンに向かって謝罪する。
「それは、深く反省しています。ホルンさんからそう言われたら返す言葉もございませんが……。しかし、息子は私にとって命より大事なものなのです。それは分かってください」
「だから、私とガルム殿を信じてよ。息子さんはちゃんと助け出してあげるし、オークの方も何とか片を付けてあげるから」
「は、はい、ありがとうございます」
ベルンシュタインが頭を下げた時、横合いから
「おい、お前たち、どこに行く。これから先は我らオークの縄張りだぞ」
そう、2匹のオークが棒を持って咎めてきた。ベルンシュタインが何か言うよりも早く、
「私たち、これからオークの長のところに行くのよ。長にはこのベルンシュタイン町長から先に知らせてあるわ」
そう、ホルンが屈託なく笑って言う。2匹のオークは、ホルンに言われてはじめて気づいたのか、ベルンシュタインに向かってお辞儀をして言った。
「ああ、町長さんですか。すみませんね。変な奴らが俺たちをいじめに来ちゃたまらないんで、取りあえず確認させていただいただけですから。さ、さ、お通りください」
「長にわしの到着を伝えてくれんか」
ベルンシュタインが威儀を正して言うと、オークたちはうなずいて傍らにいた2匹の蝶に命令した。
「長に客人の到来をお伝えし、客人を長のもとに案内してくれ」
すると蝶はひらひらと飛び上がり、1匹は森の奥へと飛び去り、もう1匹はベルンシュタインの周りを飛び始めた。
「……ご苦労」
ベルンシュタインが重々しくうなずくのを見て、ホルンは笑って2匹のオークに手を振って言った。
「アリガト。しばらく寝ててね」
すると、ホルンから一条の微風がそよぎ出て、オークたちを包んだ。優しい風に包まれた門番のオークは2匹ともぱたりと地面に倒れ、ぐうぐうと寝息を立て始めた。
「何をしたんですか!?」
ベルンシュタインが驚いて訊くのに、ホルンは涼しい顔で答えて、荷台に敷かれた藁の上で横になった。
「ちょっと眠ってもらっただけ。明日の朝になればすっきりと目が覚めるわよ」
「……もうオークたちの結界の中だ。町長、誰が聞いているかも分からないから、ここから先は余計な口をきくな。ホルン殿も準備をお願いします」
ガルムが静かに言うと、ベルンシュタインは慌てて前を向き、努めて神妙な顔をつくった。ホルンは横になったまま目を閉じて、幸せそうに眠りについた。
一方、長の方は門番のオークから遣わされた蝶を見て、
「町長が到着したようだ。仲間を広場に集めよ。あの子供もそこに連れて行っておけ」
そう命令すると、自分もゆるゆると立ち上がり、杖をついて歩き始めた。そこに、オークにしては筋骨たくましい若者がやってきて跪いた。
「長、少しお聞きしたいことがございます」
長は、その若者と、若者の後ろに控えた娘を見て、露骨に嫌な顔をした。
「……今更何も言うことはないぞペトロ。わしの悲願がかなう日に、また世迷いごとを聞かせに来たか」
そして娘に向かっても
「……アイラ、そなたはわしの可愛い孫だ。ペトロなどと言うたわけた男と別れるというなら、そなたの話を聞いてやってもよいぞ」
そう言い放つ。機嫌の悪さが声に出ていたが、若者は臆せずに思うところを述べた。
「私が長に嫌われていることは重々存じていますが、オークの一族のためにあえて何度も申し述べます。この町を襲い、町長の息子を拉致し、あまつさえ魔力に優れた人間を生贄にして自らの魔力を高めようなど……長のなさることはオークの種族にとって災いとなるでしょう」
若者の言葉を引き取って、娘の諫めの言葉が響く。
「私たちはどの種族とも戦わずにここまで来ました。乱暴なオーガやひねくれもののドワーフ、気位の高いエルフ、奸智に長けたアクアロイド……そしてそれらを合わせたような高慢な人間たちとでさえ、上手くやって来ました。他の種族が私たちのことを馬鹿にしようと、それはそれでいいではないですか。私たちは私たちなりの正義と平和を大切にすることで、最も自然に愛でられる種族となったではないですか」
「それがいけなかったのだ。わしらがここ数百年の間に、どれだけの住処を奪われたか、どれだけの同胞たちが理不尽な目にあわされたか……。わしはこの種族の最も年老いた一人として、その歴史を伝え、歴史を教訓としてオークという種族をもっと日の当たる種族にしたいのだ。その夢がなぜ分からん?」
長の言葉に、ペトロという若者が答える。
「長、その気持ちは分かります。しかし、やり方に問題がありすぎると私は常々申し上げているのです」
「大地から命を産み出す仕事をしている、自然に愛でられたわが種族が、他の生命を犠牲にして自分たちのためを図っていいのでしょうか? ここはあの町長と和解し、子供も親元に戻し、そのうえで私たちの希望を話し合ってみるべきではないでしょうか?」
アイラもそう訴える。長は無表情に二人の言葉を聞き流していたが、
「……二人とも、言いたいことは言ったようだな」
そう言うと、近くの部下を呼び立てた。
「誰ぞあるか? この二人をひっ捕らえよ!」
「長!」「おじい様!」
わらわらと現れた部下たちに引きずられていく二人に、長は笑って言った。
「しばらく頭を冷やしておけ。その間にわが氏族の歴史が変わるからのう」
「どうやら、オークの長とやらのお出ましのようだな」
蝶の後について来たガルムたちは、突然開けた場所に出た。向こう側にはオークたちが輪を作っている。その数は聞いていたとおり500から600といったところだった。オークたちはこちらを見ていたが、その顔触れを見てガルムはあることに気づいた。
「オークの奴らは人間を憎んでいるのかと思ったが、あからさまな敵意を見せている奴らは1割くらいで、あとの奴らはのんびりしたもんだ……殺意なんてもん、これっぽっちも感じねえぞ」
ガルムは、ホルンに聞かせるためにわざとそうつぶやいた。
オークたちの群れが二つに分かれた。その向こうには白髪の老人が厳めしい武装をした部下を10人ほど連れ、大きな檻に入った子どもと共に待っているのが見えた。
「ベルンシュタイン殿、ご苦労です。おや、お連れの方は用心棒さんですか? 困りますねぇ、ひとりでおいでくださいと言ったはずですが?」
長がそう言うのを聞いて、ガルムが笑って答える。
「安心しろ。俺は町長から釘を刺されていて、あんたたちが町長や息子さんに手を出さない限り、俺から先に手を出さないことが契約条件だ」
「それなら、その物騒な槍はどこかに捨ててくださいませんかね? その約束が本当ならね」
長が言うと、ガルムはうなずいて
「ま、そりゃそうだな。じゃあ、この槍は荷車にでも積んでおくよ。荷物を降ろしたら、どうせ槍ごと引っ張ってくからな」
そう言って槍を荷台の自分とは反対側に放り投げた。それを見て安心した長は、本題に入った。
「約束の“捧げもの”は荷台の上ですか? 別に大きな魔力は感じませんが?」
「悪いな、こいつは起きていたらあんたらの手に負えないと思って、ちょっとばかし薬で眠らせているんだ。ただ、寝ていても夢の具合では魔力が爆発しかけるから注意しな?」
――ガルム殿、上手い! いい役者だね。
眠ったふりをしているホルンは、ガルムの言葉に合わせて魔力を少しばかり開放した。
すると、ホルンを優しい緑青色の光が包み、その光はあっという間に森の中を隅々まで照らした。
「おおっ!」
ホルンとしては、かなり手加減した“魔力の揺らぎ”だったのだが、オークたちにはけた外れの力に感じられたらしい。ため息に似たどよめきがオークの群れからこぼれ、オークたちは明らかに動揺していた。
「す、素晴らしい……。これほどの魔力を持つ者は、わしも初めて出会ったぞ」
長は感激していた。しかし、荷車の中ではホルンが首をかしげていた。
――どうも、オークたちの気持ちは一枚岩ではないらしい。長が何かの感情のかけ違いで暴走しているみたいだわ。それに、明らかに長に反対している優しい光がいくつかある。これは単に懲らしめてお終いでは済まなさそうね……。
「では、私の息子を返してもらいたい」
ベルンシュタインがそう言うと、長はにこりと笑って冷たく言い放った。
「誰が今回、息子を返すと言ったかな?」
「し、しかし、『息子を返してほしくば、魔力に優れた者を森に寄越せ』といったではないか! あの約束は嘘なのか?」
絶望感に包まれてベルンシュタインが叫ぶ。それを心地よいものと聞きながら長はたしなめるように言った。
「だから、『森に寄越したらすぐに返す』とは言っていないぞ? わしらオークの一族の魔力がわしの思う程度に強力になるまで、“捧げもの”は必要だ。息子を返すのはその時だな」
そう言って笑う長に憎々しげに目を向けているベルンシュタインが勝手な行動を起こさないように、ガルムはベルンシュタインの肩に手をかけていた。そのガルムの耳にホルンの声で
「そのまま町長さんを抑えてて、私が息子さんを自由にするから」
そう聞こえた。ガルムがうなずくと、それを確認したかのように、ホルンが『死の槍』を持って荷台から飛び上がった。
ホルンは緑青色の光に包まれながら、一跳びで子どもが捕らわれている檻の前まで飛ぶと、槍の一薙ぎで檻を斬り払った。
「大丈夫だったかい? 坊や」
茫然としている子どもにホルンはそう声をかけると、子どもを横ざまに抱え上げて荷車まで飛んだ。ここまで、オークたちは何もできなかった。それほどホルンの動きは素早かったのだ。
「おお、ありがとうございます!」
ベルンシュタインは子どもを抱きしめると、そのまま脱兎のごとく森の外へと逃げだした。使用人の男も、それを追って走り出す。これはすべて予定の行動で、使用人の男は自警団の団長だったのだ。
「ま、待て! 者ども、町長を逃がすな! 裏切りの代償に町を破壊しつくせ!」
激昂した長がそう叫ぶが、オークの群れは一歩も動けなかった。それもそのはずである、彼らの前には『死の槍』を構えたホルンと、両手剣を構えたガルムが突っ立って、
「町までピクニックするなら、俺たちを倒してからでないとな」
「ケガしてもつまらないと思うけどなあ。オークってそもそも、優しい魔物じゃん。私はあんたたちとケンカするよりも、あんたたちの作った野菜サラダでもご相伴にあずかりたいけどなあ」
と牽制していたからである。
「お主たち、どうしてもそこをどかないというのなら、こちらも手加減できんぞ?」
オークの長がそう言って刀を抜いた。長は、それまでの飄々とした態度がウソのように消え、身体中から気迫のオーラが噴き出ている。それに、一見無造作に構えているようで、ホルンにもガルムにも、長の身体は構えられた刀に隠れているような錯覚を覚えた。
その構えを見て、ホルンもガルムも長が百戦錬磨の戦士であることを見抜いた。
――これは、思ったより腕が立ちそうね。油断できないわ。
ホルンがそう思ったとき、ガルムも長剣を構え直して言った。
「ホルンさん、油断するな。あの御老体はなかなかできるぜ」
ホルンがその声にうなずいた瞬間、長の鋭い斬撃がホルンを襲った。
「!」
ビュンっ! 体を左に開けてかわしたホルンの眼前を、速く重い刃風が通り過ぎる。息をつく暇もなく横薙ぎに来た斬撃を後ろに跳んで避ける。それを追いかけるように来た突きを身体を沈めてやり過ごす。真上から振り下ろされた刃を、ホルンは辛うじて槍で受けた。ここまで1秒とかかっていなかった。
「……やるな、小娘。人間でその反応の速さは見事だよ」
長が息一つ切らさずに言う。ホルンも笑って答えた。
「まずは話し合いができないかしら? どうもあなたのお仲間にも、あなたとは違った考えの方もいるようだし……!」
ホルンは、話している最中に長が放った魔力の開放に反射的に反応し、自らの魔力を長に向けて放った。ホルンの力は長の攻撃を破砕し、さらに長に直撃した。
「おおっ!」
長はそれを受けて後ろに吹き飛ばされたが、空中でとんぼ返りをうつと着地して言う。
「さすがに魔力は強いな。ぜひともそなたのその魔力をわが一族のものにしたいものだ」
「私の魔力にご執心なのはどうしてかしら? 魔力の性質もあるから、私の魔力がそのままオークの魔力増強にはつながらないと思うけど?」
油断なく槍を構えながらホルンが言うと、長は笑って言う。
「お嬢さんに教えておいてあげよう。すべての生き物にはすべての魔力の性質が眠っている。ただそのうちの一つが覚醒し発現するだけだ。だから、発現した以外の性質の魔力を持っていないわけではない。違う性質の魔力を取り入れても、取り入れ方によっては自分の魔力の増強に役立てることはできる」
「なるほどね。だからとにかく魔力の強さが問題だったってわけね。でも、そんなに魔力を高めて、何をしたいの? 今でもオークの皆はそれなりの魔力を持っているじゃない?」
ホルンが静かにそう聞くと、長は複雑な笑いを浮かべて答える。
「それを人間のお前が聞いて何になる? お嬢さん、世の中には知らない方がいいことがたくさんあるんだよ?」
「長よ、やられた側の人間にとっては、おたくらオークが何を考えていたのかを知る権利がある。人間を襲った理由の根本が人間側にあるというのであれば、それを指摘せずに暴力を行使するのはよくないと思うが?」
ガルムが言うと、長は急に構えを解いて
「ふむ、長剣の剣士よ。そなたの言うことも一理ある。それでは、この問題を話し合いで解決する自信はあるか? なければオーク挙げて町を襲うことになるが」
そう恫喝するように言う。ガルムが答えるより早く、ホルンが
「やってみる価値はあるわよ。お互いこれ以上恨みを残してもつまらないし」
そう言って笑った。
すると長は刀を鞘に納めると、
「ペトロたちをここに連れて来い」
そう左右の者に言いつけて、ホルンに向き直ると笑って言った。
「わしはあんたたちが気に入った。何より、わしらの作物を誉めてくれていたな。それに免じてあんたたちを一度は信用してみよう」
★ ★ ★ ★ ★
「しかしホルンさん、あんたは厄介ごとをしょい込む才能があるな」
長と話を終えた帰り、ガルムが呆れたように言う。
「あら、話し合いで物事が解決できれば、少なくとも身体が傷付くものが出ないからいいと思うけど。戦いで解決しても、残るのは恨みと後味の悪さだけよ」
ホルンがまじめに言う。ガルムはホルンの声が少し暗いことに気付いたが、
「それは同意する。しかし、今回、長の話が本当だとしたら……」
「町長さんがどのくらい譲歩するかよね」
ホルンがガルムの言葉を引き取って言う。ガルムは頭を振って沈んだ声で
「ホルンさん、俺はこの町に生まれ育った。前の町長も知っている。前の町長はすべてにおいて協調を大切にしていた。今の町長も確かにこの町のことや住民のことは大切に考えている。だが、だからこそ自分の意見を大切にしすぎているんだな……あの長とは折り合うまい」
そう言って空を見上げて笑った。
「確かにね……でも、折り合えるところで折り合わないと、取り返しがつかない事態が起こるわ。町長も長もそれぞれの立場を大切にしているからこそ、今回のようなことも起こるのよね。厄介だけど、ま、最後の手段も考えているからいいわ」
ホルンがそう話している間にも、町の役場が目の前に見えてきた。
「さて、勝負どころだな」
ガルムが言うと、ホルンもうなずいた。
「いやあ、本当にお世話になりました。おかげで息子も無事に取り返すことができましたし、この町も平和になります」
ホルンたちが訪いを入れると、二人はすぐさま町長室に通された。そこで町長に下にも置かぬもてなしを受ける。町長はとにかく息子の無事が何より嬉しかったらしい、二人の顔を見るとすぐそう言い、握手を求めてきた。
「ささ、お座りください。あなた方はこの町を救ってくださった英雄だ。お礼は何がいいですか? この町も豊かではありませんが、お約束の1タラントンならすぐにでもお支払いできます」
そう言って会計係を呼び出そうとする町長を、ガルムが止めた。
「まあ、ベルンシュタインさん、俺たちはちょっとあなたに相談があってここに来たんだ。まだお礼をもらうような段階じゃない」
それを聞いたベルンシュタインは不思議そうに聞いた。
「どういうことですか? あの後、奴らをやっつけていただけたんではないのですか?」
「やっつけることは簡単にできる。あの長以外はな。だが、ホルンさんの計らいで、オークの長から話を聞いてきた。なぜ、オークがこの町を狙ったのかをね」
ガルムの話を聞いたベルンシュタインは、きょとんとした顔をした。それを見て、ホルンが付け加える。
「長の話では、あなたはこの町から2マイル(この世界では3・7キロほど)ほど離れた位置にある泉から、水を引く用水路を造ったそうですね? オークの反対も押し切って」
それを聞いて、ベルンシュタインは明らかに機嫌を損ねた声でまくし立てた。
「それがどうしたというのです? 人が生きるには水が必要です。この町の住民は、多くの労力を使って水が出るかどうかも不確実な深い井戸を掘るか、2マイルも離れた泉まで水を汲みに行くかしかなかったんですよ! 町長として黙っていられなかったので、泉の位置を町に近づけただけです。あの泉には伏流水の出口があるので、泉が枯れることはないはずです」
「伏流水の出口があるといっても、泉の位置の方が高いので、オークの泉は半分程度の深さになってしまったそうですよ。当然、周りの木々も枯れています」
ホルンは、自分たちで確かめて来た泉の様子を思い浮かべながら続けた。
「そもそも、あの泉は前の町長との友情の証として、オークが掘った泉だそうですね。そして泉に手を付けない約束で、オークは人間が泉から水を汲むのを黙認していたそうです。そんな約束、前の町長から聞かなかったのですか?」
ホルンの言葉に、ベルンシュタインは狼狽して言った。
「そ、そんなこと聞いていないぞ。そんなウソが通るものか」
ホルンはふうとため息をつくと、鋭い目でベルンシュタインを見据えて言った。
「あの泉からは明らかに人のものではない『土のエレメント』の波動を感じます。泉の水からもね。それに泉のほとりには、前の町長時代に作ったと思われる看板が壊されて捨てられていました。それには泉の由来が書いてありました。泉から用水路を引く工事の時に壊したのではないですか?」
「あ、あんたらは人間のくせに、オークなどと言う魔物の肩を持つのか?」
ベルンシュタインがそう叫ぶと、ガルムは相好を崩して言う。
「町長さん、それを言っちゃ話が続かねえ。俺はこの町で生まれ、育ち、王家に仕えていた時を除けばずっとこの町で用心棒稼業をやっている。27の時からもう15年もだ。当然、前の町長も知っている。前の町長は言ってたぜ。『相手が何者であろうと、正しいものが正しい』とな」
黙りこくってしまったベルンシュタインに、ホルンは優しく言った。
「造ってしまった用水路を壊せとは言わないって長も言っていたわ。ただ、自分たちの泉から用水路、そして新しい泉まで緑を増やしてほしいということと、オーク用の畑を作らせてほしいということ、そしてオークにも新しい泉を使わせてほしい……その三つが長と取り決めた条件です。それが守れれば、オークたちは何も言わずに泉の辺に戻るそうよ」
「魔物の約束が信じられないというなら、俺が双方の証人だ。それに、オーク側にもペトロとか言う証人が付いている。長が約束を破れば、そいつが黙っていまい。町長、あんたが町の人のためを思ってやったことだっていうのは俺も分かっている。あちらの長もそれを分かってくれたから、さっきの三条件で手を打とうって気にもなってくれたんだ」
ホルン、ガルムという二人からそう言われると、ベルンシュタインもそれ以上突っぱねることはできなかった。
それから2日後、ベルンシュタイン町長側にはガルムとホルンが、オークの長老側にはペトロとアイラが付き添い、泉に関しての約束が取り交わされた。
その際、オークの長老はホルンに対し、
「あんたと会ってよかった。わしは、いかに魔力を手に入れても上には上があることを忘れておった。わしがあのまま暴走すれば、一族に迷惑がかかるところじゃった」
そう述懐した。
ホルンは優しい目で長を見ていたが、
「オークはオークで、他のどんな種族にも負けないものがあるじゃないですか。少なくとも私は、自然のことを最も分かっているのがオークだと思うわ」
そう、お陽様のような笑いとともに言った。
そんなホルンに、長は
「わしは今、とても満足している。わしらのことを正当に評価し、気にかけてくれる人間もいたことが分かったからのう」
そう言って一筋の涙をこぼした。
★ ★ ★ ★ ★
「ホルンさん、今度はどこに行くつもりだ?」
町長とオークの長が会談して、人間とオークの間で泉に関しての約束が取り交わされた日から一月、ホルンは町を見下ろす丘の上でガルムの見送りを受けていた。
「さあね、少なくとも辺境をほっつき歩くことは確かね」
「ホルンさんがこの町専属の用心棒になってくれたら、俺も気が楽だったんだがな」
ガルムが心底残念そうに言うのに、ホルンはどこか暗い目をして答えた。
「私がいると、いつか迷惑がかかるわ……」
「えっ?」
ガルムは思わずそう言って気が付いた。そういえば、ホルンは自分の養父であるデューン殿のことをただの一度もしゃべらなかった。あの『死の槍』をどうして受け継いだか、誰から槍の法を受け継ぎ、誰から魔法の手ほどきを受けたのか、そもそもデューン殿が今どうしているのかさえ、ホルンはしゃべらなかったのだ。
「何でもない……ガルムさん、この町をよろしくね。またどこかで会えるかしら?」
ホルンはそう言って、飛び切りの笑顔を見せた。その笑顔にガルムも笑顔で
「ああ、俺も辺境専門の用心棒だ。どこかでまた会えるといいな」
そう答えると、遠ざかっていくホルンの後姿をいつまでも見送っていた。
(1 人質の報酬 完)
お読み頂き、ありがとうございました。この物語は、ある絵師さんから「漫画を描きたいが物語の骨子を考えて」と依頼されて創ったものを、その方の了解のもとにアレンジしたものです。
上記の事情から、『A4判で20ページ程度』を目安に書いています。物語の展開が若干性急に感じられるとしたら、そこはご勘弁ください。