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とある大学生の飢えの話  作者: 石化
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  なんでもないものを飲むということ。



 水は、水道さえあればいつでも飲める。浄水器を使えばさらに美味しいものが飲める。


 寝食を忘れて勉学に励んだりゲームにうつつを抜かしたりして、口の中がカラカラに乾き、つばも出てこず、そろそろ頭がグラグラして来るとき。台所に行って一杯の水を飲むことが、干天の慈雨にも比するほどにしみじみと喉から腹に染み渡る。美味しい。


 乾いて口の中に涸れ谷ができたような感覚が、溝を走る水を感じて癒されるのはかなりの幸せだ。




 ●



 山に登るとき。荷物に水の蓄えが十分でないとき。汗はどんどん出て行くのに、水を飲むことはできないことがある。水場まで辿り着かないと、命の危険もあるのではないかと、危機感を抱いて、ゆっくり歩みを進めて行く。


 やっぱり喉は乾きに乾いて、尾根から吹く風がさらに水分を散らして行くように錯覚する。飢えの前に乾きが頭の中を占めて、水が飲みたくてたまらない。


 でも、迷うことを警戒して、最後の一口に手をつけることはできない。すぐそこにあるのに。本能がそれを望むのに、理性が絶対に許さない。強固な理性が今ばかりは恨めしい。



 そうして歩くこといくばくか。ようやく水音が聞こえて来る。水場は近い。待ち望んでいたものだ。ほとんど駆けるようになって歩く。



 水が湧いている。岩の間からチロチロと。ここから川が始まるのだという感慨もそこそこに、乾きを癒そうとそれを手のひらで受け止める。ひたすらに冷たくて、気持ちいい。


 口に含めば清涼感が思いっきり広がって突き抜ける。喉を通って食道へ駆け下りて行くのがわかる。体全体に染み渡って、僕を癒す。


 一息をついて、水を補充して。名残惜しくてもう一度喉を潤して。そしたらこの先に出発だ。次の水場はどこだったっけ。



 ●



 外国の水は硬いらしい。テレビでそんなことを言っていた。そんなことを言われても、想像できないのが正直なところだ。俺が思う水は口の中でとろけるように踊って体の中へ入って行く、そんな優しい液体だけだ。



 どうせだし、少し調べてみるかとネットを漁って、ミネラルたっぷりの硬水は体にいいけど美味しくないという記述を見つけて萎えた。



 台所に行き、水を汲む。ゴクリと喉を鳴らして飲み干して。うん。美味しい。もうこれだけでいいや。



 ●


 水道水の中でもっとも美味しいのはどこだろうか。今まで俺が住んでいた地域の中では熊本がダントツだった。あそこは阿蘇山から流れ出した地下水を組み上げて水道水にしている。筑後川から取水している福岡や、多摩川あたりから汲んでいる東京より美味しいのは当然だろう。


 あとは、富士山麓とか、立山からの水が飲める富山とかも美味しいかもしれない。


 水に味がないとはものを知らないものの言葉だ。最高に美味しいものに出会えた時の感動は、どんな食べ物にも勝るとも劣らないと思う。簡単なようで奥深いのが水の世界だ。そうでなくては、あんなにたくさんのミネラルウォーターがコンビニに並ぶわけは無い。


 ジュースもいいし、お酒もいい。水を単調に思った人々は様々な味のついた飲料を作り出した。水の価値は貶められ、無料ただとバカにされる。それでも。



 喉がカラカラに乾く時。辛い食べ物を食べる時。外国で、お冷にお金を取られた時。水のありがたみを感じる場面はそこかしこに存在する。だから、今日も何気なく、それでも心の奥底で感謝をしながら、俺は蛇口をひねる。






 ●



 もちろんこれは強がりだ。水は確かに美味しいが、時にはジュースが欲しくなる。だが、そんなものは贅沢品だと染み付いた貧乏人根性が囁いて、俺は買うことができない。水だけで満足している。食にお金をかけないで、手軽なもので満足して。大学生となった俺の食生活はひどいものだと、実家暮らしだった頃の俺は笑うだろう。自分では何一つ動かなかったくせに。黙って勉強していれば飯が出て来ると思い込んで、感謝もそこそこに食べてまた机に向かっていた。だからここまでこれたのだとは思う。でも、生活力は無い。食生活一つとって見ても、手をとるようにわかる。物が散乱する自室なんて見るまでもない。


 何度片付けようとしても、いつの間にか汚くなっていく。忙しさなんてさほどでもないはずで、友人の部屋に行けば、見事に整えられていて我が身と比べて落ち込んでしまう。


 明日から本気出す。なんども言ってなんども失敗する。一限には遅刻し、絶起したなどと呟いて、ファボを稼いで安心を得る。それでいいはずはなくて、そろそろ就活も迫っていて、卒論も考えないと行けない。全ては食生活からなのか。


 これでいいのか。これじゃダメだろ。脅迫感と不安感と焦燥感が俺を駆り立てて。でも、どこへ向かえばいい。不意に冷静にそんなことを考えてわからなくなる。



 やっぱり喉はカラカラに乾いていて、水を飲もうと台所に向かった。


 滲み透る水は全てを超然と透過してやっぱり美味しかった。




















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