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さよならバイクボーイ

作者: 中嶋 淳

1983年の夏、僕はただひたすらに走っていた。

それは青春の暴走とも爆走とも言えるもので、どうしていいか分からず、それでも居ても立っても居られず必要にせまられて走り出したんだ。

ブレーキをかけたら止まってしまい二度と走り出せなくなる様な気がしていた。周りの風景はブレて見えない。前だけを見つめて走り続ける僕の前をあいつが、バイクボーイが走っていた。


けたたましく鳴き続けるセミの声が耳に染み入り、どんよりとした湿気が教室を釜茹で地獄に変えていた。歪んだ窓から見える校庭は白く発光し、遠くに見える鉄棒はグニャグニャとフラダンスを踊っている。毛穴から吹き出した汗は背中を滝の様に流れ、シャツを身体に貼り付かせ、「教育にはクーラーが不可欠だ!」と誰かが叫んだ。

耳障りな始業ベルのジリジリという音が僕の不快指数を押し上げ、担任のヨシナガの登場と共にピークに達した。

その日のヨシナガのホームルームはとても長かった。それというのも、うちの学校の生徒がバイクで事故ったからだ。場所はパープルライン。対向車に突っ込んだらしい。

ヨシナガの話は延々と続いた。説教を聞き流しながら僕は、そいつがパープルラインのどのコーナーで事故ったのか、そればかり考えていた。下りの地蔵カーブかストレートの終わりの三本杉か、どっちでも事故りそうだ。

地蔵カーブの下りは路面についたバンクによってバイクが真横になったような気がして、ついアクセルを緩めたりブレーキをかけたくなってしまい結果としてコケる。三本杉は手前のストレートをアクセル全開で駆け抜け減速しきれずに杉の木に突っ込んでしまうのだ。

僕はパープルラインのそれぞれのコーナーを頭の中に思い浮かべた。

「アキラ!」という声と共にヨシナガの真っ赤な顔が目に飛び込んできた。「寝てんじゃねぇ!」とビンタをくらう。


担任のヨシナガは体操部の顧問で、色白なくせに怒ると顔が真っ赤になるところから、赤オニとよばれている。こいつは生活指導以外やることがねえから、学校にくると生徒の服装や髪型チェックばかりしやがるクソッタレ野郎だ。

野郎ばかりの教室で担任も男とはあまりにも暑苦しすぎる。

始業ベルの音と共にいつもの様に頭を真っ白にして一日の拷問に耐える。

次に気が付いた時には、終業ベルが鳴り響いていた。

その日の教師達のイジメから解放された僕は自転車置き場へと向かった。

バイク仲間のハマグチとマツダと走りに行く約束をしていたのだ。

自転車置き場に着くと二人が待っていた。どうやら昨日の事故の事を話していたらしい。

「知ってた!事故ったの三組のヤツだってよ。」とハマグチが言うので「死んだのかよ。」と僕は聞いた。

ハマグチは分からないと言ったが僕はそいつが死んだらいいのにと思った。だってそうすりゃパープルラインにいっそう箔がつく。そう考えたら何だかゾクゾクしてきた。

自転車に乗って校門を出るとマツダが「二高の前を通って帰ろうぜ。」と言いだした。

二高って言うのは県立の女子高で可愛いコが多いと評判だった。そんなヤツの言葉を無視して、僕は自転車を漕ぎ出した。

早く帰りたかった。僕は早く帰って、バイクに跨り、パープルラインに行きたかった。

結局、僕たちは自転車で二高の女の子を品定めしながら家の方へと帰っていった。

パープルラインの下の善光寺門前に集合として、みんなと別れた。

家に着くとすぐさま学生服を脱ぎ、ジーパンと革ジャンに着替えた。ジェットタイプのヘルメットを脇に抱えると玄関を飛び出した。そして、庭に停めてあるバイクに近づきシートカバーを引っぺがす。

僕の青春の稼ぎを全て吸い尽くしたヤマハRZ250は輝いていた。こいつの為に去年の冬からの稼ぎを全てバイク屋に吸い取られている。しかし、水冷2気筒の2ストロークエンジンは35馬力のパワーを絞り出し、貢いだ分の胸のすく様な加速感をライダーに与えてくれる。

燃料コックをONにしてチョークを引きステップをたたむ。腰を浮かしキックペダルを踏み込むと2ストローク特有の軽い排気音をたててエンジンが目を覚ます。

チョークを戻し水温計の針が上がるまでシートに跨り、スタートシグナルを待つグランプリライダーのようにタバコを1本軽くふかす。


初めて僕がこいつに出会ったのは、駅前のシグナルだった。当時僕はホンダのCB50という原チャリに乗っていて、毎晩シグナルグランプリを仲間とやっていた。

ある晩、いつものように信号で並んでカラぶかしをしていると隣に白いオートバイが並んだ。

ヤマハの新型250cc、RZだった

白くてでかいタンクとモウモウと白煙を上げるマフラーに僕は圧倒された。しかし、そんな意思とは関係無く右手はアクセルを煽り続ける。隣のRZの排気音も一段と鋭くなっていく。

シグナルが赤から青に変わったと同時にアクセルを開きクラッチを繋いだ。

自分でも会心のスタートだと思った刹那、横を白い矢の様にRZが駆け抜けてゆく。フロントタイヤを軽く浮かしテールランプを引きずりながら、RZは金切り声だけを残して消えていった。

この時のことは、今でも鮮やかにおぼえている。

視界から消えて行くRZを見ながら、こいつを絶対に手にいれなければならないんだと思った。そして僕はRZを手にいれた。

RZの水温が上がってタバコの火を揉み消すとヘルメットを被った。クラッチレバーを握ると左脚でゆっくりとシフトペダルを踏み込みギアを1速に入れる。アクセルを煽り、エンジン回転を6千にキープしながらクラッチをつなぐ。

RZのパワーバンドは他のどのバイクよりも狭く、6千回転以下でクラッチを繋ぐとエンストしてしまう。したがってライダーはRZを元気に走らせようとしたら常にエンジンの回転を6千回転以上にキープしなければならない。RZは乗り手を選ぶバイクなのだ。

善光寺前の広場には5、6台のバイクが集まっていた。ハマグチのカワサキZ400FXとマツダのスズキRG250も来ている。

みんなバイトの金をバイクにつぎこんでいるらしく、ノーマルのマシンはいない。とは言っても僕等は暴走族じゃないから変な色に塗ったり、うるさいだけのマフラーをつけたりしているヤツはいない。みんな、走り重視の改造をしていた。

改造の基本としては、まずマフラーを2ストロークに乗っているヤツはチャンバーに替え、4ストロークに乗ってるヤツは集合マフラーに替える。それからバイクに乗る時の姿勢を前傾にする為にハンドルとステップをそれぞれセパハンとバックステップに交換する。

この三点が基本であとは自分の好みによってサスペンションを替えたりキャブをいじったりしている。よってバイク仲間が集まると自分のバイクの自慢話から始まり、あそこのメーカーのマフラーはどうだとか、バイパスで160キロ出したとか、どうでもいい話が延々と続くのであった。

「そろそろ行こうぜ!」と工業高校のモリオが言った。それを合図に皆んなエンジンをかける。7台分の煙を残して僕達はパープルラインに向かった。

信号で止まった時、隣にいたヤツが「昨日コケたヤツ、やっぱ下りの地蔵コーナーだってさ。」と話しかけてきた。「やっぱそうか。」とだけ言って、僕はRZをスタートさせた。

 今日は、みんなどことなく緊張していた。善光寺の駐車場でも昨日の事故の話が中心だった。

コケたヤツは死んだとか、死んではいないが対向車に轢かれて内臓破裂で重体だとか。ヘルメットが真っ二つに割れていたとか。

 こういった話には尾ひれがついて、どんどん大きくなっていくものだ。そのくせ、みんな自分はコケても大丈夫だと思っている。現に仲間でコケてないヤツなんて1人もいない。僕だってRZに乗り換えてから、三度転倒している。

コケるのは腕が悪い、死ぬのは運が悪いだけ。僕らは、そう思っていた。

 パープルラインに入るとギアを落としてエンジンの回転を高くキープする。左、右、左と上りのコーナーを駆け上がると問題の地蔵コーナーが目に飛び込んでくる。

僕らがここを地蔵コーナーと呼ぶわけは単純で、道の端に小さなお地蔵さんが置いてあるからだ。

昔ここで死んだ人の家族が置いたものだとか言われている。このコーナーで事故が多いのもそのせいだと言っているヤツもいた。僕はそんな考えを振り払いながらコーナーに飛び込んで行った。ちらりとガードレールの生々しい傷跡が目に入る。

 パープルラインは愛宕山を真っ二つに割って通っている生活道路だが交通量は決して多くはない。と言うのも、わざわざこんなクネクネした道を使わなくても山の反対側に行ける新道が出来たからだ。

パープルラインのコースレイアウトとしては、今僕達が上がっていった南側の小さなコーナーの続くテクニカルコースと北側の緩やかなカーブの続く高速コーナーとなっている。中間には「子供の国」という県営の公園があり、ここの駐車場が愛宕山に集まってくるライダー達のギャラリーとなっていた。もっとも此処は夜景が綺麗な為、夜はカップル達の「大人の国」へと変身する。

僕は軽く北のコースを流すと全力疾走に移った。三本杉コーナーを立ち上がり、ストレートを全開で飛ばす。ギアを二段落としてコーナーを廻る。ギャラリーの前でVサインを出しながら次の右コーナーを駆け抜ける。左右と切り返しながら「地蔵コーナー」へと飛び込む。RZの右のステップから火花飛び散り、右目の端にアスファルトの壁が写りこむ。RZのフレームがビビりだして、僕を振り落とそうとする。大丈夫だ、大丈夫なんだ、僕には出来る。とアクセルを戻したくなる気持ちを押し殺す。

パープルラインの登り口まで下りてくるとヘルメットの中がじっとりと汗ばみ、神経が一本一本独立していることが判る。一息入れると今きたコースを登って行った。途中ハマグチのFXやマツダのRGとすれ違う。

 今日は絶好調だ。路面の荒れからコーナーの端に浮いた砂まで見える。自分の呼吸とRZの排気音がピタッと合っている気がする。

そうだ、こんな日にあいつに逢えれば。今だったら、あいつに勝てる気がする。

 ギャラリーのいる駐車場に戻ると20台くらいのバイクが集まっていた。ホンダやカワサキ、スズキにヤマハ、ノーマルなものからバリバリに改造しているヤツまでいる。

大体、パープルラインに集まってくる奴らはハンドル、マフラー、ステップは改造していた。この三つはストリートレーサーの三種の神器とよばれている。

 突然、ひときわ高い集合マフラーの音と共に、黒いカワサキが姿を現した。カワサキZ750FXは70馬力のハイパワーが巻き起こす風きり音を残して、コーナーを駆け抜けていく。

僕はRZのエンジンに火を入れレッドゾーンギリギリの9500回転でクラッチをつなぐとコースに飛び出した。

「アキラッ!」と叫ぶハマグチの顔がバックミラーに映る。

 バイクボーイ。あいつだ。この峠で一番早いヤツ。今まで何度あいつを追いかけ、何度ちぎられたかわからない。でも今日あいつに会えたことは、僕にとってラッキーだった。

今日の僕は乗れている。今日こそは、あいつをブチ抜いてやるのだ。

 フロントタイヤが着地すると、僕はシートから腰を落としたハングオンスタイルでコーナーに飛び込む。前を走るバイクボーイはステップだけでなくクランクケースやマフラーからも派手に火花を撒き散らしてコーナーをクリヤしていく。タイトなコーナーが続くパープルラインでは大きく重いナナハンは不利だ。

しかし、バイクボーイは軽々とコーナーをクリヤしていく。リズミカルにカワサキを切り返して、華麗なダンスステップを見せつける。

コーナーをまわる度に僕はバイクボーイから離れていった。僕はあせり、あせりはミスを誘った。

オーバースピードでコーナーに突っ込んだ僕とRZはリアタイヤのグリップを失いガードレールに向かって突っ込んでいった。

僕は道路の上をすべっていた。視界にはアスファルトの川が写っている。激しい衝撃と共に身体がガードレールの支柱にたたきつけられた。ヘルメットのスクリーンは千切れとび、目の前には優しく微笑むお地蔵さんが立っている。


 RZは全治ニ週間、僕自身は一週間で済んだ。

僕の通う高校はバイク通学どころか免許を取る事さえ禁止されているスペルマ臭い男子高校だ。だから僕は階段から落ちて怪我をしたと言って、二日間を家で過ごした。次の日、学校へ行くと、僕はヒーローになっていた。ハマグチとマツダがバイクボーイと僕のバトルをおもしろおかしく話していたからだ。バイク仲間じゃコケた事さえ自慢になる。

俺はどこそこのコーナーを90キロでまわっていて、ぶっ飛んだ怪我しなかったとか。雨の中、120キロ出してコケた時は死んだと思ったとか。大抵の話は大きくしているだけだったが、その日の僕もそんな連中の一人になっていた。やっぱ、ヒーロー扱いされて悪い気はしない。

バイクボーイはリヤタイアを滑らせながらコーナーを廻ったとか。コケたのはバイクボーイのカワサキの後輪と僕のRZの禅林が接触して、弾き飛ばされたからだとか、大ボラを吹きまくった。

教室は僕を中心に人の輪が出来ていた。しかし、始業ベルの音と共に担任のヨシナガが入ってくると、みんな慌てて自分の席についた。その時これだけ派手にクラスの連中に伝わっているのだから、ヨシダが知らないはずはないと思った。

ヨシナガが「アキラ!」と僕の名を呼んだ時、「バイクはもう当分乗れない。」と思った。

「身体は大丈夫か。」

「はい」

「クラブ活動も何もしてねえから、身体がなまって階段から落ちたりするんだろう!」と言うヨシナガのセリフに、僕は額の汗を拭った。

僕はヨシナガのブラックリストに名を連ねてはいなかった。学校では決して真面目な生徒ではなかったが、変な髪形にしたり、制服を改造したり鞄を平べったくしたりしていなかった。派手な喧嘩をしたこともない。当然、便所でタバコを吸ってるのを見つかった事もない。

大体、タバコなんて家で吸うかパープルラインに行ってからにすればいい。なにもわざわざ学校で、しかも便所で吸うこたない。僕はそう思っていた。

 クラスには必ず鞄をペッタンコにしたり、おでこにソリを入れているツッパリ君がいる。こういった連中は「俺はワルなんだ!」というデモンストレイションを学校でしているだけなんだ。

僕はわざわざそんなことをして、生活指導ににらまれたくなかった。楽しい放課後ライフを失いたくなかったんだ。しかし、こういった奴らとは付き合っておかなければならない。何故なら、こういった連中は女友達が多いからだ。

 僕たちの学校は男子校で女っ気は保健室のババアぐらいしかいない。普通どこの学校にもいるであろうと思われる数学の美人女教師もいない。いるのは体育会あがりのゴツイ野郎教師ばかりだ。話を戻すと、つまり僕らがバイトしてバイクで走り回っている間、例のツッパリ君たちは街をぶらぶらして、これも同じくぶらぶらしている愛泉学園の女の子をナンパするわけだ。

この愛泉学園っていうのは県内一レベルの低い女子高でヤンキーな女ばかりしかいないんだけど、県内の高校生から大学生、はては土建屋のオヤジまでの性欲処理をしてくれる、ありがたい学校だ。

当然うちの学校の生徒もお世話になっている。ツッパリ君たちと付き合っておくと、こういった女の子達ともお知り合いになれるわけだ。

 僕も愛泉のコには一度お世話になった事があった。同じクラスのオオタというヤツの彼女の彼女の友達でエミという名前だった。

茶ガシラでズルズルと長いスカートをはいていて、とても僕の好みじゃなかったが、やりたいさかりの十七歳は穴があったら入れたいのだ。自己弁護するわけじゃないが僕らの年頃だったら誰でもそうなわけで、とんでもないブスとかとんでもないデブじゃない限りは何でもいいのだ。 

僕の童貞を奪ったエミとは、その後二回やったが、結局エミは車持ちの大学生と付き合い始めて、僕は捨てられた。

「だってあたしバイクより車の方が好きなんだもん。」

これがエミから僕への別れの言葉だった。

僕はエミを正直だと思った。やれなくなったのは残念だけど僕も好きだからという理由でアイツと付き合っていたわけじゃないからだ。

普通の女だったら、「あなたより好きな人が出来た」とか気の利いた台詞を吐くはずなんだけど、アイツはバカだからストレートに言ったんだと思う。十七歳の僕は少し男と女の仕組みがわかったような気がして、今ではエミに感謝さえしている。

もっともその頃の僕は、女に乗っているよりバイクに乗っている方が気持ちよかったし、金があったら女の子とデートするよりバイクのオイルでも交換したいと考えていたから、女がいなくなっても平気だった。

「バイトやるのかよ。」という声に目をあげるとハマグチが立っていた。

「修理代いくら」という問いに「六万円」とこたえたが、この出費は痛かった。

RZは転倒時、フロントフォークを縁石に引っ掛けており、その結果、矯正が必要になっていた。ウインカー類も当然交換だ。

今までは日曜や長期休みの時、ハマグチの実家の土建屋でドカッチとして雇ってもらっていたが、今回は手と足を怪我しちまって、それもできやしない。

「とりあえずサテンか何かやろうかな」

「バカ、サテンなんか時給五百円だぞ。」とハマグチに言われたが、その日の夕方僕は「サニー」という喫茶店の面接を受けに行った。

店はパープルラインの北側にあった。僕たちお学校はアルバイト禁止なので、学校のある街の中心からはずれたここを選んだ。が、ほかにも理由がなかった訳じゃない。

僕はここがパープルラインにくるライダー達のたまり場になっていることを知っていた。ここにいればバイクボーイの噂も聞けるかも知れないと考えたのだ。

バイトは明日からで時給は五百五十円だった。

 次の日から授業が終わると毎日一直線に自転車で「サニー」に向かった。

「サニー」はそんなに忙しい店ではないが夕方になると、大学生やサラリーマンのカップルがやってきて僕に時給以上の働きをさせる。

店はマスターと奥さん、それにアルバイトの女の子が二人いた。マスターは奥で料理を作っていて、奥さんがそれを手伝っている。アルバイトの女の子二人が注文を取り、僕はそれを運んだり洗い物が溜まると皿洗いをした。

 僕は「サニー」に来る前にあることについて考えた事があった。そのある事というのは、僕のまわりには女に植えた野郎どもがいる。みんな、「女!女!」と毎日のように叫んでいる。でも世の中には「男」と「女」の二種類しかいないわけで、植えた野郎どもと同じだけの女の子がいるはずなんだと。しかし、僕らのまわりには女の子はいない。

そりゃ男子校だからしかたないと思うかもしれないが世の中には女だけの女子高っていうのもあるわけで、共学の連中が同じ学校内で相手を見つけて、男子校の連中が女子高の連中、いや方々と付き合えば何も問題は起こらない。

でも現実は違う。街には「女!女!」と叫んでいる野郎どもはいても、「男!男!」と叫んでいる女の子はいない。女の子は男を必要としないのだろうか。それとも男とつきあうより楽しい何かを知っているのだろうか。

 「サニー」の女の子は二人とも普段僕たちがお付き合いしたいと思っている二高の子だった。髪の長い方がリカコで短い方がカオリという名前だ。

二人とも僕と同い年で、バイトの目的を聞くと「お金がほしいから」と当たり前の答えが返ってきた。

僕は女の子たちの秘密の隠れ家を一つ見つけたような気がした。街のサテンやレストランにはこういった女の子が沢山いて、学校が終わるとセーラー服やブレザーを脱いでウェイトレスに化けるんだ。僕たち野郎どもはこれに気付かなかっただけなんだ。


 パープルラインでコケてから一週間後、授業が終わるとその足でRZを預けてあるバイク屋へ向かった。店の裏に置かれたRZは完全に治っていた。チャンバーやマフラーには細かい傷が残っているが、これはバイク乗りの勲章だ。店のオヤジに修理代をローンで払うことにしてもらい、蘇ったRZに飛び乗った。

RZにキーを差し込み、メインスイッチをONにする。チョークを引き、ステップをたたんでからキックペダルを蹴り落とす。

ゴボッという音と共に一発でエンジンに火がともった。

チョークを戻しアクセルを開けるとチェーンソーのような音を立ててチャンバーが白煙を噴き出す。RZは蘇ったのだ。

 バイク屋から飛び出すとRZの機首をパープルラインに向けた。善光寺前のストレートをフル加速していく。アクセルを開けるたびにリヤのサスペンションが沈み込み、白煙と2ストローク特有の排気音を残してアスファルトの上を駆けていく。

パープルラインに入るとギヤを落としエンジンの回転を上げる。

2週間乗っていなかったRZだが、最初のコーナーを抜けた時、何のブランクも感じずに」クリヤすることが出来た。

さすがに地蔵コーナーの入り口では根性が消えそうになったが気合を入れケツを落としRZを寝かしこむ。

立ち上がりでは上りのコーナーと相まって、フロントタイヤを浮かそうとする。それを両手で抑えながら、こだまのように後ろから追いかけてくるRZの排気音に酔いしれていた。

 「子供の国」の駐車場にバイクを停めるとポケットからハイライトを取り出し火を点けた。

ここから観ると街はとても小さかった。四方を山に囲まれ夕日に霞む街は、その昔、海に沈んだムー大陸のように見えた。

 その日は土曜日で「サニー」はクソがつくほど忙しかった。次々とやってくる客を迎え討ちながら、僕たちは代り番こに夕食をとった。

 「あのバイク、アキラくんの?」という声に店の裏口で夜食を食っていた僕は振り向いた。「今度乗せてね」と言うとリカコは僕に水の入ったコップを渡し店の中へ戻って行った。僕は水を飲みながら、今のリカコの言葉について考えてみた。

「今度乗せてね。それからバイクの後ろに乗せてもらうだけじゃなくて、アキラくんとお付き合いして、いろんなことしたいわ。二人で青春の一ページつくりましょう。」というパターンと「今度乗せてねバイクに。でも勘違いしないでね。私、バイクが好きなだけで、アキラくんのことなんて全然なんとも思ってないから、バイクに乗っけてくれれば、それでいいのよ。」というパターンである。前者は僕の希望的観測と性欲が入り混じったものであり、後者はあまりにも悲観的すぎる。まあ、どっちにしてもとりあえずのとっかかりは出来たわけだから、バイクボーイに感謝する他あるまい。しかしその後、リカコの言葉が単なる社会事例であることを思い知らされるのであった。

 「サニー」の営業時間は十時までで後片付けが終わるともう十時半だ。僕は何かさっきの話の進展をと願って、リカコと二人になるチャンスを伺っていたが「お疲れ様。」というセリフを残して彼女は裏口から出て行ってしまった。僕は慌てて後を追いかけた。リカコを見つけ声をかけようとすると彼女は駐車場に停まっていた赤いファミリアの助手席へと身体を滑り込ませた。

運転席には大学生っぽい男がハンドルを握っていて、僕の目の前を二人を乗せたファミリアは走り去った。

「サニー」の裏口に残された僕の頭の中には、三回やらしてくれたエミの言葉がエコー入りで響いていた。

「だってあたし、バイクより車の方が好きなんだモン。モーン、モーン。」

僕はこの時初めて理解した。自分自身が本当にオメデタ野郎な事に・・・。

「お疲れ様。」という声に我に返って後ろを振り向くと、もう一人の二高生カオリが立っていいた。

「今のリカコの彼氏なのよね。市内の大学生だと言ってたけど。」

僕は何だかカオリが僕の考えをすべて知っているような気がして逃げ出したくなった。しどろもどろになりながら「おやすみ。」とだけ言うと、RZに向かって歩き出した。

「今度、後ろに乗っけてね。」

「えっ・・・。」

クソッ、また社交辞令か。どおして女ってのは無神経にこういう事が言えるんだろう。男の気持ちってのを少しも理解していないんだろうね、こぴつらは。

僕はすこしヤケになって言った。

「今度なんて言わずに今日乗っけてやるよ。」

「えっ本当!じゃチョット待ってて。」と言ってカオリは店の中へと戻って行った。

あれれれっ何だか変だ。だから僕は社交辞令を許したくないと思って。

「お待たせ。」とカオリガ戻ってきた。手には半キャップタイプのヘルメットをぶら下げている。

僕は「でも今日は遅いから、また次機会にでも・・。」などと訳の判らないことを言ってしまった。

「でもマスターからヘルメット借りてきちゃったし。」

RZの後ろにカオリを乗せ、パープルラインを登りながら考えた。

この世はタイミングだ。どんなに条件が良くてもタイミングが合ってなけりゃダメだし、タイミングさえ良けりゃ条件が悪くてもどうにかなっちまう。

「子供の国」の駐車場にバイクを停めると僕たちは歩いて展望台に向かった。

展望台からは街の夜景が一望できた。碁盤の目のように灯火が縦横に並び、小さな光が右から左、左から右へと動いている。僕は珍しく女の子と二人でいてもプレッシャーを感じなかった。さっき、天国と地獄を経験したせいだろう。

周りはカップルだらけで、中には抱き合ってキスしている奴らもいた。

僕たちはベンチに腰掛けるとただひたすらに夜景を観ていた。こんな時、何を話したらいいのか判らなかった。

このシチュエーションでは大抵、「最近観た映画」の話とか、「好きなミュージシャン」の話、「血液型」とかするけど、そんな話して何になる。本当に聞きたいのは「やらしてくれるか」否「自分のことをどう思っているかっているか」ということだ。

「どうしちゃったのよ、黙っちゃって。何か言ってよ。」

「えっ、あっそうだカオリちゃん、どんな映画好きなの。」

パブロフの犬だ。女と最初に話すとき必ず「映画・音楽・血液型」の話をしてしまうのは条件反射なんだ。それか、男のDNAの中に生まれながらにそういったパターンが組み込まれていて、自分の意志とは関係なく、口から出てしまうかのどっちかだ。

その後、僕は当然のように彼女と「好きな映画・音楽・血液型」の話をすることになる。


 僕とハマグチとマツダの三人は教室で日曜日のツーリング計画を立てていた。

バイク雑誌は夏が来ると必ずと言っていいほど、「北海道の特集」を組んで、ライダーを旅へといざなう。

だが僕たちには、そこまで行く金も根性もなかった。相談の結果、近場で海があって日帰りできる所ということで清水へ行くことにした。ツーリング計画とは言っても何時に何処に集まって出発するかぐらいなもんで、何処を観て回るなんて話はしなかった。

 「ツーリングですか、いいですね。」という声に振り向くと、いつの間に近寄ってきたのか学級委員のシマザキが立っていた。

「てめえ、ヨシダにチクッたらブッとばすぞ。」とハマグチが凄むが、シマザキはニコッと笑って「僕も一緒に連れて行ってくださいよ。」と言った。

「リヤシートには女しかのせねえよ。」とマツダが言うと「僕もバイク乗っているんですよ。」とシマザキは免許証を取り出した。僕たち三人は顔を見合わせた。

 放課後、僕たち三人はシマザキの家に行くことになった。シマザキの家は住宅地の中に立つ建売で裏がガレージになっていた。

ガレージには真新しいシートに包まれてオートバイらしきものが置いてあった。

シマザキがシートを剥ぎ取るとハマグチが感嘆の声を上げる。

「ゲッ、ペケジェイじゃん!」

ペケジェイと僕達が呼んでいるこのバイクは正式には「ヤマハXJ400」という名でエンジンはDOHC四気筒、最高出力四十五馬力とこのクラスでは、最強を誇っていた。

「すげえじゃん!」

マルチエンジンの好きなハマグチはペケジェイをなめるように眺めまわしている。

僕は、バイクに乗っている事さえ意外なシマザキがペケジェイオーナーと知って、なんとなく見直してしまった。大人の世界ではわからないが、僕達の世界の価値観の中心はこんなところにあった。

「まだ百キロも走ってねえのかよ。」

「まだ買ったばかりだからね。」

「じゃ、俺に貸せよ。すぐならし終わらせてやるぜ。」

「バカ!ハマグチに貸したら、新車がズボズボの中古車になっちまうぜ。」

「マツダ、てめえ足がとどかねえだろうが!」

「うるせえ!」

僕はそれまでシマザキという人間を意識したことがなかった。

髪は七三で銀縁メガネ。まるで学級委員のステレオタイプそのもの。学校でもシマザキの事は本棚とかロッカーとか、何処の教室にでもある備品のようなものと考えていた。だから今度のことで、僕は初めてシマザキというクラスメイトがいたことに気付いたと言っても過言ではない。

僕たちはバイクの話やツーリングの行き先などを話して、シマザキの家を後にした。ツーリングは予定を変更して、軽井沢へ行く事になった。

 ハマグチ達と別れると自転車を飛ばして家に帰った。服を着替えRZにまたがり「サニー」へと向かった。店の裏にRZを停め店内に入ると、客はまばらでリカコが注文を取っていた。

「おはよ。」

「おはよ。あれっ、カオリちゃんは」

「まだよ。何か進展あったの?」

「えっ。」

まだ何もなっかった。先週の土曜日の夜、バイクで展望台に行ったのはいいが、結局明け方まで話し込んで、日の出まで観てしまった。

それにしても何故そのことをリカコが知っているんだ。そうだ、女という生き物はとてもおしゃべりなんだ。女は秘密を持ったり知ったりすると、やたらと誰かにしゃべりたくなるらしい。

それが自分の秘密でも、親友とかいうやつに「あなただけには聞いてもらいたいの。」とか言ってベラベラ喋り、その「親友」も絶対他の人には言わないとか言っておきながら「あなただけに教えるけどさ。あの子ホニャララなんだって、絶対誰にも話しちゃダメよ。」などと友達に喋りまくる。

会話の頭に「あなただけ」とつければ誰にでも話していいと思って居やがる。

 「アキラくん。男と女っていうのは、いつまでもうだうだしているとイイ友達になっちゃうの。それからじゃ遅いんだからね。」とリカコが説教をたれる。

「そんなんじゃねえよ。」

「イイ友達でいいわけ」

それはマズイ。もうすぐ夏だ。彼女のいない夏はつらい。バイトに青春を燃やすのもいいが、それだけじゃ十七の夏とは言えないだろう。

 僕がバイクに乗ろうとしたきっかけは「大脱走」という映画の中で主演のスティーブ・マックインがバイクで走り回る姿を観てからだ。マックイン演じるところの主人公は第二次世界大戦中のアメリカ軍の飛行機乗りだがドイツ軍に撃墜され捕虜になってしまう。だが仲間と協力して捕虜収容所から脱走する。しかし捕虜収容所の周囲は有刺鉄線によってぐるりと囲まれている。そこをドイツ軍から奪ったオートバイに乗ったマックインが飛び越えていくのだ。

僕はその姿を自分に重ねて、バイクに乗ろうと心に誓った。

だがこれだけでないのも確かだ。その当時、女の子と観に行ったアイドル映画(これがとんでもなくつまらなくて、金返せって言いたかった映画なんだけど)で、主人公がヒロインをバイクの後ろに乗せて海へ行きキスしちゃうシーンがあったんだ。そのシーンから「バイク~海~キス」と結びついて、バイク免許を取るべく教習所にその日の内に入所した。

まったく軟派な話なんだけど、僕ぐらいの男の行動原理こんなものだと思う。


学校のクラブで野球部に入るのも女の子にキャーキャー言われたいからだし、バスケやってりゃ、女子バスケのコとも仲良くなれる。ホント男なんて情けないもんよ。

 「ごめん。遅れちゃった。」と言ってカオリが現れた。

「何やっていたのよ!もう大忙しなんだから、早く着替えてよ。」とリカコ。

僕は意識しないように「おはよう。」と言ったが、不自然に聞こえたんじゃないかなとか、もっと何か言った方がいいんじゃないかとか考えてしまって、カオリとはこの一週刊なんとなく話ずらかった。

二人で展望台に行った時は、あんなにスラスラと話が出来たのに、店では意識すまいと言う気持ちが更なる意識を呼び起こし、彼女の前に行くと一言二言の会話さへ辛くなる。これはリカコに言わせると男のエエカッコしいシンドロームなんだそうだ。

「男ってさ、女の前に行くと自分を大人っぽく見せようとかするじゃない。でもあれって女からみると全然子供っぽいわけ。だって同い年の男のコって精神年齢低いじゃん。それが無理して女のコの前でカッコつけても変なだけだよ。」

リカコの話はためになる。

「それと忠告!こうやってアタシとばかり話していると、アキラ君はアタシに気があるんじゃないかってカオリが思っちゃって二人の仲はジ・エンドになっちゃうわよ。」

慌てて周りを見回すと、丁度客から注文を取り終わったカオリと目があった。がしかし次の瞬間彼女はプイッと横を向いてしまった。

僕は女のコの複雑なシステムについて勉強が足りないと思った。


 日曜日、自主的に早起きし歯を磨いた。

革ジャンを引っ掛けブーツに足を突っ込むと外に出てRZにかけてあるシートをはがしてキックぺダルを踏み下ろす。

パンパンという排気音をたててエンジンがめをさます。ヘルメットをかぶり右手の親指の付け根の穴を気にしながらグローブをはめ、RZにまたがった。

 集合場所のファミリーレストランには既に三人とも来ていた。店内に入ると三人が手を振ってきて、その席に滑り込んだ。

コーヒーを注文してから、今日のツーリングのペースについて話す。

先頭をハマグチのFX、次はマツダのRG。若葉マークのシマザキがその後でしんがりを僕が務めることになった。

コーヒーで腹がガボガボになる前に、出発した。ルートは国道141号線を北上し小諸で国道18号線に入り、旧軽井沢駅で昼飯。それから鬼押出しを廻り、バイク乗りの聖地「旧浅間テストコース跡へ行くというものだった。

 オートバイは何処へでも好きな時に連れて行ってくれる。海へ行きたいと思えば海へ、山へ行きたいと思えば山へ行ける。港で船が見たいからといってわざわざ旅行する奴はいないと思う。でもバイクだったらたったそれだけの為に走ることが出来る。

たったそれだけの為にと言ったが、その時「船が見たい」と思う気持ちは嘘じゃないし、それを押し殺してしまうような生き方は不純だと思った。

オートバイに乗ってからは自分自身に嘘をつくこともなくなった。自分の気持ちを押し殺すような生き方は爺になってからで十分だ。

青臭い僕はそう思っていた。

 道はバイパスから141号線に入った。高原のヒンヤリとした空気を切り裂きながら八ヶ岳を登って行った。すると突然、森の中にピンクやペパーミントグリーンのメルヘンチック建物が現れた。ペンションとは名ばかりのラブホテルや牛やコーヒーポットを形どった下品なお土産物屋だ。清里高原はこんなのばかりが集まったショッピングセンターと化している。

長野に入ると右手に野辺山の巨大なパラボラアンテナが目に入る。まるでキノコのお化けのようだ。

千曲川沿いを走り小諸に入る。それから国道18号線に入り、目的地の軽井沢へと到着した。

まだシーズン前の軽井沢は車も少なく走りやすかった。夏になるとここに東京が引っ越してくる。それをオ追っかけて女子大生がやってきて、男も集まる。

夏の軽井沢はそんなばかばかしいところだ。

 僕たちは休憩の為にバイクを停めると近くのサテンに入った。首を回すとポキポキと音がする。

ツーリング童貞のシマザキは手首が痺れたと泣きごとを言ったが、顔は笑っていて全然辛そうに見えなかった。

サテンの観光地料金を払うと、軽井沢銀座をひやかしながら歩いた。店の半分ぐらいが閉まっていて、観光客もまばらだ。しかし、もうすぐ夏の狂乱がやってくるのだろう。

 再びバイクにまたがると僕たちは鬼押出しへと向かった。両側を火山岩に囲まれたハイウェイは気持ちいいほど真直ぐだ。

突然、シマザキのペケジェイがスピードを上げた。先行の2台を追い越しざま、シマザキはシールド越しにニッと笑った。それに応えるかのようにハマグチのFXとマツダのRGが加速する。

僕もRZの回転を一気にレッドゾーンまで持っていく。

僕の股間でエンジンは膨らみ、身体を後ろへと投げ飛ばそうとする。ハンドルにしがみつきなががら、笑い出しそうになった。いや、きっと笑っていたと思う。

景色は千切れとび風切り音以外は聞こえない。今の僕は百二十キロで突進するキンタマだ。

このままのスピードで何処かに突っ込んだら気持ちいいのだろう。身体はバラバラになって、医者は僕とRZのパーツを繋ぎ合わせる。そして、僕はバイク人間となって走りまわるんだ。

 鬼押出しの駐車場に一番に着いたのは僕だった。続いてハマグチとマツダ。最後にシマザキが到着した。

みんな興奮していた。

「どうしていきなり飛ばしたんだ。」と聞くと「速く走ってみたくなった。」と言ってシマザキは笑った。

 鬼押出しは一面ゴツゴツした溶岩の山で、その景色を観ていると暴力的な力がふつふつと湧いてくるのを感じた。

少し休んだ後、今回のツーリングの最大の目的地である「浅間テストコース」へと向かった。

 浅間山を背にしてテストコースの残骸は横たわっていた。日本で初めてのオートバイのレースが行われたライダーの聖域。原っぱを吹き抜ける風が何処からともなくオイルの匂いを運んでくる。

 僕たちは浅間の亡霊にとりつかれた。

軽井沢からの帰り道、コーナーとみると攻め、直線とみるとアクセルを開けた。若葉マークのシマザキもムチャクチャな走りでついてくる。松本を抜け八ヶ岳に入り、車の量が減ると更にスピードを上げた。

そして、シマザキがブッ跳んだ。

自分より速いやつと走ると普段より早く走れる。引っ張られてスピード感が麻痺するからだ。そして、恐怖感が喪失する。そんな時だ、事故るのは。

 僕のRZのミラーに滑って行くペケジェイの姿が映った。そして火花。

僕はクラクションを鳴らしRZを廻して路肩に停めた。

ハマグチとマツダもUターンしてバイクを寄せる。

ペケジェイはガードレールに引っ掛かり、シマザキはコーナーの端に大の字で転がっていた。

「大丈夫か?」

「ああ、やっちゃった。」

誰でも経験する事さ、と僕は言ってペケジェイの所へ向かった。

ハンドルがとんでもない方向を向いている以外は走るのに支障はなさそうだ。ハンドルは力任せに伸ばす。

シマザキにRZに乗るように言って、ペケジェイにまたがった。

セルモーターを押すと「俺はまだおっ死んじゃいないぜ」とでも言うようにエンジンは二、三度咳込むと勢いよく回りだす。しかし、左のウインカーがブッ飛んでいるため、ハマグチとマツダに前後を挟んで貰って発しり出す。

 ゆっくりと時間をかけて甲府に戻ると夜になっていた。

シマザキの家のガレージにペケジェイを収めると「また明日。」と言って別れた。

振り返るとシマザキは傷だらけのペケジェイをじっと見つめて立っていた。


 ツーリングに行った次の日、シマザキは学校に来なかった。

授業が終わるとハマグチとマツダを連れてシマザキの家へと向かった。

「もしかしてさ、あん時、頭とかさ、打っててさ、帰ってから脳内出血とかで死んじゃったんじゃねえの。」とマツダ。

「いや、やっぱ新車のペケジェイがボコボコになっちゃったんで熱出して寝込んでんじゃねえの。」とハマグチ。

しかし、この二人の予想は外れた。

僕たちがガレージを除くとシマザキはピンピンしていて、代わりにペケジェイがバラバラになっていた。

「どうしたんだよコレ。」

「あっ、アキラ君。来てくれたんだ。」

「来てくれたじゃねえだろう。てめえが学校休むから、死んだんじゃねえかと思って見に来てやったんだろう。」とハマグチが怒鳴る。

 ガレージはバイクのパーツが散らばっており、シマザキは自分でペケジェイを直していたらしい。

「ハンドル、ステップ、それにマフラーまで潰しちゃったから、この機会に改造しちゃおうと思ってさ。」

何処から手に入れてきたのか、ガレージの隅には箱に入ったチューニングメーカーの「集合マフラー」や「バックステップ」のキットが置いてあった。

「これは」

「今日買ってきた。」

シマザキの行動の速さに驚いて、何か言おうとしたが、シマザキは手も休めずにセパハンを組み込んでいた。

それから僕たちは、ああでない、こうでないと取扱説明書と格闘しながら集合マフラーの取り付けを手伝った。そうこうするうちにバイトの時間が来たので、また来ると言って家に帰り、RZで「サニー」へ向かった。

 バイトが終わるとシマザキの家に直行した。バイトの間、シマザキのペケジェイの事ばかり考えて皿を二枚割った。

ガレージにはハマグチとマツダもまだいて、ペケジェイはバリバリの峠マシンに変わっていた。

さっそくシマザキを跨らせポジションを決める。セパハンとバックステップによってシマザキはバイクの上で伏せるような姿勢になる。

「様になってるじゃん!」とハマグチが言うと、シマザキは嬉しそうに笑った。

シマザキの身体に合わせてセパハンの角度を決めると、後はぶっ飛んだウインカーを直すだけだ。

僕たちは夜の更けるのもかまわず作業を続けた。

 夜明け間近になってシマザキのペケジェイは復活した。ガレージから押出しエンジンをかける。低くこもった集合マフラーの音と共にエンジンが目覚める。

僕たちは二台のバイクに分乗してアタゴ山へと向かった。

 山にペケジェイの集合マフラーの低い咆哮とRZのチャンバーの甲高い叫びがこだまする。

バイクを駐車場に停め、展望台に上がった僕達を朝日が歓迎する。思わず「青春してるぜ!」と叫びだしたくなりそうな僕達であった。

 その日、僕は学校で寝まくりヨシナガの往復ビンタをくらった事は言うまでもない。しかし人間とは面白いもので授業が終わると何処からか元気が湧いてくる。

アタゴ山の「子供の国」集合ということで、皆と別れ学校を後にした。

途中、バイトをさぼろうと「サニー」に電話をするとマスターがでた。

「明日、英語の試験なんで休ましてくれ。」と言うと「勉強なんかしねえくせに」と笑って許してくれた。

家に着くと革ジャンをひっかけ、RZに飛び乗った。

 「子供の国」には僕が一番のりだった。自動販売機で冷たいコーヒーを買い、ハイライトに火を点ける。

僕は外国映画の不良少年のようにバイクによりかかり煙をはいた。

集合マフラーのコーン・コーンという音の方を見ると、シマザキのペケジェイだった。

ペケジェイは4本マフラーが排気管1本となり、スリムで軽くなった感じだ。

RZの隣にペケジェイを停めるとシマザキはコーナーのまわり方を教えてくれと言いだした。

しかし、教えろって言ったって数学の公式と違って1+1は2と出るもんじゃない。

大体において、僕の乗っているRZやマツダの乗っているRGは2ストロークでシマザキのXJとハマグチのFXは4ストのマルチ。これだけでも乗り方にには随分と違いが出る。

2ストローク車は加速はいいがパワーバンドが狭いため常にエンジンを高回転に保っていなければならない。それからエンジンブレーキは全然とまでは効かない。それに対して、4ストローク車はエンジンが低回転からでもパワーがついてくるし、エンジンブレーキも効き、下りのコーナーでびびらなくてすむ。

それじゃ4ストのバイクの方がいいのかと言われると、そうとも言えない。

2ストのバイクは軽く作れるので峠のコーナーを自由に振り回せるし、あの絶対的な加速感は4ストでは味わえない。

僕は個人的な好みからというかRZの絶対的加速力を信じている。

 とりあえずバイク乗りのハウツーを教えた。

コーナーはスローイン・ファーストアウト。これはゆっくりとコーナーに入って素早く出るということで、あまりスピードを出してコーナーに入ると出口で大きく膨らみ、コーナーをタイトに回ることが出来ないし、大きく膨らむということはガードレールに貼り付く確率も高くなるというわけだ。

ところがである、周りを見回してもこの原則を守っているヤツなんていないわけで、みんなファーストイン・ファーストアウトしているのであった。

要はバイクの乗り方にルールなんて無いわけで、みんなクソ度胸でびびる気持ちを抑えてコーナーに突っ込んでいくだけなんだ。

 ハマグチとマツダが来ると走り出した。RZのギアを2速落としエンジンの回転を上げコーナーに突っ込む。コーナーの手前でフルブレーキし身体をおもいっきり右に落として膝を軸にするかのようにしてコーナーを廻っていく。

コーナーの出口で一気にアクセルを開けるとフロントタイヤを浮かせながらRZのリアタイヤは三十五馬力のパワーで路面を蹴飛ばしていく。すぐさま次のコーナーが目の前に飛び込んでくる。コーナーを回る僕のヘルメットの中に青臭い草の匂いが流れこみ、汗がじっとりと噴き出す。

二、三回流すとギャラリーに陣取り、みんなの走りを見ることにした。

ギャラリーの前でホンダのMB50をアウトから強引にぶち抜いていくのはハマグチのFXだ。

その後ろからマツダがVサインを出しながらコーナーをクリアしていく。

シマザキは、まこんなもんでしょという感じだ。

 この日のアタゴ山はバイクが多かった。夏が近付いたからかもしれない。強い日差しと熱い風がライダー達を峠へと誘い、そして、あいつが現れた。

 バイクボーイだ!

黒のZ750と黒いツナギが集合マフラーの奏でる甲高い排気音を残して、ギャラリー前のコーナーをフルバンクしていく。

するとそれが合図化のようにギャラリーのライダー達がバイクに跨り飛び出していく。ところがバイクボーイを追いかけたいのは峠のライダーだけじゃないらしく、サイレンの音と共に白バイがコーナーから姿を現す。おまわりは鬼のような形相で白バイを寝かしこむ。しかし、バイクボーイの後を追って飛び出したバイクが道を塞ぐような形になり、白バイはフルブレーキで路面にスリップマークを描く。

「おいヤバイぜ!バックレようぜ!」

僕たちは早々に現場を退散した。なんつったって僕達のバイクはバリバリに改造してあるわけだし、整備不良でキップを切られ、挙句の果て学校にでも連絡されたら目もあてられない。

 僕たちはパープルラインをゆっくりとアクセルを絞りながら下りて、バイパス沿いのサテンに逃げ込んだ。

アイスコーヒーを注文すると、さっ速バイクボーイの話で盛り上がった。バイクボーイは今日また新しい伝説を創り上げたのだ。

「しかしさ、バイクボーイが現れたと思ったら後ろから白バイが吹っ飛んでくるんだからブッたまげるぜ。」

「やっぱ、バイクボーイはただもんじゃねえぜ。」

「でも、バイクボーイって誰なんですか?」

僕らは一斉にシマザキを見た。

「いや、だから、何処の誰なのかなと思って・・・」

「マツダ、おまえ知っているか」とハマグチがマツダに振る。

「しらねえよ。アキラしってる。」

僕も知らなかった。

「噂なんだけどさ、バイクボーイはプロのレ―サーだって話だぜ」とハマグチ。

「そんな噂話だったら俺も聞いた事あるよ。交機の現役白バイ隊員だとかさ。」とマツダが言い返す。

僕はバイクボーイが誰かなんて考えたこともなかった。僕がバイクに乗り出した時、すでにバイクボーイはアタゴ山を我が物顔で走り回っていた。意識するしないは別として、バイクボーイは存在するのだ。

僕が峠にデビューしてから1年しかたっていないが、見描けなくなったバイクは多い。

タンクに白い星のペイントをしたRD400。ツナギの膝に空き缶をビニールテープでまいたモンキー乗り。今はバイパス沿いのバイク屋で売りに出されている、ゲキ渋のヨンフォアに乗ってた友達の兄貴。

みんな峠を卒業していく。バイクを降りたり、車に変わったり、進学や就職で遠くに行ったり。

そもそも、アタゴ山で挨拶する連中の名前だって聞いた事がない。そんなことが必要ないくらい、ここはシンプルな世界なんだ。速いヤツがすごい。

 「バイクボーイをぶっちしたヤツっていないの。」とこれまたシマザキの素朴な質問。

「聞いたことねぇな。マツダ、おまえ知ってる。」

「なんでいつも俺に振るんだよ。」

「知らないなら知らないでいいよ」

「あしらねえよ!」

僕はバイクボーイを追ってブッ飛んだ時のことを思い出していた。何がいけなかったんだ。スピードを出し過ぎたのか。体重移動が遅すぎたのか。どうして、もっとバイクをコーナーでねかせられなかったのか・・・。

「アキラ!アキラ!」

僕はハマグチの声で我に返った。

「こいつがバイクボーイに挑戦しようってさ。」とハマグチがシマザキを指さして笑っていた。

「バカじゃねえの。バイクボーイに勝てるわけねえだろう。」

「でもさハマグチ君。僕が思うにアタゴ山くらいタイトなコーナーばかりのところだったら思いナナハンより400か250の2ストの方が早く走れると思うんだよね。」

「そう言えば、ハマグチも原チャリにブチぬかれた時、重いからヘアピンはきついとか、言い訳ぶっこいていたな。」とマツダ。

「そりゃそうかもしれんけど、ナナハンだぜ。立ち上がり加速だって半端じゃねえぜ。」

「バイクボーイだから、ナナハンだから、適わなくて当たり前だって思うから抜けないんですよ。」とシマザキに言われハマグチは口ごもる。

僕はシマザキに高いわれてバイクボーイの後ろ姿ばかり見てきた自分に腹が立ってきた。

確かにシマザキのいうとうりだ。アタゴ山のパープルラインは小さなコーナーが連続して続き、場合によっては50ccのバイクの方が早合く走れるステージもある。

軽量で運動性能からいったらバイクボーイのナナハンより僕のRZの方が条件は良い。

「やろうぜ!俺達で新しい伝説をつくるんだ!」

僕はそう言って立ち上がっていた。何が自分にそう言わせたは判らないが、何かが始らなきゃいけないような気がしたんだ。

「ばーか!だからってどうすんだよ。ブチ抜くっいったって向こうの方が早いんだから、ブッっち出来るわけねえだろう。」とハマグチが口をはさむ。

確かに考えはなかった。

「だからもっと練習して・・・。」

「速くなるのか?」とマツダ。

「いやっ、だから・・・そっそうだ、いい考えがある。市販のレ―サー買ってさ、それに保安部品付けちゃえばいいよ。」

「バーカ!いくらするか判ってんのかよ。市販のレーサーなんて、125ccクラスでも百万ぐらいはするわけよ。中古で買っても、まともなヤツだったら五十万以下って事はねえわな。」

確かにハマグチの言うとうりだ。それに逆シフトのレーサーなんて逆に公道じゃ乗りにくいだけかもしれない。

「僕にいい考えがある。」という声にみんながシマザキを見る。

「だから、ずっとバイクボーイの前を走る必要なんか無いわけでしょう。」

「どういうことだよ?」

「だからさ、みんなの観ている前でバイクボーイをブチ抜けばいいわけでしょ。逆に言えば、みんなの観ている前だけ速けりゃいいわけだ。」

「えっ・・・」

最初、シマザキが何を言わんとしているのか、僕らには理解が出来なかった。つまりシマザキが言うにはコーナーでの勝負は別としてバイクボーイのナナハンをパワーでブチ抜くのは無理だが、唯一望みがあるとすれば、それはコーナーからの脱出速度であるという事らしい。

いくら70馬力のナナハンでも、その重さゆえに立ち上がり速度は遅くなる。そこを軽い車体をもつ2ストローク車の加速でブチ抜くという事だった。

話が終わると皆が僕の顔を見た。

嫌な予感がした。


 気がつくと目前に学期末の試験が迫っていた。バイクとバイトに明け暮れていた僕は当然、勉強なんかしていないし授業のノートも取っていない。

したがって、いつもテスト前になるとクラスの比較的真面目な連中からノートを借りまくって写していた。しかし今回だけは当てがはずれた。シマザキさえいれば楽勝と思っていたのだが、今のあいつは敵だ。

「ここら辺が試験のポイントだと思うんだよね。」

「おお、やっぱそうか。マツダ、ここメモっておこうぜ。」

「やっぱ、シマザキがいると助かるなぁ。」とマツダが僕の方を見ながら大声を出す。

「アキラ君も、一緒に勉強しない。」とハマグチが手招きする。

(クソッ、あいつら地獄に堕ちろ!)

あの日、サテン会議で対バイクボーイは僕のRZをバリバリスーパーに改造して加速重視マシンを作るという結果になった。

当然、僕は反対した。だってこんな奴らにいじられたら、どうなるかわかったもんじゃないし、街乗りだって出来なくなる。今だって白バイやオマワリを避けて走っているのに、ヘンチョコカスタムでバリバリに改造されたバイクに乗っていたら免許の点数どころか、バイクそのものが持って行かれちまう。バイクがなくなってローンだけが残るというのも辛すぎる。

「それだったらマツダのRGだってあんだろう。」と反論した。

「でもRGじゃ限界あるしね。」とシマザキが言うと、マツダもハマグチもウンウンとうなずく。

「俺はおりた!」

そしてやつらは交換条件を出してきた。

「あっそう。アキラちゃんは夏休みも勉強したいわけか。赤点取って、補修とかで夏休みも学校きたいわけね。」

「ハマグチ、おまえ知らなかったのかよ。アキラは学校大好き少年なんだよ。夏休みで四十日も学校これないなんて耐えられないんだよ。なっアキラ!」

「アキラ、自慢じゃねえが俺もマツダも今回はハッキリ言って勉強してねえ!シマザキのノートがなかったら赤点決定だ。そりゃ、おめえも同じだろうが!」

確かにそのとうりだ。

「アキラ、冷静になって考えてみろよ。みんなの力でおめえのバイクを速くしてやろうって言ってんだぜ。こりゃハッキリ言って丸儲けだろ。何処に断る理由があるってへの。なっそうだろ!」

「そうだよな、俺が代わりたいくらいだよ。」

(マツダ、てめえは悪魔に魂を売りやがったな。)

「アキラ君、僕を信じてくださいよ。」

(やめろっ!シマザキ、そんなうるうるした目で俺をみるな!)

結局、僕は夏休みと引き換えにRZを悪魔たちの手に引き渡すことになった。

 家に帰るとRZに掛けてあるシートカバーを引き剥がした。試験が終わればヤマザキ達にこいつを引き渡さねばならない。

RZに跨るとエンジンに火を入れ、「サニー」に向かって走り出した。

 マスターはキュッキュッと音を立てながらカウンターでグラスを拭いていた。僕は明日から試験なのでバイトを休ましてほしいとマスターに頼んだ。あっさりとOKをもらうと裏口からRZの置いてある駐車場に出た。

RZの横にはカオリが立っていた。僕はドキッとして、何か悪いことをして見つかった子供のような気がした。

「もう帰るの。」

「うん、学期末の試験なんだ。」

「そう。」

「おまえら、試験中もバイトするの。」

「ううん、あたしたちの学校、、二学期制だから夏休みが終わってからが試験なの。」

「そう、じゃまた。」と言って、RZに跨った。ここから速く逃げ出したかった。

カオリとは最近なんとなく話ずらくて、店でもつい、リカコとばかり話していた。

「乗っけてよ!」とカオリが言った。僕は驚いて、カオリを見返した。

「バイトどうすんだよ。」

「サボる」

僕はカオリをRZの後ろに乗せると、僕のヘルメットをかぶせた。後輪を軽く滑らせて駐車場を飛び出すとパープルラインを駆けのぼる。

 アタゴ山の駐車場にRZを停めると展望台まで二人で歩いた。人影のない展望台は巨大な城のようだ。

「コバヤシ君てさ、バイクに乗っている時とバイトしてる時じゃ別人みたい。」

「どうしてさ。」

「だってバイクに乗っている時って元気一杯って感じだけど、バイトしている時って暗いじゃん。」

「あたりまえだろ!金が欲しくて働いているだけなのに元気なんざ出ねぇよ。」

「それに店じゃ全然話掛けてくれないじゃない。」

「だって仕事中だろ。だべってたら、マスターに怒られちゃうよ。」

「そんなんじゃないの!」

「なに怒ってんだよ。」

「怒ってなんかないよ。」

クソッ!これだから女と話をするのはイヤなんだ。女ってへのは理性的に話をするってへのが出来ない。行動も感情的で計画性がない。こんな女が突然「海が見たい。」などとぬかして男が苦労するわけだ。

「海がみたいなぁ。」と突然カオリが言った。

(キターッ!きたきた、やっぱこうくると思ったよ。)

「あのさ、これから海行くって、何時間かかると思うの。着くの夜中だぜ。それに海で何するの。夜の海で泳ぐの怖くない。何にしたって疲れるだけだよ。それに俺もうすぐ試験だから帰って勉強しなきゃなんないしさ。」

「言ってみただけ。」と言うとカオリは立ち上がりすたすたと駐車場に向かって歩き出した。

「帰るのかよ。」

「やっぱバイト行く。」

「来たばかりじゃん。」

「誰かさんも早く帰って勉強したら。」

 カオリは怒っているみたいだった。でも僕は何で彼女が怒っているのか判らなかったし、怒らせるような事をした覚えもない。

ああ、やだやだ。来たいっていうから連れてきてやったのに勝手な事を散々言って、挙句の果てに「あたし帰る。」ってどういう事だよ。

 僕はカオリをのせて「サニー」へ向かった。カオリは「サニー」の近くのコンビニでRZを降りた。

「さよなら。」とだけ言うと「サニー」に向かって走り去った。

僕は頭にきてRZのクラッチを乱暴につないだ。浮き上がるフロントタイヤを抑え込みながら、僕は思った。ほんと女はめんどくせぇ。

 

 「バーカ。そりゃおめぇアレだろ。」

「アレって?」

「アレって言ったら、アレだよ。」

「だから何だよ。」

「その女、月に一度の出血サービスデーだったんじゃねえの。」

昨日のことをハマグチに話すと、こんな答えが返ってきた。そんなところかなぁと納得して、僕は試験に熱中した。夏休みを失いたくない一心で勉学にいそしんだ。とにもかくにもシマザキノートという味方がいるのは心強いがなにせ一夜漬けなので自信はなかった。

 試験ウイークは嵐のように過ぎ去り、僕達は晴れて自由の身になった。そして、僕の自由と引き換えにRZはシマザキ家のガレージへと引き立てられていった。

「俺のRZ、どうするつもりだよ。」

「まぁ、まかせなよ。とにかく加速力をつけるってことはさ、簡単に言っちゃえば排気量を上げればいいわけだから、エンジンをばらしてボーリングしてやればいいんじゃねえの。」

「そんなに簡単にできんのかよ。」

「どうかなぁ。」

「どうかなぁって、そんな無責任な。」

その時、パラパラという排気音と共に工業高校のモリオがやってきた。モリオはカワサキKH250、通称ケッチに乗っている。

「おまたせ。よう、これか。RZいじってみたかったんだよ。」

「モリオにいじらせんのかよ。」と僕はシマザキに言った。

「ああそうだよ。」

「アキラ、心配すんなよ。2ストなら俺に任せろ。」とモリオ。

「そうだよ、モリオのケッチに乗ってみろよ。これがケッチかよって加速するぜ。」

(ハマグチ、こんな捨ててもいいバイクと俺のRZを一緒にするんじゃねぇ。)

「モリオだって、伊達に工業いってんじゃねえぜ。」

(マツダ、てめえのRGで予習させろよなっ。)

そんな僕の気持ちとは関係なく、RZはばらされていった。

シマザキとモリオは嬉々としてドライバーやレンチを手にしている。なるようになる。それが結論だった。

 バイトの時間がきたので、僕はシマザキ家のガレージを後にした。バイクではひとっぱしりの道もチャリンコでは大汗かきの道のりである。

「サニー」に着くとマスターが試験の結果はと聞いてきたので、まあまあと答えた。カオリとリカコはもう来ていて、客の注文を取っていた。着替えて店に出るとカオリと目があった。

「おはよう。」と声をかけたが無視された。そればかりか、リカコが近寄ってきて「バーカ。」と言って去って行った。

これが、あの過酷なテストを乗り越えて久しぶりに労働に来た人間に対する態度なのかっ!僕はハラワタが煮えくりかえり、その日、コップ二つと皿一枚を割った。

 休憩時間、僕は「サニー」の裏口で夜食のサンドイッチをぱくつきながら考えていた。この間の夜の僕の落ち度についてである。

果たして僕に落ち度はあったのであろうか。僕は一つ一つ分析することにした。まず、彼女がオートバイに乗せてくれと言ったので、乗せてやった。

これは問題ないだろう。彼女が言ったことに対して応えたわけだから。次、展望台まで歩きながら会話をするという行為にも問題はないと思う。

海についての話も彼女の無理な注文に対して、大人として説得したわけだから問題ない。

こう考えると僕には問題がないわけで、問題があるのは彼女だという結論に落ち着いた。

チョットぐらい可愛いからっていい気になりやがって、女なんかてめえだけじゃねえ!とは言っても、その「ちょっとぐらい可愛い」と言う事が重要であって、ここでヤケを起こして二高の女の子とのパイプを失ってしまうのは、あまりにももったいない。

「なんでシカトされてんのか、わかんないでしょう。」と言う声に振りかえるとリカコが立っていた。

「なんで女ってさ、何でもかんでも他人にベラベラ話しちゃうわけ。でも、話聞いたんなら、どっちが悪いかわかるだろう。」

「そりゃコバヤシ君が悪いに決まってるじゃん。」

「何でよ!」僕はムッとして怒鳴った。

「鈍感なのよね。」と言い残すとリカコは店の中へと戻って行った。

チクショウ!どうせ俺は鈍感だよ。女ごころのイロハも判らないガキだよ。でもそれより、こんないたいけな少年にバカとか鈍感とか言ってくれる神経が知れねえぜ。てめの方がよっぽど鈍感なんじゃねえか。

僕はこんな女どもに対して、ある仕返しをすることを思いついた。

 店が終わると話があると言って、カオリを駐車場へと呼び出した。

「何の話。早くしてよ。」と四角ばってツンツンしているカオリを見ているうちに、僕の怒りは頂点に達した。無言でカオリの肩を引き寄せキスをした。

やわらかな唇だった。一呼吸おいて次の瞬間、頬に平手打ちをくらった。耳がキーンと鳴る。

カオリは自転車に乗ると振り返らずに帰ってしまった。

仕返しと思ってやった事だが後味が悪かった。でも、やっちまったものは、しょうがない。前向きに考えることにしよう。

 無灯火のチャリンコを飛ばして、シマザキの家へと向かった。ガレージの明かりは消えてなくてシマザキとモリオがいた。

もうおおかたエンジンはバラされていて、ガレージの隅に骨だけとなったRZが立っていた。

シマザキの話では、明日、パーツをモリオが学校の工具を使って研磨してくるとの事だった。

「スッゲエヤツ造ってやるぜ!」と言ってモリオは帰って行った。それからシマザキとRZのチューニング計画について話をした。夢中になって話しているうちに、僕はカオリの言葉など忘れていた。

 次の日から学校は午前中授業になっていた。僕たち4人は学校が終わると、待ち合わせしていたモリオと一緒に工業高校の校門をくぐった。

工作室に入るといろんな機械が並んでいた。作業はモリオが「工作クラブ」の連中に話をつけていたので問題なく進んだ。

ピカピカに磨き上げられていくピストンは美しく、僕はこいつを自分の股間に着けたらとか、あらぬ想像をかきたてられた。力強く天を突く、メタリックに輝く俺のピストン。

そんな事を考えているうちにパーツの加工が終わっていた。シマザキはそれらをタオルに包んでチャリンコのカゴに入れた。そのまま、シマザキの家へと向かった。

ガレージに着くと、すぐさま作業にとりかかる。

 ハマグチとマツダがおやつの買い出しに出かける時、僕はバイトに向かった。

本当は昨日の今日なので行きたくなかったが、休むと自分の負けのような気がして、行くことにした。

「サニー」へ向かうチャリンコのペダルは重かった。このまま引き返して何も言わずにばっくれちゃおうかとか、電話で「バイトやめます。」って言っちゃおうかとか、様々な考えが浮かんでは消え、消えては浮かんだ。しかし、そんな僕の気持ちとは関係なくチャリンコは「サニー」の前に着いてしまった。

 裏口のドアに手をかけながら、これから起こるべき事を想像した。まずこのドアを開けると同時にカオリが「ケダモノ!」と叫び泣き伏し、リカコが「変質者!色情狂!前出し男!」と罵り、マスターとママさんが警察を呼び、僕は手錠をかけられてパトカーへ・・・乗るわきゃねえか。そう思った途端ドアが開き、目の前にカオリの顔が現れた。

僕は言葉もないまま、棒立ちになってしまった。

何と口を開いてよいのか判らず、突っ立っていると「おはよう」と何事もなかったかのようにカオリが挨拶してきた。

しどろもどろになりながら「おはよう」とだけ返して店に入った。恐る恐るロッカールームの方に歩いて行くと皿を下げてきたリカオも「おはよう」とニッコリな笑顔を送ってきた。

どうなっているんだ。こいつら何か企んでるのか。それともバイト中だから平静を装っているのか。

その日、僕は二人の態度に怯えながら働いた。不気味な静けさの中、一日は過ぎて行った。

 「今日も一日、お疲れさん。」というマスターの声と共に僕達は帰り仕度をはじめた。カオリ達と帰りが一緒になりたくない僕はマスターとバイクの話などをして時間を稼いでいた。

「コバヤシ君、一緒に帰らない。」という声に振りかえるとカオリが背後に立っていた。

「えっ、でもまだマスターと話あるし・・・」

「俺いいから、カオリちゃんと帰んなよ。」と状況の判っていないマスターはニヤニヤしながら言った。

僕はすがるような目でマスターを見返したが、カオリに腕をつかまれ外へと引きずり出されてしまった。

カオリに引きずられながらも僕はとりあえず謝ろうと思った。怒られる前に謝っちゃえば、カオリの怒りも少しは減るかもしれない。

店の裏に出て二人っきりになると、僕は頭を下げた。

「昨日はごめんなさい。」

ところがこうやって誤ってきたのはカオリの方だった。

「だって急にあんな事するんだもん。あたし驚いちゃって、つい・・・痛かった。」

僕は頭をフル回転させて状況を分析した。

「いやぁ僕の方こそ、ごめん!」

僕のコンピューターがはじき出した結果としては、昨夜の行為は結果的に良い方に転んでいて、現在の状況はどうやら好転しているらしいという事であった。しかし、油断はならない。これからの会話の一つ一つに注意をはらって対応しないと、またすぐ腹を立てるかもしれない。

僕は無口になった。

「でも、コバヤシ君が、あんな風に想っていてくれたなんて、考えてもみなかったなぁ。」

(おいおい「あんな風って」どんな風だよ。)と思いつつ。

「そうかなぁ。」

「だってさ、いつも私から声掛けないと話してくれないし、リカコとばっか話してるし・・・。」

(あれっ、これってもしかして・・・。)

「急にってのには驚いたけど、私もコバヤシ君の事、嫌いじゃないし・・。」

(これはもしかして男女交際の始まりじゃない)

そう考えると一瞬にして、目の前の「夏の扉」が開くような気がした。長かった冬は終わりを告げ、愛欲の夏が始まるのだ。

今年こそは女の子と海へ行ったり、女の子と山を登ったり、女の子と映画観たり出来るのだ。それだけじゃない、夏の解放感は二人を淫らな快楽の世界へといざない、僕達は愛欲の日々を過ごすのであった。

「どうしたの?」というカオリの声で我に返った僕は、これから先のことを考えた。

(確か、帰り道の途中、ラブホあるな。何て名前だったけな。まっ何でもいいか。問題はどうやって、そこに御同行願うかだ。

「疲れたから休んでいかない」って言っても「じゃあ、家に帰って寝れば。」と言われちゃうだろうし「君が好きだ!君のすべてが知りたい」ってのは古臭いな。何かないかな。あっそうだ、ここはワイルドに「今夜は離さないぜベイビー!」ってのがいいな「今夜は離さないぜベイビー!」か、いいな。

「じゃ、おやすみ。また明日ね。」

(えっ・・・。)

カオリは帰って行った。

何だ、何なんだ。二人は今日、愛を確かめ合ったばかりなのに、さっさと帰っちゃうなんて、なんてクールなんだ。自分の言いたいことだけ言いやがって、女って本当に勝手だぜ。

僕は傷ついた男心を抱いたまま、シマザキの家へと向かった。途中、自販機で冷たい缶コーヒーをお土産に買う。

 シマザキの家のガレージにはモリオもいて、エンジンはほとんど組みあがっていた。僕が差し入れた缶コーヒーで一服してから、三人でエンジンをフレームに載せた。

「やっと組みあがったな。」とモリオがハイライトに火を点けながらつぶやいた。

僕はなんだか見慣れたRZが最速マシンに生まれ変わったような気がした。

「よし。さっそく走りに行こうぜ!」

「何言ってんだよ。まだキャブセッティングおわってないぜ。まったく、これだからシロウトは困るよな。

アキラ、バイクってやつはな、女と同じで微妙な生き物なんだよ。」とモリオ。

「そういうもんか」と別の意味で納得してしまった。

「女ってさ、何だかわかんないけど、すぐ腹立てたりするだろう。こっちには理由なんかわからないんだけどさ、女だって理由なく怒るはずがないわけよ。どっかに原因があるはずなんだよな。だから、原因を見つけてうまくやれば女に乗れちゃうわけよ。バイクも同じなわけ。

なんか走らねえなぁと思ったらキャブとか調整してやるわけよ。走らねえには走らねえなりの理由があるわけ。」

女の例え話は今の僕には乾いた砂が水を吸い込むように理解できた。モリオを人生の師と仰ぎたくなった。

 時計の針は夜中の三時を回っていた。さすがにこんな時間にエンジンを回すわけにもいかないので、セッティングは明日とういうか今日寝てからに回すことにして解散した。

 僕は夢を見た。白煙を上げながらブッ飛んでいく僕とRZ。その前を走る黒いカワサキに乗ったバイクボーイの姿。スピードメーターの針は完全に振りきれている。あまりのスピードに僕の服は千切れ飛んでいく。僕は全裸でRZのタンクにしがみついている。

前を見るとバイクボーイのツナギも千切れ飛び、下から白い身体があらわれた。なまめかしく黒い髪がからみつく身体は女だった。

振りかえるバイクボーイの頭からヘルメットが脱げ落ち、現れた笑顔はカオリのそれだった。

妖しい笑顔を浮かべるカオリに引っ張られて、RZはますます加速していく。

僕はアクセルを緩めることが出来ず、まばたきも出来ない。RZはマフラーから火を吹き、エンジンは溶けだし、タイヤは路面との摩擦で燃え上がる。カオリ甲高い笑い声の中、火の玉と化した僕とRZは燃え尽きていった。


 一学期の終業式が終わり、僕は四十日の自由な時間を手に入れた。クソ暑い体育館での校長の話は長かったが、それだけ僕たちの夏休みがビックなような気がして嬉しかった。

今日はRZの試運転の日である。家に着くと血と涙の結晶の通信簿が入った鞄を放り投げ、チャリンコでシマザキの家へと向かった。

 シマザキの家のガレージには、いつものメンバーが揃っていてRZのエンジンが金切り声を上げて回っていた。

「調子は・・。」

「バッチリ!」

 僕はRZにまたがるとヘルメットをかぶり、サイドスタンドをたたんだ。クラッチレバーを握り、シフトペダルを踏みこむ。アクセルを開けながら、ゆっくりとクラッチを繋ぐが「プスンッ」という音と共にエンストした。

「エンジンのパワーバンドが狭くなってるから、もっとあおって高回転キープでつながなきゃだめだよ。」とシマザキに注意されながら、ステップをたたみ、キックペダルを蹴り下げる。

エンジンは一発でかかり、軽くアクセルをあおりながらクラッチをつないだ。スルスルと走り出す。

みんなが見守る中、僕はシマザキの家の周りをぐるりと回る。

RZのもともと狭いパワーバンドがさらに狭くなっており、エンジンの回転を高くキープしておかないと、すぐエンストしようとする。

「本当にこれで早くなってんのかよ。前より乗りにくくなってるぜ。」

何周かしてから、僕はシマザキにこう言った。

「しょうがないよ。低速トルクは犠牲にして高速にふってんだからさ。そのかわり、エンジン回転さえ高くキープしとけば加速は加速は前よりいいはずだよ。」

とにかくおもいっきり飛ばせる所に持っていかなければ結果は出ない。僕達はバイクに跨り、広域農道を目指して走りだした。

 広域農道は全長三キロくらいの道で農作物の輸送トラック用に作られたものだ。ブドウ畑の真ん中にあり普段はあまり車も通らない。当然、僕らの宿敵の白バイやパトカーも来ないわけで、絶好のゼロヨンポイントとなっている。

 僕は農道の入り口にさしかかると、RZのギアを一つ落としエンジンの回転を上げ、クラッチをスパッとつないだ。するとRZのフロントタイヤが軽々と浮き上がる。あわてて上体でフロントを押さえ、コントロールを取り戻す。タンクに伏せ、タコメーターの針をレッドゾーンにブチ込んだまま、三速四速とシフトアップしていく。風切り音が変わっていた。

確実にパワーが上がっているのが分かる。目の前にコーナーが迫りフルブレーキ!同時にギヤを二速落としバイクを寝かしこむ。右目の端にアスファルトの壁を映しこみながらアクセルを開ける。

RZはフロントタイヤを浮かせながら立ち上がった。しかし、完全にタイヤもフレームもパワーに負けていた。

タイヤは空回りしようとするし、フレームも波打っていた。センターラインをオーバーしたのはブレーキが甘い為だ。

 みんなの所にRZを停めると、シマザキが乗り心地を聞いてきた。ブレーキの甘い点とフレームの弱さを指摘した。タイヤは替えればいい。他にも言いたいことは山ほどあるが全体としては良しとせねばなるまい。なんせ先立つものがないんだから。

僕の中では、バイクボーイのマシンと互角に戦えそうな気がして、意味もなく力が湧いてきた。

 それから僕たちはパープルラインに向かって走り出したが、一服しようということになり、バイクを「サニー」の駐車場へと入れた。

店に入るとリカコが来ていた。

「ヨッ!」と声をかけると「おはよう」と営業あいさつを返してきた。

「今日は早番?」とリカコが聞くので、「まだ入る時間じゃない」と言うと「お客様、こちらのテーブルでございます。」と切り返してきた。

ハマグチ達がゾロゾロ入ってくるとマスターが「暴走族の集会か!」と笑って言った。

 リカコがみんなの注文を取り終えテーブルを離れると、さっそくハマグチが口を開く。

「アキラてめぇ、あんなイイ女がバイト先にいるなんて一言も言わなかったじゃねえか。俺に紹介しろよ。」とハマグチが言いだし、マツダとモリオも俺も俺もと始まった。

「バーカ、男いるに決まってるじゃんか。」と言うと、ハマグチはそれでもいいから紹介しろとしつこい。

そこにカオリが入ってきた。僕に気付くと「おはよう。今日は友達も一緒なの。」と声をかけてきた。

するとハマグチが「いやぁ僕もここでバイトしようかと思って」などと調子よく応える。

カオリが奥に引っ込むと「あのコは彼氏いるのかよ。」と聞いてきた。

「残念ね。あれアキラ君の彼女よ。」

いつの間にか来たのか、コーヒーカップを載せたトレイを持ってリカコが立っていた。

「てめえ一人で抜け駆けしやがって、おめえには友情のかけらとか無いわけ。」とハマグチは訳のわからないことを言い出す。マツダとモリオの目もなんとなく血走ってきている。

なんでこいつらは友人の幸せを素直に喜べないわけ。これだから男子校はイヤなんだよなぁ。 

「そんな揉めないでよ。今度あたしが友達紹介するからさ。」とリカコが助け舟を出してくれなかったら、僕はこいつらにネチネチと一週間はいじめぬかれただろう。

ハマグチは早速「サニー」の紙ナプキンに「明るくて可愛い女のコ募集中。当方十七歳のナイスガイ!」などと書き出し、それを僕の手に握らせ、リカコに渡してくれと目をウルウルさせて訴えた。

しかたなく僕はカウンターに行き、ハマグチのラブレターをリカコに渡した。リカコはそれを笑って受け取った。

「これから、走りに行くの?」とクリームソーダを作っていたカオリが聞いたので僕はうなづいた。

「気をつけてね。最近、事故多いでしょ。」

僕はこの映画の1シーンのような会話がうれしくなって「事故るのは腕が悪いのさ。死ぬのは運が悪いだけだ。」とキメた。

「バカだね。」とリカコの突っ込みを受ける。でもカオリは「本気で心配してるんだからね。」とちょっと怒った。なんだかカオリに悪いことをしたような気がして「明日、バイクで湖に行こう。」と誘った。

カオリはにっこり笑ってOKと言った。

僕は現状、世界で一番幸せな高校生だ。

 席に戻るとハマグチが「いいよなぁ、てめえ一人だけ彼女つくったやつはよう。」とからんでくる。

状況にいたたまれなくなって、結局全員のコーヒー代をおごることになった。

持ち合わせがないのでマスターに訳を話してバイト代から差し引いてもらうことにした。

(それにしても、何で俺がこんなクソ野郎どもに奢ってやらなけりゃならねえんだ。てめえで女の一人ぐらい見つけろよな。人の足ばっか引っ張りやがって、俺に今まで女が出来なかったのは、こいつらとつるんでいたからだ、そうに違いない。こう考えてみると思い当たる節がないわけでは無い。)

「じゃ、そろそろ行こうぜ。」というモリオの声で我に返った僕は強靭な精神力で怒りを押さえた。

 パープルラインは夏を迎えてストリートレーサーで一杯だった。

バイクは250ccが半分ぐらいで残りを400とゼロハンが占めている。コース上では最新の2ストロークからボロボロの4スト単気筒まで様々なマシンが所狭しと走り回っている。スタートラインもゴールもないここのルールは、一台が「子供の国」駐車場から飛び出すと間を入れず後ろを一、二台のバイクが追いかける。

こうして「トムとジェリー」の様に一日中あちこちで追いかけっこが続く。

 ギャラリーの前でスズキのゼロハンがホンダの400にブチ抜かれていくかと思うと次のコーナーで抜き返す。サーキットじゃとてもお目にかかれないこんなシーンが観られるのも峠ならではだ。

ここではマシンの性能とか排気量なんて関係ない。テクニックとクソ度胸さえあれば誰でもヒーローになれる。誰もが自分をケニー・ロバーツだと思っていやがる。

 ギャラリーでハイライトを一本灰にすると僕はRZのエンジンに喝をいれた。水温が上がるとシフトペダルを踏み込み、アクセルをあおりクラッチをスパッとつなぐ。同時に蹴飛ばされたようにRZは走り出した。駐車場の出口で左へ機首を向け、北のストレートをシフトアップしながら駆け下りる。目前に左コーナーが迫り、シートから腰を落としハングオンのスタイルでコーナーに飛び込む。リヤタイアがズルズルと滑り出すのを押さえながらシフトアップして、右へと体重を移す。

急激な体重移動によって、フレームが雑巾絞り状態になる。

先にコーナーに飛び込んでいたヤマハRD250を立ち上がり加速でブチ抜き、S字でゼロハン二台をパワーでかわす。しかし、下りのヘアピンコーナーではブレーキングの甘さから減速しきれず、センターラインをオーバーしてしまった。

さいわい対向車は来なかったものの、全身の毛穴から汗がドッと噴き出す。北コースの終わりは直角カーブで、そこをクリアすると左側が墓地になっている。

墓地の前でアクセルターンを決めると、そのまま今きたコースを上りはじめた。

 いくらかマシンの感じがつかめてきた。さっきは乗せられていたが今度は「乗っている」感じだ。パワーバンドをはずすと失速しそうになるので常に高回転をキープしながらコーナーをクリアする。アクセルを開け気味にしながらS字をまわり左コーナーへと飛び込む。

ブーツの外側が路面にこすれ、白煙をあげる。アクセルをフルに絞り込みエンジンに喝を入れる。リアサスペンションが沈み込み、フロントフォークがのびきる。暴れるフレームを力で抑え込みながら、クソ度胸で次のコーナーに突っ込む。

全身の神経が張り詰め、身体が脳の指示を待たずに動く。僕はライディングマシンになっていた。

 駐車場に戻るとハマグチ達が一服していた。僕も自販機で冷たい缶コーヒーを買うとハイライトに火を点けた。

 ここは自由の王国だ。バイクが好きで峠のルールに従えさえすれば、あとは好きにできる。

おまわりさんはスピードを出すなと言うが、ここじゃ何キロ出そうと誰も文句は言わない。但し、自分が出しているスピードをコントロール出来ているのか。コントロール出来てなきゃ、ガードレールが待ってるだけだ。すべてを自己責任で行う。ここは自由の王国何だから。

 僕は集まってきた連中に改造RZがいかにピーキーで乗りにくいのかを自慢げに話した。じゃじゃ馬バイクを乗りこなしたカウボーイの気分だった。

「そんなに乗りにくいのか。」

シマザキがマジな顔で聞いてきた。

僕は何と言っていいか判らなかった。バイクに乗っているヤツなら判るだろうが、バイク乗りって変なもので必ず自分のバイクがいかに乗りにくいかという事を自慢するクセがある。まっ、言ってみれば、好きな女の子をいじめる男の子の心理と同じで愛情の裏返しってやつなんだ。でもシマザキはマジにとっちまって、「そんなに乗りにくいのなら、明日までに調整しなおす。」と言いだした。モリオもニヤノヤしながらヘタクソでも楽に乗れるように補助輪を付けてやるとぬかしやがった。

シマザキに明日はバイクが無きゃ困るというと、それならペケジェイを貸すと言われた。モリオはブッ壊したりしねえよと笑った。

 僕はRZがまた自分の手元を離れるのはイヤだったが、しぶしぶヤマザキの言葉に従った。もしここで明日は、カオリとデートだとか言ったら、こいつらはついてくるに違いない。太陽が低くなり、空が赤くなったので、僕はヤマザキのペケジェイにまたがりバイトへと向かった。

 ペケジェイのエンジンは快調で、カン高い集合マフラー特有の排気音を鳴り響かせる。アクセルを軽くあおりクラッチをつなぐとするすると2ストロークにはないスムーズさで走り出す。

 駐車場からの下りのコーナーをエンジンブレーキを効かせながら下りていく。こういった下りのコーナーでは4ストの方が有利かもしれない。しかし、瞬間的な加速力や車体の軽さからくる切り返しの速さではRZにかなうバイクは無いだろう。

 僕はバイクボーイについて考えた。いや正しく言うならバイクボーイと彼のZ750FXについてだ。

バイクボーイは自分より速いやつが現れたら、最新のバイクに乗り換えるのだろうか。それとも、抜かれても抜かれてもZ750で挑戦し続けるのだろうか。僕は後者だと思う。

だいたいRZに乗ったバイクボーイなんて、サーカスで三輪車に乗るクマみたいな気がする。

僕達のバイクボーイは黒いカワサキに乗って、誰よりも速く走らなきゃならない。どんな奴がどんなに速い最新のマシンに乗ってきても、FXのでかい尻を振りながら、前に行かせちゃダメなんだ。

 いつかはバイクボーイも敗れるだろう。最新のマシンとクソ度胸を持った一寸ばかり鼻もちならない小僧に・・・。

僕は伝説にケリをつけ、新しいバイクボーイになろうとしていた。


 カオリの家は何の変哲もない建売住宅で、家の前に彼女が立っていなかった通り過ぎるところだった。

「おはよう」と笑うカオリをみて、自分は本当に世界で一番幸せな高校生だと思った。

 ペケジェイのエンジンを切ると「サニー」のマスターから借りたヘルメットをカオリに渡した。

「ねぇ、その人おねえちゃんのオトコ!」

その声に首をひねると、二階の窓からカオリを一寸おさなくしたような顔が飛び出していた。

「うるさいませガキ!」とカオリが叫んだ。

「おねえちゃんは、オトコとバイクに乗って遊びに行ったって、おかあさんに言っとくね。」と憎まれ口をたたく妹めがけて、カオリは走り出した。

ドアをすごい勢いで開けるとダンダンダンと階段を駆け上がる音が聞こえ、言い争いになり、静かになった。どうやら交渉がまとまったらしい。後でカオリに聞いたところによると、以前から欲しがっていたアイドル歌手のレコードで妹の口を黙らせたらしい。

 バイクをバイパスに乗せると河口湖を目指してアクセルをひねる。空は真っ青で宇宙が透けて見えるほどだ。夏草の匂いをはらんだ風は心地よくヘルメットの中をすり抜けていく。

バイパスには白バイがうじゃうじゃしており、スピードを上げられなかった。ふとバックミラーに目をやると車の間に隠れて、こっそりと忍びついてくる。

バイパスから峠に入ると同時にスピードアップした。集合マフラーの甲高い咆哮が山々にこだまする。とは言っても、女の子を後ろに乗っけた他人のバイクなので、パープルラインを攻める時ほどのペースではない。こんな気持ちいいコーナーを思いっきり攻められない事を残念に思う反面、もっと気持ちいいことがあった。

コーナーの手前でペケジェイのスピードを殺すためにエンジンブレーキを効かすと、カオリの胸が僕の背中にあたるのだ。それが何ともいえず気持ちいい。Tシャツを通して暖かいボヨヨンがボヨヨンボヨヨンとくるわけだ。当然、僕としては次のコーナが近付くとさらに強くエンジンブレーキを効かす事になる。

「怖い!」というカオリの声で我にかえるとペケジェイはいつもの峠スピードでコーナーをまわっていた。

僕は慌ててスピードを殺した。

 有料道路に入るとカーブも緩く、道も二車線になるため、飛ばす車やバイクが多くなる。しかし、そのほとんどは東京や他県からきた連中だ。夏の行楽シーズン中、ここは白バイスポットになり、それを知っている地元の連中はゆっくりと流している。案の定、品川ナンバーのスカイラインが白バイにとっ捕まっていた。また事故も多く、峠に慣れない「直線ライダー」たちが度々ガードレールと熱いキスをかわす。それらを横目に目的地の河口湖に到着した。

 女の子と遊ぶのは退屈だ。三十分で僕はそう思った。

湖の周りはバイクで年中走り回っていたから、とりたてて目新しいものはなかった。だいたい湖なんてボート乗ってメルヘンチックな店で観光地価格の飯食うこと以外なんかやることあるのかよ。

内心では、こう思いながらも僕はこの退屈な少女まんがの世界に付き合った。何故ならこれは二人の関係を新しく進めるための段取りであり、これが無ければ女の子の第一関門は突破できないのである。

映画のラブシーンの流れで、恋人同士は車でドライブして、海の見えるレストランで食事をして、その後浜辺を歩いてキスなんかしちゃって、いいムードになってからエッチになだれ込むというフォーマットがある。まっ僕の場合、今日の計画としては、バイクで湖へ来てメルヘンチックなレストランでメシなんか食っちゃって、湖畔を歩いてキスなんかしちゃったりして、ムードが盛り上がったらラブホテルになんかに入っちゃおうと考えてるわけよ。まっ段取りとしては完ぺきだな。

この間、キスはしてるわけだから、カオリが僕のことを嫌ってるワケはないし、後はタイミングだよね、タイミング。

「アキラくん。ボートでも乗ろうか。」

はいはい、わかりましたよ。ダンドリ、ダンドリ。

予定通りの行動である。湖があればボートにのる。これはデートの常識なのだ。当然ここで僕は「男の子はスゴイ!」と思われるよう、手漕ぎボートで湖を一周した。

ボートを岸に着けると全身汗まみれとなった僕は手にマメを作りながら次なるダンドリ、メルヘンチックな喫茶店へと向かった。

ボート漕ぎで汗をかいていた僕は、サテンに入るとオレンジジュースを一気に飲み干しゲップをした。腹も減っていたのでカレーライスをがつがつと食う。

 メシを食い終わったら、次は湖畔を散歩してキッスに持ち込み、それから・・・。

僕は思わずへへへとうすら笑いを浮かべた。その時まだ、カオリが軽蔑の眼差しを僕に向けていることに気づかなかった。

 喫茶店を後にすると湖畔へとカオリを半ば引きづるように連れて行った。しかし、湖畔の遊歩道は観光客やら釣オヤジで一杯で二人っきりになれるところなんかなかった。

僕はキョロキョロしながら人気のない所をさがした。やっとのことで誰もいない場所を見つけると速攻でガバッとカオリをだきしめる。

「ちょっと待ってよ。」

「早くしないと誰か来ちゃうよ。」

「まってよ、人がくる。」

「こないよ。」と言ったら、竿を担いだ釣オヤジが二人、僕の背後から「おにちゃん、ガンバレヨ!」とオヤジな掛け声をかけてきた。

カオリは僕の手を振りほどくと駐車場へむかってすたすたと歩き出した。僕は釣オヤジ達に「エヘヘ」と意味不明の照れ笑いを返すとカオリの後を追った。

カオリはペケジェイの隣に腕組みして立っていた。近付いて肩に手を置くと、自分のサンマを横取りされた雌猫みたいな勢いで僕の手を払った。

「帰る!」というカオリに「来たばっかじゃん。」と僕が言うと「ゼッタイに今すぐ帰りたい。」とまたも女のわがままをもろ出しにしやがる。こんな時のヒステリックな女を静められるほど、男が出来ていないので、カオリの言葉に従った。

 帰り道、バイパスのはづれにあるラブホテルの前を通過しながら、あのワカメのようなカーテンをくぐりぬけ、回るベットの上で欲望の限りを尽くせるのは、いつの日の事だろうと思った。

リヤシートのカオリは一言も口をきかない。帰ったらとりあえず、リカコに相談しよう。笑われると思うけど、今日の失敗を教訓として明日に生かさねばならない。ウウッ、俺ってなんて健気なんだ。

 家の前に着くとカオリは何も言わずに玄関の中へと消えていった。二階の窓から顔を出した妹が「バイバイ」と言って、僕に向かって手を振った。

エンジンを思いっつ切りカラ吹かしさせてから、ペケジェイを「サニー」に向けてスタートさせた。

「サニー」は平日という事もあり、お客はパラパラだった。

「アレッ、今日はデートじゃなかったの。」と声をかけてきたリカコや「デート休みの男がどうしてここにいるの?働いても給料でないよ、このスケベ!」などと茶かすマスターを無視して、僕は無言で着替えるとたまった皿を洗いだした。

「どうやらカオリちゃんの操は守られたらしいな。」とさらにマスターが追い打ちをかけてくる。(何とでも言え!どおせ俺は女の扱い方も知らねえガキだよ。判りたくもねえぜ!)

 さすがに夕方になると客がひっきりなしに訪れてオーダーと汚れた皿がたまった。カオリは「サニー」には来なかった。僕はただひたすらに皿を洗い続けた。

 客がひと段落ついてから店の裏で夜食を採ってると、リカコが飲み物を持ってきた。

「何をやってるのかねぇキミたちは。」

「やっぱ、カオリと俺って合わねえんだよなぁ。話してても何かつまんねえし。だいたい趣味も合わないし。

「何言ってのよ、合わないような高尚な趣味、あんた持ってんの!」

「おまえみたいな女の方が俺には合ってんのかもな。」

「おまえみたいな女って、どういうことよ。失礼しちゃうわね。」

「そんな意味で言ったんじゃねえよ。おまえと話してると楽だってことさ。」

「それは、あたし達がいいお友達だからよ。」

「いっそのこと、おまえと付き合おうかな。」

「あたしゃ、ガキは嫌いなの。」

アイスコーヒーを飲み干すと、リカオと入れ替わりで店にでた。

 いつもの事ながら、店の中はカップルで一杯だった。僕は思い切り「ウンコ!」と叫びたくなった。その時、店のドアが開きヘルメットを被ったままの男が入ってきた。

ハマグチだ。「アキラッ、シマザキが事故った。」

僕はマスターに訳を話し、着替えた。

「アキラ、ダチ公は大事にしろよ。」と言って、不良中年はウィンクした。

「じゃ、マスター。あたしも早退ね。」

「エッリカコも」

「あたしのダチ公でもあるわけ、ダチは大切にしなくちゃね。」

 駐車場にはマツダもいて「やっぱここだったのか。」と言った。家にも電話したが居なかったので、ここに来たそうだ。

とりあえず病院へ行こうということになり、ペケジェイに跨った。後ろに誰かが乗り込んできた。振り向くとリカコだった。

「何だよ」

「いいから、いいから」

僕はリカコをのせたまま、ペケジェイを「サニー」の駐車場からスタートさせた。

 病院は市内にあった。僕達は正面玄関の横にバイクを停めると、病院の中に駆け込んだ。

病院の中は夜の学校のように静まりかえり、僕達の足音だけがこだましていた。

僕は白と灰色に塗り分けられてヒンヤリとした廊下に立ちながら、じいさんの死を思いだした。

人は夜死ぬ。昼の日の光の中や朝日の上る空気の中では人は死ねない。夜は人の生命を暗い闇の世界へといざなう。

僕は自分が死ぬ時は太陽の下で死にたいと思った。

「アキラっ、こっちだ!」とハマグチが手招きしていた。病室の前にはモリオが座っていた。

「大丈夫なのか。」

「ああ、右足が折れただけだ。」

病室のドアを開け、中に入った。シマザキは眠っていた。包帯を巻かれた足がミイラ男のように見えた。

「こいつさ、いきなりなんだぜ。今日さ、午後からパープルラインに行ったんだよ。モリオとシマザキが変わり番こにRZに乗ってさ、キャブのセッティングとかしててさ、夕方にこれがラストってシマザキが走り出した時、丁度アイツが現れてさ。そしたらコイツ、いきなりバイクボーイを追いかけだしちゃってさ、そんで無理してコケたってワケ。観てたヤツの話じゃ、下りのコーナーで曲がりきれなくて、一直線にガードレールに突っ込んだらしいぜ。乗ってたシマザキは、そのまま空中一回転して藪の中に着地!まっ、そのおかげで足一本折っただけで済んだワケだけどな。」

ハマグチは喋り終わると、ニヤリと笑ってコーラを一気飲みした。

 僕達は面会時間は終わっていますと金切り声をあげるババアの看護婦に病院を追い出された。ハマグチ達は帰り、病院の前には僕とリカコとシマザキのペケジェイだけが残った。

僕はタバコに火を点け考えた。シマザキは何故、バイクボーイを追ったのか。追いつけると思ったのだろうか。それとも、RZのパワーを試してみたかっただけなのか。それがついヒートしてしまって、無理な突っ込みで自爆したのか。いや、きっとシマザキは追いかけざるをえなかったんだ。

バイクボーイの後ろ姿に誘われ、ついて行っただけなんだ。きれいにコーナーをクリアしていくバイクボーイと黒いカワサキの姿に魅入られてしまったのだろう。

 これからパープルラインに行くと言うと、リカコはこのまま帰るのも何だから付いてくると言った。僕はタバコを投げ捨て、ペケジェイのエンジンをかけた。

 真夜中のパープルラインは静かだった。僕達の乗ったペケジェイの集合マフラーの排気音だけが狼の遠吠えのように響き渡る。

ヘッドライトに照らされて浮かび上がった路面の派手なタイヤサインを見つけて、バイクを路肩に停めた。

目を凝らすと星の光を鈍く反射しているRZの白いタンクが見えた。

 RZは立っていた。いや、そう見えた。遠くに輝く星の様な街の明かりをバックにRZは立っているように見える。近づいてみるとガードレールにエンジンとフロントホイルをかみつかれ、まるで巨大な手でねじられたようにフレームがよじれていた。クランクケースが割れオイルが値のようにしたたっていた。

 こいつは僕を恨んでいるのだろう。何故、バイクボーイが現れた時、いなかったんだ。何をしていたんだ。月の青白い光に照らされて、RZはそう叫んでいた。

僕はそこを動くことが出来なかった。

なんでおまえはスクラップ屋へ行かずに、こんな所で俺を待っていた。そんなに恨みが言いたかったのか。みんながひっぺがそうとしても、ガードレールにかじりついて、おまえは何が言いたいんだ。

 僕は暗闇の中、RZの青白く光るタンクを見つめながら、シマザキの事を考えた。

RZに乗った時、シマザキは走ることだけを考えたに違いない。RZは走るためだけに存在する。だけど僕は走る為だけに生きられない。バイクボーは走るためだけに走るんだろうか。

僕には何も判らなかった。そして何も判らないまま、僕はその夜、リカコの中へと逃げて行った。

 朝、目を覚ますとリカコは起きていた。壁の大きな鏡に向かって口紅を塗っている。僕は身体に巻き付いた毛布を引き剥がし、ジーンズに足を突っ込んだ。尻ポケットに突っ込んでクシャクシャになったタバコを延ばすとライターで火を点けた。

「一本もらえる。」とリカコが言ったので、もう一本引っ張り出して延ばしたタバコを渡し、火を点けてあげた。

僕もリカコも黙ったまま、タバコが灰になって行くのを見つめていた。

僕達はタバコを灰にするとホテルを出た。リカコは友達の家まで送ってくれと言い、そこで僕と別れた。別れ際、リカコは「しょうがないね。」とだけ言った。僕はその足でパープルラインへと向かった。

 朝は目覚め、空気はじっとりと汗ばんできた。背中でTシャツをばたつかせながらトンネルを抜けると、上り口からのコーナーをゆっくりと回って行く。その横を50CCのスポーツバイクがビュンビュンと追い抜いていく。僕は気にせず、ゆっくりとペケジェイを倒し込み路面を確認しながらコーナーをクリアしていく。道の左手に昨夜のまま置いてあるRZが見えた。夜のベールを剥がされたREはただのスクラップだった。

 駐車場のゲート前でペケジェイを停める。しかし、エンジンは切らずにギアをニュートラルに入れておく。

 セミのジイジイゆう声とバイクの甲高い排気音だけが周囲の空気を震わせる。緑の青臭い匂いと焼けたオイルの匂いが鼻先を流れていく。ヘルメットをかぶったままの額を汗が流れていく。汗は目の横を通り鼻と頬との谷間をぬけ、唇へと流れつく。

僕は汗をなめながら待った。夏の太陽はジリジリと首筋を焼いている。ライダー達が目の前を駆け抜けていく。大きく膝を突きだし、身体をコーナーの内側へ落としながら、カミソリのように空気を切り裂いて視界から消えてゆく。ガタガタのバイクにボロボロのツナギのライダー達が走り続ける。

僕は彼らを美しいと思った。

どっかの神話か昔話に上半身が人間で下半身が馬の怪物が出てくるが、僕は目の前を走りぬけてゆく彼らを、上半身が人間で下半身がバイクの美しい獣だと思った。

走ることだけを考えて走る、そんな美しい獣に僕はなりたい。

 次の日も僕は待っていた。夏の日差しにあぶられながら、エンジンをかけっぱなしのままのペケジェイにまたがり、僕は待った。バイクボーイと黒いカワサキを・・・。

 三日目の夕方、太陽は西に傾き、空は赤く染まっていた。セミの声はジイジイと騒がしく、僕をイラつかせていた。

「コーンッ!」

遠くで集合マフラーの排気音が響いた。僕は全神経を耳に集中した。

「コーン、コーン」

排気音はどんどん近付いてくる。僕はとっさにペケジェイのギアを一速に叩きこむとアクセルをひねった。その時、ギャラリー前のコーナーに黒いカワサキが姿を現した。ヤツだっ!

僕はクラッチを滑らせながら、ペケジェイを加速させた。フロントタイヤを浮かせ気味にコースへ飛び出した。

パッシングを浴びせながら、バイクボーイの後ろに貼り付く。バイクボーイはチラッと振り向くと、そのままのスピードでコーナーへと飛び込んでいく。僕はタコメーターの針がレッドゾーンに入りっぱなしなのもかまわず、アクセルをひねり続けた。

 その時の僕には路面の状態やスピードメーター、、レッドゾーンに入りっぱなしのタコメーターなどの一切が目に入らなかった。

僕が見ていたのは前を走るバイクボーイの背中だけだった。そして、その背中に引き込まれるようにコーナーへと飛び込んでいく。

 エンジンは悲鳴を上げステップは路面をけずり、火花を散らす。怖くはなかった。今の僕はバイクボーイしか見ていなかった。

二台のバイクはマフラーから金切り声をあげながら、大気を切り裂いて行く。僕はシートの上を右から左へと滑らせる。フルバンクでコーナーに飛び込むと左目にはアスファルトの壁が見える。

 僕はただ走っている。何も考えていない。景色も目に入らない。右手は僕の指令を待たずにアクセルを開け、つま先は勝手にシフトペダルをかき上げる。4ストロークのエンジンはバイクボーイのカワサキに襲いかかるようには走らず、粘り強く追いかける。エンジンは膨れ上がり、リアサスペンションは底まで沈みこむ。

道は下りとなり、さらにスピードが乗ってくる。コーナーの入り口ではエンジンブレーキを使ってスピードを殺し、出口では思いっきりアクセルを開ける。そして、すぐさまギアを落とし、次のコーナーに突っ込む。

 僕はRZのパーツになっていた。身体全体がオートバイのパーツになっていた。手や足や腰や目がバイクの細かな動きやバイブレーションに反応している。路面のアスファルトの様子もグリップを通して伝わってくる。

今この時、僕はバイクになった。バイクが走っているんでも、僕が走ってるんでもない。僕とマシンが走っているんだ。心臓の鼓動とエンジンの鼓動が重なり、僕はバイクボーイになった。

新たに生まれたバイクボーイは、古いバイクボーイを追いかける。マシンのフレームはグニャグニャとよじれ、クランクケースはコーナーリングの度に路面と擦れて火花をとばし、エンジンは絶叫を上げる。

それでも僕はアクセルを緩めなかった。暴れるフレームを身体で抑え込みながらバイクボーイを追う。

右目に赤く染まった空が映り、左目にはアスファルトの壁が飛び込んでくる。手を伸ばせば届くところにバイクボーイがいる。

 僕は喘ぐエンジンにさらに喝を入れた。回転計の針がレッドゾーンに貼りつきっぱなしになる。

ペケジェイがカワサキの横に並び、追い抜いた。

 何かを追いかけるのは、やさしい。そこには目標があるからだ。問題は追いついた後、どうするかだ・・・。誰かが言った。

「ランナーは並んで走るオマエを見て笑うだろう。はっとしたような顔で、ほっとしたような表情で。そして、オマエの前には道だけが広がる。そこからは自分のペースで走り続けなければならない。」

何かを追い続けて、追い越した先には何があるのか今の僕にはわからない。先頭を走るものの栄光なのか、孤独なのか。ただその時の僕はこう叫んでいた。

「俺がバイクボーイだ!」

今この瞬間、僕は僕である事を卒業してバイクボーイになったんだ。僕はコバヤシ アキラじゃない。

そう思った瞬間、目の前に次のコーナーが迫り、僕はペケジェイと一緒にガードレールに突っ込んだ。


 時間とは不思議なものだ。ほんの一瞬の出来事なのに、その時の僕には果てしない時のように思えた。

バイクはほとんど一直線にガードレールに向かっていた。ブレーキをかけるとフロントタイヤがロックし、そのままガードレールに突っ込んだ。

僕とペケジェイは空を飛んだ。僕は赤い空と緑の中を回転しながら飛び、ペケジェイはマフラーから金切り声をあげながら飛んでいた。後輪は虚しく空回りしている。

「僕はバイクボーイになれたんだろうか。」

そう思ったとたん、重力が僕の身体を激しく地面に叩きつけた。

 目の前に草が生えている。普段こんなアングルから見た事がないので新鮮だ。ゆっくりと息をすると、草の青臭い匂いと湿った土の匂いが肺に入ってきた。

草の名前は思い出せなかった。いや、こんなところに生えている雑草の名前なんて最初から知らなかったんだ。

名も知らぬ草の中で、青い匂いと土の香りに包まれ、僕は永遠の時間が流れていくのを感じた。

 突然、目の前に黒いブーツが現れた。恐る恐る首をひねって上をみると、黒い革のツナギを着た男が立っていた。

 バイクボーイは、ゆっくりとグローブをとり、ヘルメットを脱いだ。

そこには丸顔の人の良さそうな、おじさんの顔があった。

「大丈夫かい」とおじさんは言った。

僕はなんだか笑いだしたくなった。何故だか無性におかしくて、おかしくてたまらなかった。

バイクボーイが目の前に立っているのだ。

追いかけても追いかけても追いつけなかった。バイクボーイが目の前にいるのだ。

 バイクボーイが左手を差出し、僕はその手につかまって、ゆっくりと立ち上がった。

僕は「ありがとう」と口に出して言ったが、心の中でつぶやいた。

「さよなら、バイクボーイ」と。

1983年の夏は、そんなふうにしてして過ぎていった。


おわり


2018/4/8.中嶋 淳









 




 













 

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