レトルトカレー
一人暮らしはいいものだ。親に束縛されることもなく、自分の思うがままに時間を使うことができる。
⋯⋯ほんとうにいいのだろうか。俺はそう自問自答していた。大学入学を機に上京し、念願の一人暮らしを始めてはや一ヶ月。はやくも俺は一人暮らしの限界に気づいていた。
待っていても飯は運ばれてこないのである。当然だ。ここに親はいないのだから。いつもなら朝食夕食が黙っていても出てきた。寝食を忘れて勉強に励んでも何の問題もなかった。最低限の生活習慣は保証されていた。
だが、いまこの瞬間において、それははかない望みに過ぎない。いつまで経っても飯はできない。お腹がすいた。だが、億劫だ。何をするのも億劫だ。気が付いたらお腹が減っていて、その腹の減りが自分から行動力を奪っている。お腹のじりじりとした空き方が、体をとらえて離さない。ご飯を食べなくては、このまま飢えて死んでしまう。そんなこともちらりと脳裏に浮かんでくる。
腹がへこむ。喉は流れてくるはずのない食べ物の幻影を求めて唾液を出してはいたずらに吸い込んでいく。
腹が何か言っている気がした。なにを言ってるってそれは一つだろう。飯を食え。これに尽きる。つばを飲み込んで、食料代わりとする。
俺はこの飢えを書いてみんなに知らせる義務があるんだ。⋯⋯ないな。そんなことはない。何はともあれ飯を食おう。そうすればどうとでもなるはずだ。
いまここにあるのは、炊飯器で勝手にたきあがったお米の残り。これをどうにかおいしく食べたい。
そして詰む前の俺は相応に賢かった。レトルトカレー(そのうえ温めなくてもいい)を在庫として持っていた。それは平時としては下の部類に入るもの。ただの白米とレトルトカレーだ。冷めている。美味しいはずがない。
でも、まあ、あれだ。空腹は最大のスパイスなんだろ。⋯⋯最高だったっけ。まあいいや。なら、おいしくないわけがない。食べるぞ。
机の下に設置した炊飯器からご飯をとる。この腹減り状態を予測した位置だ。ここなら、どんなに気力がなくなっても食べることができる。しゃもじで三杯ほど。人肌くらいのぬくもりは残されているみたいだ。
唾がだらだらあふれてくる。絶対おいしい。なんだか作為的にこの状態になっている気もするけれど、気のせいだろう。
袋に入ったレトルトカレーを椀の中に流し込んで、完成だ。具材はないけれど、カレーであることは間違いないだろう。スプーンに入れて口へ運ぶ。
目が覚めた。それほどその味は鮮烈だった。カレーのルーがいいアクセントになっている。⋯⋯いや、これは逃げだな。もっと直接的に言ったほうが正しいだろう。こちらの空腹を媒介に最高の味が口の中に広がっていく。絡まってとろけて、嚥下して、空いていたお腹の中に溜まっていく。それがたまらなく心地いい。ひと噛みごとに求めていた味が溶けていく。
ふたくちめ。我慢できずにたっぷりとすくってしまった。くちのなかが米でいっぱいになる。そしてすぐさま、カレーの辛さが浸透する。米のままでは単調だったはずの味がカレー1つで何通りにも分かれていく。米とカレーが薄まって濃くなってぜんぜん飽きない。もう空腹というスパイスは消費したはずなのに、次の一口が食べたくてたまらない。
冷めていることなんて気にならなかった。ただひたすらにおいしくて、箸が止まらなかった。気が付くともう、ひとくちぶんしか残っていなかった。
どうせだし、さらに変化をつけたい。机に置いてあるとろろ昆布を一掴み、ふりかけた。白のご飯の上に白っぽい黄緑色の帯の群れが乗る。これが最後の一口だ。味わって食べよう。
口に入れる。ご飯が昆布に包まれて、食感は全くの別物だ。布のように柔らかくて、とろけていく。とろろ昆布自体に味はほとんどない。わずかな塩気と、かすかな昆布の味が薫る程度だ。でも、それをかけたご飯はまったくもって別物だった。食感も味も驚くほどに違う。どんな調味料とも合うといわれる白米。その真価が思う存分発揮されていた。白米の味はほかの味を打ち消さない。ただ相乗するだけだ。白米と合わさることで食材とされたものは数知れず。海苔や納豆、ふりかけに限らずマヨネーズやらケチャップに至るまですべてが白米と調和する。その実力の一端が余すことなく発揮されたご飯だった。
食べ終わって俺は思う。もう、ご飯だけ炊いていればいいんじゃないかな。炊飯器に任せておけば失敗するはずもなし。調理の手間もまったくない。神の食材と呼んでも差し支えないだろう。これさえあれば一人暮らしの飢えを回避することなんて簡単だ。
⋯⋯なお、栄養バランス。
そうして俺は、久しぶりに会った友達に最近痩せたねと言われる羽目になった。飢え回避までの道のりはまだまだ長い。